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2011年11月30日 (水曜日)

引き戻るところ

記憶というものはとても曖昧で、先日も学生時代に住んだ街を30年ぶりくらいに歩く機会を得たのですが、駅前はこれほどまで狭かっただろうかとか、商店街の規模もこんなものだったかと感じたのです。

二十歳から二十四歳ころという最も信頼できる記憶細胞を持っている時期に、この程度のことが正確に頭の中に残せないのだから、思い出というものは甚だいい加減なものなのだということがいえる。

三角形の面積を求める公式や三平方の定理を中学時代に一生懸命覚えて、後になって微分積分を習ったときにそんなものがいとも簡単に証明されていってしまい、また新しい数学的な難問が頭の中に蓄積されて、私たちの頭脳は解析するということを理屈でなくカラダで覚えて使いこなし始めるわけですけど、そこに必然として存在する記憶力というものと、玉虫色にあせてゆく生活の中の思い出や恋愛感情などの記憶を司る力とは、もしかしたらまったく違う場所に想像もできない仕組みの違いをもち置かれているのではないか、と思うのです。

ヒトは、だから、信じられないほどアホになれるし失敗も犯すのでしょう。

*

砂女さんは雨降茫々日々記「671」のなかで

この頃、どうも目を開いているときより閉じているときの方が色んなものが見えるような気がする」という一節を書いておられ、本文を読み終わってからも、なお歌人というものは理学者のような視点や思考回路網を持っているのかもしれないのだな、と思ったのです。

私も、果てしなく、昔に引き戻らされつつある。遺伝子で残せないものを遺さねばならないとこのごろ切実に思う。

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