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2011年8月31日 (水曜日)

ナイショ。だいじにしてね

 白粉花内緒の話がひとつある

 会いたいと夜更かしすれば螻蛄鳴く

 淋しいとコオロギ鳴いて酒を飲む 


オシロイバナ

オシロイバナ

2011年8月30日 (火曜日)

好きな人、秋の髪型に変えたかな ─ 八月下旬篇

┌■┘ 8月26日

▼暦繰り秋ざわざわとご入場
▼ぶどう食べる唇にスッと投げキッス

mixiの日記を久しぶりに書いたりして過ごす。

▼いつまでもナイショでいいの好きなこと

秋味を飲む

秋味を飲む

秋はビールですね。

▼秋刀魚買う気合を入れて米を研ぐ
▼秋味を黙ってカゴに。見詰め合う
▼好きな人、秋の髪型に変えたかな

好きでした
あなたのことを
なんとなく。

おやすみと
思い闇夜の空見上げ。

会いたいと思いの募る秋が来る

┌■┘ 8月28日

秋が深まったら旅にゆこう。
遠くでなくてもいいや。
どっぷり旅情を味わおう

熊野に来た。
波、高いわー

七里御浜(熊野市)

七里御浜(熊野市)

▼久しぶり中とろ買った県内産

▼およおよ。虫の声がする、そうなんや
▼終わろうとする夏嘘でもひきとめて

▼あの人を想いつつ止まった時計見る
▼初対面あの日も朝顔咲いていた
▼車窓から都会を遠くに、言葉を拾う

▼週末の冷たい夜に読み耽る

┌■┘ 8月29日

▼おはようと、いつものように、始まるの
▼嫌ですが泣いても笑ろても月曜日

そんなかんじで月曜日が始まった。

車窓から

車窓から

▼夕焼けて電車眺める親子かな
▼夕暮れの長い影と一緒に歩く

すっかり刈入れが終わった平野。
もち米だけが残っているのでしょう。

▼冷麦(ひやむぎ)の赤はあげない。青あげる

スーパーで冷麦見つけて、嬉しくなる。
兄弟で譲り合わなかったころがあったな。

きのうは、中とろの前に、鯵と鯛をにぎりでいただきました。
今週は、貧しくいくか。

┌■┘ 8月30日

▼螻蛄鳴く思い出さがしの夢をみる

オケラが鳴く。
そんなものはいつから聞かないのか。

数々の思い出が秋の夜にはある。
オケラが鳴くような気がする。

鳴くのか、啼くのか、泣くのか。

▼秋の夜俳句人のゴミのつぶやき
▼何気なくため息深し十七音

誰もが自由にツイッターで十七音をつぶやく。
作品に中秋は少ないかもしれないが、心は通じるものがある。

▼キミのその嬉しそうにする顔が好き
▼マイペース貴方も私も寄り添わず
▼白い皿叩き割ったあと好きという

ドラマの構想がなかなか進まない。

▼赤あげて白あげないでスキと言う
▼アイツなんか嫌いだぶすだイジワルだ

▼昼休み冷コを前にメール聞けず

ちょっとそこには意味がある。

夜が涼しい。
37℃ラブ。
お風呂の時間がやってきました。

ぬるいお風呂大好き。

2011年8月26日 (金曜日)

秋のビール

── 生ビール。
    大ジョッキで一気にぐっと飲みたいな。

そういう話を何度も夕飯のときにして、

── そのうちね

といいながら
夏が終わってしまう。

+

秋のビールが店頭に並んでいる。

二人で焼き鳥と秋刀魚をつつきながら
美味しいビールに目を細めて
明日になったら忘れていてもいいような話をする。

いや、
春になったら旅に行こうという話もするかもしれない。

+

いつまでもナイショでいいの好きなこと ねこ

 

2011年8月25日 (木曜日)

雨あがるどこぞで魚焼いてはる ─ 八月篇 25日まで

┌■┐ 8月21日
└└┘

▼凝視する暗闇に八月の雨
▼潔く大好きという神頼み

♪雨雨降れ降れ母さんを
 お迎え行かない知らんふり

▼言い訳を丸めてグラスに放り込む

果実が熟れるように
私が発散する熱さって
モノが形を変えてきているのを知るので、
私はいつも楽しく、
愉しくしているような気がする

カミナリ。怖いけど、好きやわぁ

▼日めくりで処暑確かめて髪を切る

ご存知のように、
私には切れる髪など無い。


┌■┐ 8月22日
└└┘

職場の産直メニューにサンマが登場。
蒲焼きでいただく。

雨が降ると
負けたくないので、雨の句を浮かべる。

▼雨粒や飛び散ればいい僕も飛ぶ
▼土砂降りの海に貴方の手を引いて
▼通り雨あの人何処で雨宿り
▼雨あがるどこぞで魚焼いてはる
▼臆病で傘なき貴方を追わぬまま

┌■┐ 8月23日
└└┘

田んぼを見ていると、落ち着く。
稲刈りが始まる。

苅田の香り。
知る人は少ないだろうな。

それを知らずに、米を食っても
本当の味はわからんだろうな、と
ふと思う。

▼手紙書く、刈田の匂い知る人へ
▼稲刈り始まった。米の蒸れる匂いがする
▼初恋の過ぎ行く夏の車窓かな
▼日めくりの処暑を畳んで支度する
▼実る田を見渡す人の案山子たる
▼到着駅降りずにこのまま旅したい

┌■┐ 8月24日
└└┘

お盆も過ぎて
夏が終わる気配を見せ始めるものの、まだまだだ。

今年も夏太りだったなあと思う。

▼路地裏がざわめく古里、地蔵盆
▼大文字私の部屋からひとつだけ
▼サンマ食い終わって身体がどんどん猫になる

▼サンマ買うほかほかご飯を炊きました

サンマが店に並ぶようになった。
北海道産と書いてある。

倍ほどするが、ウマい。

▼天然のエビ天喰らいて口熱し

そういえば、海老や安かったといって買ってきて天ぷらをしてくれた。
夕飯の食卓がいつもながら居酒屋状態になっている。

┌■┐ 8月25日
└└┘

▼ぼやけても車窓の先は刈田なり

雨降りなのですけど、昨日のうちにたくさん刈ったうちが多かったかもしれない。

車窓から ─ 苅田
車窓から ─ 苅田

2011年8月24日 (水曜日)

オロフレ峠

オロフレ峠のことをmixiのなかで話題にして

--

開通は昭和63年か。ウチの娘が生まれた次の年やね。
私が最後に北海道に行ったのは1989年でしたから、
そのときには開通してたのね。
そっち方面には行かなかったように思うけど。

でもね、昔を語ろうとはそれほど私は思っていないのですよ。
あれは、私が見た景色で、言ってみれば私だけの景色であるわけです。

だから、
まえにも書いたけど、
大雪山の右半分の、ジャングルの中を延々と続くダートの国道や、
鎖場しかなかった知床峠を迂回して越えるダートの斜里峠も
ほかにもいやいやだったけど走らざるを得なかったガードレールもない原野のダートは
私の思い出であって、ある意味では、そのときで終わり。

もう再現することは出来ないし、
再現しようとして文明に逆らうようなことも出来ないでしょ。
だから、私が思い出して楽しんでればいいのであって、
ここに書くと嫌気を感じる人もあると思うのね。
(まあ、それでも書いてますけどね)

旅の目的地には、常に新しいものが生まれて
その旅を愉しむ手法も
やってくる人々も
その姿は刻々と変化してゆくのだから
旅人はそれを愉しめばいいのでしょうね。

地球の鼓動や溜息、吐息を肌に感じながらも、
私たちはそんな長大な時間のお付き合いは出来ないし
めまぐるしく変化する現代社会のクロックでしか旅は出来ない。

ことあるごとに、多くの旅人に「何故、旅に出るのか」と尋ねてみたのですが
「現実逃避でしょ」
とあっけなく答える人が圧倒的に多くて
質問をした自分も似たようなものであって、少し安心して、
仲間同士で旅先で乾杯をしたことが何度もあった。

結局、社会のなかで、みんなと足並みをそろえて行くのに疲れて、
他人の作り出したクロックから逃れたい一心でたどり着くのが北海道であり、
ひとりになれる場所なんだな。
そう思うの。

かけがえのない場所ってのは
他人には詰まらない所かも知れないし
注目もしない場所であるかもしれない。

私があの時代に旅をしていたころは、
写真だってそれほど撮らなかったし
電子情報にして簡単に残そうという発想すらまだないころです。
もちろんケータイ電話もないしね。
車にだってエアコンがついてないのが普通だったのだから
峠を越えている旅人に車の人が手を差し伸べてもそれはそれは不自然じゃなかったのです。

今という時代を走っている人が
30年後、60年後に胸が張れるようなところであり
今の旅を回想して胸を張って欲しいと思う。
30年たったとき、(今の旅が)使い捨ての旅になってしまっていたら、
それが一番残念なことだと、そんなふうに感じるのですよ。


mixi

オロフレ峠・号外

お盆のころ ─ 番外篇

 線香花火守る貴方を好きになる

 遠い日の花火懐かし父の盆

 月丸し子供の頃の母の胸

--

そんなことを考えていた。
手繰り寄せて、さまざまなことを思い出す。
中には忘れてしまうこともあるけど
それは、もう追わない。


別室・銀マド

2011年8月22日 (月曜日)

どしゃぶり

雨あがるどこぞで魚焼いてはる

臆病で傘なき貴方を追わぬまま

通り雨あの人何処で雨宿り

--

雨が降ると
あんなやつ
どこかの土砂降りで
濡れていればいいんだ
と思う。

けど
濡らせたくない

ジャパネットたかた社長・高田明

朝日新聞の土曜版にひとつの連載がある。
最近の記事で思わずスクラップしたものがあったのでここに残しておく。

-

ジャパネットたかた社長・高田明

 「私は、商品はただの物じゃない、生き物だと思ってるんです」と高田はいう。
例えば「ビデオカメラを買ったら、お父さんやお母さんを撮ってください」と強くすすめる。
子どもは成長してから自分の昔のビデオなど大して見ない。
むしろ両親の若いころの映像こそがかけがえのない贈りものになる。

2011年8月6日付 朝日新聞土曜「be」から

2011年8月21日 (日曜日)

夏休み

小さい頃の子どものお勤めといえば、お風呂の薪を焚きつけてお風呂を沸かすこと、縁側の前から家の周辺をぐるりと掃いて回ること、夕飯のお茶碗を飯台に並べること、ニワトリに餌をやること、などがあった。他にはその日その日によって前の畑に茄子をもぎに行ったり、ニワトリ小屋に卵を取りに行ったりした。

振り子のついた柱時計もあったので、こいつのネジを巻くのも仕事だったような気もするが、これはあとからそういう風景を思い出して記憶がすり変わってしまったのだろう。子どもの私には柱時計には手が届かなかったはずだ。踏み台を置いても届かなかったはずで、毎日、たぶん、父が蝶々の形をしたネジ回し器でネジを巻いていた後ろ姿を見上げていたから、いつからか自分がやっていたような記憶に成り済ましてしまったのだろう。

蝉といえばアブラゼミで、クマゼミの声はあまり聞かなかった。友達と山へ遊びにでかけてもクマゼミを見つけると蝉の王様をつかまえたような気分だった。
私は蝉を捕ってそんなに喜ばなかった。捕獲したところで何になるのだ、みたいな気分があったのだろう。そのへんにたくさん散らばって鳴いているものを無理に捕ってしまう必要もないだろう、と考えていたのだろう。昆虫採集などをして整理して夏休みの宿題を完成したことなどは一度もなかった。

近所には1m程度の深さの川があって、泳ぐには最適の淵もいくつもあった。遊泳場になっているので、午後になると保護者付きで子どもたちはそこで泳ぐのが日課だった。プールというものはこの地域には全くなかったし不要だった。
しかし、そこでも私はあまり泳いで遊んだ記憶はなく、魚釣りに行くわけでもなく、何をしていたのだろう、山の中に入って行って駆けずり回っていたような気もする。

角田光代 八日目の蝉

(中公文庫)

映画にもドラマにもなったということを先入観として持ちその作品を毛嫌いしてはいけないぞと自分に言い聞かせる。映画もドラマも見たくない。

このごろは「小説家」に対して「原作家」というスタイルの人が多く、話だけ組み立てあげて叙情的なもの叙事的なものを綴ろうとしない人が多い。綴る才も無いのかも知れないが、こういうのを私は「語力」の欠乏と考えることにした。

角田光代には、持ち前の語力がある。新聞小説を書き上げて、それがいっそう腕力を持ち始めたという感触がある。全体的に作品を眺めれば苦心もあろうと思うが、それが角田スタイルということにしてもいいのではないか。

書き出しで、
「ドアノブをつかむ。氷を握ったように冷たい。その冷たさが、もう後戻りできないと告げているみたいに思えた。」
と始めたのだが、作者はこのときに「後戻りできない」何モノかをほぼ完成された形で描いていたのだろうか。

人間は冷酷でありながらも厚情な面も持ち、やさしさも親切さも持ちながら、厄介なものから逃げ出したりする。いい人でも嘘をついたり騙したりすることもある。もちろん、そういう人をいい人とは言わないのかもしれないが、私たちはそんなことが分かっているけれども、「後戻りできない」愛(と呼んでいいのか) に足を踏み込む。そんなものDNAであるはずがない、と言い切れないから悔しい。

人はみんな真剣に生きている。だから、彼女が赤ん坊を連れ去るときにも「がむしゃら」に走る。一生がむしゃらに走り続けて、それはDNAで受け継ぐ。遺伝学でそんなことがあったらいつか世界中には「がむしゃら」な人ばかりになってしまうのだが、そうならないから摂理というのは上手く出来ているのだ。

誘拐犯としての逃亡の最後を迎えるときのことも「ほかの記憶は曖昧なんだけれど、その日のことだけは、覚えている」と書いているように、私たちは曖昧さを心の中に棲まわせて、後戻りが出来ないまま生きている。

子どもの眼から見れば「つまり母は逃げていた」ように見えた。でも、後戻りしたくないから、誰だって正義でも悪者でも、逃げることは必要なんだなと考えてしまう。そう思うとほっとする。

「面倒なことからは逃げる人だもん」と恋人のことをいう。そう言えるのは自分が好きだからと分かっているからなのだが、このあたりが作者の少し手ぬるいところであり、また、とてもいいところであると思う。

作者が女性でなく男性だったらどのような物語になってゆくのだろうか。弱くて最低のオトコは少し未熟感を漂わせるかわいい女性が書くとそれが妙にリアルになって面白い。

物語の結末は誰もが推測できるようなものだ。しかし、この人の語力はそれでは済まさない。物語は新聞で毎日届けられた。読み手の心を揺さぶる。お涙ちょうだい、としてはいけない。心を震わせて夕日のようにストンと落ちて、明日に繋げなくてはならなかった。後はDNAに任せるのだろう。

文庫の帯のコピーは映画の宣伝文句ばかりになっているものの、間違いだとは言わないのであるが、どうしても似合わない「サスペンス」という文字で白ける。ありえない話であるし、人によってはありえる話と思うのかもしれない。その心の動きや喜怒哀楽の節々はきわめて日常であるだけに恐ろしく現実めいた錯覚が読者を纏う。

生きる歓び、愛する歓びであるとか、日常の感動などが、人見知りをせずにおおぴらに語り前面に出して追及できる時代になっている中で、人が人を愛する掟の裏に潜んでいる「後戻りできない」感情というものは、それが事件であろうが夢であろうが、心の中に棲み続ける。がむしゃらに走り抜けるためには、八日目でなくてはならなかった。

オトコでも同じだと思う。

--
R0

八日目の蝉  角田光代

2011年8月20日 (土曜日)

淋しいと三べん言って髪を切る ─ 8月中旬終る

   
    ┌■┐ 8月19日
    └└┘
   
     
角田光代「八日目の蝉」を読んでいた。
そのことで、だべっていると、小豆島の話になって……ああ、そうめん食いたくなってきた。
   
▼そうめんを啜りてあの日を思い出し
   
 
▼好きですと言い出しかねて一度だけ

▼ヤマモモのジュースの味は忘れても

▼雨あがり貴方の車の水玉を指でいじって好きと書き、消す

    ▼待ちぼうけ恋した人は天然で
 
雨上がってもカラリと晴れないねえ
雨雲に覆われている。でも降らぬ
   
イオンでーす。
きょうと明日は、割引の日なんだそうです。
そんなに混んでない。
   
秋刀魚の刺身をそろそろスーパーで見かけるようになってきた。
旨そうや。
 
1匹100円のアジを焼く。
 
▼どれくらい好きか試しにチューをする
 
▼母の手や生姜を下ろす力弱さ
   
そんなことを思い出しながら、夏の夜は更ける。
   
   
    ┌■┐ 8月20日
    └└┘
   
八月の蝉の余韻が続く。
 
▼ササガレイおかあちゃん思い出すとツマがいう
▼淋しいと三べん言って髪を切る
▼壁紙の色薄めにして赤を想う
 
▼会わなければ忘れられるなんて嘘
▼大好きの言葉は届いた、そこで砕けた #tubu17 #jhaiku
   
八日目の蝉。
読み終わった。
小豆島行きたい!
   

   

2011年8月19日 (金曜日)

秋思うあなたを思う女郎花 ─ お盆のころの十七音

□┐8月14日
└┘

父の墓に参る。
山並み遥か風力発電の羽根が回っているのが見える。

あのときにも在ったのだろうか。
あの山から木枯らしが吹き降ろし
記録的な寒波が襲ったあの日を思い出す。

夜。

▼遠く花火を聞きながら満月をみている

--

□┐8月16日
└┘

火曜日。
昨日も今日も出勤。

車で行くので1時間休暇で遅れてゆくが、
交通量は日曜日の朝並に少ない。

▼盆開けて久しぶりに剃る不精髭

▼盆過ぎて新しい恋を始めよう

--

□┐8月17日
└┘

ラジオのニュースが、福井県で幸水の出荷が始まったと伝える。
例年より五日遅い。

幸水も桃も食べた。
子どものころには前の畑に桃木があったので、いくらでも成るだけ食べた。

そういう果物って、買う気になかなかなれなくて。
スイカ、イチジク、桃、ぶどう、とうもろこし、などなど。

▼桃の木や手の届かなかったころ思う

▼桃を食う、がぶりと齧って胸を張る

▼白桃のくぼみ確かめかぶりつく
▼ほんとうは熟し過ぎこそ桃の味
▼仏壇に桃三つある、オヤジさん

角田光代「八日目の蝉」を先日から読み始めている。
ごろごろと横になって、暑い暑い部屋で読んでいる。

ふと、

赤い夕陽が校舎を染める
いつもの時間にいつもの場所で
行き交うその子の名もしれず
前髪揺れればヒグラシの
カナカナ哀しい夏休み

なんてのが浮かぶ。

本当は、カナカナなんか鳴かない。

▼秋思うあなたを思う女郎花

でも夕暮れには秋を感じる。

--

□┐8月18日
└┘

▼言い出して儚い恋ね女郎花
▼言わないで儚く消えても恋は恋

▼失恋の朝は弱気よ猫じゃらし
▼水割りを三回まわしてワン!という

お盆が過ぎて
夏が終わる。

あれほど憎かった暑さも
許してやってもいいかな、
と思ってみても
やっぱし許せないと意地を張ってもみたくなる。

昔の女(ひと)が頭をよぎる。

2011年8月16日 (火曜日)

おでん

8月16日朝
8月16日朝

おでんの文字。
もうそんな季節なの。

パンを齧って、缶コーヒーを飲んで職場に向かう。

2011年8月14日 (日曜日)

防波堤ゆうべの花火の落し物 ─ 14日まで 十七音

□┐8月5日
└┘

チカコさんて「周子」さんて書くんだ。
8月生まれだよ。
元気かな、とふと思い出した。

▼ラジオ体操帰って一番カツオ擦る

近ごろはラジオ体操の音楽が聞こえてこないし
そのころの時刻に近所を走り回っている子どもたちも見かけない。

豊かさに満たされると、そういうところでエネルギーを消費しようとする欲望が消滅してしまうのだ。

▼静かな夜に水割りはよく似合う。

氷を足してみる。
いつから水割りが好きになったのだろう。

□┐8月6日
└┘

▼花火大会。音だけが遠くから響いてくる

久居と大淀の花火だという。
どちらの音が届いてきているのだろうか。

▼缶蹴りの鬼も泣き出す日暮れかな  (つぶやく参加)

□┐8月7日
└┘

花火は好きじゃないのかもしれない。

はしゃいで遊んだ記憶もないし、近所のイベントにも毎回といっていいほど出かけたりはしない。

遠くから響く音を聞いている。

▼防波堤ゆうべの花火の落し物

▼月見草呼び止めないで古里に

▼蝉時雨高校野球が始まっている

▼缶蹴りの缶も迷うや蝉時雨
▼アイスコーヒーの汗を指で遊ぶ

□┐8月8日
└┘
(記載なし)

□┐8月9日
└┘

滅多に乗らない路線に来て
外の景色ばかり見てます。
別日記に写真も上げておきました。

▼かなかなを探しに森へ旅に出る

昨晩のおかずは、暑かったので、タコの唐揚げをした。
片栗粉をまぶして、あっさりと揚げる。
生でも食えるので、揚げ過ぎない。

▼タコを食うクラスメートのたか子ちゃん
(意味ないのですけどね)

▼きのうから秋だ、手紙に嘘も書く

▼青空にもしも落書きできたなら、君が好きだと書いてキミを消す

□┐8月10日
└┘

▼わお!月の光が部屋の中まで届いとる
▼しみじみとカナカナ哀しなに哀し

▼ヒグラシや昔の日記を手繰り寄せ

▼風呂上り遠く離れた恋人の同じ月見て髪を束ねん

▼暑いけど海風だけはきょうも優しい

朝に地震。

コーヒーポットかたかた揺れて、
はっと時間が止まったみたい

震度?1 かな。

玉川温泉の岩の上に寝転んているような暑さ。
午後そんな感じで横になってばてながら読書などして過ごして、
ウチのんがいる居間へお茶飲みに降りたら、快適クールで驚く。

(昼からじゅう)ずっとそこにいたらしい……

人それぞれか。

□┐8月11日
└┘

猛暑日が続いている。
10日から12日までは、出勤日の調整で休みが続いている。
暑いからどこにも出かけない。

▼アメダスがお盆間近に真っ赤なり

□┐8月12日
└┘

午前中に測定局に用があってちょっとで書ける。
休日だからバイクで行く。

午後、お墓に参る。

▼カツオ食うあんたのことを思い出す

熊野灘のカツオ。刺身でいただく
値段も見ないで買ってしまった。
ちょっと高かったかも。
美味しかったけど。

▼夏の子は暑さに強いと人のいう。

月を見に表にてたら涼しかったので、
過ごしやすい夜だと思い喜んで寝室に戻ったら、
めちゃ暑い。

家財を全て捨てれば熱エネルギーが溜まらないので少し快適になるはずだが。

物語は進まないほうが愉しいかも。その5

その4」を書いてから2ヶ月と10日あまりが過ぎている。

なーーーんにも変わったことはない。

1週間から2週間に1回くらいの割合で食堂で見かけるだけで、相変わらず涼しいお顔で、こちらはハッとさせられ、今日はなんかの運があるのかな、と喜んでみたりしているだけ。

私は小説家でもエッセイストでもないので、面白く楽しく書けるわけではなく、ただの日常を書いているだけなので、このあたりで読者はすっかり落ち込んでいるだろうことを予測して、少し物事を特定できるようなことを書きますが、無理に詮索しないように。所詮、個人のつぶやき日記だから。

というわけで、
6月だったか、7月だったか。職場の正面にある花時計の周辺の植え込みで子ダヌキが目撃されたというニュースが届いたの。その子ダヌキをどうしたらいいでしょうか?というような相談だったので、隣接部署のこういう事情に詳しい方の意見を聞きに行ったりして、結局はその子ダヌキは職員の手によって捕獲され近所の林に放たれたということでした。

そんな事件があったときに職場のメールアドレスに状況説明などをしてくださるために、1,2度連絡をくださいました。

このあと、確か公務員試験や教員採用試験やらが始まって、あの人、どこで何をしているのか、本当に忙しくなったのか。出歩くことを禁止されてるのではないかと思うほどにお目にかかれなくなってしまった。

そうだ、何かのときについでにケータイのメールを、さりげなく、ふっ、と知らせたのだが。あれからパタンと連絡が途絶えたのかもしれないというのは私の考えすぎだろうな。
(伝えたものの)メールの返事など来ないほうがいいな、と思っていたのが少しテレパシーで伝わったのだろうか。

もう、その5(今回)で終わりにしてもいいような気がするけど、続きが書けるような出来事。起こるといいな。

(mixi:2011年08月14日)

2011年8月13日 (土曜日)

立秋を過ぎると瞬く間に秋が・・・・

住宅街を散歩しているとベランダに花を咲かせている朝顔やゴーヤの花を見かけます。今年は緑のカーテンに初チャレンジのご家庭も多いことだろうと思います。皆さん、効果はいかがでしょうか。

朝顔の花が咲きますと「朝顔につるべ取られてもらい水」(加賀千代女)の句を思い浮かべる方々も多いことでしょう。でも、「つるべ」を取られる風景など、井戸そのものが少なくなっている時代ですから見かけることはほとんどありません。時代劇などで時々出てきます。

江戸時代は、庶民が皆とてもエコな暮らしをしていたといわれます。つるべで水を汲み上げていたころは、水のありがたみを庶民はよく知っていたので、資源を大事に暮らしていたのではないかな、と想像したりしています。

涼を体験するということでは、打ち水運動なども活発なようです。しかし、これは飲用できるような上水をドバドバと地面に撒き散らしてはやはりもったいない。ぜひ、雨水などの再利用水をお薦めしたいです。

今、自然エネルギーがとても注目を浴びています。太陽光発電も話題になっていますが、風力発電にももっと眼を向けたいと思います。技術力という面では世界でも上位のものを持ちながら、発電量の方は少なく、世界に遅れを取っています。それだけになおさら風力発電の技術開発とその普及が見直されようとしています。洋上風力の潜在的エネルギーは、意外と知られていないようです。黒船以前の船は、風で世界を駆けました。海にはパワーが潜んでいると信じています。

■□□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

立秋を過ぎると瞬く間に秋がやってくるといいますが、夢と希望を打ち砕くように8月8日の最低気温は27℃、最高気温は33℃でした。7月末ころからいくらか涼しい夜を過ごせてホッとしていただけに、秋を告げる節気が熱帯夜となりカウンターパンチを食らった感じです。

この暑さに嫌気がさして(実はひっそり)秋が待ち遠しいのですが、夏の花は元気です。ゴーヤ、カボチャ、トマト、ヘチマ、キュウリ、カンナなどなど、黄色い花が目立つような気がするのは私だけでしょうか。

黄色い花、もうひとつありました。月見草(通称)の花も黄色です。本当の名前は大待宵草。この花が野山や田んぼのあぜ道に咲き誇るようになると、稲穂がいよいよ色づき始めます。お盆過ぎにはたわわに実り、伊勢平野で稲刈りが始まるのではないでしょうか。

投稿写真に、センターの木村さんからトンボの写真を2枚続けて送ってもらいました(1)(2)。夏休みの宿題のために昆虫採集に駆け回ったころを思い出す方々もあることでしょう。

 法師ぜみ鳴く新学期始まれり 水原秋桜子

8月とはさまざまな哀愁が満ちた季節でもありました。そう考えると、8月8日はやはり立秋だったのです。9月になったら熊野市紀和町の千枚田の稲刈りの写真が届くといいな、と心待ちにしています。

2011年8月 9日 (火曜日)

滅多に乗らない路線に来て、
外の景色ばかり見ている朝。

駅


2011年8月 5日 (金曜日)

夏休み思い出ぼろぼろ初恋の ─ 八月のはじまり(1日-5日)

8月1日(月曜日)

帰りの汽車の中で高校生がルービックキューブを夢中でやっていた。
今ごろそんなものが再び流行ってるのだろうか。

現代人はその解決方法を定式化してしまうと、解決するための努力を激減させる傾向が強い。物事を定式化した時点で知の発展は止まるということだ。

今高校生は解き方を知っているのだろうか、ということのほうが興味深かった。

8月2日(火曜日)

駅を降りて神社の森を見ながら昔を思い出した。

こどもの頃には、ものがたりを読んで森が出て来ても、森って何かわからなかったなあ。

しかしそれは大人になってゆくにしたがって解決してゆく。

僕は森の中に住んでいた。
そこから出ることもほとんどなかった。

だから、森ってどういうものなのかが分からなかったのだ。

*

八月になった。

むかし、職場にいた周子(ちかこ)さんの誕生月だ。確か六日頃だったはずだ。東京か埼玉かそんな遠くに行ってしまったな。あのあと私は、東の空ばかり見ていた日々があったな。

▼流されてあなたの棲んでいる海にゆく

ちょうど、出勤時間が満ち潮の時刻で、川の水もいっぱいだったのを、汽車の窓からぼんやりと眺めていた。


8月3日(水曜日)

汽車の窓から線路沿いに咲く月見草が見えた。

月見草。
黄色い花が切ないなあ。

夏は黄色の花が元気だ。

▼ヒマワリの黄色せつなく夏の恋

セミがとにかくヤカマシイ。
このごろは、クマゼミばかり。

▼さようならの言葉のあとの十二文字
千夜一夜を書いた。
静かにならなければ書けない、書き出せない200文字。

▼夜が明けてオシロイバナとここに居る


8月4日(木曜日)

カレーが食べたくなったのでリクエストをする。
キムチたっぷり入れてみる。

▼夏休み特急の窓にぎやかで
▼蝉の抜け殻が真夏の匂いする


8月5日(金曜日)

▼キムチ食べて今朝のオナラは臭かった

セミが鳴いているのをきくと、夏休みだなあと思う。夏休みってあっという間に終わってしまって、クラスメイトに会える悦びと過ぎてゆく夏の寂しさを感じるのだな。

▼ラジオ体操帰って一番カツオ擦る
▼夏休み思い出ぼろぼろ初恋の

ツマが桃を買ってきて嬉しそうに出してくれる。今の時期が旬で今食べると美味しいもの。これを美味しくいただくということは大事なことだ。常に季節に感謝をする。

▼白桃をがぶりと齧った七つのころ
(これは別日記に書いたのでコメントなし)

桃のころは、ももが一番好きといい、
梨のころは、梨が好きだという。

イチゴの季節は過ぎ去ったが、また来るから悲しくない。

▼チューされた赤ナスさらに赤くなり

なすび。
近頃の煮びたしに凝ってます。

白桃をがぶりと齧る

白桃をがぶりと齧った七つのころ

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七つは東京オリンピックの年。

庭にはスイカ、もも、ぶどうなどが実をつけていて、
齧り放題の時代だったが、木に手が届かなかった・・・・。

今でも、スイカ、桃、ぶどう、トマト、イチジク、ビワ、柿など、庭にあった果物を店で買うのに躊躇してしまう。
そんなもんでしょ。

2011年8月 3日 (水曜日)

島尾敏雄 出発は遂に訪れず/死の棘

読書部Ⅱ@mixiに
久々に島尾敏雄を、と思いまして。

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この歳になると、
というのは変な言い方ですが、
まあそうでない方々もありましょうけれども、
喧しくて落ち着きのないものは付いて行けなくて、
自己サイクルタイムのゆっくりとしたものが心地よいです。

小説にしても、流行ものもキライではないのですが
じっくりと読むもののほうがいいですね。

老眼も手伝って、すばやくとんとんと読めないので
昔の作品を棚から出してパラパラと見ていると
懐かしくなります。

あのころは、好きな人など1人も居なくて
古本屋ばっかし通っていた日々があったな。

夏に読む1冊ですね。

島尾敏雄の2冊をあげておいた。
過去の日記は以下です。

死の棘 / 出発は遂に訪れず

写真日記(平成28年版)

  • 越乃寒梅
    平成28年の
    日々の写真に
    コメントを
    綴ります

写真日記(平成27年版)

  • 伊達巻
    平成27年の
    日々の写真に
    コメントを
    綴ります

京都日記(平成27年春篇)

  • 焼き鳥
    京都日記
    平成27年版の
    春の日記です

京都日記(平成27年7月篇)

  • 鱧のお弁当
    京都日記
    平成27年7月篇

京都日記(平成27年11月)

  • 渡月橋
    京都日記
    平成27年11月篇

日々是好日写真記

  • ハーモニカ
    860枚 平成18年から平成26年まで(写真日記)
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