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2011年7月31日 (日曜日)

7月の落書きから その3 ─ 朝

--

昔、信州の名もない高原の
名もない森で朝を迎えたことを思い出している。

鳥が鳴き
朝日が空の片隅を赤く染め始め
冷気が私を包み込んだ。

あらゆることへのかかわりから開放された錯覚を
幸せと勘違いしていたのかもしれない。

それは死の淵にいる自分を見つめている時間でもあった。

森はただならぬほどに騒々しいのに
それを静寂と記憶している。

霧が森を揺らしていたかどうか。
記憶にはない。

(7月27日)

---
これを書きながら
ひとりの人を私は思い出していた。

今も昔も
おそらくあの森の景色に変わりはないのだろうけど。

いや、
ただそれだけのことだ。

7月の落書きから その2  ─ とける

とける

--

あの人

この暑さで
絶対に溶けとる

溶けたら
拾い集めにいって
わたしのものにしょ

(7月16日)

7月の落書きから その1  ─ 怖いもの

怖いもの

--

横になってなさい。
これが一番いいの。

だんだんと他人のゆうことをきかなくなるから
困ったもんだ。

横になって休みなさい。
そう言って叱ってくれる人が少なくなったでしょ。

歳くうと
怖いものなしになって
ひとりよがりになるのよ。
誰のゆうこともきかない。

だから、子どもみたいやって言われるのよ。

(7月13日)

--

心に鬼を置きなさい。

そういう風に誰かに助言をしたことがあった。
自分にも言い聞かせなきゃ。

思い出はひまわり畑においてゆく ─ 7月下旬篇

20日

▼水割りに貴方の息が酔い添える

暑い日が続いている。

むかしはビールが大好きで
あついあついと言ってはビールばかりを飲んでいた。

うすめの水割りがこのごろは美味しい。

21日

夏休みで子どもたちが汽車に乗ってこないので朝は静かだ。
穂が出ている。

穂が出る

穂が出る

土用の丑だったのか。
鰻を食べた。

▼スーパーを出てくる人皆ウナギかな

不思議なものでね
いそいそと自動扉から吐き出される人たちが
みんな、鰻を下げているように見えるの。

22日

ぴあ、廃刊。
この話題が目にとまった。

情報のもたらしてきた豊かさとは何か。
ぴあが語る我々の意識の変化について、
後日ゆっくりの考えてみたい。

23日

仕事にゆく。

じゃがりこ、食べた。

24日

朝露

朝露

▼夏休み、ほおづえついて君思う
▼山越えてゆくわサヨナラ月見草
▼あの人は便りのあてさえ分からないフクシマ

冷奴。
めんつゆかけても美味しい。

深井ちで泊まったときに、あいつがめんつゆ掛けて豆腐を食べていたのを思い出す。

海風がやんで凪の時刻が来るころに
ひぐらしが哀しく鳴き始めるの

25日

きょうから、我が家はひものデー。
きのう、三個で千円の干物を買ったので。
干物大好き。

こんやは、カワハギ

▼夕立や濡れて浴衣の襟正し
▼寄り添うて浴衣の裾やその奥や。
▼朝露の何占うや大暑かな

26日

雨あがり、4句。

▼雨あがり二人の傘が手をつなぐ
▼雨あがりキラリと光るモノがある
▼雨宿り言葉交わしたその後に
▼雨宿りそれ以後二人は友達で

27日

▼思い出はひまわり畑においてゆく

28日

▼止まり木で海月突っつき、ねぇと言う
▼嫌いならそれならそれで、海月食う
▼明日には海月忘れてわたしを見つめて
▼曇り空泣くな!と言ったそのあとに

29日

浜名湖の清水屋さん。
鰻を食べてきたのは、別日記で書きました。

30日

夜、おもてに出た。
生ぬるい空気が、花火で遊んだあのむっとした空気なんだな。
夏はむっ!だな。

花火したい。
センチメンタル

▼恋文の書き出しをメモして筆箱にしまう

▼ブリブリと屁をこいて匂いで臭かった

浜松で鰻を食べる ─ 清水屋

29日、金曜日。

久々に浜名湖方面へ。
道路状況は大きく変化し、車の量が非常に増えている。
定量的な証明は出来ないが、年々増えているので人々の感覚では微増のように感じているのであろうが、総生産高の数字を確認すれば微増ではないことも分かるだろう。

自分もその一味でありながら、ニンゲンはほんまにアホやと思う。科学技術迷信。

さて、浜松に行く用事が出来たので、やはり鰻を食べたい。
■ 2004年3月27日~28日 大谷キャンプ場 パティオオフ会 (浜名湖近く)
で出かけたときとは、私自身多かれ少なかれ変化しているし、今回は家族と一緒だということで、記念に食べることにする。

浜松市に行きました。鰻を食べました

最初は伊勢湾フェリーで行こうと計画をしたのですが、値段を計算しなおしたら高速道路のほうが安くなるのでフェリーを断念。
でもやっぱしフェリーで行きたかったな。お金を貯めてフェリーで行きたい。

蛇足ですが、
伊勢湾岸道路から透明に合流してから愛知県を抜け出すまでの車の多さには呆れた。出来ることならもうこの道路は通りたくないし、自動車をアホみたいに作って、一部だけが潤えばいいや、というのに似た潜在意識を定着させてゆく企業姿勢にも疑問を持つ。


7月2日にも鰻を食べたのだった(新玉亭)

新玉亭で鰻を食べました

鰻丼の値段は、津市で食べると1500円以内からあるのですが、浜松の鰻は名産ですから、2300円以上は必ずします。松阪牛が高いのと同じでしょう。松阪の人は、松阪牛を毎日食って暮らしているわけではないのですから、浜松の人たちも、鰻を毎日食べているわけでもない。

津市の鰻屋さんは、安くて美味しい。ちょっと奮発してお昼ご飯でもとか、遠来の客があったときでも気楽に入れます。こういうのも文化なのだと感じるのです。浜名湖の鰻は思い出ですね。(三島市で食べた「うなよし」も遠い思い出です)

2011年7月28日 (木曜日)

地デジを考える その2

その1で少しコメントをもらったので、その返事を書きましたのでここに貼っておきます。


私としては、可能であるなら、地デジの工事はおやめになることをお勧めしたい。
今のところは。

テレビを見るだけであるなら、NTTの宣伝に言っているとおり、ネットワークでもいいわけですし、お金のことを言わなければネットワークから配信されてくる情報を買えばデジタルテレビ放送を受信する必要はない。

NTTを薦めるつもりはないし、大体が人間が一日にテレビを見てられる時間はそんなにないのだから、そんなことに膨大なお金を投資するのは、感覚が麻痺しているとしか思えない。

それでもドラマが見たい人は、そのドラマだけを携帯電話で見るなどして凌ぐことをオススメします。

地デジではなく、デジタル無線情報通信技術として時代に浸透したら、通信料金も安価になります。だって、テレビは無料が当たり前だからね、昔から。

その中で、ホテル予約、旅行計画、地図検索、歴史探訪、辞書検索、路線検索など、今のインターネットで扱っている技術が押し寄せてくる。

そのころにはテレビという名前はなくなってしまっているかもしれない。昔はテレビというものがあってね…というのだ。

そんな中で、ドラマなどを楽しむという文芸文化や庶民のささやかなるスローな放送の中での楽しみは残されてゆき、ラジオにゆだねるのがいいと思う。

高齢化も手伝って、私たち現在の中年は、将来の老年になる過程で、音声メディアを楽しみボケ防止もしてゆく。

映像メディアは、気の毒だが、ますます崩壊して、利益を奪い合い、相互崩壊の道をたどるかもしれない。NHKはそのことを予測しているからこそ、デジタル放送のもうひとつの技術の浸透に布石を打つ。

双方向という言葉は、それほどキーワードではないと思います。
放送メディアが心配しているのは、利益を上げるツールだと思います。

情報は、無料である、という概念は簡単には変わらない。
そんな中で、稼がねばならないけど、時間は24時間ですし、人々の収入は目覚しく増加はしないのですから、それほどのシェアが見込まれることはない。

国民は、このような快感な暮らしに溺れていたら、必ず、心を滅ぼします。

すでに、飢餓で苦しむ大陸の人々のほうが、美しく真剣に生きているというように見えてならないのですが、皆さんはいかがでしょうか。

2011年7月27日 (水曜日)

地デジを考える その1

タイトルにはそう書いたけど、
あまり考えたくない気もしてますが、
移行の日に世間が騒いでいたので
この騒動もモノの種、メディアの稼ぎネタか。

思う壺やな。

--

かねてから私は
「地デジ(移行)を機会にテレビをやめてしまう人がもっとたくさん出れば、日本の文化レベルが高くなってゆくのかもしれないのに」
といい続けている。

国家の策略に対しては、いい物は乗ってもいいが、よくないものや無駄なもの、イケナイものには簡単に乗らずに、一矢を投じなくてはならない。
それが国民の責務だ……と思っています。

--

「TVは、やがて多様化された情報通信メディアの中のひとつの(大きな)枝になる。その時にどれだけ価値あるものとして生き残れるか。総合的情報通信手段で例えば光回線と携帯電話ネットワークあたりに吸い込まれる。先手を打っていったんTVを遠ざけてみようと。」

と書いた。

国民をこれ以上アホにしてしまう餌をばら撒くのはやめて欲しい。
教育が大事だ、若者の就業を支援するのだ、などといいながら、低俗番組を作り続ける放送メディアや、優秀と劣悪を区別したりその差亀感覚を失ってしまった報道メディアを垂れ流しにしておくことは、昔、原子力発電所を目をつぶって容認してきた知識人や行政人の行いに等しい。

技術の進化は、大歓迎である。

ちょうどコメントで、とむさんが
<昔、アメリカの誰かで「テレビが有線になり、電話が無線になる」といった人がいます。そのとおりになってきましたね。テレビはNHKの一部を除き、コンテンツが悪すぎます。せっかくの高精細画面なんですけどね。>
と書いてらしたが、

私は、そのコメントとして
「地デジについては、私なりの考えを持っていますが、デジタル放送(通信)技術という点では、認めるものの、やはり国民を導いてゆくひとつのカリスマでもあるのだから、責任を持って社会浸透の展望を設計してあるべきと思います。とむさんはNHKの一部をと書いていますが、とにかく(すべての局が)貧弱だということは間違いない。」
と書いた。

何もNHKがいいものを作れて民法がダメだとはいわなくてもいいと思う。良品の比率はNHKが多いかもしれないが民法だって素晴らしいものもありましょう。

一方で、NHKの番組宣伝CMには呆れる。民法は呆れるを通り越してテレビを切っていたが、近頃はNHKの場合も間違いなく切ることにした。

したがって、テレビを観賞するというレベルで見るという時間は、限りなくゼロのなっているので、白状すると番組の評価も出来なくなっているのが事実である。

--

情報通信媒体を通して国民が享受するものやできることはすべてが我々の権利だ、と考える人の多さを理由に、なし崩しにしていると人間の頭の中はどんどんパーになって行き、一部の人々だけがそれなりに思考を継続できる状態になるが、世の中を動かす流れを作るべく本当の要素は国民で、それがスカスカなのだから民主主義も多数決も投票も無意味になってくる。

テレビなどの娯楽は確実にパブリックドメイン化が進み、電波で流れる情報は即時性の高い報道とかチャットなどの流れを汲むものに集約される。

ますます、豊かに暮らすということを見誤ったまま個人的我先勝手主義が浸透し、自由というものがは勘違いされたまま、社会は荒廃を続ける。哲学を失った荒れた世紀を迎えるのだろう。
(地デジが悪いといっているのではなく、そういう時期に連動して変化するのが、世の常なのだろうと冷静に見ているのですが)

2011年7月22日 (金曜日)

もりもりと雲のもとへ君のところへ  ─ 7月中旬篇(11-20)

─── 7月11日 ───

▼枝豆を二人でつまむ夢を見る

─── 7月12日 ───

風が誘ったあなたの夢は
明日は私の夢になる

いわし雲追いかけて
この道を走って山を越えるの

探し求めるあなたの夢は
遠い昔の古里で

青い青い空を見上げて
手を広げ

あなたとどこまでも
一緒にゆくの

怖れるものなど
ひとつもない幸せだったひととき

▼満ちて引く潮の方から風が来る

月、まるくなってきたね

▼さざ波が宝石の様に光るのをみてサヨナラ

▼ねえ雲よ貴方はわたしの恋まで奪うの?

─── 7月13日 ───

▼月綺麗きょうもセンチに夜が更けて
▼風凪いで引き潮の海のさざ波

月は魔物
切ない夜

─── 7月14日 ───

▼満月やさざなみ揺れて無音かな

▼満月を見て君を偲ぶ深い淵

▼いらいらを棄てて満月へ吼えたまえ

月はキライや。
アイツもキライや。
グレたる

・・・・(できっこないのに)

▼明日は金曜と言うだけで、もう一杯!

─── 7月15日 ───


フウセンカズラの花の種をくれて、
何時の間にか
私のアドレス帖から
姿を消してしまった
奴。

─── 7月16日 ───

▼暑さの似合わない涼しい顔。好き好き。

─── 7月17日 ───

おはようございまーーーす

5時前から目が覚めて
涼しい中でいろいろと。
今日は曇りですから
それほどメチャ暑にはならないかな。

今日は仕事でーす。
連休の真ん中に仕事よ。
その後3連休ですが、
台風さん来てますけど。

▼静かさや恐ろしいほど見詰め合う

▼じりじりと鰻ものぼる値上げかな

(うな丼少し値上がりましたね)

▼赤が好きか黄色が好きかカンナの花

▼下駄の音坂道石段裏通り

子供のころ、
夏の暑い日には、
奥の座敷の畳に寝転がって、
家中を開け放して昼寝をしたものです。

決して涼しくは無いけど
風が時々吹いてきて心地よかった。

セミが喧しかったな。
いまみたいにクマゼミがたくさん居なかった。

朝は時雨れたりしていたのに
すっかり青空が蘇ってきて、
セミが喧しく鳴くのが聞こえる。

視程も30キロほどあって、
河口の干潟は
ちょうど引き潮のせいで干上がっているのがわかる。

引き潮。
大好き。
さあて大きく息を吸って、
って感じ。

太平洋に出て行く船が遠くに見える。

▼もりもりと雲のもとへ君のところへ

─── 7月18日 ───

NHKの「つぶや句575」にアップしておく。

▼遠くから貴方を見てる。音がする
▼じっと見る。ほら、まばたきの音がする

ずっとこのまま酔っていたい

うーん。
それもいいけど
目を覚ますことがあるから
よってる価値があるともいえる。
ずっと酔ってるならば、認知症に罹っているのと変わりないことになる。

--

子どものころ大きな台風が来たなあ。
夜中に停電になるだろうし外の便所には行けなくなるので
家の中に緊急用の物を用意して。
ろうそくも用意して。
牛と鶏とヤギをきちんと家の奥にしまって、
猫と犬を家に入れて、
木戸に戸板を打ち付けて回った。
50年ほど前のことだ。

*

ねぇ。
このまま酔っ払っていたら
いつまでもあのヒトのことを夢に見ていられるかもしれないけど、
僕は生きているのか死んでいるのか
どっちか分からないままさまようことになるんじゃないのか。
目を覚まして、あの人を待ち伏せすることも
時には必要な気がするの。
いいじゃないか失意が続いても。
生きてる証だよね。

─── 7月19日 ───

台風第6号(マーゴン)という。
これを書いているときにはもうどこか遠くに行っている。

この日のメモから。

娘が帰省してて、本日戻るんですが、
通行止めにならんやろなあ、心配中

お昼すぎに出ていきました。
車多いようです。
山の方は500ミリに達してます。
東紀州。恐ろし、自然

昔から自然のと立ち向かってきた人たちは
とても逞しいなあと思う。

人間は逞しさも失ってきている。

─── 7月20日 ───

台風はゆっくり。

やっぱし、水割りはうまいなあ、
なんて暢気なことを書いている。

対処をして、
じっと夜明けを待つの。
待つ。

今の人間に必要なもの。

怖いものを何かひとつでいい、
持たねばならない。

2011年7月20日 (水曜日)

Walk Don't Run を斜めに読んでみる

Walk Don't Run というタイトルの下に、「もくじ」を少しずつ整理しています。

(少しずつ充実させていきたいと考えています)

ちっとだけ、私に近づけるかもしれません…

2011年7月19日 (火曜日)

もくじ 小さな旅

大阪駅

懐かしい写真が一枚出てきた。
それを見ていたら、アンソロジーの写真を少しパラパラと見ている自分がいる。

でもね、バイクではもう旅に出ることは無いかもしれない。
そんな気がするの。

理由は自分が一番よく知っている。

小さな旅の目次を作りました。
別ページに記載しておきます。

─ 目次 ─

ひとり旅、下北の衝撃 2000/8/7
無言館を訪ねて 2000/9/4
三宅島の思い出 2000/10/2
安曇野で道祖神に会う 2000/12/4
あじさいの寺(鎌倉) 2001/6/11
「儚き出会い」1992年 2001/7/4
日和佐の駅にて 2001/8/11
奈良県・柳生の里 2002/3/9
奥飛騨から南信州へ(6月1-2日) 2002/6/3
バックミラーに青空が映った 2005/5/7

2011年7月18日 (月曜日)

梅雨あけて戻るとこなしキミの傘  ─ 7月10日まで

─── 7月1日 金 ───

まだ梅雨が明けていなかったのだろう。
キツネの嫁入るを見たようなことをメモに残している。

降られてもキツネの嫁入りなら許す
コンコンとキツネの嫁入り君は来ん

▼あの雨が別れ道だったね私たち

夕立があがって心地よく涼しい風が窓から吹き込む。
その風に乗って近所の煮物の匂いが私の部屋まで届いてくる。

この日は、シメサバをいただきました。
30日にカツオを買って残しておいた。
お茶漬けでいただく。

▼こっそりとあの人好きでひっそりと
▼こんな夜はきっとあなたは人気者

千夜一夜の物語の情景を浮かべて愉しんでいる。

─── 7月2日 土 ───

▼雨に濡れ私待つキミもう少し

これは、別の日記で書いたとおり。

私の綴る日記には、夏がキライと書いてある。
幾年も幾年も。
そして、その先にはあなたが消えた夏がある

▼青空をバリバリ破る白い雲
▼文月と書いてあなたを思い出す

久しぶり新玉亭

─── 7月3日 日 ───

▼風鈴やちりんと哀し母の息
▼風鈴に手を差しのべて父の夏
▼七夕の短冊白く無言なり
▼七夕は雨でもいいの、私には
▼月見草と教えてくれた人はもう居ない
▼夏だから涙のように汗が出る
▼みぶ菜くう、醤油の加減を気にしてる

近頃、壬生菜をご飯にどばっとかけて食べている。

でも痩せる気配はない。

─── 7月4日 月 ───

今日の健康診断でお腹周りが五センチ以上、
体重も五キロ以上増えてたのだ。

チン。

─── 7月5日 火 ───

朝は、静かでいい。
エンプティ。

30分ほど前に新聞屋さんのバイクが通ったきり、
そのあとはふたたび静かになって、
今朝は鳥も鳴かない。

信州の高原で迎えるような朝。
さて、読書をしないともったいない。

▼片想いメルアドどうして聞き出すか

キス刺身

▼短冊にあなたの似顔絵描いている
▼夕立をワイパー止めて眺めてる
▼ガラス撃つ大粒の雨おたまじゃくし

─── 7月6日 水 ───

▼未完成。そう書いてみて、シューベルト
▼海風が迷いも包む午睡かな
▼引潮の波撫ぜるように風が来る

生ぬるい風なのだけど、
窓から吹き込む風が心地よい。
まだ夏になりきらない暑さだ。

─── 7月7日 木 ───

▼満ち潮の河口の霧に立ち止まり
▼穂が出たら真っ先に便りをすると指切り
▼雨のせい?とことん貴方とすれ違い

七夕は雨降り。

それでいい。
と言ってみる。

▼雨音よ貴方は音楽?何楽章?
▼雨だから短冊は明日ポストに入れる
▼七夕の父は晴れ呼ぶ人だった

─── 7月8日 金 ───

▼雨上がりなすびの花が咲いている

雨あがりのなすびの苗の姿は大好きだ。
実が成るには少し時間がかかるが、花が咲きかけている。

▼山頭火の足音訪ね四国ゆく
▼あなたの顔、涼しくて夏が好き
▼たまねぎを刻めば悔しスキな奴
▼梅雨あけて戻るとこなしキミの傘

というわけで
梅雨が明けたらしい。

─── 7月9日 土 ───

ムスメの誕生日でちょっと寮まで出かけた。

▼誕生日イチゴのケーキと素麺で

ケーキ

─── 7月10日 日 ───

▼初セミの便りワクワクあの人に
▼鳴き出せばイライラ募る夏本番

▼君が見てる青空の下へゆく

せっかくなら、好きな人

▼好き好き好きの他に何を書く…
▼月の欠片をみると、もう会えない人を思い出す
▼雷雨好き、みてるだけ。ワクワクする

月と貴方とさざ波と。

さざなみってきれいなんだ。
ほんとうさ。

2011年7月11日 (月曜日)

ふみづき ─ 7月に考える

■巻頭言

 学生時代に情報処理方式関連の講義でコンピューター言語の話になったときに脱線して先生が「辞書は読むものなんだよ。大言海という辞書があってこれは引くのではなく読むモノなんだ」と仰っいまして、そのときはチンプンカンプンでどのような点に深みがあるんかさえわからなかったのですが、このごろになってその重みらしきものを少し感じることができるようになりました。

 先生のその言葉に出てくる「大言海」という辞書を編纂したのが大槻文彦博士で、とんでもない偉い先生だったのだと後で知り、若き時代の学への対峙の浅はかさを反省したのです。

 七月が「ふみ月」と呼ばれる理由を、「稲穂がふくらむという意味の<穂ふむ月>が転じて<ふむつき>になりそれがのちに<ふみつき>になった」と、その大槻博士は書いてられます。

 今年は梅雨の入りが1週間ほど早くて、その分七夕様のころには明けてしまいました。にもかかわらず七夕祭りの夜には例年に背くことなく雨模様で、たくさんのみなさんが短冊に捧げた願いも厚い雲の下での祈りとなったわけです。

 しかしながら、梅雨が明けましたら瞬く間に暑さは本格的になり、稲穂ももうすぐ顔を出すのだろうと思います。ちょうどこのメルマガを書き始めた7月10日の朝、県庁のケヤキの脇の石段でセミの声を聞きました。時雨となって降るほどではなかったものの、このケヤキの木陰にセミ時雨の日々が来るのは間近だと感じます。

 蛇足ですが、七月を英語では、July といいます。これはジュリアス・シーザーの誕生が7月で、その偉業をたたえたものだということを知りました。海外では人物にちなむ暦の名称も私たちの国では稲穂にまつわり、ここでも日本人の生活文化には大きく農作文化が関わっていることを知らされたのでした。

--

■後記

 空調のない休日の職場でメルマガの編集をしながら、ふと暑さのことを振り返ってしまいました。

 もう遥か三十年以上も昔に受験や卒業の勉強に明け暮れた時期がありました。それが幸か不幸か同級生よりもちょっとばかり長く続いてしまったせいで、暑い夏に泳ぎに行ったり山に出掛けたりするという青春の明るいページが友人たちよりも少ないのです。七月といえば夏休みの真っ最中で、分厚い教科書のことはすっかり忘れてぼんやりとできるまたとない貴重な季節なのでしょうが、冷房も無く風呂も無い下宿に篭っているか、大学の研究室の一角に簡易的に寝泊りしたりして、甚だ汚くみすぼらしい生活をしたことばかりを思い出してしまいました。

 今年は節電の呼びかけが例年以上なので、冷房装置の電源を切って夜を過ごす人々が増えて、個人的には仲間ができて非常に喜んでいます。三十年前にはクーラーのある下宿などは間違いなく一軒も無かったので、どこもかしこも窓を開け放ち、隣部屋の女子大生さんでさえも、みなさんが夜どおし窓を開けっ放しで寝ていた時代でした。

 各人が熱を放出しないため、外の空気は意外にも涼しかったようです。調べてみると電力消費量は(1970年代から)三十余年にウナギのぼりの傾向で、3倍ほどの電気を各家庭で使用するようになりました。  参考サイト 

 電力消費の数値は即ち発熱量と言い換えてもまんざら過言ではないので、もしも三十年のタイムスリップができてあのころの人々が現代に瞬間移動できたならば、私たちの暮らしに触れてみて、電熱器を抱いて暮らしているようなものだ、と感じるかもしれません。

 豊かさに満足することはある種の麻薬のようなもので、しかも、ヒステリシスを伴うのでなかなか昔には戻せません。節電以外にも目を向けようという世の中の動きもあるのですから、生活スタイルを思い切って見直してみるのが一番でしょう。エアコンを停めれば大気は相乗的に涼しくなり、効果は大きいと睨んでいます。やってみませんか。

2011年7月 6日 (水曜日)

未完成

未完成。
そう書いてみて、シューベルト。

そうだ。
わたしがクラシック音楽に夢中になっていくきっかけは
シューベルトの「未完成交響曲」が
吹奏楽コンクールのテーマになったときだった。

そんな夏もあったよな。

2011-07-02


■未完成

わたしの綴る恋文は
いつまでたっても未完成。

文月、七月、梅雨明けて
夏が来ても未完成


■夏を綴る

私の綴る日記には、
夏がキライと書いてある。

幾年も幾年も。

そして、その先には
あなたが消えた夏がある。

暑い暑い6月の末に

暑い暑い6月の末に

アイツ
元気かと
ふと思う。

2011-06-30


■あつい

暑いねー。溶けてるんじゃないかな。

ってメールしてしまった。
だって、本当に溶けそう。


■とける

暑さで溶けそうな人。
かわいい。

届かない手紙

誰にもいえない、のブログに
メモ書きのように書き留めたものがある。

一種の、届かない手紙なのかもしれない。

2011-06-27


■信じる

僕の「好き」は
必ず君に届いている。

そう、確信する。

だから、それだけでいいんだ。
届くことが大事なんだ。


■思い出す

今日も君のことを
100回以上思い出したよ。

でも
そんなことはメールには書かないし、
書き出せないよな。

2011年7月 5日 (火曜日)

ヒソヒソとあなたの好きなウイスキー 6月下旬篇つぶやき

あっという間に過ぎ去った6月下旬。
そして今年も半分が終わったのだ。

夏はこれから。


6月17日

▼くちなしと聞いて昔をたぐり寄せ

子どものころに近所の軒垣に咲いていた。
地味な花なのだけど、花びらが苦そうで嫌だったな。

▼届かない。琥珀のグラスを見つめても

私は機嫌が良いときにしか晩酌をしない。
だから、グラスにお酒が注がれてあるということはゴキゲンなわけだ。
自分と対話をしている。

▼ねえ僕は紫色が嫌いなの。知ってるくせに

そうだ。アジサイが咲き始めたのだ。
素敵な花なのだけど、短い寿命が気の毒で。
だから、ムラサキをあまり好まないのかも知れない。


6月19日

▼父の日や普通に1杯酒を飲む
▼父の日や部屋で形見の絵を睨む
▼父の日に鬼の顔して我を見る

父の日に、三句いじって、黙り込む。
どうでもいいんだ。父の日なんてのは。


6月22日

▼夏至の朝子ツバメ大きく口を開け

いつ飛び立つのだろうか。
緑の田んぼの上を悠々と、ときには、街の中をいそいそと。
巣を見上げる私を遠くから親ツバメが伺っている。


6月23日

▼タチアオイ乱れた恋を見届けし

-- なあ母さんや、あの花なんていうの?
-- アオイやな。

母にはなぜのその花の名前を聞いたのか、言わないままだ。


6月27日

▼浴衣きて無限の魔力のヒトとなる

不思議な、魔法のような風が吹いてくる。
肩を並べて歩くその人に、ストレートに気持ちを投げている自分がいる。


6月28日

▼近寄って髪型変えたと聞いている
▼メルアドを変えて、髪型変えたかな

知らない振りしても
ちゃんと知ってるんだ。
もしかして少しは気にかけてくれているの…なんて、思っちゃいけないの。


6月29日

▼髪の毛で思われニキビを隠すクセ

NHKのつぶや句575に投句した作品。
結構気に入ったんだけど。ボツ。

▼オケラ鳴く母に逢いたし我も泣く
▼君なんか暑さに溶けてしまえばいい

強がってみたいこともあれば
自分って弱いなと思うこともある。

夕焼けが真っ赤だったりすると、思い出したくない人も思い出してしまって、心は反対のことを思っている。


6月30日

▼ほんとうは好きなんだけど目をそらし
▼水割りの琥珀が好きで一目惚れ
▼ヒソヒソとあなたの好きなウイスキー

ウイスキーがない生活スタイルは私には無い。

もしかしたら
無意識の中に、思い出が解けているのかもしれない。

琥珀色そのものは好きな色じゃないのに、酔いを誘うときは例外だ。
未完成の恋があるのかも知れない。

6月が終わってゆく。
どばっとごみを出しておく。

▼まどろみの朝に隣家で時計なる
▼片想い、数えられないほどの人
▼異常なの?地球がため息ついただけ?
▼恋をした?アツクなってる地球さん
▼窓開けて熱風襲いかかりくる
▼釣竿や放置されたる夏の川
▼アイス食べて夕立雲の来るを待つ
▼雷雲はそちらにゆっくり行きました
▼好きだよと言えば爆発する二人
▼暗闇に仄かな明かり届けたい

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2011年7月 2日 (土曜日)

雨に濡れ私待つキミもう少し

NHKのラジオ第一の放送に「つぶや句575」というのがありまして
どうやら、一月に一回ペースくらいでやっているらしい。

前回は確か聴いた。俳人の佐藤文香さんが出演することをツイッターで書いていたので早速聴きに行ってみた。佐藤さんはmixiを始めたころから一方的に(少しはあちらも知ってくれているかもしれないが)知っていて、私が「俳句部@mixi」を作ったときにも参加してくださっていた記憶がある。彼女の凄さはもう世間が一番よく知っていて、雲の上の人になってしまった。

6月29日水曜日の夜9時半から第三回目の放送があった。そのことを偶然にお昼ころに知り、すかさず一句ツイッターから投げ入れて、番組を楽しみに待った。

私の句などは見向きもされないと思っていた。勝手気ままに私の感覚で楽しんでいるのだから、「東海柳壇」に忘れたころに載せてもらえるのがせいぜいだ。そこでこんなメジャーなところは聴いて楽しもうと決めていた。

テーマは「雨」だったので、すらすらと出てくる。

■ 雨に濡れ私待つキミもう少し

番組の司会者や構成の方々はスゴイといつも驚く。私などが考えている何枚も上手を行く。
ただ言葉を並べただけの私の句に、いろいろと評を投げ、読み手の気持ちを汲んでくださる。
私が考えている以上のすごいドラマや心理までもが飛び出す。
逆に私がひとり置いてけぼりになってしまいそうだ。

本当の私の心の中にいる人とその人への想いを、今ここで解説することは、私にはできない。

私の大切な大切な気持ちを込めた句は、ひとりの人に届けたい。

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