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2011年6月19日 (日曜日)

原理的なところで人間の手に負えない

6月14日の天声人語が、池澤夏樹さんの「核エネルギーはどこか原理的なところで人間の手に負えないのだ。それを無理に使おうとするから嘘で固めなければならなくなる」と連載小説の中で述べた言葉を引いている。素晴らしいこの言葉には、幾つもの論理が隠れている。少し紐解いてみる。

昔、物理学の講義で先生がテキストを片手に「このテキストは薄っぺらいですが中身は5倍も10倍も濃いんだ。行の間にいっぱい大事なことが隠れている」と仰ったその言葉が痛烈に残っている。「物理学」とはそう言うものなのだということであり、「学ぶ」とはそういう姿勢から貪り取ることなのだということを意味したと単位をもらってかなり後になって気づく。論理はたった一行の中に何十行にもなって展開されてゆく。

さて、池澤夏樹の言葉を考えてみる。

核エネルギーとは、何だろうと考える人はそれほどいないかもしれない。原子爆弾を連想することはまったく歪んだイメージではなく、ただ、少しの投入で非常に高いエネルギーを得られるという意味で、非常に画期的で夢のようなものであったのだろう。

しかし、ヒトは、いくら夢をかなえるためであっても、何者にも迷惑や加害が無いとしても、やってはいけないことがあるということをいつからか忘れてしまっている。そしてそのことを再三指摘している人がいるにもかかわらず、人類の文明の進化や生存のために、やってはいけないことにいくつも手を染める。

ほら、幾つも身近なことにもある。他人のものを盗む、壊す、脅すこと。倫理的と改めて述べずとも兄弟の結婚、遺伝子操作、遺伝子組み換え。恐喝、贈賄、収賄、などに始まり最近では悪意ある株取引、市場操作などもあるのか。そして殺人、傷害、放火など。報道の捻じ曲げ操作(のような恣意的なアンケート調査)…。

核エネルギーを操作する領域というのは、手に負えないことなのだと池澤氏は言う。「原理的なところで」と前置きをしているように、原理は分かっていても、できないし、やってはいけないことなのだ。

一部の知識人や偽知識人たちが、そのことをいとも簡単に「手に負える」と言っている。これには怒りを向けるところを失ってしまった。そういった人たちに真剣に血相変えて怒りをぶつけるれば、吠え立てる犬に真剣に血相を変えて怒っている、こととまったく同じ行為になってしまう。

手に負えない。だから嘘で固める。嘘で固めるという表現でもいいのだが、本質を解決しないともいえるし、手に負えるとは如何なることかを明確に定義し、そのことを如何にクリアするのかを、きちんと説明しないからそれを嘘と呼ばざるを得ない。

*

経済が行き詰るとかエネルギーが不足するではないか、と別方向から攻撃も来る。それとこれを区別して考える整理された頭くらいもって欲しかった。

エネルギーが不足して真っ暗な夜を迎えてもいいのではないか。
経済が行き詰ってしまえば、都会を中心にマネーで構築した社会を即座に解散して、国家は倒産させ、人々は自然の中で本当の豊かさを考え、求めてゆけばいいのではないか。
幸せとは何だろうということを、もう一度考え直しましょうという暗示だ
と、どうして捉えることができないのだろうか。

--

しかしながら、マイナスの話ばかりをするわけではない。
・太陽光のエネルギーを使った発電と上手く活用できる社会システムを生み出そう
・風力発電も積極的に利用しよう
・バイオマスも然りだ
震災からしばらくしたころの日記にこの3つのエネルギーのことを書いた。すると偶然にも翌々日ころに各新聞社の社説が3つのエネルギーのことに触れていたのを見て、私の思いもまんざら間違っていないことを確信した。(5月17日18日の日記:エネルギーを考える)

科学技術は、風力発電の低周波ノイズをアクティブ・ノイズ・コントロール技術で解消するなどに打ち込めばいい。科学とは手に負えるものを捌くところに本来の意味があるのだろう。

行政は、電力供給システムを見直し、社会構造を180度展開させてでも、エネルギーというものを500年も1000年も先まで通用するもので引き継ぐ知恵を出さねばならない。

そのためには、エネルギーって何だろうか、どういう姿が一番理想的なのか、というところから考えることを始めねばならない。平行して家庭で自分の使う電気は自分で起こそう的な動きも見えてきて、見つめなおすのにいい機会だといえようか。

--

おバカな発言をニュースで見ると悲しくなる。怒らない。もうええわ、アホくさって感じ。ヒトが進む道筋を、哲理の面で誤った人たちが多すぎる。

昨今の報道を見ていると、恐怖をあおるばかりの放射線レベルの数値が掲載され、社会を脅かしている。
もうやめてくれといいたい。
報道と一部知識人と一部偽知識人たちのステージは見たくない。
誰か、哲学の話をして欲しい。

やれやれ
脱線的随想となってしまった。

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