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2011年6月30日 (木曜日)

遺す言葉 - 2

■遺言というもの

前回を書いたのが半年以上も前のことになる。自分でも読むのが面倒なのだから他人は読まないだろうということが容易に想像できる。そんなものだ、ブログってモノは。なかなか書き進まないのは、ゆっくりと考えることが難しいのだろう。死んでしまって、そのあとに誰かが読むのか。読まれぬ間に捨てるのか。果たして如何なる運命にあるんか。遺言。

■言葉として遺せるものは何もない

私の父は数々の名言や、哲学的な人生訓を日常でもぼそぼそとつぶやいていた。「人の振り見て我が振りなおせ」という言葉ひとつ取っても、人生哲学が滲んでいると同時に、親がこめた子どもへの伝言であったのだと思う。私は何も残せない。早くも敗北宣言なのかもしれない。

■考える前に閃く

そういうところがあった。すべてではなく理屈も言うことがあったものの、芸術的には私には理解できない感性を持っている人だった。それは絵を描く、木を彫る、木を組み上げるという趣味的なものに始まり、さらには、物を作る、無から驚きを工夫して創り上げるという仕事で、趣味でもないのに、こういう自然行動的欲求を解決させようとする行動を、あの人は天性として持ち合わせていたのだ。

■猫が玄関を閉めないので解決する

昭和30年代の話だ。新幹線も走っていないし、オートメーションという言葉が社会に登場する前のことで、街にも自動のものなど殆ど無かった。そんなときに、ウチの猫が玄関を閉めないので自動的に閉まってくれるように玄関の引戸を改造してしまった。ちょうどそのころに、お客様が玄関の前に現れると家の中のブザーがなる仕組みも実用化している。特許になるレベルなのか、子どもの夏休みの工作レベルなのか、今となっては不明だ。しかし、なかなかの実行家だったことが伺える。

■まずやってみる

この言葉が正しいとはいえない。しかし、状況によりこれほどふさわしい言葉はない。「理屈を言うな黙って勉強しろ」というときにも応用できる。「何が問題なのかを解析することも大事だがそのひとつの手法としてまず現物を見つめなさい」。そういうような注意を受けたこともある。

■面倒くさい

そんな言葉はこの世の中にはない。右のものを左に、動かす動作の繰り返しや。そのようなことも言った。そのくせ、よう考えてからせなあかん。これはすぐするな、ということではなく、次の一手には必ず理屈があるのだということにも通じる意味深いものであった。

■晩年は絵を描いていた

水彩画を始めたのだが、見る見るうちに油絵に移っていって、作品はおそらく九割以上が駄作で、さまざまな人付き合いの果てに近所に散らばっているようだ。 ひとりの親友が「ウチの玄関にお前の親父さんの絵があるぞ」と教えてくれた。要らなくなったら捨ててくださいと思う反面、それらを回収してどこかに飾る部屋を作ってみようかとも思う。

■絵を始めるときに、あれこれを考えることはしなかった。

小遣いもないのに高額な画材を買ったり、人目を気にせずに写生を始めたりした。私にはそんなストレートさも素直さもない。

2011年6月24日 (金曜日)

梅雨の合い間、海を見にお出かけしました。 ハートの入り江

久々に120キロほどのツーリングに出かけた。
信号で止まらなくてもいいような道ばかりをチョイスしてゆく。
気持ちよく走れるのだが、バイクの調子はイマイチで、去年の夏に出ていた症状が暑くなってきたので出るようだ。
やはり夏は乗れないか。

+

海を見に行こう。
ということで、南伊勢町を目指して、これもまた、能見坂峠を越えてみた。

鵜倉園地というところがある。
ここにハートの入江があるのだ。

ちょっと内緒にしておきたいところだが。

入り江

2011年6月22日 (水曜日)

続・人間の手に負えない、を考える

「人間の手に負えない」という言葉は、何度繰り返して言ってみても重みがある、と感じる。この重さを感じられるような人であって欲しい。(国民は)

先日の日記コメントの最後にも書き足したが、放射線がどこからどのように出てきているのか。そのことを何ら明確に示すことなくして、放射線レベルの数値だけでバカ騒ぎをして、世間を不安に陥れているメディアと行政サイドの責任は重い。重さを分からないでいることがまた情けない。

--

原子核反応を利用した発電所も、山に降り注ぐ水を貯水したダムも、施設の中にたまったエネルギーは最終的に電気に変化してゆく。

エネルギーとしてたまっている姿は、水のほうが怖いのかもしれない。ダムが決壊したら下流の住民や村は流され生きるための生産拠点を失ってしまう。水は怖い。しかし、人間は水と原始時代から付き合ってきたし、ナイルの下流で文明を誕生させた人々はこの水を手に負えるものとして利用してきた。

原子核の反応を利用する施設は、水の貯まったダムと同じかもしれない。決壊しても住民が避難し、その後、対策を講じれば村が蘇るのか。原子炉というダムからもれた放射線は、いまだに、どのあたりからどのように漏れて、下流に(付近地域広域に)どのように拡散するのかさえ明確にできないままでいるのだから、これは「人間の手に負えない」と言わざるを得ない。

(放射線が)「手に負える」ようになるという根拠も残念ながら何処にもなく誰も示せない。むしろきちんと考えれば考えるほど、水を張ったダムとはある意味で同じ形での電力開発施設でありながら、根本的に違っていることが分かってくる。こういう違いに「根本的」という言葉を使い、「手に負えない」という判断をするのだ。

--

いったいどこまで、自分たちの不自由さを取去って満足すれば、人間はひと息つくのか。

節電節電とバカ騒ぎする人たちの意識の中に、もっと不自由を我慢する心を復活させることから始めねばならない。

難しくない。

旬のものを旬の時期に食う。
明るくなったら起きて、暗いときには活動しない。
店も閉める。
自動販売機も電気も消す。
(なぜ「自動」のものが必要なのか、どれだけ自動化が必要なのかも見直さねばならないのだが)

何が悪かったのかな、と真剣に考える。
成り上がりの豊かさかな。
国民が魔術にかかったまま、醒めることはない。

これも「手に負えないもの」のひとつか。

----

続・人間の手に負えない、を考える

2011年6月20日 (月曜日)

お前ら、近くに住んでみろ!

放射線というのは、発生源があって、そこから水が流れるように出てくるのよ。
つまり、発生源は、アソコでしょ。
そして、福島の皆さんや大勢が、発生源から飛び散った水のようなもの(放射線)をかぶっているのですけど。

大事なのは、その、出てくるところをきちんと教えてよ、といいたいのですわ。
壁の隙間なのか。
煙突なのか。
ドアなのか。

そしてそれが、なぜ散らばっているのか
目に見えるように教えて欲しいの。

みんなそう思っていると思うのに
報道のボケどもは、数値ばっかし見せびらかして

天災の人の報道は、もういいよ。
気の毒なんだけど、天災なんだから。

人災の事故の、その後をどうするかをはっきり決めて
埋めるとか、蓋するとか
早く言え!と言いたいのよね。

これからの原発の話も、政治の話もどうでもいいの。
別のテーブルですればいいのよ。

現場をどうしたいか。
何をしたら、どう良くなるのか。

明示しろ。そういいたいの。

お前ら、近くに住め!という言葉は、そういう気持ちもあって出て来るんだと思うな。

2011年6月19日 (日曜日)

原理的なところで人間の手に負えない

6月14日の天声人語が、池澤夏樹さんの「核エネルギーはどこか原理的なところで人間の手に負えないのだ。それを無理に使おうとするから嘘で固めなければならなくなる」と連載小説の中で述べた言葉を引いている。素晴らしいこの言葉には、幾つもの論理が隠れている。少し紐解いてみる。

昔、物理学の講義で先生がテキストを片手に「このテキストは薄っぺらいですが中身は5倍も10倍も濃いんだ。行の間にいっぱい大事なことが隠れている」と仰ったその言葉が痛烈に残っている。「物理学」とはそう言うものなのだということであり、「学ぶ」とはそういう姿勢から貪り取ることなのだということを意味したと単位をもらってかなり後になって気づく。論理はたった一行の中に何十行にもなって展開されてゆく。

さて、池澤夏樹の言葉を考えてみる。

核エネルギーとは、何だろうと考える人はそれほどいないかもしれない。原子爆弾を連想することはまったく歪んだイメージではなく、ただ、少しの投入で非常に高いエネルギーを得られるという意味で、非常に画期的で夢のようなものであったのだろう。

しかし、ヒトは、いくら夢をかなえるためであっても、何者にも迷惑や加害が無いとしても、やってはいけないことがあるということをいつからか忘れてしまっている。そしてそのことを再三指摘している人がいるにもかかわらず、人類の文明の進化や生存のために、やってはいけないことにいくつも手を染める。

ほら、幾つも身近なことにもある。他人のものを盗む、壊す、脅すこと。倫理的と改めて述べずとも兄弟の結婚、遺伝子操作、遺伝子組み換え。恐喝、贈賄、収賄、などに始まり最近では悪意ある株取引、市場操作などもあるのか。そして殺人、傷害、放火など。報道の捻じ曲げ操作(のような恣意的なアンケート調査)…。

核エネルギーを操作する領域というのは、手に負えないことなのだと池澤氏は言う。「原理的なところで」と前置きをしているように、原理は分かっていても、できないし、やってはいけないことなのだ。

一部の知識人や偽知識人たちが、そのことをいとも簡単に「手に負える」と言っている。これには怒りを向けるところを失ってしまった。そういった人たちに真剣に血相変えて怒りをぶつけるれば、吠え立てる犬に真剣に血相を変えて怒っている、こととまったく同じ行為になってしまう。

手に負えない。だから嘘で固める。嘘で固めるという表現でもいいのだが、本質を解決しないともいえるし、手に負えるとは如何なることかを明確に定義し、そのことを如何にクリアするのかを、きちんと説明しないからそれを嘘と呼ばざるを得ない。

*

経済が行き詰るとかエネルギーが不足するではないか、と別方向から攻撃も来る。それとこれを区別して考える整理された頭くらいもって欲しかった。

エネルギーが不足して真っ暗な夜を迎えてもいいのではないか。
経済が行き詰ってしまえば、都会を中心にマネーで構築した社会を即座に解散して、国家は倒産させ、人々は自然の中で本当の豊かさを考え、求めてゆけばいいのではないか。
幸せとは何だろうということを、もう一度考え直しましょうという暗示だ
と、どうして捉えることができないのだろうか。

--

しかしながら、マイナスの話ばかりをするわけではない。
・太陽光のエネルギーを使った発電と上手く活用できる社会システムを生み出そう
・風力発電も積極的に利用しよう
・バイオマスも然りだ
震災からしばらくしたころの日記にこの3つのエネルギーのことを書いた。すると偶然にも翌々日ころに各新聞社の社説が3つのエネルギーのことに触れていたのを見て、私の思いもまんざら間違っていないことを確信した。(5月17日18日の日記:エネルギーを考える)

科学技術は、風力発電の低周波ノイズをアクティブ・ノイズ・コントロール技術で解消するなどに打ち込めばいい。科学とは手に負えるものを捌くところに本来の意味があるのだろう。

行政は、電力供給システムを見直し、社会構造を180度展開させてでも、エネルギーというものを500年も1000年も先まで通用するもので引き継ぐ知恵を出さねばならない。

そのためには、エネルギーって何だろうか、どういう姿が一番理想的なのか、というところから考えることを始めねばならない。平行して家庭で自分の使う電気は自分で起こそう的な動きも見えてきて、見つめなおすのにいい機会だといえようか。

--

おバカな発言をニュースで見ると悲しくなる。怒らない。もうええわ、アホくさって感じ。ヒトが進む道筋を、哲理の面で誤った人たちが多すぎる。

昨今の報道を見ていると、恐怖をあおるばかりの放射線レベルの数値が掲載され、社会を脅かしている。
もうやめてくれといいたい。
報道と一部知識人と一部偽知識人たちのステージは見たくない。
誰か、哲学の話をして欲しい。

やれやれ
脱線的随想となってしまった。

2011年6月17日 (金曜日)

水割りの氷がカランと君を呼ぶ ─ 6月中旬篇(6/8-6/16)


6月16日木曜日

雨が降り出しそうな朝で、傘を持って家を出る。
駅に着く前にパラパラと来てしまい、我慢できなくなって傘をさす。

▼曲がり角あさげの匂いが落ちている

▼青虫をくわえてばったり子雀

今日はまとまった雨が降るという。

小雀はまだ細身だ。
夏になるともう少し太く逞しくなろうか。
水しずくにぬれた畦道をしゅっと飛んでゆく。

青虫、落とすなよ、と心配になる。

--

▼逢いたくてでも土砂降りで、雨止まず

雨の歌はつまらない感情ばかりと言ったら……

「雨に唄えば、という歌があるよ」
と言い返してスキップで去って行った彼女。
素敵な後ろ姿。

静かに雨が降り出して。

--

▼こんばんは、月はどこやと、愚れてみる

お月様が大きくなってくるのを待ち遠しくしている日々。
夜風が窓から吹き込むと気持ちがよい。

飛んで行きたいの。
飛べたらいいなあ。

▼水割りの氷がカランと君を呼ぶ

そんなことを考えながら、少しづつ酔うてゆく。
哀しい作品が多いのは誰のせい?

でも、激しい恋はやめたくないな。なんて


6月15日 水曜日

月はぼんやり、寝床から  


6月14日火曜日

朝見つけたこと。
トウモロコシのヒゲが出てた。

--

▼夕焼けはキライだ君が燃えてゆく

きょうは、夕焼けがきれいだった。
日記にはそのことをしっかりと書いておこう。


6月13日月曜日

内田百閒さんのノラちゃんも雨降りに消えたのではなかったか。
そんなことを思い出して、ふと、さすらいの旅に出れたらいいなあ・・・みたいな夢を浮かべる。

▼あの人が遠くに消えた水平線
▼五月雨やああ五月雨て五月雨れる

二人で並んでラーメンを食べたことなどなかった。

▼雑草もバンサイをする雨上がり
▼雨上がるヒメジオンも背伸びする

朝の車窓から田園風景を見てそんなことを考えている。


6月12日日曜日

▼水無月の哀しいばかりの日記帳

▼五月雨や君待ち伏せて揺れる花

▼青ガエルひとりじゃ泣かぬ雨の朝

まてよ、青ガエルって啼くのだろうか。
アジサイにとまっているのが似合うのだが、近ごろ姿を見かけない。


6月11日土曜日

記録なし


6月10金曜日

▼雨やまぬ肩だきとうて後を追う

もちろんそんな人はいません。
雨降り出して、もう少し持ってくれれば傘を差さずとも済んだのにと悔しがる。
そんな日もあるさ。
平気でいれば楽しい。

▼ホンポコポンおなかたたいてスキという


6月9日木曜日

▼棄て切れず柱の影で君を待つ

▼目が合って君のハートをバンと討つ

何を思ってこんなことを書いていたのかは意味不明ですが、毎朝隣の席に座る高校生の子どもたちを見ていると、学校って楽しそうやなあ、僕の頃もそんな感じやったかなーと振り返る。

ノートをパッと開けて、世界史と表紙に書いた下に自分の名前が書いてある。
毎日乗っている間にみんなの名前を覚えてしまった。
男の子の話はあまりしないな、そんなもんなんだろうか、今の子たち。 


6月8日水曜日

▼ボケナスよ梅雨の合い間の心変わり

そうです私はボケナスで
何のお役にも立てません。

紫色の漬物を食いながら
このときはこのときで、ナスの漬物は美味いなーと喜んでいる。

▼朝凪のうえを漁船や次々と

2011年6月15日 (水曜日)

カレーに豚のばら肉を

カレーライスのことを書いてらっしゃる方があったので、いつものように我が家もカレーを作ってみたくなった。見事に伝染した。

カレーは伝染するのでツイッターでもこういうときには面白半分に「カレー伝染注意報」を発令すると楽しい。

まず、福神漬を入れると美味しいとお書きなのです。なるほど、それはあの赤いお汁も一緒に入れるから円やかになるのだろうと思った。

福神漬けといえば、普通に掛けるのも大好きで、カレーにはスプーンに2,3杯。牛丼や卵どんぶりでも、同じほどかける。(牛丼では紅しょうがもかけるので、どんぶりの上は真っ赤になる)

さらに、「豚バラ塊肉で作ること」にも触れておられる。
読んでみて、私もやりたくなったのがきっかけで、これを書き始めた。

関西人は、特にうちのんのように京都人は豚肉を嫌う傾向があり、カレーに豚肉をという話をすると、ずいぶんと非難をされる。そんなものは関東人のすることや、という具合に怒り始める。

しかし、豚のばら肉で焼豚(ゆで豚)をすると、脂身たっぷりの肉の塊を美味しそうに食べる。私の腕がいいのかどうかは不明のままにしておいても、カレーにばら肉を入れても、焼き豚のようになるのではないか。そんな想像ができる。

一度やってみたいが、食べる前の壁をどうやって越えるか。大きな課題です。

水無月に、質素で慎ましやかさを考える ─ 六月編

■巻頭

つい先ごろ新年が明けたばかりと思っていたのですが、早いものであっという間に半年が終わりそうです。水無月の22日に夏至を迎えて、それからは本格的な夏になります。

今ごろの時期を水無月と呼ぶのは、降り続く雨のせいで天に水がなくなるからだという説がある一方で、旧暦の水無月は梅雨が明けて水不足の時期だったとする説もあるようです。何れの理由であっても、しとしとと降る雨が草木を濡らす6月にはよく似合う名前だと感じます。

京都では、6月下旬になると和菓子屋さんに水無月というお菓子が並びます。忙しい忙しいと言っている間に過ぎて行った半年間に積もった疲れをこのお菓子をいただいて癒しつつ、またこれから訪れる真夏の暑さにも負けずに健康でありたいという願いを込めるのだと京都の人は言います。暦月の名をあしらい、京都北山の氷室から切り出した氷をイメージさせた質素な和菓子が、京都の人であれば6月下旬に必ず食べる水無月という和菓子になっているというわけです。

中古の歴史に想いを巡らせば、雅やかにも思える宮廷の暮らしですが、実は非常に質素で慎ましやかなものであったのかもしれません。電力事情が危ぶまれるニュースが飛び交うなかで、ツル植物やスダレの売れ行きが好調という声も聞こえてきます。皆さまの間でも暑い夏を迎える準備は着々と進んでいるようです。

風鈴を復活させて、渦巻の蚊取り線香を買ってきて、縁台を出して薄縁(うすべり)を敷いて、夜空を見上げながら、ちょいと冷たいビールでも……といきたいところですが。おっと、ビールを冷やせる冷たい水の湧き出る井戸は、生まれ故郷の山の中あたりまで行かねば見当たらないかもしれませんね。

■あとがき

地産池消、旬産旬消を実践しようと心がけていると、自ずと旬とかかわりが深くなってきまして、俳句を読んだりするのもちょっとしたの愉しみになってきます。

お気に入りの1人に藪ノ内君代さんという人がいます。彼女の句集「風のなぎさ」のなかにとても素敵な句があり大好きなものをいくつかお借りします。

(藪ノ内さんの句から)

 つれだって歩くのが好き柿の空
 白菜がごろんと二つ考える

という句に触れ暮れゆく年を送り決意を新たに新年を迎え

 春は名のみの鯛焼を頭から
 たんぽぽの井戸端会議に参加する
 花嫁をみんなでのぞく桜草
 海苔巻きの端っこ好きで小春日で

という具合に春を迎え、

 母さんが父さん叱る豆ごはん
 わたしだらだらかたつむりぐずぐず

に出会って、細やかな共感を抱きながら夏を迎えようとしています。

夏になると、生き物の講座などに活気が出ます。
自然エネルギーや生物多様性のことをじっくりと考えてみようかな…と考えています。

 

2011年6月12日 (日曜日)

猫のような…ヒト

多少の浮き沈みはあるものの
身の回りに何の事件も起こらずに日々が過ぎると
詰まらない詰まらないと呟いてばかりいる。

アジサイ

アジサイや昨日の雨は流れて消える


雨降ると
6月10日朝

--

刺激がなくて、
でも
会いたくて。

雨降ると
思い出して。

--

雨が降ると思い出すわけではなく、思い出すものがなくなるから、遠い記憶のほつれた糸のような手がかりを探ってしまうのだろう。それが思い出となって蘇るのだ。

詰まらないことまでしっかり記憶に残っていて驚くが、きっと大事なことであっても忘れてしまっているから蘇るチャンスさえ与えられずに消えてしまっている。

そうやって、昔は記憶から消えていき、忌々しいことも嬉しかったこともきっと平等に滅びていくのだ。


僕は風
6月10日朝

--

風になりたい。

空を飛びたい。

でも、あなたのところへは・・・行かない

--

私は精一杯に強がっているのだ。そんなことは分かっているのでどこにも書かない。
誰かの目に留まっても、そうか行かないのね…と軽く読み流されればいいのだ。

ほんとうは、行きたいに決まっている。


ネコ
6月10日夕

--

ネコのように
気まぐれに
メールをよこすこともあれば
何日も何日も音沙汰なしってこともある。

気にかけなけりゃどうってことないのだけど

やっぱし
悔しいけど
ふと、どうしてるかな
…とか、ちょっと気になることもある。

--

メールなんかして、無視されているのって悔しいじゃない。
ふん、ってネコがよそ見するみたいに、そっぽ向かれて、やがて忘れられてしまうんだ。
ああ、悔しい。

どうしてるかなって尋ねても、どうせ、気まぐれにドライブに行っているか、ジョギングしてるか、パンを焼いているか、くらいのものさ。

花畑の写真でも送ってくれればいいものを。

ネコも犬も、どっちでもない…と自分では言ってたけれど、ネコのように小憎たらしい。


愉しむ

「楽しむ」と「愉しむ」を
きちんと区別して用いている人もありますね。

時間が過ぎて
子どもを育てて
自分も歳を食って

つまりそれはある意味で社会的責任を果たすことだと次第に気がつき始めて、

時間を送りながら
自分は哲学者になってゆく。


#480.発想の転換 くみさんのブログへ

2011年6月10日 (金曜日)

銀マドの手紙

2010年7月28日 (水曜日)に昔のブログから一括で移動してきて放置していた銀マド:手紙篇 という篇がありますが、この最初の部分にタイトルリストを付けて、直接跳べるようにしました。

「銀マド」とは……「銀のマドラー」のことです。


雨あがり

諦め

雨あがる。ため息混じりに空を見る

蛍火

もう貴方には

コンコン、トントン、コンコンコン

抱いて

果てしなく、恋文

最後のメール

おはようと言う

雨音や花は如何にと目が醒める

夕焼け

くるくると紙くずかごへゆく手紙

ふりだし

まちぶせ

入り江

ぽかぽか

冬枯れ

うたた寝を

おい!

木枯らしの前にあなたに伝えたい

僕には君が見えなくて

毒薬

たそがれ

たった今

まあちょっとあなたに手紙を書いてみる

ねぇ

チュ

夏のあなたに

僕は風さ、あなたの傍を

あなたが壊れてしまっても

ほら

あの黄色の花の姿が。

静かな雨

大人になる…

引き潮よ、伝えておくれ

こんやは気障に

風に吹かれて

宮本輝のところで足跡を

前略 雪でした・・・か?

〔ひと息つこうか〕

弱虫

振り返る

ちかごろ僕は

七夕の日に、或る人に

ひとつだけ何を語るか蛇苺

薔薇

突然の別れ…

遠藤周作のこと

宛て名のない手紙

続 手紙のノートから

前略。Y子さん

儚き出会い/キリマンジャロ

自分に向かって語って・・・

早死コース

激動の時空をゆく

信管

うたた寝

お盆やね

6月の挨拶

2011年6月 8日 (水曜日)

湯浅誠著 反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 岩波新書

総理が変わってもだめだ。
国民が賢くならねばならない。

バカみたいにインターネットで偽知識を纏った連中ばかりが溢れているようでは、終わりや。
ネット撲滅せねば。

寺子屋で学ぼう。

震災の後始末もできないのも、根っこは同じですね。
つくづくそう感じます。

久しぶりに星を5個つけました。

生活保護(給付)について以下のように書いている箇所があった

--
必要のない人に支給されることを「濫給」といい、
本当に必要な人に行き渡らないことを「漏給」という。
1年間に
濫給は、1万5千件ほど発生し、
漏給は600-800万件あまりである。
どっちが大事なのか、見極めねばならない。
--

この箇所などが、印象深い。


湯浅誠著
反貧困―「すべり台社会」からの脱出  (岩波新書)

少し前の本なので、めまぐるしく変化する現代社会では、もう過去の資料になってしまうのかと心配をしながら読むのだが。

どっこい。

まったく陳腐化していない。
それは、歴代のおバカな総理たちが築き上げた間違った方向に進んでゆく社会のルールが一向に訂正されていないというか、そう簡単には訂正できないことを物語っている。

この中で、自己責任論という世間で堂々と存在している間違った論理を、きちんと裁いているので、しっかりと読まねばならない。

社会福祉においても老人問題、雇用問題、年金問題などなど、現代社会が一向によくならないし、何にも問題が解決できないことを考えてみると、やはり根っこは同じところにあるのだ。

久しぶりに骨のある新書に出逢えたことが何よりも嬉しい。

反貧困―「すべり台社会」からの脱出

2011年6月 7日 (火曜日)

六月やツツジ咲かせる風が吹く ─ 6月7日まで


6月07日

今の季節、空は泣き虫だ。
灰色の雲に覆われて、私には本心を見せてくれない。
まるで、どこかの誰かのように冷たく。
ときに、心変わりをしたように明るく。

--

アジサイが咲き始める。
ヒナゲシも咲く。
そんな花畑をその人は愛しているのでしょうね。

--

降りそうで降らない。
気まぐれな空だ。
もしかしたら・・・・
あの人も泣き虫かもしれない。


6月6日

元気が出ない・・・・ 。
かといって、
メールをしても返事が来ないので
余計に元気がなくなるだろうし。

▼逢えぬ人ひき潮の海を眺めてる

きっと

--

落書きはそこで終わっている。そんな6月6日。


6月5日

▼明日の午後汐が引いたら会いにゆけ
▼雨休み泥田匂うや芒種かな
▼田植え終えじっとハエとり紙を見る
▼土を盛り手のひらでポンと芒種なり

窓から吹き込む夜風が麦の匂いがする。
どこかで麦刈りか始まったのだな。
夏やな。

でも、ホタルが飛びかった田んぼには家がたってるのが残念。
そんなことを思い出しながら月の出ない夜の風に吹かれている。

▼明日の午後汐が引いたら会いにゆけ

そういえばあの人はケラケラと笑うようなことをしなかった。

▼ムラサキの瞼に写る人の香

恋は、直感だからね。
でも切ないのは、辛いなあ。

梅雨にも負けて、恋にも破れ、夏の暑さにもへこたれる・・・・

▼みなづきや甘し記憶の心がわり


6月4日

月はまだまだ。
夜空を見上げても大きくなってはこない。
さて、あと何度満月を見上げれば秋になり、冬になるのか。

▼六月やツツジ咲かせる風が吹く

私はひそかに夏が嫌いなのかもしれないな。
自分でも気づかないだけで。


6月3日

アジサイは咲ききる前がきれいやなと思う。
好きやわぁ。

そう思うのは
淡い色が好きだからなのかもしれない。

▼蛇苺あしたの恋を占うて

真っ赤な鮮やかさをポンと放り込んで、
イメージの中に滲んでゆくのを想像しながら
自分を占っている。


6月2日

おはよう、雨降り。

雨は友だち。

▼雨が好きワイパー向こうの君を追う


6月1日

▼夕暮れに私を迎える桐の花

2011年6月 5日 (日曜日)

あなたの海

梅雨の合い間に
石畳の坂道のツツジが咲きそろうところを眺めつつ
この花の香りと写真を届けたい人のことを考えていた。
梅雨空は気まぐれで、というよりも意地悪で
みんなが並んだころに大粒の雨を降らせて
ピンクの花びらを苛めるように降り続く。

そういえばあの人はケラケラと笑うようなことをしなかった。
そんなことを思い出しながら月の出ない夜の風に吹かれている。


あのとき、
二人で砂浜を歩きながら
私は何を考えていたのだろう。

またいつかふたたびここに来て
あなたと一緒にこの浜辺を歩ける日があることを
私は信じていた。

大きな粒の石ころを拾っても海には投げようともせず
かといってじっと海を眺めようともせず。

あとになって、
あの海はあなたの海なんだなと
気づいた。

また来ますと言っておきながら、一度も訪ねることができないでいる。

砂浜の向こうの端っこまで歩いてゆこうと思っていたのに
あなたは疲れたわと言って途中で引き返しましたね。
景色など見ようとしないであなたの後姿ばかりを見て歩いたあの時と、
今でも同じ気持ちで私はいるのに。

砂浜に座って
もう少し話をせがんでみればよかった
と今になって悔やんでいる。

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あなたの海

誕生日プレゼント

(夫婦の会話 シリーズ そのXX)

6月5日が誕生日で何がいいのかという話になって

─ 抱き枕がええなあ
というので

─ 枕カバーの大きいのを買おうか
  僕の身体に巻けばええわ

夏を乗り切れるかな。

2011年6月 3日 (金曜日)

物語は進まないほうが愉しいかも。その4

土日にも出勤当番があるために平日に職場に行く日が激減している。
したがって、その人にはずいぶんと会わないことになる。

きのう、久しぶりに食堂に行っていつものようにキョロキョロしていたが、並んだときにちょっと後ろのほうに姿を見かけただけで、その後はどこに座ったのかさえ分からないままだったので、もう言葉を交わすチャンスはないと思っていた。

隣の席を確保して、どうぞどうぞと誘うようなことは、親しい知人でもしないのだから、名前しか知らないような方にはできない。もちろん、傍で食べても美味しくゆっくり食べられないので、実現したとしてもあまりありがたくないのだが。

会えないのは、ぜんぜん悔しくも悲しくもない。
(強がりではない)

速く昇ると息が切れるのでゆっくり階段を歩いていると、不思議なものでどこからかその人が現れてくれて。

─ また追いついてしまいましたね

なんて嬉しい言葉なんでしょうか。
待ち伏せていたわけでもないし、きっと追いかけてくれたわけでもないだろうに。

先日の日曜日。当番だったが、大雨のうえに台風も来ていたので
─ 休んだのですが、仕事に来ていましたか
と尋ねたら、来てらしたようで、
─ (そちらも)来てるかなあーと思って気にかけていたんですよ
とおっしゃる。

この日は、それほど話をしない。
前に話をしすぎたおしゃべりな自分をみて自己嫌悪に陥ったばかりだから。

物語はやはり一向に進まない。

─ 今度の土曜日は出勤します…
とそれだけ言っただけだ。

前回:その3

2011年6月 1日 (水曜日)

詰まらない恋も詰まらぬ五月尽 5月28日から31日まで


5月28日(土)

▼雨は好きいくら貴方が嫌いでも
キライなのはあなたのことなのか。
あなたが、雨降りがキライなのか。
いいじゃない。
はっきり分からなくたって。

--

嵐の前の静けさ。
胸さわぎ

▼朝寝坊、夢であなたに逢いたくて
今朝は少し朝寝坊をしてみたいなと思いながらもいつもと同じ時刻に目が覚めて布団を出る。
休日は幾分のんびりするものの、何の変哲もなく過ぎてゆく。
雨降りの季節も苦にしない。

▼大雨に貴方変わりはないですか
季節外れなのだろうか。
激しく降り続く雨の様子を国土交通省のHPで見ている。
カメラの前が水しぶきで曇るほど。
車のライトが動いているのが見える。
雨が降っても、負けないヒトでいたい。

▼カタツムリ柱のキズを通り越し
「カタツムリ柱のキズを越えてゆく」と後で改めた。


5月29日(日)

▼詰まらない恋も詰まらぬ五月尽

▼さみしくてケータイいじる、爪を噛む
私はそんなものを持っていないからね。
寂しくたって淋しくたって
そんなことしないもん。

電話すればいいではないですか。
できない事情もおありですか?
いけないヒトなの?
悲しい物語なの?

いいじゃない、それで。

▼アメダスの数字の波が襲い来る
やっぱし、雨に見舞われている人たちが心配ですね。
まけるな。
というか、へこたれるな。

▼口紅を変えてみたいの、誰のため

いつか、昔の土砂降りの
悲しい別れを蘇らせて
十七音で遊んでみても
雨は一向にやまない。

▼沙羅双樹儚き夢の円覚寺
▼赤い傘最後の言葉は元気でね
▼泣き止めば別れ間際に土砂降りで
▼大雨やいつか昔の別れ際


5月30日(月)

▼貴方にはまた眠れない夜がくる
眠れなければ
起きてればいいの。
そう思うとぐぐぐっと楽になる。

何もかも捨ててしまえば、楽になる。
諦めてしまえば楽になる。

でも死んだようになってしまう。


5月31日(火)

▼蜜豆が酸っぱかったら恋しない
▼蜜豆の缶詰好きよサクランボ

酸っぱくたって
サクランボを誰かに横取りされたって
恋はしたいの。


 

 

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