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2011年4月30日 (土曜日)

熊野古道をゆく ─ 波田須


イラストマップ 大吹峠
イラストマップ 波田須の道

熊野古道

4月29日。熊野古道をゆく。

駒谷さんの描いたイラストマップ。

とても重宝します。

行きたくさせてくれるマップ。

熊野古道

荷阪峠を越えるとトンネルの向こうは熊野灘だ。
車窓から紀伊長島の海が見えた。

JRで行く楽しみこういうところにあります。

熊野古道

列車は尾鷲市に着く。人が少し多い。けど、静かな街だ。

中部電力の火力発電所の煙突の傍を通り、
大曽根浦を過ぎたあたりで尾鷲湾が綺麗に見える。

熊野古道

新鹿駅まで美しい海の景色が続く。窓に貼りついたままになってしまう。
新鹿駅で降りたのは私一人だった。駅前で遊んでいた小学生に声をかけて道を尋ねると、猫の通り道のような路地を教えてくれて、しかも先導して簡単にR311まで案内してくれた。とても素敵な軒先の道。

きょうはここから熊野市まで歩く計画で、まずは、駅の先にあるトンネルの上を回りこみながら峠に上ってゆく。

波田須への道の始まり。

熊野古道

民家の垣根の間を抜ける。
後ろを振り返ると新鹿の海と砂浜がとても綺麗です。

旅人も歩いた道なのだ、と海を振り返りながら思う。感慨を胸に満たせて登ってゆく。

季節はずれの海は大好き。

熊野古道

峠の手前で国道R311を少し歩くものの、すぐに山岳道に入る。

木陰であるにもかかわらず汗が噴き出す。暖地性のシダが群れている。竹薮もある。タケノコを堀散らかした跡が点在しているところもあった。

掘り逃したのか、そこまで欲がなかったのか、お手ごろの大きさのものが道の脇にニョキッと出ているのにも出会う。

熊野古道

西行松の案内板を越えると緩やかでのんびりとした道になる。
波田須の海が遠くに見える。

山あいの斜面にはみかんの木がたくさんの実をつけている。もう、もぎ取ることはしないのだろうか。

熊野古道

どこの家の庭にも花がいっぱい咲いている。

もうすぐ花を咲かせるミカンの木も点在している。
海が見えるとそのつど足を止め景色を眺める。

熊野古道

古道は、ひっそりと静かな佇まいのなかを行く。足跡も都会の靴で汚れていない。石がいい。土もいい。

国道よりもずいぶんと高いところに、普通に民家が点在している。車が上がってこれる道路などはどこにもなく、この家々の人は眼下の車道までは急峻な坂道と石段を数分かかって駆け下りなければならない。

車を持っていたとしても国道の近辺に置くしかない。

熊野古道

はるか遠い海。

これからその近くまで歩いてゆく。

一人で歩くのが一番よろしい。
センチメンタル。

熊野古道

念願だった波田須の景色を見ることができてとてもうれしい。

熊野古道

石畳は容赦なく続くが、波田須の道といわれるエリアは初級レベルといっていい。木陰がやさしい。

民家のなかを歩いていると、とても甘くて惹きつけられる香りがするので、嗅ぎまわってみるとツツジの花が庭に咲いていた。写真を撮ればよかったな。

素敵な集落だった。

熊野古道

案内板はとても親切だ。

人には全く遭わない。

熊野古道

徐福の宮というところが近いので、国道にバスを止めて観光ツアーの人が立ち寄ることがあるらしい。

このいい景色だけをつまみ食いかな。

歩いてこないと良さがわからんだろうに。

熊野古道

波田須神社というのもある。

熊野古道

徐福茶屋の跡からの眺望。

風になるという表現があるが、私も飛べたら・・・と思う。

熊野古道

国道をゆけば近いのかもしれない。
古道は少し波田須の集落の中をゆく。

まさに、山笑う。
こういう景色はGWのころでしか見れないな。

熊野古道

とにかく、海が綺麗なので、立ち止まって景色ばかりを見ている。

熊野古道

案内のイラストにも描かれているが、
この小さな道しるべを見逃すと必ず迷子になってしまうだろう。

家々では普通の生活をしている人々の姿がある。
田んぼには田植えの人が腰を二つに折っている。

熊野古道

田植えの終りつつある田んぼの中をゆく。

自転車も押してゆけないような細い道もある。

休日なのでのんびりとしているおうち等もある一方で、
忙しく畑での仕事をしている人もいる。

今は夏の準備で忙しい。

熊野古道

大吹峠の登り口で大きな休憩を取った。
おにぎりせんべいを持っていたので少し食べる。

カップヌードルは、もっとおなかが減ってからにしよう。

熊野古道

意を決して大吹峠にチャレンジ。
東側からの登りのほうが短いのかもしれない。

少し急な石段があったがクリア。

熊野古道

人には誰も会わない。

でも山の中から誰かが大きな音を立てて駆け下りてくるのが聞こえる。すごく元気な人だなと感心していると、ドドドと近づいてきた足音の主が茂みから私の前に飛び出した。

鹿だ。
奈良公園の鹿よりももっともっと大きくて太い。走る姿は馬のイメージが近いかも知れない。
対面してたら腰が抜けたかもしれない。
カメラは間に合わず。

熊野古道

大吹峠の下りはなだらかで、やや長く感じる。
石段と石畳とが混ざっている。

大泊の海が見えて、ほっとする。

膝に少し不安があっただけに喜びも大きい。

熊野古道

大泊の海岸。

海水浴の季節でない海は静かだ。

熊野古道

R42号に出て、さて松本峠に登ろうかと思案していると、若いカップルや女子集団が颯爽と石段の登って行ったので私も登ることにした。

楽に登れそうだと見えたのが、石段は長くて急だった。

熊野古道

新鹿から歩いてきて、ひとつのセッションとしての坂道は、この松本峠のものが一番まとまっていた。

最後に越えるには、すこしきつかったな。
距離は短い。

熊野古道

峠の上にはシャガの花が咲いていた。

わき道にそれると鬼ヶ城の方面へと抜けられるらしい。

女性軍団はそちらのほうに行くルートを知っていて、鬼ヶ城に車を止めてこの峠にチャレンジしに来たものらしい。納得する。

熊野古道

ツツラト峠、馬越峠に続いて人気の峠らしい。

熊野古道

七里御浜が遠くに見える。

ここから木本高校の傍を通って熊野市駅まで下ってゆく。

2011年4月27日 (水曜日)

宮本輝 月光の東

この作品が私は好きだ。

少し宮本輝の中では異色かもしれないが、ドラマとしてはとても純粋で面白いし、彼の持ち味でもある重みのある言葉が幾つも登場し、読者である私をこれでもか!というほどまでやっつけてくれる。

このように少々厳しくて自虐的な物語のほうが、自分も、何歩も前進できるのだなと実感する。

---

ブログには、感想文を書いていなかった。2005年(平成17年)に書き出したメモが残っているだけである。しかし、このメモがすべてを語っている。私はこれでやられました。そんな感じだな。

++

塔屋米花という人は、小説の中の人でありながら、私を随分といじめてくれました。私の中にいるオンナの足跡が、オーバーラップしてしまってね。どっぷりと浸ってしまった1冊でした。宮本輝にしては異色かもしれない。でも好きです。

凛冽に生きるという言葉を覚えました。

| 2005-09-23 21:31 | 日記系セレクション

---

またあるところでは、「自分のなかに淀んでいるもの」として

++

「月光の東」の第二章が始まったばかりで

きっと人間は、自分のなかに淀んでいるものをさらけだしてしまわないと、他人の言葉を受け容れることができないのであろう

とその一節に書いています。

読むときの自分の心の状態にもよりますし、もちろん前後があっての話ですが、輝さんはこういう具合にさり気なく、ひとつの摂理を書いてくれます。

| 2005-05-05 22:00 | 語録

---

と残している。

さて、
読み手がこういう作品を受け入れることができるような準備ができていなければ、作品の持ち味が伝わらない。

人間は、純粋でありかつ情熱的でなくてはならない。

感動できるほどに、まっすぐに生きているなら、どうぞ読み始めましょう。

月光の東

2011年4月24日 (日曜日)

もうきっとあなたには会えない。予感 - 四月・穀雨のころ

4月24日

読書部Ⅱに遠藤周作さんの王妃マリー・アントワネットの感想文をあげた。
2007年の七夕の夜に書いたものだが、急に懐かしくなった。

国立民族学博物館で梅棹先生の企画展をやっている。
「ウメサオタダオ展」
行きたい。

行くなら、バラ園も必ず寄りたい。
連休明けかな。

土曜日に土砂降りで
日曜日にカラリと晴れて

昨日の太平洋の荒波はきっと静かになっているのだろうなあ。

▼もうきっとあなたには会えない。予感

4月23日 土曜日

▼土砂降り。ガラス越しにみているなら、好き。

お昼の買い物でアジを見つけた。
そして夕方、カツオを発見する。
アジは県内産。カツオは高知産

アジ

カツオ

4月22日

▼ポニーテールあの人にはあり得ない

4月20日

雨が降ったのが上がる。
でもとりわけ厳しく降られたわけでもなく。

▼雨上がる。芭蕉は今ごろどのあたり
▼十六夜の田ごとに映す揺る想い
▼夜の田のカエル元気ぞ雨あがる

いつも通る帰り道の畑の横で
ゆらゆらと風に吹かれている。

▼葱坊主ゆらりゆらりとゆれており

4月19日

▼四月が過ぎる君に会いたい
▼痩せる月無性に君が憎くなる

帰り道はセンチメンタルさ。

4月18日

北山修がラジオに出演していたのを
偶然聞きながら寝床に入る。

▼月はひとり、星は二人で見上げたい (回想)
▼吠えたくなる。あの人のことを思って……

4月17日

▼青空を窓越しに見上げている贅沢

4月16日

▼散るために生まれてきたのわたしたち
▼ヤマブキを一輪さして手を添える
▼春の花散って無言のたよりかな

黄色い花が似合う人がいる。
赤い花ではだめなのだ。

その緩やかそうな色が夢なのかもしれない。
ほんとうは激しい赤のような人なのかもしれないのに。
黄色でいてほしいと願うのかもしれない。

4月15日

いまごろ、桜前線、梅前線、モンシロチョウ前線はどのあたりを北上しているのだろうか。
みちのくにチョウはきただろうか。
そんなことを思う。

▼その花は私です
▼花に嵐の例えもあるさ、潔く散りなさい

誰もいない海……
自虐的な側面を持っていないか。

静かで、激しい。

4月14日

月が半分になっている。
まあ元気よ。
誰に言うわけでもなく呟いている。

半分の月

田植えの季節を迎えて、田んぼに水が張られてゆく。
銀色に光る水田の間の細い道を歩きながら
夕焼けを見上げては、飛行機雲ばかりを探している。

水田

一本の雲があればあの人につながるような気がする。

夕焼け

カラスが喧しく啼く。

▼問うてみる、あなたの恋のその行方

4月13日

新緑に目がゆくと
気持ちが落ち着いてくる。

▼草笛をくわえてみたの、スキと鳴る
▼新学期もう恋してるそわそわと
▼タケノコのお出まして産毛やわらか
▼山笑う一塊に呑み込まれ

緑が蠢く。

4月10日

▼ヤマブキを一輪さして手を添える

何を回想しているのだろう。花は意地悪だ。

遠藤周作 王妃マリー・アントワネット

読書部Ⅱに遠藤周作さんの王妃マリー・アントワネットのレビューをあげた。

遠藤さんの本が本棚にたくさんあります。
どれをとってもそれぞれに思い出深い。

分厚いものを今からもう一度読み返していゆくのもひとつの手段であろうけれども、やはり時間がかかる。

2007年07月07日に書いたレビューを読んでみる。

-- (号外)

でも、本当は時間がかかるからというのは「嘘」の理由で、あのころのように夢中になってどっぷりと作品に浸かって、人生や生き方を考えることに疲れている自分がいるのかもしれない。

ピュアな面を失い老人らしく厚かましく生きるようになった自分と対面しなければならない。あの時代に戻れば私の今の掠れた生き方が見えるのが嫌なのだろう。そう、自分で分析している。

誰も怖くない。自分の愚かさに目が届かなくなって、他人の愚かさを見て自分の愚かさに初めて気が付く。

それはイデオロギーにも通じる。

--

若者であったころはそこまで落ちぶれなくても自分の愚かさに気が付いたのだ。

人はいくつになっても、心に鬼を棲まわせねばならない。

2011年4月17日 (日曜日)

長い歴史

福島県の友だちの日記を読む。

|『人と土は離れられない』
|今、今年の米作りがまだ許されていない。

--

放射線が降り続き、農作物の作付にも影響が出る。
季節は容赦なく春を迎える。

田一枚植ゑて立ち去る柳かな 芭蕉

--

1年後にどんなことをしているのか。
3年後は?
10年後は?

今の私たちには未来のこの現場の姿が見えてこないし、実際に見ることができないのが現実です。

1年後も、報道は同じことを言っているかどうかは不明で、むしろ冷え切っているかもしれない。

水を今と同じようにかけ続けているかもしれない。
窒素を送り続けているのかもしれない。
退避した人の生活も食事も、今とさほど変わらないまま、1年が過ぎているのかもしれない。
未来が見えないと不安になる。
だから、精神的もまいってくることになる。

だけど、ここで、事実と想像の話を決して混同してはイケナイのよね。

長い歴史の中に、ぽつんとコメの生産がゼロという空間があっても仕方がないことだな。
現実として今は悔しいけど受けるしか選択肢はない。
間違いなく無い。

長い歴史って・・・・
・人の寿命の80年の歴史年表。
・暮らしの進化の歴史年表、世紀で区切るか
・文明の進化の年表…千年で区切ってみようか
・人間の歴史からすれば100万年の刻みになる。これでも地球の歴史には程遠い。

地震はこの最後の歴史年表の上で鼓動をしているのだし、人の我欲は最も短い時間の刻みの上にいるのだ。

2011年4月16日 (土曜日)

怒りを発する

アウトドアの話(省略)を書きましたので、そこで学ぶべきことも少し触れます。

やはり、今は遊びでアウトドア、という感覚の方が多いのですが、本来は人間と自然との共存としてのアウトドア生活だったと思うのです。

坂道を降りて崖の下の河原に水を汲みに行くから水を大事にするのだし、一生懸命に木を擦って木くずに火をつけるのを経験して火というもののありがたみを知る。

現代人は(…と、ひとまとめに括ってしまっては叱られるかもしれませんが)、やはり楽しいからのアウトドアであり、それらが歴史的に文明化してしてきたことを理解して学ぶという手順を省略化してしまっています。

そのあたりに対して、自然という私たちをとりまく神様のようなものが怒りを発したような気もしています。

石原慎太郎の「天罰」発言が波紋を呼びましたが、内容に筋違いはありましたが、「天罰」を意識したという点ではこの人も捨てたもんではないと思いました。

2011年4月15日 (金曜日)

負けたの、悔しいけど

ヒトは、自然を畏れなくなってから、自然にすぐ負けるようになったね。
科学技術が進んでからだな。

地震にも負けた。縄文人は負けなかったよ、きっと。

賢いって本当かよ。そう思っているだけじゃないの。弱いよ。

原始的で貧しくても強い方がヒトの本当の姿だよ。

豊かさを勘違いしてるよ。

ずっとそんな疑問が頭にある。

2011年4月13日 (水曜日)

物語は進まないほうが愉しいかも。その1

始まりは、人まちがいから、だったのです。

いつもの通勤列車のいつものドアの前に並んでいるキュートな女性と
お昼休みに時々近くの席に座って食事をする姿を見かける女性を
髪が短くてスラリとしてていつもスーツを着ている、というだけで
同じ人と思っていた。
賢そうな人だなあと思うくらいで、
ほかにはそれほど気にかけてもいなかった、
ともいえる。

眼の大きい人が苦手なボクでも尻込みしないほどの眼差しで
小さくなくて丸っこくて少しキョロキョロしてるけど許せた。

誰かと話しているところをあまり見かけなくて
ひとりで食事をしてることが多くて
この人と電車のドアの女の人をボクは混同したままだった。

ある日、自分の階までゼイゼイと階段を上っていると
後ろからとても軽く弾むように階段を駆け上がって私に追いついて
隣で立ち止まった人がいた。

それがその人で、お互いに顔は知っているので
その偶然に息を整えながら軽く笑いかけたら
とても素敵な笑顔でクククと笑ってくれた。

それから何度か同じパターンで会うようになって
食堂でも目が合えば軽く首をピクリとさせて会釈をするようになった。

名前は聞かない。
階段で会う方、と呼んでくれた。

あるとき、名前を聞かねばなりませんね、と切り出しながらも
またいつでも会えるから慌てて聞かなくてもいいですからねと言って
照れ隠しをしたりして、たびたび見かけるのをそれなりに楽しんでいた。

いくつなんだろう。
(見当もつかない。そういうのが苦手で)
独身なんだろうか。

そんなことを家に帰ってもツマに話すと、
それは聞いたらアカンな。聞けんなあ、という。

そうそう、この彼女とは、家族3人で映画を見に行った少し前の月末に
マザーウォーターを観に行った映画館でばったりと出会っていまして
ツマとムスメは彼女を見たことがあるのです。

だから、家に帰って夕飯を食べながら彼女のことをツマと話したのでした。

--

先日、彼女の名前がわかったのです。
廊下で私が追い付いて声をかけたら
すかさず名刺をくださったのです。

ここに来る前の部署も尋ねて、専門も聞いていたので
今度お目にかかったら文芸の話でも聞かせていただこうかと…
と話をするのが精いっぱいでした。

しばらく、物語は進展しなくてもいいです。

でも、文芸の(文学の)話をゆっくりとしてみたいな。
そんなことを考えていますが。

地球と人類が交わした約束

四月の初めに考える(4月3日の日記)のなかで

自然の移ろいにうっとりとさせられながら、こうして春がやって来るという約束は百年も千年も昔からなされていたことであろうと思い、また一方で東日本に地震災害にもたらした地震も地球と人類が交わした約束であったのかもしれない……とも考えたりしていました。

と書いた。この一方で…と続く一節、「地震も地球と人類が交わした約束であったのかもしれない」の箇所が誤解を生むということでチェックが入った。

しかし、私はこの記事の中でもっとも言いたかったのがこの「地震も地球と人類が交わした約束であったのかもしれない」という箇所なのだ。

人間には、幸せになったら昔のことを忘れてしまうほどに、あほなところがある。少しは反省しなくてはならないのだが、その反省の弁が様々なメディアで騒がれているような内容で、まだまだ心のどこかに駆引きがあって、損はしたくないし得したい。幸せ逃したくない。そんな気持ちが見え見え。

都心機能をどこぞ安全なところに移動して、東日本を縄文時代から住んでいた人々に返納しようと提案するような人はいないのか。

東日本、東北地域に古来からあった文化を取り戻そう。

2011年4月10日 (日曜日)

4月上旬の語録から

(一部重複・改訂あり)

◆ 3月下旬

四十年余りしか化石燃料がないことを念頭に置いて、ライフスタイルを縄文時代くらいまでリセットし、再構築する必要がある。国民は贅沢や便利に甘んじていてはいけない。

今なら、そうすることを決意して出直してこそ、もっと賢い社会システムを考え出せる。

そのくらいの思い切った行政力が必要なのだといえる。豊かさと満足度を捨てることから始めたい。

誰も言い出さないのは、みんなが日和見だからだ。

--

◆ 4月上旬

(計画停電の不安)

節電ですが、全ての家庭がエアコンを止めれば室外に放出する熱が相当減る。この事実をしっかりと明確にすること。

さらに、緑のカーテンなどで対策を打ち、今のうちからエネルギーの無駄遣い、否、効率的な使用法の合理化を実践しておく。

防犯は別視点で解決するとして、とにかく昼間から家の風を通し家屋が保熱せぬことを心掛ければ、電気製品などの熱源を縮小していることも手伝い、部屋の温度は従来より2度は低減が可能と試算できる。

30年前の暮しに戻せば、不可能ではないといえる。痛みを恐れていては何もできない。

(頻発する地震について)

例えば、日本列島がユーラシアから切り離された長大な時間の周期と、ヒトの生命の周期を混同したらあかん。

そう、この頃思う。

地震は地球の呼吸、くしゃみのようなものだ。

(地球からすれば)人間の勝手を戒める必要があった。

(消えてしまうもの。捨てるもの)

iPhone のアドレスが消失し、リセットがかって消えてしまったので、メールとか電話を聞いてた人は、メールでもう一度教えて下さい

……とお伝えしました。

ちょっと荒っぽいアドレス帳の整理でした。
忘れたい人もあるし、大事な人は私から探し出すから。

2011年4月 9日 (土曜日)

引き潮の干潟が好きで君好きで ─ 4月上旬篇

うららかな日が訪れるようになりました。

4月9日
ゆうべの夜半に少し降ったようだ。
雨音もなく地面を湿らせている。

▼ あの人の夢を見ました。雨の朝

春の雨は生ぬるくて優しい。
朝には上がっていたが、午前中は曇り空

▼ 雨の朝、花は無事かと窓開ける

4月8日

あの人にふたたびお目にかかって
今度会ったら文芸の話でもしていただけたら…と思っていたのだと話したら
歩きながら名刺をくださいました。

名刺をしまった胸が温かい。

4月7日

朝、
田んぼに水がきてるのを見つける。
春だ。

そう。
あのお姉さん(といっても私よりも10歳少し若いのだけど)に
また明日も会うかなとふと思ってしまう。

偶然が2回続いた週の始まりだった。

歳は聞かない。

▼馬酔木撮る、激しいチークの君が邪魔

馬酔木

夕暮れどきに、いつもの帰り道で
散り落ちたコブシの花びらを見ながら
あの人の髪飾りを思い出している

きょうは暑い。
窓開放して涼しい。

▼夕暮れの飛行機雲をそっと探す

レンギョウ

4月7日
もし明日会えば名前を尋ねよう。
そして文学の話をしてもらおう。

県庁

▼眠くなる。貴方の面影薄くなる
▼花吹雪山ひとつごとの恨みかな
▼おやすみは憎らしいからもう言わない

4月6日

海の水がすごくきれいで、何メートルもの深さまで見える。
底の岩や魚が見えるのを見ていると、本来、水はきれいであったのが当たり前で、
誰も何もしなければずっと百万年もきれいなはずだと気づく。
自分たちのために汚れるのは仕方のないことだと考えるのは人間の勝手な話で、
愚か極まりない。

170キロのツーリングでした。

▼貴方には私の恋を盗めない
▼引き潮の干潟が好きで君好きで (朝日新聞東海柳壇5月3日)

あご湾

4月5日
キヌサヤの花が咲いている。

▼おはようと貴方の髪にふっと寄る
▼モンシロチョウゆらりゆらりと髪飾り

4月4日

春眠暁を覚えず
処処啼鳥を聞く
夜来風雨の声
花落つることを知らず多少ぞ

4月3日

▼君のこと好きだと言った嘘つき
▼ 泣いたとて誰にも言えない君のこと
▼本当は名前を聞きたいでも聞けない

4月1日

▼ツバキ落ちて。それがどうした四月ばか

3月30日

▼一年が終わって明日は席を去る

3月29日

とってもいいことがあったのだ。
でも、
誰かに言ってしまうとシャボン玉のように消えてしまいそうで、ナイショにしておく。

ムリムリ。

いつも、食堂へ向かう会談で会う彼女に2回連続ばったり会ったのよ。
名前も知らない人ですね
まあ尋ねなくても
と言いながら、聞くのを躊躇って、
聞けないでいる自分がいるのだ。

3月28日

▼青草の茎かみながら立ち話

3月27日
四十年余りしか化石燃料がないことを念頭に置いて、
ライフスタイルを縄文時代くらいまでリセットし、
再構築するならば、もっと賢い社会システムを今なら考え出せる。

そのくらいの思い切った行政力が必要なのかもしれない。
豊かさと満足度を捨てることから始めたい。

▼菫程な小さき人に生れたし 漱石

ふっと、
私はスミレでは不満だ。
もっと大きく咲きたいと思う。

2011年4月 3日 (日曜日)

四月の初めに考える

春を迎えました。花が咲き鳥が啼いて野山はいっそう元気になってきましたのが伺えます。通勤列車の沿線に広がる麦畑も日に日に青く大きくなり、県庁前の花時計も色鮮やかになってきました。このメルマガが配信されるころには偕楽公園の桜は散ってしまいツツジの出番になっているかもしれませんね。

自然の移ろいにうっとりとさせられながら、こうして春がやって来るという約束は百年も千年も昔からなされていたことであろうと思い、また一方で東日本に地震災害にもたらした地震も地球と人類が交わした約束であったのかもしれない……とも考えたりしていました。被害に遭われたみなさまをお見舞い申し上げますとともに、一日でも早い復興をお祈りします。

「天災は忘れたころにやってくる」という言葉を物理学者・寺田寅彦が残しています。私たちが暮らしている地球という惑星から見れば、その果てしない生命線上の捉えようのないほど小さな近年に私たち人類がいます。200万年以上昔に2本足で歩く人類が登場し、5千年前に文明が生まれ、科学技術に至っては18世紀ころから歴史が始まります。

これらの長大な歴史のなかで、人々の暮らしが幸せを夢見ながらも何者かを畏れ、知恵を絞り文化を築き上げてきたことを振り返ると、環境を守りながら自然とともに豊かな暮らしを実現してゆく過程で見直さねばならないものがいくつもあることに気づかされています。

そのようなことを感じながら四月の始まりを迎えました。

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