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2011年3月30日 (水曜日)

「畏敬」とは何か

アラスカに住み自然を見つめ続けた写真家の星野道夫の著作を読むと「自然に対する畏敬」という表現が数々登場します。そこで「畏敬」とは何だろうと考えてみます。

辞書を引けば答えは簡単ですが、彼の伝えたかったことや彼の感じていた畏敬がことごとくすべての人々に伝わったならば、私たちが目指している環境創造活動は違った形になっていたかもしれません。

天災か人災か。東日本を襲った大震災の余震は物理的にも精神的にも続いています。社会までもが揺れ続ける中で3月30日の天声人語(朝日新聞)は「地球や自然への畏敬が足りず」「天災が暴いた人災である」と書いています。

大きな問題を解決しても将来にあるべき私たちの姿が揺らいでいては再び社会は道に迷うことになります。コラムは「電力業界は論敵の視座から出直すしかない」と手厳く締めていますが、環境に携わる我々も、エネルギのことを見つめなおし「地球を見つめる視座」が必要なのでしょうね。

2011年3月27日 (日曜日)

お別れね。花火のようにハクモクレン

一年のおしまいは確かに12月なのですけれど、やはり3月というときは格別な味を持っている。

お雛様を片付けて寂しくなってゆく心を締めるかのように別れの季節がやってくる。

3月8日

▼夕べ、歯が何本も一度に抜ける夢を見た。
▼バッサリと髪は短し春近し

春なのだとわかっていながら
もうすぐ温かくなるのを大事に待っている。

ここで時間が止まって欲しいのは
誰かと別れてしまわねばならないから。

そんな時代もあったよな。

▼菜の花の畑のほうを遠回り
▼花時計ゆらりゆらりと蝶をよぶ

▼春寂し時雨る日暮れはなお哀し
▼春哀しひとりの日暮れはなお淋し
▼サクラサク。そんな電報が飛び交ったころ

あの日ひとこと言い出しかねて
花吹雪の峠て別れて以来
鳥がないても会えぬまま
風か吹いても便りなし

▼タケノコやもっこりポッコリお出まして

そうだ、写真が届いたよ。
春の便りをもらった。

イヌコリヤナギ。

イヌコリヤナギ

うしし

イヌコリヤナギ

3月10日

もたもたしてる間にお水取りの声が。
お墓参りにも行かねば。

3月11日

この日は東日本大震災のあった日だ。
私のいる8階も船が揺れるように大きくゆっくり揺れた。

直近で来る地震と違い、緩やかな速さで大きな波が長く続いた。

遠距離を振動してくる間に周波数の短い波が打ち消されていく。物理学の実験を思い浮かべていたりしていたが、その頃、現地では大変なことになっていたのだった。

女川町安否リストを見ると友人の名前を発見した。探し主になっている。ということは、彼は生きているのだ。家族の名前を書いて捜索していると書いてる。

宮城県牡鹿郡女川町。東北をそして三陸海岸を旅した経験のある人ならば、あの素晴らしい景色を記憶しているだろう。これらの街がすべて、ほとんどではなく、すべて津波によって壊滅的な被害を受けた。

彼は女川にある事業所に一家で転勤してきている。小2の子どもと奥さんとの3人家族だ。午後2時46分に起こった地震で街は全員、1万人以上の家屋などが津波で流されてしまっている。

女川町観光協会のホームページでは、当日の青い海の写真を載せ、翌日のカニ祭の準備で街は忙しくしていると書いていた。

その後何日も、安否確認ができたというニュースは届かない。私は私なりに情報がネットで流れるのを確認している。

ニュースを見るのも読むのも辛い日々が続く。

3月14日

twitterもmixiでも、人間の心の貧困さをまざまざと見せつけるような発言が目立つようになってきました。少し辟易なので、しばらくお休みします

私はそう書いてしばらく休み、mixiもやめてしまおうかと決心していた。

3月16日

大地震を機にmixiを退会する意向でおります。 コミュは全て廃止。消滅させます。 長い間にわたり皆さまにお世話になった事を感謝します。 ブログはひっそりとバックアップの意味もあり、残します。 廃止期日は年度末を考えています。早まる事はあります。

弱者がどんどん追いやられていく。
ちっとも弱者でない人であっても自分を弱者だと主張し、社会の秩序を乱しているような報道の様子を見ると痛ましい。

あらゆるところで起こるパニック。
早く収まるように祈る。

3月18日

友人家族の名前を避難所リストに見つける。
きっとまだ家族再会ではないだろうが、生きてればいいじゃないか。
よかったね。

ムスメを訪ねる。
今年は署内異動と選挙の関係で忙しいらしく、しばらく帰ってこないらしい。

紀北町の季の座。
行って来ました。

▼深呼吸すれば三月ぬくうなる

3月19日

▼花粉舞う黄色い空に歩みだす

3月20日

そういえば、今頃やったな卒業式。
武道館。
遥か昔。

この花は雨に濡れて、大きな災害のことなど知らずにいるのだろう。
と、六日前の日記に書いたこと。

▼アーケードに散らない桜が咲きそろい
▼満月は嫌いさ君に似てるから
▼強がりを言っても月はなお丸く

忘れたい人ほど、忘れられない
そんなものだ、人生は。

3月21日

仏さんに何か買うて帰ろうかと電話をしたらいらんわというので手ぶらで帰ったらヨモギ餅がどっさりあった。
昨日の夕刻時雨に降られた折にふと道端を見たらヨモギがたくさんあったと母は言う。
今朝からひと臼ついたという。
60個ほどの餅は俄かに貰われていったらしい。
ヨモギの味は春の味

▼モクレンがピクピク旅する心突く
▼グランディオーソ終えた余韻の走馬灯
▼あの人からの手紙を最後にペンを置く
▼幾たびも月見て跳ねて蹴躓く

3月22日

めいぼ。
痛い。
帰る

▼おやすみと言いたかった。ただそれだけ
▼おはようさんきょうはめいぼで眼医者さん

▼ええことがあったのきょうは秘密やで

この秘密を誰かに話すと、必ず夢は終わってしまうの。
だから言わない。

3月23日

昨日NHKラジオで。地方便りの時間に東北の街の人の声を読みながら、声が詰まってしまい、長い長い沈黙を作ってしまい、再び読み始めても声にならなかったアナウンサーさんがいた。無言で伝えることの意味も大きい。こんな事例にはもう出会えないだろう。プロが泣いてどうするのだという人もあろうが

そんなことを、ツイッターに書いて。
やはり社会が元気を失っている。

3月24日

▼おはようといって立ち去るハクモクレン
▼お別れね。花火のようにハクモクレン
▼遮断機の春霜白く化粧して

3月27日

何年か前に忽然と便りが途絶えた人。
恋しい人。
震災の町に住んでいる……

ニュースは放射能の話ばかり。

人類は科学技術にボケてしまった。
女にボケた愚かな男のように。

科学の話ではない。
哲学の話だ。

賢い学者のみなさん、あなたの賢さはわかりました。
今、求められているのは哲学です。
悪いけど、黙っていてほしい。

▼泣き虫が正反対の君を見る
▼あの人は天使ではなく悪魔だった

ヒトがどんどんと惑わされて馬鹿になってゆくのを見るのがつらい。
そんな日々だ。

三月が果ててゆく

2011年3月21日 (月曜日)

ヨモギ餅

仏さんに何か買うて帰ろうかと電話をしたらいらんわというので手ぶらで帰ったらヨモギ餅がどっさりあった。

昨日の夕刻時雨に降られた折にふと道端を見たら ヨモギがたくさんあったと母は言う。

今朝からひと臼ついたという。60個ほどの餅は俄かに貰われていったらしい。

ヨモギの味は春の味だね

司馬遼太郎 街道をゆく (27) 因幡・伯耆のみち.檮原街道

久々に書きます。

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3月21日。春分 外に遊びに行くには、少し寒い。 今朝は雨降りで、先ほどから止んだ様子だ。 鳥の声が喧しい。 本棚の本のレビューを全部書くことは不可能だ。 いつものように思い出深いものに手が伸びる。


司馬遼太郎 街道をゆく (27) 因幡・伯耆のみち.檮原街道

めったに★をたくさんつけないのだが、脱藩の道を何度も何度も訪ねた私としては、その想像を刺激してくれたこの「街道をゆく27」は特別としてよいだろう。

檮原街道。
因幡・伯耆のみち。

朝日ジャーナルの連載も時々読んでいた。
ジャーナルには、時実新子さんの「川柳新子座」の連載もあった。

あの時代の書物というのは、現代のように宝石からガラクタまでを一緒くたにしてガラガラとかき混ぜて置いてある現代のインターネットの情報群とは、格別にそして各段に違っていた。

品位があって、美があった。

その途轍もない長い連載書物のたった一冊を選んで読み始めたのには理由があって、竜馬が脱藩した道と私のツーリングルートが一致したからであった。
十年間に7,8回も四国に上陸し山の中を駆けずり回ったころのことだ。

「街道をゆく」シリーズは、27の後にも40番を超えてもなおまだまだ連載が続く。すべてを読まなかったし読む時間もなかった。半分ほどは読んで書棚に残ったかな。

このレビューを書くにあたって、27番は、やはりそれなりの理由の27番なのだ。

カラーマーカーの痕跡もあるが、今頃本棚から取り出してみるとその色がすっかり褪せてしまっている。

この本の記憶を辿りながら娘を連れて山陰を旅したこともあった。古代人の住居の出口から顔を出して写真を撮ったのはまだ小学生だったのだのに今は社会人だ。

司馬さんの作品も色あせてゆく。それも寂しい。
歴史は変わらないけど、司馬遼太郎が少しずつ掠れてゆくようで寂しい。
しかし、それでいいのだ。

テレビの転倒対策。さて、どうするか

地震の揺れによってテレビが前に倒れて画面が割れてしまったという人の話をたくさん耳にする。

災害の順序からして食い物がなくなるよりもテレビが倒れるほうが起こりやすいのだから、食料品や日用品を買いだめする前に、転倒対策をするほうが先だ。

いつ起こるかわからない地震が、この次に発生したときに、戸棚にはたくさんのご飯やラーメンや乾電池があって、テレビが倒れて壊れました……となったら、モノ笑いの種にされるので気を付けよう。

2011年3月20日 (日曜日)

朧な月

きのうわたしは恋をした
朧が霞む静かな夜に
そっと内緒の夢を見た
そこで私は恋をした

あなたが夢に現れて
私はあなたに恋をした
嘘つき鬼さん手のなる方へ
森の向こうへ消えてった

好き好き鬼さん私を待って
いいえ、あなたは私の手より
嘘つき悪魔が気障なふり
黒い天使に変身するの

バラの花束睨んで悩む
貴方は私に恋をする


3月7日、ノートの片隅に私はそんなことを書いた。

月が朧な夜は時空が魔法の中だ。

雨に濡れて

この花は雨に濡れて、大きな災害のことなど知らずにいるのだろう。

と、六日前の日記に書いたこと。

なんと空が青いことか

宮城県牡鹿郡女川町のYさんから届いた年賀はウサギの絵柄の中に家族三人が青い海を背に並んでいる。

女川町の観光協会が3月11日まで書き続けたブログにも、その日の朝の女川の風景が掲載されている。

女川

なんと空が青いことか。海が鮮やかなことか。
この海の果てで、数時間後に地震が起こる。

震災時にYさんがどこにいたか、またこの家族の皆さんもどこにいたのか不明だった。一番最初に届いて来たのは「町全体1万人全員が行方不明」という文字で、さらに刻々と五千人が避難、七千人が避難済み……と変化してゆく。

同時にネットにある被災者安否確認リストに、Yさん自身が探し主の名前で家族の安否を問い合わせている掲示を発見。そうか、Yさんはネットのつながるところに仕事か何かで出張していたのだろう。家族との連絡が取れないのだ。

1週間が過ぎてゆく。

その間も年賀に写っている景色を見て祈り続ける。女川の湾を見渡すこの高台におそらく避難所は設置されている。七千人が避難済みの続報もしばらくなかったのだが、ちょうど一週間が過ぎた朝に、ネットの生存者リストに家族の名前を発見。

きっと同じころにYさんは名簿を確認しているだろう。おそらく、連絡も途絶えたままで、会いに行くことも阻まれているんだろうけど、よかったと私も胸を撫で下ろす。

祈ることで、あらかじめ決められしまっていた運命を変えてしまうことだって可能なのではないか。一時たりともそういうふうに考えることができた自分のパワーを継続して、きょうも祈ろう。多くの人のために。


写真は3月11日午前、女川町の港の風景、観光協会ブログから。
ブログは当日以降、停止中。

有事斬然 無事澄然 失意泰然

東北地方太平洋沖地震に伴う電力不足に対応するための家庭ですぐ出来る節電 21
という呼びかけを地球温暖化防止活動推進センターが行っています。

1.暖房の温度設定を控えめ(20℃)にする。
2.こたつやホットカーペットなどの部分暖房を活用する。
3.暖房時に、窓に空気層のある断熱シートを貼る。
4.暖房時にカーテンを閉める。
5.エアコンのフィルターを掃除する。
6.暖房の使用時間を可能なかぎり短くする(就寝前に1時間消すなど)。
7.暖房時に部屋のドアやふすまを閉め、暖房範囲を小さくする。
8.暖房時に家族がいっしょの部屋で過ごす。
9.照明を使う時間を可能なかぎり短くする。
10.テレビの画面を明るすぎないように調整する。
11.電気ポットの保温をやめる。
12.炊飯ジャーの保温をやめる。
13.冷蔵庫を壁から適切な距離を離す。
14.冷蔵庫の温度設定を強から中にする。
15.食器洗いでお湯を流しっぱなしにしない。
16.シャワーの利用時間を可能なかぎり短くする。
17.お風呂の自動保温を止める。
18.衣類乾燥機や洗濯機の乾燥機能を使わない。
19.保温便座の温度設定を下げる。
20.使わないときには便座のふたを閉める。
21.使用していない電気機器はコンセントから抜き、待機電力を減らす。
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私はこのすべてをすでに5年以上前から実践していますが(仕事ですから)、興味があることは、まさかこのことを知らなかったとか、無視していたとか、まあいいやで済ませていた人たちがたくさんあったとしたらどうしよう。これはちょっと見逃せないことだと思う。

平成17年(2005年)ころから相当に喧しくPRしてきたのだし、「美しい国」(うつくしいくに)という言葉を安倍総理が仰った時に「憎いし苦痛」(にくいしくつう)と、逆さまから読んで嫌味も書いてみたりしてきた。

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◎今の暮らしよりも、少し苦痛を強いて節電や生活レベルを落とさねばならない。「苦しみなしに節電ができる」なんていう甘いモノではなく辛抱を強いて今を打開すべきだ

◎今日の夕飯の5皿の一番端っこのお皿を節約して、世界のどこかで苦しんでいる人へ向けて届くように工夫をする

◎自分のお皿に盛るのではなく、隣の人のお皿に盛る。自分のお皿にはどこかの誰かに盛っていただけるようになる

このような気持ちをと呼びかけた。

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子どものころに「椅子取りゲーム」をして最後の子をはじき出す遊びをしたことがあったのを記憶している方々も多いだろう。

あのときのルールが、取った椅子を誰かに捧げて、自分も誰かに捧げられて、複数捧げられた人はまた誰かに捧げて、ゲームを続ける……と習っていれば人の心は違ったものになっただろう。

21個の節電項目を見ながら、これらはすべて誰かに捧げるために行っているのだ、と感じる。

これまでに「豊かさと満足感」というテーマでくどいことをこの日記やブログで書き続けている。

自分たちの「豊かさ」をきちんと振り返って今一度「あるべき姿、あるべき方向」をみんなで考えることが必要だ。当面は募金や支援、節電でよかろうが長期的戦略を睨んでいる澄み切った眼が必要だ。

改めて

自處超然(ちょうぜん)
處人藹然(あいぜん)
有事斬然(ざんぜん)
無事澄然(ちょうぜん)
得意澹然(たんぜん)
失意泰然(たいぜん)

とあえて書く。

2011年3月19日 (土曜日)

ひとまず。亡霊に

今朝から友だちにメールを書いた。
その冒頭だけを引用します。

----
おはようさん。

mixiをやめようと思って何気なしに書いたら
(mixiメールからケータイへ)夜通しメールが鳴り続けて

亡霊になりなさいって。

- そんなに簡単に発言撤回していいのかい。
- いや、政治家じゃないんだから、いいんじゃない

というような魘されるような夢のような眠りの中で

【亡霊】でもいいか。
----

というわけで、【亡霊】になることにします。
ひとまず。

2011年3月18日 (金曜日)

そんなの、夢か

日記の最後にそう書いた。

深い海のなかへ、泥と共に。

いや、何処かで会えるかも知れない。

そんなの、夢か。

大震災を機にmixiを退会する意向

大震災を機にmixiを退会する意向でおります。

コミュは全て廃止。
消滅させます。

長い間にわたり皆さまにお世話になった事を感謝します。

ブログはひっそりとバックアップの意味もあり、残します。
廃止期日は年度末を考えています。早まる事はあります。


……と、mixiのボイスと日記に、それからtwitterにも書いた。

GREEを退会した時も、そのあとで随分と苛まれるものがあった。
大勢のコミュを無残にも全く無視して一方的に解散してしまったし、本当に友だちでいたい人には声を掛けられないままのおしまいだった。

だが、そこで発生したあらゆる感情の根底にあるものに私は疑問を抱いていたから、プチッとボタンを押してそこにあったものをマボロシにしてしまったのだ。

私たちヒトというものは身勝手で自分に都合よくなんでも物事を考えてゆく。それは至って正常なことであるのだが、増殖をしてゆく過程で次々と矛盾と自己嫌悪を生んでいる。

どうしてそんなメカニズムなのかはじっと考えればわかることなのだが、解決策は容易に導き出せずにいて、ヒトの意見が集まればその数だけ異論が出る。

こんな大震災が起こって、かわいらしく、しおらしくしている姿も見受けられるものの、それを私は見つめ続けるのは嫌だ。その間に私はドロンと消え たいのだろうな。三日、三か月、三年。どれだけで元の愚かさが戻ってくるのだろう。人は愚かなのだと言い切ってしまえない自分が嫌だから今のうちに消えて しまうのだ。

もうどこに行っても会えない。たぶん。

2011年3月15日 (火曜日)

がんばれ。みんなが、それぞれに、がんばるのだ。

地震が発生してからも刻々と被害の惨事を表す数字は増え続ける。
ヒトの善良な側面を感じながら、一方で貧困な心の持ち主の発言に悲しむ。


女川町にいる20年以上の付き合いの友だちがいます。町は全滅で地震の時刻には港近くにいたと思われまして、心配をしてるんです。小2の子供があります。家族は無事なのかどうか。ニュースにも出てこない(03月13日)


このように書いたのですが、その後、

Mar 14, 6:41pm
女川町安否リストを見ると友人の名前を発見。探し主になっている。ということは、彼は生きているのだ。家族の名前を書いて捜索していると書いてる。読むのが辛い


と、再び彼のことを想う。 家族に会えただろうか。

あれから、4回夜を送って5回目の夜を迎える。

2011年3月10日 (木曜日)

サクラサク。

サクラサク。

春の空をこんな電文が飛び交ったのは昔のことです。そんな時代があったことを知る人さえ今は息を潜めてしまいました。

しかし、情報通信技術が夜明けを迎えるのは、1830年代にイギリス人のミシェル・ファラデーが電磁誘導理論を考え出したころのことで、それ以前の通信はとても原始的でした。つまり、飛脚が街道を駆けたり、さらには狼煙をあげて情報を伝達したりしていました。

サクラサク、という言葉を聞いて、世間を騒がせたひとつのできごとの記事を見ながら、科学技術の賜物である携帯電話がもしもこの世になかったならば、不正を働いた子はサクラを咲かせようと頑張れたのかもしれない…と思ったのでした。

このメルマガがお手元に届くころには桜の開花だよりも届き始めるかもしれません。花が咲くのは嬉しいですが、開花時期が年々早くなるのを喜んでばかりもおれませんね。

2011年3月 6日 (日曜日)

羽生善治 大局観 自分と闘って負けない心

もう40歳を回っていよいよ大物の道に歩みいった。だからこそ大局観という言葉がよく似合うし、羽生にふさわしい言葉だと思う。

今の時代には直結的にモノを勝ち取るとか、数字上の効率や理屈ですべてを切り開き、ノイズもなく目標にまっしぐらというスタイルが重宝され、時には美しいものだと称えられる。
スポーツにしろ政治にしろ、クリティカルでなければならない・・・・と多くの人は思っているのだろう。
でも、そうではないのだ。、とこの人もひそかに思ってはいまいか。(想像)

+

実は将棋のことはまったく知らないのだが、囲碁ならルールくらいはわかる。勝負というものはあまり好きではないものの、盤に向かってじっと考える将棋や囲碁は観戦をすることも多い。考える人の姿にはいつも痺れさせられるのだ。

この羽生善治の「決断力」には、前にも触れて、苦難に直面しているときなどの自分の頭を整理するのによかろうなどと、書いたか書かなかったか。でも、そんなことを思いながら、若い羽生、勝負の羽生を感じ取っていけた。いったいこの人の頭脳はどうなっているのだろうか、と探りを入れた。あの書物も普遍性が高い。


40歳を超えたから、などというのは理由ではない。この年齢を超えると人は余分なものを棄てて、生きることを考え始める。それは、生きてきたことを考えることでもあり、顧みる(省みる)ことでもある。生きることだけではなく、死ぬことも考え、働くことも、愛することも考える。悪とは何か、裏切りとは何かを考えたこともあろう。

羽生は、大局観を棋士の立場で気持ちよく解剖して、私たちに言葉で示している。勝たねばならないし買って何ぼの世界の人が自分の読みの力のピークは昔にあったとまで断言して、そこに今は大局観があるという。

閃きや直観、ツキや運、ゲン担ぎのことにも触れている。そういうものに対する私感を交え、克服してきたステップ(心理)も知ることができる。

私たちは将棋の勝負のような厳しい世界で生きているわけではないものの、日々その人なりに考え悩み苦汁を舐めて進んでゆく。若い時はがむしゃらに、そして年齢を重ねるにつれて老人らしく厚かましく図々しく生きるようになる。そんな中で美しく颯爽と進める人こそ、次の一手の背景にこの大局観を備えている人なのだ。

本なんか読んでもわからないし何も身につかない。身についたと思う人はそういう気分に浸れるだけで、錯覚だ。羽生は大局観について述べているが、これを掴める人は限られる。僅かばかりの理論と、様々な急展開(転回)と、身の千切れるような不運と、人には簡単に説明のできないような感動を経て、自分で見つけた人たちだけが肩を抱きあいながら語れるのだ。

その場を少し覗かせてもらえる新書なのかなと思う、この本は。

2011年3月 4日 (金曜日)

ひな祭りウソの三句をよんでみる

ひな祭りウソの三句をよんでみる

というわけで、嘘三句

 +

 恋心ウソよと笑う沈丁花

 フキノトウ去年の恋は嘘のよう

 春時雨きのうの嘘をあざ笑う

2011年3月 1日 (火曜日)

夜空舞う貴方に届かぬ恋メール  おぼえがき録 ─ 二月下旬篇

▼教えてよ、貴方の心に魔法をかける呪文を

そう書いたけど、
天使も悪魔も現れることなく
魔法使いの姿も見えずだった。

私に呪文(まじない)を教えてくれる人は居ない。

さて二月下旬を振りかえってみる。

28日

みなさん、おはようございます。
雨ですね。
コートなしにしました。軽いわ。

朝のつぶやきのそんなことを書きながら坂道をゆく。

夕焼けを見ては・・・・

ねえ、会いたいヒトがひとり、いるんだ。
遠くの、どこにいるか、わからないヒト。
ここに名前を書いてでも会いたい、探したい
という衝動。

なあ、お父よ、生きておったら、もうすぐ誕生日やね。
一度も祝うこともなく、飲むこともなく。
春やったんやな。
たらの芽でもつまみながら飲めたらよかったのにな。

月曜が君をさらっていくのなら眠れる夜を引きのばしたい 、
と@kanoiratsume さんが詠んでいたのに出会って、ぐっときた。
私はあの人をさらってゆく風になりたいと思ったことが何度もあったのだ。
眠れない夜に貴方をここで抱きしめていたい、激しい感情。

27日

今日の懺悔・・・・
娘の歯ブラシ使ってしまってごめんなさい。
でも、夫婦でなら共有してる人もあるそうな…

蠢く。
うごめく。
春という字の下に、虫を二つ横に並べるの。
なるほど。
虎視眈眈と春を待つものたち。

▼夜空舞う貴方に届かぬ恋メール
▼窓際で楽器磨くや二月尽

スーパースリックのスライドクリーム。(ボントロの話)
最近少し見直してます。
なかなかいい。

しばらくぶりに楽器を吹く午後。

▼カタバミをしゃがんで見る小さな背中
▼サクラソウと言った指先どおし触れ
▼別れ際五弁の花で花占い

サクラソウには淡い思い出があったのだ。
学生の街、江古田。

五弁の花。
さて、
好きから始めるか、
キライから始めるか

26日

▼あの人は五弁の花の、花びらのように・・
▼楽譜整理してて誘われて楽器ごそごそ

25日

帰宅して顔と手を洗うのですが、
もうお湯のスイッチ入れなくてもいいです。

水。
冷たくて気持ちいいわ。

▼花の咲く季節になると思い出す人がある
▼包丁を磨ぐのはオヤジ譲りらしい
▼ため息がちょっと元気なくて切ない

24日

おはようさん。
雨降って土温かく

水がぬるい。

▼この雨にあの子も濡れて花も濡れ

23日

夫婦の会話シリーズ・・・・
家に帰ってコートを着たままでズボンを脱いでパンツ一枚でウロウロしてたらうちのんが笑い転げていた。

そんなにオカシイ?

▼雲雀啼く春の大空暮れなずむ

ひばりって、ルリルリって啼くのよ。

22日

おはようございます。髭剃りました。

21日

クリスマスの頃には欲しくて仕方がなかった君だが、
寒い冬の時期がすぎて君が居なくてももう大丈夫になったよ。

君のことは忘れることにする。
ほら、僕は元気さ。

もう手袋はいらないねえ。

▼夕焼けを見ると思い出す人がある
▼春になる口笛吹いてるるるるる

19日

素敵な土曜日。

危ない土曜日。
これはキャンディーズ。

そんな世代でして。いい日にしましょう

▼見栄を切る後ろ姿に花粉舞う
▼冷え込みの憎くさもゆるむ雨水かな

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