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2010年12月 4日 (土曜日)

遺す言葉 - 1

■はじめに

私には偉大なものは何もない。歴史に残る様な足跡も築けなかったし、実績もない。誇れるものもない。お手本になる様な行いもしなかった。詰まりは何もないのだ。こういう生き方を平凡というのだろう。

では、論理を逆からなぞって、私は平凡な人生を送ったのか。そう問うてみれば、世の中の多くの人たちの人生が見える様な気がし、ヒトというものの生き様が、客観的に見えてくる様な気がするだろう。 そこには、誰一人として同じ足跡を辿りあう人はなく、意識があってかなくてか別として、その人らしさを足跡とする。またそこには、立派も恥じらいもない。

自慢することもなく、後悔もない。 生きて来た結果だけが美としてあると思う。私はそんな美学のなかで心に留めたことを幾らかでも書き残したいと思う。 少しずつ、書き足していきます。(平成22年12月1日)

■ちかごろ

どうも余命が気に懸かって仕方がない。父が死んでしまった歳までもう15年を切ったし-それは即ち、祖父が逝った歳までも同じように15年を切ったということに他ならず-たった15年と宣言されて迫られているようにも思えるし、悪あがきは諦めなさいなと諭されているようでもある。

挑戦状を突き付けられた「15年」という数字と365を掛け合わせた数の紙切れを一枚一枚破り棄てながら、まっとうに生きていた日々不遜に生きた日々ぐうたらであった日々も掘り起こして、今一度追い続けていた夢の答えを考え直してみたい。(平成22年12月4日)

■呟くということ

iPhoneのメモと同時進行で書いているので、手帳に書いていることと統一がとれないけど、勢いで書き続けることにする。 ペンを持ちながら書くということは電子のメディアに残すことよりも、悩んで書いている様子が残っている。精神的に苛立っているときは荒々しい筆跡となるし、急いで書いても気持ちが表れる。 思考が三歩進んで二歩戻ったときに、ペンであれば矢印で挿入をしたり括弧で反転させたりすることも珍しくなくて面白い。

電子の日記には完成されたものだけが結果という形で残るが、実は日記の面白味というのは文章があちらこちらに散らばっている点にあり、書かれている内容が意味不明とならない限りは、思考の過程や足跡が分散して絡みあっているからこそ興味深いものなのだ。 せいぜい、私くらいの人間であれば記録に残したいことなどたかが知れており、先人が残してくれた言葉にすでに集積されていると言っても過言ではなく、むしろ言いたいことを十七音程度の簡素な言葉にして書く方がその人らしさが出て面白いしスッキリするはずだ。

遺したいのはこんなありふれたつぶやきであり、すでに確立している格言や評論や小言ではないことは明確だ。つまり、つぶやきとは気持ちの片隅にふわりと浮かんだ感想であるとか、それが泡となって消えていってしまっても何も損をしないし誰も咎めたりしないもの、そして書き留めたところで何も得もしないものである。余韻のようなものを与えてほしいのかもしれない。(平成22年12月4日)

■悔しいなりの苦肉作

いつのころからか自分の死というものを意識するようになった。親戚の葬式に順番に顔を出したり、卒業してから会わなくなっている友人の突然死の知らせを受けたり、多かれ少なかれ死というものと向かい始めている。

老衰なら救えるが、成人病、高血圧、糖尿病、心臓病、脳こうそく、癌、交通事故、自殺など、原因はさまざまな人を見てきた。そこで、見送る方としてはやり切れないものが圧倒的に多い。明日は自分も衝動的に首を吊ることがあるかもしれない、と真剣に考えることがある。

私は人一倍怠け者で、わがまま気ままで、好き勝手に生きてきたし、反社会的なときがあったかもしれない。情熱的に仕事に打ち込んだこともあったが、持ち前の飽き性であることが祟って数年で投げ出してしまい気持ちが継続できないことが多かった。45歳という年齢で大企業を放棄してしまったお馬鹿な奴だから、身近なところからは厳しく非難も受けている。 世間のみなさまよりも15年も早く定年状態に入ってしまって、死んでしまう日々のことを元気なうちから考える暇ができてしまった。それはある意味ではチャンスといえるのかもしれないが、本来なら人間が死ぬ間際になってから、余命の合間に体で感じて考えるべきことであるのに、50歳という年齢であれこれ考え始めるものだから、元気すぎて弊害も多いし、考えにキレを欠くこともある。やはり切羽詰まって考えるのが正しい姿だと思う。

そういいながらもせっかく得られたチャンスとして死を考えるわけであるからある意味では幸運である。確かに生きる意欲を失くしかけている面もあるし、立身出世欲など皆無になっている点を考えればマイナスが遥に多い。 そういって自分を戒めて足掻いてみたところて波が立つだけで、今の私に飛び立つ力はない。有名人ならばその遺言が文学にでもなるところだろうが、私にはそんなものもない。やっぱし悔しいけど、悔しいなりの「遺す言葉」なのだろう。(平成22年12月4日)

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