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2010年10月17日 (日曜日)

車谷長吉 「赤目四十八瀧心中未遂」


車谷長吉 赤目四十八瀧心中未遂


上手に生きてゆけない男が、身体が震え上がるような女性(アヤちゃん)に出会い、名門の出であることを密かにプライドにしながらも表には出さず、どん底の泥の中を歩いてゆく人生を選んでしまっていたのは、他ならぬ自分のせいだったと、およそ認めながら今を生きている。

この作品が私を捉えて放さなかった理由は、この小説の根底を流れている生き様と、そんな寂れた人生がもたらす偏屈な眼差しと、日々の出来事に触発されて狂うようにいきり立つ感情の根源のようなものが、あまりにも私の人生と重なり合ったからだろう。この作者は、私のひとつ前のステージを走っているもうひとりの私ではないのか、とさえ思えてきた。

インテリを棄て名門を棄て、どん底のドロを味わっている。こんなにも、小説に自分が重ね合わさるものかね。こんな失態をやらかした奴はそう多くはない。だが、私はこの小説の節々に共鳴してしまうのだ。

名門を出て約束されていた人生を棄て、否、棄てざるを得なくなり、どん底の生活とドロドロの感情のなかで、生きてゆく。人間関係は、未知に溢れているものの決して複雑ではなく、一度生きることを諦めてしまった者にとったら何も面倒なものでもなかったのだろう。

作者が自分を見つめて書いた小説として、全ての箇所で、何ひとつの無駄も無く、冷静で美的で、かつ激情に包まれるように詩的であったために、最後にアヤちゃんが博多に行ってしまうのではないかという微かでありながら妙に確定的だった予感が、現実に起こるときも、下駄の鼻緒に足が掛からなかったという些細な不運でドラマにしてしまう。しかもそこでオシマイ。

--

人々に突き落とされ、蔑まれ踏みにじられて生きてきた人間だけが持つことができる眼と、青空しか見たことの無いような眼とを、その二つを主人公は持っていて、自省的に綴られる物語の隅々でもその本性をまったく見せずに、純粋な男の心もきちんと残している。

しかし、私に見えてくるのだ。アヤちゃんの美貌も、纏わり着く男たちの容姿も、主人公の純粋さも弱さも、見えてくる。

ドラマはシンプルなんのだけれど、きっと誰もこの作者が書きたかったことはわからない。そんな気がする。だから、アヤちゃんの美しさも、様々な人の狡さも、怖さも、そこに隠れた優しさも、名門からどん底までを彷徨った作者と--作者のように表に飛び出せない阿保な私にしかわからない。

天王寺で泊まって、赤目四十八瀧へと向かい、既に死んでしまった人間のように瀧に沿うてゆく。この僅か一日二日の二人の心は、もう誰にも覗き見ることはできない。

直木賞などという陽の当たるところに置かずに、静かに何処かに密かに飾っておきたいような、哀しい哀しい話だった。

物語のその後がハッピイなのか、実はそうでもなかったのか、わからないままで、悔しいけど、それが人生、それがどん底の生きる道なんだと、私はそんなことを呟いてしまったほど、泣けない小説だった。

匂い袋の放つ甘い香りと臭いアパートの匂いが、物語を思い出すたびに甦ってくる。ピュアな心が漂う。

--

図書館で借りて読み始めるのだが、あまりの素晴らしさに文庫を買うつもりになる。買いに店に走る前に読み終わって新品の文庫が有る。これは家宝となるだろうな。

文章のなかに悲哀を詩的に、さり気なく書ける人は少なくなった。
1歩、間違えれば、泥臭く、誰もが読みたがならないような物語になりかねないのに、間合いがわかっているのか天性なのか。

私に車谷長吉を教えてくれた友だちに感謝の乾杯をしたい。

---

文庫を買いました。
図書館で借りた本は全部読んで返却しますが、もう一度文庫を読もうと思っています。

でも
多くの皆さんにはそれほどオススメしないと思います。
この話に共鳴できる人にだけにオススメしたいが、こればかりは読まねばわかりません。

ひとり静かにじっくりと読んでください。
一文一文を作者が吟味して書いたのが伝わってきます。
それがわからない様では、あきません。

| 2009-08-04 21:29 | 読書系セレクション |


車谷長吉 「赤目四十八瀧心中未遂」 の読後のその後


私は、本の虫、とか、活字中毒という言葉がどうしても好きになれず、コミュニティーのなかでも、意図していい意味あいでは使ってきていません。
しかし、そういうことを少しも読み取ることができないのか、無視しているのかわからないけど、いっこうにコミュニティーに「虫」や「中毒」を自称する人が絶たなかった。

来て欲しくないとまではいうつもりはないのですが、そうでない人が流れを作って欲しかったのです。

(閑話)

近ごろ、コミュに来る人たちは、バイクでも読書でも、設立者という者が気にかからない傾向に有るらしい。参加するときに足跡がないのだ。私は足跡は欲しくないしどうでもいいのだけど、気にかからない人というのはその人物を見ないでコミュに入るのだから、コミュの意思がわからない可能性が有る。

そのコミュが何を目指すのか、理解しないのなら、来ても無意味だと思うが、どうなんでしょうね。承認制にしてまで、フィルターにはかけたくないし、衆議院じゃないけどいったん解散してもいいのではないかと思ってしまうのだ。

(閑話休題)

多読で、年がら年中読書をしている人でも、「虫」や「中毒」でない人はいるのだから、できればそういう風に意識を変えていけばいいのに、と思った。変化を望まないのならそれなりの理由が有るのだろうから訳を聞かせてもらって私も納得したかったのです。

「風が強く吹いている」を読み終えた後、みんな、こういう本が大好きなんだろうなあ、悪くいう人は多分誰一人としていないのだろうな、と思いながらも、こんな本を読んでいると、読書家になって行ってしまうんだろうな、なんて考えた。

兼ねてから早く読みに掛かりたかった車谷長吉「赤目四十八瀧心中未遂」があったのでさっそく読み始めた私は、最初から彼の独特さに迷いながら加速度的に夢中になってしまって、図書館の本を読みきる前に自分の文庫本を買おうと思っているうちに読み終わってしまった。

新品の文庫を買って大事に机上に置いている。
赤ペンで線が引けない。
手垢のない美しい本だからではなく、そこに書かれた物語が、汚れていない本から漲っているように思えるから、なのだ。

赤目四十八瀧心中未遂。
読書部Ⅱのレビューへもいつか貼りたい。
そんな作品だった。

(補足)
この本のタイトルの「心中未遂」という言葉は、非常に哀愁を漂わすので、人を惹きつける魔力が有る。しかし、物語にはそんなものとはまったく無縁の、激しさがあった。それは今にも心臓が止まりそうな呼吸のようなもので、読者はそれを追いながらそれぞれに心で叫ぶのだろう。

| 2009-08-05 12:58 | 読書系セレクション |

赤目四十八瀧心中未遂

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