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2010年10月13日 (水曜日)

向田邦子 男どき女どき

長かったですね。
こんな薄っぺらな本を
何度も読む。
繰り返して読む。

ちょいと戻る。

少し読んで考えてる。

書き写す。
また考える。
少し読み進む。

そんなことの繰返しでしたが。


男どき女どき
向田 邦子

わたしは、今年の年賀に筆で「初心忘るべからず」と書いた。
世阿弥の言葉である。この世阿弥という人がいったいどんな人であったのかはわたしのような門外漢が語ることでもなく、推測するのもおこがましいのだろうが、言葉は頂戴している。

さぞかし、気性の激しい人であったのではなかろうか。それを燻る炭火のようにエネルギーにかえてしまう力も備えていたのかもしれない。

男時、女時。
このことについて世阿弥は語る。

立ち合い能を競う勝負の場における勝負のときには「勢いの波」というものが常についてまわる。つまりそれは、何事にも勝負どきというものがあると言うことを示唆し、このとき、我方に勢いがあると思うときを「男時」、相手方に勢いがあるときを「女時」と呼ぶのだ……という。

人生は、呼吸の如し、である。
息を吐き、息を吸う。

失敗もするし成功もする。
幸運と不運。
明と暗。

向田邦子は、そういう苦楽を肌で感じていたのだろう。わたしの母より2歳年上だから生きていればもうすぐ81歳になるのだが、52歳になる直前で不意に逝ってしまう。今のわたしより1歳若かった。

そんなこともあってか、向田邦子が四十代後半から亡くなる間際までに書いているエッセイはズキンズキンと染み込む。わたしの母の小言のようにわたしを撃墜してくれる。

男どき女どき、というエッセイは「父の詫び状」ほどにも手厳しく来ないものの、この人の感性がよく出ている。

断片的にメモを取りながら読む。原文を走り書きで書き写したのだから、ちょっとあやしいところもある。

「独りを慎む」というのがある。
〈ソーセージを炒めてフライパンの中から食べていました。小鍋で煮た独り分の煮物を鍋のまま食卓に出して小丼にとりわけず箸をつけていました。座る形も行儀が悪くなっている。〉
などというくだりがあったりする。

大勢の読者は、このことそのものをなるほどと感じるのだろう。しかし、わたしはそれだけでは無いような気がする。そんなことは既に自分の中で気づいていたし、実際に戒めてみたりしてきたのだ。向田氏があるときにふとこういうことをペンで書き綴ろうとした瞬間にわたしは感動する。生きている眼がよく似たところを彷徨っている。

「笑いと嗤い」のなかでは
〈同じ人間でも男の笑いと女の笑いは別である。にらめっこがおかしくなくなったとき、男の子はおとなになる。女がヘンな顔を見ても笑わなくなるのは、老婆になったときに、死に目に近いときであろう。箸が転げて笑うのは女である。男はそんなものでは笑わない。女は、身に覚えのあるもの、目に見えるものしかおかしくないのだ。政治や社会現象は目に見えない。抽象画である。女は笑うことが出来ても、嗤うことは出来ない仕組みに身体が出来ているらしい。〉
などとも書いていた。

この理屈も、それが正しいとは言わないし、そうも言えないかもしれない。人間が老けてゆくというのは身体が衰えることと並行して、精神が鈍感になり、一部分が研ぎ澄まされてゆく。そのキレがいぢらしいほどに伝わってくる。

「花底蛇」では
〈花をいけるということは、やさしそうにみえて、とても残酷なことだ。花を切り、捕われびとにして、命を縮め、葬ることなのだから。花器は、花たちの美しいお棺である。花をいけることは、花たちの美しい葬式でもある。この世でこれ以上の美しい葬式はないであろう。〉

人生を様々なものにたとえ、人それぞれが思うように回想する。わたしもそのひとりなのだが、きっとこの人も誰にも言えない厳しい節目を体験したのだろう。そういう人でなければ安易にこんなことは書けない。

「無口な手紙」では
〈昔、人がまだ文字を知らなかったころ、遠くにいる恋人へ気持ちを伝えるのに石を使った、と聞いたことがある。男は、自分の気持ちにピッタリの石を探して旅人にことづける。受け取った女は、目を閉じて掌に石を包み込む。尖った石だと、病気か気持ちがすさんでいるのかと心がふさぎ、丸いスベスベした石だと、息災だな、と安心した。「いしぶみ」というのだそうだが、〉

一番人気が出るもっと前からドラマのファンだった。この人を有名にしたシリーズのドラマは殆ど見なかったが、単発で投げてくるものは欠かさず見た。詩人のような面も持ち合わせるもの、そういう甘さよりも辛辣さのほうを生かしたのが好きだった。

数々の作品を何冊かのエッセー集から甦らせることが出来る。メインのシナリオ作品をもう一度読もうと決心するにはしばらく時間がかかる。その間合いを愉しませてもらうことにしよう。

長くなったが最後に。
わたしが拾い上げたこれらの一文だけを読んでもまったく面白くも無く、なるほどとも思わない。ズキンとも来ないだろう。向田邦子って不思議な力の持ち主だったのだ。

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» ふとしたことから [- Walk Don't Run -]
ふとしたことから、昔に書いた読後感層の「 向田邦子 男どき女どき」を読み返す機会があった。 その中で、いしぶみのことについて書いている。 「無口な手紙」では 〈昔、人がまだ文字を知らなかったころ、遠くにいる恋人へ気持ちを伝えるのに石を使った、と聞いたことがある。男は、自分の気持ちにピッ タリの石を探して旅人にことづける。受け取った女は、目を閉じて掌に石を包み込む。尖った石だと、病気か気持ちがすさんでいるのかと心がふさぎ、丸いスベ スベした石だと、息災だな、と安心した。「いしぶみ」というのだそうだが、... [続きを読む]

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