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2010年9月29日 (水曜日)

読書系 宮本輝セレクション

宮本輝


泥の河(宮本輝)


学生時代のことです。(昔です)
大事な就職の説明会があったにもかかわらず、私は小栗康平の泥の河を、開館と同時に入って見始め、日が暮れるまで4度続けて見た。映画館に入れ替えのない時代だからこんなことができた。
(泣けて泣けて、映画館から出れなかったという説もある)

小説は先に読んだか、映画の後で読んだか、覚えがない。
しかし、この作品では、そんなことはどうだっていい。映画がモノクロであったように、物語もモノクロで淡々と進んでゆく。

東京で学生生活を終えて、関西で社会人となった私は、大阪駅から近いこの小説の舞台を訪ねたことがある。
大阪は水の都です。大きな川が悠々と流れている。もしも自信を失いかけていたとしても、この川の流れを見ていると勇気が湧いてくる。

もう少し上流に行くと、造幣局の桜を見に行く川べりがあり、蕪村が「春風馬堤曲」の舞台にした毛馬があります。大阪は心斎橋だけじゃないんだよ。(住んだこともありませんので、あまり知りませんけど)

泥の河 宮本輝著 
--
「堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。」この景色を見るために大阪まで何度か足を運んだ。大阪駅からそれほど遠くない。ついでに川べりを散策してくると大阪の人々の暮らしが思い浮かびやすいかもしれない。映画を小栗康平はモノクロで撮っている。しかし人の目は明るくきらきらと輝いた。私たちにもこんな心があったに違いない。大阪のこの付近の河は堂々と且つ静かに流れている。

| 2004-10-26 22:56 | 読書系セレクション |


続:「泥の河」(宮本輝)角川文庫


私が宮本輝という作家に出会うのは、泥の河という映画が上映された頃だったでしょうか。何げなしに通りかかった新宿の映画館で、先に映画を観て、後から本を買ったかも知れない。とても大事な就職の説明会があったにも関わらず、朝一番で映画館に入り2回か3回繰り返し観て、説明会には遅れて行った記憶があります。今回のタイトルにあげたのは、その時に読んだ「泥の河」です。しかし私は「蛍川」「道頓堀川」と続けて読んでしばらく彼の作品から遠ざかり、別の人の作品に夢中になってしまってました。

ところが、7、8年前のある夜のことです。出張の仕事を終えて大阪・難波から乗った近鉄特急のなかでの事です。隣席にはひとりの若い女性が座っていました。そして彼女は文庫本を読んでいました。一方で私は、仕事の疲れもあるし、オフになったので缶ビールを飲みながら、いつものようにぼんやりとしていたと思います。

ふとした事で彼女の開けた本の一行を盗み読みしてしまうのですが、そこにひとつの驚きに似た歓びがありました。その一行には、再び読み始めていた「春の夢」と同じような匂いが漂っていたのです。しかも、ぷんぷんと。紛れもなくそれは宮本作品だと私は確信しました。その女性は貪るようにように読み耽っているのを見て嬉しくなります。

そこで「それ、宮本輝ですよね」と声を掛けてしまったわけです。「ええっ…」と戸惑いがあった。30過ぎのほどの男が、情けない軟派をしてるようにも見えるかも知れません。直感的にその小説が宮本輝の作品だと私が思っただけの事件ですけど、私にはなりふりかまわず声をかけても惜しくないほどの感動でした。

堂島川と土佐堀川が合流し安治川と名前をかえる所で物語は始まり、終わります。宮本作品に数々触れるとこの大阪の淀んだ川が幾つもの作品で登場します。人の心の裏の、誰にも見せないし見せてはいけない部分を、ひとつの哲学めいた綴りで投げかけててくれます。

あの近鉄特急の隣席に座っていた子、その子が私を宮本文学のファンにさせてしまったその人です。松阪駅で降りて、階段を上がって彼女は右に、私は左へ。たったひとことだけの会話をした切ない夜のお話でした。

-------------
2000/06/12 の日付でパソコンの中に残っていました。あるミニコミ誌に書いた文です。
| 2004-10-27 18:19 | 読書系セレクション |


道頓堀川(宮本輝)


泥臭いところや、人の心のふれあいを、現代の小説がいう切なさとは全然違う切なさで綴っていますよね。

人物が私自身に肌を擦り合わせてくるようなくらいに、没頭して読んでしまいます。

最後のビリヤードは、泣かせますね。それまでの道頓堀で繰りなされた様々な出来事が、何の言葉も使わずに甦ってくるのがわかります。親父と息子の無言のなかのふれあい。宮本輝は数少ない対話でそれを実現してゆくから泣かせます。

| 2007-06-07 22:20 | 読書系セレクション |


鎧駅のこと (宮本輝、海岸列車)


今はベンチも新しくなっていると聞きました。

私が行ったころも、やはり駅のホームの内側ではなく、海のほうに向いてベンチが並んでいました。そこに腰掛けると入江が満遍なく見渡せました。

歩き回ってみました。汽車は来ませんので線路へも自由に降りて写真を撮ったりしてました。

入江に降りる坂道はコンクリートになっていたと思います。ごく普通の田舎の、山の斜面にある畑の中の道でしたが、思い入れのあるぶんだけ、あらゆるものが特別にみえました。斜面の中ほどで畑を耕すおばちゃんも絵になっていましたからね。

しばらく佇んでいたら、ディーゼルが入ってきましたので、私はそれがトンネルに消えてゆくのを見送って、しばらく余韻を味わってからそこを発ち去ったのを記憶しています。
| 2007-06-05 22:42 | 読書系セレクション |


朝の歓び 宮本輝


紫色の雷光が、夜の海の上で烈しく走りつづけるのを眺めながら、江波良介は、海辺の旅館の窓辺に坐ったまま、ひとりで四十五歳の誕生日を祝ってウィスキーを飲み始めた。小説は能登半島の夜を舞台にこう始まる。40歳を少し越えた時にこの本と出会い、能登は何度も訪ねていたのに本を手に猿山岬を目指して旅に出る。予想通り猿山岬には誰も居らず、バイクを停めあてもなくあたりを歩き回ったのでした。独り占めしてセンチメンタル。

と書いた。

いつもしりとりを書くときに、作品を200字で書くなんて…と思うが、よく考えてみるとなかなか良いシステムですね。補足をすると詰まらなくなる。

でも、少しだけ書くわ。

幸せとは何だろう。そう考えたことは誰でもあるが、それをさらに突き詰めて考えるとなると枝が広がって各人様々になると思う。私にとって非常に身近に思えるストーリで、読み始めるとぐいぐいと引き込まれてしまう。逆の人もあるだろうが、それはまあ人生いろいろあるんだから、共鳴もすればチンプンカンプンもあるだろうけど。

恋愛モノのようで、実はもっと奥が深く、エッチな描写もあるが、話の展開とうまくマッチして、すっかり自分がドラマの中に納まってしまっていくのです。

自虐的でもないのだけど、
自分を不幸に陥れて愛の成就も不完全なまま生きてきて、幸せとはどうあって然るべきなのか、私の心はどんな姿で行き続けるのが幸せなのか・・・ (←ストーリーとは無関係) そんな自省の念を胸に抱いて生きてきたわけでもないけれど、作品には溶け込んでしまいます(どの作品も)

宮本作品は、この程度の長さのものがちょうどいいかな。1,2週間かかって読みますが、テレビも恋人もグルメもスポーツも、みんな忘れて、小説の中に溶け込める作品です。

能登半島に行きたくなります。(そんでもって、行ってしまったわけですけど)

| 2007-03-16 08:28 | 読書系セレクション |


宮本輝著 約束の冬(上・下) 文春文庫


約束・・・・。それは、お互いが信じ合い、心を通じ合い硬く未来に何かを叶えるために誓い合うことであり、また、誓い合う内容である、のだろうか。国語辞典も引かずにそんなことを考えている。
つまりその私の出した答えが、間違っていても、私はそういうものを約束と呼びたいのだ。

学生時代に「約束」という映画があった。斎藤耕一監督の名作だ。岸恵子が若いんです。映画ファンの人なら昔の名作も見てください。おっと脱線だ。

その「約束」という映画で、2年後に刑務所を出られる女性(岸恵子)が

│2年たったら出られるの
│2年たったらあの公園で待ってて
│2年後の今日よ 約束して

と叫ぶ。日本海の冷涼とした海原から冷たい風が吹き付け、雪片が舞い飛んでくる。

約束とは、そういうものなのだ。

宮本輝は人間の姿を書くのがうまい。姿がどのようにあるべきかということを、彼流の言葉で表現しながら、ドラマのさり気ない箇所でそっと置いて去る。それを読んで、おおっと思っている読者を横目で見るように話を展開させてしまう。
しかし、ストーリーの中ではしっかりとテーマを支える「哲学」のような彼の言葉の響きが読者の心を揺する。

私は、見事に揺すられながら酔いしれてゆく。

あとがきで、

│「約束の冬」を書き始める少し前くらいから、私は日本と
│いう国の民度がひどく低下していると感じる幾つかの具体
│的な事例に遭遇することがあった。
│民度の低下とは、言い換えれば「おとなの幼稚化」という
│ことになるかもしれない。

と書いている。言葉にしないで小説の中で表現することは難しいのだろうが、最後にどうしても短く言いたかったのだろうと思う。

そこで私は、「約束の冬」に、このような人が自分の近く
│にいてくれればいいなあと思える人物だけをばらまいて、
│あとは彼たち彼女たちが勝手に何らかのドラマを織りなし
│ていくであろうという目論見で筆を進めた。

新聞小説だし、宮本さんのひとつの特質として、途中で書くのに疲れたのかなと思わせるような感じで話が少しテンポを乱したり、ひと息つくところがあるのだが、それも難なく(読者を篩いにかける如く)クリアして、まあ予想通りの終章となってゆく。

「いい顔をしている」と誰かに言わせてみる箇所もある。人間は顔をそむけては生きてはゆけないのだ。だから、いい顔でありたいと願う心があってよい。

小説はひとつの夢の実現だと思う。だから、読む人がこの物語を読んで綺麗になり、勇気を持ち、夢を抱けるのが良い。
彼はそれを作家として裏切ることなく叶えてくれるからファンが絶えないのだろう。

この小説を読んで葉巻に興味を持たれるかたも多いようだが、古典文学に惹かれてゆく人はいないのだろうか。

私は彼の魔術にかかったように、無性に上古・中世に惹かれてゆくのだ。

│そうですわね。平家物語、徒然草、西行、奥の細道、山頭火…
翠英という女性にそう話させている。

私のカラダがピクピクする。(苦笑)

| 2006-06-17 10:21 | 読書系セレクション |


宮本輝著 胸の香り


そもそも、この短編集に手を伸ばしたキッカケは、リンクを貼ってくれてるみほこさんがブックレビューを書いていたからでした。

短編集ということで少しばかりの戸惑いとためらいを私は持っていました。短いゆえのインパクトの薄さをどうしてか好きになれなず、重松清の短編を読んだときに少し先入観を変更しつつあったものの、どっしりと重たい宮本輝の作品ばかりを読んでいた私は、宮本さんが書く短編とはどんなものなのかが想像できなかった。

そういうわけで、怖いものを触るように…という感じで、みほこさんのオススメの胸の香りを読み始めたのでした。

しかし、何も心配することはなかった。宮本輝は私を裏切ることなく、むしろ細かいところまで行き届くように気を使って作品は書かれています。一字一句に作品への想いが感じられる。
短い作品には、小説が小説としてある続けるために持っている、ささやかな感動があったのでした。

| 2006-05-23 12:55 | 読書系セレクション |


天の夜曲--「流転の海」シリーズ第4部(宮本輝)


遂に出ました。天の夜曲。

早速、今日、本屋に行って買ってきます。
大事に読もう。

流転の海シリーズの第4部です。第1部の「流転の海」は15年前に映画化されてますが、★絶対に見ないでください!!

宮本輝さんの母校の追門学院大学内に「宮本輝記念館」ができるそうですなあ。テルニストは感涙ですね。

第一部:流転の海
第二部:地の星
第三部:血脈の火
第四部:天の夜曲
第五部:未
第六部:未

どんな本ですか、って?
勇気が湧いてくるんですよ。
第二部「地の星」を読んで四国まで行きました・・・勇気を見つけに。
| 2005-04-03 09:49 | 読書系セレクション |


天の夜曲 宮本 輝


さて、先日読み終わった「天の夜曲」。ハラハラドキドキの連続ですが、大きな波がまだまだ続きますね。ドラマやなー。史実なんだろうか・・・・

宮本文学らしく、大きな波の中に乗せられて、ドラマが展開してゆく。
数々の場面が適確に読み手に伝わって、気持ちを揺さぶってくれます。

読後は、いつものように、心に勇気が湧いてくる。

裏表紙のページメモを参考に、一部を書き出してみました。
----
自分はこうしたいと思うても、そうはことが運ばんことがある。ジグザグの道をぎょうさん歩いた人間のほうが、そうでない人間よりも、いざというとき強うなれる。(p20)

自分の人生にに、目指すべき大きな目的を持っていない人間の自尊心を傷つけてはならないのだ。釈迦が、堤婆達多を人前で恥をかかせ、とりわけ強固な自尊心をあえて傷つけたのは、大目的に向かうために、堤婆達多という人間を鍛えなければならなかったからだ。(p60)

いま俺は、自分の生命力が衰えていると感じる。気力でもない、体力でもない。生命力なのだ。(p556)

土佐堀川で、燃える近江丸の炎が照らしだした伸仁をみつけたときの、全身が震えて粟立ったあとに襲ってきた、あの思いのなかに自分は戻らなければならぬ。
「自分の自尊心よりも大切なものを持って生きにゃあいけん」とは、この俺に向かって言う言葉なのだ・・・・・。(p565)

| 2005-06-16 15:37 | 読書系セレクション |


宮本輝著 森のなかの海


或るトラックバックから(一部略)

新しいジャンルへと踏み込む。これって、後で考えるとすごい幸運な巡り会い。
恋人に出会ったような感動ですよね。(わたしは20年前です(照))

さて、わたしは宮本輝さんの大ファン。
タカコさんていう後輩と、「春の夢」の話をしてからハマってます。
ここまでハマるには、月日もかかったし、旅もしました。

再生のドラマを書く人と言われています。
ストーリーテラーとも言われています。
でも、私にはそんなことを言ってもらってる宮本さんはそれほど好きじゃないのですが。

やっぱし、読み終わると勇気が湧いてくるんだなー。ひとことで言えば。
| 2004-12-06 22:38 | 読書系セレクション |


森のなかの海(上)(下) 光文社文庫 宮本輝


久し振りに宮本輝さんを読みました。(22号台風の夜に読了でした)
阪神大震災の朝から物語が始まります。震災の話だけが事実で、あとは、まさに宮本流のストーリーで展開します。物語を作り上げることにおいてはこれほどの人は他にいないと思う。

最初が少し現実っぽくなったので嫌だったけど、後半は大きな流れの中に、ドラマを作るポイントが確実に散りばめられて、当然の如く、輝哲学のような言葉が各所に登場する。非常にバランスよく出来上がった作品でした。その他の作品は、後半にやや息切れを感じるモノが多いだけに、予測が外れてプラスに転化しました。

新聞広告で見つけておいて、お店に行くのを決めたら、行って即購入しました。文庫のイラストも気に入りました。ただ、残念なのは、イラストを含めて本の表紙をスキャナで写しこの会議室で皆さんにお見せしたいので、輝さんにその旨をメールして許可をお願いしているのですが、残念ながら半月ほどしても音沙汰がありません。少しイメージダウン。ダメならダメ、良しなら良しと回答して欲しいな。

宮本輝さんは女性の主人公を書くのが上手です。私はその女性に随分と惹かれていきます。生き方であるとか、モノの考え方なども。他の作品の例では、「月光の東」という作品も、ひとりの凛冽な女性を主人公にして、スケールの大きいドラマを作り上げています。少しミステリアスに。

森の中の海では、主人公やその周辺の人々がほとんど女性で、その彼女たちの生き方や考え方が、私たちの実社会での些細なことを絡ませてちょっとした主張をしている。そしてそれは私たちの生きる姿であり、私たちの理想であり、夢の社会でもあり、哲学(ポリシー)でもある。

物語は当然のことながら架空のことでありますが、自分のアタマのなかにある喜怒哀楽が反応してしまう。だから、自分でも不思議なくらいのめり込んで行ってしまうのでしょう。
宮本輝さんは再生のストーリーを書くのがうまい、と言われますが、月光の東----これは賛否凹凸が大きいでしょうが----や森の中の海を読むと、「再生」とは何かがよくわかる。

読後・・・・、
信念を持つ自分に勇気が湧いてくるのがわかる。
森とは何か、海とは何か。考え続けています。

-------
宮本輝…何から読もうかな、という人には・・・・
短編なら「錦繍」、中くらいなら「道頓堀川」、長編なら「海岸列車」、のめり込むマニアになるなら「流転の海」----1部から3部まで文庫化されてます。2部は「地の星」3部は「血脈の火」----をお薦めします。

| 2004-10-17 20:58 | 読書系セレクション |


宮本輝全短篇 (上下) のその後、読書部Ⅱから


詩集です  から、ここへ

読書部Ⅱへのメッセージから

この作品は、まさに、詩集といってよい。
(必ず頷いてくれている人が居ると確信してます)

私は日記にも挙げましたし、そこでコメントを戴いた方にもそのようにおこたえしました。

手にとって、ずっしりと重く、

通勤列車に揺られながら、
景色を見たり、
書面に眼をやったりしながら、
大事に大事に読んでいます。

どの作品を読んでも、彼の作品は彼が詩人であることを匂わせますが、心身ともに充実してなければ、なかなか、このような作品を吐き出せるものではない。

そういうふうに考えると、そのことは、彼にたったこれだけしか短篇がないということの理由になるのかもしれないですね。

宮本輝短篇宮本輝短篇

| 2009-08-12 11:11 | 読書系セレクション |


詩集です


宮本輝全短篇 (上下)

コメントをくれた方々にしたお返事から

短編集は、小説集ではないですね。

詩集ですね。
まさに。
| 2009-08-09 16:37 | 読書系セレクション |


宮本輝全短篇 (上下)


実のところを白状すると
図書館で借りてきたのです。

欲しいわ。

美味しいお肉とか
カッコいい服とか
素敵な指輪とか

そんなものはいらんから
この本が欲しい。

上下で5千円なんですよね。

本屋さんにしばらく預けておこうと思っています。

宮本輝全短篇 上
宮本 輝
集英社
\2,625

文庫本になっている作品は読み終わっているが、
今ここで、
読み終わっていることはまったくどうでもいいことで、
すべての作品をパラパラと見ながら、
この人がどんなことを思いながらこの作品を創作していったのだろうかと想像してみたり、
美的結集である書き出しを声に出して読んでみたりしながら、
どっしりと重いこの本を左手で包み込むようにだかえて
そっとページをめくってゆく。

本の放つ安らぎと活字の齎す味わいを愉しませてくれる本だと思う。

----

宮本輝全短篇 下
宮本 輝
集英社
\2,625

感想を上巻に書いて、下巻を放り出しておくのがいやだった。

作家生活30年を記念して作ったというだけあって、素晴らしい本です。

読むために買うのではない。

(だって買う人の殆んどは、既に出版された作品であれば読み終わっているだろうし)

手に暖める。
| 2009-08-07 10:19 | 読書系セレクション |


宮本輝 花の回廊―流転の海第五部


花の回廊―流転の海第五部
2007
新潮社
宮本 輝

昭和32年という年は、非常に私たちの歴史の上でも意味の深いひとつの節目でもあったのだ。その時代を舞台にし、人々が貧しさのどん底に暮らしていたことを背景にしながら、宮本輝は壮絶なドラマを第五部としてくれた。

人間は何のために生まれてきたのか。如何に生きてゆかねばならないのか。社会の中でどんな責務を果たし、人のためにそして自分のために、生きねばならないのか。

それは、「ねばならない」というような強制的な色合いの物ではなかった時代であるにもかかわらず、個人が必死で生きていればある意味で美しく潔かった時代だった。悪は悪で存在したものの、良い社会を無意識で目指す人々がお互いに人間として認め合っていたと言うべきなのかもしれない。人と人との温かみ、これでもかというほどの貧しさ、それらがあったからこそ5年後10年後の輝かしい未来を夢見て生きていた。

そういう重苦しい時代背景のなかに、「泥の河」や「道頓堀川」に登場する人間臭い町の風景があり、他の小説でもチラチラと顔を出していた人々の行為や発言、縺れたような人間関係が存在して、ああ、やはりここが原点なんだなと感じる。

人間そのものを書いてもよし。人間関係を描いてもよし。人の弱さと強さ、暗さと明るさを描いてもよし。

なかなか文庫が出ないので図書館で借りてきました。文庫でも買いますが、待てなかった。しばらく宮本輝を読まないと、無性に読みたくなる。そいうときに流転の海シリーズを手にすると、あきませんね。

最近、文章に気障が薄れたかなって感じますけど。

---

もう2年ほど前に第五部まで来てたんですが、文庫が出ないのでまってました。
我慢できずに図書館で借りました。

既に第六部も始まっています。
| 2009-06-12 19:00 | 読書系セレクション |


宮本輝 錦繍


手紙形式(往復書簡)で物語は進んでゆく。その風景は、宮本輝がデビューのころに書いた大阪から段々と広がり京都の街まで移って来る。私が永年住んでいた右京区、嵯峨、嵯峨野、嵐山、太秦などが目に浮かぶ。地名こそそれほど出て来ないものの物語を読み進むにしたがってそこへと帰ってゆきたくなる。今度、実家に行ったら散策してみよう…と思いながら読んでゆく。

「前略 蔵王のダリア園からドッコ沼へ登るゴンドラリフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした」という冒頭は、数多くの読者を魅了し、当然私も例外なく惹き付けられてしまった。頭に焼き付いて暗誦できる人が、そこにもあそこにもってな具合だろう。

ああ、燃えるような恋がしたいね。そんな風に読後、呟いてしまうのだが、単に恋を綴った物語ではない。二十歳のころに読めば、二十歳の若者らしく純粋に人生を捉え、幾つかの苦難や悲哀を味わった人が四十歳を過ぎてから読めば、自分の人生を振り返りもって胸に手を当てて読めるのである。

往復書簡の形式に違和感を感じる人もあるようだが、宮本輝以前にもたくさんの人がこのような手法を使っている。読む人の心の中に、優しく届けられ、敷居も無く素直に落ち着いて読み続けることができる。
作品が短いこともあって、だから、夜が明けるまで一気に読んでしまったという人も多い。私もその1人だ。「決して平日には読まないでください」(笑)と言いながら薦めて差し上げるようにしている。

「春の夢」で哲之が「夢を見ていたときの自分と、目を醒ましたときの自分と、どこがどう違うというのだろう」と母の傍らで朦朧と考えている場面があった。宮本輝の頭脳のなかには、「泥の河」「蛍川」「道頓堀川」「幻の光」などのなかでも悉くこのテーマを物語のなかに滲ませて、その後の現在に至っても遠大なる提起として堂々と小説の骨にしている。

「生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれない」
この誰にも結論付けることができず、将又、どのように解釈してもそこに正解も不正解も無いテーマ。錦繍が名作と語り継がれる大きな理由は、その哲学的な疑問を、誰にも心の片隅に持ち続けていて誰にも打ち明けたりしないような心の襞のようなものと一緒に、この短い小説の中で彼らしい波動に載せて綴ってゆくところにあろうか。

小説が放つその揺れに同期しながら引き込まれてゆく多くのファンは、最後の一節を読み終わってもその酔いから解放されること無く、ぼんやりとその本を見つめ続けるのだ。

(2005年12月31日に書いたレビューがあったのですが改訂・加筆しました。)

------
この厚みの小説で
誰にも邪魔されずに
どっぷりと浸りながら 読むなら、
錦繍(宮本輝)
わたしが・棄てた・女(遠藤周作)

年末は、細雪(谷崎潤一郎)です、ってすでに書いたっけ。(老化か)
| 2008-12-21 10:10 | 読書系セレクション |


宮本輝 蛍川


この人の作品が持つ波長のようなものが、私の感情を左右する波長と、不規則でありながらも非常に高度な確率で一致するからだろうと思う。どの小説を取っても、その波の動きに上手く乗って、私は物語のなかへと入ってゆくことができる。

波と波。それが全く重なるということは万に一度の確率ほどをみてもありえることではなく、せいぜい波のピークがそちらのピークに近づく…という程度のもので、言わばその引力の及ぼし合う力に任せて私はふわーっと小説のなかで呼吸している。

物語は大きく息を吸い込むように、彼が丹精を込めて綴ってゆくひとつの情景が、その展開する速度を緩める。人々の動きが止まり、景色は変化せず、心だけが急展開をする。大きく吸った息は、大きなため息となって放出されるとき、再び私はその、今度は流れるような波に乗るかのように激しく動く心の揺れを愉しむ。

太陽が沈む。雨が降る。人が去ってゆく。誰かが何かを話す。日常のごく自然の場面を、大きく息をしながら眺めて、真正面より少しずらした視線で、幸福よりも遥かに不幸に近い高さで、生きるということよりも生かされている人間の立場になって見つめている。

すると、きっと今まで目の前には表れてこなかった無数の、幸せを誘なってくれる虫のようなものが、目の前に見えてきたのではないだろうか。実は、それがこの物語のなかで主題となる蛍の化身ではなかったのだろうか。

いつか幸せになってやろう。自分はもう散々不幸のどん底をさまよったではないか。一度だって美しくキラキラと輝いたことがなかった日本海を背に、厳冬の北風に凍えて暮らしたときがあったのだ…、と回想しながら拳をきつく握っている作者の姿が見えるような作品だった。

昭和55年2月29日初版。宮本輝は33歳。私は泥の河を読むためにこの文庫を買ったのでした。10歳離れているのですが、暗くて貧しくて辛くて、でも必死で人々が生きてこれた時代背景を判る人だけが共有できる物語なのかもしれない。そうと思うと、私は少し置き去りにされかけ…なんだな。悔しい。

文庫のタイトルは、泥の河「蛍川」収録 となっています。
| 2008-12-14 16:58 | 読書系セレクション |


宮本輝 幻の光


この小説に出てくる曽々木や輪島市内、さらに輪島から西へ猿山岬へと旅をしたことがる。夏のことであったので、小説「幻の光」の背景に映る哀しみを帯びて冷涼とした感を、そのときには抱かずに寂れた村落を走った。

日本海沿いの貧しい集落には夏でも間垣が所々残っていて、冬の風の寒さは想像できた。誰も歩いていない漁村のどの場所に停止して日本海を眺めても、明るさや歓喜に満ちるようなものはない。

宮本輝は、静かに自分の昔のあるときを思い出すと、そこには能登半島や富山の海があるのだろう。きっとそうに違いない。朝の歓びでは猿山岬を訪ねるが、アクティブにあの黒い海に対面しに行ったとしても、そこにあるものは、太平洋では決して見ることができない荒々しく冷たい海の姿だ。

雷鳥を降りてからもローカル列車に乗り換えしばらく揺られてやって来る小さな街は、都会からとてつもないところにある。そんな街へ子どもをひとり連れて降り立つ女の気持ちを、簡単に理解してやることなど、誰でもができるわけが無い。もしも、できるという人がいたならば、軽はずみでいい加減な質の低い人だろう。

作者は、そんな誰にも理解してもらえない寂れた土地へ主人公を追いやり、自分自身に語らせるのである。

そこには映像では決して実現できない、宮本輝が吟味に吟味を重ねて綴った物語がある。誰にも真似が出来ない筆致は、もしかしたら宮本輝自身でももはや再現が出来ないかもしれない。何故ならこの作品を書いた31歳という時代は、遥か昔になってしまっているから。

この小説は冬の寒いときに、厳しい寒さにじっと堪えている能登半島を描きながら読むのがいい。吹きすさぶ北風に積雪もままならない。世の中に存在する様々な人生の悲哀を思い浮かべることのできる人でなければ、この小説が問いかける先を理解できないのかもしれない。

「お母ちゃんのお尻に、そばかすあるかァ」という主人公の言葉には泣かされる。

海は、夏より冬の方がキラキラとよく光る。太陽の入射角の加減と思うが、しかし、日本海に、光ることができるようなひとときがあるのだろうか。

作者は誰かにその「光る海」を見せてあげたいのかもしれない、そんなことをふと思った。

--
(後日、追記)

この作品の最後で

「人間の精を抜いていく病気があるんやと、あれ以来わたしは考えるようになった。体力とか精神力とか、そんなうわべのものやない、もっと奥にある大事な精を奪っていく病気を、人間は自分の中に飼うてるのやないやろか。」

「そんな病気にかかった人間の心には、この曽々木の海の、一瞬のさざ波は、たとえようもない美しいものに映るかも知れへん」

と言っているんです。

その後、数々の宮元作品の中を脈々と流れるひとつのモノが、ここにすでに形を持ち始めていたのですね。

| 2008-12-11 17:30 | 読書系セレクション |


宮本輝;道頓堀川


坂口安吾のときにも、今、話題になっている三島由紀夫の潮騒であっても、半世紀前の人々の暮らしは貧しかった。その貧しさを名目とし純粋を通し、あるときは悪さもする。大阪の町の中に必死で生きている人間の心を、現実を拠り所にしてドラマにしている。人が人にまみれて生きてゆけば、信用した人を騙すこともあるし、恋もする。熱い恋は深い愛になり道頓堀川を舞台に生きている激しさを切々と綴っている。若い人に読んで欲しい。

そんな200字感想を書いたことがある。

泥臭いところや人の心のふれあいを、現代の小説がいう切なさとはまったく違う切なさで、綴っている。だから、人物が私自身に、肌を擦り合わせてくるようなくらいに、没頭して読んでしまう。

最後のビリヤードは、泣かせてくれる。それまでの道頓堀で繰りなされた様々な出来事が、何の言葉も使わずに甦ってくるのがわかる。親父と息子の無言のなかのふれあい。宮本輝は数少ない対話でそれを実現してゆくから泣かせる。

「痺れる」作品だ。

---

気持ちが落ち着いて、この物語の持つ哀しさと激しさと優しさを、十分に受け入れる準備ができると、もう一度この本を読んでいる。

読後には宮本文学らしい爽快感が待っている。しかし、それを期待して読む訳ではない。何も望まない。ただただ、作品に浸りたい。この時代の大阪にタイムスリップして、この人たちと共有の時間を送りたい。そんな感じか。

宮本輝のこのころの作品は純文学だ。何度読んでもそう思う。文章もよく考えて書かれているし、話の流れもしっかりしている。話に無駄がひとつもない。何よりも全てが若々しい。

---

「辛い悲しいことが起こっても、いっこうにへこたれんと生きていけることが、しあわせやと思いますねェ」

話の終盤で武内にそう言わせた作者の一面に触れることができる素晴らしい物語だった。

---

「あの戦後のことは、私にとったら昔のことやあらへん。何て言うたらええんやろ。いっつも私の前にあるねん」

「・・・・前?」

「うん、そうやねん。私の前方にあるねん。想い出と違うて、未来みたいなもんや。そんな気がすることが、ときどきあるねんなァ」

---

これはユキとの会話だ。
魅力的な人ばかりが登場する。

※2004年頃からバラバラに書いていた感想があったので、ひとまとめにして再編しました。
| 2008-11-29 07:45 | 読書系セレクション |


宮本輝;春の夢  (読後)


この作品は、初読して、その後に宮本輝の主要作品を読んでからもう一度読むと、一層、持ち味を受け入れることができます。そういうことを書きたかったけど、書けなかったもんね。
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春の夢 (文春文庫)
宮本 輝
文藝春秋
\540
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宮本輝の作品は「泥の河」の他に幾つかを読んでいたがそれほど夢中になったわけではなく、追手門学院出身だった後輩の薦めで「春の夢」を読み始めた。

こんな他愛無い切っ掛けが出会いで、後に殆どを読んでしまうのだから、この小説は不思議な力を秘めた作品だったのだろう。

爽やかで逞しく生きてゆく二人の心の動きを上手に表現しながら、人間というもの心の奥に潜んでいる何者にも背けない真理のようなものを考えつづけ、宮本輝は遠大なるテーマをこの作品の中でも見せてくれる。

決して青春文学などと言ってしまってオシマイにはできない作品だ。(そういう意味でも「青が散る」とは全く異質で、作品としての出来栄えにも大差がある)

初読で感動した読者も多い中、何度も読み返す人が多い作品としても「春の夢」がリストアップされるのは、そういう無意識の引力が物語のなかに隠されているということなのかもしれない。

哲之が、「夢を見ていたときの自分と、目を醒ましたときの自分と、どこがどう違うというのだろう」と母の傍らで朦朧と考えていることに驚き、再読した人には、きっと「生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれない」(錦繍)という一節が蘇えったはずだ。

沢村千代乃の死の場面では、月光の東で「きっと人間は、自分のなかに淀んでいるものをさらけだしてしまわないと、他人の言葉を受け容れることができないのであろう」と表現した深い流れを感じ取った。

にぎやかな天地では、「死というものは、生のひとつの形なのだ」と書き始めた。うーん、と唸るしかない。

この作品を発表した後、文庫にすれば上下巻に及ぶような作品も発表している。しかし、彼の作品の中でテーマがほどよく熟成するのはこのくらい短いものが適度かなと思うものの、どっぷりと酔いしれてしまうには上下巻に及ぶほどの長い話のほうが酔いつぶれてしまえて満足なのか。

そんなことを思いながら読み終わった本を閉じ、表紙を二三回さすって、赤茶色に日焼けした本をじっと見つめてしまった。
| 2008-09-07 15:05 | 読書系セレクション |


宮本輝;春の夢 (途中)


春の夢。 再読中。途中です。
大事に読んでいるので進みません。
(ペンを手に戻ってばっかし)

輝さんの「春の夢」を読んでいると、「青が散る」は駄作だと思うけど、「春の夢」は違うなって感じるのよ。
(「青が散る」のファンの人、ごめんね)

悲しくも悔しくもないのに、読む手を止めて、じっと外を見るでもなく車窓のほうを向いていたりしてね。泣いている訳でもないのだが…

まだ、読み終わってないけど 、35歳くらいのときに初めて読んだんだろうと思うんですが、 あれからまだ15年程しか過ぎてないのか。そうか。

もう10歳から15歳くらい若く、二十歳ころに読んでおくのもいいな。

人生の節目に何度も何度も読み返す。
そういう価値ある作品のような気がする。
| 2008-09-06 08:59 | 読書系セレクション |


花の降る午後(宮本輝)


花の降る午後。

新刊のときに買って、宮本輝にしては珍しく艶っぽいシーンもあったので、とてもいい作品ではあるものの・・・と言葉を濁すような読後感想しか残していなかったのだが、その理由も明確にしないままだったことが少し気がかりだったので、もう一度、それなりの年齢になったので読み返すことにしたいと思っていた。

司馬遼太郎の坂の上の雲を第4巻まで読み終えたのを機会に、次の並行読書本はこれに決心して、16日の朝、京都行きの電車に乗るときにカバンにぽんと放り込んだ。

いまから1週間ほど、通勤の電車の中で、行きは司馬さん、帰りは宮本さんと言うような感じで楽しむことになります。

少し始まりを読んでいますが、結構、覚えているものです。嬉しくなってくる。宮本輝にしか書けない文章だ。嬉しい。

---

人間には二種類ある。辛くて寂しくて哀しいことは、いつまでもつづかない。必ず終わるときが来る。その終わったときに、弱くなるか強くなるかの二種類だよ。(p23)

黄色いマーカーで線がひいてあるんだが、その色が随分と褪せている。
私は深い訳があってこの部分に線を引いたのだろう。
いま、そのときの心理をすべて思い出すことはできないけれど、読み進むことで必ず蘇るだろう。いい作品には、そんな力があるね。
| 2008-08-17 09:48 | 読書系セレクション |


花の降る午後 宮本輝 (その2)


10年以上前に新刊(講談社1995)で買って一度読んだきりで本棚に仕舞ったものを取り出して読んでみた。あのころの私は、不惑の年齢を控えていた。

「人間には二種類ある。辛くて寂しくて哀しいことは、いつまでもつづかない。必ず終わるときが来る。その終わったときに、弱くなるか強くなるかの二種類だよ。」(p23) 
という箇所に呼び込まれるようにしてのめりこみ、ドラマの展開の中で幸福とは何かと考え続け
「しがらみを捨てるってことは、煎じ詰めれば、人生からおりるってことになるのよ。人生からおりた人間の未来に花が咲いたためしはない」(p468)
に頷いたりしながら、自分の人生というものを悩んでいたのだった。

宮本輝の魅力は、登場人物の心の変化を叙情的に綴ってくれる点にあり、どうしてこんなに女性の心理がわかるのだろうかというだけではなく、読み手を上手に魔術にかけてしまい、その魔術にかかった状態の読者をコテンと痺れさせてしまうのだ。

だが、この作品の濃厚シーンが多いところは好きになれなくて、物語のバランスとしても、宮本輝の腕にかかればそんな箇所はサラリと流してしまって、宮本節をたくさん散りばめてもよかっただろうに…と思う点もあるもの、まあ、作家には作家の構想というのがあるだろうし、そのときに作品と向かい合っていた自分の様々な心理や思惑もあったのでしょう。

ドラマの中で、人間関係を修飾するために作られた数々の設定にはあまり面白さを感じれず、このまま終わったらB級作品になってしまうと心配までしたのだが、そこはきちんと、大阪駅のプラットホームのシーンなども入れて持ち直してくれたので、星をひとつ増とします。

「登場する人物が、みな幸福」になってくれるように途中から変更したとあとがきで書いている。やはり、それはある意味では正解で、この人の作品には大きな事件であるとか、どんでん返しなどは不要で、ただひたすらに彼の筆致がもたらしてくれるさざなみのような波長で綴られた物語に私たちは共感して感動するのがいいと思う。

---

講談社文庫の装丁の美しい絵は大好きです。ドラマの舞台がこんな坂道の上ってのは深い意味があるんでしょうかね。脳裏に自由に主人公や登場人物を描いて、その人なりに愉しみ味わうのがいい作品でしょう。映像にした履歴もあるようですが、それは封印です。
| 2008-08-20 17:58 | 読書系セレクション |


宮本輝 海岸列車


(小説の始まりの章で)

駅から入江への急な斜面には、かつてサバ漁で賑わった鎧港の名残として、錆びて風化した鉄のレール敷きだけが一直線に下りている。陸あげしたしたサバを列車に積み込むためのケーブルの残骸であった。その横に、村へと下りていく折れ曲がった錆色の道がある。列車の車輪とレールとが撒きちらす鉄粉によって色を染めた道は、ほんの数十メートルで、黒ずんだコンクリートに変わるのだが、かおりは、その道の錆色の部分しか歩いたことはない。 (Page25)

と書いています。

幼い日に母に捨てられた兄と妹は、それぞれ、自分の深い想いを持って海岸列車に乗り鎧駅を訪ねます。

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宮本輝は物語を作り上げるのが上手い人ですが、その地盤には彼が強いポリシーとその主張を正々堂々と作品の中で読者にぶつけてくるという、宮本哲学のようなものがあるから感動するのだと思う。

そしてその手法は様々であるのだが、読者はその作品を読みながら個人が持つ哀しみや弱みなどと照らし合わせ、また自分の迷いや気力に似たものをシンクロさせながら、吸い込まれて行ってしまう。

人生に悩んでいた人がいたならば、その人に勇気と活力を与え、その拠りどころのヒントを差し出してくれる。

海岸列車では、冒頭のシーンでインパクトを与えて、登場人物たちがそれぞれの視点でドラマを織り成してゆく。

物語の原点は鎧駅から始まっているので、私たち読者はその地を何度でも訪ねて行ってしまう。

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小説に出てくる向こう側のホームのベンチも、またそれが海側を向いて置かれていることも、そこから見下ろす港に倉庫らしい建物が見えることも、私にとっては期待通りでありまた新鮮で嬉しい。

ひとりごとをぶつぶつ言いながら私は周辺を歩き回っている。そしてぼんやりと海を眺めては、時々、シャッターを切る。畑で仕事をしているおばあちゃんにはそんな姿が変に映ったかも知れない。それでも私は、向こうのホームに行ったりこっちに来たりを繰り返していた。

時刻は8時20分頃で、下りの列車が来てホームに止まった後、二、三分で上りの列車が入ってきた。降りる人も乗る人もいない。列車の中の人影は疎らで、行き交う列車を遠巻に私は眺めていた。やがて重そうな車両を動かすためにディーゼルエンジンの音を山に反射させて列車は動きだした。黒い煙の匂いが私の所まで届いて、その後、列車はまたトンネルに消えて行った。 
(日記から)

----

もしかしたら人生を歩んでいくのに疲れていたのかもしれない。ひとりで旅に出て、駅のホームから小説の舞台となる海を見下ろし、勇気が満ちてくるのを私は感じたのだろう。

「まっとうに生きる」という言葉を輝さんは小説の中で使います。ずっしりと響いてきます。

生きる「拠りどころ」と「勇気」をこの作品から得てきた人は数限りなくあることでしょう。
自分の弱さを感じたら、ここに戻ってくればいい。
| 2008-08-11 17:03 | 読書系セレクション |


宮本輝 にぎやかな天地(上) おぼえがき


にぎやかな天地(上) 宮本輝 を読み終わったところで、おぼえがき。
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「そやけど、そうやって必死で自分のなかから引きずり出した勇気っていうのは、その人が求めてなかった別のものも一緒につれて来るそうやねん」と涼子は言った。(232p)

にぎやかな天地(上)を読み終わった。この部分がいいなあ。いつものようにさり気なく、人物に語らせている。

「その人のなかに眠っていた思いも寄らん凄い知恵」
「この世のなかのいろんなことを大きく思いやる心」

宮本輝が物語を、どんな思いの中で思考しながら作り上げていったのかは、ご本人にお聞きするしかないのだが、読み手はその連鎖反応で幾つもの情景を連想しながら物語に没頭してゆく。

私の心を大きく揺さぶりながら、小説と、自分の人生の軌跡とを重ね合わせるように本のなかに私は埋没してゆくのでした。

--

図書館で借りる人についても書いていた。
「学生であるとか、経済的に苦しい状態にある人だけではなく、本というものに金を使いたくないという理由でそうする人が多くなっている」

「図書館の概念は、書店でみつけることの難しい専門書や全集や、いまや絶版となった名著を市民が読めるようにするところであり、好きな本を自由に手にできない青少年たちに優れた書物と出逢えるようにするところ」(348-349p)

と書いている。(そう考えている主人公を築き上げている)

そんな箇所に、大きく頷かされながら読み進む。このあたりから、いよいよ宮本輝らしくなってきたなあ。
でも、昔の作品と比べると人生を振り返るような気持ちのところも多いなあと感じながら…。

「死ぬ前の、いったい何年間が満たされたら、人間は幸福やろって考えたんや。人生の何たるかを知り、必要なだけの金があり、生きとることが楽しくて仕方がなくて、自分と縁のある人たちも、いろいろと悩みはかかえとるが、まあなんとか息災にやっとる。ああ人間に生まれてきてよかった。頑張って生きてきてよかったと・・・・・。そういう時間を、人は人生の最後に何年間くらい持てたらええのかなァと考え」(362p)ている。

そこには、宮本輝さんが、流転の海シリーズでも登場させている松坂熊吾という父親のことを脳裏にはっきりと描いていることが分かる。大きな畏敬の念があってこそ出来上がってくる作品である。

道頓堀川や春の夢などに背景になったであろう人生前半のあの頃のこととそういう時代の人たちが現在の作品の基盤になっているのだ。そんなの当然だといえるのだが、ただ売れればいいという小説ではなく、この人が揺るぎなく小説に架ける情熱のようなものを、私は肌で感じながら読んでいる。
| 2008-05-14 09:01 | 読書系セレクション |


宮本輝 にぎやかな天地(下)


上巻で、勇気を生み出すものは自分自身の決意だといった。

そして、その決意は、生半可なものではなく、「勢いのあるときは、がんがん行きなはれ」(下・129p)というような言葉で背中を押しているように、若さ溢れるモノであって欲しい。

*

ヒトは、自分ひとりで生きているわけでもない。銭や金を追求して、まして損得だけを求めてこの世に存在をしているわけではないし、そうあってもいけない。

お互いを慈しみあいながら、授かった命を天からのものだと思い、一生懸命にまっとうに生きていかねばならない。

宮本輝は、この「まっとう」にという言葉を、大事なところですかさず使ってくれる。

熊吾から戴いた命を守りながら、ここまでやって来るまでに自分の人生に多くの影響を与えてきた人々や環境、暮らした町のあらゆるもののお蔭で、こうして暮らしているという敬虔な気持ちが根底を流れているのだろう。

生きることと死んでいること、運命ということを、なおも考えつづける。

*

上巻で少しざわめき始めた主人公の身の回りが、さらに賑やかになってくる。
なるほど、これが「にぎやか」と宮本輝が最初に構想していた人々(登場人物たち)の生業だったのだ。

にぎやかなヒトの上昇気流を「命の振動」と同期させ(259p)、「冥利」という表現で提起し(296p)、「心は巧みなる絵師の如し」(302p)という言葉で私たちの心のなかに、この物語の大事な主題を(気持ちを)そっと置いてくれる。

下巻の後半、彼の初期の頃の作品のような、湧き上がるような響めきを投げかけながら、物語りが走り続ける。
私たちに勇気というものを、「ほら、後は自分で考えなさい」、というように。
| 2008-05-22 20:39 | 読書系セレクション |


宮本輝


>歳を食ってから読むと、味わいが出てくるとき

このことをテーマ(なんて大層なものでもないけど)に、みなさんの読後感想などを読んだ後に、少し考えたりします。

宮本輝さんご本人が歳を食ってゆくのと同時進行で私も一定の年齢差(10歳ほど)をあけて追いかけている。

若いときには、若いなりの感じ方、受け取り方がある。未熟さもある。作者も未熟なりに書いてきているときがあったに違いない。

花の降る午後、なんていうちょっと異色にも思えた作品が、あれは私が新婚の頃だったのも理由でしょうが、今になって読むと別の作品のようにも思えてくる。

そういう視点で読んだときに、つまらなくなる作品と、味わいが出てくる作品があって、ひとつでもそういうモノに出会えると得した気分になれるのだ。

でもよく考えると、そういう作品は作者の人生や人生に対する姿勢に厚みがあるからこそ放たれることができるもので、やはり数限られた作家にしかできないことなのだろうなと思ってみたり。。。

こういうことは、これから読み始める人に、どれだけ話してもアカンのやな。共感の糸口ってのは、お互いに同じものを読むことですな。

人それぞれの人生の中で、それぞれの思い当たる節を、こちょこちょと擽られているような快感がなんとも、苦々しく時にはセピアだなと。

| 2008-07-30 07:29 | 読書系セレクション |

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