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2010年9月29日 (水曜日)

読書系 宮本輝セレクション

宮本輝


泥の河(宮本輝)


学生時代のことです。(昔です)
大事な就職の説明会があったにもかかわらず、私は小栗康平の泥の河を、開館と同時に入って見始め、日が暮れるまで4度続けて見た。映画館に入れ替えのない時代だからこんなことができた。
(泣けて泣けて、映画館から出れなかったという説もある)

小説は先に読んだか、映画の後で読んだか、覚えがない。
しかし、この作品では、そんなことはどうだっていい。映画がモノクロであったように、物語もモノクロで淡々と進んでゆく。

東京で学生生活を終えて、関西で社会人となった私は、大阪駅から近いこの小説の舞台を訪ねたことがある。
大阪は水の都です。大きな川が悠々と流れている。もしも自信を失いかけていたとしても、この川の流れを見ていると勇気が湧いてくる。

もう少し上流に行くと、造幣局の桜を見に行く川べりがあり、蕪村が「春風馬堤曲」の舞台にした毛馬があります。大阪は心斎橋だけじゃないんだよ。(住んだこともありませんので、あまり知りませんけど)

泥の河 宮本輝著 
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「堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。」この景色を見るために大阪まで何度か足を運んだ。大阪駅からそれほど遠くない。ついでに川べりを散策してくると大阪の人々の暮らしが思い浮かびやすいかもしれない。映画を小栗康平はモノクロで撮っている。しかし人の目は明るくきらきらと輝いた。私たちにもこんな心があったに違いない。大阪のこの付近の河は堂々と且つ静かに流れている。

| 2004-10-26 22:56 | 読書系セレクション |


続:「泥の河」(宮本輝)角川文庫


私が宮本輝という作家に出会うのは、泥の河という映画が上映された頃だったでしょうか。何げなしに通りかかった新宿の映画館で、先に映画を観て、後から本を買ったかも知れない。とても大事な就職の説明会があったにも関わらず、朝一番で映画館に入り2回か3回繰り返し観て、説明会には遅れて行った記憶があります。今回のタイトルにあげたのは、その時に読んだ「泥の河」です。しかし私は「蛍川」「道頓堀川」と続けて読んでしばらく彼の作品から遠ざかり、別の人の作品に夢中になってしまってました。

ところが、7、8年前のある夜のことです。出張の仕事を終えて大阪・難波から乗った近鉄特急のなかでの事です。隣席にはひとりの若い女性が座っていました。そして彼女は文庫本を読んでいました。一方で私は、仕事の疲れもあるし、オフになったので缶ビールを飲みながら、いつものようにぼんやりとしていたと思います。

ふとした事で彼女の開けた本の一行を盗み読みしてしまうのですが、そこにひとつの驚きに似た歓びがありました。その一行には、再び読み始めていた「春の夢」と同じような匂いが漂っていたのです。しかも、ぷんぷんと。紛れもなくそれは宮本作品だと私は確信しました。その女性は貪るようにように読み耽っているのを見て嬉しくなります。

そこで「それ、宮本輝ですよね」と声を掛けてしまったわけです。「ええっ…」と戸惑いがあった。30過ぎのほどの男が、情けない軟派をしてるようにも見えるかも知れません。直感的にその小説が宮本輝の作品だと私が思っただけの事件ですけど、私にはなりふりかまわず声をかけても惜しくないほどの感動でした。

堂島川と土佐堀川が合流し安治川と名前をかえる所で物語は始まり、終わります。宮本作品に数々触れるとこの大阪の淀んだ川が幾つもの作品で登場します。人の心の裏の、誰にも見せないし見せてはいけない部分を、ひとつの哲学めいた綴りで投げかけててくれます。

あの近鉄特急の隣席に座っていた子、その子が私を宮本文学のファンにさせてしまったその人です。松阪駅で降りて、階段を上がって彼女は右に、私は左へ。たったひとことだけの会話をした切ない夜のお話でした。

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2000/06/12 の日付でパソコンの中に残っていました。あるミニコミ誌に書いた文です。
| 2004-10-27 18:19 | 読書系セレクション |


道頓堀川(宮本輝)


泥臭いところや、人の心のふれあいを、現代の小説がいう切なさとは全然違う切なさで綴っていますよね。

人物が私自身に肌を擦り合わせてくるようなくらいに、没頭して読んでしまいます。

最後のビリヤードは、泣かせますね。それまでの道頓堀で繰りなされた様々な出来事が、何の言葉も使わずに甦ってくるのがわかります。親父と息子の無言のなかのふれあい。宮本輝は数少ない対話でそれを実現してゆくから泣かせます。

| 2007-06-07 22:20 | 読書系セレクション |


鎧駅のこと (宮本輝、海岸列車)


今はベンチも新しくなっていると聞きました。

私が行ったころも、やはり駅のホームの内側ではなく、海のほうに向いてベンチが並んでいました。そこに腰掛けると入江が満遍なく見渡せました。

歩き回ってみました。汽車は来ませんので線路へも自由に降りて写真を撮ったりしてました。

入江に降りる坂道はコンクリートになっていたと思います。ごく普通の田舎の、山の斜面にある畑の中の道でしたが、思い入れのあるぶんだけ、あらゆるものが特別にみえました。斜面の中ほどで畑を耕すおばちゃんも絵になっていましたからね。

しばらく佇んでいたら、ディーゼルが入ってきましたので、私はそれがトンネルに消えてゆくのを見送って、しばらく余韻を味わってからそこを発ち去ったのを記憶しています。
| 2007-06-05 22:42 | 読書系セレクション |


朝の歓び 宮本輝


紫色の雷光が、夜の海の上で烈しく走りつづけるのを眺めながら、江波良介は、海辺の旅館の窓辺に坐ったまま、ひとりで四十五歳の誕生日を祝ってウィスキーを飲み始めた。小説は能登半島の夜を舞台にこう始まる。40歳を少し越えた時にこの本と出会い、能登は何度も訪ねていたのに本を手に猿山岬を目指して旅に出る。予想通り猿山岬には誰も居らず、バイクを停めあてもなくあたりを歩き回ったのでした。独り占めしてセンチメンタル。

と書いた。

いつもしりとりを書くときに、作品を200字で書くなんて…と思うが、よく考えてみるとなかなか良いシステムですね。補足をすると詰まらなくなる。

でも、少しだけ書くわ。

幸せとは何だろう。そう考えたことは誰でもあるが、それをさらに突き詰めて考えるとなると枝が広がって各人様々になると思う。私にとって非常に身近に思えるストーリで、読み始めるとぐいぐいと引き込まれてしまう。逆の人もあるだろうが、それはまあ人生いろいろあるんだから、共鳴もすればチンプンカンプンもあるだろうけど。

恋愛モノのようで、実はもっと奥が深く、エッチな描写もあるが、話の展開とうまくマッチして、すっかり自分がドラマの中に納まってしまっていくのです。

自虐的でもないのだけど、
自分を不幸に陥れて愛の成就も不完全なまま生きてきて、幸せとはどうあって然るべきなのか、私の心はどんな姿で行き続けるのが幸せなのか・・・ (←ストーリーとは無関係) そんな自省の念を胸に抱いて生きてきたわけでもないけれど、作品には溶け込んでしまいます(どの作品も)

宮本作品は、この程度の長さのものがちょうどいいかな。1,2週間かかって読みますが、テレビも恋人もグルメもスポーツも、みんな忘れて、小説の中に溶け込める作品です。

能登半島に行きたくなります。(そんでもって、行ってしまったわけですけど)

| 2007-03-16 08:28 | 読書系セレクション |


宮本輝著 約束の冬(上・下) 文春文庫


約束・・・・。それは、お互いが信じ合い、心を通じ合い硬く未来に何かを叶えるために誓い合うことであり、また、誓い合う内容である、のだろうか。国語辞典も引かずにそんなことを考えている。
つまりその私の出した答えが、間違っていても、私はそういうものを約束と呼びたいのだ。

学生時代に「約束」という映画があった。斎藤耕一監督の名作だ。岸恵子が若いんです。映画ファンの人なら昔の名作も見てください。おっと脱線だ。

その「約束」という映画で、2年後に刑務所を出られる女性(岸恵子)が

│2年たったら出られるの
│2年たったらあの公園で待ってて
│2年後の今日よ 約束して

と叫ぶ。日本海の冷涼とした海原から冷たい風が吹き付け、雪片が舞い飛んでくる。

約束とは、そういうものなのだ。

宮本輝は人間の姿を書くのがうまい。姿がどのようにあるべきかということを、彼流の言葉で表現しながら、ドラマのさり気ない箇所でそっと置いて去る。それを読んで、おおっと思っている読者を横目で見るように話を展開させてしまう。
しかし、ストーリーの中ではしっかりとテーマを支える「哲学」のような彼の言葉の響きが読者の心を揺する。

私は、見事に揺すられながら酔いしれてゆく。

あとがきで、

│「約束の冬」を書き始める少し前くらいから、私は日本と
│いう国の民度がひどく低下していると感じる幾つかの具体
│的な事例に遭遇することがあった。
│民度の低下とは、言い換えれば「おとなの幼稚化」という
│ことになるかもしれない。

と書いている。言葉にしないで小説の中で表現することは難しいのだろうが、最後にどうしても短く言いたかったのだろうと思う。

そこで私は、「約束の冬」に、このような人が自分の近く
│にいてくれればいいなあと思える人物だけをばらまいて、
│あとは彼たち彼女たちが勝手に何らかのドラマを織りなし
│ていくであろうという目論見で筆を進めた。

新聞小説だし、宮本さんのひとつの特質として、途中で書くのに疲れたのかなと思わせるような感じで話が少しテンポを乱したり、ひと息つくところがあるのだが、それも難なく(読者を篩いにかける如く)クリアして、まあ予想通りの終章となってゆく。

「いい顔をしている」と誰かに言わせてみる箇所もある。人間は顔をそむけては生きてはゆけないのだ。だから、いい顔でありたいと願う心があってよい。

小説はひとつの夢の実現だと思う。だから、読む人がこの物語を読んで綺麗になり、勇気を持ち、夢を抱けるのが良い。
彼はそれを作家として裏切ることなく叶えてくれるからファンが絶えないのだろう。

この小説を読んで葉巻に興味を持たれるかたも多いようだが、古典文学に惹かれてゆく人はいないのだろうか。

私は彼の魔術にかかったように、無性に上古・中世に惹かれてゆくのだ。

│そうですわね。平家物語、徒然草、西行、奥の細道、山頭火…
翠英という女性にそう話させている。

私のカラダがピクピクする。(苦笑)

| 2006-06-17 10:21 | 読書系セレクション |


宮本輝著 胸の香り


そもそも、この短編集に手を伸ばしたキッカケは、リンクを貼ってくれてるみほこさんがブックレビューを書いていたからでした。

短編集ということで少しばかりの戸惑いとためらいを私は持っていました。短いゆえのインパクトの薄さをどうしてか好きになれなず、重松清の短編を読んだときに少し先入観を変更しつつあったものの、どっしりと重たい宮本輝の作品ばかりを読んでいた私は、宮本さんが書く短編とはどんなものなのかが想像できなかった。

そういうわけで、怖いものを触るように…という感じで、みほこさんのオススメの胸の香りを読み始めたのでした。

しかし、何も心配することはなかった。宮本輝は私を裏切ることなく、むしろ細かいところまで行き届くように気を使って作品は書かれています。一字一句に作品への想いが感じられる。
短い作品には、小説が小説としてある続けるために持っている、ささやかな感動があったのでした。

| 2006-05-23 12:55 | 読書系セレクション |


天の夜曲--「流転の海」シリーズ第4部(宮本輝)


遂に出ました。天の夜曲。

早速、今日、本屋に行って買ってきます。
大事に読もう。

流転の海シリーズの第4部です。第1部の「流転の海」は15年前に映画化されてますが、★絶対に見ないでください!!

宮本輝さんの母校の追門学院大学内に「宮本輝記念館」ができるそうですなあ。テルニストは感涙ですね。

第一部:流転の海
第二部:地の星
第三部:血脈の火
第四部:天の夜曲
第五部:未
第六部:未

どんな本ですか、って?
勇気が湧いてくるんですよ。
第二部「地の星」を読んで四国まで行きました・・・勇気を見つけに。
| 2005-04-03 09:49 | 読書系セレクション |


天の夜曲 宮本 輝


さて、先日読み終わった「天の夜曲」。ハラハラドキドキの連続ですが、大きな波がまだまだ続きますね。ドラマやなー。史実なんだろうか・・・・

宮本文学らしく、大きな波の中に乗せられて、ドラマが展開してゆく。
数々の場面が適確に読み手に伝わって、気持ちを揺さぶってくれます。

読後は、いつものように、心に勇気が湧いてくる。

裏表紙のページメモを参考に、一部を書き出してみました。
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自分はこうしたいと思うても、そうはことが運ばんことがある。ジグザグの道をぎょうさん歩いた人間のほうが、そうでない人間よりも、いざというとき強うなれる。(p20)

自分の人生にに、目指すべき大きな目的を持っていない人間の自尊心を傷つけてはならないのだ。釈迦が、堤婆達多を人前で恥をかかせ、とりわけ強固な自尊心をあえて傷つけたのは、大目的に向かうために、堤婆達多という人間を鍛えなければならなかったからだ。(p60)

いま俺は、自分の生命力が衰えていると感じる。気力でもない、体力でもない。生命力なのだ。(p556)

土佐堀川で、燃える近江丸の炎が照らしだした伸仁をみつけたときの、全身が震えて粟立ったあとに襲ってきた、あの思いのなかに自分は戻らなければならぬ。
「自分の自尊心よりも大切なものを持って生きにゃあいけん」とは、この俺に向かって言う言葉なのだ・・・・・。(p565)

| 2005-06-16 15:37 | 読書系セレクション |


宮本輝著 森のなかの海


或るトラックバックから(一部略)

新しいジャンルへと踏み込む。これって、後で考えるとすごい幸運な巡り会い。
恋人に出会ったような感動ですよね。(わたしは20年前です(照))

さて、わたしは宮本輝さんの大ファン。
タカコさんていう後輩と、「春の夢」の話をしてからハマってます。
ここまでハマるには、月日もかかったし、旅もしました。

再生のドラマを書く人と言われています。
ストーリーテラーとも言われています。
でも、私にはそんなことを言ってもらってる宮本さんはそれほど好きじゃないのですが。

やっぱし、読み終わると勇気が湧いてくるんだなー。ひとことで言えば。
| 2004-12-06 22:38 | 読書系セレクション |


森のなかの海(上)(下) 光文社文庫 宮本輝


久し振りに宮本輝さんを読みました。(22号台風の夜に読了でした)
阪神大震災の朝から物語が始まります。震災の話だけが事実で、あとは、まさに宮本流のストーリーで展開します。物語を作り上げることにおいてはこれほどの人は他にいないと思う。

最初が少し現実っぽくなったので嫌だったけど、後半は大きな流れの中に、ドラマを作るポイントが確実に散りばめられて、当然の如く、輝哲学のような言葉が各所に登場する。非常にバランスよく出来上がった作品でした。その他の作品は、後半にやや息切れを感じるモノが多いだけに、予測が外れてプラスに転化しました。

新聞広告で見つけておいて、お店に行くのを決めたら、行って即購入しました。文庫のイラストも気に入りました。ただ、残念なのは、イラストを含めて本の表紙をスキャナで写しこの会議室で皆さんにお見せしたいので、輝さんにその旨をメールして許可をお願いしているのですが、残念ながら半月ほどしても音沙汰がありません。少しイメージダウン。ダメならダメ、良しなら良しと回答して欲しいな。

宮本輝さんは女性の主人公を書くのが上手です。私はその女性に随分と惹かれていきます。生き方であるとか、モノの考え方なども。他の作品の例では、「月光の東」という作品も、ひとりの凛冽な女性を主人公にして、スケールの大きいドラマを作り上げています。少しミステリアスに。

森の中の海では、主人公やその周辺の人々がほとんど女性で、その彼女たちの生き方や考え方が、私たちの実社会での些細なことを絡ませてちょっとした主張をしている。そしてそれは私たちの生きる姿であり、私たちの理想であり、夢の社会でもあり、哲学(ポリシー)でもある。

物語は当然のことながら架空のことでありますが、自分のアタマのなかにある喜怒哀楽が反応してしまう。だから、自分でも不思議なくらいのめり込んで行ってしまうのでしょう。
宮本輝さんは再生のストーリーを書くのがうまい、と言われますが、月光の東----これは賛否凹凸が大きいでしょうが----や森の中の海を読むと、「再生」とは何かがよくわかる。

読後・・・・、
信念を持つ自分に勇気が湧いてくるのがわかる。
森とは何か、海とは何か。考え続けています。

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宮本輝…何から読もうかな、という人には・・・・
短編なら「錦繍」、中くらいなら「道頓堀川」、長編なら「海岸列車」、のめり込むマニアになるなら「流転の海」----1部から3部まで文庫化されてます。2部は「地の星」3部は「血脈の火」----をお薦めします。

| 2004-10-17 20:58 | 読書系セレクション |


宮本輝全短篇 (上下) のその後、読書部Ⅱから


詩集です  から、ここへ

読書部Ⅱへのメッセージから

この作品は、まさに、詩集といってよい。
(必ず頷いてくれている人が居ると確信してます)

私は日記にも挙げましたし、そこでコメントを戴いた方にもそのようにおこたえしました。

手にとって、ずっしりと重く、

通勤列車に揺られながら、
景色を見たり、
書面に眼をやったりしながら、
大事に大事に読んでいます。

どの作品を読んでも、彼の作品は彼が詩人であることを匂わせますが、心身ともに充実してなければ、なかなか、このような作品を吐き出せるものではない。

そういうふうに考えると、そのことは、彼にたったこれだけしか短篇がないということの理由になるのかもしれないですね。

宮本輝短篇宮本輝短篇

| 2009-08-12 11:11 | 読書系セレクション |


詩集です


宮本輝全短篇 (上下)

コメントをくれた方々にしたお返事から

短編集は、小説集ではないですね。

詩集ですね。
まさに。
| 2009-08-09 16:37 | 読書系セレクション |


宮本輝全短篇 (上下)


実のところを白状すると
図書館で借りてきたのです。

欲しいわ。

美味しいお肉とか
カッコいい服とか
素敵な指輪とか

そんなものはいらんから
この本が欲しい。

上下で5千円なんですよね。

本屋さんにしばらく預けておこうと思っています。

宮本輝全短篇 上
宮本 輝
集英社
\2,625

文庫本になっている作品は読み終わっているが、
今ここで、
読み終わっていることはまったくどうでもいいことで、
すべての作品をパラパラと見ながら、
この人がどんなことを思いながらこの作品を創作していったのだろうかと想像してみたり、
美的結集である書き出しを声に出して読んでみたりしながら、
どっしりと重いこの本を左手で包み込むようにだかえて
そっとページをめくってゆく。

本の放つ安らぎと活字の齎す味わいを愉しませてくれる本だと思う。

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宮本輝全短篇 下
宮本 輝
集英社
\2,625

感想を上巻に書いて、下巻を放り出しておくのがいやだった。

作家生活30年を記念して作ったというだけあって、素晴らしい本です。

読むために買うのではない。

(だって買う人の殆んどは、既に出版された作品であれば読み終わっているだろうし)

手に暖める。
| 2009-08-07 10:19 | 読書系セレクション |


宮本輝 花の回廊―流転の海第五部


花の回廊―流転の海第五部
2007
新潮社
宮本 輝

昭和32年という年は、非常に私たちの歴史の上でも意味の深いひとつの節目でもあったのだ。その時代を舞台にし、人々が貧しさのどん底に暮らしていたことを背景にしながら、宮本輝は壮絶なドラマを第五部としてくれた。

人間は何のために生まれてきたのか。如何に生きてゆかねばならないのか。社会の中でどんな責務を果たし、人のためにそして自分のために、生きねばならないのか。

それは、「ねばならない」というような強制的な色合いの物ではなかった時代であるにもかかわらず、個人が必死で生きていればある意味で美しく潔かった時代だった。悪は悪で存在したものの、良い社会を無意識で目指す人々がお互いに人間として認め合っていたと言うべきなのかもしれない。人と人との温かみ、これでもかというほどの貧しさ、それらがあったからこそ5年後10年後の輝かしい未来を夢見て生きていた。

そういう重苦しい時代背景のなかに、「泥の河」や「道頓堀川」に登場する人間臭い町の風景があり、他の小説でもチラチラと顔を出していた人々の行為や発言、縺れたような人間関係が存在して、ああ、やはりここが原点なんだなと感じる。

人間そのものを書いてもよし。人間関係を描いてもよし。人の弱さと強さ、暗さと明るさを描いてもよし。

なかなか文庫が出ないので図書館で借りてきました。文庫でも買いますが、待てなかった。しばらく宮本輝を読まないと、無性に読みたくなる。そいうときに流転の海シリーズを手にすると、あきませんね。

最近、文章に気障が薄れたかなって感じますけど。

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もう2年ほど前に第五部まで来てたんですが、文庫が出ないのでまってました。
我慢できずに図書館で借りました。

既に第六部も始まっています。
| 2009-06-12 19:00 | 読書系セレクション |


宮本輝 錦繍


手紙形式(往復書簡)で物語は進んでゆく。その風景は、宮本輝がデビューのころに書いた大阪から段々と広がり京都の街まで移って来る。私が永年住んでいた右京区、嵯峨、嵯峨野、嵐山、太秦などが目に浮かぶ。地名こそそれほど出て来ないものの物語を読み進むにしたがってそこへと帰ってゆきたくなる。今度、実家に行ったら散策してみよう…と思いながら読んでゆく。

「前略 蔵王のダリア園からドッコ沼へ登るゴンドラリフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした」という冒頭は、数多くの読者を魅了し、当然私も例外なく惹き付けられてしまった。頭に焼き付いて暗誦できる人が、そこにもあそこにもってな具合だろう。

ああ、燃えるような恋がしたいね。そんな風に読後、呟いてしまうのだが、単に恋を綴った物語ではない。二十歳のころに読めば、二十歳の若者らしく純粋に人生を捉え、幾つかの苦難や悲哀を味わった人が四十歳を過ぎてから読めば、自分の人生を振り返りもって胸に手を当てて読めるのである。

往復書簡の形式に違和感を感じる人もあるようだが、宮本輝以前にもたくさんの人がこのような手法を使っている。読む人の心の中に、優しく届けられ、敷居も無く素直に落ち着いて読み続けることができる。
作品が短いこともあって、だから、夜が明けるまで一気に読んでしまったという人も多い。私もその1人だ。「決して平日には読まないでください」(笑)と言いながら薦めて差し上げるようにしている。

「春の夢」で哲之が「夢を見ていたときの自分と、目を醒ましたときの自分と、どこがどう違うというのだろう」と母の傍らで朦朧と考えている場面があった。宮本輝の頭脳のなかには、「泥の河」「蛍川」「道頓堀川」「幻の光」などのなかでも悉くこのテーマを物語のなかに滲ませて、その後の現在に至っても遠大なる提起として堂々と小説の骨にしている。

「生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれない」
この誰にも結論付けることができず、将又、どのように解釈してもそこに正解も不正解も無いテーマ。錦繍が名作と語り継がれる大きな理由は、その哲学的な疑問を、誰にも心の片隅に持ち続けていて誰にも打ち明けたりしないような心の襞のようなものと一緒に、この短い小説の中で彼らしい波動に載せて綴ってゆくところにあろうか。

小説が放つその揺れに同期しながら引き込まれてゆく多くのファンは、最後の一節を読み終わってもその酔いから解放されること無く、ぼんやりとその本を見つめ続けるのだ。

(2005年12月31日に書いたレビューがあったのですが改訂・加筆しました。)

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この厚みの小説で
誰にも邪魔されずに
どっぷりと浸りながら 読むなら、
錦繍(宮本輝)
わたしが・棄てた・女(遠藤周作)

年末は、細雪(谷崎潤一郎)です、ってすでに書いたっけ。(老化か)
| 2008-12-21 10:10 | 読書系セレクション |


宮本輝 蛍川


この人の作品が持つ波長のようなものが、私の感情を左右する波長と、不規則でありながらも非常に高度な確率で一致するからだろうと思う。どの小説を取っても、その波の動きに上手く乗って、私は物語のなかへと入ってゆくことができる。

波と波。それが全く重なるということは万に一度の確率ほどをみてもありえることではなく、せいぜい波のピークがそちらのピークに近づく…という程度のもので、言わばその引力の及ぼし合う力に任せて私はふわーっと小説のなかで呼吸している。

物語は大きく息を吸い込むように、彼が丹精を込めて綴ってゆくひとつの情景が、その展開する速度を緩める。人々の動きが止まり、景色は変化せず、心だけが急展開をする。大きく吸った息は、大きなため息となって放出されるとき、再び私はその、今度は流れるような波に乗るかのように激しく動く心の揺れを愉しむ。

太陽が沈む。雨が降る。人が去ってゆく。誰かが何かを話す。日常のごく自然の場面を、大きく息をしながら眺めて、真正面より少しずらした視線で、幸福よりも遥かに不幸に近い高さで、生きるということよりも生かされている人間の立場になって見つめている。

すると、きっと今まで目の前には表れてこなかった無数の、幸せを誘なってくれる虫のようなものが、目の前に見えてきたのではないだろうか。実は、それがこの物語のなかで主題となる蛍の化身ではなかったのだろうか。

いつか幸せになってやろう。自分はもう散々不幸のどん底をさまよったではないか。一度だって美しくキラキラと輝いたことがなかった日本海を背に、厳冬の北風に凍えて暮らしたときがあったのだ…、と回想しながら拳をきつく握っている作者の姿が見えるような作品だった。

昭和55年2月29日初版。宮本輝は33歳。私は泥の河を読むためにこの文庫を買ったのでした。10歳離れているのですが、暗くて貧しくて辛くて、でも必死で人々が生きてこれた時代背景を判る人だけが共有できる物語なのかもしれない。そうと思うと、私は少し置き去りにされかけ…なんだな。悔しい。

文庫のタイトルは、泥の河「蛍川」収録 となっています。
| 2008-12-14 16:58 | 読書系セレクション |


宮本輝 幻の光


この小説に出てくる曽々木や輪島市内、さらに輪島から西へ猿山岬へと旅をしたことがる。夏のことであったので、小説「幻の光」の背景に映る哀しみを帯びて冷涼とした感を、そのときには抱かずに寂れた村落を走った。

日本海沿いの貧しい集落には夏でも間垣が所々残っていて、冬の風の寒さは想像できた。誰も歩いていない漁村のどの場所に停止して日本海を眺めても、明るさや歓喜に満ちるようなものはない。

宮本輝は、静かに自分の昔のあるときを思い出すと、そこには能登半島や富山の海があるのだろう。きっとそうに違いない。朝の歓びでは猿山岬を訪ねるが、アクティブにあの黒い海に対面しに行ったとしても、そこにあるものは、太平洋では決して見ることができない荒々しく冷たい海の姿だ。

雷鳥を降りてからもローカル列車に乗り換えしばらく揺られてやって来る小さな街は、都会からとてつもないところにある。そんな街へ子どもをひとり連れて降り立つ女の気持ちを、簡単に理解してやることなど、誰でもができるわけが無い。もしも、できるという人がいたならば、軽はずみでいい加減な質の低い人だろう。

作者は、そんな誰にも理解してもらえない寂れた土地へ主人公を追いやり、自分自身に語らせるのである。

そこには映像では決して実現できない、宮本輝が吟味に吟味を重ねて綴った物語がある。誰にも真似が出来ない筆致は、もしかしたら宮本輝自身でももはや再現が出来ないかもしれない。何故ならこの作品を書いた31歳という時代は、遥か昔になってしまっているから。

この小説は冬の寒いときに、厳しい寒さにじっと堪えている能登半島を描きながら読むのがいい。吹きすさぶ北風に積雪もままならない。世の中に存在する様々な人生の悲哀を思い浮かべることのできる人でなければ、この小説が問いかける先を理解できないのかもしれない。

「お母ちゃんのお尻に、そばかすあるかァ」という主人公の言葉には泣かされる。

海は、夏より冬の方がキラキラとよく光る。太陽の入射角の加減と思うが、しかし、日本海に、光ることができるようなひとときがあるのだろうか。

作者は誰かにその「光る海」を見せてあげたいのかもしれない、そんなことをふと思った。

--
(後日、追記)

この作品の最後で

「人間の精を抜いていく病気があるんやと、あれ以来わたしは考えるようになった。体力とか精神力とか、そんなうわべのものやない、もっと奥にある大事な精を奪っていく病気を、人間は自分の中に飼うてるのやないやろか。」

「そんな病気にかかった人間の心には、この曽々木の海の、一瞬のさざ波は、たとえようもない美しいものに映るかも知れへん」

と言っているんです。

その後、数々の宮元作品の中を脈々と流れるひとつのモノが、ここにすでに形を持ち始めていたのですね。

| 2008-12-11 17:30 | 読書系セレクション |


宮本輝;道頓堀川


坂口安吾のときにも、今、話題になっている三島由紀夫の潮騒であっても、半世紀前の人々の暮らしは貧しかった。その貧しさを名目とし純粋を通し、あるときは悪さもする。大阪の町の中に必死で生きている人間の心を、現実を拠り所にしてドラマにしている。人が人にまみれて生きてゆけば、信用した人を騙すこともあるし、恋もする。熱い恋は深い愛になり道頓堀川を舞台に生きている激しさを切々と綴っている。若い人に読んで欲しい。

そんな200字感想を書いたことがある。

泥臭いところや人の心のふれあいを、現代の小説がいう切なさとはまったく違う切なさで、綴っている。だから、人物が私自身に、肌を擦り合わせてくるようなくらいに、没頭して読んでしまう。

最後のビリヤードは、泣かせてくれる。それまでの道頓堀で繰りなされた様々な出来事が、何の言葉も使わずに甦ってくるのがわかる。親父と息子の無言のなかのふれあい。宮本輝は数少ない対話でそれを実現してゆくから泣かせる。

「痺れる」作品だ。

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気持ちが落ち着いて、この物語の持つ哀しさと激しさと優しさを、十分に受け入れる準備ができると、もう一度この本を読んでいる。

読後には宮本文学らしい爽快感が待っている。しかし、それを期待して読む訳ではない。何も望まない。ただただ、作品に浸りたい。この時代の大阪にタイムスリップして、この人たちと共有の時間を送りたい。そんな感じか。

宮本輝のこのころの作品は純文学だ。何度読んでもそう思う。文章もよく考えて書かれているし、話の流れもしっかりしている。話に無駄がひとつもない。何よりも全てが若々しい。

---

「辛い悲しいことが起こっても、いっこうにへこたれんと生きていけることが、しあわせやと思いますねェ」

話の終盤で武内にそう言わせた作者の一面に触れることができる素晴らしい物語だった。

---

「あの戦後のことは、私にとったら昔のことやあらへん。何て言うたらええんやろ。いっつも私の前にあるねん」

「・・・・前?」

「うん、そうやねん。私の前方にあるねん。想い出と違うて、未来みたいなもんや。そんな気がすることが、ときどきあるねんなァ」

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これはユキとの会話だ。
魅力的な人ばかりが登場する。

※2004年頃からバラバラに書いていた感想があったので、ひとまとめにして再編しました。
| 2008-11-29 07:45 | 読書系セレクション |


宮本輝;春の夢  (読後)


この作品は、初読して、その後に宮本輝の主要作品を読んでからもう一度読むと、一層、持ち味を受け入れることができます。そういうことを書きたかったけど、書けなかったもんね。
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春の夢 (文春文庫)
宮本 輝
文藝春秋
\540
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宮本輝の作品は「泥の河」の他に幾つかを読んでいたがそれほど夢中になったわけではなく、追手門学院出身だった後輩の薦めで「春の夢」を読み始めた。

こんな他愛無い切っ掛けが出会いで、後に殆どを読んでしまうのだから、この小説は不思議な力を秘めた作品だったのだろう。

爽やかで逞しく生きてゆく二人の心の動きを上手に表現しながら、人間というもの心の奥に潜んでいる何者にも背けない真理のようなものを考えつづけ、宮本輝は遠大なるテーマをこの作品の中でも見せてくれる。

決して青春文学などと言ってしまってオシマイにはできない作品だ。(そういう意味でも「青が散る」とは全く異質で、作品としての出来栄えにも大差がある)

初読で感動した読者も多い中、何度も読み返す人が多い作品としても「春の夢」がリストアップされるのは、そういう無意識の引力が物語のなかに隠されているということなのかもしれない。

哲之が、「夢を見ていたときの自分と、目を醒ましたときの自分と、どこがどう違うというのだろう」と母の傍らで朦朧と考えていることに驚き、再読した人には、きっと「生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれない」(錦繍)という一節が蘇えったはずだ。

沢村千代乃の死の場面では、月光の東で「きっと人間は、自分のなかに淀んでいるものをさらけだしてしまわないと、他人の言葉を受け容れることができないのであろう」と表現した深い流れを感じ取った。

にぎやかな天地では、「死というものは、生のひとつの形なのだ」と書き始めた。うーん、と唸るしかない。

この作品を発表した後、文庫にすれば上下巻に及ぶような作品も発表している。しかし、彼の作品の中でテーマがほどよく熟成するのはこのくらい短いものが適度かなと思うものの、どっぷりと酔いしれてしまうには上下巻に及ぶほどの長い話のほうが酔いつぶれてしまえて満足なのか。

そんなことを思いながら読み終わった本を閉じ、表紙を二三回さすって、赤茶色に日焼けした本をじっと見つめてしまった。
| 2008-09-07 15:05 | 読書系セレクション |


宮本輝;春の夢 (途中)


春の夢。 再読中。途中です。
大事に読んでいるので進みません。
(ペンを手に戻ってばっかし)

輝さんの「春の夢」を読んでいると、「青が散る」は駄作だと思うけど、「春の夢」は違うなって感じるのよ。
(「青が散る」のファンの人、ごめんね)

悲しくも悔しくもないのに、読む手を止めて、じっと外を見るでもなく車窓のほうを向いていたりしてね。泣いている訳でもないのだが…

まだ、読み終わってないけど 、35歳くらいのときに初めて読んだんだろうと思うんですが、 あれからまだ15年程しか過ぎてないのか。そうか。

もう10歳から15歳くらい若く、二十歳ころに読んでおくのもいいな。

人生の節目に何度も何度も読み返す。
そういう価値ある作品のような気がする。
| 2008-09-06 08:59 | 読書系セレクション |


花の降る午後(宮本輝)


花の降る午後。

新刊のときに買って、宮本輝にしては珍しく艶っぽいシーンもあったので、とてもいい作品ではあるものの・・・と言葉を濁すような読後感想しか残していなかったのだが、その理由も明確にしないままだったことが少し気がかりだったので、もう一度、それなりの年齢になったので読み返すことにしたいと思っていた。

司馬遼太郎の坂の上の雲を第4巻まで読み終えたのを機会に、次の並行読書本はこれに決心して、16日の朝、京都行きの電車に乗るときにカバンにぽんと放り込んだ。

いまから1週間ほど、通勤の電車の中で、行きは司馬さん、帰りは宮本さんと言うような感じで楽しむことになります。

少し始まりを読んでいますが、結構、覚えているものです。嬉しくなってくる。宮本輝にしか書けない文章だ。嬉しい。

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人間には二種類ある。辛くて寂しくて哀しいことは、いつまでもつづかない。必ず終わるときが来る。その終わったときに、弱くなるか強くなるかの二種類だよ。(p23)

黄色いマーカーで線がひいてあるんだが、その色が随分と褪せている。
私は深い訳があってこの部分に線を引いたのだろう。
いま、そのときの心理をすべて思い出すことはできないけれど、読み進むことで必ず蘇るだろう。いい作品には、そんな力があるね。
| 2008-08-17 09:48 | 読書系セレクション |


花の降る午後 宮本輝 (その2)


10年以上前に新刊(講談社1995)で買って一度読んだきりで本棚に仕舞ったものを取り出して読んでみた。あのころの私は、不惑の年齢を控えていた。

「人間には二種類ある。辛くて寂しくて哀しいことは、いつまでもつづかない。必ず終わるときが来る。その終わったときに、弱くなるか強くなるかの二種類だよ。」(p23) 
という箇所に呼び込まれるようにしてのめりこみ、ドラマの展開の中で幸福とは何かと考え続け
「しがらみを捨てるってことは、煎じ詰めれば、人生からおりるってことになるのよ。人生からおりた人間の未来に花が咲いたためしはない」(p468)
に頷いたりしながら、自分の人生というものを悩んでいたのだった。

宮本輝の魅力は、登場人物の心の変化を叙情的に綴ってくれる点にあり、どうしてこんなに女性の心理がわかるのだろうかというだけではなく、読み手を上手に魔術にかけてしまい、その魔術にかかった状態の読者をコテンと痺れさせてしまうのだ。

だが、この作品の濃厚シーンが多いところは好きになれなくて、物語のバランスとしても、宮本輝の腕にかかればそんな箇所はサラリと流してしまって、宮本節をたくさん散りばめてもよかっただろうに…と思う点もあるもの、まあ、作家には作家の構想というのがあるだろうし、そのときに作品と向かい合っていた自分の様々な心理や思惑もあったのでしょう。

ドラマの中で、人間関係を修飾するために作られた数々の設定にはあまり面白さを感じれず、このまま終わったらB級作品になってしまうと心配までしたのだが、そこはきちんと、大阪駅のプラットホームのシーンなども入れて持ち直してくれたので、星をひとつ増とします。

「登場する人物が、みな幸福」になってくれるように途中から変更したとあとがきで書いている。やはり、それはある意味では正解で、この人の作品には大きな事件であるとか、どんでん返しなどは不要で、ただひたすらに彼の筆致がもたらしてくれるさざなみのような波長で綴られた物語に私たちは共感して感動するのがいいと思う。

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講談社文庫の装丁の美しい絵は大好きです。ドラマの舞台がこんな坂道の上ってのは深い意味があるんでしょうかね。脳裏に自由に主人公や登場人物を描いて、その人なりに愉しみ味わうのがいい作品でしょう。映像にした履歴もあるようですが、それは封印です。
| 2008-08-20 17:58 | 読書系セレクション |


宮本輝 海岸列車


(小説の始まりの章で)

駅から入江への急な斜面には、かつてサバ漁で賑わった鎧港の名残として、錆びて風化した鉄のレール敷きだけが一直線に下りている。陸あげしたしたサバを列車に積み込むためのケーブルの残骸であった。その横に、村へと下りていく折れ曲がった錆色の道がある。列車の車輪とレールとが撒きちらす鉄粉によって色を染めた道は、ほんの数十メートルで、黒ずんだコンクリートに変わるのだが、かおりは、その道の錆色の部分しか歩いたことはない。 (Page25)

と書いています。

幼い日に母に捨てられた兄と妹は、それぞれ、自分の深い想いを持って海岸列車に乗り鎧駅を訪ねます。

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宮本輝は物語を作り上げるのが上手い人ですが、その地盤には彼が強いポリシーとその主張を正々堂々と作品の中で読者にぶつけてくるという、宮本哲学のようなものがあるから感動するのだと思う。

そしてその手法は様々であるのだが、読者はその作品を読みながら個人が持つ哀しみや弱みなどと照らし合わせ、また自分の迷いや気力に似たものをシンクロさせながら、吸い込まれて行ってしまう。

人生に悩んでいた人がいたならば、その人に勇気と活力を与え、その拠りどころのヒントを差し出してくれる。

海岸列車では、冒頭のシーンでインパクトを与えて、登場人物たちがそれぞれの視点でドラマを織り成してゆく。

物語の原点は鎧駅から始まっているので、私たち読者はその地を何度でも訪ねて行ってしまう。

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小説に出てくる向こう側のホームのベンチも、またそれが海側を向いて置かれていることも、そこから見下ろす港に倉庫らしい建物が見えることも、私にとっては期待通りでありまた新鮮で嬉しい。

ひとりごとをぶつぶつ言いながら私は周辺を歩き回っている。そしてぼんやりと海を眺めては、時々、シャッターを切る。畑で仕事をしているおばあちゃんにはそんな姿が変に映ったかも知れない。それでも私は、向こうのホームに行ったりこっちに来たりを繰り返していた。

時刻は8時20分頃で、下りの列車が来てホームに止まった後、二、三分で上りの列車が入ってきた。降りる人も乗る人もいない。列車の中の人影は疎らで、行き交う列車を遠巻に私は眺めていた。やがて重そうな車両を動かすためにディーゼルエンジンの音を山に反射させて列車は動きだした。黒い煙の匂いが私の所まで届いて、その後、列車はまたトンネルに消えて行った。 
(日記から)

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もしかしたら人生を歩んでいくのに疲れていたのかもしれない。ひとりで旅に出て、駅のホームから小説の舞台となる海を見下ろし、勇気が満ちてくるのを私は感じたのだろう。

「まっとうに生きる」という言葉を輝さんは小説の中で使います。ずっしりと響いてきます。

生きる「拠りどころ」と「勇気」をこの作品から得てきた人は数限りなくあることでしょう。
自分の弱さを感じたら、ここに戻ってくればいい。
| 2008-08-11 17:03 | 読書系セレクション |


宮本輝 にぎやかな天地(上) おぼえがき


にぎやかな天地(上) 宮本輝 を読み終わったところで、おぼえがき。
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「そやけど、そうやって必死で自分のなかから引きずり出した勇気っていうのは、その人が求めてなかった別のものも一緒につれて来るそうやねん」と涼子は言った。(232p)

にぎやかな天地(上)を読み終わった。この部分がいいなあ。いつものようにさり気なく、人物に語らせている。

「その人のなかに眠っていた思いも寄らん凄い知恵」
「この世のなかのいろんなことを大きく思いやる心」

宮本輝が物語を、どんな思いの中で思考しながら作り上げていったのかは、ご本人にお聞きするしかないのだが、読み手はその連鎖反応で幾つもの情景を連想しながら物語に没頭してゆく。

私の心を大きく揺さぶりながら、小説と、自分の人生の軌跡とを重ね合わせるように本のなかに私は埋没してゆくのでした。

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図書館で借りる人についても書いていた。
「学生であるとか、経済的に苦しい状態にある人だけではなく、本というものに金を使いたくないという理由でそうする人が多くなっている」

「図書館の概念は、書店でみつけることの難しい専門書や全集や、いまや絶版となった名著を市民が読めるようにするところであり、好きな本を自由に手にできない青少年たちに優れた書物と出逢えるようにするところ」(348-349p)

と書いている。(そう考えている主人公を築き上げている)

そんな箇所に、大きく頷かされながら読み進む。このあたりから、いよいよ宮本輝らしくなってきたなあ。
でも、昔の作品と比べると人生を振り返るような気持ちのところも多いなあと感じながら…。

「死ぬ前の、いったい何年間が満たされたら、人間は幸福やろって考えたんや。人生の何たるかを知り、必要なだけの金があり、生きとることが楽しくて仕方がなくて、自分と縁のある人たちも、いろいろと悩みはかかえとるが、まあなんとか息災にやっとる。ああ人間に生まれてきてよかった。頑張って生きてきてよかったと・・・・・。そういう時間を、人は人生の最後に何年間くらい持てたらええのかなァと考え」(362p)ている。

そこには、宮本輝さんが、流転の海シリーズでも登場させている松坂熊吾という父親のことを脳裏にはっきりと描いていることが分かる。大きな畏敬の念があってこそ出来上がってくる作品である。

道頓堀川や春の夢などに背景になったであろう人生前半のあの頃のこととそういう時代の人たちが現在の作品の基盤になっているのだ。そんなの当然だといえるのだが、ただ売れればいいという小説ではなく、この人が揺るぎなく小説に架ける情熱のようなものを、私は肌で感じながら読んでいる。
| 2008-05-14 09:01 | 読書系セレクション |


宮本輝 にぎやかな天地(下)


上巻で、勇気を生み出すものは自分自身の決意だといった。

そして、その決意は、生半可なものではなく、「勢いのあるときは、がんがん行きなはれ」(下・129p)というような言葉で背中を押しているように、若さ溢れるモノであって欲しい。

*

ヒトは、自分ひとりで生きているわけでもない。銭や金を追求して、まして損得だけを求めてこの世に存在をしているわけではないし、そうあってもいけない。

お互いを慈しみあいながら、授かった命を天からのものだと思い、一生懸命にまっとうに生きていかねばならない。

宮本輝は、この「まっとう」にという言葉を、大事なところですかさず使ってくれる。

熊吾から戴いた命を守りながら、ここまでやって来るまでに自分の人生に多くの影響を与えてきた人々や環境、暮らした町のあらゆるもののお蔭で、こうして暮らしているという敬虔な気持ちが根底を流れているのだろう。

生きることと死んでいること、運命ということを、なおも考えつづける。

*

上巻で少しざわめき始めた主人公の身の回りが、さらに賑やかになってくる。
なるほど、これが「にぎやか」と宮本輝が最初に構想していた人々(登場人物たち)の生業だったのだ。

にぎやかなヒトの上昇気流を「命の振動」と同期させ(259p)、「冥利」という表現で提起し(296p)、「心は巧みなる絵師の如し」(302p)という言葉で私たちの心のなかに、この物語の大事な主題を(気持ちを)そっと置いてくれる。

下巻の後半、彼の初期の頃の作品のような、湧き上がるような響めきを投げかけながら、物語りが走り続ける。
私たちに勇気というものを、「ほら、後は自分で考えなさい」、というように。
| 2008-05-22 20:39 | 読書系セレクション |


宮本輝


>歳を食ってから読むと、味わいが出てくるとき

このことをテーマ(なんて大層なものでもないけど)に、みなさんの読後感想などを読んだ後に、少し考えたりします。

宮本輝さんご本人が歳を食ってゆくのと同時進行で私も一定の年齢差(10歳ほど)をあけて追いかけている。

若いときには、若いなりの感じ方、受け取り方がある。未熟さもある。作者も未熟なりに書いてきているときがあったに違いない。

花の降る午後、なんていうちょっと異色にも思えた作品が、あれは私が新婚の頃だったのも理由でしょうが、今になって読むと別の作品のようにも思えてくる。

そういう視点で読んだときに、つまらなくなる作品と、味わいが出てくる作品があって、ひとつでもそういうモノに出会えると得した気分になれるのだ。

でもよく考えると、そういう作品は作者の人生や人生に対する姿勢に厚みがあるからこそ放たれることができるもので、やはり数限られた作家にしかできないことなのだろうなと思ってみたり。。。

こういうことは、これから読み始める人に、どれだけ話してもアカンのやな。共感の糸口ってのは、お互いに同じものを読むことですな。

人それぞれの人生の中で、それぞれの思い当たる節を、こちょこちょと擽られているような快感がなんとも、苦々しく時にはセピアだなと。

| 2008-07-30 07:29 | 読書系セレクション |

読書系 遠藤周作セレクション

イエスの生涯
おバカさん
さらば、夏の光よ
ピエロの歌
マリー
ユーモア小説集
わたしが・棄てた・女
遠藤周作について
何故・遠藤か
何故遠藤周作なのか
海と毒薬
海と毒薬2
楽天大将
金と銀
口笛をふく時
女の一生1部キクの場合
女の一生2部サチ子の場合
深い河
深い河2
聖書のなかの女性たち
青い小さな葡萄
灯のうるむ頃
白い人黄色い人
母なるもの


青い小さな葡萄


青い小さな葡萄
遠藤 周作
講談社

コーヒーの宣伝に出ていたころだろうか。私が読んだ文庫は昭和54年の6月に7版として出版されたものだ。1版は昭和48年8月。

ブックカバーもあの頃(30年ほど昔)を思い出させてくれる、イカス雰囲気のものだ。

永年、私の本棚で眠っていたのを、私が再読するために引っ張り出してきた。所々に沁みができ日焼けして可哀相な姿だが、そこには遠藤周作が30歳の ままで生きていたのだ。

若い文章がとても新鮮味を出しているし、まだ、あの頃は「原民喜」や「椎名麟三」を熱く論じていた遠藤さんだっただろうからこそ、こんな作品が書け た。

読み始めると、戦前の外套のようなコートにくるまれた遠藤周作が、文学の語っているような筆致で物語が進む。

戦争が終わって10年も経たない世界の(日本の)姿など知らない人が読むのだけれど、遠藤さんの頭のなかには、戦争がもたらした深い傷と、切り口が 見えないような自分の心のなかにある傷を、どうやって文学作品として読者に投げかけるか、という大きな命題がある。それは、苦悩であり、着々と遠藤の文学 が出来上がってゆく喜びでもあっただろう。

そんなことを思いながら一文一文を追いかけてゆくと、晩年には見られないほどの素晴らしい美的な文章が埋もれていることに気付く。

宝石のような作品だ、と思う。

| 2008-03-07 17:40 | 読書系セレクション |


昨日、「白い人・黄色い人」を走り書きしてアップしたあとに自室の書棚で遠藤さんの本と私は向き合った。

白い人の文庫を取り出してみると、それはページの周辺が無残にも茶色く変色していた。裏表紙に「50」と鉛筆書きがしてある。まぎれもなく古本屋で 買った証拠だった。おそらく買った当初は変色しておらず、私の本棚で色があせてしまったのだろう。

ホームセンターで売っているスチールの5段済みの棚に、奥行き方向に3列、上に2段重ねにしている本棚。それを部屋の中に櫛型(図書館のように人の 隙間を開けて並べている様子を想像してください)に並べているので、奥の方なら日焼けしないはずなんだけどな。

予定外に、「青い小さな葡萄」が目に付いたので手に取ってみた。

作家は作品を重ねて大物になってゆくのは事実だ。司馬さんだって宮本輝さんだってそうだ。そう!村上龍もそうでね。

遠藤周作を知るためには、深い河ではなく、この時代を読まねばならない。そう確信しますね、この作品で。(はっきり言って、そんなに面白くないっ す)
| 2005-05-25 22:26 | 読書系セレクション |


深い河


あなたの心の中にいる神に恥ずかしいと思わないならば、すなわちあなたの心がまことなのだ。自信を持って生きなさい。そう語りかけているような気がしま す。

信仰とはなんですか。
敬虔な心で善にあるいは悪に直面したときに、アナタはどんな行動をしますか。
長い年月をかけてそういうところに達してゆくわけですが、その過程には遠藤さん自身の加齢も影響してると思います。後半にユーモア小説系の作品が少なかっ たのは、人気のせいで忙しかったこともあるものの、じっくりとこの「深い河」を導き出すための心の準備をしていたのかもしれない。

深い河。遠藤さんは、この「深い」という途轍もなく重い形容詞を、最後の物語に使ったのは、決して偶然でないのでしょう。そんな気がしますけど。ど うなんでしょうか、遠藤さん。

先にもあげた「ユーモア小説集」(1~3集)を読まずして遠藤を知ったと言うなかれ。
「わたしが・棄てた・女」の読感をいっぱしに書かずして遠藤を語るなかれ。

そう遠藤ふうの口調で言い続けている私ですが、遠藤さんは、ひとりの人間がどんな生き方をして、何を考えて、何で悩んでいるのかを上手に飾り付け て、私たちの人生に重なり合わせて、これでもかというほどの作品をぶつけてくれました。重い作品やユーモアなものを交えて。。。

すべての作品について感想を書く機会があったら書いてみたいですが、いったんはこの辺で終わって、他の人も振り返ってみようかな、と思っています。

そうそう、「棄てる」という言葉は、「紙くずを籠に棄てる」というように使うんです。「捨てる」とは違って「棄てる」と書いたその深い意味をどれだ けの人が知ってるのでしょうか。最近のメッセージを書きながら、どうしても絞りきれないオススメ本・二冊には、「わたしが・棄てた・女」と「深い河」がい いかな、と思い始めたのでした、私。
| 2005-06-06 20:00 | 読書系セレクション |


深い河 (再)


「深い河」を再読し始めて、何日も過ぎます。通勤の車の信号待ちや居間での短いくつろぎ(あるいはトイレだったり・・・)に少しずつ読んでます。

「わたくし・・・・必ず・・・・生まれかわるから、この世界の何処かに。探して・・・・わたくしを見つけて・・・・約束よ、約束よ」

そんな台詞を盛り込む一方で、
「人生は自分の意思ではなく、眼にはみえぬ何かの力で動かされているような気さえする」
などと書いている。

このような方法は宮本輝の小説でも盛んに見られまして、ひとつの人生哲理を代弁してもらっているような共感とその快感を私たちは味わえますね。

ここでも居ました。

・「ガストン」というドン臭い外人さん。
・要領よく生きてゆくことのできない弱い人
・知的で且つ現代的で、冷たそうな面と深い人間味を備えたスゴイ美人そうな女性(私が男だからそう思うのかな)
・哀しい眼差しの犬

そういう人たちが、いかにもありそうなドラマの中で絡み合って、私たち読者の性善説なる心を刺激しますね。

生きてるころの遠藤さんの話し振りをよく知っているだけに、台詞のひとつひとつが真顔の遠藤から発せらているように思えて(ジョークも同様です が・・・)なりません。

「テレーズ・デスケルウ」への強い思い、その後、「イエスの生涯」「海と毒薬」「沈黙」を経て、さらにユーモア小説集や中間小説で構想を磨き上げ、 遠藤さんは「深い河」へと辿り着いたのでしょう。若いころの遠藤から加齢とともに確実に成長してきたあとのひとつの提示であるような気がします。遠藤が普 段から冗談のように茶化して語っていたその本意も含めてすべてが盛り込まれているような気がします。
(まだ300ページあたりなんですけど、ね)

| 2005-07-03 12:52 | 読書系セレクション |


深い河2005年07月05日 のメモから

今、遠藤周作の深い河を読み終えたところです。9年前に読んだときとはまったく違う気持ちで読みました。私も遠藤の年齢に近づいてから読んだという ことで、感じるモノも随分と変わってきました。

終わり間際での美津子のセリフ。

「本当に馬鹿よ。あんな玉ねぎのために一生を棒にふって。あなたが玉ねぎの真似をしたからって、この憎しみとエゴイズムしかない世のなかが変わる筈 はないじゃないの。あなたはあっちこっちで追い出され、揚句の果て、首を折って、死人の担架で運ばれて。あなたは結局は無力だったじゃないの」

私はこの無力という言葉に果てしないチカラを感じるのですが。

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※深い河、で検索してもらうと関連が幾つかあります。
| 2008-05-14 17:41 | 読書系セレクション |


女の一生 1部 キクの場合


女の一生のレビューを書きました。

この本は先日、ドボドボと血が出ているにもかかわらず、絶対に時間を作ってでも読もうと思って病院に持ち込んだものです。

病院の食事の前後に、手を合わせてお祈りをしてしまうようになったのは、本当です。

━ ・ ━ ・ ━ ・ ━ ・ ━ ・ ━ ・ ━ ・ ━

この小説は朝日新聞に連載されていたもので、毎日切り抜きながら読んだことを強く記憶している。連載を読みながら大事なことに気づかずに読んでいた ことを、今回、25年ぶりに読み起こして知った。

女の生きかた、いやそれは遠藤周作のひとつの理念として確たる形を持っている女の人生というべきもので、同時に男の人生でもあるのだが、初読のころ の私は学生だったということもあり、今、私の人生に数々の襞ができたことも大いなる理由となり、「女の一生」という物語が私に再発見という形で投げかけた ものは大きかった。

遠藤周作は若いころから、形を変えて人生というモノについて書いている。それはありふれた題名のものであっても、中味が濃く、予想以上に深い思いや 願いが込められてきた。あるときは神聖なものとして、またあるときはユーモアを交えて、遠藤氏の分身が物語に登場する色合いが格別に面白く人気の秘密でも あるのでしょう。そんな小説に加えて、海と毒薬、イエスの生涯、母なるもの、沈黙などという作品に出会った学生時代、私は遠藤を知ったかぶりしていたのだ ろうか。

15年以上も遠藤周作から遠ざかり、その間に彼自身が亡くなってしまっている。最後の作品と言われる深い河に触れた去年、私自身は30年前へとタイ ムスリップした。そこで遠藤さんと再会し、文学者としての遠藤周作の姿を別の角度から見ることができる。何というか、奥までやっと見通せ始めたような気が したのです。

「女の一生」は、新聞小説というメディアが今以上に末層の人々の心を捉え、活字が日常に与える憩いのようなものの活発な時代の作品で、彼のファンた ちはこの作品を上位にランキングすることも多い。

ミツとキク。

彼は、女を書くと天才的な筆致を見せてくれる。それが代表的な彼の作風であり、陋劣でうだつのあがらない男、他人の悲しみをごく自然に自分の気持ち に重ね合わせることのできる女がいる。
しかもその清らかな女に深い悲しみが襲い掛かるという展開。強い男、弱い女、そして弱い男。
こういうのをドラマチックというのだろう。

ここまで書いてはたと困ってしまう。
キクのような女は、どう表現すればいいのだろうか。

この作品を読んで、私は、私が歩んできた人生や喜怒哀楽、数々の軋轢、失意などを瞬時のうちに思い起こし、同時に私なりのキクを増殖させて「美し く」「母なるもの」としてキクをイメージしている。
人には人の生きかたがある。捉え方は千差万別だろうけど。

またしても、湧き上がってくる疑問。
何故、遠藤周作なのか。

解決しようとしても、お茶目にジョークを飛ばしている彼の姿しか思い浮かばないから、もしかしたら、
「バカだなあ、そんなこと考えてるのがバカなんだよ、キミらは。もっと僕の小説を読みなさい」
と真顔で話す遠藤の姿は実の記憶なんだろうか。
| 2006-03-15 13:08 | 読書系セレクション |


女の一生 2部 サチ子の場合


実は、出血している箇所以外は元気なので、一生懸命読書に励んで、オイオイと泣きじゃくっていたのですが、看護師さんがカーテンをバサッと開けたときは、 恥ずかしかったなあ。

一部と二部は、続けて読みましたが、あっという間の入院生活でした。

看護師さまが天使様に見えるし…。

去年、長崎に行ったときにこの本の事をすっかり忘れていたことが、悔しいな。
長崎。行きたい。

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1部と比較すると遠藤周作自身のイメージ像に重なり合う場面や人物が多くなる。
戦中から戦後に掛けてを背景として、彼が人を描くドラマはそういう点でも生き生きしていて面白い。
すでに評されているようにように、重苦しく書く必要は何もない。純文学というものが胸を張らなくても (張っても大いに結構ですが) 遠藤氏は十分に数々の作品を通じて命題を解決しようとしてきているのだから。

あたかも自伝的小説の如く、力強くあり、また悩ましくもある作品としたことで、1部とはまったく違った色合いが出せたのではないでしょうか。そこ に、長い間、閉ざされていた遠藤作品が再着火し、そいつがペーソスが少し入り混じったものだだけに、1部と同様に目頭を拭うタオルは欠かせないものの、少 し余裕も持って読むことができる。

遠藤氏の身体のなかを脈々と流れるひとつのテーマは、数々の作品を通じて姿を変えて感動を呼ぶ。遠藤氏は決して美文を書く人ではないのに、多くの ファンが美しいと褒め称える原因は、物語が刻む心のクロックのようなものをわきまえていて、感動する瞬間を上手に載せてくるところにある。読み手を催眠術 に掛けてしまったように、うっとりとさせてしまう術があるのでしょう。

強く、かみ殺すように悔しく哀しい物語でありながら、悲壮感を照れで誤魔かしたようなところが、彼らしいと言えるし、何年にも渡って嫌味もなく人気 作家であり続け、なおかつ文学者だったひとつの理由だろうか。

戦中を背景とした作品を書かせて、これほどまでに、明るくもあり暗くもある作品を書ける人は、遠藤周作をおいて他に誰一人としていない。
(ですよね?)
| 2006-03-15 16:42 | 読書系セレクション |


王妃マリー・アントワネット 遠藤周作


結末の明確なこの人のドラマを、いったいどのように書こうというのだろう。手にしたときは、そんな疑いのような気持ちでいっぱいだった。読み終われ ないかもしれない。

遠藤さんがこの作品を雑誌に連載していたときに断片的ではあるが読んでいたこととその連載の挿絵がかすかに記憶としてあるだけで、他には、何ひとつ 映画もドラマも演劇も本も知らないままで読み始めた。

まず最初にどうしても書かねばならないことは、マリー・アントワネットという女性が、想像以上に魅力的だったことだ。というか、遠藤さんは、そうい う女として彼女を書きたかったのだろうと、切々と感じた。

史実を冷めた目で眺めては作品の良さが見えず、それではもったいない。文学として物語りを心躍らせて愉しませていただくのが一番よろしいようです。

劇的な悲哀を描くわけでもなく(いや、劇的でしょう、と反論されたらそれも否定できないけど)、淡々と死刑という歴史が残している結末へと進んでゆ く。
(中弛みや、話の濃淡が出来るのは仕方が無いことだし、それを乗り越えて遠藤周作の媚薬のような ─ 人物ご自身からは想像も出来ないほどの ─ ロマン チズムととろけるような気障な文章が、くすぐったいのですが、麻薬のように本を手放せなくしてくれる。)

遠藤周作は、数々の作品の中で数々の女性を書いてきました。それは大抵が弱者で、幸運という偶然で左右することの出来ない運命を背負った女性で、し かも、その人の不幸を容赦なく不幸として冷たく書き、助けようとはしなかった。

もちろん、それは助けてはいけない掟があるからだが、周作さんのペンは精一杯暖かい手を差しのべているのが、手にとるようにわかるのが伝わってきて 私の心を揺るがす。

「人間にはそれぞれの役目というのがありますね」
ポリニャック夫人は首をふった。
「その役を負わされている方が心のなかでどんなに孤独かはだれにもわからないでしょう。でも、その孤独に耐えて、その役を勤めおおせることが高貴な方の生 涯だと」(一部略) 上巻304ページ

こういう箇所などは、周作さんの頭の中からひとときたりとも離れることのなかったことなんでしょう。

ひとりの女性を、それは美人でなければ、フランス革命という時代に生まれなければ、何の変哲もないただの王妃だったかもしれないのに、こうしてひと つのロマンのあふれた物語の主人公にしてしまった遠藤さんの凄さは、彼のジョークなトークからは想像も出来ないマジメな人柄そのものであり、彼がずっと心 の中に抱き続けているひとつの疑問なわけです。

彼は、物語の中に「孤独」で「高貴」な女性、マリー・アントワネットを書きながら、彼女のことを彼が自作でこれまでに登壇させた「聖女」たちと同じ ように思っていたのではないだろうか。
もしも遠藤さんにそう尋ねたら「そんなこと、質問することじゃないだろう」と叱られるかもしれないが。
作成日時 2007年07月07日 09:14
| 2007-07-07 21:15 | 読書系セレクション |


海と毒薬


学生時代に医用電子工学講座というところでお世話になっていたので、動物実験が度々ありました。Kさん(M2)は人口膵臓の研究者で、糖尿病の犬を飼って 時々散歩をさせたりしていました。犬は人懐っこく、学内を何度か散歩に連れて回ると飼い主を覚えているのが分かりました。動物実験では、この糖尿病犬を 使ってインシュリン投与の制御実験をします。別のグループにいた私には、詳しいことはわかりませんでしたが、犬はその日のうちに実験の最中に死んでしまう のをいつも見て知っていました。大の字に固定され、幾本ものチューブや計測器に繋がれていた犬の姿を思い出します。そういう実験を年に何度もやりました。

私の場合は犬ですが、まあ、それでも可哀想な話なんですが、人間を実験に使う「罪悪」というものを問い、それに苛まれ続ける医学生たちの良心、倫理 観。さらにはそこに「時代」がどっぷりと重くのしかかる。

海と毒薬は、犬ではなく、人間で実験をおこなうという実話を参考にした話です。主人公の勝呂という医学生は、戦争中の米国人捕虜を使った人体実験に 参加せざるをえなくなります。戦争という時代背景が何というか、私には悔しかったなあ。

すべての人間が貧しく、必死で生きようとしている。一寸先は闇で、幸せなどまったく予期できない世の中で、自分はどうして生きながらえてゆけばいい のか。人を踏み潰して生きて行くのが正しい道か。

戦争を自分の目で見て大きくなった人々の書く文学の火を絶やしてはいけないと思いますね。遠藤さんと同年代の皆さんが次々と逝ってしまえば、それで この時代の文学は終わりで、次にやってきた新しい現代の小説が売れていればいいというものでもないでしょう。

遠藤さんの5冊を挙げれば必ず選ばれる1冊ですね。いかがですか。
| 2005-05-27 18:43 | 読書系セレクション |


海と毒薬(その2)

今は亡くなってしまったけど、私が学生時代の遠藤さんはベストセラー作家でした。キリスト教作家として、重い文学作品を投げてくる傍ら、「ほら吹き 遠藤」としても有名で、ユーモアのある人気作家でした。

戦争を生きた作家たち。彼の友人・仲間たちがそれぞれの持ち味で戦争のなかをどのように生きてきたのかを書いています。例えば、阿川弘之さんの数々 の作品がそうです。

遠藤さんは戦争に行かなかった人ですが、戦争の真っ只中を生き抜いてきた人でした。まさに生き抜くという言葉が相応しく、神様から戴いた命を大事に しながら戦後の人々の心を潤す文学作品として数多く書いている。

小説の中では彼は言葉を使って物事の考え方などを説き伏せようとしてこない。作品のなかに、読者にゆっくりと考えさせて提起するだけです。

この物語で事件を扱って以来、多くのフィクション、ノンフィクションの作家たちが、事実を追い続けることになりました。

私たちの暮らしのありふれた一場面の、その延長上に遠藤さんの書く小説の舞台があります。
あのとき、偶然、あの曲がり角を曲がっていたら、同じ悲劇を自分も味わうことになっていたのかもしれない…というような感じで哀しみや歓びを共感させてし まう。そういうところが遠藤さんのさり気ない凄さですかね。

時代は刻々と過ぎているのですが、この作品も学生時代に読破しておくべき1冊ですね。やはり、時代背景を十分に学んでから読み始めて欲しいです。

(…と言うことで、阿川弘之とセットで、どうぞ)
| 2006-07-15 16:00 | 読書系セレクション |


何故・遠藤か。 ---虚空を彷徨う儚いもの---


私はこのテーマをひと月余前に挙げてから、再び遠藤の作品を手にとるようになりました。そして、あるところで著作紹介として書き始めたものを、このブログ のなかの「読書系セレクション」カテゴリーに転載しています。(全部を引用するわけにはいかないのでお許しください)

没後、彼の作品から遠ざかっていましたが、逆に没後から彼を読み始めた人もあると思います。そういう様々なファンをごちゃ混ぜにできるこういうコ ミュはある意味で面白い。

さて、
遠藤は晩年、芥川賞の選考委員をしていましたが、そのあとに宮本輝が同様に選考委員になっているのは偶然でしょうかね。

二人の文体は決して似ているとは思えませんが、読み手の頭のなかに映像の動きを連想させるよりも、心の動きを想像させるような部分が多いように感じ ます。そんな側面があると思います。簡単な文章です。中学程度の国語で十分に理解できるような文章により、複雑に絡み合う心をさり気なく綴り出し、作者の 生きる哲学のようなモノを所々に散りばめてゆく。

彼ら二人はこのような書き方を何の意識もなくするのですが、それが大きな魅力です。遠藤に至っては、元気な折にTV出演も時々こなしまして、カメラ の前で話をしている雰囲気とは別人を想像させるようなタッチで小説やエッセイを書き上げてゆきました。

小説自体が、虚空を彷徨う儚いものであるなればこそ、彼らが求めている世界にはある種の強い提示が潜んでいて、それが私の読書に向けた波長に頗る同 期していることで、この波長を通して二人が似ていると感じるのではないかと私は思います。

みなさんの感想を読みながら、これが私のなかにある感想と相まって、遠藤の魅力を増殖させます。

昨日「深い河」の文庫を書棚から手元に取って来ました。激しく日焼けしてしまっています。驚くことに'96.6.23(月)と書かれていました。 ちょうど9年前の昨日です。何かのお導きかもしれませんね。

-----

このように書いて、私は遠藤周作の深い河を再び読み始めたのです。9年ぶりに。

★「わたくし・・・・必ず・・・・生まれかわるから、この世界の何処かに。探して・・・・わたくしを見つけて・・・・約束よ、約束よ」

しばらくは、この本に浸ろうと思います。

| 2005-06-23 09:53 | 読書系セレクション |


ユーモア小説集


書き出しは・・・
>読者諸君。
>この女は嘘つき、嘘つきでないかを見極める方法を狐狸庵、教示いたそうか。

遠藤さんを取り上げてきました。しかし、書庫のすべてを挙げても面白くないので、一部を抜粋してお送りしています。あんまりしつこくやっても個人的 に遊ぶなと(既に遊んでいますが)叱られそうなので、そのうち終わりにしようと思います。

この、「ユーモア小説集」という作品は「第三」まで我が家にありますが、その後はわかりません。現在出版されているかどうかもわかりません。でも絶 対に、古本屋に行けば百円程度で買えると思います

ぜひ。

| 2005-06-02 08:53 | 読書系セレクション |


イエスの生涯


十年ほど前に青森県の三内丸山というところで縄文時代の大規模な遺跡が発見されたんです。そのときの報道記事を読んでいてグググと惹かれモノがひとつあり ました。

縄文時代の生活のなかで、生まれたばかりの子どもの埋葬の方法について記事は書いていました。

ムラが形成されているなかに、いわゆる、死んでしまった人を葬る区域がある。その、ムラの外れのいかにも墓地に相応しいところでありながら、しか し、どうしても不可思議な骨が見つかるというのです。

人々が暮らしていた家の、住居の中の壺の中に生まれて間もない、おそらく1 2歳未満の赤ん坊の骨が発見されるという。つまりそれは、子どもが何らかの事情で死んでしまっても、大人が死んでしまったのとは区別をして、子どもは自分 たちの暮らす家の中に埋葬した痕ではないか。

私は、それを読んでナルホドと思いました。

次のまとまった休みに枝葉をつけて2週間ほどの旅程で東北まで出かけました。三内丸山遺跡には3日間滞在して、その遺跡を(まだ発掘過程でしたがそ のほうが感動も大きかった)くまなく見て回りました。

人は、死んでしまうという概念を持たない世紀には、息をしなくなった自分の子どもが、もしかしたら生き返ってくると思ったんでしょう。死んでいると 誰も決めることができないのだから、赤ん坊であればいっそう、わが身のそばに置いて留めておこうとしたのでしょう。

いえいえ…
イエスキリストという人物が何をどのように話されたのかは私にはわかりませんが、イエスの生涯を読むとき、宗教とか信仰などという人の心を包み抱きかかえ てくれるような概念が、この世紀にはどんな形で存在していたのだろうか…と思います。

人は無力に対峙し、強くもあり、弱くもある。遠藤さんは割りと早い時期に「イエスの生涯」を書いて、ずっと考え続けておられたんでしょうね。「深い 河」に至るまで数々の苦悩や喜びがあった。作品すべてが遠藤さんの実像ですな。
| 2005-05-29 20:37 | 読書系セレクション |


ピエロの歌(上・下)


このタイトルを読むたびに遠藤さんがピエロに扮しておどけている姿を想像してしまう。
そういうひょうきんな面が印象に強く残る。

小説は作り話なのだから実際にそんな話などがあるわけではないのだし、大体がそんな限られた人間だけで、しかもグッドタイミングで事件が次々と起こ るはずも無い。
冷めてみれば、所詮、遠藤さんの作り話で、読者はそれを愉しめばいいのだと言う人もある。わかっていながら遠藤さんの文庫に手を延ばす。
そういう人が多かったからでしょうか、講談社・遠藤周作文庫というのがあったのです。今は絶版かもしれません。興味のある人は古本屋でも探してみてくださ い。

私の手元にある「ピエロの歌」には1979年(S54 年) 6月12日 火曜日と裏表紙にメモがあります。古本屋さんが値段を鉛筆書きで書いていて「2冊で300円」と書かれてます。

詳細に記憶は無いですけど、
ハイライトが80円。セブンスターが100円。銭湯が95円。確かビール大瓶も95円ほどだったように思います。
東村山市から都内の江古田に引っ越し移り住んだ下宿屋は、夕飯の賄い付きの下宿代が2万5千円。洗面所は共同で当然風呂なしの裸電球の4畳半で、カギなし の戸板で廊下と仕切られた部屋でした。(仕送りは5万円だった。)
北側に小さな窓があり、机に座ってその窓を開けると道路を隔てた南国屋さんという食堂の2階が真正面で、そこに下宿している女性の部屋が丸見えでした。彼 女は名前も知らないけど、私のことなどは気に留めないでお気楽に下着で部屋を歩き回るし、窓には平気で下着を干すし、二十歳そこそこの学生にとっては結構 刺激が強かったけどドラマのような毎日でした。

ストーリーは申し訳ないですが全然憶えていません。

「滑稽でチョッピリ哀しい若きピエロたちの青春小説」(上)、
「思いもよらぬ都会の密室を利用した謀事が巻き起こす、若い男女のロマンに満ち満ちた恋と革命の青春小説」(下)
とブックカバーに裏に書いてある。

私も青春時代だった。
| 2005-05-26 17:19 | 読書系セレクション |


白い人・黄色い人


阿川弘之や島尾敏雄、石川達三には「さん」を付けないのに、遠藤周作には「さん」を付けてしまう。川端康成が、、三島由紀夫が、、と違和感は無いのに、遠 藤が書いた、、と書くのが妙な感じです、私には。

実際に元気な時代を知っていることもあろうが、作家として作品を通じて伝わる以外に、遠藤周作という人には庶民性があったということなのだろうか。 これは疑問のままです。

大好きな宮本輝さんは、やはり「宮本輝さん」というように書いていることが多いですねえ。

さて、タイトルには「白い人 黄色い人」をあげました。このスレッドを書き始めたときに決めていました。それは、遠藤さんが文学界に姿を出した初期の作品 で、遠藤さんは作家になって一番に伝えたかったことがエッセンスとして詰まっているのではないか、と思うのです。(もちろん、深い河や死海のほとりを抜き にしているわけではありません。)

芥川賞に今も昔も変化が無いとすると、「白い人」も昨今の作品と同じような評価だったのかも知れません。しかし、そこには遠藤さんの若さがあり、若 きが故に持つ悩みも書かれています。

私は学生時代にこの作品を読みました。このころ、石川達三や椎名麟三、原民喜、島尾敏雄、阿川弘之、福永武彦なども読みました。若い時期に書かれた 遠藤さんの作品を私も若いときに読んだことが、ある意味で幸運だったような気がします。

もう一度、読み返したら若返れるだろうか・・・(ギャフン)
| 2005-05-24 19:48 | 読書系セレクション |


おバカさん


涙を流しながら笑うというのは、このような本を読んだ後のリアクションをいう。

ガストン=ボナパルト。もう25年以上も前に読んだ本の主人公など、はっきり言って覚えていません。伊豆の踊り子だって忘れました。
でも、おバカさんの主人公は覚えているんですよね。

ユーモア小説とか中間小説というジャンルを切り開いた遠藤さんの功績は大きいし誇りですね。
純文学というジャンルで真面目に、静かに、訥々と、重く訴える。だからこそ、ユーモア小説が生きてくる。同じテーマで物語れば、読者はやられてしまうの だ。

やっぱし、遠藤さんは照れ屋だったから、恥ずかしがり屋だったから、ユーモアでごまかしてみたり、ヘンな変装をして笑わせたりしていたんだな、と思 う。そう私が書けば、きっとウンウンと頷いている人が何人もいるはずです。確信します。

犬が出てくるんですよ。弱くて、意気地がなくて、訴えかけるように哀しみを秘めた眼差しで見つめる犬が…。
ほかの小説でも登場します。遠藤さんはこの犬で何を表現しようとしていたんでしょうね。
ねぇみなさん。お読みになったみなさん。如何に感じながら読まれましたか?

まだ読んでない? だったら、おバカさんから始めませんか。

| 2005-05-23 17:52 | 読書系セレクション |


おバカさん

角川書店(角川文庫)\530

遠藤周作でも読もうかなと娘がいう。
遠藤周作が生きていたら「でも読もうとは何だ!」と笑いながら怒って見せる顔が思い浮かぶようです。

そこで、おバカさんでも読んだらどうや、と無理やり渡しました。

貧乏な学生時代にこの本を読んで遠藤周作の世界に深く深くはいっていった。記念すべき一冊です。すかさず友人にも薦めてました。ちょうど、娘ももう すぐ三年生。30年違うのですが不朽の名作を読みなさいな。

周作さんが亡くなってから随分とたちますから、若い子はどんな人だったのか知らないのでしょうね。作品(純文学・中間小説・エッセィ)と実物は随分 かけ離れているように思われがちですからね。

しかし、こういう作品の隅々をきちんと読むと周作さんの人柄が出てきます。そのためにも必須の一冊です。

ガストンは、遠藤周作の化身でしょうか。
バカで正直で、一直線。
どん臭い。
「深い河」にも登場していたので驚きました。

というわけで、遠藤周作が好きだという人は、この一冊は欠かせないでしょう。

そういえば、悲しい瞳で見つめる犬、あいつもよく登場します。
| 2008-03-21 15:08 | 読書系セレクション |


何故遠藤周作なのか


色々と迷ったのですが、やはり、遠藤周作さんのことを振り返って、ココでみなさんに問うてみたくなったのです。

「ホラ吹き遠藤って言うんだよ、今から会いに行ってくるんだ」
そう先生が講義中に話していたのを思い出します。25年以上前の一般教養の講義だったな。

私はそれ以前から遠藤さんに出会っていたけど、学生時代にグイグイと引き込まれていったのはあの講義を聴いたからでした。慶應文学、いいねぇーって いう、そういう時代だったな。

○ みなさんの遠藤さんとの出会いは何ですか?
○ なぜ、遠藤周作なのでしょうか、どこが好きなんだろうか。

語ってくださいよ、ねえ。
| 2005-05-15 16:12 | 読書系セレクション |


わたしが・棄てた・女


自分の無力を感じるとき、どうしようもなく心が疲れて、それを何処にもぶつけてしまうことができないときってのがあります。社会や人の繋がりの中にいるこ とさえ嫌になってくるとき、一種の虚脱感が私を襲ってくる。オトナだったら酒でも飲めば解消できるでしょッ、っていう人があります。そんな生半可な程度 じゃない。とことんどん底まで沈んでしまうようなコイツに襲われたら、自分というモノがすべて消えていってしまう。

そんなときは自室に篭もることが多かったです。椅子に腰掛けて本棚を見上げる。中国古典モノ、司馬さんのような歴史モノ、本多さんのルポ、などな ど。どれもが私の踏み出す一歩にヒントを与え勇気付けてくれたものばかりです。そういう本を見上げて、何を考えていたのかねぇ…。

「わたしが・棄てた・女」は異色ですが、手に取ってパラパラとめくると、荒波の上にいた船が凪に入ったように心に静寂が蘇えってゆく。不思議な本で す。どうして惹かれていくんだろう。

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>あの日も渋谷に雨が降っていた。
それは小説のなかのひとつの情景です。
都会の雨は冷たい。

(これを読んだ時代)
履歴書に書けない時代をアチラコチラで足踏みしていた私はつまりは卒業するのが少し遅れてしまって、恋人気取りだった人は私よりもひと足先に銀座の大手商 社に入って働いてました。その子と月に何度か落ち合うために銀座をぶらついたことがあります。待ち合わせスポットの人ごみの中にいると溢れている雑踏が私 を押しつぶしてしまうかのような錯覚に陥る。自分はトコトン孤独なんだ。たった一人の人だけを頼りにソコにいる寂しさを感じながら待ち続けます。

主人公の森田ミツも孤独だった…。

私はこの本を書店(古本屋)で手にしたあと、横断歩道を渡ったりしているときも、もちろん電車の中でも読み続けたのを憶えています。
遠藤さんを読みあさるきっかけとなった作品がこの作品です。ひとりの作家に集中して全作品を読むというようなことを私は滅多にしませんでした。ですが、遠 藤周作さんという人の作品は結構片っ端から読みました。
今風にいうと「ライト」な感覚の小説です(軽小説)が、小説の軽い重いを認めても、主題はもとより作品の質にライトな感覚は何ら関係がない。立派な遠藤周 作の代表作品だと思っています。

(ジュニアで書いたこと)
本棚にはこの本が何冊もありました。
街を歩いていて本が読みたくなってどれにするか迷ったらこの本を買うからです。
主人公森田ミツを通してひとつの生き方を提起してくれます。
イエスキリストとか愛という言葉を使わずに、人の心の本質というものに迫る。
あの日、森田ミツが歩いた渋谷の坂道にも霧雨が降っていた。
霧雨に遭うと必ずといっていいほど、私はこの小説の一場面を思い出します。

遠藤さんは、すごく茶目っ気のある人で、真面目なことを真面目に話すのがとても照れくさい人だった。
そういうこともあって、少しオーバーなホラをふいて自分を誤魔化してらっしゃった人でした。友人たちに「ホラ吹き遠藤」といわれてもそれはまったく悪い意 味ではなかった。それを知りながらライトな小説を読めば、何ら「海と毒薬」の読後感と変わりがないことに気付くことでしょう。
| 2005-01-27 10:04 | 読書系セレクション |


わたしが棄てた女

誰に読んで欲しいか。若者に読んで欲しいですね。

神島に行った時に、「今の若者は果たして潮騒のような恋愛モノに感動するかどうか」という話も出ていました。
「私が棄てた女」を読んで読んで感動するヤツがいるかどうかも、推測しがたいところですが、まんざらそんなに寂れてもいないんじゃないの、ってのが私の期 待です。

古本屋で講義の帰りに----サボってではないことにしておこう----100円程度で買って、歩きながら読み、飯も喰わずに貪り読んだ一冊です。

あの日も渋谷に雨が降っていた。
そう、先日読んだ「東電OL殺人事件」も渋谷の街の裏通りだった。
わかるかなー、このやるせない感じ。

■NO[ 236 ] [ 2004-10-30 ]
私が・棄てた・女 遠藤周作
遠藤周作さんを引っぱり出しました。本棚にはこの本が何冊もありました。街を歩いていて本が読みたくなってどれにするか迷ったらこの本を買うからです。主 人公森田ミツを通してひとつの生き方を提起してくれます。イエスキリストとか愛という言葉を使わずに、人の心の本質というものに迫る。あの日、森田ミツが 歩いた渋谷の坂道にも霧雨が降っていた。霧雨に遭うと必ずといっていいほど、私はこの小説の一場面を思い出します。

| 2004-11-04 23:05 | 読書系セレクション |


聖書のなかの女性たち


約30年前の赤茶けた蔵書の発掘は続いています。

果たしてこの本も絶版になってはいまいか。
心配ですが。

青い小さな葡萄
白い人黄色い人
を貪るように読んだころ。

この本も何気なしに手にとったのでした。
あのときにはこの本の意味がそれほど分からなかった。
ちょっとした理屈でしか理解していなかったのでしょうが
彼が40歳のころにどんなことを訴えようとしていたのかが
今頃、やっと、わかるような気がするのだな。

遠藤周作
聖書のなかの女性たち

遠藤周作の「死海のほとり」を読みましたとか、「イエスの生涯」を、「沈黙」を、「海と毒薬」を読みましたと幾ら声高々に言っても、「青い小さな葡 萄」、「白い人黄色い人」などを知らずして遠藤を知ったことにはならない。

さらに、この「聖書のなかの女性たち」を遠藤周作がどんな気持ちで書いたのかを知らずして彼の作品の裏に隠された彼の本心を知ることはできない。

「深い河」は素晴らしい作品で彼の最高の作品ですと感想を書く人が、次々と出てくるなか、私はその方々に「それは本心ですか?」と問いたくなること がある。

それほど「深い河」は素晴らしいか。その絶対的な評価はまたの機会とするにして、相対的にあの作品をそれほどまでに高く評価できる人の心理に一歩踏 み込みたい。

遠藤氏がどんな人間で、何を考え何をバックボーンに尊大なるテーマに向かい合っていたのかを考えるときに、安易な作品評価は出来ない。

まあそんな堅苦しいことは言うなよ、と遠藤氏自身も言ってくれるかもしれないが、若いころの作品を、真剣に読んで欲しい。40歳になるまでに書かれ た作品群には彼のポリシーがみなぎっている。

しかし、初期作品がそんな重要な作品であると断言しながらも、これは、軽くてわかりやすいエッセーであったというのが、彼の隠されたユーモアなのか もしれない。

この作品はなるほど確かにエッセーであると分類されるらしいが、その数々の重い作品の最後の章に「秋の日記」というのがある。まずこれから読まれる ことをオススメしたい。

全ての遠藤作品を読む前にこれからどうぞ、と言ってもいいくらいだ。
| 2009-12-24 22:37 | 読書系セレクション |


母なるもの


母なるもの
新潮社
遠藤 周作
1975
200円

表紙を虫が食ってしまって、トムとジェリーに出てくるチーズの表面のように穴ぼこだらけになってしまっている。
昭和五十一年十二月十日、第三版だから(200円)、初めて読んだのもこのころだろうか。二十歳前後ということになる。
このころは、まだ、遠藤周作を読み始めて間もない。しかも、小説というモノに興味を抱き始めるのも18歳のころであったことを考えると、私にとって小説= 遠藤作品のようなものであったのかもしれない。

「母なるもの」というタイトルは、素晴らしいと思う。
これが、44歳で苦悩の中で生まれた作品で、その後、深い河に至るまでの、彼のすべての作品の中を脈々と流れ続け、彼が永遠に追い続けた自分の神にしか見 せることのない姿を、そこに映し出しているような気がする。

作品はエッセイ風に進むのだが、後々に遠藤周作の作品を読むに当たって必ず必須となることが散りばめられている。

何故、再び、30年も前に読んだ作品を今頃になって読むのか。

「母なるもの」が私をいざなったとしか言いようがない。
| 2009-02-22 14:12 | 読書系セレクション |


遠藤周作さんのファンに、そのきっかけの作品を問いかけると「女の一生」、「深い河」という答えが返ってくることが多い。

やはり、亡くなられてから年月を経てしまったこと、生前のあのひょうきんさの裏にある真面目な素顔を、実物で見て知っている人が少ないゆえに、名作 としてリストアップされる作品が同時に人気を持つのでしょう。至って当然のことなのです。

しかし、「テレーズ・デスケルウ」(遠藤周作翻訳/講談社文芸文庫)や「母なるもの」を抜きにして遠藤さんを語ることはできない。

遠藤周作を知るためには、「母なるもの」を読み、「ホラ吹き遠藤」の異名を確立させる「狐狸庵閑話」シリーズをよみ、中間小説というジャンルを切り 開いた代表作「わたしが・棄てた・女」「おバカさん」を読み、同時に「死海のほとり」や「深い河」にも手を伸ばす。

遠藤周作の世界に浸ることで人生観が変わってしまう人が絶えない理由は、彼の優しいまなざしにある。「母なるもの」に遠藤周作の原点があるともいえ るのではないか。
| 2005-05-22 17:37 | 読書系セレクション |


金と銀


「金と銀」 遠藤周作文庫 講談社 300円

手元に取り出したのは、遠藤周作文庫(講談社)であるが、どうやら絶版らしい。

遠藤周作の初期のころの作品で、中間小説というものが定着していなかったのではないだろうか。彼のユーモアもちょっとこの頃は馬鹿馬鹿しいともいえ るが、それがよかった。

この頃は、まだ文学者(評論家)としての勢いがあって、文学作家への途上でもあったのかもしれない。

作風が若々しいというか、素人みたいなところもある。

最初からオモロイのは、梅崎春生や原民喜の名前をもじった主人公が登場することや「もてさせ屋」という商売が登場する。名前をジョークにしてし まったり、このいかがわしい仕事を考え出したりするのは、このころから少しずつ楽しくやっていたのだろう。もてさせ屋はほかの小説でも使われたと思う。

ばかばかしいのだが憎めない。

40歳。昭和38年。

日本は、今の時代からは全く想像できない国だった。
街の風景も、その当時を描写していて、面白い。

狐狸庵と自称するのもこの歳から。
わたしが・棄てた・女、もこの年の作品。
しかし、普通に読んでいる人には、同時期に書かれたものとは思えません。
流れるものは同じだけれど。

|2008-08-28 18:20 | 読書系セレクション |
|2011-03-23 | 改定


さらば、夏の光よ


一時帰省をしていた娘に、
「わたしが・棄てた・女」と「さらば、夏の光よ」
を持たせようと思ったら、
持って行かんというので、私が読みました。

遠藤周作、30年もの。拾遺選シリーズ。

映画にもなってるけど、あれはアカン。
郷ひろみと秋吉久美子。
いわゆる、アイドル映画にされてしまったんだなー。(悲)
ジェームス三木が若いときにシナリオを書いたんですが、
若いという点では、いい。

*さらば、夏の光よ (講談社文庫)
*遠藤 周作
*講談社

遠藤周作という人は、ほんとにお茶目で悪戯好きだったという。売れっ子作家でありながら人間味もあった。

それには、理由があって、彼自身が常に弱者というものを見つめていたし、弱者の立場も理解をしていた人だったからだろう。

純文学作品を幾つも書き上げしっかりとしたファンを捉え、このような中間小説で、化けたような側面も見せてくれる。

しかし、遠藤周作の全ての作品の(今風に言うと)ネタ帖を、ガラガラと広げて掻き集めて物語に仕立て上げたのがこの作品だ。

彼の日常から超マジな顔までを知っている、すべての作品を読んだ人だけが分かる快感だ。

哀しい目をした小禽や犬たち。報われず注目されないサエナイ奴ら。もてない男。
そして、通りすがりに「まるで小石を見るように」気にとめられない人たちが、それぞれの人生というひとつのレールの上で交差し、まさにドラマを成してゆく 展開。

どの小説でもそういう「弱く」て「哀しく」て「儚く」て「無力」な人々が織り成す物語に、分かっていながらも引きづり込まれてゆく。

どうしようもない哀しみと、解決のしようのない運命のようなものを引きづりながら、読者である私たちが「どん底」に突き落とされるような閉塞感に襲 われないのは、まさに遠藤周作のポリシーが燦然と美しいヒトの心をマリア様のように輝かせながら書いているからだろう。

遠藤周作が42歳。情熱を漲らせているときに書いた作品です。優しいくせにイジワルそうにふるまう彼の笑顔が蘇えるような作品ですね。
| 2008-06-27 22:03 | 読書系セレクション |


口笛をふく時


講談社文庫(絶版らしい)

歳月という言葉の意味をずっしりと重く感じる。そんな作品だ。

30余年前、正確には1976年5月3日に私はこの本を購入している。ブルーブラックの万年筆でそう記してある。その色褪せて滲んでしまった私の筆 跡がまたこの物語を読み進むにつれてずっしりと心に圧し掛かってきた。

それは私が上京した年で、東村山市の萩山病院の裏に在った寮に住み始めて1ヶ月あまりという時代だった。高校時代に短くスポーツ刈にしていた髪もま だそれほど伸びていなかったはずだ。(この年の夏に志村ケンがブレークし、東村山音頭が有名になった)

当然、私には人生について深く考えることのできるような経験もなかったし、人にも事件にも出会ったりしていない。そんな時代に、こんな作品を読んで 分かったのだろうか。そう、今更ながら大人の視点で振り返るが、18歳の若造はそれなりに感動していたらしい。

書棚の奥から出てきたこの本には買った当初のカバーなどなく、こげ茶色に変色した背中と柔らかみを失った一枚一枚のページが、30年という時間のな かでじっと誰かに掘り出されるのを待っていたのかもしれない。(ご主人の私が掘り出すか、私が死んだときに紙くず屋に放出されるときに誰かが触るくらいし か想定できなかったけど)

読み進む途中で、決して荒っぽく扱った訳でもないのに、製本の糊付けがパリッと音を立てて割れたと思ったら、2、3日のうちに真っ二つに切れてし まった。読み終わるときは無残な姿に変化してしまっていた。

ページを捲るたびにタイムマシンに乗ったように時間が巻き戻る。物語は簡単に脳裏に蘇えってきた。私の頭のなかには、かび臭い寮の部屋も蘇えってき た…。

赤鉛筆で線が引いてある。その箇所が、現在の私がまさにその一行に引いてしまうだろうという一文であることに驚く。私はこの歳になっても、いつまで も子どものままなんだろうか、と苦笑する。

遠藤周作のこのような作品は、彼の純文学と呼ばれる作品と共に、非常に重要な位置にある。一行たりとも無駄な記述がないのは、むしろ中間小説と呼ばれるコ チラの作品群だろう。

遠藤周作が51歳のときに書いたこの作品の随所には、彼が戦争中に青春時代を送りその暮らしや数々の出会いがもたらした棄て去ることのできない悲哀 が、ユーモアと苦味をブレンドして綴られている。遠藤という小説家の人間味を漂わせてくれるシーンやセリフで満ちている。

主人公の30年前の記憶と、作品が書かれた時代(1973-74年)とを折り混ぜながら物語は展開する。それは遠藤氏自身の夢の物語であり、そし て、おそらく自分のために送ったそれまでの人生への労いであり、ペーソスにのせた社会に対するささやかなる批判でもあったのだろう。

テレビに出演しては楠本健吉や北壮夫、佐藤愛子、阿川弘之たちとおバカなことをやっていた。しかし、キリスト教を主題にした純文学作家遠藤氏の本当 の心の中を探るためには、このような(絶版になったらしい)作品を読まずして始まらない。

古本屋を漁り尽くしてでも、遠藤を語ろうという人には読んでいただきたい。語れない人は研究不足だとキッパリと言えましょう。

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32年後に再び読み返してみたことを良かったなと思います。

18歳のときに読んだ小説。
遠藤氏が51歳に書いた小説。
それを、彼が書いた年齢になって読んでみる。

この感動と、作品自体がもたらす感動とで、今、満ちています。
| 2008-06-04 11:09 | 読書系セレクション |


遠藤周作 口笛をふく時

せつない、という言葉を知らないころに、もしも、この物語を読んでいたら私はどんなふうにそれを人に伝えたのだろうか。きょうは、「口笛を吹く時」を選ん でみました。
(遠藤周作文庫・講談社は絶版だそうですね。復刻しないかな。。。)

どの作品を取り上げても共通するモノが深い深い所を流れていることに気づきます。作家遠藤周作は、高額納税者リストのトップに毎年顔を出しながら、 嫌味な面も気取った顔も見せずに、ヒット作品を送り続けました。

ニコニコと冗談を飛ばし、
「なあ、アナタが嘘つきかどうか一発でわかるんだ、当ててやるよ。僕の質問に答えてくれよ。お風呂でオナラをしたことがあるかい?ねえ?」
などとやっていたのであるが、

(作品最後から)
美しいもの、懐かしいものはここだけではなく、日本のすべてから消えていく時代なのだ。平目も愛子もこの地上にはいない。それなのに自分だけが生き残って いる。小津は今、愛子や平目が自分の人生にとって何であったのかが、わかったような気がする。すべてが失われた今、それが残した意味がわかったような気が する…。

実はそのこには、遠藤さんが従来から語りかけてきた、世代の違い、人生の交錯、戦争の傷跡、弱き者、答えの無い問いかけ…、が作り上げるドラマの源 があると思う。

人は、涙を枯れさせて悲しい悲しいとただただ泣き続けてしまうことがある。
悲しいという感情や概念の原点って何だろう。「無力の悔しさ」でもあるのではないか。
所詮、小説、作り話…である。しかし、答えの無い問いかけは続くのでした。

さて、次は何を読みましょうか。
| 2005-05-29 10:53 | 読書系セレクション |


灯のうるむ頃


「気をつけなよ。父さん。歩きかたが下手だなあ」と龍馬が言う。
そうです。人生を歩んでゆくのが下手で、不器用な奴がいて、遠藤周作はそんなヒトに焦点をあてて書いてくれる。

30年前に(1979年6月に)御茶ノ水駅から坂道を下る道筋沿いの馴染みの古本屋で私はこの本を買った。「100円」と裏表紙にペンで記録してあ る。
小説にも出る明治大学界隈は私にとって日常の風景であり、そこに自分を立たせて、そして、間違いなく登場人物の龍馬に自分を重ね合わせて引き込まれていっ た。貧しく冴えない学生の私は、息子の視点でこの作品に埋没した。

今、既に父も亡くし子どもが二十歳を回ったところまで歩んできた。決してひと息ついているわけではないのだが、偶然に拾い出した書棚の遠藤作品を立て 続けに再読しながら、彼の作品群を布石として読んでいたあの頃に感謝している。
そして、今回は主人公である父親側に自分を重ね合わせている。

サクセスストーリーでもハッピーエンドでもないが、物語は至ってシンプルだ。極端な悲哀もなく、非現実的な「小説」である。

しかしながら、小説とはそうあっても一向に構わないことを実証し、一連の遠藤作品が訴えるものを、とても「クサイ」物語として読ませてくれる。クサ イがゆえにオロオロと大泣きもせず、その代わりに、何度も本を置いて空を見上げてしまうことが多かった。

赤鉛筆で直感的に下線を引いていた箇所が、今の私の気持ちと一緒だった。それは昔と何も変わっていない感覚の自分を証明しており、可笑しく嬉しい。

言うまでもなく、熟成しきれていない筆致と未完成な作風が、即ちこの時代の遠藤周作の魅力でもあり、それは詰まるところ、私が遠藤周作と30年弱の 年齢差で人生を歩み、彼の青年期からの作品に影響を受けてきていたことなんだな、とも思うわけです。
| 2008-05-03 09:32 | 読書系セレクション |


楽天大将


楽天大将を、30年ぶりくらいに再読しました。
レビューは、改訂すると思いますが、とりあえずアップします。
色あせてボロボロになっているのが、なんとも、卒業してからの日々を物語っているのだな。

しかし、学生のころに読んで感じたことが、蘇えってくるから不思議です。
赤鉛筆で線を引いているところがあるのですが、まさに同じところでそう感じているから。

まだの人。どうぞ。
裏切らない作品ですから。

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楽天大将は、「おバカさん」、「わたしが・棄てた・女」と並んで遠藤周作の傑作です。

随所に、遠藤周作ならではの書き方があるし、彼が持っている小説の風景がある。口癖もあるし、ひょうきんさも出てくる。物語のなかの人々の暮らしに 彼の暮らしや日常の話す様子が重なり合う。

悲しい瞳で見つめる小鳥、寂しそうに歩く子犬、定年を間近に控えた老いぼれの刑事、惚れた女性に一途の若い記者、それらを取り巻く人々の顔ぶれ。い い人、悪い人、そこにある不条理。遠藤周作は、日常生活のなかで非日常的なストーリーを創造し、作品の中でいとも簡単に手品のように物語を作り上げていっ てしまう。

純文学作品の中でそれらは、綺麗に飾り付けされ文学色を纏って出てくるのだが、軽めの小説では熟成される前の姿で作品に登場する。

全作品を読みとおした人なら、誰もが感じていることだろうが、このあたりが遠藤周作の小気味良さでないだろうか。

作品の主題には何も隔たりは無い。彼が目指しているものが知りたければ、これらの作品を読めばいい。そういう小説であるといえる。

彼の純文学を読んで彼の本髄に迫ることは大事なことなのだが、彼は照れくささを隠しながらもマジメに考えて、ひとつの作品として楽天大将をまとめあ げた。

30年が過ぎた今の時代になっても決して陳腐化しない作品であった。

…と書きながら、東京の中を描写する部分などを読むと30年前の東京を思い浮かべています。

この作品は昭和53年9月に文庫で出版されている。私はその第1版を買っていますが、遠藤さん、この頃から遠藤的手法を尽くして「聖女」を書いてい たんですね。

もしも尋ねたら、
「志乃は聖女なんですよね」
「そんなことは聞かなくてもよろしい」
きっとそう言われるのでしょうね。

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(第1版では400円、昭和53年9月15日)
| 2008-04-23 16:20 | 読書系セレクション |


遠藤周作について


30年前に、どっぷりと読み込んで
しばらく、のんびりと読んで、
その後、休憩していましたら
遠藤さん、逝っちゃったんですよ。

このごろになって、また読み始めてます。
色褪せて、凄いことになってるんですけど、
遠藤周作の情熱を、(これは昔以上に)感じるんです。

娘が、私より遅れること30年、文学部でね、
私の本棚をごそごそと、探ってます。

黙ってみてるのですけどね、ハラハラです。

福永武彦 忘却の河


福永武彦 ; 忘却の河


「私がこれを書くのは私がこの部屋にいるからであり、」で始まるのがこの忘却の河であった。この一風変わった書き出しを真似して、友人に手紙を書いたものだ。忘却の河を読み終わった後は妙に落ち着いた自分がそこに居た。

斎藤末弘先生が非常勤講師で母校に来てくれていたとき、一般教養・文学で福永武彦を取り上げたのが私と福永武彦との出会いだった。
先生は、きょうこれから遠藤に会いに行くですよ…講義の合間に話し、遠藤周作のことを表からウラまで語ってくれる。遠藤周作や島尾敏雄、椎名麟三などを取り上げる前に福永武彦だったのか、後だったのかはもはや私の記憶には無いが、電気通信工学科という文学に全く無縁の学科での講義でありながら、先生の話は燦然とした思い出となっている。

二十歳前の学生にこの小説の何がわかるか。まだまだ人生の苦汁の欠片も知らない、いや知ったかのように錯覚しているような若造に、この本の読了は無理だ。もしも、読みきれたとしても、一体オマエに何がわかるのか。

しかし、このときに1度は読了しておかねばならない。何故ならば、30年経って再読をしたときにこの作品の素晴らしさ出会うためには、二十歳で読みきることが必要だったのかもしれない。

私はこの作品を初めて読むときに、この次のページで投げ出そうと何度も思いながらも、とりつかれたように読み耽ったと思う。でも、再読をする今は、次のページを読めるのがいつになろうとも何も恐れることは無い。作品の一文一文をじっくりと味わって読もう、と考えながら幾日も費やして読み進んだ。

30年前に買った文庫本は、これほどまでになるものかと驚くほど茶色く日焼けしている。ページを捲ると便箋を剥ぎ取るときのようにバラバラになるところもあった。

ずっと心の中に大事に30年の間仕舞い続けていたものを1枚1枚棄てなさいと教えられているような気持ちになりながらページを捲った。

| 2007-12-02 11:55 | 読書系セレクション |

忘却の河


自由自在に


(書き出し)

私がこれを書くのは私がこの部屋にいるからであり、ここにいて私が何かを発見したからである。その発見したものが何であるか、私の過去であるか、私の生きかたであるか、私の運命であるか、それは私には分からない。

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(1章 66ページ)

私は昔ギリシャ神話を読んで、うろ覚えに忘却の河というものがあったのを覚えている。三途の河のようなものだろう。死者がそこを渡り、その水を飲み、生きていた頃の記憶のすべて忘れ去ると言われているものだ。

福永武彦 【忘却の河】から

不思議な魔力によって、からだじゅうを縛られてしまったかのように、私は動けなくなる。これほどトーンの低く暗い小説はそう多くは無いかもしれない。

しかし、詰まらないから投げ捨てるとか、しばらく間が空いたから続きを読むのを断念するということは一切無い。

仏教の経典を読むように淡々と活字を追いながらも、場面は著しく展開もしないにもかかわらず、そのまま私は読み続ける。3-4ページ読むと1-2ページ戻って何かを確かめ、また先へと読み進む。

私は、この書物の放つ波動のようなものを全身で受け止めて、体内の歯車を、またはそれは積み木のようなものかもしれないが、そういったものを丁寧に組み直しているような気がする。

身体の中に潜んでいたものや、腐敗と思って放置していたものが、蘇えることもあれば焼き捨てられてしまうこともある。
ヒトは、時々、冷静を装いながらもヒステリックに、ときには酔ったように、過去を千切り棄てることも必要だ。

--- 時間を戻すこと出来ないんだよ。
--- 大丈夫よ、ボクの記憶の中では自由自在さ。

Tags:忘却 自由 見つめる
| 2007-11-16 20:57 | 読書系セレクション |


銀マド:読書系 ─ アーカイブ (前半) から切り出したものです。

忘却の河

植村 直己 青春を山に賭けて


青春を山に賭けて 植村 直己

銀マド:読書系 ─ アーカイブ (前半) から切り出したものです。
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植村直己を知ってますかね、今の若者たち。

1970年代から80年代、世界を冒険する男たちはそれほどたくさん居たわけではありませんでした。

山岳冒険家の使う道具も、現代のように科学技術を駆使して開発されたものではなかった。今では想像できないほど、重く、大きく、不細工だった。
(世界のエネルギーだって現在の半分程度しか消費していなかったんだよ。)

五大陸の最高峰をあっという間に制覇し、北極圏を犬ぞりで走破してしまう。まさに本物の冒険家だった。

この本は、そのウエムラの若いころに山に賭けた情熱を綴っている。

若い時代に読めば、必ず山が好きになってしまう・・・というような魔法のような本だった。今の若者はどんな気持ちで読むか私は知らないが、ニセモノの情熱をドラマティックに仕立てたりしているのに騙されないようになるためにも、ホンモノに触れておくといいです。

| 2007-02-12 23:38 | 読書系セレクション |

2010年9月25日 (土曜日)

秋彼岸すぎゆく九月を振り返る ─つぶやく十七音〔彼岸篇〕

▼秋彼岸すぎゆく九月を振り返る

すっかり涼しくなってくれて嬉しい。
道で誰かに逢えば、まず「涼しいですね」と挨拶を交わす。
そんな落ち着いた秋という季節が好きなんだろう。

どの季節を嫌うわけでもなく、特別に好むわけでもない。
みんな大好きだ。


過ぎる。
時間は過ぎる。
それを川の流れに例えて風流を愉しんでみたり、儚さを嘆いてみたりしている。

先日も友人の身内が亡くなって、身に詰まされる話なだけに、そのことで便りさえ書けない。
本当に考え込めば安易にペンなど持てないのだなと、思う。

(24日)─金

仕事の帰りに本屋をふらつく。
駅ビルの本屋で吉野弘の詩集を見つけた。
ただそのことだけで嬉しい。

買ったのは、向田邦子「男どき女どき」

▼久々の駅待合せ白墨の、伝言板今はなくなり


(23日)─木

墓参り。

雨がザザザと降って、雷がごろごろ鳴って
パタリと止んだその合間に、行く。

▼秋彼岸庭の片隅に赤ひとつ

まだ咲いていない、遅いなあ今年は、と嘆いていたのだが、赤い花を見つけてホッとする。
苦々しい花だが、赤は好きだ。
短い命やな、この花も。


(回想)

▼彼岸花咲いたと父に手紙書き─2005年9月17日(土)
 このときには既にもう逝って、居なかったのだが、秋には似たことを連想している。

▼明かりなき奥座敷まで照らす満月─2005年9月18日(日)


(22日)─水

虫が鳴かない。
そう嘆いていたら、急に秋めく。

▼秋の虫ひとまとまりに仏前へ


▼名月や思われニキビに指がゆく

別にニキビが出来たわけではないのだが、月を見上げると喋れなくなるから、暇になった手が顎にゆくだけだろう。

雲が流れている夜だった。


「名月や思い思われ振り振られ」
と昨日の夜に書きなぐっておいて、やっぱし月は綺麗やなと、家路を急ぎながら見上げる。

「月はひとり、星は二人で見上げたい」
とノートに残してから早くも一年が過ぎる。
切ない日々であった


▼名月や思い思われ振り振られ

月はイジワルだ。


(20日)─月

彼岸花まだ咲かない。
去年の日記には19日と書き留めてある。
明日の朝、咲いてるかどうか。


昨日、白ワインと「麦とホップ」(愛飲)を交互に飲んだら美味かった
娘の寮で泊まって、ワインを飲んで、寝転んで部屋から月を見上げている間に眠ってしまった。

(19日)─日

月が少しずつ丸くなる夜に
静かなドラマを思い浮かべている。

▼秋鯖をしめてゆったり日暮れ待つ
▼来客は月に惑いて遅れたり

▼彼岸旅里の障子に孔ひとつ
▼キリギリス襖隔てて誰を呼ぶ

そういえば、障子の間が少なくなったね。
実家に泊まることも少なくなったし。


(16日)─木

どうも、雨を見ると昔の切なさが甦ってきて、憎くもない過去を憎んでいるように書いてみたくなる。

そういうストーリー(小説やドラマ)がとりわけ好きなわけでもないのだが。

▼秋雨や失くした恨み語る恋
▼秋刀魚こうて秋刀魚の小言も聞いてやる
▼土砂降りに濡れて来ぬかと軒で待つ
▼雨降りを恨む素振りで傘の下


(15日)─水

あの人はまあるい顔でいつもニコニコ

▼お月見のだんご丸めてキミ恋し

▼じゃんけんポン!あいこでショ!っと抱きしめる

おなじみ。
こんなことばっかし、言っている。

そんなふうに  やってみたい。 きみ。


(14日)─火

8時ころに職場に向かう坂道を昇る。
日光が直撃するのでとても暑い。

▼秋の朝靴音聞いて振り返る
▼電話して、インクが乾くその前に
▼好きですと書いては消してまた書いて
▼遮断機を一緒に渡った遠い日の夕暮れ

暑いくせに、そんなことを考えながら歩いてくる。
これを手帳に書きとめて、仕事モードになってゆく。

◎A子さんの話、続き。

あなたってグルメじゃなくメンクイでもないから、旦那さんになる人は楽ですね、と尋ねたら、優しくしてもらってるだけで嬉しいです、と言っている。
何でこんなにかわいい子に彼氏がいないのか。
やっぱしお見合いパーティ主宰してやるしかないか。

▼夕暮にちょっとセンチになってみる

こんなことを書いた日はきっと、夕暮れの空を見ながら歩いて家路を来たのだろう。
汗もかかない季節になっている。

▼ポケットから甘いミカンをくれた君

スーパーに並んだ青いミカン。
あれはカワイイねえ。

▼月明かり飲んで語って沈み込む

風呂あがりに、外に出てみると月が高くあがっていたのだろう。
語りたくなる季節なのかも知れない。

▼ゴキブリと秋の夜長ににらみ合う

そう、寝床へ行こうと階段を昇っていたらじっと柱の蔭におりました。
にらみ合いをして、私は立ち去りましたが、私の後から来た妻が悲鳴を上げていました。
格闘をしていた模様ですが、私はそのころは眠り始めていました。


(11日)─土

今年最後の休日出勤当番日。
ちょっとボーっとしてみたり。

当番の日に何も起こらないことは平和な印だ。

▼缶蹴りの缶を蹴って夕やけ
▼いわし雲、恋した人は魚好き

▼道端の石に腰かけ橘寺へ
▼彼岸花咲く前、明日香に旅に出る


(10日)─金

▼夜更かしをしてみたくなる、夜長かな
▼夜が秋らしくなってきて、酒美味し
▼鈴虫の鳴き方下手で秋あさし
▼ふと粒の葡萄齧るや秋の雲
▼一房の葡萄つまんで夏おもう

今年は猛暑日が歴史的にも多かったそうで、9月中旬を迎えるのにまだまだ暑い。
しかし、秋の気配は十分に漂っていて、それが混ぜ足りない炊き込みご飯の斑模様のようになっているのかもしれない。

秋を歓び、夏を惜しむ。


(9日)─木

▼あらし去り白露がきゅんとすまし顔

台風が沖縄から九州の北部を回って、日本海を通って本州を横切っていった。
少し風が吹いて、上空も綺麗になったのかな。

(8日)─水

日本列島の西部に台風が来ている。
みなさん、おはようございます。
静かな雨です。


(3日)─金

▼間違えて巨乳と呼んだ巨峰かな

私はオッパイフェチでもなんでもないが、巨乳という響きは好きだ。
何べんもよう言わんけど。


(2日)─木

雨降り。

おはようございます。
雨降って涼しい。
うれしい

そう、メモ書きしている。

▼赤まんま嵐山けぶる雨のなか


(1日)─水


▼おやすみと今夜は言わせてあなたへの
▼ねえ九月雨の哀しい思い出ばかり
▼あなたは朝寝坊だと言うけれど、ほんとうはもう起きてボクと同じ朝日を見ているのかもしれない

朝日を見ても
夕日を見ても
風が吹いても
虫が鳴いても
雨が降っても

哀しいと言ってみたくなる九月が始まる。

久々の駅待合せ白墨の、伝言板今はなくなり

昨日、仕事帰りに久々に本屋をフラフラしてたら、吉野弘の詩集を見つけた。
そこで、吉野弘の詩集を見つけて、嬉しかったな。

ただそのことだけで嬉しい。

でも
買ったのは、向田邦子「男どき女どき」

いつもより1本遅いJRで、ひとつ前の駅で待ち合わせ。

▼久々の駅待合せ白墨の、伝言板今はなくなり
吉野弘

2010年9月23日 (木曜日)

帰り際いつもあなたに言いそびれ

言いそびれ。

そう、
言いそびれたままで、ほったらかしにしたことや
諦めてしまったことがいくつかある。

まあいいか。

+

はてさて
私はかの人に何を言いそびれたのであろうか。

まさか、好きです、ではあるまいし、
今度いつ会えますか?でもなかろう。

オトコってこんな別れに何を言うのか。
元気でね、くらいしか思い浮かばない。

+

ところが
月日が過ぎると、

あの夜は満月が綺麗でしたね
僕はあなたとこうして月を見ているときが嬉しいです
などと、嘯いてみたかったかも、などと苦笑する。

+

月は静かに雲をかき分けて空を悠々と泳いでいるように見える。
真冬の月のように高く上がらないから
秋の月はいつまでも見上げておれる。

雲に隠れたときに引き上げればいいものを
また出てくるのを待っている。

そう。
私は待っているのだ。

古い手紙の下書きから

ときどき
あちらこちらを
片付けて

すっきりしたくなることがある。

嫌な思い出もあれば
いいこともあるが、
プチッと消してしまうのだ。

躊躇ってプチッと押すの、その前に ねこ作

+

立春に母を訪ねておかき食う 2004年2月 4日 (水曜日)
突付かれて無頓着な振りをする 2008/07/25
けたたましくクマゼミ鳴いてイライラと 2008/07/23
休日の朝に茄子を和えて食う 2008/07/11
茄子(なすび)和えこれだけでもいい朝ご飯 2008/07/11
前髪を切ってそちらにキスをして 2008/07/03
路地裏へときめきながら袖を引き 2008/07/03
人恋しミカン畑の丘の道 2006年6月 3日 (土曜日)
大根の湯気が恋しい寒露かな 2004年10月 8日 (金曜日)
彼岸花咲いたと父に手紙書き 2005年9月17日 (土曜日)
明かりなき奥座敷まで照らす満月 2005年9月18日 (日曜日)
寒風が眠れぬ夜の窓揺する 2005年12月 6日 (火曜日)
別れると知りつつ無言の指きりを 2005年12月 6日 (火曜日)
猫だるま眉間にしわ寄せ襟立てる 2005年12月 6日 (火曜日)
鬼去りて柊照らす朝日かな 2006年2月 4日 (土曜日)
スズムシや親父なきとて今も啼く 2006年10月21日 (土曜日)

2010年9月22日 (水曜日)

私を導く舟

人は死んでしまう。この事実は、誰もが動かせない。

生きたい、生き続けたいという欲望があるように、生かし続けたい生きていて欲しいという欲望がある。それは願望に近いのかもしれないが。

死にたいという願望がある。私がいつも願っているように、カメラのシャッターがカシャリと落ちるように、死んでしまいたいという願望がある。

憎き人や恨みのある人やモノをストンと終わらせたいという、いや、消してしまいたいという願望もある。

自由に生命を操ることができれば、科学技術で遺伝子を犯すように、命も手中にすることができるのかもしれない。

果たして命とは何なのか。
怨念の対象なのかもしれないし、愛を形にする大切な約束物なのかもしれない。
自分の自由や欲望を実現するための舟なのか。
それとも、儚く切ない願いだけなのか。

願いを持ち夢を抱く私たちは、心を生かす血液のように、命という舟のようなものに乗って時間を彷徨う。

そう。やはり、そこにもカメラのシャッターをカシャリと切るように、パソコンのシャットダウンのボタンを操作するように、私たちは命を自由に断ち切ってしまうことができてもいいはずだ。

私は、自分の命は自分でボタンを操作して切りたいと願っている。
新しい人生の出発を選択する権利は私にあるのだから。
◇┐
└◇
しかし、その考えもひとつの選択であることも知らされる。

激しく燃え続けている情熱や夢を胸に、振り返ることなく突き進む人たちがいるように、生き永らえたいと強く願う人もいることは間違いない。
いや、むしろ、そのほうが自然であり、人間としての正直な姿なのかもしれない。

私はいつどんな理由で、突き進むような情熱を失ってしまったのだろう。

2010年9月20日 (月曜日)

秋を届けに

秋モノの荷物と、不要になった夏物の回収をするために、
熊野に出かけておりました。


帰りに行野浦に寄りました。
堤防ではアオリイカを釣るために竿を垂らしているヒトがいました。

行野浦

アオリイカ。
普通は初夏のころ、湾内の堤防の上から釣っている人を見かけます。
それがほんとうの旬で、産卵のためにやって来るところを釣るのですが、今の季節は生まれたばかりの幼魚を釣ります。手のひらサイズです。

イカの中でも、格別に美味いから、自分で釣ったのを食ったら、確実に中毒になるでしょう。
オマケに、店には殆ど出ないです。
うちらのところは、ぎりぎり、近海ものを店頭に並べてくれる店が(スーパーも)ありますので、毎日根気よく魚屋を覗くとひょっこりと出会えます。もちろん県内産。
こういうのに出会うと都会には住みたくないとつくづく思う。

2010年9月19日 (日曜日)

2009年(平成21年)十七音・スピンアウト (11月)-(12月)


木枯らしやキミの嫌いな12月

寒がりさん。
今頃何してるの?

--

(夢)

第九。聴きたい。
大晦日、炎のコバケン(小林研一郎)さん
ぶっ通しベートーベン交響曲全曲演奏。

いいなあ。
もしも行けたら泣きまくりやな。
いっぱいハンカチ持っていかなあかんわ。

| 2009-12-06 17:49 | 十七音(スピン・アウト) |


テーマは、[ 月 ]

こうやっていつも月を探している私

ほんとうはあなたに届けたい満月の

---

後ろ姿、じっと見てても声をかけれない

初霜が降りるころまで寂しかろ

こんなことを書いていたら会いたくなってきた

---

今日はこれでオシマイ。

| 2009-12-03 19:34 | 十七音(スピン・アウト) |


満月を見上げながらまたあなたを

----

おとうさん、昨日の夜、すごく満足にお酒飲んで楽しそうに帰ってきたんやで。

「きょうは○子さんといっぱい話したわ。
原因は失恋か、何かわからんけど、今は元気になってきたなあー。
辛そうにしてるとかわいそうやったけど、良かったわあー。
よかったなーってぎゅーってしてやりたいなー」

といいながら、ルンルンやったよ!

と教えてくれました。

人間が正直なんですかね。
バレバレみたい。
だいぶん、顔をパチパチやられたらしいけど
「許したろー」
って感じだったそうです。

私のお酒は
いいお酒。
なんだそうです。

満月を見上げながらまたあなたを思い出している
そんな夜です。

| 2009-12-01 22:20 | 十七音(スピン・アウト) |


迷路

雨音や不規則鼓動の恋煩い

おやすみを電波にかえて飛ばしたい

雨だれがすっと消えていくため息


この気持ち
届いているのは
知ってるの
雨に流して
夜もふけゆく

--

出られない迷路。

| 2009-11-25 22:13 | 十七音(スピン・アウト) |


うしろ姿、送って私は猫になる


きょうね、帰りがけにある人と
「さようなら」
って言葉を交わしたの。
そう、いつものあの人。

後ろ姿を見送って、
ああ、もう少し話がしたかったな、
って思うけど、
それは欲張りというもの。

さあ、私は猫になって、にやーと泣くのだ。

| 2009-11-24 22:13 | 十七音(スピン・アウト) |


遠くから少しだけそう少しだけ

どうしても、私はブーツのあの人の姿を想像できなくて。
それは、きっとあの人にはブーツが似合わないんだという想いがあるからだと思うのです。
お洒落で、少し跳んでるあの人のファッションが好きなくせに、どうしてもブーツを履かせたくないんだな。


ハイヒールが嫌いな私。
冷たい音をコツコツと残して去って行く踵の高い靴が嫌いなの。
だからブーツもキライなのかもしれない。


でもミニスカートにコートを羽織り颯爽と坂道を歩いてくる女性の姿を見るとドキッとしてしまう。

まちあかり濡れるブーツの石畳

冷たい雨でしたね。
あなたの傘は何色だったっけ。

遠くで、人ごみのなかのあなたの傘の色を探している。
ほんと、冷たい雨。

| 2009-11-11 22:29 | 十七音(スピン・アウト) |


夜が更けて何だかおやすみ言いたくて

---

チューしていい?
アカンか!

寝ます
おやすみ

| 2009-11-08 22:13 | 十七音(スピン・アウト) |


訳もなくあなた恋しい時雨月

いやね、仕事帰りに
時雨に降られて
満月が出ているのに。

別に、あの人とケンカしたわけじゃないですし
キライになったわけでもないですが
月を見ると、あの人を思い出すのですよ。


でもね。
満月ですよ、今夜は。
なのに
時雨れてきやがる。

コタツださなあかんな、って独り言、つぶやいてしまったわ。

| 2009-11-02 22:39 | 十七音(スピン・アウト) |

2009年(平成21年)十七音・スピンアウト (八月)


夏休み最後の日のツクツクボウシ


ただいまー
少し風がある。

夏休み最後の日のツクツクボウシ

なんてつぶやきながら
もうすぐ日が沈むよ。
帰ったら****さんにメール書こう。
ひこうき雲、見えんかなー
見えたとき、
****さーんとか叫んだら
青春やなー
なんて思って。
ちょっと、ボーっとして歩いてきた。

そしたら、家の近くまで来たら
西の空が真赤な夕焼けになっていた。
キミのおかげですよきっと、夕焼け空。
ありがとう。
(君の車みたいな鮮やかな色だったな、とか思ったりして)

選挙、終わったね。
なかなか、世の中、うまくいかんなあ。
書きたいことはいっぱいあるけど、
やめとくわ。

> とっぴんぱらりのぷう

ふふふふふ、また投げキッスがしたくなる

| 2009-08-30 22:13 | 十七音(スピン・アウト) |


チュ その2


タイトルは チュ

おバカさんそれだけ書いてメールする

| 2009-08-26 21:34 | 十七音(スピン・アウト) |


人生は諦めることの繰り返し


いいことも悪いことも、筋書き通りには行かないし
同じことは二度とは繰り返されない。

又会えるでしょ、と思っても、会えないことも多い。

だからといって
人生が絶望的に儚いものだとは思わない。

何故だと思う?

何故だろうっていう疑問を持ち続けているからなのかもしれない。
答えを求めることは愚かなことよ。

人生は諦めることの繰り返し  ねこ

--
つぶやく十七音 [あなたに、とどける] から

| 2009-08-26 08:05 | 十七音(スピン・アウト) |


日暮れどき、うふふと笑って諦める


 日暮れ時、虹が出てたと知らせたくて

きのう散歩に出たら
虹が出てました。

きょう。

 夕焼けが残していった蝉の声

 秋風吹いて、帰り道。楽しい

そんな感じで
駅から歩いてきた。
あなたに会えてれば
もっと
幸せだったのだろうな。
でも
会えなくても
平気。

 高校生、補習かな、がんばれ

学校帰りの
高校生に
すれ違った。

 夕焼けを並んで見つめた美術室

ふと
30 数年前を思い出す。

校舎の窓からは
遠くに海も見えた。

ほんとうは美術室ではなく
音楽室だったかな。

---
どうして
君が好きなんだろう。

| 2009-08-24 21:31 | 十七音(スピン・アウト) |


秋蝉が啼けば待ち遠し、新学期


秋蝉が啼けば待ち遠し、新学期

ひと粒の波紋が覚ます蔦の塀

青春時代は
蔦の絡まる図書館や
大きな講堂のあるキャンパスのなかを
意味も無い会話をしながら通り抜け
裏門の脇にあった汚い飲み屋でシマダ君と飲んだ思い出とか
下宿に帰って、夜明けまで飲んで、喋っていた記憶ばかり。

新学期になると、
また、仲間に会えるのが待ち遠しかったなあ。

---S君、アイツ、どうした?
---ああ、アイツなら旅に出てもう3ヶ月ほどになるよ。

30年以上過ぎた今は、
みんなが散り散りばらばらで、
何処の空の下、何をしてるのやら。

一見、自堕落で無駄に満ちていた時間を過ごしていたようだったが、
ほんとうは、何ひとつ無駄などがなったのだ。

| 2009-08-22 18:46 | 十七音(スピン・アウト) |



帰り際いつもあなたに言いそびれ


帰り際いつもあなたに言いそびれ

私が思いつくのはこの程度の十七音である。
そのあとで、GREEの友だちのPさんが日記で

 かの時に言いそびれたる
 大切の言葉は今も
 胸にのこれど
  (石川啄木)

を引用していたのを知る。
「言いそびれ」るというありふれた言葉のもつ無限の意味を読む人にお任せしてしまって、私は心のなかに或る人のことを思い浮かべた。

思い浮かべるだけしかできない人であるし、その人は帰り際に何か劇的な挨拶をしたかどうかさえも覚えてもいないような、そんな遠い人であるのだが、私にとったらあのときの帰り際はかけがえのない一瞬であり、詰まらせてしまった言葉はもう二度と甦らせることのできない言葉だった。

人間というのは、…と考えて顎をさすりながら俯いてしまう。

如何なる言葉も失くしても、通い合うものを感じ合うことで、間違いなく勇気を持ち続けてその人を好きでいられる。そこには、確からしさが満ちてくるのだ。

と、そんなことを口ずさんでみても、自分の頭の中でぐるぐる廻るだけだ。

あのときは大切な言葉だった。しかし言葉は儚いもので、口に出さなければ終わりだが、出しても消えてしまう。大切に胸にしまったままならいつまでも輝き続けることができるのだろうか。

別れ際に私が言いそびれたひとことが「ありがとう」であろうと「大好き」であろうとそんなことは隠したままのほうがいい。

私は、そんなことを思いながら、泣き顔になっているのかもしれないが、決して、泣き出さないでいるのだ。何もなかったようにうそぶいている。

そんな自分に「大丈夫だ、がんばれ」と言ってやりたい。

| 2009-08-19 07:35 | 十七音(スピン・アウト) |


恋文や夕焼け小焼けでうふふのふ


夕日の綺麗な帰り道。

恋する人を思いながら、
できれば二人で空を見ていたいものだと思った。

でも、そんな叶わぬ夢はもういいや。
そんな気も少しはあった。

恋する君に会いたいな。
もしも会ったら、白々しく握手をする素振りで抱き寄せて
きっと抱きしめてしまうだろうな。

欲しくて小さい君は粉々になってしまうよ。
いいよ。
拾い集めて持って帰るから。

---

いつも恋している僕は、老人になっても、ボケることなく元気を保てるのだそうです。

日記やめて
少し書き込むのをやめて

少しは
白い紙とペンとを持って
空を見上げてみるのもいいものです。

恋文や夕焼け小焼けでうふふのふ  ねこ

| 2009-08-17 21:22 | 十七音(スピン・アウト) |


今ここに届けたい言葉、ひとつある


・・・・

「大好き」

---

けさ、朝焼け綺麗でした。
あなたにも見せたかった。

| 2009-08-12 11:20 | 十七音(スピン・アウト) |


もとどおり、戻せないから爪を噛む


もとどおり・・・か。

*

もとどおり、戻せないから爪を噛む

| 2009-08-09 19:05 | 十七音(スピン・アウト) |


ひとことを飲み込んで、見せる猫の顔


ひとことを飲み込んで、見せる猫の顔

---

今夜、街では花火が上がるの。
大好きなあの人も出かけてゆくのかな。

私には何も知らせないで
今頃、どこで、何してるのやろか。

かき氷食べてお腹が痛くなればいいさ。
そしたら、僕は
猫になって添い寝してやるよ。

---

猫になりたいね。
抱かれるのではなく
添い寝でいいわ。

| 2009-08-08 22:13 | 十七音(スピン・アウト) |


夜の海、酔うて夢見る花火かな


昨日の夜の月は、よかったわ。
寝床に入って窓を開けるとほどよい高さにいたのよ。
秋の月ほど、染みてこないね。

今夜はあの人の住む街でも花火大会や。
出かけるとも出かけないとも便りはないけど

何してるんやろ。
いまごろ。

--

夜の海、酔うて夢見る花火かな

| 2009-08-08 22:13 | 十七音(スピン・アウト) |


深呼吸、ふっと切なくキミ想う


いいえ
しばらく
忘れていたんだけどね

西加奈子の
きいろいゾウを
図書館で見つけて、

キミを思い出してしまったわ。

そうさ
しばらく
忘れていたのに

舌足らずな喋り口で
生きとるわ
なんて
格好よくないセリフを言おうとするキミを想った。

| 2009-08-05 21:47 | 十七音(スピン・アウト) |

2009年(平成21年)十七音・スピンアウト (七月)


羊羹を切ってあなたと縁を切る

羊羹を切ってあなたと縁を切る

久々の会心の作品やなあ。
(と思わん?)

* * *

--- 私、あなたがプリンとアイスとチョコの合体したパフェが大好きだって知らなかったのよ。

---まあね、甘いの大好きだから。
 羊羹もウイスキーも好きだよ。キミも。

---でも、今夜が最後ね。

---まあね。

(とても冷めたい羊羹を切りながら)

---そうね、羊羹を切ってあなたと縁を切る なんてどう?

---今のきみは、羊羹を刻んであなたと縁を切る、になってるよ。

---あなたを羊羹に見立ててバラバラにしてやるの。
 だって、悔しいじゃない。


そんなことを
ぼんやり考えている。

あしたは雨らしい。

| 2009-07-31 22:13 | 十七音(スピン・アウト) |


五十肩ささやかに反発し

子どものころには、夕方になると縁側の先に縁台を出して、蚊取り線香を焚いてもらって夕涼みをしたものでした。

7月から8月になると、あららという感じで日暮れが早くなってきます。昼間の暑さはピークを迎えているものの、お盆を過ぎれば何とかなると思っていました。

(それは、学校の宿題の話ではなく、暑さしのぎの話です)


大の字に寝て涼しさよ淋しさよ  一茶

今年は、電気製品を買い換えましょうのノリで市場が活気付いているようなので、私は、五十肩ささやかに反発し、というひねくれ根性でエアコン無しの暮らしに突入しております。

環境活動をしている横繋がりの皆さんのなかには、この暑さの中でも自動車のエアコンを使わずに頑張っている人もいます。

どうぞ皆さんも、畳の部屋を開け放ち、自然の風をお楽しみください。

| 2009-07-31 10:47 | 十七音(スピン・アウト) |


夕立に手をつなぎ濡れてゆきたい

スゴイでっかいスイカを実家で貰って来ました。

お茄子とトマトもいっぱい成っていたのでもいできた。

京ナスもあったので、田楽味噌でも作って食べようか。


夕立が洗つていつた茄子をもぐ 種田山頭火

まさにそんな夕方やったなあ。

今日もいい1日でありますように(祈)

| 2009-07-26 06:39 | 十七音(スピン・アウト) |


魚食うて、あなたの入り江を思い出す

もう一度
あなたの住む
小さな入り江に
行きたいな

ふと
そう思ったわ

| 2009-07-25 22:13 | 十七音(スピン・アウト) |


その人が目の前に出て微笑むの

(さらに、スピンアウトな呟きが続く)

 その人が目の前に出て微笑むの

ほんとうは、目の前なんかに出てこない。
私は、そういうドラマを描けるようになってきたのだ。

ただし

微笑んでいる顔は、限られた人だ。
えくぼが好きらしい。

| 2009-07-15 11:08 | 十七音(スピン・アウト) |


好きな人、心がちっとも覗けない

(一晩明けて)

 好きな人、心がちっとも覗けない

と、嘆いている。

こんな私のつぶやく姿を見てか、それとも、つぶやきには関係なく、たまたま、偶然のタイミングか

ある方が
「純情。なくしたくないものを、なくさずにいる人なんだなぁ」
と言ってくださった。

覗きたいのも私の欲望だが
知らんままでいるのも欲望かもしれない。

迷路のようだ。

| 2009-07-15 11:05 | 十七音(スピン・アウト) |


こんな夜はあなたを憎んで裏返す

「つぶやく・十七音」というコミュニティーをやっている。

そこへ書くのが先か
または
つぶろぐ@EXCITEに書くのが先かは、その時の気分次第だ。

 こんな夜はあなたを憎んで裏返す

いったい何が起こったのか。
私の心にどんな変化があったのか。

それは13日の夜の一瞬のことで
今更、穿り出しても、見つからない。

| 2009-07-15 11:01 | 十七音(スピン・アウト) |


蝉啼いて、妙に逢いたい日暮れどき

だから、すぐに好きだと言ってしまうんだろうね。
あほな奴だよ。
振り返ると、いろいろあってね。
---
あなたには、感謝してますよ。
素敵な人に出会えたと思います。

ちょっと駆け足でメールしすぎたかな。
そう思います。

好きなポイントを挙げれば何もないのに
何故かしらんけど何処と無く好きなん!
ってそう思っています、あなたのこと。
「好き」ってなんやろ、とも思いますが。

(以下、いっぱい書いたけど、削除)

蝉啼いて、妙に逢いたい日暮れどき 

| 2009-07-13 18:29 | 十七音(スピン・アウト) |


憎らしき、雲に隠れた満月の

って、
全然、憎くも無く、羨みもなく。

静かで涼しい夜の月を
寝床で横になって眺めていました。

冬の月は、空のてっぺんに居ますが
夏の月は、お隣さんの屋根の上に居る。

この
暢気さというか
昇ろうと言う気合の無さが、見てる方まで暢気にさせる。

七夕は十五夜お月さんみて眠る

| 2009-07-08 16:16 | 十七音(スピン・アウト) |


満点の恋文だったとしても屑篭へ

僕ね

世界中を敵に回してまでも
一人の女と日本を逃げて
何処までも走り抜けよう

と、そう、考えたことがあったんだ。

あれは、
愚かだったね。
(愛していても、できないことがあるんだ)

---


100 点満点のラブレターが書けたとしても

それを届けても
屑篭に棄てられてしまうことはわかっているんだ。

でも
さ。
出したい人があるの。

| 2009-07-05 22:13 | 十七音(スピン・アウト) |


ラブレター書いたけどでも出せなくて

ちっとも可愛くないオンナだけど
ちょこっと好きなあなたへ

市内のメインストリートのアーケードに
七夕飾りが出ていたなあ。
ええ季節ですね。

何か
お祈りしますか??

京都は、祇園祭ですわ。
暑い夏。
思い出、
いろいろ

喜びも
悲しみも。

--

このごろ
ちょっと
あなたという人が
見えてきたみたいで
嬉しいの。

でも
その逆もあって
沈むこともあるの。

慣れたから平気。

---

さっき
メールが来る前に
プチッと
クリックしといたよ。

--
恋でもなく
愛でもなく
ラブでもなく
セックスでも
エロでもない。
可愛くもないし
美人でもない。
魅惑があるわけでもない。
話題も合わない。

僕は何をこだわって
いるんだろう。

 ラブレター書いたけどでも出せなくて

ほな
おやすみ

| 2009-07-05 22:13 | 十七音(スピン・アウト) |


おやすみのつぶやき何処かへ届けよう

寝る前に

ふと

 おやすみのつぶやき何処かへ届けよう

と、思い浮かんだ。

友だちに、これだけ書いてメールした。
大好きな人たちへ。

| 2009-07-04 22:13 | 十七音(スピン・アウト) |


やまぬ雨、あなたは何処で濡れるやら

さて、
夕方から雨が降り出して、折りたたみじゃちょっと小さすぎるな。
通勤用のカバンが濡れてしまう。

 やまぬ雨、あなたは何処で濡れるやら  ねこ


もしも僕が君で映画を撮るならば
土砂降りの雨で、
濡れネズミになった君が
べそをかきながらも、
意地を張って顎を引いたまま
こっちを睨みつけるようなシーンで
オープニングのタイトルを差し込みたいな。

濡れた髪。
雫立つうなじ。

| 2009-07-04 06:56 | 十七音(スピン・アウト) |

2009年(平成21年)十七音・スピンアウト (六月)


恋心プチッと手品で花にする

(君の前で)

恋心プチッと手品で花にする

そのあと背中に隠してしまう

| 2009-06-30 22:13 | 十七音(スピン・アウト) |


思い出は何に包んで棄てましょか

あっという間に終わった五月、六月。

いい思い出も、
悪い思い出も。

何だか、今年の六月だけはすべてをサラリと棄てたいな。

そんな気分。


ほらまた、
私が恋をしているからだって
チクリと責める人がいるんじゃない?


いいよ
幾らでも責めて、おくなされ。


過去なんていつものプチッで消えちゃうの

| 2009-06-28 12:00 | 十七音(スピン・アウト) |


でも、ちょっと…ちょっとだけキザになる

「でも、ちょっとだけ、さびしい時もあるの」
と書いてた或る人に宛てて書いたコメントから


 淋しいという字に、人はいないんだよねぇー
って言った奴。
憎らしいけど、今頃何処にいるのやら。

さみしいときは、とことんひとり、がいい。

---

(先日の、私のメール送信記録から)

さっき、教育実習から帰ってくる娘を
学校近くまで自転車で迎えに行って
少し待ちぼうけしたときに
中部国際空港から飛び立ったジェット機の尾翼灯が点滅して見えた。

「彼方へ飛んでゆきたい。
君も連れて行きたい」

そんなセルフが浮かんだね。

キザになって
独りで飲んで

ふーっと
一息つくと
寂しいこともあるさ。

「今夜は好きだと言わせておくれ」

(わあー、キザ)
(アホ)


夕焼け

Tags:ハート

| 2009-06-25 10:13 | 十七音(スピン・アウト) |


大粒の雨、窓越しに枇杷をみる

(Mさんからメールがあって)

先輩から届いたという青カエルの写メを、おすそ分けに送ってくれた。

素敵なカエル色をありがとうと返事したあとに

 みずたまり、ぴょんと貴方にひとっ跳び

 雨雲は太平洋へ行ってしまったよ。晴れるといいね。

って書き添えておいた。

大粒の雨、窓越しに枇杷をみる

そんな風情の雨ですけど

雨あがり。
蒸し暑い。
ああ、
そうめん食べたい。


雨上がり

| 2009-06-24 11:42 | 十七音(スピン・アウト) |


紫陽花や雨音染みて霞む夢

6月6日に手紙を書いている。

----

去年の11月9日と10日にこのふたつのメモを残しているのよ。

今視線そらして気持ち動いてる
嘯(うそぶ)いて揺れるピアスを狙い撃ち

+

あのころはもっと純粋で、綺麗な視線であなたを見ていたなあ。

きょうはあなたがとても遠い人のように思えてきてあかんわ。
水割り2 杯しか飲んでいないのに…。

紫陽花や雨音染みて霞む夢

| 2009-06-19 06:14 | 十七音(スピン・アウト) |


ひとりごと、飛行機曇を千切り棄て

--

ねえ

あの

ひこうき雲

あの子のところからも

見えてるのでしょうか…

| 2009-06-15 13:00 | 十七音(スピン・アウト) |


あじさいに真っ赤な嘘は似合わない

あじさいに真っ赤な嘘は似合わない  (太田好子)
と日記に書いたけど

想いは、そんなに募らせたらあかんのんよ。
さらっと、流して。

また必要になったら、手繰り寄せたらええのんか?

そう
会いたいわぁー
なんていうたらあかん。

ふーん
「あいたくなんかないわあ」
(真っ赤なうそやな)

やっぱし
あじさいに真っ赤な嘘は似合わない
うふふ。

| 2009-06-11 11:19 | 十七音(スピン・アウト) |


口笛で、声には出さず好きと言う

おはよう
何して過ごしてますか?

---

タイトルのような
妄想ドラマシーンを
作ってみたりしながら
現実に引き戻る。

--

鬼。の雑記。

鬼は外、好きなあなたに豆投げる

じゃんけんポン、鬼さんこちら、チュウしておくれ

夕時雨可愛い鬼さん手の鳴る方へ

節分や豆の数だけエロクなる

腕組んで鬼さんこちら夜の街

2009年02月04日

---

そう
節分のあくる日に
こんなメモを残してる、僕。

このころは
今だから正直にいえますが
あなたに、恋してました(赤面)

今は
もう大丈夫。

| 2009-06-11 11:05 | 十七音(スピン・アウト) |


梅雨入りと日記に書いてペンを置く

メールが来ないので
ちょっと
色んな心配をしてしまうけど
とにかく
おやすみだけ
言わせておくれ。

| 2009-06-09 23:28 | 十七音(スピン・アウト) |


水割りに氷を足して黙り込む

時には無口になったらどうよ。

黙ったところで、夜は長いよ。

(やっぱりね、困ったオヤジね)

| 2009-06-08 20:55 | 十七音(スピン・アウト) |


ねえ言葉などいらなくて。傍にいて

時間を止めて
二人で朝まで過ごしたい。

とけい

Tags:ハート

| 2009-06-07 20:17 | 十七音(スピン・アウト) |


猫のように、君は悪女になってくれ

(壊れる)

猫のように、君は悪女になってくれ。
僕は猫の友だちが一匹増えたと想うことにするから。

| 2009-06-07 07:53 | 十七音(スピン・アウト) |


明日引き潮を見に行こう

女は悪女になれていいなあ。
男は何になればいいんだ、こんな夜・・・

わからんやろうな。
男心。

| 2009-06-06 21:57 | 十七音(スピン・アウト) |


好きだよと傘に隠れた人にいう

傘に隠れたあなたの髪に
触れて優しく揺れるピアス

ちょっと駆け足、震える指で
軽くピースを流してく

君が好きだけど
それだけは
言っちゃイケナイ


好きだ

Tags:ハート

| 2009-06-05 18:43 | 十七音(スピン・アウト) |

2009年(平成21年)十七音・スピンアウト (五月)


桑の実の酸っぱうまいか、片思い

メールが届いたの。

桑の実酸っぱうまいですよね。
おかあは好きなくせに毎回「見た目が虫っぽい」といいながら食べています。

私が桑の実のことを書いたメールのすぐあとに
写真も付けて、くれました。

唇も歯も
紫色に染めて
実をほおばる君たち親子。

私は、ああ、永遠の片思いだな。


桑のみ

| 2009-05-26 22:05 | 十七音(スピン・アウト) |


うつむいて季節はずれの寺の道

雨。

追憶でも、
呟きでも
幻想でも。

センチメンタルで
ロマンチック。

憎悪
不信
戯れ

自己嫌悪
気障


温もり
冷酷。

数々の、
ドラマのような日常が
消えていった‥‥


雨にまつわる
あれこれを
書いてみるか。

タイトルは、【鶴さん】シリーズから。

Tags:追憶 見つめる

| 2009-05-25 07:55 | 十七音(スピン・アウト) |


逢いたくて彼方の山を見つめてる

風は、夏色。

五月雨に少し沈んでも、五月晴れともいうじゃない。

キミは話してくれたね。
「私、風が見えるわ」
って。

そうだね。

キミの髪が優しく揺れる。
銀のピアスがきらりと光る。

引き潮の凪いでいる海を、眼を細めて見つめるキミの横顔。
五月の海の贈り物かもしれない。

| 2009-05-23 21:43 | 十七音(スピン・アウト) |


おすそ分け、ってメール来たの、ウレシイ

るんるん (死語)


クローバー

Tags:どきどき

| 2009-05-23 21:29 | 十七音(スピン・アウト) |


見せパンの赤鮮やかに蘇えり

その人と、少し海岸を散歩しました。

前を歩くので、自然にお尻に眼が行きますが
それほど、可愛いお尻でも、魅惑のスタイルでもないのですけど

ジーンズのベルトのところに赤白の縞縞のパンツがチラチラと見えるの。

「あらら、ファスナー占め忘れ?」
と尋ねたら

「見せパンです。心配なく」
という返事が返ってきました。

ちっこいお尻に、赤いパンツが、とても可愛かったなあ。

| 2009-05-22 21:29 | 十七音(スピン・アウト) |


イジワルね、傍にいててもメールだけ

ほんとはイジワルだなんて、
これっぽっちも思っていませんから。

でも
傍にいるのに
逢えないのは切ない。

会いたいななんて
言い出せるような人じゃないんです。

そういう間柄ですから。

---


昔、東京都内で、ひとり、友だちがいた。
環七をとばせば30分ほどで行けただろう。

でも
手紙しか出し合わない仲だった。

手紙はダンボールにいっぱいになるほど交わした。


私が東京を離れるときに
新宿で、
二度目に会って、
それが最後だった。

Tags:追憶

| 2009-05-22 21:21 | 十七音(スピン・アウト) |


その昔、夜更かしをした恋煩い

どうしてそんなに、夜更かしなんかしてるの?
珍しいじゃない。十年ぶりかもよ。


そうだね、その昔、夜更かしをしたころを思い出すよ。
恋煩いだったのかもしれないね。
夜空ばっかし見てたもん。


今夜、まだ寝ないの?


うん、2,3日前にある人からメールが届いた時刻が今頃だったんだ。
もう、そろそろ、寝ようかなと思ってる。


メール。届くといいね。


いいや。別にいいよ。
久し振りに、夜更かしを楽しめたし。

| 2009-05-20 00:46 | 十七音(スピン・アウト) |


忘れ音・十七音

-Walk Don't Run-  のほうのブログに「十七音」を作っているので、コチラでは「十七音(スピン・アウト)」という名前にします。

あちらには書けないことをコチラに。
コチラに書けないことは、あちらに。

お互いに微妙な私の気持ちで、二つを使い分けてみようかと思います。

Tags:追憶 はじまり

| 2009-05-18 23:01 | 十七音(スピン・アウト) |

2009年(平成21年)十七音・スピンアウト (九月)


さようなら、僕の九月と君の九月


雨の朝、あなたの手紙を読み返す

さようなら、僕の九月と君の九月

今は
言葉は
少なめに。

| 2009-09-30 07:50 | 十七音(スピン・アウト) |


ボタンいじり、今夜も月は闇の中


雨がやむ、静けさ噛んでキミを見る

いいえ
ボクの前に
キミはいない。

じゃあ
静けさの中で
ボクが見たものは
何?

---
ボタンいじり、今夜も月は闇の中

| 2009-09-29 20:54 | 十七音(スピン・アウト) |


土砂降りに棘ある花を生けている


土砂降りの、
私をなじるような音を聞いていたら
急にあなたが憎たらしくなってきて

そんな気なんかこれぽっちもないのに
嫌いだよ、キミなんか♪
と、つぶやいてみる。

私の荒れている情熱が
うまく表現できないかと思って
ハサミを入れる。

--
土砂降りに棘ある花を生けている

| 2009-09-28 21:39 | 十七音(スピン・アウト) |


唇を見つめ続ける。遠ざかる


私は眩暈の中にいる。

ぐるぐる。

酔うたように眼が廻る中で
あなたのことだけを思い出そうとする。

小さく優しい眼。
震える唇。

眩暈の中で手を差し伸べる。

あなたは微笑む。
私は酔う。

目は廻り続ける。

あなたの唇も廻り続ける。

| 2009-09-23 22:28 | 十七音(スピン・アウト) |


ねえ少し痩せましたかと聞いてみる


2ヶ月ぶりに会ったら、真っ先に私は、
――髪が伸びましたね
と言い出そうと決めていた。

理由は無い。
ただ、そう言って、無造作そうなお洒落に食いつきたかったのだ。

――痩せた?
――いいえ、太ったくらいです

私たちに話すネタなど何もない。

見つめるわけにもいかないが
眼が合えば、少し大きく呼吸をしてしまう。

ときどきニッコリ笑うのを待ちながら、何を愉しんでいるのだろう。
贅沢な時間が過ぎていった。

山帰来

(熊野古道、馬越峠の麓。山帰来にて)

| 2009-09-22 09:03 | 十七音(スピン・アウト) |


指切りを思い出すたび彼岸花


お隣さんの庭の彼岸花が咲いた。

あの赤は、苦々しい。

 指切りを思い出すたび彼岸花

そう手帳に書き留めた。

そのあとで、

 指切りを思い出させる彼岸花

 さよならを黙って見つめる彼岸花

 またあした黙って見あげる彼岸花

など、派生三首で遊んでみた。

でも
やっぱし

私には、「指切り」がツンと来る。

---

言っておきますが、そんな実話は全然ない。
全てが、私の作ったドラマですから。

| 2009-09-14 19:00 | 十七音(スピン・アウト) |


分度器で貴方との距離を測ってる


分度器で貴方との距離を測ってる

うーん

(十七音コミュにも書きました)
---

4月 15日に

補助線を引けばあなたが見えるかな

と書いた。
あの時は、行き詰って、思考が停止していた。

消しゴムを投げても届く君の席

今は、近くにあるんだけどなあ。

| 2009-09-13 19:23 | 十七音(スピン・アウト) |


ふと秋雨が恋しいの、きみ想う


ふと秋雨が恋しいの、きみ想う

秋雨という言葉が
ついこの間から
頭のなかに残っていて

いったい
私が雨を待っている気持ちは
なんなんだろうと
自分でもわからなくなっていた。

枯れていたのか。
いいえ
苛めたいのか。
いや、それも違う。

では、
と考え続けていた。

処女をなくした女が
酒の杯を手に
そこにいたら
私は狂喜してしまうかもしれない。

| 2009-09-09 21:21 | 十七音(スピン・アウト) |


ほんとうはあなたが好きです、いわし雲


空を見てると
好きだといいたくなるよなあー

そんなこと
思っている間に
日が暮れる。

| 2009-09-08 21:26 | 十七音(スピン・アウト) |


親指が背中の嘘を炙り出す


またもや、Pさん@GREEから

> 嘘つきを人差し指で黙らせる

この頃、powさんの感覚というのが
目まぐるしく私に接近してきたのか

それとも
表現方法とか作風が、悪さっぽくなったのか

はたまた
前から持っていたツメを隠さず出しているのか。

---

言葉で遊んでみると

親指が背中の嘘を炙り出す

なんて書いてみたくなったわ。

| 2009-09-07 07:47 | 十七音(スピン・アウト) |


秋の月、影を引く君のうしろ姿


GREEで、Pさんが書いたものに、十四音を続けてみた。

>月のあかるさが痛々し 破れたこころ
そのうつむきが隠すいざよい

--

月は、十五夜お月さんが終わると日に日に小さく欠けてゆきます。欠けるというより、萎んでゆく。

◎ 十六夜。
いざよい。

欠ける月、いざ酔いしれて君想う

◎十七番目の月
立待。
たちまちの月という。

あなたは来ぬかと立って待つ。
まさにその心境ですね。

◎十八番目の月。
居待ちの月
いまちの月。

居て待つ。
やはり、月が出るのを待つ気持ちは、欠けてしまってゆくものであろうとも、名残惜しい。
早く会いたい。

◎ 十九番目。
寝待の月。
ねまちの月。

寝床に横になって東の窓を開け放って空を見ると
まだまだ明るい月が出ています。

昔の人は、殆んどの家庭で間違いなく、明かりを消して見上げたことでしょう。テレビも無く電気もない。書物もない。

◎ 二十日の月。
更待月

このあたりになるとやはり寂しさが隠せなくなる。
でも、また再び満ちてくるわ、と楽天的になるしかない。
もちろん、三日月になったら、それはそれで風流だ。

9月のころの月の高度は、50度程度です。
それが10月になると 57度。
11月の満月のころは、70度を越えます。
真冬の月は85度まであがるので、殆んど真上にある感じです。

 秋の月、影を引く君のうしろ姿

そんな風情が中秋のころにはありますね。

| 2009-09-07 07:35 | 十七音(スピン・アウト) |


露草やきのうの恋を呼び覚まし


露草やきのうの恋を呼び覚まし

---

朝、道ばたで
鮮やかな青い花を咲かせた
露草を見つけた。

やがて
農家の誰かに刈り取られてしまうのかもしれないが
私は
その、光り輝く雫を
しっかりと見た。

静かな
秋の朝の
一瞬のことだ。

| 2009-09-03 21:46 | 十七音(スピン・アウト) |


君の道、ススキがひょいと澄ましてる


エレベーターの前の花台に
誰かが花を生けてくれているのですね。
それが誰かはわからないけど
僕はそれを楽しみにしています。

あなたが花に手を差し伸べていたときの姿がとても印象的です。

素敵過ぎて声を掛けられず柱の陰で見てたもんな。
(ちょっとウルッと)

あなたの道。
僕はあなたと何度もすれ違った廊下を
「あなたの道」と思ってみたかったのですかね。

きょうも

今週になってススキが生けてあるのを
見ていて

君の道、ススキがひょいと澄ましてる

と、ノートに書いた。

| 2009-09-02 20:58 | 十七音(スピン・アウト) |


月はひとり、星は二人で見上げたい


秋か。
月がまん丸になってきてる。

月はひとり、星は二人で見上げたい

秋を語れば
お酒が幾らあっても
足りなくなる。

| 2009-09-01 21:04 | 十七音(スピン・アウト) |

秋の夜長に考える

ギターをその辺に仕舞ったはずだ、よし!出してきて弾いてみようか。

そう思う。真夏の夜には決して思い浮かばなかったことだが、秋ならではの頭の巡りなのかもしれない。ヒトの体温は36度として、その20%ほど減衰ししたポイントあたりを境に、血の巡りが良くなるのかもしれない。

うそうそ。
こんな仮説はありえない。
だったら、気温がマイナス域に達したら、血の巡りは無限大になることになる。


▼さて、台風情報を見ていたら街路樹が倒れている様子がTVに映り、飛んで来た物に当たってガラスが割れたと報じていた。これが、縄文時代なら、街路樹はなくガラス窓も無い。樹木は自然に逆らうことなく生え風が吹けば倒れて、日が照れば生い茂るのだし、割れるガラスも風に吹き飛ばされるモノもない。自分たちの考え出したものに自分たちが痛めつけられて、またその償いや補修を繰り返す。いつか何処かの境目でヒトの作った文明が変曲点を迎えたことになる。

▼溢れかえる高速道路の車をみながら、自分もその中の一台に混じりながらも、思うことがある。どうして政策は高速道を無料にしたり千円などという筋の通らない価格にしてしまったのだろうか。

▼交通の活性化で観光や産業の活性化は確かに予測できたが、あまり定量的な評価も出来ないままかもしれない。一方で交通渋滞も予測できたものの、排出するガスや無駄に棄てられてゆくエネルギーがそこに発生することもなかなか定量化できずにいる。さらに目に見えないところで、というか明確になっているところもあるのだが、公共交通機関利用者の減衰、経営不振、最悪は廃業倒産も起こっている。

▼何故に、新幹線利用者から市内の循環バスレベルまでの公共交通機関利用者にポイントをつけて還元するという政策案が生まれなかったのだろうか。発案は無かったのだろうか。

▼道路の整備に莫大なお金をかけるのはもうこの世紀でオシマイにしてしまい、集中化した都市構造の分散化に知恵を絞り、中規模のエリアの中での都市計画をしっかりすれば、自家用車による交通はその地域でひとまとめにでき、完結することが可能で、それ以上の移動は公共交通機関に委譲すればいい。中核都市の公共交通機関ターミナルには自家用車と接合インフラを構築してゆけば、住民の生活も環境も産業も活きた地域が完成すると思うのだが。

▼今からでも遅くない。高速道路の無料化を見直して、公共交通機関の利用者にポイントをあたえるような、まったく今までに無い着想を提案して練り上げなければ、改変はありえない。
(それと同時に、家電会社や自動車会社がチヤホヤされるだけのおかしなポイント制度も即座にやめてほしい。)

2010年9月18日 (土曜日)

「奥の細道」をよむ (ちくま新書)  長谷川 櫂

「奥の細道」をよむ (ちくま新書)


* 長谷川 櫂
* 筑摩書房
* \798

-- 月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。

誰もが知っている「奥の細道」の冒頭です。

まったくの専門外のことでありながら、芭蕉という人物や作品、またはこの紀行文に興味を持ち、浅学ながらも少しでも読んで味わってみたいと思うことが、これまでにしばしばありました。

著者の長谷川櫂さんのことは朝日俳壇(朝日新聞)の選者であるということしか知らなかったのですが、単に名前を知っているというだけのきっかけで、このちくま新書<「奥の細道」をよむ>に出会え、長谷川氏の人物像も少し見えてきて、「好き」がグーンと加速しそうです。

この著作は、決して生半可に読むようなものではなく、大学の教養講座で大いに利用してもいいだろうと思える、素晴らしい本でした。

数学や物理学の講座で使うテキストでよく見かける「薄っぺらいけど中味が満載」という…あのパターンの本です。物理のテキストではさり気なくひとつの方程式が書かれているのですが、実はそれを展開すると膨大なページの解説が必要で、読み手にもしっかりとした基盤を(暗に)要求している、というアレです。あの悪魔のようなテキストを思い出しました。

まず、第1章で「かるみの発見」の解説に入ります。「奥の細道」での芭蕉の旅日記をのほほんと読もうと考えていた私には、なかなか厚い壁でしたが、第3章までの導入講座が、実はどうでもいい本には書かれていない素晴らしいモノだったのです。芭蕉の心を第1章、第2章、第3章で学び、旅の日記へと続いてゆきます。

涙が出ることの連続ですね。
(この本の懐の深さをどこまで理解したかは、自信ないのですが)、
秋の夜はこういう本をじっくりと静かな部屋で読みたいです。
何度でも繰り返して読めます。


| 2007-09-18 07:35 | 読書系セレクション |

2010年9月17日 (金曜日)

信頼というもの を考える

信頼というもの
2010年09月13日

▼信頼とはを考えはじめる
信頼とは何だろうということを考える。そのきっかけは、不調が続くバイクの話を読んでいた人の「もっと信頼できる店に頼ってみては」というアドバイスの言葉であり、あるいはさらに大きく私を揺り動かしたのは三十年来の友人の身内に起こっている不測の出来事に拠るものだった。信頼という簡単な言葉であっても、ふとしたきっかけで考え続け、深みを探れば果てしなくそこに潜んだ哲理が浮かび上がる。

▼友人に身内の危篤から
友人の身内は、危篤が続く状況に追いやられている。意識が戻ることも無く生き返ることもできないかもしれない。しかも、本来ならば近くに住んで居るはずなのに、仕事の事情で飛行機を使っても8時間以上掛かるところにいて応答のあるうちに会えなかったという。年齢的にもまだまだ20年は早いと思える。様々な面で運に背かれた形になる。信頼して、順調な軌道の上を走っていると思っていたのだ。ここにも信頼という言葉がある。そして、信頼とは人物を信じる状況を指すだけでなく、あらゆる状態を見守っている自分の心の形を表すこともあるのだ。

▼信じるとは何か
何をどういう形で信じればいいのか。この廃れきった世の中で信じるものなど無くても銭金があれば生きて行けるとでも言うのか。信じられるものは神のみなのか。いや、神など信じられないのか。

私たちは信じるということを数限りない対象において様々な形で捉えている。それは、物理的にも心理的にも、また行動科学や精神科学が及ぶような分野においても、あてはめて考えている。与えられた既得権のように厚かましく手中に持つこともあれば、感謝に満ちた信用もある。善し悪しなどは無く、ひとつの状態を表現するものとも考えられる。

それを物理現象と考えるなら、エネルギーは質量と速度が生み出すのだから、信頼、あるいは信頼関係というのは、そのものの思いの深さと情熱度合いということになってくるのだろうか。しかし、そこには、これまで私たちが生きてきたこと、生かされてきたことへの畏敬が含まれていない。

▼さらに考える
まっすぐ跳んでゆくボールは突然曲がったりはしない。路線バスも定めれていない交差点で曲がったりはしない。そうなると、どうやら、曲がらないと信じることは実は信頼とは呼べず、予期せぬときに何かの時点で曲がるかもしれないという事実を見詰め合うこと、またはそういう危機を共有すること、向き合うことが信頼なのではないかとさえ思えてくる。だからといって「危機管理」などという安直な言葉で片付けられると腹が立つ。もっと心の奥の襞の中まで沁みこんだ感情的なものが「信頼」なのだ。

▼信頼なんて存在しないのか
神は幸せというものも齎してくれるが、罰という裁きも可能だ。いまや、信頼という言葉自体が風に晒された死体のように、無表情に残されている。

信じることは信じられることだ。そこには何の合理性も実益もないし、科学も哲学も無い。
信頼という言葉が深いところに秘めている重要な意味を見失った現代人たち。
そういう人たちが溢れかえった空間(または時間空間)を私は彷徨っているのだ。

(日が変わって)

▼信頼というもの──その2
信頼というもの。・・・・というわけの分からない私の呟きにたくさんのコメントを戴き感謝します。答えの無い問いかけに答えるのは難しく、そこんところを上手にかわしてひと言を残してゆくというのは、人生を上手に生きることにも通じると思います。みなさんのもうひとつの姿を見るような思いです。

▼続・考える
さて、きのうのお話の続きを今朝から書いておりました。信頼という重々しい言葉を投げかけておきながら答えも出さずに、というか答えも出せずに放り出した私の心理までを理解してくれる人など、たぶん誰も居ないだろうが、私は「信じる」ということと「頼る」ということを、発生学的に考察したかったのだ。

◎「信」と「頼」に分けるてはどうか。もしかしたら二つに分けて考えれば見えてくるものがあるかもしれない。複合の言葉なのだから、ひとつずつ紐解けばいい。

◎「信じる」といことも「頼る」ということも、どちらも親の言いつけでできるようなことではない。つまり、その人自身の心の奥底に存在する本心のような部分が無意識に決定するものだということだ。

◎信頼という行為の結果が必ずしも正解であったり、報われる結果を導くというようなハッピーエンドなストーリーでもないというのも現実だ。

◎信じることはある意味では信仰のような側面を持ち、人を信じることは己の誠に通じるともいえる。「頼る」「頼られる」というような相対する言葉にもそれらが当てはまる。

◎さらに頼られることの奥深くには、その人物やその出来事の重みが生きてくる。人に重みがあれば、そこには尊敬の念が返ってくるし、行いであれば実行力とバックアップが対になって勢いを生む。

◎仁義礼智忠信孝梯。この言葉の中にも「信」が存在する。南総里見八犬伝でも出てくる語句だが、やはり人はそこに戻ってくるのだろうか。

▼信じる根拠の変化
人間関係が希薄になっているのだろう。だから、心から信用できるものや人が少なくなってきている。物事をお金や数字や統計的な割合で表現する傾向を見てもわかるように、スーパーの買い物ひとつを取り上げても、信用イコール数字なのかもしれない。

◎みんなが買っている、誰かが良いと言う、そういう情報がネットにある、カタログに信用できる数字が記載されている、性能表の内容が良い。

◎癌の治療、脳外科的疾患の治療についても、医者の評判、噂、テレビの情報、新薬の情報、最新医療のTVなどでの紹介、病院の事故率・失敗率。

▼信頼できるものの激減
数字の上では身の回りには私たちに役立つものが増えているのだが、どうも温かみのようなものが減ってしまったことで、心から信頼できるもがなくなってきて、信頼という言葉のもつ意味が軽々しくなってきたのではないかということかな。

▼これまでにこの日記で書き綴ってきていることは、私たちは「豊かさと満足度」という、現代人の骨の髄まで溶かしてしまった麻薬より恐ろしいものがあり、それが様々な面で人々の暮らしを激変させたこと。そして生活レベルや満足度は満たすのだけど、その変化により人と人との間に存在していた温かみのある信頼関係は、お金や数字や情報では語れないところで破壊されてしまっていること、を認識に無くてはならない。情報を活用していいものを手中に出来ても、なんだか嬉しくない気持ちが残ったりすることがあるのはそのせいなのだ。

▼家族を癌で亡くすかもしれない。脳卒中で死なせてしまうかもしれない。そこに、当人とあとに残るものとの信頼があれば、また治療をする医者との信頼関係が確実に出来ていれば、もしかしたら短い運命であるのかもしれないけれど、自分でもひとつの区切りをつけることが出来るのかもしれない。

現実にはそんなに甘いものでもないと叱られるかもしれないが、たくさんの人を見送ってきた。そういう年齢に達している。不治の病、手遅れの病気、突然の変化、事故、自殺、老衰。治療の限界を感じて自分の父も死なかしてしまったのだが、今更、そのことを悔いて仕方がない。

そういう世相のもとに生まれてきたのだと思う。

▼この日記の初版では
結局、何が言いたいのかワカラン。>自分
と書いた。

人の純真さが薄れてきていることを嘆いたのかもしれない。
自分のことしか考えない社会に怒りを持っているのかもしれない。
悪が悪として裁かれないことや戒められないことに怒っているのかもしれない。
世の中が、間違った方向に多数決で進んでゆくことに怒りを持っているのだろうか。

まあ、いいや。もうすぐ死ぬ時期が来るし。それが諦めの言葉なのだが。

(まんざらハズレでもない悩みかな)

2010年9月16日 (木曜日)

終楽章ふたたび


終楽章ふたたび

あれが、春だったことだけは覚えている。
だが、何か驚くようなことはひとつも蘇らない。

桜が咲いていたかどうか。
鳥が鳴いていたかどうか。


あの子は海を好きだといったことが一度もなかった。

湘南の鉛色の海を眺めながら、別れという言葉を避けるように、立っていた。
もう、今夜には一緒に居れないのがわかっているだけに、横殴りに降りかかる雨が憎かった。
それが夏の始まりのころで、
それから一年も経たない間に私たちには数々のドラマが訪れ、
一度傷ついた作品を元に戻せないのと同じように、
しかもその傷が光を返して揺らめくように、
あの子の時間と私の時間が、あざなえる縄のように縺れていったのだ。

そう、それから
一年も経たないころだった。
だから、春だったのだ。

| 2009-03-20 12:43 | 深夜の自画像(詩篇) |

終楽章が書き出せない


終楽章が書き出せない 【鶴さん・ひろちゃん】

4月の初旬から、
「鶴さん」と「ひろちゃん」の続きを書かずに置いている。

物語の最終楽章は、決してグランディオーソ(grandioso)をフォルテシモで駆け抜けようと考えているわけではない。
むしろ、私にしたら大きく息を吸って勢いよく書き出しながらも、繊細で震えるように消してゆきたいというように、考えていたこともある。

しかし、
そう簡単には書き出せない。
いつまでたっても、最終楽章に取り掛かろうという気持ちになれないまま、幾日もが過ぎてゆく。

ストーリーは、わかっているし、決して面白いものでもないのだから、そそくさと終わらせてしまいたい。
・・・・というものの、自分に納得のゆく余韻が得られないのだ。

---

理由は簡単だ。

物語が終わってしまえば、再び生き返ることがない。

中途半端でもいいから、このままで「続く」としておきたいと、私は心のどこかで思っているのだろう。
終わりのないドラマにしておけば、いつまでも夢の中を彷徨えるのだから。

どうしようもなく眠れない夜に、身体の髄まで酔いしれてしまったならば、書き出すことが出来るのかもしれない。
静かな夜が、あらゆることを思い出させてくれるという、魔術に似た力をくれるような気がする。

Tags:見つめる 勇気

| 2007-05-03 18:31 | 深夜の自画像(詩篇) |

失くしたものなど 甦った試しも無い


失くしたものなど 甦った試しも無い

本当に悲しい恋の行方は、
誰にも打ち明けられない寂しいものだ。

花が咲いているのを見ても
綺麗なツツジが私を迎えてくれても
颯爽と二人で歩いた坂道に同じような足音が響く季節になっても

梅雨を迎える前の今は
なぜか投げやりで
ぼんやりしている。

まあ
いいじゃないか。

失くしたものなど
甦った試しも無いのだから
諦めるしかない。

| 2010-06-08 05:27 | 深夜の自画像(詩篇) |


みちくさ バージョン (別れの風景)


みちくさ バージョン (別れの風景)


時刻は午後四時を回った。最終バスが岬の先端から小樽の街に帰ってゆく時間だ。
「もう帰らなきゃ」
女の子は、そう私に教えてくれる。しかし、私は帰りたくなかった。自分でもこれと言えるような理由などなく、ただ、わがままを押し通したかった。だから、今夜に泊まる宿屋のことも、駅までのバスの時刻のことも気にしていない素振りをしていた。
旅に出て初めての衝動だったかも知れない。彼女から離れたくない気持ちが私のさまざまな不安を吹き飛ばしてしまっている。
女の子は続けてしゃべった。
「早くしないとバスがいっちゃうよ。」
そう言ってくれても、私は
「ヒッチハイクで帰るから」
と答えて、強引に彼女のそばを離れようとはしなかった。主題のある話をするわけでもない。名前を聞くわけでもない。顔をじっと見つめたわけでもない。私の身体は、自分の理性や抑制心を無視して、その子の発散してくる新鮮さをひたすら掴もうとしていた。心が持ち合わせている本能、それが身体全体を支配して、私は金縛りにあったようにその場所にとどまっていた。
そこはバス停の前の小さな売店だった。その店の中をウロウロとしながら、私は、女の子に何か他愛もない話を続けた。そうしながら最終バスを見送った。売店のその子はとても愛想が良くて、止め処なく話相手をしてくれる。私が去ってしまえば私のことなどその場限りで忘れ去ってしまうかも知れないのに…。
真夏の太陽はまだ暮れるほど落ちてもいなかったけれども、ひとしきり話した私は、彼女と「さようなら」をしなくてはならない時刻がとうに過ぎていることを知っていた。何とかなるだろう、という気持ちでヒッチハイクを決心していたのだ。そんな勇気が湧き上がったのも、すべて、私を動かしたあの衝動であったのだと思う。止まってくれる車を幾台も乗り継ぎながら小樽駅に辿り着いた時にはすっかり日が暮れていた。
名も知らぬ彼女に私の気持ちをどうにかして伝えたい、どうしても伝えたい。ヒッチハイクの不安から解放されたときに再び私を襲ったのは、たった今まで私の前に居たあの子の面影だった。
手紙を書こう、と考えた。小樽駅の売店で葉書を買い、しかし、手がかりは何もないままで深く深く悩み、待合い室でひたすら思案に暮れた。
結局、苦肉で思いついたのが「北海道中央バス終点、余別駅前の売店でバイトをしていたメガネをかけた女の子様へ」と宛名に書くことだった。きっと誰かが届けてくれるだろうという期待に胸がドキドキした。それをポストに投函して、私は何度も何度もポストを振り返った。
行くあてのないさすらいの旅だからこそ大きな道草を食えた。金はない。今夜の宿のあてもない。そのまま夜汽車に乗って最果ての街、稚内まで揺られることにした。それから二週間あまり、手紙を投函したことなどあっさりと忘れてしまって、ひとりの旅が続いた。
釧路の大地を走るディーゼルカーの中で相席になった女子高生に「○○○大学ですか?プロポーズ大作戦に出して!別海町の小林商店です。一軒だけしかないから」と誘われたりしながら、ヒッチハイクと汽車を織り混ぜて、スリルに満ちた必死の旅はしばらく続いた。
しかしある日、急に私を寂寥感が襲う。無性に一人が寂しくなって「帰りにはあの漁村のあの売店にもう一度寄ろう」という想いを秘めながらも、ポイと夜汽車に飛び乗って、私は北海道を離れてしまうのだ。
もう逢えないだろうな…という重く苦々しい寂しさ。旅の思い出がしっとりと私を包み込み始めている。汽車の窓の向こうは真っ暗闇だ。集落なのだろう、小さな灯かりが時より過ぎてゆくのをぼんやりと眺めているうちに眠れぬ夜が更けてゆく。早朝、夜行列車は上野駅に着いた。衣類は汚れ、髪はボサボサ、新調したズック靴はボロボロでほつれかけていた。これが貧乏旅の象徴だったのだ。
半月ぶりに我が家に戻り玄関を開けると一通の手紙が置いてあった。それは、四年間でダンボール箱一杯になるほど書いた手紙の第一通目だった。このあと、一度も北海道を訪れず、四年という歳月を経て東京に就職した彼女と私は再会を果たします。卒業。辛い別れ…。
そんな物語は、あのときの「みちくさ」が始まりでした。

Tags:追憶

| 2006-04-15 22:29 | 深夜の自画像(詩篇)

突付かれて無頓着な振りをする


突付かれて無頓着な振りをする

束の間の幸せだったかもしれないけど
そんな昔の出来事が、やけに思い出されて。

まあまあ、今でも幸せなんだけど
もう少し欲を出してもいいかしらと
ふと、思ったようなときに

どこかで誰かが、
あなたも、できるわよ。
もっと羽ばたけばいいのよ、
と言ったような気がする。

あーあ。
疲れたな。
でも、
幸せってこんなことかな。

羽ばたいて、飛び上がっても
また再びここに降りてこれる。

背中をポンと押したり
おでこをチョンと突っついたり
そんな得体の知れないあなたとわたしは
アイスコーヒーの氷が全部融けてしまっているのに
ストローで攪き混ぜながら、
見つめあって話をしている。

| 2008-07-25 07:55 | 深夜の自画像(詩篇) |

雨降りを恨む素振りで傘の下



雨降りを恨む素振りで傘の下 【銀マド・番外篇】

「銀マド」・・・・ってなんだろう、と思っていらっしゃる人があるかと思います。

ブログや日記で私が書くゴミの雑記(塵埃秘帖)を「銀マド」と呼んできました。正式には「銀のマドラー」ですね。

ウイスキーをかき混ぜる攪拌棒を「マドラー」と言いますが、銀メッキのマドラーだったら「銀のマドラー」です。

なんとも心地よい響きだと思いませんか?
私はウイスキー党ですから、このマドラーで水割りを作るときが幸せです。カランカランという音が好きです。

---

その「銀マド」に【鶴さん】と【鳥のひろちゃん】を書き始めて、ダラダラと続いてきてしまっています。読んでくれている人は数少ないと思いますが、私は個人的にお気に入りです。(自画自賛だね)

霞む記憶の中で、史実から大きく踏み外しているところもあろうかと思いますが、主題はそらさないで何とか最後まで書きたいな…って思っています。
でも、「この物語に最後なんかあるのかい?」って自分に質問してしまいそうだ。


その、鶴さんとひろちゃん。少し休んでいます。

「花も嵐も」が第34回までで、出し終わるのももうすぐです。

ちょうど季節は梅雨ですから、夜明け前の強い雨足に目覚めて、早々に自室に起きて来ることが多い季節です。
そんなときに、ゆっくりと自分の世界に浸れるような時間ができたらいいな。
そこにペンと白い紙があるとあれこれと書き始めることができるでしょう。

近頃、そのタイミングが朝の通勤時間の真っ最中だったりして、手帳は持ち歩いていますが不十分です。
夜、家に帰って思い出そうとしても、なかなか上手くいかなくて。

この二篇はインスピレーションで書いているので、マイミクさんの日記の言葉が私をグググと動かしてくれることも多いです。


雨降りを恨む素振りで傘の下  ねこ作

Tags:見つめる

| 2006-06-15 21:19 | 深夜の自画像(詩篇) |

2010年9月15日 (水曜日)

海まで。あなたの住む入り江まで、ゆく

あなたの住む入り江まで
---

国道を街中へと曲がるとそこからは一気に海岸までの一本道で、小さな交差点を幾つか通り過ぎ、海が見える場所まで来て私はほっとため息をついた。

その人の住む入り江まで幾つほど集落を越えて行かねばならないのか、きちんと調べたわけではなかったものの、行き当たりばったりでもなく、発電所の煙突と湾内の生簀を目印に、目標はもう少し奥の方だなと決めて、船の浮かぶ海を右手に見ながらゆっくりと進んだ。

電話をしなきゃ。このまま集落が寂れてゆけばもう一度街中まで戻ることになるから気をつけなきゃ。そう考えている間に港の防波堤まで辿り着いて、道は行き止まりになってしまった。

ちょうど幸運なことにそこにボックスがあり、そそくさと電話をした。ボタンを押しながらも様々な興奮が過る。その人の声を耳にしたらまず何を喋ろうか。子どものようなときめきが次々と頭に浮かんでは消えてゆく。そして彼女が電話に出て、久しぶりに声が飛び込む。

何て話し出したかさえも記憶にないが、港にいることを伝え、彼女の家がどのあたりなのかを尋ねた。私の場所が行き止まりではなく、少し手前からもうひとつ山を越えると水産研究所まで行けて、そちらが行き止まりで、彼女の家はその前だと教えてくれた。近くまで行けば迎えに出てくれるというので、私はもう一度バイクに跨った。

越えねばならないひとつの山というのは小高い丘のようなもので、雑木林の間から湾の様子を垣間見れる遊歩道のような道が1本ついている。自転車なら10分ほどだっただろう。車がすれ違うには少しせまいくらいのくねくね道を、胸を弾ませてゆく。

前を1台の軽ワゴンが走っているのみで、竹の枯葉がアスファルトを覆い、いかにもその集落の人たちだけの生活道路という趣きが続く。

ワゴンが道路をそれた直後、道は急な下り坂になって堤防に突き当たって行き止まる。振り返ると一軒だけ家があって、さっき前を走っていたワゴン車はあの家に入って行ったことがわかる。

バイクをUターンさせてそちらを見ると日傘を差した彼女が庭から続く石段を降りて、公園にある素敵な散歩道のような一筋の垣根をやってきた。

「姉が前を走っていたの。バイクが1台、浜に行ってしまったって言うてましたから」

そう声を掛けてくれた瞬間、手を振る姿を見てドキドキしていた自分が嘘のように冷静に変化し

「久しぶりです。元気そうで何より…」
と言いかけ、ぐっと来るものを噛み締めて飲み込む。目頭が熱くなるのがわかる。思わず太陽を見あげて目を擦った。

海は凪いでいた。

「こんな素敵な景色の街に住む友だちが、ひとり増えて目茶目茶喜んでいます」
首筋に滲み始める汗を、海風がすっと拭ってゆく。色白の化粧もしない彼女が日傘の下で微笑んでいる。海を背にして山を見あげると、蜜柑山が広がっている。風向きが変われば、蜜柑の芳しい香りが漂うのだろう。

時間が過ぎるのが惜しくて仕方がない。
行野浦


| 2009-05-13 08:48 | 日記系セレクション |

風が強く吹いている (読後の、その後)

三浦しをん 風が強く吹いている  から続いてきて
---

読んでいると駆けだしたくなることは間違いないし、ジョギングしてしまいそうになりましたね。

だから、一層間違いなく、この本を読みながら、多くの人はこの作品に★★★★★とするだろうなあと考えていた。

今の世の中の流れというか、今の人たちの読書の愉しみは、このような作品が好まれると思う。特に若者はそうでしょう。

ドラマや映画でも同じ傾向が有るのだが、夜のピクニック(恩田陸)とか、鴨川ホルモー(万城目学)などにもよく似た傾向が有るかもしれない。---作風が同じだといっているのではない

おおさっぱで辛辣な言い方をすれば、
ちょっとした感動があって、面白くて、楽しく読めて、内容がまともで優等生で、読んでいてわかりやすくて、この作品の場合はなお更漫画チックで、素直な心には入って行きやすい。
---しかし、坂口安吾なども人気がじわっと有るようだが、それはさておき、---また、太宰治が根強く人気なのも、さておくとする。

直木賞。
これは素晴らしく、相変わらずハズレはないと思うものの、ひとつの文学に賞を与えるという意味では価値有るセレモニーと思うのだが。

何故か、
どうしてか、
心のなかに
もやもやが残るのだ。

(注)「一部の直木賞の作品に」 そういう傾向があるのであって、おおかたの直木賞は、まともです。

こういう作品をちやほやしている社会に、「おい、ちょっと待て!」と言いたいような。

それは、自民党、民主党の二大政党の時代だ!という人たちに、「ちょっと待て!違うだろ。あと1つ2つの政党が出てきて、喧々囂々とやるのがいいだろう、その中から新しい考えを生み出すのが理想じゃないか」と私は思っているので、それに似た不満のようなモノが有るんだなあ。

時代の流れはひとつの文化のあらわれわれとも思うものの、ケータイ電話でデフォルメされるように、深くじっくりと味わうことの本当の意味をもはや「無意味」としてしまっているならば、歴史自体が大きく旋回していると、言い切っていいのかもしれない。

過去にこんな大きな変曲点があったかどうか。それは私が歴史学者じゃないからわからんけどね。


| 2009-07-31 22:14 | 日記系セレクション |

梅棹忠夫 梅棹忠夫の京都案内

<ちゃいちゃい、入ろか
そういう言葉も、消えてゆく。

それはそれでええのんですが。

この本は、久々のヒット。

---

梅棹忠夫の京都案内
(角川ソフィア文庫)
梅棹 忠夫
角川書店

---

この本は、結構面白い。

京都の人が読むと、なおさら、面白い。
よその地方の人は、入門書として読むことも可能ですが、オモロないかもしれない。

京都って所は、ちょっと排他的で閉鎖的。

言葉も文化も、見かけほど美しく清くもないけど、人の味がする。

梅棹先生がそんなことを上手に書くなんて、エライ先生なので、めちゃ驚き。

ポケットに一冊。持ち歩いてもいいかも。


| 2009-07-31 23:58 | 日記系セレクション |

倉本聡 優しい時間―Scenario 2005

今年もあとわずかで終わってゆく。

北の地方では雪が降っている。

あれほどまでに暑かった夏があって、
これほどまでに寒い冬がある。

それが許せないころがあった。
自然現象なのに、キライで許せない。

それも、今は昔のことで
ちかごろは、
歳のせいだろな、
何でも許せてしまう。


寒いけど、ガラス越しに青空を見ている。
なんて素晴らしい「青」だろう。

こんな色の似合う人生を、これから終焉までの間、送りたいものだ。


シナリオ文学っていうのかな。
向田邦子さんとどっちが人気だろうね。

読書部Ⅱ レビュー
倉本聰 優しい時間


| 2009-12-19 10:51 | 日記系セレクション |

週末には手紙を書いて

コミュを思いつきました。
----

前略、みなさん

「夏はキライや、冬が大好きや」と毎日叫んでいたら寒波が突然やってきました。ちょっとブルッとしながらショボンとしてるところを見られたら癪に障るので急ぎ足で駅から帰ってきました。そしたら、満月が出ているのに時雨はじめて、キツネの嫁入りならわかるけど、なんて言うんだろ。「時雨月」なんて言葉があるのかなあ、などと考えながら帰ってきました。

帰りの列車の中で「週末には手紙を書いて」を思いつきました。みなさんに手紙を書くとか、もう忘れていた人を思い出して手紙を書くとか、リアルでも出せない片思いの人に書くとか。一週間に一回くらいしかmixiやパソコンを触らない人のために、こんなコミュがあってもいいよね。週末にしかデートが出来ない恋人同士の交換日記みたいなもんかな。

書くことが大好きで、読むことが大好きな人が、幽霊でもいいから会員になってくれるといいなあ。絶対に書きたくなる、そんな気持ちにしてみせる。そんなコミュでありたいの。読書部だってそうだった。読んでるだけじゃつまらない。自分も参加したくなるコミュを目指した。今度のこのコミュも、人数は多くならなくていいから、本当に書くことと読むことが好きなコミュになっていけますように。

トピックは二週間にひとつずつ増えるくらいがちょうどいいかも、と思って、最初は「立冬篇」から始めます。そう春からではなく、冬から始めるのだ。二十四節季を順に追って季節を感じながら進んで行く。何も書くことがなければそれでいい。挨拶だけ書いてオシマイでもいい。手紙を書いてみれば、きっと誰かを思い出す。そしたらその人宛に手紙を書こう。

私がほかでやってる「つぶやく十七音」のように、十七音の手紙でもかまわない。 「たった今あなたが好きになりました」みたいな感じの短い手紙もいいね。短い言葉には隠された無数の気持ちが篭っている。それを余韻で伝えるのよ。余韻が伝道して夢が広がってゆく。切ないときでもやるせないときでも、きっと誰かの言葉で元気が出てくる。そうなるといいね。

立冬まで少し日にちがあるけれど、これはサービス期間ということで(笑)、どしどしみなさんのメッセージをお待ちしています。

もちろん、どこのコミュにもあるような自己紹介のトピックはありません。いつも、いつでもが挨拶のときであり、便りを書いて出すときだと思います。ゆっくりペースで行きますからね。うーん、書きたくても我慢しなくてはいけない人は困ってしまうかな。そんなときは、たくさんの人に手紙を書くなど工夫してみてください。

さてさて、私はこの辺でペンを置きます。たくさんの幽霊でもいいから仲間が出来ますように。


| 2009-11-02 22:41 | 日記系セレクション |

【銀マド】(日記系セレクションから)  2010年篇


大事に置いたまま

全然返事をくれなかった人(はぁと)が、昨日、返事をくれてね。
あまりにも嬉しくて、返事は書かずに最新のところに大事に置いたままにしてます。

| 2010-04-11 12:50 | 日記系セレクション |


好き

あの人が何と思おうとかまわない。
一度でいいから真正面で「好きです」と言ってみたい。
それは既にわかっていることかもしれないけど、私は言いたい。

| 2010-04-05 21:05 | 日記系セレクション |



小さな目

破滅的も燃え尽きようとしているときのほうが、限りなく美しく、限りなく純粋であるのかもしれない。

三月の最後の日。
わたしが「つぶろぐ」に書き残した言葉は


キミの笑顔とえくぼと小さな目が好きだから、
記念に一枚写真を撮っておこう……
と言い出せず。
三月が終わる。
元気でな

というものだった。

| 2010-04-01 12:00 | 日記系セレクション |

銀マド(日記系セレクションから)  2009年篇


冷たい雨

立冬が過ぎてから
初めての雨ですね。

冷たい雨。
ブーツをぬらす。

坂道の花時計跡に新しくできた鐘が
定刻になると鳴ります。

晴れの日は海を見ながら。
雨の日は霧に霞むビルを見ながら。

| 2009-11-11 08:48 | 日記系セレクション |


やっぱり・・・・

好きなままでいてもいいですか?

| 2009-10-12 22:33 | 日記系セレクション |


文化的に自立していた

(私たちの学生時代は)

今の時代のように
情報に翻弄されず、
文化的に自立していたんです。
社会も人も思想も。

| 2009-09-22 17:53 | 日記系セレクション |


初秋の砂浜

秋が始まるの。
そうすると
海から人影が少しずつ消えてゆく。

白い波が歓喜に満ちてざわめくのよ。

磯の香りが漂う浜を
ザクザクと歩いてみた。

(島勝から須賀利へ)


| 2009-09-22 08:47 | 日記系セレクション |


猫って、

猫って、

畳に敷いた布団で寝てると
そーーっと肩口から布団のなかに入ってくるのよねぇ。
静かに横で添い寝するの。

夏は、
そのまま寝てると、その横に並ぶように寝るし。


だまって
知らない間に
横にいる。

そんな女が
いたらいいなあ。

そんな猫のことを、思い出してました。

--
GREEから

| 2009-09-13 19:21 | 日記系セレクション |


うぇー

チュ その2

タイトル:うぇー

きもちわるいタイトルやめてー(゜Д゜)

あーびっくりした

--
そんな返事が返ってきた。
万事休す

| 2009-08-28 07:08 | 日記系セレクション |


同じ虹を見る

ネットで日記を読んでいると、
きょうの東京の友だちの日記には、
虹が見えた話が多く、
きっとみんなは同じ虹を見ていたんだな。


恋人と離れていても虹がある

同じ虹を見上げて
ケータイでメールを交わした人たちも
居るかもしれない。

ねえ、そういう恋ってあこがれませんか。

融けるように眠りに入っていけるよ。きっと。

| 2009-07-27 21:00 | 日記系セレクション |


ミニひまわり

エレベーターの前の花台に、

先週は誰かが、

黄色い小さなひまわりを

生けてくれました。


そのことを
伝えたくて。

| 2009-07-26 11:25 | 日記系セレクション |


鱧、食いたい

土砂降りの雨というと

宵山の夕方に
突然の雨の襲われて
烏丸の地下鉄の入り口付近で
緊急避難に間に合わずに
びしょぬれになってしまっている人たちに遭遇した年があったなあ。

祇園祭が終わって
梅雨が明けて

大文字のころには
台風が来るのよねぇ。

そうこうして
夏が過ぎてゆくのですが

うおぞうめん

ハモ

食べたいなって日記に書いて
昨日の夜は寝ました。

むしむしする夜でしたが
朝はすがすがしいから
許したろ。

| 2009-07-26 05:00 | 日記系セレクション |


待たされるときって、もしかしたら・・・

mixi Yさんへのコメントから

> ◆ねてまてど くらせどさらに何事も なきこそ人の果報なりけれ (蜀山人)
---

そう、

待たされるときって、もしかしたら・・・と考えますよね。

身に何か異変が起こっているのかしら、
誰かが訪ねてきて時間が無いのかしら、
大雨に降られているのかしら、
電話を失くしたのかしら、

動けなくなっているのかしら

やはり
究極は、
私のことなど忘れているのかしら
嫌いになったのかしら
新しい友だちができたのかしら

などなど。

自分はどんどん冷静さを失くしてゆく。
それは
後でわかる。

そのくせ同じような思いを、再び繰り返している。

愚かだなと思いながら
病いなのかも知れないとも思ってみたり。

| 2009-07-09 10:13 | 日記系セレクション |


消せるなら

バイク仲間のあやちゃんが
僕に

「味わった痛みも愛しさも消せるなら、またいつか同じ事を繰り返しちゃうかもよ」

だって。


| 2009-06-28 19:00 | 日記系セレクション |



今さっき
熊野までドライブ!
ってだけ書いたメールが来たので

真っ青な海を僕にも分けてくれ
って送り返しておきました。

| 2009-06-19 08:22 | 日記系セレクション |


濃ゆい

ある人から
(ねこさんは)

キャラ濃ゆいからさぁ、ガチで一緒に生きるってかなり面倒くさいと思うん。

と言われたのですが
これって…

| 2009-06-17 15:45 | 日記系セレクション |


さなえちゃん

GREEから

>ありがとう 清志郎さん。
>痛かっただろうな

そう。
私もそんなことを考えて
しみじみと彼のことを思い出してました。

大学ノートの裏表紙に
さなえちゃんを書いた一人ですから。

| 2009-05-05 09:33 | 日記系セレクション |


花屋

私も、花屋になりたいと思っていたころがあります。
24歳で就職して、その職場での挨拶で
「いつか、田舎に帰って花屋になりたい」
と言ったのです。(半分忘れてました)

仕事を転職して、田舎に行くときに、同僚だった憧れのステキな女性が
「田舎に行って花屋になるの」
と言ってくれたときは嬉しかった。

花屋になる夢は叶いませんでしたが、花屋の前では必ず立ち止まってしまいます。

(GREEで)

| 2009-04-28 20:53 | 日記系セレクション |


ため息

(mixiのメールから)

> やっぱり、雨。
> 窓べのてるてる坊主が悲しげにお外を見てます。

大人になると熱くなるモノを失いつつあるなと感じます。
運動会が間近なら、晴れてくれと祈る気持ちの、その熱さも子どもの頃は激しかったけど。

冷める、とは上手に言ったもんだ。
晴れて欲しい、晴れてやって欲しいと願う気持ちは同じなんだろうけど、
また、長い人生、雨もあるし晴れもあるみたいに思っているわけでもないけど、

心の逃げ道を準備している。
それは諦めのため息を吐くところを想定しているとも言えるかも。

| 2009-04-25 07:05 | 日記系セレクション |


葉桜

桜という花は
あの清楚なピンク色がなんともいじらしい。

散りきわも、潔く
短い命を惜しんでいるに違いないのに、
散ってしまえば
緑の葉を元気よく出している。

いつまでも
泣いていてはいけないのだと
戒めているのかい。

冷たい奴だね。

(GREE・十七音)

| 2009-04-18 17:05 | 日記系セレクション |


四国は何故か

> 四国は何故か癖になる所です。
>何故でしょうか?

素朴な静けさが
日常を脱出した人の心に
染み渡るからだと思います。

山が深いほど、ジーンとしますな。

(mixi)

| 2009-04-18 09:02 | 日記系セレクション |


体調悪いと日記に書いたキミへ

人は、昔から上手に言ったもので、30歳40歳50歳という節目に、何らかの戒めや転換を暗示していますね。

私は50歳を越えてますが
(40歳くらいと言われることがあるのが単純にウレシイし、あなたは昔から若々しいからと言われたときなど、まったく悪い気がしなかったなあ)

やはり50歳は50歳。
その節目っを振り返って色々と思うこともあります。

若さって何だろうって思うときがあって、若いときのほうが数学だって素早く解けたし柔軟に解析できた。仕事で難題を背負っても、解きほぐすチカラとスタミナは若いときのほうが強かった。逞しかったかもしれない。

しかし、今のほうが、いいなあ。戻りたくない。
いつも言葉に困るのだけど、大局観がついたと言うかな。
(人によると、これが次第に、ジイサンの厚かましさに変わってゆくのだと言うのですが)

仕事を一生懸命できるうちは、一生懸命すればいいし、男(または女)に溺れて、ヨレヨレになってるのもいいでしょう。
まあ、確かに私の人生はそうであったけど、この歳になって根を張れるだけの何かを、苦節のときに掴んでいたと思うのよ。

具体的に何をしろということは言えないけど、時々立ち止まって、わたしみたいなおバカな人の話を半分くらい聞いてみると、人生1.5倍くらいに愉しいかもよん。

(mixi)

| 2009-04-11 08:29 | 日記系セレクション |


咲き乱れたあとに

桜が散りゆくときに
きっぱりと
あなたのことも忘れよう


こぶしの花が咲いたら、
古い地図は棄てて、
新しい街へと旅に出よう

| 2009-04-06 19:04 | 日記系セレクション |


出逢いと別れの季節・・・・・・

さようなら。

そう書くと、
あらゆることが思い浮かんできますよ、私なんか。

別れは辛いなあ。
どうして花びらが散ってゆくときなんでしょうねぇ。
雨が降っていたり。
しかも、それが冷たい雨だったり。

--
(GREE・つぶやく)

| 2009-03-25 23:02 | 日記系セレクション |


温もり

そう

温もりを知ることは、人生をゆくうえで価値あることなのよ

(mixi)

| 2009-03-21 12:49 | 日記系セレクション |


揺られて、吹かれて

重たくもなく、軽くもなく。
意味もなく、
いや、密かに意味があるかもしれないけど

気づくこともなく

四国の島々を眺めながら
あなたと
船に揺られて風に吹かれてみたいね。


ここまで書いて
(少し現実的に戻って)
あなたの助手席は怖いかも、とか思って。

どれくらい
四国に居たのでしょうか。

(mixi)

| 2009-03-21 12:47 | 日記系セレクション |


素直に

どうして素直になれないんだろう・・・
たまさんには、いつも、意地悪っぽい(とかエロイ)便りになってしまうなあ。
本当は (はあと) なのに


そう
好きな子がいても、
本当の気持ちなんか伝えられずに
ちょっといたずらするのに
似ているのかも (はあと)

(GREE)

| 2009-03-19 22:50 | 日記系セレクション |


「寂しい」という言葉を探してみたら

私の二つのブログ[1,2]のなかで「寂しい」という言葉を使った箇所を簡単に検索できるので、ちょいと試しに検索窓にその言葉を入れてみた。

たくさん出てくるので些か驚き気味であったが、やはり旅には、将又、人生には「寂しさ」が必要なんだなとも感じた。

--

初夏の権兵衛峠である女性が
「さみしい(淋しい)という字にはさんずいへんが出てくるんだよね。水と繋がりがあるんだね」
と話したのを思い出した。いくつもの悲しみと苦労を乗り越えてきた子だったから、そういう情感があったのだろう。

鳥のひろちゃんは、筆を置いたままだ…。
もう10年が過ぎるのか。

| 2009-03-01 11:14 | 日記系セレクション |


鬼さんコチラ、手の鳴るほうへ

GREEで、鬼の話題に触れて。
----

この頃は、
誰もが幸せで、
自由に暮らし
面倒くさいことや厄介な付き合いから開放されて
気ままな暮らしをしている人が当たり前。

私もその一人ですが。

自分の目の前に鬼が現れることなんて、めったに無いよな。

時々は
鬼も出てきて
いい気になっている自分に
こら!
と叱らねば。

そんなことを
考えていました。
怖い鬼さん。なつかしい。

| 2009-02-04 08:20 | 日記系セレクション |


もう、十五夜も過ぎたのに

二三日前に竹輪を食べてお酒を飲んだ。
ふっとユウさんを思い出した。
プロフに確か竹輪のことを書いていたから。

ただそれだけでは、日記のネタにならないけど
今さっき、足跡を見かけたので、
そのことをここに書いておくことにした。

もう、十五夜も過ぎたのに、新年の挨拶ですよ。
今年も、こんな調子で
読んでるのか
見てるだけなのか
わからないけど、よろしく。

| 2009-01-17 09:41 | 日記系セレクション |

銀マド(日記系) 2007年篇 


蒸気の走る小海線

アカシヤの…
という歌を、この日記を読んでから何度も口ずさんでいました。
もちろん、僕は蒸気の走る小海線は見たことが無い。

小荒間という駅に近くに生まれて韮崎高へ通ったという先輩がいて、一度自宅へ遊びに行ったことがある。
だから私の知っている小海線は甲府のほうの小海線だった。

佐久平から蒸気の向うに見えるのは蓼科の山々ですか。

私の記憶にある小海線が甲府のほうだったのでちょっと悔しいなって思っていたりします。

塩田平の別所温泉あたりへは何度も行ったし、埼玉との境にあるぶどう峠や十石峠、三国峠なんかも結構走ったので、佐久の方も走っているに違いないのに、中込学校は名前だけ知っていただけで見向きもしなかったなあ。

書こうと思っていたことから脱線していってしまった。

そう。
子どものころ、「アカシヤの雨」っていったい何のことかわからないまま、口ずさんだ。あのマイナーな響きと投槍な歌い方が、大人の哀しみを表すのだろうと子どもなりに思っていたのよ。

ここに来て日記を何度か読み返すたびに、ローカル列車の走る線路と千曲川と、その河岸段丘がつくる崖と、丘の上の家々を想像してみた。

道草をする少女は三つ編みのお下げだったのだろうか。
ドラマのシーンを勝手に作るのはこの辺でやめておかねば。。。

| 2007-06-07 22:18 | 日記系セレクション |


ユウさん

僕は、ユウさんが、世阿弥のことをこの日記に書く前にも、もしかしたら何かで触れていたような気がしてならなかった。
なぜなら、この同じお話を少し聞いて知っていたからで、きっとユウさんがちょこっと何かの折に触れていたに違いないと思いたかったのだろう。
僕はこんなことを書いているユウさんが好きで、まあ、ここに居座ったのかもしれないのだが、

----

こんな日記を書く、ごく普通の女の子であるところもお気に入りだ。

何もこの人のことは知らないのだけど、きっと小さな身体で、書棚に埋もれるように毎日を過ごしていたのだろうと、いまさら、想像して、どうもご苦労様でしたといってあげたい。

つい先日、夜通し雨が降った朝、6時ころに庭へ出ると雨があがっていて、1年前に感じた春の気配を再び感じた。
パジャマの上に何も羽織らずに外に出ても寒くないぎりぎりの暖かさで、生暖かいものでもなく、新芽の臭いが混じっているものでもなかった。
庭石を飛び越える音も特別な響きのようで、一年で一番好きな季節かもしれないと思った。

何の関係もないことだけど、ユウさんの日記のことを思い出して、そういう季節なんだな、と思った。

| 2007-03-29 22:15 | 日記系セレクション |


人それぞれに

mixiでのレスから (梅の写真の日記)

Mさん
ありがとう。

日記というのは、私の場合毎日書いても同じことの繰り返しになりますので、読んでいる人がいたなら面白くないだろうね。だから、ネットには毎日、書かないけど。

いい日記だな、ってのを自分で書けるとき、書けていたな思えるときってのは、自分が途轍もなく失意に落ちているときか、言葉に困るほど疲れ果てていて胸を打つ心音が聞こえるほどに冷静なときなのかもしれないと思う。

そういう時間が、だんだん少なくなってきている。
ときめかなくなっている。
言い換えれば
必死に生きていないのかもしれないゾ。

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Sさん

おみくじねぇ。
私は生まれて一度も、おみくじとか占いとか、引いたり聞いたりしたことがないのです。難しい問題です。

>人それぞれに色々な思い出があり、ふとした瞬間に、その時が甦る。

素晴らしい!
私の心の中を読みきっているじゃないですか。

胸に手を当てていると、暖かくなってきます。

| 2007-02-15 20:26 | 日記系セレクション |


知的で、逞しく、行動的で、明るかった

2月4日の日記@GREEで
> 今よりもきっと寒くて今よりも寒さを凌ぐ方法が
> 少なかったと思うので、辛いと思ったのでは。。
とコメントをもらったので

-----
確かにそうですけど、彼ら彼女たちには、暖という贅沢の概念はなかった。
命という概念もなかったかもしれないので、風邪をひいて死んでしまうということの恐怖もそれほど大きくなかった。

むしろ、寒いときのほうが人類としては活発に活動してますので、生き生きしていたと思っているのですよ。

食い物を自然に頼るしかなかったわけですが、貯蔵している遺跡もありますから、餓死もなかったわけです。
動物を採取するのに狩に出ますが、今より多くの種類の動物が居たので、もしかしたら雪の中を楽しんでいたかもしれません。

現代人より遥かに知的で、逞しく、行動的で、明るかった。
そんな気がしてならないのですよ。

| 2007-02-15 18:41 | 日記系セレクション |


想像は限りなく

梅の写真日記にコメントをもらって@GREE
---

梅はいい香りがしますね。
ふるさとを思って道真が何を思ったか。
人それぞれの人生にそれなりに当てはまるという気がしまして、だからいっそう今の時代にも受け継がれているのでしょうか。

昔の人は寒さを現代人ほど苦痛と思わなかったと私は想像しています。だから、冬は割りと過ごしやすい季節だった。
もちろん春も過ごしやすかったので、苦痛からの解放ではなく、日が明るくなるという歓びのようなものが裏にはあったのかと、、、。想像は限りなく時代を超えてゆくのです。

| 2007-02-15 18:39 | 日記系セレクション |


四万温泉なんか、好きです。

GREEで、日記にコメントをもらって
-----
> 是非 群馬にもいらしてください

いくつか、行ったことがあるよ。
伊香保、小野側、四万、草津、尻焼など。

ちょっと、関西からは遠いっす。
そう何度も行けませんわ。

でも行きたい。

四万温泉なんか、好きです。

| 2007-02-15 18:38 | 日記系セレクション |


ロウバイ

或る方が日記にロウバイのことをお書きでして、思わず足跡残してしまった。。。

----

こんにちは。
春の花の便りを聞くと、うきうきしますね。

ロウバイか。

何年か前のことですが、父の命日(1月22日)に顔も出さずにいながら節分のころになって実家を訪ねて母に「この黄色い花は何や」と聞いてたら「ロウバイや」とぶっきらぼうに教えてくれたことがありまして、あの黄色が鮮やかにまぶたに焼き付いております。風は冷たいのですが、花からは温かみが伝わってきますよね。


日曜から月曜まで、京都・嵯峨(実家)に行きます。さて、どこを散策しようかな、なんて考えてますが、寒いのでちょっと尻込みかも。娘と四条でお好み焼きを食べようと企んでいます。

| 2007-01-28 11:37 | 日記系セレクション |

福永武彦のこと 銀マド(日記系セレクションから) 2009年篇 


さいきん・・・福永武彦「草の花」

2009年10月08日

通勤列車の中で
ノラや (内田百閒)
を読んだりして
いわゆる、
まったり通勤をしてますが

つい先ごろ
なんだか、
じわっと来る
アツク迫るような
そう
朗読者が口に苦いモノを挟んでしゃべり続けるような文章を
読みたくて

寝床に
福永武彦を
持ち込んだ。

その本は
草の花。

ねえ
僕が声に出して読むから
キミは
黙って聞いていなさい。

(実体のないキミに語りかける)

どこに魅力があるのかわからないけど
いや
上手くいえないけど

抹茶色に日焼けしたこの
「草の花」も
僕の青春時代に
どどどどと僕を
この世界に引き込んだのだった。

全然違う感動で
味わっている。

オヤジになったなと思いながら。
若いころは何を読んでいたんだろうか、
少し恥ずかしくなりながら。

相変わらず
3行読んで
2行もどる。

福永武彦。
無条件で
好きみたい。

| 2009-10-08 10:13 | 日記系セレクション |


早や夏秋もいつしかに過ぎて時雨の冬近く

いつも、同じ季節になると同じ言葉を思い出し、どこらあたりに書いてあったかとページをめくる。

折り目がつけてあったり、印が書き入れてあるわけではないが、真っ暗闇で手探りでモノを見つけるようにぱらぱらとめくると、見つかる。

この一節との再会は、昨日であっても明日であってもならない。
今日という秋の一日であるから、しみじみと読み返せるのだ。

(以上、mixiでの日記コメント)

--
福永武彦、忘却の河、昭和54年7月15日第17刷280円の96ページにありました。
過去にもこのブログで二つほど出てきます。(一つ目、二つ目)

10月の下旬ですね。

| 2009-10-27 09:05 | 日記系セレクション |

銀マド・十七音 2008年篇 (日記系セレクションから)


母の日や人生重たし母軽し

母の日や人生重たし母軽し ねこ作

今ごろになって、
「できること…ないかなー」
と。

| 2008-05-11 16:07 | 日記系セレクション |


プチっと

ケータイのメモリをミスで消してしまった友人。
その人へのコメントの一部から。

-*-

時にはプチっと切ってしまいたくなるよね。
そこで

◆突然にプチっと切ってみたくなる ねこ作
◆人生をプチっといってみたくなる ねこ作

-*-

(自分に)

大事なものなんて
そうザラにあるもんじゃないよ。

命だって家族の命だって
やがては消えてしまう。

じゃあ何よって
生きてきた姿と思想を
伝説のように歴代に残せるようになるべきだったなあ
って、今更ながら思う。

先代もその先代も…ずっと素晴らしく偉大な人だったと母から聞かされてきた。
私もその語りの一篇に入れるように生きてきたか、というとノーだな。

(しかしながら、私も語り継ぐ一役を担っているのだな…)

| 2008-06-02 19:02 | 日記系セレクション |


書肆の灯にそぞろ読む書も秋めけり

久女がこんなふうによんでいる。

さて、私が今度本棚から出してきたのは何でしょうか。

春の夢(宮本輝)でした。

通勤時間が一日で一番楽しい。

| 2008-08-27 19:51 | 日記系セレクション |


こんなよい月を一人で見て寝る 〔尾崎放哉〕

尾崎放哉は、
いつ頃の月を見上げていたのだろうか。

きっと、それは満月だったのだろう。

月が恋しい。
人が恋しい。


おっと、
それは欠けゆく
不安定な形の月だったのかも知れないぞ、
とふと思う。

秋とは
雨が降っても
憎めない季節だ。

| 2008-08-30 09:42 | 日記系セレクション |


初さんま焼く菜箸に火が移り (大野朱香)

大野朱香さんの句集『一雫』より。

 初さんま焼く菜箸に火が移り


長谷川櫂さんの「麦の穂」(中公新書)をパラパラ読んでいてこの句を見つけた。

とっても嬉しい収穫。
この句に感動して、ルンルンな帰り道。(ルンルンは死語)

もう何も書かなくてもいいわ。

| 2008-09-01 18:46 | 日記系セレクション |


亡きこと思う

きょうの午後、坪内稔典さんのHPにふっと立ち寄ると

◎ 亡き人の亡きこと思う障子かな 宇多喜代子

という句を「日刊この一句」で紹介しておられるのを読んで、私の心の中の障子がふるえた。


「亡きこと思う」・・・・

じーんとくるではないか。やられた。

| 2008-11-24 16:00 | 日記系セレクション |

銀マド・十七音 2007年篇 (日記系セレクションから)


路地陰に内緒にしたい梅一輪

ちょうど1年ほど前のことだ。北野天満宮の天神さんの前日だったと思う。娘の入学試験か、試験の後の手続きだったか、記憶は曖昧だけど、そんな用事で上洛していたときのことだ。

今出川通りをバスに乗って来て天神さんの前で急に思い立って降りた。祭りの前ということで、お店の屋台には幌が被せてあって、参道の人影も疎らだ。小降りの雨の中を傘を差しながら梅の花を見上げた。

ヒヨドリが枝から枝へと忙しそうにしている。ピヨピーヨと啼くのだが、その姿は、可愛い声とはちょっとずれて、決して鮮やかではなくむしろ地味な井出達だ。

満開の梅林のねきを傘を差して歩く。まだまだ手が冷たい季節だった。

あっという間に月日が過ぎて、再び花の季節を迎えた。
今年は温暖化で、雪の便りもほとんど聞かない。


  東風吹かばにほひをこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ

誰もが知るこのうたを思い浮かべるときに、数々の才能に恵まれ波乱万丈の人生を送りながら最期は大宰府で消え果てるという、この人の無念の生涯を連想してしまう。

春の陽気と報じられた数日間と打って変わって、きょうは冷たい風が吹いている。冷たく静かに時雨れる日に北野の梅を見上げるとき、人の人生の儚さを連想し妙に哀しさがこみ上げてくる。

| 2007-02-11 12:19 | 日記系セレクション |


花が散りますね

桜散る吹雪の向こうに似合うのは別れて急ぐ女なりけり  ねこ作

いやー。そういう風景を思い浮かべます。

でも、
くるりと振り向いて
もう、次のことを考えている。

そうありたいような気もする。

-------------

活字というのは、消さないで置いておくことが出来るので、しばらく時間が過ぎてからゆっくりと読むことが出来ます。

いまごろレス書いても届かないかもしれないけど、電話やケータイ文化への僕の反発ですから。

ああ、花壇は草で茫茫やなあ。草は強いなあと感心してます。

| 2007-04-10 11:19 | 日記系セレクション |


忘れてもいいくらい焼きついて

「忘れてもいいくらい焼きついているから・・・・」

そういう気持ちはわかるけど、
それはうそだよ。絶対に強がりだ。
自分を元気付けるために、
「焼きついて」なんていっているだけ。

泥のように酔っても、死んだように眠っても
僕の頭の中から離れることの無い人ですけど
面影はやがて記憶から消えて、
・・・というか風化して姿を変えて行ってしまうと思う。

声は、時々正確に蘇って、頭の中でクリスタルに響くことがあるね。
「さようなら」という手続きを踏まなかった戒めかもしれない。

| 2007-05-27 12:24 | 日記系セレクション |


百舌

鵙。こうも書きますね。

先日、山口誓子さんの俳句館を訪ねて、
 
 われありと思ふ鵙啼き過ぐるたび 山口誓子

という句に出会いました。鵙と書いて何と読むのかわからず、メモって帰ってきました。

これから冬になってきますと野鳥を観察する行事などに出かけることがしばしばあります。
カワラヒワがぱーっと飛び立った後、近くの家の庭木に目をやるとモズが静かに止まっている、なんてことがあります。

そのときは、宮本武蔵の描いたモズのような鋭さはなく、普通の鳥ですね。

---
そんな私のコメントに、Sさんは


ねこさんがあげてくださった誓子の句も、
≫カワラヒワがぱーっと飛び立った後、
≫近くの家の庭木に目をやるとモズが
≫静かに止まっている
という感じも、そして掛け軸の中の鵙も何故かイメージ通りで驚きます。

でも、実際は普通の野鳥といった感じなんですね。
逆に、そんなモズがますます好きになりました。

ついでながら…、(また長くなってすみません!)
ねこさんが日記に引用されていた川崎展宏氏の句に感動して検索してみたら
 二人してしづかに泉よごしけり
という一句を発見しました。ふたつとも夏の句らしいですが、ふうっと時が止まっている感じ。俳句はやっぱりいいですね!

| 2007-09-16 07:21 | 日記系セレクション |


同じ月あの子がここに居ぬ以外

明日はオイルを交換してきて

(お墓参りに行って)

日月と仕事をして
火曜あたりはバビューンと行きたいな。


同じ月あの子がここに居ぬ以外   ねこ作

月が美しくなり始めましたね。
昔、どこかで見た月と同じだ。
あの子が居ないという点だけが違うけど。

| 2007-09-21 21:00 | 日記系セレクション |

銀マド・十七音 2009年篇 (日記系セレクションから) 


遠く

離れた所に
恋人がいるのかな。

会いたい時に
すぐに会えないのって辛いよな。

でも
僕が学生のころは
電話だってすぐには出来なかったんだよ。

いつ届くかわからない手紙を書くだけよ。

夜は寒いよ。

| 2009-02-10 21:50 | 日記系セレクション |


菫程な小さき人に生まれたし

菫程な小さき人に生まれたし

漱石は、スミレを見ながら何を考えていたんでしょうかねぇ。
明治と違い現代では、華やかな外来の花がたくさんあるので、静かに咲く花は忘れ去られがちかも。

小さき人。
どんな気持ちだったんだろうなあ、このとき。

| 2009-03-08 09:03 | 日記系セレクション |


花冷えを詰ってそっと腕を抱く

ちょっとしか歳を食ってないのに

花の下では随分と時間がゆっくり過ぎるよ。

人生は急ぎ足なのに。

| 2009-04-15 08:59 | 日記系セレクション |


「プチハネのショートなボブのキミ」が好き

プチハネのショートなボブのキミは、……

と書き出した日記なのだが、
そこにはモデルがあるのだ。

でも内緒だよん。

| 2009-04-26 18:46 | 日記系セレクション |


ブルースを静かに気障にやってくれ

[海]

海ってのは、不思議だねえ。
何の魅力もないのに…と言ってしまえばそれまでだが
大きく包み込むモノがあるな。
よりどころを失いそうになったときに、対峙すると勇気が沸くなあ。

[グラスの中 溶ける氷]

氷の魔力ってのも不思議だねえ。
「魔」ってのは、「魔が差す」なんてふうにも使うし、「魔術にかける」ともいう。
自分自身を奪われていってしまうのかね。

[琥珀]

琥珀という色は、そのものだけを取り上げるとそれほど好きではないのだけれど、その深みのある微妙な輝きというか、輝きの逆のような光が静かに落ち着いているさまのようなモノを感じる。
それが、惹きつけるんでしょうか。


ブルースを静かに気障にやってくれ

そんな感じです。
私のところに連れ去って、
そばに飾っておくんだ。
それだけでいいよ。

| 2009-04-29 07:36 | 日記系セレクション |


遮断機の落ちる間に追いついて

去年の12月ころに
走り書きしておいたものだが
(再掲かも)

季節は冬ですけど
そんな季節感もなく

そう
どんな状況を思い描いたのかね。

誰か話し掛けたい人を追い越したんだな。
一緒に歩いて駅まで行きたいけど
しり込みしたんだ、きっと。

ちょうどウマい具合に遮断機がなり始めたから。

ねえ、追いついておくれよ。
と、切ない心だなあ。

| 2009-05-09 21:02 | 日記系セレクション |



海なんてそんなセンチなものじゃない  ねこ

思い出もあるし
夢も溢れていることは
確かだが

そんなセンチメンタルなものではなく
ときには哀しく
ときには懐かしく。

| 2009-08-26 07:59 | 日記系セレクション |


露草

(mixiで)

先日
NHKの俳句講座の投句に

露草を刈らねばならぬ鎌を研ぎ

というのがありました。

唸りました、思わず。


刈田を見ると
ああ、お疲れさん、一年も終わりやね
と、ねぎらいたくなりますね。

| 2009-09-16 19:15 | 日記系セレクション |


そうだね。キミからのメール、いま届いた

ほろほろほろびゆくわたくしの秋  山頭火

山頭火は
ほろびるという言葉を、滅びるとは書かずにかなで書いた。

秋だけが漢字。

ときが過ぎる。
もう振り返るのはやめよう。


---

月がふたたび。
大きくなってきた。

川崎展宏さんの句が新聞に載っていた。
お体のぐあいは、いかがなんでしょうか。
全然情報がない。

祀ることなくて澄みけり十三夜 川崎展宏

--

[ とき ]

時は静かに。

土砂降りであろうと
過ぎてゆく。

そこにはただ風が吹いているだけ…(北山修)

そうだね。

キミからのメール。
いま届いた。


土砂降りに棘ある花を生けている ねこ

あのときが最後だったの、秋の風 ねこ

| 2009-09-28 22:24 | 日記系セレクション |


ハッピー

きょうはとってもハッピーデイ!

さようなら、キミをピースで見送って

| 2009-11-26 22:17 | 日記系セレクション |

2008年 秋 奥飛騨・郡上八幡


いつか一緒に走れるといいね

楽しい旅でよかったね。

誰でも最初は初心者なんだけど
やっぱし心配するのよ。

旅情庵への道は迷うだろうなと思うけど
教えなかったよ。

迷ったほうがいいでしょ。ためになるからね。

多くの人に声を掛けてもらっても
それを、どのように捉えるかで大きく変わる。

当たり前と思えばそれまで。
ありがとうと思えば、次がある。

同じモノを見ても
違った捉え方があるんだけど
それは、他人が教えることではない。
その人が、その人の感性で受け取るモノですからね。

ツーリングのコミュでもそうですけど
一人でも多くの人を
そういうことで感動できる人にして差し上げたい。
そう思いますね。

いつか一緒に走れるといいね。

何よりも
お天気が良かったのがいいねえ。
(長い人生、いつもそうとも限らないんだから、感謝しよう。感謝。)

| 2008-10-11 09:06 | 日記系セレクション |



郡上八幡・断章

夜が明け始めたばかりだった。

コンクリートの坂道を下りながら、その人がすでに出発の用意を済ませて街を歩いている姿を想像していた。

昨日からの旅の道筋とそのときの思いを脳裏に呼び戻すお呪(まじな)いのように、自分の足音がコツコツと路地に響く。ゆっくり私は歩いてゆく。

そのときちょうど、お寺の鐘の音が霧に包まれた山々にこだました。6時を告げているのだ。

坂道を下る足を幾分ゆるめてみる。もう直ぐ走り始めるのだから、ここで駆け出して、いまさら時間を縮めても仕方あるまい。そんな気持ちが湧いてくる。

「ありがとう。楽しい旅でした」そんなふうに独りごちた。


旅は、今日で終わりだ。

昨日走った数々の感動や衝動を胸に、その人が向こうから帰ってくる姿を探しに川べりの方へと歩いてみることにした。

もしかしたら、道に迷っているかもしれないけれど、人生に迷わなければ構わない。いや、少しくらいは迷ってもまた元に戻って来れるならばそれでいい。

そんなことをただ何となく考えながら、商店街のほうへと歩いてゆくと、交差点の向こうからこっちに歩いてくるその人の姿が確認できた。

段々とこちらに近づいてくる。

静まり返った街。
気温は5℃くらいかもしれない。
少しだけ吐息が白い。

さあ、何て声をかけようか。


-----

「おはようさん」と声を掛けたら
昨日の自分に戻っている。

昨日の今頃、
見つけたら両手を挙げて手を振ってくれました。
初対面だったのに、あうんの呼吸のように
トントンと峠を幾つも愉しみました。


奥飛騨は、もう冬支度を始めようとしている。
暮れゆく秋。


--
(物語風に書いてみました)
(気が向いたら続くかも・・・)

| 2008-11-06 20:28 | 日記系セレクション |



手をあげてやっと逢えたねと呟く (下呂温泉まで) 番外篇

あるように、私の身体が緊張している。人は自分に嘘をつけない。

恵那市のしんちゃん(VMAXさん:通称Vちゃん)からメールが届いたのが連休初日の朝のことで、京都行の列車に乗る直前だった。伊勢に来るというので(私の早合点で)奥飛騨に変更してもらえば一緒に走れると考えた。即座に京都行きを中止し、その人に二日目(11月2日)の「早朝に、友だちを誘って下呂温泉に行きます」とメールした。夕刻に再び連絡が取れたVちゃんは、来客を伴った伊勢ツーリングなので予定変更を出来ないということが判明し、下呂温泉行きはひとり旅と決定したのだった。

バイク人と初対面で一緒に走るとのは珍しくはなかったものの、この日の朝を迎えるまでに迷いに迷っただけに不断な自分を嘆いてみるが、最後は勢いよくここまで来た自分を少し褒めてやってもよかろう。

名前さえも知らない人だから、メットの中で名前を叫ぶこともできない。「困ったね」と独り言をいいながら「橋のたもとで待ちましょう♪」などと鼻歌気分で温泉街へ滑り込んでゆく。4時間も5時間も闇と寒さに責められていた緊張から解放されて、力がすーっと抜けてゆく。麻酔にかかって眠ってゆく寸前に体感する揺らぎのようでもある。W650と思われるバイクが止まっているのが見える。

「もう逃さない、紅葉が呼んでるよ」なんてぶつぶつ喋っても届かない。霊感になって飛ばないかなぁーなどと考えたりしてるとウキウキしてくる。

噴泉池のお湯は早朝に抜いて掃除をするらしい。ちょうど再注入が開始されたところで、湯面は見えないものの白い湯気が立ち昇っている。

その子はいまごろこの街のどのあたりを散策しているのだろうか。


ひとしきり休憩を終えて、そろそろお散歩から帰ってきてもいいかなと思うころ、公衆電話を探した。「今ちょうど、ホテルの方に向かって帰っているところです」という声が返ってきた。昔からの友人のように話し始めるところがこういう世界の出会いの特徴といえる。ここにもここでしか味わえない感動がある。

橋を行く人が見渡せる交差点まで出て行って遠くを見やると、歩いてくるひとりの女性の姿が確認できた。私の姿が目にとまったのだろう、彼女は大きく手を上げて振ってくれた。

思わず、「やっと会えたね」と小さな声で呟いてしまった。

| 2008-11-06 20:30 | 日記系セレクション |

失意泰然  六然から

いろいろあったんだね。
そういうモノに対して
動じる心と
動じない心を持って
使い分ける術が必要ですね。


「六然」をプレゼントします。

自處超然
處人藹然
有事斬然
無事澄然
得意澹然
失意泰然


30年前のことだが
母校の図書館に
学長の筆で
「失意泰然」
と書いてあったのが、
私の人生を支えているなあ。


| 2008-11-12 08:04 | 日記系セレクション |

夢の通い路  (忘却の河から)

(日記系セレクション)

私は、深い深い海の底であなたをお待ちしています。
光も届かない暗いところで、静かに暮らしているのよ。

なんちゃって。

忘却の河。

再読中ですが、あまりにもゆっくり過ぎて。
でも、この作品はゆっくり読んで、遅すぎることは全くない。

夢の通い路。
この章を読んでいるときなど、どれだけ多くの人たちが、一文一文に感銘し、ため息をつき、声に出して読み返してみては、本を閉じ、再び読み返すという動作を繰り返したことだろうか。

男は、女。女は、男。
その心は深いところで区別なく繋がっていて、言い訳を呟きながら、哀しみを慰めあう。

いっそう、このまま、寄る辺のない朝もやを目指して、歩き続けるのがいいのかもしれない。難しくなんかない。そう強がってみるのもいいじゃないか。

Tags:強がり


| 2007-11-01 23:02 | 日記系セレクション |

銀マド(日記系セレクションから) 2006年 下旬日記篇


ばか、バカ、馬鹿

バカよね…か。

あたしバカよね、とうたう歌があったな。

自分で自分をバカと言いながら
実は自分が好きなことがあるよ。

すると
これからの道は、僕が作るんだから!みたいな自信が湧いてくる。

今夜は空を飛んでいる夢を見れるかもしれないゾ。
恋人よ、両手を一杯に広げなさい。


| 2006-01-27 12:44 | 日記系セレクション


呼び合う魂

おまえを棄てようとする魂と
おまえを連れて生き抜こうという魂が
あのとき、私の心の中で激しくぶつかったんだ。

置き去りにして、私はその場を逃げた。
その夜、どれほどおまえを呼び続けたことか。

許しあえない仲になってゆく夜のこと。
嗚呼。

| 2006-02-13 18:45 | 日記系セレクション



イジワル

イジワルなオマエがほんとは好きでした ねこ作

卒業式の季節ですね。友達と別れることなんか、なにも悲しくなかった。せいせいした。
俺には俺の行く道があるんだ。おまえらみたいな優等生じゃなく、劣等性ながらも、オオモノになってやる、って思っていたのかな。


オンナの子の中にも気になる子が幾人かいた。
いつもイジワルを言うけど、黙ってクラブの部室に僕を連れて行ってくれた。
その辺に座ってなさいよ、という訳ではないけれど、おとなしく僕は彼女のうしろ姿を見ていたな。

(もしもオトナになった今の僕なら、後ろから・・・危ないことになってしまうかもしれない)


放課後の校舎。
屋上から遠くに海が見えた。

卒業するときもあの海を見たかったな。
ふたりで。


なあ、最近、と言っても少し前からだけど、いいことがあったんだ。
オマエみたいな、イジワルな友だちができたんだ。

みち、っていう名前なんだ。可愛さでは負けないからな。

| 2006-03-02 21:55 | 日記系セレクション


今朝、新聞広告をみて、

今朝、新聞広告をみて、「約束の冬」(宮本輝) を発見した。

いい日だ。こんな清清しい朝を迎えられて最高だ。
早速、午後に出かけよう。

─ ─ ─ ─
きのうは、「ウエンカムイの爪」(熊谷達也) を読み終えた。
【別記のため略】

─ ─ ─ ─
さらに、きのう、
ガソリンスタンドで給油したあと、レシートを取るのを忘れて(2円引きバーコード付き)、私の大事な経費計上書類なのに!(2円も惜しいが)、と悔やんだ夜を過ごしたのだった。

(この悔しさを、うちのんに話したら、たいそう残念がって、慰めてやるからと言っていたのに、TVが枕元でガナッテいるなか、私は眠ってしまったのです…)

─ ─ ─ ─
久々に、日記を書いた。

日記は毎日書かないほうがイイと思っている私だが、久しぶりに書く日記が宮本輝さんの話から始まって、また彼にヤラレタ、という感じか。

| 2006-05-13 08:30 | 日記系セレクション


【号外】 ないしょの話

ないしょの話だよ、と小さい声で言って、頬を寄せた。
「キスしたい」って言えなくて
「うそ」と言って誤魔化した。

そんな日があったな。

---

きょう、秘密の場所で、撮った写真

■ 桑の実

いつか、あの子が話してくれました。
桑の実を摘んだ子どものころのこと。
思い出の中じゃキミはひとりじゃなかった。
甘い甘い桑の実を頬張っているキミを想像したよ。

あのとき僕はキミを好きになったのかもしれない。
ムラサキの実を探しに二人で行く約束をしたんだ。


1個だけ口に入れてみました。
本当はもっとっもっと食べたいけれど、
僕は今、そんなことでセンチに浸っている暇は無いんだ!
と強い心でお預けにした。


桑の実

■ クチベニマイマイ

殻の入り口のところが、口紅を引いたようになっているからそう呼ぶらしい。
職場の木村さんに見せたらすぐに名前を教えてくれました。

随分と懐かしいモノに出会ったような気がします。
少し、早足で歩いてきたから、
おいこら!
と呼ばれたみたい。

桑の葉っぱの向こうは、夏の陽射しでした。


クチベニマイマイ

■ 蛇苺(ヘビイチゴ)

─ なあ、なあ、ええもん見つけたんやで
─ 何や?
─ 秘密やで。美味しいんや。甘いやろ
─ うん

麦を刈った後の田んぼは独特の匂いがした。
それは大人になって、「ああ、ビールの匂いに似ている」と気づくまでは、触れてはいけない大人の香りのように感じていた。

子どものころは、時間がどこまでも長かった。
日暮などいつになっても来ないような気がした。

僕は、あの子のスカートが赤かったから、好きだったのだろうか。

ひとつだけ何を語るか蛇苺  ねこ作


蛇苺

| 2006-06-13 19:10 | 日記系セレクション


氷見 そうめん 

まっこさん@mixiが大門素麺のことを書いていた
-----

そうめん。食べたくなりました。

氷見もそうめんが有名なんですね。日本海の凍るような冷たい風がいいのだろうね。

能登半島は、鄙の香りがしていいです。

麺類大好きです。
夏になると何度か小豆島のそうめんを戴き物で食べることがあります。この麺も太いんですよ。パスタみたい。

そうそう、だし巻卵で思い出しましたが、随分昔に、京都の老舗のだし巻卵をTVで見て、私も真似して何度も挑戦しました。高級かつお節を買ってみたり、甘味を色々工夫したり。あと巻き上げも上手になりました。小料理屋をしたくなります。(笑)
結局、自己流に落ち着いてますけど。

「金沢から普通列車で行ってみたけど途中でひきかえしてきた。 」
まっこさんて、ロマンティックな人ですね。

| 2006-06-24 09:19 | 日記系セレクション


エロチック

ぼくは、この人の日記を宝物のように思っていて
ほんとうはくまなく読んでもいないし
どんなふうに考えながら書いたのかをわかってもいないくせに
そう思っている。
そこで、自分なりに理由を考えてみたりしている。
でも、結局のところ、ワカラナイ。

突然、日記に
「休憩します、」
と書いてみたりするから、おかしい。

友だちのコメントが、友だちとは思えないほどに雰囲気が違っていたりするので、友だちまで一緒に「好き」になってしまいそうだ。

簡単に逢えない人だから、それがまた、いいのかもしれない。
逢えっこないのだから、諦めてるし、一目惚れすることもない。
(このことは前にも書いたかもしれない・・・・)


ぼくは、現実に苛立ちを感じている。
そのことが言葉にできなくて、困っている。
死ぬほど困ってはいないけど、イライラしている。
野球中継で右中間を抜いたときのような爽快感を
何とか、得たい。

言葉に困っていると、この子が現れて、
ぼくの視界の片隅で、
探している言葉をチラチラと見せてくれる。

なんとも、エロチックなアレよりも
ぼくにはエロチックで、
だから、こんな叱られそうなことを書いて、
ふむふむと頷いているのです。

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【mixi、あるかたの日記へのコメントから】

| 2006-07-19 21:48 | 日記系セレクション


ユウさんへのコメントから

ミクシーのマイミクにユウさんという方がいます。素敵な人で、大事にその人の日記を拝読して、ときどき訳のわからないレスも書いてしまってます。

ユウさんの日記の題名は、「いやな話。」です。
先日の私のコメントと、そのコメントにいただいたレスへの更なるコメントを。


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こっそりとここに立ち寄って自分なりに満足をして帰ってゆく私としましては、そろそろ、忘れられないために何かハンカチのようなものをサラリと目の前に落として去りたいものだが、「完全にひとりになれる夜」などと書いてらっしゃるので、ますますお声をかけづらい。

バーチャルな世界から抜け出して
いつか、ユウさんを誘って
思う存分、ユウさんの世界に浸って
毎日の日記のような話を聞いてみたいという
夢のようなワンカットが

少し萎んだ。
シャボン玉ならこわれて消えた、、、だろうが

夢だから、萎んだ。

この日記で最後にかいた「すこやか」が気に入った。
お見合いならばこの一言でOKってところだ。


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   -----

耳打ち話か。私もオトナになったな。でもそれを聞くユウさんもオトナなんだな。

だから、さびしいオトナだ。ははは。

お見合いが叶ったら、
僕は旅の話などたいしてできませんけど、ユウさんの日記のような話を聞かせて欲しいです。でも、お目にかかることはないと思うので、白状しますが、実は、私の知らない世界の話が多くて、ただそれだけで別世界の人なんだと思っています。
だからこそきっと興味をそそる話が期待できるかな、って考えてる。

時間差か。
現代人が疎かにしていると思いませんか。
だから、故意に…ってわけでもないけど、活字は消えないんだから急いで読まない(レスを書かない)だけです。(読むのを忘れたままのこともあります。これもドラマでしょうけどね。・苦笑)

| 2006-10-02 23:02 | 日記系セレクション


癇癪

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人間のからだって、
いったい何でできているのかしら。
臨終の鼠を秤にのせたら、
死んだ直後に7グラム軽くなったとか、
人間は死ぬとかならず21グラム体重が減るとか、
それらは魂の重さだと言われている。
ならばわたしが死んだらおそらく
直後に3021グラム軽くなるにちがいない、
だってわたしは
水とたんぱく質と21グラムの魂と
およそ3キロの癇癪でできているのだから。

----
と、ユウさんが日記に書いていたので、15日以上過ぎてから感想を書いた。

この最後の10行は、
どこかの誰かの真似をして書いたほどなのだが、
ユウさんらしいので、好きだ。
すぐにそのことをコメントに書けずに、フトコロで温めていたのですわ。
そういうわけで、コメントが書きにくいけど
「癇癪」もちなんだろうか…と想像してみたら、
またいっそう、この子に興味がわいて、可愛く思えるのだった。
私も超一級の癇癪もちだ。 【mixi 日記】

| 2006-10-26 19:26 | 日記系セレクション


河よ

引き続きユウさん
------------------

きのうの日記を読んでいて、大阪の夜の川を想像しておりました。私が知っているのは、造幣局の桜の通り抜けのときに見た淀川と、北浜に仕事で出かけたときに蕪村の「春風馬堤曲」を思い起こし付近の堤防を散策したときの川の景色です。

ほかには・・・・
宮本輝の泥の河に出てくる河と、梅田から淀屋橋あたりを歩いて美味しいウナギ屋さんを探して回った時に見た川。心斎橋のあの橋から下流を見る川。


私がこのような大阪の川に出会う前、青春時代に東京で暮らしていたこともあって、石神井公園から流れ出る神田川が、高田馬場あたりを流れてゆくのを最初に思い浮かべました。早稲田大学の裏から目白台のほうへとゆく途中に神田川を渡ります。大阪の川と趣が違って、人々の暮らしの中を流れている感が強い。

東京には坂道は多いけど、地面の下に埋もれてしまったせいもあって川が少なかった。それだけに神田川は印象深いです。

橋の欄干にもたれて、1時間も2時間も話をしていた学生時代を思い出してしまって、日記を読んだ時刻に東京のライブカメラを検索して覗いてみたりしました。

都会には、いろんな明かりがあふれていました。

私たちの眺め下ろした川は残っているのだろうか。そう思いました。
(あのころは神田川が大ヒットしていたころでして、余計に懐かしかったです)


------


追記
私の印象では、大阪の川は雄大で頼もしく素敵な川です。
ユウさんはそうじゃないのか・・・な。

| 2006-10-27 21:48 | 日記系セレクション


寄り道

またまたユウさん

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ユウさんの日記に私の名前が載ってて、凄く喜んで、跳んで回ってウキウキしてた。

返事を書こう、と思えば思うほど、カッコウつけて何かアララということを書こうなどと考え始め、ついに何ひとつ書き出せない。
そこで「おまえはアホやなー」と呟いてみるが、その次の言葉が浮かばない。

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私は田舎育ちで、しかも学校のすぐ裏に住んでいたので、家から出て自分ちの畑などのある屋敷を通り抜けて道に出る距離のほうが、そこから学校まで歩く距離より長かったくらいだ。だから、道草など食ったことがなかったのだった。

マンション。
そんな言葉を子どものころの私は知らなかったよ。
一度か二度、都会へは出かけたけど、大勢の人々があの商店街の何処らあたりに住んでいるのだろうかがとても不思議だった。
人の住むところは何処にあるのだろうか。
デパートの裏に行けば家が建っているのだろうか。
二階建ての家に住んでみたいな。
窓から何が見えるのだろうか。

いつも、そんなことを考えていた。


| 2007-01-15 22:07 | 日記系セレクション |

銀マド(日記系セレクションから) 2006年 下旬篇


ワガママを咎めて湯飲みを握らせる


>父親って、どうしてあんなにワガママなんだろ

そう見えるだけじゃないでしょうか。
私の父はマイペースを最後まで通しました。
世にいわせればワガママだったのでしょうが、アレは父流のやり方で、ものすごくあの人に似てきた自分を鏡で見ながら、父を少し弁護してやりたくなる。

娘がどれほど父に似るのかは計り知れませんが、、、。

ワガママを咎めて湯飲みを握らせる  ねこ作

お大事にね。

Tags:咎める

| 2006-04-09 20:38 | 日記系セレクション

 


さよならと梅雨の車窓に指で書く  長谷川素逝


もしも、もしも、もしも、

くもりガラスを指でなぞって、何かを書くとするならば、あなたならば何を書きますか?

ええ?
私だったら…

それは秘密というよりも、ちょっと恥ずかしくて人には言えないかも。

人の名前かな。
その人に語り掛ける言葉かな。

何だろう…。

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 さよならと梅雨の車窓に指で書く  長谷川素逝

くもりガラスに書くなんてどこにも表現していないけど、私はこの句を知ったときに、曇った窓ガラスを想像した。

過ぎゆく外の景色をうつむきかげんに眺めながら、ひとりで立っている自分がいる。
小刻みに揺れる列車に身体を任せて、窓枠に凭れている。

このときの別れは、しばらくしたら再会できるものではなく、もう二度と会えない別れだろう、きっと。

「さよなら」
好きだった人。
いまでも好きな人。

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 素逝は

 遠花火 海の彼方にふと消えぬ  長谷川素逝

という句も詠んでいます。

遠い過去を儚く映すのが花火のように思えた。
手の届かないところ、ずっと遠くに、消えてゆくもの。

哀しい、と思ったのは私だけかね。

| 2006-06-27 22:11 | 日記系セレクション

 


秋の夜に薄くなった髪を見る


母はもうすぐ80歳。

私が大学生のときには、50歳の1歩手前だったわけだが、その年齢はまさに今の私のそれでもある。しかし、そんなことは極めて当たり前のことで、必然的に私の娘は大学生であるのです。

その母が、怪我をして寝込んでいます。

18歳で家を出てから30年間、私は、家に帰っても寝床を敷くこともなく、ゆっくりと話さえしないで、とんぼ返りで家をあとにしてきた。

口癖のように「息子なんぞは一生懸命育てても、何の甲斐もない・・・・」と母は言い続けている。怖い顔をしてそういうふうに話すときに睨んでいるのは、バカ息子であり裏切り息子である私の顔だ。そんな仲だから、余りウマが合わず、落ち着いて話をしたり、しみじみと会話をする機会も滅多になかった。

ちょうど、阪神大震災の半月ほど前に大腸癌の手術をして、6人部屋の他の5人が次々と先立ってゆくなかで母は生き残り、いまだに生きている。

両手で持てないほどのリンパ節を切除して、術後に医者から見せてもらったときには、さすがの私でさえ覚悟を決めたのに、あれから何年もの歳月が過ぎて命を授かったことへの感謝も薄れ始めていたからだろうか、再び寝込んでしまった。

今、寝込めば、もう立ち上がれないかもしれない。そういう不安がよぎる。

秋の味覚というと、マツタケ、サンマ、山栗などが浮かびます。

子どものころ・・・・

父はふっと姿を消し、夕方にマッタケを籠にいっぱい採って帰ってきたことがたびたびあった。
お袋は、美味しい秋刀魚が手に入ったといって、庭で七輪に火をおこし焼いてくれた。
ちょうど今ごろ、いつものように父から下宿に荷物が届いて、鉛筆書きの小言の手紙と一緒に箱の中に栗がいっぱい詰まっていた。
「金を送った、心配するな、勉強しなさい」と書かれていた。

母は、
なすびのあえ物を作っては、「親の小言と茄子の花は千に一度の無駄がない」といつもいつも言っていた。

更けゆく秋の夜に、薄くなった髪を見る。
鏡を見て、自分を見つめるのは、久しぶりだ。

もう何年、しみじみと話すことを忘れているのだろうか。
呼ばれているのかもしれない。
おい。

| 2006-09-14 21:00 | 日記系セレクション

 


臨月やトントンきいて目を閉じる


◆ 臨月やトントンきいて目を閉じる  ねこ作

マイミクのくみさん。臨月で里帰りだそうです。彼女の日記へのコメントから(一部改変)

19年前に、うちのんのおなかに耳を当ててきいた音は、トントンだったかトコトコだったか。
いえいえ、ぜんぜん違うもっとかわった音だったかもしれない。

耳を当てると、その世界に私がとけこんでゆく。

(くみさんの子は)
秋に生まれる子だから、この静かな秋の夜の静寂に包まれて、秋が大好きな子が生まれてくるのだろうね。

きっと、静寂を感じとることのできる子だろうな。

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この道や行く人なしに秋の暮れ 芭蕉

静かな里の夕暮れを思い出します。
カラスが啼いて山に帰るのを見送りながら、山ってどこの山なんだろうと子ども心に悩んでいたころがありました。

赤い色。

初恋の人の前で染めた頬も赤い色。
喧嘩した女の口紅もあんな色だったのか・・・。

| 2006-10-19 20:00 | 日記系セレクション


秋の暮


早夏秋もいつしかに過ぎて時雨の冬近く

「秋の暮れ」という言葉は秋の夕暮れではなく、もともと、秋から冬に変わってゆく「晩秋」のことさしたらしい。

暮れゆく秋。

寒さが決して好きではないけど、冬という季節が漠然と好きですから、暮れゆく秋のその先も待ち遠しい。

(コタツでうたた寝をするのがいいのかな)

| 2006-10-21 12:22 | 日記系セレクション

東北

私、東北が大好きです。90年代には6、7回行きましたし、40日会社から休みをとったときも家族を置いて一人で放浪しました。

昨日か一昨日にのことですが、「岡本太郎のかいた東北」という本の話を、どなたが書いていたのか忘れたけど、読んだのが頭にこびり付いていて、東北の話がユウさんのところで出てくると、さらに嬉しくなってきて、またまた、喜んでいるだけのコメントとなってしまいました。

━  ━

やっと休みが来たので少し追加を書かせてね。

岡本太郎のかいた…と上で書きましたが、「岡本太郎の東北」の誤りでした。私が目を通していたのは http://nanaoaika.com/?p=276 というブログで、七尾さんはFMネットで朝の7時から30分間の番組をやってましてその名前を知っていたのです。

東北へゆくのですね。
私が東北へ旅立った、その何度目かのときは、青森県で三内丸山遺跡が発見された直後でした。

高速道路を使わず亀のようにゆっくりと辿り着いた私は、県境の発荷峠で、その道のりの長くて苦しかったことに感涙したあと、青森市内へと向かいました。
三内丸山遺跡は私を裏切らず、初日に立ち寄って次の旅先へと向かう予定が有ったにもかかわらず、私はそれを変更して連日遺跡にゆきました。発見間近ですから何もない。ただの広場だ。

なんというか、東北では、それぞれの土地に人々が暮らしてきた文化というようなものを感じるのですよ。それは、寒さで閉ざされた点に起因するのか、そのあとに独自性を生み出したのか。言葉だってある意味では独自性といえるし、縄文時代から培ってきた北国の自信のようなものを感じるわけです。

都会の、銭金経済主義や合理性を主張した非人間的な社会の刃に侵されて欲しくない。いつもそう思います。

| 2006-01-14 08:47 | 日記系セレクション

言葉(ことば)のバトン

言葉(ことば)のバトンが来たので書きました。
一部だけこちらに載せておきます。

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■好きな言葉は?

くちづさむ。

くちびるが今でも好きよとくちずさむ … ねこ作
おお、なかなかええ作品やん。

※初稿:くちびるが好きよ今でもとくちずさむ

■あなたの口癖は?

自分ではワカランよ、こればかりは。
「…で…なのは、1つしかない」、、、みたいな言い方をよくするかな。

「あのとき、彼女に惚れてしまった理由は、1つしかなかったのだ」。。。。みたいに。


■一度言ってみたいが、きっかけが無かったり、 何らかの理由でまだ言ったことのない言葉は?

「好きです。デートしてください」

すぐ惚れるので、うちのんや娘にも、いつもチェックを入れられています。ポロっと秘密を漏らさないかと…


■普段何気なく使ったりするけど、実は意味を理解していない言葉は?

…さんと付き合っているの?  とか。

これって、どの程度の友達をいうのかね、って思います。
これは、若者に質問できないのよ。だって聞いたらエロじじいじゃないですか。


■面と向かっては言えないけど、メールでなら書けるってどんなこと?

好きだ、とか、抱きしめたい…とかは、実際に言ってしまうと思うし、言う前にやってしまうような気がするが(アブナイな)

キザなセリフなら幾らでもメールで書けるじゃんか。

「みちさんって、今度はどうな方法で、僕の心を揺さぶってくれるのか、楽しみなんですよ…」
とか。コラコラ


■プロポーズとして、言いたいor言われたい言葉は?

昔の話だなー(遠い目)

「一緒に居て、楽しい話をしようよ」

まさか

「僕が君を救うよ。もう安心だからね。一生、二人で暮らそうよ。僕が守ってやるよ。幸せになるんだ、二人で。」

なんて書かせるの?

ああ、現実と夢物語が混乱してくる…。バキ!


■あなたにとって言葉とは?

「自画像…のようなものです」というブログ(ここ)を持っていますが、
このブログを書いているときは、自分がもっとも素直になれて、その瞬間に幸せでいられるのです。

言葉を相手に正確に伝えるのは難しいけど、ある有名な画家だってその絵で何かを表現したいわけですよね。

私には何の才能も無いので、静かな夜に静かな部屋でコツコツと湧き出るような言葉をひとつひとつ噛み砕いて酒の肴にするのですよ。
あしたになったら忘れてしまっているような、ささやかな心の襞のようなモノを、形にしてくれるモノかな。


| 2006-02-18 17:39 | 日記系セレクション

2005年 秋-冬


イジワル 満月 ・・・


満月やベンチに寄り添う影ふたつ  (ねこ作)
・・・なんていうのを思い浮かべて、満月ってのは意地悪なのか優しいのか、どっちなんだろうね。

ねえ僕が意地悪言ったのと問うてみる ねこ作

| 2005-09-17 22:10 | 日記系セレクション

 


月光の東 宮本輝


塔屋米花という人は、小説の中の人でありながら、私を随分といじめてくれました。
私の中にいるオンナの足跡が、オーバーラップしてしまってね。
どっぷりと浸ってしまった1冊でした。

宮本輝にしては異色かもしれない。
でも好きです。

凛冽に生きるという言葉を覚えました。

| 2005-09-23 21:31 | 日記系セレクション


バイク乗りはお気をつけ下さいよ


バイク乗りはお気をつけ下さいよ。
僕のように旅のツールなら良いけど、大方はバイクのスペックやカッコ良さにあこがれて、そのうちスピードに憧れていくんだからね。
バイク乗りなんてカッコよくないんだよ。独り善がりの、孤独好き。自分勝手でセンチでさ、ロマンチストでナルシスト。
気をつけて乗ってね。>彼氏
僕なんか、右足に二箇所、全部で40針+10針の傷があるんだから。もう30年以上前の傷だけど・・。

発言場所

| 2005-09-23 22:05 | 日記系セレクション


青いみかん


「青いリンゴ」(野口五郎)を思い出した人は、もしかしたら同世代かも。

いや、先日から青いみかんのことを少し考えていた。

子供の頃に庭の畑の一角に小さなみかんの木がありました。何の手入れもしないので決して見栄えのいいみかんが生っていたわけではなかったけど、美味しかった思い出があります。

甘くない。酸っぱくもない。皮も分厚い。
ひとつふたつ食べるだけで腹いっぱいになるんです。

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秋から冬にかけての味覚といえば・・・

◇ 八朔 (はっさく)
今はみかんの木はなくなって、八朔の木に変わっています。脚立か梯子がなければ上のほうの実をもぎ取れないほど大きな木になっています。
お正月ころになると山のように(ほんとうにダンボールに2箱も3箱も)収穫できるのだけど、あの八朔は誰が食べているのでしょうかね。>かあさん

◇ キュウイ
そうそう、お彼岸で実家に寄ったら、キュウイが無造作に20個ほど籠に入れて放置されてました。コイツも籠に(スーパーの買い物籠くらい)3~5杯は採れるよな。誰も食べないんじゃないだろうか。お酒にするとか方法はあるだろうに。。。

◇ マツタケ
これは父が死んでから食べなくなりましたね。
生きていたころ、知らぬ間にひょいと姿を消してしまったと思うと夕方にマツタケを両手で持てないほど採って帰ってきたものです。
マツタケ採りの名人はその山を内緒にするので、父も何処の谷で採れるのかを詳しくは話しませんでした。(自分で歩いて探しなさいな、ってことでしょう)
このごろは道路やゴルフ場などの開発で、マツタケの生態系も変化しているようで、あの山に行ってもあがっていないかも知れませんが。

◇ 栗
去年、不作だったそうで今年は期待したいです。でもお袋がもう一緒に山を歩けなくなってきてますから・・・

| 2005-09-23 22:07 | 日記系セレクション


インクの匂い


♪秋の日の図書館のノートとインクの匂い

「学生時代」という歌の一節です。

ノートもまともに取らない極悪学生だったので、図書館で過ごした懐かしい思い出など私にはない。東京の街には秋の気配を感じることのできるようなところは・・・実際には在ったものの、都会にはそんなものは不要だという一種の自己完結のような気分に溺れていて、そんな風情を味わいながらどこかを散策した記憶もない。

しかし…である。

インクの匂いのほうは思い出深いものがある。

下宿では一日中ラジオが鳴り続け、あらゆるジャンルの音楽を流していた。FENのこともあったし、AMの深夜放送のこともあった。FM放送も聴いた。

いつも長文の手紙をあてもなく書いた。今、mixiやGREEに書いているような日記に似たことを毎日書いては封筒に入れ切手を貼って投函していた。封筒を軽くするためにエアメール用の便箋にせっせと万年筆を走らせたものだ。

万年筆が少し人気だそうだ。ブルーブラックというインクが懐かしい。そこで万年筆を用意し、便箋も探し出した。さて、手紙を書いてみようじゃないか。

ねえ、誰に手紙を書くのよ。

| 2005-09-28 18:33 | 日記系セレクション


ヤカンがしゅんしゅんと音を立て


寒くなりましたね。朝早く外に出ると、かなりヒンヤリとしています.真冬の寒さと違って、突き刺さらない寒さだから、ちょっと散歩に出かけるにはちょうどいいです。

ちかごろはストーブの上にやかんを乗せることが少なくなりましたね。静かな部屋にいるとあのシュンシュンという音が深夜の孤独感を増長させてくれてね。

その音を聞きながら勉強の手を休めて(まあほとんどが休憩でしたが)自画像とかを鉛筆で描き始めるのですよ。そのときに紙の端くれにちょこっと一言、落書きをしたりしているのです。

遠くにいる恋しい人への手紙とかね。

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(関連先から)

赤い実 2005年10月27日09:33

名前を知らないが、裏庭の木が赤い実をつけているのを見つけた。

南天ではないと思うけど

 一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております 山崎方代

を思い浮かべた。

私の恋は暮れ行く秋に、何処の野山を彷徨うていることやら。

昨晩、土砂降りのように降った・・・らしい。私はぐっすり眠っていたので気づかなかった。朝方に気持ちよく冷え込むと眠りが深くなるらしく、子どものようによく眠れる。だから、雨が降ったことさえ知らずにいた。

「ごみ出し頼むわ」とカミさんが言うので

  雨上がりちょっとそこまで二三軒

のノリでゴミ出しに行ってきました。

  赤い実が濡れて綺麗に化粧して  

そう、私は化粧が嫌いなので、カミさんはいつもスッピン。
あの赤い実にも、水のルージュがよく似合う。

2005年10月27日 (木曜日) 赤い実

| 2005-10-29 12:20 | 日記系セレクション


涙(ナミダ)な日々


きょう、ある人の日記を読んでいて、その人が「ナミダ」(涙)のことを書いていたのです。

それで、その日記の
>音楽のチカラは凄いなあと。
という一節を読んで

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ちょっと自分ことを思い出しました。
昔昔、パリのアメリカ人というガーシュインの曲を演奏したことがあります。15分以上の長い曲です。

最後のグランディオーソの部分で、感動のあまり涙がにじんできてねぇ。指揮者はおろか、譜面も見えないんだ。情けないね。拭くわけにもいかないし。
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なんていうコメントを書いている。

| 2005-11-02 18:55 | 日記系セレクション


手鏡にうつろう紅や夜寒かな


◆ 手鏡にうつろう紅や夜寒かな  ねこさん

◆ 燃え尽きて裂けても石榴の赤さなり  ねこさん

ちょっと言葉の遊び感覚で…  

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◆ 手鏡にうつろう紅の夜寒かな  

のほうが良くない?

| 2005-11-03 08:00 | 日記系セレクション

 


マイミクさん (mixi)


私たちの日常は偶然の連続で、ここで出会ったマイミクさんとの出会いも然りでした。

川を流れる落ち葉が、そのせせらぎに揺られながら、近づいてみたり離れてみたりを繰り返しながら、下流へと流されてゆく。

川の流れが絶えないならば、流れされる落ち葉のように私は流れに身を任せ、揺れている。同じ枝から落ちた葉っぱたちは何処に行ってしまったのだろうか。
知らない落ち葉どうしが出会い、流れにまたその出会いを裂かれることもあれば、同じ道を行くこともあろう。

落ち葉は大空を見上げ、飛ぶ鳥を羨み、鳥は悠々と時間の流れに身を任せる落ち葉を羨むのだろうか、ねえ。

| 2005-12-04 12:31 | 日記系セレクション


寒風が眠れぬ夜の窓揺する


11月下旬に京都に行って、
そのあと一度、家の近くの海を見に出かけたくらいで、
硝子越しに陽光を浴びてぼんやりしているのがいいです。

■ 寒風が眠れぬ夜の窓揺する  ねこ作

先日、すごい風が吹きましたね。

| 2005-12-06 07:54 | 日記系セレクション


弁当で背中も温し初雪や


◆ 弁当で背中も温し初雪や     ねこさん

明日は一年で一回だけ、車を置いて汽車で仕事に行く日。

一年に一回だけ着るコートが暖かい。

背中の弁当も暖かい。

| 2005-12-15 07:56 | 日記系セレクション

 


月影


月影を追うてもなかなか言葉にならず、考える日が続いていました。

◆ 月影や凍えて長し夜明け前
そんな早朝を二日も迎えて、日本列島はぶるっと震えていますね。

幾千年も昔のエジプト人たちはこの月を見上げて、あるいは太陽を崇めて、数センチと狂わないピラミッドを設計し、うるう年を知っていた。
1年の365日を12で割って1ヶ月を30日とし、残りの5日を余分な日とし感謝する心を持ったという。

30日というのは月が満ち欠けする周期です。
本能的に人はこのような神秘に引き寄せられていたのでしょう。

それにしても、真冬の月は、高くまで上りますね。殆ど90度です。
あの月が、朝になったら落ちてくる。

夜明け前、薄墨をひいたような陰が窓越しに忍び込む。
今年一番の寒さに、影までもが凍てついているようでした。

| 2005-12-17 08:01 | 日記系セレクション


キャプテンの頬に寒風弾け散る


■ キャプテンの頬に寒風弾け散る

好きな人がいるんだ。
でも、遠くから、そっと見るだけ。
最後の冬なんだ。
春になったら、受験勉強に入るって。

ねえ、どうするの。・・・・

| 2005-12-21 21:49 | 日記系セレクション

雀は何故に電線から落ちないか (1)(2)

(アンソロジー)


雀は何故に電線から落ちないのか(1)


ちかごろ、ちょっとその大学に魅力がなくなってきた気配がある。私らの時代には、ハングリーな奴らが大勢で、4浪して7年かかって卒業している友人もいます。

久しぶりに西早稲田の交差点でばったり出会い、いっぱい飲みに店に入り「おい、そういえばXXはどうしてる?」と聞くと
「あいつなー、3ヶ月ほど前から旅に出てどこかわかんね」
なんて会話がある意味では普通だったな。

今でもあると思うけど、みんな洗練されてスマートになってしまったようなイメージがあります。それは早稲田だけではなく、どこもかしこも就職のことを睨んで学部を選び、数字で出される「率」というものに翻弄されているからでしょうかね。

東京で学業を終えた私は京都というところに移り住みました。そこで10年近く暮らしました。関東の大学出身でしたので、関西人の同僚には嫌味なヤツだと思われたりしたのでしょうが、東京にこだわるつもりもないし、第一に私は京都を気に入ってましてね。京都に行かせようかなとも思っています。

自分がやりたいことをやってほしいと思っています。就職とか結婚に有利になるもの・・・などと考えてほしくない。今、何をしたいのかを誤らずに見ることと自分の置かれた環境を適切に見極めながら、あまり打算的になってほしくない。

まあ、失敗したらやり直す。そこまで執念があるかどうかだけです。妥協するならそれでもいい。自分で決めることが大事だと思っています。

金が無いなら自分で稼いでから進学できる時期を虎視眈々と狙い続けてほしい。そこで、父は何をするのかって、反面教師でしょうね。そういう執念や姿勢、意気などを父は持ち備えていなかっただけに、いい手本じゃないでしょうか。

さて、スズメは何故に電線から落ちないのでしょうか?

さまざまな答えがあるのでしょうが、そのことについては、どっか別のところで書くことにします。私の難題解決の答えはその辺りにあることが多いからです。


(発言元)
2001年の7月21日に私は「過去を棄てる」ことについて考えている。

またその病気が出始めた。

メインホームページの過去の記事とあちらこちらに貼り巡らせたリンクなどをざっくりと消してしまおうと考えたのである。

消えたら読めなくなるのだ。
もう会えなくなるのだ。

過去を解析して、学び戦術を練り上げるのはよろしい。しかし、そいつに縋り付いて甘えている暇などないのだと考えるべきだ。

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娘がW大学の第一文学部の指定校推薦に関心を示している。どうしようかなと考えているらしい。私には現在、そこに送り出せる資財力がないのだが、そのことを軽はずみに口には出せない。
うーん。困った。これでは父が30年前に歩んだ道と酷似した足跡ではないか。血脈の悲運を感じる一方、私の大局観と戦略の欠如を自省するなあ。

| 2005-09-10 16:40 | 日記系セレクション


雀は何故電線から落ちないのか(2)


なんでもない問答ですが、私はこの問答が好きです。

答えはひとつではないと思います。

私は「落ちそうになったら飛べばいいから」と答えるようにしています。

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人は、窮地に追い込まれたときには逃げねばならない。逃げることは悪い作戦ではないと思います。

但し、逃げる以上は、普段から鍛錬してその逃げ足を磨いておかねばならないし、反撃するチカラも鍛え上げねばならない。策略も周到に持つ。それを備えるからこそ、逃げるのも一手であるのだと思います。

つまり、電線を飛び立った雀は、必ず戻ってこなくてはならない。少し前に流行った言葉で言えばリベンジです。

関連:2005年9月 8日 (木曜日) 迷う

| 2005-09-11 08:52 | 日記系セレクション

2005年 夏 日記系


次へ

人は、知らず知らずのうちに、心の依り処を求めている。

そこは、場所であったり人であったりイデオロギーであったりすると思いますが、自分たちの母なるものであるのだと私は思っています。

嘘をついたときも、悪さをしたあとも、冒険に出るときも、困難に挑もうとするときも、そこに帰ってくることができる。

どうして勇気が湧くんだろう。

くすぐったいようで、照れくさいようであるものの、本当の自分がそこにいる。

さあ。次のステップへ。

| 2005-08-31 09:09 | 日記系セレクション


麦畑

波打つように広がる麦畑の中に一本の道が続いている。

その途中でひとりのライダーがバイクを止めていたので、私も傍らにバイクを止めて、同じ景色を眺めようとした。

彼女は「ほら、戴いちゃった」と麦の穂をひとつ取ってタンクバックに挟んでいることを打ち明けてくれた。

他に記憶の残る会話などなかったなあ。


大地は、景色と風と静寂で同じ感動をライダーたちに与えつづけている。

きっと今でも。

| 2005-08-31 09:05 | 日記系セレクション


満月

めっちゃ綺麗やな。満月。

用もなく足並み遅し満月や  ねこ作

| 2005-08-19 22:24 | 日記系セレクション


フーテンの寅さん

NHK BS でフーテンの寅さんシリーズをやっている。

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25年前に学生だったときにはこのシリーズの映画なんてちっとも面白いと思わなかったし、映像作品としても素晴らしさを感じなかったくせに、今頃になってこの作品にじわ~っと来てる。

恋人のような友だちが葛飾柴又生まれで、この近くに住んでいたのだから、一度くらいは柴又や帝釈天に行っても良かったのに、そのころの私は映画にも柴又にも見向きもしなかった。

あれから、人生いろいろ。

そう、人生いろいろあってやっと味がわかるようになったのですよ。
今頃になって柴又へ行ってみたくなってます。

まったくもって寅さんと同じ性格のような私。
親近感があるのですよ。

| 2005-08-14 15:03 | 日記系セレクション


上弦の月

上弦の月だったっけ 久し振りだね 月みるなんて・・・♪
と、歌ったのは吉田拓郎でした。

小さく欠けた月は太陽の沈むときに一緒に沈みます。近日、大気が不安定だから夕日も赤いのでしょうね。

真っ赤な夕日は、太陽が沈んでしまったあとに、明るさを次第に失いながら赤みを増し続けます。それが暗い紫色のように見えて、空一面に広がり、さらにあとには東の空に燃え移ったかのように「反対夕焼け」になり、闇となって消えてゆきます。

私が職場を出るときには伊勢湾は既に真っ暗で、名古屋市のほうから湾の形に綺麗な街の明かりが見えました。湾の向こうには中部国際空港の滑走路の誘導灯が一直線にひときわ明るい。

忙しかった1日ほど、街は綺麗に輝いているように思えます。

| 2005-08-10 21:05 | 日記系セレクション


くまぜみ

MMさんの日記にコメントを落としてきた。
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暑い昼間にセミの声を聞かされて、頭がかっとなって・・・
夕方にヒグラシ聞いて、物悲しくなっている。
そんなことを繰り返しながら、夏になる。
きょう、暑中見舞いメールを1通出しました。


(こんな短いメール)

お久しぶりです。
昨日あたりからセミが啼き始めましたわ。
そういうわけで、暑中見舞いです。

| 2005-07-13 09:27 | 日記系セレクション


ヤマモモ

昨日、西が丘小学校に用があって行きました。
5年生はプールで歓声をあげています。
グラウンドでは夏休みのうちに済ませなくてはならない工事に、現場の人が汗を流してらっしゃいました。
校庭の片隅にヤマモモの木があります。
いっぱい実を付けて、地面にも落ちて散らばっていた。

夕方、ヒグラシの声をききました。
夏休みが近いのですね。

| 2005-07-13 09:24 | 日記系セレクション


砂浜を駆けて青春ごっこする

◆ 砂浜を駆けて青春ごっこする  (ねこ作)

一句書いただけで、他に何も書き添えてない (後日・記)

| 2005-06-24 08:02 | 日記系セレクション

音楽篇 (1)-(6)


音楽篇(1) ─ 北山修 ─


「戦争を知らない子どもたち」という曲を、音楽室のグランドピアノの脇でギターを弾きながら歌った。それがフォークとの出会いであり、私が音楽の世界に入るきっかけでした。

吹奏楽部→ビックバンドジャズ→コンボ→ビックバンド→吹奏楽団→ビックバンド…

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その始まりは、北山修だった。

♪海は嫌いだ悲しくなる 

とか

♪あなたに捧げた 言葉の中に
┃嘘はないけど 何か気になる
┃こんな気持ちを 違うあなたに
┃ほのかに寄せた 思い出があるの
        (「初恋の人に似ている」から)

とか

そうそう、

♪人は誰もただひとり 旅に出て
┃人は誰も故郷を 振り返る
┃ちょっぴり淋しくて 振り返っても
┃そこにはただ風が吹いているだけ

これって、音楽の教科書に載ってるそうですね。
驚きです。

---

ちょっと、「音楽篇」ということで、思い出を綴ってみるか。

(続)

| 2005-12-06 18:41 | 日記系セレクション


音楽篇(2) ─ 北山修 ─


いったい、どんな感性を持っているのだろうか。
彼の目は、街をゆく人の、素朴な動きやその心の中を、神様のように見抜いているようでした。

吉田拓郎の、
♪私はきょうまで生きてきました・・・・
も唄いました。

けれども、もうひとりの私は、詩人北山の詩を静かに読みました。

♪愛とあなたのために わたしは
│この世に生きているの わたしは
               (愛とあなたのために)
・・・・
♪天使が恋を覚えたら
│ただの女になるという
               (天使が恋を覚えたら)
・・・・
♪ろうそくの ほのおがゆれるよ
│この火が消えるまで あなたとお話したいの
               (ろうそくのほのお)

オトナになりたい。
でも、それには時間がかかる。

嫌いな言葉は、「悩む」
好きな言葉は、「口ずさむ」

好きな人ができたら「好きです」と伝え、悲しいことがあったらそのまま凹む。

北山修が教えてくれたちょっとオトナの恋に辿り着くにはもう少しの時間が必要だった。
そんな年ごろに、歌にまみれ、詩にまみれ、受験時代を送ったのでした。

♪あの時 同じ花を見て
│美しいと言った二人の
│心と心が 今はもう通わない
              (あの素晴らしい愛をもう一度)

私には未知の世界のドラマだった。

ほかに頭をよぎった歌など・・・・
-----
高石ともやの「受験生ブルース」
五つの赤い風船の「遠い世界に」
赤い鳥「翼を下さい」
チューリップ「心の旅」

(たぶん続く)

| 2005-12-07 10:08 | 日記系セレクション


音楽篇(3) ─ モーツァルト ─


アイネ・クライネ・ナハトムジークとの出会いは衝撃的だった。

そのころ、ちょうど父に頼んで買ってもらったステレオプレーヤー(安物品だった)にどっぷり浸かっていて、毎日、モーツァルトを聴いたものだ。
レコードを擦り切れるほど聴いたのはこの曲くらいだろう。

そういう訳で、高校時代は、クラシック音楽にどっぷりだったな。モーツアルトの交響曲40番、41番の良さをアツク語り合った友もいた。

クラブは、吹奏楽部と音楽鑑賞部でした。吹奏楽部で「ワシントン広場の夜は更けて」をやりながら、一方でベートーベンと出会い、第九に痺れたのもこのころだった。

楽器を吹くことから、次第にジャズに傾き始め、ベートーベンとの混在の中で「モーツァルトは綺麗すぎて嫌いだ」と言うようになってゆく。(また戻ってきますので心配なく)

大学に行ったら音楽関連のクラブに入ろうと思っていたもんな。グリークラブもいいなあとか、気が多かったのも事実だったが。

今はチャイコフスキーやほかにもたくさん好きな人がいますが、高校時代は、前期がモーツァルト、卒業から大学時代はベートーベンひと筋でした。

(たぶん続く)
| 2005-12-15 23:03 | 日記系セレクション


音楽篇(4) ─ 阿久悠 ─


私は阿久悠さんの大ファンです。

大学受験の下見と称して東京へ無計画に出かけたのは高3の秋だったな。広島カープが阪急ブレーブスと日本シリーズをしていたような記憶がある。早稲田祭とかに行ったんですが、記憶が途切れ途切れだ。クラスメイト4人で行きました。

名古屋から新幹線に乗ったら、A、B、C席の友人たちと離されて座ったD席でしたが、ふと見ると隣の席に同年代の女性が…。そのころは女の子に声を掛けるというようなことなど、一切できないウブな私でしたが、その子と少し話をしました。

名古屋市にある南山大学の付属の高校ってのがあるのかどうか知らないけれど、どうやらそこの3年生らしく、彼女も来年4月から東京で女子大生になるために奮闘中だという。長い髪の上品で可愛い子でした。

よーし。これはチャンス。4月になったら「プロポーズ大作戦」(※)に出ようじゃないか。
(※番組名は、ご存知の方は少ないと思います)

まあ、そのときの隣の席の女の子が当時のアイドル「岩崎宏美」と横顔の雰囲気がそっくりでしたので、岩崎宏美のファンでもあります。

阿久悠作品ですと、この年は、

○ 北の宿から 

がヒットした年でして、レコード大賞もとったのかな。

岩崎宏美ファンとしましては(単純だな)、僕も東京に行って華やかな学生生活を送るのだと、日夜、受験勉強に励んでいたのでした。

○ 二重奏(デュエット) 
○ ロマンス
○ センチメンタル
○ ファンタジー
○ 未来
○ ドリーム
         すべて、作曲 筒美京平

阿久悠さんのファンでもありますが、さらに京平さんの大ファンでもありました。

これから数年間の歌謡曲については、任せてください。大好きです。

大学受験は、早稲田にも理科大にもふられて、東村山のわびしい寮生活に入ることになり、「プロポーズ大作戦」への夢は儚く消えてしまったのでした。(昭和50年から51年)

| 2005-12-31 19:00 | 日記系セレクション


音楽篇(5) ─ 青春 ─


大晦日に音楽篇(4)を書いてから、ひと月以上が過ぎる。

忘れていたわけではない。次から次へと甦る「あのころ」を纏めきれないのです。アキラメタ。

> 君は何を今待ち続けるの
> 街の片隅でひざを抱えて
> 届かないあの手紙 別れた夢

青い三角定規がそんな歌をうたっていたころがあった。
その歌の本当の意味など分からないまま、ギターを抱き口ずさんだ時代があった。

あのころ、人生最大の壁と思っていた受験という試練に挑む日々の合間に、同じく競い合いながらも心を本当に許しあえる友がいた。
(※ あんなの、人生において何の壁でもなかったということにはずっと後になって気づくのです…)

中村雅俊が青春ドラマの主役を演じ、そんな世界へともう一歩で自分たちも辿り着くのだ、という夢を持ちつづけた。

> 夢の坂道は木の葉もようの石畳
> まばゆく白い長い壁
> 足跡も影も残さないで
> たどりつけない山の中へ
> 続いているものなのです

下駄を鳴らして街を歩き、気分転換と言って多摩川上水のほとりの並木道や小平霊園を駆け回った。南武線の鉄塔の向こうに夕日が沈むのを眺めては、早稲田の杜にそびえる理工学部の研究棟に未来を馳せた。

1年間の萩山寮の暮らしを終えて江古田にある能生館という下宿に、文学部に進んだ島田君の紹介で私は転がり込んだ。法学部の先輩が4人、商学部の先輩が1人という顔ぶれで、そのみなさんと一緒に(私だけが)のほほんな学生生活を始めたのだった。

> 青春時代が夢なんて
> 後からほのぼの思うもの
> 青春時代の真ん中は
> 道に迷っているばかり

阿久悠は、こんな名言を何処でどうやって思いつくのだろう。
青春という言葉は、あのころは嫌いだった。

フォークソング、ジャズ、クラシックという音楽ジャンルを行ったり来たりしながら、筒美京平という作曲家に染まってゆく。

70年代の歌謡曲と筒美京平に明け暮れて、朝から晩まで部屋では音楽がなり続けているという大学時代を過ごします。

事情があって能生館を2年で出ることになるのですが、江古田を気に入っていた私はこの場所に住み続け、たまに西武線、地下鉄に乗りたくなって大学に出かけるものの、大学界隈の古本屋で文庫本を抱きかかえるほど買い込み、江古田駅裏の焼き鳥屋さんで持ち帰りに数本買って、風呂もカーテンも無いアパートでビールを飲むというようなグウタラな暮らしをしていた。

アパートは桜台3丁目という高台にあった。あのころは地下鉄など無く駅まで20分ほど歩くところだった。その代わりに、アパートの廊下の突き当たりから富士山が夕日に赤く染まっているのを見ることができた。

恋人もいない、静かな暮らしだったなあ。

─ ─ ─ ─
江古田のことは、以下がもう少し詳しいです。

| 2006-02-12 12:31 | 日記系セレクション

 


音楽篇(6) ─ 別れ─


木綿のハンカチーフは、太田裕美。
春一番は、キャンディーズ。
なごり雪は、イルカ。

春は別れの季節なのだ。
娘たちはどんな歌をうたって友と別れたのだろうかね。

前回・音楽篇(5)はコチラ です。

【ドラマ】
昔、「卒業写真」という短い物語を考えたことがあった。

グウタラな大学生活をおくているオトコが主人公。まじめな友人に誘われて、そいつが就職先に決めた会社の年度末のバイトに呼ばれて出かける。
ところが、バイトの帰り道でばったり出会った学友たちと飲みに行き、給料としてもらった日当を全部飲んでしまう。
(このへんがリアルだが)
御茶ノ水駅で意識朦朧とうなだれているところをに通りかかった電車には、4年前に「もう会えないかも知れないね、私は東京には行かないよ」と言って別れてきたオンナの子が乗っていた。

オトコは、酔い潰れていてそのことに気づかない。
オンナは、ドアが閉まる瞬間にその子の姿をベンチに見つける。
ドアは閉まる。
過ぎる時間。移りゆく日々…

(オトコに会わせたい。)
でも、オトコはあと1ヶ月で東京を離れるんだ。
オンナは、オトコが好きだった。でも、会わないと決めたのには理由があって、4年間我慢をしたのだった。しかし、あの駅でのオトコの姿で崩れてゆく。
ひとこと、別れだけでも告げに目の前に現れる瞬間でドラマを終えよう。

音楽は、「卒業写真」がいいなあ。

学生時代に、そんなドラマを考えていたんですよ。子どもでした。
「別れは、美学だ」みたいな…。

─ ─ ─ ─

【日記】

啓蟄だった昨日、出勤途上で鼻血が出まして、職場の治療室に駆け込みました。
大人しくしていると数時間は停止しているものの、夕方に再び出て、恐る恐る家まで帰ってきました。

青色申告の届けも完了して、さあ「オフィスねこさん」の始まりの日でもありました。

きょうは、近所の耳鼻咽喉科に行ってきました。
原因となる心配はなく、止血剤をもらってきました。

─ ─ ─ ─
【きょうの買い物】

○関野吉晴著
グレートジャーニー地球を這う ユーラシア~アフリカ篇
筑摩書房 \950

○遠藤周作著
女の一生(上・下) \705,\667

| 2006-03-07 18:05 | 日記系セレクション

飛行機雲

その飛行機雲が、茜色に染まっている。

さらにクロスするように燃えるように真っ赤なジェット機が高度を下げながら中部国際空港のほうに向かってゆく。

いいもの見たな。得したなって思う日ってのは、何でも綺麗に見える。

干潮で大きく干潟が広がっている河口を渡る橋を越えるときも、薄暗い海の向こうに反対夕焼けが出現していて、ありゃって思ったりするのです。海と空の境が薄く消えてゆくのです。

-----

ある人の日記に飛行機雲のことが書いてあって、ご挨拶代わりにコメントを書いたのでココに控えておこう。
思いつきでさらさらと書いたのだから、改訂したいところだが、そのままにとどめておきます。


| 2005-05-10 20:15 | 日記系セレクション

熊野古道「ツヅラト峠」

街道という言葉には人々の生活のなりわいの他にも、暮らしの裏に隠れた信仰や祈りの思いが隠されています。そう思いませんか? 松阪市の城跡内にある歴史民俗資料館の企画展示「祈りと街道」で見た道しるべの石塔の素朴さの興奮冷めやらぬ間に、熊野古道へと出向くことにしました。

熊野古道。
いにしえの巡礼人が踏みしめた街道。
多くの人が祈りを込めて、あるいは行商人が隣の村へと峠を越えた峠道がいくつか歴史街道として残っています。

9時26分、紀勢本線(伊勢市行) の列車が松阪駅を出発します。紀伊長島までの小さな旅の始まりでした。紀伊長島には 10時47分に到着します。料金は1110円とお手ごろ。

さて、駅前は人影も疎らで、ツヅラト峠の登り口に向かって歩いてゆく人影はまったく見当たりません。道案内の看板も、決して親切とは言いがたく、天性の方位針を持ち合わせた私でさえ迷いそうです。もちろん、そのくらい寂れているほうが私の好みです。

ツヅラト峠の登り口までは民家の間を行く舗装道路を歩きます。約4キロほど。車が横を走りゆきますので、排気ガスと風圧に悩まされながらとなります。

登山口が近づくと、やまあいの水田で啼くカエルの声が谷にこだましているのが聞こえはじめます。ウグイスが上手にさえずります。3月ころは下手くそだったのに5月にもなると下手くそなウグイスはいませんね。ヒヨドリ、ムクドリなど何種類もの鳴き声が聞こえてくるけど、その名前は何ひとつわからないありさまでお恥ずかしい。カシラダカとスズメの区別もつかない私ですし。

そんなことを思いながら平地を1時間あまり歩いて、11時半過ぎから登山道に入ることになりました。立派な石標が建っています。

「ツヅラト」という名前からも推測できるように「九十九折」の峠道です。
2万5千分の1の地図では
ココ
に当たります。標高350メートルあまり。ご覧のように最後の最後で100メートルほどを一気に登ります。
多くの人が紀伊長島のほうからの登りが長くてきついと、教えてくださいましたが、でも、昔のように健脚を誇れない。軽くて短い下りを選択して海側から登ることにしました。

ヒノキが綺麗に植林されて、枝打ちも施され整然と並んでいる林と、コナラなどブナ科の植物がまだら模様の黄緑色をなす斜面を、登山道は右に左にと曲がりながら上へと続きます。小さな谷にさらさらと流れる水で手を洗い首筋を流れる汗を拭きます。

一部、石畳の登山道が残っています。情緒があるなあ、と思いながら、峠の姿も見えない林の中を登ります。直射日光が差し込まないのが幸いかもしれません。しかしやがて太平洋が一望できるようになります。そこで少し休んだあとは、最後の力を振り絞ると峠に着きます。最後の一歩で思わず「ヨイショ」と言ってしまいました。

登山口の石畳に足を踏み入れてから1時間ほどです。峠には東屋があり充分に休憩をとりました。旧大内山村側・梅ケ谷の集落までは緩やかな下りです。まあ、山菜取りに出かけたようなお気楽な気分で下ります。

こちら側からは軽装の人が目立ちます。ピストンで帰ってゆくのでしょうね。お年よりも目立つけど何よりも二十歳から三十歳ほどの、街でしか見かけないような若い女性たちが列を成して登ってくるのに出会うから驚きます。メジャーな峠なんだなとそのときに気付いたわけです。

およそ9キロの行程を4時間半ほどで歩いてきました。梅ケ谷の駅では1時間以上、帰りのJRを待ちましたが、ホームのベンチで横になっていたらすぐに過ぎてゆきました。贅沢な散歩ができました。 【5月3日】

(写真は現像してからですから未定です)


| 2005-05-04 21:02 | 日記系セレクション

かんビールをポンとぬいて… ─ 9月号

いよいよ秋らしくなりました。お月様も日に日に名月に近づきます。

今年の夏は記録的な暑さということもあり、ビールなどの「のどごし」を刺激する飲みものがたくさん売れたのではないでしょうか。

武田泰淳の奥さんの武田百合子著「富士日記」(中央公論新社)を読むと、泰淳はいつもビールを飲んでいます。

「かんビールをポンとぬいて…」と泰淳がねだる様子が昭和51年9月の日記にも書かれ、この月を最後に日記は終わり、泰淳は10月5日に胃がんと肝臓がんで逝ってしまいます。

富士日記には、家計簿的な日常も書かれていて、昭和39年ころから泰淳が亡くなる昭和51年までの様子や、そのころの人々の暮らしが随所に出てきます。

昭和39年のころは大卒初任給が2万円あまりの時代でした。武田泰淳ほどの人物でありながら、メザシであるとかもやしのあえ物などという非常に質素な暮らしをしていることも伺えます。

およそ10倍になった現代、豊かさとその満足度を環境的な視点で振り返るだけでも面白く読めます。

*

このメルマガを書き始めた初旬のころ、巻頭で「残暑お見舞い申し上げます」と書き出したのですが、一日一日と過ぎるうちにさすがに猛暑は衰え始め、ツクツクボウシも上手に啼くようになり、夜半には虫の声も聞こえてくるようになりました。

暑さ寒さも彼岸までといいますが、まさにその通りであることに驚きます。そして彼岸といえば彼岸花です。この花も毎年、この時期に間違いなく咲きます。自然の生き物は、不思議をたくさん含んでいて驚かされるばかりです。

 秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

暑かった夏を忘れて、しばらくの間、感性を刺激してくれる秋をお楽しみください。

2010年9月14日 (火曜日)

じゃんけんポン!あいこでショ!っと抱きしめる

そんなふうに
やってみたい。

きみ。


| 2009-05-17 21:37 | 日記系セレクション |

おやすみ

美性を失う

ニンゲンは賢くなって、万能と思いこんでいるようなところがあるけど、ほんとうは儚いものだということを、恋をする人こそが一番よく知っているのではないだろうか。

数学と物理の世界で暮らしていると、数字がひとつ違ってもそれは別のもの。ましてコンピューターの世界では、一生めぐり合うことのない分厚い境界を隔てた情報群になります。


人間は、知性を持って、合理性を追求して、どんどんと便利で楽しい世界を作るのだけど、恋の世界はどうだろう。
どんどんと退化して行ってしまっているところもあるかもしれない。

運命だとか宿命だとか、
結婚だとか恋愛だとか
幸せだとか
憎しみとか

様々なモノに理屈もあろうけど。

私は
ひと目会った瞬間に好きになったり
その瞬間に抱きしめたり
うしろ姿にドキドキしたり
追いかけたり
声を掛けたり

見つめたり

そういう感性が、
美性を失ってしまったことに

現代の最悪の荒廃を感じるなあ。


私には好きな人がたくさんいて
いつも、誰かにドキドキさせられています。

恋をするためには
街を歩いて
夕焼けを眺めて
時には月を見上げて
私を時には思い出して
気持ちを高ぶらせておいてください。

| 2009-09-03 21:31 | 日記系セレクション |

月明かり飲んで語って沈み込む

月はひとり、星は二人で見上げたい

--

月明かり飲んで語って沈み込む

旅に出たいな。


2009-09-01 21:05 | 日記系セレクション |

A子さんの話 続き

あなたってグルメじゃなくメンクイでもないから、旦那さんになる人は楽ですね、

と尋ねたら、

優しくしてもらってるだけで嬉しいです、

と言っている。

知らんふり

そんな…
知らんふりしてないで
私をもっと知って欲しいの

私はあなたのこと
ひとときたりとも忘れてないのに

あなたは、どう?


私のこと
思い出してね。
例えば眠れない夜とかに

私の名前
小さな声で口ずさんでみてね
ウイスキーの氷がカランと揺らいだときに。

| 2009-08-11 20:47 | 日記系セレクション |

信頼というもの  その2

(ゴミだなと嘆きながらここに書く)

信頼というもの。
・・・・というわけの分からない私の呟きにたくさんのコメントを戴き感謝します。

答えの無い問いかけに答えるのは難しく、そこんところを上手にかわしてひと言を残してゆくというのは、人生を上手に生きることにも通じると思います。
みなさんのもうひとつの姿を見るような思いです。

さて、きのうのお話の続きを今朝から書いておりました。話は書物のことに無理やり急旋回しましす。

「それよりも一冊の本と出会って、どれだけ心を動かされるのかってことが大事なんじゃ…」

八木沢里志の「桃子さんの帰還」(森崎書店の日々に収録)のなかでこんなことを書いていて、冷めた言い方をすれば何を今更…ということになるが、そんなことは分かっていながら作者はさり気なく書いたのだろうと想像すると、改めて作品の清清しさが伝わってくる。


信頼という重々しい言葉を投げかけておきながら答えも出さずに、というか答えも出せずに放り出した私の心理までを理解してくれる人など、たぶん誰も居ないだろうが、私は「信じる」ということと「頼る」ということを、発生学的に考察したかったのだ。


どうしても二つに分けて考えねばならない。複合の言葉なのだから、ひとつずつ紐解くことにする。

信じるといことも頼るということも、どちらも親の言いつけでできるようなことではない。つまり、その人自身の心の奥底に存在する本心のような部分が無意識に決定するものだということだ。

もうひとつ、その結果が必ずしも正解であったり、報われる結果を導くというようなハッピーエンドなストーリーでもないというのも現実だ。

信じることはある意味では信仰のような側面を持ち、人を信じることは己の誠に通じるともいえる。「頼る」「頼られる」というような相対する言葉にもそれらが当てはまる。

さらに頼られることの奥深くには、その人物の(またはその出来事の)重みが生きてくる。人に重みがあれば、そこには尊敬の念が返ってくるし、行いであれば実行力とバックアップが対になって勢いを生む。

仁義礼智忠信孝梯。
これは、南総里見八犬伝で皆さんもよくご存知な語句だが、やはり人はそこに戻ってくるのだ。

どの漢字にも棄てがたいものがある。

私たちは、これまでにこの日記で書き綴ってきているのだが、「豊かさと満足度」という現代人の骨の髄まで溶かしてしまった麻薬より恐ろしいものを、もう一度見直さねばなならない。

この八つの文字の全てを、失いかけている。

(今夜も纏まることなく夜が更けるか。御免)

結局、何が言いたいのかワカラン。>自分

人の純真さが薄れてきていることを嘆いたのかもしれない。
自分のことしか考えない社会に怒りを持っているのかもしれない。
悪が悪として裁かれないことや戒められないことに怒っているのかもしれない。
世の中が、間違った方向に多数決で進んでゆくことに怒りを持っているのだろうか。

まあ、いいや。もうすぐ死ぬ時期が来るし。それが諦めの言葉なのだが。

2010年9月13日 (月曜日)

手紙を書きたくなる夜

このブログには「銀マド 手紙篇」というのがあって
数々の昔の手紙を集めておいた。

その中にあるひとつ。

--

僕は風さ、あなたの傍を

もしも僕が風になる
そんな悪戯が叶うなら

あなたの街まで旅に出て
海辺の道からあなたのもとへ
そっと吹いてゆくだろう

しばらくあなたを見つめたあとに
あなたの心を覗いて通り
魔法をかけて舞い上がる

あなたは静かに恋歌を口ずさみ
窓を開けて海辺を見るの

白い渚を吹く風が僕だとふっと気づくとき
あなたは僕に恋をする

僕は風さ、あなたの傍を
優しく吹いて抱きしめる

--

そこでおわり。

僕はあの人が
このブログを読んでくれていたら
どれほど素晴らしいだろうと夢見た。

僕の気持ちを伝えられるひとつの手段だ。
でもそれも、叶わぬことだった。

信頼というもの

信頼とは何だろうということを考える。そのきっかけは、不調が続くバイクの話を読んでいた人の「もっと信頼できる店に頼ってみては」というアドバイスの言葉であり、あるいはさらに大きく私を揺り動かしたのは三十年来の友人の身内に起こっている不測の出来事に拠るものだった。

信頼という簡単な言葉であっても、ふとしたきっかけで考え続け、深みを探れば果てしなくそこに潜んだ哲理が浮かび上がる。

友人の身内は、危篤が続く状況に追いやられている。意識が戻ることも無く生き返ることもできないかもしれない。しかも、本来ならば近くに住んで居るはずなのに、仕事の事情で飛行機を使っても8時間以上掛かるところにいて応答のあるうちに会えなかったという。年齢的にもまだまだ20年は早いと思える。様々な面で運に背かれた形になる。信頼して、順調な軌道の上を走っていると思っていたのだ。ここにも信頼という言葉がある。そして、信頼とは人物を信じる状況を指すだけでなく、あらゆる状態を見守っている自分の心の形を表すこともあるのだ。

何をどういう形で信じればいいのか。この廃れきった世の中で信じるものなど無くても銭金があれば生きて行けるとでも言うのか。信じられるものは神のみなのか。いや、神など信じられないのか。

*

私たちは信じるということを数限りない対象において様々な形で捉えている。それは、物理的にも心理的にも、また行動科学や精神科学が及ぶような分野においても、あてはめて考えている。

与えられた既得権のように厚かましく手中に持つこともあれば、感謝に満ちた信用もある。善し悪しなどは無く、ひとつの状態を表現するものとも考えられる。

それを物理現象と考えるなら、エネルギーは質量と速度が生み出すのだから、信頼、あるいは信頼関係というのは、そのものの思いの深さと情熱度合いということになってくるのだろうか。

しかし、そこには、これまで私たちが生きてきたこと、生かされてきたことへの畏敬が含まれていない。


まっすぐ跳んでゆくボールは突然曲がったりはしない。路線バスも定めれていない交差点で曲がったりはしない。

そうなると、どうやら、曲がらないと信じることは実は信頼とは呼べず、予期せぬときに何かの時点で曲がるかもしれないという事実を見詰め合うこと、またはそういう危機を共有すること、向き合うことが信頼なのではないかとさえ思えてくる。

かといって、危機管理などという安直な言葉で片付けられると腹が立つ。もっと心の奥の襞の中まで沁みこんだ感情的なものが「信頼」なのだ。

神は幸せというものも齎してくれるが、罰という裁きも可能だ。

いまや、信頼という言葉自体が風に晒された死体のように、無表情に残されている。

信じることは信じられることだ。そこには何の合理性も実益もないし、科学も哲学も無い。
信頼という言葉が深いところに秘めている重要な意味を見失った現代人たち。
そういう人たちが溢れかえった空間(または時間空間)を私は彷徨っているのだ。

---
(これも遺書のなかに綴じ込もう)

バイクその後のその後

9月11日の土曜に出勤のため、近所の高速道路を走っていました。

リザーブまでにはまだ50キロほどあるとみていたのに突然のパワーダウン。
でも、ほんとうにリザーブかも知れん。

リザーブにしたら、カクンカクンとしながらも復活。
でも疑わしいので、また通常に戻したら、やっぱし走り続けた。

もしも電気系なら、燃えなかったガスが不完全燃焼を起こすはずだ。
点火系なら、片方のシリンダが何らかの燃焼不具合を起こすはずだ。


というわけで、コックが閉じられた状態に似た現象が吸気系で発生しているのですね。
チョーク操作も再起動に有効な感じがするのだが、決定的証拠は無い。

+++

そーゆうわけで
ちょっと、信州行きは棚上げにしようかと思っています。
その代わり、前の「号外」で書いた東紀州の海岸を旅して来ようかと思っています。

尾鷲市までJRで行って、テント担いで「徒歩だー」するか
バイクで何処かの入江まで行って、そこの集落でくねくねと歩くか。

EOSにフィルムを入れて行く。

とまあ、そんな計画。

東紀州。行野浦、少しぶらぶら

9月11日

紀北町の「まるます」でお昼を食べた。


まるます

尾鷲市の行野浦を目指す。


行野浦

綺麗な海をゆっくりと眺めながら
ダイビングに来た子と話をして

そのあと、古道センターによって帰ってきた。

2010年9月10日 (金曜日)

白露も過ぎて

白露、ということで少し昔を回想したら、なんだか苦々しい思い出の作文が出てきた。

あらし去り白露がきゅんとすまし顔 ねこ作

先日から、書きかけていた残暑見舞いを兼ねた巻頭言の下書きを貼っておこう。(改訂のことあり)

---

残暑お見舞い申し上げます。

今年の夏は記録的な暑さということもあり、ビールなどの「のどごし」を刺激する飲みものがたくさん売れたそうです。

武田泰淳の奥さんの武田百合子著「富士日記」(中央公論新社)を読むと、泰淳はいつもビールを飲んでいます。

「かんビールをポンとぬいて…」と泰淳がねだる様子が昭和51年9月の日記にも書かれ、この月を最後に日記は終わり、泰淳は10月5日に胃がんと肝臓がんで逝ってしまいます。

富士日記には、家計簿的な日常も書かれていて、昭和39年ころから泰淳が亡くなる昭和51年までの様子や、そのころの人々の暮らしが随所に出てきます。

昭和39年のころは大卒初任給が2万円あまりの時代でした。武田泰淳ほどの人物でありながら、メザシであるとかもやしのあえ物などという非常に質素な暮らしをしていることも伺えます。

およそ10倍になった現代、豊かさとその満足度を環境的な視点で振り返るだけでも面白く読めます。

(断筆)

八木沢里志 森崎書店の日々

ふと、通勤の帰りによる本屋で
マイナーな文庫の棚のほうに行って

竹西 寛子
詞華断章 (岩波現代文庫)

などを見ていたら、
その隣にありましたのがこの本でした。

その場は買わずに帰ったけど、
明くる日に欲しくなって
本屋へ走った。


八木沢里志
森崎書店の日々
(小学館文庫 や 16-1)

---

本の表紙(帯)に神保町と言う文字があったので、すぐに飛びついた。
ふーん、ここを舞台にした物語なんやな。最近、割と文学系を読んでいたので、息抜きに読んでみよか。

神保町。

私の学生時代のキャンパスです。きっぱり言い切れるほど通い積めた、というか、講義に行って教室に入らずとも「文庫川村」には必ず寄ったし、さくら通りとすずらん通りとそれらに交わる網の目のような狭い路地はひととおり歩き回ってから下宿に帰った。

時間があると、錦華公園の坂道を恋人もいないのにひとりで散歩していたりしたのだ。(あのころは恋人なんてほしくなったけど)

小説には、すずらん通りは出ないけどさくら通りが出てくるし、さぼうる(物語では「すぼうる」)も登場する。架空の話と言えども、30年前の神保町の風景を思い浮かべて読んでいました。

物語は、何の変哲も無いドラマです。
映画にしてしまうのか、映画を想定して書いたのか、その辺は知らんけど。

本来、小説と言うものは、架空とか空想の一面を備えていて、読み手がそのロマンに満ちた夢の中に吸い込まれてゆくような愉しみを持ち合わせていたわけで、その共有の形が文学や文学的詩篇のようなものから童話的なものまで様々だったのだろうと思う。

なんだか、読んでいる間だけでも青春時代に戻ったみたいな気持ちになれて、母校を訪ねてみたくなったなあ。

2010年9月 8日 (水曜日)

逢いたい人

ふと、あなたに逢いたくなりました。
初夏に少し、すれ違うように会ってから会えないままの人・・・・

−−

本当に、切にお目にかかりに飛んで行きたい気持ちでいっぱいですが、叶わないので悔しいです。

いつも心に。
な〜んちゃって。
もう、そんな恋恋しい気持ちも捨てたわ。
コッチに仕舞っとくコトにした。(笑)
そうそう、いま
森崎書店の日々
という本を読み終わりました。
恋がしたいです。(^^)

ふたたび

- Walk Don't Run -
夕焼けの向こうまで─枯葉の舞う道をあなたと二人で

銀マド 【自画像篇】

という名前に戻しました。

--

銀マド(銀のマドラー)という呼び名は、あまりオモテに出てきて目立つことが似合うわけではなく
ひっそりと、蔭に隠れているのがいいかもしれない。

何もかもが自分を主張するような世の中で
大声で叫んだりがなり立てたりするような力が威力を振るうようなことを
どうしても認めたくないし、本当に正義を通せるのならば、蔭でもよかろう。

誰にも気づかれないままでもかまわないよ。
ひとりか二人、目に留めてくれる人があれば十分だ。

2010年9月 6日 (月曜日)

高見峠を越えて宇陀市まで

9月5日。
いよいよ、9月下旬のツーリングを控えてバイクの調子をチェックせなあかん。

奈良県にいくと、ドカドカと喧しいバイクに乗ってるマイミクちゃんがいるので、バイク見に行こうと思ったのだが、バイクは連れずに実家に来たそうで、ご本人だけに会いに行ってきました。ご主人にも会いました。

ちょっと、かっこよい人だったので、驚きました。
ご本人(こゆきさん)は予想通りのイメージで、かわい子ちゃんでした。

私の居るところからは、峠を越えて70−80キロくらいのところです。
信号で停止したのも数回というくらい、というか
家を出てまもなく圏外で、こゆきちゃんの家のまん前まで圏外が続いたくらい
田舎を走ったのだ。

まあ、そんなところを走ってきました。
楽しかったです。

帰りには雲行きが怪しくなって、覚悟もしましたが、私の後方で雷雨があったようで、こゆきさんちは1時間に35ミリという豪雨に見舞われていたみたい。

私は道の駅のベンチで1時間ほどの昼寝をして、トロトロと帰りました。

汚い格好で、汗まみれの私を玄関の式台まで招きいれて冷たいお茶まで出してくださって、こゆきさんには感謝します。

バイクの調子は・・・・

何度もエンジンストップします。
でも、電気系じゃないよ絶対。
だって、電気系だったら不完全燃焼を起こしてパンパンとかいうだろと思う。
逆に、チョーク引いてかけたくらいだから。

現象で明らかになったことがひとつ。
過激に追い越しなんかをかけた後に、アクセルを戻してエンジンブレーキで停止状態まで速度を落とすと、アイドリングは必ず止まっていました。
なんやろ。

まあ、止まっても、しばらく休むとまた動くので、ツーリングにはいけるかな、と思っていますが。
過激な追い越しは出来ませんね。

2010年9月 5日 (日曜日)

チキンラーメンお好み焼き

チキンラーメンお好み焼き

近所のマックスにあったので買ってきました。
さて、いつ食べようかな。

寝苦しい夜

暑苦しくて眠れない夜だった。
何度も目を醒まして、三日月が昇ってゆくのを確かめては、また、寝入った。
(04 Sep, 5:53am)

そうメモを残している。


自室の温度が30℃をきらない。

自分たちの暮らしを快適にすればするほど地球の温度が上がり続けるということを、真剣に受け止めることが出来るようになるのはいつのことか。

2010年9月 2日 (木曜日)

読書系 よもやま

読書系…のこと


コミュの話。

【俳句部】という名前にしたし、「読書部」という名前が良いのかなとも悩んでみたが、やはり「読書系」でゆこうと思う。

いつもそばに本が・・・読書系

この名前の放つ柔らかそうな雰囲気を大事にし、これから読書を始める人たちとも、よもやまは話をしたい。そう思っています。

幽霊会員募集中(笑)

ちょっと驚く話があった。その読書系のフリートークのところにも書いたのだが…
GREEに「文庫本が好きです」というコミュを作りましたら、すごい勢いの参加者増加となって、いつの間にかコチラの本家本元を追い越してしまいました。
…という次第です。
ミクシーよりもひっそりしてて、淀んでいそうな雰囲気のGREEの方が、このコミュでは活発だったという驚き。
わからないものですねぇ。

さて、皆様、何か読んでます。私は今「星宿海への道」(宮本輝)を半分ほど来ましたよ。

読書の秋なんて誰が最初に言い出したんでしょうね。あまりにも暇だから仕方なく読み始めた1冊の本が人生を大きく変えてしまうこともあるんだからね。

私の人生を変えた人。誰だろうね。遠藤周作かな。

ミクシー日記から

| 2005-09-29 18:35 | 読書系セレクション |


読書系、その2

二冊の文庫が即座に出てきました。
昭和51年9月6日第15刷 280円
昭和57年4月28日第30刷 360円
(第1刷は、昭和47年12月15日で、現在は何刷版かは不明ですが、520円です)
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さて、その第15刷の88ページから89ページに、えぽさんの仰るシーンと言葉があります。

(でも。)とミツは一生懸命、その声に抗う。(でも、あたしは毎晩、働いたんだもん。一生懸命、働いたんだもん)
(わかっているよ。)と悲しそうに言う。(わかっている。わたしはお前がどんなにカーディガンをほしいか、どんなに働いたのかもみんな知っているよ。だからお前にたのむのだ。カーディガンのかわりに、あの子と母親とにお前がその千円を使ってくれるようにたのむのだよ。)(イヤだなア。だってこれは田口さんの責任でしょ。)(責任なんかより、もっと大切なことがあるよ。この人生で必要なのはお前の悲しみを他人の悲しみに結びあわすことなのだ。そして私の十字架はそのためにある。)

最初に買った「わたしが・棄てた・女」には赤鉛筆で何箇所も線を引きながら読んでいます。記憶では環七を渡る横断歩道を歩きながらも読み続けていた自分の姿を記憶しています。

遠藤周作は、この時点(昭和38年連載)に既にこのように書いているのですね。様々な小説でよく似たフレーズを書き、それが次第に別の表現になってゆくのですが、一貫して彼の小説は、この悲しみを共有するということを語り続けてゆきます。

武田友寿さんの解説がすばらしいです。
もしも読む本が無くて街角で困ってしまったらこの本を買う。だから何冊もこの本が本棚に溜まるのですが、何刷あっても惜しくない本です。
| 2005-10-01 10:17 | 読書系セレクション |

 


読書系、その3

「横切る」ってのは不思議なことですね。

・雨宿りをしてた人に傘を差し掛けること。
・交通事故で、車とバイクがぶつかって、お知り合いになっちゃう。
・間違い電話をかけてきたのが、何度も何度もかけてきて友達になって代々木公園でデートをしてしまう・・・ってこともあったぞ。
・京都の街の疎水の縁の、柳の蔭にいるキミと視線があってしまったのも出会いだった
・転校生。どんな子だろうって覗きに行って友だちになってしまって。。。
・初めて訪ねた下宿屋の、ご主人が留守で、代わりに出てきた娘さん。

まあ、最後の娘さんはうちのんですが。

そういうさり気ないことの中にある物語のネタを、遠藤周作という人は、面白おかしく、ときにはもっともらしくマジメに脚色したんですね。

照れ屋でね。ウンコの話が好きだった。決まって照れているときですね。裏にはマジメなテーマが隠れている。

わたしが・棄てた・女。
何処の一行を取っても無駄がない。

| 2005-10-01 22:07 | 読書系セレクション |


再読するたびに、自分の成長を確認できる小説


錦繍。

再読するたびに、自分の成長を確認できる小説かもしれない。

主人公の男性のように、私も似たようなことで(身体には傷は残らなかったが)心に傷を持ち、妻も命を取り留めたりしたコトがあって、ある意味で連想的に心当たりのようなものがある。

いや、そういうことって、似たようなことを思い浮かべさせるというならば、誰にだってあるんじゃないか。。。

人間は自分には嘘をつけないのだから、時間が過ぎると再読したくなり、再読して傷を見つめるというセンチなことを繰り返しているんです。

うまく書けないけど、考えてても纏まらないから、変なコメントでゴメンナサイ。
---- ----
chica さんのBLOGを読んで。

| 2006-08-17 08:56 | 読書系セレクション |


安部公房と村上龍


安部公房って、私らが大学生やってた30年ほど前には、ブックバンドの陰にひっそりと見えるように持って歩いてたりして・・・・
まあ、それは、石川達三などもそうで、学生のステータスみたいな作家だったよなー。
今でいうと東野圭吾や恩田陸のようなものであったのかね。
父からすると、何をコイツら流行りもんばかり読みよって・・・・みたいな感じだったのでしょうかねぇ。
しかしながら、時代を超えて眺めてみると、十羽一絡げで考えてもそれは間違いで、いいモノは普遍性を持って生きていますね。
若者にそういうのを、自信をもって薦めてあげられるよう、みなさまのご意見、ドシドシ、お待ちしまーす。

村上龍が、コインロッカーベイビーズを出したときは、書店の棚にも積み上げられていて、その日に買ったのを覚えています。貧乏な学生で、普段は古本しか買わないのに、相当、惹きつけるものがあったんだろうな。限りなく透明に近いブルーが時代をまさに表すのですが、現代学生では想像できないような、不安感や不満足感に満ちていて、そのくせ不自由はそれほどしていなかった。貧乏をそれほど恥ずかしいとも思っていなかったなあ。あの頃。
| 2007-12-02 08:17 | 読書系セレクション |


若きウェルテルの悩み


高校時代。

いつも、放課後の坂道で駆寄ってきて駅までいっしょに帰ってくれる女の子が、小椋佳の唄を貸してくれたことがあったなあ。
その子は、若きウェルテルの悩みも貸してくれたことがあったよ。
本なんて読まない奴だった僕は、最初の行を読んで振られたんだと思ったね。

| 2007-06-20 08:55 | 読書系セレクション |


また、鎧駅のこと


駅には人の姿など無くてね、寂しかったけど、ひとり占めできてよかったなあ。
ディーゼルが入ってきて、人がぱらぱらと動いて、また、ゴーっという音ともにトンネルに消えてゆく。

排気ガスが少し煙たい中に、静けさがじわっとやって来るのよね。
| 2007-06-18 21:34 | 読書系セレクション |


再読するたびに、自分の成長を確認できる小説


錦しゅう。

再読するたびに、自分の成長を確認できる小説かもしれない。

主人公の男性のように、私も似たようなことで(身体には傷は残らなかったが)心に傷を持ち、妻も命を取り留めたりしたコトがあって、ある意味で連想的に心当たりのようなものがある。

いや、そういうことって、似たようなことを思い浮かべさせるというならば、誰にだってあるんじゃないか。。。

人間は自分には嘘をつけないのだから、時間が過ぎると再読したくなり、再読して傷を見つめるというセンチなことを繰り返しているんです。

うまく書けないけど、考えてても纏まらないから、変なコメントでゴメンナサイ。
---- ----
chica さんのBLOGを読んで。

| 2006-08-17 08:56 | 読書系セレクション |


夏休み…近し、か


■ 明治時代の文学を読んでレポートを書く
いやあ、先日、娘の下宿に遊びに行ったら、明治文学史という本があって、これがオモシロイ。文学史というのは結構ためにもなります。

それで、何故、そんな本が部屋にあるのかを問うたら、夏の課題が明治文学を読んでレポートを書くことだそうです。粋な先生ですね。

明治、大正、昭和(戦前、戦中)の文学を読むことは、文学を使命としている人には欠かせないのでしょう、というより、読みたくならねば文学部の要件を欠く可能性もあるぞよ。

私は電気通信工学科(今は学科名が変わってしまったよ、悲しい)ですので、文学であれこれいえるモノではないのですが、私らが科学技術史概論学んだのと同じだろう、そう思っていますが。

と言うわけで
◆ たけくらべ にごりえ
を買ってレポートを書いたらしい。

レポートといえば、近頃はPCで書きますが、私はあくまで「手書き」を要求します。鉛筆を舐めて書いてこそ価値がある。(思考する脳が働く)

実は、私は
■泉鏡花 歌行燈・高野聖
を薦めたのだが。。。

試験が28日の終わるそうですから、そしたら、江國香織と重松清(どちらも新潮文庫の100冊)に取り掛かるのだろう。それもいいですね。

----

こんなことをコミュに書いたその次の日あたり、試験の終了日を幾日も前にして「前期お疲れ様会」というのを友だち6人でやったそうです。

その娘、もうすぐmixiに来るそうです。

※娘の友だちの皆さん。足跡つけて???と思わせただろうな。気づいてない子も多かろうが。ゴメンナサイ。

| 2006-07-25 21:58 | 読書系セレクション |


吉野山散りはて果てに西行庵


吉野の山はブナ科の広葉樹林とヒノキの針葉樹林でまだら模様になっている。
山桜は散りはてて、新葉を噴出し小楢とその黄緑を競っている。
標高が500メートル近い水分神社付近の展望台から蔵王堂を見下ろしながらいったん小休止をした。
そのあと金峰神社を抜けて15分余り、立派な登山道を歩くと西行庵がある。
奥千本の最後の花びらが谷をキラキラと舞い散る。
| 2005-04-27 17:23 | 読書系セレクション |


七重八重花は咲けども山吹の みのひとつだになきぞかなしき


みのひとつ・・・実のひとつ ですね。

今頃の季節になって山吹の花が綺麗に咲いているのを見ながら、母がよく話してくれました。

 七重八重花は咲けども山吹の みのひとつだになきぞかなしき

という歌があってな。
これは、太田道灌の話でな。
どこぞの山の中でにわか雨におうて、ある民家に雨宿りに寄ったのさ。

「急な雨にあいました、すみませんが、蓑を貸してくださいな」

と玄関で言ったのよ。
そしたらソコにあるオナゴシが出てきて、山吹の花を出したんや。

道灌は、ワカランわけや。
そのときに

 七重八重花は咲けども山吹の みのひとつだになきぞかなしき

と詠んだのかな、このオナゴシは・・・

山吹には、八重にさくものがあってな。
その花は実を結ばんのよ。
太田道灌は、その晩、家でじっくり考えて「ああなるほど」と思うたそうや。

※母はこのように私に話してくれまして
何度も何度も子供の頃から聞き教えられてきましたので、この「山吹」のうたは耳に焼きついております。

後になって詳しいことを調べますと、後拾遺集に醍醐天皇の皇子、中務卿兼明親王の詠んだうたであるいうことで、その場のオナゴシが詠んだうたではなかったのですが、この話は、親から頂きました大きな遺産ですね。

思いは、必然的に後醍醐天皇にも広がります。
そうすると、当然、今の季節、吉野山の桜は今が満開でしょうし、思いをそちらに馳せることになります。小楢の新芽と山桜が山を覆いつくすでしょう吉野山。後醍醐天皇の無念を感じに県境を越えたくなりますね。
| 2005-04-20 12:17 | 読書系セレクション |


この杯を受けてくれ・・・・


勧酒

勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生別離足

この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとへもあるぞ
さよならだけが人生だ
【井伏鱒二訳】

----

別れといえば、毎年、春になるとこの一節を思い出しますねぇ。
そういう人も多いでしょう、きっと。

私も遠い昔、皇居の近くの北の丸公園の桜の花びらに入学を祝っていただき、硬い蕾をつまみあげながら卒業を迎えたのを思い出します。
| 2005-03-31 09:53 | 読書系セレクション |


「山崎方代」という人


一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております 山崎方代

いつまでも転んでいるといつまでもそのまま転んで暮らしたくなる 山崎方代

どんなきっかけで出会ったのか忘れてしまった、どこに住んでいるどんな人かさえもわからない人で、その人のブログがRSSリーダーで僕の元へと届けられて来るようになって幾日も過ぎました。

その人のブログで僕はこの山崎方代のうたと出会いました。
| 2005-02-25 18:29 | 読書系セレクション |


ソクラテスの弁明・クリトン プラトン著 (岩波文庫) (02/10 10:00 )


中高生のときは、少し背伸びをしたい時期だと思う。哲学って何だろうか…と自分なりに考えてみる。こんなことを専攻してみるのも面白いんじゃないかと思ったりする。

学園モノのライトなタッチの青春小説もいい。でも、深夜に、受験勉強からの逃避の一刻などが多かったが、パラパラとめくって朗読してみるのもいい。

記憶に残っていることは、「サッパリわからなかった」ということだけであるが、不思議にも二十歳を過ぎてから再び手にする。あのときに理解できなかった悔しさなど無い。手元においておきたい一冊にしてしまう人もあるに違いない、と思う。
| 2005-02-10 10:00 | 読書系セレクション |


アラビアンナイト


去年に国立民族学博物館に行ってアラビアンナイト展をみた話を書いた。娘も連れて行った。

着々と娘は感化されている。

先日、学校の図書館でアラビアンナイトの本を借りたといって私の机の上に置いていったので少しずつ読もうかと思う。
| 2005-02-09 23:14 | 読書系セレクション |


ないたあかおに 浜田廣介著


鬼さんこちら、手のなるほうへ・・・と外で駆け回る子どもたちの姿も見かけなくなりました。

人々が「怯える」という気持ちを持たなくなったのは、科学が進化したことによって、「鬼」さんなど作り話よ、と思うようになったからでしょうか。

見えざるものに恥ざるは己の心が真(まこと)なりけり…

そう、なんでも手に入る世の中。夢までもお金で買えるのかも知れない。
なに不自由なく暮らせて、裕福であることは、少しマイナスも生んだんじゃないの、っていいたいときもある。

4年5ヶ月ぶりに島に戻った三宅島の人たち。
少々不自由でもソコで暮らせることが幸せだという。
今夜は豆まきをしているのでしょうかね。

>心のやさしいおにのうちです。
>どなたでもおいでください。
>おいしいおかしもございます。
>おちゃもわかしてございます。

人は、心から鬼を失ってはいけないんだよね。

-----
TB:そらいろのドア
読書系にもお越しください。
| 2005-02-03 17:53 | 読書系セレクション |


モモ & はてしない物語 ミヒャエル・エンデ


eデモへの2つの投稿をこちらにも書いておきます。
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◆ モモ ミヒャエル・エンデ作 (01/13 23:08 )
モモ かな。そのように娘(高2)は話していました。
ミヒャエル・エンデ作 大島 かおり訳 ミヒャエル・エンデ絵
岩波から出てますね。
相当に読書人生を変えたみたいですよ。文学部に行くって言い出しているんですから。

◆ はてしない物語 ミヒャエル・エンデ (01/18 18:15 )
こんにちは、読書系ファンのみなさん。
言いだしっぺののじまさんが図書館に陣取って書いてくれるそうなので、私はとりあえず家にある本から掘り出しますね。すぐ品切れになると思うけど。というわけで今日もエンデさんです。
タイトルの本は、ウチのぐうたら娘が大事にしている本です。ずいぶんと深く影響を受けたみたいです。
これからの1年は受験だろう、TVもやめて、本もやめるか、と聞いたら、息抜きに本は絶対必要だと開き直られました。まあ、一理あるか。
父も時間かけて机に向かってる割には全然勉強しなかったからな、仕方ないだろう…。(父の母校のように古本屋街が近いと大変なことになるだろうから、そういう所は薦めないようにしなくては>自分)

| 2005-01-18 18:15 | 読書系セレクション |


「ちくま」と「岩波」


mixi、読書部Ⅰ 「ちくま」と「岩波」のトピックから
--

私が「ちくま」と「岩波」が好きなのは、
何故かわかったようで、わからないようで。

本屋に行くと、
そっちのコーナーで
くつろいでしまう。

向田邦子の関連であったり
山頭火の句集であったり
(ちくま)文学全集の文庫のぞれぞれであったり
(岩波)文芸文庫であったり。

部屋に帰ると
広辞苑がブックエンド代わりに机にドンとある。
第四版だ。
その横に「山頭火句集」がある。

広辞苑は就職して最初の給料で買ったのです。
こういうのを、家宝というのだろう。

私が死んだら棄てられるんだろうな。
この二冊。
それでいいよ。
| 2009-11-27 10:50 | 読書系セレクション |


お好みランチを偶然に


遠藤周作が多くの人々を惹きつけてしまう大きな理由は、「心のやさしさ」であるのだと書いた。

心のやさしさ。
それだけでは小説にはならないから、物語としてどのように纏めるかというのも大きな鍵となる。

安岡章太郎の「舌出し天使」のなかの一節 ― 人の結婚の動機や切掛けは、ひとりの男とひとりの女がデパートの食堂でお好みランチを偶然に食べていたようなことで決まってしまう、ありふれていて如何にもというような偶然で満ちている ― を、何かの解説で取り上げている方があったが、まさに共感できる話だと思う。

人物をスパイラルに交錯させて、物語を熟成してゆく手法は、なかなか真似が出来ないのではないかな。

それでもって、時に熱情に満ちて、とろけるようにリリカルな流れで綴られると、魔術に掛かったように身体中が融け込んで行きます。

「お好みランチ」を食べていた偶然。
これは、素晴らしい言い方だと思う。
私の人生は、この言葉で変わりましたよ。

(mixiへのアップから)
| 2009-11-27 10:06 | 読書系セレクション |


これまでの人生経験の分も


(mixiで、錦繍の読了に触れて)
---
私もオススメしましたよ、この作品。

数多くの作品に当てはまることですが
やはり、学生のころにも読んでおく
(挫折でもいいのでチャレンジしておく)
などと言うのは意味のあることと思います。

大人になって
さらに
もうちょっと大きくなってから
もう一回読んだときに

1回目の感動と
2回目の感動と
これまでの人生経験の分も
感動を味わえますから。

いい作品に巡り会えることは幸せですね。

コミュがお役に立ちますように(祈)
| 2009-02-04 07:53 | 読書系セレクション |


筑紫哲也さん逝く


真っ先に、「アメリカン・マラソン」を思い出す。

次に、朝日ジャーナルの編集長時代か。
売れずに苦心していた。
国民の意識の根底から、不満とか改革の文字が消えていった時代だろう。

人生後半は随分と丸くなってしまったようにも思う。
みんな、そうなるのだろう。

わたしが影響を受けた人たちが人が逝くたびに、そういう時代がやってきたことを知り、刻々とわたしにも順番が近づいていると感じる。

アメリカン・マラソン―米大統領選挙 (角川文庫 (5772))
筑紫 哲也
角川書店
\398

新聞から雑誌、テレビまで垣根を超えて縦横に走り続けた筑紫哲也さん(73)が亡くなった。数少なくなった、戦争を知るジャーナリストの一人。ほぼ半世紀の間、メディアの世界に身を置き、戦後日本の姿を追い続けた。病を背負ってからも、その意欲は最期まで尽きなかった。

朝日はこのようにネットで配信している。

大統領選挙が6年ごとに行われるので、30年前、5回前の大統領選挙のときにアメリカ合州国を駆け回って取材したのがこの本だった。

当時、わたしは学生。
大学の図書館に購入依頼を書いてこの本を買ってもらったのをはっきりと記憶している。(実際には単行本だった)

あの頃のわたしは、「若き血に燃ゆる」進取の気性を持っていた。思い出深い1冊だ。(合掌)
| 2008-11-08 11:58 | 読書系セレクション |


サラサラと乾いた風を感じたら「読書の秋よ」とメールする


◆サラサラと乾いた風を感じたら「読書の秋よ」とメールする

すっかり秋めいてきました。 ぴよちゃんのイラスト

読書の秋。
その言葉はそんなに好きでもないけど

「おーい、今何読んでるの?」

と友だちにメールをしてみたくなる。

昔なら
♪秋の日の図書館のノートとインクのにおい
…だったんだよな。
メールじゃなくて、万年筆で書く手紙だったんだよな。

いい本、みつけたら、一筆下さい。
(ロングセラーでも、ベストセラーでも、何でも)

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イラスト
Copyright(c) 「アトリエぴよ」
Since : 2003, All Rights Reserved.
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| 2008-10-01 08:30 | 読書系セレクション |


他人を見下す若者たち 講談社 速水 敏彦


私の仕事がらみの分野にもニセモノの先生方はたくさんいてまして、こんな教授に教わる学生は気の毒だと嘆きながらも、そんなにいい先生が大半を占めるわけでもないのだから、良いか悪いかを判断する勉強のために、まあ大学には行ってくればいいかな、と覚悟を決めたほうがいい時代なのかもしれません。

そんなニセの先生たちを奉り上げて、政治や経済会やマスコミがはしゃぎ回っていると思うと、もう茶番劇はやめて欲しいと思う。

怒りを起こす気力もないわ。

そんな先生方にしがみついて、コバンザメのように日常を過ごしている人たちの崇高な姿よ。
しかし、私に真似ができるものではなく、誰もがコバンザメになれるわけでもない。
彼らは素晴らしい能力の持ち主だと、ほんとうに尊敬する。

世の中、悪を悪の色、善を善の色に塗ってしまったり、偽って見せている色をむやみやたらに塗り替えてはいけないのだ。

斜めに構えて生きてゆかねば、生きてられないでしょ。

速水敏彦;他人を見下す若者たち (講談社現代新書)を読んでみた。
皆さんも、どうぞ。 初めての、★ひとつじゃ可哀相なので、もうひとつポン★!

近頃、新書というものが随分と身近になってきて、ホンモノの読書家の人が増えたのかと思っていたものの、新書には疑いを持ち続けていた。

中身からピントをずらして連想的に読者を惹き付けけるようなタイトルをつけて、ある意味騙しのような手段、暗示のような手法で、買わなければ手遅れになるような心理に追い込んで、深層にある心理の知的な触覚を擽っていると、感じていた。

長いタイトル。
ベストセラーになりそうなタイトル。
何れも中身は、引き付けられる割には、すっからかんで、漫才のネタかバラエティの話題にしかならない程度のものもあったりした。

新書とはこういうモノではなかったはずだ。岩波のシリアル番号の若いのを引っ張り出してみれば歴然としているじゃないか…。

けれども、根拠もないし、私にそんな論評をする能力もないから、

何となく、新書が軽いモノに変化しつつある。岩波だけが頑張っている、

としか言えなかった。

この本は、いい本です。

私が言いたいことがこの本を読めば分かります。
嘘は書いてありませんでしょう。
分析も正しいと思います。
これで、新書が本屋に積まれる理由も分かるような気がします。

時代は変わったのですね。時代が変われば、昔の時代の人の価値観が適用できなくなり、今の価値観の人は昔をどうしても理解できない状態になります。

私の心の中でモヤモヤとしていたものを理解してもらうには、バッチリです。

(作成日時2008年06月16日)
| 2008-06-20 08:48 | 読書系セレクション |


生態系ってなに?―生きものたちの意外な連鎖


高校を卒業したのち、工学の道を選んだのですが、そこでは数学や物理を基礎学問としていて、高校時代にとても面白かった生物という分野からは遠ざかってしまっていました。

ところが、この歳になって(数年前)理学部生物学科出身の方と仕事をするようになり、フィールドにもちょくちょくと出るようになって、生態学ってオモシロイと思い始めたのです。ところが、生態学なんてモノは俄か勉強じゃ簡単に身に付くようなものでもなく、まあ興味を満足させる程度に留まっていたわけです。

環境が仕事ですから、生物という未知な分野や苦手な化学の分野とも付き合う中で、環境を守ってゆくことや地球温暖化を防ぐことと生物のこととが一体どんな風に関係を持っているのか、実は100点満点ではよう答えんかもな、と不安なこともあります。

生態系って何かという基礎学問の中の「はじめの一歩」を分かりやすく教えてもらえば、後の勉強が変わる。
興味の無かった人が読めば、進学コースは生物学系に、なんて言い出す人が出てくるかもしれない。
| 2008-01-14 12:36 | 読書系セレクション |


安部公房と村上龍


安部公房って、私らが大学生やってた30年ほど前には、ブックバンドの陰にひっそりと見えるように持って歩いてたりして・・・・
まあ、それは、石川達三などもそうで、学生のステータスみたいな作家だったよなー。
今でいうと東野圭吾や恩田陸のようなものであったのかね。
父からすると、何をコイツら流行りもんばかり読みよって・・・・みたいな感じだったのでしょうかねぇ。
しかしながら、時代を超えて眺めてみると、十羽一絡げで考えてもそれは間違いで、いいモノは普遍性を持って生きていますね。
若者にそういうのを、自信をもって薦めてあげられるよう、みなさまのご意見、ドシドシ、お待ちしまーす。

村上龍が、コインロッカーベイビーズを出したときは、書店の棚にも積み上げられていて、その日に買ったのを覚えています。貧乏な学生で、普段は古本しか買わないのに、相当、惹きつけるものがあったんだろうな。限りなく透明に近いブルーが時代をまさに表すのですが、現代学生では想像できないような、不安感や不満足感に満ちていて、そのくせ不自由はそれほどしていなかった。貧乏をそれほど恥ずかしいとも思っていなかったなあ。あの頃。

| 2007-12-02 08:17 | 読書系セレクション |

 

2010年9月 1日 (水曜日)

哀しいとあなたはいうのカナカナの ─ 八月尽篇

八月下旬篇を書いたあと、

(28日)
▼そう、あの子は桔梗のようで、大好き
▼おはようさん、あなたのおはよう逃さない

私は揺れて居るのだ。
まだまだ。

この日、私は、

 あなたとわたしの間には、計り知れない距離がある。

と、殴りつけるように書いて、そのあとを考え続けた。

囲碁に集中するときだって、信じられないほどの長考をしてしまうのと同じように、
私の頭の中では形にならない迷いがぐるぐると回り続けている。

今まで、そんなものに答えがあった試しなどなかった。
会心の一手が生まれたこともなかった。
そうだ。マイナス・スパイラルなんだ。


それでも私は、あなたとの距離を探ろうとする。
あなたはそれを詰めさせまいと、多弁と無言を繰り返す。

その揺れるような惑いに浚われて、私は遠く沖へと流される。


(29日)
▼ちかづかないちかづけないと影を追う

イメージの中で二人は寄り添うてみたり、離れてみたり。
もう二度と会えないほど強烈に弾けてみたりする。

帰り道でスーパーマーケットに寄る。
大きな字で「サンマ」と書かれている。
今年は高値かも、というニュースが流れていた二三日前のことを思い出す。

▼向かい合い秋刀魚二つに割って食う

サンマが一番美味しいね、と言いながらサンマを喰う。
ブリの季節には、ブリが美味しいね、と言えばいい。


(30日)
▼絵日記に明日のキミを書いてみる

高校生が汽車に乗っていた。まだ夏休みなのだろうから、友だちにでも会いに出かけるのだろうが、珍しい時刻に見かけたこともあって、新学期の準備のためにクラブの友だちとでも会うのかもしれないな、などと勝手な想像をしている。

ともかく、夏休みが終わってゆく。


近ごろの子どもたちは、絵日記にスイカを描いたりするのだろうか。


▼絵日記を閉じて明日の秋を待つ

私の八月は何も事件となるような出来事もなく終わっていった。
いや、些細な出来事が絵日記にかけたときほど、私たちは活き活きしていたのだろう。

ぐるぐると回る「距離」のことを考えながら、会えない人を想う。
夕焼けが綺麗な季節になりました、と書いて、手紙にはそれ以上を書かなかった。


(31日)
▼哀しいとあなたはいうのカナカナの

八月が終わった。
さあ、哀しい響きの秋が始まる。

M's Zoom

  • 七月中旬ディズニーランドにて
    M's Days フォト

写真日記(平成28年版)

  • 越乃寒梅
    平成28年の
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写真日記(平成27年版)

  • 伊達巻
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