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2010年8月10日 (火曜日)

武田百合子 富士日記(上巻)

武田泰淳の奥さんである武田百合子の書いた富士日記(上巻)を読む。

ネットでこの本の存在を知り、武田泰淳の奥さんというだけで興味がわき、どんなことが書いてあるのか野次馬的に読んでみようとしたのが始まりだった。
日記であるから、日々の出来事が書いてあるに過ぎず、書いている人(作者)もそこにドラマを作り出そうとか、後になってから本にして売り出そうと考えているわけではなかろう。まして武田泰淳が逝ってしまうまでを綴るものとなるなどとは考えていないのではないか。

読み手のほうが、書いてはいけないような禁句や個人的なことまで書き過ぎていないか心配してしまうほどに、赤裸々で素朴で正直で気まぐれな日記だ。
文庫本には武田百合子の写真がある。だが、日記の中身はこのお顔から想像するような綺麗で上品、上流さはなく、突っ張ったような面さえも微塵もない。昭和39年から40年代を必死で生きている文人の奥さんの叫びと呟きである。

日記には、大岡昇平や梅崎春生、椎名麟三、野間宏の名前がたびたび出てくる。読んでいて嬉しくなって来る。みんな、文学の熱さを感じる。そして、この人もその仲間たちと渦中を必死に生きているのだ。

泰淳を乗せた車を運転して東京と富士桜高原の別荘とを行き来する。雪が降ったらチェーンをまき、故障をすれば修理の段取りをする。何度も何度も車はパンクをする(この当時は当たり前)のだが、全然弱音を吐かずに修理を繰り返す。あるときには、オカマを掘られるという交通事故にも遭遇してる。
そんなことで何一つ弱音も吐かず、泰淳(主人)を愛しているというような表現を別に何処かに書くというわけでもなく、泰淳のために一生懸命に生きていく。暮らしているのが伝わってくる。

毎日、記述されている買い物リストが面白い。東京オリンピックで社会が一気に景気よくなってきたといえども、現代から見るとひとつの歴史的な壁を越え戻ったほどの昔を感じさせる。

物価はおそらく現代の10分の1ほどであろう。大卒20万の初任給時代の今よりも10分の1ほどの2万ほどのお給料の社会を想像してみれば、さまざまな暮らしの様子を読んでいて頷けるところがいくつもある。秋刀魚、野菜、ビールにタバコ、大きな箱で買うマッチ、別荘周辺の工事の費用などなど。百円札が使われていた時代だから、お年玉だって百円札で1枚とか2枚の時代だった。有名人や有名俳優が事故や病気で死に、生活のなかにはデジタル式の時計(そういう言葉は使っていない)が登場する。きっと、冷蔵庫とかテレビというものが台所や居間に置かれていても、それは今の時代の私たちが想像するものではなく、四本の足の付いた小さな白黒のブラウン管テレビであり、氷もロクに作れないドアに鍵の付いている小さな1ドアの冷蔵庫であるのだろう。
そういうところを思い描きながら読み進んでゆくので、話に物語りは何もなくても止めることもないし、飽きない。急いで読む気にもならないので、ほんと座右に置くのに適しているかもしれない。ゆるい文学なのだろう。

富士五湖周辺の様子もところどころ書かれている。
東京への交通事情も書いてある。高速道路のない時代に、普通に道路を走って行って東京からそんなに近いところに富士はあったのだ。昔はこんな感じだったのだ。

列車便や電報で原稿や用件を伝える。電話や車という文明の生んだ機械がどれほどまでに庶民の間にあったのかは不明だが、武田泰淳の日常には車があり別荘があるので、これはそれなりに上流であったのだろう。しかし、そんな彼らとなんら区別なく付き合う近所の村民の姿も日記には書かれている。そんな上流階級であっても、普段の食事は極めて質素で、おかず一品に味噌汁があるくらいで、漬物やサラダなどが書き添えられていることもある。しかし、作者は料理が嫌いというわけではなく、楽しいとは書かないものの、苦痛とも一切言わずに忙しく動き回っている。

そんな生活の中で武田泰淳は何をしているのか。と思うことがある。気をつけて読んでいると、ときどき日記のなかに登場し、この奥さんのどのあたりに居て何をしているかが書かれている。そしてそれは決まって缶ビールを飲んでいるか、椅子に座って怒ることなく何かの事件が解決するのを待っている泰淳である。車の事故のときもパンクのときも、チェーンを巻くときも買い物に行くときも泰淳はじっとしている。

毎日が同じことの繰り返しである、と考えがちだが、何ひとつくどくどしいことも詰まらないことも書かずに、武田泰淳と百合子は別荘での暮らしを続ける。激しく怒ることもなければ、悲しむこともない。幸せなのだ、それが。

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