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2010年7月19日 (月曜日)

廊下と老化、のあとに考える

このタイトルの意味は深いな。
自分でも妙に納得していたりする。

---

先にあった選挙の結果から様々な問題提起が投げかけられている。しかし「厚み」と「深み」を備えずに、三面記事的な世間の騒動としてこれらを受け止め続けて、果たして社会が改革できるのか。私たちの暮らしが変わってゆくのか。そんな疑問も残る。

「美しい国」のいう言葉があった。その総理大臣の政策を責めるのはなく、朝日新聞が面白おかしく書いた(逆読み)「にくいしくつう」を喜んで使いまわした。「憎いし苦痛」国民は豊かさボケを早く解消し、苦痛を覚悟して暮らしに挑まねばならない時代が来ているのに、国民のご機嫌をとり顔色を眺めているようでは社会改革は出来ない。


国民は消費税率のアップにノーと言った。簡単にノーと言える時代である。
賢人でもアホでもボケでもカスでも、ノーと言えば通る。

或る平日の昼間に市内の有名なケーキ屋を覗く機会があった。小奇麗にした若い奥様が子どもを学校にやっている間にお茶をしているらしい姿に出会う。「豊かさ」を象徴する光景であった。

その日の夕刻に市内のはずれで、遠距離にある山村地区への送迎スクールバスを待つ小学生たちを見た。猛烈な夕立の中、バス停になっている空き地の片隅で傘を差してバスを待っている。傘はもはや役に立たないほどの雷雨だった。

若い奥様方に子ども手当てを支給するのも必要なのかもしれないが、スクールバスを待つ子どもたちに雨除けにも日除けにもなる屋根を作ることも必要だ。

「豊かさと満足度」という遠大なテーマを考え続けている。

そのことを一緒に考えて下さっている皆さんには、私がいう「厚み」と「深み」を理解してくださると思うが、こういうことを深く掘り下げる思慮力の格差は深まるばかりだ。

物理的な1票の格差も確かに課題かもしれないが、考えて判断する力の格差が開いたままそれを平等に1票として投じて、政策を捻じ曲げてゆかれては、マジメにやっている方としてはたまったものではない。

前政権だった鳩山氏は〔正しいかどうかは別論議として〕素晴らしい政治思想と政策力をを持ち合わせていたのにもかかわらず、その有能さをたたえる声が少ないというのは、物事を俯瞰的でかつ対論からも正確に分析する視点を、社会の大多数(いわゆる国民)が失いかけているからではないか。マスコミも一部が営業成績至上主義的になりつつあるともいえるかも。(すべて情報化社会が悪いとまでは言わないけど)


環境破壊、労働問題、子どもたちの受験や就職問題、老後の不安、課題など。解決すべき問題は山積していることのすべての源流に、経済社会構造の崩壊があると考えてゆくことに間違いは無いとは思うものの、「豊かさ」によってダメになってしまったコチラ側のほうも大きく反省しなくてはならない。


ケーキを食うなと言っているのではないし、タダだからといってイイ気になって高速道路を走って得した気分になっていてはイケナイと言っているのでも無い。

環境についていえば、あらゆるところで一生懸命に知恵を絞って努力をしている人がいる。海岸を清掃して歩いたり、通勤をマイカーから公共交通機関へと(たとえ月に数日でも)代えてゆこうとする人たちがあったり、雨水を利用したり緑のカーテンを軒に作ったりするささやかな行動もある。

高速道路は、夢の道路だ。僻地から、またはそちらへの人やモノの輸送に欠かせない。高齢化に備えての救急体制や防災体制を社会に築く必要性もあることから、高速道路を利用すれば僻地の医療体制を都市に近づけることが出来る。つまり、救急病院や日常の通院の人々は、安くて便利な高速道路を利用すれば安心感と実益も得られる。高速道路に公共交通機関としてのバスなどを定期的に走らせてゆけば、高速道路というものが地方都市の構造や広くは地域の構造も変化させてゆき、今よりも優れた環境で住みよい社会が出来る。

豊かな暮らしは、限られた狭い社会の人々や個人が都合のよく身勝手に暮らせるというものではないはずだ。何故ならば、もしもそのようなシステムを実現した人々だけが地域社会を構築したら、すなわちその社会は分裂して成り立たなくなってしまう。人はお互いを畏敬の念で尊重し助けあいながら存在している。「豊かさと満足度」という魔のような甘い汁を、思慮分別して切り分け棄て、一方で苦痛を受け付ける社会が来ていると思いたくは無いものの、仕方ないが、そういう風に考えねばならないのだ。それは、自分が過去に犯してきた罪を今になって償なわなくてはならないことを意味する。

高速道路がわかりやすいので話題になる。それを例に考えれば、何事においても「厚み」と「深み」を持った戦略構想を練ってから、ということになる。もしも。深い考えのもとでの高速料金の値下げなり無料化であったら、この政策はもう少し評価が高くなったのかもしれない。



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続・豊かさと満足度2008年7月 1日 (火曜日)
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