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2010年7月14日 (水曜日)

物事の対論をじっくり考える

偶然に通りかかった或る人の日記に、楽天・三木谷氏「英語がダメならクビ」で大論争、について書いておられたので、なんだか、溜まっているものを少し纏めてみましたが。上手く出来ないので修正加筆ありかな。

対論をじっくりと熟成させるには、面白いテーマかもしれません。

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違った視点のかたがたが世の中に存在するのを知り、意見に耳を傾け考えてみるのは大好きです。

今の世の中「××のできない奴は○○だ」というタイトルの本が新書でも売れる時代なんですね、という事象を前置きとして頭の片隅に置きながら、様々なことが浮かんできます。

私の英語の検定は2級やそこらでしかもそれは二十歳前にとって30年以上も風化しているので何の役にも立た無いですけど、外人さんが京都の駅前で困っていても、平気で何が困っているのか訊ねかけて、そのとき会話が成り立たないほど英語が喋れないの事に気づくわけです。しかしながら、いまだに英語を話そうと思ってお金を掛けて勉強しようとし始めたことは無い。なのにまた、再び平気で外人さんをアシストしようとしてしまう。

(副業にしていた翻訳業も看板は下ろしてしまったし、特許の英語もほかの技術の英語も、一生懸命読まなくてもいいや、そんな仕事は嫌と、殺伐感をいくらか持ったりしてます。ちょっと我儘でアホな奴ですが)

まあそんな奴ですので。

英語に関する世の中の考え方は、冒頭に書いた書籍のタイトル的な論理の暴走だと思っています。ですから、その暴走には「英語なんて話せなくても仕事は出来る」という言葉が生まれるわけです。

私の職場は、英語で資料を書いては、必要とされるとき以外は、いけないと思いますし、そんな必要も無い。英語を話せなくてもまったくといっていいほど困りませんね。

(そうはいっても、何年か前に新入できたS君は、ボクが同期でTOEIC一番最低点でした、450点です、前例が無いと言われました、などと話してたから、みなさんちょいとした英語でびびったりはしないと思うし、おそらく高校時代はクラスで5本指に入るような位置を走っていた連中ばかりだから、必要になったら話せるように勉強すればいいから、と考えているのかもしれない)

国内の殆どのエリアで、普通に仕事をしている限りでは、英語は要らないし、要るようにならないし、要るようになってゆく文化を創ることもそれが必ずしも正しい策とは思えません。これは英語を否定することではなく、そういう見方ができなければならないというだけです。

では、英語を否定するかというと、義務教育で習ってきた英語は非常に役に立ってきたし、数学も役に立ってきたので、(同じように数学についても叫んで欲しいとも思っているが)、今までのように継続して教育して欲しいと思いますね。英語を読むことや触れることで、磨き上げられるその人の感性は、点数や言葉ではなかなか表現が難しいのですけど、高校時代に大学受験などで触れた英語は基礎教養として30年過ぎても知の基盤となっているのだと思います。

日本中がひとつの書籍のタイトルのような「言葉」に流されていくこと自体が怖いです。そんな世の中の流れが。

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