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2010年7月30日 (金曜日)

富士日記 少しずつ

武田泰淳の奥さんの武田百合子;富士日記

少しずつ読んでいる。

図書館への返却日が近づいているが、延長間違いなしってことで、ゆっくり読んでいる。(通勤列車のお供)

昭和41年の、近所の子どもにあげるお年玉が、2百円であったり、エンジンを手動でかける苦心をしていたり、梅崎春生が病で倒れたり。

年賀の切手が5円であったり。

食べ物もすこぶる質素だ。

ポチッとよろしく!

ポチッとよろしく!

ポチッとよろしく!

このボタン。おもろいなあ。

【銀マド】語録 から


かの時に言いそびれたる


かの時に言いそびれたる大切の言葉は今も胸にのこれど 石川啄木

こんなメモが出てきた。
はて、そのときの私が思い出せない。

| 2010-06-18 22:28 | 語録 |


真っ赤なバラ


(君には真っ赤なバラがよく似合いそうだと書いたメールの返事で)

真っ赤なバラって、
慣れない花屋に立ち往生の男性が苦し紛れに選ぶものやと思っとった。

| 2009-06-13 22:13 | 語録 |


猫みたいに


(君は猫みたいだと書いたことを読んで)

猫みたいって言われて喜ぶ人がおるんかな。
想像つかん。

おまえのことは人として理解できないって言われたら、悲しくなるだけやと思う。

| 2009-06-12 22:13 | 語録 |


青年は荒野をめざす から


青年は荒野をめざす(五木寛之)のレビューを書いて、
またまた、時間ができると断片的に読んでいるのですが。

赤鉛筆で線が引いてあったので、書き留めておきます。

--

わしの辞書には、挫折なんて気の利いた言葉はないぞ。あるのは、失敗という単語だけよ。一度失敗すれば、もう一回やりなおす。それが、人生というもんじゃろうが
(1976年11月15日第4刷:P70 )

| 2009-03-01 11:38 | 語録 |


演歌とは何か


幻の光(宮本輝)の解説に

いったい演歌とは何か。軽く流行歌だと答えてしまう人は、人生を知らぬ人である。そして決して詩人とは成り得ぬ人であり、ひいては小説の核に生涯近づけぬ人である。

と、引用してあった。

思わず、そうや!と、呟く。

| 2008-12-11 21:43 | 語録 |


人間の声は化粧もできんし、衣装も着せられん。


長崎ぶらぶら節、文春文庫185ページから;

人間の声は化粧もできんし、衣装も着せられん。しかし歌う時とか芝居をする時、または嘘をつく時、人の声は化粧もすれば変装もする。この時に品性が出るもんたい。上手に歌おう、いい人に思われよう、喝采を博そう、そういう邪念が歌から品を奪う。

もちろん、ここだけ読んでもわからない。でも、全部を読めば引用した私の気持ちもわかりましょう。

林扶美子の「放浪記」を読み終わったときと似た感動がありました。中身やジャンルはまったく違いますが、時々、朗読をしてしまいたくなるような小説です。

| 2005-08-16 20:45 | 語録


静かな勇気


自分の弱さを感じるなら、思い切って他人に告白なぞできぬくらいに徹底してひとりになってみなくてはならないと思う。

そして、その時に心の底からわき上がってくるのは、他人に甘えたい気持ちではなくて、どんなお涙頂戴とも無縁な、ひとりで生きてゆこうとする静かな勇気だと思う。

〔歌人・文明評論家:村上一郎〕

Tags:勇気

| 2005-07-19 21:39 | 語録


才能を発揮するエネルギー


才能はみんなあるんですよ。

問題は、才能のあるなしじゃなくて、それを発揮するエネルギーがあるかどうかなんです。

持っている自分の才能を恥ずかしげなく出すとか、人一倍働くことによって出すとか、声を大きくして出すとか、それですぐに挫折してうじうじしない、そういう活力がないと才能は発揮できないんです。

--

この言葉は、NHKの「トップランナー」という番組で宮崎監督が話された内容を書き留めたものです。

---------

そのまま引用させてもらっちゃった。奥の深いBLOGですね。

| 2005-05-26 22:23 | 語録


脇目をふらずバカみたいに


その昔、私の師匠が

一生に一度くらいは、死んでしまいそうだと思うほど勉強することが必要だ。脇目をふらずバカみたいに勉強できるような幸せと、一直線な気持ちを、長くなくていいから、1年でいいから、持って時間を棄ててみる。美しく、意味も深い時期を過ごしてみなさい。

というようなことを言ってられました。
重い言葉だとも思う。

| 2005-05-17 19:39 | 語録


予感


不思議なものです。
近頃胸騒ぎがしましてね。

Mさんがなんだか近くに居るようなざわめきを感じたのです。
そう!…何かの予感がして、ざわめいたの。

チューハイの氷がカタンと訴える (ねこ作)

---

チューハイの氷がカタンと訴える

| 2005-05-09 09:26 | 語録


自分のなかに淀んでいるもの


「月光の東」の第二章が始まったばかりで

きっと人間は、自分のなかに淀んでいるものをさらけだしてしまわないと、他人の言葉を受け容れることができないのであろう

とその一節に書いています。

読むときの自分の心の状態にもよりますし、もちろん前後があっての話ですが、輝さんはこういう具合にさり気なく、ひとつの摂理を書いてくれます。

| 2005-05-05 22:00 | 語録


心に旗をたてる


・心に旗をたてる。
・片時も忘れず抱きつづける。」
・一歩でも近づこうと地道に努力する。
・旗の大きさが、その人生を決める。

---

守屋先生から

| 2005-04-24 07:48 | 語録


学問は静から、才能は学から


優れた人は静かに身を修め、徳を養う。
無欲でなければ志は立たず、おだやかでなければ道は遠い。
学問は静から、才能は学から生まれる。
学ぶことで才能は開花する。
志がなければ学問の完成はない。

--------

今日のそのとき歴史は…の中での、諸葛孔明の言葉です。
ちょっとメモしておこう。

| 2005-03-16 23:31 | 語録


一本の道


谷川浩司著 復活

「何度も何度も負けたとしても、自分の道をひたすら歩き続ければ、やがてそこに一本の道が拓けてくる」

これは谷川浩司さんが「復活」という本の中で書いている一節です。

| 2005-02-27 22:29 | 語録

 


夢を追い幸せを食べる虫


ふと、昔を切り出してみた・・・・

---

未知なるものに好奇心を向けて、様々な方法によってこの欲求を満たそうとしてきた。そんな気持ちを殆どの人は、もともと持っているのではないだろうか。

山の向こうには何があるのかと、日没になると母親に尋ねた子どもの頃の方が、今よりも遥かに私は、学者だったようだ。

子ども心を棄てきれずに「夢を追い幸せを食べる虫」(自称)である私は、前にある未知なるものを見つめられるよくきく眼と、それを輝かせるに足るだけの涙を、今年もまた追いつづけることになるだろう。

〔1983年新年決意文から〕

| 2004-11-24 23:11 | 語録


いつも空を見ていた


いつも空を見ていた

好きだった人
いつも空を見ていた
飛行機雲が見えたら家まで電話をかけてきた
おまえの部屋の窓からも見えるかーって尋ねた

好きだった人
夜になっても空を見上げていた
星の名前なんか知らないけれど
天文学者になりたいなとつぶやいていた

いつからかわたしも空を見上げるのが好きになっていた
言葉に詰まるとそっぽを向いて空を見た
いつも青空ばかりじゃなかったけれど
そんないくつもの顔を持った空がわたしは好きだった

雨がやんで小鳥がさえずりはじめると
緑の新芽を精一杯に吹き出した森の雑木たちが
ざわめき出すような気がした

峠には木霊が棲んでいた
太陽が差し込み
雨のしずくがきらりと光った

あいつはいつものように空を見上げて言った
別れのときが来た
新しい道を歩もう

空は青く
飛行機雲さえなかった

(2001年4月10日塵埃秘帖にて)

| 2004-11-04 09:48 | 語録


イ周儻不羈


イ周儻不羈

同志社大学の創設者である新島襄の遺言のなかにあるこのイ周儻不羈という言葉こそ人間の精神の理想だ、と司馬さんは考えていた。

-------

10月24日産経新聞 司馬さんは夢の中(23) 福田みどり

いやあー、記事の全文は新聞を探して読んでいただくとして
この一節は何処かにメモしておきたかった。

みなさんにお伝えするとともにここにメモしておきます(笑)

※イ周儻不羈(てきとうふき):はっきり自分の意見を持って、人に左右されないこと

| 2004-10-30 09:44 | 語録


この旅、果てもない旅のつくつくぼうし(山頭火)


山頭火の句集から
この旅、果てもない旅のつくつくぼうし 山頭火 

昭和15年の作品だ。

---

あれほどまでに執拗に旅を続けてきた私が
長い旅をやめてしまったのには理由がある。

でも、そのことが正しいのか正しくないか、を考えると答えに迷いがある。

ほんとうの答えを導き出せるときはいつ?
そう、
再び、旅を始めるときだろう。

ツクツクボウシが鳴いている。
今年の秋は早ょうくるわ、と母が言っていたな。

| 2004-08-16 08:33 | 語録


静かな勇気


〔歌人・文明評論家:村上一郎〕

自分の弱さを感じるなら、思い切って他人に告白なぞできぬくらいに徹底してひとりになってみなくてはならないと思う。
そして、その時に心の底からわき上がってくるのは、他人に甘えたい気持ちではなくて、どんなお涙頂戴とも無縁な、ひとりで生きてゆこうとする静かな勇気だと思う。

| 2004-08-15 16:57 | 語録

2010年7月28日 (水曜日)

銀マド:手紙篇

雨あがり

諦め

雨あがる。ため息混じりに空を見る

蛍火

もう貴方には

コンコン、トントン、コンコンコン

抱いて

果てしなく、恋文

最後のメール

おはようと言う

雨音や花は如何にと目が醒める

夕焼け

くるくると紙くずかごへゆく手紙

ふりだし

まちぶせ

入り江

ぽかぽか

冬枯れ

うたた寝を

おい!

木枯らしの前にあなたに伝えたい

僕には君が見えなくて

毒薬

たそがれ

たった今

まあちょっとあなたに手紙を書いてみる

ねぇ

チュ

夏のあなたに

僕は風さ、あなたの傍を

あなたが壊れてしまっても

ほら

あの黄色の花の姿が。

静かな雨

大人になる…

引き潮よ、伝えておくれ

こんやは気障に

風に吹かれて

宮本輝のところで足跡を

前略 雪でした・・・か?

〔ひと息つこうか〕

弱虫

振り返る

ちかごろ僕は

七夕の日に、或る人に

ひとつだけ何を語るか蛇苺

薔薇

突然の別れ…

遠藤周作のこと

宛て名のない手紙

続 手紙のノートから

前略。Y子さん

儚き出会い/キリマンジャロ

自分に向かって語って・・・

早死コース

激動の時空をゆく

信管

うたた寝

お盆やね

6月の挨拶


雨あがり


雨はあがったのですね。

届けたい。雨上がりに涼しい風、優しい手紙、キミの声

| 2010-07-14 18:48 | 手紙 |


諦め


恋愛かもしれないし遺言かもしれない。

遺言。伝言。恋文。おぼえがき。うらみ、脅迫、未練、諦め。

| 2010-07-14 18:45 | 手紙 |


雨あがる。ため息混じりに空を見る


夜になると、私の思いを夜空に向かって、メールでもテレパシーでも霊感でもなんでかまわないから、放出したくなってくる。憎たらしくて可愛くなくて嫌いな奴。・・・会いたいな

| 2010-07-03 21:57 | 手紙 |


蛍火


蛍火の見果てぬ夢のまどろみの 君の面影またと逢えぬか

| 2010-06-09 09:31 | 手紙 |


もう貴方には


もう貴方には届かない手紙を書いている。

本当は叱られたかったのかもしれない。
咎められたかったのかもしれない。

でも、今はもう過ぎ去ったこと。

貴方に届かない手紙を、
いくら書いてみたところで

風が誘ったこの恋は
今は乾いた海の上。

波間を漂い
いつかあぶくに消えるだけ。

| 2010-05-27 20:53 | 手紙 |


コンコン、トントン、コンコンコン


あの人にも、この人にも、
コメント(感想)を伝えたいのに、
まとまらないんだ。

机をコンコンとペンで叩いたら気持ちが伝わるといいのに。

コンコン、トントン、コンコン。

何も恋の話ばっかしじゃない。たまには生き方の話もするよ

| 2010-05-19 09:22 | 手紙 |


抱いて


もうメールは届かない。

だって、私は、貴方からの最後のメールへは返事を書かず、大事に抱いているのだから

Tags:未練

| 2010-04-14 12:37 | 手紙 |


果てしなく、恋文


今夜は貴方に手紙を書いて、酔わないお酒に酔いたくて。
カテゴリ名を再び「恋文」に戻しました。

果てしなく続くの。

| 2010-04-06 19:00 | 手紙 |


最後のメール


きみがくれた最後のメール、きのう消してしまったよ。
手紙と違って破り捨てられないのが、悔いな。

今でも好きなのかも知れない。

| 2010-04-03 18:17 | 手紙 |


おはようと言う


「おはよう」
もしかしたら、わたしの気持ちを心を込めて貴方に伝えるために、この言葉ほど素晴らしいものは他にはないかもしれない。

そんなことを紙切れの隅っこに書きながら、もう、メールはしなかった。

---

わたしは貴方に伝えたいことはすべて伝えたし、貴方もそれをたぶん知ってくれて、伝えるべきことは伝えたし、なるようになったのだと今更ながら思う。
ただそれだけだ。

--

わたしは、あの人と日常の何気なくて他愛ない話をするのが好きだったし、そんなメールの返事も期待したかもしれない。でも、それは、その人が一番最初に言った「滅多にメールの返事は書かないから」という言葉どおりの結果になっていった。

私は、男の人ってバカですね、というあの言葉ばかりを繰り返している。
バカなのだ、男ってのは。

| 2010-04-03 10:13 | 手紙 |


雨音や花は如何にと目が醒める


前略、雨ですね。

夜通し降る雨の音に、ときどき目が醒めます。
そんなことは今までなかったのに、貴方が遠くに行ってしまったことが頭の中から離れないせいで、眠れないのかもしれない。

貴方はまだ小さな寝息を立てて眠っていることでしょう。
今朝は波の音も雨の飛沫に消されてしまった。

Tags:センチメンタル 未練 泣き言

| 2010-04-02 05:03 | 手紙 |


夕焼け


どうして、キミと言葉を交わした日の夕暮れは、いつだって、こんなにも赤いんだろう。

もうお別れが近づいているというのに、春の風は冷たく、空は燃えてる。

僕は新しいドラマを作りはじめなくてはならないのだね。

| 2010-03-26 19:28 | 手紙 |


くるくると紙くずかごへゆく手紙


いかがな休日をお過ごしでしょうか。

今日はいい天気ですね。暖かい部屋にいたらあなたに手紙を書きたくなりました
少し、イライラっと、長い手紙が書きたくてね。だって、近頃は短いメールばかりだったでしょ。

だから、今日の手紙は長いよ。
だから、全然意味のない手紙だよ。
だから、捨ててもいい。

わがままで書かせてね。

--

あなたを好きになったころは、もう話がしたくてしょうがなかったけど、あなたの住む町で二度三度と会ううちに「ああ、私からはとても遠い人なんだけど、とっても大事にしたい人だ」って、あなたのことを思うようになったのですよ。

好きなので誰にも渡したくないみたいな感情も持ってしまったことがあったけど、今は素敵な恋人がいて僕にもその人をそっと教えてくれて、たまには惚気てくれたりする…そんな話も聞けるような、友達みたいな人であって欲しくて。

次女でしょ。だからきっと負けん気が強くて、インテリ好きで、面食いで、とか…想像したことがあるのですが、もう今は気にかけてない。あなたの性格なんかどうだっていいわ。

やっぱし知りたいと思うことがあるものの、僕よりもずっとオトナで、別世界にいる人だから。
あなたって人は、何と言うか、後姿ばっかしを追っていて追いつけないみたいな感じですね。

冷たくして、私を寄せ付けないような一面があって、それはそれで悲しくもあり、悔しくもあるけど、それでいいのだ、そういう人なんだからって思ってます。そんなことを考えていると、どこが好きなのかわからなくなる。

でもこのごろは、短いメールを書くようになったからか、ときどき返事をくれるので喜んでいます、単純に。

ただ、短いメールばっかし書いてると溜まってくる感情のようなものがあってね。今日はこんなことを書いてるけど、そう!取り留めのない、消えて行くような話しをしたいぃー、と思っているみたい。

あなたは、少し話をしていると、疲れたように話さなくなってゆくような気がするので、無理に誘うのは嫌なんですが、気兼ねなく飽きるほど一度だけ話したいなー、なんて夢のようなことを考えてます。

こんなに長いメール。
久しぶりね。
届くのかな。

| 2010-01-30 13:12 | 手紙 |


ふりだし


流れてゆく時間を追うことはやめられない。
だから、流されたままなのです。

でも、ずっと何かを書こうと思っているので
頭の中にはいくつものメッセージが過ぎてゆくのよ。

書き留めないと…と思っている間に、また時間が過ぎて。

めまぐるしく目の前が変わっているのです。

あの一瞬を
どうにかして、取り戻したいと思う。

深夜に頑張ってみても
また新しい感情が起こり始めていて
あのときの感情は、戻らない。

私たちは
そんな渦巻きのような時間の中で
振り出しに戻ってみたり
戻っていても気づかないままであったりしながら

どこか新しいところへと彷徨って行きたいと思っている。

時間を止めようなんて
考えた自分がバカだった。

狭い空間を彷徨うの。
こうして夢を見ながら、消えてゆくの。

| 2010-01-30 10:30 | 手紙 |


まちぶせ


ただいま

なんだか日記みたいなメールを書いてます。
いつも。

ブログの押し売りみたいな感じで
でも
きっと読まずにポイと棄てられてるような気もして
確信あるので
イジケてみたり。

話すことなどないから
変にチャンスが出来てしまうと困るんですけど
でも、会えれば嬉しいもので

先日も
まちぶせ、っていう歌があったのを思い出して
私はその歌詞とは全然違うシチュエーションですけど

あなたを
用事もないのに
追いかけたくなって
いや
まちぶせたくなって。
(おいおいストーカーじゃんかい)

手帳に
「諦める」
って書いて、
これをテーマに何かを書こうと思ってみたり。

♪好きだったのよ あなた 胸の奥でずっと

歌謡曲が急に思い浮かんできたのよ。
そしたら、
意味もないメールをまた書きたくなった。

私のブログは
グルグル廻る。

廻りながら、
昨日は元気なさそうなうしろ姿だったけど
今日はそうでもなかったから

だから、
「・・・」

僕、何て叫んでしまったのかな。

Tags:センチメンタル

| 2009-12-08 22:13 | 手紙 |


入り江


あなたの家がひっそりと佇む小さな入り江を、
夏の初めに二人で少しだけ散策できたのは
私にとってとても幸運なことでした。

あの日もちょうどお昼が引き潮でしたね。
(今日も正午がそうです)

あのときから私はあなたの住む街のHPやスナップ写真を
気に掛けてみるようになってしまいました。

素敵な街ですね。
とっても好きになりました。
ありがとう。

冬枯れの季節になりましたが、
また、一度、あの静かな湾の景色を見に行きたいな、ってふっと思いました。

今度行くときは、砂浜を向こうの方まで歩いて行ってみたい。

*

今日は、雨ですね。
冷たい雨。

親友の奥さんが先日亡くなりました。
まだ、50歳くらいだと思う。

師走の新聞記事にも訃報が目立つような気がするのは、偶然だとも思うけど、年の瀬に悲しみを添えるのは嫌ですね。

| 2009-12-05 19:11 | 手紙 |


ぽかぽか


素敵な笑顔
ありがとう

雨降り
木枯らし
ショーウィンドウ
乱れる髪
うしろ姿
トレンチコート
ハイヒール
雨上がり

キミ
好き

| 2009-11-17 19:12 | 手紙 |


冬枯れ


お風呂嫌いの私が湯舟に浸かっているのを愉しみにする季節になってきた。
外は冷たい風が吹いていたけど、ガラスのこっちは暖かい日だった。

--

僕はあなたのことがわからないままで、そのことがとても残念だった日もあったのですが、この頃は違ってきてるんです。

B型の女の人を思い浮かべては気まぐれな女性を小説のヒロインにしてみたり、ときには男嫌いのツンとした女性に変えてみたり、あるときは、すばしこくて抜け目のないちょっと意地の強い女の人をドラマに登場させ
てみる。

あなたと似てるとか似てないとか、さっきも書いたように全然わからないので、僕は勝手に想像してまったく違った像の女が登場するシーンを想像できる。

イケナイ奴だなと思いながら、少し遊んでいる。

最初は恋よ。前にも書いたけどね。でも、どう転んでも誰も幸せになるものでもないし、実現できるわけでもない。そんな恋が世の中に存在しえるのかって考えて、そういうのは恋とは言わないんだと思えるようになってきてね。そしたら、今まで書いていた短い物語に素敵な女の人を思い浮かべることが出来るようになってきた。

その人は、淡いピンクが似合うんだ。
ハイヒールは似合わない。
髪は短くてボサボサで、ちっとも可愛くない。
頑固さを内にしっかり秘めていて、意志も強い。
見栄っ張りで、インテリで。
少し弱いところもあったほうがいいかな。
・・・なんて。

背が高くてスマートで、冬枯れのトレンチコートを着ていつも颯爽と石畳の坂道を歩いてゆく・・・。

*

なんだか
メールを
書きたくて
書きなぐっていたら
目茶目茶に
なってしまった。

ああーあ
少し凹むな。

冬枯れ色ねぇ。
冬の似合う女がいいな。

(ゴミ)

| 2009-11-15 19:59 | 手紙 |


うたた寝を


あれよあれよと日が過ぎて
きっとこのまま秋も暮れ、
冬になってしまうのでしょうね。

メールを貰って
お返事に書くこともあまりないので
まあ、心は通じているだろう、読書部もまずまずの走り出しだし
と考えていましたが。

蓑虫が軒に引っ掛かっているみたいに
ちょっと心のどこか片隅に引っ掛かっていて
手紙を書きましょうよ
と誘うようでね。

*** (本文省略) ***

少し寒くなってきました。
コタツの中に入って
うたた寝をするのが大好きです。

ではまた。

| 2009-11-14 10:53 | 手紙 |


おい!


元気出してな。

| 2009-11-09 22:10 | 手紙 |


木枯らしの前にあなたに伝えたい


前略、お元気ですか。少し朝が寒いかなっていう日が続きました。風邪などひいてないか、気に掛かっています。寒がりなのか、それとも強い子なのか、実はそんなことさえ知らないくせに、あなたに手紙なんかを書き始めて。届くのかしら、ね。

みかんの花が咲いているときに一度あなたにお会いましたね。白い花は甘く酸っぱい匂いを放ち、今度いつになったらふたたびあなたの顔を見ることができるのか、と思うと切なさがこみ上げてきたのを思い出します。

夏の予感がときどきやって来る五月の或る一日の出来事でした。汗ばむような日差しを爽やかな海風が優しく包んでくれて、まるで弦楽器の二重奏のなかにいるようでした。

とても思い出深い一日となっています。

静かな湾のなかの所々に養殖の生簀が浮かんでいるのが見える部屋。そこで私は美味しいお茶をご馳走になって、あなたを、そう!あんなにゆっくり真正面からあなたを見たのは初めてだったかもしれない。

あれから月日が過ぎ、夏が来てそして夏が終わり、秋もいよいよ深まる季節となりました。あのみかんの木々に咲いていた白い花は、今ごろはたわわな橙の実となっていることと思います。

秋は静かにやってきて美しいお月様やお星様をプレゼントしてくれて、他にも燃えるような鮮やかな夕焼けや澄み渡る青空もくれる。でも、秋は足早に過ぎて、うっかりすると霜がおり、しぐれる日もやってきてしまいます。

あなたは元気にしてるのかなと、ちょうどそんなことを思い浮かべて、あなたの泣き顔の混じったような笑顔を思い出していたところです。コートを着て坂道を歩いている人を見かけたときも、もしやあなたかも、と思わず追いかけてしまいそうになりました。エレベーターの前でも、あらっと思ったことがありました。

いけない、いけない。私はとてもあなたに会いたがっている。そう、そんな予感がするのです。木枯らしが吹き始める前にあなたは、坂道を登ってまた私の前に来てくれるのだと、そんな予感がしているのです。

| 2009-11-05 21:43 | 手紙 |


僕には君が見えなくて


僕には君が見えなくて

でも
それは
おしまいの言葉じゃないんだ。

ずっと
このままさ。

「男の人ってアホですね」

なんて、切ないメールをくれるのよ
この子。

Tags:強がり

| 2009-10-23 22:30 | 手紙 |


毒薬


前略、お元気ですか。

職場を出る時刻にはすっかり日が暮れてしまっている季節になりました。
11月にもならないのにこんなに日の暮れるのが早かったなんて、今まで一度も考えたことがなかった。

あなたはいつも帰りの時刻が過ぎても書類を山のように机に積んで、ピアニストが鍵盤を右から左に忙しく叩きながら戦争をしているような面持ちで、仕事をしていたのを思い出します。

私は、
あなたよりも
一足先に帰りますよ。

日が暮れて足音だけが、キミの道

仕事の帰りに一度でもいいから、職場からの坂道を一緒に下ってみたいと、何度も思いました。でもそれは、見果てぬ夢でした。

よしました、そんな夢を追うのは。

夕暮れの茜色は、私にはときどき毒葡萄酒の色を想像させました。
紫色は明るさを失うと、赤みだけが次第に黒味を帯びてきます。

毒薬で君をさらってしまいたい

毒薬の味って
どんなモノなんだろうか。
なめてみたい。

流星群がやってきてボクを苛める

| 2009-10-20 21:38 | 手紙 |


たそがれ


「めがね」を見たあと
夕焼けをライブカメラで見て
たそがれていましたら

灯台に明かりが点ったの。

それだけなんですが
嬉しくて。

灯台

| 2009-10-12 17:30 | 手紙 |


たった今


「めがね」を、
見終わりました。

それだけを
伝えたくなるような
いい映画でした。

ありがとう、あなた。

| 2009-10-12 15:49 | 手紙 |



やっぱし
今一番欲しいのは、
いつまで飛んでも疲れない翼だ。

僕は
君の前に
舞い降りるのさ。

嵐のせいで
真っ暗な生活をしてるらしい。

ほら。
僕が行くから
待ってて。

| 2009-10-08 22:11 | 手紙 |


まあちょっとあなたに手紙を書いてみる


まあちょっとあなたに手紙を書いてみる

9月13日の日付で、こんな手紙の下書きが見つかりました。
---

前略。

夕焼け空が時々刻々と変化をして家路をゆく私を楽しませてくれる季節になりました。

千切れ雲は、いつどんなときでも二度と同じ形になることなどなく、それを見て物思う私の心は、その微かな違いに妙に新鮮な感動を覚えるのでした。

美しく燃えるような夕焼けをどんな言葉にして残しておけば貴方に届けることができるのだろう。

変化しながらもやがては闇に呑まれてゆくその美しいものが、もしかしたら、人の儚い人生と似ているならば、いくつにも移り変わった鮮やかな赤色の雲たちは私の前を過ぎ去った多くの人たちだったのかも知れない。

否、それは考えすぎでこじつけに他ならない。人生や運命というものは想像以上にもっとシンプルなもので、自分が難しくしているだけかも知れない。

そんな答えの無い問答を繰り返しながら田圃道をとぼとぼと歩いて帰ってきました。

---

書きかけの手紙は、ここで終わっています。
誰に出す手紙だったのだろう…って思って、うふふと笑う。

夕焼けに切なくなって、まあちょっと

| 2009-10-01 19:53 | 手紙 |


ねぇ


日の出のときと、日の入りのときと
空の赤さに違いがあるの?

そんなことを考えたことがあります。

ありません?

どうして、違って見えるんだろう。

今夜はハイボール戴きました。
少しご機嫌。

| 2009-09-22 20:51 | 手紙 |


チュ


突然におやすみと言ってみたくなる

またあした

| 2009-08-26 21:30 | 手紙 |


夏のあなたに


(あなたに)

会えなくても
駄々をこねなくなったもん。
少し強くなったよ。
(強がり?)

こういうときは

(私を)
褒めてやってね。

---

あしたは、
熊野で花火ですね。
夏が終わってゆくのか。

夏のあなたに
会っておきたかったな。

| 2009-08-16 21:06 | 手紙 |


僕は風さ、あなたの傍を


もしも僕が風になる
そんな悪戯が叶うなら

あなたの街まで旅に出て
海辺の道からあなたのもとへ
そっと吹いてゆくだろう

しばらくあなたを見つめたあとに
あなたの心を覗いて通り
魔法をかけて舞い上がる

あなたは静かに恋歌を口ずさみ
窓を開けて海辺を見るの

白い渚を吹く風が僕だとふっと気づくとき
あなたは僕に恋をする

僕は風さ、あなたの傍を
優しく吹いて抱きしめる

Tags:センチメンタル どきどき ハート

| 2009-08-09 14:23 | 手紙 |


あなたが壊れてしまっても


あなたが壊れてしまっても

かまわないわ。
怖くないの。

だって

散りばめられた
あなたの欠片を
拾い集めて
手のひらにのせることだって
私にはできるでしょ。

優しさが
あなたに伝わるかしら。

いいえ
私は
ちっとも優しくないかもしれない。

むしろ、あなたを
鬼のように見つめているのかもしれないわ。

あなたの心は
永遠にわからないような気がする。

だから
鬼のような眼差しで見てしまうのかしら。

| 2009-08-04 20:13 | 手紙 |


ほら


ねえ

ボク、
君が近くにいるような気がするんだ。

カラダが反応するの。
同じ空気を、感じてる。

ほら
わかるの。

| 2009-07-28 23:13 | 手紙 |


あの黄色の花の姿が。


国道にカンナの花が咲いててね。
黄色い花。
情熱的ですが、あなたを思い出したなあ。

あなたは、そんなに情熱的じゃないけどね
あの黄色の花の姿が、凛として、スマートで
素敵やったんやな。

ユーミンのカンナ8号線
を思い出して口ずさんだりしながら

あなたのピアノ演奏
聞いてみたいな。
いや
弾いてる姿を見ていたい
…みたいな感情が
目まぐるしく駆け回ってました。

やっぱし
夏の花は
黄色が
似合うな。

あなたは夏の子?
夏生まれ?

オオマツヨイグサ

オオマツヨイグサ(別名:月見草)も黄色やなあ。

| 2009-07-24 10:13 | 手紙 |


静かな雨


(今夜、書いた手紙。少し加筆して)
---

時間を掛けてゆっくりと
たくさんの話をしたいけど

ひとつ書くと、新しい疑問が二つ生まれて
手紙を書く頭がだんだんと混乱する。

結局は、何もわからないまま、
気持ちを書きなぐるだけで
(ほら、いま、まさにそうで)

じっくりと時間を掛けて
つまらない話もたっぷりと交えて
煮詰まってゆくのがいいのかも。

手紙だったら、今頃、まだポストのなかかな
なんて考えてみたりしながら

何度も書いて、
3倍も4倍も書いて消して
手紙が進みません。

結局屑ばっかりが増えてゆくの。

寂しがり屋なんですね。
きっとそうです。
ひとりじゃ生きてゆけないんだ。

だから
手紙を書くか
書物に浸るか
ドラマも稀に見て
酔っ払って眠ってしまうか。

書きたいことが
山ほどあったのに
上手く纏まらない夜は

(あかんな)
(弱虫)
(意気地なし)

もし傍にいたら
何を話しているんだろうか。

あっ
思考が止まっている。

人が、誰かに
惚れてゆく時間って
こんな感じなのかも知れないですね。

静かな雨ですね、今夜は。

ではまた。

| 2009-06-29 22:18 | 手紙 |


大人になる…


(mixi)

こんばんは!かしら、
おはようございます!かしら。

で始まる手紙をくれたこの子は
随分と長いmixi友達なんです。

実は個人的なことは何も知らないと言っていいのですが
日記にご結婚の話を書いていたので、メッセージをメールしたら
遅い遅いメールが届いたの。

その遅さも、すごく素敵で
何についてどのように話かけても
私の触覚にふふふっと心地よい素敵な文章なんです。

手紙の中味は書けないけど
ああ、この子はほんと、ちょっと変わった子かもしれないけど
どことなく魅力を秘めた子だなって思う。

手紙の最後は

はやく大人になりたい、大人になりたいと、
思いながらまた朝がきます。

と書いている。

| 2009-06-18 19:32 | 手紙 |


引き潮よ、伝えておくれ


前略。

愉しい時間をありがとう。

あなたとしばらくそのままで話した後、浜のほうへと誘ってくれましたね。嬉しかった。波打ち際に行ってみたいと思っていながらなかなか言い出せずにいました。堤防に腰掛けて湾内を見渡しているのにも憧れましたが、やっぱし、海が手に届く所にあるのが実感できてよかった。子どものようにはしゃぎたくなりました。

頭のなかには真っ先に、北山修の詩集にある

♪海はきらいさ 悲しくなる
 二人の恋が  ウソだと笑う

のところばかりを繰り返し、頭の中で歌っていたな。
滑稽です。僕たちは恋人でも何でもないのに、ね。

小さな砂浜でしたね。幅は10メートルくらいでしょうか、そして、向こうの端まで歩いても150メートルほどかな。あなたが、昨日歩いて疲れたから、と言ったときに、ああ僕は何もあなたのことをわかってあげていない。こういうのは理屈じゃないから、僕は考えても考えてもあなたの前ではイケナイ奴なんだなって思いました。

--- 昨日かな、大潮。12時14分くらいやったですよ。
--- そうっかー、2,3日前が満月でしたからね

そういえばこの頃、月を見上げることもなかった自分を思い、海に暮らす人は潮の満ち引きってのは生活の一部なんやろうなあ、とか感慨深いことを感じてしまって。

居間でテーブルに腰掛けたままで海が見渡せるなんて夢のような景色でした。
♪海はきらいだ 悲しくなる なんて歌ったら叱られますよね。

もしかしたら、冬はあの海から朝日が昇るんだろうか。
考えただけでワクワクする。

蜜柑畑の傍を通りかかるととっても素敵な匂いがします。
それが嬉しくて、キッチンでお茶を入れて下さっているお母様に

--- 蜜柑の花の香りですよね、いい匂い。それだけでひとつ得した気分になれました
と話したら、

--- ロマンチストなかたねぇ
と仰った。

別にそんなこと、考えて言っているわけではないのですが、そんなことを言われると、少し嬉しいです。

お茶。美味しかったです。

僕はお茶を殆んど飲まないので、言ってみれば当てにならないわけですけど、でも、どこで戴いたお茶よりも美味しかった。

至福の時間を過ごしたのは僕だけで、あなたは身体がまだ本調子じゃないようでしたので、しんどかったでしょう。言葉に甘えていつまでも帰ろうとしなかったのはいけませんでした。きっと、後で辛い思いをさせてしまったかもしれません。どうぞお許しを。

お別れをした後も、迷惑にも押しかけてきてしまったことを反省しました。しんどかったのに、僕が強引なものだから会ってくれて。

この感謝の気持ちをどう伝えればいいのか。
ケータイのメールって、意地悪ですね。
イライラが募るばかりです。

だから、こんな手紙を書いているんですね。

引き潮よ、伝えておくれあの人に ねこ

海

※写真は尾鷲市役所HPから

Tags:ハート

| 2009-05-13 15:34 | 手紙 |


こんやは気障に


こんやは気障に飲ませておくれ
あなたにあえて嬉しかった。

泣きそうになりました。
姿を見た瞬間を思い出すと今も泣きそうになります。

| 2009-04-24 23:41 | 手紙 |


風に吹かれて


前略

石畳のこの坂道を、ほんとうはあなたと一緒に歩きたい…
と紙切れの隅っこに書いた。
ほんとうにそう思いながら坂道を下ってゆきました。

電車の走ってゆく音が土手越しに聞こえてくる。
私は、桜の花がほころび始めている公園へとコツコツと歩いて坂道を下ってゆきます。
もしかしたら、ハイヒールの足音も軽やかに、あなたがいつも歩いている小路かもしれませんね。

あなたの姿がしばらく消えてしまっているのを心配しながら、散歩道をぶらっとしてきました。
昨日の昼下がりです。
桜は開いた枝とまだまだ硬い枝が混じっていました。
週末には咲き揃うのでしょうね。

馬酔木の花が、とろけるような甘い香りを漂わせています。
風は、少し冷たいけど、速足で歩くと汗ばみます。

ベンチに腰掛けてお昼休みを過ごす女性たち。
一人で読書をする男性。

身近な所にさり気ない景色があったんだと気づきました。
あなたが元気になったら、誘いたいなあ。

そのあと、一気に屋上まで駆け上がって海を見ました。

| 2009-04-02 07:12 | 手紙 |


宮本輝のところで足跡を


(メールを戴いて)

宮本輝のところで足跡をつけましたか。
私も振り返ってみて、なるほど、踏んだ覚えがあります。

読書のコミュをやっていると、皆さんがどんな感覚で本と接しておられるのか、少し興味があります。

でも、
私は私で勝手に読んでいるだけで、感想も勝手に書いているだけですので、我儘なことをやっています。

特別に読書が好きでもなく、でも、まあ割と本を読んでいることが目立つようで身の回りの人は読書好きと勘違いしているようですけど。

私の日記やその他諸々。
少しお目に触れたのですね。

書くことが好きで、遊びながら書いていますのを、ひとさまにお見せして、メールのように言っていただくのは限りなく恥ずかしいやら、でも嬉しいやら。

数学や三角関数やベクトル解析や微分積分といっしょに仕事をしてきた奴ですが、そんなことより、宮本輝の世界に居るときのほうが幸せです。

日記もブログも、完全に開けっぴろげですので、遠慮なく、また断って戴かなくともご覧下さい。メールいただくと嬉しいものです。

いつまでたっても
夢ばかりを追いかけています。

ありがとう。

| 2008-10-06 23:34 | 手紙 |


前略 雪でした・・・か?


前略。

大寒が過ぎて、寒さが本格的ですね。
もうすぐ、立春でしょ。
スーパーの店先には節分グッヅが置かれていたりして、季節が巡るのは早いものだなーって思ってみたり。

月がまん丸になっている。
冬の月は、好きです。
真上まで上がるでしょ。
首が痛いほどに。

夜明けが少しずつ早くなっている。
まん丸の月を見ながら嬉しくなります。

実は、きょうはお休みで、久し振りに「前略」って書き始めてみました。

東京は雪だったそうですね。
練馬・桜台の下宿の前の畑が一面真っ白になった景色は好きでした。

吉田拓郎の歌に、雪っていうのがあるんです。
歌えますか?

----
雪でした あなたのあとを
なんとなく ついてゆきたかった
ふりむいた あなたの瞳は
はやくおかえり ぼうやっていってた
ああ あの人は
みしらぬ街の みしらぬ人
雪国の 小さな街に
そんなわたしの 思い出がある

夢でしょうか あの日のことは
雪をみるたびに 思い出す
雪国を たずねてみたい
そこは わたしの 小さな あこがれ
ああ 今日もまた
窓にもたれ 想う 冬の旅を
雪でした あなたのあとを
なんとなく ついてゆきたかった
----

ひとりで歌って、
ひとりで気持ち良くなっています。

♪あなたのあとを何となくついてゆきたかった。

ここは、キミでも、オマエでもなく、「あなたの」あとなんだよ。あなたの。

| 2008-01-24 21:31 | 手紙 |


〔ひと息つこうか〕


僕ね、と書いて、日記では自分のことを僕とはあまり書かないかも、と思いながら。

僕ね、ここにコメントを残してくれた人に感謝してます。
そんなに大したものを書いているわけでもないのに、何かしらを感じ取ってくれているのが嬉しい。

それは僕があるときに感じていたものとは違うかもしれないし、必ずしも僕と同じ体験である必要も無いだろうし。

人には、言葉のひとつひとつに絡み付いている人生があって、そこにはドラマもある。

みなさんはそういうドラマの主人公なわけで、いつかそんなドラマの話を僕にも聞かせて欲しいと思った。

もう幾日も経ってからレスを書いているので、この僕のレスにも気付いてくれないかもしれないけど、それはそれでいいのよ。

僕は、「ひろちゃん」という物語を、もう会えないひろちゃんに届けたいと思って書き始めた。けど、とっくの昔に諦めて、今は諦めながら書いている。

ひろちゃんに会いたいと思うことがある。でも、探しちゃいけないの。社会の掟なんだ。

| 2008-01-21 21:30 | 手紙 |


弱虫


飲んだ暮れて…
そんな正月ではなかったけれど、私はこの言葉が少し好きだから「ひとりで飲んだくれていました」と手紙には書いてみたくなる。

すぐ近くにいて、すぐに会える人ではなく、遠くはなれてすぐには会えない。
そんな人に手紙を出すときには、やはり「元気ですか」と書きたくなる。分かっていてもそう書く。私のほんとうの心なんだと思う。

だから、元気ですか?

会いたくてもあえないあなたは--- 今ごろどうしているのだろう。
ふっと思い出すのは、私の心が弱虫になっているからではないだろうか。
♪おまえに会えない寂しさだけからゆきずりの女を愛した・・・・・
ダウンタウンブギウギバンドが歌っていたのを思い出して、またひとつ悲しくなる。

そう、こんなときに飲んだ暮れていたくなる。
どうやら、しばらく会わない間にあなたにほんのりと気を引かれてしまったらしい。ああ、勝手な話だね。まったく。

(好きになるのと違うから)
ひとりぽっちにぽつんとされると、やけに思い出したりして。
たった今、古里からこの街に来たばかりなのに。

もう、あなたあてに、こうして書いている。

198○年1月5日 京都にて

| 2008-01-08 19:13 | 手紙 |


振り返る


前略。
寒いね。

レスを戴いてもコメントを戴いても、なかなか、書けなくて。
でも、それがサラリーマンの姿なんだしね。

父のことは、淡々と思い出しますね。
18歳で東京に出ていってしまった出来損ないの長男坊ですからね。

実家の田んぼを掘って温泉見つけ出してレジャー施設を作りたいなーって言うような馬鹿息子です。

鉛筆書きの手紙が、季節の変わり目に洋服や食い物を詰めて送られてくる荷物のなかには必ず入っていてね。
「学費のことは心配しないでもよろし。将来のために勉強しなさい。」

いつも、そう書いてありましたよ。

卒業してからも、ほんと、数えるほどしかゆっくりと食事をしなかったなあ。

晩年は、水彩画を習った後、油絵も習い、地域の展示会にたくさん出展してました。木の根子を綺麗に磨き上げて置きモノにする作品にも上級作品がたくさんあります。

父が死んでから10年経つのに、地元に帰って懐かしい人に逢うと
「オヤジさんの絵がウチにあるんや、玄関に置かせてもらってるわ」
などと、作品を褒めてくださいます。

私の知らないような素晴らしい作品が幾つかあります。
我が家には1枚だけ、小さなお手製の額に入れた絵が残っているだけです。

私も受け継いでますけど、高血圧でね。
気管支も弱かったので、ぜーぜーしてましたし。
死に際は、可哀相でしたよ。
身体の、血が滲み出ることのできるあちこちから血が出てたんじゃないか…って思えるくらい気の毒でした。

几帳面でよく働く人でしたが、そこは全然受け継ぎませんでした。はあ。

Tags:咎める

| 2007-12-04 10:51 | 手紙 |


ちかごろ僕は


ちかごろぼくは、自分が何かしら魔法にかかったように、目のやり場を誰かに支配されていることに気がついた。そうだ。いつものカフェで見かけるあの女性だ。ソワソワと遠巻きに眺めている罪悪感が心にぴりぴりと痛いような気がするけれど、覗いてはいけないものを盗み見するどきどき感もあるのだ。しばらく眺めていると、小憎たらしいことに彼女は、ツンとして本なんかを読み始めるんだ。何処か、声を掛けたくなるような雰囲気があることに気がついていたのだが、きょうは特別に綺麗じゃないか。
「おい、きっと、年上だな。うーむ」
ぼくは小さな声で自分に言い聞かせるようにつぶやいた後、手帳に彼女の姿をスケッチし始めた。

| 2007-07-22 18:00 | 手紙 |


七夕の日に、或る人に


七夕の日に、或る人にあてて書いた手紙の書き出しから
----

待ちました?

引き戸を開けながら暖簾をくぐり、店の中を見渡して、
「おお、待たせたか」
なんていいながら隣の席へ滑り込み、
「ビール頂戴、あっ!、それから枝豆と」
というような感じで、居酒屋で飲み始めてみたいね。

手紙をもらって、返事を考えている間に、もう少し時間を置いたら何か新しいことが思い浮かぶかも…と考えていたりする。

それって、人類の尻尾が退化したけどなごりが残っているのと何となく似ていて、女の人に心や身体をウズウズさせられる前の下心と似ているな。

いい意味での!!下心ってのは大事かも。

| 2007-07-07 12:00 | 手紙 |


ひとつだけ何を語るか蛇苺


まっこさんがくれた日記のコメントのお返事で、多くを語ってしまったよ。
オープンメールになってしまったので、ここに残しておこうかな。

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まっこさん。
雨降りですね。眠れない夜に雨が降ると、そりゃあ静かですなあ。ペンが紙の上をさらさらと走る音がだんだん麻薬のようになってきて、誰かいとおしい人に、夜通し手紙を書いたりするのよ。
誰かって、あての無いときもあるし、心に秘めた人のこともあるさ。だんだんセンチになるんだよ。
でもね、ひとしきり萎んだら、また膨らんでくるから、僕はいつも元気です。

何を書いているんだろうね。

さて、
鎧駅の日記にも書いたけど ブログに写真を載せた。たくさん写真を撮る奴じゃないのですが、まずまずある。ベンチは少し写っているけど、はっきり海を見ているものもあったよ、確か。

ぜひ、いつか行けますように。
涙が出るよ。ほんと。

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まっこさん。
お褒めいただき、凄くウレシイです。私の書いたものなんて、たかが知れています、と、そう思っていますが、誉めてもらったら嬉しいよん。

そうそう、
まっこさんのプロフィールを見て「信州安曇野」ってあるのでしょ。
あそこには、道祖神サマがたくさんあるのをご存知ですか?
それを訪ねて、何度も何度もあのあたりを旅したよ。
ゴールデンウィークに行くと林檎畑一面に白い花が咲いているんです。今ごろの季節には行ったことが無いけど、もう実をつけて大きくなり始めたかな、って想像してみた。

まだ、青い林檎だろうけど、秋には鮮やかな赤になるんだな。

やっぱし、赤なんだな、ってふと思った。

| 2006-06-15 19:09 | 手紙 |


薔薇。


前略。
薔薇が咲いています。
あなたのうちの庭にも咲いているのだろうか。

どこの町で、どんな暮らしをしているのか。私はもうそれ以上のことは考えないことにしたんだ。

でも、きっと、優しくて物静かな旦那さんと、あなたによく似て色の白い丸顔で可愛い目をした子どもと一緒に暮らしているのだろうね。
そうか、僕は、あなたの子どもが男の子か女の子かさえも知らないなあ。

もう、何年もの月日が過ぎるのに、薔薇を見たことくらいであなたのことなど一度も思い出さなかったのにね、不思議だね。今年、薔薇が咲いて、赤い花びらが風に揺れているのを眺めてながら、ふと、「元気かな、幸せに暮らしてるかな」って思いました。

あなたには、可愛い花なんかちっとも似合わなかったよな。ヘルメットを脱いで、ボサボサの髪をかきあげて、遠くの森を眺めていた。山が真っ赤な夕焼けに染まっても、「もう少し、今度は空を見ていようよ」と言って譲らなかったな。

--- ねえ、一番星って見える瞬間があるんだよ、きっと私が先に見つけるよ。

あなたには花なんて似合わなかった。空を見あげて、飛び立とうとする鳥のような人だったんだもの。

でも、5月の風があなたのうちの庭の薔薇を揺らしている…そんな様子を、ふと、感じたんだ。

ああ。逢いたいよ。

| 2006-05-16 22:05 | 手紙 |


突然の別れ…


先日、1通のメールが届きました。ミクシーの友だちだった花ちゃんという子でした。
若くて知的で爽やかで明るくて。

メールには、挨拶が書かれてました。ミクシーを退会します。。。

やけに冷静に私はそれを読みました。この子も何かの理由でミクシーから巣立ってゆく時期を迎えたんだな、と感じました。

ネットーワークの上でのお友だちは、虚像の世界なんだから、きっとこういう別離になるのだろうと予想していたのですが、ね。

お元気で、と返事を出そうと思うって、返信ボタンを押したら、もう既にそこにアカウントは無かった。

私の書いている鶴さんシリーズを読んでくれていると言ってくれた。ベンチャラであったとしても嬉しいです。

鶴さんは、たぶん夏ころに終わると思います。少しペースダウンしているのは、私があのときを噛みしめているからかもしれない。
物語として・・・・自分をさらけ出してゆくことになるし、決してハッピーエンドでもないし、どうなんだろうかという迷いもあるのでしょうね。

心の片隅に、鶴さんに届くといいなあ、って夢のようなことを考えている…子どものような私が居る。

しばらくしたら、書きます。
GWまでにはもう一篇は書きたい。

| 2006-04-22 22:54 | 手紙 |


遠藤周作のこと


あのころの私は国語が嫌いで、決して活字というものを好んで読みませんでした。ところが、おかしな勘違いをしている友だちがクラスに一人おりまして、彼のおかげで人生が変わってゆくのです。
彼の名前は宮崎といいました。毎朝、電車の中で一緒にバイクや車、夕べのテレビの話をする仲間でした。休日には近所をバイクで走り回る親友だったのですが、私が読書好きだと思いこみ、さらに遠藤周作のファンだと思っていたらしいのです。
高校二年の五月三十一日の夕方、下校途中に私は車と接触事故を起こしてしまいました。バイクは破損し右足の脛を四十針ほど縫う大怪我を負い、六月と七月は入院生活となりました。
一週間ほどして宮崎が見舞いに来て単行本を一冊差し出し、「オマエは本が好きやろう、遠藤周作が好きやろう」と言うのです。そして「どっこいショ」という分厚い本を私にくれたのです。遠藤周作という作家はこのときに初めて知りました。そして、宮崎が勘違いをしていることにも気づきました。
その本は、病院へ来る途中で買ったらしく安っぽい袋に入れられ、彼はそのまま私の枕元に置きました。何でも言える仲だったので「俺はお前が思っているほどに本が好きじゃないのだ」と白状したかもしれない。傷口の縫合直後で、あと一ヶ月は安静だったので「まあ、そのうち読むわ」と返事をしたかもしれない。
そういうわけで「どっこいショ」は、枕元に置かれて幾日も過ぎ、退院してからも読まれずに棚に積み上げられたままとなり、やがて、宮崎からの見舞品であることさえも忘れられてしまうのです。
私は二学期から学校に復帰しました。宮崎にとって、私は読書好きな友人のままです。そして毎朝、彼と一緒の電車で通学し、バイクや車の話をする。だから、二人の間にはそのおかしな勘違いが続いたままとなっていました。
その年の秋、十一月十四日の夜のことです。彼は取りたての免許でドライブ中に運転操作を誤り海へ転落してしまい、あっけなく命を落としてしまいます。きっとそのときもまだ、「どっこいショ」は読まれないまま本棚にそのまま置かれていたと思います。
私は2年生でしたが来年は受験生です。葬儀が終わり、秋が過ぎて時雨の冬がやってきて新学年が近づくにつれて、見舞いにもらった本のことも宮崎自身のことも次第に頭の片隅に追いやってしまいました。
受験は失敗でした。故郷を離れて上京し一年間の浪人時代を始める私は、めまぐるしく変化する時間に埋もれて、親友を慕うことや読書のことなどは、あとまわしの生活を送り始めます。
一年が過ぎて大学生になる時期が来ました。新しい下宿に引っ越した日、荷物の山の中から色褪せた「どっこいショ」を発見します。宮崎との思い出を呼び起こし遠藤周作と再び向き合うことになった一瞬でした。「どっこいショ」が私の手元に贈られてから二年と数ヶ月が過ぎていました。
遠藤周作と高二で出会いながら作品に触れるのはこのときが最初です。つまり、私の読書人生はこのときに第一歩を踏み出したことになります。
ちょうど偶然にも一般教養科目で文学を履修します。先生は斎藤末弘さんというかたで、先生のことにはさして興味を抱かずに履修しました。斎藤先生は、キリスト教文学などの作品群をピックアップし、太宰治を始め椎名麟三、遠藤周作の講義をしてくださいました。
「きょう、これから遠藤と一杯飲みに行くんだよ」などと、ちょっと自慢めいた話もしてくれました。
「ホラ吹き遠藤って言われるけど、ほんとうでねぇー」
電気通信工学科でしたので、一般教養の文学は卒業のためのどうでもいい授業で、少なくとも大多数の学生にとっても簡単に単位をもらえるお得な講義でした。
しかし私は、専門の講義をサボることはあっても先生の文学講義は熱心に聴いてしまうようになってゆきます。それは斎藤先生の熱意の溢れる話と椎名麟三や遠藤周作がもたらすテーマに魅力があったからでしょう。文学作品を探して母校周辺の古本屋を散策する習慣もこのころ定着しました。
そのころの遠藤周作には「沈黙」や「イエスの生涯」という代表作があり、「おバカさん」「ユーモア小説集」という馴染みやすい作品も人気でした。
私がこれまで幾度となく読み返し、そのたびごとに涙を誘われる「わたしが・棄てた・女」との出会いもこの時期です。
「なあ、君たち、『棄てる』という漢字はこう書くんだよ。この漢字はなあ、紙くずを丸めて屑籠に棄てるときに使うんだ。」
斎藤先生がそう話していらっしゃるとき、熱烈な遠藤周作ファンになってしまう今の私の姿などは想像もできませんでした。
読書人生を振り返れば「どっこいショ」だけが特別ではない。けれども、見舞いに宮崎がくれた「どっこいショ」の意味が理解できる年齢になって、斎藤先生や遠藤周作との出会いからすべては始まったのだという深い感慨が滾滾と湧いてくるのです。

| 2006-04-15 22:19 | 手紙 |


宛て名のない手紙


すっかり手紙を書かなくなりました。

少し前、ダンポールいっぱいあった手紙を全部始末しました。
昔にもらった手紙を棄てるときに、インクのあの色あせ具合を見て、懐かしさがいっぱい甦りました。

でも、いよいよ、私も、身の回りの始末なんだな、って苦笑いしたばかり。

手紙を書く人が、いなくなっちゃいました。そんな時代ですね、今は。

| 2006-03-06 20:06 | 手紙 |


続 手紙のノートから


続 ・ 手紙のノートから

ドラマは、カビが増殖していく様に、方向性を予測できないまま頭の中で展開を繰り広げていく。
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私は、電話を切りたくなかった。しかし話のネタもないし、家族も居るので何だか後ろめたい。そう。私は後ろめたい電話をしていたのだった。先日からあの「強引」という言葉が気に入って、彼女をそんなふうに「強引」に誘い出し海に行くのだと夢を見ている。
***
11.16 だったかな。ごめんなさい。また電話を掛けてしまって。会いたかったんだ…と言ったら嘘かも知れない。ほんとうは切実にも会いたかった訳でもないのだった。じゃあ…何だったの?やっぱし会いたかったんじゃんか。でも会いたくなかったかも…なんていう嘘を平気で言えた若い頃もあったなあ。自分じゃそれを嘘と思っていたが、ほんとは神様が知っている恋心だったんだけどね。嘘のつもりが本心だったってこと。「僕は貴方を好きじゃないよ、今は…」なんて正面を向かい合って言うと、言葉が出る前に抱きついてしまいそう。それが怖くて面と向かうのを避けている。青春ドラマのような展開になってくる。
***
やめた、やめた。もう電話をするのはやめた。何だか自分が惨めになるだけでね。可愛い女に少しイカレて身体もホッと赤くなったが、やっぱし惚れちゃイケない娘(こ)なのさ。嫌われちゃう前に諦めようぜ。でも一度でいいから海を見に誘いたかったなあ。「風に吹かれて」を鼻歌で歌いながら真っ青な海を見おろせる断崖に立ちたかったなあ。ここから一万キロもいけばアメリカ大陸だろうなあ。そういうでっかいことを言ってみたかったぜ。惚れた女の前でおもいっきり虚勢張って、そのあとしょんぼりして悲しい声で好きだというのもいいかも知れない。
***
若きウェテルの悩みをドンと手渡されて「これ、読んでみて…」と言われたら、ああ振られたのか…と思うかも知れない。忘れた頃に電話を掛けたら、「涙が出るほど嬉しかった…」と言ってくれた女の子がいたなあ。そう言われると抱きたくなる。でもその子は待ち合わせ場所にはやってこない。大きな壁画がある公園で木枯らしに吹かれて、口笛も音になりゃしない。
***
久しぶりにY子に伊勢市駅で会った時、新鮮な発見をした。人を待つ女性の姿勢や顔の角度が、すこぶる美的でいいなあ、と思った。首が長くなるわけではないが、すらりと背中を延ばし、少し前に倒れ気味で遠くを見ている。女性が輝いている。
***
宮本輝の小説を読んでいます。

***
手紙はここまでで放り出されたままになってる。私は一時、癌のことと貴方のことが頭から離れない時期があったが、その心理のほんとうのところは推測に任せるにしても、
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【断筆】
12月の中旬のタイムスタンプで手紙の書き掛けが放り出してある。まるで、小説のようだな…と思いながら読み返す。一生に一篇だけ小説を書けるなら、こんな切ないドラマになりそうだ。
季節の過ぎるのは早いもので、書き掛けの手紙は即座に没になり、春も終わり、夏を迎えようとしていた。その間にも書きかけの手紙が少しづつ溜まっていった。
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 城君のハガキ付き写真が届いた。博士号授与式の写真である。「願い続けていればどんな形であれ、夢は実現するのだということを実感」と書かれた言葉と彼の微笑みに私はうなづいた。しばらくして、様々な考えが私を襲い続けた。ビールとウィスキーの酔いで思考はほとんど停止状態であったが、頭の中にはしっかりと傷だけが残った。
***
 毎日、遅くまで仕事をし会社に尽くし、責任感の強い男と誉め讃えられ、地位を得、お金を得、名誉も得た人が、いったいどれだけ幸せだと言えるのだろうか。毎日、ぐうたらと言われ、無責任を指摘され、仕事の出来映えを誉められもせず、定時間働いて会社を去ろうとすれば、その役職を指摘し責められ、もっと頑張ってもらわないと困るとも言われる。一方で、何も指摘されず、工場が終わったらそそくさと家に向かい、家族と夕卓を囲み、僅かな晩酌をし、決まった時間に寝る…という人もある。そういう人の子どもが二、三年前に早稲田大学を卒業して願いが叶う職に着いたというからお笑いである。私は何故働くのか。疑問が湧いてきて当然であろう。
***
あと六十歳まで二十年を残すだけである。定年になってから老後を楽しむなどという言葉がある。しかしその様子を直接人に会って聞いてみると、六十過ぎの人間の実態が見えてくる。何らかの方法で身体の治療を施し、ゆるやかな延命処置をしながら、生きていることを楽しんでいる気分に浸っていることのようである。では、その人達の中年時代の楽しみは何だったのか。働けど働けど楽にはならず、苦労の日々を送り、老後には幸せをと夢見たという人も多かろうに。そんな人たちにほんとうの幸せが来ているのか。
***
夢を叶えるために働く人も多いだろうけど、その夢は六十歳を過ぎてから叶えるのだったらまったくナンセンスではないか。数字の上では平均寿命は伸びているものの、現実的に六十歳代で死んで行く著名人の多きことよ。残された人が平均寿命を伸ばして行けるほどであるから随分と長生きをしていることになる。平均してみんなが生きた場合(平均寿命)を想定した実態よりも、その生活実態は、遥かに悲惨であることは論理的にも自明である。私の夢は何だろうか。長生きをすることか。贅沢をすることか。仕事の生きがいか。城君の博士号の授与の写真を見て思うことは果てしない。そして彼のこれからの夢は何だろかとも思った。
***
種田山頭火の歌集を買って来た。この人を好きになった人は途方もなく彼の俳句に惚れ込み何度も読み返すという。嫌いな人も多く明暗のはっきりした俳人のようだ。ちくま文庫というところから出ている。980円。そういう俳句を読む一方で芭焦の「奥の細道」を意識して東北の旅に出た去年。果たして芭焦よりも素晴らしいかと考え蕪村を読み、ふとしたことから一茶の解説書にも手を伸ばす。
東北からはヘロヘロになって帰ってきた。(去年/'96の夏の13日間 19湯ツーリング)思い出は限りなくできたが、人生を醒めた視線で見て考えるようになってしまった。「山刀伐を芭焦と越えた夏の夢」 (拙者句)山頭火の姿に少しでも触れたいと思い松山に行ってみようかと思っている。
***
人生とは何たるべきものなのか。その哲学とは何か。オタックスの開発に追われて毎日深夜に帰った日々には中国古典にも手を伸ばしたこともあった。迷いの時期であったのか。
***
子どもが進学塾に通い始めた。小学校四年であるのにもう通うという。私の考えから外れるが、本人が何に感化してのことかそうすると言うのだから放ってある。
***
私は冷酷で自分勝手な人間であるという人がある。確かにそう一面を持っているようだ。子どもに期待もしないが、恐らく落ちぶれても失意もしないと思うだろうから冷酷かも知れない。私の夢はぐうたらで、旅のような人生なのかも知れず、山頭火の何かのゆかりに出会えばまた変わるかも知れないと思ったりしている。
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>黄金週間には四国と山陰に出かけた。山頭火の
>住んでいた松山市の一草庵にも寄った。しかし、
>山口県にまでは行かなかった。
>夏休みに行こうかな。でも夏休みは東北かな。
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<海を見に行った午後>
住宅街の中へと道が迷い込んでいく。この向こうはもう海のはずだけど、と私はひとりごとを呟く。潮の香りがふっと車の中にまで届いてきた。よし、と思って細い道に車を入れて突き進んだらやがて堤防が現れた。

>わあ、潮の匂いがするわ、久しぶりやなあ、
>最近、珍しいな、懐かしいなあ

Y子は車から飛び出し堤防を駆け降り波打ち際まで、先に行ってしまった。しばらくじっと遠くを見つめていた。思いついたように少し戻って堤防の階段に座りこんだ。潮風が私に吹きつける。Y子は何を考えているのだろうか。
***
話したいことは山ほどあるけど、言葉になって出てこない。お母さんが亡くなって一ヶ月が過ぎたのをさっき聞いた。少しだけなら時間があるというので、じゃあ三十分ということで海まで誘った。

>いつまでもプー、しているわけにもいかないでしょう、
>早く自立しなさいなってことや… あれは渥美半島かな…。
>学校の音楽室からの方がよう見える…今日は少し霞んでいるけど…

時間など忘れて、他愛ない話が続いた。波打ち際に青い海草が浮いている。車に戻るとサントリー・ウェイティングバーからジャズのトロンボーンが流れていた。
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>'97.5.17
癌という病でひと月ほど前に母をなくした彼女は何を思っていたのだろうか。海を見ながら。外に何かを発散させるというか、発信することのあまりない子だけに、何を考えているのかがまったくわからない。

さて、前置きが長くなりました。最近の私の状況はこういう感じで、このまま死んでしまうとすると、最も哀しい人生を送ることになりそうです。

8/4、三重県総合文化センターで、東京交響楽団(秋山和慶さん指揮)のプログラムがあります。チャイコフスキーです。例によって三階席(2,000円)を買ってきました。最前列は今ごろ行ったらないのは当然で、前から四列目。端からも四列目です。
(中略)
'97.6.29SUN

Tags:ドラマ

| 2005-08-03 12:09 | 手紙 |


前略。Y子さん


【銀マド】 これぞ塵埃か <2000年8月上旬号>

|何故、空の青と海の青が同じ青なのに区別ができるのだろうか、
|そんなことを思いながら遠くの海を見ている自分が時々ある。

なかなか、家を出ようとしない自分。

出発時間を参考にしようと思い去年の日記を見ようとしたら、ふと、Yちゃんに出した手紙があった。この手紙が書かれた96年に四年生だった。教育学部(障害児教育)を出たけど、教職には着かず、福祉施設で働いている。

旅に出る前に、ぐーっと集中するような、冷たくてもドキドキする血液が少なくなっている。こういうのを読み始めると、たった今までの自分をすっかり忘れて不思議の国のアリスのような「兎の穴」に飛び込んでいきやすくなる。
去年の今ごろは、♪ああだから今夜だけはキミを抱いていたい あああしたの今ごろはぼくは汽車の中…と口ずさみながら旅だった。

>愛に終わりがあって
>心の旅が始まる

今年は、やはり、下北半島の交番まで行きたい。
老部という集落まで…。

自分のためにメモを残す。以下、引用。

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前略。Y子さん。
書きかけの手紙があったので少し読み返してみました。5/2の日が刻んである。いつもいつも、昔から同じ様な事ばかり書いている私は、進歩がないなあとホトホト感心します。だからほとんどを消してしまいました。手紙の後半部分でゴールデンウィークに出かけた旅の話を書いています。貴方がその頃にアルバイトをしていた「坂内食堂」の喜多方ラーメンを食べに東北に行く予定だったが、ある事情で帰ってきたことを書いていました。そのあとさらに就職の話を云々と書いてました。貴方の就職を心配してたのかも知れない。少し引っ張り出してみます。

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'96.5.2元気にしていますか? 学生時代を東京で過ごした私は、映画に出てくるような下宿で過ごしました。20年ほど前のことです。扉をガラガラと開けて入ると、裸電球のぶら下がった部屋があった。下宿人が廊下を歩くとギシギシと家が哭いた。そんな部屋でみんなにせっせと私は手紙を書いたものです。こうして手紙を書き始めるとその汚い下宿を思い出します。薄暗い明かりの四畳半。下宿のおばさんが見かねて電球を蛍光灯に変えてくれたっけ。近頃はじっくりと手紙を書くということも少なくなり、パソコンがありますから友人には電子メールを送ってしまいます。お互いにパソコンがあればそれで済ませてしまえますし、パソコンのない友人には年に一度の挨拶程度になってしまいます。ファックスのある人に(M先生など)はそれで済ませることもできます。パソコンがあれば貴方にもせっせと手紙が書けるので嬉しいのですが・・・。でもそれってパソコンを買えってこと? と反問されそうね。そうかも知れないなあ。何故に手紙なんて書くのだろうか。電話ではいけないのか。わけは簡単なようにも思う。電話の場合は用件があってそれを伝えるのに掛けることが多いけど、手紙は用件がなくても書くことができます。用件がなくても電話をする場合もありますがそれは恋をしている相手に掛ける場合などかな…と思っています。こうして思っていることを少しづつ書き連ねる。疲れたらやめて、また明日になったら続きを書く。まあそのうち便箋が一杯になるだろうって感じ。そういう点では長電話と同じ様な感覚なんです。あとで読んで出さない手紙になってしまうことのほうが多かったかな。手紙には思考の過程が残りますからね。私は過程を大事にしたいと思っている人ですから。手紙と言えば・・・・。学生時代に書いた私の手紙はもっと熱い(アツイ)ものだった。車を飛ばせば(まあ持ってくれてもいなかったが)30分くらいだったかも知れない女性に熱い気持ちを書き綴って投函したものです。返事が段ボール箱にいっぱい詰まっていています。変に女々しく今でも持っています。これをネタに小説を書いて本にして出して、売って、収入を彼女と山分け…なんてできるわけないか。。。。

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ほんとうは貴方がアルバイトをしている喜多方ラーメンを食べに東北に行く予定でしたが事情があって帰ってきました。そういえば貴方のバイトをしているラーメン屋さんも「坂内」と言いましたね。美味しいラーメン屋を求めて旅に出て、喜多方駅でたまたま居た高校生に尋ねて教えてもらったのが坂内食堂という店でした。何か関係あるのだろうか。

四年生ですと就職活動が忙しいという話を聞きます。私が就職活動をしていた頃から恐らくさほど変わらないと思いますが、理系はリクルートスーツなんてのは割と無縁でした。文系はテレビや新聞の報道の通りなのかな。人生の目標が就職だといわんばかりに必死で職を探す姿は滑稽ですね。学生時代はけっこう何もしないで遊んでるのに。

まあ、そういう人達が人生の中で「何が大事で何が大事じゃないのか」に気づいて、なお且つ「自分の場合はどう対応すればいいか」という理念を持つのが、職を持ってからというのも面白い。三重県の域から飛び出したことのない子は余計にのんびりしているように見えて、でもそれは長所でも短所でもあり、うまく利用して大きく羽ばたいていって欲しいものです。そういう自分のセンスを活かすことに才能を持つ人はどこでも大丈夫ですが、画一化していっている社会にどこまでも立ち向かってみますか。女性ならできますよ。
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11/3.文化の日。琵琶湖を越えて朽木村へ行った日。
さて、仕切なおしてまた手紙を書こうかな。先日は忙しいのに呼び出したりしてごめなさい。好きな女性を強引に呼びだしたりしたのは随分と昔の話になりますから、その時の自分の手口(やり方や方法)はすっかり忘れたけど、性格が変わっていないからよく似たことをやっているのかも知れないなあ。すっかり恋人気分で散歩をさせていただきました。貴方と話をしていると、自分の娘を説教しているような気持ちになったり、想いを伝え切れてない片思いの人にきっかけを作っておどおどしていた頃の自分に戻っていくような気持ちになったりで不思議ですね。観点を変えればこれは心の浮気なのかも知れません。でも、恋だの愛だのが潜在心理にあるならば、それは浮気と言うかも知れないけど、先日のデートは浮気じゃないね。貴方が私を好いていてくれるなら話は違ってくるかも知れないけど。心理ゲームみたいな感じ、変な友人関係ですね。でも、好きなんだな。娘みたいで、大事にしたくて…。理想の娘とか娘像なんて感じなのかも知れない。こんなことを書くと迷惑かも知れないなあ。

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11/4.振替休日。朝、五時前から目が醒めて自分の部屋にやってきて現在のように椅子に腰掛けた。机の上には中島みゆきの「愛が好きです」という本と宮本輝の「ここに地終わり海始まる」「避暑地の猫」がある。「芭焦入門」なんて本も積んである。勉強をする時は平たい大きな机が理想的で、私のそれは台所のテーブルの払い下げを使っています。部屋のど真ん中に45度回転させた状態で設置してあるので初めて見た人は片づけの途中かなと勘違いするかも知れない。引き出しはない。本棚は部屋の壁に付けて置いてある。…とまあこの部屋は図書館の閲覧室兼書庫のようなもので、私のつつましやかな部屋であります。
朝日新聞の昨日(11/3)の日曜版が四回目の連載だった記事、癌の最前線治療やら処方の現実の話がありましたが読んでいましたか? その第一回目に(四週間前ですね)痛みを除去して死ぬ間際まで快適な普通の生活ができるという話がありました。先日も少し話をしたように、一週間ほど前までは何もないように生きてゆけるという記事。二年ほど前に、「病院で死ぬこと」という本が話題になりました。素晴らしい本です。如何なる小説をも超越した書物であり、論文であり、文学でもあった。文庫で出ていると思います。まだならぜひご覧ください。貴方のような立場の人が、私、何をすればいいのかなんて思っているなら、素晴らしく参考になる提案がありますよ。
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Y子さんの…と書いて今初めて貴方の名前を書いた事に気が付いた。やっちゃんと呼んだらいいのかな、いや○○さんと呼んだらいいのかな。11/3,4に旅に出ると話しました。でも行きませんでした。貴方が話をしてくれたことが頭から離れなくて、私には何もできないし、してあげれないし、想いが巡って目が冴えた。人は何故泣くのか。考えたこと、ありますか。いろんな人がみんなそれぞれ答を出しています。私の答はひとつです。悔しいからです。石につまづいて痛くて泣く、恋人に振られて泣く、お腹がすいて泣く…。自分の力で変えることができない悔しさから、自分の無力を泣いているんだと思います。おばあちゃんが死んだ、犬が死んだ…その時もただしたたかに泣いた。人は無限の力を持ちながら、無力なことがあるんですね。それが悔しいんだと思う。
自分の生き方を真剣に考えて、生き生きとしなくてはなりませんね。孫の顔が見たいとかお嫁に行く晴れ姿が見たいとか、いろいろあるかも知れない。けれども一番大事なのは貴方の生き方の哲学でしょう。そんな冷たいことしか私には書けない。
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中島みゆきの詩集の冒頭に
 元気でいますか。あなたに手紙を書くのは初めてですね。街のどこかで会ったかも
 知れないのに言葉をかけずに来てしまったあなたへ。
という始まりがあります。
今日は貴方に、手紙を書きました。
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命の話ばかりを書いてごめんなさいね。でも、私の母も大腸癌を切って二年目ですが今は忘れているけど、やはり心の奥では忘れられない。私って冷たい人かも知れない。そんな母の姿を見ても悲しさがこみ上げてこなかった。18歳で家を出て39歳になった今も実家にはあまり帰らない私は世間では悪い長男と呼ばれても仕方ない。毎日が忙しいのでしょうね。文学の話や心理学の話、お父さんにビジネスを習ってみては…という話…。思いつくのは幾らでもありますが、この辺にしましょう。この手紙が出せない手紙になってしまったら残念ですから。今度、会うときの話題に残しておきましょうか。まあ、気軽に電話をしてもいいですよ。

)長い長い前書き。本来なら前略で済ませるところだが、
)そうも行かない。少しお付き合いください。
)この段から始まる書き出しは今日のものです。6/29。

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 その後お変わりありませんか?という書き出しの手紙を今までに何度、認(したた)めためたことだろうか。残念ながら月日が過ぎてしまい、思い出すだけで苦笑いが出てくる始末である。私の青春の骨格を成していたそんな手紙は、その時に恋した女性の元へと配達されて消えていき、歳を喰ってしまった今となっては私の記憶の片隅に残っていない。受け取った人は破り棄てたのか、大事に残したのか、結婚と同時に焼き棄てたのか…、それさえもわからない。情熱的に愛を綴り、何枚もの便箋に書きあげたものは明らかにラブレターであった。それを偽善的だと自己評価し、尻込みしながらそれでも私は投函した。感情が燃え上がり身体が火照るのがわかるくらいで、目の前が揺れていても、郵便ポストに向かい、私は投函するのをやめなかった。青春の情熱とは不思議なものでこれ程までに日常生活に魔力を与え、人形を操るようにひとりの無力な人間を自由に踊らせてしまう。恋とか愛とかいう有り触れた言葉で表現しても構わないが、少し違うようにも思う。その人自身が好きなのではなく、その人の存在が重要であったのかも知れない。共感する事ができる人を探っていたのかも知れない。彼女が私に共感してくれているのか否かは、恋心が邪魔をして盲目になっていた私には判別できず、ただ私は自慰行為に似た手紙を書き綴っただけなのかも知れない。話し相手もなく深夜に自画像を書いたり、手紙を書いたり、ある時は小説に浸ったりしながら私は恋に憧れて、ひとりを哀しみ痛んだのであった。そういう姿を知って、親しい友人は私をひとりでは生きて行けない男だと言い切った。

 人の心を探りたいといつも私は思っていた。自分が好きな人が私をどう思っているのかを知りたがった。だから、女性を好きになるとそのことをすぐに告白してしまう。貴方が好きで仕方がないのでどうにかしてくれと縋(すが)りついた。子供のように胸をときめかせ、逢える日を待った。自分の目の前にある苦難から一刻も早く逃げ去って、嫌いな勉強も忘れてひとときの幸せな感覚だけに酔いしれている時間は、私に取って死んでしまっても構わないほどに幸せな時間だった。しかし、そんなものがいつもあるとは限らない。それ以外の時の私はいつも不幸であることを知っていた。学生である自分が音楽に浸ったり小説に溺れたり、女性に手紙を書いたり思い浮かべたりというような自慰にふけっているのがものすごく罪人に思えた。しかし、そういう時はそれを忘れようして、ひたすら夢を見続けた。
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(日付けが変わってしまった)
手紙はどこまでも自分を見つめ続け、一見、正論の繰り返しのようにも見えるが、実はそれがくせものであった。何のことない、貴方に逢いたい気持ちを棄て切れず、手紙を書いたのを持って出掛けた。恵利原に水を汲みに行くという嘘が大方ばれても仕方なのないような出まかせを言って家を出た。言い訳を次から次へと私は考え、まるで小説をドラマ化して自作自演をしているように街中から電話を掛け、留守なのがわかると誰も見ていないのに悲しそうな顔をしてひとりごとを言い、コンビニで切手を買って手紙に貼った。

その手紙が届いてありがとうと電話の向こうで言っている。どんな顔で居るのか。私のラブレターを受け取って肩透かしをするようにニコニコと話し続ける女の子は、もはや子供ではなく、なかなかズルイ心理を持った魔女のようだった。そう思うとまた私の身体が熱くなる。今にも飛んで行きたいほどだった。

伊勢市駅前まで呼び出した時「時間っ、ないの」と挨拶抜きで最初に言った貴方の頭の中は、ほんとうに時間のことで一杯だったのだろう。それを強引に外宮まで私は誘い出してしまった。「強引やわぁ」を繰り返す貴方のその口調が夢中なのでそこがまた気に入ってしまった。ちっとも強引だと思わない。何故って断ればいいじゃん。付いて来てくれたんだから、強引であろうが何であろうが私は満足だった。でもそんな私は、いつか嫌われてしまうのかな。

時間をあらかじめ連絡しておいてから逢おう、なんて私にはできない。逢いたいと思ったらすぐでなきゃ…。ドラマの台詞のようなことを考えている。「海を見に行きたかったん」と白状した。これは嘘じゃない。風の穏やかな冬の一日、晴れ渡る青空の下で太平洋を眺めていたい。貨物船が動いていくのを見ていたい。学校の音楽室からも伊勢湾がよく見えるけど、たまには潮の香りを肌で感じながら海を見たい。何故、空の青と海の青が同じ青なのに区別ができるのだろうか、そんなことを思いながら遠くの海を見ている自分が時々ある。

(手紙は終わり)

つづく

Tags:ハート どきどき

| 2005-08-03 12:05 | 手紙 |


儚き出会い/キリマンジャロ


田辺君という立命館大学の学生さんに出会った。彼はバイク(バイクツーリスト)で1977(昭和52)年の夏の北海道を旅していた。当時の旅はヒッチハイクと徒歩の旅だったので、田辺君と出会った瞬間、バイクで旅をする人に対してさほど関心を私は持っていなかった。つまり、冷めた感覚というか無関心に近い印象だったと思う。

雌阿寒岳[めあかんだけ;海抜1、503m]でのご来光を拝む夜間登山を終えて戻った朝、そのメンバーに向かって野中温泉ユースホステル(YH) のスタッフの誰かが、「ウトロYHに出立してしまった田辺君というライダーに忘れ物の免許証を届けて欲しいのですが、誰かそちら方面に行く人はいませんか?」と言って人を探していた。まさにその日に知床(ウトロ)に向かう予定だったので、気軽に「ハイ!」と私は引き受けた。

ウトロYHには明るいうちに到着して、田辺君の免許証をYHの人に預けたあと、夜通しで歩いたせいでとても眠かったのだろう、私は夕飯を前にして熟睡に陥ってしまった。ミーティングの頃に1度目を醒ましたものの、夕飯を食べたかどうかさえも記憶にないほど眠く、再び眠り続けた。

ただあの時、ミーティングでギターを抱いて歌っている誰かがあったのを朧気(おぼろげ)ながら覚えている。透き通った声で「♪今夜はキリマンジャロ、二人で飲みましょう」というフレーズが鮮明に蘇る。

結局、田辺君とは同じYHに泊まったはずだが会って話すこともなしに、次の旅先へとお互いが出発していった。そのあと、旅が終えて家に帰った田辺君から私に感謝の手紙が届き、何度か手紙のやり取りがあった。そして数年後、私が大学を卒業して、彼の下宿のあった京都の鴨川沿いの路地裏通りを尋ね歩いたような記憶も微かに残る。
まさか、数年後に京都に就職するなんて考えてもいなかったので、便りもやがて途絶えたままになっていた・・・・。彼もどこか遠い街に就職してしまったかもしれないなあ~と思いながら、鴨川の土手を歩き、昔に聞いた住所を探したりしながら暮らし始めたばかりの古都の散策をしたのだった。

今、もしかして、押入を探せば彼のあの下宿先が見つかるかも知れない。そしたら、下宿に問い合わせて実家を聞き出して、また音信が戻って、「オレも今、バイクツーリストをしてるんだよ」と言えるのかも知れない。一度も会っていない人なのに、妙に懐かしい。

出会いとは儚(はかな)いものだとつくづく思う。ちょっとしたタイミングのずれで、二、三度の文通で終わることもあれば、一生の出会いにだってなる。

ウトロYHで夢と現実の狭間を流れたあのフォークソング。誰かが弾き語りで歌っていたあの「♪キリマンジャロ」の歌詞の響きが忘れられない。だから私は、キリマンジャロが好きになったようだ。世間ではコーヒー嫌いで通している私が、それは偽の姿で、キリマンがないと朝が始まらない。

そして、エキセントリックでドラスティックな出会いをした田辺君。あれから30年近く歳月が過ぎたけど、まだライダーをしてるのだろうか。あの時、バイクに乗っていなかった私も、今はバイクの話に参加できるようになったよ。立派なツーリストになったよ。風貌も変わってしまったけど、私はまだ旅人をしています。彼にそう伝えたい。
-- --
知床の記事を読んでそんなことを思い出した。やはり、私がもう一度、五度目の北海道を旅するためには相当な強い動機が必要になってくるなあ。

一部分改訂、初出:July 4, 2001 IMF:第10回「儚き出会い」

| 2005-07-16 10:54 | 手紙 |


自分に向かって語って・・・


◆足跡について
結構地味にやっているつもりが、(ミクシーというネットに)いつの間にかどっぷり浸かって、足跡を付けて歩いていたりする自分がいます。訪問の記憶をすぐ忘れるので、ふと目にとまった方の文章や日記やらを何度も再訪してしまう。だからなおさら足跡が多いと思う。

◆「父の形見」について書いた日記について。
父のことについて、何らかの形で自分の思っていることを書き残しておこうと、前から思っています。そこであのメモのようなものとして断片的にあちらこちらに書いているひとつが先日の日記でした。本来ならネットに書くようなことでもないのでしょうが、もしかしたら同じようなことを感じている人がいたら、うなづきあいたいなと思ったわけです。でも、そう簡単に期待しているようなコメントばかりは集まらない。人にはさまざまな視点や連想があるということでしょう。

なかなか自分の思うようなものを実現することは難しい。これはネットのコミュでも、仕事でも、家族の間のことでも、何にでも言えるのですけど。あんまし欲深くならずに、しかし諦めることもせずに、夢も抱き続ける・・・っていう生き方ですが、何をささやかに楽しみにしているんですかね。

バイクの旅、本を読むこと、音楽をすること、歩くこと。

近頃は「酒を飲むこと」ってのを書かなくなったけど、家族は、昔と変わなく浴びるように飲んでいるじゃないか!と指摘します。

久しぶりに自分に向かって語ってしまいました。どっかに残しておこうかな。自分を振り返る材料になることがあるかもしれないし。そんなアタシで、そんな今日この頃です。

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きのう、ある人あてに書いたメールを原本にして、少し一部改訂しました。

| 2005-05-14 10:52 | 手紙 |


早死コース


年賀状の内容は普通の手紙だった。

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お元気ですか。仕事はどう?
私は元気だヨ。今は昼間の本屋、深夜にスーパー。
寝る時間を削って働いています。
なんでそんなにやらなくてはならないのかと思うけど、
まァとにかく今はお金がかかる子ども達を抱えているので・・・・

早死コースひた走りは(望むところだからいいけど)
長い間、のんびりしたから今、猛ダッシュです。

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この子は、二十歳のころに合コンで出会った子で、環七を飛ばせばいつでもすぐに会えるところに居ながら、数回しか会わなかった。私が都会を離れるとき、その前の晩にも新宿の飲み屋でご馳走してくれた。「私は先に社会人になったからね」と言ってたらふく飲ませてくれた。

あとになって、「アナタがあのときに一緒に行こうと言ったなら私は古都まで一緒について行っただろうと思う」と手紙をよこしたこともあった。

中学時代の部活の憧れの彼(大手証券会社勤務)と結婚し、順風満帆のように走り出したけど、突然の倒産に遭い、今は葛飾柴又に帰ってしまった。

二、三年前に、メールにアホなことを書いて以来プツンと切れていた音信。それを探るように今年は年賀をよこした。「いったいどういう風の吹き回しなんだよ」と問うてやりたいものだが、筆不精のせいで(ペンを持たなくなったなー)まだ返事を書いていない。
「ダンボールに一杯あったオマエさんからの手紙。少し前にゴミに出して棄ててしまったよ」って伝えなきゃ。

| 2005-01-19 10:13 | 手紙 |


激動の時空をゆく


eデモクラシーは激動ですね。位置エネルギーが運動エネルギーに変化してゆくのも激動ですが、手に満たした絵の具をキャンバスにぶちあけたりすることや、音楽でいえば♪=60のpppから♪=120のfffに変化するのも激動だろうね。アーティストと一体となってその変化をもう1回微分しながらやってみようじゃないか。そんなことを書きながら考えてます。
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そんなメッセージを友だちに送った。この続きは、まだ考え中。

| 2005-01-08 09:45 | 手紙 |


信管


会社を辞めて3度目の冬を迎えている。

早期退職募集に応じて辞めて月日が過ぎた。事実は違った。世間体を最も重んじる古い体質の会社だった、だから早期退職制度という大義名分が非常に便利だったのだろう。報道等への公表もすべてこの言葉で処理し、事実上の「首切り」を行った。世間体は充分に保てた。

一方、私には学んだことが多かった。でも、気付くのが遅かった。私のように、会社を信用して自分の人生を家庭と共に預けてしまおうと思っている人が多いかもしれない。仕方がない。野生動物の生き抜く掟と同じだ。あのときにはなかった冷めた感覚が私の中で芽生えている。

自分の人生観をそんなに斜に構えたくない。しかしそれは所詮、希望のようなものだ。会社で一生頑張ろうと思って社会人になる。悲しいが私も斜に世間を見るように人生観を転換した。会社を辞めたのが切っ掛けだ。

私が居た元の会社がまた「首切り」をしているそうだ。そんな情報が耳に届く。昔の会社がどうだって構わないというのがホンネだ。もう今はむかしの会社の製品は買わないし、名前も口にしない。私が穢れるような気になる。オモテとウラのある組織なんてザラだ。企業なんてご都合主義で当然だ。組織が純潔性を増して不都合を排するなんて何も悪いことではない。残った人にはご健闘を祈るしかない。

なのにどうして私はあの会社のことを考えるのだろうか。会社が愛しいわけでも憎いわけでもない。ひとつの理論式モデルとしてその存続原理を科学したいと考えているのだと思う。そうでなければ、そんなにいつまでもこだわらないだろう。バカみたいに、無縁の会社に関わっても仕方ない。だから逆らってでもどうしてもあの組織を数式モデルのようなモノに、私は表現してみたい。もしかしたら、その上で信管のようなモノに手を延ばしたいと夢見ているのかもしれない。

| 2004-12-23 22:34 | 手紙 |


うたた寝


こんばんは。

きょうは、居間で毛布をかぶって
食後のうたた寝をしました。
そんな季節になったね。

さて、と。
台風ですね。嫌だね。

----関連 : うたた寝
おはよう。 トンネルの中が暖かい。 先日の越前おろし蕎麦ツーリングでそう感じまし...more

| 2004-10-19 23:39 | 手紙 |


お盆やね


僕のほうはお盆も平日も関係なしですが、
偶然に仕事があいてしまって19日までお休みになってしまいました。
何もすることがありません。
やっぱし仕事があるのが嬉しいな。
お墓参りは昨日行ってきました。ここ何年も静かな夏です。
じゃあまた。

そんなメールをのりちゃんに出したら

今日はバイトでやっと今から寝れます、
お盆やけど仕事です、
お墓は母が亡くなってから毎日行ってます、
一日もかかした事はないよ、
台風でも風邪引いても行ってます、
お墓に母の骨を私も置いたから母はそこにいる、
毎日私が来るのを待ってると思うから、
お蔭様でお墓へ行かなくちゃって思うから大病(風邪引いてもすぐ直る)しなくなったo(^-^)o
花も水かえたらな可哀相やしいつもいるかえるちゃん達も水飲めないから、
母は花が大好きだったからいつも花は絶対きらせられないん、
幽霊でもいいから私に会いに来てって思う(:_;)
お墓は私がしぬまで行きたいと思ってます、お休みー

ってメールが返ってきた。

久し振りにホロリとさせられてしまったわ。
大学時代にやり取りした彼女からの手紙がダンボールにいっぱいあったのだけど、
先日、思い切って棄てたところ。
25年近くも私の引越しと共に持ち歩いていたんだけどね。

少し色褪せても、大事な友達なんだって思う。

Tags:はじまり

| 2004-08-15 10:09 | 手紙 |


6月の挨拶


前略、ご無沙汰してます。はやいもので、もう六月になりました。

先日、こういう書き出しで○○○さんにメールを差し上げました。
そしたら、お返事を早速といただき、「◇◇◇さんにも近況報告をしてあげてください」 と書いてくださいまして。
遅くなってしまいましたが今頃に、お手紙を書いております。

◇◇◇さんにあてたたメールは、最後に付け加えておきます。
〔このメールは◇◇◇さんにも送ります。重複箇所は消しておきます〕

何やかんやとあって1年と2ヶ月が過ぎました。
辞めてしばらくはどうなることやら と相当に悩みましたが、とりあえずあるところの仕事についています。 しかし

〔略〕

様々な方々が、「貴方には技術があるから」とおっしゃってくださいますが 履歴書を50通以上出してきまして、私のこんな技術はそれほど有効じゃないことが 嫌というほどわかってきました。有効にするにはもう2,3段上のレベルの技術者で なくてはならなかった。

年齢〔今年46歳になります〕の制約も大きかったです。

もう今更、技術で飯を食うのも嫌気が差して、長距離トラックの運転手になろうと しましたが「餅屋は餅屋」、そう簡単に私は「餅屋」〔つまり運転手ですね〕に はなれません。つまり技術者を辞めると宣言しても、どこかに未練やプライドが あるんですね。

ちょっと愚痴っぽくなりますが、続けます。ごめんなさい。

部長から、相当に非情である意味では卑劣な方法で私に早期退職を迫られましたので、 会社も職場の恨んでいましたが、時間が過ぎれば気も変わります。

※ 卑劣という言葉は曖昧ですが、非常にわかりやすい例で申し上げますと 「君には愛人がいるだろう。それを家族に告げるよ。コレが困るなら 何もなかったように会社を辞めなさい。」というようなやり方です。 実際に私にはそんな後ろめたさはないですが、愛人という部分を、「家族にも同僚にも 友人にも打ち明けられないような〔打ち明けてもわかってもらえないような〕 ことだった」と思ってください。それをネタにして、個人攻撃的に退職を諭されましたからね。 憎むのも仕方がないでしょう。まあ、この話はここだけの話で、秘密です。

しかし、今は個人を憎むよりも、そうさせた会社の一面があるということだけを 心にしまっています。

◇◇◇さんや◇◇さんのお便りを拝読していますと、永年お世話になった会社に 非常に感謝をなさっています。いい会社だったとおっしゃいます。 業務では何もわかりませんでしたが、人間的にお付き合いをさせていただき 様々な薫陶を日常の会話の中から授かり、尊敬してきました◇◇◇さん、◇◇さん が、称えておられる会社ですが、実は私はあまり好きになれないままでした。

しかし、そんな思いを持ち続けていても、私自身は大きくなれません。 お二人のお言葉をプラスにとって、私の気持ちも変化させようと思うようにしています。 世話になった職場を、もっと前向きに振り返り、自分の人生哲学にも生かして ゆこうと思ってから、少し楽になりました。辞めてからの一時期、私は2度と製造業につきたくないと思ったのも、人間を そのような手段で管理しているような組織には戻りたくなかったからで、あの時は 確かに心の奥深くまでやられましたけど、今は、気持ちを変えています。

ごめんなさい。愚痴めいたことを書きまして。

しかし、人は様々な経験をして人生を送ってきます。職場を変わりながら、まったく 違った業界の人たちと接してゆけることに最高の喜びを感じています。特に、行政の 世界に〔教育の世界に〕入ってこれたことは、最高の経験です。 そんな経験が即、次の仕事で生かせるわけでもないのですが 私自身の人間味が変わりつつあると思っています。

家族や親族からは、そんな安い給料で生活資金にもマイナスが出るような仕事で しかも1年契約の仕事よりも、新しい仕事を探せと、相当しつこく言われます。 しかし、今の時期、私が現在就いているような自分でも聖職であり天職と思えるような 仕事などありません。どうせないなら、少しでも皆さんの役に立つ仕事をして、 息途絶えてから次を考えてもいいだろうと、自分に言い聞かせています。 私が長々とお手紙を書き始めた心のうちは、私の気持ちの変化を伝えたかったのでしょう。 自分でも良くわかっていないのですが、今の自分の仕事に誇りを持って 前向きに生きてゆけと自分に言い聞かせたかったから、信頼でき尊敬している人生の 師匠なる人に、その気持ちを伝えたかったのだろうと思っております。
長々と、脈絡のないことをつづりましたが、これからも、雑談レベルで結構です、 いろいろなお話をお聞かせくださいませ。 全国的に梅雨入りとなりまして、鬱陶しい日々がしばらく続きそうです。 阪神タイガースの元気にあやかり、毎日、がんばりたいと思っております。 お二人も、お体、ご自愛くださいますよう。

〔フッタは略〕

参考添付

◇◇◇さんへのメールです 

前略、ご無沙汰してます。はやいもので、もう六月になりました。 お元気でお過ごしですか? 黄金週間があけたら一度お手紙を出そうと考えていたのに、それが、 一日伸び、二日伸びて、あっという間に初夏となりました。 「光陰矢のごとし」とは、まさにこのことですね。

さて、四月二十九日に我が家のパソコンが突然動作不能となりました。 日常から如何に電子メディアに頼っているのかを、去年の夏の クラッシュ事件で嫌というほど味わいながら。再び、味わいました。 たった一年であの苦渋を忘れたのか!と叱られそうです。

しかし ちょうどバックアップ機を購入してゆく予定もあったため、計画の 修正はあったものの、急遽新しいパソコンがやってくることになり ました。 時期、切迫の中ではフルに自作というわけにゆかず、セミフランチャイズ というか・・・。パソコン工房のオリジナルバージョンに少しアレンジを したものとなりました。十年以上前のVTRも編集できるものとしました。

パソコンが修理に出ていたのは3週間で、その間に少しずつ新機種を 設定して、かなり落ち着いてきたし、キリのいいところでお手紙を書 いてみようと思い立ちました。HPの更新は、放り出したままで定期 連載ものは中断中ですが、昔からライターをしていたIMFのメルマガ が復刊していきますので、またあれこれと書き綴る時間を増やしてゆこうと 考えています。仕事のほうは、まずまず、軌道に乗り始めました。

(略)

夏休みには、ある講座の講師もさせていただけます。結構、楽しみにしています。

健康に関して。大腸にあったポリープも三ミリのまま大事に残っています。 悪性化することない模様です。
皆さんもカメラの検診をなさることをお勧め します。 月並みな便りですが、そんな感じです。

〔記:六月七日朝〕

| 2002-06-07 06:00 | 手紙 |

細雪 上中下  谷崎潤一郎  

読書に関わる日記を書き写しながら読んでいる。

向田邦子さんの作品を読みながら「細雪」を読んでいたことがわかる。
細雪は、娘が大学の講義関連で、たまたま読んでいて、私も手に取ったのがきっかけだった。

娘は文学部だが、私は工学部だ。、工学部でよかった。気楽に作品が読める。
(平成22年7月28日記)


| 2009-01-17 16:00 | 読書系セレクション |

細雪 上  谷崎潤一郎

このような文学作品は、二十歳の頃に読み逃がすとそのままズルズルと読まないままで過ごしてしまい、時々読みたくなってきても、本屋の棚積みの本のほうを先に手に取ってしまいがちなのだが、たまたま娘(文学部3年)が夏休みころに読んでいてその感想を断片的に聞かせてくれていたし、またそれが面白いということだったので、読みたい本が何も無くて迷ったときなど、いつの日か必ず私も読もうと考えていた。

舞台は関西で、言葉も馴染みの或るものばかりであったことが、始まりの部分で投げ出さなかった大きな理由かもしれない。何故ならば、噂ほどでもなく、思ったほど面白くなく、谷崎の文章ってのは何てわかりにくくて、一体この文章のどこが美文で何が文学なんだと怒りすら湧いてくるほどの始まりだったのだが、途中で投げ出す前に次の段落まで読んでみてから…の連続で少しずつ先に読み進む。

通勤列車の30分だけで読むのだからほとんど進まないし、昨日の内容は尻切れトンボで終わっていたりするともう一度数ページを戻って読んだりの連続だったが、1ヶ月ほどでとりあえず上巻を読み終わることとなった。

この作品がなぜ今の時代になっても読み継がれてきている訳は、文学に詳しくない私にはよくわかならない不思議なことだが、話の内容が内面的な感情をあれこれというものばかりではなく、映画の原作のようにストーリーがしっかりしておりきちんと凸凹もあるからだろう。テレビの無い時代に小説を愉しむという人には、現代の連続テレビドラマのような物語であれば、さぞかし新鮮であり文学であった。相当なベストセラーにもなれただろう。

昭和10年頃の時代背景で物語が進む。東京に転居した鶴子が、空気が綺麗なのでワイシャツの洗濯は三日から四日になったという話を手紙に書いてよこしていることやお見合いの時のひとつひとつのシーンやエピソード、さらには、着ている服、(蒸気機関車の)特急に乗って関東と関西を行き来する話など、果たして現代の学生さんが読んでわかるんだろうか…外套ってどんなものか見たこともなかろうに(私は子どものころにありましたから)などと思い、また、こういう作品を受け継ぐことは大事だなと考えたりしながら騙されたように上巻を読み終わってしまった。先にも書いたように急いで読まなくても連続ドラマのようにだらだらと続くので、中古の文学作品を現代訳文で読むような調子に慣れれば、なかなか面白く読める。

(そう書きながら中下巻と読みきるかどうかも不安な作品で、また読まなかったとしても惜しくも無いような感じである)

そんなところが上巻までの感想です。


| 2009-05-25 15:30 | 読書系セレクション |

(中巻での感想はなし)

下巻読了後感想

この物語のようなものを文学というのだろうか。
そんな反問がいつも頭の中をよぎりながら、ダラダラと終わりの無い文章を読んでゆく。

面白いか、面白くないかといえば、面白いほうかもしれない。しかし、ピーキーな事件が溢れている現代で、こんなのんべんだらりとした結論もあってないような物語は、果たして受け入れられるのか。

活字中毒と言われる(自称する人もあるが)人たちが、ニコチンやアルコールの中毒の人たちがそれらを求めるのと同じように活字を追い続けるとすれば、面白くて適しているのかもしれないが、少なくとも私には「文学」を味わうほどの才器はないみたい。


作品としては上巻でも書いたように、大阪京都と東京を舞台に4人の姉妹が織り成す物語として面白く、例えば映画やドラマのように自分の頭の中で思いをめぐらせながら読むといいかも。

5ヶ月くらいかかって、通勤列車の中で読み続けたのだが、その間に別の文庫が何冊も追い越していった。そういうふうに道を譲れるような作品だ。日常の中に溶け込んで、読んでも読まなくても構わないようなもので、終わりも知りたいとも思わないし、知らなきゃ損するものでもなかった。

褒めなかったけど、薦めないかというとそうではない。読書好きならお読みなさい。昭和の初期の世の中のこともようく見えてくるし、人々の生き様などがきちんと物語化されていて、小説から何を得るのかというようなことを考えるなら、ぜひとも読んで谷崎潤一郎は何を書きたかったのかを考えるのもいいだろう。

ひとつだけ自分用のメモとして書き残して置くならば、3番目の妹の雪子ちゃん。こんな寡黙で大人しくて、しかも綺麗な子がいたら、私はすぐにお嫁にもらいに行きます。

向田 邦子 思い出トランプ

思い出トランプ
向田 邦子
新潮社1983

2010年07月28日 10:17

詩人ではない。だが、初めて読む詩人に出会い、ぐぐぐっと惹きつけられて行ったときのような引力じみたものを感じる。いや、引力とは違うぞ、呪ないのような優しさを持った不思議な力。昔、寺田寅彦を教科書で読んだときのような不思議な感触にも似ている。

感触。そうだ、小説でありながら質素な包装紙に纏われて、式台に置かれたお土産の中身に触るような、日常という息遣いの中にあるひっそりとしたおこない。そう、そういうものに「触る」ようなタッチが、文章そのものにも、話の中身にもある。

だから、詩ではない。もしかしたら小説でもない。文学でもないかもしれない。そうか、この人のことだから、シナリオ的芸術で、文学的作品ということにしておこうか。

直木賞にだってハズレはあるだろうけど、この作品を読んだ人はまた一歩直木賞が好きになる。直木三十五が南国太平記を書いたころ、後年になって私たちが胸を躍らせながら南国太平記を読んだときと同じように、今は、テレビでも映画でもない、向田邦子の文芸を読んでみて、コレダと思った。

今、直木賞なんて意識しないままで、作品の賞なんてのはどうでもいいよ、と思いながら、一方で、どこか脈々と文と芸と狭間を彷徨う作品に酔いしれている自分がいる。

膝を叩いても口笛を鳴らしてもいい。素敵な小説に出会えて本当にウレシイ。今の私の年で逝っちゃったというのが悲しいけど、足音はいつまでも響く。

向田邦子 父の詫び状  (昔に書いた向田邦子)

(昔に書いた向田邦子)
| 2009-06-12 21:04 | 読書系セレクション |


父の詫び状
文藝春秋
向田邦子

-----

決して
忘れかけた昭和、などという安易な言葉で済ませて欲しくない、そういう時代を邦子さんは生きていた。

戦争がもらした国民全体の不幸。それを大きく引きずりながら、多くの人が貧乏を共にしていた時代に生きて来た人だ。

私の母が昭和六年生まれで、私が昭和三十二年生まれだから、向田さんのこのエッセイは、まさに私の母が私に対して言い残した説教であり呟きであるのだ。

人間味が溢れる数々のひとときに、私は自分の子どものころを思い出し、母から聞かされた戦後の想像の景色や暮らしを思い浮かべている。

特に、地球環境のことを仕事にしていますので、現代人の「豊かさと満足度」についての考察が何年も続いているのですが、「鉛筆を削る音」に関する思いや「よそ行きの服」の話題が出ていると、現代人の意識改革も或る意味では必要ではないかと言いたくなる。

向田さんの文章は着飾ったものでもなんでもなく、文学的なものでもないのですが、男っぽいカラリとしたなかに歌舞伎でいう見得を切ったような、うしろ姿を見てくれ!みたいなところがあって、好きです。

ああ

この方が、私が青春時代に、欠かさず見た連続ドラマなどのシナリオを書いていたんだ。知っていましたし、私もシナリオ書きになれるような才能があったらなあというような憧れを抱かせてくれた人だったと思う、

こうしてエッセイを、何と今頃になって読んでいる私が、懺悔のしようもない出遅れ者のように思えて恥ずかしいです。

昭和30年代のあらゆる出来事を、疎かにしてはいけないのだと、自信を持って言って良いのだ!と向田さんが仰っているような気持ちになります。

父をなくした五十歳ほどのオヤジにオススメします。
泣かないように読んで下さい。

先日から通勤列車の中で読んでいました。

列車が揺れるので、ペンを持ってメモを書き出すのに苦労しました。
じっくりと読むことオススメします。

少しお歳をお召しの方々に。

ちょっと立ち寄った古本屋にて (昔に書いた向田邦子)

(昔に書いた向田邦子)
| 2009-05-19 22:48 | 読書系セレクション |


先日、時間調整で立ち寄った古本屋にて

◎父の詫び状  向田邦子
◎てるてる坊主の照子さん(上・中・下)  なかにし礼
◎谷川俊太郎詩集Ⅰ 空の青さをみつめていると

が各冊100円で売っていたので、

買ってしまったんですが、

細雪が下巻の妊娠発覚のところあたりで、とまっていて
次々と追い越されていってしまう状態で、焦ってます。

「父の詫び状」がなかなか味がある話でいいですね。
向田さんの文章はそれほど痺れるものでもないのですが、人間味があります。

寝る前に寝床で読む本にしたのが、ちょっと、あかなんだ。

なかにし礼 セレクション

長崎ぶらぶら節  (なかにし礼著)

eデモジュニアに「長崎ぶらぶら節」を紹介したのはずいぶんと前のような気がします。

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林扶美子の「放浪記」を読み終わったときと似た感動がありました。中身やジャンルはまったく違いますが、時々、朗読をしてしまいたくなるような小説です。
しっかりしたモチーフと主題のもとで、どうしたら読み手がのめり込んで自分の文章に酔いしれてくれるだろうかと、思案をしながら書いている。いやそれが天性でできている小説でしょうか。現代風の作品を何冊か読んだ後には、夢の中で彷徨うような快感があります。

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こんなことを書いたんですね。感想を書くのが下手なので、ジュニアでの200字というのは手ごろです。結構、毎回200字に限りなく近くするのに楽しみも出始めてますが。

行ってきました。そうです。長崎へ。(11月14日)

この小説の舞台になっている丸山という地区を散策してきました。(写真はありません、すみません)

花街の名残はほとんどありませんけど、昔ながらの路地や坂道や石段があります。古そうな料亭のおかみさんが出てきてわざわざ向こうから声をかけてくれて道を教えてくれたり、今日はおいらん道中の日だ、と言って引き止められたりして、そこで長い立ち話をして楽しんできました。

身代わり天満宮とも言われている梅園天満宮というところで神輿が出てました。ちょうどそれが年に一度のお祭りで、ラッキーなものに出会えました。全国でも珍しいという女みこしです。(これも写真はありません)

長崎ぶらぶら節の映画は見てませんけど、今調べたら、市川森一さんが脚本を書いたんだって!映画もさぞかし面白かったことでしょう。

長崎ぶらぶら節
| 2004-11-16 13:10 | 読書系セレクション |


なかにし礼;兄弟

なかにし礼の「兄弟」を読み終えました。

「赤い月」を読んで、しばらく間をおいてました。別の人の作品などを読んだりしてましたが、長崎ぶらぶら節→赤い月→兄弟と読んできたけど、いい作品ばかりですね。

| 2005-08-14 22:21 | 読書系セレクション |


旅に出よう、本を読もう

GREEから
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▼なかにし礼著 長崎ぶらぶら節

朝日新聞に「愛の旅人」という連載をしているのをご存知の方も多いでしょう。

HPからでしたら、
asahi.comのhome > be > entertainment
で辿ることができます。

2月3日土曜日の「be」では
▼ 愛八と古賀十二郎
▼ なかにし礼「長崎ぶらぶら節」
という題名で、長崎を訪れています。

なかにし礼の小説は、「赤い月」を代表として、清水が湧き出て山肌を絹の如く艶やかに流れるような文章で綴ってゆく傍ら、激しくあるときは狂気のような展開が続くのです。素晴らしい文学だと私は思います。

行きましたよ。長崎へ。何年か前、出張仕事の帰りに少し個人的に休暇を戴き散策しました。

ご存知のように坂道の多い街です。路地裏を縫うように歩きました。枝道があると一歩踏み出してしまっている。

長崎ゆかりの文学作品は多いですね。

▼ 遠藤周作 女の一生(一部・二部)

長崎の街を知って作品を読めば、いっそう、味わえて、読後には必ずもう一度行きたくなります。行きたくならないなんて…考えられない。

| 2007-02-04 11:05 | 読書系セレクション |


なかにし礼著 赤い月

人の心を深く感動させたり勇気付けたりするチカラというものは、どんなに作者が意気込んでも、また拳に力を込めて闘志を見せても発揮できるものではない。もちろん文才があればよいわけでもない。
何だろうか。

もちろん天性の文才や努力による表現手法なども必要なのだろうがそれ以前に、作者自身がどれだけ眼前の事象について問題意識を抱き、苦労を重ね大波と戦ったかということ、さらにそのときに常に前を見て事実をしっかり記憶し、如何に生きるべきなのかと自問をしたかどうかなども大事なのだろう。

日本という国が辿った鮮やかで醜い足跡の中を生きた作者が単なる自伝ではなくさりげなく文学として書き残したこの作品にことさら美学を感じながら読ませていただいた。

胸に迫るドキドキ・ワクワクと感涙を抑えながら、赤ペンを片手にページをめくり、夜はあっという間に更けてゆくのでした。

一節を紹介します。声に出して読んでみてください。

赤い月(上巻)313Pから

日本の夕日は色濃やかで陰影に富み、しみじみとした美しさをたたえているが、満州のは違う。空に舞う黄塵が紗幕の役目を果たしているのだろうか。ひときわ大きく見える太陽がまだ中天にあるうちから赤々と色を帯び始める。それが金粉をまき散らしながら回転して落下していく。ゴォーッという音が聞こえるようだ。地平線に触れる時には、あたりの空は黄金色になり、台地の水分のすべてを蒸発させてしまいそうな勢いだ。川があったら干上がるだろう。海があったら涸れるだろう。そんな燃えるような夕日だった。

| 2004-09-05 08:54 | 読書系セレクション |

赤い月(上) 赤い月(下)

なかにし礼 戦場のニーナ

図書館で本を2冊借りても、2週間では読みきらない。
それは、読むのが遅いこともあるが、急いで読むと身体に染みこまないのだ。

早回しのビデオ映画を見るようなものなのかなと思う。
(もっとも実際には、映画やドラマをというか、ビデオ録画というモノを見たことが殆んどないので、ようワカランのですけど)

そういうわけで
普段からゆっくり読んで、本を借りたときは、延長することが多いのですが。

戦場のニーナは、久し振りにPCを放り出して読んでいました。

大いなる泣き虫の私は、こういう作品のときは全然泣かないなあ。
人間が冷酷なんかな。

「赤い月」を小説で読んでからのほうが、牡丹紅の惨劇はよくわかるかな。

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なかにし礼
戦場のニーナ
講談社

旧満州の牡丹江は、なかにし礼が「赤い月」で既に書いたあの場所だ。

あの場所から始まったひとりの人間の人生の激動を、自分が書かねば誰が書くのか。そんな勢いが作者にはあったのではないか。作品の始まりには、そういった気持ちがひしひしと表れている。牡丹工の戦渦を書かせたら前に出る人は恐らく他に居ないだろう。

ただ、全体としては、事実をもとにしたものの小説としての色合いが強い箇所もあり、恋人との詳細な出来事に及んでは、むしろ作品の質を下げてしまった感も否めない。
しかしながら、物語としては不可欠だったし、なかにし礼という人の作風を確かにするためにも必要だったかもしれない。また、赤い月で綴って読ませてくれた、縷縷として輝きながら読み手を痺れさせる文章も少し減ってしまったことを残念がる人があるかも知れない。

1945 年、中国大陸での戦争が終わった。その8月15日、天皇陛下が無条件降伏を宣言したにもかかわらず、ソビエトは尚、中国大陸の関東軍を攻め続け、軍の陣地はことごとく凄惨に焼き払われ、ひとり残らずというか、人物を特定できないほどまでに全てを粉々にし灰にしてしまっていた。これ以上の悲惨は長い歴史の上でも絶対にないだろう。

戦後もこの国家は、計り知れない弾圧と差別と統制を強行し、近代では相当明白になってきたものの、その数倍もの語りつくせない悲しみを大陸に住む人民の心に残し、悔しさや怒りを地中に埋めた。

なかにし礼の頭の中からは、何の責任も問われない弱小な市民をあれほどまでに痛めつけた戦争というモノが許せなかったのだろう。そして、牡丹江で発見されたひとりの孤児として彼女が背負った大きな傷を、自分のペンでひとつの記録作品にしておきたかった。この動機に揺り起こされ、この物語は出来上がった。ひとりの女性の激情を、詩的に、ときには、劇的に綴っている。

あの終戦の戦闘の中でソ連兵に拾われたひとりの少女の名はニーナといった。その子は、中国人として戦後のソ連で育てられ、数々の弾圧と差別の中で50余年という歳月を送る。自分は日本人だと信じながら生きてきた。激しく生きた生涯を、なかにし礼は静かに静かに作品に仕上げた。重い社会背景や時代背景を厭うことなく読んで欲しい1冊である。

| 2009-09-12 08:10 | 読書系セレクション |


てるてる坊主の照子さん〈上〉(中)(下)

(上)

なかにし礼という人は、「赤い月」という文学作品を残しているが、この作品はあのときの顔とはまったく違ったタッチで書かれていて、ずいぶんと砕けた話の内容になっている。

実は、これが本物のなかにし礼の姿で、赤い月や兄弟を書いていた彼は、一時的に鬼になっていたのではないか。秘められた才能(ポテンシャル)を別の形で文芸にすると、このようになるのだろう。

作詞家というのはこのような才能も持ち合わせているのだ。といいながら、阿久悠は小説を書いてもぜんぜん面白くなかったし、詩集でさえ私にとってはつまらなかったが、あの人は音楽があってそれに詞を載せたら誰にも負けない美を作り出すというすごい才能の持ち主だった。

昭和32年の年始から物語が始まる。ちょうど向田邦子の「父の詫び状」と同時進行で読み始めたので、なおさら面白い。

笑いながら、私たちの子どものころを思い出す。失ってきたものの歴史は、すなわち社会が痛々しく損失したものでもあるのに、豊かさボケの現代社会はさらさらそのことに気がつかない。総理だってその一人だ。

なかにし礼は、本当はもう少しセンチでなく、冷めてみていると思うが、ドラマの原作だけあって、そのような片鱗をなかなか出さない。

もちろん、ドラマは見ていないので、小説としか捉えていない。ちょっと中身が軽すぎるので損しているような気分にさせられるが、古本屋で3冊300円だったので許すことにした。

-------------

(中)

いかにも、普通の家族の展開ではある。

リアルな面では、フィギアのスケート業界というものがちょっと庶民からかけ離れているのですが、昭和30年前後というモノが忠実に書かれていて、自動車の登場やテレビの普及などは、面白おかしくドラマチックに書かれている。

しかし、
現実は、もっと生きようとする人々の必死の状況であったとも思う。

ただ
今のように人々はせせこましく生きてはおらず、大らかであったというところを作者は伝えたかったのであろうな。

お父さんの浮気事件も、おおらかな対処であるので、こんなことで許されるのかという感じもする。

当たり前の時代だったのだろうかね。

-------------

(下)

なかにし礼は、あとがきで
「この一年間、お前たちは不幸にも、見なくてもいい人間の醜いところを見過ぎてきたわ。でも人間の素晴らしいところや神々しいところも時々は見たじゃないの。それだけで十分、人間には夢をたくす価値があるわ」
という、赤い月の中での一節を引用している。

なるほど、そこにあったのか、と私は感動に包まれた。

そんなにのっぺらぼうな物語でもないと感じていたが、彼の身体のなかには脈々とあの壮絶な物語が生きていて、ひとときたりとも忘れることなく、彼の頭にあったのだろう。

長崎ぶらぶら節にしても、人の生きている営みのなかに或る真剣味とその勝負の姿勢を、彼の筆は書き逃していない。

ただ何となく、面白おかしく、愉しく、成功ストーリーとして描くドラマの中にも、持って生まれたある種の悲愴的ななかにし礼の視線があったのだ。

下巻の総括的な感想は、テンポが速くて中味が薄くなって行く感が否めないが、ハッピーエンドの分だけ物語としては面白かったのかもしれない。

この物語の一番の要は、時代背景であり、あの時代に生まれたものや築き上げたモノを、次の世代に引き継げなかった人たちの哀しみであるのかもしれない。

なかにし礼は「進化する魂の物語」と表現した。どこまでも詩人だな。

| 2009-06-30 21:53 | 読書系セレクション |


なかにし礼 長崎ぶらぶら節  のこと

遠藤周作と宮本輝のコミュに入っている以外は、
読書系のコミュには参加していない。
その遠藤周作のコミュを読んでいると、
純真な読者が多いので驚く。

長崎に行きたい。
そう思う。
こんな陽光うららかな日に、
小説の舞台を散策したい。

---

本はたくさん読めばいいと一切思わないし
たくさん読んでいる人や物知りの人が素敵だとも思わない。

むしろ読書に対して貧しいほどに知識もなく欲望もない人が
ちょっとしたきっかけで掛け替えのない「作品」に巡り会ってくれる過程
(数学でいう変化率のようなもの)を見ているのが嬉しい。

そういうチャンスをひとりでも多くの人に与えてあげたい。
読書部はそういうつもりで始めた。

恋はいつまでも実らないほうが輝かしく
夢は叶わないほうがパワーを秘めることが出来る。

ああ、旅に出たいなあ。

--
メモ
なかにし礼 長崎ぶらぶら節
読書部Ⅱのブックレビューにアップ。

| 2010-05-02 10:47 | 日記系セレクション |


思いつくまま・・・こんな人、そんな人

| 2004-09-02 06:15 | 読書系セレクション |


みなさま、ココをクリックしてくださってありがとう。
また、各方面からのお祝いメッセージもありがとう
(こんなところで不精な返事を書いてます)

---

このたび、県民発・読書系会議室を始めました。
お気軽に書き込みをお願いしますね。

一体何をするの?

↓ こんな人、そうじゃない人に、喜怒哀楽、意見、感想など、何でも書いて欲しいな、と思ってます。
(挙げればキリがないのですが、思いつくまま・・・)

・新聞の読書欄、新刊広告欄が待ち遠しい人
・本屋さんをぶらぶらして一日中過ごせる人
・古本屋さんをこよなく愛する人
・図書館に久し振りに行くと読みたい本がたくさんあり過ぎて困ってしまう人
・必ず3冊以上借りてしまう人
・電車に乗ると、カバンの中に本が無いと落ち着かない人
・ケータイを忘れても大丈夫。本を忘れると大丈夫じゃない人。(注:私はケータイを持ってません)
・しばらく無人島に行くとしたら、この本を持っていくんだ!と書名を即答できる人
・旅に出るとき、必ず本を持って行く人
・テレビはなくてもいい。本が無いとソワソワする人
・愛読書がある人。それを10回以上読んだことのある人
・国語の授業は嫌いだった人
・漢字の苦手な人、でも、漢詩の好きな人
・詩や俳句もいいなあと思う人
・小説を読むと必ず泣く人
・小説の舞台に必ず旅に出る人
・文筆業になりたい人、既に文筆業の人
・近頃、ペンを持つことが少なくなったなと思う人、特に万年筆
・観る映画は原作も必ず読む人
・ベストセラーは読まないぞ、と意地を張る人。でもこっそり読むこともある人
・読書感想文を書くのは苦手だった人
・アツクなって語ってしまう人
・好きな作家が何人もいる人。会いに行ったことのある人
・積読(つんどく)という言葉が好きな人
・ちくま文庫を贔屓にする人
・夜更かしをして本を読み切って感動して眠れなくなってそのまま会社(学校)に出かけたことのある人
・とろけるような恋がしてみたい人
・苦い恋の思い出がある人
・短気なくせに、遅れてくる待ち合わせ人を1時間でも2時間でも待てる人
・砂浜を駆けると青春してしまう人
・ここまで熱心に読んでくれた人
・該当する項目がほとんど(まったく)無かった人
・読書のキライな人

読書系・開始

読書記録の雑文をあちらの銀マドに残していましたが、広告が入るなどの理由からブログを閉鎖することにしました。
そこで少しずつ、といか、かなり纏めて、移動してくることにします。

作業は読み返しながら緩やかにします。

引越しのときに荷物整理の手が止まるように、かな。



| 2004-09-01 18:00 | 読書系セレクション |

読書系は、9月1日に開始します。
そのころの巻頭言

2010年7月25日 (日曜日)

凪の刻消えたさざ波がまぼろし

連日、猛暑が続く。

武田泰淳の奥さんの武田百合子;富士日記を読み続けている。
発表されたときに全然知らず、最近になってツイッターで読了の人がそのことを書いていてこの作品を知る。

若者は、若いときに、武田泰淳のような作家に出会い、武田百合子のこの日記のような作品にも巡り会えると随分といい経験になると思う。

大急ぎで読み急ぐのではなく、原民喜、椎名麟三、武田泰淳、梅崎春生、大岡昇平などに出会い、この世界に入り込んでゆくことをオススメしたい。

本屋に棚積みされたベストセラーや日記作家たちを読むのはそれからでもよかろう。

そんなことを思いながら、富士日記を読んでいる。
図書館への返却期限がきたら返して、再び借りよう。ゆっくり読んでゆくのがいい。

その間に、向田邦子;思い出トランプ、を読み終わった。
こういう作品は、速読してもいけないし、流して読んでもいけない。
解説の水上勉さんが書いている、1,2篇を拾い出して書き写してみる、というほどの気持ちがよい。


思い出トランプ


富士日記を読むと、日記が書きたくなる。
扇風機の風だけで、窓辺に横になり、本を読む。
蝉も鳴き止んで静かだ。
窓からは風も吹き込まなくなった。

▼凪の刻消えたさざ波がまぼろし

そんなドラマを思い浮かべている。
私の遺言は、脱線ばっかしだ。

炎天下キミはキライと水で書く

夕立、こないかなー

▼炎天の凪に魔法の風がくる

ほんま暑いです。

昔は、こんなことも書いていたのだ。
ずぶ濡れの背中に好きと書いてみる

2010年7月24日 (土曜日)

別れの風景 (みちくさ バージョン) 

時刻は午後四時を回った。最終バスが岬の先端から小樽の街に帰ってゆく時間だ。
「もう帰らなきゃ」
女の子は、そう私に教えてくれる。しかし、私は帰りたくなかった。自分でもこれと言えるような理由などなく、ただ、わがままを押し通したかった。だから、今夜に泊まる宿屋のことも、駅までのバスの時刻のことも気にしていない素振りをしていた。
旅に出て初めての衝動だったかも知れない。彼女から離れたくない気持ちが私のさまざまな不安を吹き飛ばしてしまっている。
女の子は続けてしゃべった。
「早くしないとバスがいっちゃうよ。」
そう言ってくれても、私は
「ヒッチハイクで帰るから」
と答えて、強引に彼女のそばを離れようとはしなかった。主題のある話をするわけでもない。名前を聞くわけでもない。顔をじっと見つめたわけでもない。私の身体は、自分の理性や抑制心を無視して、その子の発散してくる新鮮さをひたすら掴もうとしていた。心が持ち合わせている本能、それが身体全体を支配して、私は金縛りにあったようにその場所にとどまっていた。
そこはバス停の前の小さな売店だった。その店の中をウロウロとしながら、私は、女の子に何か他愛もない話を続けた。そうしながら最終バスを見送った。売店のその子はとても愛想が良くて、止め処なく話相手をしてくれる。私が去ってしまえば私のことなどその場限りで忘れ去ってしまうかも知れないのに…。
真夏の太陽はまだ暮れるほど落ちてもいなかったけれども、ひとしきり話した私は、彼女と「さようなら」をしなくてはならない時刻がとうに過ぎていることを知っていた。何とかなるだろう、という気持ちでヒッチハイクを決心していたのだ。そんな勇気が湧き上がったのも、すべて、私を動かしたあの衝動であったのだと思う。止まってくれる車を幾台も乗り継ぎながら小樽駅に辿り着いた時にはすっかり日が暮れていた。
名も知らぬ彼女に私の気持ちをどうにかして伝えたい、どうしても伝えたい。ヒッチハイクの不安から解放されたときに再び私を襲ったのは、たった今まで私の前に居たあの子の面影だった。
手紙を書こう、と考えた。小樽駅の売店で葉書を買い、しかし、手がかりは何もないままで深く深く悩み、待合い室でひたすら思案に暮れた。

結局、苦肉で思いついたのが「北海道中央バス終点、余別駅前の売店でバイトをしていたメガネをかけた女の子様へ」と宛名に書くことだった。きっと誰かが届けてくれるだろうという期待に胸がドキドキした。それをポストに投函して、私は何度も何度もポストを振り返った。
行くあてのないさすらいの旅だからこそ大きな道草を食えた。金はない。今夜の宿のあてもない。そのまま夜汽車に乗って最果ての街、稚内まで揺られることにした。それから二週間あまり、手紙を投函したことなどあっさりと忘れてしまって、ひとりの旅が続いた。
釧路の大地を走るディーゼルカーの中で相席になった女子高生に「○○○大学ですか?プロポーズ大作戦に出して!別海町の小林商店です。一軒だけしかないから」と誘われたりしながら、ヒッチハイクと汽車を織り混ぜて、スリルに満ちた必死の旅はしばらく続いた。
しかしある日、急に私を寂寥感が襲う。無性に一人が寂しくなって「帰りにはあの漁村のあの売店にもう一度寄ろう」という想いを秘めながらも、ポイと夜汽車に飛び乗って、私は北海道を離れてしまうのだ。
もう逢えないだろうな…という重く苦々しい寂しさ。旅の思い出がしっとりと私を包み込み始めている。汽車の窓の向こうは真っ暗闇だ。集落なのだろう、小さな灯かりが時より過ぎてゆくのをぼんやりと眺めているうちに眠れぬ夜が更けてゆく。早朝、夜行列車は上野駅に着いた。衣類は汚れ、髪はボサボサ、新調したズック靴はボロボロでほつれかけていた。これが貧乏旅の象徴だったのだ。
半月ぶりに我が家に戻り玄関を開けると一通の手紙が置いてあった。それは、四年間でダンボール箱一杯になるほど書いた手紙の第一通目だった。このあと、一度も北海道を訪れず、四年という歳月を経て東京に就職した彼女と私は再会を果たします。卒業。辛い別れ…。

そんな物語は、あのときの「みちくさ」が始まりでした。

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一部、第26話と重なります。

2010年7月21日 (水曜日)

きょうの夕焼け悲しいほどに綺麗で

〔19日〕
きょうの夕焼け悲しいほどに綺麗で

夕焼けがとても美しく、真っ赤に西の空を染めていたの。
それは、19日の日暮れのことだった。

車から降りて、二人で空を見上げた。

きれいやね、と私が言うと
悲しくなるから嫌やわ、とうちのんが言う。

悲しいか。なるほどね。
散々悲しい思いをしてきたの、まだ悲しいか。

空の赤み。

光学的には、光の3原色のそれぞれの明るさを、R、G、Bとして表しますと
分母=R+G+B、分子=R、とした r=R/(R+G+B) を算出すると、これを「赤み」といいます。

夕焼けが人の心を悲しませながら、空じゅうに赤みが広がってゆく。
地球の丸さを考えれば、まことに普通の自然現象で、高層の雲は、波長の短い赤みの成分だけを戴きながら、東の空へと移動してゆく。

反対夕焼けという。

もう散々悲しい思いをしたのだから、物理の教科書のことはいったん忘れて、赤い空が消えてゆくのを愉めばよかったのに。

月が東で。
半月へと近づいていることも気づかずに、そそくさと家の中に入ってしまった。

私は自室で、窓枠にはまった半月をみた。

武田百合子、富士日記

ふとしたコトで、この本に出会う。

一気に最後までは、読まないだろうし、読めないと思うが、ぼちぼち読もうと思う。

富士日記 富士日記 富士日記

とても面白い。
いい本だ。

さすが、武田泰淳の奥さんや。

字が見えないので、メガネが欲しい。


トラックバックをたくさん貼ってますので飛んで行ってみてくださいね。

2010年7月19日 (月曜日)

廊下と老化、のあとに考える

このタイトルの意味は深いな。
自分でも妙に納得していたりする。

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先にあった選挙の結果から様々な問題提起が投げかけられている。しかし「厚み」と「深み」を備えずに、三面記事的な世間の騒動としてこれらを受け止め続けて、果たして社会が改革できるのか。私たちの暮らしが変わってゆくのか。そんな疑問も残る。

「美しい国」のいう言葉があった。その総理大臣の政策を責めるのはなく、朝日新聞が面白おかしく書いた(逆読み)「にくいしくつう」を喜んで使いまわした。「憎いし苦痛」国民は豊かさボケを早く解消し、苦痛を覚悟して暮らしに挑まねばならない時代が来ているのに、国民のご機嫌をとり顔色を眺めているようでは社会改革は出来ない。


国民は消費税率のアップにノーと言った。簡単にノーと言える時代である。
賢人でもアホでもボケでもカスでも、ノーと言えば通る。

或る平日の昼間に市内の有名なケーキ屋を覗く機会があった。小奇麗にした若い奥様が子どもを学校にやっている間にお茶をしているらしい姿に出会う。「豊かさ」を象徴する光景であった。

その日の夕刻に市内のはずれで、遠距離にある山村地区への送迎スクールバスを待つ小学生たちを見た。猛烈な夕立の中、バス停になっている空き地の片隅で傘を差してバスを待っている。傘はもはや役に立たないほどの雷雨だった。

若い奥様方に子ども手当てを支給するのも必要なのかもしれないが、スクールバスを待つ子どもたちに雨除けにも日除けにもなる屋根を作ることも必要だ。

「豊かさと満足度」という遠大なテーマを考え続けている。

そのことを一緒に考えて下さっている皆さんには、私がいう「厚み」と「深み」を理解してくださると思うが、こういうことを深く掘り下げる思慮力の格差は深まるばかりだ。

物理的な1票の格差も確かに課題かもしれないが、考えて判断する力の格差が開いたままそれを平等に1票として投じて、政策を捻じ曲げてゆかれては、マジメにやっている方としてはたまったものではない。

前政権だった鳩山氏は〔正しいかどうかは別論議として〕素晴らしい政治思想と政策力をを持ち合わせていたのにもかかわらず、その有能さをたたえる声が少ないというのは、物事を俯瞰的でかつ対論からも正確に分析する視点を、社会の大多数(いわゆる国民)が失いかけているからではないか。マスコミも一部が営業成績至上主義的になりつつあるともいえるかも。(すべて情報化社会が悪いとまでは言わないけど)


環境破壊、労働問題、子どもたちの受験や就職問題、老後の不安、課題など。解決すべき問題は山積していることのすべての源流に、経済社会構造の崩壊があると考えてゆくことに間違いは無いとは思うものの、「豊かさ」によってダメになってしまったコチラ側のほうも大きく反省しなくてはならない。


ケーキを食うなと言っているのではないし、タダだからといってイイ気になって高速道路を走って得した気分になっていてはイケナイと言っているのでも無い。

環境についていえば、あらゆるところで一生懸命に知恵を絞って努力をしている人がいる。海岸を清掃して歩いたり、通勤をマイカーから公共交通機関へと(たとえ月に数日でも)代えてゆこうとする人たちがあったり、雨水を利用したり緑のカーテンを軒に作ったりするささやかな行動もある。

高速道路は、夢の道路だ。僻地から、またはそちらへの人やモノの輸送に欠かせない。高齢化に備えての救急体制や防災体制を社会に築く必要性もあることから、高速道路を利用すれば僻地の医療体制を都市に近づけることが出来る。つまり、救急病院や日常の通院の人々は、安くて便利な高速道路を利用すれば安心感と実益も得られる。高速道路に公共交通機関としてのバスなどを定期的に走らせてゆけば、高速道路というものが地方都市の構造や広くは地域の構造も変化させてゆき、今よりも優れた環境で住みよい社会が出来る。

豊かな暮らしは、限られた狭い社会の人々や個人が都合のよく身勝手に暮らせるというものではないはずだ。何故ならば、もしもそのようなシステムを実現した人々だけが地域社会を構築したら、すなわちその社会は分裂して成り立たなくなってしまう。人はお互いを畏敬の念で尊重し助けあいながら存在している。「豊かさと満足度」という魔のような甘い汁を、思慮分別して切り分け棄て、一方で苦痛を受け付ける社会が来ていると思いたくは無いものの、仕方ないが、そういう風に考えねばならないのだ。それは、自分が過去に犯してきた罪を今になって償なわなくてはならないことを意味する。

高速道路がわかりやすいので話題になる。それを例に考えれば、何事においても「厚み」と「深み」を持った戦略構想を練ってから、ということになる。もしも。深い考えのもとでの高速料金の値下げなり無料化であったら、この政策はもう少し評価が高くなったのかもしれない。



豊かさと満足度2008年6月12日 (木曜日)
続・豊かさと満足度2008年7月 1日 (火曜日)
続・豊かさと満足度2010年5月15日 (土曜日)

廊下

廊下

廊下と打って老化と出て苦が笑い

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廊下の写真がケータイの中に残っている。

私はこの廊下を見て、どういったところに魅力を感じたのだろうか。じっと収束してゆく廊下の突き当りを捉えて、時間との対比を思い浮かべたのだろうか。

それとも、異空間から忍び寄るような白い光に、急激な時間の変化とそのあとの刹那的な静けさに美しさを見たのか。


廊下は、静かにそこに続いていた。
どこへ行くのだろう。


教室には人影もなかった。
春のある一日のことだった。

(思いの続きは、またそのうち)

2010年7月17日 (土曜日)

それは広くて深い湖の底に沈んだ泥に埋もれた宝石箱を探すようなものだ  [第62話]

2008年 10月 29日

鶴さんを見つけたい。でも、それは広くて深い湖の底に沈んだ泥に埋もれた宝石箱を探すようなものだ。なのに、そんな想いが湧き上がってくるときは、少し酔っているときではなく、珍しく深夜に、静かに椅子に座ってペンを持ったときであったりする。

ああ、いやだ。叶うことのない願望を追うのは嫌だ。メソメソした自分が強烈に嫌いになる。(でも、いたわってやりたくもなる)

私は嫌なことを想いながら酒は飲まないので、鶴さんの夢を追いながらマイナスなことは考えない。全てプラスに変えて酒を飲む。

そういえば、いつからか、酔わなくなってしまった自分が寂しい。酔いたいことだってあるさ、ねえ。

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大学のクラブ活動OBの事務局さんの計らいで、私のメールが鶴さんの元へと転送されるという、あの話のときはまさに目の前がバラ色だった。ほんとうの喜びを得たときというのは誰にも打ち明けることの出来ないものなのだ、ということを知ったのだった。

だから、あのときは、きっときっと私あてに返事のメールか手紙が届くはずだ、と、そんな揺るぎない確信を持った私であったが…、何の連絡もなく1年、2年と時間は過ぎてきた。

事務局さんがあれほどまでに快く引き受けてくださったメール転送であったのだから、まさか転送が上手く行かなかったとか、転送を忘れていたとか、(失礼かもしれないが、)あれは返事だけで実はプライベートなことに事務局は関わってはいけないというルールがあって転送作業がまったくなされていなかった、とかは考えてはいけないのだ。それでも、考えてしまう。

正直、今でも、信じがたいものがある。鶴さんが私のメールを見て理由もなくそのまま放置することは、間違いなく有り得ないと思う。だったら、メールが届かなかった、ということになるのだから。

ほんとうに鶴さんは、自分の意志で私への返事をやめてしまったのだろうか。

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いつか、銀座の街のどこかを歩きながら、
「一番星だ。あれは願い星って言うんだよ。それで、その隣の二番目の星は叶え星なの」
と話してくれたのを思い出す。

あれも秋の夕暮れだったかも知れない。きっと、今も、鶴さんは広い日本のどこかで、私が見ている真っ赤な夕日と同じ夕日に顔を赤く染めて空を見上げているのだろう。この「鶴さん」シリーズを書き始めた理由のひとつは、この広い世界のどこかで、もしかしたら鶴さんがこのブログを読んでいたら、このブログが目にとまったら、鶴さんは私に必ず手紙をくれるだろう。

もしもこの「鶴さん」シリーズが本になって出版されて、書店の棚に積まれたら、私のことを思い出してくれるだろう。

そう思って書き始めた。しかし、万事休すかな。

終章 その4  -ネオン消えバンダナ赤し夏の夜-  [第61話]

2008年 04月 12日

ネオン消えバンダナ赤し夏の夜 ねこ作

もともと、この物語は「出会いの風景」で始まり「別れの風景」で終わる4話ほどを考えていた。しかしながら、書き綴りながら、鶴さんと織り成した数々の別れや出会いが増幅されて、甘味が加わっていった。自分のために悲愴感を絞ってみたり明るく泣いてみたりしてしまった。

どれだけ飲んでも酔いつぶれることのない私が一度だけ苦しいほどに飲んだ夜があったように、いっそうこのまま全てを吐き棄てて終えてしまいたいという激情に似たものがこみあがっていたのかもしれない。

いいえ。
美味くない酒はいっさい飲まない私であるから故に、酔うほどに身を任せることなどありえない。

そう。
ここで得られる仮想空間を鶴さんと旅して、私は夢心地をしばらく楽しんでいたのだろう。それは、初めて酒を飲んで酔うことを知った夜のように、うぶで柔らかく、純白で欲のない自分であり、私はそこに帰ってゆこうとしていたのかもしれない。もたれかかったその胸の中は、暖かく柔らかかったのだ…。

赤いバンダナは、この物語の中で一回だけ出てきている。郡山で過ごした夜に鶴さんが私に買ってくれたのだった。「バンダナ、買おうよ」と言って赤色のものを渡してくれた。プレゼントとか思い出などというようなやわい言葉は何もなく、渡してくれただけだった。

旅に出ると必ず赤いバンダナを私は首に巻いた。お守りであり、祈りであったのかもしれない。結婚してからもそのバンダナは使い続けていて、うちのんはその理由を知りながら、「バンダナ持った?」と出かけ前にチェックを入れてくれた。友人知人は、赤いバンダナはねこさんのトレードマークだ、と言ってくれるほどになった。

或る日、鶴さんのことを思い出して少し沈んだことがあった。どんなことを回想してしまったのか、それはもう思い出すつもりもないが、その後、バイクでぶっ飛ばしたときに、ポケットに入れていたその赤いバンダナは飛んでいってなくなってしまった。

赤いジャケットに赤いバンダナ。私の旅のスタイルはいつもそうだった。私は赤色が好きらしい。
口笛を吹き鳴らし、夕焼けを見上げる。

鶴さんが私に旅のスタイルを授けてくれたのかもしれない。

高石ともやの107ソングブック(82番)に「涙色の星」という高石とし子さんのうたがある。

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夕焼けの山に登り
想い出をよんでみた
別れた人の名は
いまも胸に痛む
私のブルースは
涙色の星 
気まぐれ青い鳥は
あなたの窓でうたう

(107ソングブックから)
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♪私のブルースは涙色の星…
そうか。なるほどね。

旅に出る。
夕焼けを眺めて、うたを歌う
口笛を吹きながら、峠を越えてゆく。

私の旅がいつもひとりであったのは、いや、ひとりでなければならなかったのは、そんな理由があったのだった。

続く

終章 その3  [第60話]

2008年 04月 10日

「アセチルコリンっていうのよ。神経伝達物質なの。そこから名前を取って、喫茶コリンと呼んでいたの」

鶴さんは社交的で明るく、学生時代にも人付き合いが広かった。バスケットボールに打ち込みながら、遠征先からたびたび便りをくれた。その彼女が下宿に友だちを集めてお茶をするとき、そこを喫茶コリンと呼んだという。

コリンの話は、鶴さんシリーズで何度も書いてしまった。今、終章を書き終えようとしているときにも、再び「コリン」という名前が蘇えってくる。

楽しそうに命名の由来を話しているのを見てお茶目な子だなと感じた。一度だけ「コリン」と聞いただけなのに一度も忘れることはなかった。

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或る日、鶴さんのところに一通のメールが届いた。そのメールは見覚えの無い人からであったが、少し読み進むと話の筋が見えてきた。メールの送信先はバスケットボールのOB会事務局からだった。そしてそこには、次のように書いてあった。

あなたのお友だちが、あなたおことをお探しです。OB会の事務局に電子メールを寄せられましたので、転送させていただきます。内容はご当人から預かったものをそのままお送りします。

このあとに事務局宛てに出された手紙が付いていた。何故、今、あなたを探しているのか。何処にいて何をしているのか。どんな暮らしをしているのか。予期せぬメールであったが、もしかしたら心のどこかで期待をしていたかもしれない。そんな複雑な気持ちで目を通す。

メールに目を通しながら、あれから20年の間にあった出来事を、鶴さんは思い出していた。

ねこ君か。元気にしているのかな。

そうねえ、郡山市の薬局で、仕事が始まる前にやって来て、青森まで行ってきたんだっていう話をしてくれたのよね。薬局を替わったばかりだったしお仕事前だったので、じゃあね、また手紙を書くから、って言ってそそくさと別れてしまったわね。

あれから何度か手紙を書いたけど、ねこ君、私の手紙に返事をくれたっけ?

母が脳梗塞で倒れてしまい自由が利かなくなった身体なので、私が傍に居てあげる決心をしました、って書いたのよ。ねこ君は結婚するって言ってたから、忙しくて手紙を暮れなかったんだろうな。そう思って私もあれから書かなくなったのかも。

私には私の人生があって、貴方には貴方の人生がある。貴方は自分でその道を開いてゆかねばならない使命を持って生まれてきたの。立派な技術者になって夢を叶えるんだって口癖のように話してくれたわね。そのために京都に行くんでしょ。私も蔭ながら応援するから。そのことは、あの晩、東京で話したわ。何を今更、弱音を吐いているのよ。手紙なんかよこして。私は今、返事なんか出さないわよ。私たち何処にいてもいいじゃない。私のこの気持ちは届くはずよ。

こんなふうに鶴さんが思ったかどうかは定かではない。

アルプスの少女ハイジが高原をかけているアニメを見るたびに鶴さんのことを思い出したときがあった。優しく甘い雰囲気を放ちながらも、心は厳しい人だった。医者だった父を子どものころに無くし、決して豊かではない暮らしの中で育ってきたという。「私は私を育ててくれた母を最期まで面倒みます」、と言い切った彼女の心の奥深くには、私では分かり得ない厳しい彼女の人生の決意が秘められていたのだろう。

メールが届いたからといっておいそれと返事を出すような人ではないことは簡単に想像がつく。そうか、(ねこ君には)子どもができて幸せに暮らしているんだ、と頷いたとしても、そこまでだ。鶴さんは自分の人生を自分で描いたように歩んでゆく人であるから、「AはBのようになるべきなんだよ、というあの口調で、きっと、私たちはこのままで良いんだ、と言い切るに違いない。

鶴さんはピリオドも打たない、返事も出さない。
私はピリオドを打とうとしない。返事を期待しない。

千の風になって、という歌がヒットした。鶴さんは歌っただろうか。ふとそう思った。

続く

終章 その2  [第59話]

2008年 03月 30日

サヨナラと三回ゆうたら夕焼け。

京都でそんな別れをして、その明くる年に郡山でどんな言葉を交わしながら別れたのかも記憶にないようなさり気ない別れを置き去りにして、それが最後の鶴さんとのシーンになったまま、月日は刻々と過ぎてゆく。

私は夕焼けを見上げても、もはや、鶴さんのことをメソメソと思い出したりしなくなっていた。

郡山をあとにしてからその後の十年ほどに東北へは数回の旅をしたものの、時にセンチになって会津若松から東へと越え行く名もない峠に佇み、眼下に広がる小さな街を見下ろしながら、それはもう過去のことなのだと自分に言い聞かせることができたのだ。

鶴さんの名字が、郡山市内(たとえ近隣も含めたとしても)には1、2軒しかない珍しいものだったこともあろう。探せばわかるのに、今、探し出すのはやめようか、と思いとどまってばかりだった。

それは、私が鶴さんを諦めたからではなく、逢えないけれどもここに居るという一種の安心感のようなものだったのかもしれない。

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ふとしたことで見つかった彼女への手掛かりとは、大学時代のバスケ部のOB会のホームページだった。もしかしたら、そこの事務局に連絡先が登録されているかもしれない、と思うのは当然の思考パターンで、事務局あてにメールを書いた。住所や連絡先を教えてくれるわけもないので、私が書いたメールを転送してもらえないか、という内容だった。そしてメールにはすぐに返事がきた。貴方の仰る人は確かに登録されてるので、そちらのメールに転送することはできます、という内容だった。

よし!、では、鶴さんから手紙がきたら、積もる話をし始めることになるだろう。鶴さんあての手紙にはこんなこともあんなことも書きたい。次々と浮かんでくる想いを胸に、私は返事を待った。

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前略。

郡山でお別れしてから随分と長い時間が過ぎてしまいました。あっという間に過ぎたというのが実感です。その間も、貴方のことを気にかけていました。お母さまのお体の具合が悪いという話もあのころに聞いたのでしょうか。

あれから20年以上が過ぎますので、多くのことは過去のことや終わってしまった歴史のことなのかもしれませんが、やはり貴方に簡単にあれからのことをお話したいな、と思います。

私は京都で結婚しました。マンションの3Fと1Fというご近所さんでした。その話は今度お目に掛かることでもあればお話するとして、まあ、その彼女が(妻ですが)今でも貴方から届く手紙のことを話します。月に一二度、私のところに届く手紙が気に掛かっていた、私の心に貴方という人が存在することは知っていた、と今でも京都時代を思い出し懐かしみながら話します。

私たちは十年も住まないうちに京都を離れました。私は仕事を変わって大阪に本社のある会社に移りました。この会社には十年あまり居ましたが、この頃に何度も東北を旅しました。1990年代ですね。10年の間に6、7回は行きました。

貴方と巡り会い、貴方と別れて(保留になったままと考えてますが)以来、私はひとり旅が大好きになりました。旅先を変更して、郡山の近くを通過してみたり、霊山に泊まってみたりしてました。

私は貴方をもっともっと強引に連れ去ることができたのでしょうか。今でも、そのことをふっと思います。メールもない時代ですからね。電話を掛けまくるとかすればいいのに、そんなこともせずにいましたね。

ちょっと、仕事に燃えていた頃だったかもしれないな。私の力で大きな発明をして、社会にどーんと飛び出したい、みたいな。貴方ならわかってくれるでしょうね。私の夢物語をいつも聞いてくましたからね。

汚い身なりの貧乏学生の私を嫌がらずに何度も連れて行ってくださったあの銀座のパブ。もう、とっくの昔に無くなっているだろうな。

私には姉はありませんでしたから、そんな姉のような貴方に、いつも寄り添いながら銀座を歩いた。幸せだった。酔って甘えることだけが楽しみだった学生時代の暮らしは、少しずつ私の記憶の中から風化してゆきつつあります。貴方と再び会えることで、私の記憶を大きく巻き戻したいですよ。

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こんなふうに手紙に書くのだろうか。
電話で話すのだろうか。
そんなソワソワが続いた。

バスケ部の事務局の人は、本当に私のメールを送り届けてくれるのだろうか。
手違いはないだろうか。
いいえ、あれほど快く引き受けてくれたのだから、必ず鶴さんに私の連絡先は届くはずだ。

一方で、メールの返事は来ないかもしれない、という確信のようなものもどこかに在った。
それは悲愴感から来るものではなく、彼女が持っている厳しさのようなものを想像したからだ。
鶴さんは今、幸せとも不幸せともわからない。生きているかさえもわからない。
私はそんな他人の人生に勝手に踏み込むことはできない、というのも一種の掟かもしれない。

もしも、今、会えば、飛びつくとか抱きつくというようなアクションではなく、ぐっと静かに手を添え硬く握り、今の鶴さんを尋ねるのだろう。
おかあさんはどうなさいましたか。お兄さんはいかがですか。

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事務局さんの返事の素早さとは正反対に、鶴さんからの便りは私には届かない。これにはピリオドがないので、今でも届かないとだけしか記載できない。

転送は正確にされメールは届いたはずだ。そう思うしかないわけで、確認の手段はどうやら尽きたようだ。

その3へ続く。

(ちょっとだけ書こうかなと思ってます。)

続く

終章 その1 [第58話]

2008年 03月 21日

「幻の旅 東北」シリーズを八話、「名もない峠」の話を二話、書きました。その後、話をはぐらかすように脱線していましたが、いよいよ終章に入ります。

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終章

幻の旅、東北 のときに撮影した写真がミニアルバムに何枚も閉じこんである。そのことをうちのんは知っているし、いい加減で棄てたら、と言うこともあるが、どんな大掃除のときでもその写真に手をつけることなく、私も棄てる勇気を振り出せないまま、今もなお写真はそこに保存してある。

不思議な写真だ。

鶴さんと、鶴さんの兄さんと一緒に、郡山の家の前で撮っている。この日は、お昼頃から雨に見舞われ、二人で阿武隈洞に出かけるものの、途中から雨具を着て走ることになったのだった。

(今でいうコンビニで売っているような)簡易の雨具しか持たない鶴さんは、後ろのシートに乗せられてどんな気持ちで雨のツーリングに付き合ってくれたのだろうか。

「幻の旅 東北8」の最後で私は東北を去る。鶴さんと会ったのはあれが最後だった。

それから、彼女のことを気にかけないようにする日々が続いたのだが、2,3年前にふとしたことで、彼女を探す手掛かりが見つかった。

それは、小樽にある彼女の母校のクラブOBのホームページの事務局さんにメールを入れたのが切っ掛けだった。人を探しています、と問い合わせたら返事がきたのだ。もしかしたら、居場所が見つかるのかもしれない。

東京で再会する切っ掛けとなったのも、深夜であったにもかかわらず名字を頼りに番号案内で探し出し電話を掛けたところから始まったのだ。

今、再び、彼女が見つかるのだろうか。

続く

別れの断章 (号外)  [第57話]

2008年 03月 19日

(号外)

啓蟄が過ぎて数日後の或る日の朝。嵐と呼んでもよいほど空は荒れて、雲の隙間から青い稲妻が突き出てくると同時に轟音が轟いた。朝のまどろみの中で緩やかな休日の朝を迎えたいと願っていたのに、春雷はこの想いを打ち砕くように鳴り止まない。窓際に寄り添い、ガラスに額をつけながら灰色の空を見ている。大粒の豆をばら撒いたような大きな音で、雨が空から地面へと叩きつけられるのを、私はじっと見ていた。

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小説「朝の歓び」で「紫色の雷光が、夜の海の上で烈しく走りつづけるのを眺めながら、江波良介は、海辺の旅館の窓辺に坐ったまま、ひとりで四十五歳の誕生日を祝ってウィスキーを飲み始めた」と宮本輝は書き出している。

明らかに私は、小説のこの冒頭を思い浮かべるために布団から抜け出しガウンを羽織ることなく自室の窓辺まで来た。そして、更にもうひとつのシーンへと想いが遷移してゆく。

春雷が駅の構内に響き渡るのを思い出しながら、あの日の夜のこと知っているのはあの人と自分だけであることに、言葉にはできない安心を感じている。あんな土砂降りのなかで、永遠かもしれない別れのシーンを、ひとりの女性と共有した一瞬があったのだ。

雨粒が転げまわるように地面で踊るのを見ながら「あなたは京都で偉くなってね」と呟いた。それが合図のようにそのあと新幹線の扉は閉まった。

続く

離散した欠片  [第56話]

2008年 03月 08日

たぶん、

自分の誕生日を10月に迎えてそのすぐ後に前回の記事を書いた。その後、11月14日までのあいだに、これまで綴ってきたものを目次として整理している。11月13日は、鶴さんの誕生日で、そのことも実は記憶の中では曖昧なままで、私は鶴さんを想ってささやかにお祝いをしたのだ。

長い夜を最後に書いて、放置したままなのは、あの夜の余韻が今でも大きいからではないのだろうか。

鶴さんシリーズはもうひと通りを書き終えているので、終わることなく余韻のように綴るものは私の瞼に閃光的になって蘇えってくる離散した欠片のような風景ばかりだ。

どのシーンも輝かしくほろ苦いものばかりで、私はそれを簡単に忘れ去ってゆくこと恐れていたのかもしれない。だからそれを整理してみたいという気持ちがあったのだ。

しかし、それほど簡単に書き留められるような物語ではなかった。
もう、忘れ去ってしまいなさいと、天の声があったのかもしれない。
最後の力を振り絞って「終章」を書き上げてしまいたい。

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(あらすじ)

遥か昔の夏の日。それは、北海道の小樽からバスで少々走ったとても夕日の綺麗な漁村での出会いだった。鶴さんと私はひとことふたことだけの会話を交わした。

その土地を去った私は、北海道を旅する途中で、名前も分からない鶴さんに手紙を書いた。旅から帰ってくると鶴さんからの返事か届いていた。そのときから鶴さんとの文通が始まった。それは4年続いた。

夏の或る日、鶴さんからの手紙に、東京で勤めているということが書かれていた。そして私は4年ぶりに、2度目の鶴さんに再会し、東京での鶴さんとの日々が始まった。

それは、貧乏な学生と銀座の大きな企業で働く鶴さんとの不釣り合いな付き合いだった。銀座の夜。鎌倉。二人は、兄弟のようであったかもしれない。優しいお姉さんと頼りない学生…。

しかし、分かれるときが来た。就職が決まって私は京都に住み移った。彼女はその後、家庭の事情で仕事を辞め実家のある郡山市へ帰った。黄金週間に京都を訪ねて来た鶴さん。夏に東北を旅する私。

物語は、至ってシンプルだ。東北の旅で鶴さんの家を訪ねる。その後、本州の最果てを目指し私は旅立ち、その旅の帰路でもう一度だけ再会する。それが事実上の最後の別れであった。

続く

駄々のあと慰めるかのように終列車  [第55話]

2007年 10月 14日

地下鉄の階段をホームへと下りながらどんな会話をかわしたのだろうか。

ラッシュ時よりも人ごみが少なくなったものの、私たちがホームで別れを惜しんでいる間にも、人は増え続けホームを埋め始めていた。

そうか、終電車がもうすぐ来るのだ。

  駄々のあと慰めるかのように終列車  ねこ作

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電車に乗る前、アナウンスの騒音の中、あの人は無言だった。
なんにも言わずに黙って私を見つめた。

そう、そんな優しいさようならが切ない。

  沈黙がサヨナラせかすシンデレラ  ねこ作

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時刻は12時を回っていたのだろう。

また明日、また明日、と心の中で繰り返している私は、そこに滑り込んでくる電車のガラス窓に写る自分を見ている。

揺れる意識。
揺れる私の姿。
ブレーキ音を軋ませて止まる電車。
開くドア。

---

シャツのボタン、上から順に
外してみては、またとめてゆく。

「どうするのよって… わからない」

そんなあなたの笑わない顔を、
真正面からゆっくり見つめた。

初めてのこと。
長い夜。

続く

2010年7月16日 (金曜日)

お祈りを覗いてみたいうふふのふ  七月上旬篇

7月上旬篇

まだ梅雨は明けぬのですよ。

(14日)
▼わ!初せみや。それがクマゼミというところが、苦々しい
雨があがって、けたたましく蝉が啼き始めた。瞬間に去年の夏を思い出す。

▼雨はあがったのですね、届けたい。雨上がりに涼しい風、優しい手紙、キミの声
▼ふみづきに貴方はどんな花束を

忌々しい雨。あがってくれても、それほど嬉しくないんだ。
何故って、心はそれほど晴れていないんだよ。

▼いつも花をエントランスの花台に

いつも生けてくれていたあの人。
梅雨明けの今頃ならどんな花を生けてくれるのだろうか。
遠くにいってしまった人。

(13日)
▼処暑の雨峠を別れる影二つ
▼この時期に舞台違えて暴れ雨
▼暴れ雨二人の別れを予感して

時間値にすると20ミリ以上の雨になるだろう。
バケツをひっくり返したというのはまさにそのとおりと思う。
梅雨明けの支度をするために、最後の悪あがきを、空や雲でもするものなのか。

(12日)
▼そうめんをすする音まで親に似て
▼生きていたオヤジのように茄子を食う
▼つかこうへい。早いなあ。10歳ほどしか違わないんですが。

戦争で死ねなかったお父さんのために。70年代後半、大学時代は熱かったなあ

失ってしまうものを後ろから眺める。
そうしながら、自分の後姿を想像している。
それもやがていつか消えてしまう。
どんな形で消えることが出来るのだろうか。

父は67歳の誕生日をあと2ヶ月に控えて逝ってしまった。
私もあと15年だ。

(10日)
▼庭の小さな楠木の葉っぱを、青虫が大方食ってしまった。

青虫君、どこに隠れてるのよ、出ておいで!もうすぐアゲハになるのね。

(9日)
▼スッキリとウンコ出て気持ち良い朝

何も悩みはない。
娘の誕生日でケーキを買う。

(8日)
▼初蝉やひざしまぶしき凪の刻
▼初蝉や陽射しは奥へ凪の刻

風がやんで鳥の声が消えて、大気が息をしているように、じわっと熱くなってくる。

(7日)
▼ねえみんな、セミは鳴いたかな?
▼お祈りを覗いてみたいうふふのふ
▼朝霧の小路を飾る赤い傘
▼思い出はたなばた様のそのあとに
▼七夕に祈る小さな唇の

七夕は、思い出すことも悔むことも、喜ぶことも、まあ、いろいろある。
空は曇っていて、暗いのだが、気持ちは少しお祭になっている。

もう、恋はおしまいにしたのに、どうなってるのよ。

(4日)
▼友だちがひとり増えて、ぎゅっとしたい

こらこら、と誰も言わないから、脱線してゆく。

(3日)
▼ほんとうは好きだといって赤い花
▼雨あがり嬉しいキミのひとりごと

赤色は、私の情熱を呼び起こす色だ。
情熱はドラマを生み、ドラマにはあなたが甦り
私はリリカルにあなたをくちずさむ。

(3日)
▼雨あがる。ため息混じりに空を見る

夜になると、私の思いを夜空に向かって、メールでもテレパシーでも霊感でもなんでかまわないから、放出したくなってくる。憎たらしくて可愛くなくて嫌いな奴。・・・会いたいな。

▼雨音をフーリエ変換すると安らぐ周波数というのがそこにきっと存在する

悲しき雨音、いいえ、雨に歌えば、と言ってくれ

(1日)
▼土砂降りに打たれてしまえあんな奴
▼海原の光集めて夏の空
▼鮮やかな真っ赤なルージュで振り向いて

雨 が降るたびに、その人のことを思い出す。
その人と雨の中を歩いたことなど一度も無いのに
愛しさと切なさとがやってきて、嫌いだと思いたくなる。

いつも海を見ている。
そんなイメージを放つその人は
きょうも海風に吹かれているのだろう。

真っ赤なルージュ。
いえ、水のルージュのほうが本当はよく似合うかもしれない。

やがてすべては遺言に

(14日)恋愛かもしれないし遺言かもしれない。 遺言。伝言。恋文。おぼえがき。うらみ、脅迫、未練、諦め。|先日そう書いた。近ごろ、書くことそのものがすべて遺言のような気がしてくる。 恋を諦めると未練に戻りそれが脅迫や恨みになってやがて遺言になってゆくのだ。

2009年(平成21年)十七音・スピンアウト (十月)


秋の暮、心に旅をさせてみる

きのうの私は
乱れに乱れた。

あなたを想う私の気持ちなど
誰もわかりはしないから
書けば書くほど迷宮入りだ。

あなたからは
便りなど無い。
私はどこへ行けばいいのだろう。

---

秋の暮、心に旅をさせてみる

遠くへ
心だけが
旅立てば
私の切なさは
解消されるのだろうか。

走る列車の中で
手帳に
そんな走り書きをした。

夕焼けなんか
見てなかったよ。

| 2009-10-23 21:05 | 十七音(スピン・アウト) |


断ち切るとノートに書いて、ここで会う

GREEで
Pさんが
「断ち切る」
と、
書いていた。

私は

断ち切るとノートに書いて、ここで会う

とノートに書いた。

--

何だか
こんなところで
再び
同じカードを出し合って

さあ、一杯やろうか。
といいたくなる、嬉しさ。

| 2009-10-23 21:01 | 十七音(スピン・アウト) |


新しい髪型、柱の陰で見る

--

私は
それでいいの。
見てるだけでいいの。


*  *

懐かしい。

あの人が髪型を変えて職場に出てきて
そのことを伝えたくて
ひとこと、声を掛けたくてドキドキしていた時間があった。

心の中では
好きだ
と叫んでいたのだ。

| 2009-10-23 20:59 | 十七音(スピン・アウト) |


諦めがついてあなたの小さな眼が好きだったのだと気がつく

滅多に弱音なんか吐かない人なのに
さすがにもう
走りつかれたのかなと思いました。

叶わぬ恋は
このへんで。

でも
いつも強がってきたわけじゃない。

*

ため息をついてあなたのほうをみる

*

あなたはニコニコと微笑んでいるか
どこか一点を見つめて眼を細めているか
眠る直前のように眼を閉じて、今にも空に浮かびそうにしているか

ああ
諦めるのは
今しかないのかな。


諦めがついてあなたの小さな眼が好きだったのだと気がつく

| 2009-10-08 22:21 | 十七音(スピン・アウト) |


嘘嘘と言葉の遊び夢の中

久し振り狂気の雨風君の声

嘘嘘と言葉の遊び夢の中


語りつくせない出来事や気持ちの変化の中で
嵐の夜を送り
きょとんとしている自分がいる。

| 2009-10-08 22:12 | 十七音(スピン・アウト) |


雨音やいつもどおりに地を叩く


秋雨が
嵐のせいで
いらだっている。

大降り。

傘を差しても
散々降られて
こちらも少し
苛立ち気味。

窓にもたれて
雨音を聞けば
なんだ、いつもと同じように
バカねバカねと
地を叩く。

恋心棄てることなど怖くない  (強がり)

| 2009-10-06 23:34 | 十七音(スピン・アウト) |


これきりと言い出せなくて神無月


好きですと言い出せぬときも辛いけど

わがままを叶えてもらって会えた日に
じっと見つめることもできずに

そんなことがあってから幾日かが
過ぎて朦朧の日を送り

諦めなさいあの子のことは
オマエさんおバカさん

そんな日々が過ぎてあの日は十三夜


ちょっとした
哀しい出来事が
あったのでした。


そして、
この作品に
辿り着きました。

(十六夜に)
これきりと言い出せなくて神無月   ねこ

| 2009-10-06 22:13 | 十七音(スピン・アウト) |


秋の夜はひとり静かに庭に出て

きっと誰かに恋をして

*

あなたが切なく想い続ける人も
きっと今夜は
月を見上げて
自らの霞む手のひらを
震えさせているかもしれません。


秋の夜はひとり静かに庭に出て

*

そう
最終のジェット機が飛び立ってゆくのが見えた。
寂しく翼灯を点滅させて彼方に消えてゆく。

すぐそこにいるのに
なかなか会えないあなたに逢いたい。

こぶしをぎゅっと握ってしまう。

静かな空に、ジェット機の音が遅れて届いてくる。

月は、
ひとりで。

まさに、そうか。

| 2009-10-03 22:13 | 十七音(スピン・アウト) |

猫好きAちゃん

私の向かいの席のAちゃんは、猫が大好きだということが、昨日の会話でわかった。

向かいなので顔を上げれば真正面に見えるが、猫に見えてくるのだ。

(可愛らしいので、いろんな人が用事を作ってやってくるのよねぇー。愛想もいいし)

| 2010-06-09 09:30 | ア・ラ・カルト |

PS
最近わかってきたことは、
B型で、てんびん座ということ。

A型のてんびん座で酉年の私とは相性が合わないだろうから、少しホッとしている。
(惚れたら困るもん)

最後に

ごめんな
さよなら
ありがとう
おしまい


| 2010-05-19 10:09 | ア・ラ・カルト |

告白

打ち明けてしまうと、思わぬ展開になってしまうこともあるし。ああ、これなら気持ちを伝えるんじゃなかった、と悔むことがあるけど、1回きりの勝負だし、熱くなったらどんな風になるやらわからないもんな


| 2010-05-19 09:53 | ア・ラ・カルト |

化粧なんて

もともと化粧は嫌いで、化粧の女性も好きじゃなかったくせに、ある人の場合はそれが少し強めの化粧でも好きになってしまっていたということ。

そういうことってあるよね。

夜遊びをしたあくる朝のような化粧も好きだったし、予告なしで訪ねたときに日傘を差して出てきたすっぴんも好きだな。

小さい目と小さなえくぼ。


| 2010-04-28 10:48 | ア・ラ・カルト |

宮本輝つながり、な方々

宮本輝が好きな方にネットでめぐり逢うと「錦繍」の話をして、川の話をして、「春の夢」の話をする。

蔵王のダリア園の話から、「海岸列車」での冒頭に出てくる「鎧駅」に及ぶの。

みんながそれぞれの頭の中で自分の人生を照らし合わせている。


| 2010-02-21 08:37 | ア・ラ・カルト |

ぷにちゃんへ

ぷにちゃん
お元気なようで。

GREEは退会しちゃったからもう行けないです。
IDが書いてくれてあったので、そのコメントは消しました。

こっちにコメントを書いてメルアドを書いてくれれば、シークレットな状態で私に届きますよ。

お返事読んでるかあ~。


| 2010-01-09 09:25 | ア・ラ・カルト |

お友だちとの再会

先日も、GREEの友だちだった「ぷに」ちゃんがコメントを残してくれて喜んでいる。
でも、連絡の取りようがないなあ。

---

GREE の友だちが来てくれるのはうれしいです。
忘れないでいてくれたのねって思うと。ウルウル。

お便りくれる人は、【足跡帖】に頂戴ね。

---

ブログってのは、一方向でやってるからね。
誰が見てるかワカランし、
何も書いてないのにカウント増えるし。

そういうわけで、しばらく放置していました。
ぷにちゃんのコメントもあったし、ボチボチ再開しようかな。


| 2010-01-09 08:02 | ア・ラ・カルト |

しばらく前から

しばらく前から
このブログのスキンを
今のものにしています。

横に並んでいるタイプ。

どうなんだろう、読んでいる人にとって、読みやすいかなあ。
(感想聞きたいなあ)


| 2009-11-11 09:13 | ア・ラ・カルト |

秘めてる言葉

もうすぐ
おやすみなさいの
時間がやってくる。

おやすみなさい、のひとことに
もう少し、秘めてる言葉を付け足したくて
ドキドキするけど

考えるだけで
あとは、目茶目茶。

手紙の時代に逆戻りしたい。


| 2009-10-24 22:47 | ア・ラ・カルト |

ペロリ

僕の舌先で
君の鼻をベロリと
なめてみたい。

(夢だったか)


| 2009-10-24 22:46 | ア・ラ・カルト |

シアワセ

私って

シアワセ

なんだろうか。


| 2009-10-24 09:24 | ア・ラ・カルト |

逃避行

私は
石畳の坂道
というのが好きで、
そういうところに女性を置いて写真を撮ったり、
うしろ姿を描いたり。

黄色いイチョウが暖かい絨毯のように散りばめられた坂道でひとりの女性の写真を撮ったことがあります。
最高の作品でした。

その人はその写真をお見合い写真などに使っていたのですけど。
結局は私と結婚してしまったのですけど。

---

秋の深まるときに
逃避行など試みたことはないけれど
もしも、遠くへ駆け抜けていこうとするなら
やはり、初雪を期待して北へゆくのかな。

| 2009-10-21 22:13 | ア・ラ・カルト |

塵埃秘帖2nd

新・塵埃秘帖へ移行する前の「塵埃秘帖2nd」をここに残します。

(「銀マド」ブログ記事から)


塵埃秘帖は、ここでいったん終了し、続きを「新・塵埃秘帖」として「Walk Do'nt Run」において継続します。

ありがとうございました。

| 2005-01-05 23:00 | 塵埃秘帖(2nd)


銀マド>素敵なブログ 小寒号

小寒の星も夜空で震えたり  (ねこさん作)

車が信号で止まったので窓の外を見上げたら名前を知らない星座がくっきりと見える。ああ、ココは山の中なんだなって感じました。滑走路のような国道が何キロも直線で続く。

ほんまに冬はよく瞬くわ、お星さま。古代の人はこんな神秘なものを見上げて暮らしていたんだね。信仰もそれほど明確に無かったころ、人々は自分の心と対峙して暮らしていた。争いもなく闘いもなく軋轢もなく。

きょうは小寒。

ぶるっと寒い朝だった。でも凍らないから私の町は過ごしやすい。

明日はもっと寒いそうです。

三日間、PCの前で過ごしたので頭痛が引かなくなってしまった、ピップエレキ板を4つも貼っています。

で、その間にあれこれとブログを読んでいて、素敵な人に出会ったよ。。

  いつまでも転んでいるといつまでもそのまま転んで暮らしたくなる 山崎方代

いいですね。


cf:小寒の星も夜空で震えたり
流れ星を見つけようと空を見上げたのはつい先日のことだ。
小寒。 きょうも素晴らしい星空だった。
【塵埃秘帖】参照

| 2005-01-05 22:27 | 塵埃秘帖(2nd)


銀マド>忘年会 大雪篇

風が冷たくなりました。
塵埃秘帖をすっかり忘れて忘年会に行ってました。
あの日の日記からトラックバックを貼っておきますので、そちらをどうぞ。

| 2004-12-06 17:23 | 塵埃秘帖(2nd)


みんぱく

アラビアンナイト大博覧会。

高速道路を走って、けっこうな金額もかかるのですが
久々に国立民族学博物館に行ってきました。

娘にはそれなりにいい刺激になったようです

やっぱし、アラビアンナイト読むしかない。

| 2004-11-07 20:37 | 塵埃秘帖(2nd)


春のKLE

写真をやっと現像しましたということは日記に書いた。
それがこちらの写真です。
今は元気になってます。


KLE

深まる秋
落着いた静かな街を訪ねたいものです。

| 2004-10-30 09:18 | 塵埃秘帖(2nd)


塵埃秘帖

今まで「落書き」と書いていたけど、「塵埃秘帖」とします。
HPに書いていたのはこの時期を持って終了。
これからはこちらに書きます。
監視室の裏窓も同時に保留とします。

マイペースで書きますので、時々覗いてやってください。

| 2004-10-27 22:06 | 塵埃秘帖(2nd)


寂寥感

帰って来るときの写真ができましたのでアップしておきます。


神島から

| 2004-10-25 22:08 | 塵埃秘帖(2nd)


本屋をぶらつく


エイジ:重松清
蛇を踏む:川上弘美
を買って帰った。

読書系のハローメッセージを変更した。

さあ、読もうか。

| 2004-10-10 18:01 | 塵埃秘帖(2nd)


嬉しいこと

嬉しいことがあると隠せない
でも
それを聴いてくれる人が
今は
いないのよ

| 2004-09-18 21:45 | 塵埃秘帖(2nd)


銀色夏生 「散リユク夕ベ」

eデモ読書系に、銀色夏生の「散リユク夕ベ」を書いてみたが、ありゃあ、どうだろうか。相応しくなかったかね。

| 2004-09-16 10:46 | 塵埃秘帖(2nd)


いとも簡単に

いとも簡単に
カワイコチャンに惚れてしまう

オマエの悪い癖よ
何度、失敗したら気が済むのよ

天国と地獄は知っているはずなのに
いつまでたっても愚かよねぇ

| 2004-09-02 23:35 | 塵埃秘帖(2nd)


あの晩

あの晩
私はたいそう酒を飲みすぎた。

あの子に強引に抱きついて
衣類も剥ぎ取って、
からだじゅうを嘗め回して

それでも放さないと言って、わめき散らした・・・

そんな記憶が蘇えってきた。

いや、あれは夢だったかもしれない・・

| 2004-08-18 22:46 | 塵埃秘帖(2nd)


本を読む女(林真理子)を読み終わった

林真理子。

日記にもかいたけど、
京都からの帰りに、「本を読む女」を読み終わった。

いいじゃない。
あの、重苦しいペンタッチ。
文学ですね、彼女。

※「本を読む女」はNHKのドラマでもやったようですね。
そちらのHPも見ました。
ソレを読む限りでは、私はやっぱし原作がいいな。

---

2004年8月15日 (日曜日) 日記から

林真理子さんは読んだことがなかった。
なかなかしっかりした文章で始まったので、この作品はずるずると読み始めています。

養老猛の「スルメを見て イカがわかるか」
松本清張の「黒の福音」
を同時に読み進んでいるのでどれが最初に読み終えられるかは不明です。

けど、
林真理子は、なかなか、林扶美子の放浪記のようなタッチで、直木賞作品もぜひ、この後には読んでみようと思ってます。

さて、明日は大文字。

| 2004-08-18 12:29 | 塵埃秘帖(2nd)


静かなお盆の日々

ブログタイトルを「初恋は・・・」として
カテゴリに「鶴さん」を持ってきた。

入れ替えちゃったってわけ。

静かなお盆の日々。

明日は大文字。
おうちの屋上から、鳥居と東山の「大」が見えるの。
嵐電のコトコトという音を聞きながら、ビールを飲もう!

| 2004-08-15 18:57 | 塵埃秘帖(2nd)


落書きをしよう

昔なら、大学ノートの隅っこに、
万年筆で走り書きをしたような
そんな些細なメモでも書くか。

あるとき、そんなメモをノートの隅っこに見つけても
ちぎって棄ててしまえない
なあに
何にも大事なことなど書いてないのですけど、ね。

現代は、万年筆で紙には書かない落書き・・・
ちょっと寂しい気もするな。

| 2004-08-15 09:10 | 塵埃秘帖(2nd)


夢を食べる虫・幸せを追う虫

未知なるものに好奇心を向けて、様々な方法によってこの欲求を満たそうとしてきた。そんな気持ちを殆どの人は、もともと持っているのではないだろうか。

山の向こうには何があるのかと、日没になると母親に尋ねた子どもの頃の方が、今よりも遥かに私は、学者だったようだ。

子ども心を棄てきれずに「夢を追い幸せを食べる虫」(自称)である私は、前にある未知なるものを見つめられるよくきく眼と、それを輝かせるに足るだけの涙を、今年もまた追いつづけることになるだろう。

〔1983年新年決意文から〕

| 2002-01-15 00:00 | 塵埃秘帖(2nd

銀マドのねこさん

2010年(平成22年)の6月下旬、ツイッターをやり始めて少し落ち着いたのを区切りに、プロフィールを変更する。

多くの人に見てもらって、人々を自分のところに引き込んで……いってしまうブログやホームページは、もともとそれほど好きではない。どこの誰か得体の知れない人でアクセス数が増えて欲しくない。だから、本当は、名乗りを上げて名刺を置いていってくれるくらいが嬉しい。

本当に読んでくれる人だけと語らいたい。だから、あまり書かないことにする。

---

「銀マドのねこさん」です。
素顔から俳句まで。ごちゃ混ぜです。
ツーリング、読書、ジャズ (BingBand/King3Bボントロ)、ベートーベンとチャイコフスキー、ウイスキーが大好き。

---

ようこそお越しくださいました。
このページ内の「バイクなアタシ」のところにはブログもリンクさせていますので、よかったらお越しくださいませ。【アンソロジー】と【塵埃秘帖】がオススメです。
ほかにもいくつか隠されたものがありますし、ブログに行くとまた違ったリンクがあります。

| 2010-06-23 05:26

ポチッとよろしく!

こんなことを6月下旬に書いたばかりなのに、
気が変わってしまっている。

ブログなんて、どうせ誰も読まないのだから、
自分のための「遺言」だと、そう決めた。

新しく

twitterのアカウントを新しく「wahaku」としてみた。

三つ目のアカウントになるが、既にあるアカウントは使わない置いておこう思う。

ちょうど衣替えの季節なんですね。

このアカウントで、素顔から俳句まですべてを吐き出そうと思います。どうぞよろしく。

2010-05-31 14:35

赤いバラ

赤が好き。

旅に出るときには、赤いジャケットに赤いバンダナ。
これがトレードマークだった。
でも、ジャケットは日焼けして、オレンジ色になってしまっていますけど。

バイクは、今年の夏に12年を走り終えます。
車検通るかな(ユーザー車検)

ちかごろ、十七音でつぶやいています。

2010-02-24 09:19

赤い傘

PS
前のバイクも、その前のバイクも、10年未満でそれぞれ10万キロ弱。
今のバイクは5万キロ弱で12年か、感慨が深い。

2010年7月14日 (水曜日)

塵埃秘帖(二十世紀篇)

昔の・銀マド>種田山頭火  <啓蟄号>

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▼山頭火の句集をハローメッセージに入れるために、句集を手にして久々に読み耽りました。無季の句もありますが大ほとんどの句からは季節が連想できます。春の句を読むと春の風が漂うような感じがする。

春潮のテープちぎれてなほも手をふり
窓あけて窓いっぱいの春
山ふかく蕗のとうなら咲いてゐる

▼3月になってぽかぽかな日が続きました。寒かった2月が終わって、やっと暖かくなってくる兆しが出てきた。寒さが戻ることがあっても、もう幾つか寝ると確実に花が咲き山が笑う。

▼さあ、走ろうか、っていう実感が出てきますね。桜の開花は例年よりも早いという新聞記事もありました。私の小学校入学の日は4月4日だったと思いますが、校庭の桜が満開でした。大学の入学式は4月1日で、北の丸公園から千鳥が淵の桜が満開だった。

▼まず最初に静かに山茶花の花がぽとりと落ちて、そっと梅や桃が咲く。どこからともなくいい香りが漂う。やがて、蕗のとうが顔を出し筍が出て桜が咲いて、タラの芽が吹いて…。

▼何だか、嬉しいね。

|2000-03-04 09:52
|2005-03-04 18:58 | 塵埃秘帖(2000年以前)

 


昔の・銀マド>梅一輪の暖かさ? <雨水篇>

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梅一輪 一輪ほどの暖かさ  嵐雪

▼ちっとも暖かくならない日が続いています。痛風の傷みも和らいできたので、車で図書館に出かけました。その途中で5分咲きほどの梅の花を見かけた。窓を開けてみましたけど匂いは届いてこなかった。

▼図書館で、宮本常一の本をパラパラ見てたらあっと言う間に時間が過ぎてしまった。あれも読みたいこれも読みたい…と考えるばかりで、じっくり読まないんです。およその書籍名だけメモをして後で順番に買って家で読むというパターンが多いかな。(高額な本はじっくり通って読みますけど。)

▼最近、彼の著作を入手したくて本屋を回って気が付いたことがあります。それは…多くの本屋さんが岩波書店の本を店頭に並べていないんです。理由は、買い取り品だということらしく、どこで訊ねても注文になりますが…と言う。

▼そこで図書館で、ちょいと見ておこうか…ということになるのですが、いつもながらあれもこれも目移りして道草していて、お目当ての「忘れられた日本人」(岩波文庫)を手に取るまでには2時間以上かかった。

▼宮本常一は、四国の梼原を訪ねていまして、それを忘れられた日本人の中の「四国源氏」という項で書いています。梼原は、四国ツーリングライダーにとったら絶対に逃せないところです。何か通じるものがあるのだろうか…。

▼色々と読み深めていくと、様々な皆さんがレポートの中で絶賛してきた土地に彼の足跡が残っている。九州山地の椎葉村、四国の梼原村、岐阜県の石徹白(いとしろ)、東北の各地…。佐渡、対馬…。

▼そういうことで、私も今年のテーマが見えかけてきました。黄金週間にはまず四国を横切って、瀬戸内海に浮かぶ周防大島を目指すことになりそうです。もちろん、松山で山頭火の一草庵には必ず寄るつもりでいます。

| 2000-02-19 18:04
| 2005-02-19 18:56 | 塵埃秘帖(2000年以前)

 


昔の・銀マド>(ちょっとエッチな…)塵埃秘帖

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乳フェチなあなたに    _-_-_-_-_-
▼椎名麟三だったか誰だったか…「深夜の酒宴」という小説があったな。いや、深夜の自画像だったか…。いやいや、それは私が友人にあてた手紙の題名だったか…。久しぶりに夜更かしをしてます。だから「深夜の…」という題名を思い付いたのです。時々、タイムスタンプが12時を回っている人があるのを見かけて、昨今の私には無縁の時間と思っていたので、少し嬉しい。昨日からうちのんは子どもを連れて実家。私はひとり身です。用があって明日の夜から泊まりで出かけます。

▼今日、吹奏楽団の練習があって音楽室に行って「ひとりは寂しいよー」と話したら、「いいなあー、うらやましいなー」ってニュアンスの言葉も出てました。感じることは人それぞれです。それで、その音楽室にて発見したもの。吹奏楽団のOBの女の子(都留文化大学の学生してるんですが)が先生に送って
きたメールだって。
-----------------------------------
1  普通乳  (o)(o)
2  でか乳 ( o )( o )
  もっとでか乳  ( @ )( @ )
3  寄り乳  (q )( p)
4  ちょっと乳 |+ +|
5  おとこ乳 |. .|
6  相撲乳 (. .)
7  よせてあげ乳 ( Y )
8  たれ乳 UU
9  もっとたれ乳 VV
10 超デカ乳りん (◎)(◎)
11 ストリッパー乳 (★)(★)
12 ホルスタインチチ (。λ。)
13 だっちゅうの チチ \\Y//
-----------------------------------
▼ くだらなすぎて、ちょっと笑える幸せのメール…だって。彼女が新入部員として吹奏楽団に入ってきた頃をハッキリと憶えているのが二重写しになります。ほんと、可愛かった子がもう大人だもんね。やがて私の娘もこのようなメールを友だちとやり取りするようになるのかねぇー。

▼深夜の3時に眼が覚めて、部屋にこもってメールを書いている。学生時代は夜更かしだったのを思い出します。夜通し本を読んでいるか、手紙を書いてました。今夜は、若返ったようで…。いや、若かったら星空を見上げに外に出ているかな…。

▼新聞屋さんのバイクが配達を終えて走ってゆきます。やがて東の空が白んでくるのでしょうね。しんしんと冷えます。もう一回、寝ようかな。

|2000/02/12 05:18
|2005-02-12 05:18 | 塵埃秘帖(2000年以前)


昔の銀マド>塵埃秘帖 <節分号>

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▼仕事に追われる日々が続きながらパティオの皆さんのメッセージに励まされて春を待っている。誰もがそんなものだろう。春よ来い…を歌う子供も減ったなあ。今日は節分。職場のみんなも急いで帰って行きました。田舎では、まだまだしっかり豆まきをする家庭が多い。子供のころは、本当に鬼がくるかのような顔つきで玄関で豆まきをしたものです。

▼昨日、家族のみんなが食事も終えた時刻に家に帰ったら一枚のハガキが届いていた。このパティオでもお馴染みの八嶋さんからのものでした。彼のハガキはいつも写真がレイアウトしてあるもので、いただくたびに彼のカメラ視点に出会えます。なかなか写真の話をしに出てきてくれませんが、彼の写真には静かに風景を見つめる優しい視線を感じます。人柄が出てるようで素敵です。

▼今回いただいた写真付きハガキも素晴らしい。パティオが絵の出る表紙を持っていたら、このハガキだけを掲載したくなりそうな写真です。大阪駅のホームで4人が並んで撮っている。これって駅員さんが撮ってくれたんだっけかな。記念写真を撮ったあとホームの端から端まで押して行きましたね。

▼多分、八嶋さんもそして私は確実にスリムです。私の場合、今よりも10キロほど痩せていると思うな。他に、あの時のVMAXや切符や北海道を走った旗がレイアウトされています。

▼彼との出会いは、1989年の函館から新大阪へのモトトレインでした。通信を始めるより昔の事です。彼もあれから転勤で北海道暮らしが長かったりして、まったくお目にかかれずに10年が過ぎます。私からは写真も送らずに彼の写真ばかりを拝見して、お互いに年齢をとってしまったな…と思って苦笑いをしてます。(=^_^;=) 

▼昔に戴いた八嶋さんからの便り(メール)の中にとても面白い話がありました。出張で名古屋へ出かけて「オリエンタルカレー」を見つけたので買って帰ったという話です。宝物を見つけたような感激がとても嬉しそうに綴られていましたのを憶えています。彼は水産系の大学から食品会社という…電機系から家電会社と同じか…経歴の人だけに、食べる物を見る視線が違うんだなと感動しました。

▼思い出は、いつもどんな時でも素晴らしい。ああ、歓びを共にして北海道から帰ってきた時が懐かしい。でも、もう忘れていることも多いのが寂しい。いや、忘れてもまた行けばいいじゃないか…と多くの人に私は助言し続けてきた。今夜は、自分に激を飛ばしている!

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やっぱしねぇ
ひとり旅を続けていると
自分を見つめる視線が
ああ間違ってないなあって
感じる事がありますね
時にはひとり寂しく
誰もあてにできない原野のようなところを
ひたすら走り続けて…
何が悪いとか
誰が嫌いだとかいう
マイナスの意地っぱり根性が消えてゆき
そこにはやがて
寂しさを乗り越えた歓びが見えてくる
そんな感動に出会えた自分を褒めながら
ひとりごとが続く
旅人である自分が
ちっぽけになったり
大きな人間に思えたりして…
春を迎えて
いつか味わった感動を思い出していると
もう心が騒ぎ出す
言葉にできないけど
心が騒いでいるのを伝えたい
みんなのざわめきも感じたい
明日は立春です
感動

| 2000/02/03 22:10
| 2005-02-03 18:49 | 塵埃秘帖(2000年以前)


昔の銀マド>インフルエンザ <快気祝篇>

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▼先週の水曜日に履患して5日目の床にふしています。途中、土曜日の夕刻に数時間だけ親父の三回忌の法要に立ちましたが、それが良くなかったようで高熱がぶり返しました。普段からあまり健康でない自分の身体を思いながら、旅を続けるためにも強靭な身体にならねば…と誓ったのです。

▼その間も中毒のようにパティオのチェックをしましたけど、これってほんと中毒に近いなと感じた。こういう時には投げ棄てる程度の「放任姿勢」が必要ですね。パソコンに向かえばやはり少し熱が出る。仕事だったら実験しながらプログラムと格闘する訳だから身体に良い筈がない。

▼寒いからかな、皆さんのお話があまりアップされてこないのがやけに気になったりして。でも、暫く、休養させて戴きますので枯れない程度に書いてやって下さい。

▼雪が舞うような寒い日がありました。1月23日の折々のうた(朝日新聞)に早川まささんという人の句が取り上げてありました。飯田龍太さんを師と仰いだ人だと書いている。

>> まとめ買いして故郷は雪深き

▼これを読んで「ふるさとの沼の匂いや蛇苺」という句を思い出した。これは飯田龍太さんだったか。このコラムの中には他にも数句引用してある。

>> 繭売って家ひろびろと晩夏光
>> 雪の降る日暮れは人をやさしくす

▼去年、行けなかった黄金崎の不老不死温泉あたりから五能線沿いの鄙びた集落…のようなところを幾つも訪ねて、こんな句はできなくとも、人々の生活に触れるような要素を決して失わない旅をしたいものです。

▼子供のころに見た蚕さんは家の中で特等の部屋をもらってました。今、全国のどのあたりに行けばあの棚で桑を喰う蚕を見れるのだろうか。あれば、探しに行きたい。そんな旅。

▼大寒です。でも、あっと言う間に節分、東大寺のお水取り。梅の香りに誘われて山里をふらふら、桃の香りに誘われて人里をふらふら…。やがて桜の季節になっていきます。梅林の枝打ちした捨て木を処分する焚火に手をあぶらせてもらった去年。今年の準備運動はどのあたりを走ろうかな。ぼんやりと考えています。

| 20000/01/24 17:20
| 2005-01-24 18:43 | 塵埃秘帖(2000年以前)


昔の銀マド>師走だぞー篇(1999年から)

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 残すところ、簡単に指折り数えるほどで今年も終わりとなりました。様々なことがあった一年でありながら、具体的に甦ってくることが数少ないんです。記憶力の衰えが大きいのは隠せないけど、やはりその事件を思い起こすだけのトリガを失っていることが多いのではないかというのが私の感想です。

 記憶というのは意外としっかりしておりますので、そのトリガだけがちゃんとかかっていればしっかり思い出せる筈なのです。ところが、何があったのかを思い出せないのは、印象がうすい訳です。

 バイクで旅をしても、それがのんべんだらだりとした旅でどうでもいいような旅なら、記憶には何も残らない。ジュースを買ったコンビニのレシートが一枚が出てきただけで、その前後の出来事が思い出せるのですから、どれだけその瞬間に燃えているのか…です。社会問題にしても政治問題にしても、身近じゃなくなりつつある。介護保険にしても401Kにしてもため息ばかりが残って、無関心を装っているのか、本当に無知なのか。私には死際に苦しむのは嫌なので楽に死にたい、いいホスピスを探さねば…なんて言ってます。

 さて、皆さん、年の瀬で忙しいと察します。パティオのメッセージを読むのが精一杯の人も多いかも。それが負担になったら、それは罪悪です。気楽に付き合って下さいね。せっかちにレスを書く必要もないし、新しいメッセージに混じって古いレスがあっても大歓迎です。
 私が夢見るのは、のんびりできる休日に読み残したメッセージをじっくり読み返して戴いている皆さんの姿です。皆さんの書いておられるメッセージは10年後にも輝いているような、そんなパティオであって欲しいと思っています。

 いかがですか? 皆さんのこの一年での様々なため息でもいいし、思い出でもいい。ちょっとした事件。お笑いなネタでもいいです。この場を借りて、吐き出して、来年の旅の原動力にしませんか。

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1999年の銀マドを掘り起こしてきました。

| 1999.12.17 22:10 パティオにアップ
| 2004-12-16 12:22 | 塵埃秘帖(2000年以前)

 


2000年銀マド>秋味 <塵埃秘帖10月19日号>

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銀マド>秋味 <塵埃秘帖10月19日号>

|2000/10/19 23:25

▼メールを時々くださる方が、腹子飯のことを書いていらっしゃった。実に食欲をそそる秋の味覚だ。素朴で美味。私が子どもの頃はこのような素朴な味が秋を彩っていた。未知名味です。

▼中学時代には「茸狩り遠足」というのが恒例で、近くの山に学校じゅうで出かけて山を駆けづり回って茸(きのこ)類を採って、野生の中でごった煮料理をするのであった。田舎地方では当たり前の行事で、まったけ等も決して珍しくもなく、その他の茸(きのこ)の方に美味なものが多かったので、価値観のギャップにいまだに悩む。

▼秋味といえばビールである。ちょっと強引だな。私は秋味ビールは少し好み外である。「エビス」などのように、こってりした味付けが主流のようだが、ビール党としてはさっぱりの味が好きだ。

▼秋も深まってくると、少し寂寥感が漂い始める。わーい、名月だ!とはしゃぎ回っている時期が終わって、やがて来る冬を想うから?!。

▼「はや夏秋もいつしかに過ぎて時雨の冬近く」このうたの、どこにも持っていけない、やるせなさのような気持ちを含んだところが途轍もなく好きです。福永武彦の「忘却の河」という小説に出てきて知った歌なんだけど、肝心の小説は、暗い、文学の味のするものだった。これを機会に読み返してみようか。

▼女心は、やがて冷めて寒くなるから、秋の空。男は未練があって熱くなるから春の空。

▼妻が私に、しみじみと語りかけた。お父さん、随分と落ち込だはったようですけど、ツーリングもめげてはったけど、そろそろどっかに行った方がええのんとちがう?という。そういえば、すっかり弱った私ばかりが目立っていた。もうひとりでは走れないのではないか…とさえ思えた。妻の語り掛けには、こちらも感動した。

▼バイクに乗ることを生きがいとしてきた奴が、バイクに乗らなくなったら、只の人以下である。

▼私に秋のツーリングの味を教えてくれたのは「信州」である。やはり信州に出かけて行きたい。初めて野営をした二十数年前は、三宅島であったが、凄く寒かった。このまま死んでしまうのではないかとさえ思うほど寒かった。

▼今、そういう状況で、自分の真の姿に戻ってみたい衝動と、もう少し未知な旅の姿を求める自分が葛藤している。秋味とは、こういうものを肴に酔いしれる自分には、まだ少し合わないか。もう夢を追いかけるのはやめて、物語りの扉を開けて、舞台に足を踏み出してみるのもいいのかも知れない。

▼訳のわからんことを書くなよ。
「旅立て、オヤジ!」
そんなふうに子どもが叫ぶ。(笑)

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|2000.10.19 : Touring.Relief@nifty   /
|2004-11-04 17:33 | 塵埃秘帖(2000年以前)


2000年銀マド>42才最後の日 <誕生日前日号>

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銀マド>42才最後の日 <誕生日前日号>

|2000/10/12 20:39

★塵埃秘帖/誕生日の前の日★

▼いよいよ、42歳の最後の日を迎えた。新しい年齢を迎える前に、この最後の日を乾杯しよう。

▼確実に人生の半分を過ぎていることを確信する。勉強に追われた日々も懐かしい。怠けてばかりの学生生活も。今となっては、親父も逝ってしまったし、感謝の気持ちも苦笑いである。

▼さっき、TVを見ていたら南こうせつとかぐや姫のコンサートの再放送をしてました。次々と歌えてしまう自分が可笑しいが、それを見ているうちのんが違った一面に出会ったようで、新しい私を発見したようだ。中学時代はギターを持って教室でよく、歌ったものだ。

▼スペースシャトルが地球を回っている。名月を横切って飛んで行く…姿でも見れたらいいだろうなあ…と思いながら月を見上げる。

▼満天の星も素敵だけれど、あの淡い色の月の影は、私の心から穢(けが)れた何かを拭い去ってくれる。同じ月を、同じ空の下で見上げている人たち。同じ気持ちの人もいるのだろうな。

▼秋はもの悲しいのですけど、からりとしているので、好きです。

▼人生で一番、愕然としたのはどんな時だっただろうか…。駄目だとわかっていたけど、原級留置きの項目に私の名前があったこと(進級欄に名前がなかったこと)だろうか。いやいや、そんなの、些細なことだった。大事なひとりの女性に結婚を申し込んで断られたことか。京都の夜景を見下ろせる山の上でひとりしくしくと泣いたな。バイクに乗って走り出しても涙が耳に流れたよ。落第しても、友だちは2倍できたし(2学年分)、失恋しても鯉の甘さと辛さを味わえたんだし…。

▼それにしても、いつから私、こんなに酒飲みになったんだろうか。ドラマを見てはひとりで泣き、映画を見ても小説を読んでも泣いてばかりいる。困った、困った。

| 2004-11-04 17:31 | 塵埃秘帖(2000年以前)


2000年銀マド>仲秋 <9月中旬号>

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銀マド>仲秋 <9月中旬号>

|2000/09/12 00:08

★仲秋の月か…  哀しいね★

▼立秋から白露までを初秋、白露が過ぎたら仲秋、そして寒露から立冬までが晩秋と呼ぶのだという。9月7日は、白露だったので、月が雲の向こうでまん丸になっている筈であるが、あれも仲秋の月だが、あと30日後に巡ってくるのが名月になる。

▼古代エジプトの人たちは30日の暦を用い、365日で割って余った5日を祈りの日に割り当てたという。NHK出版の四大文明のエジプト篇のどこかに書いてあったと思う。暦という概念が存在しないとき、そこには表記文字も無ければ表音文字も無い。心の中にある凸凹や悲哀は、全て言葉として消えていったのだろう。

▼都心でどれほど月光の情緒が伝わるかどうか、私には想像できませんが、月の明かりというのは、色白の女の艶よりも神秘的で、何よりも哀しい。

▼古代人は、秋の月をどんな気持ちで見上げたのだろう。暑い夏の後に来る収穫の秋に祈ることを始めたのは、縄文時代頃かなのだろうか…。考えてみれば、縄文は平和だった。人々が侵略をするための争いもなかったという。争いの跡が発掘資料の中で確認できるのは、弥生を過ぎてから。

▼ 封建制度の世の中、農耕はまさに奴隷のようだった。収穫した米を献上せねばならないことに理由などなく、怒りと虚脱感で、秋の空を見上げたのであろう。その時も今も、秋の月に変わりはなかった筈だ。

▼さて、現代人は幸せでそれに満足しているのだろうか。阪神大震災の後に起こった「神戸児童連続殺傷事件」をまとめた文庫(朝日文庫:暗い森)を読んだ。子供達が病んでいるのではなく、社会が侵されている。しかし、何度も書くが科学は解決できないと私は思う。

▼物質文明が充分に満足して、戦後の発展が究極の至福を迎える頃に、人々の心はゆとりを失った。学歴を追い、出世を夢に見てサラリーマンという気楽な稼業を目指した。願いは叶ったのようであるが、ゆとりというものを失うのである。

▼月を見上げるだけで様々な思いが浮かんでくる。哀しい別れも甦る。こればかりはどれだけお酒の力を借りても脳裏にくっきりと出てきて消えてくれない。わかっていながら、グラスに氷を放り込む。

|2000.09.11
|2004-11-04 17:29 | 塵埃秘帖(2000年以前)


銀マド>秋を探しに… 〔10月初旬号〕

|1999/10/02 09:57

夕焼け雲うつくしければ人の恋しき
もりもりもりあがる雲へ歩む

久しぶりに山頭火の句集に手を伸ばしてみた。秋のうたを声に出して読んでみたくなった。昭和15年10月11日に彼は一草庵(松山市)で逝った。最期のころにこの住まいでよんだのがこれらの句だ。

そういえば、芭焦も10月(旧暦)に逝ったなあ。そんなことを連想しながら、熱いコーヒーを久しぶりに入れてみた。キリマンの酸味のきいた苦みをゆっくり味わう。

(想いが続く)

苦い…
愛…
情熱…

散 リ ユ ク 夕 ベ (銀色夏生)という詩集が山頭火の句集の隣にある。

僕たちは弱いけど
今は力はないけど
いつかきっと
すごくしあわせになれるよ
いつかきっとね
だから
僕の手を強くにぎっていて

そのまた隣に、中島みゆきの詩集がある。

何もあの人だけが
世界じゅうで一番やさしい人だと
限るわけじゃあるまいし…

明日も今日も留守なんて
見えすぐ手口使われるほど
嫌われたらしょうがない
笑ってあばよと気取ってみるさ

ゲーテ「思い出」から

たがいに胸せまる思い出
よりそったあの時をまだ覚えていますか?

* * *

秋という季節は、まったく不思議な季節だと
思いませんか? じっと物思いに耽っている
だけで旅に出たくなる。

誕生日

「秋を走る」そういう話でお祝いしてね。
とっておきのグラスを出してきて、久しぶりにオン・ザ・ロックで飲もうかな。

|1999.10.02
|2004-10-28 09:48 | 塵埃秘帖(2000年以前)


小さな旅

ホッとする時間を求めて…  -------- 1999年10月29日

松阪城跡の「城のある街にて」の石碑がある石垣から赤いポストを見降ろしたあと、天守閣の方に歩いたら掘坂山の上の空が夕焼けで赤く染まっていた。秋の夕暮れは、静かに暮れてゆく。御城番屋敷の石畳を歩いていたら旅に出たくなってくる。日頃から忙しさに追われ自分をホッとさせる間もない人も大勢あるだろう。社会には様々な軋轢、ストレスが溢れている。最近では家庭にも及んでいるとか。誰にも束縛されず、自由に大空を飛ぶように「小さな旅」に出てみませんか? どうして?また急に…って誰かに訊ねられたら「青春を探しに…」って返事をしておけばいい。

中仙道…。不思議なほどにこの歴史街道にはなつかしさが漂っている。子どもの頃に見た風景があちらこちらに残っている。朝露に濡れて輝くはさにかけた稲。軒先に積まれた薪。あさげの支度をする家の煙突の煙。ある年の秋の早朝、時雨ていた空に太陽が戻ってきた瞬間に私は馬篭峠にいた。木曾は山の中である。島崎藤村は夜明け前でこのように書き出した。あの頃も山深かったが、今でも山の中である。

街道の坂に熟れ柿火を点す  誓子   

庭にたわわに実を結ぶ柿の実を取り合いして食べあう子どもの姿も失われつつある。いつの日にか私たちも心の依り処であるこんな原風景(原点)を失ってしまうのではないか。そんなことを考えながら旧街道を散策している。「送られつ送りつ果ては木曾の秋」と芭焦は49才の秋に、漂泊の俳人・種田山頭火は52才の春に俳人井月の参墓を思い立ち「おちつけないふとんおもたく寝る」と木曾の宿で詠んでいる。

一句も浮かばない私がそこにいた。土産物屋の奥さんと峠道の話をしていたら「十曲峠」と書いて「じっきょく」と読むのだと教えてくださった。いにしえの時代からの旅人がその疲れた翼を休め佇んだ坂道を今もなお残している。車両の入れない石畳を歩く人の影は少ない。苔の蒸した石碑に「これより北・木曾路」と彫り込んである。美濃から木曾へ。日本の旅人は西洋と違って、かなり近代まで徒歩で旅をした。シンプルに「木曽路」と刻まれているだけの道しるべだが、惹きつけられるのは私だけだろうか。何もない所に佇んでいるだけがいい。

すっかり青空が戻っているけど、谷には霧が立ちこめていた。土産物屋の奥さんが美味しい「栗きんとん」の老舗を教えて下さった。「すや」という店は宿場町などの観光土産物屋には卸しておらず本店を訪ねるしかなかった。そこで中津川の市街まで下りて買うことにする。さすがに季節限定で、秋だけしか入手できないという。いや、昔は何でもその季節にしかなかったのだから、現代人の錯誤を修正するために旅に出たようなものか。あれこれ講釈を考えながらお目当てのものを購入し、木曾の御岳山と誰もが歌う大山塊の麓の村を目指した。開田村で蕎麦を喰い、濁河で湯に浸かろうというのであった。(蕎麦話は機会があればいつかしましょう。)

栗きんとんを手土産に家に帰った後、家族の味の評判は素晴らしく良かったことを付け加えておきます。

|2004-10-28 09:00 | 塵埃秘帖(2000年以前)

             


      

11月初旬号 1999/11/02 22:00

すっかり寒い。       

吐息が白くなり始めるのが7℃、落ち葉が落下する速度が50~150cm/秒だといいます。永年、数字と付き合いをすることを専 門にしていたせいか、こういう数字にロマンを感じます。事実がそうなのかには少し疑わしさを感じますが、ロマンというのはそういうのを抜きにして味わいた いと思うのです。

      

寒いので、ウィスキー党の私も今日はホットのお湯割りを飲んでみました。冬が間近なのを感じます。冬でもビールを飲みます。ビー ルを一杯飲んでからウィスキーを戴きます。ほろ酔いの方がメッセージがうまく書ける? 酔っぱらうと多弁になると学生時代の友人が、よく言いました。お しゃべりということですね。

      

塵埃秘帖、1日遅れてしまったなー。

      

つい先日のメッセージで、大型バイクに乗るのは見栄ですぞ…なんて書いてしまった。確かに見栄です。これは譲りませんが、バイク 乗りはこの見栄を大事にしなくてはならないのだ!ということを書かなかった。この塵埃秘帖を読んで下さっているかどうかは不明ですが、ぜひとも、素晴らし いツーリングを実現して欲しい。

      

まだまだ自分の世界なんて狭いですよ。でっかいバイクでもっと遠くへ冒険してはどうでしょう。ぶぃぶぃ飛ばして(法定速度は守ろ う)東北を走ってみてはどうですか。わんこそば、稲庭うどんを食べるためだけに情熱を注ぐような旅。それをやってから、バイクの買い換えを考えても惜しく ないかも。(伝わったかなー)皆さん、情熱をアツク、語って下さい。

      

これを書いている横で子どもが私の本棚の本をあさっている。昨日、部屋の模様替えをして、司馬さんの本や他のお気に入りを手が届 きやすいところに集めたからか、「竜馬がゆく」を手にとってソファに座った。そのあとは「平家物語」。何だかシナリオに書いたみたい。私の自慢!の書斎に 居座ってくれるようになるなら嬉しいな。

      

宮本輝の「血脈の火」(流転の海、第三部)を読み終えました。「錦繍」を読み始めました。「錦繍」(新潮文庫)の最初の5ページ。ぜひとも、読んでみてください。立ち読みでも可能でしょ。私もこんな再会をしたいぃぃぃ…。

      

1999.11.02

石田三成

私は石田三成が好きです。

その政治力と政策力。政治的思想と正義感。

愚かな力に負けてしまって、歴史を変えられなかったことが残念ですが、それもひとつの歴史だ。

京都女子大学の今年の文化祭で、書道部の展示を見て。

石田三成

2009-12-05

壁紙、変えてみた

ちょっと

意味は深いのだが。

2009-10-17


めがね

こんなのを書いたときもあったのだ。
あのころは複雑な自分が居た。

思いつくまま・・・こんな人、そんな人

みなさま、ココをクリックしてくださってありがとう。
また、各方面からのお祝いメッセージもありがとう
(こんなところで不精な返事を書いてます)

---
2004-09-02

このたび、県民発・読書系会議室を始めました。
お気軽に書き込みをお願いしますね。

一体何をするの?

↓ こんな人、そうじゃない人に、喜怒哀楽、意見、感想など、何でも書いて欲しいな、と思ってます。
(挙げればキリがないのですが、思いつくまま・・・)

・新聞の読書欄、新刊広告欄が待ち遠しい人
・本屋さんをぶらぶらして一日中過ごせる人
・古本屋さんをこよなく愛する人
・図書館に久し振りに行くと読みたい本がたくさんあり過ぎて困ってしまう人
・必ず3冊以上借りてしまう人
・電車に乗ると、カバンの中に本が無いと落ち着かない人
・ケータイを忘れても大丈夫。本を忘れると大丈夫じゃない人。(注:私はケータイを持ってません)
・しばらく無人島に行くとしたら、この本を持っていくんだ!と書名を即答できる人
・旅に出るとき、必ず本を持って行く人
・テレビはなくてもいい。本が無いとソワソワする人
・愛読書がある人。それを10回以上読んだことのある人
・国語の授業は嫌いだった人
・漢字の苦手な人、でも、漢詩の好きな人
・詩や俳句もいいなあと思う人
・小説を読むと必ず泣く人
・小説の舞台に必ず旅に出る人
・文筆業になりたい人、既に文筆業の人
・近頃、ペンを持つことが少なくなったなと思う人、特に万年筆
・観る映画は原作も必ず読む人
・ベストセラーは読まないぞ、と意地を張る人。でもこっそり読むこともある人
・読書感想文を書くのは苦手だった人
・アツクなって語ってしまう人
・好きな作家が何人もいる人。会いに行ったことのある人
・積読(つんどく)という言葉が好きな人
・ちくま文庫を贔屓にする人
・夜更かしをして本を読み切って感動して眠れなくなってそのまま会社(学校)に出かけたことのある人
・とろけるような恋がしてみたい人
・苦い恋の思い出がある人
・短気なくせに、遅れてくる待ち合わせ人を1時間でも2時間でも待てる人
・砂浜を駆けると青春してしまう人
・ここまで熱心に読んでくれた人
・該当する項目がほとんど(まったく)無かった人
・読書のキライな人

もうひとりの私 その2

やけに、このタイトルが心地良いので「その2」として、あてもなく、意味もなく書き始めた。。

私のブログは、このブログと、このブログにリンクを紹介している「- Walk Don't Run -」というのがある。
- Walk Don't Run -のブログからみれば、もうひとりの私は、「銀マド」になるわけですね。

ふたつのブログの切り分けさえも上手にできずに、現在に至っている。

[もうひとりの私]

もうひとりの私を持ちたいとか、そういうモノに憬れるとかいう自分もいるのだが、実際に私はもうひとりいて、自分でも信じられないほど、強くなってみたり弱くなってみたり、女々しくなってみたり、・・・する。

その私が、静かな時間にあちらこちらと遊びまわるのだけど、静けさが途絶えたら、そこでおしまいかな。またこんど。

とけい

今ふと思ったのだが、

真夏であれば朝の5時には蝉が啼き喧しかった。
あの周波数の高い音が焼けるような暑さをさらに煽っていたのに、

秋は静かやわ。

脳みそのなかに残っている大昔に聞いた数々の悲鳴が甦ってくるようだ。

---
2009-08-28 06:35

もうひとりの私

何だか、
もうひとりの私を、
ふわふわと
遊ばせてみたくて

誰かと
少し触れ合ってみようかな、とか
思うことがあるのです。

そこで、別のブログを作っていたが、やめにしました。
このたび、少しずつこちらに統合中です。

どうぞ。
足跡帖などもあるのであるので、お越しください。
※ただし、コメントとして意味不明、人物像が見えない場合など、保存の価値無しと判断した場合は、整理することもありますのでご了承くださいね。

怪しいメール、への見解

みなさん。

「怪しいメールが来たのよ」という日記(一部のところでは掲載省略)へのコメントをありがとうございました。

今や、幼稚というレベルよりは、異方向に向いた愚鈍さを感じさせる無差別メールですが

私は、
そのメールアドの漏れていった仕組みに興味があります。
というか、そこしか感心が無い。

突然的に思いついたアドレスに送信したのならば、複数の人々が、似通った時期に、同じような内容のメールを受け取ることは難しい。

では、
どういう仕組みで、メールが漏れるのか。

メールならば、こうして笑っていられますが、個人情報ならどうするのか。

クレジットカードの番号。
銀行のキャッシュカードの番号。
それらの暗証番号。
またはその暗証番号を誘発して連想させるような情報。
誕生日、住所、電話番号、などなど。

メールアドレスが漏れたのと同じように、PCの中の何処かに書かれていれば漏洩する恐れがあります。

物事の対論をじっくり考える

偶然に通りかかった或る人の日記に、楽天・三木谷氏「英語がダメならクビ」で大論争、について書いておられたので、なんだか、溜まっているものを少し纏めてみましたが。上手く出来ないので修正加筆ありかな。

対論をじっくりと熟成させるには、面白いテーマかもしれません。

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違った視点のかたがたが世の中に存在するのを知り、意見に耳を傾け考えてみるのは大好きです。

今の世の中「××のできない奴は○○だ」というタイトルの本が新書でも売れる時代なんですね、という事象を前置きとして頭の片隅に置きながら、様々なことが浮かんできます。

私の英語の検定は2級やそこらでしかもそれは二十歳前にとって30年以上も風化しているので何の役にも立た無いですけど、外人さんが京都の駅前で困っていても、平気で何が困っているのか訊ねかけて、そのとき会話が成り立たないほど英語が喋れないの事に気づくわけです。しかしながら、いまだに英語を話そうと思ってお金を掛けて勉強しようとし始めたことは無い。なのにまた、再び平気で外人さんをアシストしようとしてしまう。

(副業にしていた翻訳業も看板は下ろしてしまったし、特許の英語もほかの技術の英語も、一生懸命読まなくてもいいや、そんな仕事は嫌と、殺伐感をいくらか持ったりしてます。ちょっと我儘でアホな奴ですが)

まあそんな奴ですので。

英語に関する世の中の考え方は、冒頭に書いた書籍のタイトル的な論理の暴走だと思っています。ですから、その暴走には「英語なんて話せなくても仕事は出来る」という言葉が生まれるわけです。

私の職場は、英語で資料を書いては、必要とされるとき以外は、いけないと思いますし、そんな必要も無い。英語を話せなくてもまったくといっていいほど困りませんね。

(そうはいっても、何年か前に新入できたS君は、ボクが同期でTOEIC一番最低点でした、450点です、前例が無いと言われました、などと話してたから、みなさんちょいとした英語でびびったりはしないと思うし、おそらく高校時代はクラスで5本指に入るような位置を走っていた連中ばかりだから、必要になったら話せるように勉強すればいいから、と考えているのかもしれない)

国内の殆どのエリアで、普通に仕事をしている限りでは、英語は要らないし、要るようにならないし、要るようになってゆく文化を創ることもそれが必ずしも正しい策とは思えません。これは英語を否定することではなく、そういう見方ができなければならないというだけです。

では、英語を否定するかというと、義務教育で習ってきた英語は非常に役に立ってきたし、数学も役に立ってきたので、(同じように数学についても叫んで欲しいとも思っているが)、今までのように継続して教育して欲しいと思いますね。英語を読むことや触れることで、磨き上げられるその人の感性は、点数や言葉ではなかなか表現が難しいのですけど、高校時代に大学受験などで触れた英語は基礎教養として30年過ぎても知の基盤となっているのだと思います。

日本中がひとつの書籍のタイトルのような「言葉」に流されていくこと自体が怖いです。そんな世の中の流れが。

2010年7月12日 (月曜日)

秋の夜や子どものように駄々こねて  [第54話]

2007年 10月 12日

都会に住むと秋が深まるのに気付かない。でも、所沢の並木町あたりは街路樹が少しあり、徐々にそいつが色づいていたような気がする。今は航空公園という駅ができているらしいけれど、私がいた頃は大学から新所沢まで20分以上かかって歩いた。研究室から正門を出るまでが長かった上に1キロほど歩くのはやや長いと感じたものだ。

何事も懐かしく思い出される。

大学病院の患者棟の無数の窓が、光る虫を集めたように、幾つもの点になって白く冷たく輝きを空に放っていた。街明かりも疎らな所沢の薄暗がりのなかで、病院の明かりを異様なほどに近代的だと感じたものだ。

あの日も、秋の夕暮れが奥武蔵の山々を赤く染めていたことでしょう。西武線に乗って私は銀座へと向かったのです。

いつものように私から電話を掛けたのだろう。誕生日が近い今ごろ─そう、ちょうど26年前の今ごろに─「ねえ、ご馳走するよ、いつものところで」と鶴さんは言い出した。

二人が落ち合うのはソニービルの前と決めていた。それから当ても無く銀座を歩いて、食事をしたりお酒を飲んだりした。ひと足先に卒業して銀座の会社に就職した彼女は、お姉さん気取りで私を誘ってくれては貧しい学生の私に美味しいものを食べさせてくれた。満足するまでお酒を飲ませてくれて、声が枯れるほど喋らせてくれた。

ソニービルの壁に身を寄せながら私を待っていた彼女は、この上なく哀しいほどに無残で貧しい格好の私が雑踏の向こうからやって来るのを見つけても、とろけるような笑顔で迎えてくれて「さあ、行きましょ」とビルの裏通りへと連れて行ってくれた。

二人で並んで歩くと、鶴さんのふんわりとした胸が私の肘に、時々触れた。それは鶴さんの身体に触れていると思えないほど柔らかく暖かかった。そのたびに私の身体のそこらじゅうが、ピンと張り詰めた。アルコールで乾杯をしたあとも、酔いしれてゆく意識のなかで、酔っていないような錯覚に惑わされながら、私はとろけてゆくのでした。

秋の夜や子どものように駄々こねて ねこ作

夜が更けて、私は駄々をこねた…ような気がする。
離れたくない、いやだ、あなたについて行くんだ、と。

続く

たあいない夢なんか とっくに切り捨てたきみ  [第53話]

2007年 09月 16日

あのころのまま

歌:ブレッド&バター
作詞作曲:ユーミン

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6時のターミナルで ふりむいたきみは
板に付いた 紺色のスーツ
今でも気まぐれに 街をゆくぼくは
変わらないよ ああ あの頃のままさ

去りゆく若い時間を ひとり止めているようで
うらやましいやつだよと はじめて笑ってくれた

For Yourself For Yourself
そらさないでおくれ その瞳を
人は自分を生きてゆくのだから

ネクタイ少しゆるめ 寂しげなきみが
馴染みの店に 腰すえる夜は
陽焼けした両足を 投げだしてぼくも
“SIMON & GARFUNKEL”久しぶりにきく

人生のひとふしまだ 卒業したくないぼくと
たあいない夢なんか とっくに切り捨てたきみ

For Myself For Myself
幸せの形に こだわらずに
人は自分を生きてゆくのだから

For Yourself For Yourself
そらさないでおくれ その瞳を
人は自分を生きてゆくのだから

For Myself For Myself
幸せの形に こだわらずに
人は自分を生きてゆくのだから
                  (引用終)

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■ 鶴さん

ユーミンの歌を、ブレッド&バターが歌っている。
独特の響きと粘っこく立ち上がるリズム感覚が、彼らの歌い方のスタイルだ。

鶴さんと有楽町で待ち合わせ、銀座を歩いたあの頃にも、ユーミンのこの歌が流れていた。

そして、この歌が何年も後になって、私自身のことのように身に沁みてくるなんて、あのときには、想像もしなかった。

そりゃあ、そうだよ。「あの頃」の真っ只中を生きていたんだから。

鶴さん。
もう少し、書くことにします。
ゆっくり、ゆっくり。


続く

喫茶・コリン  [第52話]

2007年 08月 20日

長い道のりを歩いてきた。
いつも心にあの人の面影を擁きながら、遠くから想い続けた。

夕焼けを見上げてはあのときの出会いが、雨が降れば別れの鎌倉が、私の脳裏をよぎった。そして、ネオンの輝く夜のざわめきに中に身を置けば銀座の夜が甦ってきた。

しかし、三十余年という歳月が過ぎたのだ。ついに、息が切れるときが来たのかも知れない。

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喫茶コリン。

彼女は自分の下宿のことをそう呼んでいた。「コリン」という名前は、アセチルコリンという神経伝達物質から戴いたのだと、いつかの手紙に書いてくれた。

クラブの仲間やクラスの仲間とわいわいと下宿でお茶をする様子を手紙に書いてくれた。

バスケ部だった。手紙には試合のことをあまり書かない子だったが、遠征に行ったときのことを書いたことは何度かあった。万年筆でスラスラとイラストを描き添えてある手紙が多かった。Dr.スランプのアラレちゃんの絵も好んで描いてくれた。イメージが似ていてお気に入りだったのだろう。

高校時代は合唱部だった。安積女子って有名なんだよ、とちょっと自慢をしていた。けど、歌を聞かせてくれたことはなかった。

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ある日、インターネットで彼女を検索してみようかと思いついた。クラブのこと、名字のことなど手掛かりがあるかもと思いサクサクと打ち込むと、クラブのOBOG会のページに行き着いた。

事務局さんにメールを出した。彼女の名前、生年月日、出身地などを書いて、私の身分を添えた。2,3日して事務局さんから返事が来て、彼女の名前が名簿にある、と書かれていた。

跳び上がるように私は喜んだ。すぐに、自分のことを書き添えて、私宛にメールを返信してくれるように伝えた。数日後、彼女にメールを転送します、という回答が事務局さんから届いた。

夢のように話は運んだのだが、そこで終わりだった。

事務局さんが転送すると書いてくれたメールを毎日眺めながら、彼女からの返事を待つ日々が続いたけど、返事は来なかった。

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メールが転送される→彼女がメールを受信する→読む→私に返事を書く。このステップのどの段階で動作が停止してしまったのだろう。

もしも、あの人が私に便りをくれないのであれば、どうしてなのだろう。メールは上手く転送されなかったのだろうか・・・・。

幸せに暮らしていれば、必ず便りをくれる人なのだから、何か予期せぬ不幸でも背負っているのだろうか。

募るものや悪霊のような不安が襲いかかってくる。

いつもそこに夕焼けがあった  [第51話]

2007年 08月 04日

「私は今日まで生きてみました」と吉田拓郎が振り返り「私には私の生き方がある/それはおそらく自分というものを/知ることから始まるものでしょう」と叫びながら歌っていたのが記憶にしっかりと残る時代だった。

キャンパスの片隅で反体制を熱く語り合い、恋人像についてお互いをさらけ出しあいながら、自らそれを青春とは一切呼ばずに、またそういう意識を持つこともなく日々を送っていた。満たされないものを胸に秘め、不満を握りつぶし、正義を発散して生きていた。いつの夜も、思う存分を語り尽くして夜を迎えた。

二十歳代のころは、あんなにも情熱的であったのだ。貧しかったからこそ情熱に満ちていた。

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もしも、ケータイ電話というものがあったならば、小樽駅で手紙をポストに入れるようなことはなかっただろう。もしも、メールがあったら、私たちは名前以上の何を知らせあうこともなく、単なる旅の行きずりの人で終わったのだろう。

遠く離れていても、一度も電話を掛けることなく、ただひたすら手紙を綴った日々。封筒が膨れ上がるのを嫌がってエアーメール用の便箋を愛用した。

後に、環七を飛ばせば30分で行けるようなところに住むようになっても手紙を出した。封書がミカン箱の大きさのダンボール箱から溢れるほどになっても、手紙は続いていた。

いつも、私の前には赤く染まる大空があった。

積丹半島の先端へと行ける遊歩道が始まる余別という街の、バスの終着駅から、最終便が噴煙を残し去ってしまう姿を見つめながら、「ヒッチハイクで帰るから」と出任せを言った。

バス停前の売店からは、真っ赤な太陽が見えたはずだ。それが次第に赤みを帯び、人影のない店内と彼女の顔を真っ赤に染めてゆく。

私は小樽へと、まだ一度も経験をしたことのないヒッチハイクという荒技で、帰らねばならない。

不安と熱情で揺さぶられている私の心とは関係なく、真っ赤な夕焼けが私たち二人を赤く染めていた。そんな別れから始まった私たちの数年間だった。

いつか、どこかで、ふと思いついた短い詩。私だけにしかワカラナイかも知れないけど・・・・

 「サヨナラと三回ゆうたら夕焼け」

いつも、そこには、夕焼けがあった。

(続く)

名もない峠(2)  [第50話]

2007年 07月 21日

まさか、あのときが人生最後のお別れのときだったのだ、とは思わなかった。

人は、或る人と別れるときにもう二度と逢えないのだということなどを考えることはない。たとえそれが明確なことであっても、病気や宿命的な別れでない限り、これから40年も50年も生きる間にもう一度逢うということの重大性などわかるわけがないのだ。もう逢えない。少しでもそういう予感があっても、まさか本当に逢えないと、私は思わなかった。

郡山市内の彼女のいる薬局に行き、簡単な別れを告げ、私は青森の方面を目指して旅立った。そして、ひとしきり悲しみを紛らわせたあと、旅を終えるためにもう一度郡山市内の彼女がいる薬局に立ち寄ったのだった。そしてそこで、ほんとうのさようならをして、この街を後にした。

日記は残っていない。自らが書こうとしなかったのだろうと思う。それは、ひとつの別れの風景をとどめておくことに、私なりの罪悪感を抱いたのかもしれない。決して別れを寂しがり、彼女を忘れようなどと洒落た感情を持ったわけではなかったはずだ。

この後二度と手紙も電話も私によこさない人なのだと推測しながらも、自分の勇敢さを称えてあの街を去った。

だが、私には微かながらでも確信があったのだろうと思う。それは、またここに来れば彼女に逢える、遠いけど来ればいい、という想いだ。

月日は五年、十年と過ぎ、私自身が変わってしまった。

そこに逢いたい人が居ることがわかっていても、森を抜け、峠を越えて、街を避けて北に向かえばもうこれで彼女を探さなくて済み、想い煩うことなどなくなるのだという無念な選択をしてしまう。

「オマエ、弱くなったな。それで、ええのか」

ひとりごとを呟いた。
何度も何度も繰り返した。
いつまでたっても、瞼が震えるのが止まらなかった。

名もない峠にて  [第49話]

2007年 07月 03日

東北地方という区域が私の旅のスタイルにあらゆる角度から刺激を与え、この地をセンチな気持ちを押さえながら駆け抜けた日々が存在したことが、もしかしたら私の人生の行方にある種の影響を及ぼしたと考えてもそれは過言ではない。

二十歳前にひとりの女性と出会い、その後十年間で私の心に大きな安らぎと夢を、その人は授けてくれたこと。

そして、その人とひと目でも逢いたいと思い、我武者羅に情熱を燃やし続けたこと。極めて純粋・無垢で、美しく清くその人を慕い、夢のなかで姿を慕い、諦めることなく限りなく未来を描き続けていたこと。

それは、叶わぬ夢であったのだけど、この人に逢うために京都を発ち、陸奥(みちのく)を目指し駆け続けた夏があったことは事実だった。

そんな夏は、一度や二度ではなかった。私が陸奥へと向かった数だけ、燃え上がった情熱があったわけだし、本州の中心に聳える信州の山々を通り越して、夢を実現できる手掛かりを掴むために、何度も何度も、北を目指した日々があったのも事実だ。

若き頃の夏は、誰にも負けないほどに激しく燃える情熱で満ちていた。その地域がどれほど遠くても、怖じ気づくことも無く走った。体力を使い果たし、気力が萎えることがあっても、諦めずに夢をこの地に預けていた。

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猪苗代湖から郡山市へと越える峠道の途中でバイクを止めた。その峠道は幹線道路ではなく、ローカルな県道の名もない峠だった。

真っ直ぐにこの道を降りてゆけば郡山市に着ける。下界に見える盆地の街がそうだ。あそこに行けば、あの子に逢える。

鶴さんの名字は珍しかったので電話帳で調べればすぐわかる。一度、行ってお兄さんやお母さんにも会っているので、尻込みする理由もない。さあ、ここから電話をしよう。

しかし、そう思った瞬間に、私の胸は異常に高鳴って、峠の公衆電話ボックスの前で屈みこんでしまった。立ち上がれない。

電話をするだけなのに、受話器が持てない。ああ、ここまでだ、これで終わりかもしれない、と直感的に私は思った。

どれほどの時間をこの峠で過ごしただろうか。あの日は、というか、あの夏はもっと北へと旅の行き先を変更して、まさに彷徨うように走り続けた。

号外 消さねばならないもの  [第48話]

2007年 03月 07日

前回の
「消し歩く。ふたたび東北」
に、下のようなコメントを追記した。
メモとして残しておきます。

【鶴さん】はまだまだ続くのかもしれない。

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多かれ少なかれ誰もが持ち合わせたもの。
消さねばならないもの。
でも、それは、消したくないもの。

この【鶴さん】シリーズをかれこれ一年以上前から書き始めたんですが、終わってしまいたいのに終われないのです。これって、消したいのに消せないのと似てますね。

消し歩く。ふたたび東北  [第47話]

2007年 02月 26日

瞬く間に十年という歳月が過ぎ去ってゆく。その夏が終わってゆくのをやり過ごす度に、冷たく濡れながら走った阿武隈洞への道程を私は思い起こした。そして、年を追って掠れてゆく記憶を悔しみながらも何度も、もう忘れてしまってもいいのかもしれない、と自分に言い聞かせたのだった。
まさか再び、みちのくへと旅立つ元気が、私の気持ちに蘇ってくるとは考えてもみなかった。
1994年の夏。日記の冒頭には、以下のように記されている。

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何故、東北に行くのか。その答を何度も書いては消している私がとても滑稽である。11年前、情熱だけを持って、ある女性を訪ねた旅の思い出が、東北の各所に散らばっている。今回の旅は、その思い出を「消し歩く行為」にほかならないことがわかっていながら、引きつけられるように旅に出てしまう。「芭焦」気分で東北を回ってみるのも面白いか。とにかくそんなこだわりで旅に出ることになった。

(中略)

ツーリングは建て前で、実は独りぽっちに浸りたいというのが目的かも知れない。家族を置いて旅に出ることには賛否両論があると思います。しかし、こんなひとり旅に出て初めて家族と旅をしたいと切々と思う。

GSXの調子はお世辞にも良いとはいえない。GSX最後の旅(長い旅)に出かけようという折に、今回は珍しくうちのんが写真を撮ってくれた。

誕生日にはケーキを切って

7月9日


あやのケーキ

6月5日


母のケーキ

誕生日にはケーキを切って

ほんとうは、ケーキが大好きなのかもしれない。

ろうそくの数?
忘れた

2010年7月11日 (日曜日)

ナスの花

通勤途上の道端で。

ナスの花

少し前から、実がなり始めていますね。
ナス。


親の小言となすびの花は千に一度の無駄もない。

必ず実が成るのだ。


夕立が洗っていつた茄子をもぐ  種田山頭火

2010年7月10日 (土曜日)

青虫。やがてアオスジアゲハになるの

庭の小さな楠木の葉っぱを、青虫が大方食ってしまった。青虫君、どこに隠れてるのよ、出ておいで!もうすぐアゲハになるのね。

アオスジアゲハ

見つけました。

アオスジアゲハ、の幼虫。

昨日、高速道路で

間違って反対方向に行ってしまって、1区間余分な往復をしたことは内緒にしておこう。

1時間降水量20ミリの土砂降りの中を走ったのでした。

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それが・・・・
大笑いな理由として

● 最も使用頻度が高い入口での話であること。

本来左を選択するべきところを右に行ってしまうのですが、その理由がまたアホらしい。

● 前方を走っていたノロノロばあさんが邪魔で、早く抜きたくてあせったこと
● ならびに、そのばあさんを追い越し右に周り出ようとしている間に左への分岐点を通過していたことに気づかなかったこと

上記2項による不注意のためでした。

あきれて、モノが言えん  >自分

泣き虫

七夕様の夜に、 (或る人の日記へのレス)


わたしも泣き虫だ。

逢えなければ逢いたいと言って泣き
叶わなければ、叶えて欲しいと、泣く。

朝早く目が覚めて、ひとり、部屋に来て、自分が可哀想と、また、泣く。

でも、泣いたあとの方が、素敵になれる。
そんな気がするな。


逢いたい人は、三人ほどいる。
そういえば、うちのんが、まだいるでしょ?というの。

そうかも。
もうひとりくらい、かな。

(7月7日)

2010年7月 9日 (金曜日)

思い出トランプ

book7月05日
新潮文庫の100冊に、
思い出トランプがあったので、買おうかなと思っています。
こんど、仕事の帰りに本屋に寄ろう。

book7月06日
父の詫び状。
コレはイイ。

これの良さがわかる人がここに来てくれるのかな。
そういう年齢とか、経験とか。

しみじみ

book7月07日
◆思い出トランプ
買いました。

大事に大事に読むんだー
声に出して読んでも、痺れてくるような文章。
いいですわ。

雨水を使う

 先日、朝の通勤列車の中で高校生のみなさんが英単語問題を出し合っているのが聞こえてきました。「environment…」「ナニソレ?」こういう1シーンに出会っても夏が来たのだと感じます。

 夏といえば、夏至のころから始まっているキャンドルナイトやライトダウンキャンペーンがあります。また、まき水、打ち水運動も最近では盛んになってきました。身近なところで、ぜひ、みなさまもご参加ください。

 一昨年に北星高校を訪ねて雨水利用状況とその装置を見学しました。建物に降り注ぐ雨水をタンクに取り込む機構にはひと工夫もふた工夫も必要ですが、この学校では上手に雨どいとの接続部を加工してました。

 もしも、日曜大工が趣味ならば、この部分でちょっとアイデアを出して屋根の上に降り注ぐ雨水を利用されてはいかがでしょうか。雨の水は無料で供給され、何の遠慮も要らない水ですから。

 ペットボトルに入った水をお店で買う人が増えていますが、その水と同品質の水を花にやったり地面に撒いたり、またそれで車を洗っているなんて、普通に考えてもモッタイナイと思いませんか。

(もしも雨水を使い始めたら絶対に元には戻れなくなると思います)

2010年7月 7日 (水曜日)

幻の旅 ―東北― 8  [第46話]

2007年 02月 05日

昔に流れていった時間を切々と思い起こし、喜哀の日々のひとときに過去を蘇らせてみても、過去は過去だという諦めに似た心が邪魔をすることもある。

今、こうして数々のシーンを並べ直している間にも、あのドラマのひとコマひとコマが、私の喉の奥で苦みを増してゆく。

もはや、生きてきた人生よりもこれから生きてゆける人生のほうが短くなってしまったという事実を覆そうという気持ちなどは一切ないのだから、苦いといってもそれは私がキリマンジャロを好んで飲むように酸味のきいた芳しい苦味なのかもしれない。

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旅を思い起こしてみる。しかし、今の私が幸せすぎていたり、不幸すぎていたりすると、その回想はつまらないものとなってしまう。では、幸でも不幸でもない私とはいったいどういう私なのだろうか。

自問をしながらなんと難しい問いかけだろうとため息をつく。

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郡山市を出発して宮城県を目指した。唐桑半島というところで泊まっている。行き当たりばったりである。この半島の小さな入り江で私は旅に出て初めて海と対面した。そのことをこれまでに何度も回想してきた。走っても走っても山の中ばかりだった旅の一瞬に出会えた海に感動した。こみ上げるものを堪えることもせずに、その場から動けなくなってしまっていた。

8月2日〔火曜日〕唐桑YHから田沢湖まで。
8月3日〔水曜日〕雨のち晴れ。田沢湖から那須まで。
8月4日〔木曜日〕那須より東京へ

この三日間に様々なことを考えていたのだろう。
三陸海岸から遠野を走りぬけ、まだ未開通だった東北自動車道の工事を横目に見ながら青森県へとゆく。

発荷峠で十和田湖を見下ろしたのが最北限だった。
その後、田沢湖を経て少しずつ南へと向かったのだ。
そして、那須を発ち、学友である安藤の家に寄っている。

日記のどこにも記載がないのだが、田沢湖から那須まで向かう途中にもう一度、郡山市に立ち寄っている。

そのときのことは、寄ったという以外にまるっきり私の脳みその中にも記憶がない。

このようにして東北の旅は終わったのだった。

続く

幻の旅 ―東北― 7  [第45話]

2007年 01月 05日

幻とはいったどういうものをいうのだろう…。
そんなことを考えながら、あの日の朝を思い出している。

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私は、郡山市から北に向かって旅立った。

過去の人生における或る一時期の私であったら、彼女と別れたことでおおよそ投げ槍になるか、または絶望に陥り、旅をキャンセルしてしまっていたに違いない。

しかし、あのときには若さがあったし、野望もあった。揺るぐことのない人生のビジョンを描いていた自信のようなものが私の心を支えていたのだ。

旅を続けねばならない、と考えたのではない。
自由に未知なるモノを探し求めて、身体の何処からか湧き上がってくる好奇心に逆らうことなく前進をするならば、自ずから旅は続くものであったし、北に向かって然りであった。

彼女の薬局を開店の時刻に訪ねて、その後、私は北へとバイクを走らせた。

続く

幻の旅 ―東北― 6  [第44話]

2006年 12月 16日

このものがたりを書き始めたころは、こんなにいつまでものんびりと書いているつもりはなかった。キラキラと輝くシーンを、短く、幾つかまとめておこうと考えていたのでした。

そして、、、最後にはひとつのシーンを思い浮かべていた。

なぜなら、このものがたりのすべては、その時間に収束してくるからです。喜びも悲しみも、出逢いも別れも。

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あぶくま洞から郡山市内へ帰ってきた時刻は、夕方だった。

日記には

|いつの間にか日が暮れていた。

|夜には酒を飲んで、
|ホテルの階上でさらに食事をして、
|部屋に戻ったのが10時過ぎ。

|バンダナを買ってもらった。
|思い出の多い1日だった。

と書いている。

ホテルはワシントンホテルでした。彼女のお母さんが来客用にと買い備えてあった宿泊券だったのだろう。そのときにはそんなことなどに気が付くはずもなく、誰かに貰って余っていたのかな…などと考えた。無理やりに家に押しかけたりして散々迷惑を掛けていたことに何年も後になってから気付く。

「いいから、使いなさいよ」
と彼女は私に渡してくれた。

日記には

|今夜の宿は、ワシントンホテルだ。
|バイクが心配なので駐車場に入れて荷物を降ろして・・・。

と暢気なことを書いているのが、何とも最高に恥ずかしい。

その夜。
飲み屋で何があったのか。
ホテルでどんな話をしたのか。
記憶にも、記録にも、ない。

エレベーターのドアが閉まったとき、すかさず、私は彼女に抱きついた。歯と歯がガチガチと当たったのがわかった。

ところが、高層まで一気に上がるはずのエレベーターが、途中の階で、誰かが押したボタンのせいで止まった。

ドアが急に開く。

乗り込む人の姿がドアの前に見えたのだが、・・・、とっさに私たちは離れて、同じ方向を見るような形に並びなおして、深くうつむいた。口の中にじわっと血が広がるのを感じながら、クスクスと笑いがこみ上げてきたのを覚えている。

最高に恥ずかしかった。身体じゅうが赤くなるのを感じた。そして、時間が経つにつれて切れた唇がずきずきと痛み出してくるのがわかる。酔いは相当に深くかった。

その後のことは、もう記述する必要はないだろう。

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記憶は、何年もの間にしばしば蘇ってくることもあったが、そのことを忘れてもいいと私は思った。もちろん、忘れることなどはできないのだが。

赤いバンダナは、その後、どこであろうと旅に出かけるときには首に巻いた。私のトレードマークになってゆく。しかし、そのバンダナも、ある日あるところで風に吹かれて失くしてしまった。

続く

幻の旅 ―東北― 5  [第43話]

2006年 12月 06日

もう何年も昔のことだが…

師走の京都はしんしんと冷え込んだ。仕事を終えてひとりで歩く。暖かそうな湯気が、暖簾と赤ちょうちんの間から漏れ出てくる店が裏通りにあった。

「明日は雪かも知れんなあ」と帰り際に誰かが呟いていた。そんな冷たく寒い夜に、ちょうちんを指で軽く突付いてガラガラと引き戸を開ける。

店の名前は「鶴さん」といった。

この店の名前がなぜ鶴さんなのか、私はその由来を尋ねたことはなかった。聞かないで大事にしまっておきながら、カウンターでおでんをつまんだ。「鶴さん」と小さな声で口ずさみながら、幻の東北の旅を思い出したものだ。

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私があの子のことを「鶴さん」と呼んだことは一度もなかった。向かい合って話すときも、あるいは手を引きながらのときも、呼びかける言葉など不要だったのだ。

あの夏も私は呼びかけることは無かった。薄暗い鍾乳洞の中をふたりで歩く。まるでそこは迷い道のようにくねくねと続き、地上の雨のことも忘れて私たちは恋人のように寄り添ってゆく。

地上に出たら雨は上がっていた。そして雨具をたたんで郡山市内へと向かった。

記録を辿っても詳しいことは何もわからない。たったそれだけの道程を朝から晩までかかって走っている。雨に打たれてタンデムで走ったことだけが日記に残っている。

そして日記はこのあと、数行で終わってしまう。

(続く)

幻の旅 ―東北― 4  [第42話]

2006年 11月 01日

1983年7月30日、土曜日。

気象庁のデータでは、午後6時ころから8時ころにかけて、郡山市には1ミリから2ミリの雨が降っている。
それはまさに私が彼女の帰りを待っていた時刻だった。
記録を辿ると、さらに、深夜11時から翌日の1時までにも相当に強い雨が降った記録がある。

私たちふたりはその雨音を聞きながら夜をすごし、熱情を言葉にして私は語り続けたのだった。

そして、静かに朝がやってきた。
雨はあがっていた。

何をどう申し合わせたのか、彼女を後部座席に乗せて小さな旅に出ることになりました。

日記には、

 お母さんとお兄さんと彼女と4人で食事を取って、
 写真を撮って、彼女を乗せて出発。
 猪苗代湖の方に向かうけどパラパラ・・・。ああ。

と書いている

彼女から、「あぶくま洞へ行こう」と言い出したのだろう。その小さな旅は、二人の最後の旅なのだと彼女はきっと決めていたに違いない。

郡山市内を抜けてR49をいわき市の方に向けて走る。10キロほど走って、そこからそれてあぶくま洞へ。

再び、雨が降り始めた。
私には熱い気持ちが漲っていたのだろう。
日記には挫けた言葉はほとんど無い。

(続)

幻の旅 ―東北― 3  [第41話]

2006年 10月 05日

時刻は6時前だったと日記に書いている。7月30日は土曜日だった。鶴さんは、この日は仕事で、電話を入れた時刻にまだ家に帰ってはいなかった。

家庭にはそれなりの予定もあるのだから迷惑になるだろうと考えるのが大人だ。いきなり邪魔をしたら、準備もできないから困ったことでしょう。しかし、会いたい一心だったのだ。

手ぶらで、いきなり電話を入れて、しかも、彼女は不在であったにもかかわらず家に上がらせてもらって彼女を待ちました。お兄さんがいらっしゃって、お母さんと三人で話をしていた光景がかすかに記憶にあります。

日記から
--------
7月30日〔土曜日〕曇り時々雨
6時前だった。家に電話を入れた。
それが家のすぐ前のボックスだったから、知らないって恐ろしい。7時半くらいまで待っただろうか。
彼女は帰ってきてかなり強引に家に泊めてもらうことになった。
夜遅くまで話をしていた。夜というか、朝の5時くらいまで話していた。
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このシリーズを書き始めて何度か触れたが、鶴さんと私の会話の内容は私の日記には書かれていない。普段からどんな話を交わしていたのか。もしもその内容に触れるものが残っていたとすれば、ダンボールに一杯あった手紙だけだったのだといえる。
しかし、何をどう判断したのか、どんな事件があったのか、回想するのも悲しいのだが、私はその手紙の束を数年前に…棄ててしまった。
悲しいことに頭の中にも残っていない。こうして日記を読み返していても蘇えってこない。ただただ私は自分の夢を語り、一緒になりたいと言いつづけていたに違いない、と、そう思う。

小さな市営住宅で、一階に台所と居間があるだけの侘びしい家だった。お父さんはお医者さんだったという。でも、小さいころに亡くして、お母さんが大変な苦労の末に兄二人と鶴さんを育てたという。大学まで出すのはさぞかし大変だったのだろう。私はしかし、その本当の苦労を理解できていなかった。

冷房もない部屋だった。畳に座り、ときには膝を抱き、ときには横になりながら、酒を飲むこともなく延々とくどい話をしていたに違いない。時間は情け容赦なく過ぎる。時間が尽きるときの悲しさを想像しても、まだ延々と私は話を続けたのだ。

夜が明け始めて窓が白み始めるころに、少しだけ眠った。

つづく

KLEの車検についての展望

前記日記のような症状のため、車検を業者に出すことを躊躇しています。

●車検見積 参考
・自賠責2年 13400円
・重量税 5000円
・印紙 1700円
・車検代行 21000円
・車検整備 21000円
・ブレーキオイル交換(フロント、リア) 3150円×2

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お盆を過ぎてからの1ヶ月が車検実施可能期間ですので、自分で行きたいと思います。

ユーザー車検経験者の方にお話をお伺いしたいので、どうぞご教授お願い申しあげます。

いっぺん、車検場の下見に行ってきて、車検の様子を一部始終見てこようかなと思っています。

どう思いますか?

--

任意保険も掛けたし、1万2千円ほどですが、もったいないのであと1年は頑張りたいけど、「止まるならほかしてしまえホトトギス」と考えてもいます。
(最低支出で食い止めたい)

ジェベル欲しい  ぼそ

続・KLE修理その後

今回の検査の費用

●引き上げ(往復) 3150円
●プラグ2本 473円×2=946円
●電気系、吸気系チャック 8400円
●水まわり、ラジエターコア掃除
●キャブレター・オーバーホール(掃除) 15750円

総額 2万8千246円

払ってきましたが
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先日、夕方に30キロほど近所を走り回りました。
平均時速45キロくらいでしょうか。

●症状 完全に治っているとはいえない。

●詳細
30キロ走行時点で、交差点に停止する際に、ガス欠(リザーブ)に似たエンジンの止まり方が数度発生。

一回を除き、交差点での停止準備状態でアクセルの空ぶかしに応答しない程度であったが、確実に停止して、エンジンを再起動させる必要が、1回だけあった。
(つまり、交差点でガス欠みたいにすーーーっとエンジンが止まっていった)

20秒ほど休憩して、再起動。

その後、3キロほどを走って自宅に帰着。途上でも異常の再現はなし。

●何が悪いのか。想像できん。

2010年7月 5日 (月曜日)

幻の旅 ―東北― 2  [第40話]

2006年09月24日

若さというものは、素晴らしい。

二十数年の歳月を経たことで、あの時代の自分を冷静で客観的に振り返ることができるからこそ、今、そんなことが書ける。

私は夜明けの京都市内を颯爽と走り抜けた。

+++

天気は良いし、太陽が昇り青空が広がっていた。とにかく信州へ、そして鶴さんの所へ・・・、このことだけを考えての出発だ。だから好天なのが何よりも嬉しい。京都市内を抜けて滋賀県に入る。旧中仙道であるR19に入り関が原方面へと向かう。左側に新幹線のあるところで第1回目のピースサインを交わした。

軽トラのおじさんが信号で止まっているときに「暑いでしょうね、革を着て…でもかっこいいよ。どこまで行くのだい?」と聞いてきた。「北海道に行くんだ。10日間の休みで・・・」と答えて別れてしまう。 

【日記から】
+++

心の中には鶴さんが待っていた…はずだった。しかし、その気持ちを紛らわしながら、乗鞍高原に寄り道をしたり、上田まほろばYHに泊まったり、さらには草津白根道路も楽しみながら、北に向かっている。

家を訪ねても会ってもらえないかもしれない。もしも、会えたとしても願いが叶うわけでもないだろう。会えば必ず別れて帰ってこなくてはならないのだ。それが私には恐ろしかったのだろう。

それでも、北に向かって走った。

1泊目は上田市、2泊目は奥只見。3日目に猪苗代湖を見た。

日記ではそのあとのことを以下のように書いている。

+++

とにかく猪苗代湖に出てみた。海みたいな湖だ。大きいから湖という感じはしない。汐の香りがしないから何となく味が出ない。R252からR49にすでに移っていた。このあたりは磐梯朝日国立公園である。残念ながら一番見てみたい磐梯山には雲が掛かって見えない。猪苗代湖から磐梯山の東側を回って裏磐梯に出た。五色沼に行ってみたが人ばかり。ひとつだけ沼を見て…

(以下略)

+++

雲が掛かって見えなかった磐梯山が象徴するかのように、私の心にも雲が掛かっていたのだろうか。私はこのあと、山を越え郡山市内へと降りてゆく。

まるで神の導きのように彼女の住む町の近くまで、ほとんど何も頼らずに行ってしまうのだ。

雨が降り始める。しょぼしょぼと降り始めるのだが、それもやがて容赦なく大粒の雨に変わる。

<続く>

幻の旅 ― 東北 ― 1  [第39話]

2006年 08月 30日

【鶴さん】 最終楽章に入ります。
しばらくは、あのときの日記を読み解きながら進むことになります。

京都駅で別れてから、まる1年と2ヶ月。
手紙は山のように書きましたが、私は鶴さんに一度も電話をしませんでした。

日記は、こんなふうに始まってゆきます。

---------------------------------
1983年の夏は、アンニュイに始まった。
はじめての東北は、センチメンタルな旅でした。

(この旅をきっかけに)
それで私は
東北が嫌いになってしまったかのように、北には足を踏み込めなくなってゆくのです。

思い出は化石のように風化してゆくけど、私が生きている間だけ消えなければいい。

7月28日〔木曜日〕 はれ
朝5時を少し回ったころに目が覚めた。
別に早く出発するつもりはなかったけど、気持ちがその気になったら出掛けるしかないか。
前日から用意してあったタンクバックとディパックをバイクにつけて、さあ出発。
ちょうど青山さんちの純子さんと家の前で挨拶を交わしてエンジンをかけた。
AM5:45だった。

<続く>

東北は遠いところでした・・・・  [第38話]

2006年 08月 16日

五月の風が吹き抜けていった京都に夏がやってきて、新しく始まったばかりの暮らしは次第に落ち着き得て、学生から大人へと急激に変化した生活を私は一人前の顔をして送っている。

別れは辛くて悲しかった。そんなことはわかっていた。♪迷子の迷子の子猫ちゃん…と歌ってみては、しょんぼりとしたものです。

二度と起こり得ないような出逢いをくれた彼女だっただけに、これから再会できないと思えば、このまま自分は立ち直ることなどできず、何処かに蒸発してしまえばいいじゃないかなどと思い詰めて死んでしまうのではないか…。

モノ思いに耽るような日々もありました。

でも、一方で、アッケラカンとした自分がいることもあって、研究所の仕事も楽しかったし、休日にはバイクで出かけたりするようにもなって、市内の古刹を訪ねたり、郊外の旧街道を走ったりする喜びも覚えていました。

ときどき、手紙を書いては彼女へと送りました。エアーメールの便箋で、たくさん書きました。彼女も同じ便箋でくれました。彼女から手紙が届くのは1、2週間に1度しかないのに、仕事から帰ると毎日のように郵便受けを覗いたものです。

(不思議にも私は電話を掛けませんでした。生の声を聞きたいとは余り考えなかったようです。あの性格は今でも変わっていないみたいだけど。)

「あなた宛ての手紙がいつもマンションの郵便受けに入っていたの、覚えてるわ」と、ある人は言う。ある人…。同じマンションに住んでいた女の人で、二年後には私の奥さんとなるのだが…。

せっせと手紙を書き、バイクに乗って飛び回っていながら、彼女の住む東北へ走って行こうと、私は思わなかったのでした。

東北ってところは私にしたら途轍もなく遠いところで、夢のようなところだったのです。まさか、そんなところに行こうなんて考えるはずもなかった。ですから、その年の夏は紀伊半島を走って、秋には乗鞍へ出掛けただけでした。

つづく

サヨナラと三回ゆうたら夕焼け  [第37話]

2006年07月27日

あなたを乗せた列車は線路の果てに消えていってしまった。
さあ、下宿へ帰るのだ。嵐山行きのバスに乗ってトコトコと揺られてゆこう。

秋でもないのに、やけに山を包む夕焼けが赤かった。
さよなら、さよなら、さよなら。

サヨナラと三回ゆうたら夕焼け  ねこ作

映画にも歌舞伎にも1度も誘ったことがなかった。いつもひとりで行ってきて感想だけをべらべらと喋った。一緒に行きたいとあの人は思ってくれたのだろうか。そのことを自ら口にすることはなかったけれど、私と一緒に行きたいと思ったことがあったのだろうか。

もしも、あの人にそのことを尋ねたとしたら
「ひとりで行くほうがいいから(来ないで・・・・)とあなたは言うよ」
と説明するかもしれない。

しかし、たまには映画に誘いたいなと思ったに違いない。私のことを知っているからこそ、誘おうなんて考えず、それ以上を口にしなかったのだろう。

一緒にいて何を話して二人だけの時間を過ごしてきたのだろうか。今更ながら不思議だ。でも、もう今は、思い出せない。たぶん、私は自分の夢を気ままに語り、あの人は「あなたはきっと成功するわ」と相槌を打ち、頷き続けたのだろう。

京都の1日は、終わった。何も記録が残っていない。写真もない。日記もない。

彼女は私をひたすら励まし続け、幾ら結婚したいといわれてもそれだけは叶えることができないのだ、しかし、「あなたの夢が叶うように遠くからいつも祈っているから」と言い続けたのだった。

そう、
アルプスの少女ハイジを見るたびに、ケラケラケラと明るく笑うあの人が瞼に浮かぶ。彼女は天使のようだった。

♪天使が恋を覚えたら ただの女になるという (北山修)

サヨナラを呟いたあと、夕焼けを見あげながら歌おうとしても、それは歌にはならなかった。

つづく

このときのあなたは  [第36話]

2006年 07月 20日

私の長い長い旅の終わりは、あなたと別れた雨の鎌倉だったのだ。そう、思ったことがありました。
でも、それじゃ諦めきれない。だから、私は再び旅に出ることにしようと誓ったのです。

その旅であなたに運良く巡り会えれば、それほどの幸せは望まないのだろうけど、出会えなくても私はひとり、旅を続けようと誓ったのです。

どんなにみすぼらしく汚い格好をしていても、そして私があなたをひとり占めして放そうとせずにいても、我儘も言いたい放題で力任せに抱きしめていても、あなたは私のことを一度も嫌だとは言わなかったし、離れて欲しいとも言わなかった。もちろん、嫌いだとも言わなかった。

ソアレを出て私たちは何処をどのように彷徨っていたのか、私にはまったく記憶がないのですが、五月の風はすっかり初夏のものでだったことと、京都の路地をあなたの手を引いて歩きながら人ごみにうんざりして、京都駅に戻ってきたときが一番嬉しかったことを覚えています。

せっかく共有した時間を持てることになった一日だったのに、お互いにゆっくりと見つめあえる時間を持たずに過ごして歩き回ってしまったことに、京都駅まで来てみて初めて気がついた自分が、自分で大バカに思えて悔しくて悔しくて、、、女だったらワンワンと泣いてやるぞと思っていた。

特急「雷鳥」が人をいっぱい乗せて金沢のほうへと出発してゆくホームを眺めながら、今度こそ本当のお別れなのだろうと覚悟を決めた。そのときに、私はあの余別のバス停であなたと別れたときのことを思い出していたのでした。

あのときは手を振って「じゃあ」と言って別れた。

1982年五月、京都駅。

このときのあなたは「きっとまた会えるよ」と私に言ったのでした。

木屋町 ソアレ  [第35話]

2006年 07月 01日

四条河原町から東へ一筋入って木屋町通りまで来ると、静かな佇まいの高瀬川が南北に流れています。四条通りの橋の上は人で溢れていますが、一歩二歩と川の流れに沿うて上るか下るかすれば、やはりここは京都なのだと思えてきます。

ほんの二三軒分ほど上るか下がれば人の数も減り、さらさらと流れる川のほとりで枝垂れ柳が風に揺れているのをゆっくりと眺めることができます。高瀬川の水は、ここが最も栄えた歴史の時代と比べるとおそらく減ってしまっているだろうけど、私なりに京都を味わい、また過去を偲びながら川の淵に佇むこともできます。

このあたりは、夜には夜の顔を持ち、昼には昼の顔を持っています。不思議なほどに変貌してしまう京都の路地裏通りですが、私は京都に来て1ヶ月余りでしたので、観光客よりも哀れなほど繁華街のことをこれっぽちも知らず、何を考えていたのか、四条河原町までとりあえず行こうと思ったのでしょう。

先斗町へと抜ける路地裏通りなどを用もないのに子どものように通り抜けてみたり、その出口で立ち止まり振り返ってみたりして、言葉にはできないものをどのように表現したらあの人に伝わるのだろうかと思案に暮れたのだろうと思います。

お昼前のひとときを私たちは「ソアレ」という喫茶店でしばらく過ごしました。東京で別れてから2ヶ月弱だったにもかかわらず、きっと私は彼女に十年振りのような感傷で話し続けたのでしょう。

窓の外には高瀬川のせせらぎが、道ゆく人にさして気に留められるでもなく、悠々と静かに流れているのが見えていました。

続く

9時半・その時刻には… [第34話]

2006年 05月 25日

京都に住み始めて1ヶ月あまりが過ぎようとしていた。

最初、京都という街が想像以上に田舎だったので落胆して、新人歓迎会が終わる時刻に、この街の一番の繁華街に人影が疎らで、新聞紙が風に舞っていた風景が侘びしく思え、やけに尾を引いてショックを受けていたのだが、それも十日も過ぎればまさに住めば都になりつつあった。

大型連休(GW)というものを今ほどにメディアはバカ騒ぎしなかったし、休日を戴く側としても長い休みをどうしても獲得して何かをしたい、どこかに行きたいというものでもなかった。新人だったので特に欲もなかった。(車やバイク、カメラ…などは持っていなかったし)

さて、9時半に京都駅に行けばいいのだから、と単純に考えて車折の家を出たのは1時間ほど前だっただろうか。バスに乗れば40分ほどだから、余裕は十分だ。

しかし、誤算というか、しばらく待ってもバスが来ない。いや、さっきから三条通りにバスが通ってゆく姿が見えないのだ。自家用車は普通に走っているのだが、バスや、おそらくタクシーも、少ないのです。

今となっては何も珍しいとか、難しい問題ではなく、GWに突入して市内のあちらこちらで車が増え渋滞を起こしているので、バスが嵐山方面に向かってゆかないのだった。

したがって、そこから引き返してくるバスもやって来ない。数少ないタクシーに飛び乗ってしまえばよかったのでしょうが、京都ひとり暮らし1ヶ月・社会人1年生の私は即座に京都駅まで直行する手段を思い浮かべることができず、困ったなと思いながらバスが来るのをひたすら待ったのでした。

でも、バスは、1時間たっても1台も来ませんでした。はあ。

この時代にはケータイなどは、影も形も無い。どうして、もう少し早い時間にタクシーを見つけて乗らなかったんだろうか。

そのころ京都駅では、時間になっても現れない人を、「遅いけれどもうすぐ来るかな、もう少しだけでも…」と、駅のバスターミナルを見通せる通路の壁に凭れて彼女は待っていた。

「1時間以上も遅れて来るなんて、誰が想像しますか!」

そういわれても仕方がない。

ボケ、カス、アホ…です、私は。

五月、京都で… [第33話]

2006年 05月 04日

郵便屋さんがバイクで通りかかるたびにポストが気にかかる日々を過ごしている私に1通の手紙が届いたのは四月の下旬だった。

「五月のお休みに大阪の方に行きます。友だちに会うためです」
たぶんそんなことが簡潔に書かれていたはずだ。そのころの手紙は全て処分をしたし、記憶も微かになっているものの、私は会えないはずのその人にひと目会えるということで跳び上がるように喜んだのは紛れもないことだった。

彼女のいう「友だち」とは、学生時代から思いを寄せている人だった。彼女がくれるそれまでの手紙や電話で、願いは叶わぬものだが心に秘めた人があるという話を何度か聞かされていた。つまり、私はそれを知って、彼女を奪い取ろうと必死になっていたともいえようか。

そんなことはどうだって構わない。あの人は叶わない人でもいい。もう1回だけ会えるなら会いたい。私が京都を案内しよう。花の咲く古刹の庭で、言い残したことのすべてを話してこよう。

私もひと月と少しの間に、少し大人になっていた。冷静というには少し私が可哀相だったが。

そんなわけで、5月になったばかりの休日に彼女を京都駅で迎えることになった。

「時刻は9時半ね、京都駅よ」

そう言って約束し、当日を迎えるのだが、その日の朝、とんだハプニングが起こったのでした。

桜の花の散る四月に [第32話]

2006年04月22日

雨に煙る都会のビル群とそこに点るガラスの破片のように散らばった明かりを一生忘れることなど無いだろう、と心の中で私は何度も呟いた。東京を離れる列車は闇の中をひた走り、この列車に乗って東に向かうことはもう絶対に無いのだと思うと、閉じた瞼の後ろあたりから空気が抜けて気が遠くなってゆくような錯覚が襲ってくる。

目の前が白くなる。激しく光る。赤く光る。

鎌倉であの子の顔をピンクに染めた雨傘が、瞼の裏に突き刺さるように現れ、焼きついて離れない。脳みそに突き刺さるんじゃないかとさえ思う。

時間は、私がどんな苦渋に苛まれていても、容赦なく過ぎる。

目を開ければ、そこには京都の街があり、私の住む新しい部屋があった。静かな佇まいの中にある部屋で、東京時代と比べると2倍以上の広さだった。

歳月、引き潮のように彼方に消えて、満ちるときは闇夜の夢の如し。

あの子のことはキッパリと心の奥にしまい込んで、波のように揺れた毎日は忘れよう。もう会えないし、会わないだろう。そう決め込んで、四月、新しい年度を迎え社会人としての一歩を私は踏み出していた。

桜の花は散り、その散り初めの東山を散策して、誰を偲ぶこともできない日々を過ごしながらも、私はあの子に電話を掛けようとはしなかった。

ときより、昔のように手紙を書き、ときより手紙が舞い込む日々を再び私は過ごし始めた。手紙には熱い言葉は何も書かなかった。新しい仕事のこと、京都の住み心地のこと、あの子へ、その後、元気なのかという伺い。それは、他愛の無い手紙だった。

前略。

琵琶湖疎水にピンクの花びらが浮かび、ゆっくりと流れるのを見て、あなたとは今の季節に一度も肩を並べて歩いたことがありませんでしたね。夏に出会い、そして夏に再会し、早春に別れてきた私たちに、同じ春を感じた一瞬はなかったんですね。京都には御室という桜の綺麗な古刹があります。会社の名前もこれに因んでいるんですよ。・・・・。

手紙はそんな調子で綴られていたのだろう。

つづく

2010年7月 4日 (日曜日)

陽がさしてきた

JR

日曜日のJR。
ひとり、学生さんが乗っているだけ。
クラブに行くためのジャージを着ていた。

陽がさしてきた。
きのう、たんまりと降ってきょうも雨かと思ったけれど

雨があがれば、
濡れてつまらなかったときのことは忘れてしまう。

人生もそんなモノかもしれない。

--

高速道路が無料になってるんだって。
アタマに来ることだってあるさ。

タダはよくない。たとえ十円でも取らなきゃ。
その金を、困ってる人に使えばいい。

だったら、十円ではなく、百円で、困ってる人と病んでいる人に分ければいい。

じゃあ、百円じゃなく、二百円で、地球温暖化のストップのために使おう。

それなら、五百円で。

どうして
そういう話を
誰もしないのだろうか。


森へ - たくさんのふしぎ傑作集 -  星野道夫 文・写真


森へ

 森へ - たくさんのふしぎ傑作集 -
 星野道夫 文・写真

* 星野 道夫
* 福音館書店
* \1,365

この本をパラパラとめくると、たくさんの「ふしぎ」に出会う。
星野道夫の視線は、私たちを森へと誘いこんでゆく。

巨木の合間を縫って森の奥へと踏み込めば、想像もしていない景色が次々と飛び込んでくる。

果てしない時間が過ぎた足跡を目前にして出会った不思議は、呼吸をしているような森の自然の姿であり、揺るぎない生命力だった。

--------------------
ぼくらの町を流れる川を
ずーっと遡ってゆけば
きっと源流に辿り着ける

いくつもの森を通り抜け
いくつもの森のふしぎに
出会いながら
もっと奥へと
探検にゆく

森の奥には
お宝がザクザク
鳥が啼いて
風が吹いて
水が湧いて
花が咲いている

清水が
せせらぎに変わり
川になって
滝になる

生命の始まりが
見つかるかもしれない

自然を知ろう
源流を見つけよう

ふしぎワクワク
自然ドキドキ


| 2007-08-25 21:15 | 読書系セレクション |

雨あがり嬉しいキミのひとりごと

ねこじゃらし


最近は、淡々と。

そう。
ぼーっと
感動を探してる

2010年7月 3日 (土曜日)

十七音〔スピンアウト〕 平成22年前篇


夕立の前触れ別れの背中押し 〔6月下旬篇〕


(30 日)
▼その人の山に逢いたく峠越え
▼夕立の前触れ別れの背中押し
▼貴方って天然なんだと少しずつ
▼さようなら握手の指のひとりごと
▼チョコレートつまみながらユーミンを

ドラマはいつだってわからないことだらけで終りを迎えようとする。
私のドラマは悲しいブルースのように、泣きながら。

意地をはって口笛を吹こうとしても、音にもならない寂しさ。

ユーミン。
ガ ンガンかけながら、高速道路を飛ばしてゆきたい。

(29日)
▼産屋灯のもれていろずく蛇苺 奥山甲子男

梅雨の合間の蒸し暑い朝に、こんな句を思い出す。
昨晩降った土砂降りがやみ、畦道の雑草に水玉が銀色に輝く。
ひっそりと蛇苺。わが子も夏に生まれし

(28日)
▼或る時のむくげの木曽路別れかな
▼前髪を切ったの?と問いかけて笑顔

日常は
別れと出会いの繰返し。
晴れと雨の斑模様。

いい日もあれば、センチな日もあるさ。

(27日)
▼海霞み紫草(ムラサキ)のにおいがごとしきみの影

何を思ったか
きみを思い出した。

もう思い出すべき人ではないのだが。

(24日)
▼今夜はカレーだった
▼少し苛立ってネコじゃらしを引きちぎる

カレーを食べたら、あくる日もカレー食べねばならないという法則。
お昼にカレーを食べそうでしたから、危なかった。

(23日)
▼どうぞあなたも孤独であってほしい雨 〔時実新子〕
▼青ガエルおまえが見たくて旅に出る

この花?トルコキキョウよ。
生けた花に手を添えながらそう説明をしてくれた人。
黄色い花がよく似合う

そんな貴方も、もう、やがてキライになれる。
ほんとうに?
自信ないけど。

(22日)
▼神田川、映画のように流れてる
▼きみと別れたときの発車のベルがよみがえる

こうして
昔を思い出しながら
今の自分のステップにしているところがある。

まっ、いいかあ。

(21 日)
▼夏至の昼実家の母を訪ねけり
▼おはようさん少し曇った夏至の朝

夏至の日に、母を訪ねる。
22日は月命日。

(17 日)
▼おはようという人遠し梅雨の朝

逢いたい。
そう思ったんだろうなあ。

(16日)
▼ 沙羅双樹思い出すのは鎌倉の

「鶴さん」の転記を開始した。
そのついでに、もう一度読み返してみる。

よく、こんな作品を書いたものだと、自分でも感心する。
2010-07-03


あじさいの紫が嫌い、口癖で〔6月上旬篇〕


(15日)
▼お迎えに手を振る前にキザになる
▼雨音に耳傾けながら氷割る
▼じゃじゃぶりやオシッコ漏れそう家遠し

ずいぶんと明るい気持ちになっているこのごろ。

ねえ、新しい恋人が出来たの?

そんな、わけ、ないだ、ろー

(14 日)
▼梅雨寂し路面電車の行き去りて

水しぶきを上げながら走り去る車両を機械のように目で追いながら電車を待つ。
そんな情景を思い浮かべる。

雨に
キミは
濡れていないか。

(13日)
▼霧雨に入り江も霞む梅雨の入り

熊野古道センターの脇の「古道の湯」に立ち寄る。
雨強くはなくも、対岸は霞んで見えない。
発電所の煙突のフラッシュライトが点滅するのをぼんやりと見ている。

(11日)
▼あじさいの紫が嫌い、口癖で
▼この恋は盗んできたのアジサイの花の言葉に梅雨を待てぬと

私が紫色を凄く嫌いなことを知っているのは、紛れも無く私の妻だけかもしれない。

(9 日)
▼その人に雨は似合わぬが傘はあう
▼ツユクサが語りかけているような雨

早く梅雨入りして欲しい心と
梅雨なんて嫌いだという心の、葛藤。

(高村薫とかを読んでいたあとだけに)
▼するすると心に忍び込むわ。恋する伊勢物語

俵万智。
ちくま文庫。
おもしろい。

▼目を閉じれば銀河鉄道であの人に会えるかな
▼花菖蒲ぬれて佇む蜜のつき

昔、夫婦で映画を見に行ったことがある。
映画を一緒に見るなんてことは、5年に1回も無いかもしれないのに。
やけに記憶に残っている。

蜜月。そういう題名の映画だった。

(7日)
▼青梅や親の小言の甘い酒

子どものころに、母が作ってくれた梅酒。
親の気持ちもわからずに、がぶがぶと飲んだ。
あれはあれで良かったのだろう。

近ごろ、母が梅酒を造るのを見たことが無い。
単に面倒なだけだろうと思うものの、母の梅酒を飲んでみたくなる。

(4日)
▼ はしかいと知っていながら麦の穂を千切ってひとつノートにはさむ
▼麦殻を吸うて甘し大人の味
▼花をいけて泣き出しそうな君を盗む
▼ 麦笛や幼きころの髪飾り

昔、そう、もう20年以上も前に、北海道の大地が一面麦畑で覆われている中を、バイクで走り抜けようとしたことがあった。

女性がバイクを止めて波打つ丘陵を見ていた。
麦の穂をひとつ千切って、タンクバックにはさんで、
口にも麦わらをくわえていた。

たくましい女性だったが、ロマンチックな輝きを放っていた。

海で育った子に、麦の匂いがわかるものか。

(2 日)
▼山吹の小径に消える後姿
▼海は嫌い悲しくなるのと人のいう
▼あの人に海の素敵がわかるかな

後姿というものは、何とも言えないものがある。
単に無防備の美しさだけではあるまい。
自分の後方へと物事を切り、棄ててきた清清しさと、諦めと、後悔が複雑に混ざり合っている心を想像すると、そこには美だけでは済まされない興奮がある。

もしも、あの人を例えるなら
山吹のような柔らかな色よりも、
真っ赤なバラのほうになるだろうと、かねがね思っていたが。

遥か遠い海のかなたに消えていってしまった鳥のように
私の前からストンと姿を消した人は、
海に遊ぶというよりは、
海と闘うような激しい姿が似合う人だった。

海は嫌いだ。
そう思うことにした。
2010-06-16


お別れにネクタイ仕舞って。衣替え 〔5月下旬篇〕


(31日)
▼あしたから元気を出そう五月尽
▼今日からはため息やめよと決めたのに

手帳のページめくりながら、今年も半分が過ぎたと思う。

元気出せよ、と自分を励ます。
そういいながらも、いつも、割と元気だ。

くよくよしない人になろうと思っているのだろう。

(29日)
▼お別れにネクタイ仕舞って。衣替え

仕舞う。
そんな些細なことが大事だなと思う。

お別れをするとなると、今更ながら、恋しいものだ。
どんなことにも、どんな人にも言えるのかもしれない。

(28日)
▼ツメクサの白きっぱりと指切った
▼衣替え私の白と君の白

シロツメクサが畦道に生えているのを見ながら、四葉を探して歩くようなことなど一度もしたことの無い自分を振り返る。

現実的な自分と理想的な自分が歩いてゆく。

衣替えが近いのだが、肌寒かったり暑かったり。

(27日)
▼恋心どうしたら届けられるか切ない満月
▼貴方の影と僕の影が寄り添う幻

満月と書いたが、ほんとは明くる日が満月だったかもしれない。
雲が掛かって満月など見えなかったのに、そう書いたような記憶もある。

遠くにいて、逢いたくて仕方が無い人も、同じ月を見ているだろうか。
そんなことを思ったのも昔のことで、今は、私が書くドラマの登場人物なんだな。

(26日)
▼ウチのほうは、すっかり青空になってきたわよん
▼ドクダミの花白き故君恋し

このころから梅雨の走りであったのだろう。
雨が降り、やがて止んで、晴れ間が見え始めたのか。
26日は水曜日で、家に居たと思われる。

ドクダミの花の素朴さが好きなのだろう。
何を思い浮かべたのか、今更、不思議。

(25 日)
▼爪痕が痛くも痒くもない別れ
▼ト長調、でもモーツアルトは嫌いなの

私の
言葉の遊びは、
まるで、いかさま占いが終わらないように、続く。

ハートのエースは出てこないのだ。

でも、そんなことはわかっている。
2010-06-16


今日からはため息やめよと決めたのに
五月が終わってゆく。
そう!半年が過ぎたの。

早いものね、とため息をつき、置いてきた過去と言葉に出来ない明日からの夢と希望を、ふっと思ってみる。
何かいいこと、あるといいな、とか考えている自分もいる。

過去なんて何もいいことなかったし、衣替えと一緒に自分も変われるといいのにな。

今日からはため息やめよと決めたのに ねこ作
2010-05-31


あなたの好きな八朔の花がさいてましてん
(23日)
▼はっさく
あなたの好きな八朔の花がさいてましてん、天国のお父ちゃん。
子どものころは、「おとやん」と呼んだのだ。
なかなかええ響きやなあ「おとやん」

ハッサクの花

▼くもりガラス
雨降りは嫌いだが、曇りガラスは好きだな。
「好き」とか、書いてみる

▼クチベニマイマイ
その名前クチベニマイマイと教えてくれた人。
揺れる唇

▼雨ってどうして別れの記憶だけなの?
▼あじさいが手をふるように雨にぬれ
▼さようならの情景ばかりの雨雨
▼ひなツバメ黄金の海で風を切れ

黄金色に色づいた麦畑の上をツバメが颯爽と滑空してゆく。
ひなツバメ。つい先ごろまでは、飛ぶのもへたくそだったのに。
しばらく見ない間に、上手に飛ぶようになった。

ささやかな喜び。

(22 日)
▼桑の実を旅に求めた夢の跡
▼あぜ道をそろりそろりと桑の実へ
▼桑の実が酸っぱ美味いとあの人が

すっぱうまい、とあの人が言ったのだ。
なるほどね。
でも、それも、そこでオシマイ。

杉田久女が<谺して山ほととぎすほしいまま>と詠んだ。
山の泰然としている懐の深さに染み入るものがある。

(21日)
▼アジサイの枝を切る音余韻なく
▼ 小満の朝に黄金の海を行く

麦の穂いよいよ黄金色になりて夏来るような日でした。
あれよあれよという間に夏が来るのだろう。

苛々して切り込んだアジサイに今年は花が咲くだろうか。

2010-05-24 09:16


5月中旬篇 ─ 濡れた髪で貴方に逢えぬと月を見る


(19日)
▼さて今夜の一日一魚は何だろか
▼霧雨に濡れる髪あなたの傘まで
▼その名前マツバウンランとメールする
▼ 満ち潮が過ぎて静かな海に寄る

着々と夏を迎える準備をしている。
それは、「身体が」であり「心が」でもある。

そんな抽象的なことを書いて、どこが日記だと思いながら、まあ何年か経ったら忘れてしまっていてもいいことは山ほどある。

その山を棄て切れたら、あの世へ行こう。

(13日-15日)
▼好きですと書けば書くほど深くなる
▼ファミレスでひとりランチに薫る風
▼ほんとうは失恋したの、黙ってる
▼逢いたいの、奮え鎮めてホトトギス

心地よい風が吹いている季節だ。
一人で散歩に出かけたい。
いや、ひとりだと寂しいかもしれない。
いいえ、そうでもないかも。

心地よい風が吹いている。
風は気まぐれ。
そう誰かが歌ったのを思い出す。

(12日)
▼濡れた髪で貴方に逢えぬと月を見る
▼この棘は貴方の手紙、赤いバラ
▼サヨナラと峠を越えてシャガの花

夏の花が咲き始める。
名前は知らない。

赤い花。激しすぎる。
白い花。静か過ぎる。

本当は月なんか見ても、嬉しくも楽しくも無い。

(11日)
▼あの人を待ち伏せてみたい軒がある
▼雨宿りしてみたくなる軒があり
▼アオガエルあなたも僕も泣きみそで
▼雨上がりあの人を道草に誘いたい

連休に晴天が続いた後、雨が断続的に降ったのかもしれない。
雨を恨む記録がいくつかある。

恨んでも、怨んでも、何も解決しないのは、自分が一番良く知っているのに。

2010-05-24


5月初旬篇


(9日)

▼孫の首座り貴方は腰曲がり
▼南風、茶摘みの思い出届けたり
▼粽(ちまき)食い柱の傷と語りあい

黄金週間が終わってひと息ついたのだろう。

柱の傷を眺めながら考える。

こんな小さな背丈の子が三重県大会でホームランを打ち、何度もファインプレーをして新聞にも掲載されるようになったのだ。

その昔、私の父も同じように子ども成長を振り返ったのだろう。

柱の傷を残した子どもたちが、今度は自分の子どもを連れて帰ってきている。
もうすぐひとりで立てる。そしたら柱に傷をつけるのだろうか。

2010-05-24


おさすりは母と一緒に蒸した味


(7日)
▼山帰来巻かれた餅のひとりごと

この日記をいったい誰が読んでいるのだろうか。
面白くないと思うのだが、どこに興味があって繰り返しここを読む人があるのか。

ほんとうに届けたい人は、心の片隅からどうしても消えてくれないあの人であって、私が最も悲しいのは、その人はこれを読んでくれているという確信が微塵もないことだった。

それが、悲恋というものなんだろうか。なんて、寂しい言葉だろう。

▼雨が好き嘘を言っても降りやまぬ

未明から雨が降り始めた。それは静かに静かに降り出して、少し私を安心させたのに、朝の食事を終えたころには強さを増して、風がないので意地悪には思わないものの、容赦なく庭木に叩き付けるように降り続く。

雨は嫌いじゃない。好きでもないが好きになってもかまわないと思うことがある。それは、いつか必ずやむことがわかっているからで、ひとときの自分の忌々しい心を洗い流すかのように気前よく降るのが好きなのかもしれない。

あの人のことは雨に流して忘れよう。そんなフレーズが思い浮かぶ。

▼ 新緑のささやき包む海の風

オゾンをいっぱい含んだ海風が緩やかに上空を吹いている。
その風が櫁柑山の斜面を伝って私のいるところに降りてくる。
甘い香りが漂うのだが、この香りはちょうど一年前にあの人と歩いたみかんの花咲く丘で嗅いだあの匂いと同じなのだ。

なんて悲しい思い出だろうか。
緑は、夏を迎える準備をしている。

▼ゆく春や別れた人の項を閉じ

大型連休が終わって、新しいページを開けることにしたの。

(6日)
▼好きですと言って消えてくしゃぼん玉

仕事の帰り道で、小さな子どもがシャボン玉をしていたのを見ただけです。
居間の縁側から体を乗り出して空に向かって勢いよく吹いている。
部屋の奥にはお母さんの姿があって、夕食の支度をしている。

坊やには関係のないことだけど、シャボン玉は切ないんだ。
キミにもわかる日が来るさ。

▼もう恋はしないと決めてけつまづく

「けつまづく」という言葉がちょっと優しく感じられて、今までの自分を許してやろうと思ったのです。

▼星もない夜空に「おやすみ」投げてみる

救いようのない暗い夜空。
中部国際空港へ降りてゆくジェット機の音が聞こえてくる。

(2日-3日)
▼枇杷の実を見つけて子供に戻りけり

そう!
袋を被せてある枇杷の木を見つけた。
ドキドキする。

▼恋しい人は蜜柑の花咲く丘に住み
▼嫌いなら嫌いと言ってそのほうが

初夏は嫌いだ。
悲しくなる。

▼垣根越し新芽の隙から覗く顔
▼茶畑が波打つ果てのこいのぼり

初夏のある日に私は緑の丘に居て、大きく息を吸ってみたりしていたということだ。
日記にはそう書く。
2010-05-07


嫌いなら嫌いと言ってそのほうが
もはや、逃げ道はないのだ。

弁解も
泣き言も
許されない。

こういうときに
人は
いつ死んでしまってもかまわないという覚悟を心の中に用意する。

2010-04-30


恋なんて四月の風よシャボン玉
私の四月の物語。
そろそろ終楽章かな。

(25-28日)
▼香る尾根ふと出会えたり山の藤
▼柏餅さすれば母の手の形
▼さようなら、さよなら、さいなら、ほなまた

穏やかな季節になってきました。
シャボン玉のような恋でした。
ほい。

(23日)
▼春の夜や少し寒めでひとり飲む
▼春風に私の恋は七変化
▼凸凹の恋のあしあと赤い薔薇
▼朝焼けをネットで見るのキミ想い
▼ほんとうは男勝りと小糠雨

四月の初めのころと比べると、少し投げやりで、落ち着いているのがわかる。
もう逢えないことを覚悟し始めている。

(21日)
▼この雨に濡れていまいか意地っ張り
▼初ツバメ我が家のように軒下へ
▼一目惚れ若葉のようなキミだから
▼たけのこの煮汁が呼ぶや親父かな
▼苛立ちも今なら許せる穀雨かな
▼給料日一日前のシシャモかな(昨晩の食卓)

まもなく1ヶ月が過ぎようとする。
もう、このシリーズは終りにしなきゃ。
新しい物語を始めるのよ。

(19日)
▼チューリップ隣に並んで野良の猫
▼山帰来あなたを置いて席を立ち
▼一目惚れ若葉のようなキミだから

春が深まってゆくなかで
物想いに沈む。

(17 日)
▼モンシロチョウ絹さやの中に籠みけり
▼スイトピーわたしの手からキミの手へ
▼春風や山ひとつごと花束に

少しずつ
変わろうとしているのだな。
…と想う。

(12-13日)
▼春雨のしずく払って別れたり
▼ 音もなく降り出したりする春の雨
▼雨上がり葉っぱの雫を指に乗せ
▼今日こそは好きだと言おうチューリップ
▼チューリップ咲いて今こそ好きという

ボクは引き潮が好きでね、少しずつ満ち始める波打ち際を堤防から見下ろしてると元気が出てくる。そんなときには素敵な人を誘いたいな。
そんなことを書き残している自分が居るのだ。

(日記には)
昨日、うちの近所で田植えが始まっているのを見かけました。青い麦がすくすく育って風に吹かれて、雲雀が天高く囀る。一人で散歩しているのがちょっと悲しかったかな。

(10-11 日)
▼元気ですあの子のようなチューリップ
▼春の風えくぼをぺろりとなめて去り
▼欠ける月引き潮にさらわれてゆく
▼引き潮や、なぜか君に会いたくて

あるとき、目に映るセンサーが敏感になってしまう。
目の前には、亡霊のようにひとりの人しか浮かばなくなるのね。

(9日)
▼雨宿り雫見つめて夢を見る
▼数々の恋が瞬く花吹雪
▼サヨナラ猫を捨てるように枯れてゆく

人って、恋をしてると、ほんとうに盲目なんだなって実感する。

(7日)
▼「憎らしいけど好きなの」(キャンディーズ)
ってどうなんだろう。

まさに貴方の心?
しかたないね。
好きなんでしょ。

▼ ふとしたことであの人を思い出す

堰を切ったように想いが雪崩れ込む。
切なくなり、いたたまれなくなる。
縋れるものが欲しくなる。

(5日)
▼ドラマは終わっているのに席を立たない自分がいる
どうしてよ。
泣いてるの?
涙の顔を上げなさい。

そう言ってあげようか。

(4日)
▼恋しいと恋しくないが睨み合う

情けないねえ。いつまでその人を想っているのよ。
やめなさい。何も実らないのだから。

(3日)
▼渋々と菜の花濡らす春の雨 
▼忘れなさい、貴方の恋はしみったれ
▼目にとまる元気という字に君想う

温んできた雨は菜の花に降り注ぐけど、それもまた似合うなあ。

雨の日が多かったのかしら。
恨めしく思う言葉が多いな。

あの人はいつもの笑顔でおはようと言っているのだろうな。

2010-04-28


忘れ雪。


忘れ雪。

あれほど好きだとか憎らしいとか思った奴でも、こうしてお別れがやってくるとなると、少しは許してやってもいいかしらと思えてくるから不思議ね。

今からあなたにさようならを言いにいくところ。

---

乗り換へて忘れ雪舞ふところまで (無門/五十嵐秀彦)
2010-04-17


新しい花
きょうは晴れ。
新しい花を買って生けてみようか、

とか、
ふと思う。
2010-04-14


一段と
今日は一段と可愛いですね、キミ

それが毎朝の貴方への挨拶の言葉だった。 
2010-04-14


チューリップ
通勤かばんの中をごそごそと掃除していたら、

 今日こそは好きだと言おうチューリップ

と書いた紙切れが見つかった。

ほかには

 チューリップ咲いて今こそ好きという

というメモもあった。

苦悩は去年の春には既に始まっていたのだ。
2010-04-12


元気ですあの子のようなチューリップ
私にとって一番短い言葉で「好き」と伝えた。
逢えなくて哀しんでいることも伝えた。
だから、もうこれ以上何も出来ない。

貴方から届いた「元気です」というメールを胸にじっとしているだけだ。

2010-04-11


恋しいと恋しくないが睨み合う
説明不要か。

わかる?この気持ち?
2010-04-04


花びらが散るようにやがて忘れてゆく
夜半から大降りとなった。
全国的に嵐のような雨だ。

破滅的な心理に追いやられ、自己弁解を繰返し、届かない手紙を書いては消すということを繰り返していても何も解決にはならない。

エイプリルフールを愉しみあうようなお祭りに参加している気力もリラックスもないし、そこは死んでしまった人のように寝るしかないでしょ。

というわけで、眠ったら2日の早朝に目が醒めた。

(2 日)

▼花びらが散るようにやがて忘れてゆく
▼泣かないと誓ったのにダメですね、雨

雨にもサクラにも、またひとつ哀しい思い出が出来てしまった。
春は、辛さの積み重ね。

**
眠れないなら、起きていればいい。
ドラマは、辛いときのほうが優秀になるかもしれない。

雨は、降り止まない。

▼渋々と菜の花濡らす春の雨
温んできた雨は菜の花に降り注ぐけど、それもまた似合う。

▼忘れなさい、貴方の恋はしみったれ
▼目にとまる元気という字に君想う
▼土砂降りが静けさにかわる夜明け前

朝が来ても、それはもう四月。
エイプリルフールのお祭りのざわめきもない。

あの人はいつもの笑顔でおはようと言っているのだろうか。

▼好きだった人。オレンジ色の車に乗ってた

オレンジって、私のツーリング用のジャケットの色じゃないか
(赤色が褪せてしまっただけだが)

でも、もう古くなったから捨てようか。
この機会に。
2010-04-02


できるならさよならは桜の下で
おめでとうという言葉と、今のままの状態にとどまれないことへの悲しみが交錯する惜別模様。

▼おめでとうでも片想い今のまま
▼ おめでとうひっそりとなお好きなまま
▼離れてもこのままずっと好きなまま
▼春にまた思い出ひとつ積みかさね

そう、「嫌いになったのだ」と自分を説得するように言いながらも、やっぱし私は紛れもなくすきなのだ。

---

雨が降り続く。
手紙を書いた。

四月になったら、便箋で書く手紙にしよう。

---
冷たく憎い雨

冷たい雨ですね。
春にまたひとつ、寂しい思い出が、冷たい雨とともに、できてしまうなあ。

お祈りをしても、この頃は必ず「僕の大好きなあの人が幸せになれます様に」とばかりお願いしている。

僕の気持ちは一杯これまでに伝えてきたけれど、でもそこでお終いなんです。
だって、叶えられるわけでもないし、私の思いに応えられるわけでもない。だから、どうすればいいのですか?って困らせてしまうだけでしょ。

夢でしかない。
そのことは当たり前で、あの人だって知らんぷりしてくれてるから、そういう意味ではありがたいけど、やっぱし僕の気持ちはここまでて、儚くも握りつぶすかか、自然消滅をさせるしかないのだ、と思うと儚い。

そしてそのことを考えながらスパイラルに落ち込んて行ってしまう。
悲しくて泣けて泣けて仕方がない。
今もそうだ。

よし、これで終わりにする、というポイントがないから、僕はいつまでも哀しんでいます。

でも、それこそ、あの人にとっていい迷惑なんだから、僕か泣いて済むのなら、そうしよう、と言い聞かせています。
彼女に迷惑が掛かったらそれが一番いけないのだから。

誰に話しを聞いてもらえるわけでもな。たとえ聞いてもらえたとしても、アホだなと言われるだけ。

でも、感情を抑えればいいことだって分かるけど、そういうことって、命令形は成り立たないでしょ。
悲しいものに「悲しむな」って、できない。
だから、私が好きなものは好きで仕方がないと、あなたは許してくださると思います。

お願いがひとつだけあるの。
でも、もしもそれが叶わなかったら、僕はもう立ち上がれなくなるだろうから、言いたせずにいます。

---

 できるならさよならは桜の下で

別れのときが近づく。出来ることなら満開の桜の花の下でありがとうといってお別れしたい。

2010-03-24


三月。春分になりました

このブログ、あの人にも伝えたい。

(春分の日)
▼穢れ漱ぐ呪文の如し春の雨

(異動の内示の出た日)
▼目を閉じる、こぶしの花が咲いている

▼花はまだ咲かぬが食いたし桜餅

▼おめでとう、向こう岸から呼んでみる

▼今日の夕暮れは特別ね、雪柳

▼キミにすぐ飛行機雲を届けたい

▼花散りて昔愛した人想う

春は別れの季節でもありますが、出発のチャンスを与えてくれるときでもあります。

何にも変わりのない日常に多少の不安と不満を抱きながらも、明日の風はどんなかなと 考えて、その思考の隙間に昔が漂う。

---

▼しんとしてビールの泡や消える音

▼ 麦踏みを二人でできたら好きと言う

私はドラマの続きを、再び、描こうとしているのか。

2010-03-21 11:14


三月。もうひとつのノートから
三月中旬は不安定な時期でもあった。
人事異動があって、ある人と今度こそお別れとなってしまうからだった。

毎日廊下ですれ違う挨拶よりも、遠くまでときどき会いに行くほうが歓びも大きいように思うだろうと自分に言い聞かせてみるものの、やはり、寂しいことには変わりがない。

悲しい呟きが目立つ。

(13日)
▼桜花咲くころにアナタは遠き人

無言になってしまう。

(15 日)
▼好きだけどキュッと睨んで切り捨てる

好きじゃない。
ちょっと贔屓なだけだ。

▼嫌いだと何度言っても好きは好き

いいえ。
やっぱし好きなんでしょ。
そうつぶやく自分が居る。
2010-03-21


三月も半ばになって
(結婚記念日の朝)
▼どしゃぶりや一夜で明けし雫かな

雨は嫌いじゃない。
夜通しで降り続いた雨が朝にはパタリとやむ。
わたしも、何かをパタリとあきらめようと思ったのか。

---

三月の初めにやや暖かい日が続いた。
そのあとで、再び寒さがやってきた。

(7日)
▼春のある日、白墨で書くさようなら

(10日)
▼サクラソウ恋をすれども実はならず

▼ぬるい雨遮断機の赤、椿の赤

▼夜明け前降り出して沈丁花

別れがつらいのはわかる。
まだ、実感がわいていない。

春の温かさとともにジワリと迫るのか。

2010-03-21


三月の始まりのころに
中旬に子どもの卒業式に顔を出した。
あふれる袴姿を見て何を想うか。

わたしの過ごしたあの春は、どんなんだったのだろうか。

(13日)
▼一年間こらえて今咲く沈丁花

▼散歩道誰を待つのか春ベンチ

▼春風にネクタイぶらりぶらりかな

▼なごり雪息で曇るや硝子窓

▼春暁をすらすら詠んでくれた人

(10日)
▼ 温む雨きのうの恋も流したり
2010-03-21


はあとマーク贈りたくなる素敵なオレンジ
はあとマーク贈りたくなる素敵なオレンジ

*

うふふとしょぼんが交互にやって来る。

春が好き
海が好き
君が好き

イジケテいても始まらない。
2010-03-06


石畳容赦なく降るぬるい雨


石畳容赦なく降るぬるい雨

あの日も沈丁花がいい匂いをただよわせていた。
「進級留置」の掲示をを確かめるために出かけた。
三十数年前か。
2010-02-28


髪切ったキミを追ってく坂の道
坂道。
そこには何故かなんとなく人生の襞のようなものが落ちているような気がする。

私の職場の前は短い坂道で、その坂道を登ると職場がある。仕事を終えて帰るときはその坂道を下る。

このごろは日の暮れが遅くなったので、春の装いの子たちが鮮やかなのがよくわかる
2010-02-24


恋文は好きと二文字書けばいい


恋文は好きと二文字書けばいい

---

久し振りに
あの人に
メールしてみようかな
2010-01-09


年の瀬や大人気なくも指を折る


小霧消ゆる港への
船に白し朝の霜
ただ水鳥の音はして
いまだ消えず岸の家

--

おはようございます。

遠いあなたの地方ではもう雪が降ったのでしょうね。

私の勤める街にも、21日に初雪があったと、あくる朝の新聞が書いていました。

あと3回お仕事に出れば、次は新年のご挨拶。
12月になってから、とんとん拍子に日が過ぎて

年の瀬や大人気なくも指を折る

手紙を書きながらも、指が冷たい。
でも、冬の朝は嫌いになれないな。

(おぼえがきのような手紙ですね)
2009-12-23


新手帳、あなたのアドレスを一番に
髪を切って私の前に現れることを想像して(夢見て?)いたのでが
期待は大ハズレだった。

伸びかけの中途半端な髪が嫌いなのかもしれない。
猫の短い尻尾のように括った髪が雰囲気をガラリと変えている。

その日の晩に
メールを書いた。
いつものような長たらしいメールじゃなく…

きょう
可愛かった。
うん
よかった

と書いて送った。

あくる日は、髪は括ってはいなかった。

*

新手帳、あなたのアドレスを一番に

新しい手帳を買って
名前を入れて。

そうこうしていると、荷物が届いた。
「ちくま文庫手帳」 のプレゼント応募に当選。

手帳が二冊になったけど、
うちのんにやろか。

週末の深夜に
珍しく二通のメールが舞い込んだ。
予期せぬ人。

夜更けのメール、そんな時刻にボクを思い出してくれた人がいるってことだ

*

クリスマスソング、あなたは何が好きですか?
って送ったメールには
何の返事もなかったけれど、
あなたのゴスペル、応援してますから。
2009-12-16


ねえボクには、今日キミが髪を切った予感があるんだ
直感みたいなものがあるでしょ。

何だかキミがきょう髪を切っているんじゃないかというような予感があるんだ。
あした逢ったときに、バッサリと、いや、昔のように、戻っている。

プチハネのショートボブ。
ちょっときつめの茶色が、キュートな笑顔によく似合う。

まあ、
予感だけどね。
2009-12-09


凍えちまえばいいんだ あんな奴
さっき、

寒がりさん。
今頃何してるの?

と書いたけど
返事なんか、来ないんです。

凍えちまえばいいんだ あんな奴

---

強がっても負けは負けです年の暮れ
2009-12-06


別れの風景(2)  [第31話]

2006年 03月 28日

雨が降っている。雨が窓に打ちつける。私は、外の景色をじっと見ている。黙ってその私を見ている鶴さんは、黙っていても始まらないので何かを話しかけるが、私はただ過ぎ行く景色を見ながらこれから再訪する鎌倉の街を思い出している。少しずつ悲しみが突き上げてくる。

景色は過ぎる・・・・。

過ぎる駅・・・・。

駅。

北鎌倉駅を降りたときから雨は降っていた。

鶴岡八幡宮で傘をさして写真を撮った。ピンクの傘の色が反射して頬までもピンクにしている。ファインダーをのぞく私は、鶴さんの放つ雰囲気に引き込まれシャッターを押すのを忘れてしまっている。鶴さんはじっとうつむき加減にひとつの点を見つめている。雨のしぶきが足にかかる。まだ少し寒い。傘を持つ手が冷たい。

東京に帰る横須賀線。電車の中で、向かい合わせに座って写真を撮り続けている。4人がけのボックス席で二人、悲しみなどは忘れて恋人同志のようにはしゃぎ回ってみたり、顔をじっと見つめ合って静かになったりの繰り返しをしている。たった今、鎌倉駅の前の喫茶店で「キミを置いて京都に行くなんてのは嫌だ!」と駄々をこねて、周りの人にクスクスと笑われたばかりなのに。「鳴いたカラスがもう笑ろた」とはこのことみたいだ。

東京を去る日の午後くらいは、今まで歩いた銀座の街を肩を組んで歩いてみたいと思った。小樽以来に4年ぶりの再会をした銀座のソニービルのテレビの前にも寄った。有楽町の街にはいつもながら人があふれている。ひとつビルを裏に入ると、とても粋なコーヒー屋があった。いつも行く洋風居酒屋(パブ)とは違って「僕はキリマンジャロ」なんていって、気取っている。

新幹線がホームに滑り込んできた。鶴さんの、にっこりとして話すときのえくぼがかわいい。
「いよいよね」
「これだけ言っても京都には一緒に来れないのかい?」
「うん・・・」
「・・・・・・」
「もういかなきゃ、あなたは京都で偉くなってね」

人の動きが止まった。ベルがなる。私は座席に急いで荷物を置いてホームを見た。鶴さんは小さく手を振ってくれている。列車の扉が閉まった。私は、じっと彼女を見つめている。そうするしかない。
滑るように少しずつ列車は動き始めた。

その時突然、彼女はうしろに振り返ってしまった。彼女の顔が見えなって、その姿さえ追う間も与えてくれずに、列車は一気に加速をしてゆく。私は身動きもとれないままだった。新宿のビルの明かりが雨で霞んで見える。街は相変わらず無表情だった。

約束  [第30話]

2006年 03月 28日

「泣かない約束などしていませんでした。だから、ボクはキミの前で泣いても仕方がないよね」
そう私は何度も何度も言ったのだろうか。そして、どうしても連れて帰りたいのだ、と言って私は駄々をこねていたに違いない。あの子はそれをどうやって宥めていたのか、私の記憶に残るはずもなく、お姉さんのように優しく、ときには厳しく私を叱っていたのだろう。

「しっかりしなさい。男の子なんだから」
きっと、そう、言っていたに違いない。

【鶴さん】というこのお話を書き始めたときから、私の頭の中にはひとつのシーンがありました。

都会の高層ビル。…つまりそれは私にとって新宿のビル群でした。二十数年の歳月のうちに都心の風景も変わってゆくということはTVのニュースなどを見ていればわかります。しかし、仕事でときどき東京に足を運び、列車の窓から見る街の様子は、名前が東京というだけで、もはや私の知っている東京とは別のものとなっているようでした。

いまさら東京に戻るつもりはないし、そういう街で暮らしたいと思うこともない。それは、東京という街を否定しているのではなく、あの時代に生きてきて、私という人物の骨身となった一部がこの都会で熟成されているときに、多かれ少なかれ私に刺激をくれた街の面影を、今の体の中で大事に持ちつづけたいと思うのだろう。

講義の合間に散策に出かけた神保町。クラブのランニングで大声を上げて走った北の丸公園。神田川を下る船を見ながら欄干に凭れて青春論について1時間も2時間も話した午後。ちょうど今の季節なら、見事な桜を咲かせた千鳥が淵。私の記憶の中にあるものは簡単には消せない。でもきっとそのうち消えてしまうのだ。

鎌倉の鶴岡八幡宮の鳥居の色も、雨の参道も、あのときの春の香りも、…すべては儚いものなのだ。

一日中、やむことがなかった雨を私は決して恨んだりはしなかった。東京を離れるのにふさわしい贈り物だったのかも知れない。

(続く)

はじめての、雨の鎌倉 [第29話]

2006年 03月 18日

鎌倉が近づくにつれ周辺の座席には観光らしい人々が目立つようになってくる。でも、そんな人々のことなどは気にかけることもなく、私は彼女に話し続けていたのだろう。そのお話は、きっと、初めて出会ったときのことではなく、私がこれからどのように生きてゆくのかという夢物語だったのでしょうか。
あのときの私は、とにかく、彼女を京都に連れて行ってしまいたいということだけを考えつづけていました。何故なら、私には過去を振り返る必要など、これっぽちもなく、描けるものは二人が歩む未来しかなかったのだから。

列車は、新川崎、横浜、大船、、、、、今となっては微かにしかその名を思い起こせない駅に止まり、まもなく北鎌倉へと到着した。

─    -    ─    -    ─    -    ─

私の乗った舟と、あなたの乗った舟が、ある日あるとき、ばったりと出会いました。
あなたの視線が、そう、あのときは優しかったのに、今はどうしてこんなに破滅的に見えるの?
ワイシャツのボタンを掛け違えて戸惑っていた私を、黙って見つめて笑っていた、あのときの瞳が懐かしい。
ひとつひとつボタンを外し、襟をつまんで正してくれて、ふっと大きく息を吸い、ふざけて敬礼のポーズをとってくれました。
泣き笑い。もらい泣き。乱れるように…。

─    -    ─    -    ─    -    ─

まだ泣かない、そう決めたのに、約束を果たせなかった。
改札を抜けて、ピンクの傘を開いた彼女が、お姉さんのように笑いかける。
「はじめての、雨の鎌倉よ。私たち」

(続く)

出逢いの風景(2) 【カットバック】  [第28話]

2006年 03月 16日

〔誕生日編〕  フィクション

「雨の銀座」という歌があれば「雨に唄えば」などという歌もある。雨を想い恋を語ってみたり失恋を懐かしんでみたりできるのも、この冷たい秋雨のなせることかも知れない。いやはや雨に敏感に生きてきていることの証なのだろうな、と思いながら池袋駅で丸の内線に乗り換えるのを急いだ。地下鉄の窓ガラスには雨は当たらないのが普通だけれど、丸の内線は後楽園を通るあたりで地上に出るから池袋に入ってくる車両は濡れている。鼻歌が自然に出てくる。「辛子色のシャツ追いかけて飛び乗った電車の・・・」と口づさみながら後楽園の脇を通り過ぎる車のライトを見ている。その残光が眼に焼き付いて離れない。

銀座の駅に電車が入るとどっと人が降り、また人が乗ってくる。有楽町のソニービルに向かって歩いて行くけれど、傘や肩がぶつかって歩きにくい。約束の時間はもうすぐなのにわざと急がないで歩いてあいつを困らせようかなどと考えているのは、自分が小悪魔ではなくあいつが浮気な奴だからなんだと言い訳をぶつぶついいながら、きょうは誰とのデートの後なのと聞いてやろうかとも思っている。

小降りの雨。「もうコートなしでは寒いかな」という台詞を思いついてみては小さな声で言ってみる。ネオンが明るい。その残光が眼に焼き付いて離れない。山の手線が通るのが遠くに見える。ひとりで部屋で手紙を書くときは寂しいけれど孤独じゃあない、なんていうラブレターを書いてみたいな。都会の中に一人でいるととめどなく孤独を感じるが今は寂しさは感じないと言ってみたいな。あいつは待っているかな。

ソニービルの前のにぎやかな一角を避けてビル裏にはいると、ステンドグラスのきれいな小さなコーヒー屋さんがあった。あいつはそこで待っているはずだ。きょうは24歳の誕生日。カランコロンと鈴が鳴るドアを開けて店にはいると一人の女性がこっちを見て笑っている。「キリマンジャロください」と言って座った私は片思いのこの女性をじっと見つめることしかできない。

「もし雨があがっていたらいいところに行きましょうね」、そう言って笑うえくぼが私をまた恋の虜(とりこ)にして行ってしまう。ステンドグラス越しに街を歩く人は傘をさしていないのがわかる。ネオンが光る。その残光が眼に焼き付いて離れない。

出逢いの風景(1) 【カットバック】  [第27話]

2006年03月16日

7月初旬。街を歩くと汗が吹き出る季節だ。梅雨とはいいながら毎度のこと雨は降らず空梅雨が続いたのに、その日はジトジトと雨が降っていたような気もする。思い出からは「ありのまま」は消えて行き、そこには理想のドラマだけが残っている。そいつが「ひとり歩き」を始めてゆく時に、ほんの些細な日常が美しいラブストーリーに変わってゆく。

銀座のソニービルの前で私は女性を待ち続けた。「北海道中央バスの終点、『余別』のバス停の前の売店でアルバイトをしていた眼鏡をかけた女の子様」、と書いて手紙を出したのはそれから4年前の夏の出来事であった。北海道の旅から帰って一枚の葉書の返事が届いていた。何通の手紙を書き、またもらったことか。しかし、不思議にもその間に写真は一度も同封しなかったし電話もしなかった。顔ももう忘れている。雰囲気は美化されていた。

梅雨の頃のある日、手紙が久々に舞い込んだ。消印がS市だったのに気が付いた時は心臓がドキンドキンと音をたてるのがわかるほど高鳴った。○○という名字は珍しかったので「もしや・・・」と思った。夢中であった。消印の街や近くの街の電話番号を調べた。なり振りかまわず、迷惑も考えずに深夜に電話をした。一度しか逢ったことのない、しかもこちらから手紙を書いた女性が逢えるところに住んでいるなんてことは夢のようだった。

そんな女性にこれから逢おうというのである。「電話番号を調べるのにはほんとうに苦労したぜ、東京に就職したのならすぐに言ってくれなきゃ!」と切り出そうかなんて考えながら、ひたすら待ち続けた。「4年の歳月は永いようで短くもあった」と言ってもいいかな。ニヤニヤしていたかも知れない。

しかし、約束の時間は過ぎた。待ち合わせをする人の波の中でさりげない振りをして女性を待ち続けた。ひとり、またひとりと待つ人が消え、新たに待つ人が立ち止まる。幾人の笑顔を尻目に見たことか。時間はまだまだ過ぎていく。貧乏学生が銀座のOLに逢おうと言うのである。これがそもそもの間違いか。遠巻きに私を見て消えたのか。銀座の街の雑踏は重苦しく、何の面白味もない。

人の予感とは動物的である。ひとりの女性と視線が合って止まった。じっと動かない。街のざわめきが消えていく。私の脳は存在しない記憶を拠り所なく探し続け、時は秒読みで過ぎる。再会の瞬間であった。

別れの風景(1) 【カットバック】  [第26話]

2006年03月16日

時刻は16時を回った。最終バスが岬の先端から小樽の街に帰っていく時間だ。

「もう帰らなきゃ」

女の子はそう私に教えてくれる。しかし、私は帰りたくなかった。自分でもこれといえるような理由などなく、ただ、わがままを通したかった。だから、今夜に泊まる宿屋のことも、駅までのバスの時刻のことも気にしていないそぶりをしていた。旅に出て初めての衝動だったかも知れない。離れたくない気持ちが私のさまざまな不安を吹き飛ばしてしまっている。

女の子は続けてしゃべった。

「早くしないとバスがいっちゃうよ」

そう言ってくれても私は「ヒッチハイクで帰るから」と答えて、強引に彼女のそばを離れようとはしない。主題のある話をするわけでもない。名前を聞くわけでもない。顔をじっと見つめたわけでもない。私の体は自分の理性や抑制心を無視して、その子の発散してくる新鮮さを掴もうとしている。心の本能は体までをも支配し、私は金縛りにあったようにそのバス停にとどまっている。

こうしながら私は最終バスを見送った。小さなバスの待合い室の前の売店の女の子は、とても愛想良く私と話を続けてくれる。私が去ってしまえば私のことなどはその場限りで忘れ去ってしまうかも知れないのに。

真夏の日はまだ暮れるほどではなかったが、ひとしきり話した私は彼女と「さようなら」をした。何とかなるだろうという気持ちで、ヒッチハイクをさせたものは、私を動かした衝動であったのだろう。

止まってくれる車を幾台も代わりながら小樽に着いた時はすっかり日が暮れていた。名も知らぬ彼女に手紙を出すために私は駅の売店で葉書を買った。しかし、手がかりは何もないままだ。待合い室でひたすら思案に暮れた。

鎌倉へ、、、  [第25話]

2006年03月16日

(22年前のきょう、3月16日、夜が明ける直前まで嵐のような雨が降っていたのでした。結婚式です…)

そう、24年前のあの日も雨が降っていた。

それにしても、今までに何度、このような回想記を同じ書き出しで始めたことだろう。

春の雨は、冷たさを幾度となく私の身に染み込ませる。歳月は刻々と過ぎ、記憶を朽ち果てさせて枯れ葉のように棄ててゆく。

晴れの日、くもる日、ときには深深と雪の降る日もあった。
暮らしの中で、私の意思とはかけ離れた物の司る悲哀があり、或る日雨が降っていたとしても、この日にはこの日特有の余韻のような思い出がこびり付くように記憶に残り、私はそれを言葉にして残すことに苦心をしている。

でも、諦めよう。記憶とは、儚いものなのだ。

私の心には覚悟ができ上がっていた。

東京駅の地下ホームから、いったいどのあたりで地上に出たのだろうか、雨の中を横須賀線は鎌倉に向かって走っていた。

渋々でもない、ザーザーでもない。シトシトでもない。
列車の窓の外からは音さえも届くことなく、冷たい雨は静かに鉄路を濡らし続けていた。

横須賀線…  [第24話]

2006年02月25日

三月になると街の装いは瞬く間に移り変わり、下宿への帰り道でちらりと横目に見るケーキ屋さんのバイトの女の子のバンダナがオレンジ色から空色になった。

鶴さんに会ったのはいつだっただろうか。試験の結果を話して元気付けられたのが最後だったかもしれない。

電話はもちろんだが、手紙もせっせと書いて、眠る前にはいつも彼女を想っている。近くにいても、会ってくれない冷たそうな人だけれど、こんど会えるときには私なりにお洒落をしてみたいなと、夢のようなことを考えながら布団に潜り込む。

あの年は雨の少ない冬だった。日記が途切れてしまっているので、詳しいことがわからないけど、どうやら三月の二十日ころに卒業式があった。

論文の発表会、京都での家探し、引っ越し。慌ただしく時間が過ぎてゆくなかで、どうやって鶴さんと連絡を取り合っていたのかさえ記憶に無い。細々とした出来事をおおむね忘れてしまっている。しかし、忘れる理由があって、私は薄々気がついている。つまり、原因は次の事件に拠るのだ。

二十日ころに卒業式を終えた。晴れていたと思う。日本武道館から母校までのらりくらりと歩いた記憶があるから。

だが、明くる日には冷たい雨が降ったように思う。だって、そんな日に僕たち二人は鎌倉へ出掛けたのです。

そう…ここでの出来事が、私の三月の記憶を、まるで大きなショックがあったかのように消してしまったらしい。いえ、きっとそうだ、と私は思うことにしている。

もう、都会にネグラを持たない私は、何処で夜を明かしたのかわからないけど、卒業式の翌朝には東京駅の横須賀線ホームに、鶴さんとふたりで並んで列車を待っていた。

---
タイトル変更前:これまでの全ての「好き」がこだまする

濡れている姿霞める春の雨 [第23話]

2006年 02月 25日

無性に
鶴さんシリーズの続きを書きたくなってくる。

 濡れている姿霞める春の雨    ねこ作

ああ、きょうは、冷たい雨やった。
続きを書く時間がないのは、ありがたいことなのかね。
まるで、恋心が募るようだな。。。

そう、2月20日に日記に書いている。

++

そして、

ねえ、みなさん!
雨に霞むその向こうに
いとおしい彼女が雨に濡れているんだよ。
走ってそこまで行きたいけど
もう、逢えない人なんだよ。
何と悲しい。

ねえ、キミ。失恋したことある?

なんて。ね。

そう、4日後に書いた。

++

ゆうべ、枕元にあったカレンダーの裏に
ボールペンで色々と思い出したことを書いていた。
こんなものを書いていたら眠れないぞ、と心配したけれども、眠ってしまった。

眠ってゆくときは、幸せかもしれないけど、
死んでゆく瞬間となんら変わりないのかもしれない。
そんな死に方なら幸せかもしれないと思うものの、
生き返れないのは哀しい。

「鶴さん」の続き、
また書き始めるけど
終焉が近いことで、自分に少し躊躇いがある。

ハイジのような人 [第22話]

2006年 02月 03日

車を飛ばせば1時間で行けるのだ、とは、1度たりとも考えたことがなかった。車なんてのは現実離れした代物だったからだろう。

電車を降りて駅前のスーパーで買い物をし、暗く寂しい路地をしょぼしょぼと帰る暮らしをしながら、この路地は同じ都会の網の目の片隅と片隅で、不思議な糸のように私たちを結んでいてくれる。その不安定さが、あるときは安心感と切なさに変化し、私たちを危なっかしく繋いでくれているのだ。漠然とそのように私は考えていた。そしてもうすぐ、自分の手で新しい生活を拓くのだという情熱に燃えた私も居た。

会いたい、と繰り返し電話で話しても、あの子は、きょうはダメ、としか答えない。そこで、電話を切らず、何かしらの話を私は続けた。何もしなくてもいい。ずっと傍にいたい。戸を開ければ声を掛けられるところ、いや、ちょっと走ればドアをノックできるところに居たいと、電話をかけながら切々と思い続けていたのだ。

彼女は電話の途中で
「ちょっと、待ってね」
と言って席をはずす。
「…」
「ねえ今、何してたの」
「お風呂のお湯を張ってるの」

四畳半とキッチンだけの生活をしている私にすれば、アパートにお風呂や、冷凍庫の付いた冷蔵庫がある暮らしはユートピアのようだった。そういう部屋で思う存分あなたと語り合うことができるならば、それ以上の甘い暮らしなど何もいらない。そう私は考えていた。

この世に別れ話なんて実在しない、あれはみんなドラマの世界の話だ。愛してしまった女の人が自分に付いて来てくれないことなど、どんな深い事情があれども有り得ない。私の今のこの気持ちがあれば必ず通じるのだ。あのころは真剣にそう考えていた。

「私がこんな贅沢な部屋にいるのは、兄が今、中国に出張中だからなのよ。私には郡山に母が居ます。私は母と暮らすのが宿命なの」

あのころ、ひとりの部屋で暗闇を見つめて考え続けることに、私は孤独を感じなかった。あの人はハイジのようにカラケラと笑った。あの声がいつも心で甦っていたのかもしれない。

さよならと何度あなたに言ったやら [第21話]

2006年 01月 23日

本棚の奥に大学ノートが積み上げてある。
灰色の表紙が赤く日焼けしている。
「限界を走りぬけば、そこには静かさがある」
雑誌の切り抜きが表紙に貼ってあった。
中細の万年筆。ブルーブラックのインクは昔のままの色だ。

1982年(昭和57年)の1月下旬。
卒業は確定していない。
そのことは日記にはひとことも書かれてないが、次から次へと受けねばならない試験科目が連ねて書かれていることから十分にわかる。
この時期に、言ってみれば普通じゃない。

「複素解析学」の試験が終わったあと、先生に(卒業がかかっていると)お願いしに行ったくだりがある。
そのくせ、帰りにブックマートで「北の国から」を買って帰ってくる。

入学してから卒業するまで、ずっと繰り返して受けつづけた「電子回路」の試験が終わった夜に、鶴さんに電話を入れた。

一生懸命やったんだから、と彼女は言ってくれたらしい。

「明日、会いたい」
「いやだ」
そんな会話が繰り返されて、夜は更けていったのだろう。

幾日か過ぎて、2月2日。火曜日。晴れ。
夕方、鶴さんに会う。
ちょっと飲んで、
池袋で、

日記はこのあと、すべて、白紙となっている。

2010年7月 2日 (金曜日)

終列車ふりむく君のあどけなさ [第20話]

2006年 01月 13日

あの時ほど希望に満ちていた時期は、かつて、私の歴史の中に一度もなかった。

受験の失敗、中退、落第などの遍歴を残しながらようやく辿り着いた人生の再出発点を迎えようとしていたのだから。

1982年の冬は暖かかった。電車が雪のために遅れたとか不通になったなどというような記憶はない。年が明けて防衛庁の官舎に先生を訪ねて、原稿を書き上げ電子通信学会に提出したあと、学内と防衛医大での報告会を同時進行させながら、卒業のかかった試験も済ませた(「単位をください」と書いたのでよく覚えいます)。

でも、卒業式の様子さえもほとんど残っていないほど記憶は風化している。(さらに、証拠写真も卒業証書もない。)

実は、鶴さんを書き始めてこの時期の記憶というのがほとんど無いことに気がついた。私の心はこの子を京都に連れてゆくこと、否、連れて行ってそのあとこんなふうに幸せになろうということばかりを考えていたんだろうと思う。

論文を出したころにサントリーパブでお祝いをしてもらったことがありました。銀座で会えば分かれがとても辛らかった。このままアナタのアパートまで行ってしまいたいよ、という気持ちを押し殺して私は銀座線のホームで手を振って分かれたのです。

今の私なら間違いなくこの子のあとをついてアパートまで行くだろう。あのころの私は強かったのかも知れない。

あどけない彼女の横顔が今でもストップモーションのままだ。
何処にいるんだろうか、今…

ハイヒールこつこつ響く別れまで [第19話]

2005年 12月 11日

私は覚悟をしている。
この人とは年が明けたらお別れなんだということを。

「兄じゃダメなの、母を看るのは私でなきゃ・・・・」
口癖のようにいつもそう言う。
そのときの目を彼女は決して私に見せなかった。

銀座のメインストリートにクリスマスソングなど流れていない。
オフィスビルからスーツ姿で吐き出される男や女。
思い思いに雑踏へとまみれてゆく。

私も彼女と並んで
腕を組むことなく
どこに急ぐわけでもなく
歩いた。

ハイヒールの靴音が脳裏に残る。

私がハイヒールが嫌いなのは
あの時の音が蘇えるからなのかもしれない。

I Can't Get Started・・・合唱部のこと [第18話]

2005年 12月 02日

♪ いま、わたしの願いごとが叶うならば…

そんなふうに、急に歌い始めて、歌が途切れたところで
「一番星は願い星、二番目は叶え星って言うのよ」
と、アイツは教えてくれた。
「私の学校は、安積女子高っていうの。私はそこの合唱部だったの。全国的にも優秀だったんだよ」

自分のことをほとんど語ろうとしないその子が自分の生い立ちを少しだけ話したことがあった。

医者であった父を幼いときに亡くしたこと。そのご先祖さんは歴史の教科書にも出てくる人物に繋がっていて、自分もその血が流れているんだと、ときどき、思うということ。
ひとり残された母のそばに自分がいてあげないといけない、と強く思っていること。

あのころの私には、オンナの心なんてこれっぽっちも理解できない間抜けなヤツだったな、と、他愛ない会話を思い出すたびに、そう思う。

木枯らしがステンドグラスを揺する夜 [第17話]

2005年 11月 30日

知らず知らずのうちに遠くの女性を慕い、願いが叶ってときどき逢えるようになり、そして、知らず知らずのうちに恋心を抱き、最後は悲しい別れとなるオトコの物語。もう少しで春のお別れ篇を迎えます…。

クリスマスソング。そんなものが所沢の駅前で流れていただろうか。木枯らしに吹かれながら、暮れなずむ街路を大学から駅へと駆け足で急ぎます。

12月の風は冷たかった。でも、所沢よりは銀座の方が2℃ほど暖かかったかも知れない。1着しかないセーターの上からヨレヨレのトレンチコートを羽織って、いつものように銀座まで心を弾ませながらゆきました。

「クリスマスも近いことだし、きょうはパブに行きましょうか」

ときには遠くに住む母の面影を、またあるときには一度も会うことのなかった姉のイメージを胸に抱きオーバーラップさせていたのでしょうか。寂しがる私の話をいつも笑顔で聞きながら、
「就職も決まったんだし、早く論文仕上げてよ」
と檄を飛ばしてくれた。

「お正月は東京で過ごすんだ…学会の締め切りが1月初めだし…」
「私は福島に帰るよ。昔みたいに手紙書くから」

彼女は草加市に住んでました。もしも車があれば環七を走って1時間余りかも知れない。都会というところはイジワルなところだとつくづく思ったものです。

(アナタの部屋まで押しかけて)「暖かいコタツのある部屋でゆっくりアナタと話をしていたい。」
そんな私の泣きごとを聞きながら、きっと困った顔をしていたのでしょうが、
「もうすぐ京都に行くんだから、そこではきっと夢が叶うよ」
と励まし続けてくれてたんです。

あのときのあの子の心の中には、私と同じく、二人で最後に出かけるところは鎌倉にしよう、という思いがあったのでしょう。
「私には将来を誓い合った人がいるの、だから、そのときを最後にしましょう」
とは、決して口にしなかった。

「手紙を書くから、お正月は論文を完成させてね」
子どもではなくかといって大人に成り切らないまま交わす会話。みすぼらしい貧乏学生の風体。そんなものとは裏腹に、銀座のパブは大人たちの妖しい喧騒に包まれて、空想のような艶めかしい酔いに私たち二人は浸っていったのでした。

晩秋の一番星は願い星 [第16話]

2005年 11月 02日

実は鶴さんのことはあれだけ愛しておきながら何も知らない。血液型や誕生日だって曖昧だ。

高校時代に合唱部だった、大学時代にバスケ部だった。
お父さんがお医者さんだったけど既に亡くなっていなかった。
それくらいか。

僕たち、

深夜に長電話をして、
月に何度か、銀座で長い夜を過ごし、
休日の早朝から鎌倉に出かけたりした
…くらい。

映画をみたり音楽を聴きに出かけたことさえ一度もない。
好きだというわけでもない。
名前で僕を呼んでくれるわけでもない。

銀座の街の中を二人で歩いた。
冬が近づいているというのに私にはお洒落をするような服もなく、いつ洗ったかさえわからないようなタートルネックとクシャクシャのトレンチコートがあっただけだ。
そのみすぼらしさについても、鶴さんは何も触れなかった。

僕の話に、
いつも相槌を打ってくれる友達だったのだ。

うつむいて季節はずれの寺の道 [第15話]

2005年 10月 10日

そう、鎌倉に行こう!ということになった。東京駅から横須賀線に乗った。

さだまさしが縁切り寺を歌った鎌倉のイメージがあった。北鎌倉で降りて、苔むした塀を眺めながら細い坂道を下った。雨あがりの円覚寺の霧が晴れてゆく光景は、あなたと見た初めての感動だった。

いつも鶴さんと駅に降り立つと僕は甘えるように言う。

「僕たちにもやがて別れる日が来るんだね、そのとき君は僕を追いかけてくれるのだろうか」
彼女は無言だった。

----

久々の【鶴さん】シリーズです。

キスもなく別れる夜に星はなく [第14話]

2005年 09月 13日

人ごみの中に居る私はひとりぽっちだったが決して孤独ではなかった。

雑踏の中からあなたが現れるのを信じているからだ。銀座のオフィスから吐き出るの優良企業の女性たち。とても同じ年頃には見えない。でも私は恥ずかしいとは思わない。

あなたと食事をし他愛もないことを喋るだけが私の楽しみだった。薄暗い店のテーブルを挟み、食事の味であるとか流れる音楽であるとか、あなたの服装であるとか、そんなものはどうでも良かったのだ。

私はあなたが好きだった。  (続く)

路地裏やネオンのはてにゆく二人 [第13話]

2005年 08月 03日

幸せな日々はあっという間に過ぎてゆく。それはあとから思うから言えること。

あの時は月に何度かの銀座通いが楽しい日々だった。

所沢のB医大の基礎研究棟に篭もっているのが何よりも居心地がよく、風呂も冷暖房もない江古田(練馬区)の下宿へは殆ど帰らなかったような記憶がある。

丸の内線を母校の前で下りずに銀座まで乗り越して有楽町のパブで落ち合い何を語ったのか。

彼女は銀座の一流の会社人。私は臭くて汚い学生だった。

2010年7月 1日 (木曜日)

冷静と情熱のあいだ

冷静と情熱のあいだ―Blu  辻仁成



私には
「5年先の今夜、どこかの街であなたとこうして夜空を見上げていたいわ」
と言って、約束を交わそうとした女がいた。
その期限が過ぎてしまったあとで、私はこの小説を読むことになる。

読み始めたそのことを、友だちに伝えようとするたびに、何度もタイトルを間違えた。「愛と情熱のあいだ」と言ってしまうのだ。

辻仁成という人に先入観は持っていなかった。しかし、女性がちやほやするのを耳にするたびに、その作品はおそらく甘ったるく、翻訳文のような独り善がりのモノではないかと想像した。だが、私は、これを先入観と言わないから意地っ張りか。

読み始めると、中断してしまうキッカケを探した。面白く無かったよ、といえるだけの理由を探しながら、、、となった。

「約束は未来だわ。思い出は過去。思い出と約束では随分と意味が違ってくるわね」というセリフを盛り込み、自分に何かを言い聞かせているのか。

彼自身がどんな人なのかを知りたいと思わないものの、この言葉の源流はどんな感性から生まれてきたのだろうか。

幾分気取って、詩的にも見える文章の流れに、私の感性を重ね合わせ、作者の普通の顔を想像しながら、変わりゆく小説のなかのシーンに自分をさらけ出すことのできる作品だった。

泣き虫の私が一滴の涙も流さないで読み終えたんだ。中断しなかったんだ。

何度も間違えたけど、読み終えたときには「情熱と…」としっかりと間違わずにいえるようになっている。その意味が爽やかだったからだろうな。
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| 2006-02-15 23:48 | 読書系セレクション |


レビューの解説篇 冷静と情熱のあいだ―Blu

コメントも戴きましたし、5分か10分ですらすらと感想を書いてしまったレビューだったので、ちょっと不出来となっていそうです。いいんだ。国語は大の苦手科目だったんだから。

で、解説篇。

作品としては面白かったけど、引き潮が海に飲まれてゆくように、感動が静まってくるのです。それはある意味で現実めいた作品だったからかもしれない。もっとドラマティックなものだったら、ありえない夢のような舞台に自分を置いて、いつまでもいつまでも余韻に浸っているのだろうと思うのです。例えば宮本輝作品の読後のように…ね。


> 「5年先の今夜、どこかの街であなたとこうして夜空を見上げていたいわ」
> と言って、約束を交わそうとした女がいた。
> その期限が過ぎてしまったあとで、私はこの小説を読むことになる。

と書きましたが、これはのちほど、たぶん「鳥のひろちゃん」シリーズで書くことになるのだろうと思います。

あまりにも私の心に深い傷を残している事件なだけに、私には他人事とは思えないのだ。悲しい話なんです。
だって小説は巡り逢えて、私は会えないのだから。。。


> 何度も間違えたけど、読み終えたときには「情熱と…」としっかりと
> 間違わずにいえるようになっている。
> その意味が爽やかだったからだろうな。

「爽やか」という表現が適切かどうかわからない。でもね、二人がどうなろうと構わないと思いながら、きっと心は満たされるのだろうと、決め付けてしまっていました。

作者にとって、何でもかんでも「愛」がなければいけないなんていう月並みな表現を避けて、それでいて彼なりに気障じゃなくてはならなかったのかも…。だから、作者のことを、斜めに構えたような気障な野郎だな、と私に思わせておきたかったのか。

それでいて実は大して気障でもなかったし、文章もとろけるように私をめろめろにさせてくれるものでもなかったから、「冷静と…」というようところでテンションが当たってくれるのかもしれない。

仁成。いつか、読もう。そう思っています。今度は一番の自信作を読ませてくださいね。>辻さん

さて、
江國さんの小説は、まだ1冊も読んだことが無い。どんな理由をつけて中座しようか…と微かに思ったりしてる。理由はあるんだ。


| 2006-02-16 19:00 | 読書系セレクション |

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