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2010年5月15日 (土曜日)

続・豊かさと満足度

(下書き)

続・豊かさと満足度

これまでに続いて、また再びこのテーマについて考える。

政治が混迷をしている。このことに自由に意見を言うことはとても良いことであると思う。その意見を参考に新しい意見が生まれ、次々と政治に対して意見を述べ、社会の中に盛り上がりを作り、変化が生まれるきっかけになるだろう。

だが、連鎖的に発生する意見のどこかのポイントで、何か異変が起こったとすると、または、違った論理が、さらには事実無根なことが紛れ込んだりしたとすると、それは途轍もなく恐ろしいことである。

その遺伝子の突然変異のような事態が、どんな形で起こるのかはなかなか具体例を引いて言えないために、先日からもどかしく且つじれったく感じている。

こうして積極的にどしどし意見を言う人に申し上げたいことは、自分の主張に対する逆の立場(反論する側)になって自分も意見が言えるかどうかのチェックをして欲しい。つまり、お互いに席や立場を入れ替えて相手を論駁できるようになったうえで、貴方の意見をお聞かせ願いたい、ということです。

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今、自由意見が活動的です。あるときはtwitterのタイムラインを、あるいは新聞記事のオピニオン欄を、みんなの意見が自由に飛び回る。それを誰もが自由に読めるので、次々と連鎖的に意見は躍動的になる。

(立ち止まって考えてみる)

社会はこの姿と同じように変化しているのではないか。それは政治や政策への提言だけでなく、お笑い、映画、音楽、遊び、就職活動、結婚恋愛などなど、あらゆるものが「自由」な視点で見つめられて、語られて、動いてゆく。

「個性」とか「自由」という便利な言葉で、その裏にあるかもしれない魔性を魔性と思わないまま社会が変化する。儲かるから、自由主義経済社会だからという盾を大いに利用し、情報科学から情報技術へと、テクノロジーの進化が無哲学の波の浚われて行ってしまった…のではないか、と言ったら言いすぎでしょうか。

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すべてが「豊か」になってくる。これは、自分たちの暮らしが良くなってきていると考える。

果たして正しいの?と思うのだ。今の世の中に大きく欠乏しているモノの1つに、(自分だけでなく)みんなをもっと幸せにしよう、ということがある。

お鍋料理の季節は終わったが、お鍋料理の配分で例えると、「自分の取り皿には自分では食べ物を盛らない」(お互いのを取り合うことで自分を満たす)、というような考え方が長い時代の流れの中で消滅して来ている。

先に書いた「政治や政策への提言だけでなく、お笑い、映画、音楽、遊び、就職活動、結婚恋愛など」において、目立つようになってきたから社会で話題になるんだろうと思う。そして、問題となって噴出しているものもある。

前に申し上げてみんなに知らんふりをされたことをまた書く。
今夜の夕飯のおかずの5品のうち上から2品を世界のどこかの人に届けることが出来れば。

ご飯でなくてもかまわない。服でもいい。知恵でもいい。言葉でもいいのかもしれない。

多くの人が「豊かさ」というものを得て思いやりや気遣う心、優しさを失いつつある。もっと普通の心も失いつつある。(逆に)、向上したこともたくさんあって、煙草ポイ捨てを例にとればよくわかる。昔は棄てても「変」ではなかったのだから。

ITというスパイスではなく麻薬に近いようなモノを楽しんでいることは、「ポイ捨て」行為と似たようなことをやっているわけで、もっとしっかりと社会を構築してゆくうえにおいて、一部の企業が儲かるとか経済が活性化されるということにブレーキになるかもしれないけど、こういう愚かな行為やメディア利用の無節操さにいち早く気が付いて、やめねばならないのが使命ではないのか、と思う。

技術を否定するのではない。たとえば、私がかつて専門としていた先端医学技術工学の分野で考えれば、情報科学や制御理論、材料工学を駆使して、人類の生命が持つ課題(延命、病気治療など)に役立てることが出来るはずだ。現代社会(情報政策)がITに懸けるパワーを、老人や福祉や困った人々、弱い人々に向けて活用しよう(予算を回そう)と何故しないのだろうか、と感じるだけです。

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インターネット全般についても、かなりの面で浸透したのだが、社会の相互の豊かさを助け合うという思想のもとに進化はしていない。ホームページでもブログでも、twitterでも、すべて自分に向かって注目を集めるための主張手段的な要素が大きい。

これだけの情報科学の進化は、私が30年前に学んだ世紀には予想が出来なかった。基礎技術にそれほどの進化はないし、驚愕的発明、数学にも発見があったわけでもない。
そう考えると、現代社会が激変といわれる発展を遂げつつあるのは、狐や狸の魔術に惑わされているようにも思える。

もっとしっかりした哲学を持ち、基礎技術を大事に扱い、人命を救うとか、老人社会や福祉システムに革命をもたらすとか、人間味を生かすような社会システムを構築する方向に使えないものか。(IT技術自体は素晴らしいのだから)

科学技術のエンジニアは、哲学や理学の目指した思想をまったく失い、経済社会やマネーにいまだに踊らされて、幻の「豊かさ」を追っているのではないか。(そういうところにある満足度って何者だろう…)

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電子ブック、IPADのニュースを見ながら、以上のようなことを考えていたのだ。

まあそんなボヤキだな、これは。

私はそのうち死んで居なくなるから、進化についてゆけなくなったらITからは足を洗うのだ。(願望)

Rev0.1

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