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2010年5月28日 (金曜日)

ムクドリ

けさ、飛べないムクドリを見つけた。つついても動かない。
どうなったかな。
気に掛かる。


ムクドリ

2010年5月23日 (日曜日)

ハッサクの花

あなたの好きな八朔の花がさいてましてん、
天国のお父ちゃん

ハッサクの花

2010年5月19日 (水曜日)

「山笑う」から「山滴る」へ (あとがき)

(あとがき)

巻頭でホトトギスのことを書いたので、佐佐木信綱の歌を思い出された方々もおありかと思います。懐かしさに思わず口ずさんだ人もあるのではないでしょうか。少し挙げておきます。お楽しみください。

♪卯の花の匂う垣根に
 時鳥早も来鳴きて
 忍音もらす夏は来ぬ
♪さみだれのそそぐ山田に
 早乙女が裳裾ぬらして
 玉苗植うる夏は来ぬ
♪橘の薫るのきばの
 窓近く蛍飛びかい
 おこたり諌むる夏は来ぬ  (以下略)

さて、もうすぐ夏が来ますね。我が家は、去年の夏に寝室用エアコンが動かないまま(家族の反発もありながら)耐えたわけですが、今年もエアコン無しにチャレンジしてみようかなと思っています。その理由は、無くても暮らせるような気がしてきたからです。

電気製品など新しいものに買い換えるほうが環境にも優しいということらしいですが「もったいない」という気持ちを優先することにしました。電気かみそり(髭剃り)は、20年ほど前に出勤途中のサラリーマンにインタビューしながら「ほらこんなに剃り残しが」と宣伝していたあのメーカーのものを今でも使っていますし、テレビも結婚当時に買ったものを(25年以上過ぎますが映るので)使っています。

地デジ?の時代になったらテレビはやめようかなとか考えていますけど、家族には内緒にしています。(エアコンどころの反発では済みそうにありませんから)「夏は来ぬ」を口ずさみながらそんなことを考えておりました。

2010年5月15日 (土曜日)

阿川弘之、春の城

レビュー作成中

春の城

続・豊かさと満足度

(下書き)

続・豊かさと満足度

これまでに続いて、また再びこのテーマについて考える。

政治が混迷をしている。このことに自由に意見を言うことはとても良いことであると思う。その意見を参考に新しい意見が生まれ、次々と政治に対して意見を述べ、社会の中に盛り上がりを作り、変化が生まれるきっかけになるだろう。

だが、連鎖的に発生する意見のどこかのポイントで、何か異変が起こったとすると、または、違った論理が、さらには事実無根なことが紛れ込んだりしたとすると、それは途轍もなく恐ろしいことである。

その遺伝子の突然変異のような事態が、どんな形で起こるのかはなかなか具体例を引いて言えないために、先日からもどかしく且つじれったく感じている。

こうして積極的にどしどし意見を言う人に申し上げたいことは、自分の主張に対する逆の立場(反論する側)になって自分も意見が言えるかどうかのチェックをして欲しい。つまり、お互いに席や立場を入れ替えて相手を論駁できるようになったうえで、貴方の意見をお聞かせ願いたい、ということです。

----

今、自由意見が活動的です。あるときはtwitterのタイムラインを、あるいは新聞記事のオピニオン欄を、みんなの意見が自由に飛び回る。それを誰もが自由に読めるので、次々と連鎖的に意見は躍動的になる。

(立ち止まって考えてみる)

社会はこの姿と同じように変化しているのではないか。それは政治や政策への提言だけでなく、お笑い、映画、音楽、遊び、就職活動、結婚恋愛などなど、あらゆるものが「自由」な視点で見つめられて、語られて、動いてゆく。

「個性」とか「自由」という便利な言葉で、その裏にあるかもしれない魔性を魔性と思わないまま社会が変化する。儲かるから、自由主義経済社会だからという盾を大いに利用し、情報科学から情報技術へと、テクノロジーの進化が無哲学の波の浚われて行ってしまった…のではないか、と言ったら言いすぎでしょうか。

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すべてが「豊か」になってくる。これは、自分たちの暮らしが良くなってきていると考える。

果たして正しいの?と思うのだ。今の世の中に大きく欠乏しているモノの1つに、(自分だけでなく)みんなをもっと幸せにしよう、ということがある。

お鍋料理の季節は終わったが、お鍋料理の配分で例えると、「自分の取り皿には自分では食べ物を盛らない」(お互いのを取り合うことで自分を満たす)、というような考え方が長い時代の流れの中で消滅して来ている。

先に書いた「政治や政策への提言だけでなく、お笑い、映画、音楽、遊び、就職活動、結婚恋愛など」において、目立つようになってきたから社会で話題になるんだろうと思う。そして、問題となって噴出しているものもある。

前に申し上げてみんなに知らんふりをされたことをまた書く。
今夜の夕飯のおかずの5品のうち上から2品を世界のどこかの人に届けることが出来れば。

ご飯でなくてもかまわない。服でもいい。知恵でもいい。言葉でもいいのかもしれない。

多くの人が「豊かさ」というものを得て思いやりや気遣う心、優しさを失いつつある。もっと普通の心も失いつつある。(逆に)、向上したこともたくさんあって、煙草ポイ捨てを例にとればよくわかる。昔は棄てても「変」ではなかったのだから。

ITというスパイスではなく麻薬に近いようなモノを楽しんでいることは、「ポイ捨て」行為と似たようなことをやっているわけで、もっとしっかりと社会を構築してゆくうえにおいて、一部の企業が儲かるとか経済が活性化されるということにブレーキになるかもしれないけど、こういう愚かな行為やメディア利用の無節操さにいち早く気が付いて、やめねばならないのが使命ではないのか、と思う。

技術を否定するのではない。たとえば、私がかつて専門としていた先端医学技術工学の分野で考えれば、情報科学や制御理論、材料工学を駆使して、人類の生命が持つ課題(延命、病気治療など)に役立てることが出来るはずだ。現代社会(情報政策)がITに懸けるパワーを、老人や福祉や困った人々、弱い人々に向けて活用しよう(予算を回そう)と何故しないのだろうか、と感じるだけです。

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インターネット全般についても、かなりの面で浸透したのだが、社会の相互の豊かさを助け合うという思想のもとに進化はしていない。ホームページでもブログでも、twitterでも、すべて自分に向かって注目を集めるための主張手段的な要素が大きい。

これだけの情報科学の進化は、私が30年前に学んだ世紀には予想が出来なかった。基礎技術にそれほどの進化はないし、驚愕的発明、数学にも発見があったわけでもない。
そう考えると、現代社会が激変といわれる発展を遂げつつあるのは、狐や狸の魔術に惑わされているようにも思える。

もっとしっかりした哲学を持ち、基礎技術を大事に扱い、人命を救うとか、老人社会や福祉システムに革命をもたらすとか、人間味を生かすような社会システムを構築する方向に使えないものか。(IT技術自体は素晴らしいのだから)

科学技術のエンジニアは、哲学や理学の目指した思想をまったく失い、経済社会やマネーにいまだに踊らされて、幻の「豊かさ」を追っているのではないか。(そういうところにある満足度って何者だろう…)

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電子ブック、IPADのニュースを見ながら、以上のようなことを考えていたのだ。

まあそんなボヤキだな、これは。

私はそのうち死んで居なくなるから、進化についてゆけなくなったらITからは足を洗うのだ。(願望)

Rev0.1

2010年5月12日 (水曜日)

「山笑う」から「山滴る」へ

新緑がにぎわう季節が瞬く間に過ぎて、風薫る五月となりました。

水田の若苗が青々と逞しく育ち、隣りあわせの畑には麦の穂が顔を出して夏はまだかと色を帯び始めています。

花水木や藤のかぐわしい匂いが風に乗って届いてきます。野山を歩けばミカンの花が甘い香りを放っていました。

まことに五月という季節は人々をうっとりと酔わせて自然へと惹きつけてしまうような魔力を持っていますね。

五月も二十日を過ぎれば、ホトトギスが啼き始めます。

 キョッキョッ キョキョキョ

 こだまして山ほととぎすほしいまま  杉田久女

こう詠んだ久女の人生は、ホトトギスの啼き声から連想するようなものでは決してなかったのかもしれないなあ…と思いながら、いつもこの季節には、この鳥の華麗に透き通るような声に聞き惚れてしまいます。

(おぼえがき・変更削除あり)

矢ノ川峠(旧道) チャレンジ

GWに行きたいという念願であったが、庭の草取りを一生懸命しすぎて腰痛が出てしまって、しばらく寝込んだため今頃になってしまった。

5月9日、日曜日。
降水確率はゼロに限りなく近い。
それ以上は何も考えずに家を出た。

矢ノ川峠。旧道。

進入口は既に調査済みであったので安心して旧道に入る。R42から車が入っている様子が事前調査のときにちらりと見えていたので、車も入っていける道というイメージがあった。しかし、それは500メートルも行かない間に打ち砕かれた。

車高が低いとかスポーツタイヤを装着した乗用車ではこの道路を走るのは難しいかもしれない。地面を歩けば普通の起伏に思えるが、なかなか広域で見ると激しい凸凹だ。

写真ではそれほど荒れて見えないが、軽トラの四駆レベルでないと入れないと思う。

つまり、10センチ四方での凸凹差は数センチかもしれないが、1メートル四方での凸凹差は20センチ近くある箇所が多い。予期せぬ切り込み(轍)や段差に戸惑いながら、帰りのことが少し不安になる。

岩盤が洗濯板というか、海岸の岩場のようにガタガタで、エンジンガードに当たる石も中途半端に軽い音など出ない。

どかん。どすん。
壊れるんちゃうか。

ギアは、ローかセカンドばっかし。
小型オフロードであれば楽チンで面白い道だろうなあと思う。
歩道からどすんと車道に下りるような衝撃の連続だ。

久々にラジエターのファンが回り始める。一方で「ああ、ファンは正常に動くのだ」と少し嬉しくなる。壊れてなかった。

しかし、エンジンを止めてもファンは回る。つまり、次にエンジンをかけるときにバッテリーの元気具合ではウンともスンとも言わないことがあるかもしれない。そのときにこの場所では押し掛けも出来ないし、自重で下れるような坂道でもない。

だから、エンジンは絶対に止めることは出来ない。

峠の上は、平坦で見晴らしもよい。
この景色からさっきまでの格闘の様子を想像することできないだろう。

峠の向こう。
端が落ちていて超えることは不可能という情報があるので、ここまでのつもり。

富士山が見えるそうです。

のんびりと広場をうろうろする。
鹿のような動物を何度も見かけた。
角が無いけど、豚やイノシシより大きいし、牛より小さい。
動きも素早かった。

登ってきた道を帰るのも、ぐぇーって感じだったが。
負けずに帰ってきました。

帰りに三木里から上がってくる道路を帰路として選んだ。

× って書いてあるのがわかる。何故これを無視して行こうとしたのか。

車のタイヤ痕が綺麗についていたので、こっちが近道だと思い込んでしまった。すぐに、痕は消えていくのだが、夢は暴走していた。

ところがそれが大変な道。
だんだん狭くなって、道がなくなってくるのがわかる。
森に吸い込まれていくような感じ。
道が道らしくなくなって森の斜面に同化して行く怖さ。

「うっ!」と決心してUターンと決めた。
しかし、凸凹で狭いので来た方向にバイクを向けられないのだ。
バイクをUターンさせるのに苦労した。
(筋肉痛が怖い)

とにかく帰還して、しばらく放心状態だった。

景色? 
そんなものは見る余裕など無かった。

2010年5月 9日 (日曜日)

道頓堀の雨に別れて以来なり―川柳作家・岸本水府とその時代(上・下)

道頓堀の雨に別れて以来なり―川柳作家・岸本水府とその時代(上・下)


いつの間にか川柳ファンになっていた。様々方々の刺激もあろうが、時実新子さんの著作のおかげだろう。
コミュで前に、川柳の大先生、新子さんを取り上げたことがありますが、その記事を書き始める段ではこちらを紹介しようと思ってたんです。

タイトルにまず魅了されますよ。
素敵な句だ。

道頓堀に行ってみたくなるでしょ。
別れたひとが恋しくなるでしょ。
もう一度、夢でもいいから逢いたい人がいますが、そういう人と別れたあの場所を思い出すでしょ。
(私だけかな・・・)

そんなタイトルの本なんだもの。
読むしかないわけです。

(平成22年5月9日レビュー改訂)


| 2009-05-09 08:17 | 読書系セレクション |

(文庫が出てます)

田辺 聖子 道頓堀の雨に別れて以来なり―川柳作家・岸本水府とその時代〈上・下〉

2010年5月 1日 (土曜日)

四国遍路 辰濃和男著 岩波新書

四国遍路 辰濃和男著 岩波新書


遍路道寂寥癒す著莪の花

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「ひよいと四国へ晴れきつてゐる」と種田山頭火が詠むように、私もむかし四国を旅した。
四国はブルーアイランドとも言われるものの、旅で巡ればその大部分を険しい山道が占める。
今頃はきっとシャガの花が山の斜面に咲き誇っていることだろう。
自生の藤の紫に甘い香りを楽しませていただき、峠道を越え、滔滔と流れる清水に咽喉を潤す。
ふと眼差しを上げると遍路道にシャガ(著莪)の花が恥ずかしそうに咲いていた。
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さっきジュニアにこんな遊びの句をアップして、そのあと手元に「四国遍路」(辰濃和男)を出してきた。

四国を何日もかけて旅をした人にしか分からない独特の旅情を、辰濃さんは天声人語の筆のままで書き綴ってくれています。

真っ白い装束に杖をつき、中には正装の笠を被った人も居ます。踏み固められた歴史の道を一歩一歩ゆく。足音がサクサクと余韻を残さない。

平家が落ち延びたのであろう山の斜面には点々と民家が散らばっています。四国特有の感動的な風景です。

辰濃さんも歩いた道。空海の踏んだ道です。


GWには旅をしていたむかし、「私、地図を見ていて行ったことがない道を見つけると行ってみたくなるの、地図を辿ってずっと…」と話した人のその言葉どおりに私も四国を旅した。
そんな記憶が淡い。

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辰濃和男(著) 四国遍路 (岩波新書) ベストセラーでしたね。価値ある1冊。


| 2005-05-01 09:23 | 読書系セレクション |

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