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2010年2月27日 (土曜日)

沖で待つ 絲山秋子

沖で待つ 絲山秋子



中沢けいの「海を感じるとき」を読んだあのころのことを思い出しながらこの本を読んだ。絲山秋子さんの漂わす文章がそうなのか、芥川賞というラベルがそう思わせるのか、それとも、芥川賞というステータスがこのような気流を呼び起こさせるのか。

賞は面白いだけでは成り立たない。この作品の場合、文章がとりわけ美しいわけではない。むしろ面白さと美しさのどちらも二の次にしているような作品であるだけに、不思議である。いったい何処からこの作品の魅惑がやってくるのだろうか。新鮮なタッチなのか、そんなことを考えると中沢けいの「海を感じるとき」を思い出すのだ。

沖で待つには、しかしながら、なるほどと思わせる側面がある。

この作者が次々とヒット作を生むとか長編を量産するとも思えないけど、多くの人を掴むことは間違いない。
そして、そういう作家が優良であるとも限らないのだが、ものすごく未知なものを秘めている雰囲気を持っているとも思う。

海を感じるときに書いた
「一時的に身体を拘束されたような圧迫感が残った。あれは…後に気が付くのだが、読後の感動だったといえようか。感動とはそういう新鮮なもので、」

という想いがここで甦っている。


| 2009-02-27 18:49 | 読書系セレクション |

海を感じるとき 中沢けい

海を感じるとき 中沢けい



大学生になって受験から解放され自由に読書を楽しめる時間を得たことの歓びがあったのだろうか。いいえ、歓びを歓びと気付かず野放しにしていたかもしれない。

ふと立ち寄った本屋で、私にはいっこうに相応しくない群像という雑誌を手に取ったのだった。それがイカガワシイ本であったとしてもまたその逆であったとしても決しておかしくない状況だったのだが、幸運にもそれが私と中沢けいとの出会いだった。

「海を感じるとき」という題名は後からじわっとやってきた。
話の内容をどこまで理解できたのかまったくわからないままであるものの、一時的に身体を拘束されたような圧迫感が残った。あれは…後に気が付くのだが、読後の感動だったといえようか。感動とはそういう新鮮なもので、残念ながら今となっては呼び戻すこともできないものである。


| 2009-02-27 18:48 | 読書系セレクション |

2010年2月21日 (日曜日)

ひこうき雲、春夕焼けが包み込む

めまぐるしく時間が過ぎてゆく。
そう書いてみて、ふと立ち止まる。
そうでもないかも、と思い直す。

春は確実に近づいている。
雨が降り、晴れ間が戻り、また雨が降り、風が吹く。
どれほど雨が冷たかろうとも、手が凍えそうになろうとも、時が来れば春になる。
待ち遠しい、と思う人を裏切ることはない。

▼人恋し君恋しいと水割りで

そんな季節の移り変わりの日々のひとコマで、いやすべてのコマで私は水割りを飲んでいる。
「人恋しい」という言葉は飾りだ。
だれがそんな。恋しいものか。と強がってみる。

▼届かない今夜ひとりで泣いてても

そのくせ、「届かない」と書いてみる。素敵な言葉を見つけたね。
いつまでも未完成なドラマのシーンに不満と満足が交錯する。

▼ショーウインドウ、プチハネボブの君の影

木枯らしの吹く帰り道を駅まで歩く。その途中にショーウィンドウなどない。
仕事帰りのグレーのコートを着たオヤジたちが帰ってゆく姿にまみれて坂道を降りる。
議会が始まったからかな、みんな黒っぽい背広が目立つ。
そんな裏通り。
木枯らしが似合うかもしれない。

▼靴音を逃してしまう春の風

夕暮れどきが嬉しくなってきた。暮れなずむ時刻を楽しむ。
長い髪の女の人が追い越してゆく。

▼狙っても打ち落とせなくて春の風

バキューン。
ねえ、お茶でもしませんか。
そんなことを今更、言う気もない。

▼バレンタインあの子の笑顔をちょっと妬く

早くいい人が見つかりますように。
人気者のあの人。

▼坂道を凍えて濡らす春の雨

春の雨は冷たいねえ。
天気予報ではもう少し夜半になってから振り出すって言ってたように思うけど。
コートの裾が濡れる。
水玉になって弾け飛ぶ。

▼少しだけ落ち込んでました。蓑虫さん

そういってみたくなる春の夜

▼そわそわと春めいてきてもペン重し

千夜一夜を書き倦ねている。
通勤列車の中ではスルスルと出てくるのに、ペンを持つと消えてしまっている。
眠れない夜が続くときは、深夜に対峙することもありますが、布団に入ると1分以内で眠れる日々が続いている。

▼春夕焼けひこうき雲を焦がしてる

久しぶりにひこうき雲を見た。
春夕焼けの中にまっすぐに伸びて、遠く山の端に向かっている。

ひこうき雲がきれいですよ、と写真を添えてメールしてみたら、物語の続きを思い出せたかもしれない。

2010年2月19日 (金曜日)

池澤夏樹 カデナ

池澤夏樹 カデナ


あらゆるところで
さまざまな書評が飛び交っています。

全然当てにならない、切って貼ったような感想。
それじゃ、カデナは語れない。

ごめん。
私も、たいした感想は書けない。

詩人の書く小説は好きだな。
親子、ともども。

.

池澤夏樹 カデナ

池澤夏樹 カデナ

.

1968年という時代は今や確実に過去のものになっているし、多く人の心のなかには、もはや幾許の痕跡も残していないかも知れない。しかし、歴史が絶対に変化することはなく、そのあとに生まれた人たちは弛まなく成長を続けている。

カデナに存在した基地やそこから戦略爆撃機が飛び立っていったという事実は毅然と存在し、その歴史は止まったままだ。

この小説のバックグラウンドに流れる激しい歴史を振り返らずして物語の面白さも凄みも、小説としての味わいも深みも得ることはできない。

マルコムXが暗殺され、その3年後である1968年という時代にささやかに生き、登場人物たちは人を愛し、自分たちを愛した。そんな温かくも少し切ない物語だ。

作者の池澤夏樹と福永武彦は親子だ。ちょうど数ヶ月前からこの福永武彦の「死の島」に取っ掛かりきりでありながら、その親子という強烈な関係に引き込まれて、私は池澤夏樹を読み始めることにした。

この親子のそれぞれの放つ持ち味はまったく違うものの、底流にある共通のDNAをひしひしと感じながら、選択に誤りがまったくなかったことを確信したのでした


| 2010-02-19 21:37 | 読書系セレクション |

2010年2月15日 (月曜日)

椿落ちてきのうふの雨をこぼしけり 蕪村

 2月になると節分や立春など、春を想い起こすような行事が数多くありますが、(暦のうえのことであり実際には)、まだまだ寒い日が続きます。

 どこかに春の話題でもないものかと思い、上野森林公園のホームページを覗くと、「カンツバキ」の話が紹介されていました。

 椿(つばき)と山茶花(さざんか)は、住宅街や公園を散策するとお馴染みの花ですが、そこには面白い違いがあるようです。

|椿と山茶花の見分け方のポイントは、花が平開せずポトリと落ちるのが椿、
|花びらが1枚ずつ散るのが山茶花(さざんか)です
|「雄しべがくっついて筒状になっているのが椿、雄しべがまったくくっつか
|ず離れているのが山茶花という見分け方もあります
|                          (上野森林公園HP)

 と書かれているのを読むと、庭に出て花を眺める楽しみがまたひとつ増えました。

 椿落ちてきのうふの雨をこぼしけり 蕪村

*

 暖冬でやれやれと思っていたところへ26年ぶりの大雪が日本列島を襲いました。2月6日、7日のことです。

 学生時代の友人が雪国のある都市にいまして「国土交通」業務に就いているのですが、豪雪見舞いをメールしたところ、市内は大渋滞や麻痺状態になって徹夜をしたので頭がさえない、というような連絡をくれました。その便りの最後に、「しかしながら、先日から我が家に棲みついた野良猫たちもこの大雪のせいで家の中でおとなしくしております。ちょっと幸せです」と書き添えられていました。

 北国からはそんなニュースの便りでしたが、一方では梅の開花の知らせも届きます。三重の環境と森林の投稿写真の新着投稿がちょっとお休み中のようなので、春の花の写真などを募ります。どうぞよろしくお願いします。

〔追伸〕かんきょう川柳を募集する記事を本文に書きましたが、メルマガ発行直前情報によりますと、県内の皆さんの投稿が伸び悩んでいるようです。三重県の皆さん、頑張って投稿してくださいね。

2010年2月11日 (木曜日)

吉川英治著 宮本武蔵

吉川英治著 宮本武蔵



宮本武蔵は全部で8冊。
きれいな装丁。

真ん中へんで、武蔵が江戸に行ってしまったあたりは、物語自体が面白みを持たないので、少しテンポが落ちるものの、全体的に引き込まれっぱなしになることは間違いない。

一気読みのできる人は、お気をつけください。
眠れない夜をすごすことになります。


吉川英治著
宮本武蔵

---
吉川英治という人のことを何度も自分の読後感想文の中に書いておきながら、その代表作である宮本武蔵についての感想に触れていないことに気がついた。

もうかれこれ十年ほど昔に毎日昼休みの僅かな時間に読み続けたのを思い出す。ほかにも寝床などで別の本を読むので、そちらが先にどんどんと読了してゆき、宮本武蔵は一年ほどかかって読了したのではなかったか。

司馬遼太郎と吉川英治を並べて見ると、司馬遼太郎は落語のように語り、吉川英治は講談を聞くように流れてゆく。

両者を比べることはまったく意味のないことだが、司馬遼太郎も宮本武蔵についての本を一冊書いていて、それは薄っぺらいもので、私はこの人物にはそれほど魅力を感じていないんだけど、みたいな構えで書かれていた印象がある。


吉川英治の宮本武蔵は八冊ある。司馬の竜馬がゆくに相当することになろうか。

面白さでは司馬遼太郎よりも面白いかもしれない。さすが戦前に多くの庶民までもが夢中になって読み、そのあらすじだけでも延々と語り継がれてきた物語だと思う。

吉川の文章を読み始めると、最初は面白くないと思う人が多いかもしれない。紋切り型で味がない。旨みも甘みもない。しかし、時を刻むリズムは一定で、場面の変化も安定している。面白さがじわりと出てくる作品が多いのもこのせいだろう。

長編が多いので今の時代には人気も然程ないかもしれないが、馬鹿げた売りとテンポだけを狙ったあらすじに毛を生やしたような作品が多い昨今、確かに次々と出版される面白そうな作品に目を奪われるものの、映画もテレビもない時代に書かれた吉川英治のような作品をじっくり読んでみるのは面白い。

余談だが、お正月に伊勢神宮に行ったときに、武蔵が伊勢へと来る一節を思い出す。猿田彦の前で立ち止まると感慨深いものがあるのだ。
そんな話はいくらでもあり、木曽路を旅すれば男滝、女滝の前に佇んでしまう。

武蔵という人物が、小説どおりの人間であったのかどうかは吉川英治に尋ねなければわからないが、歴史上の人物を小説の上で読むということにおいては、司馬遼太郎の「風神の門」「梟の城」、阿川弘之の「山本五十六」の素晴らしさでさえ、吉川英治の「宮本武蔵」を追い抜けなかった。やはりこれが一番かもしれない。


| 2010-02-11 13:08 | 読書系セレクション |

2010年2月 7日 (日曜日)

着々と四月の別れの支度する

梅の開花の便りが届く。

私と同じ地域にお住まいの方々であれば、すかざず結城宗広のことを思い浮かべることでしょう。

どれほどの昔においても、人は体制に背き、新しきに挑み、しかしながらその安泰に驕りを棲ませてしまい、やがては新しい反体制に滅ぼされてゆく。

結城宗広の時代にみちのくがどれほどまでに遠方でどれほどまでに僻地であったのかは想像を絶するものがあるが、武将たちが栄光を追いながらもその途上で朽ち果てることの無念さは数多く歴史に存在してきた。

それらの事実を想像すると、梅の花が北風に負けじと咲く姿は途轍もなく美しく思える。

梅が咲く。
どうして、この寒い季節に春を予感することができるのだろうか。春など、いや季節など巡ってこないかもしれないのに、梅のDNAは春を予感する。

---

 着々と四月の別れの支度する
と書いてみたが、いや実はその姿は、

 黙々と四月の別れの支度する
のほうが良いかもしれない。黙々と…なんていうような、背中に美学を負ったようなものではなく、もっと悲愴的なのが私の現実なのだろうが、誰が考え出しのか、年度の始まりは四月なのであった。

梅の花が咲く枝で、その先に開花を待つ小さな蕾をメジロがついばむ。
それでも、幾つもの梅はやがて花を咲かせる。

透き通る青空と凍えるような冷たい風がよく似合う不思議な花だなと思いながらそっと匂いを嗅いでみる。

道真もきっとそんなふうにしたに違いない。

2010年2月 2日 (火曜日)

街道をゆく 白河・会津のみち(03)

街道をゆく 白河・会津のみち(03)



街道をゆくのなかで「なんといっても、東北は偉大なのである。たとえば江戸・明治期以降、政治・軍事・科学・人文科学・芸術の面で巨人を輩出してきたが、そういう頭脳の輩出地にしてなお距離論という単純なことから、自己の哀歓をきわめねばならないのだろう」と司馬遼太郎さんは書いています。

そうそう、蒲生氏郷も会津の生まれでした。今、大河ドラマでも藤原氏の話が出てくるのでしょうけど、日本という国のことを多角的に見ていると、この東北の凄さがじわっとわかってくるのです。


信州の向こうにどえらい大きな区域があって、そこを東北という。一度、そこを旅したいと思って10年以上も昔、バイクに跨り旅に出た。広すぎてコテンパンにやられて帰ってきた。もう一度といわず、何度でも行きたいと思った。

その後、4700キロ近くを2週間ほどで走り、19箇所の温泉を巡る旅もした。途轍もない魅力が東北にはあるのです。歴史もそうです。人にも、自然にも、言葉にも、文学にも魅力がある。

そう、東北が輩出した文学の話もしたいですね。


| 2005-02-02 09:04 | 読書系セレクション |

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