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2009年10月31日 (土曜日)

耳を傾ける

▼「読書部」を再生しようと思う。

コミュニティーのアイコンだけを名刺代わりにする人ばかりが増えて、ちっともコミュニティーとしての機能を成熟できないので、言ってみれば呆れてしまって読書部を解散したわけだが、世の中には、私がやりたいと言い続けている「コミュ」の理想像を多かれ少なかれ理解してくださっている方もたくさんあることがわかったので、もう一度「再生」という形でやり直してみようかと思う。

かつて、コミュで、コミュニケーションをしたいと私は言った。自分の欲しい情報を拾い出しに来るだけ、または話題が欲しいだけなら、来てくれるな、とまで明確には言ってないが、「自分の戴いた情報の恩返しは同じ形で皆様にお返しして欲しい」というようなことは書いてきた。

今の世の中、貰えるものは貰っておかねば損だからという風潮もある。スーパーやコンビニで無料の割り箸を必要以上に貰う人やレジの後の架台にある透明のパッキング用のラップをこれも必要以上に取る人の姿を見るたびに心は幾ばくも豊かにはなっていないことを実感する。

豊かさに満たされて、それを生かすか殺すかは、自分の姿勢と視点の持ち様で決まる。読書部にも素晴らしい感性をお持ちの方々が出入りくださるなら、その方々の英知をや視点をお裾分け願うためにも、(mixiがGREEみたいな考えを表明しない限りは)ここに読書部は再生されるべきなのではないか、と考えたのです。

▼「語りに耳を傾けるようなおこない」が、廃れていると、円楽さんのことに触れた前の日記で書いた。

役にも立たないかもしれない話をゆっくり、且つじっくりと聞くという姿勢を社会は失いつつある。速くなりすぎた時間の中に詰め込まれた膨大な情報を取りこぼすのが怖くて、redundancyの中にある最も重要なモノを切り捨ててしまった。その結果、何ごとにも「耳を傾ける」安定した姿が消えたわけだ。

▼読書部の再生にあたって。

この、「耳を傾ける」という姿勢を、「与える側」と「与えられる側」の双方によって、つくりあげたい。そしたらそこには、本と友だちになれた人たちのコミュニケーションが築かれているような気がする。

円楽さん、逝く

まず最初に、合掌。お悔やみ申し上げます。

往年に活躍し、私に多大な影響を与えた人たちが、次々と逝く。

偉大で刺激的な人物というのは先輩方や自分の親世代あたりに多いこともあって、訃報で驚かされることが多くなるのは40歳をまわるころからで、その間に自分の父も逝き、また恩師の先生方もお亡くなりになった。

円楽。

私にとっての円楽さんは、落語の本髄を知らしめてくれた人だった。

「中村仲蔵」を、堪えようもなく滲む涙を拭きながら、カッコ良く演じる円楽さんは、これが落語なんだ、これが噺家の話なんだ、ということを身体で表現した。

落語を「きく」、という文化、即ち語りに耳を傾けるというおこないが大きく廃れてゆく昨今、そうさせている要因への怒りもあるものの、廃れさせてしまってそれでいいの?という心配も大きい。

(歴史的に見ても、文化とはそんなものなのだろうか。そう思いたくないのだが…)

---
※(ニュースから) 落語家の三遊亭円楽さんが10月29日午前8時15分、肺がんのため東京都中野区の自宅で死去。

2009年10月28日 (水曜日)

GREE その後

コミュを順番に閉鎖してゆく。
2000人以上のメンバーがいたコミュが2つもあったので、そのみなさんには本当に申し訳ないことをしたと思う。

最後に、自分のページで「退会」ボタンを押せばいい。

日ごろから仕事をしていて思うのだが、1日1回のアクセスが精一杯の方もあると思うので、日記をこのブログに変更して、しばらく置いてから退会するとしよう。

コミュのみなさん。いろいろとありがとう。いっぱいためになることを学ばせていただきました。

GREEの変化 その4 ―その対応

今、過去の日記などへのアクセス方法を確認していたが

・検索機能が少しマシになったり
・メールに写真が貼付できるようになったり
するものの

自在に遡れる機能が無いことが判明した。

決心しました。

GREEの変化 その3 ―日記について

前置きになって恐縮だが、
今のトレンドとして
「みんなは私のほうを向いている」
という意識が非常に強いことが挙げられる。

つまり、
1) 私の日記を見に来て下さい、に始まり、
2) 私の日記にコメントを、
3) コミュのコメントへのレスはメールで、
4) (閉鎖的会員性の)私のコミュで
となってゆく。

お鍋を囲んだ飲み会に行くと、自分の手の届かないところにある醤油や調味料や料理を、席を立って取りに走り回る姿があることからも推測できるように、自分の使うものは他人に取ってもらってはいけないのだ。近くの人にとって貰えばいいのだが。

(これは自分ことは自分ですると言う教えを、言葉が暴走して解釈されたものと考えられる。例えば、自分でしなくてはならないのは、服を着る、布団をたたむ、歯を磨く、出かける準備をすることなどであって、ご飯を作る、ご飯をよそう、味噌汁をよそう、醤油を取るということは、家族が全員でお互いにすることである。きちんとした考え方を教えずに、家族や親の姿を見て育たなかった子供たちが世の中の半分以上になってきたのかもしれない)

(ついでに書くと、畳の縁は踏まない、敷居を跨ぐときは踏まない、朝のうちに家の軒先を箒で掃く、夕方にも掃く、玄関は第二の玄関るうちはそちらから出入りする、玄関をあけて家に入るときはただいまという、(仏壇のあるうちは)仏さんに手を合わせる、(神棚さんのあるうちは)神棚さんに礼をする、などなど。親が教えなくても見て身につけることを疎かにしている社会だから、何を言っても始まらないが)

そういうわけで、すべてが自分を見て動いている(と考えている)わけであるから、日記についても、自分で書く場合は非常に書きすい構造になっている。ボタン操作も少なくメニューも判りよい。

他人の日記を読もうとすると、外国の民族のなかには「ひとつ」と「そのほか」の区別が顕著に出ている人たちもあるように、一番新しい日記は読めるがその次に新しいものや次々と新しいモノをスクロールするのを苦手とする構造になっている。

これは、コメントというモノを重視し、タイトルというモノを軽視したこと。さらに言えばタイトルをきちんと纏められない人が多すぎるのでタイトル文化が意味を成さなくなっていること、友達とお気に入りとを区別できなくしたことにより、一絡げで日記を並べてしまったことによるものだ。

友だちがたくさんいて、更新頻度のゆっくりな友だちが多く、友だちではなくお気に入りにしている人の更新頻度が多い場合は、この新しいメニュー機能は全然使いモノにならないし、日記を今までどおり読もうとするにはかなりの工夫が必要であることも予想できる。

(・・・・といいながらいい方法を見つけたいが、基本方針が見えるだけに無理そうかな)

事実、何とかしようと思って新しいメニューで皆さんの日記を読もうとしたが、やめました。今までは汲まなく読んでいましたが、もう読みません。

スミマセンが、最初に書いたとおり、自分から発進するためだけの機能や社会に住む以上、従わざるを得ません。

つまり日記は書くけど、人のものは読みません。

RSS設定している人があったら、PCのRSSリーダーに登録します。
私のRSS

コミュのことを書こうと思ってましたが続篇にします。

ちょっと「お知らせ」

[これまで]

コメントを書いてくださいます方々の折角のコメントでありながら、私が拝見してから公開というステップを取っておりました。

[これから]

コメントは書いてくださいましたら即時に公開されるようにしました。
メールアドレスはご記入くださいませ。
必要なコメントを、必要なタイミングで、必要な方からお届けいただくために、新しく試行してみます。

[ダメなら]

即座に元に戻します。
または、結果に改善が現れない場合は、予告無く元に戻します。

[コメントに対する雑感]

コミュニケーションを図るためにコメント機能があると考えます。
数々のSNSが時代に乗って機能的でトレンディーになってゆくなか、時を急がずじっくりとモノを考えている視線と視点を大事にしたいと考えます。

ブログは私の著作物です。そのコメントは私の著作に対しての著作の応酬と考えます。いいお話を聞かせてくださいね。

コメントを戴くと、それが過去に遡ったものであればあるほど、わざわざ昔にまで行って読んでいただいたご苦労に感謝し、われながらおバカなモノを書き続けても読んでいただけるものであったという安堵で、些か喜んでみたりしております。

いつもながら、お返事を書かないこともありますし、文脈の都合上メールで済ますことも有るかと思いますが、ご意見を賜り、また今後ともご贔屓のほどよろしくお願い申し上げます。

2009年10月27日 (火曜日)

GREEの変化 その2 ―人々

▼コミュを幾つか開設していて痛切に感じることがいくつかある。
その最たるものが「新規加入のメンバーの足跡が私のところに残っていないことが多いこと」である。

コミュに加入するにあたり設立者をちらりとでも見たくはならないのだろうか。見る必要性を感じないのだろうか。そのあたりは感性の違いだろうが。

これもコミュが大きくなりすぎたことによるもので、私が目指すコミュ像が伝わらなくなってきたひとつの指標でもある。

解散して消滅は簡単だから急がない。しかし、意図に沿わない方々は(退会して)よそに行かれることを切実にオススメしたいのだが、なかなかそう上手くは行かない。

▼昔、ある方(グリ友)さんが、日記を非公開にしておきながら私に(その方の)日記にコメントを書きに来るのは卑怯だと書いておられた。

そういう事実は確かにあって、メールにおいても、片方からは出せるが受け取らない設定とすることが可能で、これも似たことといえよう。

これは、その人物を責める前に、GREEのシステム設計と哲学(ポリシー)を責めねばならない。責めると言っても悪いというわけではない。経営方針はGREEが決めることであるのだから。

そんななかで、設立当初のクリスタルな思想も薄れたような感じがしますねとも伝えたい。しかし、これも社会のニーズだからという答えが簡単に想像できる。

経済優先の社会を行く抜くためにバカな社会や消費者に振り回されて、社会構造そのものを破壊してしまわないことを切実に祈る。

▼面白い書き込みも見かけることがある。それは、「もしもこの書き込みの場所や内容が不適切でしたら削除してください」というような内容のものだ。

コミュニティーには同意をして参加いただくことを規約に明記しているのだから、規約を読まずに来ましたと白状しているようなもので、もしもこれが債権や物権にかかわる内容であって後で重大な損害でも出たらどうするのだろうか。もしも全てこのような調子で日常を生きている人が増えているとしたら、恐ろしい世の中だ。

まあ、そのような書き込みがあったら、コミュの流れと雰囲気に合わないので、私は時期を見て削除しますが。(だいたいがそういうメッセージは後に退会されているなどして削除しやすいことが多いような気もします)

▼そういうわけでGREEが次第に変貌しているのは、参加者の使用動向も少なからず変貌していることを如実に表している。

社会を垣間見るには、ここにしぶとく在籍して、キョロキョロと人の動きを見ているのが面白いのかもしれない。そんなことを、思う。

--

ある方に書いたコメントを付加して置きます。

今回の変更も、たまにしか日記を書かない人や、日記というモノを作文として大事に残すという明確な意思のある人をないがしろにする改革ですね。メールだって、今までの履歴を一覧で見れたのがなくなるようです。

過去を大事に残しておくという人やゆっくりじっくりと考えるつもりでいる人には、まったく不向きなようです。ネットのSNSやブログが twitter に振り回されている感じ。私はバカらしくさえなって来ました。

コミュを幾つかやってますが、(やめてしまうかも知れないと思うと)ちょっと寂しい思いです。

GREEの変化 ―デザインが変わるそう

ニーズにこたえる形となっているのでしょう。

今の人たちがこのようなモノを望んでいるのだということがよくわかります。
(また、GREEがこのような形の遊びを目指しているのだというようにも言えます)

しかし
私の期待しているデザインではなく、インスピレーションで画面を探ると迷路を彷徨うようにわからなくなる。

メッセージは短く、
人はたくさん集うほうがよく、
それを一目で把握しやすいモノにする。
記述されたものは著作ではなく、
会話のように言葉感覚で消えてゆくものであり、
過去は過去である。
未来は人が集うための無限のステージ。

ということで
全面的に新しくなって、使いにくさが如実に表出するようなら、考え直すことにします。

今の世の中は全てがこのような流れですね。
逆らって生きるのは辛いです。

結局、戻ってくるのは、自分でデザインして作ったホームページです。
しかし、それも所詮、電子メディアです。

世の中に古典的書物として残されているモノが無数にありますが、ある時期から書物の数が急激に減るわけです。もしかしたら、地球温暖化の何かを表す指標と相関関係があると面白いかも。

2009年10月18日 (日曜日)

ノラや と 草の花

少しずつ読み進んでいる。

通勤列車の中では「ノラや」
寝床では、「草の花」

ふたつの全然違った味わいの作品のなかで
内田百閒からは、猫を飼いたいなあ、と思わされ
そしてまた、
福永武彦からは、深夜の静寂に耳を澄ますような痺れを感じ取る。

今の人は、福永武彦など読まないだろうなあ。
こういう作品はまったく望まれていないだろう。
こんなふうに他人や自分を見つめたりすることもないだろう。

そう、加藤和彦さんが逝ってしまった。
青春時代にたくさんたくさん刺激をくれた人。
ありがとう。
いつか私もそんな風にストンと逝きたい。
ご冥福を祈ります。

2009年10月17日 (土曜日)

続 生物多様性 ― 4

今、「生物多様性」が注目を集めているのは、人間が横暴を重ねて、散々なことをして地球を乱しているからだ、と言ってもいいでしょう。

生態系は、非常に豊かであり、それがバランスよく保たれています。

自然とはかけ離れたところにある「経済」とか「工業」「科学技術」に乱されてはいけない。

そこまではっきりと書かないにしても、立場が違えば対立するものの、もう荒んだ社会によって乱されたり破壊されるのは勘弁して欲しいと思っている人も多いのではないでしょうかしらん。


◎生態系
◎種
◎遺伝子
について分けるとわかりやすい。

◎生態系
というものを考えてみると、森林、里地里山、河川、湿原、干潟、サンゴ礁などが取り上げてありますけど、何げに私たちの周りにある当たり前のものです。

◎種について
動物や植物が存在すること、またはそれにまつわる病原菌や細菌など、微生物も含めて生きものと考えます。いいモノも在るし、インフルエンザのようなモノもある。科学が生み出した環境で大きな顔をするような生きものもあるでしょうね。たとえば、杉の花粉とか。

◎遺伝子について
これは昨今の科学でも随分と注目されていますので、かなり知識が出回っていると思います。

---

生態系は、何十億年という歳月を経て植物たちの今を育ててきました。そのことに気づく必要があります。

その恵みを知り、感謝をするという考えを、誰かに押し付けられることなく思えるようになるまで、人間の考え方が浄化されなければならないと思います。

最近はDNA鑑定などができるので、山奥の深い所に生息しているお魚などもDNA鑑定をすることができます。分水嶺のように水系が分かれてしまった向こうとこっちで同種の魚を採取しても、ご先祖様が同じではなかったということが証明されたりします。
それは凄いことで、地球上に生物が生まれた瞬間にも別々に生まれ、しかしながら、同じお魚として何十臆年も生存してきたことを語っています。

この驚くべき歴史と事実を、人類は産業廃棄物や家庭からのゴミや森林伐採、薬物で侵し、生き物を乱獲し絶滅させ、また、生活の中で生じる二酸化炭素など排出しバランスを崩して、地球を破壊してしまう行為を続けている。

大切なことは、地球上に居る数え切れない生物種が、それぞれの環境のなかで、お互いを支えたり影響しあったりしながら生態系というものを築いているということ、ヒトもそのなかに置いてもらっていることを認識することでしょう。

歴史的に見ても、分子生物学的に見ても、ヒトはちっぽけであるし、地球から見てもゴミのようなものです。
人類はそのことをわきまえて暮らさねばならないだろうし、奢ってもいけない。

それが地球の環境を守るという原点なんです。

--
近ごろ、生物多様性という言葉を耳にすると思います。
しかし、国民の60%あまりがその言葉を聞いたことがないという調査もあります。(平成21年度内閣府)

ちょっと、興味を持って環境を考える手掛かりとしてもらえればと思います。

秋風や絵の具の皿に赤を置く

秋風や絵の具の皿に赤を置く 蔵前幸子

--

とても素敵な俳句のであったので
メモしておく。

赤を置く。

そう。
置くのだ。

もう一回最初から声に出して読んでみよう。

秋風や絵の具の皿に赤を置く

続 生物多様性 ― 3

生物多様性 ― 3

数字がやたらとたくさん登場するので、普段から関わりの少ない人たちは苦手意識が多いかもしれないが、数字に強くなると、身近なものが面白く見えてくるので、嫌がらずに読もうね。

さて。
果てしないお話。「生物多様性について」、その続き。

地球上にいる生きものは、3,000万種ともいわれています。それぞれが様々な環境に適応して進化しています。

たくさんの生きものが地球上に存在するそのありさまを、私たちは「生物多様性」と呼びます。それぞれが「個性」を持って、「つながって」います。

私たちはそんなことに気遣いもしないで、地球上に存在しますが、「ごみを出さないで」「リサイクルしよう」「地球温暖化を防がねばいけないよ」などと一生懸命に活動しているのは、生きものである私たちが生きものとして、住まわせてもらっている自然に感謝をするところに還ってくると思うのです。

10月のメールマガジンの巻頭で、先日のイベントのお礼を書きました。その巻頭言を切り取ってきます。

*

 10月3日土曜日、松阪市のウッドピア松阪(松阪市木の郷町)にて「三重の森林と木づかいフェア」が開催されました。ご来場いただきました皆様、どうもありがとうございました。

 森林は、おいしい水やきれいな空気を供給し、山崩れを防ぎ、あるいは私たちの心に安らぎを与える一方で、二酸化炭素を吸収し貯蔵し地球温暖化防止にも役だっています。

 このフェアを通して、大切な働きを持つ森林や木に触れて、自然という偉大な環境の中で暮らす私たちのスタイルを見直された方々も多かったのではないでしょうか。

 今回は、三重県の美杉村を舞台とした「神去なあなあ日常」の著者三浦しをんさんを会場へお招きして、1時間余りの森林トークがありました。

―― 山を手入れすることで下流の水がきれいになるなど、環境のためにも林業が果たしている役割が重要なんだということを、もっと知りたいし、自分も伝えたいと思う ――

 三浦さんの言葉がひとりでも多くの人のもとに届き、みんなが自然と仲良く暮らしてゆけることが、私たちの環境を守る一番の近道なのだと感じます。

 フェアでは「マイ箸作り」講座もありました。みなさん、一生懸命にノミを使って自分の指で採寸した長さの箸を削り出していました。最後に名前をサインして出来上がり。

 もしも、日本中のみんながマイ箸を持つようになるまで自然や資源のことに気が使えるようになったならば、そのとき環境問題は「問題」ではなくなっているのかも……、と思いませんか?

*

一般に配布する記事に「生物多様性」という言葉をいきなり登場させると引かれてしまう恐れもあるので、かなり我慢をしてますが、今、次のステージは「ごみ」「リサイクル」「地球温暖化対策」から「自然」「森林」そして「生物多様性」へと変化してゆくのだろうな、と思っています。

しかし、やはり、言葉の意味が難しい。

*

 自然環境や森、木のことを書きながら西岡常一さんを思い出していました。西岡さんは、法隆寺金堂の大修理、薬師寺金堂や西塔や法輪寺三重塔などの復元を果たした宮大工棟梁として有名な方で、NHKのプロジェクトXにも登場しました。

 素晴らしい語録がいくつも残されています。

――あなたが今造っているものが、五十年もたったらその町の文化になる。そういうものを造らなければいけない

――どの木にもそれぞれクセがあり、右や左にねじれようとする。右にねじれた木は、左にねじれたあの木とくみあわせたい。何百年後の木の性質と相談しながら、それぞれの癖を見抜いて使ってあげたい……

――わたしどもは木のクセのことを木の心やと言うとります。風をよけて、こっちへねじろうとしているのが、神経はないけど心があるということですな

――木のクセを見抜いてうまく組まなくてはなりませんが、木のクセをうまく組むためには人の心を組まなあきません

――(堂塔を建てる際には) 木は山ごと買って、その山の南に生えていた木を南側に使い、北の木は北に使い、西の木は西に、東の木は東に使え


 三浦しをんさんの作品に登場する大勢の人々も、実際に美杉村で出会ったみなさん(先月のこのメルマガ参照)も、自然のなかでほんとうに自然の恵みに感謝をして暮らしているのが伝わってきます。

 文明は輝かしく進化を遂げるものの、長い歴史の間に受け継がれてきた文化の伝承が途絶えるようなことがあると、社会は少しずつ暗くなっていくような気がします。そのためにも、自然とともに暮らして森に種をまかねばならないのですね。

2009年10月12日 (月曜日)

平湯・キャンプツーリング

[総括]

とき 平成21年10月9日から11日
宿泊 恵那市(秘密)、平湯キャンプ場(10日夜)
全走行距離 (推定) 700キロほどかな

あまりにも久し振りすぎて、トラブルも多く出たなあ。

Ⅰテントが癒着してしまっていた。シークレットシールを剥がすよりもかなり困難な状態で、必死で剥がしました。一部、ボロボロになっており、雨の日は無理状態。フライも同じ。
Ⅱ久し振りすぎて、持ち物に忘れ物が多く、一方で使わない物も目立つ。年齢のせいで、面倒くさがり屋になってしまったと思う。そう!ヘッドランプを忘れて、大変でした。
Ⅲしんちゃん(Vちゃん)と久し振りにキャンプしたわ。15年以上。17年ぶりくらいかも。
Ⅳ平湯の紅葉はまだでした。例年より遅かった。

あとは、、、

φバイクもボチボチいますね。
φ高速道路に車が行ってしまったのか、名四国道など車が少なく県外ナンバーは殆んど居ません。(社会問題かもしれないぞ)
φ栗きんとんを買わずに帰ってゴメンなさい。


[9日]

遅い出発で、恵那まで。
R1から木曽川沿いを北上し、美濃加茂から明治村の脇を抜けて多治見へ。それからR19号。

[10日]

○開田まで

久々の19号です。昔何度もこの道を走って信州を目指したころを懐かしみながら、塩尻まで何キロとか松本まで何キロの表示に、100キロを越えても怯むことなく駆け回った若き時代を懐かしむ。

木曽福島から開田に折れるのですが、このあたりはまたまた思い出深く、木曽馬牧場なども立ち寄りながら、またまた少し昔を懐かしむ。(それ以上は書けません)

【開田蕎麦打ち道場の前から】
御嶽山

【木曽馬牧場】
木曽馬牧場

○高原食堂
九蔵峠の紅葉は少し早すぎたのでまだ赤くなかった。
高原食堂に寄り、2枚のざる蕎麦を食う。
たちさんとこの食堂でバッタリ4,5年ぶりの再開したのがもう4,5年前。4,5年という周期で私は何かを繰り返しているのかねぇ。
そのたちさんから、数日前にひょっこりメールが届いて、懐かしくなったので食べに行きました。美味いわ、この食堂。

【高原食堂。開店前】
高原食堂

【高原食堂前の無人販売小屋】
高原食堂前

○ゆっくり高山へ
高山まで下る街道は、初めて走ったころの面影はなく、今は快適国道になってしまった。ツーリングの醍醐味や愉しさが少しずつ消えてゆくのだが、生活をする皆さんはものすごく便利になったのだからそれでよいのだろう。
バイクツーリストの趣向もだんだんと変わってきて、私のような地図に薄く書いてあるような道を走り回るのを楽しみとする人も減った。高速道路なども整備されて、そういうところに態々行くような発想も少なくなったのだろう。昔は昔よ。あれでよかったのだ。

○高山から上宝町へ
あれ、いつからかしら、上宝町になってる!上宝村だったのに…
高山市内の北東から真っ直ぐに上宝へと抜ける県道89号というのがあるので行きました。
良い子の皆さんは行かないように。

デカイ四駆も、街乗りしかしない人は、切り返せないところがあるかもしれないのでやめましょう。
それから、高いところが怖い私のような人も、気をつけよう。谷底見えないですから、地獄を見るより怖いです。
ヘヤピンが多いので嫌でも谷底を見ますから。

ああ、愉しい峠でしたということで

○有峰林道へ
行きませんでした。寒いし、紅葉全然来てないし。無理して行くのは止め。

○平湯へ
ということで、いつもどおり、ACOOPで買い物して平湯入りです。3時前でしたが早くもキャンプ場は賑わっていまして、焚き火の煙も上がっているのです。そうか、キャンプを楽しむ人は寝るまでに明るいうちにここで楽しむわけか。

テントを設営してしんちゃんを待ち、ひらゆの森に行って風呂に入り、キャンプ場をうろうろして時間を過ごす。
夜は、寒かったなあ。誰も外で話なんかしてないもんね。割と早めに寝ました。

【キャンプサイトのようす】
秋のキャンプ


[11日]

朝、3時ころに眼が覚めて、テントの外に出たのですが、お月様が綺麗でした。
半月なのですけど、木立の中を明るく照らしてくれまして、ランプを忘れてきたので心配したけど、難なくトイレまでいけました。ゆっくり見上げていたかったけど、寒すぎて無理。

6時ころに起き出して温度計を見たら1℃。
昔、11月初旬に利賀村でビバークキャンプをしたときに1℃だったなあ。周りの山は真っ白だったのだから、十分にその寒さだ。

しかし、平湯のこの谷が全然紅葉していないので驚いているのです。こんなことは無かったのにな。
あと1週間遅く来ると奇麗な紅葉に出会えるでしょうけど、寒さがそうとうに厳しいなあ。

のんびりと片付けて、8時半ころ出発。もう帰るだけですから。

高山市郊外の板蔵でラーメンを試食して、市内をバイパスして、R41号を走って帰ってきました。しんちゃんとは、馬瀬川温泉美輝の里への分岐点でさようならをしたのですが、ガスが無かったのでR41に戻って引き続き緩々と南下しました。

車はこちらの国道でも名四国道でも少なかったですね。高速に行ってしまったのかな。(どうぞ、行ってください)

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