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2009年9月26日 (土曜日)

ムーミン島の夜明け

今、海上保安庁のライブカメラを見ていたの。
真っ暗な港に灯台が点滅する。
漁船のあかりが左から右へと動いてゆく。

あさの5時過ぎなのですが、この灯台が昼間はどんな姿のかを私は知らないまま、
点滅する明かりを見ながら夜明けを待ちます。

あの人との会話が甦る。
先日、逢ったとき

――朝、あける前に、漁港から船が出て行くのを写真に撮りたいな

と私は言った。
海辺に生まれて大人になるまで住んでいたあの人は

――私はいややったわ、あの、船の音

と言う。

窓を開ければ、すぐ下に浜辺があり、
朝日が海から昇るのを見ることができる暮らし。
今でも居間の窓から湾が見渡せる。

そんな暮らしに憬れるけど、
様々なんやなあ、人の暮らしって、
とも思う。

そうこうしてる間に夜があけていきます。

ムーミン島。

少しずつ赤みが増して

日が昇ります。

2009年9月22日 (火曜日)

須賀利漁港まで

きのう、須賀利漁港を訪ねてきました。
ひっそりとした佇まいの小さな湾です。

須賀利の集落

お昼過ぎに着きましたので、静かです。

須賀利の港


堤防では釣りをしている親子がいまして
岬の先端に行くと景色がいいと教えてくれました。

須賀利から岬の先端まで


子どもの頭ほどの石ころもゴロゴロしてましたが
新品のタイヤなので、元気に走ってくれました。

須賀利の先まで林道を行く


教えてくださった方は2,3年前に行ったきりということで
今では、木が茂って、景色はちょっとみにくかったです。

須賀利の湾の入り口の眺め

2009年9月19日 (土曜日)

無言

過ぎていった夏を思う。
ただ、そのことを言葉にしたいが、できなくて苦心している。

父は、無言であった。
あの、うしろ姿が多くを語っていたことを回想する。

一年間使った農機具を綺麗に洗って、小屋のなかに整理整頓をしながら片付けていた姿がほんとうに語り掛けたかったことは、そのとき、黙って見ていた私には伝わっていなかった。

秋の田を収穫し終わって、鍬や鎌を仕舞うとき、彼はどんな気持ちで秋を迎えたのだろうか。今となっては推測しかない。

無言。

私は【雷山無言】というシリーズをブログで書いている。
この「雷山」は、ほんとうに出会った山のカミナリを連想したものであるが、「地震・雷・火事・親父」の「雷」でもあるのだ。

無言で藁草履を編んでいた父の姿を思い出すたび、無言が語りかけていたものを手繰り寄せようとする。

彼岸花咲いて静かにもの思う  ねこ

2009年9月16日 (水曜日)

スローに生きることを見つめなおす

「神去村」が静かな旋風をまきこしているようです。職員が綴る「ちょこっと日記」でも取り上げている人がありました。みなさんはご存知ですか。

三浦しをん著「神去なあなあ日常」に登場する神去村の舞台は、三重県の中勢区域を流れる雲出川を上流へと遡っていった旧美杉村にあり、三浦さんのおじいさまが美杉村出身であるという繋がりで三浦さんは山深い当県までお越しになったことがあるそうです。

この物語は、林業を営みながら「なあなあ」という言葉を大らかに話す村人たちと若者が巻き起こす日常をコミカルなタッチで書き上げた青春林業小説です。三浦さんらしく軽快に仕上がっています。

林業や漁業って面白くないし人気もなくて、仕事も厳しい…と思われる方々があるかも知れませんが、そんなことはまったくなく、林業技術は少しずつ進化を続け、昨今では若者が林業への還ってくる傾向もあり、ヒトが自然に回帰する息吹のようなものさえ感じさせてくれます。

私たちは物質社会のなかで合理性を追い求めることに夢中になって、産業にも生物にも、もしかしたら人の心にも「多様性」というものがあることを、改めて見つめなおさねばならないようです。

「なあなあ、そんな難しい話とちがうんや、林業は楽しいらしいよ」って語りかけられているような気になります。

あるインタビューでは「取材してみると尾鷲も松阪もいいところでした。住んでいる人もいい人なので、それも(住むのも)ありかなとちょっと思いました」とも仰ってますし、みなさんも、どうぞご一読ください。

*

神去村という名の付いた由縁はナニなんだろうと思い、少し前に美杉村へと小さな旅をしてみました。

まずは、伊勢奥津駅へ立ち寄りました。驚くなかれ!蒸気機関車の給水塔が残っているんです。全国で2箇所しかないという貴重な遺産を現在は市が管理をして残してもらっているようです。

初夏に訪れましたので、蔦が絡んでタンクは青々と包まれていました。冬に行けば、灰色のコンクリート柱にかかえられた錆茶色のタンクが姿を現すでしょう。

さて、神去村探検ですが……畑や山で作業をしている村人の方々に声を掛け、「ここは神去村という小説に出てくるそうですが、舞台はどこの在所でしょうか」と尋ねて回りました。

雑談を交えながら神去村の耳より情報を聞き出そうと考えて話を切り出すものの、なかなか本題に入れず、村の未来のことや動物による作物被害、病院のこと、村に残されたお年寄りのことなどをみなさんは熱心に話してくれ、小説に出てくる神去村の舞台のことに話題が移りません。村人さんの話に夢中に相槌を打っている間に1時間ほどが過ぎてしまいました。

まさに「なあなあ」でスローな時間が過ぎてゆくひとときを愉しみながら、森林浴ができたのですが、主人公が残したかもしれない足跡を聞き出せないままでした。(でも、満足でした)

1両だけのJRに揺られてゆき終着駅で降りて、伊勢本街道をてくてく歩けば、どこかで発生している高速道路の渋滞などの騒動をひとまず忘れられます。どんどんと頭の中が環境に優しくなります。保障します。

2009-09-16

続 「生物多様性」

続 「生物多様性」 
2009/09/13 @GREE
---

8月26日
「生物多様性」というテーマに少しずつ迫ってみるで、アップした一部分を以下のように書き直してメールマガジンの巻頭にした。

-<没>---
林業って廃れていったイメージがありますが、そもそも産業に廃れるというような概念があるのだろうか。私たちは物質社会のなかで合理性を追い求めることに夢中になって、産業にも生物にも、もしかしたら人の心にも「多様性」というものがあることを忘れてしまっているのではないだろうか。


-<採用>---
 林業や漁業ってそれほど人気がなくて、仕事も厳しい…と思われる方々があるかも知れませんが、そんなことはまったくなく、林業技術は少しずつ進化を続け、昨今では若者が林業への還ってくる傾向もあり、ヒトが自然に回帰する息吹のようなものさえ感じさせてくれます。

 私たちは物質社会のなかで合理性を追い求めることに夢中になって、産業にも生物にも、もしかしたら人の心にも「多様性」というものがあることを、改めて見つめなおさねばならないようです。


---
 ---
没文にある「廃れた」という言葉が嫌がられた結果、優しい内容に書き換えることになった。
今年の大きなテーマである「生物多様性」のことが言いたいのだが、難しい。

まず、私たちは自然の恵みで生かされているのだということ。人類の営みというのは、地球という惑星のほんの小さなスペースでの出来事で、また、地球誕生の歴史から見てもめちゃめちゃ新しい、超近代にいるのだということを、もう少し身近に感じ取ってゆけるといいなあと思う。そうすると少しは真剣に考えてくれる人も増えてくれそうです。

現代社会は、何でも便利で、無駄が減って合理的で、願いが叶った生活ができるほどに豊かになっています。それを実現したのは、他ならぬ人間の知恵と科学技術などの結集でした。しかし、それらの夢を叶えることは豊かに結びつくのだ、という一本の尺度だけで物事の○×をつけていいのでしょうか、という疑問があります。

原子力発電の普及、高速道路の無料化、高学歴社会、小学生の英語学習、様々な環境問題や福祉課題、高齢化医療対策、それに伴う社会構造(システム)の対応。もっとスケールの大きな話をすれば、軍事力の存在、宇宙開発の是非。

あらゆるものの問題を解決し、楽しく嬉しく豊かで満足度が高い暮らしが得られれば、それで良いのだろうか。不便を残し、苦労の残し、辛さの辛抱も残し、非合理性を含んでいるような豊かさというものが、これからは新しい概念として必要になるのではないでしょうか。しかしながら、痛みを辛抱するのが前提での幸せの実現を目指すわけですから、こういった考えに理解を示してくれる人は、今はまだまだ少ないです。

「なぜ辛抱しなあかんのや。嫌や」そういう人が普通でしょうね。でも、豊かさは麻薬に似た面もありますからね。どこかで断ち切らねばなりません。

では、なぜそこまでしなくてはならないのか、ということになります。

それらの着想や理念てのは、ライフスタイルを見つめなおそうという考えの延長で、生物多様性という摂理や持続可能な社会を創らねばならないという考えから、必然的に生まれてきたものです。だから、「生物多様性」って何だろうというところまで遡るのです。

続く

2009年9月 7日 (月曜日)

読書の秋

読書の秋が、時々刻々と近づく。

先日、【銀マド】に載せた中島みゆきは、昭和58年の第四版だ。

--

24歳で社会に飛び出して、その次の年。
あの秋は、何をしていたのかな、と振り返る。

季節が移ろうのをモノトーンで見せてくれるような京都で、二度目の秋を送っていたのだった。

--

さて、今年の秋は何をテーマに読もうかなー。

2009年9月 5日 (土曜日)

中島みゆき 愛が好きです

中島みゆき 「愛が好きです」から「おもいで河」


中島みゆきは詩集「愛が好きです」のなかに「おもいで河」を載せている。

--♪

涙の国から 吹く風は
ひとつ覚えのサヨナラを 繰り返す
おもいで河には 砂の船
もう 心はどこへも 流れない

----

この世に生きていれば様々な悲しみが私を襲う。それを運命と呼んで諦めることもあれば、ひとときの何かの誤りとして、その悲しみは過去に置いて忘れようとしたこともある。

悲しみは、それで消えてしまっても、思い出は、どんなときでも、忘れることはできなかった。自分の意思とは無関係に、心の中に、否、脳裏の深くに焼き付いている。どんなに涙を流しても、それを消してしまうことはできなかった。

中島みゆきはその悲しみの刻まれたところからおもいで河というものが流れ出ていて、そこを浮遊しながらどこか遠くへ流されていってしまいたいと考えたのかもしれない。

でもそれは、儚く虚しい夢物語。私の悲しみは私とともに、死ぬときに消えて終わりだとも思ったのか。

--♪

季節のさそいに さそわれて
流れてゆく 木の葉よりも 軽やかに
あなたの心は 消えてゆく
もう 私の愛では とまらない

----

あなたを忘れることは、―どんな魔術や薬でもってしても、それを可能にはしてくれない。
虚しい抵抗をひとりで続け、行き着くところは「おもいで河」のほとりだったのだろう。

ほら、勇気を出して。

たとえ砂の舟であったとしても
私の涙が魔法に変わることだってことだってあるかもしれない。

🍀

恋はいつだって悲しいもので、人生は儚いものだと思ってしまう。

しかし、中島みゆきは、そのなかに愛を見出し、自分に力強さを授けようとした。

愛が好きです。

愛とはなんだろうと問いかけることはしない。

人は愛を問い詰めることが宿命だと思ったのだろうか。

(2009-09-05 22:29 | 読書系セレクション )

2009年9月 3日 (木曜日)

いくぞー キャンツー

宣言したけど

行きそうな人の日程が全然合わないのよ。

久し振りだから、落ち合いましょうよ!

いつなら行けますか?

---
(private)

Rタイヤ交換終了

Rタイヤ:9689円 (工賃3675円)
工賃:3675円
チューブ:1869円
タイヤ廃棄:367円
Fブレーキパッド:3381円(工賃2100円)

合計:2万1081円でした。
4万5千576キロ

----

これで9月と10月に走れるかな。

中島みゆきの「愛が好きです」を、よむ

09/03 18:58 @GREE

きょうは
中島みゆきの「愛が好きです」のレビューを書こうと思って、本棚からこの文庫を取り出した。

そこまでは良かったのだが、ふと開いたところに「おもいで河」があった。

レビューを書くのを中断して、
この歌を口ずさんみながら、一杯やるとしよう。

--♪

おもいで河

涙の国から 吹く風は
ひとつ覚えのサヨナラを 繰り返す
おもいで河には 砂の船
もう 心はどこへも 流れない

飲んで すべてを忘れられるものならば
今夜も ひとり飲み明かしてみるけれど
飲めば飲むほどに 想い出は深くなる
忘れきれない この想い 深くなる

おもいで河へと 身を投げて
もう 私は どこへも流れない

季節のさそいに さそわれて
流れてゆく 木の葉よりも 軽やかに
あなたの心は 消えてゆく
もう 私の愛では とまらない

飲んで すべてを忘れられるものならば
今夜も ひとり飲み明かしてみるけれど
飲めば飲むほどに 想い出は深くなる
忘れきれない この想い 深くなる

おもいで河へと 身を投げて
もう 私は どこへも流れない

飲んで すべてを忘れられるものならば
今夜も ひとり飲み明かしてみるけれど
飲めば飲むほどに 想い出は深くなる
忘れきれない この心 深くなる

おもいで河へと 身を投げて
もう 私は どこへも流れない

おもいで河へと 身を投げて
もう 私は どこへも流れない

石田衣良 4TEEN

石田衣良 4TEEN



通勤列車の中でこの作品を読む。

14歳の中学生の物語だ。
自転車で東京の月島界隈を走り回る。
月並みな言い方だが、爽やかで普通にスケベエな中学生の話。

私の乗る通勤車両には、大人のオヤジやオネエサンが数人いる以外は、全部女子高生だ。

そう!

短いスカートのまま、私が肘を置こうとしている肘掛に座る子どもたち。
パンツで直に座っとるやんけ!
と、いつも言いたくてウズウズしているのだが

この小説を読みながらその子たちを見ていると、勘弁してやろうかな、とも思えてくる。


---
4TEEN
(新潮文庫)
石田 衣良

歯の浮くような形容詞で気障に言葉を飾ってゆく文章に、「何だコノヤロー生意気過ぎるぜ、読むものか!」と思いそうだが、私はするりと引き込まれていってしまった。
悔しいな、ボクもこんな気障を言ってみたいな、などと羨みながら読む。
反発する心は、石田衣良の天才的な才能に宥められている。
石田衣良の顔が思い浮かぶ。
そういえばテレビに出てたなあ。クイズ番組で漢字を全然知らないことがバレてしまっても飄々とニコニコしていた細い眼が印象的だ。
いかにも、という小説。いや、これは小説というよりも、僕たちの心の日常を切り取ってドラマふうにして、石田衣良が日記に綴ったような作品だった。中学生ってこんなにも正直で清清しかったのかなあ。ちょっぴりエロくいのだが、爽やかなエロで、そういうところに私も戻りたくなってくる。
石田衣良はこの作品を書きながら、きっと気持ち良い夢を見ていたに違いない。
こういう直木賞があっても、許してしまう。そんな作品。


| 2009-09-03 07:47 | 読書系セレクション |

2009年9月 2日 (水曜日)

君はいつも九月の空の意地悪

前略

9月になりまして
涼しくて喜んでいます。

苅田の畦に
露草を見つけて、
行く夏を惜しんでおります。

 この土地を旅立つ朝、宵待ち草

 雨宿りするところなし、オシロイバナ

 君はいつも九月の空の意地悪

激しい作品は
全部、【銀マド】にいってしまって
こちらでは、こんな作品を紹介することになりました。

 鶏頭の鮮やかを生けてみる

あなたも鶏頭を生けたのですね。

どっしりとした素朴な花器が欲しくなります。

M's Zoom

  • 七月中旬ディズニーランドにて
    M's Days フォト

写真日記(平成28年版)

  • 越乃寒梅
    平成28年の
    日々の写真に
    コメントを
    綴ります

写真日記(平成27年版)

  • 伊達巻
    平成27年の
    日々の写真に
    コメントを
    綴ります

京都日記(平成27年11月)

  • 渡月橋
    京都日記
    平成27年11月篇

京都日記(平成27年7月篇)

  • 鱧のお弁当
    京都日記
    平成27年7月篇

京都日記(平成27年春篇)

  • 焼き鳥
    京都日記
    平成27年版の
    春の日記です

Walk Don't Run

  • ユース宿泊スタンプ帳
    忘却をおそれず
    記憶を記録として
    遺そうと思う

日々是好日写真記

  • ハーモニカ
    860枚 平成18年から平成26年まで(写真日記)

BIKEs

  • 平成24年(2012年)最後の春(閏日)のKLE
    かつて
    バイク・ツーリスト
    だったころ
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