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2009年8月28日 (金曜日)

Fタイヤ交換 終了

Fタイヤ:8026円
工賃:3675円
チューブ:1869円
タイヤ廃棄:367円

合計:1万3937円でした。
4万5千491キロ

どんなもんでしょ。

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◎Rタイヤも、ほぼ、ツルツル。+1000円増くらいかな。

◎Fブレーキパッドが、ペラペラだった。 6千円ほど(予想)

◎チェーンがボロボロ。ガキガキいうのですが・・・1万5千円で直るかな?

全部足したら
破産なので

廃車やな。
あと1年で。

バイク引退か。

「生物多様性」というテーマに少しずつ迫ってみる

「生物多様性」というテーマに少しずつ迫ってみる
2009/08/26 09:47


8月中旬号では「生物多様性」という言葉を用いてみたが、どれだけの人が気づいてくれたのだろうか。

気づいたレベルが、環境意識の指標(の参考)にもなるかもしれない。

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9月原案 (変更する可能性大です)

【巻頭言】

「神去村」が静かな旋風をまきこしているようです。みなさんはご存知ですか。

三浦しをん著「神去なあなあ日常」に登場する神去村の舞台は、三重県の中勢区域を流れる雲出川を上流へと遡っていった旧美杉村です。

三浦さんのおじいさまが美杉村出身であるという繋がりで三浦さんは何度かこの山深い地にお越しになったことがあるようです。

「神去なあなあ日常」は、林業を営みながら、なあなあという言葉を大らかに話す村人たちと若者が巻き起こす日常を、コミカルなタッチで書き上げた青春小説で、三浦さんらしく軽快に仕上がっています。

林業って廃れていったイメージがありますが、そもそも産業に廃れるというような概念があるのだろうか。私たちは物質社会のなかで合理性を追い求めることに夢中になって、産業にも生物にも、もしかしたら人の心にも「多様性」というものがあることを忘れてしまっているのではないだろうか。

「なあなあ、そんな難しい話とちがうんや、林業は楽しいらしいよ」って語りかけられているような気になります。みなさんも、どうぞご一読ください。(ちなみに図書館は予約待ちが長いですぞ)

【あとがき】

神去村という名の付いた由縁はナニなんだろうと思い、少し前に美杉村へと小さな旅をしてみました。

まずは、伊勢奥津駅へ立ち寄りました。驚くなかれ!蒸気機関車の給水塔が残っているんです。全国で2箇所しかないという貴重な遺産を現在は市が管理をして残してもらっているようです。

初夏に訪れましたので、蔦が絡んでタンクは青々と包まれていました。冬に行けば、灰色のコンクリート柱にかかえられた錆茶色のタンクだけになります。

さて、神去村探検ですが……畑や山で作業をしている村人の方々に声を掛け、「ここは神去村という小説に出てくるそうですが、舞台は何処の在所でしょうか」と尋ねて回りました。

雑談をしながら神去の話をしようと考えて切り出すものの、なかなか本題に入れず、村の未来のことや動物による作物被害、病院のこと、村に残されたお年寄りの話などをみなさんは熱心に話してくれ、神去村のことが聞けません。それに夢中になっていると直ぐに1時間ほどが過ぎてしまいました。

スローな時間が過ぎてゆくひとときを愉しみながら、森林浴ができたのですが、主人公が残したかもしれない足跡は見つけるには至りませんでした。

1両だけのJRに揺られてゆき終着駅で降りて、伊勢本街道をてくてく歩けば、どこかで発生している高速道路の渋滞や家電や車の買い替え騒動をひとまず忘れられます。どんどんと頭の中が環境に優しくなります。保障します。

2009年8月26日 (水曜日)

秋味やうたかたの苦味ひかえめ

▼秋味が出回り始めて、夏よりも秋のほうがビールが美味いと気づく。秋のほうが食いもの美味いし。

▼ビールは大好きだったけど、この頃は切れても大丈夫。昔は夏になるとビール漬けだったけど、大人になったのか。麦とホップのほうが美味い。ビールを超えて味を作る発酵食品開発者の気合を応援したい。

▼ウイスキー。昔からW党です。政治は何党? 別になしですが。

▼ただし、政治にはモノ申したい。

▼高速道路の渋滞を発生させて知らん顔は無責任だ。業務の人々に迷惑をかけて、船舶業界に不公平感を与えて、さらに、自動車に乗らない人にも公平ではなかった。

▼業務の車を安くする方が先でしょ。渋滞発生を招いているのだし、その箇所を遊びで走る車からは割増料金をとってもいいんじゃない?遊んでる奴らや金持ちは、もう少し社会に恩返しすることを考えたほうがいいのではないかい??(恩返し精神は教育の問題か)

▼無料という言葉で騙すのはやめて欲しいが、騙される国民はノンポリそのもの。アホボケですわ。

▼20年後を見据えた交通機関を考える。、今のシステムにメスを入れる。公共交通機関を利用する人たちが、使いやすく便利で、緊急時にも役立ち、高齢者も使いやすい交通システムを構築する。そのためにお金を使って欲しい。

▼無料の高速よりも、公共交通機関利用促進の支援資金のほうがよかったように思うけどなあ。新幹線5割引とか。僻地からの通院者のバスなど申請により補助しますとか。

▼老人や高齢者を、もっと配慮するべき。社会は弱者を無視して踏みにじっているのだが。国民よ!一度みんなが失業しなさい。老人になってみなさい。病気になって3ヶ月ほど寝込みなさい。そう言いたい。

▼エアコンの買い替え、車の買い替えがブームかも。物質重視社会で合理性を追求した結果、電気料金の高い家電を廃止し新しいの買う。日本中が買い換えてしまったら、電気製品も車も、そうですが、総消費量が上がってしまうかもしれない。全然エコじゃないのですけど。

▼デジタル放送だってそうじゃない。テレビを買い換えましょうという風潮はいただけない。ほんとうに必要なのか、デジタル化!? これを機会に私はテレビをやめます(…って今でも見ないけど)。ケータイも持ってませんしね。

▼モノを大事にする精神。今の恵に感謝をする気持ち。これを失くしている。国民は、自分だけが豊かであればいいという生活をする。目先だけ見る。自分だけ得する。社会は破滅する。

▼「豊かさ」を得て、心が貧しくなってきた。その警鐘さえも理解できない人だらけ。

▼生活そのものを見直す必要があると、どうして誰も言わないのだろう。不自由や不便をしなければいけない世紀なんだと思いますが、なぜ、それを受け入れようとしないのだろう。

▼愚かだな。選挙はもうすぐなんだが、呆れて、気力が出ないよ。

2009年8月24日 (月曜日)

夕焼けを見上げて帰れば秋味

ビールの美味い季節になりました。
サンマ食いたい。

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日記メモ

21日(金)
国立民族学博物館へ行って
展示が大きく変わっていたことに驚くが

もっと驚いたのは
エキスポランドが消滅していることだった。

22日(土)
仕事に出て
ツクツクボウシが啼いているのを聞き、
秋を感じる。

23日(日)
イサキの刺身を食い、
美味しかったと喜び
南海部品にタイヤを注文して、いよいよ、秋のツーリングへと動き出す準備をする。
エンジン掛かるかなあ。

近所の田んぼで稲刈りが始まった。

夕焼けを見上げて帰る、片思い ねこ

2009年8月11日 (火曜日)

夏は夜、ですか。

【巻頭言】

道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。

 誰もがご存知の川端康成「伊豆の踊子」の冒頭です。

 夏は夕立ち。まだ陽のぎらぎらとする時刻に、真っ白い入道雲が湧き立って、ゴロゴロと腹に響くような音と共に稲光を伴いながら激しい夕立がやってくることがあります。

 焦げ付くように暑い日の昼下がり、軒先に縁台でも出してスイカでも食べようかと算段をしていると、激しい雨が縁台を叩くような勢いで降り出し、あっという間に過ぎ去っていったというような夏休みの思い出もあります。

 夕立が洗つていつた茄子をもぐ (種田山頭火)

 濡れて雫立っているなかにも、ひとときの涼しさと落ち着きがあります。

 夕立やら縁台のことを思い出しておりましたら急に懐かしくなりましたので、今年のお盆は庭に縁台でも出して、蚊取り線香を焚きながら、ビールでも飲もうかなと思っております。

 みなさんはいかがな夏をお過ごしでしょうか。

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【あとがき】

 夏は夜、と清少納言は書きます。月の明かりしかない時代ですから、その明るさもありがたみも今の時代以上のものがあったことでしょう。

 筆者も、夏の夜には数々の思い出があります。夏になると決まって1週間の旅に出たころがありました。それは、オートバイに野営道具を積んで放浪のような旅で、明かりの無い森の中や公園、野原で神々しい月を見上げたり、あるいは激しい雷雨に見舞われて自然の驚異に恐れをなしながら、夜を明かしたものです。

 当時の日記には、自然と触れ合うことでその恵みに感謝をする箇所が幾節もあります。風景、食、風、水などは決して自分だけのものでもないし、自分たちが築き上げたものでもない。遠い昔から長い周期の営みを繰り返してここにあるのだということを肌で感じています。太陽や水、土、火、森などに神が宿ると昔の人が考えた所以も知りました。

 今月の「まちかどエコ@みえ」では、生物多様性という言葉が登場します。生き物のことや自然のことを学びながら、ふだんの暮らしを見つめなおしてみませんか。

新エネルギーのことを少し

新エネルギーと書きましたが、風と光の話をします。

[風]

風力発電は、新エネルギーのなかでも太陽電池や燃料電池とともにかなり注目を集めている発電です。

自然の風の動きをエネルギーにして、何かに利用しようとする考えは、古代に遡り、帆船などがその例になると考えていいのではないでしょうか。空を飛ぶこともひとつの利用です。人間は自然とともにお互いが共生しながら夢を叶えてきたのです。

[電気]

電気も古代からあります。しかし、それは静電気などで、エネルギーとしてが利用することを思いつくのは1800年ころのことです。電気エネルギーは、明かりをもたらし、動力も生みます。

発明されて僅か200年余りしか過ぎないのに、瞬く間に生活のなかに電気は定着しました。

[電気を使う]

科学技術の発展は、電気のエネルギーを活かす技術と言っても良いくらい現在の社会のなかには電気が溢れています。

石炭や石油などの化石燃料を使って電気を起こし、一人一人の暮らしだけでなく、都市が生き続けるためにも電気は不可欠になっています。快適な暮らしは今や棄て去ることはできないのです。

[温暖化の対策]

しかし、化石燃料は必ず近年に枯渇するといわれています。石油がなくなったら、今のガソリンスタンドは電気スタンドに変化するのでしょう。

そこで、21世紀になって新エネルギーという言葉が登場し、地球温暖化が進んでいるという危惧も膨らんできたために、温暖化ガスである二酸化炭素(CO2)を出す化石燃料をやめて、太陽光発電と風力発電などに切り替えようという動きが出てきたわけです。

しかしながらまだまだ課題が山積です。

[太陽光利用]

地球の大気圏内に放射された太陽光線を地球上でエネルギーに変換する限りは、温暖化には直接つながりません。弱点があります。それは、太陽が出ているときしか発電しないということ、電気を起こす変換素子の効率がまだまだ低いこと、光を熱に変換する素子の開発・生産に二酸化炭素(CO2)が発生するということ、素子が高額なことなどがあります。

[風力利用]

風から電気への変換効率を更に高くする必要があるほか、発電装置を開発・生産するためにCO2が発生することが永年の課題であります。近年の調査では回転羽根が低周波を出し、身体に影響を与え、体調不良、吐き気、頭痛を誘発するという報告もあります。

[送電網の整備など]

風力や太陽光による発電は、大規模な発電所を建設して行える一方で、理論的には小型の発電装置の開発も可能です。家庭に小さな施設を作って発電が可能になります。ただしこれには新たな課題が生じて、各個人が発電する電気が送電線に逆流する問題があります。電気も水と同じように高いところから低いところに流れるわけで、勝手な場所で勝手な時期に発電をすればいいというものではなく、統括的な電力制御を考えておかねばならないことになります。

[将来の夢]

50年後に石油を始め化石燃料が枯渇します。原子力発電という科学が生み出した発電もありますが、科学が次の打ち手を開発し成功させても、長期的な哲学性の欠如により失敗を重ねてきたのは過去を見れば明らかです。人類は、いつまでも馬鹿な自己満足を繰り返すわけにも行きません。新しいエネルギーは、今の時代が次の時代に引き継ぐべき英知の篭った技術であるべきでしょう。

太陽光パネルが各家々の壁、オフィスビルの壁、自動車のボディー、電車の車両などに張り巡らされる時代は間違いなく訪れます。人間の贅沢な習慣を見直して質素な生活へと歩み寄ることも重要な課題でしょう。(これは解決されないだろうけど)

高効率の太陽光発電パネルや風力発電装置が社会に浸透したら、街の中から光や風が姿を消し、昼間でも暗くて淀んだ街が出現することもあるのかもしれません。SFのような話です。まんざら嘘でもないのではないだろうか。

2009年8月 9日 (日曜日)

例えば、高速道路行政を考える

ぼやいてばかりいる。

渋滞がニュースになる。ニュースを配信して銭儲けをしている人たちは大いに結構だが、そのこと自体に気付かないでお祭り騒ぎに参加しているバカ国民はさておき、それで被害を蒙ったりするのが確実な人たちの憤りはどうすればいいのだろうか。

地球温暖化の問題を指摘しようとしているのではない。暮らしのなかにある豊かさを何と考えるのだろうか。豊かになると心が貧困になり、畏敬という心は確実に消失してゆく。

これだけ騒がれても方向修正をしないのは、よほど捻くれているのか、強い意思が有るのか。


公共交通機関を利用する人たちをもっと支援するための仕組みを考えるべきだ。

やがて、更なる高齢化の時代が押し寄せる。その人たちにとって自家用車がいつまでも便利であるとは限らない。老人でも億劫にならずに簡単に安く利用できる交通機関を社会システムのなかに組み入れる工夫が必要だ。

遊んでいる人を支援する必要はない。高速道路は、業務で動いているトラックやバスを安価に走らせ---例えば千円で走らせ、むしろ、渋滞を引き起こしている極悪車両群やそういう地域では、割り増しを取ってもいいのではないか。しかしながらやむを得ず走らねばならない人たちは条件を決めて配慮すればいい。

病人を運ぶ緊急を要する自動車、または通院をする人たち、老人、不便な地域の人たち、遠方の病院や学校へ行かねばならないなど、生活で必要不可欠な理由で道路を利用するなどの場合にも、国の制度はもっと優しくなくてはならない。

かなり前からそうんなことを思う。
弱者切捨て、多数決の暴走、果ては二大政党という悪魔のような言葉が登場した。双頭の悪魔としか思えないのは私だけなのだろうか。

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