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2009年7月26日 (日曜日)

心を支える Ⅰ

突然、指輪がきつくなって、薬指の付け根が痛い。無意識にさすっていたがよく見ると指全体が蜂に刺されたように膨れ上がっていた。

指輪は外そうにも外せない、というか、ピクリとも動かない。25年間ぜんぜん痛みを訴えたこともないのだし、放置しておけばそのうち腫れも引くだろうと思っていた。

ひと晩忘れていてのに偶然、今朝、思い出して眺めたら、腫れがひいているので、まだ少し無理があったが、ちょっと痛い思いをしながら指輪を外した。

滅多に外さないので---ひと月とかふた月に2,3分程度何か理由があって外すだけ---しっかり指に跡ができている。たぶん、骨も影響を受けて変形してるのではないかな。その指にあるくっきりと締め付けた跡は、激しく爛れて、やけどのケロイドのように皮が剥がれている。痛々しい。

そういうわけで、しばらく指輪を外して過ごすことになったが、指がソワソワするような気がする。

--

友だちが「『心の支え』は何ですか?」と日記に書いていたのを読んで、この言葉をメモして机の隅に置いておいた。

様々なことを思いながら、考えても仕方がないやという気持ちも少しあって、それ以上の考えが纏まらずにいた。

まず、心の支え、生きがいなどを冷静に振り返ってしまう時期が人にはあるあるということ。それは、汐が満ちてきたり引いていったりする姿を思い浮かべながら考えるとイメージが掴みやすい。

人生という目に見えないモノのなかに存在する「波動」は、複雑な振動を繰り返しながら存在する。そしてさらに、複数の波が干渉し合いながら、モノの流れを作って、エネルギーを貯めたり放出したりする。

何も難しく考えることなどない。高等学校で習ったSIN関数、COS関数で世の中の殆んどの事象を数式化できるのだ。そこには、位相という概念が存在する。


私たちは、心を何かに「支え」られて生きている。エネルギーは、質量(m)と速度(v)の2乗の積を半分に割った式で表されると習った。

ある重さを持ったモノが、一定の速度で動き回るというだけの話で、私たちの心はひとつの目標に向かって突進し続けていき、目標物が近づいたら速度を落とすというコントロールをする能力を知性と行動力で備えている。私は心理学者じゃないからその心理状態に、ニュートンが思いついた物理現象と同じような式を当てはめることができるかどうかまでは知らないが、たぶん、似たようなモンだろう。


ひと息ついたら、自分自身を支えるために別の力が必要になってくる。そんなものは心の何処にも準備などしてないし、学校でも教わっていない。

だったら、止まらずに走り続けるか、停止して運動エネルギーを別のエネルギーに転換するしかない。エネルギーを転換することの難度の差はあれど、多少のロス(発熱など)を生じながら、落ち着くことも可能だ。

しかし、動いているものを止めることは難しい。そのときに、当人にはさてさてと考えながら、並行して「心の支えとは何だろうか」という疑問が出てくる。それは、どんどんと姿を変え「何だったんだろうか」と過去を振り返るものになり、果ては無意味ではなかったのかとか、存在するのかなどという、いかにもありそうな疑問へと豹変する。

自転車の補助輪の代わりに差し伸べる親の手を想像すれば判るが、支えとは物理的には、エネルギーを移動させたり発生させたりする物ではなく、「支え」にすぎないのだ。(車ならシートベルトのようなものか)


そうこうと考えると、最初にメモ書きとして残した「心を支える」とは、実はこの言葉が求めている「支え」を私たちは探しているのではなく、自分自身の状態を客観的に捉えることができずに居る自分の方向を知りたがっているのだ。それが見えていないに過ぎない。行き先が見えてますか?という質問に置き換えられるのではないか、と思う。

月並みだが、「迷子の理論」というのがあって、迷子は自分がどちらに行ったらいいのかワカラナイ。何処に行きたいの?と聞いても、ワカラナイと答えるのであるが、泣いている理由の原因は行き先がわからないからではなく、自分の位置がわからないからだともいえる。交番の椅子に座ればそこは交番であることが明確で、泣く理由は消滅する。

今の時代の人たちには、結婚や恋愛についても、見本やお手本やバイブルなどあらゆる情報を、(もしかしたらネットで?)入手して懐に(ケータイと一緒に)持っていないと、安心できない人たちが多い。(婚カツって言葉もあるそうだ)

心を支えてあげたいのだが、自分の名前と自分が今何処に居るのかくらいはいつでも説明できるように、日常からしっかりしていたいものだ。自分のアイデンティティ(Identity)、持ってますか。

---

なーんだ。
自分を見失わずに、目標ありますか?って聞いてるのかい。

ははは。

ところが、目標を失ってしまって、やることがなくなってしまっている人もたくさん居るのが現実だ。

無差別に放火したりするのもその心理のひとつの結末だろう。あの気持ちがまったくわからないという人も、本当は課題を細分化してひとつひとつの要素を見つめてゆけば、まんざら遠い心理でもないと思う。知識人や学会の人は世の中が荒れているなどと言いますが、荒れてなくても、人の心に幾らでも存在するエネルギーだ、と私は思う。

現代社会は、個性個性と騒いでいるわりには、物事の判定を相対的な尺度に頼ることが多い。

空気が読めない、上から目腺で話をする、ということをすると、大変な目にあう。
そんな態度や行動をいつもとっている訳ではないが、そんな私の何が悪いものか!と反論したい。

--

さあ、選挙行ってこようかな。

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