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2009年5月30日 (土曜日)

2001年:平湯キャンプ場にて

2001年の秋の写真を随分後になって現像しました。

寒かった。でも、平湯峠が近づくにつれ紅葉が増してきて感動的でした。

キャンプ場はすいていました。

10月半ばなのですが気温はぐっと下がりましたが、静かな夜を過ごせました。

帰りには開田村の高原食堂で蕎麦を食いました。やはりあそこは美味い。

雨宿り、垂れるしずくは緑色

雨に色があるわけないじゃない。
そんな、 センチな話 はよしてよ。

でもね、雨って、なんちゅうか、昔を呼び起こすじゃない。
ザーザーって降る雨の音って、ラジオのチャンネルの合間の雑音みたいだけど
イライラも来なくて、過去ばっかしが戻るよ。

あなた、どうかしてるよ。
あのザーザーはイライラだよ。
アレが許せるなんて、耳が変だよ。
やっぱし、センチになり過ぎだって。

そうかなー
雨の雫の向こうに
あじさいのうす紫と
緑の葉っぱが
雨だれに揺れているんだ。
言葉もなく、意識が薄れて行くんだ。
ぼんやりと、オンナの姿が見えてくるんだ。

2009年5月23日 (土曜日)

葱坊主五月の風に揺られたり

惜しまずに近所を歩きまわってみると、ドクダミの花が咲いていたり、ジャガイモの花が咲いていたりする。

白い花は可憐やなーと思いながら、小さきその花が風に揺られているのを見ている。

花には、数々の追憶があり、想いがあり、激情もあった。


すべてが静まって花を生け終わって手を差し伸べていたある人の面影が瞼に焼き付いている。

私は、ゲーテのようにはいかないけれど、何か言葉を発して気持ちを伝えておくべきだった。

いいや。 伝えてあったとしても、それは、はたして…というものだったかもしれないか。

バラの花が咲いてるのを見ると、枯らしてしまった庭のバラを悔やんでしまう。

五月の風は、気ままでいいいなあ。 葱坊主を揺らしている。 醜くもなく、エロくもなく、 飄々と揺れている。

2009年5月19日 (火曜日)

好きだよと言えずに開く裏表紙

♪大学ノートの裏表紙に
 さなえちゃんを書いたの
 一日中かかって一生懸命書いたの

‥‥‥‥
そう
私だってさなえちゃんを描いたのだ。

私のさなえちゃんは、
久美子ちゃんだったり
香織ちゃんだったり
祥子ちゃんだったり
ひさみちゃんだったり
ひろみちゃんだったりしたんだけど
(今は○○チャンだけど)
  ↑↑ さすがに秘密

電車の中で
学校に行く高校生が隣に座っていて
一生懸命に中間テストの勉強をしている。

数学なんか読んでる。

私があのころ必死になっていた数学は
大学時代を経て就職してからも付き合うことになる数学と較べると

へっぽこ数学だが

アレはアレで、大事な勉強だった。

その無駄かもしれないステップが、必ず生きてくるんだからしっかり勉強しなさい、とは、よう言わなんだ。

それはそうと、私は、
その子の持っている数学の読本の隅っこに、さなえちゃんらしき落書きが無いか探してしまった。

高校生さん。
ひとつぐらいは、描いておきなさい。

迷う  (拾遺篇)

 「あなたの机の上にある、あなたの私物で無い赤いペンを1本取って、私にください」といえば、その依頼を受けた人はたいてい何の迷いも無く応答をしてくれる。

 そこには、「机の上 ∧ 赤色 ∧ ペン¬アナタの私物」という論理式があり、それを1本取り上げ渡すというアクションがある。しかしそんな行動の最中に ∧「かつ」、¬「~でない」の記号を思い浮かべて処理をしている人もいないだろう。

 まして、その命題にたいして「true」であるから「それを持ち上げて」とは考えない。

 しかしながら、人の頭の中ではそんなディジョンテーブル(真理表)に相当するものが構築されていることは自明で、スケジュールを練るときも買い物をするときも、頭の中ではディシジョンテーブルが活躍しているはずだ。

 ところが、「私はA子さんが好きで、B子さんとどっちが好きだろうか」と考えるときには、そこに明確なディシジョンテーブルが生成できているとは言えないことが多い。

 つまり、機械が人間のようになれないのは、人が「迷い」を持っているからだと言える。だから、機械に「迷う」という動作を教え込むことは難しいことであり、ある意味では罪悪である。やってはいけないことなのだとも思える。

 現代社会は、機械のように瞬時に「true」と「false」を判断することを正しい、とする傾向がある。多数決という一見して極めて正しそうな決定論理が横行する。

 民主党か自民党か。マクドナルドかモスバーガーか。セブンイレブンかローソンか。多数の勢力を得たものが善玉で、そうでなければ悪玉なのか。東京が○で山村の鄙が×か。儲けられない人間(社会/企業)が×で、儲ければ○か。では、トヨタは○か?、では、小泉は○か×か。

 限りが無い問答が続いていても、人の心の中にあるディシジョンテーブルは、この曖昧なものを処理するために、その人なり持つ人生哲学のようなものの規範に従い、迷いも無く「true」「false」を切り分けてゆく。

 人生哲学とは、人間の背中を貫く背骨があるのと同じように、その人の心の中に1本の大きく太い筋としてあるのだろうと私は思います。


 「迷う」ということをしなくなった私がいる。

 その裏ではいつまでも迷い続けている自分もいる。

 「ナア、オマエ、いつまでそんな我儘を言ってるのですか」と天の声がするとフラフラとし、勢いがつくと自信に溢れ驕りを胸にふんぞり返る。

 難題にぶつかったときには「じっと見つめるんですよ、睨んでやるとそいつの姿が見えてくるんだ」といつも口癖のように黒板を背にして語ってくださった伊勢時代のA先生と東京での修行時代のI先生。共に数学の恩師で、東大の二次であろうが早稲田の理工であろうが、いつも平然とスラスラ、悩まずに、迷わずに解いて見せてくれた。

 「迷いなさいな。考えなさいよ。じっと見つめなさい」

 今やこの世に怖いものなどないという錯覚に陥った自分を厳しく戒めてくれるものは、数少なくなったものの、相変わらず有無を言わせず冷静に心に突き刺さるこの言葉だ。


拾遺篇【新・雷山無言】 9月上旬号 2005年9月8日 22:28

2009年5月16日 (土曜日)

雨降りを恨む素振りで傘の下

銀マド【自画像篇】のほうのブログに 雨降りを恨む素振りで傘の下 というのを載せている。2006年6月15日のことだ。 そこで
「銀マド」・・・・ってなんだろう、と思っていらっしゃる人があるかと思います。 ブログや日記で私が書くゴミの雑記(塵埃秘帖)を「銀マド」と呼んできました。正式には「銀のマドラー」ですね。 ウイスキーをかき混ぜる攪拌棒を「マドラー」と言いますが、銀メッキのマドラーだったら「銀のマドラー」です。 なんとも心地よい響きだと思いませんか? 私はウイスキー党ですから、このマドラーで水割りを作るときが幸せです。 カランカランという音が好きです。
そんなことを書いている。 永い間、私は、琥珀色のなかでうねるように彷徨い続ける自分の心を、氷の向こうに見出そうとしてきたのだろう。 口癖のように、海はきらいだ、と呟きながらも、海の何かを愛し続けてきた。 潮が満ち、潮が引く。 太陽が昇り、また沈む. 海と山に囲まれた小さな入り江に辿り着いたとき、今までの自分が嘘つきで、いっぱいの人たちに本心を隠してきたんだなと気づく。 北山修が、海はきらいだ悲しくなる、とうたうけれど、確かに悲しくなるかもしれないけど、いいじゃないか、それで。 そう思う。

2009年5月13日 (水曜日)

引き潮よ、伝えておくれあの人に

引き潮よ、伝えておくれあの人に

手紙を書たけど
出さない手紙だ。
出せない手紙。

届くのかな。

海まで。あなたの住む入り江まで、ゆく

海まで

あなたの住む入り江まで、ゆく

++

少しずつ、書きます。

2009年5月11日 (月曜日)

ねえ、みかんの花のいい匂い、止まろうか

少し走ってきました。

東紀州地域まで。

  ねえ、みかんの花のいい匂い、止まろうか

そんな感じです。

みかんの花が咲いて、とてもいい香りを放っています。

1年で、今だけしか味わえない。

最高。

1994年 夏・東北を走った

'94夏・東北
[8/6-8/11]

[1] 8/6:…伊勢湾~東海道…富士山の西側…甲府盆地…清里(泊)
[8/6-8/11]まえがき
[8/6-1]伊勢湾横断
[8/6-2]東海道
[8/6-3]甲州へ
[8/6-4]八ヶ岳山麓
[8/6-5]清里高原(泊)96行

[2] 8/7:…軽井沢…越後湯沢…只見…猪苗代…湖畔(泊)
[8/7-1]佐久市内にて
[8/7-2]軽井沢から北軽井沢
[8/7-3]三国峠から湯沢
[8/7-4]長岡市[8/7-5]守門村から六十里越え
[8/7-6]猪苗代湖(泊)75行

[3] 8/8:…喜多方…塩沢温泉…福島…(飯坂温泉・泊)
[8/8-1]五色沼
[8/8-2]喜多方市
[8/8-3]土湯峠
[8/8-4]飯坂温泉(泊)65行

[4] 8/9:…蔵王…天童(山寺)…大江町…(左沢・泊)
[8/9-1]鳩峰峠
[8/9-2]蔵王
[8/9-3]笹谷峠
[8/9-4]山寺
[8/9-5]天童市界隈(大江町泊)46行

[5] 8/10:…月山…鳥海山…日本海シーサイド…(三条燕・泊)
[8/10-1]月山~鳥海山
[8/10-2]日本海沿岸(1)70行

[6] 8/11:…日本海沿岸…富山(利賀)……自宅(松阪)
[8/11-1]日本海沿岸(2)
[8/11-2]利賀再訪
[8/11-3]帰途119行

[7] あとがき、
支出表、その他

[8/6-8/11]
あとがき支出表
S君への礼状



東北の旅('94):8/6


[8/6-8/11]まえがき

何故、東北に行くのか。その答を何度も書いては消している私がとても滑稽である。11年前、情熱だけを持って、ある女性を訪ねた旅の思い出が、東北の各所に散らばっている。今回の旅は、その思い出を"消し歩く行為"にほかならないことがわかっていながら、引きつけられるように旅に出てしまう。"芭焦"気分で東北を回ってみるのも面白いか。とにかくそんなこだわりで旅に出ることになった。毎度お馴染みではありますが、ツーリングレポートは私自身のために書いている日記です。それがたまたま共感を持ってくれる人がいてくれると嬉しい。ツーリングは建て前で、実は独りぽっちに浸りたいというのが目的かも知れない。家族を置いて旅に出ることには賛否両論があると思います。しかし、こんなひとり旅に出て初めて家族と旅をしたいと切々と思う。

GSXの調子はお世辞にも良いとはいえない。GSX最後の旅(長い旅)に出かけようという折に、今回は珍しくうちのんが写真を撮ってくれた。

---縁起が悪い?

---そんなことはない!

新しいことを何かやらなくては新しい発見は有り得ないやないか!子供と一緒に写真を撮ってもらって、6:45に家を出た。天気は快晴である。

[8/6-1]伊勢湾横断

「オーメンズ・オブ・ラブ」をくちずさみながらバイクを飛ばす。新しいレパートリーに加わったこの曲は来春のコンサートやるので近ごろ頭から離れない。ひとりで走る時のカラオケが演歌ばかりじゃあつまらないし。R23が二車線になる以前に鳥羽港まで走って伊勢湾フェリーに乗って出かけたことがあって、それがどこへの旅かをどうしても思い出せない。あの時は家を7時ちょうどに出て、鳥羽港に一分前に滑り込んだ。フェリーポートの建物が新しくなっていて少し戸惑うが、なんてことはない。10分ほど余裕を持って港に着いて船に乗り込んだ。8:00出航である。いつもなら神島や知多半島などを眺めて感激に咽び泣くのであるが、妙に落ち着いてデッキの椅子に腰掛けて居眠りをしている間に渥美半島に到着となった。

[8/6-2]東海道

朝のうちはまだ暑くはない。フェリーを降りて渥美半島を縦断するコースを取り東へと急いだ。渥美半島はメロンの直販が多い。旨いのだろうか。浜松市内あたりからの東海道は渋滞の連続で、おまけに所々開通しているバイパスの道案内がとても不親切である。バイパスは工事途中の箇所が幾つもあり、元から来た国道に戻る表記がいい加減でわからないなんてことが何度もあった。ほんと、この不親切具合には頭に血が登った。暑いのと重なって、もう二度と(必要以上には)こんな道は走らないだろう。

[8/6-3]甲州へ

清水市の郊外からR1に別れを告げてR52を北上するが、残念ながらこんな近くなのに富士山は見えない。暑さにバテてコンビニで休憩しながら北へと進む。途中、下部温泉の看板が目についた。一度行ってみたいな。『波の塔』に出てくる嵐の中を東京へと急ぐ情景が浮かぶ。温泉に寄りたい。今度、家族で来よう。

今回の旅は始まりのコースを変えてみた。それが失敗であった。やはり、三重県から信州に入るには名古屋を横切るのが素直なようだ。国道一号線にはロマンなんて何もなかった。

[8/6-4]八ヶ岳山麓

甲府盆地に入って八ヶ岳を見ても霞の中で見えない。裾野を鉢巻道路の方に登っていく途中から富士山も見えるはずであるがこれも霞の中である。しかし、日差しはきつく「水が欲しい」とばかり呟いている。連日35℃を越える猛暑に初日からへばっている。そんな状態であるから裾野に湧く『三分の一湧水』の案内版が救命の誘いであった。以前から行ってみたかったのがこんな形で実現できて幸いである。東北へ急ぐ前に少し八ヶ岳『鉢巻道路』を走ってみることにしたのもこの暑さのせいで、少しでも高いところへ行こうと考えたからである。その途中でこの湧水に寄ってみたのもそんな折の幸運であった。当然、この水が冷たくて美味しかったことは、言葉では表現不可能だ。手を浸し続けることができないほど冷たい。

日に焼けた腕を冷やし、顔を洗い、喉を潤した。

[8/6-5]清里高原(泊)

野辺山の高原駅(日本一高い駅)には寄らなかった。清里高原の入り口は車で混雑し、ああ嫌な感じ。のんびりと高原の鉢巻道路を走っていたら母校の寮の看板があった。

---卒業生です、泊めてもらえませんか

と言って入っていったら、協議の上OKとなった。トイレ付きバンガローをひとつ貸してもらって早々に寝た。トイレも水洗で洗面所もあるロッジであった。遠くから花火で遊ぶ歓声が聞こえてくる。大きな部屋の真ん中に布団をひいて寝っころがったらぐっと睡魔が襲ってくる。初日は結構疲れるのかも知れない。自然の中で独りぽっちになってしまえる静かな夜。走行距離361Km



東北の旅('94):8/7


[8/7 -1]佐久市内にて清里は6時半頃に出発した。高原は朝霧の中である。小鳥はやかましいほどにさえずる訳でもない。ゆっくりと散歩でもして下界を忘れたいところであるが先を急ぐので出発する。管理人の山口さんを起こしてしまい申し訳なかった。毎朝、家に電話を入れることにしているので、日差しがそろそろ暑くなりかけた8時頃に佐久市内のコンビニの前に止まって電話をした。

---ラジオ体操に間に合わなかったけど…

と言うと

---今日は日曜日で体操はないの

とうちのんは答える。早くも曜日の感覚が薄れているのか。

コンビニを経営するおっかさんが駐車場の掃除をしていて話掛けられた。

---息子が古いナナハンを持っていてね、古くなればなるほど手放せなくなるらしいね

軽井沢は人が一杯でも、やはり涼しいでしょ、話のネタにでも(年に)一回は行くっていうからね

さてと、その軽井沢を越えて早く新潟に行かなきゃならないのよ、私は。

[8/7-2]軽井沢から北軽井沢

こういう場所に別荘を持って、夏の暑い間は避暑に来る生活ができたら、怠け者になり果ててしまうだろうか。しかし、本当に涼しい。遠くを目指すのは止めてここらあたりに宿を見つけて滞在してもいいくらいだ。誰か、落ち合うことのできる女性の知り合いでもいれば、こういう所で密会をすれば最高だろうな。

すぐ近くに浅間山が見える。

[8/7-3]三国峠から湯沢

全部で53個のカーブがあるという。(55コダッケカナ)コーナーには「R=40」などと表示してある。思ったより交通量が少なく"ほっ"とした。しかし、観光バスの後ろに付いたら地獄だ。(無風になってしまうので)水温計はぐんぐん上がるし、煙で顔は真っ黒になるし…。

湯沢の町から六日町方面は車の流れも割とスムーズだ。しかし、やはり国道は暑い。

[8/7-4]長岡市

F君を訪ねるが外出中であった。今までに何度かお世話になり、今回もまたお世話になろうかと考えていたが駄目であったか。官舎の前で一時間ほど、木陰に腰を降ろして待ってみた。涼しい風が時々吹いてきて少しウトウトした。考えてみれば、日曜日の昼間、この暑い日に家に帰ってくる訳ないか…。さて、猪苗代の方面にでも移動するとしようか。

「まあ、のんびり行こうか」慰めとも気合いとも解釈できる独り言であった。

[8/7-5]守門村から六十里越え

この道は私の気に入りの街道である。少し遠回りになろうともわかっていながらでもここを通って福島県に入りたい。そう思わせるのは『六十里越え』という名前もあろうけど、自分でもわからないそれ以外の理由がある。こういうのを『こだわり』という。

峠道と並んでディーゼルカーが走っていた。背よりも高く生い茂った雑草の向こうを走る列車の窓に、若い女の子達が何人か見えた。バイクの方が速いときもあれば列車が追い抜いて行く時もある。私は、誰が乗っているのか、はっきりとは関心を持っていなかった。ところが、坂道が急になってバイクの速度が少し落ちて、ヘアピンカーブを曲がって一気に上へ登って行こうとする時に、窓に手が届きそうなほど列車が近づいてきた感じになった。乗り合わせている人達の顔が、私には、はっきり見えた一瞬であった。"みんなキャンプに行くのかな"という思いが閃いた瞬間、車窓の中からこっちを見つめるひとりの女の子が、手を肩のあたりまで挙げてこちらにそっと振ってくれた。はにかみながら…。しかし私は返事をする暇もなく、バイクはカーブに差し掛かり、列車はトンネルに入って行ってしまった。

手を振ってくれた理由は、たとえ一瞬でも出逢った人に別れを告げる儀式であったのだろう。彼女は旅人で、旅の仲間を意識していたのかも知れない。彼女のその時の顔を、私は忘れられなくなってしまった。彼女は恥ずかしそうに笑いながら少し躊躇して手を振った。視線が合った瞬間に急いで手を挙げた彼女に対し、私は何の返事もできずにすっと離れて行ってしまわなければならなかった。

この別れのシーンのあとの私は、記憶できないほど沢山の独り言を繰り返しながら街道を走り続けることになる。(その子にもう一度逢ってさよならをいいたい、逢えないものか、追いかけても無駄だよ、あたしゃバカよね・・・など)そしてそのあと、放心状態を隠し、慰めるために路肩の崖から流れ落ちる清水で顔を洗い田子倉湖が夕日で赤くなるのを呆然と眺め、そこに佇んでいた。

只見川にはとても神秘的な川霧が立ちこめていた。水しぶきが飛び散るのをスローモーションでみているように、川面の霧は流れていく。しかもそれが夕日に染まって朱に染めたように赤い。もう急ぐ理由は私にはない。ゆっくりと日暮れを楽しむように、いや、哀しむように川沿いの道を下った。言葉にならない旅の感傷を濃縮して味わってしまったようであった。

[8/7-6]猪苗代湖(泊)

会津若松市内に差し掛かった時には、夜の闇がすっかり空を覆っていた。闇夜には、月明かりさえもなく、容赦ないものであった。ナイトランを覚悟はしていたが、やはり不安である。猪苗代湖まであと一時間余りを走らなくてはならなかった。ヘッドライトが瞬停をすることがある。あれぇ…、少し不安になりながら走り続ける。

天神浜キャンプ場というところに8時半頃到着。設営費用は徴収係員不在のため無料。到着時刻が遅いため、周りが見えず少し不安であるが、バイクが数台止まっていたのでここで寝ることにした。酒も夕飯もない。カロリーメイトひと切れと缶ジュースで空腹をごまかして寝た。

走行距離489Km



東北の旅('94):8/8


[8/8-1]五色沼

5 時頃、目が醒めた。早々にテントをたたんで散歩をした。夜のうちに着いたこともあってテントの周辺がどんな雰囲気だろうかと気になった。散歩の後、家に電話を入れた。湖岸のごくありふれたキャンプ場でたくさんの家族連れや若者が6時にもならないうちから忙しそうにしている。猪苗代の湖岸を少し走りながら時々止まって湖岸を眺めた。朝日に湖面が光っている。やはり潮の香りがしないのが寂しい。

さて、五色沼。7時過ぎということで人影は少ない。写生に来ている御婦人の団体さんが賑やかだ。裏磐梯山の絶壁に朝日が差し、琵沙門沼の深いみずいろに映える。小波が起こる程度の朝のそよ風が心地よい。少し歩いてみながら思った。やはりこれ以上、人が踏み込んだら"只の沼"に成り下がってしまうだろう。道路は綺麗になりお土産屋さんが立ち並び、檜原湖の方にもドライブウェイができている。道路を造ってはならないことを物語っている。有料道路は走らないつもりにしているので、檜原湖岸を少し走って喜多方市へ抜けた。

[8/8-2]喜多方市

ここを訪ねてラーメンを喰うのがこの旅の大きな目的であり心の支えである。まず、情報は駅にありそうだと思い直行した。チャリダー君が荷物をセットしていた。駅で夜を明かした彼もこれからラーメンを食べに行くという。観光案内所でパンフレットを戴き駅の待合い室で本を読んでいた女子高生に美味しいラーメン屋さんを訪ねたらノータイムで答が返ってきた。「坂内食堂!」(ばんないしょくどう、と読む)

営業時間は、7:00ー19:00まで。私が店に入ったのが9時前。モーニングラーメンを食べる人で店はいっぱいであった。\500である。それほど高いという感じはしない。まあ、仕事で行って何度も食べた九州博多のラーメンでも\400であるから、本当はこの程度の値段が普通で、観光地のチャラチャラした店だけが高いのだろう。味は旨い。細いうどんとラーメンのあいの子くらいの太さの麺にまずは驚く。チャーシュウが大きくて多くてまた満足。醤油ラーメンは少し味が濃いめのものの方が個性があるように思えるのかも知れない。醤油ラーメンの嫌いな人はやめた方がいい。念のために書いておくと、メニューにはラーメンしかない。

[8/8-3]土湯峠

立派なトンネルが完成している。猪苗代側から抜けると山岳有料道路を走っている錯覚におちいる。標高がそれほど高くなくても、高山植物が身近にあり樹木の背も低いため、信州の峠と較べるとあっけない割に景色が雄大である。土湯峠の『道の駅』は綺麗で落ちつけた。野宿をするにも適している。ただし、季節を考えないと平野よりはかなり涼しい。一時間以上も休憩室でぼんやりしていた。その間に同じテーブルに座った家族旅行(女性だけ)のお母さんにおにぎりをもらった。これから白布温泉に行って数日間バカンスや登山を楽しむそうである。『高湯』は昔から三つが有名で、白布温泉もこの高湯のひとつで、逃せないらしい。しかし、コースに組み込むのが難しい。

土湯峠を降りて、大学(母校ワンゲル部)の山小屋を探しに塩沢温泉へと向かう。山岳周回道路は気持ち良い。あれれ、簡単に見つかると思っていた山小屋はどこにあるのだろうか…とんだハプニングである。山小屋で2ー3泊をあてにしていたのに。

早々に諦めて岳温泉経由で二本松に降りた。エンジンオイルも買う必要があるので平野に降りたのであるが、暑い!熱い!

[8/8-4]飯坂温泉(泊)

S君の家を訪ねた。15年ぶりくらいだろうか。早稲田西門の赤ちょうちんで飲んだのが最後の記憶だ。彼は文学部で演劇に打ち込んでいったので、私とは次第に逢うことが少なくなっていった。夜遅くまで話し込んで、彼は22時過ぎに仕事に出かけて行った。手厚い接待を受けたお母さんや弟さんに感謝。

昔と何も変わらない話し方で、彼は

---川端(康成)っていうと何か威厳があるでしょ、ずるい言い方だけどさ

文学を語らせると熱くなる。少し語尾が東北っぽい余韻で話を続ける。

---今でも子供っぽいところが残っているというか…

ビールが好きで、どこまでも飲み続けるが決して饒舌にはならず淡々と文学を彼は語ってくれる。私にとってそれが無性に清涼剤であった。

" 仙気の湯"という共同浴場を紹介してもらって入りに行った。行く前に「熱いよ」と教わって行ったが、本当に熱い。地元の人は子どもの時から入っているから平気なのだそうである。共同浴場は3ヶ所あって"あせも"ができたりしたら"○○の湯"へ行くと直るなどという事実が有るそうだ。さすが、温泉文化が息づいている。弟さんと深夜まで話し込んだ。共通の話題といえば、私が家電メーカの技術者で彼がそのメーカショップの経営者ということだけである。

走行距離211Km



東北の旅('94):8/9


[8/9-1]

鳩峰峠煮干のだしの味噌汁を朝飯時にご馳走になった。泊めてもらった部屋からの景色が素晴らしい。温泉宿に泊まっているみたい。窓の下には温泉街の中心を流れる川が流れている。9時頃、飯坂温泉を出発。鳩峰峠を越えて山形県に入ることにした。S君に教えてもらった仙台の旨い蕎麦屋には蔵王を回ってから行こうかと思う。暑い国道を走るのは嫌だから。飯坂温泉から山形県に抜ける道である鳩峰峠が面白い。なかなか険しい山岳道路である。優しい名前とは違って狭くて深い谷が続く。両脇には林檎の畑が続く。青い林檎が白い粉を吹いたような木に成っている。高度をかせぐと、やがて雑木林になり、ブナの野生の森になっていく。山形県に入ったらまた林檎の山が広がった。"フルーツライン"などという名の道路があったり、"ぶどう・まったけライン"という農道があったりする。果物が美味しそうだ。『山形にきたら、鯉料理と米沢牛を食べるべし』と教わった。しかし、結果的には食べずに終わった。

[8/9-2]蔵王

蔵王は結婚して一年後くらいに車で来た。あの時には『お釜』にも行った様に記憶する。今回は、雲行きも怪しく頂上付近で少しパラパラと降られたことや雷さんの怒りの声が遠くに聞こえるため、福島県側に越えたが、また高速道路の走っている笹谷峠の一般道をまた山形県側に戻った。あとで聞いたが、「福島県雷警報」だったそうな。

[8/9-3]笹谷峠

笹谷峠は高速道路が峠の前後にあるため車の数は少ない。峠の途中に湧水があったのでそこで顔や手を洗って喉を潤した。暑い日が続く中、バテ気味での私にはこんな清水でバイクを止めない理由はない。重宝した。まさに命の水であった。S君には申し訳ないが、教えてもらった仙台の蕎麦屋は諦めて山形県を北上することに決めた。まずは山寺(立石寺)に行ってみることにする。

[8/9-4]山寺

山寺を訪れるのは長年の夢であった。『しずけさやいわにしみいるせみのこえ』俳句というのは不思議である。静かなことでもなく、岩があることが大事でもない蝉に感激した訳でもない。大自然の不変性を感じる。

自分の足音だけしか聞こえない様な人里離れた寂しい静かな山寺に一歩一歩足を踏み入れていく。立ち止まれば蝉の清い声が伝わってくる。蝉の声は都会の自動車の騒音と電気的波形は同じ様なものかも知れないが、違うんだな、これが。

16:30頃から登り始めた。30分程度で登れる。関東ではJRのCMをやっているらしい。汗びっしょりになって登って、旅の甲斐があったと満足する。

[8/9-5]天童市界隈(大江町泊)

山寺の駅で何人かと話をした。旅人は純粋である。こんなに純粋で世の中を渡って行けるのだろうか。いや、世の中に飽きて来ているのだから不思議ではないのだ。列車の時間を待ちながら木陰で本を読む女性。ドラマのヒロインにしたいな。私が若ければ一声掛けただろうに。

山寺駅は野営を許さないということで、天童市の駅に行ってみたら都会のように豪華な駅だった。市内は祭の最中で賑やかである。そんなところには泊まれない。少し走ってみることにした。左沢(あてらざわ)の終着駅でタクシーの運転手さんの推薦場所"ふるさと会館"でテントを張ることにした。綺麗な公園、公民館の様な所であった。近くのコンビニで久しぶりに大好物のヤキソバを買い込みビールでくつろいだ。

日中に焼けたコンクリートは深夜を過ぎても熱を持っていて、背中が生温い。こんなにお天気に恵まれるなんて、何と幸運なことか。

走行距離216Km



東北の旅('94):8/10


[8/10-1]月山~鳥海山

『ふるさと会館』の朝は爽快であった。明るくなってくる5時前には目を覚まし付近を散歩した。タクシーの運転手さんが教えてくれたように綺麗なトイレも有った。驚いたのはすぐそばを最上川が流れていたことである。その姿は悠々としており、川向こうに連なる奥羽山脈に日が登り、街が赤く染まっている景色などは、ちょっと内緒にしておきたい気持ちである。

「私も芭焦になるんだ」と言って出てきただけに最上川や山寺はちょっと僕だけが楽しい旅であった。(お薦めはしません)

R112 に出て、月山の麓を抜けて鶴岡市方面へ抜ける。思ったより険しい山岳道路である。今回の旅にお供してもらっているGSXは、エンジンオイルが上がって燃えるため高回転では煙がモウモウである。快適な道路がこういう山岳地帯にたくさんあるが、残念ながら法定速度で走らなくてはならない。エンジンオイルは 300Km走るごとに300cc程度の補給だろうか。

今回の東北を走ってみて感じることに、この山深い里の冬は、道路も閉鎖されているという事実と、険しい峠が多いということである。東北では、峠を越えて庶民の苦労を肌で感じてみて初めて、昔からの文化は理解できるといえるのだろかと感じながら走り続けた。

昨晩タクシーの運転手さんが薦めてくれた『鳥海山』には行きたい。「高いところか見おろしてくるのもいいものだべ」というあの話し方に愛着を感じてしまう。

酒田市を通り抜けた頃、日本海が見えた。日本海沿岸の国道にはライダーが多く少し驚く。北海道に向かったり、帰ってきたりの連中か。ピースサインに彼らの気合いがこもっている。鳥海山は深い谷を持ち景色の綺麗な山である。自動車(バイク)は五合目まで行ける。登山帰りの奥さんと話をして山に引かれてしまった。綺麗な奥さんには中学生くらいの可愛い娘さんがいました。ああ。束の間の憩いでした。芭焦が詠んだ「象潟」に向かうバスに乗り、大きく手を降って消えて行った。その句が思い出せない。

[8/10-2]日本海沿岸(1)

さて、鳥海山にも行ったし、帰ることにしよう。よし!行けるところまで走ることにしよう。日本海側は少し涼しい様にも思える。来た道を少し引き返し、新潟方面に行くことにした。時々、日本海が見える。海を見ながら走るのもまたいい。

新潟、三条・燕のワシントンホテル飛び込んだのが5時半だった。ワシントンホテルは、三条・燕の新幹線の駅の近くの"SATY"の一角にある。駐車場も共用である。それが理由で、7:30までバイクを出せないという。6時頃出発しようと思っていたがこの際ゆっくりすることにした。風呂も浴びて眠れるのだから文句もいえまい。久しぶりにくつろげる時間である。"SATY"で夕飯の食事を買い出してきて部屋でくつろいだ。

走行距離409Km 



東北の旅('94):8/11


[8/11-1]日本海沿岸(2)

ホテルの駐車場はSATYの駐車場と兼ねている。荷物を積んでライトをつけたらいきなり消えた。あれっ!と思った。先日からおかしかったしな。原因は球が切れたのではなく、接触不良であった。おお恐っ!

さてと、今日はもう利賀村を回って帰ろうと思う。昔、食べた蕎麦の味が忘れられなくてまた行くことにした。三条を出て富山を目指す。海水浴の姿が目立つ。メットの中で唄うカラオケも少し陽気になっているかな。

『親不知』にある親子の銅像のパーキングには止まらずそのまま通過した。何故か富山県に早く入りたかった。利賀村到着は13時過ぎになると予測がだんだん確実になっていくのを確認しながら左手に立山連峰、右手に日本海を見ながら走る。ここも水不足が深刻な様子で黒部川の水は枯れていた。いつもなら山から海へと勢いよく水が流れているのに…。

[8/11-2]利賀再訪

利賀村へは、富山市から飛騨高山へ行くR41を少し走ったところで県道にそれて行くルートをとることにした。県道は舗装されていたことを喜ぶべきだったのかも知れないが、結構な山道である。ダートだったらエンディューロにも十分に使える道だと思う。まあ、昔はどの道を通ってもダートを走らなくては利賀村には入れなかったことを思うと改善されたことは明らかだ。利賀村に着いたら当然のことながら蕎麦を喰いに急いだ。利賀温泉の近くにある『うまいもん館』『ごっつお館』で利賀の蕎麦を喰わせてくれる。一昨年の晩秋に来たときには『うまいもん館』で食べたので今回は『ごっつお館』で食べることにした。

---盛り蕎麦を大盛りで下さい!

値段は、\1000である。

味: 色合い:歯ごたえ 
-------------------------------
利賀村: 満足:   淡泊:さらり 
開田高原:十分満足:蕎麦色(黒っぽい):シコシコ 
戸隠:少し不満:  淡泊:さらり
-------------------------------

蕎麦色(黒っぽく)で味もきつく蕎麦の匂いがプンプンするものが好みなので開田高原で食べた蕎麦の方が私の好みかも知れない。しかし、歯ざわりは、利賀の感じが讃岐うどんを連想する硬さで気に入った。開田と利賀は優劣を付け難い。

前回食べた"かけ蕎麦"は、"盛り蕎麦"と違ってもっと黒っぽく、匂いもきつく、麺も硬く、だしも旨く、比類なく最高であった。

[8/11-3]帰途

蕎麦を喰い終わって時計を見たら15時前。いっそうのこと松阪まで走ってしまおうか。ゆっくり家で寝たい気もするし。R156を飛ばせば19時頃岐阜、22時頃松阪に着ける計算(経験的推測)になる。

「まあ、夕日でも見ながらゆっくり帰るとしましょうか」なんてぶつぶつ云いながら山の神峠を越えた。峠道のトンネルからR156迄の道は完成しすべてセンターラインが付いている。一昨年に土砂降り中を登った林道が谷の底に見えている。感慨深いものがある。

R156 を一路岐阜方面に南下する。広い道路が川沿いを高速道路のように続く。10年後には高速道路が開通しているのかも知れないことを考えると日本中の自然が、欲望や身勝手だけで節度なく開発されていいものかと思う。利害だけで人が都会に住み、既得権の様に水を使ったのがこの有り様である。都会は田舎を蔑み、自分達の住む都会がパラダイスのように思っていた部分がなかったか。自然に囲まれ自然と共存していく知恵を持つ文化を軽んじてはいけない。いつか今年の水不足以上に罰を食らうだろう。

台風が九州に向かって接近中のせいで西日本の太平洋側は不安定な天気が続いているらしく、スコールのような雨が三重県南部を見舞っている。四日市あたりから例外なく私もスコールに迎えてられてしまった。シャワーを浴びせてくれるならヘルメットを脱いでからにして欲しい。

ほぼ予定時間通り、21:45松阪着。走行距離576Km 

[8/6-8/11]あとがき

今回のツーリングでは、湧水は命の水であった。灼熱の国道を走って、もうこれ以上暑い国道を走るのは嫌だと思う。今までに前例のない暑さだったのではないだろうか。久しぶりに行ってみて思うに、東北はやはり広かった。とても青森や盛岡などには到達できないし目指せない。内陸部ではバイクの姿は少なかった。みんなが北海道に向けて走って行ってしまうからだろうか。それとも高速道路を一気走りしてしまうのだろうか。日本海側には高速道路がないこともあってかたくさんピースを交わした。秋に行くのが一番いいのかも知れないが、秋休みは長くても5日程度だからほとんど不可能だ。電車で行くしかないか。そうなると、ゴールデン・ウィークに行ってみるか。まだ寒いかな。この夏の旅は、若い頃の自分に戻った様な感じであった。未知の場所を走ることに生きがいを感じている。(実は未知ばかりではなかったが)しかし、体力の衰えと無鉄砲さの消失に、もう若くはないことを知らされる。帰ってから手の痛みや握力の低下で顔も洗えなかった。靴ずれするし、日焼けはするし、悲惨であった。何も良いことがなかった旅でもひとりになれて走り回れたことが大きな充実感をもたらしているのだろうか。



支出表 


=
8/6
・110・冷飲料(350cc)
・100・ 〃(500cc)
・1030・鳥羽ー伊良湖(旅客)
・1230・鳥羽ー伊良湖(バイク)
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小計・2470・走行距離361Km・(1788)・ガソリン(14.3㍑) 山梨県長坂町
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8/7
110・アクエリアス・220
・ 〃 ボトル(1.0リットル)
・100・コンビニのおにぎり(1ケ)
・100・ジュース(350cc) 
--------------------------------------------
小計・530・走行距離489Km・(1764)・ガソリン(14.0㍑) 新潟県守門村
=============================================
8/8
220・冷飲料(2ケ)
・500・喜多方ラーメン     
・780・エンジオイル      
--------------------------------------------
小計・1500・走行距離211Km福島県・(1543)・ガソリン(13.3㍑) 伊達郡川俣町
=============================================
8/9
100・冷飲料(500cc)
・100・ 〃
・300
・山寺拝観料
・460・ビール
・620・夕飯一式
--------------------------------------------
小計・1580・走行距離216Km
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8/10
1140・鳥海有料道路
・100・冷飲料(500cc)
・100・〃
・1990・夕食買出(酒類含む)
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小計・3330
・走行距離409Km 
・(1863)・ガソリン(15.4㍑) 山形県遊佐町
・(6600)・ワシントンホテル/三条燕      
=============================================
8/11
・230・コンビニのおにぎり(2ケ)
・100・冷飲料(500cc)
・1000・大盛り蕎麦
・100・冷飲料(500cc)
--------------------------------------------
小計
・1430・走行距離576Km 
・(1659)・ガソリン(13.6㍑) 柏崎    
・(1769)・ガソリン(14.5㍑) 郡上郡   
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現金総計・\10840 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カード総計・(ガソリン・ホテル) \16986 
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
走行距離・     2261Km 
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


S君への礼状


前略、S様。先日は大変お世話になりありがとうございました。突然の訪問にもかかわらず手厚くお世話をいただき、心から感謝しております。また御家族の方々にも御迷惑をおかけしたかも知れず、申し訳ありませんでした。どうぞ、心意を皆様にもよろしくお伝え下さい。一方で、S君自身も旅の疲れが癒えていないうちに私が押し掛けましたため、予定があったかも知れないのに変更してもらったかも知れず、いくら"旅のわがまま"とはいえ勝手をしました事を後悔しております。さて、お世話になったおかげで精神、体力とも元気を取り戻し旅を続ける事ができ、8/11に無事わが家に帰ってまいりました。芭焦気取りで出掛けた旅でしたが、予想以上に暑い日が続き、心身ともにバテておりました。バイクに乗っている間は意外と食欲もなく食事を取りませんので、手厚い食事がとても嬉しくなりました。"何故、野宿か"を語れば長くなります。ただ、昔に読んだ「菜根譚」に「貪らざるを以って宝と為す」(不貪為宝)のくだりがあり深く感銘を受け、現代の社会の崩壊の根元を見るような気がし、自然人の生活をできる時はやってみようとしている訳です。単に貧乏とも云われますが。久しぶりに会ったS君は何も変わっていませんでした。歳は喰いますが、太りもせず、痩せもぜずですね。話し方までほとんど同じですから。高校時代の数学の先生が「歳、寄っても声は変わらないんだ…」と授業中に話をされていたのを思い出しました。早稲田文学部の学風を感じて久しぶりに若返った気がしました。昔一度、西門の所の居酒屋で飲んだ事がありましたね。私のような工学部出身の理屈ばかりを追いかけている仕事をしていますと、文学部の持つ優しさにひかれて行ってしまいます。考古学や文化人類学、中国古典などに逃避してみたくなります。芭焦を知らずして、芭焦を想像して奥の細道の旅に出た私は結局のところ現実逃避を繰り返しているに過ぎないのかも知れません。飯坂温泉を出て蔵王を通り、天童市郊外・山寺に辿り着きました。仙台で蕎麦を喰うつもりで出たのに急遽予定を変更しました。(落雷警報などの事もありまして)その後、鳥海山をめざし、日本海沿岸を走って南下し富山の利賀村で蕎麦を喰い家路につきました。東北には予想通りの優しさがありました。旅日記は8000字を越えると思いますが、お盆に書こうかと思っています。よろしかったら読んでやって下さい。残暑、まだまだ続くようですがお身体、ご自愛下さい。皆様にもよろしくお伝え下さいますように…かしこ

PS:機会があれば旅のついでに伊勢や京都にも来て下さい。案内しますから。
(1994.8.13 自宅にて)

『夢をさがしに/九州』('94・GW)

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『夢をさがしに/九州』('94・GW)

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★期間:1994年4月29日-5月5日

★場所:四国-九州

★バイク:GSX

∞はじめに∞

J君から手紙が届いたのは4月20日頃のことであった。(母校である上智大学の講師から)「鹿児島純心女子短期大学に助教授として着任することになりました」と書いてある。

奴のニタッと笑う顔が思い浮かぶ。「よし!ひとっ走りして会ってこようかな」と、私の決心が固まっていくのはそれからの一週間のことで、ツーリングマップの九州編を買いに行ったり、GSXのリアタイアを交換したりで休日は過ぎていく。Jの奴には葉書を一枚出して「GWには九州に旅に出て鹿児島に寄りますので…」と書いておいた。

旅の詳細計画は出発の前日になっても全然立っていない。「船の中で考えればいいだろう」と考えている。いつもほど胸をわくわくさせるようなこともない。GSXの不調が気になっており、修理しても直り切らないGSXの調子を確かめたい旅であるのかも知れない。来年('95)の夏の車検までの間でこのGSXでロングツーリングができるチャンスはそう多くはないだろうと考えると、少しでもツアラーとして走ってあげたい気持ちがあったことは確かだ。義務のような感じを持っていたかも知れないが、自分では説明できない。

とりあえず、和歌山から徳島に船で渡り四国を横切ってもう一度船で九州に渡ろうという荒技を考えている。

前夜、彩と約束をした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・(1)お饅頭のお土産を買ってくること

・(2)おもちゃを買ってあげること

・(3)お風呂で遊んであげること

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と紙に書いて、お父さんのサインをした。彩にとってのGWは京都に行って(従兄弟の)ちいちゃんと遊べることの方が楽しいので、簡単にお父さんのツーリングを許してくれた。

準備するものを忘れぬようにメモ用紙に書き込みながら雨対策のことを考えている。雨が一番心配だが、連休初日に晴れていたら出発と決めた。途中で降ったら仕方がない。お風呂の中から

「下着は5日分、家にある古くて棄てる奴を入れて、それから帽子と眼鏡も…」

と純子にメモを追加で頼んでいる。

さて、書き始める前にツアラーについて少し。旅の途中で何度も自問自答を繰り返しながら「何故に走るんだろうか」を考えた。(毎度のことであるが)答はあるようでないのかも知れない。「腰が痛くなって寝返りが打てなくなるのに走るの?」「博物館も庭園も見ないで、ただただ走り回ってくるのがそんなに楽しいの?」と聞かれそうだ。

バイクに乗る人をライダーと呼ぶがすべてがツアラーとは限らない。ツアラーである必要もない。私の場合はライダーというよりはツアラーだと思う。別にバイクでなくてもいいのかも知れない。

チャリダーになれるほど強靭(狂人)な精神力と体力があればそれに越したことがない。また、トホダーになるための根性があればトホダーでも良かった。しかし、軟弱だからライダーなのである。風を感じて走るという点では、ライダー/チャリダー/トホダーは仲間なんである。

旅とは何だろう。ライダーの旅人をツアラーと呼ぶならば、ツアラーはわがままで、自分流に感激したがる人が多い。色付き始めた道端の麦の穂をひとつ戴いてバックの地図の1ページに挟むことができるほどロマンチストでもあるのではないか。

海や山の匂いを感じて走る。雨にも打たれる。(バイクに乗らない人にはわかってもらえないかも知れない)自分のための自分だけの旅を求めているのだろうか。気まぐれで当てのない「さすらいの旅」に憧れるのだろうか。まだ見たことのない場所に行くだけならJRや車でもかまわないのだから。

不思議な魔力を手がかりに、もしかしたら見つけられるかも知れない、そんな夢をさがしに旅に出るのだと私は思う。

『夢の国への扉』なんて簡単に開くんだ。鼻歌混じりで出かけることにしよう。

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『夢をさがしに/九州』('94.4.29)

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∞'94.4.29∞

のんびりとした朝であった。出勤と同じ時刻に目を覚まし、前夜にまとめた荷物をバイクに積む。そうしている間に、彩は起きてきて私を見送ってくれる。子どもが寝ている間に、その寝顔に挨拶をしてから出かけるケースが多かっただけに、子供と言葉を交わしながら出発することに少し不安を持っていたが、それほど辛くはなかった。出発風景はまったくドラマチックではなく、いつもと同じように

「又電話するから」

と言って家を出た。9時半頃のことで、天気は快晴、暖かくて日差しがまぶしい。

一昨年の四国ツーリングで和歌山港から徳島までの船を使ってみて便利だった時の印象が強烈だったため、勘違いして記憶して松阪~和歌山は近いんだという思いこ込みを持っていた。いつもの様にR166をのんびり走り、高見峠を越えた。新道が開通してから初めて来る高見峠である。連なるカーブを60Km/h程度で快走する。新緑が湧き出るように目に飛び込んでくる。新しい道のせいだろう、車も幾分多いように思う。

お昼前に和歌山港に着いて夕方までには四国に行けるだろう、と考えていたのがとんだ勘違いであることに気がつき始めるのは、R166をそれて吉野の町に入ってからのことであった。R169~R370~R24と走るにつれて、思うように和歌山が近づいて来ない。交通量は驚くほどでもないが、時間はどんどんと過ぎていった。

忘れ物はなかったかな、と考えたときにハッと浮かんだ。

「バンダナ、忘れた」

ああっ思わず声に出してしまった。純子が買ってくれたバンダナを交通安全のお守りの代わりにしているだけに残念だ。和歌山市内で買えばいいか…と思いながらR24をひたすら西へと進んで行く。

12:15和歌山港着。次に出航するのは13:30の船であった。待っているバイクの数は30台程度だろうか。バイクの乗船は予約システムにはなっていないそうで、NO.5の番号札をもらってフェリー接岸壁で空きを待つ。心配なかれ、

「待てば海路の日和あり」である。13:30発のフェリーに乗れた。それほどウキウキしているわけではなく、約二時間ウトウトする間に小松島に入港、バイクはしんがりで下船となるため16時頃にやっと四国の地に降り立つことができた。感激はまだ沸き上がってこない。二度目であることと、今回は「九州」という大きな目標があるからだろう。

まだ走ったことのない道を走りたいと考えるのは、ほとんどのライダーの気持ちだと思う。R192を西に走って今日は何処まで行けるだろうか。「四国三郎」の名も冠す吉野川に沿ってR192は続いている。

「今夜のお宿はどうしましょ」といつものように独り言を呟きながらノロノロと西に走り続ける。

四国が目的地でないので剣山方面に伸びる国道や県道もそれほど気にならない。ちょうど貞光町の警察署の前で休憩となった。オイルの燃え具合を気にしてゲージを覗き込んで、なかなか走り出さない私を見てか、警察署の二階の窓から「○○○○さん」と呼ぶ声が聞こえた。「青年さん」と呼んだのだろうか。良く聞き取れなかったが、返事をしてハンサムな"小林薫"風の職員の人と話し込んでしまう。

ポリ「何処へ行くの?」

私「九州です」

ポリ「何処に泊まるの?」

私「決めてませんけど、公園とか、学校とか…」

ポリ「もう少し走ると愛媛県の川之江市という所まで行けますよ…」

バイクの調子が悪いことなど、聞かれてもいないのに私の方が喋りまくるから、最初は閉口気味だった警察の人も少しづつ話にのり始め、挨拶程度に交わした言葉から話は弾んでいく羽目になった。結局、長い休憩となった。17:00を過ぎている。「気をつけてね」と言い見送ってくれる警察の人にピースで別れた。

NAKAさん(中日ネット)が琴平のYHに泊まったというツーレポを書いていたのを数日前に読んでいたので、最悪の場合は琴平YHというのが頭にあって気分的に安心していたのだと思う。電話で空きを確認した後、R192からR32に進路を変更して池田町から猪ノ鼻峠[420m]を越えた。快適でごきげんな峠である。山の斜面に点在する民家の風景が絵になる。カメラを出して写真を撮ればよかったと思うのはいつも後のことで、一端走り始めると止まるのが億劫になる。「まあいいか」で済ませて後悔ばかりしている。

琴平町は「金比羅山」で有名な街である。小さな街の参道だけが独特の賑わいを持っている。琴平着は19時半頃。琴平YHは参道の石段の付け根付近にあり、割とオンボロで、歳をとった夫婦でやっている。中国の研修生の団体が泊まっていて一般客は少なかった。バイクも5台ほどである。トイレも綺麗とはお世辞にもいえない。

食事のために20時過ぎに街へ出た。少し時間が遅くなっていたこともあって、店は閉店し始めていたというよりほとんど閉まっていた。参道の街灯もお愛想程度の明かりである。暗くなったらお客さん(参拝客)は来ないので営業は終了らしい。一軒だけ路地裏で開けていたうどん屋に入って『てんぷらうどん』を注文した。

店の中を、どんぶりを持って往来するオヤジさんが

「テレビをつけて阪神-巨人戦にしてくれ」

と私に無愛想に言う。

「どっちが勝ってる?」

と聞く。

何てオヤジだ。お客を使うとは…。さらにオヤジは出来上がったうどんを運んで来てお客に

「夏目溂石が松山に先生として来た時に友人に手紙を書いたんだ。その時の手紙に出てくるのがこの『八幡浜』の蒲鉾だよ」

うどんに入っている蒲鉾を指さし、食べているお客に講義をしている。こういう講釈はバカバカしくて面白く、嫌いでない私は、ニタニタしながら隣で聞いていたに違いない。講義を受けている若いアベックも相づちを打っている。

店の外観や食卓まわりの雑然さとは反対にうどんの味は旨い。値段は\600である。『ざるうどん』なら\300である。コシのあるうどんに鰹だしで関西風の味である。オヤジさんが作ってくれているのを見ていたら決して衛生的には見えない(思えない)ところもあったが、味は旨かった。

YHに戻って蚊のいる部屋で缶ビールを飲みながら同宿者と話をしていたら、偶然、その店で食べたという人と一緒になり、うどんの話になった。「立ち喰いかと思った」と言う。

「「屋島」で海を見ていたら感激してね。何でもない景色なんですが…来て良かったと思いました」

と語る若者の言葉に、彼の旅人としての気持ちが理解できる。

YHに泊まっている人達2~3人と話すうちに明日の計画を変更しようかという迷いが生じる。しかし、「北四国」には再度来ることにして「明日は九州だ!」と心に誓いながら眠っていった。本日の走行距離:223Km

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『夢をさがしに/九州』('94.4.30)

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∞'94.4.30∞

琴平YHを出発したのは9時半頃である。今日は移動日で、九州上陸を果たすのだ!という気合いが朝になって出てきている。高松界隈や屋島を回って帰ろうという軟弱な気は失せている。私を元気づけるように晴れ上がってくれた。GSXは、やはりオイルを少しづつ食っている様子で、200cc程のエンジンオイルを補給してから出発した。

R377を南西に向かって走り途中からR11に合流する。『こいのぼり』がちょうど良い具合に風に吹かれている。風速2~5m/sといったところか。この地方の『こいのぼり』は、一本の支柱にアルファベットの『F』の字のようになびかせるのではなく、カタカナの『イ』の字の『ノ』の部分に垂直にぶら下げてある。推測するに、どうもこの地方では風が強く吹かないためにされた工夫ではないだろうか。たくさんぶら下げて見栄(?)を張るのは何処の地方でも同じ風習で、快晴の空の下で気持ち良さそうに泳いでいる。

新居浜市から松山市までは定期便のトラックの姿も多く、排気煙の中を淡々と走り続けなくてはならない。小松町から松山市へ途中にある「桜三里」の桜並木の街道を通って松山市方面に向かう。(四国を地図で見て下さい)北側の窪んだところを通過してきた訳で、GWだから仕方がないにしても、道は混雑している。渋滞は嫌だ。

松山市郊外で少し県道を走って市街をパスし伊予町からR378に入る。瀬戸内海の穏やかな海を右手に見ながらシーサイドラインを快適に走る。R378は車も少ない。久々に海の匂いを感じた。ついついアップテンポな16ビートのリズムが鼻をついて飛び出す。店が乱立するわけでもなく観光化されているわけでもない快適な道が続いた。

ごぜが峠[320m]の上りは一車線のタイトコーナーの連続である。今回訪ねようとしているJ君が高校時代に自転車でこの峠を内陸側(南側)から越えた時の話を大学一年の時にしていたのが印象的だったから、こだわって私はこの道を選んだ。桧林の合間から瀬戸内海が見える。漁船が幾つも浮かんでいる。貨物船も見える。

峠を上り始めると、海の匂いから木の匂いに変わった。峠を越えて南向きの斜面に差し掛かったら蜜柑(みかん)の林が一面に広がり始める。温室栽培もおこなっているようである。

ツアラーとはそんな自分だけの感激を求めてこだわりの旅を続けているのだなんて独り言を言いながら一気に300mを上がっていく。昨日の猪の鼻峠に続いて、今日のごぜが峠は嬉しく楽しい峠である。また来たい。

国道がR378からR197に変わるとそこは佐多岬「メロディーライン」である。道幅も広くなり高速コーナーが続く。伊方原発をチラリと見ながら先端の港町、三崎町を目指す。汗ばむような陽気である。道端の畑には煙草の葉(だろうか?)が栽培されている。じゃがいもやえんどうの花も風に揺れている。他にも初夏の花がたくさん咲いているが、名前を知らないのが残念である。メロディーラインというよりはフラワーラインと呼ぶ方がふさわしいように思う。

佐多岬から佐賀関までは約一時間である。穏やかな豊後水道を揺れることなく船は進んでいく。

「さて、今夜は湯布院あたりで寝ることにしましょうか」

と一人でぶつぶつ言いながら別府市内を通り抜けた。別府の「地獄めぐり」はパス。10年前のこのGWに純子と訪ねている。純子と来た九州をひとつひとつ確かめて、今、私はツーリングを楽しもうとしている。

別府市街から鶴見岳の山並へと一気に駆け上がって湯布院側へ出るとやっと九州らしい景色に出会う。やっぱし火山の国であった。納得できる景色である。狭霧台からの由布岳(豊後富士[1854m])と湯布院の温泉街の眺めは格別である。止めたバイクのエンジンを簡単にかける気にはなれず、寝る場所も決まらないのに凄い余裕である。

若いアベックにシャッターを頼まれて、その後、少し話をした。

「私たちキャンプなんです。この先キャンプ場ありましたよね」

と言って仲良く寄り添っている。いいなあ、若いってことは…。

峠から湯布院の駅まで降りて、共同浴場とテントを張れる場所をさがしたが、駅にはヤンキーの兄やんがいてテントを張るとかベンチで寝るとかは不可能と判断。「やまなみハイウェイ」の途中にキャンプ場がたくさんあると街の中で教わり、そちらに行くことにして仕方なく湯布院は諦めた。やはり、悔しい。

もう19:00をすでに回っている。やまなみハイウェイの有料道路のゲートが無人になっていることに期待をして阿蘇山系に入ることにした。目指すは長者原キャンプ場である。料金所ゲートには残念ながらおじさんがいた。

「ここで料金を払うんですか」

ときいたら

「そのための料金所です」

だって。日本語の通じない人だ。

長者原が近づくと硫黄の匂いが鼻をつく。九住山[1787m]の山肌から煙が吹き出している様子が見える。レストハウスの前の駐車場にバイクをゆっくり入れると尾張小牧ナンバーのZ900氏と視線があった。傍らにバイクを止めて話しかけたら、この駐車場にテントを張るつもりだという。「良い方法だね、二人の方が心強い」などと話しをしている間に日はすっかり暮れて星が瞬き始めた。

ワンボックスのバンを家にしているおじさんに話掛けられた。「筋湯というところがあってそこはイイお湯」とか「ここにテントを張ると係員が追い払いに来るが遅くなら大丈夫」とか、いろいろ話して車に戻って行った。

「やまなみハイウェイ」を上っていくバイクのライトが宵闇に映える。排気音(エキゾーストノート)が山にこだましているのが聞こえてくる。無上な寂寥感に襲われる。この溢れる人の中で不思議なほどにそれを感じながら、一方で、九州に来たんだなという感慨が少しづつ満ちてくるのがわかる。

Z900氏との話しは早々に切り上げてテントへは21時頃に潜り込んだ。駐車場のまわりでバーベキューをする人達は、まだ賑やかである。彼らはどこで寝るのだろうかと思いながらテントの中でぼんやりしたり、蝋燭ランタンの灯火で地図を見たりしている。まわりの人達はどうやら車の中で寝るらしい。深夜、遅くまで車の音が消えない中で(駐車場だから仕方がないが)一日に疲れがすっ~と引いていく。(しかし、地面に寝るより布団に寝る方がいいに決まっている!)

そうだ!今日は食事も取っていない。非常食は…カロリーメイトが二切れ。しかも賞味期限が一年以上もオーバーである。とりあえず寝よう。

「わあ、流れ星!!」

若い女の子の声が聞こえてくる。風も少し出てやや冷え込む様子だが寒くはなく、安堵感とともに次第に眠りは深くなっていく。

本日の走行距離:332Km

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『夢をさがしに/九州』('94.5.1)

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∞'94.5.1∞

深夜になって風が出てきている様子で、眼が覚めた。3時頃だった。月が出ている。月齢で16、17ってところだろう。九住山[1787m]の方向に輪郭をぼんやり滲ませながら出ている。雲もなく風はやや弱い。テントから出した顔に外気がツンと冷たくテントに流れ込むのがわかる。もう一度シュラフに潜り込んで寝てしまった。

野営場の朝は早い。長者原は有料道路の途中なので、早朝から車の音がやかましく、5時頃には眼が覚めてしまい、テントは6時過ぎに撤収した。昨日は食事なしだったため朝から腹が減って仕方なく、カロリーメイトを二切れ食べた。結構いける。癖になりそうだ。

牧ノ戸峠[1230m]を7時頃に越えて瀬ノ本高原に出た。「やまなみハイウェイ」に必要以上に料金を払うのは嫌なので黒川温泉方向にR442を降りることにした。

途中に「瀬ノ本YH」の看板があり、立ち寄って--九州のYHの一覧を頂けませんか?とお願いしたら一冊のガイドブックをくれた。これは非常にありがたかった。さらに--温泉ありませんか?と尋ねたら--黒川温泉があります少し下って温泉街に入って温泉組合の事務所の所を降りていくと共同風呂がありますよと教えてくれた。強く薦められたわけでもなかったので期待はしていなかったが、昨晩に風呂に入れなかったのでとにかくひと風呂浴びることにした。

黒川温泉は静かな山間の温泉である。特に大きなホテルがあるわけではなく、湯煙がたち昇っている様子もない。露店風呂のはしごを楽しんでいる連れ合い同志が下駄の音を狭い谷間に響かせて歩いている。浴衣姿が爽やかである。その点、私はむさ苦しい。革を着てくるべきではなかったかと後悔するが今更始まらない。少し靴づれをし始めたのを我慢して共同浴場へと向かった。贅沢にも朝風呂である。

共同浴場は地元の人達のために作られた銭湯形式のもので、旅人には\150(地元民はタダの様だ)で開放してくれている。囲いがなければ只の池の様な雰囲気である。お湯の方は最高に素晴らしく、アルカリ性の単純泉の部類だろう、少しヌルッとしていて肌にも優しそうだ。浴場には鍵はなくシャワーもない。石鹸も当然ない。浴槽のお湯が上湯と下湯に分けてあるのは、掛かり湯は上湯を使い、浸かるのは下湯に行くよう配慮がされているのだろう。タオルしかない私は、石鹸なしで身体を洗い流した。顔や首を洗うタオルが真っ黒になっていく。排気ガスやほこりで意外と汚れたみたい。

共同浴場から上がってきたら温泉組合の売店事務所を開けてちょうど職員の人が掃除をしていた。革を着ると汗が吹き出すのでTシャツのまま売店内のベンチで休憩をさて戴くことにした。3つの露店風呂がハシゴできる「露店風呂温泉手形」というのがあって、\1200である。少しの休憩の間だけでも何人かがチケットを買って行ったのをみて私も行きたかったが、諦めた。\1200はまあまあの値段だが。

「コーヒー:\100」と書いてコーヒーメーカーの横の手作り貯金箱に貼ってある。無性に飲んでみたくなって、休憩がさらに長引いてしまう。気持ち良い風が窓から吹き込む。今日はのんびりと走ることにしよう。

黒川温泉を出て満願寺温泉の街を通ってR212に出た。R212は、北九州から阿蘇山カルデラの内までくる国道のひとつである。観光の車がさすがに多く、世間はGWなのだなと実感する。阿蘇の外輪山は山というには大きすぎて、頂上付近は大地と表現した方が正しいかもしれない。火山岩の上に、少しではあるが堆積した土があり、植物は乏しい。ブナの林が新芽を吹き出し林となり、そのまわりの高原には放牧の牛の姿も見える。車を止めて山菜(ワラビだろう)を採っている人の姿が目立つようになってきた。高速道路のような道の脇に車を駐車しているのは危ない。

阿蘇の外輪山を越えるところ、峠の頂上付近でR212は「ミルクロード」と交差をする。「ミルクロード」は、外輪山の上を線で結んで200度以上ぐるりと回る快適な広域農道である。R212との交差点から少し右に回ったところに大観峰の展望台があり、ここからカルデラへは急斜面になっていて、崖っぷちの下の街が一望できる。ミルクを飲んで朝食にしようと考えていたので、大観峰の駐車場で早速飲んだ。\200は高いと思うし、普通のミルクで特に旨くはなかった。

今日の予定はゆっくり走ることで、どこに行くかはまだ決めていなかったが、阿蘇の「ミルクロード」をのんびりと楽しむつもりである。心に余裕があるのがよくわかる。

駐車場でぼんやりしていて気が付いた。あれれ、左手袋(グローブ)の中指と薬指が擦れ合って孔が開いている。手入れが悪いのも理由だろうが、先日から豆ができる時のように擦れて痛かったのが原因らしい。それほど使わなかったのに残念である。

しょげていたら、なにわナンバーのCBR250の可愛い子が隣にバイクを止めた。

「大阪からにしては荷物が少ないけど…」

と話しかけた。

「違うんです。今は北九州、柳川って知ってます?あそこにいるの。大阪に5年いて今年の2月に実家に帰ったの」

アルバイターなのかと聞いたら違うという。本物のプーだという。

「ライダーはわがままで他人と一緒に走ると意見が合わない時があり、だからみんな一人で走っているのですよ…」

と口癖を呟いてしまう。会った人にはいつもそんな話をしてしまうが、そんな私の話に相づちを打ってくれる彼女も何の目的もなくブラリ出てきた様子である。

景色もろくに眺めないで、出会った彼女と草むらに座り込んで話をしているのが心地よい。サラサラに乾いた土がお尻に付着するのを払いながら、立ったり座ったりで時間は過ぎていく。石野陽子の様な雰囲気の子で、意識をしてかどうかは不明だが、なびく髪を手で後ろにかき上げている仕草が似ている。北九州からだと日帰りの距離だと彼女は言う。あれれ、話は2時間近く続いた。

さてさて、いい加減で走り始めないと、この子に恋をしてしまいそうだ。

「じゃあ行きます。」

…どこかで、また…

『どこかで、また…』は、動き出しているエンジンの音で聞こえなかっただろう。"また、会えること"など有り得ないのだが、私はそう言いたかったのである。彼女にとっては、どうでもいい言葉であっても、私はそう言いたかった。

ライダーは走り続けなくてはならない。これは宿命である。別れとはこういうものだ。旅を続けよう。

「ミルクロード」を右まわりに、外輪山の南東方向へとバイクを走らせる。途中、「やまなみハイウェイ」と「ミルクロード」が交錯するするところに城山展望所がある。ここでミルクをまた飲んでみた。こちらは旨い。景気のイイ売店のおばちゃんに薦められたのが理由だが、かけ声は嘘ではなく本当に旨かった。彼女が言うには「やまなみハイウェイ」は6/22から無料になるらしい。みんなに教えてあげなくては・・・

10年前のこの季節に純子と来た道のりは阿蘇の温泉街からこの城山展望所を越えて「やまなみハイウェイ」を走って別府に辿り着いた。雨の中を走って寒かったのを思い出す。R57~R265を走って高森峠を目指す。途中、根子(猫)岳を眺めながら清室坂[900m]、箱石峠[870m]を越え、ぐるりと回って高森の街中の「らくだ山公園」らしい一角にある蕎麦屋で昼食を取った。国道沿いに大きな芝生広場がある。テントを張るには絶好だなと思いながらここでGSXにオイルを補給してやる。京都から来たZZRの男性と少し話をした。それぞれの人がそれぞれの走りを楽しんでいる。快晴に恵まれて誰に感謝をすればいいのだろうか。阿蘇を離れて少し南に行ったところに宿を取ろうと考えていたら、彼が市房YHの話をしてくれた。温泉付きYH。ここに決めようと思った。彼は、3日後くらいに市房YHに泊まるという。すれ違いか…。

高森峠の手前で電話をして道も確認した。あと150Kmほど走らなくてはならないという。なかなか険しい峠を越えなくてはならず、国見峠というらしい。

R265を五ヶ瀬町まで走ってコンビニで1.5㍑ボトルのアクエリアスを買った。すっかりアルカリイオン飲料水が定着して、とうとうボトルで買ってしまった。荷物の上に縛り付けて、さあ、国見峠[1130m]にアタックである。

バイクに乗り始めると食事を取ることが少なくなるので、せめて水分だけでもと思って定着したのがこの方法だ。カロリーメイトは売っていなかった。

国見峠[1130m]は、四国の剣山を南北に越えた時の道よりもまだ険しい。権兵衛峠(木曾)や天生峠(奥飛騨)を連想する。しかし、実際にはもっと険しい。初めて越える時は一層そう感じると思うが。チャリダーを一人追い抜いた。今日中に彼は峠を越えられるのだろうか…と思うほど上り下りが厳しい一車線の国道である。おお、これが三級国道の楽しみよ…と独り言も尽きない。飛行機の着陸時に見えるくらいの高さで眼下に上って来る車が見える。ガードレールがないから余計に恐い。私は高いところが(恐いから)嫌いなんだ!!

椎葉村は、九州中央山地のやや南寄りの山深い村である。日向市に行くにしてもクネクネの国道を2時間以上も走らねばならないだろう。椎葉村から人吉方面へはもうひとつ分水嶺を越えなくてはならない。しかし、この椎葉村でミスコースを2度続けてやってしまった。

1回目は国見峠をほぼ下り終わった頃(2時間ほどかかる峠道を走り終わってほっとした瞬間)「内の八重林道」に迷い込んでしまった。分岐点を間違えているのを知らずに、山に入って行く。道は狭くなり、やがてダートになった。あわや遭難か!というところを林道入口にいたトレール氏軍団に道を尋ねて命拾いとなる。もうひとつは椎葉から湯山方面へ行くもうひとつの峠、飯干峠[1050m]を迂回し「林道大河内-桑の木線」を、地元のオヤジさんの誘導で越えたまでは良かったが、湯山方面への分岐点(大河内)での判断ミスがあったためだ。(昭文社:二輪車九州ツーリングマップ115p参照)

大河内の交差点からしばらく走ると、地図から想像する雰囲気と少し違うことに気が付き始め、やがて西米良村に抜けてしまった。もう随分と谷を下っていたので引き返す気にはなれなかった。湯山に行くのを諦めて日向に行こうかとも思ったが、ここは九州でも指折り深い山の中である。どこに行くにも時間がかかるので、仕方ないから走ることにした。

一瞬の判断とは不思議である。もしもこの時、日向に向かっていたら…、旅の後半はまったく違ったものになっていただろう。

あの時(大河内の交差点で)対向してきた人を信じないで、もう一度地図を確認していたらミスコースはなかった。対向の人は、自分の来た道が遠回りのミスであったのを知らずに私に教えてくれた。また、九州ツーリングマップの国道表示に、R338がR446と誤記されていたのも原因である。現在位置の確認を怠ったことと、国道が見つからず発言を信じてしまったことを反省する。

少し遠回りをしたが何とか湯山温泉に19時頃着くことができた。日本一の桜の名所とあるだけに桜の木が多い。新芽が吹き出して青々としている。温泉街であるのに湯の香りは漂わない。大河内の林道を越えるときに硫黄のような匂いがしてきたので、湯山温泉から風に乗って匂っているのかと思っていたのだが…。

湯山温泉(湯前町)の街の中にある市房YHに着いて、バイクはこっちよ…と誘導を受ける際に--(夕飯を買いに)まだスーパーに行きたいのでと言ったら--この街にそんなものはない!と笑われた。しかし、夕飯を作ってくれるという。家を出て以来、米を食べていない。YH利用は食事抜きと決めていたのだが、たまには宿の夕飯を食べてみるのもいいもので、峠が険しかっただけに旨い。それほどご馳走ではなかったが…。

ビールを許しているYHは多く、ここも例外ではなかった。

一日の記憶を消滅させられそうな、ほのかな酔いが襲ってくる。忘れたくない大事なことは身体が憶えているだろう…とつまらないことを考えながら、走りの疲れを癒していく。

元湯温泉という温泉センターがすぐ近くにあって\300。ここの風呂も黒川温泉とよく似た泉質で、すべすべの肌になる。うたせ湯もあった。YHのロビーでは久しぶりにくつろげて、神戸から来た50歳代(?)のご婦人と話し込んでしまう。旅には思い入れがあって、他人が見ても何の変哲もない景色や詩碑などで感激し、立ち止まってしまう話をしたら共感してくれて、うっすら感涙のご様子である。こちらも『熱く』なりやすいタイプなので、ついつい饒舌になってしまう。

旅人達が純粋なのではなく、旅に出てくると純粋になるのではないだろうか。純粋な気持ちには、薬(アルコール)によって得る『作られた酔い』よりも遥かに勝るものがあって、それがツアラーを引きつけているのかも知れない。市房山[1772m]に登る予定だと彼女は言う。キリシマ・ツクシ・ツツジ(?)というツツジが自生していて、魅力的な山(女性百名山/九州百名山)だそうである。

コンビニでアクエリアスを買った五ヶ瀬の街から、自転車で国見峠を越えてきた若者(チャリダー)と同室になった。この旅は国見峠を越えるためにやってきたようなものだと、彼は自分自身の旅を振り返っている。

全国の峠を幾つも越えているうちにどこかで出会ったような峠に、また出会うことも珍しくはない。しかし、似ているということは違うということである。「風の香りが違う、何かが違う」としか表現できない。しかし言葉ではなく、肌で感じたもので彼らとは共感できていると感じながら眠りに落ちていく。

旅とは、損得を振り返るものではなく、「どれだけ燃えたか」なのだろうか。本日の走行距離:257Km

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『夢をさがしに/九州』('94.5.2)

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∞'94.5.2∞

市房YHでみんなが朝食を取っている頃、ロビーで地図を見て今日のコースを考えていた。朝が早い割にはYHの連中はみんな出かけるのが遅いと思う。ぼんやりしていると幾人かの人がソファーに座って話をする形になった。--何処に行くのですか…--何処から来たのですか名前を尋ねるよりも重要な挨拶のひとつである。大阪から来ている「ハーレーダビッドソン」に跨る女の子。阿蘇の南を横断して今日は高千穂に行くという。一方で、多くの人達は鹿児島や桜島を目指すという。

--指宿温泉の砂むしに行ってみたかったけれど--指宿YHが取れなかったと言う女性。

旅はスリリングは方がいいに決まっている。ドラスティックな旅を続けたいと願っている。あとで考えたら「なあ~んだ」で終わってもいいから、その時々を精一杯にはしゃぎ回ってその場を満喫したいと、誰もが思っているだろう。「セナが死んだ」という話もここで初めて聞いた。バイク談義に花が咲く中で、ぼんやりとしているのが心地よい。朝のまどろみを味わっているようだ。

お天気が下り坂だそうですがなんて言っても--へぇ~、そうなんですかの返事を返してくれた群馬県から来ているR1Z子ちゃん。そうだ、私もこの子達のように「楽天家(オプティミスト)」にならなければいけないのだな、と感じる。

「お母さんには友達と出かけるって言ってきたんです。その子も、もうすぐ飛騨高山に出かけるし…」

ちょっぴり不良っぽく、ふと、女らしく…。

R1Zというバイクは浜松の"ひまじん"さんのご愛用のバイクで、名前は知っていたが実物をゆっくり眺めたのは初めてである。バイクに乗っている人で私ほどバイクのことを知らない奴も珍しいのではないかな、と苦笑してしまう。

出かけ前に尾張小牧のTW200氏に中日ネットを宣伝しておいた。もうすぐモデムを買うそうで、期待ができる。

あまりみんなと仲良くなって、情が移って走るのをやめてしまうのを私は恐れている。しかし、何を理由に走り続けなくてはならないのだろうか、という反問も浮かんでくる。

ハーレー嬢のマシンはピンクのカラーリングで、タンクにはボカシの絵が入れてある。人吉インターの手前までご一緒してみて初めて気が付いたが、ボディもヘルメットも靴も眼鏡の紐も、みんなピンクを入れてデザインしてある。すっごいおしゃれなバイクである。だた、バタバタとやかましいのが難点である。こんな威勢のいいバイクからこんな可愛いギャルが出てくるなんて、なんて刺激的であろうか。それだけで楽しくなってしまう。

曲がるのが難しいらしい。YHの出口の下り坂の急カーブをうまく曲がれるかどうかを彼女は心配している。「転けたらみんなで万歳をしたげる」なんて冗談の飛び交う中、栃木ナンバーのZ750氏と私の3台で山を下ることになった。Z750氏はR445に出るので…と言って途中で県道に消えて行った。人吉インターの少し手前で彼女と手を振って別れた。

北へ向かう人と南へ向かう人、行きずりの旅人同志は楽天家でないと、やはり旅は続けられそうにない。

人吉からループ橋を通り堀切峠[730m]を越えると、えびの高原が眼前に見える。R212はトラックや乗用車の多い幹線道路だ。えびの市街を通り抜けたら、えびの高原へと県道を上っていく。純子と来た10年前は反対側からで、雨の次の日で晴天に恵まれた気持ちのいい朝だったと記憶する。朝早く阿蘇方面へと向かって走った。記憶とは儚いものである。懐かしんでばかりもいられない。

この旅で出会った人は、関西・関東・東海の順に多い。今朝、話した人で、大阪からトレール(BAJA)で来ていた若い男性は指宿温泉へ、R1Zの彼女は桜島に泊まるという。少し話しをた彼女ともう会えないのかも知れないと思うと何だか寂しい。しかし、会えなくて当たり前でそれが普通のツーリングとも思う。自分の心は欺けない。寂しがっているのがありありとわかる。前に行ってしまったのか、まだ後ろにいるのかさえもわからない。R1Zのことで頭がいっぱいのまま走っている。

えびの高原の駐車場でバイクを止めてもソワソワしている。上りがやや渋滞したせいもあってエンジンはオーバーヒート気味である。水温計の針が半分を越えて上がって、ファンのかき出すラジエターの熱い風が足元に吹き出す。

えびの高原からは、霧島スカイラインを下ってR223を走り、県道に乗り換えて鹿児島空港のすぐ横を通って加治木町に出た。鹿児島湾の一番北側を思い浮かべてもらえばいい。桜島の頂上付近は噴煙のせいで雲がかかっているように見える。予想外でもあり当たり前でもあるが、鹿児島市内までのR10では、この噴煙のおかげで身体中に灰をかぶり悩まされ続けた。

南国だから熱い(暑い)のか、晴天だからかは判断不可である。とにかく暑い。市内に入っても汗が吹き出てくる。砂煙が身体の中入るのを嫌がってつなぎのチャックを目一杯上げていたのが余計にこたえた。

指宿温泉に行ってみようと考えていたので鹿児島市内の観光はパスしてもっぱら先を急いだ。途中のオートバックスでエンジンオイルの1.0㍑缶を買って、これで安心だ。アクセルひと捻りで煙が黙々と出るけれど、何とかこの旅は行けそうだという安心から少しアクセルも開け気味になっている。(7000RPMオーバーで急に煙が増える)

「カラオケのレパートリーは全部うたってしまって」なんていう冗談を(事実を)言うと、みんながうなずきあってくれる。ソロで走るライダー達は、孤独をそれなりに楽しんでいる。

R1Zの彼女のことが時々思い浮かぶ。今夜また、会えるだろうか。又会ったからといって一緒に走るわけでもないし、名前を聞くわけでもないが、ソロをしばらく続けていると、知っている人に会うのは嬉しいものである。

ピースサインを出すのもそのひとつの表れかも知れない。道ですれ違うごとに聞こえはしないが、「貴方もソロですか」とか「馬鹿だね、貴方も、バイクなんか乗ってさ」なんて呟いている。

彼女にもう会えないかも知れないと思うと、やり場のない寂しさがこみ上げてくるような気がした。

指宿駅前で話したチャリダー君が、長崎鼻のキャンプ場のことを教えてくれた。水もトイレもあり、綺麗な芝生でテントも張れて無料だそうだ。しかし、天気が怪しいので(?)結局、桜島YHに行こうと決め始めている。(R1Z子ちゃんに会いたいから?)

桜島YHに彼女は来ているだろうか。市房YHを出て以来、追い越したり追い越されたりしてないし、いったい何処に行ってしまったのだろう。

指宿の温泉街に着いても彼女のことが気にかかり、見物や散歩などをするわけでもなく、「砂むし」の様子を堤防からしばらく眺めていたが、また走り始めることにした。桜島YHに電話を入れて予約を取ったあと、M君を訪ねて知覧へ行くことにした。彼は東京の同僚で紆余曲折の後、久留米医大を出て何処かで医者をしているはずと聞いている。GWということもあって、もしかしたら実家に居るかも知れない。訪ねてみよう。

開聞岳を見ながらR226を走り、池田湖畔で小休止をした。でっかい鰻(うなぎ)がいるということだが、知覧を回って帰るならばちょうど良い時間であったので、それほどゆっくりとするつもりもない。道端の綺麗な花畑をじっくりと散歩するでもなく知覧へと急ごうとしたが、ガソリンスタンドで道を尋ねたら指宿スカイラインを走らなくては行けないという。即断で諦めて鹿児島市内を目指して、さっき来たR226を北上し始めた。

コンビニでポカリの1.5㍑ボトルとパンを買って食事とした。16時頃である。尾張小牧ナンバーのDT氏とコンビニの前で地面に座って話をした。桜島が見えるから余裕である。「雨の日のテントは、撤収するのが嫌ですよね」などと他愛もない話で意気投合してしまう。「DT」の文字が剥がれてしまって、少し汚れているのが旅の勲章のようにも見える。往路は高速道路で来てサービスエリアでテントを張ったそうである。DTで高速道路を九州まで走ってくるには根性が必要だろうな。

「じゃあ、お先に」

と言ってその場を失礼した。桜島に渡る前にJ君に電話を入れたいと考えていたらフェリー乗り場の看板があったので切符を買った。乗船場に行ったら2分後に出るという。電話をしようと思っていたが、まあいいか、島からしよう…というわけで、ほっと一息。

ところが、乗り込んだフェリーは桜島からどんどん離れていく様子である。あれれ。乗り合わせた人に聞いたら、「垂水港行き」だという。大ボケミス。とんだおまけ付きで、約20Km程、シーサイドラインを走って桜島に戻ることになった。

桜島周遊道路(溶岩道路)の途中で薩摩白波の2合ボトルを買い込みYHに到着となった。ライトを点灯しなくてはならないほどの時刻であったので、19時は過ぎていただろう。30台以上のバイクが止まっている。

ここは公営YHで、係りの人はメッチャ愛相が悪い。建屋の一階に駐車場があり、雨露が凌げるから、「明日は雨降り」の予想には優しいYHであり、愛相の悪さは我慢するべきか。値段も安いのはありがたい。素泊まりで\1950だった。

群馬ナンバーのR1Zが止まっている。

「彼女、来たのか…何処に行っていたんだろう」

そうつぶやきながら階段を昇った。

「わぁ~いたぁ~何処に行っていたの?」

思わずそう言ってしまった。旧友との再会というより、初恋の人に出会ったときのような衝撃である。彼女に捧げるのにドラマチックでキザな台詞(せりふ)をたくさん用意していたのに…。

荷物を部屋に置いて、風呂を浴びてロビーに来て、J君に電話を掛けた。留守番電話だった。

「今、桜島に居ます。帰ったら手紙を書きます」

とメッセージ?を伝えるしかできずに電話は切った。ごぜが峠の話もしたかったのに…。留守番電話は味気ないな。歌でも披露してやるのが面白かったかな。結婚式に行った時は貧乏していたけれど、リッチになったのかも知れないな。電話を切った後、意外と簡単に彼のことは忘れていってしまった。

電話が終わって、まわりを見渡しても彼女は居なかった。煙草を買おうと思って係りの人に尋ねても冷たく「自動販売機はありません」と言うだけである。ああ腹立つなあ。ロビーで煙草を吸っていた女の子にせびったら、快くどうぞといってくれた。何本か恵んでもらいながら他愛ない話をした。

明日の天気が怪しい。「午前中が40%、午後はそれ以上」と誰かが遠くで話しているのが聞こえる。東京から飛行機で鹿児島空港に降りてすぐ桜島に来たという子は、まだ明日以降の予定を立てていないという。

「桜島って本当に(写真のように)岩がゴツゴツしているんですか?」

なんて言っている。可愛い子である。ツアーで来るのが嫌なんだろう、きっと。ここにはそういう風に枠にはめられるのを嫌がって独自性を望む人が集まってくる。ライダーなんてのは、存在そのものが「変人」だから。『エキセントリック』と呼べば格好はいいが…。

R1Z子ちゃん、現れないかな、話がしたいな…と期待しているのがミエミエである。今日、どういうルートでここまで来たのかを彼女に聞きたい。--どれだけ私をヤキモキさせたか知ってるか!…なんて言えるわけもない。どうも、私は熱くなるタイプで、いけない。

ただただ待ち続けていたら、風呂上がりらしい姿でロビーに現れた。バイクに乗る時は髪を編んでひとつにしているので、別人のように雰囲気が違う彼女に驚きを隠しながら私は今日のルートを尋ねる。--人吉を出てガソリンスタンドに寄っているのを抜いたんですよそして今度は、ループ橋の手前で地図を見ていた私をすう~っと抜いて行ったのと彼女は話す。--気が付いていなかったようだったけど

私はまったく知らなかった。

磯庭園など鹿児島市内観光をして桜島への船に暗くなる頃飛び乗ったそうだ。もしも一緒に走っていたら、気も使わなくてはならなかっただろう。今、会えたのだから、別々で良かったのかも知れない。もしものことは、走りながらたくさん考えた。しかし、会えたんだから日記に残すこともないだろう。明日は、都井岬に寄って、宮崎港から川崎に向かう船に、雨でも晴れでも乗って帰ってしまうという。

部屋に帰って薩摩白波をポカリで割って飲んだ。多弁になるので気をつけてはいたが、きっとしゃべりまくっていたのかも知れない。今日は興奮した一日だったから。種子島や屋久島に行ってきた人が様子を話してくれる。また一方で、東京から高速道路を飛ばして人吉まで国内最長距離を走ってきたゼビウス氏。そんな旅仲間と珍しく11時頃まで旅の話に花が咲いている。

さて、明日のことも考えなくてはならない。しかし、私の予定も流されているのが小気味よいほどよくわかる。雨降りなんてのはそれほど苦にしていない。

「雨でも宮崎まで行くだけだから」

の彼女の言葉にこちらも勇気付けられているみたい。

宮崎市に行って中学時代の悪友のYちゃんを訪ねてみようか…と考えている。その後、四国に渡って紀伊半島に渡るかな…と漠然と思う間もなく眠っていってしまった。本日の走行距離:290Km

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『夢をさがしに/九州』('94.5.3)

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∞'94.5.3∞

昨晩、寝床に入る前に夜景を見にベランダへ出た。鹿児島市内が良く見えた。朝の空気を吸うためにまた一度出てみた。桜島の山裾が左手の建物の奥の方角に広がり、山頂は雲の中に消えている。鹿児島市内が海の向こうに見える。湿気の混じった空気だ。

雲の流れはほとんどないが、昨日の雲とは違って雨雲の端くれが空を覆っていることは否めない。駐車場に降りてGSXにオイルを足してやる。さあ、雨が降り始めるまでに何処まで行けるやら、と思って屋根から身を乗り出していたらポツリポツリと水滴が落ちてくるのがわかった。荷物にビニールシートをかぶせて、覚悟を決めて出発することにした。時刻は不明でおよその記憶もない。太陽も出ていないし気持ちも晴れていなかったからではないだろうか。YHを出てすぐの緩い坂道で大きなザックを背負った人が歩いているのを見かけ、振り返って手を上げたら、昨日東京から飛んできたという彼女だった。片手に持つビニールの傘が寂しそうなのが印象的だった。

雨は嫌だ。しかし峠の途中で田植えをしていた人達は雨を待っている。反面、集中豪雨も困る。去年の豪雨の爪痕はまだまだ各所に深い傷跡を残したままである。

桜島を一周する溶岩道路の北側半周は「断念」というより「まあいいや」って感じでパスした。途中にある遊歩道も修学旅行で来たからを理由にパスした。YHを出てR224(溶岩道路/桜島周遊道路)を左に廻ってR220を南下する。途中で煙草を吸っている時に、YHでバイクを並べて止めていた人達やR1Zの彼女が抜いて行った。そういえば、桜島YHはオンロードの方が圧倒的に多かった。やはり観光地が近いこともあるのだろう。

垂水市街を抜けて海岸沿いを走る途中でいよいよ本降りとなった。さっき抜いて行ったR1Z子さんも止まって雨具を着ている。もしかしてもう会えなかったら…折角の巡り会いも水の泡(?)になるので、名刺の裏に走り書きをしたラブレター(?)を渡しておこうと思いバイクを隣に止めた。「ツーレポを送ります」と書いた。私なりに思いっ切りおしゃれな作法で気取ってみたつもりである。

「もう少し私は走ります」

と言って先にその場を去ったのは照れ隠しだったわけで、しばらくして鹿屋市内でガソリンスタンドを見つけて給油のついでに雨具を着た。その間に彼女は又、私の前に出て行ってしまった。

「都井岬で会いましょうね、待っててね」

と独り言を呟く。彼女に対する呼びかけが多くなっているのが自分でもよくわかる。雨の中を一人で走る時には、孤独感を痛切に感じる人も多いだろう。さらに「何故こんなことまでして走らなくてはならないのか」とか「家族を置いて愚かだな」などと考えてしまう。

この旅(ツーリング)もいよいよ折り返し点を回って、終わりに近づいているのを感じる。北へ行こうとしている私の旅の疲れと寂寥感を、雨は容赦なく刺激してくる。

奥の細道で芭焦が「旅に病んで夢は荒野をかけめぐる」(?)と詠んでいる。東北から信越、北陸を旅し伊勢へと向かうはずであった芭焦は、その旅を美濃の大垣で突然中止している。「パタリと終わってしまって、そこが大垣だったところが面白い」と高校時代の田辺先生に習った記憶がある。

「旅に病む」とは何か。「夢は荒野を…」ってどういうことか、などとぶつぶついいながらR220を、R1Z子ちゃんを追いかけ都井岬方面に走る。

志布志の港街を通り抜けて串間市街から都井岬に向かう県道に入った。メッセージも名刺の裏に書いて渡したことだし、彼女にはもう会えなくても構わない。安心感に満たされて運転にも余裕が出ていることがわかる。都井岬を回る県道は、まだまだ2車線に満たない所が多い。雨が強く降っていてバンクするのもまままならない。どうしても足に傷を負った20年も前の事故のことが甦ってくる。雨降りは恐いと思う。安全運転で行くに越したことはない。

都井岬に入るにはパンフレット代として四輪は\200が必要で、バイクは無料。でも岬の駐車場は\50取られる。昔はタダだったように思うが。

峠に近づくに連れて、雨は本降りになっていく。もしかしたら止んでいくかも…と期待をしたが、それは儚い希望だ。駐車場にすでに止めてあったR1Zの横にバイクを止めて少し歩いてみよう…と売店の方に向かったら彼女が向こうからやってきた。先端まで行ってきました?と尋ねたら--いいえ…

それほどゆっくり海を眺めるわけでもなく立ち話をした。バイクに乗る格好に着替えてしまった時と、宿では、心の置き場が違うのかな、会話の中味も旅の話ではなくバイクの話だった。彼女はKX80も持っていてトランポにタウンエース(だっけ??)を買って、河原などを走ったりするという。エンデューロにも関心があるという。旅の手段にバイクを使っている私とは大きく違うなと感じた。

「馬と写真を撮ってから…」

と彼女が言うのでしばらく走って馬のいるところでシャッターを押すことにした。駐車場を出る頃には、雨脚が激しくなりかけている。こんな時には、強(あなが)ち走りっぱなしになってしまうが、彼女は「押さえるところはきちんと押さえて」いくと話す。

「しばらく一緒に走りましょうか」

馬と一緒に写真に収まって(ウマく撮れたかな)…さて青島を目指して走ることになった。成り行きか、故意にかは自分でも不明であるが、後ろについて青島まで走っていくことになった。

「おおっ、結構飛ばしますね」と届かぬ独り言をつぶやきながら日南海岸を北上する。雨はさらに強くなり、バケツの水をひっくり返した様に降り始めた。

「カーボンサーレンサーだし、買っちゃったんですよ」

都井岬の駐車場でそう話していた彼女は、直線になると青い煙を残して"す~うっ"と離れて行ってしまう。さっすが2スト。

青島では、バイクを降りて見学&休憩とした。R1Z嬢のバイクが群馬ナンバーなのを見て同じ群馬県のZZR(1100&400)の二人組が話しかけてきて、少し立ち話をする。(コント赤信号風の二人組だった)去年の雨の話や一日の走行距離の話で心も和む。

彼女が青島に歩いて行くのを送りながら「昔に来て(青島には)行ってますから」と言ってお土産屋街に残った私は、Yちゃんに電話をかけた。電話のコールに応答もなく、すっかり滅入ってしまった。彩へのお土産も気になったが、結局買わずに終わった。(*)Yちゃんは中学時代からの友人で、宮崎の学校に来て現地で会社を始めた。3人の子持ち。男性。

「もう(船に乗って)帰るだけですから」

と彼女は言う。今夜の宿も決まらない私は、宮崎駅まで行ってそのあとを考えるつもりに決心していたので、

「ここからはフリーにしましょうね」

そう言って、彼女と別れることにした。

宮崎空港にジェット機が着陸していくのが見える。両翼に点灯したライトがやけに明るく見えた。Yちゃんの結婚式に来て以来の空港の姿であった。シールドの中まで雨粒が入り込んで前が見えにくい。(眼鏡を外していることもあるが)

宮崎駅の屋根の下にバイクを入れYちゃん宅に電話を数度ほど掛けてみたが応答なし。ここまできてビジネスホテルには泊まりたくないし…と考えながら、JR・緑の窓口で時刻表を見ていたら、大阪行きのフェリーが宮崎港から出るのに気がついた。川崎にしか行かないと思っていたから、帰ろうと決心がつくのも早かった。フェリー会社に電話で確認したらキャンセルは"来て待たないとわからない"という。半分は帰りたい気持ち。残り半分はまだ帰りたくない気持ちで、複雑であった。

約10分ほど土砂降りの中を走って港に着いた。

「やっぱし来ちゃった」

と言って彼女の前に顔を出した時は、少しばかり恥ずかしいのと、もう一度声をかけたいのとで、気持ちは入り乱れていた。追いかけて来たみたいで、しみったれていてそういう自分が嫌だった。

キャンセル待ちの番号は12番。無理だと諦めているが、帰れないほうがいいような気もする。運を任せてしまっている。乗れたら大阪、乗れなかったら宿を探して、四国をまわって帰るだけである。

フェリーの待合い室で隣に座った若者は

「バイクを買って初めてのツーリングなんです。感激しています」

と話しかけてきた。雨にあった過去のツーリングの話をしたら嫌われることはわかっていながら、ずっと雨に降られ続けた昔話をしてしまう。しかし、それも彼には新鮮だったのかも知れない。

「ツーリングがやめられなくなりますよ」

何年もそのバイクに乗っているとバイクのご機嫌や弱点もわかるんですああ、そろそろ壊れそうだとか修理してやって一緒に走ってくれる一日中走り続けて、宿に着いた時なんかよく走ってくれたなって労ってあげたくなりますよ何を先輩ぶってしゃべっているのだろうと自分でもおかしくなるが、まじめに走るライダーになって欲しいものだ。

予約者(車)の乗船開始は、一時間以上も前から開始される。

R1Z子ちゃんは雨の中を19時過ぎに乗船口の方に消えて行った。待合い室の出口で見送っている私のことなどには気が付いてくれる様子もない。もしも気が付いたら手も振れたのに。

もしも乗れなかったらどうしていたか…と悩んだが、挙げ句の果て、つまりは乗れたのであります。

みんなの乗船が済んで一時間も過ぎてから、キャンセル待ちの乗船が開始された。大雨のせいで「雑魚寝(ざこね)」席の整理券が一枚づつ剥せない。出航の10分前のことである。

「ええい、みんな乗って!」

の係員の一声でキャンセル待ちの人達はみんな乗船可能となった。座席について「万歳ですね」と言い合い話が弾んだ。

深夜、船はかなり大きく揺れた。足が、頭よりもずっと高いところに行ってしまっているような感じで、幾度も目が覚める。でも、旅の道中の光景のひとつひとつを振り返るうちに、又、眠っていってしまう。

船は揺れ続ける。淡い眠りの中で、ひとつのシーンが甦ってくる。

(私):旅を続けて(九州を)一周回ってきた訳ですけど

きちんと計画していないから、最後が曖昧で…

どうしよう、どうしようで(ここまで)来て

雨が降って(予定を)急に変更して、

旅がストンと終わってしまうのが嬉しいようで、哀しいようで…

(貴方とのお別れが哀しくてとは言えなかったが)……

そうだ、名前を聞いていませんでしたね…(彼女):田上といいます…

夢のような旅は、ここで終わったのかも知れない。いや、終わらなくてはならなかった。本日の走行距離:219Km

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『夢をさがしに/九州』('94.5.4-5)後記

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∞'94.5.4-5∞

7:50、定刻通り大阪南港にフェリーは着いた。旅が、たった今、終わったのだという気持ちが突き上げてくる。旅を終わって、フェリーから降りる時に吸う空気には異様さを感じる。それは、社会復帰への逃避であり、嫌悪であろう。

早朝、船は紀伊水道を悠然と進んでいた。

船の甲板から陸が見えた。

左手が四国であり右手が紀伊半島か。

宮崎であれだけ降った雨も止み、

水平線付近の雲は切れている。

5時過ぎ、日の出時刻

雲は、赤く染まって海に映えていた。

低気圧の影響だろう

まだ風や波は残っており

甲板に立ち続けると少し肌寒い。

南九州は晴れているとニュースが告げる。

ざわめきが起こる。

関西地方は雨に変わるという。

お母さんと一緒に帰省している彩を、京都の実家に訪ねることにした。昨日の夜の電話では、直接家に(松阪に)帰ると言ったのに。大阪駅前のヒルトンホテルや千里ニュータウンのビルが私を現実に引き戻していこうとする。

京都で一晩泊まって、次の日、松阪へと向かった。

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あとがき

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私の旅は何だったんだろうか。土砂降りの雨の中、もしも、宮崎駅で野営していれば、まだ快晴の中を走り続け、予定通り四国に渡っていただろうか。

旅の手帖には走り書きでメモが綴られている。半年もすれば旅の記憶も薄れその崩れた文字の意味も思い出せなくなるだろう。それは、それで構わない。最後までカメラにフィルムは入れなかった。チャンスを失った。

景色は「自分の頭の中に焼き付いていれば良い」というのは私の口癖ではあるが…。今度から、旅に出る時には、会った人や話した人の写真を撮ってこようか、と考えている。

GSX、ありがとう。おまえとは、一緒に行く最後の長旅になるのかも知れない。できることなら直して乗ってやりたいが、現実という壁がある。旅が山場を過ぎた頃から急に愛着が湧いてきたのだが、懐中との相談もある。いつまでもこのままなら『煙が目にしみる』の物語は終われない。

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ノートから『語録』

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ノートから『語録』の一部を書き出しておくことにする

琴平YHでJRラー、トホダーの若い女の子と

|松阪っていいところですか(どうしてそんなこと聞くのかと思ったら)

|来年(卒業して)結婚して松阪に

|いくんです

阿蘇・長者原を出発前に尾張小牧ナンバーのZ900氏に今日はどこへ?と尋ねて

|山(九住山[1787m])に登ろうと

|思って…

|でもやめろっていわれてね

|女が登る山だって

阿蘇・大観峰にて、石野陽子みたいな女の子(可愛かった)

|ライダーはわがままですもん

|阿蘇は北九州から日帰りできます

|今日は「やまなみ」を回って帰るの(どうして一緒に走ろうと言わなかったのか)

国見峠を越えた日に、市房YHで夕食時に横浜から来た若者と(チャリダー)

|二輪という連帯感ありますよ

|この旅は国見峠を越えるために

|来たようなもの

|なんですよ

市房YHで、朝、雑談中に、群馬の女性(R1Z嬢)(お天気が下り坂だそうですが…の問いかけに)

|へぇ~そうなんですか(天真爛漫ね、いいなあ)R1Z嬢

|お母さんには友達と出かけるって

|言って来たの

|(彼女も)知っているから電話

|掛けてこないし…

|その子ももうすぐ飛騨高山に出かけ

|るし…

尾張小牧のTW200の男子に中日ネットを薦めて

|もうすぐモデム買いますから

|(ネットに)いきますね

砂むしの前で、なにわナンバーの男子と(暑いでしょうと聞いたら)

|バイクに乗って汗かいて

|またここで汗かいて

|ただ話題のために来ているだけですわ(大阪弁)

桜島YHでの雑談(誰と交わした会話だったか)

|(走ってばっかしで)

|薩摩ラーメン食べられなかった

煙草をくれた同い年の岐阜から来た女性と(未婚)

|日焼けして、砂むしなんか

|10分(くらいしか入ってられなかった)

|その後で風呂浴びて又宿で風呂浴びて…

都井岬駐車場でR1Zをみながら

|カーボンサーレンサーだし

日南海岸でぶっ飛ばしていて、バイクがねじれるようにバランス崩してあわや転倒か!の後、荷物を直しながら

|私って一日一回

|危ないことやっているんですよね

|昨日なんかもカーブでステップ擦っちゃ

|ったんです(群馬アクセントで)

青島の見えるところでZZRの男性たちが

|海の匂いがしませんね

|コンビニで

|「るるぶ」をその場でコピーして

|宿を探したよな

|去年の四国なんか

|カッパを着なかった日なんて

|一日もなかったよな

青島、お土産物屋さんの前で、田上さんと(お土産を買わないという私に対し)

|(子供の頃)私の父はふらっと

|何処かに出かけるんです

|何も買ってこない人でね

|出てくるのは(ホテルとかの)

|領収証ばかり

(お土産は何を買ったんですかと尋ねて)

|漬物です(ラーメン屋さんがあるので、誘うと)

|そうだ、お昼食べてませんでしたね

|そうですね、ラーメン食べましょうか

青島でラーメンを食べながら田上さんに(髪が雨に濡れて大変でしょうと尋ねたら)

|男の子と間違われたから絶対に髪は

|切らないっ

土砂降りの雨を見ながら宮崎のフェリー乗り場の待合い室で神奈川から来た男の子が

|初めてのツーリングです

宮崎、フェリー待合い室で田上さんとの別れ際に

|どうしようどうしようで来て

|雨が降って急に(予定を)変更して

|旅がストンと終わってしまうから

|嬉しいようで、哀しいようで・・・

|また二、三年後、同じ日に同じ場所に

|ツーリングに来てて、会ったりしてね…

(名前、聞いていませんでしたよね)

|田上と言います

|たんぼの「田」に上下の「上」…

宮崎港で土砂降りの中キャンセル待ちのバイクも乗り込めたあと部屋に入って

|キャンセルのみんなで万歳三唱しましょうか

帰りの船の席でビールを飲みながら(R439なんかを四国で走っていて前からバイクが来て)

|たまに会うとニタッて笑ったりするんで

|すよね

|ああ、みんあ同じなんだなと思う

フェリーで一緒だった、種子島に行ってきたという

(名古屋ナンバーの)物静かでおとなしそうな男子と

下船前に、船の倉庫でエンジンをかけながら

|げげげ、すっごいバイクに

|乗ってますね(雰囲気があわない:うっちゃんに似ている)

………

彼は

南港を出て

京都に向かう私に

大阪市内で

ピースサインを残して

西名阪方向に

消えて行ったまっすぐに走り去る後ろ姿を見ながら

私は交差点を曲がった

もう二度と会えない

行きずりのライダー達今度

どこかで偶然にも会えたら

それはドラマだ(気が付けば…の話だが)

………

「語録」は、記憶を刺激する。私にとっては、写真よりも刺激的だ…。

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『夢をさがしに/九州』(支出表)

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ツーリングノートから(ガソリンはカード処理)

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・・4/29

・1390・航送運賃和歌山…小松島

・1700・旅客運賃南海フェリー

・2300・琴平YH

・250・ビール

・220・たばこ

・600・うどん/夕食

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小計・6460・走行距離223Km

・・徳島市内\1457(11.6㍑)

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・・4/30

・600・航送運賃三崎…佐賀関

・900・旅客運賃国道九四フェリー

・110・ポカリ(待合い室にて)

・670・やまなみハイウェイ

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小計・2280・走行距離332Km

・・別府市内\1882(14.5㍑)

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・・5/1

・260・やまなみハイウェイ

・100・黒川温泉共同浴場

・100・コーヒー(黒川温泉組合・売店)

・200・牛乳(阿蘇・大観峰売店)

・100・同上(ミルクロード・やまなみハイウェイ

・800・ざるそば(昼食)

・330・アクエリアス・1.5㍑ボトル

・3550・市房YH・夕飯付き

・400・ビール

・300・湯山温泉・元湯浴場

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小計・6140

・走行距離257Km

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・・5/2

・906・エンジンオイル(1㍑)

・842・食事(コンビニ:パン、ヤキソバ)

・229・ポカリ、1.5㍑ボトル

・480・航送運賃鹿児島…垂水港

・350・旅客運賃南海郵船

・350・焼酎2合ボトル

・500・TELカード(?)

・1950・桜島YH

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小計・5607

・走行距離290Km

・・人吉市直前\1847(14.7㍑)

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5/3

・220:たばこ

・50:都井岬駐車場

・520・昼食?青島にてラーメン

・3000・航送運賃宮崎…大阪南港

・8230・旅客運賃マリンエキスプレス

・110・コーラ(フェリー待合い室にて)

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小計・12130・走行距離219Km

・・鹿屋市内\1570(12.1㍑)

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5/5・

・関ドライブイン\・・・・(14.4㍑)

・(金額は不明、給料引き)

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・総計・32617・

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四国から山陰へ(’97GW)

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四国から山陰へ(’97GW)
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今年のGWの気合いは(あまり認めたくない気もあるが)いつもより少し弱いようだとうちのんは言う。レポートをアップします。よろしかったら読んでやってください。

少し長々と書いて、バランスの悪い箇所もありますが、私としては一端書いた物は削れないので、そのままにします。時が経つに連れて思い出す部分に加筆をして増えていきますので、この日記は、ひとつの旅を振り返っている過程であります。旅とはそういうものでしょう。日記は、だんだんとバランスを崩していきます。自立できなくなったらまた旅に出かけて行くのでしょうか。

ひよいと四国へ晴れきつてゐる  山頭火

種田山頭火の句集を探し回ったけど、田舎ではなかなか見つからなかった。しかし、三月末に出かけた京都の本屋でその忘れかけていた本を見つけて買った。

山頭火は山口県で生まれて、愛媛県松山市で没する。そのゆかりを訪ねてみたいと切々と思った。出発前に知人にあてたメッセ-ジを添付する。

ひよいと四国へ晴れきつてゐる   山頭火

そう詠んでいます。彼を早稲田文学に入れるのかどうかは私にはわかりませんが、感性に訴えてきますね。好きです。このうたの季節は恐らく秋だと思いますが、私は春に行きます。明日が晴れかどうかさえも私にはわかりません。でも四国をしばらく走ってこようと思います。

皆さんの多くが四国を訪ねて行かれました。私も二年ぶりです。四国を走って、なあ~んだ、つまらないと思う人もあれば、その逆の人もあると思います。

道端で買ったパンの味や工事現場の親父さんのちょっとした姿や仕草、言葉がツーリングを変えます。私の四国を探しにまた出かけます。

レポートはこれにぶら下げていきたいと思い、まえがきのつもりで書きました。

昨日、娘が
「私、地図を見ていて行ったことがない道を見つけると行ってみたくなるの、地図を辿ってずっと…」
と話してくれました。ツーリングの原点を呼び起こされた感動でした。この子も私の子なんだなと思った。

明日、明け方に出て、昼過ぎには四国に上陸できるかな。では、数日後に会いましょう。


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四国から山陰へ(’97GW) --はじめに
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[4/27-0]

週間予報では4/30頃から天気が崩れるという。近年、天候に恵まれているので期待できるかなと思っている。

GWといえば半分が雨降り…という季節である。覚悟はしているが、雨は嫌いだ。

テント、シュラフ、マットは、前日にうちにバイクに積んでしまってあるので、27日の早朝は静かに着替えなどの荷物を載せ、暖気運転なしでソロリと家を出る。

出発前の記念写真を二枚撮った。「お父さんは朝早く出るよ」と言って、就寝前に「行ってきます」を子供にした。

青空が夏のそれに変わりつつあるなあと思いながらどのあたりというわけでもなく上空を見上げる。快晴である。肌に冷気が沁み通る。大きく息を吐くとシ-ルドが曇った。タンクバックの温度計付き時計はちょうど6:00を示していた。

今回のツーリングの持ち物で思案をしたのは地図であった。先日、博士号の授与式の写真付き葉書を送ってきた鹿児島のJ君にも会いたいので、もしかしたら九州に渡るかも知れないと予感している。しかし、思い切って九州版を持つのをやめた。

広告の裏に書いて食卓の上に放り出してきたメモには、四国を横断して松山から山口(湯田温泉)に行き山陰を回って帰るか、讃岐へ戻って帰るかどちらかと書いてある。

予定通りに走ったことは恐らく今まで一度もないと思うけど、出る前には誰に見せるわけでもなく、思考を整理するためもあって書きなぐったメモをうちのんに見せたら、「見とうない、勝手に行っといで」と冷たい言葉であった。子どもは前の晩に「お饅頭…」と繰り返していた。

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四国から山陰へ(’97GW) --4/27
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《三重県-高見峠-和歌山市:紀伊半島横断》

[4/27-1]

何度も越えている峠でも旅が始まる時には胸がドキドキするものである。いつも見慣れた景色を送りながら、いつものようにひとりごちた。

紀ノ川沿いの高野山側には新芽が吹き出した果樹(柿?葡萄?オレンジ?)園が広がる。遠くから見るとゴルフ場の芝のような錯覚に陥るが、信号などで止まった時に良くみると違うのはすぐわかる。休日の朝ということで車も少なく、和歌山港まで三時間と17分の所用時間で到着した。

恐るべき速さである。違法値がでたらあかんから平均時速は計算してはならない。

フェリ-の切符売り場で「次の便は何時ですか」と問うたら三分後という。乗れるから急ぐように言い、大急ぎで切符売ってくれた。それを口に喰わえて移動した。

バイクがフェリ-に乗り込んだらテ-ルゲ-トが上がった。何ともラッキーなスタートである。

船中にはツアラーの姿も疎らで、誰とも話すことなく、しかし寝るわけでもなく海を見ながら種田山頭火の句集を読んだりして過ごす。ただ、ぼんやりと読む。うららかな日で、風もほとんどない。

ひよいと四国へ晴れきつてゐる  山頭火

まさにその気分なんです。


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四国から山陰へ('97GW) --4/27-2
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《四ツ足峠へ》

[4/27-2]

小松島港に入港し、四国上陸をしたらすぐに高知方向に走り出す。

那賀川沿いを遡る。川沿いの狭い道は、四国の雰囲気を思い出させてくれた。

「そうそう、こういうふうに道が狭いんや」とひとりごとを吐きながら、しばらくこんな道とお付き合いしていこうとしている自分に満足である。

八十八ヶ所への道路を示す標識が目立つのでそれを頼りにある程度方向を決めて県道に入ると、これが驚くほど狭い。おおっと、この狭さが四国なんだった、信号も少ないな…などとぶつぶつが続く。

太竜寺のロープウェイの乗り場の脇を過ぎてやっと国道に出る。R195にのっかり四ツ足峠へと向かう。だんだん四国の雰囲気が戻って来たのが嬉しくて仕方なく、一人だから誰に隠すわけでもなく大声で喜んで叫んでいる。聞こえたのは野生のお猿さんたちだけだろうな。

山藤(やまふじ)が山の斜面を紫色に飾っている。そばに寄るといい匂いがする。春は空気の匂いがまろやかで、走っているとうっとりすること、おやっと驚くことが多い。自然が何かを訴えているのだろうか。

四ツ足峠を越える道は快適で、一部に狭いところがあるけどこの程度に狭くないと面白くない。剣山スーパー林道から降りてくるオフツアラーの人に時々すれ違うのを期待しているが、それほど来なかった。みんなどこに消えて行くのだろう。あれれ、今年は四国に来ている人が少ないのかな、なとと呟きながら、見つけると手を振る。オフローダーのピースは確実に還ってくる。バイクをほんとうに楽しんでいるからだろうか。

四ツ足峠は初心者マークでも越えられるほどの峠で、秋もお薦めである。秋になると綺麗に色付く木ばかりであった。

べふ温泉には寄らなかった。実はこれは最大の後悔で、これから行かれる人はぜひ寄られるのがいいでしょう。高知には目立った温泉がないのだけど、この温泉を薦めてくれる人にたくさん出会った。美人肌系のお湯である。共同温泉場は近年新築したようで、随分と賑わっている様子。こんな谷の深いところまで人がやって来れる様になったのも道路が整備されたからだろう。

トンネルの開通日付を確認すると1990年前後が多い。それ以前はすっごい田舎だったに違いない。谷の落ち込み具合が違う。


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四国から山陰へ('97GW) --4/27-3
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《定福寺YHへ》

[4/27-3]

雲行きが怪しくなってきたぞい。

明日は雨なのかな、と思って道端のお店のおばさんに聞いた。案定、下り坂だそうで迷わずYHに泊まることに決め予約の電話を入れた。

夕飯は頼まず、途中でカップラーメンとお寿司を買ってYHに入った。スーパーで道を尋ねたら、小説で竜馬が話していた言葉と同じである。ささやかな感動であった。

そうそう、ここはYちゃんが来た今年の冬に来てレポートを書いてくれたYHである。何だかYちゃんの慕って旅しているみたいだなあ、違うぞい。YHの前からの景色をじっくりと眺める。

山腹に民家が建っていて、これでもか!といわんばかりに峰の上方まで道が右に左に延びて家がポツンとある。これが四国の景色だ。四国でしか見られない。感動がまた甦ってきた。


《YH・夜》

[4/27-4]

ライダー(ツアラー)さんは疎ら。

でも皆さん、四国をよく知っていらっしゃる。三人ほどが筍のご飯をいただいている。おひつにいっぱいある。夕食を私も予約したらよかった…。

住職さんと脳死の話をする。お寺のYHは評判が悪いとどこかで聞いたことがあるが、このYHはまったくそんなことはない。この宿は常宿にしても良いな。

私的メモ:
草加市のレイドさん、佐賀のR100GSさん、松山の黄色のビートさん 福山のイギリス人ふたり組、徒歩&JRラーの女性。←可愛い子でした。


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四国から山陰へ('97GW) --4/28
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----《YHの朝・雨があがるぞ霧が逃げぬうちに見ておこう》

[4/28-0]

谷間を霧が流れていく。その向こうに民家がある。峰上には青空が見え隠れしながらも渋々と雨は降り続く。寺の門前の石段から集落を見下ろすと民家の屋根の向こうから一筋の煙が昇り始めるのを見つけた。朝ご飯の支度だろうか。竃に火が入りあさげの支度が始まる。生活の息づかいを感じる時だ。

雨を憂うるなかれ、この趣きを味わおうではないか。できればあの人たちの所までいって、インタビューをしてみたい。平家の落人なのかなあ。何でもいいから話を聞かせて欲しい、そう思うことを人に話すと、時々、同意してくれる人がいる。


----《晴れ間が私を待っているR439/大峠を越える》

[4/28-1]

Yちゃんがツーリング部屋@ニフティで

「R439の吾北町柳野、ここはすごい道だった。ヘアピン、急勾配、一車線道路、木々が鬱蒼と茂っており視界は悪い上に対向車は多い。おまけに雨のため、落ち葉で滑りそうでとても怖い思いをした。きっと地元の人達の生活道なのだろう。中学生か高校生くらいの女の子が、歩いて通学している姿が印象的だった。」

と書いていた。彼女、こんな山の中を寒い雨の日に一人でよう走ったなあ、と驚きながら私も大峠をトレースする。感じる事はまったく同感である。最も四国らしい風景であると思う。

トンネル切削工事中で、そのうち快適道路が出来てしまうだろう。この道の上に延びている集落の人たちだけの峠になってしまうのが、もしかしたら住人の皆さんにとっての幸せなのかも知れない。

峠に差し掛かると雨が降り出す。けれどカッパは着ない。青空が私を待ってくれてるんだから、天気予報が晴れると言っていたのだから、期待を込めてカッパは着ない。

しかし…。寒冷前線が通過し、気圧が不安定となり夕立のような雨が降り出したところで屈する。

「四万十川源流」の立札を前にしばらく休憩して、雨の中を峠の向こうに消えていくツアラーを幾人か見送って、私もカルストには向かわずに檮原町へと向かう。

道の向こう側にバイクを止めていた神戸ナンバーのZZR250の可愛い女の子に、反対側にバイクを止めて声を掛けた。(猫柳さんは女性を発見するとすぐ止まる傾向にあります)カルストに上った後は大堂海岸のYHに向かうという。

ううん、私もさりげなく旅程を変更してしまおうか…とも思ったほど。

この子より先にもう一人、ひとり旅の女の子を大峠の前で追い越していた。剣山スーパー林道を走って、明日からは四万十川でカヌーだって言ってた。

二人の旅程を頭にインプットしてた私は、四万十川方面に行こうかしらん…と悩んだ。(この迷思案は松山の朝まで続いたのであった。)

----《檮原・関門の関を訪ねる/維新の道》

[4/28-2]

檮原町にはいると「維新の道」の道標が目立つ。「吉村虎太郎生誕の地」の碑があった。お遍路さんも幕末の志士も、皆が徒歩で峠を越えた。

車輪の付いたモノが普及するまで日本は篭か徒歩が普通で、馬車などのようなモノが無かったので、峠はどこも二本の足で越えるためのものであった。坂道は狭くて所により石段になっているところが多い。その入口に佇んで、やはり無念であるが、それが日本の峠なのだ。

関門の関に行く細い道でバイクを止めて工事現場の人に尋ねた。

「ただ石碑があるだけですけど…」

と教えてくれたけど、私にとってはこれもひとつの感動であった。維新の道という綺麗で観光化された看板が不似合いであるようにも思う。

----《これが噂の松山YHか》

[4/28-3]

空いていないかなとも思ったが予約を入れたらOKで、食事もお願いした。

天気が優れないこともあって早く着いてしまったので道後温泉本館に行った。二度目以降なら「椿湯」を薦められていたが、本館にこだわった。絶対に今度は椿湯にしようっと。

本館はロッカーでも百円取るから380円になります。YHに荷物を預けてから行くのが賢明である。

定福寺YHで会った草加のオフさんに温泉本館の中で裸でばったり。今夜の彼はビジネスホテルでのんびりするらしい。

YHでは佐賀からのR1100GSの人にまた会う。「石鎚山には雪があったよ」などという話をしながら食事が盛り上がった。レストラン風の食堂でリッチな気分で食事をいただくのであるが、このYH、お酒の持ち込みも百円取るらしい。冷めた感じがするのは私だけか。

GSの彼は県庁の農林水産関連のところにいるらしく「佐賀牛」の美味さを説いてくれる。長い話になってビールの量も増加気味。

松山YHの感想を書かねば。これが噂のYHなんだって納得します。ただ、至れり尽くせりという設備がビジネスホテルふうで、お金がかかっているなあって感じますね。これもひとつのビジョンなのかも知れないけど、松山再訪の節には別の宿を探してみることにしようと思う。

私的メモ:同室は札幌ナンバーのCBR君。


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四国から山陰へ('97GW) --4/29
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-----《松山市内/種田山頭火一草庵》

[4/29-0]

観光マップには「一草庵」の所在だけがぽつんと黒丸で示してあるだけで、解説は一行もない。正岡子規や漱石は書いてあっても山頭火には触れていない。教育委員会さん、もう少し書いてくれてもいいんじゃないですか。

街の外れの民家の中にひっそりと一草庵はあった。一日に何人のファンが訪れるのかは想像できない。けど、雑感帳が置いてあったので少し拝見してみると一日にひとりから数人が書き込んでいるのがわかる。

私もここに来るためだけに四国に渡ったのだから(宮本輝「地の星」の宇和の海も行きたいと思いながら)感動はピ-クを迎えている。

何もない、何もしない。ただ終焉の地にある家を歩き回ったり、ただここに立っているだけで満足である。句集に備え付けの記念スタンプを押し、ツ-リングマップにも押した。

濁れる水のなかれつつ澄む  山頭火

彼が死ぬ1ヶ月前の句で、一草庵の前を流れる樋又川に自分の人生を感じて詠んだという。川藻がせせらぎに流れる。その脇の道路を生活の車や自転車が通り過ぎる。

-----《波方から竹原へ》

[4/29-1]

さあ、何だか海が見たくなったな、ってなわけで、波方から竹原に行くフェリーに乗って北に走ることにした。瀬戸内海を越えてみたくなったらしい。凄く衝動的な旅程変更である。

今考えると、宇和島に行けばよかったのに、四国を出ようとしています。

家を出るときの予定では山口市の湯田温泉の「其中庵」へ行くことで、雨の場合には足踏みをしながらでも行こうと思っていた筈なのに、天気が良かったので走ろうと思ったらしい。

感動を大事にしようという潜在心理もありながら自分でも説明が付かない。うちのんの分析では年齢をとって気が弱くなったのではないかという。毎夜電話を掛けるが、若い頃のような気合いがないともいう。雨にも屈せず、銭も惜しまない、ということがなくなったらしい。

山頭火ふうに一句書いてみよう。

かえりじたくの迷いをもってとろとろおろおろ走る  ねこ作

-----《山陽から山陰へ》

[4/29-2]

瀬戸内海の波は穏やかであった。フェリーの客が疎らで、今日は祝日なのにこんなに少ない人出とはどうなってるのかしらん。みんな瀬戸大橋に行ってしまうのかな。三倍も四倍も金が掛かるのに…。

船の中で思案は続いた。山口市の湯田温泉に行って、山頭火以外にも中原中也や金子みすゞを訪ねてみよか。でもいつしかの夢に残しておいて…。迷っているようで、何も考えていないのか。何よりも「其中庵」に行くというルートをとってもよかった筈なのに、私は松江に向かって走ったのでありました。

中国山地を横切る道路は、四国を走ったあとの私にはとっても優しい雰囲気がある。過ぎていく景色がまろやかである。山の上の方まで家が建っているという四国の風景と打って変わって、水田では田植えが始まっている。三次から出雲へと行く街道は「出雲歴史街道」とか「出雲神話街道」とか言うらしい。(名前の記憶曖昧ですが…)

-----《出雲市/出雲そばを喰い玉造温泉に入る》

[4/29-3]

中国山地の峠を走っている時に道路脇の温度計が29度を示しているところがあった。暑い日でした。ただ、淡々と走るだけで日が過ぎていく。

出雲駅の前にいたタクシーの運転手さんや街中で子供と遊んでいる若い奥さんに美味しい蕎麦屋さんを尋ねたら「羽根屋」という店を教えてくれた。なかなか頑固な雰囲気を漂わせる店であった。本店で喰う。安い。ざるそば、\550。味には満足した。

時刻は16:00頃になっていて遅すぎる昼飯であったが、食べただけでも珍しい。食べないまま夕飯になる日もあるのだから。その蕎麦屋さんで玉造温泉の共同浴場を教えてもらって寄り道をして松江YHまであと一息。YHの談話室でガイド本を持っている人が、私の食べた蕎麦屋が一番先に載っていると教えてくれた。満足だ。

-----《玉造温泉》

[4/29-4]

やはり共同浴場をお薦めしておく。

600円と少し高い感じがするが、近代的な建物で、五階が浴場になっていて、その階下に休憩室、更に階下には歴史展示館のようなものがあった。(YHへ急ぐので行かなかった。)

-----《松江YH》

[4/29-5]

予想以上に良かったので、皆さんもマルしておかれたらよろしいでしょう。GWのどまん中なのに人は少なく、食事のテーブルも空いている。

食事後、地図とペンを持ってだべっていたら、松山YHでご一緒のCBR君が現れて、「おおっ!」とお互いに驚き合う。

建物などは古いけど、マイナス点はそれほどなく、ここのYHも常宿候補に挙げてもいい。


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四国から山陰へ('97GW) --4/30
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-----《松江市内》

[4/30-0]

宍道湖が霞の中にぼんやりと見える。憂欝になってくる。

雨も午後にはあがって…という天気予報はいうけれど、信じれない。一昨日には騙されたもんなあ。でも急がない旅なので、寒冷前線に追いつかない早さで走るつもりにしている。一日おきに雨に見舞われている。

そういえば夕凪ちゃんが四国を走った時も、雨にたたられていたなあなどと思い出していた。そうだ、彼女は(別の時だけど)松江にも泊まっているんだ、うん、四国で使ったYHといい、ここのYHといい何かご縁があるのかも知れないぞ…と気が付いたら心は晴れてきた。竹内まりやの「涙など見せない…」なんていう歌があったような。あればっかし口ずさんでいる。

タンクバックのマップケースにポツリと落ちては自然に乾いていく程度の雨なので、傘も要らないから少しばかり松江城の界隈を散策してみることにした。

小泉八雲の旧居と松江城は隣接しているので割と気軽に歩けた。木次から社会見学(自主研修というらしい)に来ている中学生が八雲の旧居のひと間でワイワイと賑やかである。私も畳に腰を下ろして沈思状態に落ちていく。庭の池で蛙が元気よく鳴いている。

ツ-リング中に散策をするなんてのは随分と久しぶりである。

-----《大根島》

[4/30-1]

大根島では牡丹が綺麗に咲いている。島一面が花畑になっている。霞んでいるからもちろん大山は見えない。 

牡丹散てうちかさなりぬ二三片  蕪村

この句が頭にふっと浮かんだ。あら私が暗句してるなんて珍しい。

小さな島の中に綺麗な農道が幾つも通っていて、役場付近からは灰色というより無色で無表情の中海が見下ろせる。

-----《湯村温泉》

[4/30-2]

大山がこの天気で見えるわけがない。

湯村温泉に寄ってから行こうと思って浜坂YHに電話をいれたのが午後を少し回っていた。若くて可愛い声の女性だったので、電話を切ってからもうきうきしている。

松江YHで会った人が前日に浜坂YHに泊まったら夕食に「ほたるいか」の刺身を食べさしてもらったというので私も期待をしている。

湯村温泉の荒湯の前にバイクを止めて、小雨対策ビニールをかぶせて風呂に行った。湯は98度で噴出しており、薄めて使っているので少し不満だが泉質には満足をしている。300円。お薦め。

湯舟からあがったときに言葉を交わしたご老人に私が松阪から来たというと三重県の温泉の話をなさった。榊原温泉という名前を最初に出されたので、この人は湯に詳しい人だと察した。なかなか遠方である三重県の温泉にも詳しい。もしかしたらその道の人なのかも知れない。

建物を出るときにスコールのような雨が途絶えていた。湯で濡れた髪を自然乾燥させているといろんな人が声を掛けてくれる。鳥取から荒湯に筍を湯がきに来ているおばさん、温泉街の中に結構でかい建物で目立っている「八田屋」というホテルの社長など。社長は自ら客引きに出てきている。GWの最中なのに客引きとはこの業界も厳しい風が吹いているのか。社長を見る限り、街の中を行くお客を眺めているのが好きらしいが。彼も若い頃はバイクに乗って「ぶっ飛ばした」そうで、ライダーを見ると話掛けるらしい。「安くしとくよ」と盛んに言っていた。

-----《浜坂YH》

[4/30-3]

今回のツーリングで最も意外性のあったのがこの浜坂YHである。

荷物を置いて談話室に戻るとコーヒーを入れてくれて、お饅頭まで付けてくださった。雨の中をバイクで走ってくるから寒かろうという配慮のようである。

「ほたるいかを喰いたくて、一昨日に泊まった人から聞いてやってきました」

と話すと、その私の行動を喜んでくれて、今夜も夕食に出すんですよという。だが残念なことに刺身にできるものはないそうである。

厨房にいるペアレントさんたちと話す私は食堂から海を見下ろしていて、そうしている間にもイカを釣りに漁に出る船が防波堤の向こうへと出ていくのが見える。もうひとつプレゼントがあって、その向こうの水平線には沈んでいく太陽があった。真っ赤で、ぐにゃぐにゃの夕日である。

若い子が電話に出て…と前述したが、その子をヘルパーだと思って話をしていたら、ペアレントさんというショッキングな悲話もあります。中野さんという新婚若夫婦でありました。

四月から浜坂に着任したそうで、この業界にも転勤があるのだそうです。ひとつでも品数を多くしたいし、新鮮で旬の物を出したいと彼女は言う。笑顔がとても可愛らしい、人懐っこい女性である。また近々、旬のものを食べに行きたいなあ。

常宿にするにちょうど良い場所だしな。少し秘密にしたい所でもある。と書きながら、六月になったら行こうかなとも思っている。

夕飯を食べてYHの車で浜坂温泉センターに連れて行ってくださる。町民料金の300円で湯にはいれる。少し塩辛い温泉で、湯量も豊富なようである。温泉からの帰り道に海岸を回ってくださって、漁火がポツリポツリと見えるのも見学できた。キャンプ場もあるので要チェックです。この海岸道路を走るのは、今ごろが一番お薦めだそうで、「但馬漁火街道」というらしい。

風呂上がりに談話室で地図を見て思案して、同室に泊まることになった男性と談話をしていると、付出しふうの「ホタルイカのしぐれ風味」の料理を小鉢に出してくれて、「何だかスナックみたい」なんて言っている。

「こんな情報を四万五千人の〔FBIKE〕というフォーラムで宣伝しておきましょう」というと「酒好きライダーズYHになってしまうね」なんていうふうに他愛ない話をしている。ほんま、可愛い奥さん。もしもこれから行く人(すでに行った人)があったら、印象を聞かせてね。

もうひとつ驚く話もあった。また可愛い子ちゃんが絡んでいるのだが、隣の座卓にいた女性と話すうちに(大阪の、事業部が違うけど)同じ会社の子だとわかり(めっちゃ驚いたよ)、松阪市の隣接郡に実家が引っ越してたのでこちらに転勤したいと希望しているいう。

「七月頃になってバッタリ会ったらよろしく」なんて言っていた。私のもうひとつの姿は職場では秘密なんだぞ、って言うのを忘れた。名前も聞いてないし、事業部の名前も控えず記憶から消えてしまったので、災難は忘れた頃にやってくるのか…どうかは楽しみであります。可愛い子だったな、うちの会社には珍しいわ。

〔FBIKE〕の人には会わないのに、会社の人には会うもんなのかね。悪いことはできんなあ。


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四国から山陰へ('97GW) --5/1
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-----《鎧駅》

[5/1-0]

念願の鎧駅である。「ふたりっこのロケ地」という看板が出ている。

やめて欲しいなあ。私の鎧駅なのに…。(←勝手に自分の物にするな!って…)

幼い日に母に捨てられた兄と妹は、それぞれ、自分の深い想いを持って海岸列車に乗り鎧駅を訪ねる。宮本輝は小説「海岸列車」(文春文庫)の始まりの章で

駅から入江への急な斜面には、かつてサバ漁で賑わった鎧港の名残として、錆びて風化した鉄のレ-ル敷きだけが一直線に下りている。陸あげしたしたサバを列車に積み込むためのケ-ブルの残骸であった。その横に、村へと下りていく折れ曲がった錆色の道がある。列車の車輪とレ-ルとが撒きちらす鉄粉によって色を染めた道は、ほんの数十メ-トルで、黒ずんだコンクリ-トに変わるのだが、かおりは、その道の錆色の部分しか歩いたことはない。

小説に出てくる向こう側のホームのベンチも、またそれが海側を向いて置かれていることも、そこから見下ろす港に倉庫らしい建物が見えることも、私にとっては期待通りでありまた新鮮で嬉しい。

ひとりごとをぶつぶつ言いながら私は周辺を歩き回っている。そしてぼんやりと海を眺めては、時々、シャッターを切る。畑で仕事をしているおばあちゃんにはそんな姿が変に映ったかも知れない。それでも私は、向こうのホームに行ったりこっちに来たりを繰り返していた。

時刻は8:20頃で、下りの列車が来てホームに止まった後、二、三分で上りの列車が入ってきた。降りる人も乗る人もいない。列車の中の人影は疎らで、行き交う列車を遠巻に私は眺めていた。

やがて重そうな車両を動かすためにディーゼルエンジンの音を山に反射させて列車は動きだした。黒い煙の匂いが私の所まで届いて、その後、列車はまたトンネルに消えて行った。

さて、鎧駅はここまでにしておこう。

-----《出石そば~周山街道~花背峠~琵琶湖大橋》

[5/1-1]

久しぶりに周山を回ってきました。(10年近く行ってなかったので)懐かしかった。

出石そばを喰って、福知山~綾部~美山~周山街道~花背と通りました。百井峠を越えようとすると工事中で残念ながら静原を回って大原、寂光院の前を通って琵琶湖大橋を渡りました。

寂光院は、建礼門院が壇ノ浦で入水後、源氏に助けられて上洛し、出家して晩年を過ごした所です。少し前のリンクで「源平」の話が出ていた時から気にしていたので、今回の山陰からの帰りに通過することにしました。

何度か行っているので門前を通っただけでしたが、GWなのに人影はやはり少なく、これはきっと嵐の前の静けさでしょう。


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四国から山陰へ('97GW) --あとがき
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あとがき

★こいのぼり今の季節は、どこの集落でもこいのぼりを見かける。四国の山中や漁村で、数え切れないほどのコイが泳ぐ。子供が生まれた時の感動をふと思い出す。

少しでもみんなに見てもらいたいという気持ちで、コイを縦の棒に付けるのではなく、ロープや横棒に付けてぶら下げるという工夫も至るところで見かけた。その独特の景色を愉しみながら走る。

何げなしに目に飛び込んで、薫風に揺れている姿がほのぼのとして疲れを忘れさせてくれる。ノボリもこの地方では多い。ただ、やはり気になるのは、このこいのぼりの姿がひとつもない山村に時たま出くわすことだった。子供がいればまず必ずひとつはあがっているだろうから、その村には子供がないということか。いつか、村に人がいなくなる時が来るのだろうか。

ふと現実に帰ってしまう瞬間であった。

★れんげ畑れんげ畑が少なくなったなと感じる。

今に始まった訳ではないと思うが、あの濃いピンク色の絨毯を見るとれんげに埋もれて寝転がって空を見上げた子どもの頃を思い出す。四国より中国地方のほうでたくさん見かけた。すでにたんぼに水が来て耕されてしまっているところも多いが、水の分配の事情もあるのだろうか、れんげ畑が一面の谷もあった。

麦の穂はまだまだ青い。あとひと月ほどで黄色くなるだろうか。土の香りがすると来て良かったなあと思う。

★人生の縮図チャリダーのツアラーさんと言葉を交わした時に彼がひとつの感動を話してくれた。

二人のヤンキー娘が峠に座っていたので視線が合わないように必死でペダルを漕いでいたら追い抜いた後姿に向かって「ファイト!」と言ってくれたという。一日中雨で、カッパを着ていた日だから感動が二倍三倍だったようだ。

雨の日は嫌だと思うから暗くなる。迷子の子どもは、自分が迷子だと気付かないうちはまだ迷子ではなく、迷子と気付いた時に初めて迷子となり、泣き出す…という話を誰かが書いてましたね。雨についても同じ様な筋で問答していけば、気が晴れるかも知れない。

良いこともあるだろうから、苦にせず走ろう。「ツーリングは人生の縮図だ」ってたいそうなことまでいうつもりはないが、そう思うと元気も出るね。

天気も変わる。出会いも感動もある。もちろん冒険をすることがある。したがって道草も喰う。

★ 情報武装どこに行くにしてもあんまり情報武装をするとツーリングの味を落とすことになりかねない。思うままに走ったら取りこぼしがあるかも…と心配する気も理解できる。しかし、行けないところや知らないところが少しくらいはあって、帰りの船や帰路などで会った人との会話で初めて知って、悔しがったほうがまた今度行こうってことで再訪をする機会も増える。それを何度も繰り返している間に自分のツーリングが出来るようになるのではないか。

あまりにも過度な情報武装は冷めたツーリングになってしまいそうだ。行く前から感動し始めているようでもある。そんな話をYHの同室の子などと話した。

西四国を目標にあげながら山陰に行ってしまった私。四万十川に行かなかった理由が自分でもわからないのだけど、今回の四国の旅の途中で出会った子たちがその川の名を出すことが多かったので、潜在心理的にブレーキがかかったのかも知れない。もっと、偶然の気持ちで四万十川に行きたいのだろうな。

★こだわり

毎度、書きますが、「こだわり」というのはその人だけのもので「竜馬はここから海を見たのか…」とか「山頭火がここでこの句を詠んだのか…」という程度のことです。他人にとったら只の砂浜、只のあばら家です。しかしそこにある音に耳を澄ますと、現代の雑音が消えていくから不思議であります。

ある森である人にここで聴こえる音は?と質問をしたら、鳥の声、木葉の音、沢の音、…風の音、という。自動車のエキゾーストもあったが、風の音の方が耳に残ったようだ。何れにせよ、こだわりをなくした時がツーリング人生の終焉であります。

★種田山頭火のこと彼を好きになる人とその逆の人と、これ程までに極端に好き嫌いが別れる俳人も珍しかろう。

ただの行乞だといえばそれまでだが、この生活の中にひとつの哲学を感じとり、それに芸術性までも感じるのは私だけではないようです。

同じ松山市内に正岡子規の記念館(行かなかったけど)があるのもイヤミにも思えますが、どちらの俳句が素晴らしいとかいうのではなく、ストレートに神経を刺激してくれます。

名もない草のいちはやく咲いてむらさき   山頭火

★レポートに出てきたキーワード

R195,四ツ足峠,山藤(やまふじ),剣山スーパー林道,べふ温泉,美人肌系,定福寺YH,R439,大峠,檮原町,関門の関,維新の道,松山YH,道後温泉,椿湯,種田山頭火,一草庵,神話街道,出雲そば,玉造温泉,松江YH,小泉八雲,松江城,湯村温泉,荒湯,浜坂YH,ほたるいか,但馬漁火街道,鎧駅,宮本輝,海岸列車,寂光院

金鳳花(きんぽうげ)摘まれてポツリと居間で散り  ねこ作(浜坂YHにて)

御礼:長々と書きました 読んでくださった皆様に感謝します

(終)

1977年 北海道へ

1977年北海道へ


■ 夏のひとり旅─その1


書庫を整理していたら、思わぬメモが出てきました。

ユースホステル(以下、YHと略)のハンドブックに挟んであったのがポトリと落ちた。

その旅は1977(昭和52)年の夏のことです。私はこのメモを発掘して公開することで皆さんの旅心を刺激したかった。書きながら、私自身もグラグラしました。
ただ書きながら思ったことのひとつにとても重要なことがありました。
それは、ここにある「センチ」を棄てなくてはならないということです。

「棄てる」という言葉は、遠藤周作さんが(私に?)教えてくれた……紙屑を丸めてごみ箱に放り込むようなことを意味するのだと思っています。棄ててしまうと、そこにはエンプティ(空集合)がある。身近な言葉では「0」です。つまり哲学でいう「始まり」です。

******

北海道
ひとり旅メモ

昭和52年.8月

・親の心子知らず
・何故北海道へいくのかひとりで
・きたぐに余裕で着席(9:30、8/7)
・あんまりさあ出発の感じないけど夢のようです

8/8、16:00

10:10に大阪を出て以来今まで何をしていたか?!
眠ったり、
話したり
東京で中学の先生の人や
会津若松の女の先生
秋田で体操の試合だそうです

19:40
15分遅れて出航
何故ひとりできたのか?!
そんなことばっかし自問自答してます

この汽車は走り続けていく

札幌から
その日の夜のYHへTEL
あしたの宿(稚内のYH)へTEL
北大寮へもTEL
夜、船は遅れて出たけど
結局きちんと時間通りにつく

赤平の女の子に会ったのも
この時デッキへ行ったら
その前に彼女たちの席の中へ
酒に酔ったおじさんが入ってきて
散々になったので、

デッキへ逃げた彼女たちと
たまたま??デッキへ出たオレが
会って話すきっかけになった

デッキへ逃げたのは
彼女たちだけじゃなく、
とにかくおじさんが入ってきたフロアーに座っていた男の人たち
(その人たちは山に行くような格好だった九州だって)
も同じく逃げてきたそうでした
割と船は揺れて参りかけた頃、
函館オレは彼女たちと同じ各停に乗ったわけ

******

このころは、急行「北国」がまだ走っていた。
北陸トンネルで大事故がまだ鮮烈に記憶にある。
自省的な想いが次から次へと浮かぶ……。

8月7日の午後に家を出ています。

夕方、大阪駅に着いて、
急行「北国」の発車が10:10だったんでしょう。

まだ二十歳にもなっていなかった私。
旅なんて、はじめてです。

どんな会話をしたのか。
記憶にないが、
狭いボックス席に
一日じゅう座って、
話をしました。

青函連絡船に乗りました。

不安と希望が交錯していたみたい。

メモは、
思い付いた時に、
書きなぐってありました。
そうだ。

赤平という土地の名前を知ったのは
この女の子たちに会った時が初めてだった。

もちろん、函館から札幌まで
一緒に乗っていたことだけ記憶にあるだけで、
どんな様子かすっかり忘れた。

******

雨は、
大阪を出てその夜以来ずっと降っている

札幌の駅前なんかは有珠山の噴火で
すごく火山灰が降っている

バイクの彼と話をしてもしかたないので
その山でも見てみるかと思い

函館行きの急行(すずらん2号)
8:54に乗る

支忽湖へ行こうと思い
千歳、苫小牧で下りようととも思ったけど

まず火山へ行こうと思った
雨は少し緩くなって

少し青空もあった

火山はかなりひどいそうなので
「東室蘭」で下りて
室蘭の方に行こうと思ったけど

ちょうどそこへ札幌行きが来て
それに乗ってまた戻ってきてしまった

それが(午後)1:00少し前

またまた駅で暇になって
中之島YHへ電話をしても満員だし

「小樽へ行こう」と
改札をくぐったのが
(午後)2時少し前で

「やっぱしやめ!」と思って
また出る

駅の前でぐるぐるしていて
それからラーメン(350円みそ)を
食べたのは駅の地下食堂街でのこと

思いきって大通り公園にへ出てみた

タワーの見える所で
ベンチに座りボーとしていたら
寝袋とリュックを持った人が
隣に座ったので
話しかけた

いろいろ話をして
地下街へ行ったりして
アイスコーヒーを飲んで(250円)
時計台へも行った

その前に銀行で3万円をおろした

駅でかなり長く話をしてた
階段に座り込んで……

PM5:30ころ
裕の家でも訪ねようと思い立ち
案内所へ行って

北27東2を聞いて
途中(地下鉄北24まで)行って
帰ってきた

18条で下りて
今大学寮にいます

PM6:30
北大寮へついた

今日1日を振り返ってみて

昨夜
船の中で知り合った女の子2人は
金沢、能登へ行ってきたそうです

函館から彼女たちと一緒に各停に乗った

予定を変更して
札幌についたのは7:30過ぎ、
(ほんとは6時の予定)

駅の前や中を行ったり来たりして
バイクできた大阪の人に会う

仕事を辞めてきたんだって言ってた
(その前に新聞を買った)

******

面白くて懐かしいのは私だけかも知れません。
所々、記憶と違っていたり、すっかり忘れていたりしてます。
読むと、あの時の必死にもがいている様子が甦ります。

札幌の初めての夜は、北大の寮です。
その辺で寝てください、
と言われて適当な部屋に入って、
真っ黒な布団に潜り込んで泥のように眠った。

夜中に人の出入りがあったようだが
ほとんど、気づかずに眠ったのを思い出す。

この時、大通公園でバイクの人に会っています。

バイクなんてまったく関心なかったみたいで、会話の様子はまったく残っていない.


■ 少年は北へ─その2


当時はまだ、子供です。
大学1年生です。

親のスネかじって働くことの大変さ、
重さ、辛さ、喜び……
何も知らない
雛(ひな)より哀れ。

しかし
その時にしか感じることができない様々なものを、
一生懸命に手探りしていますね。

******

8/9日
北大寮にて

ずっと長く書いてきたけど
まとめますと

初日から雨が降るし、
1日何もしないつまらない日になった

もったいないと思う少々不安になってきて
どうしようこの旅、
成功させたい

さっきからしきりに反省している
親の言うことを聞かずに飛び出したりして
お金もスネをかじって
7万も8万も使うオレは
ほんとうにいけない子だ、
と思う

出てくる時、
母ちゃんがくれた10円玉、30個に
涙流したらだめだよ

このあたたかさ、母ちゃんありがと

******

私の家は貧乏だったので
大学に進学するような余裕はなかった。

でも、私が言い出したことだからといって
親父はせっせと仕送りをしてくれました。

荷物の中に、
鉛筆で書いた走り書きの手紙が
いつも入っていました。

逝ってしまってから、
その意味がわかるんですなー。

******

8/10

積丹半島へ行って
神威岬を見学

売店の女の子に手紙を出したのが思い出

返事がくるかどうかは別問題

帰りはヒッチハイクで
ずーと美国まで

頭の中にたたき込んでおくべし

1) 2台連れのアベックの方
2) 3人親子
3) 老人夫婦
4) 親と娘さん
5) 土方の人夜行で稚内へ直行

******

ヒッチハイクをした人をメモしてある。

土方の人は記憶にあります。

だって、大きなリュックをトラックの荷物台に放り投げるように言うんだもん。

飛んでいったら大変だから心配でした。

宿に泊まる金がないので、
夜行列車で移動しました。

******

8/11

稚内から
すぐ礼文桃岩YHへ

絶対来年も来るべし
この旅、長くつづくだろう、
つづきそう

それでも汽車は走り続ける

空と海がまざりあう時
長い夜が終わり
空が明るくなってくる

旅をするオレたちは
そんなことに感激してる暇はないんだ

じっと遠くを見て、
じっと遠くの島をみて

動く景色を忘れちゃいけないんだ
時にはひとりが寂しいけれど
オレたち旅人同志だから
寂しくなんかないんだ

自由になれる、
自由になろう
この旅続く限り、
続けたい

8/13

十勝岳
白金温泉から望岳台へ登り
すこし登りはじめたら
長袖を忘れたのに気づく

割と早く引き返して
かなり残念旭川駅でゴロゴロ

結局、2泊する

(旭川YH)

夕食、バツグンだった
meeting、まあ楽しい方で

******

少し旅にノリが出てきたかな。
旭川駅のロータリーの真ん中の芝生で
寝ころんでいたらOLの二人に声かけられて、

あくる朝にもそこで横になってたら大声で
「そこで寝たんですか?」って聞かれたなあ。
注目だったの。

******

8/14

本日は黒岳まで
ヒッチハイクと

留辺蕊へ泊まる予定です

どうぞ、
うまく自動車、
止まってくれますように

天気、バツグン
朝すこぶるさわやか

黒岳に登って
ヒッチで留辺蕊へ

リフトの下までひとり

上川までひとり
その人が駅を間違えてダメ

また乗っけてもらった人が
留辺蕊まで

8/15
留辺蕊から北見までヒッチ
そこから美幌峠までヒッチ
そこから屈斜呂湖まで
砂湯まで
摩周湖まで
弟子屈まで
阿寒湖まで、
2台
オンネトーの前YHまで
計9台

******

ヒッチハイクは順調でしたが、
大雪山から東に向かう
あんなメジャーな国道でも
車は止まってくれない時間が続いた。

歩いたなあ。

今考えてみると
観光の人が多かった分だけ
汚い浮浪者みたいな奴は
乗せたくなかったんだろう。

やはり車というのは閉ざされた空間……なんだ。


■ 少年は北へ─その3


山に登ることに出会う人は北海道では多いと思います。

森林限界が標高の低いところから始まるので、
景色を見ながら登る楽しみに出会えます。

登りきれば、そこには確実に自分だけの景色が待っていますから。

******

(8/15)

美幌峠はよかった、
抜群屈斜呂湖は
泳げば良いだろうけど

人が多すぎて
摩周湖は車の列がすごくって

湖は綺麗、抜群

雲が映っていて、
山も映っていて
少し行くと牛なんかいたりして

今日は全然金の要らない日

8/16

7時間コースに行く

8/17

雨降りとなり1日ゴロゴロ

8/18

朝、雌阿寒岳へ登ってご来光!

とはいかずに
少ししか見えなかった

とっても残念
でもあの雲海を忘れるようなことはないはず

山はいつもどんなことがあって
裏切ることはしない

朝、見送りを盛大にして
野中温泉YHを飛び出す

知床へとヒッチハイク、
すごく順調

明日はどんな風が吹くのやら
とっても楽しみだけど不安!

尾岱沼へも行きたくなってきた

******

野中温泉YHでのイベントや出来事は、
二十歳前の私に取っていい人生経験だった。

今ではあんな遊びも会話もバカも出来ない。
今なら温泉に浸かって湯上がりに旅の薀畜をたれる……
そのくらいしか出来ないだろう。

いかにも「じじい」らしい。

若者は若者らしい旅をして欲しい。
最近の若者の旅は、
いろんな意味で充分すぎる気がする。

******

8/19

トドワラへ行った

北大、ケイテキの人に会った

根室標津の駅のそばから駅まで
トドワラは神戸の人、2人組
ウトロのヘルパーの自転車の人にも会う
車3台

根室標茶
16:00に乗って

今は釧路

全車指定に乗った為に
1000円も必要

がっくりきたところ

途中で高3生に会ったりして、
結構楽しくする

広さに少しびっくりしたけど
多少慣れたこともあり

何となく終わりに近い
この旅を
悔やむ

最後は
満足のいくように
終わりたい

******

旅の原点は、
貧しさの中に雑草のように芽生える好奇心。

それを実現しようとする行動。
しかもそれは衝動的なもので最初は、失敗に終わる。

やり残しを私は宿題と呼んでいるが、
宿題を解決して新しい宿題を戴いてくる執念。
絶えることの無い好奇心。
そして感動することでしょう。

文法には「命令形」という表現がありますけれど、
「失敗しなさい」「感動しなさい」という命令形は、
文法上のもので実在できない。

喜怒哀楽に対する命令形は存在できないのだ。

「悲しめ!」と命令されても、
そんなことコントロールできない。

******

かけていっていって
思わずあげた感激の声に
君はあいづちうった
波の音にまぎれて
消えたけれど
心にいつまでも
こだましてた
くちづさむ歌に
終わりがきて
その日にも
終わりがやってくる
旅を続ける僕の前の

******

メモは途切れている。

私の心にどんな変化が起こったのか。
私だってわからない。

人生なんて無駄の繰り返し。
いや何事も無駄だらけ。

それを認められない人には理解できないでしょうけど、
こういう無駄が人間には必要なんだ。
最初から無駄無く、効率よく、手際よく、格好よく、
スマートに夢を実現したら、それは、「夢を叶えた」とは言えない。

******

8/20
SAT
朝5:00

北へ走る汽車は
もうここで止まってしまう

朝のあけた街なみへ
ひとりで踏み出せば
何だか旅を続けて
今励まされて

・青い空と広い海と小さな船の向こうへ
 このままずっと歩いていけたらもしかしたら
 ひとりになれるのかも知れない

・沈む夕日見つめてた岬の砂浜で
 出会った恋なんか棄てたほうがいいんだ
 忘れてた方が ムー

・ぼんやり思う揺れる汽車の
 揺れる子守歌閉じるまぶたの
 そのうらに君の姿??に手を振っている

・旅は続く汽車は走る
 長い道と一緒にどこまでも
 街のあかりどっかへ去って
 星が窓に映る人に会って

 その人が僕と話してくれた
 ただそれだけで嬉しい純なボクには
 それがすぐ恋に変わってしまう
 男の人でも懐かしくなってくる
 住所を書いた人書いてもらった人
 出会いとはここに真の姿をひそめていたのでは……
 と思ったりする

 昨日会った高校生
 自分が高校の時は何をしていたかなーって
 考えさせるような子たちせ

 めて名前だけでも聞くべきだった?!
 それとも中途半端なことをやめて
 このままか住所まで聞いとくべきか

 まあいいけれど根室標茶の駅で
 一緒に話した北大ケイテキの人

 さわやかで根性のありそうな人
 男はああでなくちゃ
 来年は自転車

8/20
PM6:00

とうとう帰路につきます

ほんとうはもっといたかったけど
軟弱な精神を暴露して
登別に行っても
登別には行かず

あそこに行けばよかった、
って思うところもあるけど
来年にします

人より変わった旅をしてきた

観光ブームに乗って
押し寄せる人の波に
紛れることなく楽しんだつもりだ

だから他の人は
すごくつまらない旅をしているのではないか?!
と思う

何故こんな苦しい思いをしてまで登るのだと
心の中で叫びながら
はいあがった感じの黒岳

瓦礫の原の十勝岳
山は俗化されていない

自然の美を求めるのなら
山だと思う

神威岬も素晴らしかった

あの海の色
真の自然だった

来年は絶対に登りたい山、山だけ

反省として

いちばんにあげることは
無計画が時間をむだにしたこと反面、
人との触れ合いを大切にしたことは
良かったのではないだろうか?!

8/21
PM8:10

今、八甲田を下りた
長い旅も終わろうとしている
たるかどさんと急行の中では
ともにして
帰りも
比較的楽だ
樽角京子

******

ここで書いていることなんて、
狭い世界の自己満足なんだろうけど、独特の感性を持っていますね。

今でも、あんまり変わっていない点もある。
逆に、恥ずかしくて、赤面の部分もあります。

帰りの急行「八甲田」の中で
ずっと一緒に私の相手をしてくれた人は、
樽角京子さんという人で、
品川のキャノンの本社に勤めていた人でした。

当時、25─6才くらいかな。
素敵な人だったんでしょうね。

私には姉がありませんし。
もしかしたら私から電話をしたかも知れないけど、
子供なんて相手に出来ない……と、
それきりだったのかも知れない。

その頃の私を想像すると、
OLなんて興味なかったし、
年上なんてそれほど好きにもなれない年頃だった。

恋人も切々と欲しいと思うわけでもなかった。
エッチ度も今より低かっただろうし、
清かったんではないだろうか。

では、何故、名前がメモしてあるのか。
エッチは期待しないような
好意を彼女に持ち始めていたのでしょう。

彼女は『チャタレイ夫人の恋人』の文庫を持って、
話の合間に読んでいた。

まだ彼女の素敵さが
本当に理解できるほどに
私は成熟していなかった。


■ 少年は北へ─北海道77 あとがき(2001年記)


あれから24年が過ぎようとしている。

歳月人を待たず
(Timeandtidewaitfornoman.)

積み上げられた年輪に、
tideという言葉の響きが何ともいえない余韻を残す。

東京での就学を終えて
京都という街で
新たな生活を始めたのが
24歳という年齢だった。

私にはこの24というキーナンバーがあって、
ちょうど77年の北海道から24年後に北海道日記を回想したことになる。

決して偶然ではなく、
私の人生においては24というある意味を持った周期が、
もしかしたら重要な意味を持っているのかも知れないのだ。

私の知らない運命の数字なのかな…って思ってみたりしている。
旅は偶然から始まった。

ふと手にした
北海道のガイド本の刺激で
夜行列車に跳び乗って、

ヒッチハイクをしながら、
行く当てもなく、
金もない、
さすらい旅に出た。

自らを「旅人」と呼び
「旅行者」と区別して、
明日、明後日の筋書きを決めて行く旅を嫌った。

疲れたら休めばいい…
と思って歩き続けた。

夏といえども熱い日差しが照りつける日があった。

ヒッチハイクの手を挙げても車は
一向に止まってくれなかったことだってあった。

このまま歩きつづけたらどうなるのだろうか、
今日はどこまで行けるのだろうか、と不安にもなった。

ひとりが寂しいなあと弱音も吐いた夜もあった。
でも、もう少し行こう。

地平線の向こうまで行って何があるのかを見てみたい…
と心は燃えつづけていた。

支出メモには

ラーメンが一杯350円と書き残してある。
ユースホステル(YH)は素泊まりで1150円。
新聞が50円。

鶴橋から大阪までの環状線が80円だった。

友人に餞別を貰いながら何も手土産なしで帰ってきた。

他人から受けるご恩に感謝して応えようとする心などない。
自分ひとりで生きているんだと思っていたわけでもないのだろうけど、
世の中をまだまだ理解していなかったことがひしひしと分かる。

1977年(昭和52年)頃、登山や気まま旅をする人たちが
布製の大きなキスリングを背負って歩く姿は決して珍しくなかった。

(あれをカニ族と呼んだ)

だから、早朝、札幌駅の正面玄関の脇には
夜行列車から降りた旅人や宿賃を節約する
ネーチャーな若者が寝袋に包まって寝ている光景は
ある意味で夏の風物詩だった。

私の旅はふた昔も前のものになってしまったが、
貪りながら見知らぬ街を彷徨い、
好奇心に反応し続けた点で大きな価値があった。
歩き続けながらヒッチハイクをする。

便乗させてくれる人は
みんなおしゃべり好きな人ばかりだった。

方言がきつくて、まったくわからないこともあったし、
夜間登山のあくる日で眠くて、
せっかく乗せて下さっているのに居眠りをするような無礼もした。

新婚旅行のカップルにもお世話になったことがあった。

みんなが優しかったし、現代のような不信感もなかった。

徒歩+ヒッチハイクという旅の形を経験した人の多くが、
チャリダー(自転車の旅人)になり、バイクツーリストになってゆく。

社会人には贅沢に過ごせる時間が無いから、
やむなく自転車や徒歩を諦めるのである。

旅の形態は時代と共に変化し、
あの頃には存在しなかった「卒業旅行」という言葉も定着した。

若者は貧乏から抜け出した。

「苦学生」という言葉は死語になっている。

だがしかし、
井戸の水をつるべで汲み上げバケツで運び
風呂釜を満たしたほんの40年ほど昔には、
その作業自体に大きな意味があったように、

つまり、
一日の労働で何が一番辛かったのかと振り返れば、
野良作業で疲れきった身体で「風呂の水汲み」という
その日の最後の労働をすることだった、
と母がいつか話してくれたことからも分かるように、

きっとこんな時代には、
誰もが水を大事に扱い、
髪を流す水さえ疎かにしなかったはずで、
貨幣の価値よりも水の重さが勝る時だからこそ水不足もないし、
お隣同士がお互いを気遣うことさえ何ら重荷にならなかったことが想像できる。

だから、苦労をしなさい!と言うわけではない。
原点を知ろうじゃないか、と言いたい。

初めての旅として
北海道を歩き回ってから3度、
私は北海道を再訪した。

廃村になって朽ち果てた小学校、
廃線になって
草が茫茫と生い茂り立ち入れない踏切跡も見てきた。

24年が経った今、私は原動機のついた二輪で旅を続けている。

その昔、旅人が馬をひいて越えた旧街道の峠道を越えることがある。

芭蕉が越えた山刀伐峠や竜馬が脱藩の時に越えた韮ヶ峠にも立った。

人々の心は、
歳月と共に変化し

過去の文化風習は
単なる史実となってゆくのだろう。

社会が進化して
経済が豊かになって
心が満たされても
それは貨幣の価値が上がるばかりで、
文化の値打ちはなおざりにされてしまっている。

何不自由なく何でもこなせることが、
本当に人類にとって幸せなことなんだろうか…。

ふと湧き出た冒険心が、
やがて未知なる大地を夢見て駆け巡る憧憬に変化し、
私はいつしか旅人になっていた。

20時間も座り続けた青森までの列車の中で、
入れ替わり立ち代わり私の話し相手をしてくれた人たち。

帰りの急行の中で東京までご一緒した樽角さん。

そういう人たちのおかげで
私は今もなおひとり旅を続けています。

きっとこれからも…。

長い連載でしたが、
読んでくださった皆さん、
ありがとうございました。

2003年9月22日~24日:信州・南アルプスゴールデン・ループを走る

2003年9月22日~24日:信州・南アルプス、ゴールデン・ループを走る

1日目(22日)

◆はじめに
十年が過ぎてからこの日記を読んでも、ああ、あの時はこう考えていたんだな、というものを残しておこうと思う。一部始終を残すことはできないにしても、ちょっとしたことがトリガになってくれることもあるから。

◆出発まで
光化学スモッグ監視体制が終わった。幸運な偶然で、一日を振り換るだけで5連休になる出勤日程だったため、21日から25日まで休日とさせてもらった。
ネットのツーリング仲間のレポートを読んでいても、出かけたいという思いが募った。しかし一時のように無理やり仕事の都合をつけたり、こじつけて出掛けたりはしない。ゆとりが出てきたとも言えようか。確かに、がむしゃらに走ってみたいと時々思う自分の苛立ちを解消するために、秋田県と青森県の県境の五能線の風景を訪ねてきたい、と募ってゆく思いが、日々増幅していたことには変わりがない。しかしながら、台風が来たことで今回の旅が流れても、それはそれで仕方がない、と思えるようになった。機会があったらJRラーとして行ってみたいと思う。

◆台風15号
さてさて、18日ころから沖縄本島や宮古島付近をウロウロとしていた台風がいよいよやって来た。私が出発をする前日には一気に本州に向かって加速を始めた。どうか関東のほうに行ってくれ、と願うものの21日の出発は断念せざるを得ず、秋田行きは阻まれた。諦めと同時に私の心を支えていた緊張の糸も切れてしまった。

◆出発の朝
お昼ごろに出発すれば三ケ日の大谷キャンプ場に到着できるだろう。たまにはこんなのんびり旅をしてみるか・・・と考えながら荷造りをはじめたら8時過ぎに終わってしまったので娘が学校に行くのと同時に出発することになった。確かに6時から準備をし始めれば8時にはできる。大谷キャンプ場は、某コミュニティで秋季キャンプの話題に出ていて、そこが三ケ日インター近くにあった。ひっそりと隠しキャンプ場にしておきたいところだ。ここからならば「井川雨畑林道」が余裕で狙える。

◆海が光る。さざなみが光る。伊勢湾。
通勤時間帯を少し過ぎたので、津市を過ぎて四日市付近を走っていても車の流れがスムーズである。こんなことに平日を実感する。
青空だった。四日市港から桑名あたりを走ると右手に海が見える。風もなく、さざなみがきらきらと輝いている。こんな綺麗な海を見るのは久し振りだ。この白銀のまぶしさが何とも秋らしい。見上げれば青空が広がっており、かすかに雲があるものの、近く、どこかの町で雨が降っているなどとは想像などできない。Tシャツに3シーズンジャケットがちょうど心地よい。

◆散々迷う、三河の山岳地帯
国道23号線も、流れに沿って快適に走り飛ばす。高速道路よりもスリリングな走りができるので結構気に入っている。たまにはエンジンもブイブイと回してやってもいいだろう。道草をしたくなるような陽気であるもの、そんな調子で岡崎インターの近くまで来た。ここらあたりから山に入って秋葉神社あたりを通過して中川根町には夕方に余裕で到着と目論んだ。いつの間にか大谷キャンプ場行きは取りやめにしていた。。

◆迷走始まる
しかし、迷走はこのあと始まった。一発目のミスコースは、インターから本宮スカイライン方面に行く道路の選択だった。ひとつ西の道を北上したため、三河の山奥にどんどん入り込んでいってしまった。道端の畑で二人で仲良く話をしながら畑作業をしているおばあちゃんに道を尋ねた。

----本宮山のほうに行きたいんですけど
----それじゃ反対じゃなあ
----下山村のほうは?
----それも反対じゃ
----今、どこか地図を見て、わかりますか?
(地図を見せようとすると)
----そんなものは見てもわからん
----ここは額田町のどのあたりですか?
----端っこだぎゃ

さっぱり、何処に居るのかが判明しないが、30分ほどこのような会話をして手当たり次第に在所の名前を挙げて地図上で繋いでゆくと、現在位置が判明する。それが額田町一色という集落であった。
その後、おばあさんに教えてもらった道順を頼りに下山村、作手村、設楽町、東栄町などを経て佐久間ダムで有名な町までやってくる。所々に風景に憶えのある交差点を通るがそれが有機的に頭の中で繋がっていないのが迷走の原因であったのだろう。
迷走の途中に従兄弟の家に寄ったりして開き直りながらも、しかし、「水窪」の言葉が頭にこびりついていて、どどどっと正反対に山の中に入っていた。

◆ダメ押し。水窪から天竜林道・天住峠へ
最後に右左を勘違いしていたのは佐久間の町だった。気が付いたら水窪町に到着寸前で、さすがに戻るのを悩んだ。川を下って秋葉神社まで行くか、天竜スーパー林道か気田川沿いを下るか・・・。気合付けにフリースを一枚着た。
結局、気田川沿いを下ってみる決心をし、天住峠で記念写真を撮ってみたりして、自分自身に余裕を見せ付けている。一人芝居のようなものだ。
気田川は、コーヒー牛乳のように濁っている。山は想像通り深いのだが、山住峠のあたりに門桁小学校があっただけで、相当の距離の間、民家がなかった。走りながら私が不安になってくるほどだっただけに、あの村の人たちはどんな暮らしをしているのだろうか。もっと知ってみたくなってくる。地図には在所の名前はあるものの、集落を成していたという記憶はほとんどない。そんな山中を1時間ほど走る。

◆中川根町。くのわきキャンプ場
国道473に出れば、心配はない。・・・と思っていたが、この道路は何度走っても目的地までが遠い道路だ。飛ばしても飛ばしても、思うように時間が縮まらない。やめればいいのにまた来た自分はおバカさん、とひとり言をつぶやきながら走る。
大井川沿いの中川根町に出たらスーパーに寄ってキャンプ場の情報を、買い物に来ていたおばさんから探ってみる。小林聡美ふうの丸顔の愛想のいい人だった。「三ツ星キャンプ場」と「くのわきキャンプ場」を教えてくれるあたりは、相当にこれらのキャンプ場がメジャーなんだろう。三ツ星にはヒルがいるよ、いうことも教えてくれた。それなりの信頼性だろうということで、「くのわき」に向かう。

◆くのわきの夜
買出しで、鍋焼きうどんを探したけど見つからなかったのが残念だ。鍋を持っていないのでアレを当てにしていたのになあ。お酒も今日は中止。たまには飲まないのもいいだろう、そう思いながらも、夜中に欲しくなったらどうしようか・・・。
このあたりは日中にも雨がパラついたらしい。芝生がぬれている。三角の大きな屋根の施設があったのでその下にテントを張った。管理人さんを探しても見当たらない。明かりもない代わりに金も払えない。雲は重く、明日の天気は期待できないのかもしれない。しかしさっきのスーパーのおばちゃん(小林聡美さん)はとても明るい口調で、明日は晴れるよ、と言ってくれた。
真っ暗なテントサイトでカップラーメンと魚肉ソーセージを食べる。公衆電話があったので家に電話を入れようとすると、コインを入れる口やボタンが見えない。久し振りに真っ暗を体験して、心細くもあり嬉しいような気分でもある。
夜中に何度も目が覚める。早く寝たのだから当然のことで、空を見上げると星が幾つか見える。その星の散らばりを見て雲の出具合がわかる。

2日目(23日)

◆くのわきの朝
雲は空一面を覆っていたが、太陽が昇り始める時刻になると山肌が少し赤く染まっているのが見えたので、この後、晴れるのではないかという期待は膨らんだ。

◆接阻峡から
レインボーブリッジが見下ろせるところに遊歩道があった。あそこは行けばよかった、と思ったのは後のことで、接阻峡温泉会館は10時ころからかなと感じていただけに、実際に温泉会館に寄って改めてそれを確認したときは少し後悔した。もしも二時間ほどの散歩に行っていたら温泉会館に9時半ころとなったのだから・・・。
接阻峡をさらに深く入ってゆくとすぐに道路は狭くなる。奥井川の集落の人はこの道路ではなく静岡市側に通じる道路を使っているということが走っているとわかる。山を走り続けると、まず、キジだ出た。そのあとリスが出た。さらにサルも出た。

◆井川雨畑林道へ
分岐点のところで仕事の準備をしていた人に道の様子を尋ねたら、通行できないでしょう、というので、少し前に行けたそうですが、と言うと、少し前に行けたなら、行けるだろう、と答えてくれた。あまり自信なさそうだったが、この人たちはそんなところには用事がないのだろう。
林道に差し掛かると落石が目に付く。路肩崩壊も多い。ガードレールが丸ごと崩れているところもあり、またそれが隠し絵のように風景に溶け込んでいるからブラックホールのようにそちらに吸い込まれそうになる。うっかり落ちたら誰も助けに来てくれないだろう。谷底は見えないし、怖くて見に近寄ることもできない。
にもかかわらず、お天気を気にして空を見上げたり、やっぱし崖下を見たくてわき見をする。ひとり言で「おやめなさい、死んでしまうよ」と何度もつぶやきながら、それでも誘惑から逃れられない。

青空は、最も高く見える山の向こうに大きく広がっている。しかし、私の行く手方向のにある山伏峠には霧が掛かっている模様だ。峠の頂上が近づくと気温がどんどんと下がり始め、霧の塊が目の前をよぎり始める。10度以下になっていることは間違いない。10メートルほどの視界のところもある。

山伏峠でバイクを止めた。川の急流が流れるように、霧が流れている。寒い。人工の音はない。風の音もない。高山性のアザミの花が道端にいくつも残っている。花が枯れているのを見ると、秋や冬が近いことを切々と感じる。どうしても写真を撮りたかったので、霧の中で一枚だけシャッターを切り、さらに確実に深い霧の中へと下り始める。

◆奈良田温泉
奈良田温泉には、町営施設がある。下の駐車場にバイクを止め、斜面を登ると温泉がある。しかし、わかりにくい。民家と区別がつかないからだ。
お湯は、ぬるい浴槽と、上流側には適温の浴槽がある。適温といっても普通よりはぬるい。浴槽は木で、泉質の影響でヌルヌルとよく滑る。スケートリンクに初めて降り立ったときほど滑ると思っていい。浸かると体中にヌルヌルが浸透して、しばらくすると皮膚に気泡がたくさん付着する。何度も擦り取るけど再び着く。匂いも色もほとんどないけど、このヌルヌル感は非常に心地良い。一時間も浸かったのに湯舟から上がると空気を冷たく感じる。しかし、つかの間のことで、身体は十分に温まっているのであった。

Narada2003092224

◆甲府盆地を眺む
稲刈りの季節である。バックミラーに富士山が映るのを時々見ながら走る。稲刈りの田んぼの脇にバイクを止めて、昨晩の残りの魚肉ソーセージを食べる。
信州などの山あいの稲刈りはわが国の稲刈りの原風景のような感じがする。小さな田畑が緩やかな斜面に広がる。平野でないため区画整理に限界があるのだろう。いびつな形の田んぼの中で、家族総出で作業をしている。そうか、今日は秋分の日で子供たちも借り出されているんだな、と気が付く。
八ヶ岳のすそのの町の景色も甲府盆地特有のものだ。大塚先輩を思い出す。帰ったら手紙を書こう。

◆松香寮キャンプ場
甲府盆地を眺めて走る間に、諏訪南から松本盆地までは高速移動をしようと決めていた。白州の道の駅でミニペットボトルに水を頂いた。ここからは諏訪北までノンストップで走った。

白州の道の駅で家に電話を入れたらうちのんが、明日は雨だという。早朝にも降り出すかもしれない、という予感もあって、平湯キャンプ場まで走るか、それともたちさんに教わった松香寮キャンプ場にするかを考え続けた。

ところが、サラダ街道でコース選択をミスし車の渋滞に巻き込まれたこともあり、あっさり松香寮の見学ということで回り道をしたら気に入ってしまい泊まることにした。
アップルランドというスーパーでウイスキーのミニボトルと発泡酒、恒例お鍋焼きうどんと調理済みおでん袋を買った。今日のスペシャルメニューは、りんごとトマトと国産ロースとビーフである。明るいうちからごちそうをいただいて、7時ころから施設の風呂を利用し(350円)て早々に眠った。

◆松香寮の夜
2時前くらいに目が覚めて、その後、眠れない夜を過ごす。といってもさほど苦痛ではなく、眠れなければ起きてればいいし、なんらならテントをたたんで出発しよう、と思う。起きて目を閉じていると、次から次へと思いが駆け巡る。心細さから来る迷いや不安、反省。そう、またひとりでツーリングに出てきたけど、そばに誰も居ないのはやはり寂しいなあとか、お決まりに思い浮かんでくるのは、何故にひとりでで出掛けてくるのだろうか、という自問自答である。

思い出したくない過去もある。それは、しかしながら、思い出したい過去でもあり、今この瞬間だけ思い出して明日の朝には忘れてしまうようなモノでもある。憎い女であり愛しい人かもしれない。叶わぬ願いなのかもしれない。

記憶に、あるいは記録にも残せない幻想のようなものは、止め処なくなく駆け巡るのであるが、やがて私は再び眠ってゆく。あの時間は夢だったのかもしれない。
記憶に残らないのを嘆くことはない。また、同じようにひとりになれば、同じように記憶が蘇えるのだろうから。

3日目(24日)

◆朝

5時半ころに目が覚めたので、そそくさとテントを片付けた。すぐ出るのももったいないような気がして、昨日、スーパーで買ったトマトをかじりながら地図を見る。お土産を買わなかったなーと思ったので、りんごをBOXの奥に、フリースに包んでしまった。6時15分に走り出して1分も経たない間にポツリポツリと雨粒が落ちてきた。

◆帰路
雨の木曽路をひたすら走った。こんな本降りをこんな長時間にわたって走るのは久し振りのことだ。木曽路の雨は冷たい。

秋雨や しばし別れの木曽路かな  ねこ作
別れ雨 思いとどめる中仙道  ねこ作
振り向かず手を振り別れた馬籠宿 ねこ作

季節は秋ではなかったものの、冷たい雨の中で何度も別れて、あげくの果てには結ばれずにいる人がこの世のどこかにいる。ひとりで走り続けると、どうもセンチになっていけない。

柿の実の雨にうたれし奈良井宿 ねこ作

この雨で秋も深まることだろう。柿の実がやけに枯れて見える。赤い実は、透き通るような青空がよく似合う。


2003年9月22日から24日:レポート作成後、あれこれと書いてます

口ずさむ

◆ちょうど、相米慎二監督の「風花」を見たこともあって、あの小泉今日子の「可愛さ」と「魅力」に惹かれていた。何度も映像を見て、最後の山小屋のシーンで登山者が夜の食事の席で「♪ピヨピヨ~♪ピヨピヨ~」と歌うシーンがある。あの音楽が何度も何度も口をついて出てきた。私も俳優としての小泉のような女性に巡りあってしまったら、人生を棄ててまで何処までも狂ってしまうだろう。いや、狂えるように夢中になれるものを、枯れた心が望んでいるような気もした。あの音楽は、哀しい。

◆♪旅に疲れた恋人たちにさすらい人の子守唄を・・・なんてのも歌ったなぁ。

◆三河の山中を走り、青空を見上げた。昔、吉田拓郎が「♪流れる雲を追いかけながらほんとのことを話してみたい・・・」と歌っていたのを真似して大声で歌ってみたりしている。あの青空を見たら、歌いたくなるんです。

◆♪あなた変わりはないですか、日ごと寒さが募ります・・・ってね。やっぱし、寒さがこたえるとこういう歌が出てきます。まして、思い出深いところを偶然にも走っていたりするとねぇー。

◆歌ったうたは数限りないと思う。すべてを思い出せるわけではない。しかし、また旅に出れば、また同じ歌を歌っているだろう。

喜ぶ

◆さざなみが光り輝いていたこと。四日市の海。

◆中川根の町のスーパーで、明日の天気を心配していた私に、「明日は晴れるって、そうらしいよ」と軽く言ってくれたあのおばさん。

◆奈良田温泉を出てこれからの行き先を考えているときに、私のKLEとまったく同じKLEの人が現れた。相模原からだと往復で300キロだから日帰りだって言っていた。彼のKLEは6万キロ以上も走っているらしい。最初に挨拶に交わした言葉は「珍しいですねぇー」だった。

◆白州の道の駅で水が沸いているんですが、ちょうどペットボトルが空になったのでラッキーでした。

◆松香寮の管理人さんが、106番コレクトコールがうまく繋がらずに困っている私に、使っていいよ、と電話を貸してくださったこと。

思い出す

◆甲府盆地を走っているときに、初めてツーリングに来て雨に降られそうになった街が似ていたので思い出した。あのころはブーツカバーなんてのを知らなかったので、雑貨屋に寄ってゴムの長靴を買って荷物にくくり付けた。そして、あのころは、停まることも惜しまず、必要と思えば迷わずに実行した純粋さがあった。

信州・上州の旅 (1996.4.27-29)

【4/27-1はじめに】
四国の話が話題に出ているのを読むと行きたくなる。でも東北の高湯や喜多方、盛岡などへもまた行きたい。散々悩んだ結果東北に行く事にした。青森の三内丸山遺跡を見てこようというのが今回の大きな目的になった。さて、前日に寝る段階になってもまだアプローチが決められず迷っている。富山のQちゃんのキャンプに寄って行こうか。名古屋市内は混むから奥三河を通って行こうか、東海道を通って山梨のおりえちゃんに一目だけ会ってから行こうか。悩んで答の出るものではないから早々に寝る事にした。いつもより燃えるものが少し少ないのかも知れない。だから、夜が明ける前から目が覚めないのか。外が明るくなってきた頃に起き出して二時間ほどかかって荷物を詰めて支度をした。英会話入門も聞かずに荷物を詰めている。しばらくさぼる事になるので少し引け目を感じながら荷物をバイクにくくりつけた。

【4/27-2出発】
ラジオの講座が終わる頃(7:00)に準備完了となる。ちょうどうちのんが起きてきた。出かけ前の写真を二枚撮ってもらって暖気運転は近所迷惑を配慮して省略しスローペースで家を出た。R23を北に向かう。この時はまだ富山に行くか伊那谷方面に行くかを迷っている。次第にペースが上がってくる。休日を楽しむ車よりも仕事へ出る人の車の方が多いだろうか。四日市市街は普段の土日の早朝よりもずっと仕事色が強い。名古屋方面に向かう事にして富山は諦めた。伊那谷を越えて軽井沢方面から上州を越えて信越に入ってから東北を目指そうと考えている。

【4/27-3名古屋郊外】
R23が名古屋郊外をおよそ回り切った頃、豊田方面に曲がって稲武町から平谷村を通り伊那方面へと行くのだが、豊田市郊外で渋滞が待っていた。これには頭に来たが、隣に止まったパトカーの助手席の警官に

---凄い渋滞ですねと尋ねたら
---いつもだよ、この辺は

とにこやかである。警察官の皆さんもお仕事、ご苦労様である。まあ、こんな渋滞だから猿投グリーンロードができたのかな。そう思いながら飯田街道を北へ北へと走っていく。

【4/27-4飯田街道】
平谷村で「ひまわりの湯」という道の駅ができている。人気もありそうで駐車場も車で一杯だ。寒原峠を越えて「おんびら」で蕎麦を喰うが、そこで前に座った夫婦の人も浜松から蕎麦を食べて風呂にはいるのが目的だと言っていた。お昼を少し回っていた頃にちょうど蕎麦を食べて満足である。ここが話に聞いていた有名蕎麦屋なんだなと思うとミーハー的に満足である。味は…旨い方だと思うが、私の蕎麦感は随分ひねくれていると自分で思うからあてにならない。

【2/27-5伊那谷】
飯田から松川方面に向かうのに高速道路の下の道路を走った。農道と書いてあったので期待をしていったがはずれだった。結果的に時間が掛かって疲労が増したか。南アルプスの山々が壮大である。少しでも近づいてみたいなあと思う。地蔵峠や分杭峠にも寄ってみたいがまたもや今回もお預けにした。先を急ごう。高遠の桜はまだ咲いているのだろうか。渋滞してるだろうな…と思いながら見て行くことにし火山峠を越えた。快適な峠である。しかし、高遠の高台に桜が見え始めると車が滞り始めた。町の真ん中ではお盆正月の渋滞並みになってきた。一番公園に近づいて見える所付近からわき見で眺めた。素晴らしい桜である。GWに咲いてくれたのはラッキーだった。例年ならもう少し早いのだろう。得したなあ。

【4/27-6諏訪】
さて杖突峠を越えて諏訪の町を見おろせる所までやってきた。桜のせいで国道の交差点は混雑している。ややうんざり気味に大門街道を目指す。ビーナスラインが無料になってから初めてかも知れない。大門街道への分岐点でウロウロして右往左往する。蓼科山が三角にドンとそびえている。もちろん真っ白である。家を出る頃は麦草峠を越えようというプランも少しはあった。心の中には越えたい気持ちと幻滅を怖がる気持ちが交錯していてここまで走ってきた。今日越えるのはやめてキャンプ場を探そう。温泉が近くにある方がありがたいやと思ったから麦草には向かわなかったのであった。

【4/27-7大門峠越え】
白樺湖は毎度幻滅するがやや飽和した感じだ。大門峠を越えてさて今夜の寝ぐらを探さなくては。。。鹿教湯に行けば何かあるかも知れないぞ。温泉に入ってゆっくりテントに入ろう…って筋書きで温泉を目指す。共同浴場を探して往復したが見つけられずあっさり諦めて別所温泉に行く。

【4/27-8豆石峠】
石峠[910m]である。これでも県道??とぶつぶついいながら越えた。狭いが綺麗な舗装である。雑木林の山を走る。いやぁ、雑木林だったかどうか分からない。まだ林は冬のままの感じで、新芽はそれほど目立たない。

【4/27-9別所温泉】
尾根を走って別所温泉に辿り着く。まだ五時頃だったのでキャンプ場所を探す。まず公園。別所公園というのがある。駅前のスーパーのおじさんに尋ねたらいいところがあるよと言って教えてくれたので意見が一致したな。でもアベックが多いという事と山の中に少し入るので寂しかった。明かりはあるのでやはりあそこにするべきだったか。。。と後悔。廃校になった別所小学校がスーパーの裏にあった。お風呂に先に行く事にした。おじさんの薦めで「葵の湯」に行く。 \100と洗髪料\10である。昔に来た時は\30だった。随分昔の話だなあ。さて最適の絶好地にテントを張ろうと思いきや、風呂から出てきたら若いヤンキー風の坊や達がミニバイクに乗って集まってきてウーロン茶を持って花見の準備だった。酒でないところが後で考えるとおかしい。

【4/27-10夜】
ここと決めて温泉に入りに行ったのに、仕方なく温泉を下りる事にした。長野大学そばに自由の森公園というのがあったのでここに決定した。桜の花の下では家族で花見をしている人がいる。その四駆のライトを借りてテントを張った。テントの骨をクロスに通すのをミスってなかなか張れず苦心した。汗だくだ。一緒に飲みましょうヨという声に誘われて焼酎をご馳走になった。いい気になって飲んで、スキっ腹に別所温泉のお湯が入っていたうえにお酒をブレンドしてしたたかに酔ってしまった。御礼を言ったかどうかも記憶にないままテントに潜り込んだが夜中に気持ちが悪くなって目が覚めた。何も喰ってないのだから何も出ない。真っ暗なテント中で出口のファスナーを探すうちに苦みがこみ上げてきて粗末をしてしまった。下の粗末ではなかったが、ややテントが匂う。こういう時ってめげるなあ。

【4/28-1車坂峠】
暗がりでどんなふうに拭き取ったのかわからないけど朝を迎えた。決してすがすがしいとは言えなかった。高峰高原を目指してみることにした。湯の丸高原に行きたかったからだ。しかし、車坂峠までは上れてもその先は通行止めで、湯の丸方面の行けそうにない。てっぺんまで行って引き返してきた。昨日のお昼はポカポカだっただけに少し高いところに行くと寒い。まだ日差しが弱くてわき腹がぞくぞくする。上田盆地の景色を春がすみの中に眺めていてもいつもならこみ上げてくる感動もない。寒さと空腹のせいだろう。朝食にする焼きそばパンとマミーを軽井沢のコンビニで買って峠の茶屋に着いた時に食べた。

【4/28-2峠の茶屋】
浅間に登るアベックと少し言葉を交わした。バイクの数が目立つようになってきている。日曜日という事もあろうか。鬼押し出しには行かずに長野原方面を目指す。この時にはもうすでに頭に中に「四万温泉」を浮かべていた。長野原から中之条までは眠い道を我慢して走る。結構疲れが残っているみたいだ。四万温泉はまだか、まだか。。。みんな同じ方向に向いて行く車が四万温泉に行くR353になるとぐっと減った。甘い予測は禁物だけど人は少ないかも知れない。。

【4/28-3四万温泉】
看板の矢印で温泉街へと曲がったらすぐ左手に温泉が見えた。何かありそうなので曲がった。駐車場は満杯である。公共の温泉施設「清流の湯」である。 \500/2h。お湯から上がってきたおばちゃんに聞いたらえらく薦めてくれるので入ってみることにした。新築みたいなので係りの人に尋ねたら4/1にオープンしたばかりという。休憩所に食べ物を持ち込んでも出前を取っても構わないそうです。施設の前には散歩コースもありベンチもある。さてさて、お湯に行きましょうか。まだテレビなどにも紹介されていないらしくGWのこの時期にしては人が少ない。大勢の人がお酒を飲んだりして休憩室でくつろいでいる。湯舟はガラガラ。露天風呂がいいというのが皆さんの感想のようだ。お湯は無色で透明。きつい匂いもない。湯量は豊富でどんどんと溢れ出ていく。露天風呂は川に面していて(他人だから仕方がないが)皆さん難しそうな顔をして湯舟に足を突っ込んで河原の景色を見ている。

---ほんと、イイお湯ですね
---そうだろ、ここがこの辺では一番いいよ

上州の言葉は再現できないが、年輩のじいさんの顔がくしゃくしゃになった。苦虫を噛み潰した顔も湯舟の中で言葉を交わせば旧知のそれに変わってしまう。皆さんの会話は、私の発した言葉で急に弾んでとどまる事がなかった。

---上州は何が美味しいの?
って聞いたら「うどん」だと教えてくれた。また私のテーマがひとつ増えた。嬉しいな。松阪肉の話なども出ていつまでも話が続く。春の日差しにしてはきついくらいで、露天風呂でも日陰の方に寄った。絵で書いたようにキラキラと輝きながらお湯は浴槽から溢れ、流れ出ていく。いろいろ話を聞いていると、温泉街には無料の公共浴場もたくさんあるようです。お湯が豊富だから出きることらしい。後で行く草津の公共施設も人が溢れていたが、混雑する時期はとりあえずこちらにした方が得策みたい。

【4/28-4暮坂峠】
四万温泉から暮坂峠[1090m]を越えて六合村の役場の前に出て草津温泉を目指した。初めて草津温泉を訪れた頃に通った道である。まだ随分と若かったので旅感も違ったものを持っていただろうな。しかし変わってくることは進化でもないのだから、昔の様な旅感に戻ってみてもいいのかな…などと、ぼんやり考えている。上越の山々が白銀に輝く遠望風景が少しづつ変化するのを楽しみながら、カーブをひとつひとつ抜けて行く。イイ湯だな♪なんて鼻歌気分である。

【4/28-5草津温泉】
草津温泉という所は不思議な魅惑を放つ所温泉で混んでいることがわかっていながら湯畑の前を通ってしまう。うちのんとタンデムで来た時に泊まったホテルも新しく立派になって、あの時バイクをしまってくれたガレージの面影はなかった。湯畑の前には何をしているのかをまったく想像できない多くの人がベンチに腰を降ろしている。温泉風情を楽しんでいるのか。銀座の歩行者天国に硫黄の匂いを漂わせたって変わらないやんか。みんなファッショナブルで、カメラを持って走り回る。でもそれを結果的に私は見に来たのだった。

【4/28-6白根山】
白根山に上っていこうとしたらいきなり観光バスの排気ガス攻撃に会う。イラついて抜こうとしたら対向車が現れた。危なかった。命拾いをしたな。やはり冷静さをなくしてはいけない。こんな所で仏になるのはゴメンだ。当時では珍しかった写真葉書を作ったのもこの白根山での記念撮影である。展望台で少し景色を眺めた。見知らぬおじさんが声を掛けてくる。三重県ナンバーをみて話し掛けてきた。

---三重のどこから?
---松阪です
---肉の旨いところだねぇ、いいなあーひとり旅は。。。

ひとり旅と言って羨ましがられると、何だかとっても得をしたことをしているみたいな気になってくる。雪は5メートルとも7メートルとも見学者が好きずきに言っている。湯釜の前の駐車場も雪で少し狭いし勝手が違う。少々の渋滞を抜けて万座温泉方面へと向かった。

【4/28-7万座峠】
風が最高に気持ち良い。冷たい。しかし、凍るような冷たさではなく、春の風なんだな。志賀区域に下りて行くと恐らく又混雑してるだろうから、万座峠に行く事にした。プリンスホテルの脇を通り県道へと入る。きちんと除雪がなされていて、乗用車も対向できるようになっている。雪の壁の中を走る。雪解け水が道路を横切るので、ハネが飛んでバイクが汚れるなあ…と思いながらのんびりと景色を楽しむ。ダートも覚悟(少し期待)していたのだが全面舗装だ。オフ車には何台もすれ違う。(オンも含めて)彼らとはコンセプトがマッチするらしく、こういう場所で逢うとピースを出す瞬間のタイミングが非常にスムーズだと思う。本来なら樺の木などが一面に生えた高原気分を走るのだろうが、雪のおかげで違った味を楽しませてもらっている。山田温泉が見おろせるところに展望台があったのでバイクを止めた。高低差が思ったよりある。何げなしに地図を見ていたらすぐ隣の道なのになあ。谷の向こうに林道が延びている。鎌田林道だろうか。ああ言うのを見ると行きたくなるんだよなあ。

【4/28-8須坂市から】
須坂市まで下りてきて長野市の薫さんに電話を入れた。随分と久しぶりである。たわいもない話をしてカードが減っていく。さて今夜は戸隠と決めていたのに YHに断られすったもんだで浅間温泉YHを目指す事にした。猿が馬場峠と風越峠を越えて浅間温泉に直接到達というわけである。風越峠は快適な道だった。今度からうまく利用しよう。保福寺峠などの看板も目についたが今日は時間がないから位置確認だけである。

【4/28-9夜】
共同浴場が近くにあって\200である。そんなにでっかいわけではないがとってもアットホームな感じ。この風呂で逢った東京から来たライダー君も誘ってやった。後に部屋で再会した。夕飯はコンビニでおにぎりとパン、酒屋でビールを仕入れて部屋で飲んだ。浅間温泉YHの部屋で相部屋になった人に井上貴はアウトライダーのpatioの常連さんでこれから長崎に帰るという。名刺を頂いて消灯の10:00pmまで話が弾む。電気を消したらみんな静かに眠っていったのだろうか。私はすぐに寝たが、大いびきで眠れなかったってことはないのだろうか。。。

【4/29-1朝】
今日で帰る事になった。うちのんがお腹をこわして倒れていると言う。天のお告げなのだろうか。安雲野に寄って、御岳に寄って…と頭の中で考えながら松本市内を抜けた。

【4/28-2安雲野】
北アルプスの真っ白の峰は何度見ても雄大で、大王わさび園からもゆっくりと眺めた。大王わさび農園でNHKの「小さな旅」の取材をやっている。スタッフの人達がわさび園のそばを流れるせせらぎにパンツになって足を突っ込んでカメラを回していた。関東ローカルで20分ほどの番組だそうです。関西弁の私には見られないのが分かったのか、残念そうな顔が出てしまったのか

---BSでもやりますよ…やったかな…やると思うけど…
と言ってくれた。5/25の放送だって言ってた。早朝に行ったので「わさびアイス」は我慢して少し散策した後「道祖神さま」を探しにもう少し西に向かうことにする。以前にカメラマンさんが教えてくれた道祖神さま達に会いたくてソワソワしているのである。穂高の駅に寄った。それらしいミーハーな女性二人連れなどが歩いている。でも清里みたいにチャラチャラしてないからのんびりするわ。駅でポスターを見たら「安雲野わさび祭」ってのが5/18,19にあるらしい。何をするのだろうか。。。この散策は今の季節はぴったしで正解だった。新緑の山に花が咲き、でっかい農家の庭ではこいのぼりが泳いでいる。このあたりは旗みたいな「のぼり」も立てるみたい。文化にも触れることができて満足だ。林檎畑の中を自転車ほど速さで散歩するように移動をした。畑仕事のおばちゃんに話を聞いた。花はいつもより少し遅いという。長野市の方の河川敷で咲いてた花は何だろか…って聞いたら、「あんず」か「もも」だろうと教えてくれた。サラダ街道はどっちですか、と問うたらこっちだよ、と教えてくれる。おばちゃんも知ってるサラダ街道なのである。

【4/28-3木曽路へ急ぐ】
さて、開田高原を目指すためにR19を南下し始めた。単純でつまらない道だけど時々すれ違うバイクのピースが活気を戻してくれる。日帰りで走っている人、これから帰る人、出かける人。木曽福島に着く直前で話したなにわナンバーのCB1000の男子はこれから帰ると言う。そのまま帰るのがつまらないと言うので開田高原と御岳周回道路を教えてやった。その気になってくれたようだ。楽しい旅で締めくくれるように願おう。姫路ナンバーのデグリーの女の子は今日は乗鞍高原ですという。乗鞍と白骨の温泉の話をしたら、風呂上がりが嫌いだと言っていた。必ずしも温泉好きとは限らないもんな。

【4/28-4地蔵峠・旧道】
素晴らしい峠であった。滝がある。唐沢の滝?と書いてあったか。思ったより険しかった。途中に二本木湯というのができていて賑わっている。

【4/28-5開田村】
岡さんに逢うために開田高原に行くのだが、彼女も忙しそうでおまけに後輩が来ているみたいでお話なんてできない。馬術部の後輩で…という話声が聞こえてくる。TV取材での苦労話が聞きたかったのだが。乗馬ができるようになったんですと生き生きと話してくれた。みんなに宣伝しておかなくては。毎度のことではあるが、そばを村営の食堂でいただいて帰途に着く。

【4/28-6中津川から高速道路】
安全と時間節約などを考えて高速道路を選択した。中央道は車が多い割には春日井インターは混雑していなく、市内の車の流れもいいようだった。わが家到着時刻は六時過ぎだった。

1983年の東北〔幻の東北旅〕

1983年の夏は、アンニュイに始まった。はじめての東北は、センチメンタルな旅でした。それで私は東北が嫌いになってしまったかのように、北には足を踏み込めなくなってゆくのです。思い出は化石のように風化してゆくけど、私が生きている間だけ消えなければいい。

◎--------------------------------------------------

7月28日〔木曜日〕 はれ

朝5時を少し回ったころに目が覚めた。別に早く出発するつもりはなかったけど、気持ちがその気になったら出掛けるしかないか。前日から用意してあったタンクバックとディパックをバイクにつけて、さあ出発。ちょうど青山さんちの純子さんと家の前で挨拶を交わしてエンジンをかけた。AM5:45だった。

丸太町通りまで出て、トリップメーターを見たら「11739」であった。どこまで走るかは決めていない。もう嫌だというところまで思うほど走ってくるつもりだった。

天気は良いし、太陽が昇り青空が広がっていた。とにかく信州へ、そして千鶴子さんの所へ・・・、このことだけを考えての出発だ。だから好天なのが何よりも嬉しい。

京都市内を抜けて滋賀県に入る。旧中仙道であるR9に入り関が原方面へと向かう。左側に新幹線のあるところで第1回目のピースサインを交わした。

左側に伊吹山が見えるはずなんだが雲が掛かっている。しばらくして雨がパラパラときた。太陽が出ているのに降っているのは「狐の嫁入りというのです」なんていうひとりごとを言って不安を忘れようとする。

R8からR21へと移って岐阜市内に入る。軽トラのおじさんが信号で止まっているときに「暑いでしょうね、革を着て・・・でもかっこいいよ。どこまで行くのだい?」と聞いてきた。

「北海道に行くんだ。10日間の休みで・・・」と答えて別れててしまう。十六銀行というのがある。道端のスタンドでそこを教わったので探す。けれどお少し迷って、やっと見つけて3万円をおろした。9時ちょうどだった。

このときには白川郷から高山を抜けて平湯のほうへと考えていたが、何だか遠くて疲れそうだし…と思ったら、少し近いほうのルートに変えて走ることに決めていた。ゴールデンウィークに安藤が走った白川街道を走ってみたかったが、既にめげていた。

岐阜から少し遠かったR156と別れてR248に入り、そしてR41へと、何かに引かれるようにただ走っている。

飛騨川沿いのこの道は、車もそれほど多くなく谷間をくねくねと続いている。金山町、中切だったと思う。ダム湖のそばにある店で11:30に昼食とする。

カツカレーを頼んだけど、食べ切れなくて、珍しいこともあるね。手が震えて・・・。疲れているんだなと感じる。
けど、とにかく米を腹いっぱいに入れなくてはいけない、と思ってがんばるけど、やっぱし残してしまった。

店の人が「乗鞍はいいところです」といっていたのが有料道路に行くきっかけとなってゆく。

高山市を抜けてR158へと入る。去年の秋に走ったところだ。そしてここはゴールデンウィークに安藤に会いたくて走ったところでもある。

平湯に入るまでにガソリンを入れた。詳しいことは残念だがメモにない。

乗鞍スカイラインに行くことにする。高さを稼ぐところで馬力が落ちたかと思わせる。寒い。何もかもが高いためだ。

2700メートルくらいの終点のところでしばらくぶらぶらしていたが、降りることにした。高原のほうに行くことにした。去年の秋にも下ったルートだ。懐かしい風景を見てまたR158に戻って松本市へと向かう。

3:00PMを少し回ったころか。上田まほろばYHに泊まろうと決意する。松本市内を抜けてR143へと行く。

青木峠というところを走って行けば上田市に抜けられる。峠に入る前にYH に電話を入れてOK。

実はこのOKはとてもラッキーだったのです。バイクの人が2人居たけど、出掛けて戻ってくるまでに接触の事故を起こして、急遽東京に帰ってしまったのだそうで、そこへあたしが電話を入れたんだそうです。

YHには5:30PMに着いた。京都の人がたくさん居て、工芸繊維大学と京都大学の人の住所を教わってきた。

T.M. 12183 本日444キロ。

◎--------------------------------------------------

7月29日〔金曜日〕 はれ

天気はよく、まほろばYH の前で記念写真を撮って出発となる。8:45AMであった。今日のコースは昨晩にほぼ決定していた。

まず菅平まで行き、草津に向かう。R143を走って上田市に入り、R144に移って鳥居峠を目指した。特に印象がないところだが、5月に霧の中を走った菅平高原の入り口を、妻恋村のほうに向かった。

ハプニングとして大きな事件があった。国鉄バスと接触をするところだったのです。結構見通しのいい2キロほどある直線で、普通車が1台だけバスについて走っていた。ずっと後方から追い上げて近づいていった私は、バスを抜こうという気持ちになっている。そのとき、バスが右にウインカーを出した。そして戻して、再び出した。

ラッキー!抜けのサインだ、と思って右に抜きはじめて、まさに抜こうとするときにバスが右に曲がってきたのだ。もう止まれない。時速100キロ以上は出ていただろうか。右側を必死で抜けた。バスの風圧が私に届くのがわかった。バスのブレーキのエアーが抜ける音を背中に聞いて、助かったとほっとしながら、胸がどきどきして止まらなかったヨ。

「追い越しは気をつけろよ、スピード出すなよ」とつぶやきながら鳥居峠を越えて、万座温泉へとバイクを進めてゆく。

CBXは快調だ。天気もいい。だから万座ハイウェイは楽しめた。温泉は硫黄の匂いで、それが谷じゅうに充ちている。ここももう一度来たいところだ。

白根山の頂上にまで人の列が並んでいるのが見えた。人でいっぱいだったけれど、風景は最高にいいところだ。この辺りを見たら他の場所ではなかなか感動しないだろう。硫黄の匂いが風に乗って草津温泉の方からやって来る。

草津道路はR292.。そして長野原に下りてR145を吾妻町に向かって走って高山村を通って沼田市に出る。東北新幹線の線路だけが近代的である。R17に出る。

三国峠。53曲の峠でカーブひとつひとつにR25とかR40などと示されている。運良く前方に車なしで最高の気持ちで峠を越えた。

さて、今度は湯沢あたりと思っていたが。CBX650にのった山口に似た感じの人と外人さんと、スタンドで話をする。外人さんは当てのない旅だそうだ。

湯沢で給油。 1800円 12リットル 約350キロ。

カナディアンロッキーという店で休んで、地図を見て只見YHに電話を入れた。3:30PMころ。

只見まで1.5時間ほどだ、と店の人が言うので走り出した。R17からR252へ。

田野倉ダムまで1.5時間ではとてもじゃないが行けない。地元の人たちはみんなが1.5時間というが、無理だ。

六十里越えトンネルを抜けてダム湖が見えたとき、ああやっと只見だ、と思っても少しもダムは来ない。なんてでっかいダム湖なんだろう、そう思うことしきりだった。

ダムで30分ほど休んだ。5時PMころだった。店は町営なのだろうか、閉めてしまっている。その後、只見町に降りた。YHに飛び込んでひと息ついた。

仙台から来た国鉄職員の人と2人だけ。女子高校生が4人勉強に来ていた。夜、彼とビールを買いに出て歩きながら飲んだ。昨夜は飲めなかっただけに天の水だ。ぐっすり眠れた。

夕方5:30只見YH着。T.M.12493 本日310キロ

◎--------------------------------------------------

7月30日〔土曜日〕 曇り時々雨

只見YH を出るとき何とか天気は良かったのにR252を猪苗代に向かって走っている間にパラパラと来た。会津若松に出るこの国道の途中で雨具を着た。しかしすぐにやんだので脱いだ。さて、今夜は困ったものだ。泊まる宿が決まっていない。

とにかく猪苗代湖に出てみた。海みたいな湖だ。大きいから湖という感じはしない。汐の香りがしないから何となく味が出ない。

R252からR49にすでに移っていた。このあたりは磐梯朝日国立公園である。残念ながら一番見てみたい磐梯山には雲が掛かって見えない。

猪苗代湖から磐梯山の東側を回って裏磐梯に出た。五色沼に行ってみたが人ばかり。ひとつだけ沼を見て、駐車場でXL250の人と話し込んだ。筑波から来たとのことで、CB750にも乗っているんだそうだ。

天気が今にも崩れそうだ。2時過ぎ、ここを離れてR115に出て吾妻小富士のほうに向かう。土湯峠を往復して猪苗代湖を回っているR49に戻ってきてしまう。

YHはいくつかあったけど、今ひとつで、泊まる気になれず郡山へと降りてきてしまった。市内に入るとパラパラと降り始めた。駅前のほうに走ってみたり、戻ったりで、開成山公園というところで雨宿り。少しやんだから、また、大槻町を探して出発するけど、土砂降りに遭う。ガソリンスタンドで雨具を着て詳しい住所を探し当て、千鶴子さんの家の近くまで行った。

6時前だった。家に電話を入れた。それが家のすぐ前のボックスだったから、知らないって恐ろしい。7時半くらいまで待っただろうか。彼女は帰ってきてかなり強引に家に泊めてもらうことになった。

夜遅くまで話をしていた。夜というか、朝の5時くらいまで話していた。

◎--------------------------------------------------

7月31日〔日曜日〕

朝起きると雨は上がっていた。お母さんとお兄さんと彼女と4人で食事を取って、写真を撮って、彼女を乗せて出発。猪苗代この方に向かうけどパラパラ・・・。ああ。

あぶくま洞というところがあると言うので、郡山市内を抜けてR49をいわき市の方に向けて走る。10キロほど走って、そこからそれてあぶくま洞へ。

雨が途中から強くなり私だけが雨具を着けた。三春町の方へ回って郡山市に戻った。

今夜の宿は、ワシントンホテルだ。バイクが心配なので駐車場に入れて荷物を降ろして・・・。

いつの間にか日が暮れていた。

夜には酒を飲んで、ホテルの階上でさらに食事をして、部屋に戻ったのが10時過ぎ。

バンダナを買ってもらった。思い出の多い1日だった。

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8月1日〔月曜日〕 雨のち晴れ

朝起きると雨だ。うんざり。もう走りたくないし、郡山を離れたくない。

けど、思い切って北に向けて出発。

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8月2日〔火曜日〕

唐桑YHから田沢湖まで。

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8月3日〔水曜日〕 雨のち晴れ

田沢湖から那須まで。

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8月4日〔木曜日〕

那須より安藤の家まで。

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8月5日〔金曜日〕

古里へ。日記は、中途半端で終わっている。記載することがなかったわけではないだろう。そっと自分の心の奥にしまっておくことだと思っていたのかもしれない。20年も前のことなど、断崖から飛び降りるなど、死ぬ間際に直面しない限り思い出せない…。

1995年春・煙が目にしみる 四国・中国篇

煙が目にしみる('95春篇)ねこさん

奥飛騨~金沢の旅を終えたGSXFを冬の間も私は通勤に使い続け、入院前にはカムチェーンも緩んでカラカラと今にもぶっ飛びそうな音を立てていた。煙の出具合は今になって思うと二年間も無理して乗った事もあって、当初よりも多くなったかに思えた。冬場はチョークを引くので余計にそう思えたのかも知れない。こんな病を持ち続けたままで九州や東北、奥飛騨、金沢と走り回った去年の私はGSXにとったらとんだ罪悪人という事になる。まあ、許してくれや、夏には復帰だ。

永く病を治癒するためにやっとの思いでメグロさんに渡したのが3月の初旬だった。月末にはコンサートを控えていることから、その練習に忙しく乗ってやる暇が最も少ない時期だと判断したからであった。その時にメグロさんには「4月になったら乗りたいので」言ったつもりであったが、メグロさんの都合もあり遅れ気味となり、「ゴールデン・ウィークには間に合わせて」とお願いするも虚しく、天候の意地悪もあって退院は4/30となった。そのあとから早速乗ってみた。

--まだエンジンが重いのでとメグロさんは言う。

すぐにでもツーリングに出たい私に、

--物理的には、50Km走れる物は1000Km走れるわけで

と説明をしてくれる。早い話が、出かけるのは無謀と忠告してくれているようにとれる。真意不明。

--しかし、速度は法定並で走って行かなくてはなりません。ロングの件ですが、まあ前例がないので。

メグロさんの心使いでガソリンタンクに1/100のオイル(10cc)を混ぜてもらった。これは当たりが出ないメカ部品に対しての焼きつきの防止の為である。やはり低回転で登る坂道では、後方から誰かに引っ張られているようなほどに前に出て行かない。これは、ボーリングの直後の為か、エンジンの特性自体が変わってしまったのか。

試運転を繰り返すうちにやはりツーリングに出るには無理がありそうだと感じ始めた。天が慰めるように雨を降らせてくれるので諦めもつく。(ツーリング中断の人には申し訳ない、慰め合いましょう)そんなわけで、ゴールデン・ウィークは読書をしたりして有意義?に過ごさせて頂けそう。

エンジン音は新車の時のように静かになり、アイドリングの時は振動も少なく、加速時には電動モーターの様に回り始める。肝心のオイル燃えについては、低回転でしか確認ができないが、煙の出はおさまった様子である。まだ予断は許されないが。

250のマグナがもう少し早く出ていれば修理を止める事も考えたかも、と思いながらしばらくはまたこいつと付き合う事になった訳である。

低回転のトルク不足は、今後ずっと付き合う事になるかも知れないが、もう100ー200Km程はトロトロと慣らして見ようと思い、いやその必要がありそうなので、50Km程度の日帰りのツーリングを繰り返していかなくてはなるまい。

さて、残されたゴールデン・ウィーク、どんなふうに走ろうかな。'95.5.3ねこさん

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旅日記('95GWツーレポ)[1]<四国>

副題を【煙が目にしみる('95GWツーレポ)】とします。

GSXが煙を吹き始めて以来、二年間に渡り(一部で)書き続けた「煙が目にしみる」の完結篇をここにツーレポと兼用で残します。 

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----<<まえがき>>----

■雨は嫌だ。季節の変わり目には雨が多い事はわかっている。GWの半分が雨降りであることも覚悟している。けれども、雨が降ると気持ちは冴えない。連休初日、4/29も朝から雨だった。メグロさんは雨が止んだらGSXを届けましょうという。雨の中で受け取ったところで出発できるわけではないから、早々に諦めて家族と買い物に出かけた。休日の連続雨記録を更新中だそうで、この日で5週目とか。仕事で走るわけでもないので、晴れるまでは家族と暇つぶしでもしようか。安易にそう考えたが、GWの天気予報に晴れマークが現れず、そんな苛立つ日が5/1になってもまだ続いた。そんな状況でも、後半からは晴れてくるだろうという希望的予測も棄てられず、もう待てないから5/4には出発!と決めた。

■行き場所は山陰である。GSXの煙を初めて見たあの鍵掛峠に行こう。そうぼんやりと考えている。どこかに「こだわり」がある。が、そのパワーはいつもより弱い。それでも山陰なんだなあ、あれだけ四国は素敵なブルーアイランドだってみんなに薦めておいても。

やっぱし「こだわり」だけで走ってるんだよ。

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----<<5月4日>>----

■さて、5/4の朝。天気ははっきりせず、どんよりと霞がかかったような空だ。空気は生暖かい。去年のツーレポを引っ張り出して出発時間を確認すると、8:30に家を出て和歌山港に12:15に着いている。--お母さん、9:00には出るわ。それから、バンダナ探して。

平日と同じくらいの時刻からドタバタし始めた私に起こされて、うちのんも目が覚めたようだ。ごめんごめん。そういえば昨日の夕方、裏のTちゃん(小2)が--Aちゃん、子どもの日、何を買うてもらうの?(返事も聞かず)僕なあ。プラモデルや。

バイクに荷物を積み始めたら娘が出てきた。--おみやげ、何にしょ。お饅頭か。--うん。

8:30を1,2分過ぎていたかも知れない。さあ出発だ。まずは高見峠である。

■100%元気…忍たま乱太郎の主題歌を鼻で歌いながら軽快に走って行く。光ゲンジの歌だと子供が後で教えてくれた。知ってるところがほんのさわりだけであるため、そこばっかしを繰り返し歌っている。何て滑稽な姿だろう。でもみんな似たようなものだと思う。

■高見峠を通って和歌山港まで。GSXのシリンダは「新車の時よりも加工精度が悪いので慣らし運転は慎重に」とメグロさんから聞いている。慣らし運転でそんなロングツーリングは珍しいらしく、ガソリンにオイルを1/100だけ混ぜてくれた。(15ccほど)

思いっきり水蒸気を含んだ気団が山の上にあるのか、山頂は霞んでいる。新芽が湧き出るようだ。秋の紅葉は華やかで綺麗だが、春の緑も爽やかでいい。秋と違って新しい物が生まれてくる時のパワーのようなものがある。独特の空気の匂いがする。それに田舎の匂いが重なる。周りの水田はほとんどが田植えを終わっている中、まだ、真っ最中の所もある。大雨が続いた事もあって櫛田川の水はやや濁り気味であった。高見峠の交通量はいつもより多い様に思う。「GWなんだなあ~」と独り言を言いながら制限速度で上って行った。

すべては時間通りである。和歌山港までの道の混雑も難なくこなして12:30に港着。

■13:30発ですよねと言いながら切符を買おうとすると窓口の係員さん(の野郎)が次の出航時刻を表示した窓の一角を鉛筆でつついている。その馬鹿さ加減に心で笑って、怒りを消した。船への乗り場に行ったらバイクが意外と少ない。移動の谷間の日なのかなあ。客室に一番乗りで行けるのはライダーの特権であったが、ポツンポツンと別れて寝ころんでもどうも落ちつかないのでライダーの人の近くに移動した。無愛想な人だったなあ。特に女の子。あまり軽々しい子も困るがもう少しにっこりしてもよさそうだろう。まあ、(彼女は)逆に寂しいのかも知れない。だから話そうとしなかったのかなあ。ソロライダーは孤独なんだよなあ。船内のテレビはオウムの話ばかりで、早く徳島に上陸したい。

■雨が心配。雲行きが怪しいぞ。さて、高知へ行こうと思っていたのだが、南は雨かも知れないと予想すると、瀬戸内海の地方は雨が少ないと小学校で習ったのを思い出し、高松に向かって走って行く事にした。しかし浅知恵だった。雨に降られるならどっちでも同じ。ほんとうに行きたい方に行くべきだった。

■R192~R193脇町から塩江温泉の所を越える峠はなんて言うのだろう。この途中で雨具を着た。でも、高松に近づくと止んで、しばらくしたらここにも雨がやってきた。土砂降り。町のアーケードの中の電話ボックスから屋島山荘YHに電話をした。雨の中のテントは嫌だ、というのが理由である。|どうも今回の旅では、野営実行気力が随分弱く、宿(YH)に甘えて|しまった。でも、もう泊まらない。高いし汚いから。決心は固い。

アーケードの出口で横断歩道の赤信号を待つショートカットのいい感じの女性に後ろより声を掛け道を尋ねた。--屋島ってどっちですか--番町の交差点を…綺麗な人だった。「泣いているのか笑っているのか」と思わず口ずさみながら先を急いだ。

■YHに着いたらすぐ後にグース250の練馬ナンバーの女性が飛び込んできた。初めは女性だと思わなかったので、「この雨のきつい中、狭い駐車場にまた人が来てもう少し後からにしてくれればなあ…」と思った。でも、この子、なかなか積極的でしっかりしていて茶目っ気のありそうな子だった。--法隆寺でぼーっとして、ゆっくりしすぎて…。

昨日は赤目(三重県)に泊まって法隆寺を回って陸を走ってきたそうである。何故、あの法隆寺なのか。法隆寺の話が聞きたいと思いつつ最後まで忘れていたりして機会がなかった。それがこの地でも最も後悔する事であった。

三重高の女の子(二年)にも会った。賑やかで可愛い子だった。私の赤髭みて--画家のMさんと勝手に呼んでくれるくれるではないか。もしあんたの高校の教師やったらどうするんやと言ってやった。職業を隠したから余計に聞こうとする。余計に隠そうとする。

ロードスターの彼氏は鈴鹿の自動車会社の人。三重県の人にこんな狭いところでこんなに会うなんて。明朝、宇高連絡船の前まで送ってくれたが御礼を言いそびれた。

<本日走行距離:283Km>

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旅日記('95GWツーレポ)[2]<中国>

----<<5月5日>>----

■こいのぼりが風になびいている。屋島を一周してみた。8:30を少し過ぎた頃に宇高連絡船に乗った。豪華な船でたったのに\1400は安い。お客さんも少ないように思う。車もぱらぱら。グースの彼女と話が出来なかったのが少し尾を引いて消沈気味の私は船のデッキで海に向かってぼんやりとする時間を過ごした。とても客室でオウムのTV番組を見る気にはなれない。

昨晩の雨水が蒸発して海の上を漂う。それが遠くの島をぼんやりと隠してしまう。カラリと晴れて底知れぬ群青の深さを見せてくれる海ではなく、寝ぼけ眼で見るような海であった。一方で、風はさらりとして塩っ気がない。大きい川を渡る船のよう。

■宇野港から鷲羽山に向かってシーサイドラインを走る。伊勢志摩の海岸をいつも走っている私はちょっとやそっとでは驚かないよ。でもいいところでした。霞の中に浮かぶ瀬戸大橋を眺めながら潮風に吹かれる。玉子ヶ岳という山があり、行ってみれば良かったと少し後悔。面白そうだったのに。

■倉敷郊外を抜けて富峠を越えた。県道である。山の斜面にたくさん新芽を出している果樹は何だろうか。ゆっくり眺めることもなく先へと走った。(何故、北へ…と、何を急いだのだろう)

今回のツーリングはこんな時にもバイクを止めずに走り続けた事が多かった。後で書く美星町での出来事は例外であるが、全般的に走り続けた。何がそうさせたのかわからないが、(どこに行くか決まらず)行き先を決めるのに迷いがあったのと、気分がやはり雨で滅入りきってしまっていたのか。まあ、慣らしなんだし。

■矢掛町から美星町へツーリングマップにも載っているスーパー農道の一部を走った。快適である。飛ばすことはしない。(いつも田舎道をそう書くが)何の変哲もない景色である。そんなふうに周りの景色が妙に落ちついているところがとても好きになってしまった。眺めていると心が落ちつく。可愛い子に出会った時のような感じで、じわっと来るものがあった。したがって、スピードはだんだん落ちていって、ついに路肩にバイクを止めて山々や畑、樹木を眺めた。お茶畑や野菜畑や綺麗に植林された杉の木や桧の山などが幾重にも連なる。近くの斜面には家が散らばってる。安野光雅さんの水彩画の講座を少し前にNHKテレビで見ていた。あの時に出てきた南フランスやロンドン郊外の絵の様な感じである。だいたいこんな遠くまで来て、国道をそれて無名の田舎に入って来て、バイクを止めて景色を眺めているなんて…、失恋旅行でもあるまいし…。

■新見インターの近くまでやっと北上してきた。もうお昼に近かったと思う。2年前の夏にはこのインターから高速で帰ったんだなあと回想しながらいよいよ中国地方の北半分に差し掛かる。

■明地トンネルを抜けると大山が見えた。峠の下りには展望台もあり、一息ついたり地図を見たりして努めて休憩を取るようにした。米子が近づいて来るに従い大山周回道路でも走ろうかと思い始める。実は又、亀嵩に寄って今度は出雲大社にでも行こうかとも思っていたのだが諦める事にした。理由は簡単。明日、京都(亀岡市の実家)に寄ろうと決めていたからである。

岸本町から広大な農作地域をまっすぐ抜ける農道(県道?)を、一気に大山の頂上方向に走った。肥やしの匂いはたまらなく気持ちいいな。ほんと。

■枡水高原は人・人・人でいっぱいだった。しかし、前回に泊まったキャンプ場には、全然テントが設営してなくて、後で考えればここにしておけば良かったと後悔する事になる。やはり夏になると人で溢れるのだろうが、まだ今の季節は少し寒いせいもありキャンパーは少ない様子。道路脇には真っ黒に埃を被った雪が残る。今は虫も居なくて良い季節なので、テントにしなかった事を、帰ってからも悔やんでいる。

■羽合温泉のYH香宝寺に電話をした。とっても無愛想な女の人の応対だったので嫌な予感がした。キャンプにしようと考えを改め始めていて、東郷池の西岸の豪華な公園も見て回った。ここは緊急用にも、計画的にもお薦めである。すぐ前に温泉センターがある。夜中ひとりで寝るまでを過ごす方法を考えてやめてしまった。変にYHに行って人と会話をしている方が楽珍と考えたのがまずかった。やはり、徹底的にひとりになるべきだった。夏なら暑いから夕方になっても走り続け、疲れ果てて野営という事になる事がある。こういう時って純粋に生きているのを実感できているのだと、ぬるま湯の宿に行って思っている。

夕食をスーパーで買い付け、ビールも隠し持ってYHの部屋に滑り込んだ。

■ひっでえYHだった。あんなにYHのトイレってのは汚いものなのか。偶然にも今までが「まし」だったのか。お寺だったので御香の匂いかとも思っていたが、あれはトイレの匂いだぜ。

<本日走行距離:319Km>

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----<<5月6日>>----

■皆さんが寝静まっている時間に出発する事にした。早起きの習慣があり、5時過ぎには目が覚めてしまう。

東郷池を左回りして鳥取砂丘に向かった。近くを通ったら寄らなくっちゃと思い来てみたが、展望台が出来て駐車場が林の中に切り開かれている。観光地はつまらないとまでは言わないが、感激は少ない。お土産を買っただけ。

ここはキャンプ(野営)をするにはちょうど良い林がたくさんあるぞ。>皆さんチェックしておかねば。

■日本海沿いを走る事にした。R9を走って帰るのはしゃくにさわるというのが理由である。いつからか前を250ccのカワサキのバイクが走っている。余部鉄橋のあたりからかな。初めは男の子とばかり思っていたらどうも女性らしい。奈良ナンバーだったので、きっとこれから帰るんだろうなあと思いながら抜いたり抜かれたり。

信号で止まったときに---奈良まで帰るのですか私は出石で蕎麦でも喰ってから帰ります。どちらを通って帰るんですか---生野です(と言ったと思う)

■何故、彼女に一緒に(蕎麦を喰いに)行こうと言わなかったのだろうか。出石への分岐点あたりから姿が見えなくなった。彼女が消えてから、誘わなかった事を悔いている。ばか。

R9は懐かしい道である。今日は(うちのんの)実家まで。鳥取砂丘で買ったお饅頭を子どもに渡すのも楽しみのひとつである。

<本日走行距離:257Km>

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----<<5月7日>>----

■旅が尻すぼみになっているのが気に入らない。しかし、たんまり酒をご馳走になったので、元気が戻ったか。

いよいよゴールデン・ウィークの最後の日である。遊びすぎて明日からの仕事に差し支えてはと考えるところなどはまだまともなところが残っているのか。

■奈良で道草をする事にした。「理由は?」「昨日のカワサキのあのバイクの子のナンバーが奈良だったから?」「ノーだよ。」独り言を繰り返している。フルフェイスの窓から見える目元が、可愛かったんだから。

ほんとの理由は…京都と三重の間の道は走り尽くしたからさ。たまにはスリリングな道を行こうと思っただけであった。奈良市内や公園の近くは人でごった返していた。

奈良から高円山の麓を通って名張に行く県道を通った。田舎の道だ。こういう道って病みつきになってしまう。

<本日走行距離:169Km>

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----<<あとがき>>----

去年の秋の旅(ツーリング)以来だっただけに気合いもあって、早くから荷物を用意し自炊用のコッヘルも音楽室から借りてきたのだった。(音楽室は聖地としか書きようがない/校長先生まさか読んでないよね)革のつなぎも丁寧にクリームをぬってやった。10年物の輝きだった。でもキャンプツーリングをするなら避けた方がいいみたい。

旅先でうちのんに電話でYHに泊まる話をすると---折角準備して行ったのにねえと残念がってくれた。\2980のテントの寝心地は、この5月末か6月初旬まで持ち越しとなった。

今の季節は花が美しい。あちらこちら、山間部を走ったら山藤が紫色に散らばって緑を引き立てている。こんな所にこんな花がなあ、と驚かされる。れんげやつつじはわかるけれど、やはりツーリングをするだけではなく、旅を二倍は楽しむには、植物の名前なども知ろうではないかといつも感じてしまう。

最後に。二年間にわたって(一部のあちらこちらで)書き続けた「煙が目にしみる」(GSX修理日記)も完結を迎える日が近いかも知れない。煙がおさまったら車検をするし、直っていなかったら棄てる。

長々と書きましたが、文才なき事は許されたし。いつかどこかでピースを交わしましょう。

会計報告は機会があれば後であげます。また訂正があればコメントであげます。

<5/4-5/7,全走行距離:1028Km>

おわり

95年:紀宝~本宮~龍神~潮岬<紀伊半島>

【ルート】

自宅~熊野~湯の口温泉付近~川湯・わたらせ温泉~(中辺路)~小広峠~水上栃谷トンネル(マップでは林道)~龍神~虎が峰~潮岬~自宅

【走行距離】約550Km(参考程度)

【時間】7:10~18:00

<出発まで>

百武彗星を見ようというお題目で伊豆行きを決断したのは三月の初旬の事でした。まだ寒いかな、お天気は…なんていう心配をしながら少しづつ温かくなる陽気を楽しんでおりました。いよいよ三月末のその日がやってきました。がはは。雨の予報が出ている…ってなわけで簡単に予定変更をして家でごろごろとして過ごしたのでした。3.31は日曜日。春休みになってもお父さんから何のサービスも受けていない事を暗に子供やお母さんはちらりと口に出します。でも私は紀伊半島のほぼ真ん中にある中辺路(熊野街道)と龍神温泉と紀伊・田辺を結ぶ「虎が峰峠」を夢に描いているのでした。朝寝坊をしている二人の横を抜けてそっと支度をして出て行こうと思っていたのに、「お母さん、靴下どこにあるん?」って急ぐ心でつい尋ねてしまいました。ごめんね、母さん。娘は、春休みの特権で夜更かしと朝寝坊の最中なので寝顔に挨拶するだけで出かけました。

<朝~>

最高のお天気になりそうな気配です。空の青さが違うし、木枯らしが吹いてた時のものとは雲の白さも変わってきている。夕べ遅くまで降っていたのか、日陰の小道はまだ濡れていた。下着の上に薄手のシャツ、皮のつなぎ、冬用の赤いスポーツジャケット(山に行くのに買ったのにツーリングにしか使わず)という感じで重ね着をした。首筋あたりを切る風は少し冷たいがバンダナ程度で済ませる。10年以上も使って中身のないクシタニの手袋でも寒くない。夏用の手袋でも大丈夫かも知れない。子供のようにウキウキしている。荷坂峠の下りで海が見えたくらいで大喜びしてる。ONEO'CLOCKJUMPが自然と鼻歌に出てくる。今年の演奏曲だったしなあ。

目的は虎が峰に行く事だ。初めて紀伊半島をぐるりと回った時、最も感動した峠だ。その後に越えた引牛峠は過酷すぎて苦難ばかりが残っているが、どちらも行きたい…。でも虎が峰に寄る前に中辺路を走りたいし、そこから龍神に抜ける峠も見てみたい。実は、途中で何度も迷ったが三つの峠をひと筆書きで回って日帰りを知るのはもうちょっとの努力だが苦しい。できれば温泉にも入ってゆっくりして来るようなツーリングにしたいのだが、「何がそうさせたの?」(途中で逢ったVT250の女性)と聞かれて、「ムズムズしたから」としか答えようがなかった。

そんな事を考えながら矢の川峠も快適に越えて熊野市街に入った。桜がちらほら咲いている。木によってはほとんど満開に近いのもある。淡いピンクは春のおぼろな空気にとても良く似合う。花びら、二題ほど。

花びらを吹いて散らせて背を向けて  ねこ作

花びらが風に舞うよに地に落ちて  ねこ作

<風伝峠~>

先日、開通した記事を新聞で見てもう一度行きたいなあと思っていたので、紀宝町を経由して川湯温泉のそばを通りわたらせ温泉を見おろしながら中辺路に向かうルートにした。紀宝町で熊野川を横切るでっかい橋から河原を見降ろせばライダーがひとり佇んでいた。何を思っているのだろうか。その横を観光船が満載状態で過ぎて行った。まあ、そんな景色を高見の見物した後、思いっ切り狭い国道をトロトロと走り始めた。杉の花粉が雨で流されてアスファルトに黄色い斑点を作っている。森は新芽を出して花粉を飛ばしている。酸素を欲張って思いっ切り吸おうとしたら、苦い匂いがする。シダ類が放つ菌の匂いなんだろうか?暖地性のシダが路肩の草木たちの中に目立つようになったのがわかる。バイクを止めたら鴬が声を枯らさんとばかりに鳴いている。エンジンは、やはり文明の生んだ罪悪なようだ。

<川湯温泉~>

川湯のキャンプ場は思ったより人出は少ないが、駐車場には朝のおやつの時間だというのに車は溢れていた。仙人風呂は既になく、先日からの降雨で増水した川は水かさを増して悠々と流れている。秋のシーズンほどでもないがまずまずの人出の様子である。

<中辺路~>

工事中の箇所が多い。発破の予告の看板が目立つ。さらに気をつけてみると今走っている道路の何割かは新しく造成された道路で近年の工事の印も残る。つまり、数年で三級国道が二級国道並にまで走り易くなるという事だ。工事は急ピッチで進んでいる。悲しいような気がし、田辺から本宮を目指した昔の修行者たちが通った熊野街道を自然のままにという気も起こるが、古人が通った道だからこそ国道は整備を必要とし、史跡として古道を残そうというのかも知れない。熊野古道が消えないように尽くすのは理解できるが自己満足にならねばいいが。

<水上栃谷林道(トンネル)>

水上栃谷林道(トンネル)を越える為に国道から反れる直前に感動的なものに出会った。それは木蓮の花である。沿道の川の対岸の、山の分校ほどの広さの所に養鶏場の跡があり木蓮が咲き誇っている。走りながら目についてバイクを道のド真ん中で止めて道端の女性(おばさん)に訪ねた。「木蓮です」と教えてくれた。桜の木ほどの大きさで小屋を覆い隠すように咲いた木蓮には初めて出会った。ほんと、感動的!*)中辺路を走った時に「小広峠」を越えた。これはその印象などを峠越えにそのうち「虎が峰峠」とあわせて書いていきたいと思います。

<虎が峰~>

龍神村に越えたら胸がときめいた。もう十年以上前、紀州を初めて回って越えたのがこの「虎が峰」と「引牛越」である。虎が峰は開発途中の林道で各所にダートの残った林道だった。何よりも強い印象は、綺麗に植林された杉の林と、峰の向こうにどこまでも続く峰の重なりであった。まだ各地の峠をそれほど多くも走ったことのない目で見た強烈な印象にまた一度会いたいと思うその気持ちだけであった。正直言って、幻滅の不安もあり少しの躊躇もあった。しかし、紀州の山は裏切らなかった。県道として広い道路にかなりの部分が拡張され、走り屋さんの好きそうな所も幾分はある。旧道の無惨な姿も残っている。近くを見るのはやめようと思って遠くの山を見た。高野山方面、熊野本宮方面、それぞれに何かを語り掛けてくれるものがあるように思う。

<太平洋沿岸>

R42 を走って、綺麗な太平洋の白い波しぶきを眺めながら帰途につく。距離はあと250Km以上は残っている。13:00を少し過ぎていた。白浜温泉にも寄らず、潮岬もスピードダウンだけで通りすぎる。走り始めて休憩らしい休憩は取っていない。水分も食事もなし。まあ、これが私のパターンだし、いいか。

暖かい。桜が満開である。海が綺麗だ。いつもみる伊勢志摩の海にも負けないほど綺麗だと思う。波がやや高い。それがまたしぶきを散らしていて、波打ち際まで行きたくさせてくれる。

新宮を少し北上した所にウミカメの資料を展示した道の駅があったので止まった。隣に奈良ナンバーVT250(赤)の女性が止まっていたので声を掛けた。-- -ただ海が見たかったから北山村を抜けて走ってきたの。潮岬まで。こんなふうに喋って格好がつくのはやはり女性だからか。なかなかドレッシーでインテリジェンスな女の子だった。

走る事だけ…と自分に言い聞かせて走ったツーリングでなければもう少し彼女とゆっくりと話もしただろうに、余裕のないという事はあらゆる事にマイナスなようである。

<あとがき>

ロングツーリングなら諸経費などもあげますが、日帰りなので省略。というより、飲まず喰わずで550Kmでした。雨上がりに走る事が多いこの季節、山肌の清水や滝は元気良く水しぶきをあげて落ちています。ぜひバイクを止めてその静かなささやきに耳を傾けてやって下さい。紀州の山岳道路を走るとたくさんの小さな滝に出会います。あれだけ泥の雨を降らせたのに一夜濁ればもう今日はいつものように透き通った水を供給している。人は今でも、か弱い虫けらのようなものですが時に見栄を張って弱きものに胸を張ります。自然のいとなみを見ていると哲学としてそれが愚かな事であるのを実感できる。桜は山間ではちらほらですが、海岸沿いの暖かいところでは咲き誇っています。虎が峰の麓あたりの奇絶峡は来週当たりが見頃でしょうね。道もいいのでいかがでしょうか>みなさん紀伊半島の海は記憶にある以上に綺麗でした。海がみたくなったので…と言ってバイクを飛ばす方には取って置きの海かも知れません。前にも書きましたが、時間を取ってゆっくり飽きるほど回ってみたい。地図にも辛うじて載っている小さい村道なども走りたい。山に飽きたら海に来てまた山に戻ればいい。みかんの畑が目につきます。もうオレンジ色の実は少ないけど独特の匂いを放ってくれました。小さい草花も春の香りを漂わせます。子どもの頃に、緑の草木をむしり取ってまままごと遊びをした時にあの緑が出した匂い。蓮華のような甘酸っぱい匂い。遅咲き梅、桜、木蓮、雪やなぎ、沙羅双樹、チューリップ、すぐに思い出せるのはその程度(情けない)。

1999年:GW:晴れのち晴れ<四国>

1999年:GW:晴れのち晴れ<四国>

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<足跡>

29日:松阪~和歌山…徳島~剣山~ものベ村

30日:ものベ村~さめうら~瓶が森~石鎚~四国カルスト~梼原~宇和島

1日:宇和島~四万十川~くれ・大正市~梼原~四国カルスト~R439途中野営

2日:R439~R438~徳島…和歌山~松阪走行距離:約1300キロ

<まえがき>

出発の前晩に娘が洗面所の鏡の前にいた私の後ろに来て並んだ。いつのまにか背が私の肩を超している。旅に出る「ためらい」を少し感じてしまった。生まれたばかりの赤ん坊の時、母娘を残して北海道に旅立ったこと('89)があった。私は、悪い主人なのかも知れない。

「雨、降ったらどうしようか…」と私が呟いたら娘が、「お父さんは雨男やからなあ…」と言ったあと、「(私は晴女やから)就学旅行の間は晴れやろう」と慰めとも激励とも解釈できることを言い、肩をポンポンと叩いた。小憎らしい。

4月に仲人をしてれた伯母さんが亡くなった。その仕上げの法事が29日の夕刻からあったのに「ツーリングは天気次第なんやから…」と言って私の味方をしてくれたうちのんの言葉を胸に言い訳がましく法事を欠席し(実際には私が出発したお昼頃にうちのんが欠席の電話を入れたと思う)、当日の朝に家を出る。これを逃したら家を出れなくなる。明くる朝だと娘が就学旅行に出るから、それを見送る先にも後にも気持ちが弱り迷いが生じることは容易に想像がつく。長期予報はしばらくの間、晴れだと告げている。

そういう訳で、皆さんに感謝しながら、また、旅に出ることを許してくれる家族にも感謝して再び四国へ出かけてきました。

さて、クイズです。

今回の四国は今までとはひと味もふた味も違った。それは、どういう点で違ったでしょうか?三択です。

(1)ステップ・スリスリ…四国的・長くて、細くて、曲がりくねった、峠道、山道を

(2)カウル・スリスリ…四国的・峻険・山岳・林道での闘い

(3)ほっぺ・スリスリ…説明は不要でしょうが、「ぎゃる」のほっぺらしい夢と混同してる?

答は…。まあ、いずれわかるとして。

話題が多くありすぎて前書きでは語れませんです。

瓶が森林道も走ったし、維新の道も辿った。カルストでは嬉しい出来事があった。今までに行ってない峠にも行ったし、ライダーズ・インにも泊まってきた。

極めつけ?それは、二人の女性の話です。ひとりは、四万十川のこいのぼり公園の前で立ち話をした、どこぞのアナウンサーさんみたいな雰囲気の女性。もうひとりは、四国カルストの大野ノ原で地質調査をしていた大学4年生(本人は4回生といってましたが、私の出身では回生とは言わないのでよく分かりませんが4年のことでしょう?)ともお話をしたのですわ。(工学者のねこさんが理学に憧れるロマンの話をたれてしまった。彼女はつまらなかったかな。私も昔に地学科を受験したのだ。何故か不合格だったのがいまだに腹が立つが…)その子は愛媛大学の理学部の子だった。おーい、名前くらい聞いておけばよかった…。

懲りずに、R439(東方面)も走ったよ。鯛飯も食べた。「大正市」でカツオも食べた。(特集をした号の)アウトライダーのコピーを持った子まで居ました。ミーハーでもいいから食べてみるのは、突撃ツアラーの必須条件。

黄金週間のレポートの嵐のなか、私のレポートなんて、面白くも何ともないだろう。でも、四国の魅力をダイジェストで回りたい人は私のレポートを参考にしてみてください。三泊四日。ひとつのヒントが出るといいですね。峠越えリンクや美味リンクにも書いていきたいと考えています。

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晴れのち晴れ(2)<四国>

<まえがき(2)>

なんか、私のツーレポっていつも「まえがき」ばかりが書いてあって、本文がほとんど無いようなものばかりなんだな~。だから、いっそうのこと素直に「まえがき(2)」とします。そうだ、ついでに誤変換を訂正しておこう。娘の「就学旅行」と書いたのは「修学旅行」のミスですね。もちろん他にも幾らでもあろうが、意味が通じればとりあえず許してください。さあ、続きです。

今回のツーリングは晴天に恵まれて、とても幸運でした。今までは必ず(100%)カッパを着なくてはなりませんでしたが、今年は雨とは無縁で帰って来れそうです。予想によると、3日頃から雨だという。そして5日の子ども日は晴天が戻るのか。94年の九州の時の天候パターンと同じかな…なんて思いながら荷造りをしたんです。うちのんには3日分の下着を用意して欲しいと頼んだりしてるので、やっぱし潜在心理として早めに切り上げてくるつもりだったんでしょうね、自分でもこういうところは曖昧だったりします。(メモ:実際にこの日記を書き始めた3日は晴れ、4日は朝から雨。でも5日は晴れるか)

もうひとつ。大誤算というか、大きなミスをした。衣類を持つのをケチったことだ。きちんと計算通りに巡ってくる天気の崩れと、連日の晴天での暖かさ、革のツナギはお風呂での脱衣などが面倒、テントの中での着替えも荷物として持てない…などの理由でツナギのズボンだけ履いて行ったんです。上衣はシャツとトレーナ、3シーズンのジャケット…。これでは寒いわなあ。去年まではトレーナーの上にツナギを着てさらにジャケットでしたから。革が一枚少ないことになります。しかも予備は持たなかった。

それにしても、昔と較べると早朝出発をしなくなってきました。老化のせいか早起きは得意なんですけど、走り出すのに一歩が出なくなったというか、暗闇でそっと出発をするより、家族の顔を見てからでないと出られなくなったというか。これは家族にも指摘を受けてます。いや待てよ、早く帰ってきたのもこういうことと関係するのかな。

そんなこんなで、29日の朝に出発となりました。

(いよいよ、この後、本文に入ります)ねこさん

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晴れのち晴れ(4/29)<四国>

<松阪~和歌山まで>

99.4.29-1

出発です。本格的に荷物をKLEに積むのはこの旅が初めてだった。要領が悪い。積載性が高いので大ざっぱに積んでも幾らでも積めるのは良いのだが、後でカメラが欲しい、手帳が…と思い付くものは大方、簡単には取り出せない所に入れてあった。タンクバックをリアシートに着け、デイパックをまだその上から載せたので、重要な荷物を今まで通りタンクバックに詰めていたことが原因である。即座に取り出せないという不具合が発生した。他に荷物のない時はそれでいいが、荷物の詰め方や積載は最初から考案し直し今後の教訓とすベし。

そんなことを考えながら、色々と荷造りの反省をしたり、これから走るルートを頭で絵描いたりしながら、走り慣れたいつもの道をトレースする。予測時間にほとんど狂いが出ない。それを自分で納得する瞬間というのは何とも言い難い快感だったりする。高見峠も吉野の町も、R24もいつものように問題なく通過。フェリーの出発時刻の約10分前にチケット売り場に到着した。それほど混雑してない様子で、口に切符をくわえて乗り場に急行。乗用車が半分ほどで出帆となった。

<船の中>

99.4.29-2

いつもなら海の向こうに霞む島々を眺め潮風に吹かれているのだが、どうしてか地図も見ないで眠っていた。漠然と剣山を目指して物部村に行けたらいいだろうなんて考えてる。こういうのを「KLE効果」というのかもしれない。

<さて、剣山へ>

99.4.29-3

KLEに変えてから行く道のことであれこれと煩うことがなくなった。たいていの道なら走れてしまうので無頓着になったらしい。その分、気が付いたら行き止まりだったってことも増えたが…。

これから剣山に向かうルートは、徳島市→勝浦町→上勝町→八重地トンネル→木沢村、とすることにした。四ッ足峠も土須峠も過去に通っているからということ、確かゾラさんのCB750でのレポートにこの峠が登場した時に行ってみたいと思ったことが大きな理由である。つまり、彼のレポートを拝読してからずっと気に掛けていたこの地を訪ねる日がいよいよ実現する時がやって来たわけである。(→97年の秋のレポートなんだな。なかなか名作ですな。改めて読んでみました。読み入ってしまったわ。>ゾラさん)

生コンのトラックの後ろについて峠道を上る。しかし、仕事でこういう峠を日に何度も往復する立場になったら、こんな私のように暢気に峠を楽しんでおれまい。乗用車だったとしても嫌になるような細くてきついカーブを次々とクリアして行くトラックの運転手さんの技術に感動しっぱなし。

およそ四国の車のマナーは良いのはこういう道が多くお互いに譲り合わねば暮らしてゆけないからではないか。この後も走っていて気持ち良いマナーに何度も出会ったのは嬉しい。ちょっとマナーに味があると私は感じている。

<八重地トンネル>

99.4.29-4

素晴らしい峠だ。特に、西側の景色は申し分ない。「四国らしい景色」としか表現できないが、谷が連なる果てに木沢村のパワーを感じる。徳島を出てからタラタラと上って来たけれどトンネルを出て景色を見たら言葉にならない言葉?が次から次へと口をつく。独り言が連発して出るようになると調子がいい証拠だ。

しかし、私はここを下って剣山スーパー林道を越えて物部村へ行こうと思い始めている。同時に予定時間に狂いが生じていた。予想以上にこの峠を越えるのに時間を要したからある。時刻は4時を回っていたかも知れない。徳島港を下りて2時間が過ぎている。

トンネルを出て下り始めると尾根筋から谷へと一筋の道路が見えた。初めての四国の時に越えた土須峠からまっすぐ南下してくるR193である。久しぶりの対面に気持ちが揺れた。あの道が私を四国ファンにしてしまったのだから。

<四季美谷を経てスーパー林道へ>

99.4.29-5

道路工事(時限通行止め)がやたらと多く、作業用の重機が行く手を阻む。バイクだけを通すなら作業車ごと動かす必要がないので、しばし機械を止めて脇を通してくれることが多い。工事のおじさんに「物部村に行こうと思うんですが」と止まったついでに話しかけたら(この地方の言葉で)「今ごろからスーパー林道に入ったらいつ出て来れるかわからない」と話してくれた。近道をすることを薦めてくれた。四季美谷を越えて行くのが一番近くて早いという。時刻と宿泊場所を考えて、とっさに剣山林道は帰路で行こうと私は決めていた。

<剣山スーパー林道・通行止め箇所あり>

99.4.29-6

四季美谷を越えてしばらく走ったらまた工事があって、やはり何気なくおじさんに世間話を仕掛けたら行き先の話になった。そこで剣山林道に入っても物部村には工事で抜けられないことが判明した。幸運なのか不運なのか。R193まで引き返し、木頭川沿いに下り那賀川の出合橋まで行き、そこから四ッ足峠越えをする。時刻は無常にも過ぎ、腹のすくことさえ忘れて私は走っていた。今日の食事は、出かけ前にポケットに入れたおにぎりを1個をやっとのことでフェリーの中で食べただけだったので、物部村に行ったら何かを喰おう。

<べふ温泉>

99.4.29-7

いやあ、四国屈指の美人系温泉のべふ温泉の前を通ったら寄りたい。でも腹が減ってるし、峠を越える頃からいっそう寒さが増してきたので湯冷めと寝場所が心配だ。あまりの寒さのために、まず徳島市内でデニムの上着を買って着込んでいたが、それでも寒さは厳しく、すきっ腹には堪えた。

温泉施設の近くに野営可能場所を見つけた。しかし夕食の材料を買い出すのに一番近い店は物部村の役場付近だそうで、夕食材の買い物をして往復したとすると1時間ほどが必要になる。(べふ峡温泉施設のフロントの男性の話)悔しいけど、湯冷めも出来ないので、温泉には入らずに山を下り物部村のライダーズインの近くまで来て、物産館で食事をして、その足でライダーズインの受付に寄った。

<ライダーズ・イン・奥物部>

99.4.29-8

名前を募集したときに応募して落選した。ま、然るべき結果なのか、何であんなに素晴らしい名前を考えたのに落選なの?って少し思ってる。絶対に泊まらないからね…。そんな気持ちもなきにしもあらずだったが、背に腹は代えられないので受付に行って「空いてますか」って尋ねた。最初に「ハイ」という応えが返ってきたけど、予約者じゃないことがわかり「満室です」って断れた。

「少し下にあるアンパンマンワールドの近くの道の駅で野営は出来ないでしょうかね」尋ねたら「ダメと違うかな」と冷たい返事。仕方ないのでロビーで休憩をさせてもらいながら世間話を受付の女性に仕掛け、今夜の野営場所を考え始めると「ロビーで…」とおっしゃる。受付の女性は天使のように見えてきたぞ。溢れた人を見殺しには出来ないからか、簡易ベットで寝かしてくれると言う。料金は1000円+ベット料200円。

自分の部屋を借りて温々且つゆっくりしてるのだろうと推測できる人たちがロビーへ酒を飲みに来たりテレビを見たりしにやって来てくつろいでいる。結構惨めであった私。でもお安いのは有り難い。ロビーの使用は満室の時に飛び込みの人があった場合に対応してるだけらしい。

早々に寝ておよそひと眠りした頃、オーナーの人だろうか。ロビーの戸締まりをするために来られた。ロビーで寝ている私をみて細い声で「お客さん、キャンセルの部屋がひとつありますから、いかがですか、どうぞ」と声を掛けてくださった。「もう千円払いましたし…」と私が言うと「いいですから…、折角、旅に来てるんだから…」とおっしゃる。旅の心を理解してくださったオーナーさん。ありがとう。お世話になりました。後日、宿泊した宇和島YHのPさんとこのオーナーの方とを比較して、「旅心の触れ合いがどこまで分かって、それがどれほど重要か…」ということを終始、走りながら考え続けさせられる。宇和島YHのPさんの話はその場面で書くと思う。

その夜は、この時期にしてはやや冷え込んだんではなかろうか。私の枕元に置いた温度計は明け方に見たら5℃近くだった。板間に寝袋だけで5℃だと少し寒く、朝方に目が覚めて眠れなくなった。もしも、べふ温泉の前でテントを張っていたら、テントの中の温度はどんなもんだったろうか。そう思いながら、うつらうつらとしている間に夜が明け始めた。

29日の夜に物部にいた人たち。寒かったよねぇ。

<img  src="http://bike-tourist.air-nifty.com/photos/uncategorized/2008/01/25/scan0060.jpg" border="0" style="float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;" />

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晴れのち晴れ(4/30)<四国>

<物部村を出発する>

99.4.30-1

昨日の管理人の男性は、たぶん、オーナーさんだろう。隣の隣の部屋で自分も寝ていたらしい。朝になって事務所の鍵を開けにそこから出てきたから。愛想が素晴らしく良くて、こりゃあ、私の口から「奥物部」を宣伝してもいいんじゃない…なんて考えてる。ほんと、好印象でこのライダーズインを旅立つ。オフロード車が多く20台ほどのバイクの中にわずか2台だけがオンロード。剣山に来た人たちが多いのだろう。私はライダーズインが気に入ったよ。

<早明浦ダム湖を経て寒風山方面へ>

99.4.30-2

眠れない夜中に月明かりの下でコースを考え続けた。維新の道を目指して須崎から東津野を目指すか、それとも瓶が森方面にひとまず行ってから南下して、カルストを経て梼原に入るか…。結局の決断は後者で、早明浦のダム湖畔を走ってみよう、快適そうな道みたいだし…ということになった。このダム湖の湖岸道路もやはり四国の道だった。オンロードで法定速度のワインディング好きっ子さんにはお薦めできます。気分転換にもこういう道を走ってみるのがいいかな。でも、ちょっと気分転換には長すぎるかな。ほんと四国の道はタイヤの隅々まで使わないと走れない。ステップまで減る。

<瓶が森林道>

99.4.30-3

6割が舗装されてしまってる…と残念がる人もいます。確かに気持ちもわかるが、産業の発展のために貢献するなら仕方あるまい。走る前にはそう思っていたのだが、どうもこの林道は、観光林道を目指そうとしているように私には思えてならない。景色も素晴らしく多くの皆さんに開放することに反対をしたくない。しかし、これだけの大自然の中に排気ガスをまき散らすのを許すのは決して正しい判断とは思えない。排気ガスの少ない一定料以下のエンジンだけに限定するとか、環境対策車を選んでOKとするとか、斬新な方法で乗り入れを規制しないと石鎚山系の自然が危ないかもしれない。剣山と石鎚山。それら双璧は私を裏切りはしなかったのだが、自然を半耐久消費資源にしたらアカン。

瓶が森から石鎚山への道も楽しい。オンでもオフでも楽しめる。

<img  src="http://bike-tourist.air-nifty.com/photos/uncategorized/2007/12/08/kamegamori_2.jpg" border="0" style="float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;" />

<石鎚からカルストへ>

99.4.30-4

1日に二つのスポットを一気に回ってしまうことになる。なんだか感動が薄れるようで、もったいないか。旧スカイラインは有料道路時代の石鎚スカイラインと何にも変わっていない。走りながら昔見た景色を思い出している。不思議なもので、一度しか見ていないスカイライン周辺からの景色が再び走ってみて甦る。あの時に何時間も昼寝をしたベンチ、飯を喰った食堂など、次々と思い出してしまう。

<さあ、カルストへ>

99.4.30-5

R33号線に分かれを告げてR440号線に移る。この上り口の雰囲気がまたイイ。これといって何が見えるわけでもないが、これほど地芳峠ってよかったかな。R440に入ってからの上りってこんなに長かったっけ。記憶というのは曖昧であったりハッキリしていたり色々だ。初めて地芳峠を訪れた時は天狗高原から入って地芳峠を下って石鎚山に向かった。簡単に峠をパスした記憶があるが下りだけだったからだろうか。改めて上ってきて、いい雰囲気に満足。

<天狗高原から>

99.4.30-6

またも初めての時の記憶を遡ってしまう私がそこに居た。過去の思い出を少しづつ辿り、美化されたものは一掃し、新しくなったものはインプットし直す。あの時は天候に恵まれず霧のカルストだったかもしれない。ちょっとセンチになっている自分に「過去を忘れてしまうことも大事じゃないの」なんて言い聞かせてる。そんな独り言を繰り返していた。それにしても今日は雲ひとつなく、気候も昨日より少し穏やかである。だからいっそう嬉しい。ただ、バイクが少なくピースのチャンスがあまりないのが寂しい。

恋人同志と思われる二人が私にシャッターを頼む。ヘルメットを被ってから頼むので少し不機嫌に「いいですよ」とこたえた自分が嫌いだった。「二人はどちらから?」と尋ねたら香川から来たという。私がセンチメンタル・ジャーニーだからっていって妬いているみたいだったので、自分に言い訳しながら讃岐うどんの話をし始めると人懐っこい顔でその美味しさの話をしてくれる。女性の髪が風に吹かれて顔を半分覆う。それを手でかきあげる時の涼しい顔がイイ。

おいおい、天狗高原の雰囲気を何も書き留めていなかった。でもカルストの景色はツーリングマップルの表紙に載ってるからいいか。梼原の牛は褐色の毛であれは珍しいかもしれない。

<東津野城川林道を見おろす>

99.4.30-7

カルストからR439に降りて行く道を国民宿舎の所から見おろしたら、まっすぐの道が山の中に伸びているのが見えた。昔の道が新しく広くなったんだと思って下ったらすぐにその道から外れて細くて曲がりくねった道の方へと標識が導く。じゃあ、あの道は何?後でわかるが、そう!あの道が「東津野城川林道」で、全面舗装で2車線。有料道路みたいな道が出来ているから、驚いた。県境の方にさらにもうひとつこんな道があるんだな。もうひとつ、私のTMには名前が掲載されていないが高研山トンネルの西から韮ヶ峠までの林道。何を考えてるんだろう。>森林開発公団さん

<四万十川・源流へ>

99.4.30-8

雨の降りしきる中、矢筈トンネルを越えた過去を思い出す。源流までGSXで行くことを迷ったんだなあ。そのあとYちゃんはCBRで挑んだんだった。さて、再挑戦だ。すっかり馴染みになってしまっているR439のこのあたりの道を快適にとばし、トンネルを抜けていざ源流へ。KLEは、耕運機みたいな排気音なのがちょっと気にいらないが、ダートもオンも万遍なくこなしてくれるので頼もしい。思ったより長かった源流までのダート(バイクを置いて歩いた人は片道1時間くらいと話していた)を走り終え源流の碑の所まで到着。バイクが10台ほど、車も数台いた。少し佇みそこを発った。徒歩で25分ほどで本物の源流だが、そこまでは歩かなかった。私にしたらこれで上出来だ。

<梼原から宇和島へ>

99.4.30-9

昨晩が寒かったので、今夜は布団で寝たいと思った。カルストから宇和島YHに電話を入れて予約を取っていたので、梼原の「雲の上」に寄ったりしながら道草を食って宇和島にやってきた。

<宇和島YH>

99.4.30-10

Pさんは、エンデューロ(ED)をやってるらしい。バイクのことになると結構、熱が入って、マシンの話やレースの話が好きな人ははまり込むでしょう。私は旅人ですから、レースやマシンがわからず、ちょっと物足りない。いい人なんだけど、彼は少し無愛想なんだな。四国共和国に入会するときも味気ない説明というか、仕事中の公務員さんに道を尋ねた時と野良仕事のおばちゃんに道を尋ねた時の差のような…。慣れればリピータになるかも知れませんが、旅人の中には嫌う人もいるかも知れない。田代まさしみたいな感じの顔の人っていうと思い出す人もあるのでは。美味しい夕食を頂いてのんびりして、体も温めて、その晩はゆっくりした。

そうそう、このYHはバイク置き場に気を配ってもらってある。屋根付き、ブーツ置き場あり、メットを置く棚もある。グルメの方は夕食も楽しみかも。私は大食いで酒のみですから、松山YHで頂いた食事の方がボリュームがあったと思う。Pさん、表現が乏しいだけなんだろうけど、旅心をくすぐるような雰囲気がもう少しあればいいのにな…って思った。せめて出かけ前の私たちには声を掛けて欲しい。

ねこさん

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晴れのち晴れ(5/1)<四国>

<四万十川を走ろう>

99.5.1-1

瓶が森やカルストでは、予想を裏切ってバイクが少ない。平日の土曜だったからなのか。昔と較べたらすぐに人恋しくなってしまう、そのくせソロだと自称してる…。弱くなった自分を嫌いになりながらも、まあいいか、四万十川の川沿いを走ってみよう。カツオを喰いに寄って、R439を経て定福寺YHへ…と算段をたてたが、実際は如何に…。

<四万十川沿いはキャンプ適地の宝庫ですね>

99.5.1-2

西土佐村で支流の吉野川が本流に合流する。そのポイントの河原でキャンプをして、さてこれから…と思案中らしきひとりの女の子に話しかけた。いいキャンプ場だったという。ちょっと石ころが大きいけど、人も適度にいてくれるので女性でも安心だっただろう。川沿いはキャンプ適地の宝庫である。彼女のようなヒッチハイク?の徒歩ダーも数多くいるようだ。もちろん車の旅人も多い。

<川沿いから迂回>

99.5.1-3

半家という集落あたりで迂回を強いられる。時限通行止めで急ぎの人は民家の中を縫うように走って、こいのぼり公園の手前まで行く。すごく得した気分である。快適道路もいいのだけれど、四国の民家の中のクネクネ道は、最高に情緒がある。去年、京柱峠で迂回をしたのを思い出した。

エンジンを止めて、農作業をしている夫婦の人に声を掛けた。土にビニールをかけている。

----それ、何ですか?

----オクラだよ(地元のアクセントで)

<こいのぼり公園>

99.5.1-4

狭い道からまた国道に戻ってしばらく走ると「こいのぼり公園」というのがあった。(公園の名前は後になって知った。)そこでひとりのジェベルの女性がバイクを止めている。バイク乗りの人影があったので(しかもそれが女性だったから?)私はウインカー出して反対車線の彼女のバイクの後ろに止めた。----人恋しくてね。話がしたくなりました。こんにちは。と言って話し掛けた。

彼女はカメラを手に佇んでいた。カメラが好きで中古で買ったというFAを持っている。こいのぼりが頭上に泳いでいる。さほど記憶に残らない話をだらだらとして、エンジンも冷え切ってしまうぞ、というくらい長い話の後、お別れする。彼女は岩本寺を出て今日は宿毛YHへと行くらしい。

うん、私らしさが戻って来たな…。そんなイイ感じ。

四万十川沿いでは、ピースが飛んだ。オーバーアクションのピースも登場し、雰囲気が盛り上がる。

<道の駅・大正>

99.5.1-5

今日はグルメで行こうか。ぶつぶつ言い始めた。やっぱし調子がいいな>私。おでんを喰う。テントでやってる店は、町おこしのグループの皆さんがやっているんだという話など、他愛もない話を(仕事の邪魔をなっただろうなと後で反省)しながら、「土佐のかつおを食べたいんですけど…」と切り出した。

「くれ」に行きなさいよ、と教えてくれた。「くれの大正市」そういうキーワードを胸に中土佐に向かった。

<大正市場@中土佐>

99.5.1-6

中村街道に4月に新しくできた道の駅があった。どのあたりだっけな。窪川を過ぎていたような記憶がある。そこの道の駅のテントで「うどん」と「鯛飯」を食べた。カツオが待っているのに何と大胆な…。食べた理由はお店のバイト?の彼女が愛想が良かったからというだけの理由だ。折角だから、鯛飯の炊き方の講義をしてもらって(と言っても雑談ですけど)「大正市」の情報も仕入れていざ大正市へ。

「くれ・大正市場」というのが正しい名称らしい。地元の人は大正市というように呼ぶらしい。すこぶる分かりやすいところにある。バイクが何台も止まっていた。ひとりのライダーに声をかけ、バイクが多いね、と言ったら、アウトライダーに四国が特集されたと言う。この大正市場もその中にバッチリ載っており、コピーまで見せてくれた。バイクが集めれば気分が盛り上がるというメリットがある。そこで、四万十川の源流で昨日、出会った人に声をかけられて、はっと驚く。いよいよ気分が高ぶる。

商店街は意外と小さく、京都の錦市場みたいなのをイメージして行ったが、嵯峨野の公設市場みたいな感じ。乾物屋のおばさんは店の前に腰掛けて、ハエタタキで蝿を追い払っている。

<岡村商店@大正市場>

99.5.1-7

イイ店があるんです…と店の名前を教えてくれたバイクの人がいた。昨日も買ってキャンプ場で食べて、今日もまた買って行くという。そのお薦めの店は市場の奥を更に曲がったところにあって、何とも寡黙なおじさんが包丁でカツオを捌いていた。

----タタキが美味しいそうですね、はるばる食べに来ました

----そう・・・…

----立ち喰い、出来ますか?

----ああ

----タタキとナマはどっちが旨いですか?

----どっちも旨いよ

バイクが多いらしいですね、雑誌に載ったらしいから、というと息子らしい人がそばを通りかかりに、そうでもないかな…って相づちを入れてくれた。

----ひと皿、いくらですか?と尋ねたら300円だと奥さんが脇からで教えてくれて、それを頂くことにした。さっさっと捌いて、大根を切って盛った皿にワサビをぬって、上から醤油をかけてハイッと奥さんが渡してくれた。

----旨いなあ

----そう感動する私に、気の利かない返事が返ってくる。親父さん。

----何故なのかなあ

----わからん(ほとんど語尾は聞こえなかったが)

そのくせ、鯨が捕れる話をしたり値段が安い話などをすると(要するに明確な答がある場合は)ハッキリと、「最近は鯨が他の魚を食べるので捕れってことになって、少しづつ捕ってる…」(一番長く話したのがこの言葉だったか)なんて応えてくれる。しかし、また行って喰いたいよって思わせる店でした。もし事前準備をするなら、ご飯でもおにぎりでも買ってからいらしてください。

<定福寺YHは休業中>

99.5.1-8

高知市街を避けて吾北を経てからR439を通って定福寺へ…と考えていた。電話を入れたら「喪中で…住職が無くなりまして。一度休むと再開が難しく…」残念な返事だった。住職とは一度だけ話した。何だったか(環境問題だったか)の話を一緒にしたような記憶がある。合掌。

<布施ヶ坂・道の駅>

99.5.1-9

電話を切った後、ミスコースに気が付いた。幸いなのか。何だかおかしいなあって思ってたら辿り着いたのは布施ヶ坂の道の駅だった。TMの同じページの上の方(吾北)に行く予定だったのに、またもや梼原に戻ってきた。この道の駅、許可を得たら裏の芝生のあたりで野営も出来るらしい。茶堂が保存されている。

<img   src="http://bike-tourist.air-nifty.com/photos/uncategorized/2008/01/25/photo.jpg" border="0" style="float: right; margin: 10px 10px 10px 10px;" />

<梼原>

99.5.1-10

天のお導きでしょうか。維新の道、竜馬・脱藩の道を、バイクが走れる部分だけ辿ってみることにしようと決断が固まってゆく。

実は、出かけ前に書棚を探って昔の一冊の本を引っ張り出した。それは司馬遼太郎さんの「街道をゆく・27」であった。出発前日の少ない時間に大急ぎで走り読みしても昔に読んだ記憶は戻らない。頭に何も残っていないが、気持ちだけは十分に熱くなっていたので、やはり、それが梼原に私を導いたのだろう。

<韮ヶ峠へ>

99.5.1-11

関門旧跡の前でひと息ついて四万川から坂本川沿いへとバイクを進める。六丁なんていう在所がある。坂本竜馬の脱藩の道は、この在所を最後に県道から少し反れるのでそのまま韮ヶ峠を目指す。高知ではミニバイクに乗った制服の女子高校生をたくさん見かける。このあたりでちょうど学校の帰り時刻だったのか、颯爽と走り来る高校生とすれ違う。ピースをしたいのだが、我慢である。韮ヶ峠では、高研山トンネルの西から続いている舗装林道と合流する。林道といっても二車線の上級の舗装道路だ。

<img  src="http://bike-tourist.air-nifty.com/photos/uncategorized/2008/01/25/dappanimitisirube.jpg" border="0" style="float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;" />

<img  src="http://bike-tourist.air-nifty.com/photos/uncategorized/2008/01/25/scan0064.jpg" border="0" style="float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;" />

竜馬は、この峠から生まれた土佐の町を振り返ったに違いない。そしてこれからの時代への夢と大志を抱いてこの峠を下ったのだろう。桧の植林が整然とゆき届いたこの山岳地帯の峰の面影がその昔と何等変わりがないことを想像すると、ひとつの歴史なんて自然の生命からしたらちっぽけなのかも知れない。しかし、そのちっぽけな歴史を多かれ少なかれ動かしたひとりの人とその精神がこの峠で、もしかしたらある決意をさらに固くしていたのである。竜馬の脱藩は文久2年3月24日。桜は七分咲きの頃だったと司馬遼太郎著「竜馬がゆく」には記載されている。

<img  src="http://bike-tourist.air-nifty.com/photos/uncategorized/2008/01/25/scan0066.jpg" border="0" style="float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;" />

<img  src="http://bike-tourist.air-nifty.com/photos/uncategorized/2008/01/25/scan0065_2.jpg" border="0" style="float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;" />

<大野ヶ原へ>

99.5.1-12

カルストは、鶴姫平もいいが、大野ヶ原も予想以上に良かった。牧歌的というか、しぼりたて牛乳の看板が出ていたりして、趣がまた違う。カルストを東西に縦走するつもりはなかった。大野ヶ原から柳谷村を経て吾川村、R439方面に行き、明日には徳島から和歌山に向けてフェリーに乗ってしまうつもりだ。どこまで走れるか、を気にかけながら大野ヶ原を下った。

愛媛大学の理学部の学生さんに出会ったのはこの下りの坂道である。地層が露出している部分で何か観察をしているらしい。通りがかりの私は、初め、落とし物でも探して困ってるのかと思ってバイクを止めた。何をしてるんですか?と問いかけたら、地質調査だという。地学のロマンの話を聞きたくて、エンジンも止めて急ぎのことも忘れて、彼女から話を聞かせて頂いた。

最近では地学なんていうと地味な学問ですが、大いなるロマンがあっていいですね、理学は一歩、控えて見られますけど、私は好きですよ。今の時代は理学とか哲学とかが大事なんですよ。ロマンを学んで研究できるなんて羨ましい…。私も話し出したら止まらなくなってしまった。古生代の火成がわかる…なんていわれても、ピンと来ないけど、いろんな話が聞けて感動の嵐であった。学部のWEBアドレス、聞けば良かった…。

<さめうらキャンプ場まで>

99.5.1-13

大峠と郷ノ峰峠を越えて早明浦に向かう。何度も通って、その険しさや細さに驚きながらも、また通ってしまう。R439ってほんと不思議な魅力があります。ただ、残念なのは、いつも急いで通るか、雨にたたられているので、ほんとうにゆっくりとトレースしてみたい。二つの峠とも拡幅工事が着々と進んでおり、もう数年後には快適な道路になってしまうのでしょうか。

ダムの真下のキャンプ場に着いてテントを張ったら日が暮れた。夕食はチキンラーメン。

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晴れのち晴れ(5/2)<四国>

<さめうらキャンプ場>

99.5.2-1

このキャンプ場は、桜の花見をする公園って感じだ。トイレもあるが、ちょっと湿っぽいのと、蚊が多いことが難点だ。蚊取り線香がまさか必要になると思わない。家に全部置いてきた。だから虫よけのロウソクが少しあるだけ。効果があるのかどうか、不明。酒屋やスーパーが近いのは有り難い。最初、この場所に来る前に「道の駅・さめうら」の女性の方に野営をさせて欲しいとお願いをしたら50メートルほど離れた河原を薦めてくださった。その後すぐに私の地図を見ながらダムの下のキャンプ場も教えてくださった。スーパーが近いのでこっちにしたのだが。帰全山キャンプ場も棄て難いが、たぶん人気があるから、日が暮れるころなら張れる場所も限られるだろうと思ったし、行って一杯でまた戻るのも煩わしい。

チキンラーメンを食べて夕食とした後、少し飲んで横になった。明かりをロウソクに頼っているのは毎度のことだが、ここでひとつの大きな事件(ミス)を犯した。ロウソクをその辺に立てたまま眠ってしまったのだ。少し酔っていたこともあろうが、もう少しで「丸焼け」になってしまうところである。夜中に目が覚めて目の前を見るとロウソクが倒れている。あれー、もしも燃えていたらテントごと丸焼けだった…。その後、怖くて眠れなくなってしまった。それでも、少しだけウトウトして5時前に片付け始めて6時前にキャンプ場を出た。

<R439>

99.5.2-2

キャンプ場を出てから「さめうら・道の駅」で洗面を済ませて、さあ、徳島港を目指して走るぞ。

昨日、定福寺の息子さんと電話で話した時に、そちらから徳島までR439を走ればどれくらいですか?と質問してみたら、車で6時間をみておけばいいでしょうと教えてくださった。私が乗ろうとしているのは徳島港を11時30過ぎころに出るフェリーである。11時に着くとして5時間しかない。定福寺とさめうらを30分としても4時間半で走り抜かねばさらに2時間後の船になる。和歌山に2時に着いて松阪に明るいうちに帰り着きたいという想いが私を走らせた?まさか…。

R439をマイペースで走りました。そういえば去年は京柱峠の西側斜面で思いっきり迂回路を走らせてもらって嬉しい想いだったが、今年は四万十川で楽しませてもらった。京柱峠へ向かうルートは、結構、狭くて民家の軒も近いし、車にも時々すれ違う。峠の茶屋なんかで仕事をしてる人は毎日これを越えるんだなって思って走っていたが、途中で追い抜かせてくれたライトバンが茶屋の横に止まった時には、現実を見て複雑な感じ。だって、毎日こんな道を走るのはある意味では拷問かも知れない。私が旅人であったことを深く感謝する。うどんの一杯でも食べれるといいのだが、タイムレース状態であるから先を急ぐ。

<道草系を改めなくてはならないか…>

99.5.2-3

見ノ越まで48キロの地図が京柱峠にあった。見ノ越に着いたのが1時間後だった。そうすると平均時速48キロということになるか。そりゃあ、KLEのステップも擦りまくるわ。

ただ、このバイクの場合、バンクが浅いのか、バンクさせ易いのか、乗り易いのかわからないが、やたらとステップを擦る。特に右の方が多い。右バンクは(高校時代に右足に2学期じゅう休むような事故に遭い)苦手な方であるにも関わらず擦るというのは理由がある。簡単。右カーブの方が道幅分コーナーのRが大きいからスピードが出ている可能性がある。これは右も左も素直に乗れている証拠で、バイクの操縦性の良さを表していると思う。そういうことを考えて乗ってると嬉しくなって、耕運機みたいな排気音を思いっきりボコボコといわせながら峠を楽しんだ。決して道草系とは自称できないほど手首に力がこもっていた。平均時速を計算すると違法になったらアカンからしませんけど、10時40分に徳島港に到着しました。

<img  src="http://bike-tourist.air-nifty.com/photos/uncategorized/2008/01/25/scan0067.jpg" border="0" style="float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;" />

<img  src="http://bike-tourist.air-nifty.com/photos/uncategorized/2008/01/25/scan0069.jpg" border="0" style="float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;" />

フェリーの搭乗前にご一緒した三河ナンバーのYZF?氏に吉野を抜けて名阪国道へ行く道の近道の案内をしたかったが、私がGSに寄っている間に先に行ってしまった。鈴鹿市からきていたGPSバージョンのジェベルの人。物部のライダーズインでご一緒だったらしい。

<あとがき>

すべてが晴れに恵まれるというのは珍しい。雨に濡れて走るのは誰だって楽しくないと思う。きちんと雨具を装備すればそれもまた楽しいかもしれないけれど、晴れの方が安全に走れるのだから。

----あちらこちらで、みんなが言いあっていた言葉。・四国の林道を甘くみたらアカン・海沿いを回ったらアカン、山に行け

----確かにそうですね。山は峻険で谷は深い。民家は山の斜面に貼り着くように建ち、人は想いの深い言葉調で語り掛けてくれる。

----オフロード天国、四国。オンロードの人が少し肩身の狭い思いをしているかもしれませんが、負けるなかれ。オンロードでもR439は走れるし、地芳峠も走れる。舗装林道だってたくさんある。いろんな意味で楽しい。

----ミッションのテストみたいな峠、クラッチの耐久性をテストしてるみたいな山岳ダート。タイヤのテストをしてるみたいなワインディング。楽しませて頂きました。99年、GWの四国。

----携帯灰皿を持ってる人をたくさん見かけました。車の運転マナーのいい人をたくさん見かけました。無料のキャンプ場の整備もよく行き届いている。挨拶をしてくれる高校生や中学生。農道のおばあちゃん。親切に道を教えてくれる道路工事のおじさん。

----初めてツーリングに行く人で関心を持った人があれば、ぜひとも四国を走ってください。剣山、瓶が森、石鎚山、四国カルスト。3泊4日。いや、2泊3日でもいい。

2009年5月10日 (日曜日)

98年:四国地方と中国地方を行く (4/30-5/5)

98年:四国地方と中国地方を行く (4/30-5/5)
<はじめに>
皆さん、ご無沙汰しました。GW中、会議室を放り出して旅に行ってました(スタッフの皆さんありがとう)。未読山積で、それを読みながら、一方で自分の日記をまとめ始めようとしています。概略を書きます。

<ルート>
紀伊半島から四国に渡り、R439を5年ぶりに走り、松山から舟で柳井へ。
雨の山口・萩・津和野(長州路)をゆっくりと走る。
中国山地の国道や県道を縫うように(鋸歯状に)走り、思うところがあって一路京都へ辿り着く。
その後、京都・大原から湖北へとある人をご案内してゆっくり走って、雨に迎えられて帰宅。

<いろいろ思ふ>
ツーレポ(日記)を書き始める前に様々な想いが甦ります。それを皆さんに説明したい気持ちと、分かってもらえない(諦めにも似た)気持ちがあります。自己満足で走る一面と普段には見ることができない自分の隠れた一面に出会える。独り言を連発し、歌を唄い、振り向きもしない相手に語り掛け、寂しさは楽しさかと問いかけては昔別れた人を思い出し咽んでみたり、晴れてくれば私のための晴れ間だと喜び、新緑に目を細め黄緑色が好きになり、田舎のちょっとした風景に感動し、出会いを喜び、別れを哀しむ。

<山頭火>
種田山頭火。一草庵、其中庵では、静けさを独り占めしました。

◆ 汗が吹き出る静けさも独り占め--猫柳
もう帰ろう…って思ってバイクに跨るんですが、また降りて庵の周りをぐるぐると回ったりしてしまいます。何もしないでいるのに、時間の過ぎるのを惜しまず、佇む。いつものように、独り言が次から次へと出てくる。今にも雨が降り出しそう。
◆桜の花は散っても咲いてるように見えるよ
◆誰も来ない方がいいね寂しいかい
◆いつもなら急ぐのにどうしたの猫柳なんてことをぶつぶつ。
だから長州路を走ろう。萩、津和野…。雨が上がって中国山地の無名の峠道の数々。多くの人にも出会う。旅では、純粋な人に出会う。何の免疫も持たない美しさがそこにある。

<驚きもあったの>

高知のある町では、通学途上の中学生?の子供達が頭を下げてくれる。行交う人には皆、挨拶をする教え?があるのか。恥ずかしそうに会釈をする姿に感動した。また私個人的なドラマもあった。京都では思わぬ人にばったり会う。それは徐々にこちらで紹介していくとしましょう。

<今回のテーマを考える>

そうだ、今回のテーマは…久しぶりに剣山周辺のR439も走ったし、種田山頭火も独り占めしたし、京都では思わぬ人にも出会った。旅の途中で出会った人との会話語録を昔のツーレポみたいにまとめるかどうか(時間にもよりますが)分かりません。でもツーリングは、「漲る好奇心と感動する心」が大事なんですね。その結果に「走る、辿る、佇む…」ってのが動きがあるんだって思う。走りながら「そうだ、今度のツーリングのテーマは『ロマンの復活(漲る好奇心と感動する心を求めて)』だったことにしよう…って思い始めました。いいでしょう、この語韻。

結局、ツーレポってのは、私の日記だからつまらない。それが好きで読んでくださっているという波長の合う方も少なからずいらっしゃるのが私に取って嬉しく励みになります。おそらくこの会議室でつまらない事を一番長く書いてきた私ですが、また暫くしたら懲りずにアップします。中には猫柳のツーレポを初めて読んでくださる方もあるでしょう。レポートというよりは、喜怒哀楽を綴ったゴミでしょうかねぇ。

 心が意地を通すのを忘れていやいや、あきらめて時と時の間をさすらうように旅という言葉を借りて歩き回る

バイクがひとつのごまかしで女性の笑顔が媚薬になって純粋な心に触れて私の心が赤面しているキザに語ってみても誰も聞いてくれやしない

何が残るかってそりゃあ、ほろ苦さでしょう

今回テーマ:ロマンの復活--漲る好奇心と感動する心を求めて--

少しづつ書くのは初めてですが忙しいので挑戦してみます。 〔ねこ〕
98年:四国篇 (4/30-5/1)
<出掛ける前に>
[4/30-1]
今、子供の頃を思い出した。日が暮れる時刻になると、田んぼが続く遥か彼方に明りが見え我が家に向かってやってきて、あぜ道に生い茂った草がヘッドライトで影になり台所の背戸のすりガラスに映えるとやがてバイクの音が近づいてくる。親父が仕事から帰ってくるその瞬間になると子供心ゆえに落ち着かずソワソワしたもので、団欒などという概念を通り越して食卓を囲んだものだ。近年の子供たちは親父が帰宅する時にこのような感情を抱く事などまず無いだろうと思う。親父という存在が大きかったのは、およそ昭和30年代の前半頃までで、もう昔の事なのだろうか。バタバタと喧しいバイクであった。子供の時からそういうバイクを見て(聞いて)育ったのでこんなにバイクが好きになったのか、そうでなくても好きだったかはまったく推測の域である。しかしながら、その親父の百カ日の法要を済ませた翌日の早朝にそそくさと荷物をまとめて旅に出て行こうとしている私を前に、お寺の境内で一番上の伯母さんが「大きいお爺さんも何処なと出掛けて行くのが好きで、日本左衛門やったわ、あんたも一緒や」としみじみととした口調で話してくれた。爺さんから旅の精神を受継ぎ、親父からバイクの魅力の薫陶をほどこされ、だんだんとご先祖に似てきた。もはや、止める事は出来ない。6年間で5度目の四国へ。この旅立ちの朝はしんと静まり返っていた。家を出る間際に家内が静かに起きて来て眠そうなそぶりも見せずカメラのシャッターを押してくれた。晴れ渡った空はまだ青味を帯びてこない。夏の朝のように靄がかかった朝であった。

<高見峠~和歌山港を目指して>

[4/30-2]
去年のGWは6時に出て9時17分に和歌山港に着いていると日記に書いてある。3分で乗船して乗り終わったらゲートが閉まった。だから少し早く出る事にした。まったく寒くないのはどうしてだろう。異常気象なのか。いつもなら顎の筋肉が痙攣するまで食いしばらねばならないほどに寒い高見峠なのに。ちょっとしたハプニングがあった。ガソリンが4分の1くらいしか残っていないことに走りはじめる前に気がついた。でも、4時45分に家を出て山に向かって走るのだからスタンドが開いているわけもない。吉野の町で7時頃に開けていた店があったので助かったけど、ガスの補給を前日に済ませておくなんてことなど一度も忘れた事などなかったのに。和歌山に差し掛かってすぐにあった道の駅でデグリーの女性が休憩していた。声を掛けると、潮岬を目指してこれから走って行くのだという。テントやマットが荷物の中にあった。ひとりのキャンプをする女性も増えてきた。月並みですが、気をつけてね、と挨拶をして私は和歌山港を目指し先にその場を発った。

<紀伊水道からR439へ>

[4/30-3]
まさに、ひょいと四国へ、の気分である。海面は凪でいる。クラゲだろうか、ぷかぷかと浮いている。船の中ではのんびりとする事ができた。多い年なら30台はいるだろうバイクもこの船では10台以下である。車も少ないように思う。明石大橋の開通の影響か。それとも30日だからか。今回、ルートについてさほど思案をしたり悩んだりしなかった。R439と決めていたから。四ツ足峠も吉野川沿いも室戸岬も土須峠から剣山スーパー林道も、もちろんR439/R438も走って来た過去が在りながら、また再度挑もうという時は見ノ越に向かって国道を西に走ってしまう。5年振りの名物国道の実態は恐らく変わっていないはずだが、私の記憶の方が忘れかけていたようだ。久しぶりにこの険しい山岳道路をポンコツバイクで越えるようとするとしんどい。年齢も喰ってきて運転能力が落ちているのが手に取るように解る。思いのほか、道の険しさに改めて驚きながら新鮮味を十分に味わって越えて行く。昔、越えた時に寄ったGSや休憩した空き地、賞味期限の切れたパンを買った店などが蘇ってくるから不思議だ。眼下に自分の上って来た峠道を見下ろしながら佇む。ガードレールの無い谷底を恐さ半分で見下ろすと股間がぞくぞくする。誰が何のためにこんな道を作ったのだろうか。現代人の一部の人の哲学を借りれば、山に入る事などまったく無意味であり、銭金と優越感を美徳とする価値観の持ち主には異星のような地になろうか。この山の偉大な姿を、ただ念仏を唱えるように唸り通す事だけでしか感動を表現できなかった。剣山スーパー林道よりも所により険しく、高くて恐ろしいこの山の峠たちを連続して京柱峠まで走って来て実はほっとしている。やはり緊張していたんだとその時に気がついた。定福寺YHは閉鎖中ということで、帰全山キャンプ場で寝る事にした。 実は去年に下見がしてあって最悪はここと決めていた。結構なバイクの数で、10台以上は居たでしょう。お薦めのキャンプ場です。無料でした。

<寒風峠を越えて松山へ>

[5/1-1]
この村に下りてくる峠道(郷ノ峰峠)でスクールバスを抜いた。これがそもそも感動の始まりだった。このバスに乗るために停留所に少しづつ子供達が集まって来ている。その彼ら、彼女らが私に会釈をするから、あららどうしたんだろうかと最初は戸惑った。しかし、これは本物だと気が付く迄にさして時間はかからなかった。芹だろうか。あぜ道に生えている。花の名前を知らないのを私はいつも後悔しながら、これはアザミかな、あれはたんぽぽかなとひとりごちて峠を越えるのだが、それらの花までが私を歓迎してくれているような気持ちになってくる。会釈をするというのは家庭の教えなのか、学校の指導なのか、どちらでもないのか。それにしても、恥ずかしそうではあるけど知らない人であっても私のような行きずりの旅人にまで会釈をする姿は、全国でもきっと数少ないに違いない。R439と別れて寒風峠へ行く分岐点で少し休憩をした。高校の生徒さんが登校者の交通指導に出て来ている。ミニバイクに乗った女生徒が何人も曲がり角を過ぎて行った。その高校の名前は、大手前高校吾北分校というと教えてくれた。(字は正確には解りません。)会釈をしてくれたのはこの近くの中学校の子供たちでしょう。寒風峠の南斜面に差し掛かると雨が強く降り始めた。悪路、狭い峠道、濡れ落葉などの悪条件に乱れた雨が加わる。もう若くないんだから、正直言って楽しく走ってもおれない。寒風峠の前で雨具を着た。もう躊躇するレベルの雨ではなかった。キャンプ場でご一緒した人達とトンネルの前の東屋で再会し、豆をまいたようなような音を立てて降り続ける雨と大きな霧の塊を見ていた。そうしながら彼らも石鎚山方面の瓶ガ森林道に行く気合を充電しているのか。谷を霧が動いている。その山を下りて来た人の話では風も強かったという。それでも彼らは山に向かって行った。何がそうさせるのだろう。四国の不思議な魅力である。しかしトンネルを越えると晴れ間が待っていた。松山は晴れ渡り、汗ばむ陽気である。青空が私を待っている…なんてぶつぶつ言いながら、南斜面よりはまともな北斜面道路を下った。今頃、九州の何処かを走ってるある人(Nさん)に電話を入れた。松山で一草庵を見た後、佐賀関に行き九州から馬関海峡を渡ろうと考えていた私は、その子と落ち合えないものかな、と期待をしたのである。しかし、それも一草庵に行ってから気が変わってしまった。(ごめんね、Nさん。)一草庵は一般公開と聞いていたんですが、そうじゃなかった。何故だろうか。落胆が襲う中、その日のうちに山口まで行く決意も固まっていく。

<一草庵の前で出会った人…>

[5/1-2]
大きなアタックザックにトレーニング用の荷物を入れた愛媛大学の学生さんに、一草庵の前で巡り逢った。最近、旅にとりつかれた様子である。仕事で失敗して自殺なんかしてしまう人はいったい何なんだろうか、って思うと熱い口調で話していた。ファックスひとつで仕事をたった今辞めてきたという人達に何度も遭遇した北海道での感動や九州の国見峠を自転車で越えた時の感動を話してくれた。久しぶりに純粋な人に出会った。

<柳井から山口へ>

周防大島の北側を通り、大橋をくぐって柳井に着く。時間があれば寄りたい島なのだが。あんぎゃさんの連絡先でも聞いておけばもしかしたら落ち合えたかな…と思ってももう遅いわ。本名を覚えていたら役所に問い合わせるという方法もあるのか。様々な想いを抱きながら私にとってバイクを伴って初めて到達した山口県の土である。勇気が湧いてくるような感慨が襲ってくる。不思議な所だ。誰もがみんな松陰先生って呼ぶんですか?って誰かに訊ねてみたい。(実はあとで訊ねたら萩の人だけでしょうねとある人は言っていた。)山口での泊まりは山口YHにした。明日の朝は雨模様の気配だから、挫けてしまった。YHでも書ききれない事が幾つかあったが、ここのYHに種田山頭火全集という立派な本が置いてあった。どうやら誰も読んでいないらしくブックカバーから引き抜くのに苦労した。過ぎ行く夜に静かに読むのもしみじみとしていいものである。早く其中庵に行きたい。明日は雨の其中庵なのだろうか。更け行く夜、外の気配は激しい風と雨である。
98年:中国篇 (5/2-5/4)
今回のテーマは
★ロマンの復活
 ─ 漲る好奇心と感動する心を求めて ─

<何故、走る旅に出るのか>
[5/2-1]
これは永遠のテーマである。もっと遠くへ…と走り続ける人もあれば、最北端…などを目指して走る人もあろう。わんこそばを食べたいから…ただそれだけのために高速道路を1000キロ以上も飛ばした人もある。こういうことを考えてみた今、「したたかな情熱」を私達は失いかけているのではないかと、ふと思ったのである。「何かのために夢中になって走る」ということがバイクに跨った原点ではなかったか。ロマンを持って家を飛び出した時期を甦らせてみたい。だからテーマを))ロマンの復活(漲る好奇心と感動する心を求めて)としようと決めたんです。

<山口~小郡・其中庵~萩>
[5/2-2]
朝、起きると雨が一時的に止んでいる。どうせ雨だろうからゆっくり…と考えていただけに、荒立てて支度をして湯田温泉へ向かう。温泉街を少し散策して其中庵のある小郡へと急いだ。>他のスポットを色々教えてくださった皆さん、どこにも寄りませんでした。すみません。種田山頭火という人は小郡の其中庵に落ち着くまで に熊本から嬉野温泉、川棚温泉、と転々とする。松山の一草庵に移る少し前の短い期間だけ湯田温泉の風来居と称する徳重正人宅裏屋に住んだこともある。このツーリングでは川棚温泉へも行ってみたいのだが雲行きが怪しいし、天候と時間の兼ね合いもあり次回への宿題とする。「思えば、久しぶりに見上げる空だなあ、それだけでも自然に一歩近づける事になるな」と、そんなひとりごとをいいながら小郡の街中を見おろす高台で佇む。誰も居ない。声もしない。 濡れた雑草があるだけ。オゴオリザクラは生き生きと新芽が吹き出している。来訪者のために用意されたノートを読み時が過ぎてゆく。雨に打たれて綺麗さっぱりに洗われた庭木の葉を、縁側に腰掛けて眺めているだけで満足なひとときである。いつもなら「早く出発しなきゃ…雨が降り始める…」とソワソワするのだろうに、その時の私は泰然としており、濡れて走るのも厭わない強気の気配であった。 少しづつ帰途の行程などが頭に浮かんでいる。さて、萩に行こう、松陰先生に会いに行こう。秋吉台には寄らなかった。したがって噂のピザにも出会えないまま、萩までの国道を快適に飛ばして萩城跡までやって来た。この街は、今までに訪れた街の中では一風変わったまったく新しいタイプの風情を持ったところだった。

<萩で蕎麦を喰い、津和野へ>
[5/2-3]
雨が降り出して止む様子がなければ萩YHに泊めてもらうことを考えていた。しかし、到着したのがお昼前で、どんよりとした曇空でまだ降り出していなかった。市内をとろとろと走り回っているうちに萩城跡のお土産物屋さんが「がんこ庵」という評判の良い蕎麦屋を教えてくれ、時刻も些か早かったので寄ってみる。道の両側に土壁が残り昔の風情をとどめて城下町の屋敷の街並みが残っている路地にその「がんこ庵」はあった。蕎麦の味は上々。普通のザルを頼んでしまったが、有名なのは割子蕎麦?らしい。萩焼きに盛って出てきて気品がありそうだ。ジョッキやぐい呑み、お著子も萩焼きを使っている私にとって、その蕎麦を知らずにザルを注文したのは浅はかだった。味はどちらも同じで、出雲の蕎麦である。萩市内は、ぜひ、自転車で散策することを薦めたい。食べ終わって店を出てくると雨もいよいよ本降りになった。松陰神社に参拝した後、津和野YHに電話を入れた。早々に風呂に入ってくつろごうという魂胆である。津和野の盆地を見おろす峠からの眺めはなかなかのものである。石州瓦の赤い屋根がたった今まで見てきた景色を払拭するかのように綺麗に並んでいる。駅前にバイクを着けて案内板を眺めているとレンタル自転車屋さんがマップをくれた。鯉が泳ぐのを雨の中で見ていても洒落にならないから、YHに夕食がないこともあり小僧寿司で買出しをしてから宿へと急ぐ。雨の中の買い物は面倒くさい。3時前にYHに着くと大阪から来ているジェベルの女性が玄関で立ち話をしているところだった。彼女は散策の為に街に出ていくというので立ち話も程々にして私は風呂に入ることにする。その間に「SL山口号」が津和野から小郡に向けて峠を登っていった。汽笛だけが風呂の中まで聞こえていた。ここの風呂は面白い風呂で、お釜そのもの(下から沸かしてはいない)で、底が丸くて深い。最初、見たときには下駄を履いて入らねばあかんのかな…と思うほどだ。YHでの夜な夜な話は、日記にとどめても仕方あるまい。ありふれた旅の話である。ジェベルの彼女と楽しい話(阪神タイガースファンだった)などをしている間に就寝時間を迎える。もしもYHでのこの会話タイムがないなら疲れが取れない。

<津和野から松江まで>
[5/3-1]
其中庵で旅のピークを迎えたので後は帰るだけ。9号線をそのまま走っても面白くないので、ちょっと温泉にでも寄ってみる。「夕日ライン」ということを山陰の海岸は売り文句にしている。実は北陸も新潟の方にも「○○夕日ライン」がある。ライダーは何故夕日が好きなのだろうか。哀愁が漂う静かなひとときに弱いのか、あの燃えるように赤い激しさが好きなのか。道の駅がたくさんできて、遠望スポットが設定されている。やはり晴れて欲しい。

<有福温泉と温泉津温泉>
前者が200円、後者が160円。この安さだからぜひとも寄ってみたい温泉である。有福温泉には、共同浴場が3箇所あり、一番高台にある「何たら湯」って所が一番広くて綺麗だと聞いたので、行ったら芋の子を洗う騒動で大失敗。その手前のお湯は誰には行かないから、がらがらでそっちにすれば良かった。決して大きな浴槽ではないが、お湯はやや美人系で、無色透明、しっとりとしている。石段を登っていく風情があり、じっくり歩き回ってみるのがいいかも知れない。温泉津温泉は、かなりボロイ温泉街が続く中、ひときわボロイ共同浴場が2軒ある。公共駐輪場の建物の中にバイクを入れてくれるので雨宿りにもなってラッキーと思いついついお湯に寄ってしまう。有福温泉を出て温泉津に来たら、霧のような雨に見舞われていたので、やむまでゆっくり浸かるつもりで入ったが、実際にはそうも行かなかった。真っ赤に錆びたような浴槽の縁に腰掛けていても湯がやや熱かったこともあって汗が吹き出してくる。身体を洗ったりするような上湯は十分にあるわけでもなく、雰囲気を味わっただけで出てきてしまった。お湯は濁っている。白いと聞いていたので、乗鞍高原や白骨温泉のように牛乳のような色を想像していたけどそうではなく、白く濁っているという意味だったようである。

<宿は出雲で>

出雲大社にお詣りをして、ゑびすや旅館YHに飛び込んで空いてますか?って尋ねたら最後のひとりですって言われてラッキーを喜んだ。津和野YHで巡り会ったジェベルの彼女も連夜一緒の宿になって、話は弾む。「あれぇ~、今日は浜坂じゃなかったんですか?」って驚きの様子。浜坂YHは満員御礼できっぱりと断られたので、軟弱にも雨を降らせる前線の境目で躊躇しているのを恥じたのであった。岡山からきたダックスというチャリダークラブの可愛子ちゃんも加わり、豪華美人ばっかしで賑やかな談話室であった。岡山の彼女は全国走破中で、皆さんの中にも出会う人があるかも知れない。彼女にあったら自転車置き場で「あなた、可愛いからモテルでしょう、でもさすがに太股はふといなあ」(触りたいな)と言った奴に出雲で会っただろうて尋ねてください。

<中国縦走>
[5/4-1]
5月4日。さて、子どもの日は松阪まで帰るだけであるから、京都の実家にまで行ければいい。9号線は何度も走っているから今回は中国山地を縦に走る国道を横に繋る県道を鋸歯状(あみだくじ状)に走って京都まで行く。渋滞もなく亀嵩、出雲横田、日南町、湯原温泉、奥津温泉、美昨、佐用、滝野社、丹波篠山と抜けて実家まで。家族(家内と娘)と再会し久々に旨いビールの泡に酔いしれた。そうそう、佐用付近の道の駅で二人組の女性ツアラーさんに会った。少しづつ女性ツアラーさんが増えているのだろうか。

<走っただけの一日>
「さあ、走るぞ」と出雲大社の前で気合いを入れて8時から夕刻5時頃までほとんど休憩をしない山岳ツーリングを楽しんだ一日だった。走る楽しみ。テーマにまた一歩近づいている。

<こいのぼり>
ローソンで買ったこいのぼりを荷物にくくりつけて走った。子供の日ですから。同じことをしてる人も見かけたよ。嬉しい。
本篇、長くなり申し訳ない。書き切れないことは、はみ出し篇ででも書こうかな。猫柳素庵誤字脱字は直しません、目をつぶってね。
98年:京都・滋賀篇 (5/5) おまけ
今年は30日から5日まで、距離の短い日もあったが、朝から夕刻まで万遍なく走っているツーリングだった。こんな事は最近では珍しい。しかし総走行距離は1600キロあまりだったから、疲れもそれほど残らなかった。ひどい時は手が痺れてキーボードが打てない事もあった。

さて、最終日。いってみようか。

<Mちゃんとの出会い>
子供の日は晴れの日が多いという晴れの「特異日」だから朝から日差しが眩しい。出かけ前にツーリング部屋を賑わしていた京都の話題で、Mちゃんが確か京都の東山YHに泊まるって京都案内質疑応答リンクのなかで書いてあったような気がしたので、(まったくの勘違いでどうやら書いてないらしい…私の思い込みであった)偶然を狙って行ってみようと、出発者が多い8時頃を狙って三条通りを東に走った。人の勘であるとか、偶然の勘違いの魔力も不思議である。クラブマンの女性がいた。視線が合ったら小さく会釈をして、近寄って来てくれた。私が誰かだと気が付いたらしい。彼女は私の年齢や顔、恰好、バイクなど一切を知らなかったはずなので、随分とびっくりしたんではなかろうか。

<大原に行きましょうか>
会える事など当然期待してないので、ひとり寂しく湖北を回って帰ろうと思っていたのが、とんだハップニングである。東山YHの前でベンチに座って随分と長い間くつろいでから、(8年以上京都を離れていますしという弁解をメットの中で呟きながら)道に迷いながらも鞍馬を目指した。花背峠、百井峠を越えて大原へと行く。花背峠をご案内して、百井峠を越えて大原へと向かおう。百井峠は10年ぶりくらいに走ったんと違うかな。走っていてだんだん思い出してくる。大原側の斜面は勾配がきつい。

<三千院>
三千院の前を通る事は今までに何度もあったけど、寄り道するのは来客を連れる時くらい。新緑の楓と桜の並木の山門を境内へとゆく。正直言って、京都の社寺仏閣をくまなく回っています私ですが、家内以外の女性と回った事はそうざらにはない。(もう一回くらいあるけど。)可愛子ちゃんを連れて歩くと落着きをまったく失ってしまい何を話しているやら…。緊張しておしっこにばかり行っている。京都に来るなら、平家物語や源氏物語をうわべだけでも勉強して来る事を薦めている。目の前に映る景色がまったく違って見えるはずだから…などと薀畜をタラタラと庭園を前に話している。これじゃモテないよ~。>自分
真剣にお寺の生い立ちやら時代背景を勉強しながら回れば、立派な歴史通になれるでしょう。まあ、ツウになることはどうでもいいけど、普遍的な風情を前にその時代の文化に触れて欲しいものです。Mちゃんにはねこのつまらない講釈を入れまして申し訳ないです。寂光院へも案内したかったが、残り時間も少ないし先を急ぐ事に…。

<朽木村へ>
織田信長のおもしろさは桶狭間の奇襲や長篠の戦だけではなく、1570年の浅井氏を攻めて失敗し、この朽木街道を必死で退却したことであろうか、と司馬遼太郎さんは<街道をゆく(1)>で書いていたのを思い出している。だから、何の変哲もない花折峠がとてつもなく素晴らしく思える。この時代(戦国)の歴史(または歴史小説)をかじり、その世界にハマっていった人も多い事かと想像する。明智光秀は悪人扱いをされるが、いろいろ読みあさると、素人の私などにはこの上なく魅力の溢れた才人であった事などもわかる。にわかにかじった知識をダシに、こういう峠を越えるところが楽しい。年々、道路工事が施されこの峠道も広く改造され車も増え、確かに地元民には便利になって行くのかも知れないが、確実に自然を破壊している。谷の奥深くをえぐり入るように安曇川を下った街道も、現在ではトンネルが幾つも開通して直線的になり、行き交う車を悩ませた狭路もほとんど無くなってきた。国家によっては、土木工事に重きを置かない国もあるだろう。昔のままを残し、不便でありながらも、生きていく中での文化を大事にしている精神を学びたいと思うが。しかし、こういうことって学ぶ事なのか。

<湖北へ>
昔、鯖寿司を買った梅竹の前を過ぎ、道の駅で休憩を取り、奥琵琶湖へと向かう。琵琶湖の湖面はどんよりと鉛色で、空を映したように暗い。雲が下りてきているのを感じる。琵琶湖の真っ青の湖面をMちゃんに見せてあげようと思ってきたのにこれじゃちょっと申し訳ないか。それにしてもお天気は下り坂なのだろうか。不安が襲う。でも、海津大崎の湖岸道路に差し掛かると水際で遊ぶ人達の姿が目立つからそうでもないのかな。女性とかと走った事があまり無いので気を使う。写真を撮るスポットなどをずっと過ぎてから気が付く有り様で、申し訳ない限りだった。琵琶湖の水は潮の香りがしない。大きな波も来ない。そういうさりげなくて当たり前の会話がしたいが、前と後ろで走っているとそれが出来ない。寂しいことなのかも知れない。しかし、湖面のさざなみを見て、彼女もきっと似たことを感じているだろう。同じものを見ているということが重要なのだと思う。

<おなか、減ったよ>
奥琵琶湖ドライブウェイから眺める湖の景色には満足してもらえたと思う。しかし風も出てきたし、お腹も減った。時間も無い。3時には関が原インターを乗って…と算段していたのでちょっと時間が押している。でも、農道を走れば渋滞スイスイだし。田舎はいいでしょ、車が少なくて。

<よその地方の人はどう感じてくださっているのか>
旅の終わりは、いつの時も哀しい。別れの時が迫っている。お腹を減らしたまま彼女を高速道路に送り出すのは辛かったが、渋滞などの心配もあったし、明るい内に一刻も早く東京に向かって送り出したかった。私は京都に永年住んでいたし、今いる三重県に移ってもまずまず長いので、遠くの人の印象が知りたくて今回のツーリングでは、出会う人に順に紀伊半島の印象などをと尋ねてみた。関東の人は、やはり「遠い」という印象が強いらしい。冷めた言い方をすれば、どこの地方のどんな景色も似たり寄ったりで、感動がないとも言えようが、しかし、それじゃつまらない。そのちょっとした違いに味わうものが多いのではないか。関東に帰る彼女も復路は遠いなあと感じているのだろうな。初めてのツーリングで彼女は何を感じ、何を得たのだろうか。レポートを少しづつ書いてくれるとだろうから期待したい。ビギナーだった彼女の心の動きから学ぶところも多いだろう。私も学んだ事の多い5月5日だった。彼女と別れて、岐阜から三重へと県境を越えたら雨が降り始めた。こいのぼりをカウルの中にしまってやって、雨具を着た。今回のツーリング途上、一番長い雨に降られて久々に「雨の猫柳(演歌調)」を唄いながら帰途についた。1600キロ余りのGWの旅もこれで終わった。短い割に今までになく盛りだくさんな旅だった。

<あとがき>
6日間も留守をしてまして、ツーリング部屋の方の未読が山積です。嬉しい悲鳴です。長々と書き綴ってきました。何の情報を差し上げられる訳でもないので、言ってみればゴミの塊を出した訳ですが、これを出さないとまた次の旅(ツーリング)に出かけられない。キャンプ場、その土地^2で得た耳より情報など、機会があれば何らかの形でツーリング部屋の中で紹介していきたいと思っていますので、今後もよろしくどうぞ。

FBIKEの人には残念ながら一人しかお目に掛かれませんでした。謎の仙人・ねこさんにバッタリ会ったら何か特別な賞でも差し上げるなど、プレミアもどきをつけたらもっと多くの人に出会えるかな…なんて。

最後になりますが、色々と私のゴミ日記へコメントをくださったりする皆さんもあると思いますが(会議室の彩りを眺めると)ひとつひとつに御礼を差し上げることは出来ないかも知れないので、その節はご容赦ください。

皆さん、どこかで、会いましょう。
98年:四国地方と中国地方 ─語録篇─ (1)
コメントを戴きました方々には、何も書いていませんが、涙が出るほど喜んでいます。何故って、日記のレポートが幾分不満足な完成度だったにもかかわらず、読んでくださったんですからね。何も情報としては皆さんに提供できないけど、少しでも山陰や四国に行こうかなとお考えの人が増える事を夢見ております。

図々しく、語録もまとめておきます。出納帳は省略。あとは、思い出す事があったら語録を追加する程度かな。94年の九州ツーリングの時にも「語録」を書きました。あれは、後で読んで自分自身で喜んで泣いています。
☆和歌山に向かう道の駅にて(紀ノ川沿い)
デグリーの女性に声をかけて
---これからどちらへ?
---潮岬を目指して走ります。
---いいですね、紀州はいいですよ、温泉も多いし。お気をつけて。

別にこれと言って特別な会話ではなかったが、この日、初めて交わした言葉だった。キャンプの装備も持っていたし、行動派に見えたが。

☆見ノ越で、車の人(娘さんとお母さん)
---剣山のケーブルの上はいかがでしたか?
---少しガスが出ていましたが、景色はよかったです。

☆京柱峠で、オフロードの二人組と
---物部村のキャンプ場をベースにして、今日はその辺を走ってきたんです。
---泊まってる人、居ますか?
---まずまずいますね、これからべふ温泉に寄って帰るんですよ。

☆大豊から高知に向かう途中の道の駅でここの奥さんが、可愛らしい。去年も話しかけた記憶がある。話しかけた瞬間に記憶が甦った。
---明日の天気はわかりますか?高知は、どちらかのほうから雨が降り始めやすいとかそういうのはありませんか?
---(高知弁で)わからないわ
---キャンプ場はないですかねえ。
---帰全山というところがあります。この前の休みも、いっぱいの人だった…。

☆帰全山キャンプ場にて(他のバイクの人)
---ここは穴場でしょ。今年で3度目ですよ。水もあるし、只だし。

☆霧と雨の瓶が森林道入口、寒風峠で
---いよいよ本格的に降りだしたね、でも、ここを走るために四国に来たんだもんな。

☆霧と雨の瓶が森林道入口、寒風峠で、その2
(私は四万十川に行くと思われていたらしい。)
キャンプ場でご一緒した人から話しかけられて
---あれれ、四万十川源流に行ったんじゃなかったの
---いいえ、松山に行くんですよ、それにしても凄い峠ね。さっきも、濡れ落ち葉でズルッってすべって転びそうになりましたよ。
---見てた、見てた。危なかったね。

☆霧と雨の瓶が森林道入口、寒風峠で、その3
---GT750は珍しいですね、いいなあ。これ、私の高校時代の人気バイクですよ
彼は浜松のスズキに勤めていると言う好青年でした。瓶が森の霧に消えて行った。

☆松山一草庵の前で、愛媛大学の学生さん
---ファックスでたった今、会社を辞めてきたとかいう人に出会いました。仕事に行き詰まって自殺するなんて、ほんと馬鹿げてみえますね。自然に行きているってのが、素晴らしくて…。国見峠(九州)も行ったんですか?いいいですね、あそこは。いいなあ、バイクは。

☆山口YHで
---(サービス関係の仕事では)食べ物を棄ててしまうんですよ。食べ物なんか、棄てるのが美徳のように。それが嫌で仕事を辞めたんです。水も綺麗で、都会に住んでいるのが、矛盾だらけで…。資源とか、水とか、金を出せばいいってもんじゃないでしょう。遅れてますね(日本は)。

☆萩市内で、がんこ庵を薦めてもらって
---地元じゃまずまず有名みたいよ。美味しいらしいよ。

☆萩市内で、がんこ庵にてお店の人が
---萩焼きの器で出すのが人気なんです。味は一緒ですよ。

☆松陰神社入口で急にたくさん降り出して、雨…
---ここ、屋根ありますか
---(交通整理をしてる係の人)ここは、松陰神社ですよ(怒ってる)
98年:四国地方と中国地方 ─語録篇─ (2)
もう少し続きます。

☆津和野YHにて、ジェベルの彼女と
---タイガースのステッカーですね、私も隠れ阪神ファンです。

☆ジェベルの彼女と、談話室にて
---下関まで船で行って、道の駅のスタンプラリーをしながら。鳥取で、天女の忘れ物というお土産を買って帰ります。
---どんなの?エッチ系?
---そうじゃないみたい。ギャグ系かな。買ってのお楽しみ。
☆津和野YHで一緒だったジェベルの彼女に出雲で再会して
---あれえ、浜坂YHと違たん?
---浜坂YHいっぱいやったん、雨でくじけてここにしたん。貴方から宿の名前も聞いていたし…。

☆津和野YHの前でみんなで写真を撮りながら
---5月といえば、こいのぼり、でしょう。
(私もそういう訳でこいのぼりを買いました。)
☆出雲のYHに泊まっていたチャリダーの女の子
---どこまで行くの?
---日本一周するの。沖縄から走って来たんです。いったん岡山に帰って、北を目指すの
---(3杯目をおかわりしてるのを見ながら)チャリダーって御飯を、ほんと、たくさん食べるんですよね。
(うなづきながらモリモリ食べていた。小柄な子。)
(次の朝、自転車置き場で)
---可愛いからモテるでしょう。(可愛い子だったので)
---凄い太股だな。触っていい?
---ダメ。
(でもこんな質問って野暮だと気が付いた)
☆中国山地、美作あたりの道の駅で会った信州からに二人組の女性(どちらまで行くのですか?の問いかけに)
---今日は宝塚の友達の所です
---高速、走ればすぐですよ
☆東山YHの前で
---こんにちはXXです
---ええっ…?☆×△…(驚き)
☆MちゃんとYH前で話す
---貴方、可愛いけど、ネットに可愛いって書くと、ファンレターがどっさり来て、モテモテになって困るだろうから、内緒にしておくよ。
(ああ、バラしてしまった)
思い出す事があったら、また、追加するかも知れない。

98年 鎧駅

<98年のツーレポから>

《鎧駅》 [5/1ー0]

念願の鎧駅である。「ふたりっこのロケ地」という看板が出ている。やめて欲しいなあ。私の鎧駅なのに…。

幼い日に母に捨てられた兄と妹は、それぞれ、自分の深い想いを持って海岸列車に乗り鎧駅を訪ねる。宮本輝は小説「海岸列車」(文春文庫)の始まりの章で

駅から入江への急な斜面には、かつてサバ漁で賑わった鎧港の名残として、錆びて風化した鉄のレール敷きだけが一直線に下りている。陸あげしたしたサバを列車に積み込むためのケーブルの残骸であった。その横に、村へと下りていく折れ曲がった錆色の道がある。列車の車輪とレールとが撒きちらす鉄粉によって色を染めた道は、ほんの数十メートルで、黒ずんだコンクリートに変わるのだが、かおりは、その道の錆色の部分しか歩いたことはない。 (上巻25ページ)

  

小説に出 てくる向こう側のホームのベンチも、またそれが海側を向いて置かれていることも、そこから見下ろす港に倉庫らしい建物が見えることも、私にとっては期待通りでありまた新鮮で嬉しい。

ひとりごとをぶつぶつ言いながら私は周辺を歩き回っている。そしてぼんやりと海を眺めては、時々、シャッターを切る。畑で仕事をしているおばあちゃんにはそんな姿が変に映ったかも知れない。それでも私は、向こうのホームに行ったりこっちに来たりを繰り返していた。時刻は 8:20頃で、下りの列車が来てホームに止まった後、二、三分で上りの列車が入ってきた。降りる人も乗る人もいない。列車の中の人影は疎らで、行き交う列車を遠巻に私は眺めていた。やがて重そうな車両を動かすためにディーゼルエンジンの音を山に反射させて列車は動きだした。黒い煙の匂いが私の所まで届いて、その後、列車はまたトンネルに消えて行った。さて、鎧駅はここまでにしておこう。

2009年5月 9日 (土曜日)

5月初旬に考える ― エコ運転 ―

5月初旬に考える

‥‥‥‥

■□□
巻頭言

「知ってはる? だんぜんおトクなエコ運転」

これは、平成20年度に募集した「関西エコドライブ推進共通標語」の「最優秀賞」で、啓発ポスターにも使われています。リズミカルにエコドライブをアピールしています。でも、エコドライブっていったいどんなことするのかな?と疑問を抱いている方々もあろうかと思います。

身近なところでは、アイドリングストップもその1つです。実際に信号待ちでのアイドリングストップを小まめに実施すると満タンで100キロほど余分に走るようになったと、地球温暖化対策室の職員談も届いています。やればできそうな気がします。みなさんも挑戦してみてはいかがでしょうか。

交通渋滞が発生すると、いたる所で無駄なエネルギーが大気中に放出されてしまいます。貴重なエネルギーをみすみす棄てるのはモッタイナイですし効率も悪いので、ちっちゃなことも気にしながら、公共交通機関の利用推進、エコドライブの工夫をしていきたいものです。

‥‥‥‥
(没記事)

くしくも大型連休で大渋滞が各所で発生していたわけですが、そんなことがわかっていながら渋滞のなかにお出かけするのはおバカさんですね…みたいなことを書いたら、行政批判はちょっと…いうことでカットとなりました。

■□□□
編集後記

3月、4月、5月と瞬く間にときが過ぎてゆきます。花が咲いたと思っていたら、麦の緑色が鮮やかになり、大型連休のころには伊勢平野の所々で田植えが始まりました。

4月の中ごろのことでした。田んぼ道を散歩をしていると娘(大学4年生)が麦を見て「これ何?」と尋ねるので驚きました。「麦ふみクーツェ」(いしいしんじ)という小説もあるし、麦というものを知っていても、実物は知らない人が居るのだということでしょう。

毎日食べているパンや乾杯で飲むビールも、品種は様々だけれども、この麦の恵みなんだと気付いているのかな。ひょっとして蓮華も知らないか…と思いましたが、そのあたりには既に蓮華畑はなく、田んぼには水がはられ始めていました。

麦の穂のおもひでがないでもない 種田山頭火

壮年のみなさまには蓮華畑や麦畑には数々の思い出があることと思います。

日々のおぼえがきに、桜が咲いたとか麦が青みを増したとか田んぼに水がはられたなどと書き残しておくことがありますが、それもやがて気が付かずに夏を迎える時代が来るのでしょうか。

2009年5月 6日 (水曜日)

いつも空を見ていた

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  〔2002年の塵埃秘帖4月号から〕   

  いつも空を見ていた

  好きだった人  
  いつも空を見ていた  
  飛行機雲が見えたら家まで電話をかけてきた  
  おまえの部屋の窓からも見えるかーって尋ねた  
  いつも空を見ていた

  好きだった人  
  夜になっても空を見上げていた  
  星の名前なんか知らないけれど  
  天文学者になりたいなとつぶやいていた

  いつからかわたしも空を見上げるのが好きになっていた  
  言葉に詰まるとそっぽを向いて空を見た  
  いつも青空ばかりじゃなかったけれど  
  そんないくつもの顔を持った空がわたしは好きだった

  雨がやんで小鳥がさえずりはじめると  
  緑の新芽を精一杯に吹き出した森の雑木たちが  
  ざわめき出すような気がした

  峠には木霊が棲んでいた  
  太陽が差し込み  
  雨のしずくがきらりと光った

  あいつはいつものように空を見上げて言った  
  別れのときが来た  
  新しい道を歩もう

  空は青く  
  飛行機雲さえなかった


  あの子のこと・その1

  その子のこと・その1

  〔塵埃秘帖6月号から〕

  これでお別れだと決めた夜にも私はその子を抱いていた。別れ話を口にできずただひたすら手を握りしめた。二人で幸せになるんだと信じて何も疑わないその子を、ポイと海に放り投げるように突き放して、別れてしまった遠い夏。あの夏も雨が幾度となく旅の私をいじめた。雨があがると蒸し暑い朝を迎えた。大きな橋を渡った後に、川霧を見おろしながら私は言った。

  「……」

  あの子は何も返事をしないままそれきり一度も振り返ろうとしなかった。別れの瞬間だった。〔6月12日〕

  あの子には鳥のように自由にふるまう気ままさがあった。誰にも束縛されずに大空にひとりいて、地上の獲物を狙っていた。ときには、甘えた猫のように無抵抗に自分をさらけ出した。私を騙して、抱かれる悪い女でもあった。でもたったひとつだけ、謎を残して消えてしまった。〔6月19日〕

  私たちは弱虫同士だけれど、助け合えば必ず成功するよ。十年後の夢をここに描こうよ。この崖から飛び降りようなんて言い出したらダメだよ。〔6月20日〕

  別れは突然やってきた。そう、風に吹き飛ばされる麦藁帽子のように私の前からアイツは消えてしまった。〔6月23日〕

  あの日も雨が激しく降っていた。夕暮れ前に買物を済ませて部屋へ戻って、わずかに灯油が残るファンヒーターに火を入れた。何も疑うことなく、惣菜をつまみながら過去を哀しみ、夢を語った。せんべい布団が一枚あるだけのささやかなひとり住まいの部屋に、ほのかに明かりが点ったようだった。横顔が可愛かった。〔6月24日〕

  〈続・あの日のこと〉

  二日めになっても雨が降り続いていた。いつから私は雨降りが嫌いになったのだろうか。冷たい雨はその子の首筋から背中へと染みこんでいった。苛立ちを隠せず、服を脱ぎ捨て、ひでぇ男に騙された夜のことをポツリポツリと話し始めた。〔6月25日〕

  桑の実を摘んで食べた。お父さんは優しくて、いっぱい摘んでくれた。でも、時には鬼ような父の姿もあった。暴力をふるう父。妹だけを大事にして、姉である彼女には、去っていった妻の仇のように冷たく当たった。だから18歳で家を出たという。そこは多摩川沿いのボロアパートだった。〔6月27日〕

  あれは湘南の海岸だったんだとあとで気がついた。彼女は自分の哀しくて醜かった過去をひとりで握りつぶしながら私を海に誘った。雨は嵐のように吹き荒れ、砂浜は悪夢の舞台のように乱れた。この子は私にとって重苦しい子なのかもしれないという予感がそのとき走った。筋書きのないドラマだった。まだ私は決め兼ねていた。〔6月28日〕

  (詩篇)

  君をさらってどこまでも走り続けてゆけるなら僕は深い深い幸せに酔いしれることができるだろうけれど、いつか二人が無言になって不安を語ろうとしない時間がやってくるに違いない。そのとき、僕は君の手を取ってあの山の向こうへと旅を続けられるだろうか。そんな勇気があるだろうか。ねえ、どこまで、そして何故、私たちは走るの?君の問いかけは厳しい。僕には迷いがあったのだ。〔7月2日〕


  あの子のこと・その2

  彼女が貞心尼の話をしてくれた。長岡藩士・奥村五兵衛門の娘として生まれた貞心尼は、幼いころ母と死別し乳母に育てられた。文学好きでふっくらとした美少女だったという。17歳で結婚するが、6年ほどで離婚し23歳のとき閻王寺にて髪を落とした。父と言い争い家を出て行ってしまった自分の母の面影を追い、幼い頃に裏の河原で水遊びをしてくれた父の姿を思い、さらにひとりぽっちになってしまっている自分とを貞心尼にオーバーラップさせていたのだろう。〔7月3日そのⅠ〕

  雨が上がって、長野県から新潟県へと県境を越えた。彼女は良寛と貞心尼を思い詰めてか、少し無口になっていた。私たちの旅は二日目に入っていた。このまま地の果てまで一緒に行けたらどれほど幸せだろう、そう何度も思いながらも、二人の実らぬ恋を私は案じていた。閻魔堂へと峠を越えるか、それとも子どもの頃に父と水遊びをした裏の河原を探しに文字村を目指すのか、彼女は悩んでいた。私の迷いは、緑に萌える越後の山塊を見ても依然と燻っていた。〔7月3日そのⅡ〕

  千曲川は名前を信濃川と変えている。およそ今までに出会ったことのないような豊富な水を抱え込み、蛇行することもなく悠々と流れている。河岸段丘を眺め下ろしたり、津南という町の小さな温泉に浸かったりしながら私たちは川沿いを下流へと走ってゆく。二人には会話など不要だった。ひとりごとをいう私の口の動きを正確に捉えて理解しているかのように、バックミラーに映る彼女の笑顔はにこやかに反応していた。幹線国道の通行止めで少し迂回をした。そのときも私が止めたバイクに歩み寄り、君について行くよ、と言ってまた自分のバイクに戻っていった。〔7月4日〕

  二人でいれば怖いものなどなかった。とりわけ不幸せが私たちを襲ってくるような不安はなかった。人里を離れた寂しい村を目指して旅は続く。やがて私たちは結ばれて、温もりのある小さなペンションを何処かで始めたいね、と語り合い、そして見つめあった。森立峠を越えればそこには閻魔堂があるけど、そこへ向かう交差点を左折せずにさらに北へとゆく道を選んだ。もしもこのまま二人がはぐれたとしても、三年後の今日かもしれないし五年後の今日かもしれないけど、私たちは文字村に辿り着くこの道のりの何処かで必ず再会できるような赤い糸で結ばれている、と彼女は言った。〔7月5日そのⅠ〕

  父の冷たい仕打ちに絶えながらも、学費だけは稼ごうと思ってバイトだけはやっていた。その疲れた身体を教室の片隅で休ませていても、深夜に風俗でバイトをしてるんじゃねぇか、と疑ったり、三日ほど風邪で寝込んでも、子どもができたんじゃねぇか、と担任は冷たく怒鳴ったという。進学校で成績もよかったけど、不運でお金がなかったし、家を出てからも何度も何度も男に騙されてしまった過去を、彼女は打ち明けた。昔を思い出して俯いてしまう姿を見つめていると何も言葉も掛けられず、私はただ手を握り締めるしかなかった。あの夜、星を見ようと言ってテントを出た彼女をその場できつく抱きしめた。〔7月5日そのⅡ〕


  あの子のこと・その3

  二人が初めて出会ったあの年の春、大きな湖を見下ろす高台の展望台から、遠くに見える断崖の果ての水際に小さくひとつ咲いている白い花を見て、あの花はなんという花なのだろう・・・と彼女は何度も繰り返し呟いていた。湖面に今にも吸い込まれてしまいそうな急斜面の茂みの中にポツンとひとつだけ白い花が咲いている。自分の生きざまのように感じていたのか。幾度となく旅は繰り返され、その終わりは夏だった。木槿(むくげ)の花が好きだと彼女は口癖のように言った。出会うまでは気にも懸けなかった地味な花だが、旅の途中の街道沿いに並んで咲いていたのが痛々しい記憶として残る。決して美しくもなく香りも放たない。寂しい花だと、今になってしみじみ、そう思う。〔7月6日〕

  七夕さまの夜になるといつも必ず思い出す。旅先のテントの中で星空を見上げながら自分のちっぽけさをいつも嘆いていた。どうして空が青いと元気が出てきて空が暗いと反省ばかりが浮かんでくるのと呟いた。今夜は昨日よりも星が瞬くから私たち神様に見つめられているんだよと言ったあと、五年後でも十年後でもいいからこの空の下の何処かで私たちは二人で幸せに暮らしていたいねとも言った。許されない愛を人は悪意を込めて不倫だと罵るけどこんな情熱的でまじめな恋はないよ。深夜の森に包まれている。鳥たちの声が消えて私たちの愛が触れ合う音だけになってしまう。身体の奥まで痺れてゆく。〔7月7日〕

  猫って主人に媚びるわけでもなくて気ままだけれど、私はそんな生きかたよりも鳥のように生きたい。明日になればもっと強い獣たちに命を狙われるかもしれなくとも、自分の力で地面も空も自由に選んで、私を狙っているヤツラを見下ろしていたい。彼女は話し続けた。私だって大勢で仲良く暮らしたいし、家族も大事にして仲睦まじく生きていたい。でもね、人間なんて考えていることは所詮わがままで勝手なんだよ。いつかひとりで社会の放り出されてしまうんだよ。私たちのように恋人同志だったら力を合わせて…ねえ、新しい家を建ててペンションを始めるの。海の見える高台で、窓を開ければ水平線に朝陽が昇るんだよ。〔7月10日〕

  この子が夢を語ると、身につまされような現実感とそこから永遠に逃避しようとする虚脱感のようなものに襲われる。じわりと彼女の不幸が私にのしかかり、彼女の幸せは私にしか叶えられないんだという呪縛のようなものが私に取り付く。初めて会った朝が不思議だった。京都の古寺の山門前で彼女は佇んでいた。何かの拍子に彼女が置いたバイクが倒れそうになった瞬間に、偶然、私がその前を通りかかり、そこから会話が始まった。別段、可愛らしくもなく、ファッショナブルでもない。全身じゅうが埃臭く髪がボサボサで、田舎っぺの女の子だ。ニコニコと私を見つめて愛想がやけに良かった。騙されないぞと思いながら一緒に古寺の拝観券を買った。〔7月11日そのⅠ〕


  あの子のこと・その4

  ねえ、あなたの地方の太陽が沈む色は私のところの色とは全然違って真っ白に見えるわ。私の太陽はもっと赤くてもっと大きいような気がするの。東北の太陽は本当に赤く燃えながら沈むのだろうか、と私は素直に思った。理屈など考えなかった。じゃあ、一度、君の生まれた村に太陽が沈むのを見に行こうじゃないか。夏になったら行こう。私はそう言い返して黙ってしまった。無口は嫌いだよ、何か喋って欲しいよ、とすかさず彼女は言う。決して大声でもなく話題が豊富でもないが彼女はおしゃべりだった。喋るのが好きであった。まるで喋る友達が今まで居なかったのではないか、と思わせるほどだった。〔7月11日そのⅡ〕

  桜並木は新緑の葉で満ちていた。その木陰から大きな湖を眺め下ろして、白い花を見つけた後、家に帰る心の準備をし始めた。太古の昔に湖が残してくれた平野の中を、言葉を交わすことも無く、ただひたすら家路を想って高速道路のインターに向かった。比叡の山に懸かった黒い雲は、早苗の広がる水田地帯に不吉な風を吹かせ始めた。お互いに雨の心配事を言葉に出さず、SLが走っているのを眺めた。煙突から吐き出す煙が風で散らばってしまう。あれだけ喋りまくったのに、別れ間際には私たちは無言だった。「もう行かなきゃ…」。インターで手を振って見送った直後に豪雨が私を追い越してこの子の去った東の方角へと駆けてゆく。〔7月12日〕

  彼女は自分の名前を告げずに去って行った、にもかかわらず数日後に私あてにメールをよこした、そこにはあの日のお礼とインターで別れた後のことが綴ってあった。ちょうどパーキングでトイレ休憩に入ったところに大粒の雨が襲ってきたという。強い運に支えられて、したたかに生きて行く野性的な性格を彼女は備え持っていた。それは動物がジャングルで生き延びるために持つ獲物に執着する天性の野性味のようなもので、彼女がこれまで生きてきた環境によって培われた霊感のような能力でもある。そのしたたかさが不吉な予感のように私には怖かった。或る日、もしも大喧嘩をするとしたら、それは彼女との距離を錯覚してしまい、自分を見失ったときではないか、とも思った。〔7月14日〕

  彼女のことをなるべく記憶に残さないようにしようと努めていても、彼女から届くメールがトリガーになって過去が戻ってきた。1,2年前に桑の実を探しに行きたいというメッセージをネットワーク会議室で読んだことがあったが、その発言者がこの子だったことをメールで初めて知った。子どものころ、優しかった父親に連れられて桑の実を摘んだ思い出があり、もう一度、その実を摘んで食べてみたいという。信州は養蚕が盛んであった地方だから、何処かの町に昔からの桑畑が残り実が成っているのではないか、と私は考えた。とにかく信州に行ってみるしかない。春の終わりを締めくくった黄金週間の旅日記をまとめあげる前に、私は桑の実を探す旅に出た。〔7月16日〕

  どうしても彼女のことを切り離したい。日記にさえも登場させたくない。私は私であるし、ひとり旅をすることをひとつの像としてきたのだから、そこに彼女が割り込んで入ってきたことを腹立たしく感じた。猫のように甘えて見せるひとときがあり、ひとりで獲物を狙う隼のようなスタンスでいる彼女が邪魔であり恐怖でもあった。しかし次第に彼女は私の拠り所になりつつあった。5月末、梅雨の走りの合間に桑の実を探すために天竜川を遡り、木曽山脈を越える峠の入口で二人は待ち合わせをした。雨上がりの天竜川はチョコレート色の濁流となり、私を地獄に引きずり込んでしまうぞと脅すかのように横たわっていた。南アルプスのあの透き通った雪解け水がどこでこんな泥水に変わるのか。〔7月17日〕

  「ねえ、私のことをこれからは基花と呼んでよ」待ち合わせ場所に現れた彼女は、バイク停車させると同時にそう叫んでいた。きっと高速道路を飛ばしてくる間も、1ヶ月ぶりに顔を見せるのだから、最初に何から話し始めようかをずっと考え続けてきたのだろう。待ち合わせの橋の上から川を眺める私の姿を見つけて、手を振らずにじっと我慢をしたのだろう。基花、基花と口ずさみながらやって来て、自分の体重の3倍ほどもあるバイクを止め、よろけるように降りて彼女はそう言ったのだった。桑の実のあてなど私にはまったくなかった。山の斜面に沿って峠を越えてゆけば野生の桑の実があるかもしれない、と考えていたが、どうでもいいような気も湧いてきて、特別な打ち合わせもせずに伊那谷から木曾谷へと峠道を二人は越え始めた。〔7月18日〕

  「さびしいという字には人がいないんだよ、ほら、淋しいってこう書くでしょ」と言って人差し指で宙に山水偏に林を描いて見せた。その字の向こうには緑の山脈があり、覆い被さるように南アルプスの白い嶺が鮮やかに青空に映えている。峠の森には人っ子ひとりいない。車も通らない。1時間以上峠道を走り続けて来ても誰ともすれ違わない。しかし、人が居ないということは、ほんとうに淋しいことなんだろうか。鳥がさえずり、樹木たちがざわめく林に居て風に吹かれていれば、淋しいという言葉なんて遥か昔の人々が考え出した夢を叶えるためのお呪いのようなものであったのかもしれない、と思えてくる。二人でいれば何処に淋しいという概念が生まれてくるのか。そんな言葉など不要だ。青い空を見上げながら無言の時間が過ぎる。〔7月19日〕


  あの子のこと・その5

  ほら,君はまた空を見上げている…。いくら一生懸命に空を見てもあの山のずっと向こうにある君の古里へ、僕たちはそう簡単に行けやしない。山を越えるだけなら誰にでもできるさ。難しいのは、あの里山に住んでいた人々を、今になって許してあげられるかどうかだと思うよ。君と僕が旅を始めるきっかけは大昔に君が水遊びをした川原に行って、石ころを積んで遊んだあのころを思い出すことなんだ。裸足で川原を駆ける君の面影と、君を育んでくれた山や川に僕は出会うことなんだ。そこで僕も一緒になって空を見上げてみるよ。君の過去の苦しみは簡単に消えやしないけど、力を合わせれば新しい未来がやってくる。二人で青空にとけてゆけたら僕たちは魔法の世界で結ばれるのかもしれない。〔7月21日〕

  もっかの本名は基花という。いつも一番最初に名前を覚えてもらえるようにと父が付けてくれたという。この子は他人に基花と呼ばれるのが嫌だった。高校時代の成績は優秀だったが、負けん気が強かったので仲間が少なかったし、小学生の時に母が家を出てしまったことが負い目だった。父は妹ばかりを大事にして、茶碗が洗ってないと姉の基花を叱り、自分が仕事で不愉快なことがあっても基花に当り散らした。だから家での居心地は決して良くなく、帰り道にあるファーストフードでアルバイトをして、遅く帰るのが彼女の日常だった。学費もろくに出してくれなかったので辛くても働いた。眠そうにしている彼女を担任は辛辣に攻めた。「男相手の仕事かい?」となじった。しかし、それ以上にクラスメートに基花と呼び捨てにされることが彼女には最も辛いことだったという。私は真摯に生きてるんだ、と怒りが込み上がったという。〔7月22日〕

  担任が「基花」と呼び捨てにし、クラスメートも同じようにそう呼ぶのがどうしても好きになれなかった、と基花はいう。さぞかし辛かったのだろう。傷は相当に深い。友達はたくさんいたように見えたが、受験が山を迎えるとみんなは去って行き、貧乏で大学に進学などできそうにない基花は、自力でゆける専門学校に進んだ。頭は良かったので学校での成績は上位で就職にも困らなかった。高校を出てまもなく家を出て多摩川沿いにアパートを借りて住んだ。専門学校に行きながらもバイトは続けていた。お金に困ったこともあって、少しヤバイ仕事にも手を染めたという。風俗かどうか、そのことまでは基花の口からは語られなかったが、二十歳前のころのことを尋ねても何も私には話さなかった。言いたくない、死んだほうがマシだ、と言って止まなかった。〔8月3日〕

  私は彼女を基花とは呼びたくなかったが、結局のところ呼び名に困った。親しみを込めて「基花ちゃん」と呼んでも許されただろうが、そうも呼ばなかった。内心では、基花という名前が私には宝物のように思えてむやみに呼ばずにいたかったのだろうと思う。取っておきのときに呼ぶためにしまっておこう。そう思った。新しい名前を考え出せば、過去をそこに残して、また新しくこれからを始めることができるような気がした。しかし考えても考えてもいい呼び名が決まらず、そうこうしている間に私は彼女を「基花」と呼ぶようになってゆく。〔8月4日〕

  月日はあっという間に過ぎてゆく。旅は続く。私たちは読み切り小説のような旅をふたりだけで続けた。基花のことが好きだったのかというと、熱烈ではなかった。あれから基花の昔話をテントの中で聞く夜を何度も過ごした。月に2度ほど、野営場所を打ち合わせて、テントで夜を過ごすという日々が続いた。〔8月某日(忘日)〕

  基花は一人用にしては少し大きめのテントを持っていた。昔の恋人がアパートに置いていってしまったのだという。その話を聞いて私は彼女の過去が気になった。しかし、お互いの辛いところには触れ合わないでいようという約束ごとのようなものもあって、基花が思い出したくないことには、私からも触れようとしなかった。基花が私をどう思っているのか、わからないまま私はテントで夜を過ごし、一緒に星空を見上げた。真っ暗闇の草原で星を見た。言葉もなく抱きしめた。「僕と暮らそう」とつぶやくように私は言った。〔9月7日〕

  真夜中に御嶽山の真っ白い雪は見えなかったが、うっすらと山の形が見えるほどの月の明かりがあった。いつまでもいつまでも抱きしめていたいけど、これから何が起こるのかを想像すると怖かった。ふたりでどこか遠いところに逃げてゆくのか、ひっそりと山の中で暮らすのか。それとも都会で誰にも邪魔されずに暮らすのか。夢は果てしないが、そんなに簡単に実現できるとも思えない。私は独身ではなかったし、おいそれと彼女のもとに走るには民法的にも人道的も解決せねばならない難題が山積だった。しかし、大きな不安を持ちながらも、直感のようなもので彼女を抱きしめている自分が怖かった。〔9月18日〕

  明くる朝、基花よりも早く目がさめたのでテントを抜け出し草原に散歩に出た。迷いが二日酔いの毒素のように身体にこびり付いているのがわかる。彼女を幸せにすることができるのは私しかいない、という強い信念がある一方で、現実の波もたやすく想像できた。数十分の散歩を終えてテントに戻ろうとすると、遠くから彼女が朝の食事の支度をしている姿が見えた。軽やかに跳ぶようにテントの周りで火を起こしスープを作っているらしい。迷いからくる不安に、言い訳を覆い被せるような気持ちで、私はテントに帰り着いた。そこに居た彼女は昨日の彼女ではなかった。妻のように私の片腕に抱きついて朝の挨拶をした。〔9月19日〕


  秋・その子のこと

  木枯らしに追われるような別れなり (ねこ)

  あと数日でその山には雪が積もるだろう。そんな山里でひとりの女〔ひと〕と別れてきたことがある。もう二度と会えないし会わないだろうとお互いに確信しながら、冷たい風に吹かれて、その場を去った。〔2002.12.1記〕

  昔を回想して「比叡おろしが吹いていた」と書けば、如何にも物悲しくせつない響きを誘うが、実際にはそれほどの風が吹き荒れた日ではなかった。秋も深まりつつある、あれは確か11月の初旬だったと思う。琵琶湖の湖畔で再会をした。伊勢志摩を案内したときの写真を人目を忍んで返して、後は何もなかったように言葉を交わした。一時期に燃え滾った情熱は、彼女の中ではおさまりきらず、焦りとなって私に襲いかかった。私には彼女を受け入れるだけの力がなかった。この激しい感情をこのまま受け続けたら空中分解になってしまうと感じたのだろう。夏のある日、別れる話を彼女にした。その後の2人の間での葛藤もさることながら、私の悲しみは痛ましく深くかった。夏が過ぎ、秋になっていた。写真を返すためにもう一度だけ会って、それで別れようと決意していた。もう二度と会えない人なんだと理屈で分かっていながら、時々、便りも出したし、返事も届くことがあった。彼女は幸せを取り逃がしたとは思っていなかったようだが、何度か繰り返してきた激しい失恋と縁を切りたいと思っていたのだろう。結婚願望が一層大きくなったと言っても過言ではなかった。〔12月7日/記〕

  ある日、あの子が話してくれた昔話があった。高校3年生の秋、山手線とある駅で、学校帰りにひとりの人に会った。成り行きで彼のアパートに行き、半ば犯されるようにやられた。「私って人が良すぎるのかなー」と言う。「強姦だったんだよ、あれは…。」お金がなくて大学に進学できず専門学校に行きながら仕事を始めた彼女は、多摩川の土手に近いぼろアパートに引っ越し、父親と別居生活を始めた。

  幾度も男にだまされた。職場では可愛がるふりをして、食事に誘われたりドライブに誘われたりして、一度抱かれたら棄てられた。金をせびられたこともあった。ありったけの貯金を貸したのに、トンズラされたこともあった。海辺のホテルで暴力的にやられて、引きちぎられた服のまま道路に飛び出し逃げて帰ったこともあった。甘い言葉にすぐ乗って、からだを許してしまう愚かな自分を、あまり多くは語ろうとしなかったが、今度もまたひとりの男に棄てられてしまった。細い糸でありながらも音信が続く男と、木枯らしの吹く湖のほとりで別れた。初めて会って肩を並べで湖面を見下ろした日々などロマンでもなんでもない。忌々しい思い出であるだけだ。からだじゅうがアザだらけだった。ふたりが別々の方角に向かって走り出したときに、田んぼの向こうをディーゼルカーが警笛音を響かせて走ってゆくのが見えた。あの日はあそこを蒸気機関車が走っていた。バックミラー越しにふたりが感動を伝え合った日はもう終わったのだ。


  冬・その1

  あの日もどしゃ降りだった。

  寒冷前線が通過して、雨はいっそう強くなり、アスファルトには水溜りができた。ふたりで傘を差してスーパーに夕飯を買いに出かけた。さながら昔からの夫婦のように寄り添って歩いた。合理的で理屈家であった基花は、相合傘で歩こうとせず、キッパリと断った。その割にはスーパーの中で大好物のお魚を買っている私を大目に見た。

  まだ日の暮れる時間ではなかったけど、部屋の電気をつけなければ薄暗いアパートだった。窓の外には建物の壁が迫っていて、カーテンを閉めることはほとんどないと言う。この日も例外ではなく、カーテンを開けたまま部屋の明かりをともし、ふたりは過ごした。誰かが見ているかもしれないという恐れなどこれっぽちも感じず、動物のように何度も何度も抱き合った。

  クリスマスの夜だった。二人でサンタクロースの思い出話をしながら夜を過ごした。


  冬・その2

  目がさめて布団の中で雨の気配を感じ取った。早朝、音もなく深深と降っている。

  それほどにも寒さは厳しくなく、難なく布団から出ることができた。隣で眠る基花の寝顔をしばらくうす暗がりで見つめていたが、もう一度寝入る気持ちにもなれなかったので洗面に立った。

  霧がかかった山々が二階の窓から見えた。窓の下の軒先には私たちのオートバイが止めてあり、しっとりと濡れた地面を避けて置いてくれている宿主の心づかいが妙に嬉しかった。垣根の向こうにある道路を走る車もなく、人の声も聞こえてこない、静かな朝だった。

  昨日、私たちはあてもなく一日を走り回り、名もない山里に辿りついたところでちょうど日が暮れかかった。小さなバス停の待合所の前に間口の広い料理旅館風の家があった。正面に業務用の大きな冷蔵庫が置いてあり、脇の棚にはお菓子や雑貨が並んでいた。この山里にはどうやらこの一軒だけしか店がない模様であることに気づいた私たちは、玄関から店の主人を呼んだ。

  「今夜の宿を探しているのですが」

  と店の主人らしき人に話し掛けると

  「そんな…こんな山奥には旅館などという気の利いたところはありません。ただ、私どもは料理屋で、座敷がありますので、お泊まりを希望なさるかたがあるときはお泊めして差し上げておりますが…」

  と言う。

  クリスマスから幾日かが過ぎ、街は静かになってゆく。

  あの日から、私たちの旅は始まっていた。


  すばる

  霧のように寂しい時雨だった。不思議にもその中へ散策に出てみたくなった。

  生垣の脇にある棄てられた石臼に水が溜まって、薄氷をはっている。あとで部屋に戻ったらあの子に教えてやろう、と考えて嬉しがってはしゃいでいる私がいた。

  少し裏山に登ってみることにする。山里の小さな旅館だと最初から思い込んでいたが、実は大きなお寺で、奥へ歩いてゆくと、斜面の途中には古代の中国に行ったような本堂や山門があった。山門までの石畳や階段を登りながら、谷の向こう側の斜面を見た。霧が漂う。川面を流木がゆっくりと流れるようにその霧も動いてゆく。針葉樹林帯の尖った樹木にクリスマスの雪のようにまとわりつきながら流れてゆく。

  雪に変わるかもしれないな、と思った。寒さは身に沁みてはこないものの、風がやみ空が随分と重く感じられる。この先に行って雪になったら身動きが取れなくなるので、今日の出発は諦めてもう一泊ここに世話になろう。ひとりごとを呟きながら山門附近をぶらぶらと歩き回った。

  登り窯のように勇壮に続く土塀があった。所々塗土が剥がれ落ちて、埋め込んである竹の骨が露出している。霧雨のせいでやや湿り気味だが、じっと忍んでいるように見えた。

  色褪せてしまった檜の柱に、小さな字で落書きがあるのを見つけた。けしからん奴がいるものだという怒りを抱きながら、その文字を追ってみた。

  落書きには

  南の空にすばるが見えるぞ  
  あごを前に出して首をいっぱいに、のけぞるように後ろに曲げて  
  空のてっぺんを見上げると  
  星のかけらが六つほど見えるよ  
  この塀にもたれて二人で見上げている  
  一月二十二日

  と書いてあった。

  今夜はあいつと星を見ようか。そんなことを思ったのことなどあっただろうか。

  星が見たいのか、抱きしめたいのか。わからない。私だってわからない。


  ねえ僕たち熱くなりすぎている(怯え)

  彼女は猫のように私の脇に居て、私をいつも見上げて、見つめてくれた。何日もの旅のなかで、人生の重さやこれからの人生設計について存分に話したつもりだったのに、夜になると、昨日の話を忘れたかのように「10年後の私たちは・・・」と熱くなって語り合っていたのだった。

  私は怖さを感じ始めた。彼女の一途な性格と爆発しそうな熱い心に、私の人生がもしかしたら狂ってゆく、いや、もはや狂い始めているのかもしれないと気付き始めたからであろう。

  必ず精算して、やがてどこかで暮らそう、その日がきっと来ると信じている、としか、私から彼女には言ってあげられなかった。当然、彼女はそのことが気に入らなかったのだろう。再会をするたびに私の薬指から指輪を奪い取り、私の財布の中に入れてしまう。それが私の財布だったのは、再び指輪を元の指に戻さねばならない現実を認めていたことと、自分自身の焦りを隠すためだったのだと思う。でも、彼女の苛立ちや焦りを私は見逃さなかった。

  旅はあてもなく山村に向かって続いてゆく。冬枯れた峠への細い道をのぼりながら、この山を越えたらいったん彼女を家に帰し、私も旅を中断しようと考えた。

  「遠い遠い北の国の鄙びた村に行こうと思うの。」

  北の鄙びた村のことを基花が話すのは初めてではなかった。子供のころに父に腕を引かれてディーゼルカーに乗って、雪がたくさん残っている村を訪ねた記憶があるという話や、そこが父の生まれ故郷で近所に親戚の従兄弟たちがたくさんいたという話をして、懐かしがっていた。その一方、心の隅にある父への憎しみから来る嫌悪を隠せずに、町に対する拒絶の心も見せた。彼女の心はまだら模様だったのだろう。

  「春になったらバイクを飛ばそう。僕たち、お互い、冬の間は家に篭もって準備をしようよ。遠距離恋愛みたいなもんだよ。」

  私は思い切ってそう言った。しかし、すぐに

  「いやだ、すぐに行きたいと私は思う。」

  と彼女は言う。

  頑固さがあった。母に棄てられ父に当り散らされ憎まれて育てられた屈折が彼女の心のどこかにあって、愛する人への執着心になって現れる時があったのだ。だから、それ以上、そのことに触れることなく夜になるまで無言でいて、寝床で夢の話に付き合った。

  早く、見知らぬ山村に行きたい気持ちは私にも確かにあった。しかし・・・闇のように大きく、海のように重い恐怖が私にのしかかってくるようでひとときも落ち着かない。私の怯える気配を見ないふりをして、彼女は私の身体を攻めてくる。私は空を見上げている。すばるが南西の空に見えた。凍えるように寒い夜だった。やっぱし、峠を越えたら旅を中断しよう。


  冬

  長い冬が、何も無いような顔をして過ぎてゆく。

  しばらくの間、会わない日が経った。募る苛立ちと焦りで送る日々は、次第にマイペースに変化し、メールを送ってみることで紛らわすようになっていた。身体が性的欲情を我慢できないのは仕方が無く、苦心をしながらもお互いが爆発しない方法を考え出している。離れ離れになっているときの基花は、冷めた印象が強く、落ち着いているように思えたが、時には返事がない沈黙の一刻もあって、私はそのことで腹を立ててみたり落ち込まされたりして、それがまた基花の魅力でもあった。

  私たちは離れて暮らしていても、やがて、ひとつになって新しい道を歩み始めるだろう。そのときに、あなたは、私の手を引いて山を開き、いつも強く抱きしめて、十年後には牧場が広がる高原のそばに小さなペンションを建てる話を打ち明けてくれるでしょう。私はその牧場の夢のような風景を私の筆で絵に描いて友達に届けるわ。十年の結婚記念日には、たくさんの仲間を呼んでパーティーをしたい。

  基花は子供を欲しがらなかった。それは自分が子供のころに受けた仕打ちの辛さが身体中に染み込んでいて、自分が母になる自信がなかったのだろう。さらに、母というものが子供にとってどれほど大きなもので、寂しいときや不安なときには暖かく包み込んでくれるものなのだ、ということを味わった経験がなかったために、そういう欲望さえも生まれようがなかった、ということもあるらしい。

  基花は苛立ちが募ると自分を棄てた母の悪口を言いながら自分に冷たく当たった父のことを思い出し、ひどかった十代の思い出をわずかな言葉にして私にぶつけるように浴びせ、そんなことをしながらすっかり忘れてしまおうとしていたらしい。傷は相当に深く、癒えることはなかった様子だったが、辛い部分はそのままにしたままで、夢を語って紛らわして忘れたつもりになっていただけなのだ。

  春が近づいたら雪解けの村に旅に出るのだと、基花は繰り返し言い続けた。桜の花が咲く前に私たちは再び固く抱き合おうと毎日のようにメールに書き続けた。しかし、春が来るまでは辛くて寂しい日々が続いた。


  春

  春が間近だというのに、東京にも私の住む街にも大雪が降った。

  交通が乱れて1日じゅう家に居ようと決めて部屋で読書をしていたら、お昼前に電話が鳴った。

  「昨夜のバスで東京を発って今朝、雪で遅れながらだけど、近くまでやって来たの」

  基花はケロリとそう言い、車で迎えに来て欲しいと私を誘った。もしも、雪が降っていなかったらどうなっていたんだろうか…。私はいつものように家を出て会社に行ったはずだ。そのとき基花は何処にいる誰に電話をしたのだろう。そのことを考えると恐怖で胸が詰まりそうになるものの、大急ぎで身支度をして家を出た。

  花びらの舞い散る街はずれの小さな古刹で  
  あなたと私は出逢ったの  
  昔からの恋人のように川辺を歩き  
  緑の山を眺めて佇んだ  
  幼なじみだった友達のように  
  手をつないで駆け出していた

  昨夜、一晩、バスに揺られてこの街まで来る間にいろんなことが頭をよぎったの。

  私はあなたと出逢ってまだ間もないのに、幼なじみの恋人どおしのように、こうして二人で会えるし、散歩もできるの。

  それがとても嬉しくて。

  二人で強く生きてゆこうと、バスの中で誓ったの。そしたら泣けてきて…ねぇ。

  一気にそう話してうつむき加減に私をにらんだ。そしてニコリとした。


  別れの言葉をさがしていた

  街へ誘った。

  もうコートも不要なほど暖かい日があると思えば、冷たい風の吹く日もあった。思いつきで家を飛び出してきた基花も、慌てて家を飛び出した私も、ふたりともギクシャクした格好で、「私たち、駆け落ちの恋人同士みたいね」と笑った。

  まんざら嘘でもなかった。

  駆け落ちの恋人で、あいつはこれから逃避行を夢見ている。私はこの女からどうやって姿をくらますかを悩んでいる。

  街を抜け出して海の見える公園に向かった。白い光が南の空から容赦なく私たちを照らした。基花は、髪が風でバサバサになるのを押さえながら、眩しそうに目を細めて私を見てニッコリする。

  ああ、私はこの女を裏切ることなど出来ない。でも、このままだと私たちには破局しかない。私の想いは沈み込んでゆくが、基花は演技をしているように決して暗くは振舞わない。

  この世に生まれて、あなたと私  
  逢わなければよかったのかしら  
  日蔭の花と日向の花  
  私たちの蜜を吸う虫さんに便りを託して  
  恋文だけを交わす仲でいればよかったの?  
  いえいえ私はちがう  
  いつか日の当たる明るい街角まで  
  私の胞子を飛ばして旅をするの  
  だから  
  私たちは風に乗って遠くまで旅に行くのよ  
  ねえ、雪が解けたら、花を求めて旅に行こう

  なんて潮風が爽やかなのだろう。この子とふたりでいると海の放つ哀しさがこれっぽちも感じられない。海に私の身体が融けてゆくような錯覚が襲いかかる。基花と深い海に沈んで行けたら幸せになれるのだろうか…

  〔2004年春に記す〕


  ふたたび、旅に

  桜の花はいとも簡単に散ってしまった。綺麗に咲き誇った花の回廊をふたりで歩くことをきっといつか叶えたい、と基花も私も願っていることは間違いない。

  夢は簡単には叶わない。

  オレたち、出会って1年になるんだなあ。

  あなたが「オレ」って言うのを初めて聞いたわ。

  1年過ぎてもまだ知らないことだらけよ。

  嵐のような雨のせいで無理やり散らされた花びらが、路地裏の水路をゆっくりと流れてゆく。水面から三輪車の車体の一部が見えている。ああ、この街を出てしまおうか。そんな弱気が自分を襲う。

  東北地方に向かって走れば桜も咲いているから、私は旅に出るよ。あなたとどこかで落ち合おうと思っているの、とメールに毎日のように書いてくる。

  さて、出かける準備をしよう。今度こそ、別れ話を切り出そう。

  ぼくたちはこうして  
  手をつないでいるときが一番美しいね  
  誰にも邪魔されないで  
  遠くまで逃げてゆける  
  おなかがすくときも  
  眠くなるときも  
  強く握り締めたくなるときも  
  いつも  
  わかるんだ  
  幸せになろう

  越前から越後へと続く北国の街道は、灰色の海を背にして枯れ果てているように見えた。でも、私たちは何度も何度も止まって、何も語りあうこともなく隣どうしで道端に腰かけて海を見て、ひとしきりふれあいを味わって、また走り始める。

  〔2004年5月初旬に記す〕


  彷徨う

  ボクたちは淫らで乱れた男と女の姿をして  
  いかにも心中をしますといういでたちで  
  断崖から海を見下ろしていたかもしれない  
  でも  
  いつだってボクはキミを  
  キミはボクを刺して殺してしまえるほどに  
  血が騒いでいたから  
  あの岬まで一緒に居よう  
  あの山の峰の向こうまで一緒に走ろうと  
  励ましあってこれた

  ボクがキミに  
  「オレたちセックスフレンドみたい…」  
  と言った瞬間に  
  すべてが崩れてしまった

  下手な別れをしたもんだ

  〔2004年5月初旬に記す〕


  未練

  未練たらしい自分が途轍もなく嫌だった

  別れてしまいたい、別れなくてはならないという宿命だった基花にあまりにも心のない言葉を放ってしまった自分がつらかった。

  別れが間近に迫っていることに気付きながら、少しでもそのことを考えないようにしていた。けれど、心を隠すことは出来なかった私のひとことでそっぽ向いてしまった基花は、(実はそのとき、私は必死で彼女に泣き叫んでいたのだが)、私を振り返らなかった。

  別れとはこういうものだ…と、そう私は思わなかったし、思えなかったが、背を向けて走り出していた。たった今まで私たちが目指そうとしていた地に向かって、ひとりで放出されたのです。心は何度も振り返った。後を付いて来るはずもないない基花の姿を期待している。しみったれているけど、付いて来て欲しかった。目標にしているそこまで一緒に行きたかった。

  国道は北へと向かう。そこに分かれ道のないことを確かめながらどんどんと進んだ。大きな分かれ道があると、停車して彼女が追って来ないかと待った。大きな道の駅などでもバイクを止めて、あからさまに休憩をした。しかし、彼女は追いついてこなかった。。

  基花は言う。あれから?そう、私はともだちに電話をして、今の場所がいったい何処なのかを尋ねたんだよ。ひでぇ男だね、恋人を棄てて先に行っちまいやがって。私は信頼して付いて来てるんだから地図も持ってないのよ。どうやって東京まで帰れって言うのよ。あの晩かい?公園で寝たよ。怖かったけど、テントかぶってね。夜が明けたら高速道路で一気に東京に帰ったわ。貴方のことなど憎しみで殺したやりたかった。体の中に昨日の夜の体液が残っていて、それが少しずつ下着に流れ出すと、いっそう腹が立った。もう、愛などなかった。初めから無かったのかもしれないと思ったよ。

  もしかしたら追ってくるかも知れないと思った私は、典型的なバカだった。夕方になっても、基花がそのあたりの公園に居ないかと気にかけていた、基花が私を追って来るならここに来るだろうという宿を探して泊まったが、彼女の姿はない。当然である。彼女は私が泊まった宿には死んでも来るつもりなどなかったのだから。

  少なくともこの時点で私たちの運命的な別れは完成されていたのです。

  〔2004年5月中旬に記す〕


  誰がオマエなんかを追いかけるものか

  *

  どうせ、そんなことだろうと思っていたよ。気が付くのが遅かった私がおバカだったのね。

  金も無い。頼るものも無いまま、私は見知らぬ土地に放り出されたのさ。まったく、ひでえ男だと思ったね。追いかけるなんて、これっぽちも思いつかなかったわ。

  目の前にあるのは聞いたとこともないインターだったので、友達に電話を掛けて、その名前を言ったよ。そしたら、クレジットカードで払うことにしてその高速道路に乗っちまえよって教えてくれたので、そのまま東京に帰ったよ。

  宇宙の果てに帰るほど東京が遠かったけど、帰れて良かった。オマエのことなんか思い出さずにその夜はひとりで寝たよ。  
  終わったな。

  新しい恋も、恋と呼べる前に終わったよ。また、身体がボロボロになってしまった。  
  エロで変態な男だったね、オマエは。  
  もう、会いたくない。

  *

  基花はその夜のことをそんなふうに語った。

  〔2004年5月中旬に記す〕


  もう会えなくても

  *

  もう会えなくてもかまわない、  
  あの男は私を置いたまま、  
  北に向かって走って行ってしまったの。  
  そのうしろ姿がやけに瞼に焼き付いていたのが気に掛かった。

  でもね、やっぱしね、私には男なんて無縁なのだと思った。  
  何度も何度も騙されて、またエロな男に捕まってしまったのに気付かずに、幸せになれると思って旅に出た。  
  それが間違いだった。  
  自分のすべてを投げ出してしまった。

  昔、男にありったけの金を持って逃げられたことがあったの。  
  あの朝を思い出したよ。  
  ドラマのような朝だった……。

  愛なんて嘘っぱちよ。カラダが欲しかったんだよ。だってさ。私ってそんなに美人じゃないからね。  
  少しは可愛いと思ってくれたのかね。  
  あの言葉も嘘だったんだろうね。  
  ああ自分の心も汚れて行くような気がするわ。

  *

  基花には、ふたつの心があった。  
  男を許せない、許さない心と、  
  そして、ほんとうに微かだが、少しは許してもいいかなと思う心もあった。

  〔2004年5月中旬に記す〕


  日本海は寂しいね

  *

  ちょうど特急雷鳥が新潟方面に向かって走り去ってゆくのが見えた。  
  何号っていうのかな、と思ったけど、そんなことどうだっていいや、と気を取り直すことにした。  
  しばらく荒波を見ていた。小さな船が揺れている。漁師さんなんだ。ここにも小さな暮らしがあるのか。

  小さな田舎の町に逃げ込もう  
  そこでペンションでもやろう  
  俺たちはバイク乗りだから、旅人のための宿をやろう

  とんだ間違いだったね。あんな夢は見るもんじゃないよ。私は魚が嫌いでね、そのことを黙っていたけど、いい加減で気が付いてくれよ。

  あたしは都会生まれの都会育ち。母と父も喧嘩をして別れているけど、本当はどうだかわかんない。だってお父さんとはあれから便りも会話もないし、18歳で家を飛び出してきたしね。でも最近、女の人と隣の県のあるところで暮らしてるらしいって話を聞いたけど。妹も一緒らしい。あの日に通った親不知の史跡でふと母さんのことを思い出したよ。

  雷鳥って、どこまで走ってゆくんだろう。新潟かな。新潟にゆくと佐渡が見えるなーって思っていた。あそこからは見えないけど、了寛さんの里にも行ってみたいな。

  *

  ゴキゲンなときと不機嫌なときがはっきりしている人だった。  
  しかし、基花には、優しい心があって、どんなに怒っていても、ひとりぽっちの自分を思い出すとしょんぼりとしてしまう。

  「きっと、私は一生ひとりだよ」と、それが口癖のように呟いた。  
  「結婚なんて出来ないよ、もう…」

  〔2004年6月記〕


  もう二度と会えることなどないと思っていた

  *

  もう二度と会えることなどないと思っていた。私のことなど許してくれる訳がない。憎んでも憎みきれない奴だったはずなのに、呼び出したら逢ってくれるという。  
  落ち合う場所は、琵琶湖の畔だった。比良山が湖面の向こうに見える。朝日に薄ぼんやりと赤くなっていた。  
  まもなく冬を迎えるころだった。

  私は過去の写真を胸のポケットに仕舞い込み、真夜中に家を出た。真っ暗の国道を琵琶湖に向かって走った。  
  朝日が昇るときに空が赤くなった。夕焼けと同じように赤くなる。  
  人は赤い空を見上げて、熱いものを感じる。それは日の出と日の入りで同じ色なのに、感じるものが違う。

  本当のことを言えば、私は別れたくなかった。  
  初めて会ったあの日、比良の夕焼けを見ながら湖東の農道の中を走り抜けた。沿道の蒸気機関車を見て思わずバイクを止めた、あのときに走った湖畔を再び走って、別れの朝を迎えた。  
  再会してすぐに、ポケットから写真を出して渡した。

  *

  最後と思って、感慨深く空を見上げた。  
  同じように明日の旅の道順を決めるために空を見上げたこともあった。それを思い出すのも今が最後だ。別れのときだった。

  〔2004年6月末記〕

  ―この章はひとまず終わろうと思います―

2009年5月 5日 (火曜日)

伝言

考えてみたら、「伝言」という言葉は、古くさいですね。

GREEには「伝言板」というものがあるらしいけど、PCのみの私にはまったく見えないから、何のことかワカランのですけど。

伝言ってのは、直接言う訳ではないから、もしも何かをそこに伝えるためにしたためたとしても、それが届いたと言う保証はどこにも無い。もちろん、メールだってそうですけど。

「鶴さん」の終楽章で、同窓会の幹事の方が快くメールの転送を引き受けてくださるのですけど、鶴さんからは何の連絡もなかった。

あの時も、私の気持ちは毎日ドキドキして、伝言が届いたかどうかを心配する日が続いた。

でも、そんなに上手く事が運ぶなんて、考えてはいけなかったんだな、と今になって思う。

伝言は、途中で消えて届かないことだってあるんだという、そんな儚いものだからこそ価値があるのかね。

雨降りはひとりがいいの、窓辺にて

雨降りはひとりがいいの、窓辺にて

┛ ┛ ┛

---ねえ、雨降りね。
---うん、珍しいわよね、こどもの日よ。晴れる日が多いのに。
---まあ、いいじゃないか。休みが少なかった時代はありがたかったけど、ここまで連休になったら、子どもも雨の日は家で遊びたいかもよ。
---そうね。

---さて、今夜、何か、ご馳走でもしてくれるか
---お肉がいい? お魚がいい?

そんな他愛無い会話をしながら、
窓辺に腰掛けて庭に降り注ぐ雨の様子を見ている。
寒くもなく、熱くもない。

---そういえば、中学生のころだったか、クラスに好きな子がいてなあ。
---何をそんな昔の話を、突然…。
---それがだ、夏休みになって逢えなくなってしまって、無性に会いたいなあとか思ったりしたわけよ。雨が降ったりした日は窓辺にもたれて、夏休み早く終わらんかなーとか思ったものだよ。
---ゴールデンウィーク、早く終わらんかなーって思ってるの?あなた、どこかに会いたい人でも居るんですか?

長靴履いて、水溜りに足をすっと入れてみる

子どもの日、雨降り

 小学校のころ、置き傘は番傘で、一番家が近いわたしの傘が誰よりもビリビリやった…。そんなことを思い出しておりました。

番傘は見かけなくなりましたね。京都に住んでいたときに、嵐山まで歩いてゆく途中、鹿王院に一軒の傘屋さんがあって、そこで見かけたことがありました。あの傘屋さん、今でもやってるかなあ。

大粒の雨が無表情に降り続きます。まるで梅雨が一足先にやってきたかのように、したたかに降る雨は、真冬の冷たい雨とも真夏の非情な雨とも違って、憎くたらしくもなく只々ザーザーと空から落ちてくる。

あの傘なら、雨粒が紙に跳ね返ってバチバチと激しい音を立てることでしょう。

雨雨ふれふれ母さんが蛇の目でお迎え嬉しいな♪

わたしたちが子どもの頃に聞いた確かな音、雨粒が傘に弾かれる音が甦ってきます。

長靴履いて、水溜りに足をすっと入れてみる。

あのころに持っていた小さな冒険心。
雨降りに想い描いたロマン。
数々の雨にまつわる記憶が、窓の向こうに降り続いている雨の音と共に、わたしの目の前に戻ってくる。

雨が降る子どもの日は、大人の日なのかもしれないな。


(写真はネットから拝借)

2009年5月 4日 (月曜日)

野迫川村から龍神スカイラインへ

龍神スカイライン界隈

山が笑う。
まさに。

今回のメニュー
--------------
◎洞川高原林道
◎野迫川の村道
◎龍神スカイラインちょこっと
◎奥千丈林道(全面舗装で寂しい)
◎日置神社界隈の村道
--------------


素晴らしい晴天で感謝しながら、朝食を取ったりしてのんびりとした時間を過ごす。

古井戸の忌野清志郎が逝ってしまったと新聞に書いてある。
私たちが学生時代、

--- 大学ノートの裏表紙に さなえちゃんを書いたの
--- 一日中かかって一生懸命書いたの

とか

--- たばこを吸いながら いつでもつまらなそうに
--- たばこを吸いながら いつでも部屋に一人
--- ぼくの好きな先生

と歌っていた。
繊細だった私たちの青春時代。
素朴な言葉に共感したりして、歌ったものだ。


そんなことを回想しながら…

さて雨具だけバックに詰め込んで家を出た。

高速道路の下をくぐると観光地に向かう車が、やはりいつもよりも多めに感じる。高見峠でもたくさんのバイクとすれ違う。

この季節は山藤が雑木林にチラホラと見える。そばを通過すると仄かにいい匂いがする。馬酔木もよく似た匂いがする。少し欲情を刺激するようなアブナイ匂いだ。

十津川藩士の史跡でも止まらず山奥を目指す。
川上村のダムは、少しずつ水が入り始めているようだ。
道の駅から恒例の洞川高原林道に突入する。


[洞川高原林道]

ここは、ほんと、愉しい。
景色がいい。
村に味わいがある。

バイクに乗っている愉しみっていうのは、こういう道を上りながら、せせらぎに眼を落とし透き通る清水を見て、いつ何度来ても昔と変わらないことを確認しながら、ある種の安堵を確かめて、山をゆく。

ブナ系、ドングリや栗などの樹木も新芽を吹き出している。トレーナー1枚で来てしまったのでかなり寒いのですけど、食い縛る顎の疲れもよそに、清清しさが満足感を満たしてくれる。


この前に来たときに見つけたワサビ田。きょうは覗いてみなかったけど、ワサビの群生ってのを見ると宝島で大きな宝箱を発見したような歓びに似たようなモノを感じる

[天川村へ]

吉野山に行く大峰林道のほうには行かずに、天川村に下る。洞川ではお祭りでもあるのだろうか。凄い賑わいだった。

[虻峠]
久々に走って、トンネルできた?ちょっとショック。

観光モードのファミリカーの下手くそ運転には閉口するが、対向できないんだったらこんな山には来ないでくださいと言いたいな。カーナビの影響なんだろうか。地図に線が引いてあれば走れると思っているのだろう。
でも、渋滞は仕方がないか。

[野迫川]

渋滞が嫌なので、野迫川村方面へと逃げ込んだ。龍神スカイラインが有料だった時代に、無料進入通路として重宝した村道だ。

登るしかない村道。どこまで行っても山山…。
一体、どんな山奥や!どこまで続くのか、この山道、と何度来ても感動する。
まだの方は是非どうぞ。

野迫川村や十津川を走っていると、日本でも屈指の山奥の凄さを感じるのは当たり前なのだが、日本人の文明を疎かにしている現代社会の身勝手さへの怒りのようなモノが湧き上がってくる。

[竜神スカイライン]

天狗木峠を越えて、例のごとく、雲海の案内板の横を通過して野迫川役場方面への村道を飛ばす。役場に着くまでに民家は殆んど無い。道路はトラックでも走れる広さに広げられて、数年間に道路整備が進んだことが伺える。一日に何台通るかわからない道路でも村民に取ったら命綱だ。
でも、この付近の人たちって何して暮らしてるんだろうか。

ごまさん。
バイク多いし、喧しいし、うんざりする。
オンロードのバイク展覧会には興味ないのですぐに退散することにした。

[奥千丈林道]

でも、舗装されてて、少し残念。というか、舗装されてしまったと聞いていたので確認しに行ったようなものだが、やっぱし、ちょっと残念だ。

素晴らしい景色です。今度来るときは、タイヤを新品にして向こうの山肌を縫うように峰のあちらへと続く林道を走りたい。

[ステップすりすり]

野迫川村道と奥千丈林道では、エンジンガードは擦るし、ステップは擦るし、楽しい走りができます。ガードレールが無いのが怖いのと、ときどき、石ころがコロコロと斜面から落ちてくることもあることで驚く。
もちろん、谷底は見えない。でも景色はバツグンで、そこそこ長い。そして細い。
酷道好きにはオススメしたい。

※野麦峠のガードレールなし、道が少し細めってかんじかね。
R439(四国)の見ノ越あたりのカンジも楽しめます。

[十津川温泉はパス]

十津川温泉、滝の湯は時間がなかったので今度にして、

[日置神社近辺]

十津川の村道も愉しいなあ。
玉置神社へ上る道路と、瀞峡に下る道路を、フルパワーで駆け抜けながら、おくとろ温泉の前を経由してR42号をはしって帰ってきました。

高速道路に車が行ってくれたせいか、一般道は日曜日とは思えないほどの交通量で走り易い。

訳あって、プチッとあそこを空にする

なんか
念のためにと思って
ゴミ箱に何千通のメールが
残っていたのものを

ふと
思いつきで
ぷちっと
空にしてしまう。

消してしまえば
何か
新しく生まれ変われるかも。

潜在的に
そんな思いが
あるんだろうかな。

2009年5月 2日 (土曜日)

ブルースをpppでやってくれ

ブルースをpppでやってくれ [2009-05-01]
メルアド教わったからと言っていっぱいメールしてゴメンなさい [2009-04-29]

---

もう情けないこと甚だしい。メルアドを教わったものだからどんどんメールするし、書きかけの「物語」で(他にもいますが)その人をモデルにしたこともあって、頭の中が美と麗のスパイラルに陥ってゆくのがわかりながらも、ついつい酔いしれたメールを書いてしまったりするのだ。

迷惑なのは受け取るほうで、いつかきっとビシッと頬を張り倒されるほどの衝撃が来るんだろうと思っていたのですよ。


眼を覚まして出直すことにするから。
ブルースをpppでやってくれ。

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