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2009年5月10日 (日曜日)

98年:四国地方と中国地方を行く (4/30-5/5)

98年:四国地方と中国地方を行く (4/30-5/5)
<はじめに>
皆さん、ご無沙汰しました。GW中、会議室を放り出して旅に行ってました(スタッフの皆さんありがとう)。未読山積で、それを読みながら、一方で自分の日記をまとめ始めようとしています。概略を書きます。

<ルート>
紀伊半島から四国に渡り、R439を5年ぶりに走り、松山から舟で柳井へ。
雨の山口・萩・津和野(長州路)をゆっくりと走る。
中国山地の国道や県道を縫うように(鋸歯状に)走り、思うところがあって一路京都へ辿り着く。
その後、京都・大原から湖北へとある人をご案内してゆっくり走って、雨に迎えられて帰宅。

<いろいろ思ふ>
ツーレポ(日記)を書き始める前に様々な想いが甦ります。それを皆さんに説明したい気持ちと、分かってもらえない(諦めにも似た)気持ちがあります。自己満足で走る一面と普段には見ることができない自分の隠れた一面に出会える。独り言を連発し、歌を唄い、振り向きもしない相手に語り掛け、寂しさは楽しさかと問いかけては昔別れた人を思い出し咽んでみたり、晴れてくれば私のための晴れ間だと喜び、新緑に目を細め黄緑色が好きになり、田舎のちょっとした風景に感動し、出会いを喜び、別れを哀しむ。

<山頭火>
種田山頭火。一草庵、其中庵では、静けさを独り占めしました。

◆ 汗が吹き出る静けさも独り占め--猫柳
もう帰ろう…って思ってバイクに跨るんですが、また降りて庵の周りをぐるぐると回ったりしてしまいます。何もしないでいるのに、時間の過ぎるのを惜しまず、佇む。いつものように、独り言が次から次へと出てくる。今にも雨が降り出しそう。
◆桜の花は散っても咲いてるように見えるよ
◆誰も来ない方がいいね寂しいかい
◆いつもなら急ぐのにどうしたの猫柳なんてことをぶつぶつ。
だから長州路を走ろう。萩、津和野…。雨が上がって中国山地の無名の峠道の数々。多くの人にも出会う。旅では、純粋な人に出会う。何の免疫も持たない美しさがそこにある。

<驚きもあったの>

高知のある町では、通学途上の中学生?の子供達が頭を下げてくれる。行交う人には皆、挨拶をする教え?があるのか。恥ずかしそうに会釈をする姿に感動した。また私個人的なドラマもあった。京都では思わぬ人にばったり会う。それは徐々にこちらで紹介していくとしましょう。

<今回のテーマを考える>

そうだ、今回のテーマは…久しぶりに剣山周辺のR439も走ったし、種田山頭火も独り占めしたし、京都では思わぬ人にも出会った。旅の途中で出会った人との会話語録を昔のツーレポみたいにまとめるかどうか(時間にもよりますが)分かりません。でもツーリングは、「漲る好奇心と感動する心」が大事なんですね。その結果に「走る、辿る、佇む…」ってのが動きがあるんだって思う。走りながら「そうだ、今度のツーリングのテーマは『ロマンの復活(漲る好奇心と感動する心を求めて)』だったことにしよう…って思い始めました。いいでしょう、この語韻。

結局、ツーレポってのは、私の日記だからつまらない。それが好きで読んでくださっているという波長の合う方も少なからずいらっしゃるのが私に取って嬉しく励みになります。おそらくこの会議室でつまらない事を一番長く書いてきた私ですが、また暫くしたら懲りずにアップします。中には猫柳のツーレポを初めて読んでくださる方もあるでしょう。レポートというよりは、喜怒哀楽を綴ったゴミでしょうかねぇ。

 心が意地を通すのを忘れていやいや、あきらめて時と時の間をさすらうように旅という言葉を借りて歩き回る

バイクがひとつのごまかしで女性の笑顔が媚薬になって純粋な心に触れて私の心が赤面しているキザに語ってみても誰も聞いてくれやしない

何が残るかってそりゃあ、ほろ苦さでしょう

今回テーマ:ロマンの復活--漲る好奇心と感動する心を求めて--

少しづつ書くのは初めてですが忙しいので挑戦してみます。 〔ねこ〕
98年:四国篇 (4/30-5/1)
<出掛ける前に>
[4/30-1]
今、子供の頃を思い出した。日が暮れる時刻になると、田んぼが続く遥か彼方に明りが見え我が家に向かってやってきて、あぜ道に生い茂った草がヘッドライトで影になり台所の背戸のすりガラスに映えるとやがてバイクの音が近づいてくる。親父が仕事から帰ってくるその瞬間になると子供心ゆえに落ち着かずソワソワしたもので、団欒などという概念を通り越して食卓を囲んだものだ。近年の子供たちは親父が帰宅する時にこのような感情を抱く事などまず無いだろうと思う。親父という存在が大きかったのは、およそ昭和30年代の前半頃までで、もう昔の事なのだろうか。バタバタと喧しいバイクであった。子供の時からそういうバイクを見て(聞いて)育ったのでこんなにバイクが好きになったのか、そうでなくても好きだったかはまったく推測の域である。しかしながら、その親父の百カ日の法要を済ませた翌日の早朝にそそくさと荷物をまとめて旅に出て行こうとしている私を前に、お寺の境内で一番上の伯母さんが「大きいお爺さんも何処なと出掛けて行くのが好きで、日本左衛門やったわ、あんたも一緒や」としみじみととした口調で話してくれた。爺さんから旅の精神を受継ぎ、親父からバイクの魅力の薫陶をほどこされ、だんだんとご先祖に似てきた。もはや、止める事は出来ない。6年間で5度目の四国へ。この旅立ちの朝はしんと静まり返っていた。家を出る間際に家内が静かに起きて来て眠そうなそぶりも見せずカメラのシャッターを押してくれた。晴れ渡った空はまだ青味を帯びてこない。夏の朝のように靄がかかった朝であった。

<高見峠~和歌山港を目指して>

[4/30-2]
去年のGWは6時に出て9時17分に和歌山港に着いていると日記に書いてある。3分で乗船して乗り終わったらゲートが閉まった。だから少し早く出る事にした。まったく寒くないのはどうしてだろう。異常気象なのか。いつもなら顎の筋肉が痙攣するまで食いしばらねばならないほどに寒い高見峠なのに。ちょっとしたハプニングがあった。ガソリンが4分の1くらいしか残っていないことに走りはじめる前に気がついた。でも、4時45分に家を出て山に向かって走るのだからスタンドが開いているわけもない。吉野の町で7時頃に開けていた店があったので助かったけど、ガスの補給を前日に済ませておくなんてことなど一度も忘れた事などなかったのに。和歌山に差し掛かってすぐにあった道の駅でデグリーの女性が休憩していた。声を掛けると、潮岬を目指してこれから走って行くのだという。テントやマットが荷物の中にあった。ひとりのキャンプをする女性も増えてきた。月並みですが、気をつけてね、と挨拶をして私は和歌山港を目指し先にその場を発った。

<紀伊水道からR439へ>

[4/30-3]
まさに、ひょいと四国へ、の気分である。海面は凪でいる。クラゲだろうか、ぷかぷかと浮いている。船の中ではのんびりとする事ができた。多い年なら30台はいるだろうバイクもこの船では10台以下である。車も少ないように思う。明石大橋の開通の影響か。それとも30日だからか。今回、ルートについてさほど思案をしたり悩んだりしなかった。R439と決めていたから。四ツ足峠も吉野川沿いも室戸岬も土須峠から剣山スーパー林道も、もちろんR439/R438も走って来た過去が在りながら、また再度挑もうという時は見ノ越に向かって国道を西に走ってしまう。5年振りの名物国道の実態は恐らく変わっていないはずだが、私の記憶の方が忘れかけていたようだ。久しぶりにこの険しい山岳道路をポンコツバイクで越えるようとするとしんどい。年齢も喰ってきて運転能力が落ちているのが手に取るように解る。思いのほか、道の険しさに改めて驚きながら新鮮味を十分に味わって越えて行く。昔、越えた時に寄ったGSや休憩した空き地、賞味期限の切れたパンを買った店などが蘇ってくるから不思議だ。眼下に自分の上って来た峠道を見下ろしながら佇む。ガードレールの無い谷底を恐さ半分で見下ろすと股間がぞくぞくする。誰が何のためにこんな道を作ったのだろうか。現代人の一部の人の哲学を借りれば、山に入る事などまったく無意味であり、銭金と優越感を美徳とする価値観の持ち主には異星のような地になろうか。この山の偉大な姿を、ただ念仏を唱えるように唸り通す事だけでしか感動を表現できなかった。剣山スーパー林道よりも所により険しく、高くて恐ろしいこの山の峠たちを連続して京柱峠まで走って来て実はほっとしている。やはり緊張していたんだとその時に気がついた。定福寺YHは閉鎖中ということで、帰全山キャンプ場で寝る事にした。 実は去年に下見がしてあって最悪はここと決めていた。結構なバイクの数で、10台以上は居たでしょう。お薦めのキャンプ場です。無料でした。

<寒風峠を越えて松山へ>

[5/1-1]
この村に下りてくる峠道(郷ノ峰峠)でスクールバスを抜いた。これがそもそも感動の始まりだった。このバスに乗るために停留所に少しづつ子供達が集まって来ている。その彼ら、彼女らが私に会釈をするから、あららどうしたんだろうかと最初は戸惑った。しかし、これは本物だと気が付く迄にさして時間はかからなかった。芹だろうか。あぜ道に生えている。花の名前を知らないのを私はいつも後悔しながら、これはアザミかな、あれはたんぽぽかなとひとりごちて峠を越えるのだが、それらの花までが私を歓迎してくれているような気持ちになってくる。会釈をするというのは家庭の教えなのか、学校の指導なのか、どちらでもないのか。それにしても、恥ずかしそうではあるけど知らない人であっても私のような行きずりの旅人にまで会釈をする姿は、全国でもきっと数少ないに違いない。R439と別れて寒風峠へ行く分岐点で少し休憩をした。高校の生徒さんが登校者の交通指導に出て来ている。ミニバイクに乗った女生徒が何人も曲がり角を過ぎて行った。その高校の名前は、大手前高校吾北分校というと教えてくれた。(字は正確には解りません。)会釈をしてくれたのはこの近くの中学校の子供たちでしょう。寒風峠の南斜面に差し掛かると雨が強く降り始めた。悪路、狭い峠道、濡れ落葉などの悪条件に乱れた雨が加わる。もう若くないんだから、正直言って楽しく走ってもおれない。寒風峠の前で雨具を着た。もう躊躇するレベルの雨ではなかった。キャンプ場でご一緒した人達とトンネルの前の東屋で再会し、豆をまいたようなような音を立てて降り続ける雨と大きな霧の塊を見ていた。そうしながら彼らも石鎚山方面の瓶ガ森林道に行く気合を充電しているのか。谷を霧が動いている。その山を下りて来た人の話では風も強かったという。それでも彼らは山に向かって行った。何がそうさせるのだろう。四国の不思議な魅力である。しかしトンネルを越えると晴れ間が待っていた。松山は晴れ渡り、汗ばむ陽気である。青空が私を待っている…なんてぶつぶつ言いながら、南斜面よりはまともな北斜面道路を下った。今頃、九州の何処かを走ってるある人(Nさん)に電話を入れた。松山で一草庵を見た後、佐賀関に行き九州から馬関海峡を渡ろうと考えていた私は、その子と落ち合えないものかな、と期待をしたのである。しかし、それも一草庵に行ってから気が変わってしまった。(ごめんね、Nさん。)一草庵は一般公開と聞いていたんですが、そうじゃなかった。何故だろうか。落胆が襲う中、その日のうちに山口まで行く決意も固まっていく。

<一草庵の前で出会った人…>

[5/1-2]
大きなアタックザックにトレーニング用の荷物を入れた愛媛大学の学生さんに、一草庵の前で巡り逢った。最近、旅にとりつかれた様子である。仕事で失敗して自殺なんかしてしまう人はいったい何なんだろうか、って思うと熱い口調で話していた。ファックスひとつで仕事をたった今辞めてきたという人達に何度も遭遇した北海道での感動や九州の国見峠を自転車で越えた時の感動を話してくれた。久しぶりに純粋な人に出会った。

<柳井から山口へ>

周防大島の北側を通り、大橋をくぐって柳井に着く。時間があれば寄りたい島なのだが。あんぎゃさんの連絡先でも聞いておけばもしかしたら落ち合えたかな…と思ってももう遅いわ。本名を覚えていたら役所に問い合わせるという方法もあるのか。様々な想いを抱きながら私にとってバイクを伴って初めて到達した山口県の土である。勇気が湧いてくるような感慨が襲ってくる。不思議な所だ。誰もがみんな松陰先生って呼ぶんですか?って誰かに訊ねてみたい。(実はあとで訊ねたら萩の人だけでしょうねとある人は言っていた。)山口での泊まりは山口YHにした。明日の朝は雨模様の気配だから、挫けてしまった。YHでも書ききれない事が幾つかあったが、ここのYHに種田山頭火全集という立派な本が置いてあった。どうやら誰も読んでいないらしくブックカバーから引き抜くのに苦労した。過ぎ行く夜に静かに読むのもしみじみとしていいものである。早く其中庵に行きたい。明日は雨の其中庵なのだろうか。更け行く夜、外の気配は激しい風と雨である。
98年:中国篇 (5/2-5/4)
今回のテーマは
★ロマンの復活
 ─ 漲る好奇心と感動する心を求めて ─

<何故、走る旅に出るのか>
[5/2-1]
これは永遠のテーマである。もっと遠くへ…と走り続ける人もあれば、最北端…などを目指して走る人もあろう。わんこそばを食べたいから…ただそれだけのために高速道路を1000キロ以上も飛ばした人もある。こういうことを考えてみた今、「したたかな情熱」を私達は失いかけているのではないかと、ふと思ったのである。「何かのために夢中になって走る」ということがバイクに跨った原点ではなかったか。ロマンを持って家を飛び出した時期を甦らせてみたい。だからテーマを))ロマンの復活(漲る好奇心と感動する心を求めて)としようと決めたんです。

<山口~小郡・其中庵~萩>
[5/2-2]
朝、起きると雨が一時的に止んでいる。どうせ雨だろうからゆっくり…と考えていただけに、荒立てて支度をして湯田温泉へ向かう。温泉街を少し散策して其中庵のある小郡へと急いだ。>他のスポットを色々教えてくださった皆さん、どこにも寄りませんでした。すみません。種田山頭火という人は小郡の其中庵に落ち着くまで に熊本から嬉野温泉、川棚温泉、と転々とする。松山の一草庵に移る少し前の短い期間だけ湯田温泉の風来居と称する徳重正人宅裏屋に住んだこともある。このツーリングでは川棚温泉へも行ってみたいのだが雲行きが怪しいし、天候と時間の兼ね合いもあり次回への宿題とする。「思えば、久しぶりに見上げる空だなあ、それだけでも自然に一歩近づける事になるな」と、そんなひとりごとをいいながら小郡の街中を見おろす高台で佇む。誰も居ない。声もしない。 濡れた雑草があるだけ。オゴオリザクラは生き生きと新芽が吹き出している。来訪者のために用意されたノートを読み時が過ぎてゆく。雨に打たれて綺麗さっぱりに洗われた庭木の葉を、縁側に腰掛けて眺めているだけで満足なひとときである。いつもなら「早く出発しなきゃ…雨が降り始める…」とソワソワするのだろうに、その時の私は泰然としており、濡れて走るのも厭わない強気の気配であった。 少しづつ帰途の行程などが頭に浮かんでいる。さて、萩に行こう、松陰先生に会いに行こう。秋吉台には寄らなかった。したがって噂のピザにも出会えないまま、萩までの国道を快適に飛ばして萩城跡までやって来た。この街は、今までに訪れた街の中では一風変わったまったく新しいタイプの風情を持ったところだった。

<萩で蕎麦を喰い、津和野へ>
[5/2-3]
雨が降り出して止む様子がなければ萩YHに泊めてもらうことを考えていた。しかし、到着したのがお昼前で、どんよりとした曇空でまだ降り出していなかった。市内をとろとろと走り回っているうちに萩城跡のお土産物屋さんが「がんこ庵」という評判の良い蕎麦屋を教えてくれ、時刻も些か早かったので寄ってみる。道の両側に土壁が残り昔の風情をとどめて城下町の屋敷の街並みが残っている路地にその「がんこ庵」はあった。蕎麦の味は上々。普通のザルを頼んでしまったが、有名なのは割子蕎麦?らしい。萩焼きに盛って出てきて気品がありそうだ。ジョッキやぐい呑み、お著子も萩焼きを使っている私にとって、その蕎麦を知らずにザルを注文したのは浅はかだった。味はどちらも同じで、出雲の蕎麦である。萩市内は、ぜひ、自転車で散策することを薦めたい。食べ終わって店を出てくると雨もいよいよ本降りになった。松陰神社に参拝した後、津和野YHに電話を入れた。早々に風呂に入ってくつろごうという魂胆である。津和野の盆地を見おろす峠からの眺めはなかなかのものである。石州瓦の赤い屋根がたった今まで見てきた景色を払拭するかのように綺麗に並んでいる。駅前にバイクを着けて案内板を眺めているとレンタル自転車屋さんがマップをくれた。鯉が泳ぐのを雨の中で見ていても洒落にならないから、YHに夕食がないこともあり小僧寿司で買出しをしてから宿へと急ぐ。雨の中の買い物は面倒くさい。3時前にYHに着くと大阪から来ているジェベルの女性が玄関で立ち話をしているところだった。彼女は散策の為に街に出ていくというので立ち話も程々にして私は風呂に入ることにする。その間に「SL山口号」が津和野から小郡に向けて峠を登っていった。汽笛だけが風呂の中まで聞こえていた。ここの風呂は面白い風呂で、お釜そのもの(下から沸かしてはいない)で、底が丸くて深い。最初、見たときには下駄を履いて入らねばあかんのかな…と思うほどだ。YHでの夜な夜な話は、日記にとどめても仕方あるまい。ありふれた旅の話である。ジェベルの彼女と楽しい話(阪神タイガースファンだった)などをしている間に就寝時間を迎える。もしもYHでのこの会話タイムがないなら疲れが取れない。

<津和野から松江まで>
[5/3-1]
其中庵で旅のピークを迎えたので後は帰るだけ。9号線をそのまま走っても面白くないので、ちょっと温泉にでも寄ってみる。「夕日ライン」ということを山陰の海岸は売り文句にしている。実は北陸も新潟の方にも「○○夕日ライン」がある。ライダーは何故夕日が好きなのだろうか。哀愁が漂う静かなひとときに弱いのか、あの燃えるように赤い激しさが好きなのか。道の駅がたくさんできて、遠望スポットが設定されている。やはり晴れて欲しい。

<有福温泉と温泉津温泉>
前者が200円、後者が160円。この安さだからぜひとも寄ってみたい温泉である。有福温泉には、共同浴場が3箇所あり、一番高台にある「何たら湯」って所が一番広くて綺麗だと聞いたので、行ったら芋の子を洗う騒動で大失敗。その手前のお湯は誰には行かないから、がらがらでそっちにすれば良かった。決して大きな浴槽ではないが、お湯はやや美人系で、無色透明、しっとりとしている。石段を登っていく風情があり、じっくり歩き回ってみるのがいいかも知れない。温泉津温泉は、かなりボロイ温泉街が続く中、ひときわボロイ共同浴場が2軒ある。公共駐輪場の建物の中にバイクを入れてくれるので雨宿りにもなってラッキーと思いついついお湯に寄ってしまう。有福温泉を出て温泉津に来たら、霧のような雨に見舞われていたので、やむまでゆっくり浸かるつもりで入ったが、実際にはそうも行かなかった。真っ赤に錆びたような浴槽の縁に腰掛けていても湯がやや熱かったこともあって汗が吹き出してくる。身体を洗ったりするような上湯は十分にあるわけでもなく、雰囲気を味わっただけで出てきてしまった。お湯は濁っている。白いと聞いていたので、乗鞍高原や白骨温泉のように牛乳のような色を想像していたけどそうではなく、白く濁っているという意味だったようである。

<宿は出雲で>

出雲大社にお詣りをして、ゑびすや旅館YHに飛び込んで空いてますか?って尋ねたら最後のひとりですって言われてラッキーを喜んだ。津和野YHで巡り会ったジェベルの彼女も連夜一緒の宿になって、話は弾む。「あれぇ~、今日は浜坂じゃなかったんですか?」って驚きの様子。浜坂YHは満員御礼できっぱりと断られたので、軟弱にも雨を降らせる前線の境目で躊躇しているのを恥じたのであった。岡山からきたダックスというチャリダークラブの可愛子ちゃんも加わり、豪華美人ばっかしで賑やかな談話室であった。岡山の彼女は全国走破中で、皆さんの中にも出会う人があるかも知れない。彼女にあったら自転車置き場で「あなた、可愛いからモテルでしょう、でもさすがに太股はふといなあ」(触りたいな)と言った奴に出雲で会っただろうて尋ねてください。

<中国縦走>
[5/4-1]
5月4日。さて、子どもの日は松阪まで帰るだけであるから、京都の実家にまで行ければいい。9号線は何度も走っているから今回は中国山地を縦に走る国道を横に繋る県道を鋸歯状(あみだくじ状)に走って京都まで行く。渋滞もなく亀嵩、出雲横田、日南町、湯原温泉、奥津温泉、美昨、佐用、滝野社、丹波篠山と抜けて実家まで。家族(家内と娘)と再会し久々に旨いビールの泡に酔いしれた。そうそう、佐用付近の道の駅で二人組の女性ツアラーさんに会った。少しづつ女性ツアラーさんが増えているのだろうか。

<走っただけの一日>
「さあ、走るぞ」と出雲大社の前で気合いを入れて8時から夕刻5時頃までほとんど休憩をしない山岳ツーリングを楽しんだ一日だった。走る楽しみ。テーマにまた一歩近づいている。

<こいのぼり>
ローソンで買ったこいのぼりを荷物にくくりつけて走った。子供の日ですから。同じことをしてる人も見かけたよ。嬉しい。
本篇、長くなり申し訳ない。書き切れないことは、はみ出し篇ででも書こうかな。猫柳素庵誤字脱字は直しません、目をつぶってね。
98年:京都・滋賀篇 (5/5) おまけ
今年は30日から5日まで、距離の短い日もあったが、朝から夕刻まで万遍なく走っているツーリングだった。こんな事は最近では珍しい。しかし総走行距離は1600キロあまりだったから、疲れもそれほど残らなかった。ひどい時は手が痺れてキーボードが打てない事もあった。

さて、最終日。いってみようか。

<Mちゃんとの出会い>
子供の日は晴れの日が多いという晴れの「特異日」だから朝から日差しが眩しい。出かけ前にツーリング部屋を賑わしていた京都の話題で、Mちゃんが確か京都の東山YHに泊まるって京都案内質疑応答リンクのなかで書いてあったような気がしたので、(まったくの勘違いでどうやら書いてないらしい…私の思い込みであった)偶然を狙って行ってみようと、出発者が多い8時頃を狙って三条通りを東に走った。人の勘であるとか、偶然の勘違いの魔力も不思議である。クラブマンの女性がいた。視線が合ったら小さく会釈をして、近寄って来てくれた。私が誰かだと気が付いたらしい。彼女は私の年齢や顔、恰好、バイクなど一切を知らなかったはずなので、随分とびっくりしたんではなかろうか。

<大原に行きましょうか>
会える事など当然期待してないので、ひとり寂しく湖北を回って帰ろうと思っていたのが、とんだハップニングである。東山YHの前でベンチに座って随分と長い間くつろいでから、(8年以上京都を離れていますしという弁解をメットの中で呟きながら)道に迷いながらも鞍馬を目指した。花背峠、百井峠を越えて大原へと行く。花背峠をご案内して、百井峠を越えて大原へと向かおう。百井峠は10年ぶりくらいに走ったんと違うかな。走っていてだんだん思い出してくる。大原側の斜面は勾配がきつい。

<三千院>
三千院の前を通る事は今までに何度もあったけど、寄り道するのは来客を連れる時くらい。新緑の楓と桜の並木の山門を境内へとゆく。正直言って、京都の社寺仏閣をくまなく回っています私ですが、家内以外の女性と回った事はそうざらにはない。(もう一回くらいあるけど。)可愛子ちゃんを連れて歩くと落着きをまったく失ってしまい何を話しているやら…。緊張しておしっこにばかり行っている。京都に来るなら、平家物語や源氏物語をうわべだけでも勉強して来る事を薦めている。目の前に映る景色がまったく違って見えるはずだから…などと薀畜をタラタラと庭園を前に話している。これじゃモテないよ~。>自分
真剣にお寺の生い立ちやら時代背景を勉強しながら回れば、立派な歴史通になれるでしょう。まあ、ツウになることはどうでもいいけど、普遍的な風情を前にその時代の文化に触れて欲しいものです。Mちゃんにはねこのつまらない講釈を入れまして申し訳ないです。寂光院へも案内したかったが、残り時間も少ないし先を急ぐ事に…。

<朽木村へ>
織田信長のおもしろさは桶狭間の奇襲や長篠の戦だけではなく、1570年の浅井氏を攻めて失敗し、この朽木街道を必死で退却したことであろうか、と司馬遼太郎さんは<街道をゆく(1)>で書いていたのを思い出している。だから、何の変哲もない花折峠がとてつもなく素晴らしく思える。この時代(戦国)の歴史(または歴史小説)をかじり、その世界にハマっていった人も多い事かと想像する。明智光秀は悪人扱いをされるが、いろいろ読みあさると、素人の私などにはこの上なく魅力の溢れた才人であった事などもわかる。にわかにかじった知識をダシに、こういう峠を越えるところが楽しい。年々、道路工事が施されこの峠道も広く改造され車も増え、確かに地元民には便利になって行くのかも知れないが、確実に自然を破壊している。谷の奥深くをえぐり入るように安曇川を下った街道も、現在ではトンネルが幾つも開通して直線的になり、行き交う車を悩ませた狭路もほとんど無くなってきた。国家によっては、土木工事に重きを置かない国もあるだろう。昔のままを残し、不便でありながらも、生きていく中での文化を大事にしている精神を学びたいと思うが。しかし、こういうことって学ぶ事なのか。

<湖北へ>
昔、鯖寿司を買った梅竹の前を過ぎ、道の駅で休憩を取り、奥琵琶湖へと向かう。琵琶湖の湖面はどんよりと鉛色で、空を映したように暗い。雲が下りてきているのを感じる。琵琶湖の真っ青の湖面をMちゃんに見せてあげようと思ってきたのにこれじゃちょっと申し訳ないか。それにしてもお天気は下り坂なのだろうか。不安が襲う。でも、海津大崎の湖岸道路に差し掛かると水際で遊ぶ人達の姿が目立つからそうでもないのかな。女性とかと走った事があまり無いので気を使う。写真を撮るスポットなどをずっと過ぎてから気が付く有り様で、申し訳ない限りだった。琵琶湖の水は潮の香りがしない。大きな波も来ない。そういうさりげなくて当たり前の会話がしたいが、前と後ろで走っているとそれが出来ない。寂しいことなのかも知れない。しかし、湖面のさざなみを見て、彼女もきっと似たことを感じているだろう。同じものを見ているということが重要なのだと思う。

<おなか、減ったよ>
奥琵琶湖ドライブウェイから眺める湖の景色には満足してもらえたと思う。しかし風も出てきたし、お腹も減った。時間も無い。3時には関が原インターを乗って…と算段していたのでちょっと時間が押している。でも、農道を走れば渋滞スイスイだし。田舎はいいでしょ、車が少なくて。

<よその地方の人はどう感じてくださっているのか>
旅の終わりは、いつの時も哀しい。別れの時が迫っている。お腹を減らしたまま彼女を高速道路に送り出すのは辛かったが、渋滞などの心配もあったし、明るい内に一刻も早く東京に向かって送り出したかった。私は京都に永年住んでいたし、今いる三重県に移ってもまずまず長いので、遠くの人の印象が知りたくて今回のツーリングでは、出会う人に順に紀伊半島の印象などをと尋ねてみた。関東の人は、やはり「遠い」という印象が強いらしい。冷めた言い方をすれば、どこの地方のどんな景色も似たり寄ったりで、感動がないとも言えようが、しかし、それじゃつまらない。そのちょっとした違いに味わうものが多いのではないか。関東に帰る彼女も復路は遠いなあと感じているのだろうな。初めてのツーリングで彼女は何を感じ、何を得たのだろうか。レポートを少しづつ書いてくれるとだろうから期待したい。ビギナーだった彼女の心の動きから学ぶところも多いだろう。私も学んだ事の多い5月5日だった。彼女と別れて、岐阜から三重へと県境を越えたら雨が降り始めた。こいのぼりをカウルの中にしまってやって、雨具を着た。今回のツーリング途上、一番長い雨に降られて久々に「雨の猫柳(演歌調)」を唄いながら帰途についた。1600キロ余りのGWの旅もこれで終わった。短い割に今までになく盛りだくさんな旅だった。

<あとがき>
6日間も留守をしてまして、ツーリング部屋の方の未読が山積です。嬉しい悲鳴です。長々と書き綴ってきました。何の情報を差し上げられる訳でもないので、言ってみればゴミの塊を出した訳ですが、これを出さないとまた次の旅(ツーリング)に出かけられない。キャンプ場、その土地^2で得た耳より情報など、機会があれば何らかの形でツーリング部屋の中で紹介していきたいと思っていますので、今後もよろしくどうぞ。

FBIKEの人には残念ながら一人しかお目に掛かれませんでした。謎の仙人・ねこさんにバッタリ会ったら何か特別な賞でも差し上げるなど、プレミアもどきをつけたらもっと多くの人に出会えるかな…なんて。

最後になりますが、色々と私のゴミ日記へコメントをくださったりする皆さんもあると思いますが(会議室の彩りを眺めると)ひとつひとつに御礼を差し上げることは出来ないかも知れないので、その節はご容赦ください。

皆さん、どこかで、会いましょう。
98年:四国地方と中国地方 ─語録篇─ (1)
コメントを戴きました方々には、何も書いていませんが、涙が出るほど喜んでいます。何故って、日記のレポートが幾分不満足な完成度だったにもかかわらず、読んでくださったんですからね。何も情報としては皆さんに提供できないけど、少しでも山陰や四国に行こうかなとお考えの人が増える事を夢見ております。

図々しく、語録もまとめておきます。出納帳は省略。あとは、思い出す事があったら語録を追加する程度かな。94年の九州ツーリングの時にも「語録」を書きました。あれは、後で読んで自分自身で喜んで泣いています。
☆和歌山に向かう道の駅にて(紀ノ川沿い)
デグリーの女性に声をかけて
---これからどちらへ?
---潮岬を目指して走ります。
---いいですね、紀州はいいですよ、温泉も多いし。お気をつけて。

別にこれと言って特別な会話ではなかったが、この日、初めて交わした言葉だった。キャンプの装備も持っていたし、行動派に見えたが。

☆見ノ越で、車の人(娘さんとお母さん)
---剣山のケーブルの上はいかがでしたか?
---少しガスが出ていましたが、景色はよかったです。

☆京柱峠で、オフロードの二人組と
---物部村のキャンプ場をベースにして、今日はその辺を走ってきたんです。
---泊まってる人、居ますか?
---まずまずいますね、これからべふ温泉に寄って帰るんですよ。

☆大豊から高知に向かう途中の道の駅でここの奥さんが、可愛らしい。去年も話しかけた記憶がある。話しかけた瞬間に記憶が甦った。
---明日の天気はわかりますか?高知は、どちらかのほうから雨が降り始めやすいとかそういうのはありませんか?
---(高知弁で)わからないわ
---キャンプ場はないですかねえ。
---帰全山というところがあります。この前の休みも、いっぱいの人だった…。

☆帰全山キャンプ場にて(他のバイクの人)
---ここは穴場でしょ。今年で3度目ですよ。水もあるし、只だし。

☆霧と雨の瓶が森林道入口、寒風峠で
---いよいよ本格的に降りだしたね、でも、ここを走るために四国に来たんだもんな。

☆霧と雨の瓶が森林道入口、寒風峠で、その2
(私は四万十川に行くと思われていたらしい。)
キャンプ場でご一緒した人から話しかけられて
---あれれ、四万十川源流に行ったんじゃなかったの
---いいえ、松山に行くんですよ、それにしても凄い峠ね。さっきも、濡れ落ち葉でズルッってすべって転びそうになりましたよ。
---見てた、見てた。危なかったね。

☆霧と雨の瓶が森林道入口、寒風峠で、その3
---GT750は珍しいですね、いいなあ。これ、私の高校時代の人気バイクですよ
彼は浜松のスズキに勤めていると言う好青年でした。瓶が森の霧に消えて行った。

☆松山一草庵の前で、愛媛大学の学生さん
---ファックスでたった今、会社を辞めてきたとかいう人に出会いました。仕事に行き詰まって自殺するなんて、ほんと馬鹿げてみえますね。自然に行きているってのが、素晴らしくて…。国見峠(九州)も行ったんですか?いいいですね、あそこは。いいなあ、バイクは。

☆山口YHで
---(サービス関係の仕事では)食べ物を棄ててしまうんですよ。食べ物なんか、棄てるのが美徳のように。それが嫌で仕事を辞めたんです。水も綺麗で、都会に住んでいるのが、矛盾だらけで…。資源とか、水とか、金を出せばいいってもんじゃないでしょう。遅れてますね(日本は)。

☆萩市内で、がんこ庵を薦めてもらって
---地元じゃまずまず有名みたいよ。美味しいらしいよ。

☆萩市内で、がんこ庵にてお店の人が
---萩焼きの器で出すのが人気なんです。味は一緒ですよ。

☆松陰神社入口で急にたくさん降り出して、雨…
---ここ、屋根ありますか
---(交通整理をしてる係の人)ここは、松陰神社ですよ(怒ってる)
98年:四国地方と中国地方 ─語録篇─ (2)
もう少し続きます。

☆津和野YHにて、ジェベルの彼女と
---タイガースのステッカーですね、私も隠れ阪神ファンです。

☆ジェベルの彼女と、談話室にて
---下関まで船で行って、道の駅のスタンプラリーをしながら。鳥取で、天女の忘れ物というお土産を買って帰ります。
---どんなの?エッチ系?
---そうじゃないみたい。ギャグ系かな。買ってのお楽しみ。
☆津和野YHで一緒だったジェベルの彼女に出雲で再会して
---あれえ、浜坂YHと違たん?
---浜坂YHいっぱいやったん、雨でくじけてここにしたん。貴方から宿の名前も聞いていたし…。

☆津和野YHの前でみんなで写真を撮りながら
---5月といえば、こいのぼり、でしょう。
(私もそういう訳でこいのぼりを買いました。)
☆出雲のYHに泊まっていたチャリダーの女の子
---どこまで行くの?
---日本一周するの。沖縄から走って来たんです。いったん岡山に帰って、北を目指すの
---(3杯目をおかわりしてるのを見ながら)チャリダーって御飯を、ほんと、たくさん食べるんですよね。
(うなづきながらモリモリ食べていた。小柄な子。)
(次の朝、自転車置き場で)
---可愛いからモテるでしょう。(可愛い子だったので)
---凄い太股だな。触っていい?
---ダメ。
(でもこんな質問って野暮だと気が付いた)
☆中国山地、美作あたりの道の駅で会った信州からに二人組の女性(どちらまで行くのですか?の問いかけに)
---今日は宝塚の友達の所です
---高速、走ればすぐですよ
☆東山YHの前で
---こんにちはXXです
---ええっ…?☆×△…(驚き)
☆MちゃんとYH前で話す
---貴方、可愛いけど、ネットに可愛いって書くと、ファンレターがどっさり来て、モテモテになって困るだろうから、内緒にしておくよ。
(ああ、バラしてしまった)
思い出す事があったら、また、追加するかも知れない。

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