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2009年5月11日 (月曜日)

四国から山陰へ(’97GW)

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四国から山陰へ(’97GW)
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今年のGWの気合いは(あまり認めたくない気もあるが)いつもより少し弱いようだとうちのんは言う。レポートをアップします。よろしかったら読んでやってください。

少し長々と書いて、バランスの悪い箇所もありますが、私としては一端書いた物は削れないので、そのままにします。時が経つに連れて思い出す部分に加筆をして増えていきますので、この日記は、ひとつの旅を振り返っている過程であります。旅とはそういうものでしょう。日記は、だんだんとバランスを崩していきます。自立できなくなったらまた旅に出かけて行くのでしょうか。

ひよいと四国へ晴れきつてゐる  山頭火

種田山頭火の句集を探し回ったけど、田舎ではなかなか見つからなかった。しかし、三月末に出かけた京都の本屋でその忘れかけていた本を見つけて買った。

山頭火は山口県で生まれて、愛媛県松山市で没する。そのゆかりを訪ねてみたいと切々と思った。出発前に知人にあてたメッセ-ジを添付する。

ひよいと四国へ晴れきつてゐる   山頭火

そう詠んでいます。彼を早稲田文学に入れるのかどうかは私にはわかりませんが、感性に訴えてきますね。好きです。このうたの季節は恐らく秋だと思いますが、私は春に行きます。明日が晴れかどうかさえも私にはわかりません。でも四国をしばらく走ってこようと思います。

皆さんの多くが四国を訪ねて行かれました。私も二年ぶりです。四国を走って、なあ~んだ、つまらないと思う人もあれば、その逆の人もあると思います。

道端で買ったパンの味や工事現場の親父さんのちょっとした姿や仕草、言葉がツーリングを変えます。私の四国を探しにまた出かけます。

レポートはこれにぶら下げていきたいと思い、まえがきのつもりで書きました。

昨日、娘が
「私、地図を見ていて行ったことがない道を見つけると行ってみたくなるの、地図を辿ってずっと…」
と話してくれました。ツーリングの原点を呼び起こされた感動でした。この子も私の子なんだなと思った。

明日、明け方に出て、昼過ぎには四国に上陸できるかな。では、数日後に会いましょう。


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四国から山陰へ(’97GW) --はじめに
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[4/27-0]

週間予報では4/30頃から天気が崩れるという。近年、天候に恵まれているので期待できるかなと思っている。

GWといえば半分が雨降り…という季節である。覚悟はしているが、雨は嫌いだ。

テント、シュラフ、マットは、前日にうちにバイクに積んでしまってあるので、27日の早朝は静かに着替えなどの荷物を載せ、暖気運転なしでソロリと家を出る。

出発前の記念写真を二枚撮った。「お父さんは朝早く出るよ」と言って、就寝前に「行ってきます」を子供にした。

青空が夏のそれに変わりつつあるなあと思いながらどのあたりというわけでもなく上空を見上げる。快晴である。肌に冷気が沁み通る。大きく息を吐くとシ-ルドが曇った。タンクバックの温度計付き時計はちょうど6:00を示していた。

今回のツーリングの持ち物で思案をしたのは地図であった。先日、博士号の授与式の写真付き葉書を送ってきた鹿児島のJ君にも会いたいので、もしかしたら九州に渡るかも知れないと予感している。しかし、思い切って九州版を持つのをやめた。

広告の裏に書いて食卓の上に放り出してきたメモには、四国を横断して松山から山口(湯田温泉)に行き山陰を回って帰るか、讃岐へ戻って帰るかどちらかと書いてある。

予定通りに走ったことは恐らく今まで一度もないと思うけど、出る前には誰に見せるわけでもなく、思考を整理するためもあって書きなぐったメモをうちのんに見せたら、「見とうない、勝手に行っといで」と冷たい言葉であった。子どもは前の晩に「お饅頭…」と繰り返していた。

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四国から山陰へ(’97GW) --4/27
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《三重県-高見峠-和歌山市:紀伊半島横断》

[4/27-1]

何度も越えている峠でも旅が始まる時には胸がドキドキするものである。いつも見慣れた景色を送りながら、いつものようにひとりごちた。

紀ノ川沿いの高野山側には新芽が吹き出した果樹(柿?葡萄?オレンジ?)園が広がる。遠くから見るとゴルフ場の芝のような錯覚に陥るが、信号などで止まった時に良くみると違うのはすぐわかる。休日の朝ということで車も少なく、和歌山港まで三時間と17分の所用時間で到着した。

恐るべき速さである。違法値がでたらあかんから平均時速は計算してはならない。

フェリ-の切符売り場で「次の便は何時ですか」と問うたら三分後という。乗れるから急ぐように言い、大急ぎで切符売ってくれた。それを口に喰わえて移動した。

バイクがフェリ-に乗り込んだらテ-ルゲ-トが上がった。何ともラッキーなスタートである。

船中にはツアラーの姿も疎らで、誰とも話すことなく、しかし寝るわけでもなく海を見ながら種田山頭火の句集を読んだりして過ごす。ただ、ぼんやりと読む。うららかな日で、風もほとんどない。

ひよいと四国へ晴れきつてゐる  山頭火

まさにその気分なんです。


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四国から山陰へ('97GW) --4/27-2
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《四ツ足峠へ》

[4/27-2]

小松島港に入港し、四国上陸をしたらすぐに高知方向に走り出す。

那賀川沿いを遡る。川沿いの狭い道は、四国の雰囲気を思い出させてくれた。

「そうそう、こういうふうに道が狭いんや」とひとりごとを吐きながら、しばらくこんな道とお付き合いしていこうとしている自分に満足である。

八十八ヶ所への道路を示す標識が目立つのでそれを頼りにある程度方向を決めて県道に入ると、これが驚くほど狭い。おおっと、この狭さが四国なんだった、信号も少ないな…などとぶつぶつが続く。

太竜寺のロープウェイの乗り場の脇を過ぎてやっと国道に出る。R195にのっかり四ツ足峠へと向かう。だんだん四国の雰囲気が戻って来たのが嬉しくて仕方なく、一人だから誰に隠すわけでもなく大声で喜んで叫んでいる。聞こえたのは野生のお猿さんたちだけだろうな。

山藤(やまふじ)が山の斜面を紫色に飾っている。そばに寄るといい匂いがする。春は空気の匂いがまろやかで、走っているとうっとりすること、おやっと驚くことが多い。自然が何かを訴えているのだろうか。

四ツ足峠を越える道は快適で、一部に狭いところがあるけどこの程度に狭くないと面白くない。剣山スーパー林道から降りてくるオフツアラーの人に時々すれ違うのを期待しているが、それほど来なかった。みんなどこに消えて行くのだろう。あれれ、今年は四国に来ている人が少ないのかな、なとと呟きながら、見つけると手を振る。オフローダーのピースは確実に還ってくる。バイクをほんとうに楽しんでいるからだろうか。

四ツ足峠は初心者マークでも越えられるほどの峠で、秋もお薦めである。秋になると綺麗に色付く木ばかりであった。

べふ温泉には寄らなかった。実はこれは最大の後悔で、これから行かれる人はぜひ寄られるのがいいでしょう。高知には目立った温泉がないのだけど、この温泉を薦めてくれる人にたくさん出会った。美人肌系のお湯である。共同温泉場は近年新築したようで、随分と賑わっている様子。こんな谷の深いところまで人がやって来れる様になったのも道路が整備されたからだろう。

トンネルの開通日付を確認すると1990年前後が多い。それ以前はすっごい田舎だったに違いない。谷の落ち込み具合が違う。


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四国から山陰へ('97GW) --4/27-3
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《定福寺YHへ》

[4/27-3]

雲行きが怪しくなってきたぞい。

明日は雨なのかな、と思って道端のお店のおばさんに聞いた。案定、下り坂だそうで迷わずYHに泊まることに決め予約の電話を入れた。

夕飯は頼まず、途中でカップラーメンとお寿司を買ってYHに入った。スーパーで道を尋ねたら、小説で竜馬が話していた言葉と同じである。ささやかな感動であった。

そうそう、ここはYちゃんが来た今年の冬に来てレポートを書いてくれたYHである。何だかYちゃんの慕って旅しているみたいだなあ、違うぞい。YHの前からの景色をじっくりと眺める。

山腹に民家が建っていて、これでもか!といわんばかりに峰の上方まで道が右に左に延びて家がポツンとある。これが四国の景色だ。四国でしか見られない。感動がまた甦ってきた。


《YH・夜》

[4/27-4]

ライダー(ツアラー)さんは疎ら。

でも皆さん、四国をよく知っていらっしゃる。三人ほどが筍のご飯をいただいている。おひつにいっぱいある。夕食を私も予約したらよかった…。

住職さんと脳死の話をする。お寺のYHは評判が悪いとどこかで聞いたことがあるが、このYHはまったくそんなことはない。この宿は常宿にしても良いな。

私的メモ:
草加市のレイドさん、佐賀のR100GSさん、松山の黄色のビートさん 福山のイギリス人ふたり組、徒歩&JRラーの女性。←可愛い子でした。


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四国から山陰へ('97GW) --4/28
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----《YHの朝・雨があがるぞ霧が逃げぬうちに見ておこう》

[4/28-0]

谷間を霧が流れていく。その向こうに民家がある。峰上には青空が見え隠れしながらも渋々と雨は降り続く。寺の門前の石段から集落を見下ろすと民家の屋根の向こうから一筋の煙が昇り始めるのを見つけた。朝ご飯の支度だろうか。竃に火が入りあさげの支度が始まる。生活の息づかいを感じる時だ。

雨を憂うるなかれ、この趣きを味わおうではないか。できればあの人たちの所までいって、インタビューをしてみたい。平家の落人なのかなあ。何でもいいから話を聞かせて欲しい、そう思うことを人に話すと、時々、同意してくれる人がいる。


----《晴れ間が私を待っているR439/大峠を越える》

[4/28-1]

Yちゃんがツーリング部屋@ニフティで

「R439の吾北町柳野、ここはすごい道だった。ヘアピン、急勾配、一車線道路、木々が鬱蒼と茂っており視界は悪い上に対向車は多い。おまけに雨のため、落ち葉で滑りそうでとても怖い思いをした。きっと地元の人達の生活道なのだろう。中学生か高校生くらいの女の子が、歩いて通学している姿が印象的だった。」

と書いていた。彼女、こんな山の中を寒い雨の日に一人でよう走ったなあ、と驚きながら私も大峠をトレースする。感じる事はまったく同感である。最も四国らしい風景であると思う。

トンネル切削工事中で、そのうち快適道路が出来てしまうだろう。この道の上に延びている集落の人たちだけの峠になってしまうのが、もしかしたら住人の皆さんにとっての幸せなのかも知れない。

峠に差し掛かると雨が降り出す。けれどカッパは着ない。青空が私を待ってくれてるんだから、天気予報が晴れると言っていたのだから、期待を込めてカッパは着ない。

しかし…。寒冷前線が通過し、気圧が不安定となり夕立のような雨が降り出したところで屈する。

「四万十川源流」の立札を前にしばらく休憩して、雨の中を峠の向こうに消えていくツアラーを幾人か見送って、私もカルストには向かわずに檮原町へと向かう。

道の向こう側にバイクを止めていた神戸ナンバーのZZR250の可愛い女の子に、反対側にバイクを止めて声を掛けた。(猫柳さんは女性を発見するとすぐ止まる傾向にあります)カルストに上った後は大堂海岸のYHに向かうという。

ううん、私もさりげなく旅程を変更してしまおうか…とも思ったほど。

この子より先にもう一人、ひとり旅の女の子を大峠の前で追い越していた。剣山スーパー林道を走って、明日からは四万十川でカヌーだって言ってた。

二人の旅程を頭にインプットしてた私は、四万十川方面に行こうかしらん…と悩んだ。(この迷思案は松山の朝まで続いたのであった。)

----《檮原・関門の関を訪ねる/維新の道》

[4/28-2]

檮原町にはいると「維新の道」の道標が目立つ。「吉村虎太郎生誕の地」の碑があった。お遍路さんも幕末の志士も、皆が徒歩で峠を越えた。

車輪の付いたモノが普及するまで日本は篭か徒歩が普通で、馬車などのようなモノが無かったので、峠はどこも二本の足で越えるためのものであった。坂道は狭くて所により石段になっているところが多い。その入口に佇んで、やはり無念であるが、それが日本の峠なのだ。

関門の関に行く細い道でバイクを止めて工事現場の人に尋ねた。

「ただ石碑があるだけですけど…」

と教えてくれたけど、私にとってはこれもひとつの感動であった。維新の道という綺麗で観光化された看板が不似合いであるようにも思う。

----《これが噂の松山YHか》

[4/28-3]

空いていないかなとも思ったが予約を入れたらOKで、食事もお願いした。

天気が優れないこともあって早く着いてしまったので道後温泉本館に行った。二度目以降なら「椿湯」を薦められていたが、本館にこだわった。絶対に今度は椿湯にしようっと。

本館はロッカーでも百円取るから380円になります。YHに荷物を預けてから行くのが賢明である。

定福寺YHで会った草加のオフさんに温泉本館の中で裸でばったり。今夜の彼はビジネスホテルでのんびりするらしい。

YHでは佐賀からのR1100GSの人にまた会う。「石鎚山には雪があったよ」などという話をしながら食事が盛り上がった。レストラン風の食堂でリッチな気分で食事をいただくのであるが、このYH、お酒の持ち込みも百円取るらしい。冷めた感じがするのは私だけか。

GSの彼は県庁の農林水産関連のところにいるらしく「佐賀牛」の美味さを説いてくれる。長い話になってビールの量も増加気味。

松山YHの感想を書かねば。これが噂のYHなんだって納得します。ただ、至れり尽くせりという設備がビジネスホテルふうで、お金がかかっているなあって感じますね。これもひとつのビジョンなのかも知れないけど、松山再訪の節には別の宿を探してみることにしようと思う。

私的メモ:同室は札幌ナンバーのCBR君。


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四国から山陰へ('97GW) --4/29
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-----《松山市内/種田山頭火一草庵》

[4/29-0]

観光マップには「一草庵」の所在だけがぽつんと黒丸で示してあるだけで、解説は一行もない。正岡子規や漱石は書いてあっても山頭火には触れていない。教育委員会さん、もう少し書いてくれてもいいんじゃないですか。

街の外れの民家の中にひっそりと一草庵はあった。一日に何人のファンが訪れるのかは想像できない。けど、雑感帳が置いてあったので少し拝見してみると一日にひとりから数人が書き込んでいるのがわかる。

私もここに来るためだけに四国に渡ったのだから(宮本輝「地の星」の宇和の海も行きたいと思いながら)感動はピ-クを迎えている。

何もない、何もしない。ただ終焉の地にある家を歩き回ったり、ただここに立っているだけで満足である。句集に備え付けの記念スタンプを押し、ツ-リングマップにも押した。

濁れる水のなかれつつ澄む  山頭火

彼が死ぬ1ヶ月前の句で、一草庵の前を流れる樋又川に自分の人生を感じて詠んだという。川藻がせせらぎに流れる。その脇の道路を生活の車や自転車が通り過ぎる。

-----《波方から竹原へ》

[4/29-1]

さあ、何だか海が見たくなったな、ってなわけで、波方から竹原に行くフェリーに乗って北に走ることにした。瀬戸内海を越えてみたくなったらしい。凄く衝動的な旅程変更である。

今考えると、宇和島に行けばよかったのに、四国を出ようとしています。

家を出るときの予定では山口市の湯田温泉の「其中庵」へ行くことで、雨の場合には足踏みをしながらでも行こうと思っていた筈なのに、天気が良かったので走ろうと思ったらしい。

感動を大事にしようという潜在心理もありながら自分でも説明が付かない。うちのんの分析では年齢をとって気が弱くなったのではないかという。毎夜電話を掛けるが、若い頃のような気合いがないともいう。雨にも屈せず、銭も惜しまない、ということがなくなったらしい。

山頭火ふうに一句書いてみよう。

かえりじたくの迷いをもってとろとろおろおろ走る  ねこ作

-----《山陽から山陰へ》

[4/29-2]

瀬戸内海の波は穏やかであった。フェリーの客が疎らで、今日は祝日なのにこんなに少ない人出とはどうなってるのかしらん。みんな瀬戸大橋に行ってしまうのかな。三倍も四倍も金が掛かるのに…。

船の中で思案は続いた。山口市の湯田温泉に行って、山頭火以外にも中原中也や金子みすゞを訪ねてみよか。でもいつしかの夢に残しておいて…。迷っているようで、何も考えていないのか。何よりも「其中庵」に行くというルートをとってもよかった筈なのに、私は松江に向かって走ったのでありました。

中国山地を横切る道路は、四国を走ったあとの私にはとっても優しい雰囲気がある。過ぎていく景色がまろやかである。山の上の方まで家が建っているという四国の風景と打って変わって、水田では田植えが始まっている。三次から出雲へと行く街道は「出雲歴史街道」とか「出雲神話街道」とか言うらしい。(名前の記憶曖昧ですが…)

-----《出雲市/出雲そばを喰い玉造温泉に入る》

[4/29-3]

中国山地の峠を走っている時に道路脇の温度計が29度を示しているところがあった。暑い日でした。ただ、淡々と走るだけで日が過ぎていく。

出雲駅の前にいたタクシーの運転手さんや街中で子供と遊んでいる若い奥さんに美味しい蕎麦屋さんを尋ねたら「羽根屋」という店を教えてくれた。なかなか頑固な雰囲気を漂わせる店であった。本店で喰う。安い。ざるそば、\550。味には満足した。

時刻は16:00頃になっていて遅すぎる昼飯であったが、食べただけでも珍しい。食べないまま夕飯になる日もあるのだから。その蕎麦屋さんで玉造温泉の共同浴場を教えてもらって寄り道をして松江YHまであと一息。YHの談話室でガイド本を持っている人が、私の食べた蕎麦屋が一番先に載っていると教えてくれた。満足だ。

-----《玉造温泉》

[4/29-4]

やはり共同浴場をお薦めしておく。

600円と少し高い感じがするが、近代的な建物で、五階が浴場になっていて、その階下に休憩室、更に階下には歴史展示館のようなものがあった。(YHへ急ぐので行かなかった。)

-----《松江YH》

[4/29-5]

予想以上に良かったので、皆さんもマルしておかれたらよろしいでしょう。GWのどまん中なのに人は少なく、食事のテーブルも空いている。

食事後、地図とペンを持ってだべっていたら、松山YHでご一緒のCBR君が現れて、「おおっ!」とお互いに驚き合う。

建物などは古いけど、マイナス点はそれほどなく、ここのYHも常宿候補に挙げてもいい。


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四国から山陰へ('97GW) --4/30
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-----《松江市内》

[4/30-0]

宍道湖が霞の中にぼんやりと見える。憂欝になってくる。

雨も午後にはあがって…という天気予報はいうけれど、信じれない。一昨日には騙されたもんなあ。でも急がない旅なので、寒冷前線に追いつかない早さで走るつもりにしている。一日おきに雨に見舞われている。

そういえば夕凪ちゃんが四国を走った時も、雨にたたられていたなあなどと思い出していた。そうだ、彼女は(別の時だけど)松江にも泊まっているんだ、うん、四国で使ったYHといい、ここのYHといい何かご縁があるのかも知れないぞ…と気が付いたら心は晴れてきた。竹内まりやの「涙など見せない…」なんていう歌があったような。あればっかし口ずさんでいる。

タンクバックのマップケースにポツリと落ちては自然に乾いていく程度の雨なので、傘も要らないから少しばかり松江城の界隈を散策してみることにした。

小泉八雲の旧居と松江城は隣接しているので割と気軽に歩けた。木次から社会見学(自主研修というらしい)に来ている中学生が八雲の旧居のひと間でワイワイと賑やかである。私も畳に腰を下ろして沈思状態に落ちていく。庭の池で蛙が元気よく鳴いている。

ツ-リング中に散策をするなんてのは随分と久しぶりである。

-----《大根島》

[4/30-1]

大根島では牡丹が綺麗に咲いている。島一面が花畑になっている。霞んでいるからもちろん大山は見えない。 

牡丹散てうちかさなりぬ二三片  蕪村

この句が頭にふっと浮かんだ。あら私が暗句してるなんて珍しい。

小さな島の中に綺麗な農道が幾つも通っていて、役場付近からは灰色というより無色で無表情の中海が見下ろせる。

-----《湯村温泉》

[4/30-2]

大山がこの天気で見えるわけがない。

湯村温泉に寄ってから行こうと思って浜坂YHに電話をいれたのが午後を少し回っていた。若くて可愛い声の女性だったので、電話を切ってからもうきうきしている。

松江YHで会った人が前日に浜坂YHに泊まったら夕食に「ほたるいか」の刺身を食べさしてもらったというので私も期待をしている。

湯村温泉の荒湯の前にバイクを止めて、小雨対策ビニールをかぶせて風呂に行った。湯は98度で噴出しており、薄めて使っているので少し不満だが泉質には満足をしている。300円。お薦め。

湯舟からあがったときに言葉を交わしたご老人に私が松阪から来たというと三重県の温泉の話をなさった。榊原温泉という名前を最初に出されたので、この人は湯に詳しい人だと察した。なかなか遠方である三重県の温泉にも詳しい。もしかしたらその道の人なのかも知れない。

建物を出るときにスコールのような雨が途絶えていた。湯で濡れた髪を自然乾燥させているといろんな人が声を掛けてくれる。鳥取から荒湯に筍を湯がきに来ているおばさん、温泉街の中に結構でかい建物で目立っている「八田屋」というホテルの社長など。社長は自ら客引きに出てきている。GWの最中なのに客引きとはこの業界も厳しい風が吹いているのか。社長を見る限り、街の中を行くお客を眺めているのが好きらしいが。彼も若い頃はバイクに乗って「ぶっ飛ばした」そうで、ライダーを見ると話掛けるらしい。「安くしとくよ」と盛んに言っていた。

-----《浜坂YH》

[4/30-3]

今回のツーリングで最も意外性のあったのがこの浜坂YHである。

荷物を置いて談話室に戻るとコーヒーを入れてくれて、お饅頭まで付けてくださった。雨の中をバイクで走ってくるから寒かろうという配慮のようである。

「ほたるいかを喰いたくて、一昨日に泊まった人から聞いてやってきました」

と話すと、その私の行動を喜んでくれて、今夜も夕食に出すんですよという。だが残念なことに刺身にできるものはないそうである。

厨房にいるペアレントさんたちと話す私は食堂から海を見下ろしていて、そうしている間にもイカを釣りに漁に出る船が防波堤の向こうへと出ていくのが見える。もうひとつプレゼントがあって、その向こうの水平線には沈んでいく太陽があった。真っ赤で、ぐにゃぐにゃの夕日である。

若い子が電話に出て…と前述したが、その子をヘルパーだと思って話をしていたら、ペアレントさんというショッキングな悲話もあります。中野さんという新婚若夫婦でありました。

四月から浜坂に着任したそうで、この業界にも転勤があるのだそうです。ひとつでも品数を多くしたいし、新鮮で旬の物を出したいと彼女は言う。笑顔がとても可愛らしい、人懐っこい女性である。また近々、旬のものを食べに行きたいなあ。

常宿にするにちょうど良い場所だしな。少し秘密にしたい所でもある。と書きながら、六月になったら行こうかなとも思っている。

夕飯を食べてYHの車で浜坂温泉センターに連れて行ってくださる。町民料金の300円で湯にはいれる。少し塩辛い温泉で、湯量も豊富なようである。温泉からの帰り道に海岸を回ってくださって、漁火がポツリポツリと見えるのも見学できた。キャンプ場もあるので要チェックです。この海岸道路を走るのは、今ごろが一番お薦めだそうで、「但馬漁火街道」というらしい。

風呂上がりに談話室で地図を見て思案して、同室に泊まることになった男性と談話をしていると、付出しふうの「ホタルイカのしぐれ風味」の料理を小鉢に出してくれて、「何だかスナックみたい」なんて言っている。

「こんな情報を四万五千人の〔FBIKE〕というフォーラムで宣伝しておきましょう」というと「酒好きライダーズYHになってしまうね」なんていうふうに他愛ない話をしている。ほんま、可愛い奥さん。もしもこれから行く人(すでに行った人)があったら、印象を聞かせてね。

もうひとつ驚く話もあった。また可愛い子ちゃんが絡んでいるのだが、隣の座卓にいた女性と話すうちに(大阪の、事業部が違うけど)同じ会社の子だとわかり(めっちゃ驚いたよ)、松阪市の隣接郡に実家が引っ越してたのでこちらに転勤したいと希望しているいう。

「七月頃になってバッタリ会ったらよろしく」なんて言っていた。私のもうひとつの姿は職場では秘密なんだぞ、って言うのを忘れた。名前も聞いてないし、事業部の名前も控えず記憶から消えてしまったので、災難は忘れた頃にやってくるのか…どうかは楽しみであります。可愛い子だったな、うちの会社には珍しいわ。

〔FBIKE〕の人には会わないのに、会社の人には会うもんなのかね。悪いことはできんなあ。


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四国から山陰へ('97GW) --5/1
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-----《鎧駅》

[5/1-0]

念願の鎧駅である。「ふたりっこのロケ地」という看板が出ている。

やめて欲しいなあ。私の鎧駅なのに…。(←勝手に自分の物にするな!って…)

幼い日に母に捨てられた兄と妹は、それぞれ、自分の深い想いを持って海岸列車に乗り鎧駅を訪ねる。宮本輝は小説「海岸列車」(文春文庫)の始まりの章で

駅から入江への急な斜面には、かつてサバ漁で賑わった鎧港の名残として、錆びて風化した鉄のレ-ル敷きだけが一直線に下りている。陸あげしたしたサバを列車に積み込むためのケ-ブルの残骸であった。その横に、村へと下りていく折れ曲がった錆色の道がある。列車の車輪とレ-ルとが撒きちらす鉄粉によって色を染めた道は、ほんの数十メ-トルで、黒ずんだコンクリ-トに変わるのだが、かおりは、その道の錆色の部分しか歩いたことはない。

小説に出てくる向こう側のホームのベンチも、またそれが海側を向いて置かれていることも、そこから見下ろす港に倉庫らしい建物が見えることも、私にとっては期待通りでありまた新鮮で嬉しい。

ひとりごとをぶつぶつ言いながら私は周辺を歩き回っている。そしてぼんやりと海を眺めては、時々、シャッターを切る。畑で仕事をしているおばあちゃんにはそんな姿が変に映ったかも知れない。それでも私は、向こうのホームに行ったりこっちに来たりを繰り返していた。

時刻は8:20頃で、下りの列車が来てホームに止まった後、二、三分で上りの列車が入ってきた。降りる人も乗る人もいない。列車の中の人影は疎らで、行き交う列車を遠巻に私は眺めていた。

やがて重そうな車両を動かすためにディーゼルエンジンの音を山に反射させて列車は動きだした。黒い煙の匂いが私の所まで届いて、その後、列車はまたトンネルに消えて行った。

さて、鎧駅はここまでにしておこう。

-----《出石そば~周山街道~花背峠~琵琶湖大橋》

[5/1-1]

久しぶりに周山を回ってきました。(10年近く行ってなかったので)懐かしかった。

出石そばを喰って、福知山~綾部~美山~周山街道~花背と通りました。百井峠を越えようとすると工事中で残念ながら静原を回って大原、寂光院の前を通って琵琶湖大橋を渡りました。

寂光院は、建礼門院が壇ノ浦で入水後、源氏に助けられて上洛し、出家して晩年を過ごした所です。少し前のリンクで「源平」の話が出ていた時から気にしていたので、今回の山陰からの帰りに通過することにしました。

何度か行っているので門前を通っただけでしたが、GWなのに人影はやはり少なく、これはきっと嵐の前の静けさでしょう。


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四国から山陰へ('97GW) --あとがき
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あとがき

★こいのぼり今の季節は、どこの集落でもこいのぼりを見かける。四国の山中や漁村で、数え切れないほどのコイが泳ぐ。子供が生まれた時の感動をふと思い出す。

少しでもみんなに見てもらいたいという気持ちで、コイを縦の棒に付けるのではなく、ロープや横棒に付けてぶら下げるという工夫も至るところで見かけた。その独特の景色を愉しみながら走る。

何げなしに目に飛び込んで、薫風に揺れている姿がほのぼのとして疲れを忘れさせてくれる。ノボリもこの地方では多い。ただ、やはり気になるのは、このこいのぼりの姿がひとつもない山村に時たま出くわすことだった。子供がいればまず必ずひとつはあがっているだろうから、その村には子供がないということか。いつか、村に人がいなくなる時が来るのだろうか。

ふと現実に帰ってしまう瞬間であった。

★れんげ畑れんげ畑が少なくなったなと感じる。

今に始まった訳ではないと思うが、あの濃いピンク色の絨毯を見るとれんげに埋もれて寝転がって空を見上げた子どもの頃を思い出す。四国より中国地方のほうでたくさん見かけた。すでにたんぼに水が来て耕されてしまっているところも多いが、水の分配の事情もあるのだろうか、れんげ畑が一面の谷もあった。

麦の穂はまだまだ青い。あとひと月ほどで黄色くなるだろうか。土の香りがすると来て良かったなあと思う。

★人生の縮図チャリダーのツアラーさんと言葉を交わした時に彼がひとつの感動を話してくれた。

二人のヤンキー娘が峠に座っていたので視線が合わないように必死でペダルを漕いでいたら追い抜いた後姿に向かって「ファイト!」と言ってくれたという。一日中雨で、カッパを着ていた日だから感動が二倍三倍だったようだ。

雨の日は嫌だと思うから暗くなる。迷子の子どもは、自分が迷子だと気付かないうちはまだ迷子ではなく、迷子と気付いた時に初めて迷子となり、泣き出す…という話を誰かが書いてましたね。雨についても同じ様な筋で問答していけば、気が晴れるかも知れない。

良いこともあるだろうから、苦にせず走ろう。「ツーリングは人生の縮図だ」ってたいそうなことまでいうつもりはないが、そう思うと元気も出るね。

天気も変わる。出会いも感動もある。もちろん冒険をすることがある。したがって道草も喰う。

★ 情報武装どこに行くにしてもあんまり情報武装をするとツーリングの味を落とすことになりかねない。思うままに走ったら取りこぼしがあるかも…と心配する気も理解できる。しかし、行けないところや知らないところが少しくらいはあって、帰りの船や帰路などで会った人との会話で初めて知って、悔しがったほうがまた今度行こうってことで再訪をする機会も増える。それを何度も繰り返している間に自分のツーリングが出来るようになるのではないか。

あまりにも過度な情報武装は冷めたツーリングになってしまいそうだ。行く前から感動し始めているようでもある。そんな話をYHの同室の子などと話した。

西四国を目標にあげながら山陰に行ってしまった私。四万十川に行かなかった理由が自分でもわからないのだけど、今回の四国の旅の途中で出会った子たちがその川の名を出すことが多かったので、潜在心理的にブレーキがかかったのかも知れない。もっと、偶然の気持ちで四万十川に行きたいのだろうな。

★こだわり

毎度、書きますが、「こだわり」というのはその人だけのもので「竜馬はここから海を見たのか…」とか「山頭火がここでこの句を詠んだのか…」という程度のことです。他人にとったら只の砂浜、只のあばら家です。しかしそこにある音に耳を澄ますと、現代の雑音が消えていくから不思議であります。

ある森である人にここで聴こえる音は?と質問をしたら、鳥の声、木葉の音、沢の音、…風の音、という。自動車のエキゾーストもあったが、風の音の方が耳に残ったようだ。何れにせよ、こだわりをなくした時がツーリング人生の終焉であります。

★種田山頭火のこと彼を好きになる人とその逆の人と、これ程までに極端に好き嫌いが別れる俳人も珍しかろう。

ただの行乞だといえばそれまでだが、この生活の中にひとつの哲学を感じとり、それに芸術性までも感じるのは私だけではないようです。

同じ松山市内に正岡子規の記念館(行かなかったけど)があるのもイヤミにも思えますが、どちらの俳句が素晴らしいとかいうのではなく、ストレートに神経を刺激してくれます。

名もない草のいちはやく咲いてむらさき   山頭火

★レポートに出てきたキーワード

R195,四ツ足峠,山藤(やまふじ),剣山スーパー林道,べふ温泉,美人肌系,定福寺YH,R439,大峠,檮原町,関門の関,維新の道,松山YH,道後温泉,椿湯,種田山頭火,一草庵,神話街道,出雲そば,玉造温泉,松江YH,小泉八雲,松江城,湯村温泉,荒湯,浜坂YH,ほたるいか,但馬漁火街道,鎧駅,宮本輝,海岸列車,寂光院

金鳳花(きんぽうげ)摘まれてポツリと居間で散り  ねこ作(浜坂YHにて)

御礼:長々と書きました 読んでくださった皆様に感謝します

(終)

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