« 98年:四国地方と中国地方を行く (4/30-5/5) | トップページ | 95年:紀宝~本宮~龍神~潮岬<紀伊半島> »

2009年5月11日 (月曜日)

1999年:GW:晴れのち晴れ<四国>

1999年:GW:晴れのち晴れ<四国>

----------

<足跡>

29日:松阪~和歌山…徳島~剣山~ものベ村

30日:ものベ村~さめうら~瓶が森~石鎚~四国カルスト~梼原~宇和島

1日:宇和島~四万十川~くれ・大正市~梼原~四国カルスト~R439途中野営

2日:R439~R438~徳島…和歌山~松阪走行距離:約1300キロ

<まえがき>

出発の前晩に娘が洗面所の鏡の前にいた私の後ろに来て並んだ。いつのまにか背が私の肩を超している。旅に出る「ためらい」を少し感じてしまった。生まれたばかりの赤ん坊の時、母娘を残して北海道に旅立ったこと('89)があった。私は、悪い主人なのかも知れない。

「雨、降ったらどうしようか…」と私が呟いたら娘が、「お父さんは雨男やからなあ…」と言ったあと、「(私は晴女やから)就学旅行の間は晴れやろう」と慰めとも激励とも解釈できることを言い、肩をポンポンと叩いた。小憎らしい。

4月に仲人をしてれた伯母さんが亡くなった。その仕上げの法事が29日の夕刻からあったのに「ツーリングは天気次第なんやから…」と言って私の味方をしてくれたうちのんの言葉を胸に言い訳がましく法事を欠席し(実際には私が出発したお昼頃にうちのんが欠席の電話を入れたと思う)、当日の朝に家を出る。これを逃したら家を出れなくなる。明くる朝だと娘が就学旅行に出るから、それを見送る先にも後にも気持ちが弱り迷いが生じることは容易に想像がつく。長期予報はしばらくの間、晴れだと告げている。

そういう訳で、皆さんに感謝しながら、また、旅に出ることを許してくれる家族にも感謝して再び四国へ出かけてきました。

さて、クイズです。

今回の四国は今までとはひと味もふた味も違った。それは、どういう点で違ったでしょうか?三択です。

(1)ステップ・スリスリ…四国的・長くて、細くて、曲がりくねった、峠道、山道を

(2)カウル・スリスリ…四国的・峻険・山岳・林道での闘い

(3)ほっぺ・スリスリ…説明は不要でしょうが、「ぎゃる」のほっぺらしい夢と混同してる?

答は…。まあ、いずれわかるとして。

話題が多くありすぎて前書きでは語れませんです。

瓶が森林道も走ったし、維新の道も辿った。カルストでは嬉しい出来事があった。今までに行ってない峠にも行ったし、ライダーズ・インにも泊まってきた。

極めつけ?それは、二人の女性の話です。ひとりは、四万十川のこいのぼり公園の前で立ち話をした、どこぞのアナウンサーさんみたいな雰囲気の女性。もうひとりは、四国カルストの大野ノ原で地質調査をしていた大学4年生(本人は4回生といってましたが、私の出身では回生とは言わないのでよく分かりませんが4年のことでしょう?)ともお話をしたのですわ。(工学者のねこさんが理学に憧れるロマンの話をたれてしまった。彼女はつまらなかったかな。私も昔に地学科を受験したのだ。何故か不合格だったのがいまだに腹が立つが…)その子は愛媛大学の理学部の子だった。おーい、名前くらい聞いておけばよかった…。

懲りずに、R439(東方面)も走ったよ。鯛飯も食べた。「大正市」でカツオも食べた。(特集をした号の)アウトライダーのコピーを持った子まで居ました。ミーハーでもいいから食べてみるのは、突撃ツアラーの必須条件。

黄金週間のレポートの嵐のなか、私のレポートなんて、面白くも何ともないだろう。でも、四国の魅力をダイジェストで回りたい人は私のレポートを参考にしてみてください。三泊四日。ひとつのヒントが出るといいですね。峠越えリンクや美味リンクにも書いていきたいと考えています。

----------

晴れのち晴れ(2)<四国>

<まえがき(2)>

なんか、私のツーレポっていつも「まえがき」ばかりが書いてあって、本文がほとんど無いようなものばかりなんだな~。だから、いっそうのこと素直に「まえがき(2)」とします。そうだ、ついでに誤変換を訂正しておこう。娘の「就学旅行」と書いたのは「修学旅行」のミスですね。もちろん他にも幾らでもあろうが、意味が通じればとりあえず許してください。さあ、続きです。

今回のツーリングは晴天に恵まれて、とても幸運でした。今までは必ず(100%)カッパを着なくてはなりませんでしたが、今年は雨とは無縁で帰って来れそうです。予想によると、3日頃から雨だという。そして5日の子ども日は晴天が戻るのか。94年の九州の時の天候パターンと同じかな…なんて思いながら荷造りをしたんです。うちのんには3日分の下着を用意して欲しいと頼んだりしてるので、やっぱし潜在心理として早めに切り上げてくるつもりだったんでしょうね、自分でもこういうところは曖昧だったりします。(メモ:実際にこの日記を書き始めた3日は晴れ、4日は朝から雨。でも5日は晴れるか)

もうひとつ。大誤算というか、大きなミスをした。衣類を持つのをケチったことだ。きちんと計算通りに巡ってくる天気の崩れと、連日の晴天での暖かさ、革のツナギはお風呂での脱衣などが面倒、テントの中での着替えも荷物として持てない…などの理由でツナギのズボンだけ履いて行ったんです。上衣はシャツとトレーナ、3シーズンのジャケット…。これでは寒いわなあ。去年まではトレーナーの上にツナギを着てさらにジャケットでしたから。革が一枚少ないことになります。しかも予備は持たなかった。

それにしても、昔と較べると早朝出発をしなくなってきました。老化のせいか早起きは得意なんですけど、走り出すのに一歩が出なくなったというか、暗闇でそっと出発をするより、家族の顔を見てからでないと出られなくなったというか。これは家族にも指摘を受けてます。いや待てよ、早く帰ってきたのもこういうことと関係するのかな。

そんなこんなで、29日の朝に出発となりました。

(いよいよ、この後、本文に入ります)ねこさん

----------

晴れのち晴れ(4/29)<四国>

<松阪~和歌山まで>

99.4.29-1

出発です。本格的に荷物をKLEに積むのはこの旅が初めてだった。要領が悪い。積載性が高いので大ざっぱに積んでも幾らでも積めるのは良いのだが、後でカメラが欲しい、手帳が…と思い付くものは大方、簡単には取り出せない所に入れてあった。タンクバックをリアシートに着け、デイパックをまだその上から載せたので、重要な荷物を今まで通りタンクバックに詰めていたことが原因である。即座に取り出せないという不具合が発生した。他に荷物のない時はそれでいいが、荷物の詰め方や積載は最初から考案し直し今後の教訓とすベし。

そんなことを考えながら、色々と荷造りの反省をしたり、これから走るルートを頭で絵描いたりしながら、走り慣れたいつもの道をトレースする。予測時間にほとんど狂いが出ない。それを自分で納得する瞬間というのは何とも言い難い快感だったりする。高見峠も吉野の町も、R24もいつものように問題なく通過。フェリーの出発時刻の約10分前にチケット売り場に到着した。それほど混雑してない様子で、口に切符をくわえて乗り場に急行。乗用車が半分ほどで出帆となった。

<船の中>

99.4.29-2

いつもなら海の向こうに霞む島々を眺め潮風に吹かれているのだが、どうしてか地図も見ないで眠っていた。漠然と剣山を目指して物部村に行けたらいいだろうなんて考えてる。こういうのを「KLE効果」というのかもしれない。

<さて、剣山へ>

99.4.29-3

KLEに変えてから行く道のことであれこれと煩うことがなくなった。たいていの道なら走れてしまうので無頓着になったらしい。その分、気が付いたら行き止まりだったってことも増えたが…。

これから剣山に向かうルートは、徳島市→勝浦町→上勝町→八重地トンネル→木沢村、とすることにした。四ッ足峠も土須峠も過去に通っているからということ、確かゾラさんのCB750でのレポートにこの峠が登場した時に行ってみたいと思ったことが大きな理由である。つまり、彼のレポートを拝読してからずっと気に掛けていたこの地を訪ねる日がいよいよ実現する時がやって来たわけである。(→97年の秋のレポートなんだな。なかなか名作ですな。改めて読んでみました。読み入ってしまったわ。>ゾラさん)

生コンのトラックの後ろについて峠道を上る。しかし、仕事でこういう峠を日に何度も往復する立場になったら、こんな私のように暢気に峠を楽しんでおれまい。乗用車だったとしても嫌になるような細くてきついカーブを次々とクリアして行くトラックの運転手さんの技術に感動しっぱなし。

およそ四国の車のマナーは良いのはこういう道が多くお互いに譲り合わねば暮らしてゆけないからではないか。この後も走っていて気持ち良いマナーに何度も出会ったのは嬉しい。ちょっとマナーに味があると私は感じている。

<八重地トンネル>

99.4.29-4

素晴らしい峠だ。特に、西側の景色は申し分ない。「四国らしい景色」としか表現できないが、谷が連なる果てに木沢村のパワーを感じる。徳島を出てからタラタラと上って来たけれどトンネルを出て景色を見たら言葉にならない言葉?が次から次へと口をつく。独り言が連発して出るようになると調子がいい証拠だ。

しかし、私はここを下って剣山スーパー林道を越えて物部村へ行こうと思い始めている。同時に予定時間に狂いが生じていた。予想以上にこの峠を越えるのに時間を要したからある。時刻は4時を回っていたかも知れない。徳島港を下りて2時間が過ぎている。

トンネルを出て下り始めると尾根筋から谷へと一筋の道路が見えた。初めての四国の時に越えた土須峠からまっすぐ南下してくるR193である。久しぶりの対面に気持ちが揺れた。あの道が私を四国ファンにしてしまったのだから。

<四季美谷を経てスーパー林道へ>

99.4.29-5

道路工事(時限通行止め)がやたらと多く、作業用の重機が行く手を阻む。バイクだけを通すなら作業車ごと動かす必要がないので、しばし機械を止めて脇を通してくれることが多い。工事のおじさんに「物部村に行こうと思うんですが」と止まったついでに話しかけたら(この地方の言葉で)「今ごろからスーパー林道に入ったらいつ出て来れるかわからない」と話してくれた。近道をすることを薦めてくれた。四季美谷を越えて行くのが一番近くて早いという。時刻と宿泊場所を考えて、とっさに剣山林道は帰路で行こうと私は決めていた。

<剣山スーパー林道・通行止め箇所あり>

99.4.29-6

四季美谷を越えてしばらく走ったらまた工事があって、やはり何気なくおじさんに世間話を仕掛けたら行き先の話になった。そこで剣山林道に入っても物部村には工事で抜けられないことが判明した。幸運なのか不運なのか。R193まで引き返し、木頭川沿いに下り那賀川の出合橋まで行き、そこから四ッ足峠越えをする。時刻は無常にも過ぎ、腹のすくことさえ忘れて私は走っていた。今日の食事は、出かけ前にポケットに入れたおにぎりを1個をやっとのことでフェリーの中で食べただけだったので、物部村に行ったら何かを喰おう。

<べふ温泉>

99.4.29-7

いやあ、四国屈指の美人系温泉のべふ温泉の前を通ったら寄りたい。でも腹が減ってるし、峠を越える頃からいっそう寒さが増してきたので湯冷めと寝場所が心配だ。あまりの寒さのために、まず徳島市内でデニムの上着を買って着込んでいたが、それでも寒さは厳しく、すきっ腹には堪えた。

温泉施設の近くに野営可能場所を見つけた。しかし夕食の材料を買い出すのに一番近い店は物部村の役場付近だそうで、夕食材の買い物をして往復したとすると1時間ほどが必要になる。(べふ峡温泉施設のフロントの男性の話)悔しいけど、湯冷めも出来ないので、温泉には入らずに山を下り物部村のライダーズインの近くまで来て、物産館で食事をして、その足でライダーズインの受付に寄った。

<ライダーズ・イン・奥物部>

99.4.29-8

名前を募集したときに応募して落選した。ま、然るべき結果なのか、何であんなに素晴らしい名前を考えたのに落選なの?って少し思ってる。絶対に泊まらないからね…。そんな気持ちもなきにしもあらずだったが、背に腹は代えられないので受付に行って「空いてますか」って尋ねた。最初に「ハイ」という応えが返ってきたけど、予約者じゃないことがわかり「満室です」って断れた。

「少し下にあるアンパンマンワールドの近くの道の駅で野営は出来ないでしょうかね」尋ねたら「ダメと違うかな」と冷たい返事。仕方ないのでロビーで休憩をさせてもらいながら世間話を受付の女性に仕掛け、今夜の野営場所を考え始めると「ロビーで…」とおっしゃる。受付の女性は天使のように見えてきたぞ。溢れた人を見殺しには出来ないからか、簡易ベットで寝かしてくれると言う。料金は1000円+ベット料200円。

自分の部屋を借りて温々且つゆっくりしてるのだろうと推測できる人たちがロビーへ酒を飲みに来たりテレビを見たりしにやって来てくつろいでいる。結構惨めであった私。でもお安いのは有り難い。ロビーの使用は満室の時に飛び込みの人があった場合に対応してるだけらしい。

早々に寝ておよそひと眠りした頃、オーナーの人だろうか。ロビーの戸締まりをするために来られた。ロビーで寝ている私をみて細い声で「お客さん、キャンセルの部屋がひとつありますから、いかがですか、どうぞ」と声を掛けてくださった。「もう千円払いましたし…」と私が言うと「いいですから…、折角、旅に来てるんだから…」とおっしゃる。旅の心を理解してくださったオーナーさん。ありがとう。お世話になりました。後日、宿泊した宇和島YHのPさんとこのオーナーの方とを比較して、「旅心の触れ合いがどこまで分かって、それがどれほど重要か…」ということを終始、走りながら考え続けさせられる。宇和島YHのPさんの話はその場面で書くと思う。

その夜は、この時期にしてはやや冷え込んだんではなかろうか。私の枕元に置いた温度計は明け方に見たら5℃近くだった。板間に寝袋だけで5℃だと少し寒く、朝方に目が覚めて眠れなくなった。もしも、べふ温泉の前でテントを張っていたら、テントの中の温度はどんなもんだったろうか。そう思いながら、うつらうつらとしている間に夜が明け始めた。

29日の夜に物部にいた人たち。寒かったよねぇ。

<img  src="http://bike-tourist.air-nifty.com/photos/uncategorized/2008/01/25/scan0060.jpg" border="0" style="float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;" />

----------

晴れのち晴れ(4/30)<四国>

<物部村を出発する>

99.4.30-1

昨日の管理人の男性は、たぶん、オーナーさんだろう。隣の隣の部屋で自分も寝ていたらしい。朝になって事務所の鍵を開けにそこから出てきたから。愛想が素晴らしく良くて、こりゃあ、私の口から「奥物部」を宣伝してもいいんじゃない…なんて考えてる。ほんと、好印象でこのライダーズインを旅立つ。オフロード車が多く20台ほどのバイクの中にわずか2台だけがオンロード。剣山に来た人たちが多いのだろう。私はライダーズインが気に入ったよ。

<早明浦ダム湖を経て寒風山方面へ>

99.4.30-2

眠れない夜中に月明かりの下でコースを考え続けた。維新の道を目指して須崎から東津野を目指すか、それとも瓶が森方面にひとまず行ってから南下して、カルストを経て梼原に入るか…。結局の決断は後者で、早明浦のダム湖畔を走ってみよう、快適そうな道みたいだし…ということになった。このダム湖の湖岸道路もやはり四国の道だった。オンロードで法定速度のワインディング好きっ子さんにはお薦めできます。気分転換にもこういう道を走ってみるのがいいかな。でも、ちょっと気分転換には長すぎるかな。ほんと四国の道はタイヤの隅々まで使わないと走れない。ステップまで減る。

<瓶が森林道>

99.4.30-3

6割が舗装されてしまってる…と残念がる人もいます。確かに気持ちもわかるが、産業の発展のために貢献するなら仕方あるまい。走る前にはそう思っていたのだが、どうもこの林道は、観光林道を目指そうとしているように私には思えてならない。景色も素晴らしく多くの皆さんに開放することに反対をしたくない。しかし、これだけの大自然の中に排気ガスをまき散らすのを許すのは決して正しい判断とは思えない。排気ガスの少ない一定料以下のエンジンだけに限定するとか、環境対策車を選んでOKとするとか、斬新な方法で乗り入れを規制しないと石鎚山系の自然が危ないかもしれない。剣山と石鎚山。それら双璧は私を裏切りはしなかったのだが、自然を半耐久消費資源にしたらアカン。

瓶が森から石鎚山への道も楽しい。オンでもオフでも楽しめる。

<img  src="http://bike-tourist.air-nifty.com/photos/uncategorized/2007/12/08/kamegamori_2.jpg" border="0" style="float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;" />

<石鎚からカルストへ>

99.4.30-4

1日に二つのスポットを一気に回ってしまうことになる。なんだか感動が薄れるようで、もったいないか。旧スカイラインは有料道路時代の石鎚スカイラインと何にも変わっていない。走りながら昔見た景色を思い出している。不思議なもので、一度しか見ていないスカイライン周辺からの景色が再び走ってみて甦る。あの時に何時間も昼寝をしたベンチ、飯を喰った食堂など、次々と思い出してしまう。

<さあ、カルストへ>

99.4.30-5

R33号線に分かれを告げてR440号線に移る。この上り口の雰囲気がまたイイ。これといって何が見えるわけでもないが、これほど地芳峠ってよかったかな。R440に入ってからの上りってこんなに長かったっけ。記憶というのは曖昧であったりハッキリしていたり色々だ。初めて地芳峠を訪れた時は天狗高原から入って地芳峠を下って石鎚山に向かった。簡単に峠をパスした記憶があるが下りだけだったからだろうか。改めて上ってきて、いい雰囲気に満足。

<天狗高原から>

99.4.30-6

またも初めての時の記憶を遡ってしまう私がそこに居た。過去の思い出を少しづつ辿り、美化されたものは一掃し、新しくなったものはインプットし直す。あの時は天候に恵まれず霧のカルストだったかもしれない。ちょっとセンチになっている自分に「過去を忘れてしまうことも大事じゃないの」なんて言い聞かせてる。そんな独り言を繰り返していた。それにしても今日は雲ひとつなく、気候も昨日より少し穏やかである。だからいっそう嬉しい。ただ、バイクが少なくピースのチャンスがあまりないのが寂しい。

恋人同志と思われる二人が私にシャッターを頼む。ヘルメットを被ってから頼むので少し不機嫌に「いいですよ」とこたえた自分が嫌いだった。「二人はどちらから?」と尋ねたら香川から来たという。私がセンチメンタル・ジャーニーだからっていって妬いているみたいだったので、自分に言い訳しながら讃岐うどんの話をし始めると人懐っこい顔でその美味しさの話をしてくれる。女性の髪が風に吹かれて顔を半分覆う。それを手でかきあげる時の涼しい顔がイイ。

おいおい、天狗高原の雰囲気を何も書き留めていなかった。でもカルストの景色はツーリングマップルの表紙に載ってるからいいか。梼原の牛は褐色の毛であれは珍しいかもしれない。

<東津野城川林道を見おろす>

99.4.30-7

カルストからR439に降りて行く道を国民宿舎の所から見おろしたら、まっすぐの道が山の中に伸びているのが見えた。昔の道が新しく広くなったんだと思って下ったらすぐにその道から外れて細くて曲がりくねった道の方へと標識が導く。じゃあ、あの道は何?後でわかるが、そう!あの道が「東津野城川林道」で、全面舗装で2車線。有料道路みたいな道が出来ているから、驚いた。県境の方にさらにもうひとつこんな道があるんだな。もうひとつ、私のTMには名前が掲載されていないが高研山トンネルの西から韮ヶ峠までの林道。何を考えてるんだろう。>森林開発公団さん

<四万十川・源流へ>

99.4.30-8

雨の降りしきる中、矢筈トンネルを越えた過去を思い出す。源流までGSXで行くことを迷ったんだなあ。そのあとYちゃんはCBRで挑んだんだった。さて、再挑戦だ。すっかり馴染みになってしまっているR439のこのあたりの道を快適にとばし、トンネルを抜けていざ源流へ。KLEは、耕運機みたいな排気音なのがちょっと気にいらないが、ダートもオンも万遍なくこなしてくれるので頼もしい。思ったより長かった源流までのダート(バイクを置いて歩いた人は片道1時間くらいと話していた)を走り終え源流の碑の所まで到着。バイクが10台ほど、車も数台いた。少し佇みそこを発った。徒歩で25分ほどで本物の源流だが、そこまでは歩かなかった。私にしたらこれで上出来だ。

<梼原から宇和島へ>

99.4.30-9

昨晩が寒かったので、今夜は布団で寝たいと思った。カルストから宇和島YHに電話を入れて予約を取っていたので、梼原の「雲の上」に寄ったりしながら道草を食って宇和島にやってきた。

<宇和島YH>

99.4.30-10

Pさんは、エンデューロ(ED)をやってるらしい。バイクのことになると結構、熱が入って、マシンの話やレースの話が好きな人ははまり込むでしょう。私は旅人ですから、レースやマシンがわからず、ちょっと物足りない。いい人なんだけど、彼は少し無愛想なんだな。四国共和国に入会するときも味気ない説明というか、仕事中の公務員さんに道を尋ねた時と野良仕事のおばちゃんに道を尋ねた時の差のような…。慣れればリピータになるかも知れませんが、旅人の中には嫌う人もいるかも知れない。田代まさしみたいな感じの顔の人っていうと思い出す人もあるのでは。美味しい夕食を頂いてのんびりして、体も温めて、その晩はゆっくりした。

そうそう、このYHはバイク置き場に気を配ってもらってある。屋根付き、ブーツ置き場あり、メットを置く棚もある。グルメの方は夕食も楽しみかも。私は大食いで酒のみですから、松山YHで頂いた食事の方がボリュームがあったと思う。Pさん、表現が乏しいだけなんだろうけど、旅心をくすぐるような雰囲気がもう少しあればいいのにな…って思った。せめて出かけ前の私たちには声を掛けて欲しい。

ねこさん

----------

晴れのち晴れ(5/1)<四国>

<四万十川を走ろう>

99.5.1-1

瓶が森やカルストでは、予想を裏切ってバイクが少ない。平日の土曜だったからなのか。昔と較べたらすぐに人恋しくなってしまう、そのくせソロだと自称してる…。弱くなった自分を嫌いになりながらも、まあいいか、四万十川の川沿いを走ってみよう。カツオを喰いに寄って、R439を経て定福寺YHへ…と算段をたてたが、実際は如何に…。

<四万十川沿いはキャンプ適地の宝庫ですね>

99.5.1-2

西土佐村で支流の吉野川が本流に合流する。そのポイントの河原でキャンプをして、さてこれから…と思案中らしきひとりの女の子に話しかけた。いいキャンプ場だったという。ちょっと石ころが大きいけど、人も適度にいてくれるので女性でも安心だっただろう。川沿いはキャンプ適地の宝庫である。彼女のようなヒッチハイク?の徒歩ダーも数多くいるようだ。もちろん車の旅人も多い。

<川沿いから迂回>

99.5.1-3

半家という集落あたりで迂回を強いられる。時限通行止めで急ぎの人は民家の中を縫うように走って、こいのぼり公園の手前まで行く。すごく得した気分である。快適道路もいいのだけれど、四国の民家の中のクネクネ道は、最高に情緒がある。去年、京柱峠で迂回をしたのを思い出した。

エンジンを止めて、農作業をしている夫婦の人に声を掛けた。土にビニールをかけている。

----それ、何ですか?

----オクラだよ(地元のアクセントで)

<こいのぼり公園>

99.5.1-4

狭い道からまた国道に戻ってしばらく走ると「こいのぼり公園」というのがあった。(公園の名前は後になって知った。)そこでひとりのジェベルの女性がバイクを止めている。バイク乗りの人影があったので(しかもそれが女性だったから?)私はウインカー出して反対車線の彼女のバイクの後ろに止めた。----人恋しくてね。話がしたくなりました。こんにちは。と言って話し掛けた。

彼女はカメラを手に佇んでいた。カメラが好きで中古で買ったというFAを持っている。こいのぼりが頭上に泳いでいる。さほど記憶に残らない話をだらだらとして、エンジンも冷え切ってしまうぞ、というくらい長い話の後、お別れする。彼女は岩本寺を出て今日は宿毛YHへと行くらしい。

うん、私らしさが戻って来たな…。そんなイイ感じ。

四万十川沿いでは、ピースが飛んだ。オーバーアクションのピースも登場し、雰囲気が盛り上がる。

<道の駅・大正>

99.5.1-5

今日はグルメで行こうか。ぶつぶつ言い始めた。やっぱし調子がいいな>私。おでんを喰う。テントでやってる店は、町おこしのグループの皆さんがやっているんだという話など、他愛もない話を(仕事の邪魔をなっただろうなと後で反省)しながら、「土佐のかつおを食べたいんですけど…」と切り出した。

「くれ」に行きなさいよ、と教えてくれた。「くれの大正市」そういうキーワードを胸に中土佐に向かった。

<大正市場@中土佐>

99.5.1-6

中村街道に4月に新しくできた道の駅があった。どのあたりだっけな。窪川を過ぎていたような記憶がある。そこの道の駅のテントで「うどん」と「鯛飯」を食べた。カツオが待っているのに何と大胆な…。食べた理由はお店のバイト?の彼女が愛想が良かったからというだけの理由だ。折角だから、鯛飯の炊き方の講義をしてもらって(と言っても雑談ですけど)「大正市」の情報も仕入れていざ大正市へ。

「くれ・大正市場」というのが正しい名称らしい。地元の人は大正市というように呼ぶらしい。すこぶる分かりやすいところにある。バイクが何台も止まっていた。ひとりのライダーに声をかけ、バイクが多いね、と言ったら、アウトライダーに四国が特集されたと言う。この大正市場もその中にバッチリ載っており、コピーまで見せてくれた。バイクが集めれば気分が盛り上がるというメリットがある。そこで、四万十川の源流で昨日、出会った人に声をかけられて、はっと驚く。いよいよ気分が高ぶる。

商店街は意外と小さく、京都の錦市場みたいなのをイメージして行ったが、嵯峨野の公設市場みたいな感じ。乾物屋のおばさんは店の前に腰掛けて、ハエタタキで蝿を追い払っている。

<岡村商店@大正市場>

99.5.1-7

イイ店があるんです…と店の名前を教えてくれたバイクの人がいた。昨日も買ってキャンプ場で食べて、今日もまた買って行くという。そのお薦めの店は市場の奥を更に曲がったところにあって、何とも寡黙なおじさんが包丁でカツオを捌いていた。

----タタキが美味しいそうですね、はるばる食べに来ました

----そう・・・…

----立ち喰い、出来ますか?

----ああ

----タタキとナマはどっちが旨いですか?

----どっちも旨いよ

バイクが多いらしいですね、雑誌に載ったらしいから、というと息子らしい人がそばを通りかかりに、そうでもないかな…って相づちを入れてくれた。

----ひと皿、いくらですか?と尋ねたら300円だと奥さんが脇からで教えてくれて、それを頂くことにした。さっさっと捌いて、大根を切って盛った皿にワサビをぬって、上から醤油をかけてハイッと奥さんが渡してくれた。

----旨いなあ

----そう感動する私に、気の利かない返事が返ってくる。親父さん。

----何故なのかなあ

----わからん(ほとんど語尾は聞こえなかったが)

そのくせ、鯨が捕れる話をしたり値段が安い話などをすると(要するに明確な答がある場合は)ハッキリと、「最近は鯨が他の魚を食べるので捕れってことになって、少しづつ捕ってる…」(一番長く話したのがこの言葉だったか)なんて応えてくれる。しかし、また行って喰いたいよって思わせる店でした。もし事前準備をするなら、ご飯でもおにぎりでも買ってからいらしてください。

<定福寺YHは休業中>

99.5.1-8

高知市街を避けて吾北を経てからR439を通って定福寺へ…と考えていた。電話を入れたら「喪中で…住職が無くなりまして。一度休むと再開が難しく…」残念な返事だった。住職とは一度だけ話した。何だったか(環境問題だったか)の話を一緒にしたような記憶がある。合掌。

<布施ヶ坂・道の駅>

99.5.1-9

電話を切った後、ミスコースに気が付いた。幸いなのか。何だかおかしいなあって思ってたら辿り着いたのは布施ヶ坂の道の駅だった。TMの同じページの上の方(吾北)に行く予定だったのに、またもや梼原に戻ってきた。この道の駅、許可を得たら裏の芝生のあたりで野営も出来るらしい。茶堂が保存されている。

<img   src="http://bike-tourist.air-nifty.com/photos/uncategorized/2008/01/25/photo.jpg" border="0" style="float: right; margin: 10px 10px 10px 10px;" />

<梼原>

99.5.1-10

天のお導きでしょうか。維新の道、竜馬・脱藩の道を、バイクが走れる部分だけ辿ってみることにしようと決断が固まってゆく。

実は、出かけ前に書棚を探って昔の一冊の本を引っ張り出した。それは司馬遼太郎さんの「街道をゆく・27」であった。出発前日の少ない時間に大急ぎで走り読みしても昔に読んだ記憶は戻らない。頭に何も残っていないが、気持ちだけは十分に熱くなっていたので、やはり、それが梼原に私を導いたのだろう。

<韮ヶ峠へ>

99.5.1-11

関門旧跡の前でひと息ついて四万川から坂本川沿いへとバイクを進める。六丁なんていう在所がある。坂本竜馬の脱藩の道は、この在所を最後に県道から少し反れるのでそのまま韮ヶ峠を目指す。高知ではミニバイクに乗った制服の女子高校生をたくさん見かける。このあたりでちょうど学校の帰り時刻だったのか、颯爽と走り来る高校生とすれ違う。ピースをしたいのだが、我慢である。韮ヶ峠では、高研山トンネルの西から続いている舗装林道と合流する。林道といっても二車線の上級の舗装道路だ。

<img  src="http://bike-tourist.air-nifty.com/photos/uncategorized/2008/01/25/dappanimitisirube.jpg" border="0" style="float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;" />

<img  src="http://bike-tourist.air-nifty.com/photos/uncategorized/2008/01/25/scan0064.jpg" border="0" style="float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;" />

竜馬は、この峠から生まれた土佐の町を振り返ったに違いない。そしてこれからの時代への夢と大志を抱いてこの峠を下ったのだろう。桧の植林が整然とゆき届いたこの山岳地帯の峰の面影がその昔と何等変わりがないことを想像すると、ひとつの歴史なんて自然の生命からしたらちっぽけなのかも知れない。しかし、そのちっぽけな歴史を多かれ少なかれ動かしたひとりの人とその精神がこの峠で、もしかしたらある決意をさらに固くしていたのである。竜馬の脱藩は文久2年3月24日。桜は七分咲きの頃だったと司馬遼太郎著「竜馬がゆく」には記載されている。

<img  src="http://bike-tourist.air-nifty.com/photos/uncategorized/2008/01/25/scan0066.jpg" border="0" style="float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;" />

<img  src="http://bike-tourist.air-nifty.com/photos/uncategorized/2008/01/25/scan0065_2.jpg" border="0" style="float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;" />

<大野ヶ原へ>

99.5.1-12

カルストは、鶴姫平もいいが、大野ヶ原も予想以上に良かった。牧歌的というか、しぼりたて牛乳の看板が出ていたりして、趣がまた違う。カルストを東西に縦走するつもりはなかった。大野ヶ原から柳谷村を経て吾川村、R439方面に行き、明日には徳島から和歌山に向けてフェリーに乗ってしまうつもりだ。どこまで走れるか、を気にかけながら大野ヶ原を下った。

愛媛大学の理学部の学生さんに出会ったのはこの下りの坂道である。地層が露出している部分で何か観察をしているらしい。通りがかりの私は、初め、落とし物でも探して困ってるのかと思ってバイクを止めた。何をしてるんですか?と問いかけたら、地質調査だという。地学のロマンの話を聞きたくて、エンジンも止めて急ぎのことも忘れて、彼女から話を聞かせて頂いた。

最近では地学なんていうと地味な学問ですが、大いなるロマンがあっていいですね、理学は一歩、控えて見られますけど、私は好きですよ。今の時代は理学とか哲学とかが大事なんですよ。ロマンを学んで研究できるなんて羨ましい…。私も話し出したら止まらなくなってしまった。古生代の火成がわかる…なんていわれても、ピンと来ないけど、いろんな話が聞けて感動の嵐であった。学部のWEBアドレス、聞けば良かった…。

<さめうらキャンプ場まで>

99.5.1-13

大峠と郷ノ峰峠を越えて早明浦に向かう。何度も通って、その険しさや細さに驚きながらも、また通ってしまう。R439ってほんと不思議な魅力があります。ただ、残念なのは、いつも急いで通るか、雨にたたられているので、ほんとうにゆっくりとトレースしてみたい。二つの峠とも拡幅工事が着々と進んでおり、もう数年後には快適な道路になってしまうのでしょうか。

ダムの真下のキャンプ場に着いてテントを張ったら日が暮れた。夕食はチキンラーメン。

----------

晴れのち晴れ(5/2)<四国>

<さめうらキャンプ場>

99.5.2-1

このキャンプ場は、桜の花見をする公園って感じだ。トイレもあるが、ちょっと湿っぽいのと、蚊が多いことが難点だ。蚊取り線香がまさか必要になると思わない。家に全部置いてきた。だから虫よけのロウソクが少しあるだけ。効果があるのかどうか、不明。酒屋やスーパーが近いのは有り難い。最初、この場所に来る前に「道の駅・さめうら」の女性の方に野営をさせて欲しいとお願いをしたら50メートルほど離れた河原を薦めてくださった。その後すぐに私の地図を見ながらダムの下のキャンプ場も教えてくださった。スーパーが近いのでこっちにしたのだが。帰全山キャンプ場も棄て難いが、たぶん人気があるから、日が暮れるころなら張れる場所も限られるだろうと思ったし、行って一杯でまた戻るのも煩わしい。

チキンラーメンを食べて夕食とした後、少し飲んで横になった。明かりをロウソクに頼っているのは毎度のことだが、ここでひとつの大きな事件(ミス)を犯した。ロウソクをその辺に立てたまま眠ってしまったのだ。少し酔っていたこともあろうが、もう少しで「丸焼け」になってしまうところである。夜中に目が覚めて目の前を見るとロウソクが倒れている。あれー、もしも燃えていたらテントごと丸焼けだった…。その後、怖くて眠れなくなってしまった。それでも、少しだけウトウトして5時前に片付け始めて6時前にキャンプ場を出た。

<R439>

99.5.2-2

キャンプ場を出てから「さめうら・道の駅」で洗面を済ませて、さあ、徳島港を目指して走るぞ。

昨日、定福寺の息子さんと電話で話した時に、そちらから徳島までR439を走ればどれくらいですか?と質問してみたら、車で6時間をみておけばいいでしょうと教えてくださった。私が乗ろうとしているのは徳島港を11時30過ぎころに出るフェリーである。11時に着くとして5時間しかない。定福寺とさめうらを30分としても4時間半で走り抜かねばさらに2時間後の船になる。和歌山に2時に着いて松阪に明るいうちに帰り着きたいという想いが私を走らせた?まさか…。

R439をマイペースで走りました。そういえば去年は京柱峠の西側斜面で思いっきり迂回路を走らせてもらって嬉しい想いだったが、今年は四万十川で楽しませてもらった。京柱峠へ向かうルートは、結構、狭くて民家の軒も近いし、車にも時々すれ違う。峠の茶屋なんかで仕事をしてる人は毎日これを越えるんだなって思って走っていたが、途中で追い抜かせてくれたライトバンが茶屋の横に止まった時には、現実を見て複雑な感じ。だって、毎日こんな道を走るのはある意味では拷問かも知れない。私が旅人であったことを深く感謝する。うどんの一杯でも食べれるといいのだが、タイムレース状態であるから先を急ぐ。

<道草系を改めなくてはならないか…>

99.5.2-3

見ノ越まで48キロの地図が京柱峠にあった。見ノ越に着いたのが1時間後だった。そうすると平均時速48キロということになるか。そりゃあ、KLEのステップも擦りまくるわ。

ただ、このバイクの場合、バンクが浅いのか、バンクさせ易いのか、乗り易いのかわからないが、やたらとステップを擦る。特に右の方が多い。右バンクは(高校時代に右足に2学期じゅう休むような事故に遭い)苦手な方であるにも関わらず擦るというのは理由がある。簡単。右カーブの方が道幅分コーナーのRが大きいからスピードが出ている可能性がある。これは右も左も素直に乗れている証拠で、バイクの操縦性の良さを表していると思う。そういうことを考えて乗ってると嬉しくなって、耕運機みたいな排気音を思いっきりボコボコといわせながら峠を楽しんだ。決して道草系とは自称できないほど手首に力がこもっていた。平均時速を計算すると違法になったらアカンからしませんけど、10時40分に徳島港に到着しました。

<img  src="http://bike-tourist.air-nifty.com/photos/uncategorized/2008/01/25/scan0067.jpg" border="0" style="float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;" />

<img  src="http://bike-tourist.air-nifty.com/photos/uncategorized/2008/01/25/scan0069.jpg" border="0" style="float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;" />

フェリーの搭乗前にご一緒した三河ナンバーのYZF?氏に吉野を抜けて名阪国道へ行く道の近道の案内をしたかったが、私がGSに寄っている間に先に行ってしまった。鈴鹿市からきていたGPSバージョンのジェベルの人。物部のライダーズインでご一緒だったらしい。

<あとがき>

すべてが晴れに恵まれるというのは珍しい。雨に濡れて走るのは誰だって楽しくないと思う。きちんと雨具を装備すればそれもまた楽しいかもしれないけれど、晴れの方が安全に走れるのだから。

----あちらこちらで、みんなが言いあっていた言葉。・四国の林道を甘くみたらアカン・海沿いを回ったらアカン、山に行け

----確かにそうですね。山は峻険で谷は深い。民家は山の斜面に貼り着くように建ち、人は想いの深い言葉調で語り掛けてくれる。

----オフロード天国、四国。オンロードの人が少し肩身の狭い思いをしているかもしれませんが、負けるなかれ。オンロードでもR439は走れるし、地芳峠も走れる。舗装林道だってたくさんある。いろんな意味で楽しい。

----ミッションのテストみたいな峠、クラッチの耐久性をテストしてるみたいな山岳ダート。タイヤのテストをしてるみたいなワインディング。楽しませて頂きました。99年、GWの四国。

----携帯灰皿を持ってる人をたくさん見かけました。車の運転マナーのいい人をたくさん見かけました。無料のキャンプ場の整備もよく行き届いている。挨拶をしてくれる高校生や中学生。農道のおばあちゃん。親切に道を教えてくれる道路工事のおじさん。

----初めてツーリングに行く人で関心を持った人があれば、ぜひとも四国を走ってください。剣山、瓶が森、石鎚山、四国カルスト。3泊4日。いや、2泊3日でもいい。

« 98年:四国地方と中国地方を行く (4/30-5/5) | トップページ | 95年:紀宝~本宮~龍神~潮岬<紀伊半島> »

Anthology 旅の軌跡」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/46088/17826959

この記事へのトラックバック一覧です: 1999年:GW:晴れのち晴れ<四国>:

« 98年:四国地方と中国地方を行く (4/30-5/5) | トップページ | 95年:紀宝~本宮~龍神~潮岬<紀伊半島> »

写真日記(平成28年版)

  • 越乃寒梅
    平成28年の
    日々の写真に
    コメントを
    綴ります

写真日記(平成27年版)

  • 伊達巻
    平成27年の
    日々の写真に
    コメントを
    綴ります

京都日記(平成27年春篇)

  • 焼き鳥
    京都日記
    平成27年版の
    春の日記です

京都日記(平成27年7月篇)

  • 鱧のお弁当
    京都日記
    平成27年7月篇

京都日記(平成27年11月)

  • 渡月橋
    京都日記
    平成27年11月篇

日々是好日写真記

  • ハーモニカ
    860枚 平成18年から平成26年まで(写真日記)
2018年8月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
フォト
無料ブログはココログ