鬼を棲まわせる
鬼が棲む。
人は心のどこかに鬼を棲まわせてなければならない。それは、鬼に見張られているという意味ではなく、自分が鬼を慕っているということだ。
自分が成長して、自らの努力で実力が身についてきたとしても、常に自分を振り返る時間を持ち、第三者的または大局的に自省することが必要不可欠だ。
しかしながら、やはりいわゆる天狗になってしまうことは多い。
確かに天狗になることも必要だ。自信を持つこと、そして自分を褒め称えることは非常に重要なことで、偉業を成すときに、自負が無くては突き進まない。
だからこそ、いつも心に鬼が棲んでいなければならない。鬼は何を思っているのだろう…立ち止まって考え、自らを見つめなおし、鬼を伺うのである。
私の身近な所に、ちょいとジイサンになりかけの人がいる。定年を過ぎて2,3年。社会的地位の非常に高い職だった方なのですが、今はそれなりに肩書きを貰って先生と呼ばれたりしているのです。
ところが、ジイサンに限ったことではないのだが、心に鬼が棲んでいないなあ、と感じる。あらゆる行動を見ていても老人らしい「厚かましさ」や「無神経さ」が随所に出てきている。
もう、この方々を叱る人はこの世には居ないのだなとつくづく思う。他人から指図を受けることなく、悠々自適で歩んでいる。
(怖いものなし、等という表現が相応しいか)
だが、輝かしい実績や経歴を否定しているのではない。
「人の振り見て我が振り直せ」
まさに、自分にも言い聞かせねばならない言葉なのです。 ジイサンみたいに「厚かましいなあ」と思われたくないし。
« 春に咲く白きがゆえの悲恋かな | トップページ | 訳あって、いや訳もなく一人飲む »
「【雷山無言】」カテゴリの記事
- 鬼を棲まわせる(2009.04.19)
- 千円にすることの他に…(2009.03.19)
- 消えてゆくもの(2009.04.02)
- 迷う (拾遺篇)(2009.05.19)
- 次の世紀のエネルギーを考える(2009.06.17)
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/46088/44721428
この記事へのトラックバック一覧です: 鬼を棲まわせる:
コメント