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2009年3月 8日 (日曜日)

こころ 〔2004年6月初旬号〕

こころ〔2004年6月初旬号〕

夕刻、東の空を見上げると満月が出ている。雨が続いて空気が綺麗になったせいもあろう。ウサギの姿がくっきりと確認できる。

平安の人々のことを必ず想像してしまう。石油が起こす明かりは当然ながら無い。車の騒音もエアコンの熱も無い。しかし、夏の暑さは千年の昔も今も同じだろう。

人々は、同じ暑さを感じながらどうして不快な度数を異なって表現しているのだろうかと考えると、それはまさに自分たちが如何なるものであるのか、という意識の違いではなかろうか。自然には逆らえない無力のなか、自然のというものが科学によって証明されない状態で、そこには宇宙に飛んでゆくというような夢もなかった。

世界をひとつにし利益を貪ろうという強欲も生まれる前の、ある意味では純粋に文明を育んでいる時期である。

縁側を開け放ち、月の光を眺めて歌を詠んだのは、何も貴族だけでもなかっただろう。

庶民には庶民のうたがあったはずだ。子どもを寝かしつける唄もあろう。1日に感謝しながら、我が民族が身体の中に絶対的に持ち合わせた謡曲のようなものもあるだろう。庶民には言葉の遊びとしての抑揚を持った感情表現があった。それは梁塵秘帖や閑吟集のようなものでもあろうか。

今と比べて格段に弱くて非力な人間が、生きるということにしたたかであった足跡なのではないか。

インターネットに絡んだひとつの殺害事件が発生していた。心が荒んで貪り食われているのではないと思う。人間が無駄な時間を味わうことを美としなくなったからではないか。科学は哲学を持たずに歩き出してはいけない。

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