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2009年3月 8日 (日曜日)

個性  〔2004年5月初旬号〕

個性  〔2004年5月初旬号〕

私は右の道を選びたい、というときに、左を選びたいという人に出会うとしよう。とことん話し合いをしてもそこに解決の糸口がないことだってある。向こうが暗闇ならばなおさらで、どっちでもいいわけだが、人が人の上や下に居る構造を成し、名誉や地位を勲章のように見せびらかされたら、話は純粋なものからかけ離れてゆき、駆け引きの話になってくる。もう、散々、こういうことに心を煩わせてきた。社会の中では当たり前だという人の声が大きいので、煩うのを嫌がった人は、私のように負け犬である。

残念ながら私には勝負という概念がなかった。つまり、そこに名誉もなければ地位もない。大声を出してがなることも、大金を儲けようとする欲もなかった。そういう文化の中から、逆の文化に飛び込むと、最初は錯覚に陥ると同時に、自分の存在がすべて逆に見えてくる。詰まらないことまでが本当に当たり前のように思える。

前の職場では面白い風景があって、それはチャイムが鳴ったら養鶏場の鶏のように飯を喰いに食堂に駆け出す人たちが多い姿であった。決められたように行動するのは、職場を移ってきた私には、さながらロボットのように見えた。(鎌田慧さんの「ロボット絶望工場」というルポルタージュのようなもんです。) この人たちはもしかしたら、食事の際にまず何から箸を着けるかというような規則を指示されているのではないか、と疑ってしまった。廊下を歩くときには足並みをそろえるとか、髪が長いと散髪に行けとか、駐車場に車を止めるときには同じ向きにそろえて止めろ・・・など挙げればキリがない。そうそう、私がひげを生やしていたのを見て「剃れ」と言った愚かな人もあった。
…と、ここまで書きながら、昔の詰まらないことを思い出している自分がこの上なくアホに思えてきた。

まあ、「右の方法でやってください」と指示を受けたら「左でもやらせてください」と応えてしまう私には、同じ品質で大量のものをソツなく作り出す事業体や、作り出させるためのシナリオを書いている部門には、まったくもって不向きであったのであるが、気付くのが遅かった自分の戦略意識の無さを今更ながら情けなく思う。
ただ、しみじみと思うことがひとつある。近頃の人の多くがこのようにあれこれと規約のあるほうが心地よくある意味で楽チンであると思うらしい。自分で何かをすると言い出すのは自分の得になるときだけで、組織の中にいるときはあまり何も考えないようにしているように思える。(…というか得になるときの主張ばかりが目立つのだ。) あくまでも私の個人的な猜疑的推測であるけど。

人の顔は、たとえどれほど似ていても必ず区別できる。だったら人の心や心の動き方や感じ方も、顔と同じほどに区別できるはずではないか。そうであるのに、同じ服を着せ、同じ時刻にチャイムを合図に行動させ、あげくの果てに痛いとか痒いということにまで同期を取らせようとする組織があった。そういうものの存在は許すとしても、その有害性は許すことが出来なかった。

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