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2009年3月 4日 (水曜日)

阿久悠さん 〔2002年3月初号〕

02/03/11 12:36

阿久悠さんが、3月11日の中日新聞・朝刊にエッセイを書いていて、思わず切り抜いてしまったので、ここにアップしておきます。(OCRソフトでの読み取りなのでミスがあったら教えてください。)


音で分かる春の訪れ 3月

 体質的に寒いのが駄目で、冬の間は行動半径も狭くなり、思考の範囲も縮こまり、ひたすら、この季節が過ぎ去るのを待つような気持ちになる。

そして、句の根拠もないのだが、不還に見舞われたり、不幸がやって来るのは冬に違いないと思い込んでいる。

 そのくせ、書く詞というと冬の景色、冬の気分のものが多く、たぶんそれは何らかの代償行為かなと思ってしまう。辛さ、悲しさ、像さ、厳しさ、切なさ、いずれの感情もヒリヒリ感じる。体質的にといったが、ぼくは、テレビの画面で吹雪の風景を見ているだけで、風邪をひきそうになるのである。

 そんな冬嫌いであるから、数年前には、「春夏秋秋」などという詞も書いた。

 ♪ああ 私 もう 冬に生きたくありません春夏秋秋 そんな一年あなたと過したい…という調である。

 もっとも、この詞における冬は、現実の四季の冬というよりは、人生の冬の時代という意昧の方が強いかもしれない。

 ぼくは小説もたくさん書き、そのテーマの四分の一くらいは、日本の戦後とぼくの少年時代を重ね合わせたものである。記憶をまさぐりながら書く。

 記録よりは記億を大切にして書こうと思っている。記録は確認のために用いるに過ぎない。

 記憶が重要で、それは脳に刻まれたもの、皮膚感覚が忘れずにいるもの、心が条件反射で震えるもの、さまざまである。いずれにせよ、体感の記憶を大切にする。

 少年の物語であるが、ぼくの小説に登場する主人公は、実に老人のように季節の変化に敏感で、昨日と違う今日という感じ方をする。少隼が老人のように季節を愛でるのは、大人たちが季節どころではない飢餓と戦う生活をしていたからである。

 それで、ぼくは、少年にその役目を与えた。少年は四季と一体で花や虫のように日常そのものであったのである。その少年の目が倍の大きさになり、耳がパラボラアンテナのように開いて、自然の色彩と音色を感じ取ろうとワクワクするのは、冬から春へ一日にして変わる時のことである。

 瀬戸内海に面した海岸の町で幼少期を過ごしたので、ぼくは、風の音で季節を知る術を知っている。秋から冬は少し絶望的に、冬から書は希望的に感じる。

 冬の真っさかりには北西の風が吹いているので、終日ゴオーッと鳴りつづけでいる。雨戸に風の塊と、風が運んだ小砂利がぷつかる。それがある夜止む。ピタツと止んで静けさが訪れ、その静寂にかえって目がさめてしまう。

 しかし、その翌朝の雨戸を開けた時の感動は忘れられない。一夜にして冬が去り、春が訪れたことがわかるのである。空の色が違えぱ、海の色も違う。

 風の向きも変わり、鼻の頭をかすめる匂いは甘くなる、そして、一面の菜の花の満開に、その朝初めて気がつくのである。

 だから、三月は、そのときめきを書かずにはいられない。

 (あく・ゆう=作詞家・作家)


「記憶が重要で、それは脳に刻まれたもの、皮膚感覚が忘れずにいるもの、心が条件反射で震えるもの、さまざまである。いずれにせよ、体感の記憶を大切にする」
とかいていますね。

ともすれば、わたしたちは、記録を重要視してしまいがちである。

自分の頭のなかにしっかりと記憶できるほど、その時その時をしっかり生きなさいという暗示なのかもしれない。

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