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2009年3月11日 (水曜日)

ウィンドゥショッピング 〔2002年12月中旬号〕

ウィンドゥショッピング 〔2002年12月中旬号〕

▼ 先週末に、今年一番お世話になった人への挨拶を思いたち、百貨店を少しぶらついた。一年に数度しか街に出かけないので、心は子供のころのようである。歳末なんだなあと改めて感じながらスローなペースで歩いている。クリスマスプレゼントにするお菓子のブーツや洒落たパッケージ小物、人形、アクセサリなどが手ごろな値段で店に並んでいるのを目にすると、愛しい人に何かを買って帰りたくなる。サンタの人形やお菓子の詰まったブーツを贈られて、心から喜べるような素直な子どもであって欲しいと願う一面、そういう環境を枯らさないようにしてやることが親の責務だとも思う。
▼現代社会が、特に経済が発展しながら、教育システムが改革されてきたことは大いに評価できる一方で、学に対する貪るモノが子どもの心から消えてしまった。「なぜ勉強をするのだろう?」という疑問を投げかける子どもたちがこの社会にはたくさんいる。そもそも「知」の欲求とは、人の本能のようなもので「学」とはそのひとつの手段に過ぎなかったはずだ。大海原を見てそこに漕ぎ出す手段を考え、人々は「知」への欲求を叶えてきた。
▼知に限らず、あらゆるモノに満たされてきた現代人。生まれたときからさも当然のように自分の目の前にあるプレゼント商品やブランド衣類などは、無言で語っているように思う。社会はいったん発展したのだから後戻りを許さない。その中で様々な危険や諸悪が目立つようになり、守られるべき子どもは社会の波の中で、多少の勇気だけでは冒険できなくなった。富にまみれて冒険すら忘れた人は、学の志を抱くことさえなくなった。人間としての喜びを自ら放棄し、失ってしまったのだから、現代社会の(自由・個人主義という)大義名分の功罪は果てしなく重いと、私は思う。
▼今年は失業している年なので、年末だからといって何を特に買うわけでもない。しかし、店内散策は例年のようなコースを辿ってゆく。萩焼の抹茶茶碗がある。この陶器が放つ普遍性とは一体何だろうか。どこからくるのだろうか。花台や一輪差の自然体の構えも然りである。
▼「立ち止まることや逃げることはいっさい許されない」と聞かされ育て上げられた我々にとって、今、普遍性を見つめ、人間味や人間性をしっかりと見つめることが大事なのではないか。理論や方程式ではないもの…。漠然として答えがない。しかし、どれほど不安定な自分であっても心が静寂になってゆく、この押し寄せる波のようなパワーはいったい何処から来るのだろう。

〔12月14日〕

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