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2009年2月 8日 (日曜日)

秋を探しに <木曾路・飛騨路>

98.10.24-25(SAT-SUN)

前夜からバケツをひっくり返したように降り続いた雨が明け方には少し緩やかになったような気がした。静まった暗がりの中で思わぬ期待が膨れ上がり急ぎ足で居間に下りてテレビをつけた。なかなか天気予報が始まらないので苛立つ。やっと画面に現れた予報では午後から秋晴れになり日曜は快晴だと報じている。朝日が差して部屋が真昼のように明るくなったような幻想的な気持ちになってガッツポーズを繰り返した。土日がダメなら月曜日に休んでまで行く決意をしていただけに11月初旬に休暇を取れるチャンスが残った。

通過点の名古屋界隈でもお昼過ぎに晴れ間が出るというから、たとえ太平洋側で少し雨が残っても出発したい。木曾旅情庵YHまで6時間として遅くとも10時頃には家を出よう。現在はまだ降っているけれどそのうちに雲が切れて…と夢のように旅の筋書きを描いてみるが、一向に雲は流れず、雨もやまない。10時近くなっても空模様に変化がないので思い切ってカッパを着て家を出た。道を歩いている人たちが傘を差さずに歩いている程度の雨で、四日市から名古屋あたりまで来ると路面も乾き始めたていた。

ただ、思ったよりも寒い。こりゃあ、もしかしたら…と嫌な予感もよぎる。木曾路に入ると青空が雲間に見え、秋の気配が山肌に漂うような気配はあるが、今ひとつ赤くない。高度がまだ低いわけでもない。いつもの時期なら恵那から中津川あたりの山でも十分に赤く色づいているはずだから、何か異変が起こっているのか。

走りながら色々と考えて導き出した私の結論は、今年の紅葉はいつもの年ほど素晴らしいものではないかということだった。雨があがって雲が切れ、青空の中に少しずつ散り散りになってゆくとそこには木曾駒ヶ岳の勇壮な姿が私を迎えてくれた。今年になって二度目くらいの冠雪だろうと地元の人は話す。それでも遅い。紅葉もこのまま終わってしまうのか。雪面との境目、山の地肌のあたりが本当ならもっと過激に赤いのであるが、今年の紅葉は絵の具を洗う水が汚れてしまったまま色を塗り続けたようにどんよりとしている。

そんなことを考えながらぼんやり走っていたら木曾旅情庵に着いた。木曾の古道の景色は私の記憶を虐めるように私の思い出をチクリとやってくれる。川の水のかさがちょっと増して白いしぶきが激しく飛び散っただけで私はセンチになれる。そんな気持ちで宿に着き、裏口のガラス戸を開け食堂にいる奥さんに「バイク、屋根の下に入れてもいいですか?」と尋ねた。旧知の間柄のように「どうぞ」と答えてくれて私はこのYHの宿泊人になった。

旅情庵の玄関からは御岳山の頂上こそ見えないが、その山の広く長く延びる裾野の一部が見える。今ここで山の頂きが見える必要もない。木曾の谷にうっすらと張りつめる霧の向こうにモノトーンになった三千メートルの尾根が青空との境界線を斜めに引いているだけでいい。何の変哲もない景色であろうが、こんな一級の景色を持った宿に泊まれるのはある意味では幸せだ。夕焼けが裏山の崖の紅葉をやや赤く染めている。

山の麓の宿はすっかり冬仕度をしていた。ストーブに火が入りこたつもセッティングされている。何よりも、そういうそばにいて話が弾むと暖の有難みを感じる。思ったよりも冷えきって疲れたのかも知れない。消灯時間を迎える前に部屋に入った。

朝はまた違った景色を醸し出してくれる。たんぼの畦道の枯れた草木には露がめいっぱい付いている。駒ヶ岳のほうの山の斜面を眺め上げると目をどれだけ細めても白く眩しく輝く朝日が私たちのいる所を照り降ろしている。なんていい天気なんだろう。見える限りの空に雲はない。

昨晩、暖炉のそばで話をした大阪からやって来たひとり旅の女の子は、夜明けの頃に起きてYHから30分ほど歩いて登った所まで早朝の景色を見に行ってきたという。絵はがきにあるような雲海が木曾の谷に立ち込め、その向こうに御岳の姿が見えたことだろう。バイクに乗る私よりも徒歩ダーである彼女の行動力の方が積極的だった。

晴天に恵まれた日曜のメインルートは、御岳山の麓の開田村から柳蘭峠を越えて濁河峠、大平展望台を回って小坂町の道の駅方面に走り抜けることである。

国道19号には気温9℃という表示がある。家族に約束してきた秋の味覚「栗きんとん」を買うために木曽福島の和菓子屋さんに立ち寄った。ご主人がバイクだともう寒いでしょうと話し掛けてくれる。そうですねと応えて、今年の紅葉はちょっと例年より綺麗じゃないねという話に変わっていった。往路で恵那の知人宅に寄り少し昔話をして道草を食っていた時に「栗こもち」というのも有名だと教えてくれたのをしっかりチェックしていたので、その店で「栗きんとん」と「栗こもち」を買って開田村に向かった。地蔵峠旧道を越える時に見えた真っ白い御岳の姿は、旅情庵のある木曾駒高原側から見るより一段と大きい。これからぐるりと御岳山をまわりながら見上げる勇姿は、この地蔵峠からの御岳の姿をだんだんズームアップし、百変化していった。

開田村の木曾馬牧場に寄った。数年ぶりに訪れると周辺が整備され、新しい事務所や室内乗馬施設ができ、勢いを感じる一方、木曾馬に賭ける村の人々の意気込みや使命感、情熱が伝わってくる。

九蔵峠で御岳の裾野を見下ろし、「高原食堂」で新蕎麦を食べた。高原食堂は何度か過去に来ているが、閉店中でチャンスがなかっただけに、この日は満足のいく味を楽しめた。寒さのせいで暖かい蕎麦にするかと迷ったが、思案の末、ざる蕎麦(二枚)を注文する。900円。旨い旨いと連発して喰ったことは言うまでもない。

小坂町から飛騨街道に抜ける道路を御岳開発道路とかパノラマラインと呼ぶらしい。柳蘭峠までの道路の拡幅工事は訪れるたびに進化して綺麗に舗装が済んでいる。スキー場を造って観光客を誘致する方針だろう。温泉があり滅多にお目にかかれないスケールの大きな景色もある。残念だが、開発をする事もしかたのないことなのか。

白樺の林、ブナやナラの林を縫って走る。バイクが予想以上に多い。こちらの紅葉も残念だがお世辞にも綺麗とは言えない。そうこうしている間に枯れ葉が路肩に積もりはじめて、やがて冬になってしまうのだろう。御岳山の頂の雪は真っ青の空に映えて一段と白い。なんて奇麗な姿の山だろうか。決してスマートでないところがいい。

ここらあたりを信州と書いたら違いますよとツーリング部屋で指摘を受けた。峠越えリンクではそういう議論をするつもりはなかったのでタイトルを修正するだけにとどめたが、来たついでに木曾福島で人に尋ねてみたら、長野県は信州だが峠を越えたら岐阜県で、柳蘭峠付近から西へ県境を越えたらもうそこは信州とは言わないのだそうだ。ううん、やはり紛らわしいことを書いて一部の峠越え読者の人に迷惑をかけたかも知れない。(陳謝:関連タイトルは修正済み)

小坂の街まで下りてきたら道の駅がある。初夏に逆方向から通り掛かった時、開店の前日で準備中だったので今回は寄ってみた。何をするわけでもない。みたらしだんごと五平餅を食べて少しくつろいだだけである。みたらしだんごは醤油味で、高山で食べたものと同じ味だった。しかし値段は高山市内の半額以下。五平餅はゴマのたれで、これも美味だ。もし行く人があればぜひご賞味を。何もないけどなかなかいい感じの道の駅だった。

帰路で下呂温泉に入る事にした。河原にある露天風呂は無料で数名の先客が湯舟に浸かっている。というか、子供連れの家族の母親が傍で佇み、子供はプール状態でお遊び、お父さんは温泉気分満喫ってところか。泉質は非常に良い。近くにある明宝温泉と非常に似た肌触りで美肌系のお湯である。温泉ファンには逃せない。まだの皆さんはぜひともどうぞ。

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