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2009年2月 8日 (日曜日)

2000年GW・雨あがる 四国へ

2000.05.01 - 2000.05.05

<総括>

▼去年の「晴れのち晴れ」に続いて今年は「雨あがる」とノリで行ってきました。四国・激走1500キロ・5日間。

▼山藤の花が綺麗だ。ふだんは気にとまらないのに、紫の花を枝から垂れさせ、アピールをしているようにも思える。甘い香りを谷に放ってくれる。この香りが何ともひとり旅には甘すぎる。

▼キャンプ場で出会った定年前のご夫婦から「何故、ツーリングに行くのですか?」と聞かれた。隣席で一緒にご馳走になっていた人とほとんど同時に「それは社会からの逃避でしょう」と答えていた。同じ想いが誰にもあるんだねとニッコリ。みんな同じなんだ。

▼今年は、バイクが多かったなー、って毎年言っているように思う。瀬戸内海の橋が完成したからか。若者だけではなく、少し年齢を召したかたも多いようだ。でっかいバイクが目立ちますが、誰でも免許が取れる時代ですから、でっかければいいというのではなく、自分にあったバイクを選んで欲しい。ファッションとしてのバイクの人もいるようだ。

▼しかし、真剣にバイクで旅をするならば、「闘い」の側面のようなところもある。剣山やその他の四国の山岳道路は、やはりそれなりに年季の入った人が、想いをそれぞれに走っているようだ。

▼一方で気になったのは、ほとんど四国を知らないで来ている人も多かった。情報をインターネットなどの通信、バイク雑誌で得てしまうと、自分らしい旅を失いかねないので、私は避けている。しかしながら、幹になる事柄は何等かの形でゲットしておいたほうがいいと思う。枝葉は自分で飾るという旅が理想です。

▼四万十川。あれは…このままですと四国のマイナスイメージになる。日本全国がいづれそうなってしまわないように、私たちも何か考えなければいけない。キャンプ場も、飽和状態だし、味わいが皆無になってしまっている。あれでもいいという人もいるかもしれないが…。四万十川の沿岸の市町村は危惧を抱いていないのだろうか。

▼何度も何度も通っている四国だが、ひっそりと静かに旅をしたくて行っていたのに、少し賑やかになってきたようだ。暫く頭を切り替えて別の場所で遊んでみようかと、帰ってきてからそう思った。

<概略ルート>

5月1日 松阪市~和歌山港~美馬町~琴南町~三好町

5月2日 三好町~貞光町~見ノ越~土須峠~剣山林道~物部村~越智町

5月3日 越智町~大峠~五段高原~大野が原~韮が峠~野村町~松野町~大正村

5月4日 大正村~中村市~宿毛市~足摺岬~須崎市~越智町

5月5日 越智町~四ッ足峠~徳島港~松阪市

走行距離:1500キロ(推定)

燃費 :未計算

続きます、まだまだ。

2000.05.12 // ねこさん。


<はじめに>

いつもながら長くて、無駄ばかりのレポートです。暇なときにでも読んでやってください。

keyword

能登半島、雨、晴、高見峠、和歌山、四国、鳴門大橋、淡路島、剣山、林道、うどん、三嶋、山内、満濃池、ひやあつ、美濃田の淵、女子高校生、温泉、チャリダー

すっかり四国に行くのが恒例化してしまった。しかし、決まった所に行く必要もないのだから、ほかの場所も候補にしていた。能登半島です。ちょうど宮本輝の「朝の歓び」を読んでいたこともあって、能登半島の猿山岬に行ってみたくなっていた。

4月中旬には周期的にやってきた悪天候が、連休前になって乱れた。長期予報がドドドっと信頼できなくなってくる。29日から7日までの連休の前半に雨が西日本を通り過ぎるという。北陸方面から東北方面はどうやらずっとすぐれない天気予報である。

29日に朝、5時に起きて洗面を済ませたあと、出発を思いとどまった。30日には下り坂だというので、そんな日に剣山林道を走っても雲の中かも知れないし、雨雲を気にしながら旅をするのは嫌だったので、家でごろごろとして贅沢な時間を過ごした。そうするうちに、雨の予報が30日夜から1日に変更されている。出かけてみたら雨だっった…ってのは嫌なので、結局、晴天だったのに30日も家にいた。

パティオの面々は、既に旅立った人もいる。私にはすっかり決断力がなくなった…

と自分を責めてみたりしながら、快晴の空が憎かった。30日も自分の部屋で過ごした。雨でも1日には出ようという決心が固まりつつまるのは30日の夜のことである。子どもの遠足が1日にあって、合歓の郷へ行くという。「晴れ女」と自分で言う。その運に期待しながら眠りに着く。


5月1日 月曜日 第1日目 夜明け前まで雨、のち雨上がる、晴れ

<出発>

5月1日、月曜日。雨があがった。夜半から静かに降り始めた雨は、とても意地悪に思えた。ザーっと降れば、朝にはカラリのイメージもあるのに、音もたてずに静かに降り出すんだから。でも、もはや気に掛けても仕方がないので、子供が遠足に出発したら私も家を出ようと決めていた。

朝、目が覚めたら地面が濡れているだけで、雲は散り始めており、小鳥が元気に騒ぎにかかったところだった。淡々と荷物を載せる作業が続く中、集合時間に間に合わない、と子供が言って焦って家を飛び出してゆく。荷物を全部載せてから地図をしまい忘れて探し回るというハプニングもあったが、ウェストバックに入れたのを思い出した。いつものようにうちのんに写真を撮ってもらって、私も家を出た。ちょうど7時40分頃だったと思う。

<紀伊半島横断~徳島港まで>

高見峠~吉野を経て和歌山へ。特別な混雑がなければ、150キロほどを約3時間余りで走れる。特に急ぐ事もせずに西に向かった。11時25分のフェリーに間に合うために15分ほど前には乗り込みたいが、和歌山が近づいてきたらぎりぎりの様子がわかってきた。少しゆっくり走り過ぎたようだ。R24に入ってから焦りがきて、少し急ぐ。11:13と乗船券にスタンプされている。もちろん、乗り場に移動してすぐに乗って、雑魚寝の席に横になったら出航の音楽が流れ始めた。

船の中ではいつも通り、1時間ほど横になって、そのあとの1時間は甲板に出て風に吹かれている。淡路島がでっかく見える。いつもなら霞んでいることが多いのに、その向こうに鳴門大橋も見える。たいした写真にならないだろうと思いながら一枚、シャッターを押した。

TMを見てどこに行こうかを考えながらぼんやりしている。昨日までは、まず剣山林道に向かって月が谷温泉村で泊まって…というルートを考えていたのに、まったく違うルートが急に思い浮かんで、讃岐うどんを食べに香川県に行くことにした。

隣のバイク(ジェベル)の女性に、下船の時に声をかけた。ご主人との二人旅だそうだ。ご主人はXR(機種名は自信ない)。昨晩は、紀伊半島の吉野村のキャンプ場で寝たそうで、走っている時には雨に降られず、夜中にテントだけが濡れただけで済んだそうだ。幸運だ。しかも、遅着早発でテントサイトの料金徴収もなかったんだって…。

<うどんを喰いに讃岐へ>

徳島港に午後1時半頃に上陸。すぐに北上して吉野川沿いの道路に出た。堤防を少し走って、沈下橋を通って北側に渡り県道を美馬までゆく。そこから琴南町を目指した。

美味しいうどん屋さんの情報は昔に読んだFBIKEのログの中にあったので、幾つかメモして地図に書きなぐっておいた。KO1さんがレポートしてくれたものだ。普通の民家の中にあるらしいと聞いて想像をしていたが、谷川米穀店はそう簡単には見つからない。旧道と新道というキーワードがメモしてあったので、そのあたりで人に訊ねたら一発で場所がわかった。しかし、その後に「あそこは11時から1時までしかやっていませんよ」と言われた。やはりそうだったか…。他に美味しい店はないものか、その人に訊ねたら「約2、3キロ下った所に今日オープンした店がある」と言う。「旨いかどうかはわからない」とも言う。その店にでも行ってみようとぼんやり考えながら道を下って行くが、オープンしたての雰囲気(旗が出てるとかそういうイメージ)の店らしいものは見当たらない。オープンといってもそういう雰囲気じゃないんだな、ってことが後になってわかってくる。

それと、もうひとつ、走りながらなるほど…と思ったのは、今の時期は農繁期で、うどん屋さんが店を閉めている看板が目立つことである。「農繁期のため休業中」と書いてある。

<三嶋>

そこで、もうひとつのメモに「三嶋」があったので公民館の近くで車を洗車していた若者に

--- このあたりに美味しいうどん屋があると聞いてきましたが

と訊ねると、離れたところで立ち話をしているおばあちゃんに聞きに行ってくれて

--- 坂を下って橋を渡って右の家です、これから行ってもやっているらしいですと教えてくれた。

きっと看板も何も上がってないんだから驚かぬようにしていようと決めて行ったのに、それらしい家はなく、人の住んでいるような家ではなく小屋ふうに見える(失礼)建物があるだけだった。さっきうどん屋を教えてくれたおばあちゃんが橋の方から歩いて来るのが見えたので、その前にこの家で訊ねてみようと思い、戸をガラガラと開けた。そしたら、そこでおじいさんがうどんを打っていた。驚いた。

さっきのおばあちゃんは奥さんで

--- うどん、喰えますか?

と言うと、讃岐の言葉で

--- 今からするから少し待たねばならないですよ

とおっしゃる。少しとは、うどんを切る時間と釜の湯が煮上がる時間である。

おじいさんがうどんを平たく薄く延ばして、おばあさんが押し切りで食べるうどんの太さに切ってゆく。おばあさんは、切る合間に釜に火を着けてうどんを湯がき始める。時々かき混ぜながらうどんを切る作業を繰り返す。おじいさんは延ばす作業を淡々としている。

部屋は決して広くなく、麺を延ばす作業台と打ったうどんを入れる箱があって、奥に釜があるだけ。あの箱、何ていう名称だっけ…いつの時もお餅をしたら粉をまぶしたまましまっておくトレイ。

一方、戸を開けて入った私は居る場所もなく、すぐ前にある椅子に腰掛けているしかない。テーブルの上は出荷先の伝票や作業中のうどんが置いてあって、食べるにはそれほど余裕がない。

一連の作業をカメラに収めておこうと思って「写真を撮っていいですか?」と訊ねたら、最初、おばあちゃんが、構わないと言ったのに、おじいさんが「いけない」と小さな声できっぱりと言う。少し気まずかったが、出来上がるのを待ち続けた。

うどんがゆで上がったころにおばあさんがおじいさんに「醤油を出してあげて」と言う。そこで味の素と醤油、七味がテーブルの上に出された。

--- 冷たいのがいいかい、熱いのがいいかい

と聞かれたので、

--- 熱いのをください

と私は答えた。冷たいのだったら、ゆで上がったうどんを水にさらすんだろうか。さて、味である。醤油だけしかかけないうどん。これは初めての出会いである。刺身を喰う時の醤油の味を思い浮かべる。しかし、うどんを口にすすり込むと想像とはまったく違った味が口に広がる。甘いような何とも言えない醤油味である。もちろん、コリコリとした讃岐のうどんである。これぞ、美味というのだろう。「幾らですか?」と訊ねたら「100円」という。関西でたこ焼きを喰う感覚のようなものなんだろうか。ほんま、美味しかったです。「ご馳走さん」と言って店を出た。何ともあと味がさわやかである。ようし、もう一軒、満濃池の向こう(西側)にある「山内」に行ってみるか。

<さぬきうどんの山内>

土讃線沿いに県道があり「山内」もこの道沿いにある。あとで知ったが、このあたりにかの有名な「満濃うどんトライアングル」があるらしい。単線の鉄路が通る普通の田舎の風景にうどん屋の影などないので、あらら、また凄くわかりにくいところにあるのか、と不安になっていると、看板があった。でも、道路からは少し入って藪の中に道が向かっている。家の前には車がたくさん止められる庭があり、普通の農家の建物があった。「うどん」の看板が立ててなければ店には見えないだろう。

ちょうどネクタイをしめてカブに乗った人が先に店に入っていったので私も後を追った。「注文のシステムはどうなっているのですかか」と少し思案した後に訊ねたら、ネクタイの人が丁寧に教えてくださった。「あつあつ」「ひやあつ」「ひやひや」の三種類があり、それぞれに、普通、大、特大が設定されている。その人が「ひやあつ」の「大」がお薦めとおっしゃるのでノータイムでそれを注文した。やはり、うどんを打つところから始まったので、しばらくぼんやりとして過ごした。冷水器の前には形の揃わないコップが積んである。田舎の食堂の雰囲気が充分である。でも、冷水は格別に旨い。戦後の映画に出てくるようなテーブルに座って食堂を見渡したりしていると、やがてうどんが出来上がる。もちろんセルフサービスで、これで250円なんだから満足である。

<美濃田の淵キャンプ場へ>

猪ノ鼻峠を越えて南下した。明日には剣山林道に行きたかったので、少しでも近づいておこうと考えた。無料のキャンプ場がTMに載ってるが、どんなものなのかがまったく想像できない。情報を集めて行くよりも行って自分で確かめるスリリングはこの時に最高潮に達している。キャンプ場が近づいたら買い出し用のスーパーもチェックしてゆく。ローソンの駐車場で道草をしている女子高校生が手を振るので振り返したりしながらキャンプ場に着いた。水洗トイレもある。ハイウェイオアシスと隣接した公園で、高速道路側には温泉施設まである。人が通れるゲートを経てキャンプ場の人も温泉が利用できるらしい。

驚いたのは、徳島港へのフェリーの下船時に言葉を交わしたご夫婦が先着していて、奥さんが先に気が付いてくれた。テントを隣に張らせてもらって買い出しに行く。さっきのローソンにはまださっきの女子高校生がいた。(この時にあんたら高校生ですか?って訊ねて高校生だとわかった。)仲間と喋って楽しんでいるのだそうだ。手を振ってくれた子は茶目っけのある子だった。可愛らしい子供たち、ほんと田舎の子はすがすがしい。買い物を終わって出てきたら姿はなかった。少し寂しい。もうちょっと娘のような子どもたちと話がしたかったような気がする。さて、夜更かしの話。バイクが7、8台になって、ひとつのテントの前に集まって話し込んだら10時頃になっていた。チャリダー君がひとり混じっていたのだが、彼が眠そうだったなあ。四国でもやや東の方に属するこのあたりは、剣山も控えオフローダーが多い。

2000.05.13 // ねこさん。


5月2日 火曜日 第2日目 晴れ

keyword

剣山、林道、貞光、見ノ越、FJ、土須峠、岳人の森、狭道、日本酒、焼き肉、無料、ご夫婦、出雲、ヘレンさん、岩戸温泉、べふ峡温泉、ピース

今日は、剣山を時計回りに回って、高知市を抜けて越智町まで。

<貞光町から見ノ越>

この国道がR438となっているのをずっと前から知っていたので、一度、走ってみたいと思って貞光町から南下を始める。工事による時限通行止めの標識が目立つ。朝の8時前だったので、9時過ぎからの工事開始には余裕があったけど、岩戸温泉に寄れなかったのが少し残念だ。ガソリンを入れたスタンドの奥さんは薦めてくださったのだが。

<四国狭道マニア?>

そんな言葉が頭に浮かんだ。こんな道ばかりを選んで走るのは何か人生に悩みでもあるからか…自分を虐めてるのと違うのかい…なんていうふうにひとりごとを言いながら走る。ひとりごとに久しぶりにリズムが出てきているような気がした。<見ノ越>

もう何度も来ているのにここには来てしまうなあ。何の用事もないのにバイクを止めてしまう。リフトに乗って上にあがるには、料金が少し高額すぎる。二千円あったら1泊、布団で寝れる。

でっかいアタックザックを背負った女性が3人、歩いていたので声を掛けた。

--- 重そうですね、40キロくらいあるんですか?

--- そんなことないですぅ、もう食料とかを食べてしまいましたから…。

20キロくらいかな…。

--- あら、そしたら剣山に登ってきたんだ…。

--- そうです、三嶺というところから2泊3日で歩いてきました。

3人とも、可愛らしい大学生ふうだった。私が山に登った若き頃のような、うす汚い…という山登りのイメージはまったくない。近ごろ、街でもなかなか見られない爽やかな、化粧のほとんどない女性だった。(猫柳:化粧嫌い)

トイレの前で隣にバイクを止めたFJの人。言葉も交わさずどっかに行ってしまうのだが、この日の夜にキャンプ場でばったり出会う事になります。その彼に挨拶もなしにトンネルを抜けて東の谷を見おろして震え上がりながらR438を下り始める。剣山林道よりも高さの点では遥かに迫力があると思う。

<土須峠>

久しぶりに土須峠の方に上がってきた。不思議なもので、結構、再会すると思い出す。岳人の森の小屋の前で休憩しながら、この小屋は昔のままだなあ、道路も変わってないなあと感慨が深い。昔に越えた時は台風が来ていて風がきつかった。

<剣山林道>

ハナから全線を走るつもりもなく西の部分を走ろうと思っていたのでR193から林道に入った。ファガスの森までがウォーミングアップのようなもんだが、後ろの席にくくり着けたBOXは緩まなかったけど、シュラフが半分落ちそうになってきたりして、林道の前半は気に掛けながら走った。

バイクは予想以上に少なく、車にもあまり会わずそれはラッキーだった。しかもお天気は上々で、少し寒い日が続いたからなのか、新芽が一斉に吹き出したばかりといった感じです。栃の芽などは思いきり元気良く青空に向かって出てきている。タラの芽も。

爽やかな5月の風が山を吹き抜けてゆくと、この場所がかなり奥深い山中だということすら忘れて、ぼんやりとしていることができる。腰が少し痛いけど。空荷だったらまた違う味わいがあろうなあ。

大阪から来てたグループは、朝に高知に着いて、夕方にまた高知から帰るという。高額な(贅沢な)ツーリングです、と言っていた。気持ちが凄くわかる。

<べふ峡温泉>

岩戸温泉に入れなかったので、お風呂に入りたい。べふ温泉にはバスが1台、止まっていて県内の高校生が来ていた。遠足なんだろうか。私が湯舟に入るときは彼らはバスに戻ったあとで、誰もいなかった。独占で入れるなんて最高です。露天はないけど、窓越しに見える景色は渓谷で、お湯も美人系のアルカリ温泉。身体の埃も綺麗に洗い落とすことができた。

<轟の滝へ行こうとする>

物部村の轟の滝キャンプ場の様子を見ようと、物産センターの所を北に折れてみる。何のことない、轟の滝まではなかなか遠い…。また買い出しに戻るのはいやじゃぁーと叫びながら旧道をクネクネと走っていると案内看板がいつのまにか後ろ向きに矢印を変わっている。(^^ゞ

やめた。やめた。休憩だ、ってわけで対岸に国道が見えるところで休んでいると、川の河原の方角(沈下橋のような橋がある)からワンボックスの車が上がってきて私の前でおじいさんやおばあさんを何名か降ろした。バスにはディサービスと書いてあったように記憶する。(メモをしなかったので記憶が曖昧です…。)つまりは、村の介護サービスか何かでおじいさん達をお風呂にでも連れて行ってあげてたんでしょう。

そのひとりのおばあさんを呼び止めて、しばらく立ち話をしました。この村にあの国道が開通する前の頃の話を訊ねてみた。その頃は私たちがいる細い道しかなかったという。耕運機が通れる程度だったと想像する。こんな道をこれから走って高知まで行く気にはなかなかなれないな。10年ほど前に各所にトンネルができ、快適な道が開通していったらしい。それでも人の流出は止まらないようですが。

<西へ→越智町まで行ってしまう>

私のTMには、越智町の宮の前公園と言うのは載っていない。横倉の橋の手前の河原部分に相当するところにあるコスモス公園が宮の前キャンプ場である。先に商店街に寄って小浜キャンプ場への道順を訊ねて、実際に行ってみたが河原が想像以上に荒れていたので悩んだ後、諦めて来る。そ戻る途中の集落で立ち話をしていたおばちゃんに「他にどっかキャンプできるところはないものか?」と訊ねたら「みなさん、コスモス公園(宮の前)に張っておいで」だという。これで心は決まった。大急ぎで買い出しをしてキャンプ場に急行した。いい公園です。トイレもあるし、景色もいいし、静かだ。

<夜は更ける>

国道から河川敷へとバイクを下ろしテントサイトを物色し始めると、朝、見かけたFJさんが先客として既にテントを設営し終わっていた。そして、奥の方で張ってらっしゃる夫婦の人が一緒に食事をしましょうと誘ってくださったので少し話をしていたと言う。越智温泉を教えてもらったのでこれから入りに行くと言って出かけた。その代わりに私が、明るいうちだけ甘えますね…といってテーブルに腰掛けた。自分の買った缶ビールを1つ持って話を始めたら10時頃まで話が弾んでしまうことになる。風呂から帰ってきたFJ氏も仲間に入って日本酒も炭の残り火で温めの燗となり、みんなが饒舌になってゆく。

<島根の人>

ご夫婦は子どもさんがなく芝犬とゴールデンレトリバーという犬たちとの4人?の家族という。ご主人は昔、山男だったという。加藤文太郎の話などをして話が弾む。出雲の人で、美味しい蕎麦屋のことや有福温泉の話などをした。出雲の地方の人は、小泉八雲のことをラフカディオ・ハーンとは呼ばずに、ヘレンさんと呼ぶのだと話してくださった。ハーンがヘレンに変化したのだろう。砂の器でも紹介されているように、東北弁に似たややズーズー弁の言葉で、更に話を進めると、出雲横田の生まれだとおっしゃるのでまたまた驚いた。

「何故、バイクで旅に出るのですか?」と訊ねるので、「ううん、幾つも理由があると思いますけど、確実にひとつをあげれば…それは社会からの逃避でしょう」

と私は答えた。FJ氏が深くうなずいて「社会の中の規約とか秩序とか強弱とか制約とか、そういうものを否定するわけではないけど、少し逃げてきてるんですよ…」とフォローしてくれる。わざわざ言葉で確認しなくても構わない、ピースはそのためにあるのだろうと感じた。

さて、夜更かしをすると明日に差し支えるなあ、と思って早々においとましたのにそれが既に10時を回っていたらしい。夕飯を買ってあったのでテントに戻ってから腹に納めた。ご夫婦に日本酒と焼き肉をご馳走になるという経験は、今までで初めての経験だった。

2000.05.13 // ねこさん。


5月3日 水曜日 第3日目 晴れ

keyword

竜馬、仁淀川、越智、大峠、田植、千枚田、おばちゃん、土佐弁カルスト、鳥形山、大規模林道、五段高原、韮が峠、大芽峠、脱藩

5時頃になると空は既に明るい。堤防に植えられた楓の並木の下に張ったテントから綺麗な石段の遊歩道が見おろせる。その下が仁淀川のせせらぎである。せせらぎの向こうの河原にかぶさった雑木林の上に真っ赤な太陽が昇り始めると、テントに白い光線が届き、それが私の気持ちをウキウキさせてくれる。天気に恵まれるということにこのうえない感謝である。

日の出は6時頃だったと思う。歯磨きをしたり荷物を片付けたりしているとあっという間に時間が過ぎる。御主人と奥さんにお礼を言うためにテントまで行くと何だかよそよそしい。昨晩はお酒が入っていて明るくなっていたのだろうか。人の付き合いって難しい。いや、眠かったのかもしれない。奥さんが何枚か写真を撮ってくださっていたので、それを送って戴けるというので住所を書いた。日本テレビの福留さんのような雰囲気のご主人だ。朝に挨拶をしてお別れしたが、土佐の美味を味わいたいとおっしゃっていたので、うまく出会えることを祈った。あれから美味しい高知の味を満喫なさっただろうか。

<大峠>

越智町の仁淀川の橋のたもとを曲がって大峠を目指す。途中に桐見ダムの公園キャンプ場があるはずだ。小浜キャンプ場とこのキャンプ場しか私のTMに掲載してなかった。迷ったもうひとつの場所も調査しながら過ぎる。ダム湖の上流にある公園のようなところで、子供の遊べる滑り台などが見下ろす河原の上に見えた。誰もテントを張っている様子はなかった。

県道・大峠を越えるとそこはR439である。カーブの様子を地図でみれば、道のりがどの程度かは想像できる。しかしそれ以上にすごい峠だった。狭道マニアにとったら絶頂感覚の峠とでもいうか、ワインディングをひとつづつクリアしながら、凄い道やなあ…と叫びまくっている。やってくる車にはまったく遭わない。斜面に建つ家々を眺め下ろし、早苗を植えた水いっぱいの水田を横目に淡々と坂道が続く。このあたりの千枚田も田植えの季節で、道端のスペースには軽トラがたくさん止まっていた。整然と積み上げた水田の石垣を眺めながらのぼってゆくと感動が少しづつこみ上げる。民家の屋根瓦の苔や柿の木の新芽をひとコマひとコマしっかりと見ながらのぼる。しかし、この感動を一枚の写真に納めるのは難しかった。こういう場での感動というものは、のぼりばがら少しづつ蓄積されるので、スポットにバイクを止めてそれを一枚の感動作品にするのは難しい。早々に諦めて、私の脳味噌の記憶機能に頼ることに切り替えた。

斜面にはお茶の畑がある。明るい緑の新芽が吹き出している姿が5月初旬らしい。見てるだけで嬉しくなってくる。しかし道路は厳しい。頂上が近づくにつれてガードレールが設置されている箇所が減ってくるし、カーブミラーも皆無。クラクション鳴らせ!の交通標識だけが目立つ。今まで様々な峠道でも本当に鳴らしてみようと思ったことなどあまりなかったけれど、この時ばかりは鳴らして曲がろうと思った。

<おばちゃん>

立派に植林された杉桧林を縫うように道が続く。峠を越えて下りになったら遥か下にR439が見えた。ヘッドライトの明かりがうっすらと見えるような山岳道である。そんな下り道をひとりのおばあちゃんが歩いていた。ちょうどそのあたりに白い小さな花がたくさん咲いていたのでバイクを止めて

--- あの花はなんていう名前ですか?

と訊ねてみた。

おばあちゃんは、土佐弁である。

いい響きで、

--- なんていう名前かは確信はないけど、菖蒲(しょうぶ)の一種だろう、

という。

--- 引いて帰って庭に植えたらすぐつくから

といいながら花をちぎっている。

--- 持って帰れませんから…

と私が言ういうと、ポイと棄ててしまう。これも自然のバランスなんだろな。

<無駄話>

このあたりの在所のことに話が及ぶ。

--- すごい山深さですね、何をして暮らしていたんですか?

と訊ねると、

--- 芋を作ったり粟を作ったりして、米は農協から買っていた

という。

--- この下の集落を長者といい、ほかの高知の人に長者に嫁にいったと

  言うと羨ましがられるほど豊かな自然に恵まれた所だ

とそれは流暢な土佐弁で語ってくれる。きつい斜面に推測樹齢が100年程度の杉や桧が植えられている道で、話は止めどなく続いた。たくさん話をしたが、レコーダーもないし即座にメモをしたわけではないので、残念ながら忘れてしまった。

--- この立派な木は、もう売りものにはなりませんね。

  誰も買ってくれないもんね。自分の家に使うしかないもんなー。

私はそういうと同時に、そうか、この木を植林した先代の人たちは、今のような時代を夢にも見なかったわけか…と気が付く。

普遍的な空間にいると、社会の流れに対する疑問が一段と胸を突く。

爽やかさが残ったのが嬉しかった。

そうそう、大きなみみず(この時は何か不明)が山道を這っているのを見たので「あれは何ですか?」とも質問した。「みみず」だという。何だかこの山の中に暫く滞在して景色や動物や植物をみていたいなと思うが、いつもながらそんな贅沢はできないなあ。時間を棄てるように使ってみたいものだ。

おばあちゃんと別れてから、1箇所、素晴らしい風景を見た。あの景色をフィルムに納めなかったのが心残りだ。下りの坂道のせせらぎで洗い物をしていた女性を見かけたので、このあたりの小学校はどれほどの生徒がいるんですか?、と質問をした。鳥形山の鉱山(日鉄…といったかな…)の社宅があってひとつのクラスには10名ほどだそうだ。半分が社宅の子供達らしい。

*先日、休暇を取った日に、時間の合間をみて図書館へ行った。

 植物図鑑であの花を調べるためである。しかし、休館だった。

 GWに開けていたからだろう。複雑な気持ち。また行くから

 いいや。

<四国カルスト>

鳥形山。様々な話を聞いた後には違って見える。だから、地元の声は大事なんですよね。随分と岩石を削り取って、やがては、なくなってしまうのだろうか…。五段高原にR439から駆け上がった。大規模林道が交わってくるのが寂しいけど、高原の駐車場にはバイクも多い。またFJさんに会った。割と長い間、中味のない話をする。彼は鶴姫平でまた会うが、それからは石鎚山方面を走るという。寒い。1000メートルを越えるということもあろう。アイスクリンの店を出しているおじさんがいるけど、あれは嫌みだったな。

ここまで来ると今年は行くつもりがなかった「竜馬脱藩の道」が目にとまる。韮が峠まで来てしまっている…。ここで宮城ナンバーのKLEの人に出会う。99年モデルだそうで、気に入っていると話していた。

大芽峠まで大規模林道を走って、もう一度、韮が峠に戻ってくる。途中で山菜採している家族に声を掛けた。「ウドですか?」と聞いたら「イタドリ」だと言う。その後、脱藩の道を野村町に下り、関所跡に分け入ったりしながら、TMに脱藩の記念碑を目指した。野村町から河辺村への林道を走って行く。石碑があるだけで、何もない。あまごを食べさせる店があったな。このあたりの脱藩の道は、残念だが、徒歩で越える散策の道なので、それなりの計画をたてねばならない。

<人が恋しい?>

河辺村から鹿野川のダム湖のほとりまで出てきて少し梼原に向けて走るがすぐに野村町の方に行って、R441の桜が峠から土屋トンネルを越えてゆく。松野町を経て地蔵峠を回ってから四万十川に出た。地蔵峠方面に行ったのは、松野町青少年旅行村キャンプ場に行ってみるかな…と考えたからである。しかし、無料のキャンプ場にこだわった私は四万十川の河原に期待を寄せた。カルストに行ったあとは、四万十川に降りて行こう初めから考えていた。2日間で人恋しくなっている私がいた。中川さんに会えるかも知れないとも思った。2日の夜に月が谷温泉村で(恐らく)泊まった彼女は、今日あたりに剣山を越えて旨くことが運べば四万十川のどこかのキャンプ場にいるような気がする。おおーい、恵みちゃーんと叫んでみても声は届かないな。ケータイの番号は知ってるが、それをしちゃあ味気ない。私の意地のようなものがあった。VFRの姿は、期待通りには現れない。

<道の駅・大正>

近くに轟公園というのがあって割と良かったのだが、バイク乗り入れ禁止になっていた。荷物だけを何度も運び込むのは嫌だったので少しだけ乗り込んだら、広場の向こうの方でテントを張っている男性がひとりでやってきて「乗り入れ禁止って書いてあるでしょう」とヒステリックに叫ぶ。こんな所で言い合いをしたらあと味が悪いのでこここで寝るのはやめた。無反応で引き返しす。もしも私が+に返事をしても-に応えても結果的に気持ちに傷がつく。いい感じの広場だったが、モノの言い方には気を付けるべきだということを他人の言動を見て知った。再び道の駅に戻って時間を潰した。しばらくだらだらとしているうちに、同じことを考えていそうな人たちが集まって、みんなで寝れば…ということになった。職員のおばちゃんは「ここで寝てる人をよく見ますよ、寝てもいいんじゃないですか、車椅子の人の邪魔にならないようにして…」というので気持ちが決まった。4人で話が盛上がる。テントを並べて張ったチャリダー君が、以前に大峠を越えたことがあるという話をしてくれた。自転車ではさぞかし大変だったろう。彼もバイクにはピースを出すと言っていた。

2000.05.13 // ねこさん。


5月4日 木曜日 第4日目 晴れ

keyword

道の駅、キャンプ、宿毛、足摺岬、カツオ飯、四万十川、杓子峠、R439、コスモス公園、大正市場、斗賀野、身代わりの鈴

道の駅・大正のそばには、リバーサイドキャンプ場というのがある。国道の向こう岸に散りばめられたテントを見て、行くのをやめた。道の駅も快適であるけど、夜中に車の出入りがあることが難点である。道の駅で寝るときは、それを真っ先に気を付けてテントは駐車場から離れて張るべきである。

3時過ぎに目が覚めた。夜露が雨といの隙間からテントの上に落ちてくる。ポタ・ポタと気になるので、外に出てテントをずらした。山間なのでピリピリと寒さが

滲みてくる。バイクは屋根の下に突っ込んで置いたので夜露は付かない。

<R439>

早々に皆さんがテントを畳み始めるので私も習った。ようし、この時間ならR439を走れば宿毛YHに8時頃に着けるぞ。NAVYさんに会えそうだ。そう思ったら元気が出てきた。R439のこの部分は初めての四国で走った箇所だ。杓子峠を越えて南下は続く。中村が近づいてきたら民家が1軒見えた。するとまもなく道路が広くなって、センターラインのある道に姿を変えてしまった。

<宿毛YHへ>

宿毛YHの場所はおよそ知っていたので、地図をほとんど見ないでひたすら走ったらミスコースをして宿毛市に入る前に右折してしまい、また四万十川に戻ってしまった。大きな川が現れて初めて気が付くという情けない有り様でした。

出発をして行く人であわただしい中、NAVYさんを呼んでもらって、道端で立ち話をした。そのあと、足摺岬を目指す話をして、また会うかもね…といいながらお先に別れたが、しっかり岬の駐車場で再開できた。

<足摺岬へ>

宿毛市から足摺岬にかけての国道をサニーラインというらしい土佐清水市に着く少し手前に道の駅が出来ていた。カツオ飯をテントで販売していたのを見るとお腹が減ってくる。売り子さんが可愛らしい子だったので、1パック買って近くのテーブルで食べた。ゴミ棄て箱がなかったので、可愛子ちゃんに訊ねたら棄てておいてくれると言って引き取ってくれた。

--- この道の駅はどのあたりですか、

と、地図を見せながらと聞くと、

--- 三崎港のそば、このへんです!

って、嬉しそうに教えてくれる。

足摺岬の西海岸の側の道も薦めてくれたので、岬からの帰りに回ってみた。走りながら以前に来たときもこのルートだったことを思い出した。景色が断片的に甦る。

<四万十川河口>

河口部分に大きな橋が掛かっていたので渡ってみた。昨日行った四万十川の騒々しさと較べてここの静けさの方が気に入った。南国ムードの風が吹いているような気がする。河口からR56までの海岸沿いの道路にはサーファーが溢れている。

<高知方面へと向かう>

伊の岬付近を回ったあたりの道端の公園で大休止をした。海を見下ろす芝生の上で横になっていると静岡からやってきたジェベルの男性(私より年上だろう)がやってきて話が弾んだ。徳島から出るフェリーの時刻と、和歌山から鳥羽までの道のりを教えてあげた。しかし、フェリーの時刻の転記に私のミスがあって、私自身も徳島港で30分遅れて船に乗ることになる。ずっとあとになって気が付いて船の中で懺悔をした。

<今夜の野営地を思案する>

2時か3時を回っていたと思う。YH岩本寺の近くから四万十川を遡って、もう一度梼原にいこうという案もあったが、腹が減っていたので久礼の大正市場に行けば何か喰えるかと思って寄ってみたが、車が溢れていて幻滅。有名になり過ぎで、観光客でごった返し、バイクはずっと遠くに止めるように指示をされる始末。アホらしくなって降りずにまた走り出した。

須崎の道の駅で子どもにお土産を買った。去年も同じ場所で買ったのをこの時に思い出した。鈴のキーホルダーを買ったところも去年と同じ。今年は「身代わりの鈴」というものを買った。あまり詳しく読まずにいい音色だったので買って子どもに意味を質問されて困ってしまう。誰か知らないかな…。

まもなく4時を回ろうとしていた。腹のうちは決まった。越智町のコスモス公園で寝よう。越智温泉にも入ってこよう。決めたら早かった。斗賀野の峠を越えて越智に急ぐ。後悔するのは、この斗賀野峠をゆっくりと散策しなかったことだ。高知市をでて真っ先に脱藩の志士達が越えたのは確かこの峠だったはず。最後にみる土佐の太平洋だったに違いない。

<越智温泉>

湯舟にはいる前に石鹸をタオルに付けて首筋を拭いたら、真っ白なタオルが手のひらの形に真っ黒になった。湯舟は独占状態で、窓からはたんぼの風景が見下ろせる。四国に来て2度目の風呂だ。いつもより少し長めに浸かった。

<コスモス公園・宮の前キャンプ場>

温泉を上がったのが5時過ぎだった。街の中に接地されたスピーカーから夕焼け子焼けで日がくれて…の音楽が流れてきたので記憶がしっかりしている。

2日前と同じようにテントを張ってのんびりしていると、大阪からGSに乗った人がやってきて「隣に張っていいですか」というので「どうぞ」と答えた。ついでに、温泉があることやスーパーもあることを教えてあげたら、買い出しのついでに缶ビールをひとつくださった。ありがとう。貧乏旅だし嬉しかった。瓶が森林道やカルストの林道を教えてあげた。彼は昨晩、祖谷渓谷で泊まったという。2℃まで気温が下がったという。5℃が我慢の限界かな。眠れなくて早く朝になるのを待ったという。

この日の夜は、最後だということで、少し贅沢な惣菜を買い込み、明るいうちからゆっくり食べて、夜も早々に眠る。

2000.05.13 // ねこさん。


5月5日 金曜日 第5日目 晴れ

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高知、四ッ足峠、物部、徳島、青年、フェリー

<徳島港まで>

朝早くに目が覚めた。高知市街の渋滞は、朝のうちに抜けて、徳島に急ごう…。家に帰ることを思うと急にわが家が恋しくなってくる。昨日の晩には、讃岐のうどんをもう一度…などと想いながら眠っていったのに。

距離を計算すると250キロほどあるので、早くても5時間ほどは掛かりそうだった。6時に街のサイレンが鳴っているのを聞きながらキャンプ場を飛び出した。仁淀川も四万十川に劣らない清流である。R33(松山街道)が高知市に差し掛かるあたり、伊野町の橋からは紙で作ったこいのぼりが川に流してあるのが見おろせた。カメラを手にした人がちらほらと伺える。残念だが、走りながら見て先を急ぐ。

高知市郊外は、難なくクリアし四ッ足峠を目指す。来るときにも走ったし去年も走った道だがこういうコーナーの連続を自分にあった速度で楽しむのがいいと思う。物部のライダーズインにはたくさんのバイクが止まっている。その前の橋を渡って、「ふるさと○○センター」みたいなところに止まって冷たくなった手を温めた。店の準備をしていたおばちゃんにこれから徳島まで行くのというと、3時間じゃ行けないでしょうと忠告してくれた。結局2時間半ほどで行ってしまうのですが、計算すると法定速度を結構上回っているみたい。四ッ足峠のコーナーでステップが擦るのも無理のない話だったか。

<フェリーの時刻・転記ミス>

11時25分だと思っていたので、10時半ならバッチリだと満足にターミナルに着いたら、あと5分で出るという。次は11時45分。結局、1時間余りを埠頭でのんびり過ごして乗船した。

<アメリカ人青年に話しかける>

日本語くらい喋れるだろうと思って話しかけたら、まったく話せないというアメリカ人青年に話しかけてしまい、約1時間ほど旅の話をした。私は語彙が豊富じゃないので、なかなか思うように会話が弾まないのであるが、彼はぺらぺらとよく喋ってくれた。

そりゃあ、日本に来るために4週間も休み無しで働いたりしたそうで、大好きな日本に来れて嬉しそうだった。広島に感動したと言う。他にも、子ギャルの厚底靴のことや日本人には英語を話せる人が少ない話などもした。フェリーから見える景色のこと、淡路島のこと、漁業のこと、お魚が美味しい話などもした。そうそう、彼は広島の次に東京が気に入ったと言っていた。街が美しいという。

松本、京都、尾道、広島、松山、高松などを回って次の月曜日に6週間の旅を終えてアメリカ(ニュージャージ?)に帰るという。奥さんが待っているという。月曜日に帰るんだという話の前に、紀伊半島と伊豆に行くという話をしていたので、白浜温泉を薦めたりした。電車で移動できるか?と聞くので大丈夫と答えた。月曜に帰るんだ、という話を分かれ間際に言うんだもん。それまでは、ゆっくりな旅を楽しんでいる、と言ってだけだったから、この土日だけで紀伊半島を回って月曜日の飛行機に乗る為にJRに乗るにはどうしたらいいか、という話をしてあげるチャンスがなかった。

ラッキー・トラベル・プリーズ…なんて訳のわからない私の英語で別れた。どうなっただろうか、少し心配。でも、人情深い日本人のことだから何とかなってるか。いや、私のようにお節介人が多いので、帰りの飛行機に乗り遅れていないか…。

<和歌山から松阪まで>

いつものように、淡々と走り、高見峠を越えて帰ってきた。3時間30分ほどかな。5時過ぎに家に着き荷物を解き、6時に松阪駅に着く母と子を迎えに行って、その足で、粗食に耐えた腹にご馳走を入れてやりに居酒屋に向かった。

2000.05.13 // ねこさん。


5月5日 金曜日 第5日目 晴れ

<支出表>

-----------------------------------------------------------------

支出 金額

----

5/1 フェリー 3140 11:25発

うどん 100 三嶋

うどん 250 山内

弁当 480 ローソン

ウーロン 140  〃

ビール 260 daimaru

チューハイ 115  〃

ガソリン 9.52L 出光

小計 4485

----

5/2 ガソリン 4.6L 出光

ガソリン 9.0L 日石

べふ峡温泉 500

夕食買出し 208 越智町 サンワールド

小計 708

----

5/3 ガソリン 8.7L 日石

パン・スープ等 378 大正マート

ビール 310

チュウハイ 220

小計 908

----

5/4 カツオ飯 500 道の駅(三崎)

缶ジュース 120   ?

土産 300 道の駅(つのやま)

越智温泉 700

ビール 255 越智町 良酒倉庫

チューハイ 135  〃

夕飯買出し 1194 越智町

ガソリン 11.1L 出光

小計 3204

----

5/5 ガソリン 10.4L 出光

フェリー 3140 11:45発

小計 3140

----

総計 12445円

-----------------------------------------------------------------

(*) 今回の予算は、30000円でしたので、残額は「ツーリング基金」

に積み立てられた。母子には融資もおこなう。健全な基金である。

2000.05.13 // ねこさん。

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