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2009年1月31日 (土曜日)

詫助が詠んでおくれと庭に居り

雨があがった。

呟く。


よう降りましたね。

雷も鳴っていたそうですな。

そう、ドカーンと落ちましたで、あれは。
(すみません、ぐっすりと寝てまして)


梅の便りも届きはじめました。

バイクですか?

眠ったままです。

2009年1月28日 (水曜日)

四国ツーリング/宿毛・皿鉢料理 1992年8.6~8.12

前夜(8/5WED)

『夜になると知らない街の様子が見えてくる』なんていうコピーを勝手につくって“まあこれは自分のことだな"なんて自己満足に酔いしれている。こんな時は荷物をまとめながらも軽い感じにルンルンしている。題名が曖昧だがユーミンの“埠頭を渡る風"なんぞを鼻で歌っている。荷物は下着ばかりでいっぱいになっていく。仕方がないだろう、久しぶりにロングで出かけるのだから。雨が降るといけないから大きなカバンは持ちたくないし、と思うと雨具と下着、テント、シュラフだけに落ちついた。支度は9時頃までに終わって早く寝ることにした。

第1日(8/6THU)

朝、4時頃に目がさめた。支度は前夜に万全だ。純子を起こすとまたガミガミとうるさいのでそっとバイクに荷物を積んでいたら眠そうな目をして“免許証は?"なんて言っている。“うん、大丈夫や"と答えて“彩には賢うしてるように、静かに家を出た。県境の峠を早朝に越えて和歌山の市外へと9時前に入る。まずはお金をおろす前に無事に和歌山到着したことを家に連絡しよう、と思い青電話の前でバイクを止めタンクバックを開けて驚いた。“免許証がないじゃんか"あれあれ。宿毛に送ってもらうように言って電話を切って、今度は金をおろそうと財布を開けたら銀行のカードがない。これで二重の驚き。でも郵便局のカードがありました。こんなことは初めてだな。残高241円なり。財布に200円。近所の郵便局に振込に走ってくれるように頼んだ。その間私は、たまたま道の反対側にあった郵便局に入り、そこでうちのんが振込に走る時間だけ待たせてもらうと言うことで、少しイライラしてATMの“確認動作"を繰り返し、ロビーに行っては地図を見るのもままならず、窓口のお姉さんに話しかけたりしながら待つことで少々の時間を過ごす。地方だと言うわけではないだろうが局長さんやお姉さんは愛想も良く、またそのかわいさにしばし見とれていたような。

郵便局の出口で話したおばさんは“大きなバイクは楽なんでしょう"“どこにツーリングに行くの"なんていう他愛ない話をしてくる。しかし時々、専門用語も出てくる。“あばちゃん、なかなかツーだな"と思っても言わなかったが。恒例というか普通というか、言葉を交わした人達に“気を付けて"と言って送ってもらい『和歌山宇治郵便局』をあとにし和歌山港に到着したのが10時頃。出帆は11時25分だというから1時間半も暇になった。でも待合い室で地図を見てつぶす。バイクは少なく4台だけ。車は1時間前くらいで満車のようだ。

フェリーの中では外を見るわけでもなくウトウトしていた。そばにいた女の子は小学生のかわいらしい子で恥ずかしそうに私の方を見る。いや、髭面の汚い顔が嫌だったのかも知れない。“何年生?"ってきいたら“2年"とはっきり答えてくれた。おばあちゃんと親戚にでも行くのだろう。

“さあここが四国だ!"と独り言を言いながらいよいよ上陸、フェリーの中で一緒だったFT500氏とホーンで分かれを告げ合い、いよいよ小松島からR439を目指す。噂の『ヨサク』、国道R439は狭い。わき道の方が広いから、カードレールはない。あとになってわかったが、ガードレールがないのは四国の3級国道では普通みたいだ。

<岳人の森キャンプ場>には16時頃到着するが、山のてっぺんにあり結構荒れていて仲間もいそうにないので750円払った設営費用をキャンセルして返してもらい先で探すことにした。当初の予定通り<四季美谷温泉>に行ってみるかな。谷は深く底が見えない。

凄い急斜面で地獄に落ちる様だ。V型にえぐり取られたすぐ下の涸れた沢には頭よりも大きな岩石がゴロゴロしている。高いのでバイクを止めて眺めるのも恐い。きれいに植林された斜面の下には名もない林道が走っている。民家がひとつふたつと見える。この程度の標高でこんなに凄い谷ができるものなのか。私は高い所が恐いので路肩には寄れず、したがって谷底の方の景色まではゆっくりとは見ていられない。

土須峠の案内の英語表記は「DOSUPASS」と書いてある。DOSUとはまた何と物騒な名前だな、とぶつぶつ。剣山スーパー林道の分岐点を過ぎる頃には夕立のあとも見られた。斜面が急な山岳地帯だけに雲の発生が頻繁なのか。滝が多い。至るところに滝がある。ひとつひとつ名もない滝で止まっていく訳にも行かずキャンプ場に急ぐ。あとで考えてわかるのだが、まあこれだけの急斜面が海から突然2000mまで高度を稼ぐとなると斜面は必然的に急になり、水が雨になって降り流れ出せば滝になるのは当然だ。岩質が花崗岩の様なものなら水が流れても土砂がまじり出さないので濁りにくいかも知れない。つまり、雨の後でも水は綺麗で、流れ落ちる姿だけは豪流となったりまたある時は白糸の様になったり流れるところができる訳だ。奇岩の続く壁面、切り通しをいくつも眺めて斜面をただひたすら下っていく。道は狭いが<釜谷峡・大釜の滝>などは秋にお薦めだな。

ところがやっと到着した<四季美谷温泉>にはキャンプ場はない。一軒宿は満室で、フロントのおっさんも愛想がなく“宿は日和佐まで下るしかないでしょう"なんて言っている。ああ、地図の嘘つき!日和佐方面に足を延ばすか。。。(泊まらなくて正解なのだが)日は暮れるし初日と言うこともあって、根性がまだすわっていない。不安も手伝って、やや緊張気味で海岸までの道を飛ばした。少しの時雨に出逢うが、涼しくて気持ちがいい。

日和佐駅に着いて最悪の時は“ここのベンチで"と決め、近くの公園やキャンプ場、幼稚園などを探す。しかし駅舎のパン屋さん(JR直営かな)のお姉さんが教えてくれた喫茶店(駅前・菩提樹)で飯を食い、店のおばさんに駅で寝る話をしたら“それが一番いいでしょう"と言うので決心がついた。夜はときどき月が見え隠れし雨も降り、屋根のあるありがたみを感じた。

第2日(8/7FRI)

深夜になって同僚ができた。京都から来た学生さん。来年、近畿日本ツーリストに就職するんだって。専門家になるための準備かなと思ったら淡路島でポリさんに御用になって節約モードだそうな。気の毒に。その彼は朝5時前に霧雨の中“お先に失礼します、お世話になりました"のメモを荷物のゴムに挟んで消えた。まあ、いろんなツアラーがいるものだ。

明け方にサンラインを走った。日は出ているのだが雲に隠れている。雲の切れている下の海だけが明るく光っている。きっといい景色なんだろうがちょっと天候が怪しい。やや眠かったので室戸岬方面に走る前に<甲浦駅>に偶然寄ったらここが最高の駅であった。今年の3月にできたばかりでトイレがきれい。冷水器付き。畳のいぐさがいい香りを放つベンチで2時間ほど眠っただろうか。天気は回復し青空が出始めた。またもや夏の天気だ。台風が来てるとはいうものの高知あたりまで走ってみようかなと思い始める。駅の待合い室の中の観光案内所のおばちゃんと少し話して、見送られて室戸方面へと出発したのは11時頃であったか。

<北川温泉>というところの話を少しおばちゃんはしてくれたがこの時は今夜、自分がそこに泊まるとは思ってもみなかった。風はないし。。と思って行った室戸岬はすっごい波だ。これは台風が近いなと思って“天気はどうなってるか"を聞くために観光案内所に入った。寂れた案内所ではおばあちゃんが嫌そうに相手をしてくれたが“今夜あたりはそろそろ降り出すよ"という。<北川温泉>を聞いたら近いというので走ることにした。ところがこれがちっとも近くない。R55から20キロほど山の中に入っていく。中岡慎太郎の生家がある所も通り越していく。後で地図を見たら土佐湾側からではなく、室戸岬の東側の太平洋岸から入った方が早かったかも知れない。これで何だかどっと疲れてしまった。温泉に着いて入湯料400円を確認して、“泊まれるのか"と聞いたら部屋は空いているいう。“まだ13時だぜ"と思ったが、泊まることにした。朝食抜きで5000円。

ほっとしたら腹が減ったのに気がついた。いつもなら朝と昼は抜きなのだが、余裕が出たのでここの食堂で昼飯を食いくつろいでしまった。温泉はなかなかいい温泉だ。少しヌルリとしている。部屋は田舎の民宿並だが、冷房も付いているし、テレビはオリンピックをしているので文句はない。この日は夜半まで晴れていて風もない。

第3日(8/8SAT)

気になる台風だが『台風の接近のため夏休みを返上・役場待機』になってはいまいか。。。と心配もあり少し朝が早かったが電話を入れた。“まだ大丈夫"とのこと。MOTOさんの言葉で出発の決意をする。“高知駅あたりまで行って風のないところにバイクを止め台風の通過を待とう"という予定で走り始めたら、高知は夜には降ったようだがまだ降っていない。生温い風が吹いているだけで薄日も差している。こうなると欲が出る。このまま走ればお昼過ぎには宿毛に行けるぞと思い走る決意をする。風花さん達は桂浜を発ち今ごろは宿毛に向かって走っているのだから、とこの時は信じていたので元気づけられた。

判断というのはほとんどが結果で評価されることが多い。この場合も結果は最悪だがこの判断は止む終えないだろうと思っている。“15時に宿毛に一番接近か"と天気予報は報じていた。しかし台風は予想以上に足が速く僕が宿毛に向かっている時が一番強かった様子だ。R56号・七子峠にさしかかるあたりから雨が降りだした。中村市に出る前の海岸道路での風雨は、台風情報の中継の如く荒れ、風と波と雨でバイクはほとんど走行できない。しかし、もう止まれない。“この世の中で一番愚かなバイク乗りは俺だな"と思いながら、一方、まだ風花&ヤマちゃん組は僕の前1時間位を走っているはずだと信じ“ここにもバカはいるな"と元気を出して走った。『バカな奴はあと二人いるはずだし。。。』これが口癖になってしまっている。しかし実は二人はもう昨夜の家に着いていたのだ。

風が舞うので左と思うと今度は右に重心を取られる。橋のメジでは滑る。対行車にもぶつかりそうになる。海岸の美しい景色なんてあったものではない。雨で地図を見ることができない。風のためバイクからは離れられない。こうなったら宿毛の実家まで勘で走るしかないか。台風に近いからか気圧が低いようで、エンジンの吹けが悪い。このことに気がつくまでには多少の時間を要したが、後で風花さんが同じことを言っていたので確信を持った。ワゴン車は走行不可能で路肩に停車するし、全体的に車の速度は遅い。セカンド・サードで走るしかない。心ばかりが急ぐのだが。。。

しかし、こうして日記を書いていられるのだから無事着いたということか。宿毛ではあゆさんの笑顔は天使のようだった。到着は14時頃であったかな。MOTO&風花&ヤマちゃんの3人組は、台風を見物に出かけたって?!自分の耳を疑ったぜ。食事もしていなかったことや、緊張からの解放で頭の中はカラッポ。あゆさんが出してくださったお昼ご飯は最高に旨かった。ビールも旨い。地獄で仏。地獄に地蔵。天使のあゆさん。感謝感激でした。

こうして次第にくつろぎながら、後から到着する人たちの無事を喜んだのでした。みんな無事で良かった、ほんと。皿鉢料理をい豪華にいただいた。普段は朝食抜きの『西式健康法』を実戦?している私だがついついいただいてしまう。おまけに、コーヒーまで飲んでいる。

この日はひまじんさんの車で<大堂海岸><足摺岬>を訪ねたのでした。バイクはRさんに乗ってもらうことにし軟弱にも車に便乗ということになりました。ヤマちゃんと風花さんはそれぞれの思いを胸にソロで出発して行かれました。厳密には、風花さんはあゆさんの実家に置いて行ったのですが。。。

第4日

勝手ながら省略します

第5日(8/10MON)    

朝、やけに早く目が覚めた。隣で寝てるのはウイリーちゃんだけだ。やはり私の大いびきに恐れをなしてみんな二階に退散したのだろう。ウイリーちゃんは私が横で寝ていたことさえ知らないのだから、よほど疲れていたのだろうね。7時40分、支度が済んで出発。MOTOさんのDTを先頭に中村市街までご一緒してお名残惜しく皆さんとは別れた。さあ、R439を走るぞ!!!

前日、風花さんから通行止めの話を聞いていたが、もう開通しているだろうと甘くみて地図上の最短距離を選び<天狗高原><四国カルスト>を目指す。風花さんが<四国カルスト>と<石鎚山>は必ず行った方がいいと教えてくれたので、さっそくながらコースに入れた。心配の道路状況だが、R439には台風の爪痕がまだ少し残っておりこぶし程度の石はゴロゴロして、樹木はなぎ倒されて散らばりアスファルトを覆っている所も多い。バイクを止めて予想地点を地図で確認すると半分くらいしか進んでいない。ちょうど地図がページのつなぎめで、先の距離の判断がつきにくい。しかし、鼻歌も飛び出してマイペースが戻ってきた。“与作は木を切る、ヘヘイホー"努めて明るい歌をうたおうと思うのだが、哀しきかなひとりになると振られた女のことばかりが浮かんでくる。このあたりはただの山の中で、少しだけ対面した四万十川も腰を抜かすほどのものではなかった。

時間は気にせず今日は道後温泉にさえたどり着けたらいいだろうと思うと気が楽だ。R439から<四国カルスト>に入るのは険しい。国民宿舎天狗荘まで上がるのに楽しませてくれた。でもR439で充分走っていたので感激はやや薄いかな。高度があまりないせいか険しい割にエンジンの吹けは快調だ。バトラックスというタイヤも良いタイヤだ。信頼できる。バイクはR439ではただの1台もすれ違わなかったが、さすが有名(県立公園かな)な所だ、バイクが何台か止まアれだけの道を造ったのだからしかたないだろう。自分で走りながらこんなことを言ったらいかんが、でも、どうしてこんな道を造る必要があったのか。有料道路ではなく林業用の道路ならわかるが、わざわざこんな所まで排気ガスを巻き散らかしに来させることもないだろうに。霊峰登山なら余計にそう思う。自然破壊と言う問題は昔から言われているだろうに。スカイラインの駐車場で昼寝をした時間は不明だが気がついたら15時頃になってガスが流れていく中にいた。ありゃありゃとあわてて道を下って道後温泉を目指した。

道後温泉の駅の前で少しぼんやりして、ベンチのおばさんに“ぼっちゃん湯"を聞いて入った。250円なり。まあ、今日の汗を流すのと、話のネタになるだけかな。休憩付きだと風呂に入って2階に上ってお茶とお菓子が出るとか。値段は少し高くて。。。関心がないので見ていなかった。千円前後だろう。温泉の前に止まっていたタクシーの運転手さんに“おいしいものを食わせてくれる店はありませんか?"と尋ねたら“魚がいいか、肉がいいか"と聞きかえす。どっちでもかまわないと言うと“このあたりは温泉街だから高いので"と前置きをして街中の『いづみ』という店を紹介してくれた。ちょとした静かな小料理屋さんだった。『電車通りをまっすぐ行って共和埼玉銀行の裏だよ』と教えてくれたのでその通り行ったらバッチリであった。メニューがなく、女将さんが“何にしましょう"と聞くので、“飯を食わせてください"と答えた。“2000円位で"と頼むと、豪華な突き出し料理に『鯛飯』をしてくれた。最高にこれも旨かったな。

店を出るときは完全に日が暮れていたが、旅も長くやっていると腹も据わってきた。R11号を東に、小学校とかを探しながら涼しい風に吹かれて走る。小松町の駅の前の案内図にあった“小松町中央公園"に行って、子どもの広場の中にテントを設営した。管理事務所の前の屋根の下にバイクを入れ、ナイターのテニスコートの明かりで作業をした。テニスの人の声をぼんやり聞きながら、あれは上弦の月と言うのだったなと月を見上げながら寝ころんだ。明日も天気が良さそうだなと楽観的に考えて眠っていったようだ

第6日(8/11TUE)

家を出るときには蝉の声など聞けず、今年の夏は変な夏だなと思っていたがこの日は朝から蝉が元気だ。熊蝉(だろう。どうしてもすべてのルートを一筆(ひとふで)では描けない。

<祖谷峡温泉>と言うのがあった。谷底に降りていくケーブルと言うよりやや斜めのエレベーターで河原まで5分もかかって降りていく。39℃の露天風呂。女湯も少し見えてこりゃいい湯だな。一緒に入ってる男性の人は家族連れで、カメラを持って○○○○をぶらぶらさせながら裸で写真を撮るのに走り回っている。僕もその人にカメラを渡してシャッターを押してもらった。その時も○○○○は出しっぱなし。異様な光景だが面白い風呂だな。ケーブルは恐い。落差は100メートルはあるだろう。入湯料1500円、ケーブル込み。ケーブルに乗らずに上の内湯なら400円。ここの露天風呂で話をした高松のおじいさんが<宍喰温泉>はいい温泉だと教えてくれたので、今日から明日の予定が決まった。剣山を越えたらもう一度R193を走って日和佐を通って宍喰温泉~甲浦駅と決定した。R439を中村市から天狗高原の下まで走っているので、ちょっとの山道では動じないし、嫌にならないし、満足しなくなってきている。剣山(1955m)の下の見ノ越はまずまずだが、観光の車が多く、大きな駐車場にいっぱいなのでガックリした。貞光町の方から入ってくるのだろう。ここに出入りするR439は、車が少ないから容易に想像できる。

KDXとスーパーテネレの両氏と一緒に走り始めたのはR193に入ってからだ。僕が甲浦駅に泊まる話をしたら一緒に来るという。KDX氏は3年連続の四国でKDXでは初めて。コピーライターだそうな。テネレ氏はセローとの2足のわらじを履いているらしいがテネレでのお泊まりはまだないので、なんていっている。

甲浦駅にはハプニングもありました。最高と思っていた駅の待合い室は20時から5時まで鍵を閉めるそうです。まあ、お天気も良く外の赤煉瓦の駐車場で寝たのだが、結果的に良かった。他に同じことを考える大バカものもいるようで、車2台、バイク5台、徒歩1台とにぎやかでした。中でも乗用車は深夜にそっと来て泊まり朝になったら若い子供さん(娘さん)らしき子を含む家族3人が車から出てきたから驚いた。アベックならわかるけど。

19時過ぎに宍喰温泉(400円)で汗を流し、駅に戻って駐車場に車座になっていると様々なお客さんが現れる。一番近い家のおじさんと話をするうちに、学生君2人がそのじいさんの誘いに甘えてその家でお風呂に入れてもらうことになった。旅はこれだからありがたい。感謝しなきゃ。私は世話にはならなかったけど。

第7日(8/12WED)

KDX氏のハンドルにガムテープでポカリスエットの缶がつけてある。何かと聞いたら灰皿だそうだ。ロードからオフに移って来た人はマナーが悪く、林道で火事でも出したらもう二度と入れなくなるので気を使うという。なかなか素晴らしい話を聞いて感動した。いよいよ旅を終えることにした。甲浦駅は5時前に軽トラに乗ったおじさんが鍵を開けにきて申し訳なさそうに“中で寝てもいいよ"といって行ってしまった。本当は開けておきたかったのかも知れない。おじさんも管理されているのだからしかたない。まあいいか、快適に眠れたのだから。歯磨きもトイレも綺麗な駅の中で終えて、6時過ぎに出発。日和佐町~由岐町を経てR55に戻って小松島港に8時過ぎにたどりついた。満車にならずに出発。船の中ではやはりウトウトと眠ってしまった。10時50分に和歌山港に到着。出発の日にお世話になった郵便局のお姉さんに思わず会いに行ってしまいそうな気を抑えて“和歌山宇治郵便局"の前を通り過ぎR24を一路吉野へ。高見峠は四国で鍛えたライディングでガンガン走って14時過ぎに自宅到着した。涼しい風が吹いて、雨がポツリポツリときた。またもや幸運な結末でありました。早くネットに報告をしなきゃ。。。

総括・反省

やはり、台風の中を走ったのが一番大きいが、AMラジオを持って行くべきであった。もし、台風が接近したらより安全をみて早めに待機するべきだろう。反省点だ。温泉は、祖谷渓温泉と北川温泉、宍喰温泉、道後温泉の順で良かったと思う。もっと温泉に寄ってもいいが何しろ暑いので勘弁して欲しい。やはり黄金週間に行くべきか。道路は、林道を走るのが楽しいとは思うが、そればかりでも疲れる。たまにはのんびりと海岸辺を走ってみるのもいいだろう。“毎年、林道が増えていくので地図を買い替え直す"と言った人(KDX氏)がいたがその通りだろう。しかし、これは少しづつ俗化されていくと言うことではないか。間違いなしに自然破壊も進む。あの綺麗な渓流の流れを人が汚すようになってはならない。

全走行距離は約1850Kmでありました。Rさんに乗ってもらったのがそのうち約150キロでしょう。まずまず、走りましたね。

戸隠そば・ツー 92・04・25

--出発編--

春になってやっと思いっきり走れる日が来た。天気予報は“晴れ"だと言っている。荷物をまとめてから風呂に入って布団に入ったのが前日の夜の9時前だった。 快適に眠りに入って行き、深夜の1時くらいからうつらうつらモードに移る。 いつものパターンだ。2時頃からは布団のなかで道などを考え、ぼんやりしている。

3時過ぎにネットをのぞく。 決行を確かめたときに、“春日井西・マクドナルド・集合"が目に入る。5時半集合か。 ちょいといそいそし始める。一人で荷物をごそごそしながらの準備だ。うちのんが昨日 の夜にお金と下着をまとめてタンクバックの上においてくれてある。 “気をつけて行ってらっしゃい"と書いてある。しかし、玄関を出るときには起きて きて見送ってくれた。時計は3時40分。

天気は、空がよく見えないので不明だ。ただ、星は見えない。月もない。 路面は濡れている。雨がさっきまでは降っていたようだ。 新聞配達のバイクの人が行きかう街。エンジンも快調で、信号待ちの静寂にはエンジン の音がやけに新鮮である。 早朝の出発は一度やったらやめられない。

空が白み始めたのは四日市あたりからか。 長距離定期便のトラックが多い。プロの運転手だから一緒に走ると走り易い。 無茶もしてこないし、速度も一定だ。バイクだからと言っても同格に走らせてくれる。 これがやや小さいトラックになると訳が違う。

名古屋に入ったのが4時前だった。東名阪を走らなくてはマクドナルドには時間通りに たどり着けないと焦って曲がった道がぴったしだった。23号線から東名阪にそのまま 入って、あとは少し飛ばした。

東名阪の料金所のおじさんと5分くらいゲートで話をした。 “四輪(よつわ)には気をつけてね"と言って、見送ってくれた。


再会編

マクドナルドには、MOTOさんとみかたんがすでに来ていた。僕は、ぴったし5時半着だ。なかなか現れないので行き過ぎたかなと不安になりかけた頃に着いた。みんな“わくわく"だ。良い天気になったことを喜び合いながら何となしに話をするうちにろめちゃんが到着。“10分待ったから出発しましょうか"とMOTOさんの言葉で出発。YUJIさんは追いかけてくるかな。

春日井からは高速は走らず一般道路を走る。50分くらいで恵那につけるだろうな、という読みだ。

寒い。トレーナに皮、その上にジャンパーを着ているが、セーターを持ってくるべきだったかなんて言う心配が頭をよぎる。

6時を少し回った頃。どこの家も朝食(あさげ)の支度に忙しいことだろう。しかし、昔と違いカマドを使うことがないから、たなびく煙は無い。気温の逆転層ができて街の中に朝もやが立ちこめている。これが早朝らしい雰囲気を出している。車は、少ない。平均時速は50キロで予定がたつ時間帯だ。

恵那に入って、Vさんの家に寄ったらバイクのカバーが車の上に置いてある。もう行ったみたいだな、と思って中津川インターまで走ることにした。

霧が出ている。このあたりは山間(やまあい)で霧は出易いようだ。インターの出口に人影が見える。YUJIさんもいる。風花さん・Vさん・もろこしさん・うっでいさんもいる。

良い天気になったことを、やはり喜び合う。気持ちはほとんど通じているようだ。やはりバイク乗りの心にかよう共通のスピリッツは信じていい。

さあ、出発しましょうか。少し行ってガソリン補給して。。。とまさに出発しようとウィンカーを出したとき、インターの出口からひとつのヘッドライトが走ってくる。もう参加表明をしている人は揃ったはずだ。誰だろう、飛び入りは。。。忍者さんと言うのがすぐ頭に浮かんだ。赤いバイクか?・・・YES。忍者900か?・・・どうもそうらしいぞ。『・・・・・忍者さんだ!』と言ってから、さらにもう一度確認した。バイクは私たちのそばに停車し、みんなの感激の中で忍者さんはメットを脱いだ。

身体中が身震いした。さあ、いよいよ出発だ。みんなで10人。個性がぶつかりあい、また調和するもの。戸隠そばツーリングはこうして走りだした。


印象編

[はじめに]

[BIKE]の方で帰宅直後に“ワンシーン&語録"を書きました。それに加筆・改編する形でここにアップします。

[体感の共感]

マス・ツーリングは一人と違って、同じ環境で同じことを感じること(体感の共感とでも言うか)や仲間との会話がエンジョイの主体になります。“さあ、出発!"と言って走り出したら、“前の人に付いて走ること"に割かし神経を使います。マイペースとは呼べなくなり土地の名前すら知らずに移動をしていくことになります。

[19号・走り始め]

忍者さんに再会してからしばらく走ってGSに寄る。まだ中学生が登校する姿が目につく。そんな時間か。。。遠くに来ている割に疲れを感じない。妻篭宿の方(R256)に分岐するあたりからVさんと風花さんが快適に速度を上げ左に木曽川を見ながらのペアラン。このあたりの道もすっかり印象が焼き付いたな。途中、通学途中の女学生(短大生?)に手を振り、振り返してもらい、メットの中でニヤニヤしながら鼻歌まじりに走る。

[塩尻市]

谷が切れて林檎畑がチラチラし始めたら塩尻市街に近い。“平出遺跡"の道案内が出ている。この分岐点からみた北アルプスは今年になって最初の出会いだ。いつ見ても“でっかい山だ"としか言いようがない。山までの距離感がなくなってしまう。すぐそこにあるように見える。雪に縁のない生活をしているだけに、雪の景色はやはりバイクを止めてゆっくり見ていたいと思う。平出遺跡はいつも近くを通るが寄らない。遺跡には関心が特にあるわけではないが、『波の塔』(松本清張)の冒頭はここで始まるのではなかったかな。小説の舞台を訪ねるのもいいものだ。

[サラダ街道]

後で地図を見てもどこを走ったかわからないが、このあたりの道なら方向を誤らずに走れば楽しめそうだ。塩尻を迂回して松本市内にワープする道だ。しかし、知れ渡っているのか車はやや多く、そのうちに渋滞も生む年も近いかな。林檎などの果樹園や野菜の畑が広がり最高の雰囲気が出てきた。『ほんとにいい天気』とみんなで感激し合いながらの“のんびりラン"だ。“田舎の香り"がたまに鼻にきて、目が醒めるというか、昔に帰るというか。

[長野市まで]

『長野に着くまでにレパートリーのカラオケを全部歌っちゃった』と風花さんが後で蕎麦を喰っている時に言っていた。『“無線で、ハイ!次の方"なんてやりながら走ればいい』なんて言う冗談も飛び出た。いやいや、実現するかも。そんな風な単純な道だ。眠いと思っている人も多いのではないかな。

[犀川]

犀川の流れは独特な趣がある。こんな山の中での出会いが余計にそう思わせるのかな。穂高川との合流点だったか(?)に合流点の案内看板が立っていた。これが日本海にたどりつくまでには千曲川とも合流し、数々のロマンを育んできた地を通って行くな。。。などと考えながら、やはり私も“カラオケ"のレパートリーを消化して行ったのでした。


92・04・25 印象編(2)

[バード・ライン]

何年か前の集中豪雨か台風で崖崩れがあり登り口が裏に回っている。本当だったら長野市街一望できるところがあったはずだが。でも、市街を見るところはあるにはあった。止まらなかったが。快適な有料道路だ。200円で戸隠まで行ける。途中ゲートがいくつかあり、チケットを見せて通過する。飯綱高原は二つ目のゲートあたりだが、池がありのんびりしている仲良しさんなどもいた。“蕎麦のため"にかっとびとなった。正面に見えるのは戸隠連山だろうな。

[いよいよ蕎麦]

淡泊な蕎麦でした。過去に2度ほど来ているが、やはり同じ印象だったのを思いだした。蕎麦の臭みが余りない。もっと蕎麦の匂いにこだわる人も多いのではないか。世に知れる為には角を立てないオーソドックスな方がいいのかも知れない。それとも、近代になってから味を少しずつ変えたのか。『おおざるを4つと・・・』と誰かが代表で注文してくれて、『普通のざるとかけ』と個性を出したのは、うっでぃさん。中社(ちゅうしゃ)・奥社(おくしゃ)には行かず。かけ蕎麦の“梯子"をしてもよかったな。

[鬼無里]

静かな山間の村の中をのんびりと走るはずだったが、先頭に併せて結構飛ばしたね。道を覚えていない。後で地図を見ても分岐点の景色の記憶がない。付いて走るとこれだからなあ。白馬の絶景はコメントしません。絶景ですね。『ステップ・スリスリ』をうっでぃさんは楽しんだ様ですね。これは戸隠~鬼無里~白馬ヘの道で記念撮影の時に。

ガソリンスタンドでみかこたんがバイクにまたがり、タンクバックに覆いかぶさるように寝ている。それを見た猫柳が、“ほんとに寝てるよ"と思わず言ってしまった。誰かが『よだれ、たれてないか』なんて追い打ちをかけた。もろこしさんだったと思うが。

[大王わさび園]

忍者さんがみかたんに帰りの時間の話をしている。遅くならないように高速を使う話などをしている。忍者さんの話す姿を見ていると、親が子を諭す様子を連想した。かわいい我子がバイクというきわめて危険な乗り物で旅に出ている。きちんと走れば危なくはないし、一人だけで走ればむしろ4輪よりも視界も広いので安全なのだが。。。もちろん、居眠りは危険だが。まあ、安全に早く帰って欲しいという親の姿を如実に現していた。“わさびソフト"を食べながらのひとときでした。『ツアラーは冷たい物などは極力食べない』としているもろこしさんと猫柳が指をくわえて見てたのです。わさびシュウマイは持って帰ってVさんちで食べたが旨いよ!

[長野道・中央高速]

ユーミンの中央フリーウェイなんて言う歌を歌いながら走ったこともある。しかし、今回は違う。何故か。それにはコメントは不要。

▼“家族持ちがあんなに飛ばしていいのか"との投げかけに『ライダーに家庭はない』と同時に答えて笑っているのは忍者さんと風花さん。

▼“南アルプスがきれいでしたね"の発言に『気がついたのは駒ヶ根近くになってからだよ。見る余裕なんて無かったよ』5バルブ実力テストに余念の無い風花さん。

▼“諏訪湖がきれいに見えましたね"(みかたん)の問に名古屋弁(アクセント)で『知らなかった』とみかたんと同い年の娘さんがいるという風花さん。

▼『何キロ出た?』 『***キロ』 『どこで?』 『どこでも出るよ!』 これはSIGオペ・MOTOさん。

解説:一部では、***の部分を256キロと発表しましたが、これは256キロビットのことであり茶化しただけで、事実の数字は別で、きわめて安全走行であったと思います。

▼『油が乗ってきたところだ、まだ300キロ(は行ける)』は風花さん。恵那峡SAで。(“油の乗った"のはおなかの肉で、300キロは見栄である)GSでメットをかぶったまま大ざっぱに、風花さんが顔を洗う感じでにシールドを洗っている。『アバウトだな』と猫柳が言うと『もう、疲れていたんでしょう』とVさん。[Vさんちで]

▼『もう寝ましょ!.... あと一杯呑んでから』


--完結編--

Vさん宅では朝食、コーヒー付きでご馳走になり“感謝・感激"でありました。6時頃に目が覚めて地図を見たりしてのんびりとした朝だ。もし、一人ならおそらくそそくさと荷物をまとめて出発していただろう。子供達も見送ってくれてありがとう。

[国道257号線]

恵那からは阿木川ダムの湖水を眺めながら快適に高速コーナーが続く。稲武町~設楽町を抜けて新城に至るまで渋滞もなく、取締もない。前方から来るバイク集団の多いのには驚いた。名古屋や浜松方面から走ってくるのだろう。手ごろでカーブが多いから走り易いのか。この道は取り締まれば捕まりそうだが、こんなところで取り締まっても虚しいばかりだな。新城に出るあたりの道は、帰宅後調べたが確認しにくい。この日は地図を持っていないため豊川市に行く標識だけをあてにして走った。大きな交差点は覚えているが、地図にはそんなところがないのでコースは不明。

[国道151号線]

この道に入ったら車も多い。鳳来山にでも行くのかな?豊川インタの入り口をくぐって国道1号に出た。“街乗り暴走車"が目につき始めた。大きな交差点で信号を無視してUターンをした車がパトカーに捕まった。弁解のできない違反はしたらあかん。するなら、冷静に十分確認をしなくては。隠れていそうなところではおとなしくしているのが一番良い。

★豊川インター入口~国道1号までは“白バイ"が多い。手を振ってやろうと思って待っていたが、並走は残念ながら無かった。

[渥美半島]半島の付け根の豊橋市内は渋滞だ。観光の車ばかりだから、地元車はどっかを走っている模様。豊橋鉄道をときどき見ながら半島の先端を目指す。バイクはまずまず多いとしようか。半島半ばから南に移って、海岸のチラチラ見える道を走る。水平線はかすんで見えないが、意外と近くを大きな貨物船が通る。漁船も多い。潮風に吹かれて海を眺めているなんていうロマンチックはなかったなあ。PPMの“風に吹かれて"なんぞを口ずさんでいる。

[伊勢湾フェリー]

2260円。14時発に30分の余裕で到着。先端の駐車場にはバイクが多く、タンデムが目立った。ZZRのド新品(900キロ)のタンデム・アツアツ(?)カップルさんとちょっと話したが、近ごろの人は余り気易く話しかけてこないな。こっちが変な格好をしてるからかな。船の中では熟睡モード。

[鳥羽から]水族館では人があふれ、車もあふれている。松阪まで1時間を見たが、やや速く走れて4時前には帰宅できた。23号線は“白バイ"が多いから気をつけなくてはならない。まあ、無事到着。猫の手クラッチは幸運にも使わなくても済んだ。

-- 完結 --


バイクの名前には鈍感な私ですが

(自分のくらいしか知らないが)

データとして挙げておきます

忍者:GPZ900

風花宅急便:FZX750

MOTO:ZX-10

V-MAX:マーニー

うっでぃ☆べる:VMAX

もろこし:ブロスプロダクト2

YUJI:BMW.R100

ろめちゃん:RZ250

みかこ:SRX400

わたし:GSX-F

北海道1986

北海道1986

序文

『知床に行こう』と言う案が初めに浮かんだ。今年の夏休みは8/1~8/10にすることにして、7/31の夜に敦賀から船に乗って8/2の朝から北海道を走り始めて8/9の朝にフェリーで小樽を発てば京都にかえって来られる勘定になる。ところが問題が発生した。フェリーの切符が思ったよりも早く満席になっていた。

7/31の夜には空席無しと言う問題が起きたのである。しかし、3っの旅行会社に手を延ばしキャンセル待ちをし、出発の4~5日前には切符を手にいれることができた。意地になって切符を手配した分いよいよ北海道に行くしかない状況になってしまった。前回の失敗を繰り返さないように準備を進めることにして、下着はたくさん持ち10日間の旅ができるような大きなバックも買った。オートバイのシートの後方にバックが着くかどうかの確認までした。

うちのんのお父さんには出発の前日まで計画は秘密にしておいて「叱られるからどうしようか」と二人で打ち明ける時を思い浮かべては悩んだ。にもかかわらず、当日うちのんは現金を借りて財布にいれていた。言い訳がましいが私たちにはお金がなかったのではなく、余裕の分を少し借りたかったと言うのが本音の所だろう。結果は予算より少し安く上がってほっとしている。計画は順調に進み会社の仕事も休みが取れた。

話が前後するが出発の10日ほど前に、まだ計画は殆ど立っていなかったけれど、うちのんがバイト先のNTTを首になったという理由は、「10日ほど続けて休みが欲しい」とお願いしたら「やめて欲しい」と言われたらしい。当てにしていた給料は旅費になる予定であっただけに少し痛かったが休みを続けて取れて幸せだと思う。バタバタとしながら計画は煮詰まって行き 80%程の完成度で7/31(木)の夕方を迎えた。いよいよ、7月31日(木)オートバイはもちろん快調である。

この日に敦賀まで走って、京都~敦賀110km

8月1日(金曜日)晴れ

敦賀を出発したのは7/31の夜であるがこの出発が余り良くなかった。どこかの団体がうるさく騒いで、蛍の光の音楽にうちのんも私も恐らく感涙するはずであったところがしらけてしまった。天気が良かったからまずまず気持ち良く敦賀まで着きスーパーでお弁当を買い船に乗ったが、もっとおやつを買っておくべきだったと反省する。

船中の食事はそれほど高くはないが(家計簿を参照のこと)何かと金がかかる。これは人間が暇になると食べたり飲んだりに金を費やすのだろう。何しろ30時間余りも船に乗っているのだから。海は穏やかで波はない。伊勢などで見る青い海と違い、黒味を帯びた、群青色の海である。鏡のように光っている。

ひとりぼっちで大海に出る人たちはどんなに寂しいかわかる様な気がする。どこまで行っても何も見えない海。うちのんと二人で何をしていたのか、あっという間に小樽に着き8月2日(土)の朝を迎えた。

8月2日土曜日

4時頃であろうか、船が濃霧のため1時間遅れると言う放送があった。私はうつらうつらと眠っていたが、また眠ることはせず横になってぼんやりしていた。いったいどんな旅になるのか、オートバイの調子は悪くなりはしないか、天気はどうなるのか、宿はあるのか、いろんなことが心配で頭の中をいきかう。かなり緊張しているのだろう。そんな気持ちで胸をどきどきさせながらうちのんを乗せてフェリーを降りた。

2年前に来た小樽港フェリーポートを思いだした。あのときと同じだ。港の桟橋の前の駐車場にはオートバイがあふれている。100台はいるのではないかな。みんな個性のあるかっこうをして、これから行く旅に胸を膨らませている。帰って行く人もいる。この雰囲気は独特のものがあり全国のどこに行っても味わえないものがあると思う。いっしぃの緊張感みたいんものだ。写真を撮って気を良くして、さあ走り出そうと思う。あの時(2年前)もやや曇っていた。今日も霧が出て山の方は見えない。1.5h~2.0h遅れて着いたこともあり急いで札幌方面へと向かって走り出した。

道路はやや混んでいるものの札幌新道《5》を抜けて《274》さらに《275》を走って当別町へと走る。ここで郵便局を発見した。出発前から気にしていたこと、親父への連絡をするため葉書を買った。10:00頃だったと思う。朝食は札幌新道ぞいのセブンイレブンでおにぎりを買って済ませた。まだ、平気だ。

北海道に着いた緊張と新鮮な気分で元気いっぱい。12:00までに旭川のJTBに着いて8/8日の夜の札幌の宿を決めたいと思いながら《275》を月形町、滝川市、深川市と抜けて行く。ガソリンも途中でいれて元気を出して《12》を走って予定通り旭川にお昼ごろに着く。《275》は車も少なく走り良い。地元の人は一級国道の《12》は利用しないそうだ。だから、2年前と違ってこっちを走ってみた。ずっとまっすぐの道ではなく北海道の景色をすこしみながら楽しんで走れる入門編の道だ。気持ちはしだいに北海道に染まってきた。

旭川に着いてJTBを探し8月8 日の札幌の宿を聞くとこれが全然駄目。全くなしで諦めることにした。しかし、今日の目標は温根湯温泉と決めて、さあ出発だ。近くに決めたので層雲峡にもゆっくり寄って滝でも眺めながら写真でも撮って走ろうと言うことになり幾分余裕が出た。層雲峡はもう何度もきている。必ず通るところだ。銀河の滝、流星の滝、大函などで写真を撮り石北峠(1050m)を越えて《39》を温根湯へと走る。

朝には霧でどうなるのかわからなかっただけに心配したが、すっかり良くなった天気は今度は夕立の心配が出てきた。バイクの数もまあまあ。層雲峡当りで10~20位か。宿には17:30に着いてすぐ風呂に入った。温根湯温泉「武華ホテル」。\7000なり。部屋にしろ風呂にしろ眺めはよく、窓の下を川が流れている。温泉の質もやわらかで初日の走りの疲れとフェリーの中の垢までもを洗い流せて、疲れを癒してくれるのにふさわしい温泉であった。

走行距離:312km

8月3日

目が醒めるともう明るいが時計を見るとまだ6時頃だ。京都よりは30分くらい日が登るのが早いからだろう。寝床で地図を見たり外を散歩している人がいたりを景色を窓から眺めたりしてのんびりの朝を迎える。

美幌峠を走る話をするとうちのんが喜んでくれる。何しろ2年前は夕方の6時半頃だった。店は閉まっていて人も少なかったから、賑わっている峠も見てみたい。それに小樽から川湯温泉に1日で向かってしまおうという恐ろしいことをやろうとしているときだっただけに日が暮れかけた最後の峠は耐久レースのゴールの前みたいだった。

今日の美幌峠は人と車でいっぱいであった。峠のお店で旗を買って荷物にくくり着けた。と言うのはツーリング仲間たちはみんなそうしていた。荷物にいっぱい旗をたてて走っている。うちのんがわがままを言ってせがむ。ピンクの旗がそうだ。

天気はとてもよく皮を着るのが暑いから半袖で走る。肌が突っ張るような気がする。ひりひりと痛い。お昼頃川湯温泉を通り抜けて硫黄山にて食事をとる。とにかく硫黄が臭い。飯はまずいし蝿は多いし、良くなかった。

この後、摩周湖へはすぐ行かず弟子屈町に行きバスターミナルから知床プリンスホテルを予約した。宿がとれると安心するのが毎日の日課であったが、後で考えると宿はミス無しで取れると見てよい。弟子屈から摩周に向かう。

《243》から道道に入るといよいよ道東らしく牧場風景が広がり道はまっすぐになって、「大地」という言葉が似合うなと思う。初めて本州からきたときは感激した。こんなに広い牧草地帯。しかし、その後で知った冬の厳しさ。

摩周湖の表の展望台に行った後、裏摩周の展望台に行った。800メートル位のがたごと道を走って到着。人は10人弱。静かなところでみすぼらしい展望台がありトイレもあるが水が出なくて手が洗えない。展望台からは湖面に降りる道があってよくみんなはここを降りて摩周湖で泳いだと胸を張るのだなと考えた。皮のつなぎでは不便でありやめた。

私は今までに北海道に3度来たが、すべて摩周湖は見えている。信じてもらえないがなぜか見える。霧が出るというのが嘘ではないのか。記念写真を撮って、少し休んで知床に向かう。道草を喰ってオシンコシンの滝で休んでプリンスホテルは17:30 頃の到着でありました。

本日の走行距離:266キロ。

8月4日(月)晴れのち曇り。

私たちの最大の目的は知床であった。斜里からウトロへの道を昨日の夕方に走ったが、昔とそれほど変わらない。ところどころに観光道路が開発されよい道になっている。2年前より人も増え車も多い。

こうして少しずつ観光ブームに押され自然破壊が進み、私の大切にしている道東の自然が破壊されていく。プリンスホテルでの部屋は小さい物置みたいなところで安かったのだけがとりえだ。繁華街や土産物屋さんは遠く、夜は近くの酒屋でビールを買ってきて部屋で飲んだ。

さて、いよいよ本日の話にはいる。今日は朝から五湖へ行った。それからいよいよ知床峠だ。ウトロには昔の面影はなくすっかり変わり、まるで田舎の街に都会の原宿みたいなのが来たって感じ。しかし、昔、ユースの前にあった土産物屋さんは今でもあった。

岬の奥に向いて走ってみることにした。知床五湖に行った。道が広くなっている。がたぼこの砂ぼこりむんむんの道ではあったが、広くなっていた。北キツネだとは知らずに『犬だ犬だ』といって写真を撮った9年前とはまるで戦前と戦後の違い程車も多いし道端も秘境くさくない。知床五湖は別にこれといって新鮮味がないし観光バスが来ていてハイヒールの人も多い。

湖はただの沼だ。おそらく植物とか動物に詳しければ見る目が変わっていると思うがただ単に景色を見て回るのであればはじめの2つを薦める。カムイワッカの滝も人と車があふれている。

いよいよ知床峠(750m)にさしかかった。カーブの続く有料道路みたいな道を登って行く。道端にはユリの花が咲いている。羅臼岳には雪が残っている。観光バスも走っている。もはや原始の姿ではなく滅んで行くサンプルを見ているようである。北方領土が見える。

うちのんは感動してじってみつめて、さかんにシャッターを押していた。羅臼岳に登りに行かないと知床に求めていたものは発見できないかな。羅臼でお昼を迎えたが食事の内容のことでもめて喧嘩になり遅い昼食になった。

天気の関係もあるが、少し曇っているので寒い。北方領土の資料館みたいなところにうちのんだけ行った。標津方面に行き中標津の商店街にあるスーパーの中のファーストフードの店で遅い昼食を取った。15:00頃であった。

この後、開陽台に向かった。360度の視界である。展望台の下の駐車場の角でテントを張っている若者達。時間のある人がうらやましいな、でも今夜からの天気が怪しいので気の毒に、と思いながら今夜の宿である川湯温泉を目指して開陽台を後にした。

牧場の中を走っていくと、『牛の横断注意』の標識が出ている。北海道に来て気が付くおもしろいところのひとつだ。川湯温泉の泉質は食塩泉です。だから日焼けた腕にひりひりと痛くしみる。ゆっくりと入れなかったのが残念だ。ここはいい温泉だと思って、今年もまたやって来たのに。夜の温泉街は寂れていて人影もまばらでお土産物屋さんにも人影は少ない。これほど知れている温泉街でありながらいったい皆はどこで何をしているのか。少し寒いほどだが京都と較べると天国だ。

本日の走行距離:川湯温泉まで、236キロ。

8月5日(火)雨降り

朝起きたら雨降りであった。バイク乗りは雨には負けてはならない。寒さにも負けてはならない。でないと本物と言えない。まあ、好きで乗っているのだから雨が降っても乗っているのがいい。

テレビで天気予報を見る。都会にいると天気は関係無いが自然の中にいるとそうはいかない。先まで予想をしなくてはならず、人間がより人間的になれる時間だと思って喜んでいる。空を眺めて雲を見ることは人間として必要なことで美しい姿であると思う。

川湯は遅いめに出発した。10:00頃か。雨の中を摩周湖に上がって行く車が多い中、「もしかしたら見えるのかな」とジョークをいいながら「霧の摩周湖も見たいな」なんてうちのんと言って、摩周湖に登ったらやはり見えなかった。次から次へと登って行く人たちはいったい何を見に上がって行くのだろうか。スケジュールに入っているからそれをこなしに行くのか、そんなことならやめればいいのに。

摩周を降りてうちのんが寒いと言うのでトレーナーをツナギの上に着せた。雨が降ると肌寒い。特に道東はオホーツクの空気が吹き込むと寒い。夏に薄着で居ると歯を食いしばって顎が疲れてしまう。トレーナーを持って行ったのは正解だった。

この後、釧路まで一気に走ることにした。雨の中の《391》をがんばって走る。うちのんは眠たいので私の後ろで寝てしまう。それをがんばって起きていろと言って励まして釧路をめざした。こんな日にタンデムで後ろに乗っているのは大変な苦労だろうと思う。特に乗る楽しさがあるわけでもなく、自分のペースが守れるわけでもなく、私に付いて行っているだけなのだから。天気のよい日でも私なら嫌だと思うだろう。

台風が近づいているらしく雨は激しくなったり霧のようになったりで、釧路で昼食を取る間以外はずっと十勝川温泉まで走った一日であった。無理をすると事故につながるし、雨の日は走っていても刺激もないから博物館とかの屋内にした方がよいと思う。

昼飯は釧路の駅前の地下でラーメンを食べた。暖かいのが何より嬉しい。駅前広場にオートバイを置いての大休止となった。こんな雨降りにどこに泊まろうかと悩む

こんなことばかりで悩んでいる。十勝川温泉からオートバイで来た人に聞いて『ホテル雨宮』が良かったと教えられ予約をした。さすがにいいホテルであった。泉質は植物性モール湯で黒っぽく滑らかで、他の温泉とはひと味違う。夕食に出たメロンがうまい。

本日は254キロ。

8月6日(水)

ところにより雨降り。

宿の人に聞くと池田町の『ワイン城』がいいと教えてくれたので行ってみることにした。雨は止んでいたから少し安心したけどまだ不安がある。『ワイン城』はおもしろかった。まだ新しいみたい。オートバイでなければおいしい肉とワインをお腹いっぱい味わうのに残念だな。裕ちゃんに「何故ステーキを食べなかったの?」と聞かれたのだけど、レストランは11:30~なのです。ステーキは食べたい、ワインは飲みたい、時間は押している、天気は不安ときている。今度行くときはまた必ず行こうと思う。

いつものことだが、先を急ぐ旅になっている。日勝峠を目指して11:00前には池田町を出た。曇ってばかりなので走るにつれ気が変わり、かねてからうちのんの希望でもある『愛国駅』と『幸福駅』で道草を喰った。もうすぐ無くなる駅。いろんな人の思い出のメモや名刺が駅舎の中に張り付けてある。はかなくも哀しい雰囲気が漂っている。でも自然は自然のままが一番いい。廃止になるのも自然なのか。開拓にきた明治の頃の若き人たちのその生活やノスタルジアを感じてしまう。どこでも同じ駅だけどここだけにしかないものを感じながら、記念写真を珍しくたくさん撮った。来て良かった。

《38》から《274》へとコースを移し日勝峠を登り始めると霧であった。《38》で昼食を取る時に駐車場にいたドライバーの人に聞いて知ってはいたが、やはり嫌だなと思う。そう!昔、草津温泉から白根山に登って志賀高原に越えた時に霧にあった。前を走るバイクとは2メートルも離れていないのにテールランプが見えない程の霧。カーブではガードレールにすがりついて曲がったというあの悪夢を思いだした。

日勝峠は未舗装も少し残っている。トラックが多い。小雨の中を雨具を着て越えた。峠を越えてから苫小牧までは遠かった。目標は登別であったが、苫小牧で力尽きプリンスホテルに泊まることにした。夜、今回のツーリングでは初めて飲みに出た。行った所は『つぼ八』であった。じゃが芋はやはりおいしいと思う。プリンスホテルの部屋では夜半から雨の音が聞こえる。明日の天気でうなされそうだ。

本日の走行距離258キロ。

8月7日(木)

心配していた天気も持ち直した。

支笏湖に向かうことにした。朝飯はホテルのレストランで取った。昨日、駐車場で見かけた白髪ライダーのオジサンが話しかけてきて「良かったら一緒には知りませんか」という。「長い間ひとりで走っていると仲間が欲しいと思う」といっていた。わかる気がするし私もこれからそう思うことがあるだろうなあと思った。けど、私たちは喧嘩ばかりしているから一緒に走ってもいいけどちょっと悩んだ。結局、断わって「また会えるでしょう」といって別れた。

支笏湖の湖面には霧はなかったけど周りの山には霧がかかっていて見えない。しかし、神秘的にも見える。うちのんは気に入らないみたい。とうもろこしを食べて白老に向かうことにする。

白老でお昼のためにラーメン屋さんに入ったら何と来るときのフェリーで一緒であった九州のお母さん(オバサン)とまたばったり会った。驚いたよ~。このオバサン達は兄弟でワゴン車をに乗り込みにぎやかだ。この後、登別の熊牧場で再開し夜の温泉街でもあった。北海道とはこんなふうな所でみんながコースを決めて来るからついつい同じ方向に走ってしまう。一度仲良くなると昔からの知合いの様になってしまう。

登別温泉に着いて『滝本館』というホテルが目に入った。どうしてもそこに泊まりたいと思い案内所に行ったら1~3万位するとのことでしたが、姉妹ホテルの『滝本イン』なら安くて同じ温泉を使えるということでそこに決めた。しかもそこはバイクを玄関の中まで入れてくれて親切であった。

夕飯はバイキングだった。熊牧場に行ってロープウェイに乗り少し散歩をしてから風呂に行った。滝本館の風呂はすばらしかった。広くて楽しい。(パンフレットを参照)ここについてはコメントは要らない。熊牧場からの眺めは皆無で、もちろんクッタラ湖は見えなかった。

本日走行距離110キロ。

8月8日(金)曇り後快晴。

登別温泉を出るときには不安も残るが、雨は降らずクッタラ湖を見てから登別を離れる。晴天であれば良かったのにと思うが、こればかりは泣いても笑ってもどうしようもならない。

今日は札幌で泊まる日であるから昭和新山を見て中山峠を越えて札幌に行こうと思う。うちのんと札幌のホテルのひどさ加減を心配している。

登別から昭和新山にはオロフレ峠を越える。昭和新山と有珠山はやはり道南という感じで観光化され人が多い。オロフレ峠はすばらしい峠だ。また来るところのひとつになってしまった。

有珠山の麓では九州のオバサン達にまた会い、うちのんはお芋までご馳走になり後を追いかけたがわからなかった。金曜日の夜には小樽から船が出ているのだそうだ。また会うよと思っていたけどもう会えなくなってしまった。ちょっとセンチになっている。

中山峠でやや遅い昼食を取って札幌に16:00頃到着。裕ちゃんに電報を打ち呼び出して駅前のワシントンホテルで食事をした。楽しい夜であった。裕ちゃんは岩見沢からきてくれて久しぶりに会うことでもあって話も弾んだ。

8月9日(土)晴れ。

朝の天気もよし。目は早くに醒めて6:30頃ホテルを出た。小樽に早くついてゆっくりと朝食が取れた。やはり早く起きた方が旅の時は得だと思う。9:00ころから船に乗り後は船中でくつろぐことになった。

あとがき

これは1986年に北海道を訪れたときの日記をアップしました。この前にも行ってますが、また違う北海道でしたし、もちろんこのあと'89年にも4 度目になりましたが行きました。この時の日記があったのですが、無くしてしまい今は配布した人にしかありません。もし当たってみて再入手可能であればアップしたいと思います。

2009年1月26日 (月曜日)

きょうのキミ、その髪型が大好きや

そんなことをぶつぶつ呟きながら
廊下を歩いていた。

2009年1月24日 (土曜日)

寒空に一本の飛行機雲みつけた

何だかきょうは寂しいな。

そんな日に限って。

----

寒波来てるそうですけど
雪降る気配、ぜーんぜん、なし。

冷たい雨、今夜だけは許したろ

強がりは、激しいほどいいのかも知れない。
負け惜しみは、静かに悔しむのがいい。

----______

 冷たい雨、今夜だけは許したろ

一体、ここで、何を、許すのか。
許せないほどの出来事って何だったのか。

どうせ些細なことだろう。
オマエの呟くことだから。

----______


雨上がり、嫌いも好きもあらしません

傘を差して
遠ざかってゆく
うしろ姿

ほんとうは
好きなくせに

2009年1月22日 (木曜日)

冷たい雨が好きと言ってみる

冷たい雨

何を思い浮かべます?

ユーミンの歌?

失恋?

寂しいデートの帰り?

-- ___

伝わらない私の心、じれったい。
帰り道は雨降り。

水溜り、冷たい雨の贈り物

冷たい雨が好きと言ってみる

2009年1月21日 (水曜日)

さようなら、雪が来てると空をみる 〔塵埃秘帖篇〕

毎年、1月の日記には同じようなことを書きますが。

22日は親父の命日で、あれから何年という数字が必ず毎年ひとつずつ増えて、私の余命がまたひとつ減ってゆく。親父の死んだ年齢に近づく度に、親父の気持ちが少しだけわかる。

さようなら。
そんな洒落た別れはできなかった。

苦しみながら床に伏せる日々だったというけれど、私は冷たい人間なんだろう、ちっとも見舞いには行かなかった。

18歳で東京に行ってしまったし、京都に戻って来てからもゆっくりお酒を飲んだ覚えも無いし、話をしたこともなかった。

自由自在に人生を生きてきた人で、数多くの仲人をしたり、自分で愉しむだけの絵を描いてみたり、木を彫ってみたり…の日々だった。
今の私が似たようなことをやりたくて困ってしまう。

何も、人生論について話したことなど無かったのに、これほどまでに似るのものか。
確かめたくても、聞いてみたくても、もう居ないし。


日本中が震え上がった真冬の1日だった。

誰もがそうだろうけど、私も例外なく、「さようなら」を言う準備はしていなかった。

傍にいて抱いて眠っていた母が
「朝になると体がすーっと冷たくなっていったんや」
と話してくれた。

静かに静かに冷たくなってゆく様子は全く想像できないけど、私もそのときはそうありたい。

さようなら、雪が来てると空をみる

「さようなら」と言いあって別れることのできなかった人。
大好きだった人だけれど、憎しみを残して消えていった。

深い傷も、血痕のような痛ましい恨みも、今はもう…許しても構わない。
もちろん、記憶から消してしまうことはできないけど。

ボクだって、ときには思い出すことがある。
街を行き交う女性たちのなかに、キミのように短い髪を茶色く染めて銀に輝くピアスを見たら、理由も無くドキドキしてしまう。

別れってのは、たとえそれがもう二度と逢えない悲しいものであったとしても、心の準備ができあがってさえすれば、潔く「さようなら」と言えるもの。

新しいものが大好きで、見かけ以上にケチで、派手なようで地味だった人。

真冬のデート。仕事帰りの乗り換え駅で、柱の蔭で待ち合わせ。
流れる人の吹き溜まりのような通路の片隅にいたキミを抱いて連れ去ることができなかった一瞬を、今でもときどき思い出す。

「今夜から雪かもしれないね、さようなら」

そう言って深夜の電車に送り込み、雪の朝に「おはよう」って言いあっていたくせに、本当の別れのときには、何も言えずに電話を切った。

明日は雪になるのだろうか。
そんな夜更けは悲しみが募る。

--___

さようなら、雪が来てると空をみる

遠くから見つめているだけの深呼吸

 すれ違う間際のピアスに胸踊り

というのを書き出したのだが、そいつには、似たのがあって

 すれ違う間際でピアスが目に迫り

なんてのもあった。

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同じページに

 目隠しをしてない鬼さん手の鳴るほうへ

 あのころは今のように泣き虫じゃなかった

 遠くから見つめているだけの深呼吸

 見つめようとするとそっぽを向いている

なんていうのが残っている。

すれ違う間際のピアスに胸踊り

16日の夜は寒かった。
メモに、朝の部屋の温度が5℃だったと書いてある。

-----

寒いですね。
今朝、部屋の温度は5度でした。

PC、そんなに長く使ってられませんよ。
レスも書かずに足跡だけ。

泥道や雪道に残った自分の足跡って、じーーっと見つめてしまうでしょ。

みなさんの足跡もじーっと見つめてれば
心が通じるかな。(苦笑)

ではあした。

すれ違う間際のピアスに胸踊り  ねこ

2009年1月19日 (月曜日)

新年明けましておめでとうございます

 新年明けましておめでとうございます。といっても、すでに成人式が終わって、お正月気分は完全に抜けていることと思いますが。

 世界は大恐慌並みの不景気に危機感を募らせる一方、海の向こうのアメリカでは次期大統領就任で湧き上がっています。google の検索窓に「Barack OBAMA」と入れてクリックすると新大統領のスピーチが目に飛び込みます。熱気ある演説の中では「change」であるとか「environment」という言葉が盛んに登場します。化石燃料に代わる次のエネルギーに何か新しい変革を起こそうとしているのがわかります。

 元旦の朝刊の広告に「百年後だって、人間はきっと変わらない」というのを見つけました。それは、ある出版社のものですからすっと通り過ぎてしまった人が多いかもしれませんが、ちょっとお洒落で、意味有り気なキャッチコピーです。私たちは百年も生きられませんから「百年後だって、人間はきっと変わらない」という願いにも似た気持ちを叫んでみても、しかしそれを確かめるのは私たちの次の世代です。「百年後」を見据えながら「変化すべきところ」と「守るべきもの」をしっかりと見極めていかねばなりません。

 今、オバマ氏が叫ぶように、人類は「change」をしながら、さらに社会は進化と後退を繰り返しながら歴史を刻んでいくことを考えると、やはり、私たちもこのときを機会に新しいステージへと踏み出さねばならないのだ、と暗示をされているようにも受け取れます。

 どうぞ、今年もよろしくお願い申し上げます。

*

 成人式を祝う若者たちをニュースで見ながら、10年前に環境活動を学んだ子どもたちは、今や二十歳になっているのだなと思っていました。三重県環境学習情報センターが開館したのが平成11年のことで、小学校時代にここで環境に関ることを学んだ子どもたちも成人式に混じっていることになります。

 巻頭でも少し触れましたが、今「変化」しようとしているものは数限りなくあり、私たちが携わっている「環境と森林」いう分野でもこれまでにないチャレンジがあると思います。これまでと同じことを繰り返しているだけでは、新しい環境活動は望めないと示唆されているようで身震いする思いです。

 このメルマガを前任の人から引き継いだのが平成17年3月ですから、早いもので、やがて4年を迎えます。「まちかどエコ@みえ」のコンテンツも始動しました。ホームページやメルマガを始めとして、活動の新しいステージを構築するべく、自分たちも change しなくてはならない日々が続きます。

2009年1月13日 (火曜日)

ひと息をつくと必ずここにくる

ふ。
行きつけの飲み屋かい。

いいや。
気が置けない女のいるトコロ。

そんな、トコロは夢か妄想の中だけかねぇ。

---

◆ 振りかえりウインクをしてみたくなる

この、振り返る一瞬の前の緊張感。

2009年1月 9日 (金曜日)

ほっぺたにニキビがひとつ振り振られ

(自分のほっぺたに指を当てながら)
思わず、その人に

---- こんな所に出来てしまいましたねぇ。思わず、思い思われ振り振られ・・・って確認してしまったわ

と話しかけてしまいました。

---- そーなんですよ

と言ってましたが。

右ほっぺ。

2009年1月 8日 (木曜日)

北風のように、吹き荒れキミをさらいたい

いやー
これしかないっしょ。

----

風のよう吹き荒れキミをさらいたい

・・・でも良かったけど、やっぱし、字余りでも、北風でしょ。


お正月も終わって
新学期が始まった。

久し振りに会うキミ
見つめていい?

長い間会わないと
忘れてしまいそうだったよ。

北風のように
ビューンと吹いて
キミを抱きかかえて
連れ去りたいね。

---

と、そんな高校時代があったかどうか。

2009年1月 3日 (土曜日)

百年後だって、人間はきっと変わらない

元旦の朝刊にある新潮社のコピーからタイトルを戴いてみた。

▼私たちは百年も生きられない。
しかし、社会は進化しながら、また、きわめて哲学的な叡智という側面では進歩と後退を繰り返し、時は刻々と過ぎる。
地球という惑星からすれば、人類など微塵のものでもなく、環境が破壊されようが星が粉々になろうが、それもひとつの宇宙の歴史に過ぎない。
私たちに、住まわせてもらっているという感謝の気持ちが無ければ、やがて私たちは宇宙に飲み込まれてしまうだけだ。

▼百年とは、不思議にも、人の生命のひとつの周期に似ているかも知れない。こういう小刻みな周期の定義において1割以下の誤差率で百年を言い当てている。次第に人の寿命は延び百年に近づく。しかし、私たちが百年を生きることはまだまだ難しい。

▼人間は変わらない。そう言ってみたい人間の強がりと、今の暮らしに満たされた人間の驕りがもたらす油断のようなものが、人間は変わらないのだと思わせる。
生態系として眺めるのではなく、ハートで動くマシンとみなしたら、これほど短時間に目まぐるしく変化してきた動物はあるまい。

▼それでも、「百年後だって、人間はきっと変わらない」と思いたい。百年後の変わっていないヒトを確認するのは、必ず新しいヒトであることを考えると、これは希望を表したメッセージでもあるといえる。

▼250万年前にアフリカ大陸で人類が誕生して以来、滅びることも無くこれほどまでに変化した動物がいたのだろうか。百年という周期と2500年という周期と、5万年という周期と、250万年という周期。無数の時間が無数のリズムを持って過ぎてゆく不思議。そこには数学的にきっと解析できる規則があるような気がするものの、そんなものは不要とも思う。

▼250万年を無限大回数だけ切り刻んでいっても、決してゼロにはならないことを考えると、目の前にどかん!と放り出された「百年」という数字が、そこはかとなく輝くように美しく見えてくる。

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▼大晦日。「おおつごもり」とも読む。
もちろん、そう呼ぶ人も多い。

「大つごもりの朝には、ぜんざいを食べたもんや」
そんな母の呟きを聞きに実家に出かけた。


▼すっかり母の腰も折れ曲がってしまっている。
さぞかし歩くのが苦しかろう。

近年は餅つきも機械でやってしまうので、人手もかからない。
ひとりで竈に火を起こし、もち米を釜に掛け、
ひとりで、餅つき機械を支度して、餅をつき、
出来上がったら、そそくさと丸めてしまって終わりとなった模様だ。


子どもや孫が手伝う間もなく餅つきは終わったという。
おそらく、後片付けも忙しそうにしたのだろう。
おせちの用意をして、小豆を茹で、掃除をして、畑に野菜を獲りに行ったのだろう。
せっかちに見えるのは、性分だから仕方あるまい。


▼私が家を訪ねたときには、
一服し終わって、居間で佇んでいた。

静かな大つごもりだ。
「長いこと忘れておったわ。大つごもりには、ぜんざいを食べるもんや。どうや、幾つ、餅、入れる?」


 蕎麦を打つ父居ぬ土間や暮れる夜  ねこ

静かな静かな大晦日だった。
相変わらず、この土間は寒いなあ。


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▼私は実家に帰っても泊まらないので、この夕刻に、母はしばらくひとりで過ごし、しばらくして弟家族が来て、一緒に夜を越し、新年を迎えたのだろう。

元日の夕方に再び訪ねた。せっかちにすき焼きの鍋に肉を放り込み、灰色の雲がかかった山々を台所の窓から見ている。

もう何度も一緒に正月を迎えることは無いだろう。そんなことを想像している。

 南天が揺れて凍える勝手口  ねこ

いつもどおりに、1年が始まった。

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