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2009年1月28日 (水曜日)

北海道1986

北海道1986

序文

『知床に行こう』と言う案が初めに浮かんだ。今年の夏休みは8/1~8/10にすることにして、7/31の夜に敦賀から船に乗って8/2の朝から北海道を走り始めて8/9の朝にフェリーで小樽を発てば京都にかえって来られる勘定になる。ところが問題が発生した。フェリーの切符が思ったよりも早く満席になっていた。

7/31の夜には空席無しと言う問題が起きたのである。しかし、3っの旅行会社に手を延ばしキャンセル待ちをし、出発の4~5日前には切符を手にいれることができた。意地になって切符を手配した分いよいよ北海道に行くしかない状況になってしまった。前回の失敗を繰り返さないように準備を進めることにして、下着はたくさん持ち10日間の旅ができるような大きなバックも買った。オートバイのシートの後方にバックが着くかどうかの確認までした。

うちのんのお父さんには出発の前日まで計画は秘密にしておいて「叱られるからどうしようか」と二人で打ち明ける時を思い浮かべては悩んだ。にもかかわらず、当日うちのんは現金を借りて財布にいれていた。言い訳がましいが私たちにはお金がなかったのではなく、余裕の分を少し借りたかったと言うのが本音の所だろう。結果は予算より少し安く上がってほっとしている。計画は順調に進み会社の仕事も休みが取れた。

話が前後するが出発の10日ほど前に、まだ計画は殆ど立っていなかったけれど、うちのんがバイト先のNTTを首になったという理由は、「10日ほど続けて休みが欲しい」とお願いしたら「やめて欲しい」と言われたらしい。当てにしていた給料は旅費になる予定であっただけに少し痛かったが休みを続けて取れて幸せだと思う。バタバタとしながら計画は煮詰まって行き 80%程の完成度で7/31(木)の夕方を迎えた。いよいよ、7月31日(木)オートバイはもちろん快調である。

この日に敦賀まで走って、京都~敦賀110km

8月1日(金曜日)晴れ

敦賀を出発したのは7/31の夜であるがこの出発が余り良くなかった。どこかの団体がうるさく騒いで、蛍の光の音楽にうちのんも私も恐らく感涙するはずであったところがしらけてしまった。天気が良かったからまずまず気持ち良く敦賀まで着きスーパーでお弁当を買い船に乗ったが、もっとおやつを買っておくべきだったと反省する。

船中の食事はそれほど高くはないが(家計簿を参照のこと)何かと金がかかる。これは人間が暇になると食べたり飲んだりに金を費やすのだろう。何しろ30時間余りも船に乗っているのだから。海は穏やかで波はない。伊勢などで見る青い海と違い、黒味を帯びた、群青色の海である。鏡のように光っている。

ひとりぼっちで大海に出る人たちはどんなに寂しいかわかる様な気がする。どこまで行っても何も見えない海。うちのんと二人で何をしていたのか、あっという間に小樽に着き8月2日(土)の朝を迎えた。

8月2日土曜日

4時頃であろうか、船が濃霧のため1時間遅れると言う放送があった。私はうつらうつらと眠っていたが、また眠ることはせず横になってぼんやりしていた。いったいどんな旅になるのか、オートバイの調子は悪くなりはしないか、天気はどうなるのか、宿はあるのか、いろんなことが心配で頭の中をいきかう。かなり緊張しているのだろう。そんな気持ちで胸をどきどきさせながらうちのんを乗せてフェリーを降りた。

2年前に来た小樽港フェリーポートを思いだした。あのときと同じだ。港の桟橋の前の駐車場にはオートバイがあふれている。100台はいるのではないかな。みんな個性のあるかっこうをして、これから行く旅に胸を膨らませている。帰って行く人もいる。この雰囲気は独特のものがあり全国のどこに行っても味わえないものがあると思う。いっしぃの緊張感みたいんものだ。写真を撮って気を良くして、さあ走り出そうと思う。あの時(2年前)もやや曇っていた。今日も霧が出て山の方は見えない。1.5h~2.0h遅れて着いたこともあり急いで札幌方面へと向かって走り出した。

道路はやや混んでいるものの札幌新道《5》を抜けて《274》さらに《275》を走って当別町へと走る。ここで郵便局を発見した。出発前から気にしていたこと、親父への連絡をするため葉書を買った。10:00頃だったと思う。朝食は札幌新道ぞいのセブンイレブンでおにぎりを買って済ませた。まだ、平気だ。

北海道に着いた緊張と新鮮な気分で元気いっぱい。12:00までに旭川のJTBに着いて8/8日の夜の札幌の宿を決めたいと思いながら《275》を月形町、滝川市、深川市と抜けて行く。ガソリンも途中でいれて元気を出して《12》を走って予定通り旭川にお昼ごろに着く。《275》は車も少なく走り良い。地元の人は一級国道の《12》は利用しないそうだ。だから、2年前と違ってこっちを走ってみた。ずっとまっすぐの道ではなく北海道の景色をすこしみながら楽しんで走れる入門編の道だ。気持ちはしだいに北海道に染まってきた。

旭川に着いてJTBを探し8月8 日の札幌の宿を聞くとこれが全然駄目。全くなしで諦めることにした。しかし、今日の目標は温根湯温泉と決めて、さあ出発だ。近くに決めたので層雲峡にもゆっくり寄って滝でも眺めながら写真でも撮って走ろうと言うことになり幾分余裕が出た。層雲峡はもう何度もきている。必ず通るところだ。銀河の滝、流星の滝、大函などで写真を撮り石北峠(1050m)を越えて《39》を温根湯へと走る。

朝には霧でどうなるのかわからなかっただけに心配したが、すっかり良くなった天気は今度は夕立の心配が出てきた。バイクの数もまあまあ。層雲峡当りで10~20位か。宿には17:30に着いてすぐ風呂に入った。温根湯温泉「武華ホテル」。\7000なり。部屋にしろ風呂にしろ眺めはよく、窓の下を川が流れている。温泉の質もやわらかで初日の走りの疲れとフェリーの中の垢までもを洗い流せて、疲れを癒してくれるのにふさわしい温泉であった。

走行距離:312km

8月3日

目が醒めるともう明るいが時計を見るとまだ6時頃だ。京都よりは30分くらい日が登るのが早いからだろう。寝床で地図を見たり外を散歩している人がいたりを景色を窓から眺めたりしてのんびりの朝を迎える。

美幌峠を走る話をするとうちのんが喜んでくれる。何しろ2年前は夕方の6時半頃だった。店は閉まっていて人も少なかったから、賑わっている峠も見てみたい。それに小樽から川湯温泉に1日で向かってしまおうという恐ろしいことをやろうとしているときだっただけに日が暮れかけた最後の峠は耐久レースのゴールの前みたいだった。

今日の美幌峠は人と車でいっぱいであった。峠のお店で旗を買って荷物にくくり着けた。と言うのはツーリング仲間たちはみんなそうしていた。荷物にいっぱい旗をたてて走っている。うちのんがわがままを言ってせがむ。ピンクの旗がそうだ。

天気はとてもよく皮を着るのが暑いから半袖で走る。肌が突っ張るような気がする。ひりひりと痛い。お昼頃川湯温泉を通り抜けて硫黄山にて食事をとる。とにかく硫黄が臭い。飯はまずいし蝿は多いし、良くなかった。

この後、摩周湖へはすぐ行かず弟子屈町に行きバスターミナルから知床プリンスホテルを予約した。宿がとれると安心するのが毎日の日課であったが、後で考えると宿はミス無しで取れると見てよい。弟子屈から摩周に向かう。

《243》から道道に入るといよいよ道東らしく牧場風景が広がり道はまっすぐになって、「大地」という言葉が似合うなと思う。初めて本州からきたときは感激した。こんなに広い牧草地帯。しかし、その後で知った冬の厳しさ。

摩周湖の表の展望台に行った後、裏摩周の展望台に行った。800メートル位のがたごと道を走って到着。人は10人弱。静かなところでみすぼらしい展望台がありトイレもあるが水が出なくて手が洗えない。展望台からは湖面に降りる道があってよくみんなはここを降りて摩周湖で泳いだと胸を張るのだなと考えた。皮のつなぎでは不便でありやめた。

私は今までに北海道に3度来たが、すべて摩周湖は見えている。信じてもらえないがなぜか見える。霧が出るというのが嘘ではないのか。記念写真を撮って、少し休んで知床に向かう。道草を喰ってオシンコシンの滝で休んでプリンスホテルは17:30 頃の到着でありました。

本日の走行距離:266キロ。

8月4日(月)晴れのち曇り。

私たちの最大の目的は知床であった。斜里からウトロへの道を昨日の夕方に走ったが、昔とそれほど変わらない。ところどころに観光道路が開発されよい道になっている。2年前より人も増え車も多い。

こうして少しずつ観光ブームに押され自然破壊が進み、私の大切にしている道東の自然が破壊されていく。プリンスホテルでの部屋は小さい物置みたいなところで安かったのだけがとりえだ。繁華街や土産物屋さんは遠く、夜は近くの酒屋でビールを買ってきて部屋で飲んだ。

さて、いよいよ本日の話にはいる。今日は朝から五湖へ行った。それからいよいよ知床峠だ。ウトロには昔の面影はなくすっかり変わり、まるで田舎の街に都会の原宿みたいなのが来たって感じ。しかし、昔、ユースの前にあった土産物屋さんは今でもあった。

岬の奥に向いて走ってみることにした。知床五湖に行った。道が広くなっている。がたぼこの砂ぼこりむんむんの道ではあったが、広くなっていた。北キツネだとは知らずに『犬だ犬だ』といって写真を撮った9年前とはまるで戦前と戦後の違い程車も多いし道端も秘境くさくない。知床五湖は別にこれといって新鮮味がないし観光バスが来ていてハイヒールの人も多い。

湖はただの沼だ。おそらく植物とか動物に詳しければ見る目が変わっていると思うがただ単に景色を見て回るのであればはじめの2つを薦める。カムイワッカの滝も人と車があふれている。

いよいよ知床峠(750m)にさしかかった。カーブの続く有料道路みたいな道を登って行く。道端にはユリの花が咲いている。羅臼岳には雪が残っている。観光バスも走っている。もはや原始の姿ではなく滅んで行くサンプルを見ているようである。北方領土が見える。

うちのんは感動してじってみつめて、さかんにシャッターを押していた。羅臼岳に登りに行かないと知床に求めていたものは発見できないかな。羅臼でお昼を迎えたが食事の内容のことでもめて喧嘩になり遅い昼食になった。

天気の関係もあるが、少し曇っているので寒い。北方領土の資料館みたいなところにうちのんだけ行った。標津方面に行き中標津の商店街にあるスーパーの中のファーストフードの店で遅い昼食を取った。15:00頃であった。

この後、開陽台に向かった。360度の視界である。展望台の下の駐車場の角でテントを張っている若者達。時間のある人がうらやましいな、でも今夜からの天気が怪しいので気の毒に、と思いながら今夜の宿である川湯温泉を目指して開陽台を後にした。

牧場の中を走っていくと、『牛の横断注意』の標識が出ている。北海道に来て気が付くおもしろいところのひとつだ。川湯温泉の泉質は食塩泉です。だから日焼けた腕にひりひりと痛くしみる。ゆっくりと入れなかったのが残念だ。ここはいい温泉だと思って、今年もまたやって来たのに。夜の温泉街は寂れていて人影もまばらでお土産物屋さんにも人影は少ない。これほど知れている温泉街でありながらいったい皆はどこで何をしているのか。少し寒いほどだが京都と較べると天国だ。

本日の走行距離:川湯温泉まで、236キロ。

8月5日(火)雨降り

朝起きたら雨降りであった。バイク乗りは雨には負けてはならない。寒さにも負けてはならない。でないと本物と言えない。まあ、好きで乗っているのだから雨が降っても乗っているのがいい。

テレビで天気予報を見る。都会にいると天気は関係無いが自然の中にいるとそうはいかない。先まで予想をしなくてはならず、人間がより人間的になれる時間だと思って喜んでいる。空を眺めて雲を見ることは人間として必要なことで美しい姿であると思う。

川湯は遅いめに出発した。10:00頃か。雨の中を摩周湖に上がって行く車が多い中、「もしかしたら見えるのかな」とジョークをいいながら「霧の摩周湖も見たいな」なんてうちのんと言って、摩周湖に登ったらやはり見えなかった。次から次へと登って行く人たちはいったい何を見に上がって行くのだろうか。スケジュールに入っているからそれをこなしに行くのか、そんなことならやめればいいのに。

摩周を降りてうちのんが寒いと言うのでトレーナーをツナギの上に着せた。雨が降ると肌寒い。特に道東はオホーツクの空気が吹き込むと寒い。夏に薄着で居ると歯を食いしばって顎が疲れてしまう。トレーナーを持って行ったのは正解だった。

この後、釧路まで一気に走ることにした。雨の中の《391》をがんばって走る。うちのんは眠たいので私の後ろで寝てしまう。それをがんばって起きていろと言って励まして釧路をめざした。こんな日にタンデムで後ろに乗っているのは大変な苦労だろうと思う。特に乗る楽しさがあるわけでもなく、自分のペースが守れるわけでもなく、私に付いて行っているだけなのだから。天気のよい日でも私なら嫌だと思うだろう。

台風が近づいているらしく雨は激しくなったり霧のようになったりで、釧路で昼食を取る間以外はずっと十勝川温泉まで走った一日であった。無理をすると事故につながるし、雨の日は走っていても刺激もないから博物館とかの屋内にした方がよいと思う。

昼飯は釧路の駅前の地下でラーメンを食べた。暖かいのが何より嬉しい。駅前広場にオートバイを置いての大休止となった。こんな雨降りにどこに泊まろうかと悩む

こんなことばかりで悩んでいる。十勝川温泉からオートバイで来た人に聞いて『ホテル雨宮』が良かったと教えられ予約をした。さすがにいいホテルであった。泉質は植物性モール湯で黒っぽく滑らかで、他の温泉とはひと味違う。夕食に出たメロンがうまい。

本日は254キロ。

8月6日(水)

ところにより雨降り。

宿の人に聞くと池田町の『ワイン城』がいいと教えてくれたので行ってみることにした。雨は止んでいたから少し安心したけどまだ不安がある。『ワイン城』はおもしろかった。まだ新しいみたい。オートバイでなければおいしい肉とワインをお腹いっぱい味わうのに残念だな。裕ちゃんに「何故ステーキを食べなかったの?」と聞かれたのだけど、レストランは11:30~なのです。ステーキは食べたい、ワインは飲みたい、時間は押している、天気は不安ときている。今度行くときはまた必ず行こうと思う。

いつものことだが、先を急ぐ旅になっている。日勝峠を目指して11:00前には池田町を出た。曇ってばかりなので走るにつれ気が変わり、かねてからうちのんの希望でもある『愛国駅』と『幸福駅』で道草を喰った。もうすぐ無くなる駅。いろんな人の思い出のメモや名刺が駅舎の中に張り付けてある。はかなくも哀しい雰囲気が漂っている。でも自然は自然のままが一番いい。廃止になるのも自然なのか。開拓にきた明治の頃の若き人たちのその生活やノスタルジアを感じてしまう。どこでも同じ駅だけどここだけにしかないものを感じながら、記念写真を珍しくたくさん撮った。来て良かった。

《38》から《274》へとコースを移し日勝峠を登り始めると霧であった。《38》で昼食を取る時に駐車場にいたドライバーの人に聞いて知ってはいたが、やはり嫌だなと思う。そう!昔、草津温泉から白根山に登って志賀高原に越えた時に霧にあった。前を走るバイクとは2メートルも離れていないのにテールランプが見えない程の霧。カーブではガードレールにすがりついて曲がったというあの悪夢を思いだした。

日勝峠は未舗装も少し残っている。トラックが多い。小雨の中を雨具を着て越えた。峠を越えてから苫小牧までは遠かった。目標は登別であったが、苫小牧で力尽きプリンスホテルに泊まることにした。夜、今回のツーリングでは初めて飲みに出た。行った所は『つぼ八』であった。じゃが芋はやはりおいしいと思う。プリンスホテルの部屋では夜半から雨の音が聞こえる。明日の天気でうなされそうだ。

本日の走行距離258キロ。

8月7日(木)

心配していた天気も持ち直した。

支笏湖に向かうことにした。朝飯はホテルのレストランで取った。昨日、駐車場で見かけた白髪ライダーのオジサンが話しかけてきて「良かったら一緒には知りませんか」という。「長い間ひとりで走っていると仲間が欲しいと思う」といっていた。わかる気がするし私もこれからそう思うことがあるだろうなあと思った。けど、私たちは喧嘩ばかりしているから一緒に走ってもいいけどちょっと悩んだ。結局、断わって「また会えるでしょう」といって別れた。

支笏湖の湖面には霧はなかったけど周りの山には霧がかかっていて見えない。しかし、神秘的にも見える。うちのんは気に入らないみたい。とうもろこしを食べて白老に向かうことにする。

白老でお昼のためにラーメン屋さんに入ったら何と来るときのフェリーで一緒であった九州のお母さん(オバサン)とまたばったり会った。驚いたよ~。このオバサン達は兄弟でワゴン車をに乗り込みにぎやかだ。この後、登別の熊牧場で再開し夜の温泉街でもあった。北海道とはこんなふうな所でみんながコースを決めて来るからついつい同じ方向に走ってしまう。一度仲良くなると昔からの知合いの様になってしまう。

登別温泉に着いて『滝本館』というホテルが目に入った。どうしてもそこに泊まりたいと思い案内所に行ったら1~3万位するとのことでしたが、姉妹ホテルの『滝本イン』なら安くて同じ温泉を使えるということでそこに決めた。しかもそこはバイクを玄関の中まで入れてくれて親切であった。

夕飯はバイキングだった。熊牧場に行ってロープウェイに乗り少し散歩をしてから風呂に行った。滝本館の風呂はすばらしかった。広くて楽しい。(パンフレットを参照)ここについてはコメントは要らない。熊牧場からの眺めは皆無で、もちろんクッタラ湖は見えなかった。

本日走行距離110キロ。

8月8日(金)曇り後快晴。

登別温泉を出るときには不安も残るが、雨は降らずクッタラ湖を見てから登別を離れる。晴天であれば良かったのにと思うが、こればかりは泣いても笑ってもどうしようもならない。

今日は札幌で泊まる日であるから昭和新山を見て中山峠を越えて札幌に行こうと思う。うちのんと札幌のホテルのひどさ加減を心配している。

登別から昭和新山にはオロフレ峠を越える。昭和新山と有珠山はやはり道南という感じで観光化され人が多い。オロフレ峠はすばらしい峠だ。また来るところのひとつになってしまった。

有珠山の麓では九州のオバサン達にまた会い、うちのんはお芋までご馳走になり後を追いかけたがわからなかった。金曜日の夜には小樽から船が出ているのだそうだ。また会うよと思っていたけどもう会えなくなってしまった。ちょっとセンチになっている。

中山峠でやや遅い昼食を取って札幌に16:00頃到着。裕ちゃんに電報を打ち呼び出して駅前のワシントンホテルで食事をした。楽しい夜であった。裕ちゃんは岩見沢からきてくれて久しぶりに会うことでもあって話も弾んだ。

8月9日(土)晴れ。

朝の天気もよし。目は早くに醒めて6:30頃ホテルを出た。小樽に早くついてゆっくりと朝食が取れた。やはり早く起きた方が旅の時は得だと思う。9:00ころから船に乗り後は船中でくつろぐことになった。

あとがき

これは1986年に北海道を訪れたときの日記をアップしました。この前にも行ってますが、また違う北海道でしたし、もちろんこのあと'89年にも4 度目になりましたが行きました。この時の日記があったのですが、無くしてしまい今は配布した人にしかありません。もし当たってみて再入手可能であればアップしたいと思います。

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