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2008年12月 7日 (日曜日)

葱買うて枯木の中を帰りけり 蕪村

ねぶかこうて枯木のなかを帰りけり 蕪村

ほんま、寒いですね。
この人は、ねぶかを持ってどんなおうちへと帰るのだろう。
誰もいないひんやりとしたところだろうか。
家族がスキヤキの用意をして待っている温かい団欒のなかなのだろうか。

寒波がやってきてぐっと冷え込むと、この句の温かみが身に染みるなあ。

自分の日記を拾い集めて巻頭言と後記をまとめました。
メルマガは来週の水曜くらいに出せるかな。

【巻頭言】

「三重の自然楽校」のHPのリレーコラム第109話で鳥羽水族館の帝釈元さんが「山の神に出会ったら…」という記事を書いてらっしゃいまして、昔、飯南の山中でドライブをしているときに山の精霊や神というものに出会い「畏(おそ)れ」を感じた経験に触れておられました。

それを読みながら私は、1996年、カムチャッカ半島クリル湖畔で取材中にヒグマに襲われ急逝した星野道夫のことを思い出しました。星野氏は、高校時代にアラスカの村を写した1枚の写真と出会い、それをきっかけに、慶応義塾を卒業したあともアラスカ大学で動物学を学び、極北の地に永住します。大自然や野生動物を追いかけ、クマやカリブー、クジラ、オーロラなどの写真を撮りエッセイを発表し続けました。彼の作品には、感動的な風景や動物たちの生態など伝えたいたくさんのことが写真をまじえて綴られているのですが、その彼が「人間と自然とのかかわりに」について「畏敬の念を抱いている」と書いていた箇所があったことが鮮烈に蘇ってきたのです。

帝釈元さんは「畏怖の念というものも、自然と付き合う場合には必要なんじゃないかな」と思い、「自然に対して畏れ多い気持ち」を持って自然と付き合いたい、とこの記事で書いてられます。

地球上の一部の人々は、電気などのエネルギーをふんだんに使い、この上ない便利な生活をし、満足度を高めこれを「豊かで幸せ」な暮らしだと思っています。ところがその過程で、あらゆるものに対し「畏れ多き」の念を持ち感謝をすることを忘れてきてはいませんか、と釘を刺されたような感じです。

12月は地球温暖化防止月間・大気汚染防止推進月間です。「暖房は控えめに。エコドライブを推進しましょう」はもちろんのこと、自然への「畏れ」を見直すこともプラスしてみようと考えています。

【後記】

いよいよ十二月を迎えました。暮れ行く年の後片付けや冬支度にお忙しいことと思います。

街角に散らばっている落ち葉がモミジバフウ(アメリカフウ)からイチョウに変化して、いよいよ秋から冬へと足を踏み入れたのだなと感じます。最後まで頑張ったイチョウですが、二十四節気の大雪を過ぎるころには一様に葉を落としてしまいます。

ふた昔ほど前でしたら、これらの落ち葉を拾い集めて街角で焚き火をする光景も決して珍しくありませんでした。しかし当節、焚き火はままならないこととなりまして、たなびく煙を見上げながら火に手をかざして、自然が放つ温もりを体感したり芋を焼くなどというチャンスがすっかり減ってしまいました。ちょっと寂しいです。

子どものころでしたら、冬を迎える前に済ませておかねばならないことが幾つかありました。山から切り出した薪を風呂焚き用に割ることや、北風を除けるための藁囲いを家の周りに組み上げるのを手伝うことなど、これらは子どもに与えられた年末の仕事でした。

障子張りを母と一緒にするのも冬支度のひとつでした。縁側には優しい光が降り注いでいまして、庭の花畑が冬枯色に変化しても、父の育てている菊は元気に咲いて、蜜柑の木には橙色の実が幾つもなっていました。

亡き人の亡きこと思う障子かな (宇多喜代子)

ちかごろ、こんな句をみつけました。「亡きこと思う障子かな」というところに人それぞれの情景があるのではないでしょうか。環境にかかわる仕事をするようになってから、このように自然のなかにゆっくりと佇むモノや営み、目線が気にとまることが多くなったなと感じます。難しい言葉を連ねることなく、優しく「環境」に接していきたいです。

少し早いですが、みなさま、よい年をお迎えくださいませ。

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