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2008年10月10日 (金曜日)

巻き戻す

古代の人が残した文字には、未来に伝えようという当時の人々の意思が、どれほど込められているのだろうか。

人間の命は、血流が停止し、脳波が消えて、思考や記憶が不可能になった時点で終わる。そのことを科学という観念で捉えることが出来ない時代に、古代エジプト人たちはピラミッドの築造を手がけ、ミイラとなる埋葬を考案していた。

そのころの日本列島には、そのような歴史を残す文字という概念もなく、文字を書きとどめる墨さえもなかった。

縄文時代が平和で、人々は心豊かな暮らしをしていたのかどうかは、学術的な探求も進み様々な見解が出ている。何はともあれ時間は今以上に緩やかに進んでいたことは確実だろう。

情報通信を学ぶ人は波動という勉強を1年生になったら嫌というほどさせられるが、高校時代はいわゆる三角関数と呼ばれるものがこれらの基礎になっている。一定の周期を持って繰り返す現象というモノに私たちは囲まれて暮らしていて、乱数とか突然変異、ギャンブルでいう大穴というような現象の発生は稀であるといっていい。

漠然とそういうことを周期という観念で考え、夢にも思っていたのであろうか。人の生命は蘇えり、次の世(後世)でもまた今のように生きてゆくのだと考えたのだろう。

だから、文字というものは、コミュニケーションの必然として発生するのと同時に、漠然と、形づくられていったのかもしれない。

しかし、文字が活字となって未来に受け継がれ、科学者や考古学者たちが解析をするということまでを想像しなかっただろうな。

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ささやかであるが、私たちは日記というものを書く。この歳になると、私が死んだ後にこの日記はどのように処分されてしまうのか、がちょっと気に掛かる。

秋が深まる寒露の夜、窓の向こうには絹で覆ったような満ちかけの月があった…気がする。気がするというのは、しっかりと見上げたわけではなかったためで、秋の月はそこに添えて置いて、私のほうの想いは忙しく巡っていることが多いから。

前略、秋も深まり…なんて月並みな手紙も書きだせない。

少しばかり余白がある紙切れに、断片的に手紙のようなものを覚え書きしてみたりするものの、それを纏めて便箋に書くこともない。柿が美味しい季節ですね。栗ご飯を炊いたよ。サンマも食べたよ。などなど、書いては丸めて棄ててしまう。従って、封書に詰められ送り届けられることもない。

「まあ、いいか」

日常の口癖になったこの言葉を「好きじゃない言葉だけど」と思いながら、呟いてみては、ほんとうの友だちってのは手紙を書いて丸めて棄てた紙に書いてあったことを、もしかしたらテレパシーのようなもので感じ取ってくれているような気もする。
だから、手紙は、また今度、書こうか、で終わる。


些細な感動はある。

ホームで列車を待つときに、隣に並んだ女子高生がカバンからチョコボールの袋を携帯といっしょに取り出して、袋の封を切ったらチョコがポン!と1個飛び出してホームをコロコロ。思わず、悔しい!と思ったけど、口には出せなかった。

その話は夕飯のときに報告して、言葉を飲んだ私を、二人で悔やんだ。


巻き戻す。

すかさず「人生を巻き戻す」などという言葉が思い浮かんだが、今更そんなものを巻き戻すつもりも無い。二、三日前の夕飯が思い出せないかもしれないというのに。


うふふふ、と笑って過去を巻き戻す ねこ

日常を巻き戻して手紙に書くことすら、御座なりにして、寒露の夜は過ぎていったのでした。

巻き戻す手紙を包む寒露かな  ねこ

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