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2008年9月30日 (火曜日)

(バイク) 秋を走りたい

タイトルのとおりでして、

10月は10日-13日までを休みにしましたので、
そのうちのお天気のいい日に出かけようかなと思ってます。

これから、テントを確認しなアカンのですが、
腐食して破れたりほつれたりしてないやろうな、と心配。

というわけで

第1回:10月中旬
第2回:11月初旬

その間もあるかも。


行き先ですか?
(誰も聞いてないか)

候補は

◎天竜川左岸の峠道 (地蔵峠とか青崩峠とか)

宿泊候補は、阿南かじかの湯
http://www6.ocn.ne.jp/~a-kajika/

◎冠山林道 (高倉林道も行きたいな)
これは、早朝出発で、日帰り

◎播但地方に卵かけご飯の美味い店を尋ねる
京都拠点で日帰り

などを考えてますが
全部流れることもあるなあ。

11月中旬は、恒例の?
京都歴史探訪、紅葉めぐり。
(近年は、人が多くて、辟易して、切り上げることが多い)


プリムスのガスも買いに行かねば・・・・

2008年9月27日 (土曜日)

夕焼けに両手を広げよんでみる

漢詩集「臥遊録」が

春山澹冶而如笑
夏山蒼翠而如滴
秋山明淨而如粧
冬山慘淡而如睡春

春山澹冶にして笑うが如く
夏山蒼翠にして滴るが如く
秋山明浄にして粧うが如く
冬山惨淡として睡るが如し

こんな風によんでいて、

----

秋は

「秋は、夕暮。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。」

などと、かなりの人々が暮れゆくひとときに共通の感傷を持っているようです。

秋は、青空や夕焼けが綺麗です。
空気に汚れがないことで、波長の短い光線が透過し易くなるからなのでしょうか。
紫色がとりわけ鮮やかです。

---

夕焼けに両手を広げよんでみる  〔ねこ〕

そう、書いてみたものの…

大声で叫んでみたのか
小声で呟いたのか
一句ひねったのか。
心に留めたのか。
両手は実は広げなかったのか。


ねえキミの髪形変えたね、言いたくて 〔ねこ〕

最近、そんなことばっかし考えてます。

2008年9月22日 (月曜日)

秋の蚊よやがて甘みが夢になり

蚊が飛んでいた。

朝の通勤列車はいつもと同じ込み具合で、つまりはスキスキで、ボックスにひとりか二人ずつかけている。

私の斜め前には、いつも乗ってるかわいいおねえさん。熟睡中。25歳くらい。

白と黒の模様があるようにみえるデッカイ蚊がぷわーーーんと来て、私の腕にとまろうとするので追い払ったら、そのままぷわーーーんと向こうに行った。

前に座っているおねえさんの、半開きの太股の間にフラフラと入っていった。

キワドイところに止まって居るのが、私のちょっと覗き見気味の視線でわかる。

叩いてやるわけにもいかんし、ねえさんを起こすわけにもゆかない。

じっと、たぶん、たらふく血を吸ってやがる。

列車が次の駅に止まったころに、電車の揺れに投げ出されうように飛び出してフラフラとどこかに消えていった。

泣くことを忘れて夜の長さかな(竹久夢二)

中秋の名月の夜は、部屋から空を眺めていた。


定例のメルマガの巻頭から。(URL:略)

--


   待てど暮らせど来ぬ人を/宵待草のやるせなさ/今宵は月も出ぬさうな

 竹久夢二がどんな想いでこれを綴ったのかは計り知れないのですが、
秋とはまことに不思議な季節で、人々は月を見て様々なことを想い、悩み、或いは願い続けてきたのでしょうね。

 今年の中秋の名月も例外なく、この巻頭を書くためにペンを持った夜半に、あくる日の雨を予言するかのように、うすぼんやりと絹雲に覆われた姿で南の空にありました。

 夏から秋へと季節が変わるのはページを1枚捲っただけのような感覚でもありますが、目に映る自然や人の装いまで秋色に変化していることに、ときどきハッと驚かされます。

 2、3日前には咲いていなかった彼岸花が気がつくと満開になっていたり、夕焼けがやけに赤くて思わず写真を撮ってみたり。少しウキウキの気分になれたりします。


--


こんな嘯いたことを書きながら、月を見ていた。

今の時期の月には迫ってくるものが無い。
ゆるゆるとしている蒟蒻のような奴が歩いている姿のようだ。
月は、寒さの中で凍えるように震えているのがいい。
泣いても泣いても果てることなく燃えるような情熱を持っているときが人は最も美しい。

 泣くことを忘れて夜の長さかな(竹久夢二)


*

あとがきから

 少し前に枝廣淳子さん(環境ジャーナリスト)のブログでマイ箸のことを読みました。そこで枝廣さんは

「何年か前に家族で旅行に行ったときのことです。お家で使っているそれぞれのお箸を、袋にまとめて入れて持っていきました。帰りに、富山県の魚津駅で、朝、どうしても時間がなくて駅そばを食べたんです。袋に箸をしまって帰ろうとすると、きっと奥からみていたんじゃないかな、お店の奥からおばさんが出てきて、『よこしな』と言って箸を全員分洗ってくれました。熱湯消毒したあとの箸のぬくもりが、嬉しかったのをおぼえています。」

と書いています。

 すべてのことに合理性を適用して、二者択一の篩いにかけて、アレは環境に良くないコチラは優しい、というように前進することもひとつの手段ですが、その背景には私たちが大昔から築き上げてきた生活文化への畏敬の気持ちがあってのうえでの選択かと思います。

 聖徳太子が初めて使ったいう1400年もの歴史を持った箸の文化、江戸時代にお蕎麦屋さんが考え出したという割り箸文化。奈良時代に登場したという風呂敷文化。買い物に使うような籠の文化は縄文時代まで遡るかもしれませんね。

 人々の心の中を深く受け継がれてきた文化を見直してゆくことで、随分と環境に対しても優しくなれそうな気がします。

2008年9月21日 (日曜日)

(バイク) 明日香村&笠そばツー

9月20日は、大宇陀-明日香村界隈のB級地方道ツーリングをしてきました。

----

台風が去って朝から青空が広がった。

雨台風だった。金曜日の午後には少し風も出ていたようだが、職場を出るときにはさほどでもなく、夜半になっても雨脚は衰えず、無機質な雑音が雨戸を伝って聞こえてくる。でも、きっと晴れるだろうという予感があったのだ。

目指すは、明日香村&笠そば。
いつものように、まずは高見峠へと向かう。

峠の手前のパーキングで和歌山からやってきたRaidの方と少し立ち話をした。
バイク人と立ち話をして長引くなんて久しぶりだな。

ピースが返って来ないのも立ち話が少なくなっているのも、根っこは同じであろう。
自分だけが楽しく走っているというフィーリングの持ち主が増えたからで、このようにお話に花が咲くのは似た世代の人たちに多く、バイク文化は微小なりとも変化をしてゆきピースが消えてゆくことは致し方ないことかもしれない。文化そのものを見直さなければピースは蘇えることは無い。

さて、峠を下ってからは、ローカル村道コースを選ぶ。いわゆる地図に載った国道ではなく、その間を網目のように縫った道だ。大宇陀地区あたりの道路は好んで走っていてカラーマーカーで結構塗りつぶされている。

多武峰から東におりる道路を見ていたら大宇陀から大峠(トンネル)を越えて桜井へと向かう道が出来てる。よし!これを走ろうということで、大宇陀から大峠経由で桜井市外の南をかすめて明日香村入りをした。

まず、橘寺と川原寺の間の広場にバイクを止める。

橘寺への参道

橘寺への参道

ここは、いいなあ。人影が疎らで、景色が素朴だ。
史跡を徒歩や自転車で回る人たちが立ち止まって橘寺の方角にに向かって写真を撮っている。
スケッチをする人もいる。小さなスケッチブックで立ったままでハガキサイズのスケッチをしている人もいた。ほんの10分くらいで水彩の色まで着けて、また次のポイントへと立ち去ってしまった。

橘寺

橘寺

橘寺

私はここを立ち去るのを躊躇っている。

橘寺の門前まで歩いていって、右近の橘の前で足を止め改めて回りの景色を眺めてみたりしている。

橘寺

理由も無くそこに居たいのだ。

川原寺跡に腰掛けて橘寺を望む

川原寺跡に腰掛けて橘寺を望む

川原寺前の芝生広場

川原寺前の芝生広場

しかし、次は亀石。
サイクリングロードを少し走らせてもらった。徒歩で史跡を巡る人と追いついたり追い越したり。でも、亀石の向こうへはもう行けない。
今度は電車で来よう。

石舞台の傍をとおり、阪本というところの棚田を眺め、次に稲渕の方へと移動する。

稲渕のヒガンバナ

稲渕のヒガンバナ

とにかく人が多い。アマチュアカメラマンがウヨウヨ。
アリが砂糖に群がるように、棚田の間に人の影が点々と。

ずーっと何百メートルもの遠くの棚田の風景を見ているなかに、その群がる蟻んこの姿が愚かしくも見える。そんなにまでして、棚田に咲く彼岸花の写真が撮りたいのかねえ。

どれだけの人が、この景色を心から美しいと思っているのだろうか。

さてさて、笠そばへと急ごう。

ということで、いつものように長谷寺の参道脇を抜けて山に上がってゆくと、交通整理のオジサンがいるのですよ。あらら、なんだろうか、と思って尋ねたら、なんと今日はそば祭でした。不運だ!車がいっぱい。

蕎麦畑は今が満開!で白い花が広がっていました。

笠蕎麦の蕎麦畑

笠蕎麦の蕎麦畑

帰りは、いつものように「やまなみロード」でした。

室生寺の少し南に曽爾方面への近道農道らしきところを発見したので、今度行ったらぜひ走ってみたい。

後で、本屋へ行き関西ツーリングマップルで確認したら全然私の走っている道はハイライトになっていないなあ。役に立たない地図だから買うのはやめた。私の頭の中の道路マップのほうが確実に正確だなあ。

続・マツタケの話

前回のマツタケの話で私が本当に伝えたかったことは、日記に一行も引用せずにリンクだけを貼ったに留めたこともあってか、ほとんどの方はソチラまで読まなかったために、伝わらなかったと推測します。

これがネットワークの現実であると、私は冷静に捉えています。

(ある事柄へのアクションというのは、8割を有効として、それを大雑把に分類すると2種類に色分けできると考えていい。そしてその2つのどちらもが誤ってはいないと考えても良い。つまり、清田さんの話を読まなかった人は、それで間違いではなかったし、責めるものでもないと思います。ただし、私は用意したもうひとつの答えのほうで話を進めます。レスは書きませんでしたが、ご勘弁を)

そこで、折角だからもう少し触れます。
清田さんの二つの考察のうちのひとつは次のようなものでした。

■松茸は生きた松に共存共生する。

昔から
人は松葉を集めて燃料にしていた
 →松林の地表にあった松の落葉は消費されて無くなってゆくものだった。
 →落ち葉が無くなると、堆積した落葉がマツの栄養分としてなりにくくなる。
 →また、堆積した落葉が雨水を保水することができにくい。
 
したがって、栄養や水分確保ができないと、枯れてしまう危険が出てくる。

■そこで、松は、考えた。

 →自らが生きていくに十分に栄養や水分を吸収するぞ。
 →細根を一生懸命張り巡らそう。


(ちょっと、植物学講座)
 松茸は、張り巡らされた松の木の根っこ・細根にくっついて生きている。


■松葉を集めなくなった松の木の周辺は…
豊かな落葉で満たされています。

・松にとって十分な栄養と水分が確保できる自然環境ができた。
・楽して栄養や水分が取れれば、わざわざ細根を出さなくても良い。

したがって、松茸が生きてゆくところが少なくなったということです

━━━━━━━━
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

現代社会でも、全く同じ現象が起こっていると私は考えています。
「豊かな暮らし」が実現できて、本質を見失い、原点を忘れてゆく。
(↑は、既に記述済み)


地球温暖化に見られる気候の変動についても、生物多様性における数々の問題についても、人々の豊かさボケと個人的には断言してよいと考えています。

私が特集記事で解説した諸問題についても
(平成18年の夏・秋。冬。平成19年の春・夏号です)

はっきりと、何が悪いとか、こうするべきだということを書くわけには行かないので触れていませんが、物事には流れというものがあって遡ってゆけば原因は必ずある。


都市型の集中豪雨についても、もう30年ほど昔からヒートアイランド現象の指摘はあったわけで、しかしながら、環境変化に及ぼす影響を都市計画の学者たちは全く無視し、工学技術者たちは人々の見せ掛け上の快適さを表す数値の向上のみをその成果として掲げてきた、ということに大きく反省すべき点がある。


ポリシーを失った科学技術の暴走。哲学のないテクノロジー。裸の王様的技術進化。悦楽、愉楽に浸りきり麻薬の犯された家畜のように情報機器に溺れるヒト。


まあ、もちろん技術進化の片腕を担ってきた面が私にもあるのだが、そうならざるを得なかった社会の責任は大きい。

例えば、老後の医療、僻地の医療に、市場原理や経済理論を適用して、儲からないから病院撤退、という論理式が存在してよいのか。

ヒトは、行政組織ができるよりも先にこの地に住み始めたわけだし、ひとりの人間の命が利益の有無でその行方を左右されても困る。たった一人であっても守ってゆくのが国家の役割だと思うのだが。

これらのことは、医療を例にすると判り易いが、様々なところに存在する。最近であればガソリン高騰に起因する生活への影響なども挙げられる。

教育問題にも、同じような考えが適用できる。

━━━━━━━━
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

あなたが昨日の夕食で食べたものの中から、高額だったものを2つピックアップして排除し、それを社会で困っている人に還元することができるような気持ちを育てること、そういう仕組みを作ること。そこまでしなければ、今の廃れた社会は元には戻らない。
(家庭に持っている耐久消費財、半耐久消費財にも同じようなことを当てはめてみるのもいいかも)

エコバック(レジ袋撲滅)、マイ箸なんていう子どもの遊びみたいなことで喜んでいる時代は一刻も早く終わるべきです。

本質的なところの改革にどうやって踏み出すのか。

松茸は、やがて、本州では収穫できなくなるでしょう。
枯れ果てた心が残ることになります。

福田総理辞任の挨拶で環境問題への失策のお詫びが一言も無かったわけだし、もう、勝手にしてくれと言いたい。

誰か、行政力、という本を書いてくれ!
と誰かいえば、儲かる本がゾロゾロ出るだろうな。
やっぱし、アカンわな。

2008年9月17日 (水曜日)

マツタケの話

キノコの先生である清田さんが、地球温暖化とマツタケのことを書いていたのが目にとまった。
---

近頃はマツタケを美味しい香りだと思わない人が(子どもたちが)増えているという。嗅覚を覆う骨格が欧米化し、嗅ぎ取る感覚までも似てきたという。

西洋の人たちは、腐った何かの匂いに思えるらしく、新しい時代の人たちはマツタケがいい匂いではないというのだ。

マツタケ農家の人たちも、やがて廃業となることになる日がくるのかもしれない。

(号外) あのー20日は、ツーリングの予定なんですが

どうなるかなー。

2008年9月13日 (土曜日)

(号外) 京都日記

朝から雨が降ったが、10時頃には止んだ。

そうか、3連休か。
どうりで人が多いわけですな。

嵐電もいっぱい。
写真を撮ってる人も居ます
映画村とかのパンフ持った人を見かけます。

部屋でウイスキーを飲んでます。
マドをあけると涼しい風が入ってきまーす。

2008年9月 7日 (日曜日)

(バイク) お散歩、海へ

(夫婦の会話)

--- 今日はちょいと海へ行ってきたのよ
--- へぇー、(健康のために) 自転車で? 

違うやろ、車検が終わったから
オトコのロマンを背負って、
調子も見たいし天気もええし
(ガソリン高いからもったいないけど)
海を見に行ってきたんや!

まあ、
自転車でも行けるところにありますので。

気持ちよかったです。
(これでシーズンのツーリング終了…となったりせんやろうな)

(驚き)
KLEは滅多にラジエターファンが回らないのですが
何故か今日は元気よく回っていました。
どうしたんやろ…


----
 ----
こんなノリで、
いかがでしょうか。

*

白い雲を見上げていたら
今日は突然、キミをもっと
昔のように思い出してみたくなったの
どうしてだろう

海まで行ってみたよ
ひとりでそっと
昔、二人で見た映画のように
ウインドサーフィンの人影ひとつ

潮風がやけに乾いて吹いて
波打ち際まで駆けてみたら
夏の終わりに別れも告げず
ボクの前から消えたキミを思い出した

ボクはキミをたった一度も
海に誘ったことはなかったね
海が嫌いだというキミの口癖
何度も聞かされて

でも、波打ち際のさざなみが
ボクの足を濡らすたび
キミがそこにいるような気がして
風はもう秋の気配だったよ


シリーズ「ひろちゃん」のなかでも時々書いたけど

海はきらいさ、悲しくなる。
このフレーズは大好きです。

2008年9月 6日 (土曜日)

楢峠、牛首峠 【峠越え】

富山県に利賀村と行ったときの思い出話を。

1992年の10月31日の朝、テントなど一式とパンツを3枚を持って奥美濃へ行きました。

初めてこの地を訪れたのは1980年代の半ばころで、平村には一軒のガソリンスタンドがあり、そこで中学生ほどの可愛い娘さんがお店を手伝っていました。
久々にこの村に立ち寄ってみると、あのときの中学生が、子供さんを連れながらお店を手伝っていたのです。大きくなっていて驚いたね。実家の稼業を手伝いにきてるんだ。

利賀村への峠は「山の神峠」といいます。このころの峠は、旧道の凸凹ダートの道です。奥美濃街道を北上途中で雨が降り出し、山の神峠の中腹で雨足が最高潮を迎えていました。利賀村に降り立ったときにはもうヘトヘトで、身体も冷え切ってしまっていた。

蕎麦を食べさせてくれる「ごっつお館」という蕎麦屋も閉店目前だったのですが、色々と無理をお願いしてお蕎麦を1杯食べました。蕎麦屋の前は小さな広場になっていて、トイレと背中合わせになっている休憩小屋が一軒ポツンとありました。あの晩はこの休憩小屋で野宿をすることにしました。

雨足は衰えることなく、バシバシと屋根に打ち付けてくる雨粒が恨めしかった。せめてもの救いは、建物もトイレもとても綺麗だったことだ。出来る限り屋根の下までバイクを引き込み、小屋の中の木のベンチで寝た。

朝、目覚めると夕べの雨が雪に変わって、村を取り囲む山は真っ白でした。

村の人に尋ねてまず牛首峠に向かって行き、道路工事中で指示に従い、途中から楢峠に方向を変えるルートを取りました。

峠道は凸凹というだけではなく、電車の線路にあるようなバラストが一面に撒かれていて、タイヤが空転して坂道を登らないだけでなく、尖った石でタイヤが傷だらけになってゆくので、パンクやバーストの心配もしながらの峠越えです。

タイヤは新品だったにもかかわらず不安は募りました。谷の向こうの尾根の彼方まで峠道は続いていました。果たして行けるのだろうか。あの峠が牛首峠だったんだいうことは、随分とあとになって地図を見て気が付きました。

楢峠は紅葉の真っ盛りでした。苦難や不安が多かっただけに、思い出深いツーリングとなりました。

2008年9月 2日 (火曜日)

待ち伏せて、でも手を振るだけのさようなら

新涼に僕もあの子も澄んでいる

誰よりもぼくを呼んでるいわし雲

 (朝倉晴美)

 今週のねんてん から

---

やっぱし
秋は
夕焼けも綺麗だし
誰もが
神経を尖らせて

小さなドキドキを
大きなわくわくに
できるチャンスを
狙っているのかもしれない。

ほら
僕にも
チャンスかあるかもしれない。


待ち伏せて、でも手を振るだけのさようなら 〔ねこ〕

探る

(週刊金曜日8月29日号)に、山口二郎さんが書いている。最後の部分。

----
 民主党が政権を取れば、なすべきことは単純明白である。小泉構造改革でずたずたにされた社会保障、雇用、地域経済を立て直すことである。今は、民主党の政治家は地域を歩き回って、人々の苦しみを見、政治に対する切ない期待を聞く時である。

 臨時国会では、野党は全面対決の路線を取るべきである。レームダックの福田政権には、政策協議をするだけの能力も正統性もない。公明党が衆議院での再可決に消極的になれば、重要法案はまったく成立しない。そうなると、解散総選挙で政局を転換するしかないという流れになるであろう。

 一九九三年以来、日本の政治は長い回り道を続けてきた。その間、誤った政策によって日本社会は荒廃した。今こそ、国民を救うための政治の出番である。
----

「ずたずたにされた社会保障、雇用、地域経済を立て直すこと」
なんですが、民主党にできるのか。

「日本社会は荒廃」
「国民を救うための政治の出番」

これも自明。

さて、
誰ができるのか。

*

だから、民主党に何ができるのかを、私は探りつづけています。
今までに何度も選挙に行っていますが、一度も与党或いは自民党に票を投じたことがありません。そんな私でさえ、次の政党を探らねばならないほど、荒廃している。

多数決という決議の手法は正しいとしても、その手法がもたらした「民主的な」と形容する思想には大きな誤りがある。

自分たちの社会が崩壊するように導いているのは、若者たち、あなたたちです。
そう思いながら、民主党を探っている。


---

コメントがあったので、そこに書いたお返しも書き添えます。

やはり一番大事なのは
国民が、
自分だけがよかったら、
自分だけが幸せになれたら
という意識を
ことごとく棄てることでしょうね。

昨日食べた夕食の一番高額だったものを、取り去って、それを社会で役立てることに生かす、というような精神が生まれない限り今の世の中は絶望と、私は考えています。

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