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2007年11月30日 (金曜日)

味わう -「森嘉」の豆腐 続編-

たくさんの方々にレスをもらってしまったが、個々に書く時間が無かった。そこで、サボってまとめレスのようなものとなりつつある・・・・。

しかし、昔、万年筆で手紙を書いていた時代なら、ポストに投函してから2,3日後に相手に届くから、返事が戻ってくるのはさらにその数日先だったはずだ。

タイトルに、「味わう」と書いた。
手紙を書いた私は、この待ちの時間も一種の「味わい」だった時期があったわけだ。
人々は味わいを、自らの手で失ってゆく。その愚かなことをひっそりと嘆いている。

---

さて、森嘉の豆腐は美味しく戴きました。

実は、豆腐が嫌いだった私が食べるようになったのは、森嘉のおかげだ。美味いモノに出会うと、根底から覆されることがあるという事例です。

つまり、湯豆腐なんて家で食ってもそれだけじゃ美味くないしシンプルすぎる。だから、レスで書いて頂いたように寄せ鍋に変身させてしまうことが多い。それは正解だと思います。

でも、座敷に座り、時間を掛けて豆腐だけを戴くというのは、非常にもったいない気持ちもあるものの、お茶を戴くのと似たような気分にさせられ、私に禅の心得はないが、想像するに、そんなものを感じながら豆腐を戴くと変に美味いと思います。
詰まるところ、「心身ともに落ち着いて、準備をして受け入れる心を持ちなさい」ということなのかもしれない。

豆腐の味わいとは、のど越しで満足するものではなく、舌がとろけるものでもない。京都の豆腐が特別に美味いとまでは断言できないが、豆腐とはこうでなければならないという主張が感じられる。

(いつか、気の合う人とゆっくり豆腐を食べたいものです。大村益次郎みたいやね・・・・)

----

自他共に認めるウイスキー党の私ですが、先日、腸炎を煩い一日酒を欠かしてしまった。365日欠かすことの無い私が飲まないと、周囲も-というか、よめはんが-相当に私が不調だと察してくれる。

飲まない夜を過ごしながら、仕事やあれこれで怒りが収まらない (自棄酒は飲まない) とか、体調不良のときは無理には飲まない自分を振り返りながら、飲めるということは、幸せなことなのだと改めて感じている。

味わいの今宵も深し秋の暮れ ねこ作

明日から師走。

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