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2007年8月 1日 (水曜日)

研ぎ澄ます

そういえば、駅の待合室から伝言板が姿を消してしまっている。

区切り線を引いた黒板と白墨が、人ごみの溢れる駅の片隅に置いてあったのを憶えているだろうか。待ち合わせで想いの叶わなかった人がそこに伝言を書き残すのだ。

ケータイ電話を誰もが持つ時代に伝言板は不要なのだろう。個人情報だって書きこめるので、或る意味では厄介モノなのかもしれない。


もしかしたらあと五分待てばやって来て巡り会えたかもしれないのに「先に行く、次の駅で待っている」と書き残す。「しばらく待ちましたが、時間なので出発します。今度、お目にかかったときに」というようなケースもあろう。そこにはドラマがあり悲哀があったはずだ。

止むを得ず先に列車に乗る人は、限りなく想いを巡らす。もしも、あと一分待てば…その人は現れたのかもしれないのに、置いてゆかねばならないのかもしれない。

いや、もう逢えないような別れが用意されていたのかもしれない。

一足先に汽車に乗っても、想いも人もあとから追いかける。

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ケータイ電話や公衆電話を悪害視するわけでないが、リアルタイムに応答を得たり送出することばかりが合理的で理想的なことであるとはいえないのではないか、と常々思っている。

現代人は、相手の心理やその場の雰囲気を読むことに、その予測能力や神経を使う。会議の進行に気を使い、帰宅すれば家庭を取り巻く社会や友人関係にも神経をすり減らす。

その反面、平気で待ち合わせに遅れたり、ケータイ電話一本で仕事をキャンセルする。

お世話になったお礼を伝える、年季の挨拶をするなど、本来であれば細心の神経を使わねばならないことに対し、電話一本でおざなりに始末しているのを見かけることがある。

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先日から「研ぎ澄ます」という言葉が気に掛かっている。

現代人は、あらゆるところで神経を使い、思い悩み、気持ちを「研ぐ」ことに鍛錬を惜しまない。しかし、本来、人は、人の心を探るというセンシング機能を、利害や損得を推測すためだけに注ぎ込んでいたわけではなかったはずだ。

一目見て余計で無駄だと判断したモノを次々と切り捨て、あたかも自分の精神も、生活も、実の姿も、研ぎ澄まされてゆく…錯覚に陥っている。

伝言板の白墨の文字を見つめながら、書いて立ち去った人の心を想像するような人の姿は今やどこにもない。こんな余裕を喪失してしまった現代人は、自らの力で研ぎ澄まされたモノに出会う機会にも恵まれなくなってゆく。
数式の上で誤差率を消滅(キャンセル)させたシナリオに振り回され続け、汗を拭き拭き動き回る。

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