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2007年3月31日 (土曜日)

折々のうた 最終回

1979年1月25日に連載が開始されたという。つまりそのころに大岡信さんと出会ったことになる。

当時学生だった私は、電磁気学や解析学などと格闘していたはずだ。新聞記事の一角にあったこのコラムを何故に読もうという気になったのかはまったく不明であるが、無機質な数式よりも、歴史に残された詩歌や文学を、私にでもわかる言葉で短く解説し紹介しているもので私は感動の味わいを愉しみたかったのだろう。

ここで閑吟集や梁塵秘帖というものを知り、山頭火の句にも出会った。数々の俳句や短歌、詩歌が私の日常の中にいつも届けられてきて、少なからず人生の道標のような役割も果たして来た。「ふるさとの沼のにほいや蛇苺」(水原秋桜子)が紹介された朝には遠き父母を思った。

何度かの休載期間、充電期間を経ながらもいよいよ本日が最終回だ。いつかはやってくると思っていたが、寂しいという言葉がもっとも相応しいだろうか。惜しむ声を紹介する記事に掲載された大岡さんの写真が、1979年当時に初めて拝見した記憶と重なり、なお一層の重みを感じる。

桜の花が咲く季節にお終いにするとは、まさに有終の美。大岡さん、ご苦労様でした。ありがとうございました。

2007年3月22日 (木曜日)

きのう、きょう。

今日も京都でホーホケキョ
2007/03/21 10:56
御所付近で見かけたら、おっす!と声をかけてください。

こんな日記を書き残して、昨日は京都に行っておりました。

---
夕べ、遅くに帰宅してます。

鴨川沿いの、TVにもよく出てくるあのあたり。
桜並木ですが、まだまだつぼみです。

花の咲くころに、嵐山へ行きたいな。

---                 ---
  ---                 ---
そして、今日はバイクに乗ろうと思っておりましたので、朝からエンジン掛かるかな・・・チャレンジをしました。

がーーーーーーーん。押し掛けでも無理。
足はふらふら。頭はくらくら。腕の筋肉はぴくぴく。
明日は絶対に筋肉痛や。

仕方がないので、意地でも動かしてやる、と思い車と繋いで始動させお出かけしました。
熊野古道センター@尾鷲市に行きたかったのだが、時間もないので、いつもの定番コースへ。

サニーロードを走っていると、交通検問をやっていて、おっとと思ったら偶然60キロほどでして、止められませんでした。
止められたら洒落にならんし(笑)

そこで、せっかくだから検問のおまわりさんに、
「偶然に止められずラッキーでした。何キロくらいでした?60キロだった?」
などと聞き、引き続き、

(怪しまれるといけないので職を打ち明けながら)

「ええ天気ですから、たくさん違反が出るでしょ?」
なんて話をしながら、しばらく立ち話。
「みなさんが安全に走られればそれでいいです。お気をつけて。」
とニコニコしてたなあ。なかなか好印象や。
邪魔してごめんな。

そのあと、マイミクのKさんちのお店に立ち寄って、少し立ち話をして、「藤坂峠」を越えて帰ってきたのでした。

久々に走った藤坂峠は、怖かった。だんだん高所が怖くなってくるなあ。

2台の車とすれ違いました。バイクの左足の数センチ外側は崖の下って言う恐怖は、一本橋の緊張どころではないなあ。久しぶりに股間の筋肉が緊張したわい。

Kさん。缶コーヒー、ありがとう!ブラック大好きです。

桜が咲くころ、R260は綺麗でしょうなあ。
またいこう。

2007年3月10日 (土曜日)

ふと、懐かしい

今朝の新聞(朝日)を開くと、私が以前居た会社が5000人のリストラ…などと書いている。今はもはや人員整理とか早期退職者とかいう表現をとらずに、あからさまに「リストラ」と書いても、世が受け入れる時代になったのかもしれない。

私が辞めたときは公表で約1万5千人だったが、噂では2万人という声もチラホラだった。そのチラホラの背景には、人材は「人財」だ、と神様のように言い奉り上げ、社員の頑張りを煽りあげようとする社風の裏腹に、社員など財(マネー)の種でしかなく金を生み出す道具だとしか思っていないという実態がある。そのことを、暗に社員は気づいているからこそ、噂も生まれてくる。

もとは創業者の偉大なおかげで社会的なステータスも高まっていたのであるが、この思想のころから所詮使い捨て文化の理念が底流にあったと、今になって振り返ることも出来よう。まあ、多くのことを学ばせてくれた感謝すべき会社だが、もはや私には関係ない会社だから、あまりのことは言えないのだが。

今お付き合いをしていただいてるいくつかの会社の方々にこの会社の話をして、「会社はこうでなければ上昇して増殖することは出来ないし、優秀な商品は出来ません」ということがある。

しかし、「人の心は枯れ果て、人間性や創造性を失い、管理されることに長けた面白くない人間が増えてしまう恐れもあります。その危険性を数字でデジタル処理して分類処理し画一的な判断を加えた結果が、現代社会の最も醜いモノを作り上げてきたのだということを、多くの国民も気づいていながら、寄らば大樹の陰であり我先勝手の論理で乗り切ろうと」している。

5000という数字そのものは私には関係ない話でが、この数字が何を物語るのかは無関係の人々でも考えねばならないのではないかと思う。

さらに、「人間を枯れさせてはいけません、枯れた人間が考えたものは、いずれ枯れてしまうかもしれません、多くの点を真似しても構いません(真似すべきことも多いです)が、良い点を数ポイントに絞って残りをばっさり切り捨てなければいけない」と、あくまでも雑談レベルですけど、話します。

「痛みを伴う・・・」という表現があるが、矛先を誤った茶番劇に使われてはまったくこの言葉が気の毒です。

2007年3月 9日 (金曜日)

東京へはもう何度も・・・

またまた、久しぶりに東京まで行ってきました。

「色々思い出も多くてよろしおすね」
とうちのんに言われながらも
「ワシは6年間過ごしただけや。思い出などあらへん」

・・・・と言い切りたかったが。


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帰りの新幹線が東京駅を出るときにも、まるで子どものように窓にへばりついて景色を見ていたのは事実です。
有楽町、東京タワー、品川・・・と過ぎてゆく景色を、どんな思いで見ていたか。。。

誰にも言うたらへん。

2007年3月 3日 (土曜日)

果たして昔からこんなに重かったのだろうか

▼人はだらだらというものを好むのかもしれない。私もその一人で、京都・嵯峨野の枯野と愛宕山をその向こうに仰ぐこの別宅で、春のひとときを過ごしている。

日記も必然的にだらだらと書くことになる。しかし、読む人(読まされる人)はそんな面白くないものに付き合う気合などなく、このあたりで別のページへクリックしてしまうことだろう。

▼書きたいことがある。しかし、あんまし人には読ませたくない。そう思うものの、やはり私の日記など面白くもないので誰も読まないだろう。それで、いい。

今、おおかた書き終わったのですが、面白くないわ。

「ここで、さようなら」

まるで映画の題名のように、ここで読むのをおやめになることをお薦めします。
(棄てるのもったいないからアップするだけです)

  -----   -----

息抜きに、
http://yamaguchijiro.com/
─ ぜんぜん息抜きなじゃないだろうという声もあろうが ─ 山口二郎のブログ読む。週刊金曜日のカテゴリーが痛快だ。膝を叩いて嬉しがる。

▼さて、近頃、「足跡帖」がやたらと目に付く。特にGREEでは日記を書く人が100人あれば、100冊の足跡帖があるという事態になっている。足跡帖を作って、新しい友だちが来るのを待っている。

コミュニティー(略してコミュ)を3つ作っている私としては、そういうものを通じて、友だちの繋がりを広げようという人が予想以上に少ないのでちょいと驚いています。

ちょっと面白そうなので、その足跡帖に一筆書いてみたりしたことがあった。しかし、それで終わりで、どうやら日記を通じてメールを交わす友達になろうとか、日記の中でコメントを交し合う間柄を絵描いているようで、私が構想したコミュを通しての広がりに参加をしてみようという動きは見られなかった。

▼そこで、1:1の対話、多対多の対話、というものを必然的に考えることになる。

ボヤキでも非難でもない。

しばらく、徘徊して見つめていると、結構多くの人が、コミュよりも個人の日記をベースにネットワークの中で浮遊しようと考えているのだということが、多かれ少なかれわかってきた。

1対1の繋がりを好むようだ。つまり、日記の中にコメントを書く人と自分との繋がり。コミュだと、書き込んだ人とコメントを返した人との繋がり(1対多)が一番だということだ。

さらに、補足をすると、1対1の繋がり以外の人の介入を嫌う傾向がある、ということもわかった。
そして、コメントを返した人と自分との二人の世界(1対1の対話関係)が重要で、それ以外の人(部外者)が割り込んでコメントをしたり、その二人を抜きにして(部外者同士が)話題を進行させたり盛り上げたりすること(多対多の対話)を極端に嫌う傾向があるということも明らかになってきた。
これは、勇気を持って第三者として横レスを書いても邪魔者が来たという感覚もあらわしているのだ。

▼ケータイ電話の普及に見られるように、人間の感情コントロールに異変が起こっているといえようか。

異変という言葉は病的だから改めねばならないか。個性とか個人の多様性を尊重することによって、社会の中で磨き上げられるべき非個性の部分が失われてゆくのである。
人の潔癖性が病原菌に犯されやすくなって免疫力を失い、近代科学の生んだ食生活の未解明な要素が原因でアトピーなどのアレルギーを増産しているのと同じように、社会の中にも非個性を失った人が増えているということだ。

ある知人の子どもさんは、イエデン(家庭にある電話のことをいうらしい)の友人宅へは電話をかけないそうだ。当人以外が電話に出たら困るから、というのが理由だそうである。別の知人が言うには、電話に家の人が出たら黙って電話を切る子がある、という話もしていた。

このような特徴や、このことから連想できる現代社会の人々の行動の特徴を鑑みながら、GREEやmixi上のコミュや日記 ─ この日記のことをブログと呼んでいる子もいたが ─ を読んでいると、その集団にまみれて時間を過ごしている私もやはり少し異変を纏っていることになるが。

▼コミュの話を書いたので、マイミク(GREEなら友だちリンク)についても、ちょこっと書こう。
(長い日記なのでここまで読み進んでいないことを願う)

入会当初にだったら、(メールをもらっても)インスピレーションでこの人ならマイミクOKだとか、この人にはマイミクお願いしてもかまわないだろうなとかいうような人が割とたくさんいたし、そういうことで悩むことなく友だちOK!みたいなノリだったが、たった1年ちょいとが過ぎただけで、あのころと同じような感じの人であってもいまだにマイミク(My GREE)になっていなかったり、なりそびれてしまって、足跡も途切れ途切れになってやがて見えなくなってしまう人もある。そういう人だって本当はマイミク希望として一声かけて欲しかった(掛けなかった私もいけなかったのだが)ということが結構多い。

▼これにもやはり理由がある。それは、プロフィールに個人情報を書かない人が増えた傾向がいっそう強まったことが大きい。

個人情報から職業や住まいを割り出す事は簡単であるから、不適切な発言があればひとつ取り上げて公表すると社会的に強烈な攻撃になる。名前がわかれば顔付きで1発、コンニチハ、の時代ですから。確かに仕方がない側面もあろうが。

▼しかし、寂しいじゃない、とも思う。
私が誰かを知ってても、「どこの誰かは知らないけれど」ってことにして放置しておいて欲しいじゃないか。

月光仮面だってスーパーマンだって、仮面の忍者赤影だって、バットマンだって、「どこの誰かは知らないけれど」(TVを見てる人は知っていたんだ)という人だったわけなのだから。

で、ねこさん。って誰でしょう、、、って知りたい人などいないと思いますが。

▼いやー、そーいうわけで、この人がマイミクじゃないなんておかしいね(マイミクになってていいんじゃない?)、って思う人がポツポツと増えてきたので、小さな悩みになってます。

「マイミクに追加」@mixi
「リンクを申し込む」@GREE

このボタンって、果たして昔からこんなに重かったのだろうか。

ひなまつり

私には姉があったというが一年余りで逝ってしまったというし、弟があるだけで女兄弟はいない。したがって、私の母は生涯お雛様を飾ることはない。

母は生まれてまもなく父親に死なれて、貧乏な家だったことや終戦ということもあり女学校を中退している。

だから、炬燵に、といっても昔だから炭を囲炉裏の中に入れて使う炬燵だが、足を入れながら夜なべに編み物をする母が「あかりをつけましょ、ぼんぼりに」と歌ったのを、私は一度も聞いたことがない。


だが、母は歌が好きで、よく、どこか遠くを見るようなしみじみとした目で歌った。

・こちふかばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ

・春は名のみの風の寒さや谷の鶯歌は思えど時にあらずと声も立てず

母は花が好きで、花壇にはいつもたくさんの花が咲いていて、学校へ行く折にもそれを切って私に持たせてくれました。生け花もできたので、少し私も教わりました。

そんなことが遠因なのか、私は花の名前をこれといって知るわけでもないのに、京都を離れるときに仲のよかった人に「将来は家に帰って花屋をしたい」と言ったことがある。
そしたら、別れ際にその人に「素敵な花屋さんになれるとええね」と見送られた。

なかなか夢は叶わない。

---


よめさんの母の三十三回忌で京都にいる。

彼女の母は、中学校の卒業式の前日に逝ってしまった。月日の過ぎることの速さを思い起こし、彼女は何を思っているのだろうか。

今年、娘は大学生となって家には居ない。だから、我が家のお雛様は仕舞ったままだ。

もう出す機会はないかもしれない、、、とふと思った。

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