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2007年1月31日 (水曜日)

「寒」

▼日の出、日の入りに変化が見える。

▼毎朝、6時に起きて新聞受けまでゆく。

この時刻に朝やけが見えるようになったのだ。隣の家とその隣の間から、真っ赤な空が見え始める。

一年で一番朝焼けが美しい季節だと思う。そのことをディスクジョッキーの女性が朝の番組で話しているのを聞くと、二度目の嬉しさが込み上げる。

朝日を見て美しいと思った。ただそれだけのことなのだが。

▼夕暮れが私を待ってくれている、、、そんな筈はない。
帰る時刻に空に明るさが残っている。

夕焼けがきれいだ。少し寒いので、ぶるっとした分だけ、美しさが身体に染み込む。

日暮れも少し遅くなった。

▼1月28日の夕方、県境の山中をゆく京都行きJRの窓から、赤紫に空を染める夕焼けと出会えた。少し不良な、いや、少し過去のある大人の心を握り潰したような赤色だ。

否応なく、自分の踏んだ過去を思いながら、列車の窓からその景色を眺めた。あるときは、北の大地に沈む夕日であり、さっきまで大騒ぎだった女子高生までもが話をやめて見とれるほどの美しさだった。また、あるときは、行きずりの人と、イケナイ予感を抱きながらの落日だった。

▼列車から楽しむドラマは瞬く間に終わって、京都に着いたら即座に待ち合わせの場所へ向かった。そこで、娘と待ち合わせて、知る人ぞ知る「串八」(西院店)で久しぶりにたっぷりと飲みました。ちょうど、娘も自動車教習の卒業検定に受かったというので、美味しい酒でした。

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▼そんなわけで、日記は放置してました。
その間に、日記にはコメントを下さった方々があり、一通のメールも戴きました。

お返事を書こうと思うて、今の季節なら「寒いですね」といきたいが寒くない。「温いですね」じゃサマにならない。

▼そういえば「寒」という題で俳句を募集していたなー(NHK中部)。集まっただろうか。

▼私の場合、「寒」といえば九年前の父の葬式の日でして、雪がちらちらと舞う寒い日だったのを思い出します。篝火に次々と薪を放り込んでも、炎は音を立てず燃え続けるだけでした。風は凍てつくように冷たく、凶器のように私に突き刺さりました。

▼今年の命日は暖かい日でした。気管支が強くなかったので最期までいろいろと苦しみながらだったことを思うと、もしも暖冬だったら春の誕生日まで生き永らえることができていたのかもしれない。だからどうだというわけではないのですが、ふとそんなことを思いますね。

▼葬儀の日の我が家の庭には咲く花など殆どなく、猫柳が逞しく天に向かって伸びていたのを思い出します。
もしも今なら、梅が咲き始めましたよ、と言うてやれるのに。

2007年1月27日 (土曜日)

【ごみ】の話。ボツ原稿

はじめに

縄文や弥生時代の人のゴミは、食べカスや魚肉の骨のほかに、おしっこやウンコが主なものでした。骨は町はずれのゴミ捨て場(貝塚)に捨てて、排泄物はおおよそ肥料として再利用することができました。さらに、薪燃料の燃えカスの灰やお米のとぎ汁は田んぼや畑に戻していました。

太陽の光で光合成をしてできた樹木を燃料としたり住居として、大地の恵みで育まれた動物たちの恩恵を受けて人間は生きていました。それでもほんの少しはゴミが出ましたので、集落の外れなどに捨てていました。

縄文時代は、土地や権力の奪い合いなどの争いもない平和な時代で、タイやスズキという現代でも高級なお魚の骨が多く見つかっています。ほかにも、人や動物の遺体や遺物などを意図的に埋葬している様子がみられることから、この時代の人は、ゴミを単なる「捨てるもの」と考えたのではなく、再び蘇ってくる「生き物」と考えていたのかもしれません。

しかし、国家が形成され文明が進化し始めると、家を建てて家財道具が揃ってきますので、普段の生活のなかで壊れたりするようなものがゴミとなってきます。箪笥や食器(土器)のほかに箸が折れても捨てねばなりません。このようなもののほかに、天平時代(8世紀)に建てられた西大寺食堂院の井戸跡 (10世紀後半になって埋め立てられています)からは、瓜や桃、栗、胡桃の食べカスや種が見つかっています。

戦国時代や江戸時代になってくると、このようなゴミをお城のお堀に棄てる人があったことを書いた面白い資料もありますが、まだまだ社会の中にゴミをゴミと思わずに「もったいない」ので再利用したいという発想があり、ゴミは生活を脅かすほどたくさんは出ませんでした。

ごみというものを見つめる目が非常に環境に優しいものだったことが伺えますし、こういった視点がもっとも大事なことで、現代人には欠けていることです。新しい時代へと変化するにつれて社会の規模が大きくなり人間はどんどん賢くなってきます。

そして様々な便利品を発明するようになり、暮らしのなかで活用することで社会全体が快適に暮らせるように変化し始めます。人々は便利な場所に集まって生活をし、町を作り、各地域には少しずつゴミが増え始めます。それでも、人々がスローな生活をしていた時代には、予想以上にゴミを再利用する「循環型」の社会が残っていました。

では、どうしてその「循環型社会」が今の時代になって崩れて来ているのでしょうか。

科学(サイエンス)と技術(テクノロジー)という分野が急速に進化して、馬が自動車に、蒸気が電気に、そして原子力へと変化します。通信分野では、狼煙(のろし)が伝令に、そして飛脚の次代を経て郵便へと変わり、現代では電子メールとなりました。

「進化」が生活を便利しますが、そのために切り捨ててきたものが幾つもあります。それらは自然恵みに対する畏敬の気持ちであり、人の心の奥深くにあった思いやりであったわけです。そのことを、ごみの特集でみなさんにわかってほしいと思います。

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次は
・ゴミには何があるか?
・どんな種類があるのか
・現代社会のごみの量

という話ができたらいいなあ。

2007年1月24日 (水曜日)

楽しく、面白く。損しなくて、人に嫌われない

▼瞬時にお笑いをとる芸人が目立つようになって、30分話して1,2度うふふと笑うような落語を愛する人が減ったような気がする。

▼ネットワークが進化して情報が簡単に行きかうようになって、得体の知れない軽薄なレポートを書く人も増えた。

「このレポートを作成するに当たって、30%と70%との完成段階の途中経過を提出してください」
とか
「作品は手書きで出してください」
と要求をするのは私くらいだろうか。

▼時々刻々と、疑問の多い文化が押し寄せてくる。
mixi や GREE の中でもケータイ文化がかなりの速さで浸透している。コミュニティーの中で対話が崩れてくる。自分のほうにしか向いていない日記が目立ち孤独なものとなっている。他人を寄せ付けない排他的なものにさえ見えるのに「どうぞお立ち寄りください」と書いているから究極の矛盾だ。

▼世の中、雑学ばやりで、問題と答えが薄っぺらく連結したような知識で満足している人が増えている。雑学の答えを知っている事が大事なのではなく、ましてや知識ではなく、過程が大事なのであろうに、そのことはどこかに消えている。知らないと不安なのだろう。知らなくても一向に構わないのに。

▼上辺だけの文化と言えばいいのだろうか。結果だけを追求したあまり、過程を見なくなってしまったのか。
森を彷徨い目的の宝物を見つけようとするゲームがあるとしよう。宝物は早く見つかるのが一番だが、いつまでもどこまでも見つからずに、散々歩き回る人は能力がなくて落ちこぼれかというと決してそうではないはずだ。(地球の自然危機には最後まで生き残れるかもしれないぞ。)

▼あるある…という番組が納豆のデータを捏造したそうで、TVを見ない私はまったくどうでもいい報道なのですが、多くの人がこのような情報に踊らされている姿を想像すると最高に滑稽で仕方がなかった。
今の社会はこの騒ぎを典型として、政治の世界でも可笑しく馬鹿馬鹿しい茶番劇が続いている。いい加減で気づいてほしいものだ。ここでも情報に左右されて、ややもすると政治勢力までもがこの情報で潜在的に捻じ曲げられているのかもしれない。

▼バイクと読書のコミュニティーを開設してるが、こちらでも、現代風な現象があることは否めない。簡単に手が届くものには簡単に手を出すが、面倒であったりよくわからないことにはまったく無反応なのだ。そして、すべてのデシジョンテーブルは自分に都合のよい論理でできていて、それを正当化している…人が多いようだ。(断定ではない)

▼楽しく、面白く。損しなくて、人に嫌われない。そういうことを最優先にして生きている人が多い。(当たり前と言えば当たり前だ。)
そんなみんなの夢をかなえるような社会を実現できれば、果たしてそこはユートピアなのですかねえ。

▼情報という科学(サイエンス)の生んだ技術(テクノロジー)が、人の心を、麻薬が人体を蝕むのと同じように破滅に追いやってしまう・・・・とまでは言わないが、テクノロジーの暴走といっても過言ではない。哲学と理学のみなさん、頑張ってください。

2007年1月21日 (日曜日)

海はきらいさ 悲しくなる

海はきらいさ 悲しくなる
こう書き出したのは、北山修でしたね。


二人の恋がウソだと笑う♪

Uso2

2007年1月15日 (月曜日)

ボッコちゃん

本年もよろしくお願い申し上げます。

年末にちょっと手にした本が、身近な話で、すごく懐かしかったので紹介します。

ちょうど10年前に他界したショートショート作家の星新一さんの「ボッコちゃん」という短編集の「おーいでてこーい」という一篇です。

崖崩れで壊れた小さな社の址(あと)に深い穴が残りました。
「おーい、出てこい!」と呼んで、石ころを投げ込んでみても誰も何も返事をしません。
穴は住民が不要になったモノや棄てたいモノを何でも引き受けてくれました。
そこで、都会で出るさまざまなゴミを棄てる人が現れます。
便利なことが判明し機密書類まで投げ込まれます。
さらに、原子炉のカスまで放り込むという事態になってゆき、そして、穴のおかげで人々の住む都会の空はきれいになってゆく。
しかし・・・・

という展開で物語が進みます。

35年以上前に発表された作品でありながら、時流をこれほどまでに読み切った作品は少ないかもしれません。
国語の教科書でも取り上げられた時期があり、一部の方々は記憶があることと思います。
興味のあるかたは、ぜひ一読を。


*

「ボッコちゃん」の続きです。
巻頭で取り上げました作品「おーいでてこーい」の結末は、非常にシニカルです。
簡単に結末を説明しますと・・・・。

あるとき、空から何やら石ころのようなものが落ちてくるのに気づき、そのあと、誰かが空のほうから「おーい、出てこい!」と呼んでいる声が聞こえてくるところでこの短編は終わりです。

ジャブ程度の皮肉で、自省を促されたという次第です。


さて、新年に出会った衝撃で、もうひとつ、ガツーンと来る映像がありました。

元旦の朝日新聞・社説は、「戦後ニッポンを侮るな 憲法60年の年明けに」という表題で

キリマンジャロのような高山から、しだいに雪が消えつつある。氷河はあちこちで「元氷河」になり、北極や南極の氷も崩れている。このまま進むと世界の陸地がどんどん海になり、陸上の水は減っていく。ニューオーリンズを襲った恐怖のハリケーンなど、最近の異常気象も、海水の温度上昇と無縁ではない。大気中に増える二酸化炭素(CO2)を何とか抑えなければ、地球の温暖化はやまず、やがて取り返しのつかないことになる。

と書き出し、米国の元副大統領アル・ゴア氏が伝道師のように世界を歩き、地球の危機に警鐘を鳴らしている記録映画「不都合な真実」に触れています。

折角ですから、お時間のある人はこのプロモーションVTRだけでもご覧になるとよろしいかと思います。
原因は「人間にあります」というテロップが印象的です。

2007年1月 8日 (月曜日)

棘刺すような冷たさの京都でした

▼京都の別宅で2泊過ごす。

▼「光」の敷設工事の予定、一向に進まず。12月の初旬に申し込みながら、このままではいつになるのか。

▼まあ、娘はまもなく後期試験が始まるので、PCを少し断つのもええでしょうが。>そういう事情です、友だちの皆様

▼レポートも宿題も試験準備も、私の襲撃で遅遅として進まず。
2泊もしてしまった父の負け。言い訳を与えてしまったか。

▼及第点に至らず、1年から卒業まで幾年も同一科目を(しかも何科目も)履修した30年前の暗黒の日々を思い出す。
父の二の舞は踏まずという強い決意は伺えるが、試験は週明けからですから。

▼愛宕山にうっすら積雪。嵯峨野を吹く風は冷たかった。京都の夜は寒いね。冷たさが肌を突き刺す。鼻水が凍るんではなかろうか。

▼目的はコタツのヒータを取り替えることでしたが、それで2泊もするな!と叱られそうですね。2度目のお正月を過ごしたみたいでした。

2007年1月 2日 (火曜日)

年頭雑感 「新戦略」

新年 明けましておめでとうございます。
どうぞ、今年もよろしくお願いします。

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去年の3月に辻信一さんの回想をちょっとお借りした。

>政治学者のダグラス・ラミスの著作を回想して辻信一氏がこんなことを
>書いていました。

>都心に雪が積もった日、彼(ラミス)とある言語学者は会話を交わしてい
>た。ビルの窓から見ると、眼下の公園に職場へと向かう人たちの足跡が
>ついている。定規で引かれたようにまっすぐだ。ラミスは言う。雪国で
>見る野生動物の足跡は必ず曲がっている。
>ウサギやネズミがあのようなまっすぐな足跡を残すのは、捕食者に追わ
>れているときだけだ。それを聞いた言語学者が呟く。
>「だったらあの人達を追いかけているのは何だろう」。
>                  (時、金、そしてメトロノーム)

>3月3日は桃の節句。桃といえば子供のころにお伽噺で聞かされた「桃太
>郎」や三国志演義で有名な「桃園の誓い」などを思い浮べます。
>この物語の時代の人々は、きっと、「定規で引かれたようにまっすぐ」
>には歩かなかったのだろうな、と思いました。
>いえいえ、私たちが大切なものを見失ったのはそんな昔のことではなく、
>つい先ごろのことなのかもしれません。

(中略)

>マネーや時間という麻薬のようになモノサシから少し目を逸らすことで、
>「環境」というキーワードの向こうに存在する違った世界が見えてくる
>ような気がします。時代を超えて語り継がれてゆく、かけがえのない示
>唆のようなものが、そこに存在するのではないでしょうか。

 参考:ちょこっと日記 > 2006年03月分 > 桃の節句に考える
 http://www.eco.pref.mie.jp/nikki/200603031925121500/index.htm


自分のこの文章を読みながら、一向によい方向へと舵を切らない政治にある種の無力を感じる一方で、無力や諦め感に侵されてはいけないのだとも思った。

もう少し、「新戦略」でがんばろう!

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元旦の朝日新聞・社説は、「戦後ニッポンを侮るな 憲法60年の年明けに」という表題で

>キリマンジャロのような高山から、しだいに雪が消えつつある。
>氷河はあちこちで「元氷河」になり、北極や南極の氷も崩れている。
>このまま進むと世界の陸地がどんどん海になり、陸上の水は減っていく。
>ニューオーリンズを襲った恐怖のハリケーンなど、最近の異常気象も、
>海水の温度上昇と無縁ではない。大気中に増える二酸化炭素(CO2)
>を何とか抑えなければ、地球の温暖化はやまず、やがて取り返しのつか
>ないことになる。

と書き出し、米国の元副大統領アル・ゴア氏が伝道師のように世界を歩き、地球の危機に警鐘を鳴らしている記録映画「不都合な真実」に触れている。

参考サイト:http://www.futsugou.jp/

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私は政治家でないので余りなことは書けませんが、原因は「人間にあります」というテロップが印象的です。

国民よ、もっと、しっかりしなさい。

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