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2006年8月 5日 (土曜日)

疲れる・棄てる・滅びる

「mixi疲れ」のような話を、やはり「マイmixiな人」が書いていたので思わずコメントを書いた。そのことをベースにあれこれと考えた…。

私にも退会してしまったマイミクさんが何名かある。「いろいろ事情があって辞めます」という連絡がメッセージで届く。事の真相はなんだろうかと思い慌ててメールの返信をしようとすると既に連絡が取れない。

最近では立て続けに2件そのような事例があり、このケースでは、連絡先、捜索の手掛りなど一切が残っていなかった。楽しいときはそれなりに盛り上がってワイワイガヤガヤとやるのだが、消えてゆくときはアッサリと消える。忍者はドロンと消える。まさにそのモノだった。
何も急に消えなくても、名前や連絡手段くらい教えておいてくれればいいのにと思うのは私くらいのものなのか。寂しいともいえるし、現代のネット文化の特徴を表す重大要素であるともいえようか。

やっぱし、名前を知り、顔も知り、話もして、、、という付き合いのある友は、10年便りが途絶えても、どっしりと友だちだと思う。まさに、音信のないのが元気の証拠なのだ。その点で、ネットの友は軽くて薄い。上辺だけで友達になったような錯覚を味わえ、賑やかに活動しているとそのひとときは相当に楽しい。


本心を慎重に隠しながら最大利益を追求するような社会の様々なモノの姿を思い浮かべる。それはまさに現代社会の人間関係、企業と個人の関係であるのではないか。

このような「関係」がネットまで浸透来たまでの順序は逆で、社会が現物主義、実利主義を押し通し、合理的な経済が大手を振って歩くようになって、それに便乗するようにネット社会や情報至上観念が生まれてきたと考えてよい。携帯電話の普及もあたかも自然の成りゆきのようでありながら、何処かの誰かに嵌められたという感が強い。

グーグルで検索していとも簡単に情報を入手できる。グーグルやヤフーなどを使用した検索によって私たちが得る情報というのは、指数関数的に増加する閲覧数の上層20%程度である場合が多いことは容易に想像できながらも、その入手した情報をそのときに完璧なものとしてデジタル化してして頭にインプットする人たちが溢れるのには少し首を傾げたい。
そういう人を情報を上手に活用する人と称し、そこにはマイナスイメージは無い。情報を調べ出すことがあたかも必須のようになり、そこに散らばった知識を連結させて雑学のような知識を持ち合わせることまで現代社会を生き抜くリテラシーだとまで言おうとする人が居るのも事実だ。
(TVのクイズ番組も少しずつ様変わりして、このようなどうでもいいような知識の順番をクイズのステージにあらわにするようになっているみたいです。)

しかし、その人たちが社会を動かしてゆう可能性もありうるわけだし、社会の意見はこれらの情報で大きな波の底流の方向だって変えることもありえる。デジタル化情報を入手する時点で事の本質が持ちあわせるノイズ的な要素、つまりそこには結果だけではなく、発祥の起源であるとか課程の段階での様々な苦心など、取るに足らないが着想に重要な影響を与えたヒントなど、後になって誰も語らないものの決して削ぎとって済ましてしまってはいけない内容も多い。
(身近なところでは、選挙動向のメディア報道、ベストセラーの情報、流行りモノ情報、価格、などなど)

ネットの友だちと称される人たちがそのときだけの一過性の愉楽を味わったとしても、それをいまさら責めるつもりはない。
しかし、ネットを彷徨って、あるときにはまったりとミクシーで時間を過ごしていると、自分の貴重な時間を盗み取られたような錯覚に陥ることがある。いや、これは錯覚ではなく、確実に紛失しているのかもしれないのだが、そのことを形としてではなく、何となくではあるものの気づき始める人が現れ始め、それが「mixi 疲れ」となって表出するのだ。

遁走をする人がどんな気持ちで去ってゆくのかは計り知れない。
楽になりたい、気疲れしたので新しいことを始めたい。そう考えているのだろうか。だったら、何処まで行っても疲れは取れないし、一時的に取れたとしても疲れの発生源は除去できていない。

友だちの友だちは友だちになれるかもしれない…という着想は面白かったし、それを言葉(カタチ)にして注目を集めた点でも素晴らしい。最初に群がって残留し続けている人たちの意気も感じる。そこには、ネットで出会って、厚くて深くなれた友だちが何人もできたことは確かだ。

しかし、群がったことによる自滅の感も拭えない。人々の潜在意識にある不信感、被害感、危険度が相応に人々の心理を蝕んでいる。(社会にあふれる社会の犯罪情報なども後押ししているのだろうか。それを伝えている一翼もネットが担っているという事実も大きい。)
性悪説的なものまでに発展はしていないものの、現代のネット文化は重厚で親密なモノを決して歓迎していない…ということでもあろうか。商業主義から派生する使い棄て文化意識が、ここまで影響を及ぼしているのだろうか。

だからといって、「パソコンを棄てて印刷した活字を読もう。ケータイを棄てて手紙を書こう。万年筆を買おうじゃないか」と私が幾ら言っても虚しいだけだが。

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