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2006年5月17日 (水曜日)

近づくところ

母の日に、母を訪ねた。
弟が杖を買ったというので、私はこれというものもなく、ケーキを買って行った。

弟が
「おばあさんにソックリになったなあ」
と大きく息をつき沁み沁みというほど、自分の母に似てきた。

ひとつの物があるところに収束するとき、その時系列パラメーターを n として、n → ∞ という表現をする。世の中のすべてのものが、この ∞ (無限大) に収束するか、または、 0 (零、empty)に収束することが多い。

母は、限りなく、あるところに近づいているのだ。
人はそのときストンと終わりたいと願う。

この日に、実家の台所で、母から話を聞いた。

「なあ、うちのお父さんが逝くときには、どんなふうやった?」
「そうやなぁー」
と、母は目を細めて話し始めた。

高血圧で、脳みその中のあちらこちらで血が滲んでいたのだろうか。

「その日の二三日前には既に意識がぼーっとしてたなあ。ビールが飲みたいと言うので、こんな状態で飲ましてはならんと思い、お茶をやったら、『ビールと違うやないか、まずいなあ』、と言うてやったわ」

「どこかが痛かったとか、そういうことはなかったのか」
と尋ねると
「そんなに苦しがることはなかったな。布団に入ってスースーと眠っていて、(父の実姉と三人で布団に入って)、向こうから姉さんが身体を暖めて、わたしがこちらから暖めていたんやけど・・・・、姉さんが『なあ、仁(じん:父の名前)、冷たくなっていくわ。あかんな、もう』、と言うて・・・・。あれが最期や」

1998年に父が逝ってから、身近な人々の通夜を幾度も私は経験してきた。
次はお袋の順番なのかもしれない。
母の日に、私の母から父の最期の話を聞いたことは、ひとつのメモリアルだったのかもしれない。

この日の夜に、「母の日やし、何かせなあかんのかな」と、娘からメールがあった。

「何もいらんやろう、電話だけでええ」
私はそう答えて、それで良かったのだと納得しておいた。

一歩一歩、大人になる。
人は、無限大にある場所に向かってゆくのだ。
しかしそれは、関数論では語れない。

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