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2006年4月18日 (火曜日)

第1話【花も嵐も】 増毛から更に北へ…<北海道>

バイクは、まだ慣らしが終わっていなかった。新車のころのことだ。まだ子供はヨチヨチ歩きだったことを今でもうちのんが話す。そんな娘を置いて私がひとりで旅立ったことをそっと責める。その子ももう来年は大学生になる予定だ。
1989年の夏、舞鶴のフェリー乗り場に向けて出発する私を、アパートの軒下で雨を避けて小さな手を振りながら送り出してくれたシーンが深く印象に残っている。それは私にとって4度目の北海道で、最後の北海道への出発だった。
初めてこの大地に降り立ったのは1977年の夏のことで、そのころに未完成だった国道が1989年には幾つか開通して、ツーリングで走るバイクの数も格段に増えつつあった。
小樽のフェリーターミナルを降りてから日本海沿岸の国道を北上した。増毛という街を通り抜ける国道も当時には開通したばかりのひとつだった。
しばらく走って小平町という小さな集落を通過するとき「さようなら小平小学校」と校舎に大きく書かれた文字を見つけた。窓ガラスが所々割れていたが、校舎は朽ち果てていたわけではなかった。この学校の卒業生たちは今ごろ何処で何をしているのだろうかと思うとジーンときた。
旅先で廃校の学舎に出会うことはのは珍しくなかったのだが、最果ての大地のまっすぐな海岸通を走りつづけて見つけた文字。その大きく書かれた文字がソロツーリストの私にはこたえた。
この年の旅では、他にも幾つかの大きな感動があった。オーホーツク沿岸を走っていたときのことである。やはりここも過疎が「じわっ」と、いや、「どかーん」と襲ってきて、街じゅうが静まり返っている雰囲気が隠せない。
沈みがちな私が見つけたものは、草が茫茫と生い茂る中に「もうここを汽車は走りません」と書いた看板だった。幹線道路と並行して走っていた鉄路を横切る踏切跡だ。
国鉄が廃線になって、少しずつ変わり果てていく集落を見るのは辛かった。
ぶつぶつとひとりごとを言いながらに、私は更に大地を走った。
知床半島では、数年前に来たときにはウトロまでしかなかった道がその先の在所まで、しかも舗装されて完成している。
登山道しかない道だった知床峠に観光バスが走っている。バスの吐き出す黒煙にユリの花が揺れていた。
斜里岳の東の峰を越える「野付国道」はダートではなく舗装に変わっていた。
美しい思い出や感動的な出来事などが数限りなく北海道にはある。だからもう一度といわず行きたいとも思う。ひとりでも多くの人に紹介ができたらいいなあと思う。
しかしながら、いつも真っ先に頭に浮かぶのは、素晴らしかったものの思い出ではなく、開発されて人に踏みにじられてしまった自然の姿だ。単に昔は良かったと言いたいのではない。乱開発についてみんなで真剣に考えねばならないのないか。
もう一度、あの大地を走りたい。しかし、無残な姿を見るのは嫌なので躊躇している。
最後に北海道を訪ねた1989年からの幾日もの空白の日々が過ぎる。それが私の躊躇の気持ちを表している。

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