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2006年3月23日 (木曜日)

なあ、父よ

よめはんが泣いてばかりいる。
子どもが京都に行ってしまうから寂しいのだ。

♪♪迷子の迷子の子猫ちゃんあなたのおうちはどこですか
おうちを聞いてもわからない名前を聞いてもわからない
にゃんにゃんにゃにゃん泣いてばかりいる子猫ちゃん  ♪♪

覚悟をしていたといえばそれまでだが、いざいなくなると、ひとりの部屋を静けさが襲うのだろう。
新聞をテーブルに置いても、ときに手が滑って皿を落として割ってしまったとしても、その反響音は部屋に響くことなく、大地で手のひらを打ったように時間に吸い込まれてゆくことだろう。

三十年前に私は家を出て東京にゆくと言い出した。東京のある大学にどうしても行く必要があるのだと私は父と母に言った。二人は、何もそれ以上を尋ねることはなかった。

母は、用事を見つけては荷物を送ってくれた。食い物や着物を箱に詰めて、都会でも簡単に手に入るものさえ詰めてくれてあった。そして、父からは、いつも、鉛筆書きの手紙が一枚あっただけだった。

「お金のことは心配しなくていい、しっかり勉強しなさい」
と書いてあった。

私の母は、私が荷物ひとつだけもって、東京へと出かけていった日に泣いたのだろうか。
そんなことは、今やどうだっていいことかもしれない。
私がそのことを今ごろになって気にかけていることが、おかしい。

犬のおまわりさんはさぞかし困ったことだろう。
私の父もあの晩、泣いたのだろうか。

新しい天地に踏み出す歓び。そんな感慨は簡単には得られない。
「その心を一生大事にしなさい」、と私は思う。父は、そう何度も頷きながら泣いたのだろうか。

なあ、父よ。

2006年3月21日 (火曜日)

水ぬるむ春分に ─ 塵埃秘帖 春分篇

▼ 耕した真っ黒の土の上にみるみるうちに粉雪が積もってゆくのを何度も見た冬だった。海抜100メートル。伊勢湾が一望できる高台の中をゆく農道の周りは緑の麦畑に変わっている。その数センチの芽がそよそよと、名残惜しく吹く北風にゆれている。自然は逞しいなと思う。ひばりが天高く鳴き、うぐいすが下手ながらさえずり始めている。

▼ ちょうど24年前の今ごろ、私は京都で働くために京都・嵯峨に住まいを決めた。あのころ、御室にあったちっぽけな本社の建物が現在は京都駅前にそびえる高層ビルに変わった。自らの名前の由来するところである御室の地を離れることに対するある種の苦悩も推察できるが、常に新しいモノを追い求めようとし、技術者を大事にする社風をも鑑みてみるなら、それは素晴らしい判断だったと思う。移転のころに、私は別の会社に籍を置いていた。

▼ その会社は大阪の門真市に本社を置いていた。京都で9年お世話になったあと、こちらで12年ほど勤めるのだが、社風は雲泥の差であったので、そのころのことは技術者として思い出したくない。世の中にはモノやコトの真髄が決して立派でなくて、人の心が腐っていて、もはや死んでいるに等しいと思わざるを得ない企業であっても、社会は「誤って」立派な会社だと判断することを知った。同時に、息をさせたままで人間を殺してしまうことが可能なのだということも知った。

▼ 一生懸命に誠意を持って世の中に尽くそうと思う人に、少しでもこのような歪んだ社会構造の事実を伝えたいと思うが、それは私のような無力の小人には不可能だ。

▼ ねぇ、先生。こんなとき、先生は私にどう進言してくださるのでしょうか。「自分で考える、それがキミの使命だよ」と仰るのでしょうか。私が京都に来るとき、先生はポンコツのアルファロメオに私たち研究生を乗せて駅まで送りながら、もうすぐ(子どもが)生まれるからこんなクッションの悪い車ではなく家ではセドリックに乗ってるんですよと仰ってられた。息子さんか娘さんかさえ知らないほどご無沙汰してますが、その子も今はきっとマスターあたりにいるのでしょうね。先生、白髪が増えましたね。

▼ 嵯峨の住まいを決めたときに私はうちのんと出会いました。嵐電の通る音が部屋にガタンゴトンと響いてくる6畳2間の部屋でした。電車の音にはすぐに慣れてしまいました。遠くの友人と電話で話すときに電車が通り、その音が相手に聞こえて「今電車が通ったね」と言われても「そうだったかな」と気がつかないほどになっていた。愛着の深い部屋でした。大文字の鳥居だけでなく東山の大の字まで見通せた。

▼ 娘を連れて嵐山へ散歩に出かけたときに、竹やぶの中で人影が動くので踏み込んでみると映画のロケをしていた。2歳ほどだった娘はときどき「キヤー」とか「ガアー」とか叫ぶのですが、スタッフの向こうから髷を結った役者さんが近づいてきて「お嬢ちゃん、ちょっとの間だけ静かにしててね」と言う。千葉真一さんだったのです。私たちの世代ではキーハンターの主役の千葉さん。娘にその話をしても通じないのは仕方がない。私たちが住んだマンションに、この4月から娘も住みます。中古の文学をしたいという。私のように古刹をたずねて嵐山を歩きまわる日も近いのだろう。

▼ この子の通う大学が五条坂を下がったあたりにあります。私がオ社に居たころに、この女子大を卒業して新採としてやってきた子がいました。「春眠暁を覚えず」、この先を思い出せず苦心していた私に「春眠不覚暁/処処聞啼鳥/夜来風雨声/花落知多少」とすらすらと暗誦してくれたのが強烈な記憶にあります。花は散るのだ。新しい芽を出すために自らを棄てるのだろうか。人間は、自然という奥深いものの、ひとかけらにも満たない小さなものだ。なのに自分が一番だという錯覚に陥っている。

2006年3月20日 (月曜日)

いきいきと三月生る雲の奧  飯田龍太

いきいきと三月生る雲の奧  飯田龍太

 この便りを編集している18日はお彼岸の入りです。ひと雨ごとに暖かさが感じられるようになってゆくのがよくわかる季節です。

*

春に三日の晴れ間なし

雨の日は読書などいかがでしょうか。
以前、関野吉晴著 「グレートジャーニー ─ 地球を這う」という本を紹介したことがあります。

 約400~500万年前にアフリカのタンザニア・ラエトリに人類は誕生します。その人類が、百数十万年前にアフリカを飛び出し、ユーラシア大陸を横断しベーリング海峡を渡り極北の地を越え、北米を経て、ついには南米大陸最南端のパタゴニアへと到達する。

 東アフリカから南米大陸に至る5万キロに及ぶ大遠征の壮大でロマンに満ちた道のりを、関野吉晴さんは逆ルートで辿ります。まさに、グレートジャーニーと呼ぶに相応しい感動的な旅です。


 シベリアのコルフという町にやってきて、食料・雑貨店でインスタントラーメンやスナックを買って宿で食べたとき、
「みるみるうちにごみが出てくるので驚く。日本では当たり前のことなのだが、トナカイ遊牧民のキャンプから帰った直後だったために、強い印象を受けたのだ。」
 「遊牧民のキャンプではほとんどごみが出ない。トナカイは余すところなく食べる。野菜などの生ごみはトナカイや犬が食べてしまう。基本的に一番無駄な『包装する』ということがない。缶詰はほとんど食べない。」・・・と書いています

また、魚やカニなどは各家庭や親戚で分配するが、大きな鯨が獲れたときに、
「分配という行動は、高等なサルのあいだでも見られない人間特有のものだ。」「ここシベリアでも、狩猟民の間では分配がごく普通に行われていた。」「この人間を人間たらしめている行動様式は、われわれの社会ではいつの間にか影を潜めた。いい車を持っている。立派な家に住んでいる。モノを独り占めする者が、社会的な地位を獲得するようになっているように思う」…とも書いています。

素朴でありながら、冷静な分析ですね。いかがでしょうか。

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関野吉晴著 ちくま新書 ; グレートジャーニー 地球を這う
(1)南米~アラスカ篇  ¥998 (税込) / (2)ユーラシア~アフリカ篇 ¥998 (税込)

2006年3月19日 (日曜日)

春に想う  ─ 塵埃秘帖 彼岸篇

▼ ちかごろ、仲間由紀恵さんに筒美京平さんが曲を書いたそうですね。
筒美京平の大ファンとしては、気になるのですが、ステレオの前にじっくり座ることが少なくなったのを、ちょっと嘆く。

▼ お彼岸ですね。どこかにも書いたけど、うちのんの母の命日が14日でした。その日は私の退院の日でもありました。29年前の、卒業式の前日に逝ってしまった母を思うと、娘があのときの年齢にちょうど達したこともあって、想いは限りなし。

▼ お彼岸ですね、その2。あした、京都の実家へお墓参りに行ってきます。もう8年も過ぎるんだなあ、父よ。あなたの誕生日は3月20日でしたね。18歳で家を出てしまった僕だから、ほとんど一緒に暮らさなかったのに、どうしてこんなに似てるんだろうか。枕元にあった日記に、あれこれと書いていたのを見つけたことがあった。今の私の日記みたいだった。それを今になって思い出しています。私が形見だ。

▼ 義母の命日が終わると、今度は私たち夫婦のお祝い。16日の日記に少し触れましたが、この日は結婚記念日でした。みなさんの日記を拝読しているときに、夫が (または妻が) 家族の誕生日や結婚記念日などを忘れている…と書いてらっしゃることがありますね。結構不思議です。我が家では、22年間で、誕生日と結婚記念日、命日を忘れていたことは、誰にも、一度もなかった。

▼ よめはんは結婚前は暗い子だったらしい。数年後に女子大の同窓生で集まったときに「結婚して明るくなった」と言われたらしい。これは、私が、明るくて、エロくて、デブで、大声で、グウタラで、酒飲みで、頭に毛がないのに髭を生やしてて、70年代の歌謡曲を熱く語れるなどに起因するのか。

▼ 鼻血事件のそのあとで。退院してきて、ちょっとそのときの様子をmixiなどに書いたら、なんだか白い視線が飛んできているようで、気にかかります。このまま私は深海に沈んでしまうのではないだろうか。

▼ メルマガ、20日発行します。

2006年3月 4日 (土曜日)

KLE始動! 春の海はいいねぇ

KLEは、ういういといいながらもエンジンがかかった。
冬の間、ウズウズしてたので、迷いもなく出かけることにしました。

目指すは志摩半島。
御座の手前にでっかい橋(パールブリッジ)ができてるのをまだ見てないので行ってみることにした。

パールロードを軽く流して、国府の浜にも寄ります。

冬の海。サーファーは居ない。
数キロ続く白浜の端っこでぼーーーーーーーっと海を眺めていると、おばちゃんがワカメを両手に下げて歩いていきます。
この香り。海でしか味わえない。ワカメの匂いだ。
潮の匂いだと喜んで飛び跳ねていました。(実際にはニヒルを装っていた)

大阪湾には砂浜は0%。つまりコンクリートの護岸工事が100%完成済みだそうです。
大阪人よ、それでいいの?と言いたいが。

海はええなあ。
孤独を愉しン出見たりしながら、御座岬を目指した。

御座への道。予想以上に立派な橋がかかっています。

春の海は綺麗です。
沖には無数の漁船、タンカー。もっとでっかい船もいる。何か有名な船でも入港するのだろうか。それとも太平洋をのんびりと行くのかな。

高台から眺めおろせば、太陽の傾斜角がまだまだ低いので、針をちりばめたようなさざなみがキラキラと光る。水平線まで光の帯が絡むように広がってゆく。

波うち際まで駆け寄れば透明感が全然違う。
砂にピチャピチャと音をたてて頬を擽るようなか細さと、大海原を荒れることもある海の、いったいどこに同じ姿を想像できようか。

きょうは、雲ひとつない青空です。
湾の向こう、渥美半島も神島も他の島々もみんなくっきり見えました。

KLEも快調です。

そうそう、お正月明けにユニクロで7千円が6千円になっていたジャケットを買ったので(それはあくる週には5千円になってましたが)、本格的に着用したのはきょうが初めてでした。暖かかったわ。でも、手袋は夏向けのオフ用ですが。

桃の節句に考える

政治学者のダグラス・ラミスの著作を回想して辻信一氏がこんなことを書いていました。

都心に雪が積もった日、彼(ラミス)とある言語学者は会話を交わしていた。ビルの窓から見ると、眼下の公園に職場へと向かう人たちの足跡がついている。定規で引かれたようにまっすぐだ。ラミスは言う。雪国で見る野生動物の足跡は必ず曲がっている。ウサギやネズミがあのようなまっすぐな足跡を残すのは、捕食者に追われているときだけだ。それを聞いた言語学者が呟く。「だったらあの人達を追いかけているのは何だろう」。(時、金、そしてメトロノーム)

3月3日は桃の節句。桃といえば子供のころにお伽噺で聞かされた「桃太郎」や三国志演義で有名な「桃園の誓い」などを思い浮べます。この物語の時代の人々は、きっと、「定規で引かれたようにまっすぐ」には歩かなかったのだろうな、と思いました。いえいえ、私たちが大切なものを見失ったのはそんな昔のことではなく、つい先ごろのことなのかもしれません。


「三重の環境」メルマガ2月号でも少し触れたのですが、「サクラサク」という電報がすっかり受験生の間から姿を消してしまいました。ひとつの節目には必ず花があり、その花の下でゆっくりとした時間に身を任せ果報を待つ。そんなスローな時代から、受験の合否は電報や速達ではなく、発表の掲示板を前にしている人のケータイ電話や電子メールからであったりする時代へと変化しました。

マネーや時間という麻薬のようになモノサシから少し目を逸らすことで、「環境」というキーワードの向こうに存在する違った世界が見えてくるような気がします。時代を超えて語り継がれてゆく、かけがえのない示唆のようなものが、そこに存在するのではないでしょうか。

(娘、サクラ・マダ・サカズ なので、そんなにゆとりなど無いのですけど・・・)

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きのうは、仕事のあとで、「ちょこっと日記」(割り当て)をアップして帰りました。

三日月が西の空低く、今にも落ちそうだ。
息は白くないけど、夜中はまだ寒し。

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