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2006年2月18日 (土曜日)

くちびるが今でも好きよとくちずさむ

きょう、やっと、氷壁を読み終わった。

そんなときに、言葉(ことば)のバトンが来たので書きました。
一部だけこちらに載せておきます。
あっちには全文を書いたけど。

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■好きな言葉は?

くちづさむ。

くちびるが今でも好きよとくちずさむ … ねこ作

※初回投稿:くちびるが好きよ今でもとくちずさむ

■あなたにとって言葉とは?

「自画像…のようなものです」というブログを持っていますが、
このブログを書いているときは、自分がもっとも素直になれて、その瞬間に幸せでいられるのです。

言葉を相手に正確に伝えるのは難しいけど、ある有名な画家だってその絵で何かを表現したいわけですよね。

私には何の才能も無いので、静かな夜に静かな部屋でコツコツと湧き出るような言葉をひとつひとつ噛み砕いて酒の肴にするのですよ。
あしたになったら忘れてしまっているような、ささやかな心の襞のようなモノを、形にしてくれるモノかな。

2006年2月 4日 (土曜日)

鬼去りて柊照らす朝日かな

鬼去りて柊照らす朝日かな  ねこさん

子どもの頃、母は式台から玄関で真剣に豆を撒いた。そしてをパシッ!ときつく戸を閉めて一息ついた。

鬼というモノを大のオトナが信用していたということはない。だが、外から魔物がやってくるということは、40年ほど前なら信じていたとしても不思議ではない。

災害、天災は自分の誠実な姿勢や並々ならぬ努力だけで回避できるとは限らない。昔の人はその途方に暮れるもの対して、真摯に生きるということで負けまいと念じたのだ。だから、こんな心や信念の持ちようを考えるときに科学の話を混ぜてはいけない。

寒く辛い冬とまもなく別れを告げるのだという喜びと、春になったら頑張ろうという意気込み。その多くは「実り」を祈った切実なる期待だったのだろう。これから新しい季節を向かえ、我慢の節と分かれるのだ。だから「節分」なのだろうと思う。


社会は変動して、太巻き寿司の話題で持ちきりだ。如何にも飽食の時代に相応しいネタだといえよう。平和で安心して暮らせる今があるから、なのだ。

荒んだ社会をどのように立て直してゆくのか。私のチカラの及ぶところではないものの、鬼がいなくなった社会には怖いモノが存在しなくなったのも事実だ。

いつの世になっても人の心には「見えざる神」が必要だ。あらゆる角度から皆の心を見つめている。叱るわけでもない。声を出して注意をすることもない。そいつは「鬼」のようなものなのだ。

ほら、玄関から外をご覧なさい。鬼が柊におびえて、家の中を遠巻きに伺っている。
豆をまく文化に、人が人である人間味と真剣味を感じるのだが、豆まきは滞りなく終わったでしょうか。

心に、鬼を住まわせないさいな。 >多くの政治家さん、財界人よ

【雷山無言 立春篇】

2006年2月 1日 (水曜日)

こうなご

子どもの頃、今の季節になると「こうなご」が食卓に並んだ。春を告げる味覚で近頃は有名になったものだが、昔は庶民の、普通の食べ物だった。

魚は朝、港にあがったモノを行商のオヤジさんが運んできた。いや、オヤジさんと、子どもの頃にはそう思ったが、働き盛りの三十代だったかもしれない。

夕刻になると風呂の薪を家の軒ウラから抱きかかえて風呂焚きをするのが子どもの仕事だ。釜を覗き込んでいるころに自転車のブレーキの音がキーとなって、行商の「ヒゲさん」はいつも現れたのだった。

きっと「今日は鰆の美味しいのがあるよ」とか「かますごがあるよ」などという会話が弾んでいたのだろう。

卵は小屋の鶏が産んでくれた。お乳はヤギから搾った。魚はヒゲさんから買った。肉は…、あのころは肉というモノをそれほど食べなかった。祭事があると小屋の鶏を猟って食べた。年に一二度のことだったと思う。

冷蔵庫がない家庭がまだポツリポツリとあった。しかし、そんな理由で、家庭に冷蔵庫は不要だった。

こうなごを食べたいなと、ふと思った。つい先日のことだ。
帰りの車の中だったか、休み時間だったか、定かではないが、しょうがをすって、醤油をかけて食べるあの味が脳裏を強襲したのだ。寒波が緩んだせいだったのだろうか。

これを食べると春が近いとしみじみと思う。「ああ、こうなごが食べたい」、そう無性に思い、家に帰ったら「明日にでも買っておいてくれ」と言わねば…と復唱していた。

しかし、
帰って食卓に着いたらうちのんがニコニコしながら「きょうイイモノを見つけてん」と言いながら、そいつを出してくれたときには驚いた。

子どもの頃に父がこの魚を美味そうに食っていたのを思い出す。子供心にこんな魚のどこが美味いのか、と不思議だった。母は、美味そうに食う父をどんな眼差しで見ていたのだろうか。

そう思いながら、私はうちのんの視線を見つめ返して、確かめた。

【塵埃秘帖・2月上旬号】

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