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2005年12月 1日 (木曜日)

道草 ─みちくさ─

◆ 雷山無言 【12月初旬篇】

悲しいことに私の家は小学校と道ひとつ隔てているだけなので、学校帰りに道草をしたり友だちと鬼ごっこやしりとりをしながら帰ることなど一度もなかった。だから、道草をしながら帰ることのできる友だちを羨ましいと思ったことが何度もあった。

元来、子どもというものは、友だちと仲良く遊んでいる時間に、感受性や思いやり、協調性などが育つのだと思う。家庭に戻って親という有無を言わせないカリスマによって暗示された視点は、子どもたち相互の社会の刺激で鍛えられ、再び家庭に戻って優しく包まれ心の中に確定されてゆくのだとするならば、たとえそれが弱々しく不安定なものたちばかりの集まりであっても、子ども社会は子ども心を熟成させてくれる醸造樽のようなものだったのだ。

ところが、受験を術と捉えた親たちが、バーゲンの一番乗りのように我先に子どもに前倒し教育をし始めてしまった。その結果、学習塾が繁盛し、子どもから夕飯前の草野球、またはゴム跳び、石蹴りなどの遊びを奪い取ってしまう。あたかも親のいうことをよく聞く優等生が、金太郎飴の如く生まれた時代がやってきたのだった。

やがて、外で遊ぶ子どもが減るだけでなく、下校時間に遊びながら帰る子どもの姿も見かけなくなった。道草を食いながら帰ると塾に間に合わないからだろう。IT技術の進化に伴ない学習塾が規格化され、子どもたちはケータイ電話をもたされ、時間や居場所を管理される時代となっている。姿を消した子どもたちは子どもたちは、もはや近所に戻ってくることはない。

何とかならないものかと思っている矢先に、小学児童殺害の事件である。「道草」という言葉が子どもたちに忘れられていってしまう。

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道草。いい言葉ですね。大人の社会でも、結果追求主義が蔓延っています。

でも、私は、過程を大事にしたいタイプです。難問を与えたときに、深い森を彷徨うようにその思考過程が縺れていても、その質がよければ合格とする。そういうホンモノ志向の太っ腹な親分に出会いたい。

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