« 2005年8月 | トップページ | 2005年10月 »

2005年9月30日 (金曜日)

花も嵐も>もっとこちらへ 夏油温泉

お湯に浸かるのが気持ちのいい季節ですね。ちょっと昔を思い出しましたとさ…
-----
花も嵐も>もっとこちらへ 夏油温泉 <東北>

山深い所にある温泉だった。尾根と谷を幾つも越えたら古ぼけた湯治旅館が軍事収容所のように並んでいた。湯舟は旅館の一番奥にあった。
温泉の湯舟の上には源泉が流れ落ち、とても熱かった。45℃くらいあっただろう。湯舟は長方形で、脱衣場は湯船の下流側にあった。混浴なので男も女もその脱衣場に入り混じっている。湯舟との仕切りもなかったので、服を脱いだ女性はその湯舟に向かって進み、まず掛かり湯をする。
下流側であるが、熱いので、あらららと驚き周囲を見回す人が多い。どこかに温いところがあるのではと思うのだろう。
そこで、湯舟の片隅にいる男性と視線が合う。もちろん私とも視線を交わすが、湯治になれている男性がいて親切にも対岸から声を掛けてやっている。
男性が
「もっとこっち。こっちの方が温いから」
といって上流のほうを指さしている。教えてもらった女性は、無言でそちらに移動する。
「もっとずっと奥の方よ」と男性が言う。
「ほんとうですかねぇ」と女性が呟く。
そんなことを繰り返しながら女性は男性の言葉を信じ、上流の方に屈んだまま小刻みに横歩きをする。行く方向が意地悪にも上流なのだから、お湯が温くなるわけがない。逆に熱くて入り辛く、なってくる。
どうしてもアソコを隠すタオルを持つ手が疎かになり、対岸の方に腰掛けた私からは、見てはいけないものまで見えてしまいそうになる。というかマル見えになってしまっていた。
男性が彼女と知り合いだったのかどうかはわからないが、そういう雰囲気が意地悪だというまえに、会話自体が浴場の雰囲気を非常に和ませてゆく。罪が多少あったとしても終いには許し合えているのだ。
人間が自然に還ればこういうふうに振る舞い、一緒に湯舟に浸かり、身も心もほんとうの意味で清くなり、病も直り、ストレスも消え去ってしまうだろう。
夏油温泉までの山岳道路は、狭くて長い。自動車が少ない時代はそれはそれは途轍もなく秘湯だったことだろう。
人は、人と暮らし、大勢で社会を築き、利害を対立させ、いがみ合いをし始めたころから侵略という概念を持ち始めたのだとすれば、この湯治場の建物の中を通り過ぎる時、時空を越えてユートピアに降り立ったような錯覚に私は襲われた。
湯の効用や知名度などとは別に私はこの湯舟での出来事が強烈に印象に残り、ますます東北の温泉ファンになっていってしまうのでした。

2005年9月27日 (火曜日)

おでん始めました

今朝、車の中から
そんな看板が近所の路地の一角のファミマに出ていたのを見た。
うふふ、と嬉しくなった。
それだけです。

コンビニなんてもう何ヶ月も行かないなあ、としみじみ思う。
噂では、コンビニのおでんは美味いらしいですね。

もっぱら、おでんは家で作る。
休みの日に自分で煮込んで、自分で食べるだけだ。

もう数年前から、居酒屋にも行かなくなった。
年に2回、新歓送会と忘年会で出かけるだけだ。

電車に乗るのもそのときだけだから、気の合う仲間と飲みに行くなんてのも、全く無い。

まだ、
おでんの季節じゃないのですけど、
ウキウキするんですよ。

明日は買い出しに行こうかな。

2005年9月23日 (金曜日)

運動会青いみかんのひとりごと

私が小学校のころの運動会といえば、母が朝から手をかけて作ってくれたお弁当を持って父も一緒に来てくれた。

競技のときは、近所の子にも我が家の子にも同じように子どもたちに声援を送り、あの子は××さんちの○○ちゃんやで、などと話をしながら声援を送っていた。

そしてお昼になると、母のもとに行き筵か茣蓙の上に家族で腰掛けてお弁当を食べたものです。

お昼のお弁当には、必ず青いみかんがありました。庭にあるみかんの木にも実は生っていますが、まだもぎ取れるほど色づいておらず、母がお店で買ってきてくれたのだろうと思います。

その年、初めて食べるみかんです。酸っぱいけど、美味しいのです。

セピアな時代の思い出ですね。

----

今の時代は、ビデオカメラを片手に拍手の応援すらせずに子どもの過ぎ行くを追い続け親の姿が普通で、カメラを持つ手では拍手も声援も送れません。

今日は近所の小学校の運動会。子供の頃って、小学校の運動場がもっと広く思えましたよね。

------------
初出(俳句部);
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2167267

2005年9月22日 (木曜日)

放課後の校庭

村下孝蔵というフォーク歌手がいました。ギターを弾きながら唄っているのを一度だけ映像で見たことがある。鮮やかなギター演奏で驚いたのを憶えています。


放課後の校庭を走る君がいた
遠くで僕はいつでも君を探してた

初恋という題名のヒット曲です。

----

誰にでも多かれ少なかれ、そんな想いはあったでしょう。
あのころ、その人を遠くで見ていた自分の心は、何を彼女に求めていたのでしょうかねえ。

----

18日、娘の高校最後の文化祭に行ってきました。

おそろいのTシャツに思い思いの落書きをしている。
慶応BOY!
東大合格

遊びの中に夢がある。

テントの中を駆け回る子どもたち。
焼き鳥を熱心に焼いている男子。

祭りは終わった。さあ、これからが勝負・・・なんだろうと思って娘を眺めていると、「疲れたー」と言って寝てばっかしいるから少し心配になる。

毎日を過ぎる時間の速度は、指数関数的に増加する。毎日の感動量は時間軸に沿って対数関数的に減ってゆく。
ほんとうかい?

----
そこで問題。

「a の n乗」を、「a^n」と記します。
1. 上式においてa=1, a=2, a=10 の3つの場合でn=0 として、それぞれの値を求めなさい。
2. 上記のそれぞれの理由を説明してください。

対数関数の美学を感じますねぇ。
朝から何を言ってるの!?って突っ込まれそうですが。
「しーん」としていようか。

2005年9月21日 (水曜日)

秋は、夕暮

 朝夕にはすっかり秋の気配が漂い始めました。秋は、さまざまな形容が似合う季節です。中秋の名月(9月18日)もくっきり鮮やかにみえました。このメルマガがお手もとに届くころは、立待、居待、寝待と月は少しずつ小さくなり始めていましょう。ごゆるりと風流をお楽しみください。

 さて、光化学スモッグ緊急時措置体制は、9月中旬をもって終了しました。たくさんのみなさまのご協力、どうもありがとうございました。

 今年も例にもれず台風がたくさんやってきました。多かれ少なかれ爪痕を残してゆく自然の猛威ですが、台風が過ぎ去ったあとの青空や夕焼けは綺麗です。空気に汚れがないことで、波長の短い光線が透過し易くなるからなのでしょうか。紫色がとりわけ鮮やかです。

 「秋は、夕暮。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。」

 夕焼け空を写してホームページやブログに掲載している人をたくさん見受けます。

*

 巻頭にも触れましたが、今の季節の夕焼けは七変化で、人々を感動させてくれます。

 その昔(学生時代)、ある夕暮れのことです。西武鉄道沿線のある駅で電車を降りて連絡橋の階段を昇ろうとしました。ところが非常に混雑して昇れません。どうしたものかと少しイライラしながら人ごみをかき分けて行きますと、夕焼けの中にくっきり赤く映える富士山が見えたのです。帰宅を急ぐ人はその美しい景色に見とれて立ち止まっていたのが渋滞の原因だったわけです。そのとき、「へぇー東京からでも富士山が見えるんや」と気づいたのです。昔から武蔵野台地には夕焼けが綺麗に見えるところが無数にありまして、実は母校の屋上からも新宿の高層ビルの向こうに綺麗な富士山が見えることをあとで知りました。

 私たちの身の回りには、まだまだ残してゆかねばならない自然が溢れています。台風が過ぎ去ったあとの大気環境データは、空気が非常に綺麗であることをその数値で示しています。空気は本来からこのように綺麗に澄んでいたのでしょうし、みんなで努力をすればきっと元に戻せるはずだと思います。

 身近なところから、その一歩を始めたいものです。

2005年9月18日 (日曜日)

明かりなき奥座敷まで照らす満月

さて、月を眺めて何を飲もうか

-----

8月19日に満月をみてこう書いた

まだ夏の暑さが強かったころだ。
果たしてほんとうに秋は来るのだろうか、とさえ思いたくなったものだ。

明かりに貴重な油を使っていた昔は、この明かるさに感謝をして火を消し、これを堪能したことであろうと想像すると、現代人は何とも情けなく驕りに満ちた暮らしをしていることか。

明かりなき奥座敷まで照らす満月  ねこ作

雑文

2005年9月17日 (土曜日)

彼岸花咲いたと父に手紙書き

きのう俳句部に・・・
彼岸花咲いたと父に手紙書き  ねこ作

と書いたのですが、実際に父にそんな手紙を出したことはありませんでした。

山栗がダンボールの箱にいっぱい贈られてきたことはありましたが。

「金は送った。勉強しろよ」
と書かれていた。

-_-_-_-_-_-_-_-
ミクシー 俳句部 募集中!

2005年9月13日 (火曜日)

引き潮

市街地を抜けて隣町へと差し掛かるところに小さな橋が架かっている。海から二つ目の端で、潮の満ち欠けがよくわかる。私はここを朝の7時ころに通るのが日課だ。

満月の朝は潮が満ち、川の流れが止まって、ここにもし橋がなければもう立派な海の一部となるのだけれど、昨日の朝は引き潮で川の地肌が丸ごと姿を見せていた。

引き潮を見るたび、私は思う。
ああ、この川の姿は何かに似ているではないか。そう、失恋をして涙も枯れ果て、投げるものも壊すものも棄てるものもなくなってしまった女が、大きくため息をついている姿のようではないか。

エネルギーこそ使い果たしているけれど、決して潜在的な力を棄てているわけでもなく、大きな海を目の前にもう一度、甦ることを決意しているしたたかな女の姿を思い浮かべるのだ。

静かなのだ。
潮の満ち欠けが止まって、これから次の大きな変化が起こる前触れを私は知っているだけに、そこにとどまり、大きな干潟と対峙していたくなる。

---

昨日の朝---頭の中のすべてが真っ白になっている時刻---恥ずかしいほどにあらわに姿を見せた干潟に向かって、明日は少し明後日はさらに少しと潮が満ちてくる。

私は引き潮の海が好きだ。そういいながらも、静寂のあとにゾクゾクする海のざわめきを期待しているのかも知れない。

朝に引き潮を見たのだから、夕方に見る月は半月だ。そいつが昨日より少し太っている。真っ二つに切った月がほんの少しふくよかになってきているのだ。半月が丸くなる。

引き潮に女のため息を感じ、丸みを帯び始める半月に擦り寄る女の魅惑を感じている昨今。

2005年9月 7日 (水曜日)

あらし去り白露がきゅんとすまし顔

久々の塵埃秘帖を書いています。白露篇。

あらし去り白露がきゅんとすまし顔  ねこ作

こどものころは、台風が来ると必ず停電になり、夜通しで蝋燭の灯を頼りにしたものだ。雨戸を閉めて、玄関には戸板を打ち付けて、大黒柱の脇の大きな居間で家族が眠った。

真っ暗闇の中を風が吹き荒れる。それが夢の中のことと区別がつかなくなって眠りに落ちて、あっという間に朝が来るのである。静かで穏やかなことにありがたみをあのときほどに感じる朝はない。

きょうは白露だ。しかし、台風が過ぎ去ってしばらくは暑さが押し戻ってくるのだろう。自然に嘆き、その裏で感謝をしながら季節が深まってゆく。

----

どうぞあなたも孤独であってほしい雨  時実新子

べつに、あなたをずっと思い出しているわけではないものの、この広くて狭い列島が大きく荒れた夜に、遠くの人は何を思って夜を過ごしているのだろうか。

こんなふうに、低気圧が脳みそのエキスを吸い出してしまった朝は、悲しくもないのに涙が流れるうたに目が止まってしまう。

どうしても好きで涙が膝に落ち 時実新子

-----

(書きかけの手紙がありました。出す当あてのない流離いの手紙)

朝夕、ひんやりとする日々が戻ってきました。私は秋が好きです。この季節になると、ぴりりと冷たい空気が肌に触れるたびに、勇気をモリモリと付けて今から百年の恋の成就にゆく朝のようにからだじゅうがピンとなります。

とくに朝、夏のように白く色褪せたような太陽の光ではなく、薄く赤みがかった光が住宅街の屋根の隙間から我が家のあたりを照らし始めると、あれだけ嫌いだった太陽光線なのに、少しは浴びてもいいだろうという気になってしまいます。

(ここで断筆です。嵐のせいにしておこう・・・)

M's Zoom

  • 健ちゃん
    M's Days フォト

写真日記(平成28年版)

  • 越乃寒梅
    平成28年の
    日々の写真に
    コメントを
    綴ります

京都日記(平成27年11月)

  • 渡月橋
    京都日記
    平成27年11月篇

京都日記(平成27年7月篇)

  • 鱧のお弁当
    京都日記
    平成27年7月篇

京都日記(平成27年春篇)

  • 焼き鳥
    京都日記
    平成27年版の
    春の日記です

写真日記(平成27年版)

  • 伊達巻
    平成27年の
    日々の写真に
    コメントを
    綴ります

日々是好日写真記

  • ハーモニカ
    860枚 平成18年から平成26年まで(写真日記)

Walk Don't Run

  • ユース宿泊スタンプ帳
    忘却をおそれず
    記憶を記録として
    遺そうと思う
フォト

BIKEs

  • 平成24年(2012年)最後の春(閏日)のKLE
    かつて
    バイク・ツーリスト
    だったころ
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
2018年5月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ